札幌南高同窓会南28期卒業生のホームーページです。

サッカー部座談会

札幌南高28期連続座談会第三弾!

サッカー部〜ずっとサッカー、これからもサッカー、なヤツら

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牧内:
 本日は、札幌南高28期サッカー部のメンバーで座談会を企画しました。現在、千歳高校でサッカー部監督をやっている繁野昌司君(309)、サッカーで靱帯断裂を経験した渡辺岳彰君(301)と奥様の典子さん(301)、牧内(305)とその新妻なお子です。

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高校卒業以来どんなサッカーをやってきたか

牧内:
 まずは、それぞれ高校卒業以降のサッカー活動について、お伺いしたいと思います。まずは、私から。
 私は、高校卒業以降、大学で体育会サッカー部に入部し、毎日練習という日々を送りました。大学卒業後は、大学院に行きましたので、北大OBの社会人チームで、2年間休日は、毎週サッカーをやるという生活でした。2年目は、高校で同期生だった酒井一志君が筑波から帰ってきていて、彼に誘われて、女子サッカーチームの指導を行いました。
 就職してからは東京でしたが、当初5年間くらい、30歳までは、職場のチームができて、年3回ほどの試合をやっていましたが、そのご、5年に一回くらいとなりました。
印象深いのは、2001年にドイツ駐在の頃、年齢は42歳くらいでしたが、オランダに大学のOBの60代中心のチームが遠征に来て、オランダチームと試合をしましたが、これに参加しました。5−9で負けました。そのときは、対戦相手となる60台中心のチームをオランダで探したのですが、なくて急遽集めてもらいました。
 2002年に帰国した年、大学のサッカー部卒部20周年記念試合を行いました。その次の週にフットサルをやったところ、肉離れを起こしてしまい、続きませんでした。昨年仕事で転勤となり札幌に帰ってきて、北大サッカー部創部85周年記念の試合をやりました。5年ぶりにゲームをしましたが、3ハーフ目で再度肉離れを起こしてリタイアしました。今年は、四十雀チームに入り、続けて出場することを目指しています。
渡辺:
 北大に入ってからは、歯学部でサッカーをやりました。歯学部サッカー部創部2〜3年目で、サッカー部立ち上げ期でした。

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 学生サッカー連盟に入るまでの数年は、同好会リーグで試合を行いました。試合に出られるし、相手も同レベルでしたので、楽しくサッカーができたと思います。高校のときは、勝ちあがれないと先に進めませんでしたが、大学時代は全国20数校の全国歯学部大会があって、日本各地での大会に参加しました。最初はまったく勝てなかったのですが、徐々に力をつけて、私の卒業後にはベスト8にまで入れるようになりました。強くなるという体験もできて、楽しかったです。
 卒業後は、職場が札幌、千歳でしたので、5年ほどは、休日に現役の練習場に遊びに行きました。その後、仕事が忙しくなるにつれて、だんだんプレーしなくなってきました。
 転機になったのは、1998年の仏ワールドカップの年に、東京からもOBが集まる機会があって、現役に相手をしてもらったり、北海道医療大のOBともプレーをしました。年1〜2回プレーを開始しました。2002年には、ニセコのペンションに宿泊して現役、OBで試合をしていたところ、隣で試合をしていたニセコの社会人チームから声がかかって、試合をしました。
 確かその頃から、白い恋人杯が始まりました。これは、道内の医学部歯学部のOBチームの大会で、石屋製菓からカップをもらって、始めたものです。私自身は、3年目の大会でヒザ靱帯損傷となり、現在はゲームは控えています。自分で遊ぶ、見る、サポーターと3つの側面から楽しんでいます。コンサドーレの試合は、行ける日は見に行っています。
牧内:
 白い恋人カップの発端は?
渡辺:
 歯学部OBと医療大のOBの試合がもとになって、医療大の先生がオーガナイズしたんだと思います。
牧内:
 この年になると怪我との戦いですね。2002年の大学サッカー部卒部20周年の試合では、当時60歳の先輩が入ったのですが、開始1分程度でアキレス腱全断裂でリタイアしました。
渡辺:
 私が靱帯損傷したときも入ってすぐでした。全力でプレーをしてはいけない年になっています。みんなが押さえてやっている中で全力でプレーすると、自分が足が速く、うまくなっている気になるのですが、そこが危ない。
繁野:
 サッカーが楽しかったのは高校時代だけ。大学の4年間は苦しい一方で、まさに地獄でした。全国トップレベルのプレイヤーが集まるし、サッカーに対する思いなども全く違っていました。その中で、自らの力を向上させることができました。

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 高校時代の札幌南高校の監督で、大学でも先輩であった沖野隼夫先生の示唆も受けて指導者となることを目標にしていました。北海道の教職についてからも含めて、サッカー指導者一本道でした。そのころのチームメートが全国のサッカー指導者や監督となっているので、その人脈は得難いものです。たとえば、金沢大学の越田監督は大学時代一番仲がよかったし、現在の新潟の鈴木監督は一つ下でした。
 教員となったとき、沖野先生から、生徒の練習には必ず出ること、出ればでるほど結果につながるという教えを受けました。この年で3つめの高校に来たばかりというのは、本当に珍しいことで、公立高校のサッカー部をじっくり育てるという役割を与えてくれたのだな、と思います。特に白石高校は、プリンスリーグに所属し続けるという強いチームに育て上げることができました。
 自分のサッカーは、大樹高校時代、チームに所属していました。札幌に帰ってきて、数年はプレーしましたが、現在では、一切やっていません。転がってきたボールを足で止めるという動きすら怪我をする可能性があるということを肝に銘じて、油断しないようにしています。
 見るサッカーという側面では、やっと最近テレビで見るようになりました。サッカー嫌いだし(笑)。Jリーグが始まった当時は、テレビで見始めてもすぐに眠るという感じでした。
牧内:
 私も見るのは、好きではありませんでした。北海道では、ダイアモンドサッカーという番組が無かったので、そもそも高校時代はサッカーを見るという環境はありませんでした。大学に入って、オランダのクライフや、ドイツのベッケンバウアーという名前を聞いてもピンと来ませんでした。ただ、82年のスペインワールドカップのときは、女子サッカーの指導をしてたのですが、その指導者仲間の奈良県出身の五十嵐君がビデオ録画して、ストップしながら解説してくれたのはおもしろかったです。
渡辺:
 ぼくは見るのがすきだなあ。86年のメキシコワールドカップ、90年のイタリアワールドカップの総集編をビデオにとってあって、未だ見ます。日本が出るようになるまでのワールドカップとドーハ以降のワールドカップとは見方が変わりました。その後、ビデオをとることもなくなりました。
典子:

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 309でサッカー部だった斉藤浩君と同じ真駒内中学出身でした。サッカーがメジャーではなかった時代だったのですが、真駒内南小学校が全国大会にでたりしていた特別な中学だったもので、サッカーという競技を特別なものとして見ていました。中体連でもサッカーの試合には女の子がみんな見に行っていました。
サッカーのルールなどはわからなかったのですが。
 高校時代は、柴田キャプテンの印象が強かったです。彼は足にオモリをつけてトレーニングしていたのが印象的でした。
大学のときは、歯学部のサッカー部がどんどん本格的になっていくのをまのあたりにしていました。現在では、息子と一緒にサッカーを見に行く様になっています。なかなかお父さんは、仕事の関係で見に行けないもので。コンサドーレではダビが好きでした。
 ドーハの時は、仕事の関係でお父さんはリアルタイムで見れなかったので、ビデオを撮っておきました。が、負けたとわかると、「そんなもの見るか!」って言っていたのに、結局4回も見ていました。

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繁野:
 ダビの移籍金で、コンサドーレの人工芝の張り替えをやるようです。今の人工芝は、山瀬の移籍金。
なお子:
 サッカーをやっている人は、足が短いというイメージ。カツヤさんは、立派なフトモモ、とフクラハギなのに、走り込むとすぐ怪我をするので、皆さんも気をつけてください。渡辺さんがものすごく楽しそうにサッカーの話をするのがカワイイ。

卒業写真をみながら

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牧内:
 卒業アルバムのサッカー部の集合写真がこれです。繁野君はオーバーオールを着ています。この写真は、我々が3年生で、大会がすべて終わり、引退してから後に撮影したと記憶しています。それでも柴田や私は、練習にでていたのですが、繁野君は完全引退して、練習着も着なくなっていたのだと思います。
酒井、斉藤、柴田、大野と前列にいます。寺井先生が右端。上銘君がいませんが、彼は転校したのでしたっけ?後列は、一年下です。米内山君は、現在札幌南高でサッカー部の顧問をやっています。
渡辺:
 一年下の中川君は札幌医大ですが、大学時代にサッカー部で活躍していました。宇治君は、北大歯学部サッカー部の後輩です。
繁野:
 大川君は、小中高と一緒で、今も札南サッカー部のOB会に来ますよ。毎年1月2日に第一ホテルで、札南サッカー部のOB会をやっています。これは、我々のキャプテンだった310の柴田君が発意したもので、毎年50人から60人出席しています。私の同期は、毎回私だけですので、肩身がせまい。渡辺君、牧内君来年は来てください。松浦さんが会長。北洋銀行のお偉方で、頭取になるのではないかとの噂もあります。同期の人は見たことがありません。私は、園田さんから誘われたのですが、渡辺君は私が来る前によく来ていた、と聞いています。櫛部さん、紺野さん、三国さんも顔を出すようです。米内山君は、今年は来ていました。札南のサッカー部の指導をしていますが、今年のチームは良さそうだということです。
渡辺: 
 園田さんは、医療大出身で、白い恋人杯などをつくった人です。
繁野:
 森田君、榊君。マネージャーは写っていないけど土肥さん、大塚さん。
牧内:
 柴田キャプテンは、連絡はついていないのですが、「柴田純志」でインターネット検索するとスポーツクラブのサイトが引っかかります。写真も載っており、「60キロしかあがらなかった、ベンチブレスが100キロあがるようになりました。」というところが柴田君らしくて、まずまちがいないと思います。
典子:
 わかる。
牧内:
 柴田君は、高校時代センバツに選ばれたので、我々の中では上手だったということだと思います。同期会は、1984年に札幌で、1991年東京で開催されていますが、そのときにも来ていないようで、名簿にも住所が空白なので、行方不明です。とはいえ柴田君にとっては私も行方不明でしょうけど。
 斉藤君は、六華同窓会2003年の札幌の同窓会か、その後の余韻会には来ていたと思います。2005年の名簿には、英国勤務となっていました。その後、インターネット検索したら、シンガポールの商工会議所の役員で、斉藤浩 東京海上っていうひとがいるので、一応これ、っと思っています。
 大野君は、北大サッカー部でした。トピー工業で愛知県にいると思います。六華同窓会2003でも会いました。
 卒業以来、全く音沙汰を聞いていないのが、小林幹生君です。
渡辺:
 菅沼君(せっぱん)は上野幌で耳鼻科。

酒井一志君

牧内:

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 酒井一志君ですが、筑波大学で繁野君と一緒だったと思うのですが、大学院をやめて、札幌に帰ってきて私と一緒に女子サッカーの指導を行いました。その後、中学校の教員となって、陵陽中学でサッカー部を鍛え、山の手高校に移ってサッカー部の顧問となりました。
 写真は、そのときの女子サッカーのチーム。一番右側が奥様です。

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繁野:
 髪型といい、ボールに座る態度といい、許せんな。しかも筑波のジャージ(笑)。
牧内:
 次の白黒写真は、この座談会のために高橋伴往君が昨晩送ってきたもの。高校の学園祭の打ち上げですすきの、ってことのようです。酒井君がいますが、奥にいるのは伴往君。
典子:
 伴往君!やせてる!手前が木村司君。おととし夫婦で年末の一杯会に来ていました。
繁野:
 酒井君とは、札幌に来てからかなり顔を合わせました。陵陽中学の頃は、卒業生を白石高校に回してくれたりしました。高校サッカーを指導したいということで山の手高校に移りました。いいプレーヤーもいたらしくて、本格的にサッカーの指導ということでリクルートさたようです。そのとき、初めて親父に殴られたといっていました。山の手では教頭で、学年主任で、私と違って、学校の仕事もやる熱血先生でした。サッカー協会の仕事なんかも頼んだらやってくれました。
渡辺:
 プリンスリーグに繁野君と酒井君という同級生が2名も監督をやっているのは、すごいことだと思っていました。
繁野:
 仏ワールドカップの年に、酒井君と私で、国体の北海道予選に札幌選抜のチームを率いて出場しました。彼と同じ部屋で宿に泊まっていました。フランス、ブラジル戦は明け方だったのですが、私が起きて、眠っている酒井に「ジダン得点!」とか教えてあげました。自動車の運転を押しつけ合って、鍵を投げ渡し合ったりしました。楽しかったです。
 ライバルだったけど、中学の選手のこともよく知っていて、秋になると飲みに誘って、情報交換などもしました。地区が違うので新入生ではぶつからなかったのです。
 試合では、よく当たりました、勝ったり負けたりでしたが、いやな相手でした。中心選手を隠していたり、前の試合で松葉杖つかせたり、そこまでやるか!こちらの新人について情報をもってたり、よく調べているのですね。4〜5年たったら、お互いがっぷり四つになりましたけど。
 酒井が試合中に頭痛で倒れて、原因不明でNTT病院に入っていたときに見舞いに行きましたが、会えませんでした。それから数週間後に亡くなりました。

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これからの自分のサッカー

渡辺:
 繁野君は指導者だけど、私は単なるサッカー好き。たまの試合だと前の日にはテンションがあがってしまったりします。怪我をして、それはよくないと悟りました。今後、あそびながらやります。ヒザの装具をつけていれば、試合もできるかなと思いますが、ロボコップみたいなので、周りに迷惑をかけるようで。
典子:
 靱帯を切った日も私は悪い予感がしたのです。帰ってきた時に顔を見て「あー無事でよかった」と一瞬思ったのですが、「そうでもない」って足が腫れていて、救急病院に連れて行きました。
渡辺:
 今はサッカー好きが多いから、交遊が広がるのが楽しいですね。サッカー仲間の息子がコンサドーレに入ったので後援会に入るとか。たまたま飲み屋で会ったひとと盛り上がったり。
典子:
 すっごい幸せそうです。
繁野:
 うちの父は70までやっていました。大けがはやったのかもしれないけど、昔だから病院にも行かず。だけど、自分はやれないとおもうなあ。退職までは、チームを勝たせたい。60を超えたら、観客としてビールを飲みながらサッカーを見たい!いつも、ピッチで緊張してみているから。指導者の気持ちはプレーヤーの気持ちに比較しても深いものがあります。
 いつもなら、今頃は本州合宿の時期ですが、今年は、もう雪解けで千歳でゲームができます。今日も一試合やってきました。千歳は、指導者ひとりなもので、あまり手が広げられません。
牧内:
 私は、ことし四十雀サッカーチームにはいったつもりが、五十雀になっていて、復活のチャレンジをしたいと思っています。怪我ですぐリタイアかもしれないけれども、続けば、それこそ、60代で海外遠征をやりたいと思っています。

感想はこちら

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  • 座談会も3件目。ずいぶん要領もつかんできました。サッカー部の人いませんか? -- まきうち 2009-04-11 (土) 23:23:21
  • あっという間の2時間でした!50歳を迎え、ますますサッカー熱が燃え上がっています。 -- なお子 2009-04-12 (日) 00:45:10

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