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東京六華実行委

東京六華2009直前対策!

東京六華組織委員会と南28期座談会 21世紀の同窓会像を探る!

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平成21年5月16日(土)17時〜19時
東京六華同窓会事務局(東京都飯田橋)にて

参加者:
 桜井公一(南22期)東京六華同窓会幹事・組織委員会委員長
 小林久志(南24期)東京六華同窓会イベント委員会
 中野雅之(南25期)東京六華同窓会組織委員会
 高橋伴往(南28期)南28期学年幹事
 今井康人(南28期)南28期学年幹事
 牧内勝哉(南28期)南28期学年幹事

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牧内:本日は、東京六華同窓会の組織委員会イベント委員会の先輩3氏をお招きして、南28期の学年幹事である、高橋、今井、牧内でお話を伺いたいと思っています。「21世紀の同窓会像を探る!」と題しまして、東京六華同窓会の運営の難しさ、今後の展開について、議論を深めたいと思っています。
28期としては、2年後の2011年に東京六華同窓会の幹事を勤めることとなっており、そのための同期ネットワーク再構成のための求心力として、一連の座談会+ホームページ掲載を続けています。
私が思うところ、同窓会に対する思いは、大体4類型に分かれていると思います。
?中心となって活動していく覚悟がある人  
?頼まれればなんでもやるという人
?頼まれればやるけど、最低限にしてほしい人
?一切関与したくない人
できれば、?の人が?になってもらいたいと思っております。そのためには、?の人がどうしてこんなに一生懸命やっているのか、を理解する必要があります。
われわれ28期学年幹事の4名もそうですが、東京六華事務局の先輩方は、バリバリ?ですので、まずは、自己紹介を兼ねて、「どうしてそんなに一生懸命なの」という質問に答えていただきたいと思います。

1.わたくしはどうして同窓会活動に一生懸命か?

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桜井:22期の桜井です。高校時代野球部で、OB会が強くて、同窓会活動につながりました。2000年に松田監督のもと、甲子園出場をしました。私も応援に行き、野球部OBとして大いに盛り上がりました。そのころから、東京六華同窓会にも顔を出すようになりました。われわれの期(2期つながり)は、2005年東京六華幹事で、100周年の期ですので、先輩から大いに督励を受け、3年ほど前から、かなりプレッシャーとご指導をいただき、準備したわけです。京王プラザで700人が集まりました。いろいろと悩みましたが、無事終了し、終わりよければすべてよしとなり、その後、事務局に入らないかとお誘いを受けました。現在は、組織委員長をやっていますが、その悩みについては、後ほど。
小林:24期の小林です。2007年の東京六華実行委員会で事務局長を務めました。高校時代は、マージャンばかりで愛校心がなくて、地方出身者と言うこともあり、札幌というものに劣等感を抱いていました。同期に上草君がいて、東京六華の名簿委員会をやっており、私自身は30代までは行方知れずでした。一年上の23期が幹事のときから実行委員会に参加して、1年9ヶ月やりました。
なぜ、事務局に残ったかについてですが、2007年に主催した時は、「後輩のための同窓会」を志したのですが、実施する中で、私の気持ちは逆転しました。先輩を敬う気持ちの方が強くなり、ヨコとタテのつながりが心地よくなりました。幹事の時には、24期全員脱退という覚悟を決めて交渉に臨んだこともありましたが。104年続いた東京六華の必要性、継続こそ重要であると考えるようになりました。先輩と話をすることが楽しくなったのです。実行委員会からは毎年一人実行委員会に拉致されるということから、私が残ったといういきさつでした。  
今は、イベント担当で、1月の新春の集い、6月の総会、11月の就職相談会などを担当しています。誰かが続けなければ、もったいないというのが一番の理由。内地に来て里心が起こった時に心のよりどころところとしての同窓会があるといいと思います。

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中野:25期の中野です。わたくしは、2000年の札幌の同窓会の時にかかわりだしました。会報の封筒詰めを手伝い、その中で、私自身が行方不明リストに入っており、驚きました。プ
ロジェクトマネージャーという仕事がら、運営にも興味を持ちました。札幌イベント直前の2000年の8月に東京に出てきたもので、最後までやらなかったという「やりのこし感」がありました。東京で札幌の体験をもっているということから、8年後の準備ということで実行委員会に誘われました。そのときは8年後まで東京にいると思っていなかったこともあり、気軽に引き受けてしまい、現在に至っているわけです。
どうして事務局に残ったかというと、実行委員会はなかなか大変でした。最初はぶつかっていた同窓会事務局の方々に結局支えていただいたので、無事終えたときは、それについての感謝の気持ちが大きくなりました。実行委員をやったメンバーの中から一人くらい残ってほしいという事務局の希望は感じていました。就職相談会に2回参加して、これが楽しかったからお手伝いしようという気持ちになりました。自分の子供と同じ年頃の人と触れたこと、その中で南高を感じることができました。30年も世代が違うのに、遺伝子を感じました。
今井:父が南2期で、1期の浜田さんと北大オーケストラで一緒だったことから、かなり以前から東京六華にはお誘いをいただいていました。浜田さんや9期の佐藤さんから奥田良三先生のチャリティコンサートの運営にかかわってほしいとの依頼を受け、かなり濃密にかかわった時期がありました。
28期では、早瀬さん、有岡君などがそのずっと前から東京六華にかかわっていたのですが,それをそのときに知り、その反省からも東京六華に少しずつでもかかわっていかなければいけないな,という感覚になりました。もちろん一人ではなにもできないわけで,2011年に向けてコアな4人組の幹事団ができあがったことは大変心強いです。
2000年の甲子園は大きな契機で、長崎君がこれを機会にメールリストを作りました。それをもとにしたものが現在まで使われていて、これは我々にとって重要な資産となりました。私自身が東京六華をどうとらえているかというと、小林さんのおっしゃるとおり、「誰かがやっていかなければ、いけないな」という感覚です。それを通して同期とのつながりができているのは、楽しいことです。

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高橋:東京六華には以前から入っていましたが、総会には出ませんでした。札幌の六華は未加入でした。2000年の甲子園出場後に長崎君の同期MLを知り、28期が札幌幹事を務めた2003年頃、卒業後23年ぶりで札幌を訪れる機会が増え、同期生と再会すると共に札幌六華に加入しました。2003年12月には、札幌同窓会の「余韻」会(「予餞会」のモジリ)を数名で企画したところ、同期生が48人集まりました。その後、私は地方勤務になり、牧内君命名の「宴会バント作戦」を展開し、宴会を通じてメンバー拡大を図りました。また、2003年札幌幹事期の中心的人物だった山中綾子さんからも様々な経験談を伺いました。
南高OBは能力の高い人が多く、検討時間が限られているなら、それなりにワーッと集まって準備してしまうとは思うのですが、ハラ落ちしない部分を残したままで進めるのも心残りと思い、少し手前から考え始めたというのが私の感覚です。
牧内:いま、伺っていると、この中では私が一番後発ですね。今井君や高橋君に誘われるまでは、先ほどの第三類型だったと思います。2000年の甲子園は母校にとって重大な出来事だったと思いますが、当時は、私には完全に対岸の火事で、メールも読まなかった、という者でした。 
私は、「同窓会は社会学としておもしろい」という動機で、同窓会活動に携わっています。東京六華同窓会というのは、地方の高校の首都圏にいる人の集まりですから、存在、運営がたいへん難しいと思います。地方、高校、という点で難しさをはらんでいます。まず、高校という点から言えば、職場の同窓会や大学の同窓会に比べて個人としての重要度はどうしても落ちてしまうわけです。地方という側面では、札幌南の場合、札幌に住んでいる人は、仕事関係でも生活断面でもいたるところで、高校の同窓生に会うのですが、札幌を離れてしまうと、いかに地元では名門校であっても、ワンオブゼムでしかないわけです。
私は、24年間東京で働き、昨年札幌へたまたま配属になりましたが、その違いを強く感じました。そういうことで、東京での同窓会運営がたいへん難しい。先輩方のお話を伺っていても、その意を強くしました。
小林:牧内君はサッカー部ですから、サッカーだったら興味をもったでしょうか?
牧内:それほどでもないでしょうね。サッカー部はOB会を毎年やっています。これは、我々の代が創設し、2〜3年は出ていたのですが、その後、関与しなくなり、この4月にサッカー部座談会をやって、まだ続いていたのだということを、改めて知ったという具合です。
バスケット部も昨年にメールリストができ、現役のユニフォーム寄付などをやっているようです。

2.札幌南高の遺伝子を感じる時
桜井:利害関係が無いというのが同窓会の最大の特徴です。会社の同期会だと、社内情報交換という現世の利益があるのですが、同窓会ではそれがまったくない。そこが社会学的ポイントだと思います。
そもそも論としては、同じ文化体験をした仲間の延長であり、文化背景を同じくする先輩の話がおもしろくなってくることがあり、だから、なくしてしまうのはもったいないという感覚から、その維持に貢献しようと思っています。
牧内:同期生は、当時、同じ体験をしているのだけれども、その感じ方というか、事件への評価が人によって異なっていることがおもしろいと思います。
例えば、私たちの卒業式は、週刊ポストのグラビアに掲載された、変わった卒業式だったのですが、そのとき我々のクラスは駕籠かきで、卒業証書を取りに行こうと言うこととなりました。駕籠は、大学入試が終わってから作り始めたので、式のイベントのみならず、企画、準備、製作期間があって、クラス活動的でした。
私は発案者でもあり、中心になってやって、達成感があったのですが、それを手伝った人、傍観していた人、反発を感じていた人、当日初めて知った人など様々な人がいて、そういう人がどのように思っていたのか、というところに興味があります。

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小林:97年から02年まで、世界史の先生だった、華輪健
二先生が書いた、「南高生たち」という小説があります。50期台の札南生である詩子さんを描いたものなのですが、30年も世代が違う人の高校生活なのですが、非常に濃い遺伝子を感じるのです。そうしたことも面白いところです。今度の会報にも掲載されています。
牧内:私たちの同期で札幌南高の教員をやっている中村昌彦君が言っていたのですが、札幌南高の教員のうち、同窓生は現在4人ということです。先生の中では少数派であり、当然同窓会に対する思いが全く異なっているようです。
たとえば、われわれの2003年幹事の際の記念として高校の建物4階に「札幌南高」という看板をつけようということになったのですが、その同窓会側のオファーに対して、学校側の反応は、微妙だったようです。看板よりも、音楽の楽器とか体育の器具とか更新したものがあるので、そっちにしたいということだったのではないでしょうか。真に高校のことを考えるのであれば、そういう発想になったはず。よしあしではなく、私にとっては、両者の感覚の違いの大きさに大変な驚きを覚えました。
高橋:物よりも、例えば遠征費を寄付してくれた方がありがたい、と言う声などです。
今井:例えば高橋君と私、長崎君と私は、高校時代は全く面
識がなかったのです。この活動を始めてから、親しい付き合いとなりました。高校時代にまったく話をしたことがない同期とも,いろいろな話ができて交流が広がる,そういう楽しさがあります。また,楽譜出版という狭い業界の中に南高の先輩や後輩がたまたまいて,よく一緒に話したりするのですが,そこで感じるのは単なる「再会」ということではなくて,学校の遺伝子の共有がその楽しさの基盤をつくっているのではという感覚です。
小林:実行委員会をやっていてもそうです。昔の校舎では、9組と10組は離れ小島だったのですが、全く面識のない人が50を超えて、同窓会準備で共同作業をして全く違和感なく、また、かけがえのない友人になったようでした。
桜井:私の場合はちょっと事情が違っていて、21期、22期、23期は、闘争で全校ストをやった時代なのです。そういう強烈な共通体験があったこと。私は野球部だったのですが、全校応援のときにホームランをうったので、有名人だったので、私が知らなくてもみんなが知っていてくれたので、なじみやすかったのかもしれません。
中野:学年が違うと少し違うとおもいます。年をとっても先輩は先輩。
高橋:私は下宿生活でしたが、たまたま下宿の先輩から借りた闘争記念文集「俺の目を見ろ、何にも言うな」の芸術性、或いは知性の集積といったものに衝撃を受けました。各期がそれぞれに濃密な共通体験を持っている筈ですが、学年が異なるとお互いに解らないものです。他期のそうした体験に触れられる場に出来れば、それは同窓会の大きな魅力になると思います。
牧内:私が連続座談会を発想したのは、そういうストーリーを紡ぎだしたいと思ったからです。宴会バント作戦も非常に有効でしたが、話の内容という面でみると、宴会では、テーマを中心にして共通体験へと深まっていかないのですね。だから、座談会にすると、テーマありきなので、求心力ができるかなと思ったわけです。先ほどの卒業式では、駕籠は牧内が乗って、前と後ろはバレー部の大男達が担ぎました、前が現在任天堂社長の岩田君、うしろが日立の紅林君です。当日は、私が和服を着て、両君には「かごかきの股引尻からげ」でやろうと言ったのですが、二人ともスーツ姿でした。どうしてそうしたのか聞きたい、とかいうことがあります。かごに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人、っていうことばもありますし。卒業式ネタの座談会もいずれやります。
高橋:28期には卒業式だけでもここまで濃厚なストーリーがある訳です。対面式・卒業式・予餞会に絞って各期の思い出を纏めてみても、膨大な量と密度になるものと思います。
桜井:我々の時代には、対面式は無かったのではないでしょうか。
小林:トイレットペーパーが飛びました。
高橋:生卵も飛んでいました。
中野:アジ演説でした。

3.21世紀の東京同窓会運営を探る
牧内:配布した資料をご覧ください。28期は、卒業以来、5年毎に同期会を行いました。とりまとめは、早瀬邦子さんで、まさに八面六臂の大活躍でした。写真も古文書もたくさんのこっていて、考古学的に発掘しながら、同期のネットワークの求心力として活用しています。彼女は、仕事でも東京六華の活動が助けになったようにも言っていました。
2000年の甲子園、2001年のニューヨークWTCの大惨事に同期生の合屋君が巻き込まれたこと、2003年の札幌の六華同窓会、12月の余韻会と盛り上がりがあり、その後、中だるみになったようです。2007年に東京六華の総会後に同期会を定例化することから、また活動が再開し、2008年には強い幹事団の形成、09年にはネットワークの再構築という風に雰囲気を盛り上げています。
岩田君、森田美由紀さんなどは、同窓会でも有名ですが、東北大学で仏教美術を研究している長岡君も、ご注目。昨年はNHKの日曜美術館で、仏像から見た政治史的な解説を行っていますし、衛星放送の法隆寺特集でもインタビューされています。中公新書「日本の仏像」も出版しました。札幌駅の紀伊国屋では、発売後ずっと大きく扱われています。今後の予定のうち、秋にやりたいと思っているのは、33年目の修学旅行、長岡教授の仏教美術解説って言うイベントです。

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こうしたことをやっていくと、「同窓会はなんのためにあるのか?」ということにつきあたります。「なくすのはもったいない」「先輩のためにやっている」というような、継続のための継続であるならば、上手に幕を引く作戦を立てることが必要なのではないか、と思ったりします。もともと難しいものなのだから。
一方で、母校のため、とか、後輩のためということが目的であるならば、事業のやり方も変えるほうがいいのではないかという意見もでます。また、各期が同期会をうまく再構成するための支援を中心にしていくという方向性もあると思います。
他の高校の東京同窓会での当日パンフのためのエネルギーの投入量なんかも再検討が可能なのではないかとおもっています。
今井:九州の八幡高校などに,同じような東京版の同窓会活動にかかわった知り合いが居たもので、資料をいただいたりして調べてみました。そこは記事などほとんどない薄いパンフを配るのみでした。
小林:札幌西は、札幌で作ったものを配布するのみですね。東京六華も20年前は、薄いものでしたが、24期は、64ページ、25期も64ページでしたね。広告による資金集めと裏腹ですからね。
牧内:このほか、いくつか、同窓会の運営についての変更案を検討してみました。例えば、

  • 60代も幹事を
     東京六華の幹事は、28期、38期、48期と10年後と3期にわたって幹事をやるのですが、一番上が50歳くらいというのは、仕事も家庭も大変過ぎるということもあり、60歳代を主幹事にしてはどうか、ということです。時間もあるし、ネットワーク構築の緊急性も高い。
  • 名簿とホームページ
     会費の集め方、名簿の作り方などは、学士会館が同窓会インフラを提供していることもあり、調べてみました。あそこは、会議室、宴会場などを持っていますし、旧帝大7校の学部ごとなどの同窓会をいくつも支援するということをやっています。事業もホームページも洗練、完成しています。
  • 当日会費
     当日の参加人数は、10期周辺から30期くらいまでに集中しており、そのほかは分散していますので、この年代を事前徴収すると、収入が安定するかもしれません。会費の徴収は、郵便局の口座振替の制度を調べてみたことがあるのですが、送金コストも安く、有利だと思います。

小林:60代でもう一度というのは、もう絶対いや。楽しかったけど、二度とやりたくない。24期の時も、どのようにやりたいかという議論はしました。グランドパレスで、ときめると300万かかり、パンフをつくると100万かかりということとなります。固定支出が決まると、会費や人数が決まってしまいます。検討はしたのですが、チケットを先に販売する、札幌と違って、事前に会費を集めるということは不可能であるという結論でした。
桜井:22期は実行委員会の年は100名集まりましたが、次の年は10名でした。
小林:24期は72名でした。
桜井:会員の名簿データと徴収した会費の消し込みができるかどうかがポイントであり、障害でしょうね。カード会社に任せることも検討しました。お金がかかるし、未納などの問題への対応がかえって手がかかってしまうという結果でした。事務局でも半年くらい検討しました。
桜井:同窓会は先輩のためだという風に28期の問題点では指摘されていました。私も昔そう思っていましたが、今はやはり若い人のためだと思っています。大先輩はレスペクトすればいい。総会・懇親会の参加者は10期から30期に集中しているので、顧客はそこ。さらに、40期とかが来てくれても、おもしろかったといってもらえるイベントとすることだと思っています。
桜井:クラブのOB会と同窓会の総意とは異なったものですね。ともあれ、先輩は尊敬すればよくて、我々が後輩を応援しているのを見ると、よくやったと言ってくれます。
中野:札幌の六華は、卒業したら会費払うか否かにかかわらず、札幌以外に住んでいようと卒業生として見なされますが、東京はそうではないのです。手続きをして会費を払わないと会員ではないのです。そこが決定的に違っていて、継続の努力をしないと、絶滅してしまう存在です。それには惜しいから、私は、事務局でやってきているわけです。
小林:いってみれば僕らの趣味かもしれません。南高のためではなく、いまの私の先輩であり、後輩のためです。南高のためという意識は私は希薄です。
桜井:何が趣味かというと、後輩のためという趣味です。在校生は後輩のワンオブゼムにしか過ぎないのです。
高橋:「渡世の義理」として一度はやらねば、という発想になりがちなようにも思われますが。毎年毎年、何とか人を集めて、しゃにむに維持していくというやり方は、運営の抜本的改革がなければ、我々はできても、長くはつづかない。だから、一回やったら、もう二度目は勘弁してよということとなるわけです。そこが渡世の義理といった部分です。
小林:「こなそう」という意識ではないですね。
中野:苦しかったけど、面白かったし、先輩をたてる、後輩のためにというところで、意欲もわきます。それほど、無理してやっているわけではありません。仕事もあるし、最小の努力で最大の効果も得たいと思っています。24期は、虎パスからグランドパレスへ変えたのですが、たいへんな苦労をしたのです。料理の種類や量を一つ一つ決めていったわけです。25期、26期は、グランドパレスを続けて改良していくという方式をとっているわけです。
高橋:60代で幹事、は私の提案ですが、雇用高齢化の中で仕事や時間に余裕の出る年代と思うからです。今の50歳前後は極めて多忙で、転勤で東京を離れがちな年齢層と言えます。
中野:札幌は、44才、東京は52才でやりますが、52才は体力的に難しくなってきています。60だと、口は動くけど手が動かないから、実行委員会内で不和が起こって、若手が反乱して崩壊しそうです。現在では、事務局と実行委員で起こっている世代間の摩擦が実行委員会内部で起こることとなります。
高橋:同窓会を、同期会に向かう集合場所と位置付けては如何でしょうか。夕方に同期会を開始できるように同窓会は早目に始め、ティーパーティ程度にして会費を3000円程度まで下げる運営案ですが。
中野:ホテルでは、それは受け入れないでしょうね。公共的な会館とか、車椅子が入れるかどうかとか、問題点がいくつかあります。
桜井:冒頭で全員が集合して総会を開催し、議事を行う必要があることから、広いホール的な場所は必要です。
牧内:カラオケボックスでやってみるということも考えました。渋谷に、200人規模のホールを備えた、50室くらいのカラオケボックスビルがあります。これを借り切って、同期ごとにボックスを決め、全体イベントは、二階に移動するのと、全館一斉放送でやるとか。そこまで仕掛けを変えると、運営が破綻するかもしれないなあとも思います。
高橋:札幌は、総会を別室で行ってから懇親会は大ホールでやっている様です。東京は、同じ会場で懇親会だけに参加する人は後から来る、という感じです。

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今井:開始時間、終了時間、イベントの曜日も意見がありました。時間で言えば今は6時過ぎに終わって二次会に当たる同期会は7時ぐらいからになります。やはり同窓会・同期会をセットとして考えると,少し郊外の,特に女性は足が遠のくのではないか、ということです。ほかの高校の東京バージョンを調べたら、結構時間帯が早かったのですよ。
中野:25期でも、金曜にやろうとか、との検討をしました。勤め人がでやすいのではないか、と。しかし年配者が来られなくなるという懸念があり、やはり土曜日を選択しました。東京六華と札幌の六華同窓会の連絡会、総会、場内を宴会仕様にホテル側が変えて、懇親会という風にイベントを流しています。
桜井:ホテル側の都合からすると、一日二回宴会を回したいという事情もあり、懇親会の開始時間、終了時間への要請が出てきます。それを変えると、結局コスト高につながるということとなるかもしれません。そういう意味からも歴史の蓄積が生んだ最適なシステムとなっているのですね。
中野:経費という面からみると、風月に来てもらっているのも大きいです。10万円の謝礼と部屋代だけこちらで用意して、飛行機代は出していない。にもかかわらず、材料代など風月持ちで120人分くらい出してくれましたので、ホテルの料理を減らすことができました。
今井:他の高校の同窓会では,当日配布するパンフよりも事前に配布するガイドの方が集客につながる、ということからそこに金をかけていました。例えば「風月来たる」という情報を浸透させるような手法をとっていくべきだと思います。
桜井:会報に載せる、パンフを同封するなどとしています。
中野:それらは、会員にしか届かないわけです。会員以外に届けるとなると会員に入るメリットもなくなるジレンマもあります。
小林:会員と非会員の懇親会参加比率は1:1です。
牧内:私どものメールリストは150人程度。ホームページに新しい情報をアップし、メールリストに投げ込むと、2日間で120〜30人のアクセスがあります。メールとホームページのコラボは重要で、これも2011年にむけてやっていきたいことです。現在の28期のホームページはその実験とも考えています。

3.先輩から28期へのメッセージ

牧内:最後に28期に対するメッセージを。
小林:24期がたどり着いた結論は、「結構面白いじゃない。またこようよ。」と思ってもらえるイベントを行うこと、でした。広告も、広告効果ではなく、実質寄付です。320万円とかのターゲットを決めて、たのんだわけです。だから、来年も再来年も続けてもらえるような形にして、引き継ごうということを目指しました。そういうことが、歴史の重み、伝統だと位置づけたのです。実行委員会で全部負担すれば、似たような規模のお金が集まるかもしれませんが、その後に残るものがない。
中野:25期としては、そのコンセプトはたいへん助かりましたし、それに加えて開拓した寄付者を26期に渡すということを志しました。この不況でだいぶだめになりましたが。つづいてきたことでも、悪習は、ここで絶ちきるべき、ということでやめたこともありましたし。当日イベントでは、何もしないという方針が評判がよかったです。2007年秋のイベントは出し物が忙しくて、同期と話すひまが無かったという感じだったので、それを改善しました。挨拶、大扇の引き継ぎ、校歌だけやって、おわり。これは評判がよかったですよ。
高橋:昨年のイベントは印象が良かったです。ピアノ演奏を聞きたい人は周りを囲み、関係ない人々は別の場所で喋っている、といった開放的な感じで。
今井:イベントにしても、冊子にしても、前の年よりも、よくしようとがんばってどんどん盛り込んでエスカレートしてしまう傾向があるかと思いますが、それは後の世代の者にとってはたいへんな負担になりますから。
小林:イベントを派手にしようという傾向ではないですね。今年の26期もシンプルだし。23期のイベントで、テレビ会議で母校と接続しましたが、とても大変でした。
牧内:高校生に、というのは、2003年の札幌でやった六華ゼミがよかったからです。今は、正課に入っているようですね。米国西海岸にいる同期とネットで結んでインターネットテレビ講義をやりました。特に音声品質がよくて、150人の聴講生を2時間飽きさせませんでした。松田先生が野球部の部員を連れてきてくれました。ちょうど来ていた、北大総長と一緒に校長先生も見に来ました。
中野:あれは、我々25期が始めたものです。
小林:松田は24期。
桜井:28期の活動については、支持したいと思います。単に、総会、懇親会をやるのが目的ではなく、その結果得られるものをつかんで欲しいと思います。単に総会、懇親会をこなすのではなくて。104年続いていますので、その1ページを担当するという歴史を受け止めてください。その結果として、事務局に残ってもらう人もいてくれるとありがたいです。期待しています。

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