札幌南高同窓会南28期卒業生のホームーページです。

座談会

同期会活動の求心力(牧内)

牧内

2011年6月に、我が札幌南28期は、東京六華同窓会の幹事となります。あと、2年半ほどあるわけですが、そのための求心力とするため、本日の座談会を企画しました。胸算用では、これから毎月1回座談会を行い、ウエブに掲載していって、2011年当日までに30回という野望です。それ可能かどうか、本日やってみて、見当をつけようと思っています。

 2011年のためにだけではなく、同期会活動の求心力を維持し、高校や地元への貢献を行うためのきっかけとする、その後の老後に楽しく暮らすためのインフラとなっていけばと思っています。

本日の内容ですが、1991年の東京六華同窓会の中心人物である早瀬(巣山)さん、東京六華2011の幹事団の一人である高橋伴往君、2003年の六華同窓会南28期実行委員会を行いました山中()綾子さん、母校の現役教師の中村昌彦君、PTA会長を経験し六華同窓会の副幹事長でもある笹本君にいらっしゃっていただきました。

大前提ですが、東京六華同窓会と六華同窓会は、双方札幌一中、札幌南高校の同窓会ですが、基本的に運営は別です。会員も会費も別で、双方に入会し、双方に会費を払う必要があります。話題になります、総会・懇親会は、六華は秋に、東京六華は春に行っています。

32歳、42歳、52歳に幹事が回ってきて(早瀬)

早瀬

私は、32歳のときに声がかかって、東京六華同窓会の名簿作りなどの運営を手伝っています。会員は1600名で、減少傾向にあり、運営は苦しくなっています。32歳、42歳、52歳に幹事が回ってきて、新年の集い(1月)、年次総会・懇親会(6月)、就職相談会(11月)を行います。就職相談会は、ご時世で、今年は、盛況で新しい会員が獲得できたようです。

1991年に10年上の先輩に指導を受けながらやったので、心強かったです。ただ、後輩を巻き込むことはかなり難しいという印象です。38期の後輩には声をかける余裕がなかったです。2001年はどうだったのでしょうか?そのとき知り合った18期の先輩に私の会社の経理をやってもらうなど、その後の私のビジネス、生活にもよい経験だったと思います。

高橋

2回目の幹事2001年は、てっきり早瀬さんがやっているものだと思っていました。

牧内

2000年に札幌南高が甲子園に出場し、長崎君(当時東京理科大教授)が甲子園に応援に行き、メールリストをつくり、現在、それがメインの連絡手段として活用されています。2001年に2回目の幹事をやって、9月11日に同時多発テロがあり、合屋君が未だ行方不明であるなど、メールで情報交換が活発になりました。だから、2001年に活躍したのは、長崎君ではないでしょうか?

早瀬

イベントの準備をすることもさることながら、新しい会員さんをリクルートすることが重要な仕事です。事務局のかたがたは、ほとんどボランティアで、自腹です。

高橋

事務局のかたがたには任期などあるのでしょうか?

牧内

六華同窓会の組織は、会長を筆頭とする理事クラス、幹事長など幹事クラスの2つの年齢帯で構成されています。会長は南11期の竹島(現、公正取引委員会委員長)ですが、大体、10期くらいの方々が中心です。幹事クラスは大体20期くらい前後。そのほかに、毎年、実行委員会を形成し、総会・懇親会などのイベントを行います。3年後に28期の順番なのはこの実行委員会です。

早瀬

会長は選挙があるようですが、幹事などは、特に定められていないようです。毎年交代するようなものではありません。会計、会費に関することと、名簿管理などやっています。

笹本

実行委員会幹事の1年の任期は、いつからいつまでですか?

牧内

今年は、7月26日に25期から26期の引継ぎ会議がありました。これにわれわれ28期はオブザーバーとして出してもらいました。学ぶことは多かったです。その前に6月14日の総会懇親会の最後に舞台上で、25期から26期への「大扇子受け渡し」という儀式をやります。これが正式な活動開始日だと思います。

高橋

したがって実行委員会の任期は総会懇親会から、総会懇親会までの一年間ですね。

早瀬

総会懇親会では、お年寄りに銀のスプーンを渡します。年に一回のイベントを楽しみにしていて、その年のパンフレットを1年かけてゆっくりゆっくり読むというお話を伺いました。転職を考えている若い人は、名刺広告に興味があるようです。

笹本

90歳だと虫眼鏡で読んでいるのでしょうね。

高橋

札幌一中同窓会が昭和50年頃に、札幌南高卒業生の加入を許し、現在の体制となりました。ですので、現在の東京六華では、参加を許していただいた、一中時代の同窓生を特別に厚遇すべきであるとの伝統、ある意味で断絶があります。これが、福岡修猷館だと藩校から一貫しているので、その断絶がないと聞いています。「同窓会の社会学」という本が出ていますが、これは修猷館の状況をまとめたもので、修猷館の同窓生は全員もっています。

牧内

今井君がほかの学校の東京同窓会のパンフレットを調べてくれました。山口宇部高校、福岡八幡高校のパンフレットと比べて、東京六華のものは3倍以上の厚さです。なぜパンフレットが厚くなるかというと、広告をのせるためです。うろ覚えですが、東京六華だと、広告を200万円集めて、100万円をパンフに、残りをパーティー代にあてます。広告集めとパンフの作成が大きな負担となっており、広告とパンフつくりをやめてしまえば、もちまわりの幹事もより時代にあってくるのではないかと考えたりしています。

早瀬

91年のパンフレットを作成しましたが、すごく大変です。仕事よりも大変。編集などに知識のない人の意見に対応するとか、名刺広告の住所が違ったとか、細かい作業が続きます。事務局の会員名簿のデータも電子化されたのは、つい最近で、それまではカード方式でした。会費を払っていない人の分も管理されています。

笹本

パンフレットは、六華同窓会のものより、見やすいですね。反面、作るのが大変そうです。たとえば、六華では、記事、広告なども規格化されており、簡単に作れるようになっています。

早瀬

パンフについては、1学年に一人くらいは、編集関係の仕事をしているひとがいて、その人が担当する形で進めています。91年は、幹事の人がセキスイの方がいて、広告も多く、打ち合わせもセキスイ迎賓館みたいな立派なとこでできてよかったです。

牧内

50歳くらいになると、同窓生は、みなそれぞれの世界のエキスパートなので、もてる資源をもちよって、作業が進められれば、より楽しいでしょうね。毎月、毎週あつまる場所などもそのひとつ。

同窓会が学校のためにと思うことと、学校が要求するものとにギャップがあるものなのです(中村)

山中

幹事をおこなった後の余り資金をどうするかについては、グレーゾーンです。そもそも、実行委員会資金、すなわち広告収入、懇親会費収入については、公表義務がありません。27期の幹事のときに公表するという方針で臨んだので、28期もパンフに掲載しました。

私たちの年は、いくらか余裕資金ができたので、学校に寄付しようということとなったりしましたが、結局、後年の同窓会の参加費として充てています。その残り30万円ほどありますので、東京六華の方に引き継ぎたいと思っています。

保科君にデザインしてもらった、看板を校舎につけるという企画がありましたが、学校との交渉していくなかで、断念したという経緯があります。

笹本

役所の壁もあったし、積極的に動いていてくれた先生が転勤したということもあったし。

山中

お金があるなら学校側としても看板ではなくて、ほかのものがほしいという議論になったりします。最初はエレベーターがほしいということがあったのですが、学校の建築規格の規則などによって、実現しませんでした。

笹本

校舎にエレベーターをつける構造することについて、国が認めるか、道が認めるか、ということがありました。今は四階以上の学校にはエレベーターはありますが、当時はありませんでした。

中村

中標津高校時代に校舎改築、50周年の事業にあたりました。平成2年に甲子園に行き、平成5年ころのことでした。バブル後とはいえ、いまよりはずっと余裕があり、1億円近く集まりました。近隣の、別海、羅臼などの自治体からも寄付がありました。10年後ラクビー部が花園に行ったときは、あつまりませんでした。

中標津高校出身の彫刻家に記念像を依頼し、その謝礼は7〜800万円でしたが、これは先生方の間でちょっとした議論を巻き起こしました。学校の先生の立場からすると、授業や部活を行う上で買ってほしいものというのはあるのですね。たとえば吹奏楽部の楽器です。これは後援会費とか年20万円くらいの予算では買えない値段です。100万単位の投資は、普通にはできないわけです。年間に集まる寄付金は、たとえば部活の引率の旅費などで使い果たします。部活の引率などは、限りなくボランティアなもので、出張旅費などは学校から出ないわけで、後援会費などから支出していたのです。

同窓会からの資金をどう使うかという議論になったときに、その学校出身者で同窓会の先生は看板や記念碑などに理解を示すのですが、それ以外の先生は所詮は外部の人の要望であり、現在の学校や生徒のためにほしいものを主張することとなります。同窓会が学校のためにと思うことと、学校が要求するものとにギャップがあるものなのです。

早瀬

東京六華では、南高出身じゃない先生も加入資格があります。長年南高で教鞭をとって、とても楽しかったという人が加入しています。

中村

昔は、15年勤務していた先生もいましたが、今は、学校が減少し人事も停滞しているので、現在の道教委の方針では、どんどん異動させています。現在でも2/3は、勤務5年以内の先生です。道の教員は若いときは郡部に出て、少ししてから札幌に戻ってくることが可能でした。札幌には新設校がどんどんできていましたから。

現在では、札幌でも学校が減っており、無理して異動させないと、郡部に長くなりすぎて、先生のやる気も停滞してくるなどの問題を解決しようとしているわけです。

その学校の卒業生ではない先生の多くは、学校の歴史や伝統を因習としてとらえる人も多いわけです。かえって障害になるものであり、正常化すべき対象としてみているのです。私は、30年前と現在と両方知っているのでひしひしと感じます。

そうした同窓生と現役教師の間の意識ギャップを埋めていかないといけないと思っています。

牧内

海外の名門校では、同窓会組織が強くて、学校に多額の寄付をすることによって、絆が続いています。米国の大学の学長は、いまや寄付目標額を達成できないから、任期を全うする人がいないと聞きます。日本は、学校は役所なので、民間からお金をもらうことができないなどということが最近30年くらいの間で定着し、同窓生と学校の絆が薄くなってきたのではないでしょうか。

笹本

100周年記念事業協賛会が、2億円の目標で寄付金をつのり、1.8億円が集まりました。これで百周年記念会館を建てました。

中村

学校の敷地内の道有地の中に、道の所有する建物である学校と、渡り廊下で接続して同窓会館を建設することについては、制度上の問題がありました。結局、同窓会が道に寄付して、所有と管理が道になっています。そのため、4人の同窓生教員が管理しています。

 授業中もかまわず、同窓生から電話かかってきて、休日に見たいという依頼がどんどん来るようです。結局そのために、教員が土日出勤をして、案内するということが起こっています。

構えないで声をかけることができるメンバーというのは本当に得がたいものです。(高橋)

高橋

2003年の札幌の同窓会の幹事の後に、東京で48人集まって、新宿で立食パーティーを行いました。これを札幌での総会・懇親会のノスタルジーということで「余韻会」と呼んでいます。2003年12月です。1回きりでやったので、その後の組織作りにはつながっていません。ただ、その時の連絡に使ったメルアドなどで、それぞれに新たに連絡ネットワークができた人もいるでしょう。

その後、私は四日市に転勤したのですが、何回か札幌や東京へ行く機会があり、その際に声を掛けて同期で集まりました。約2年間の赴任期間中に10回ほど同期会を開催しましたが、次第にメンバーが固定して来て、参加者も平均6人程度となり、なかなかネットワークの拡大には繋がらないな、という感じになってきました。

こういうやり方も限界があるので、いつでも立ち寄れる固定的な場を設定していく必要があると感じていました。この座談会が連続して行われ、常時ホームページで公開されているという形で、そういった「溜まり場」ができるといいなとおもっています。末端まで血が通い合うネットワークとしていくことが必要と思っています。

牧内

 メンバー拡大には限界はあったのですが、高橋、長崎、今井、牧内というコアメンバーができたというのがこの「宴会バント作戦」の成果だったと思います。

高橋

 なにかやろうというときに、構えないで声をかけることができるメンバーというのは、本当に得がたいものです。この4人もそうですが、今回のこの座談会が抵抗なく実施できたということに、本当に感激しています。

「一杯会」をやりつづけています(山中)

山中

 2003年の六華同窓会で、パンフレット、総会、懇親会を実施したわけですが、その成果として高橋君が言ったような、仲間ができたのが資産と思います。高校のときに知らなかった人とも、あらたな絆ができたと思います。その後、「一杯会」をやりつづけています。昨年も卒業以来会わなかった人が3人参加してくれました。年間で、同窓会、年末、お盆の3回くらいに実施しています。そのほかに高橋君が来道するたびに、声をかけてくれて、あつまるということが定例化しています。ほかにも声をかけていただく方がいれば、連絡係やります。

山中綾子(307):六華同窓会2003実行委員会事務局長。一杯会を含め、被かすの宴会を企画することにより、南28期の活動を盛り上げてきた求心力のひとつ。現在は、南札幌脳神経外科勤務。
早瀬

山中さんがいてくれるからこそ、成立することだと思います。本当に貴重な存在だとおもいます。

牧内

昨年の夏から名簿を作成しているのですが、同期の人間関係相関図の全体像について、情報がないかなと思っています。それぞれ、年賀状、職場、趣味などの関係で、住所などを常時把握している人間関係が存在しているのではないかと思います。それぞれに中心となる人物がいて、現住所、職場を超えた連絡網ができているとおもうのです。それがわかれば、同窓会活動もやりやすいと思います。パーティーでも、この人と一緒だったら出席しますという人は、現在の常連の10倍はいるのではないでしょうか。

早瀬

私が1991年以来まとめた資料の中に同期相関図が入っています。マル秘資料です。「よく連絡を取っている人はだれですか。」というアンケート項目をいれたので、その結果をまとめたものです。

高橋

余韻会のときも、人集めの最終段階で、そのネットワークにいきあたり、参加者が急速に拡大できました。

PTA以外に後援会というのがあって(笹本)

笹本

2004年から2年間PTA会長をしました。女子生徒が増えており、過半数となっている学年もあります。われわれのころは、一クラス45人のうち、女性10人でした。

ボランティアで同窓会の仕事をやる際にも、女性が中心となるとお金を使う際にも、ご主人と相談しなくては、といったことが多くなってきます。また、全体で生徒数も減っており、現在では、40人8クラスです。結局同窓会の収入もそれに比例して低下するわけです。

PTA以外に後援会というのがあって、会長が同窓会長、PTA会長が副会長をやりますが、それが寄付金の受け皿となります。100周年記念では、1.8億円集まり、1億円で現在の同窓会館を作りました。そのときは、建物を作るので、寄付金が税額控除となるため、企業がお金を出しやすかったのです。

2006年に110周年記念事業協賛会を私が行っているのですが、今回は建物がなく、クラブ活動などの遠征費などの後援活動が目的でしたので、3000万円目標にして、2000万円集まりました。寄付金を募る主体は、道教委の指導で、PTAがやってはいけないということだったのです。PTAの総会でも、はっきり要請することはできないわけです。

高橋

同窓会としては、寄付要請はできるが、現役高校生の父母であるPTAはだめということなのですね。

笹本

そういうことです。でも実際には、現役高校生の父母から集める資金も大切なわけです。

生徒は同窓会に対する認識も当然ながら低いのが現状です。東京六華同窓会というものの存在自体知らないから、教える機会も必要ですよね。ちょうど、われわれが行う前の年から、社会人から高校生がレクチャーを受けるという六華ゼミも単位となり、課外活動的に定着しています。

牧内

高校卒業生で、東京の大学に通っている人がわかれば、同窓会にも入ってもらえるし、支援もできます。1600人の会員がいるわけですから、希望する業種、企業などに勤めている先輩の紹介などしやすいと思います。それを行うためには、学校の授業などで、東京六華の紹介をするなどしてもらう必要があります。

中村

私は、同窓生だから、人と人とのつながりの重要性ということで、同窓会を重要な機会であると話すことは自分の真の気持ちとして語ることはできるけれども、札幌南高出身ではない先生にお願いすることはかなり難しいでしょうね。また、卒業生名簿を同窓会に提供することも、現在では抵抗が大きいとおもいます。

高橋

高校は中間学歴だから、困難さが高いです。大学だと最終学歴だから、就職後も追跡できる可能性が高いのです。高校だと、入試に失敗し、浪人になるとかいうことで追跡が断絶することも多々あります。浪人中は、同窓会どころではないでしょうし。

笹本

クラブ活動は、大規模校の勝つチャンスが増えると思うのです。今後はスポーツ大会でも札幌南高が全国大会へ出場する機会も拡大するでしょうから、その時東京六華が組織的に応援するようにしたら、いいのではないかと思います。スポーツ大会の成績は、学校がホームページ上に発表できることですから、同窓会として依頼すれば、やってくれるようになるのではないでしょうか。

牧内

バスケット部のメールリストが最近できたらしいのですが、それはバスケット部が全国大会へでたことをきっかけとしているのだと、聞きました。私はサッカー部だったから、他の部が全国大会へ出ても聞き流しにしてしまうのですが、現役と地元から出てしまった同窓生との重要な交流の場だなと感じました。すばらしい提案です。

六華ゼミは、現在単位認定されて、かなり盛況です(中村)

中村

卒業生が、現役の生徒にレクチャーをする六華ゼミは、現在単位認定されて、かなり盛況です。多いときは、視聴覚室に入りきらない、150人くらいの聴講生がでることもあります。総合的な学習の時間ということで単位となっていることもありますが、テーマによっては、生徒が深い興味を示すようです。

その場で、東京六華の宣伝をやってもらうことは十分可能だと思います。今年は34期の同窓生の先生が担当しています。六華ゼミのテーマとして東京同窓会から依頼すれば、可能です。現在、55歳の大久保先生が事務局長、私が副事務局長で、六華だよりの編集をやっています。

六華ゼミは、年間10回やっています。4月から12月までです。内容は弁護士、国際的な為替取引、大学の先生、医者などがレクチャーしています。内地から招いた講師もいるようです。テーマ構成は、六華同窓会の幹事期でやっています。

牧内

中村君が日本側キャスターをやり、私がネット接続などの技術をやって、2004年3月に米国ロサンゼルスの西村(大野)信子さん(305)に、テレビ電話レクチャーをしてもらいました。テーマは「米国で、学ぶ、働く、暮らす、育てる」でした。そのときには、南高の校長、北大の総長なども出席され、100人以上の生徒が聴講しました。

同期のネットワーク作りの作業です(牧内)

牧内

 これからの東京同期会の活動について、少し説明させていただきたいと思います。

 ひとつは同期のネットワーク作りの作業です。昨年夏から名簿作成を開始しまして、北海道以外の方々で、70人くらいの連絡先を把握しました。年賀状がいい機会でしたので、東京六華2011のロゴを作って100人ほどに送りました。これから2009年、2010年、2011年と28期の参加人数を拡大していきたいとおもっています。もちろん、本当に手が必要な2011年には、皆さん協力してくれるとは思いますが。

 二つ目は、東京六華の運営の問題です。2010年の6月から担当するのであれば、その前に運営改善の方針を作っておく必要があるだろうということで、同窓会の運営について、情報収集をしています。一例は、当日配布するパンフレットの軽量化です。先ほど説明したように、パンフは、内容もさることながら、寄付金と関係しており、事業の全体構造を視野にいれて検討しないと、やっぱり困難であったと結論になってしまうと思います。

 そのほか、52歳で同窓会の主幹事を行うより、10年年齢をあげて、62歳でやった方がいいのではないかとも思いますので、そういった提案もあり得るかなと思っています。

 集金方法、名簿作成、ホームページなどの作成、運営なども含め、総じて、先輩のための同窓会ではなく、母校、現役に貢献する同窓会に性格を変えていくためにはどうしたらよいかという視点から同窓会活動を見直し、2011年に実践するということも取り組んでみたいなと思っています。その意味からも、先ほどからの議論は、たいへんよいアイデアをいただいた、と思っています。

高橋

この夏に10人ほど集まっていただいて、これからの準備方法について、意見を伺ったのですが、要は、そのときになったら、みんな協力するし、できるという意見でした。私も、同期生はみな能力が高いので、そのときになったら、迅速に役割分担して、やっつけ仕事でも立派にこなすと思っています。

本日の議論で、高校、現役、先生、PTAなども視野に入れたよりよい同窓会を模索する期間としてあと1年半ほど準備してみたいなと思いました。

早瀬

38期、48期との接点はどうなっていますか?総会、懇親会の時に、後輩のテーブルに連れていかれて、紹介されました。クラブ活動のOB会のつながりも活用すべきです。

高橋

まだ、ほとんどコンタクトがありません。

早瀬

主幹事年齢の問題ですが、札幌の六華同窓会は42歳で主幹事となり、東京六華は52歳です。これは、年齢的に早すぎるのではないかとおもいます。42、52は、家庭的にも、仕事的にも難しい年齢であまり動けないので、まだ若い32歳の人が走り回るということで成立しています。仕事的にも子供を持つ年齢も上がっていることもありますので、もう10年繰り上げて62歳でやると、人脈もまだ有効で、身動きができやすいのではないでしょうか。

高橋

32歳だと大企業勤務だと企業内に埋没して、社会活動めいたものがやりにくいから、ベンチャーとか自営業者とかを志した人にとって、ビジネスネットワークを構築する上で有効ということでしょうね。

笹本

私が32歳の時は、海外留学していました。

中村

42歳は、高校卒業して25年目なので、ここで集まっておかないと、いきなり62歳でまとまってプロジェクトを実施せよと言っても難しいかもしれませんね。六華だよりの編集委員は15人いるのですが、17期よりも前の60以上の人が活躍しています。

同窓会は、高校時代に親しい人の集まりではなく、新たに構築する人間関係なのだ(高橋)

高橋

同窓会は、高校時代に親しい人の集まりではなく、新たに構築する人間関係なのだということがわかりました。笹本君や中村君のお話を伺って、母校に貢献したいという気持ちになりました。

笹本

東京六華は遠いものであると思っていましたが、本日、大変身近であるものだなと感じました。

中村

南10期は活動が濃密で、東京中心に新聞を作って発行しています。17期は、20クラスあったのですが、昨年は同期会に180人で集まったとのことです。そういう結びつきをどのように作っているのか、知りたいですね。個人個人のつきあいのネットワークをつなげてひとつのネットワークにするという活動が重要と思います。

山中

六華同窓会2003は、皆さんにご協力していただいて本当にありがとうございました。幹事となる2年前くらいから、ぼちぼちとやっていったのですが、同窓生は本当に能力が高くて、割り振りしておけば、立派に動いていったと思っています。立ち上がり時期に笹本クリニックから広告をいただいたのが本当にありがたかったです。

今回東京六華2011は、同窓会という根本にまで、議論を広げてグランドデザインをしているということを知り、ある意味うらやましいなとも思います。ひとつのことをやると反対する人は必ずでますから、聞く耳をもって、遂行してください。

早瀬

 東京と札幌に拠点があり、両方に事務局の知り合いもありますので、協力させていただきます。

牧内

 第二回は、筑波アカデミックメンバーでやると思います。長崎、矢花、西村君が中心となるでしょう。2回やると、3回目は、自分がやりたいと手が上がることを期待しています。本日ご参加の皆さんは、座談会をやってくれそうなグループが見つかったら、煽ってみてください。本当にありがとうございました。

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