忘れられていた貴方への

作品集: 最新 投稿日時: 2005/10/17 09:08:06 更新日時: 2005/10/20 00:08:06 評価: 24/25 POINT: 164 Rate: 1.51
 風に冷たいものが混じり始め、空が随分と高くなったある日の夕暮れ。
 慧音は夕食を終えて、住まいである庵の縁側で茶を啜っていた。
 日が隠れ、夜が迫る紫色の時間。昼と夜が交じり合うこの時間を半人半妖である自分を
重ねているのか、慧音は朝夕にわずかにあるこの色の時間が好きで、たいていこうして縁
側で茶を啜りながらゆっくりと色が変わっていく様を見ることにしている。
山々に目を向けると紫の中でひときわ濃い赤が見える。秋が近づいて行くに従い、濃い部
分が増えてきた。もう一週間もすればほとんどがその色に染まることだろう。
里で茶請けにと貰った羊羹を口に放り込みながら、そろそろ越冬の準備を始めないといけ
ないな……などと考えていたときのことである。
 ズゥ…ン、と腹に響く爆音が轟いた。
「……またか」


「輝夜ぁっ!」
「あはははは!」
 不死鳥が舞う。
 蓬莱の枝が飛ぶ。
 不老不死を求め彷徨った男が時を刻む。
 龍の頸の玉が牙となって走る。
「死ねぇっ!」
「貴方に蓬莱の薬を殺しきれるかしら?
 出来るものならやってごらんなさいな!」
 お互いに最初から防御や回避など考えない。
 全身全霊。力を攻撃だけに使い、相手に向けて叩きつける。
 死ぬことはない。殺されることはない。
 死ねることもない。殺せることもない。
 怨み辛みも磨耗した。
 だけど、殺しあって生きていることを確認できるその相手。
「は、バカらしいな」
 今日は負けた。
 蘇生を繰り返し、疲れて面倒になったほうが負け、という暗黙のルールの下での弾幕ごっ
こ。一人で生活している妹紅よりも輝夜のほうが人に世話をされて生きている分だけ退
屈していることが多いため、このルールの下では輝夜のほうが若干勝率が高い。
 疲れたので竹林で大の字になって寝転がっていると、見慣れた影が射した。
「おー。慧音」
「またやりあっていたのか」
 にへら、と笑って見せる妹紅にため息をついた慧音は、その首根っこをつかんで歩き出す。
「ちょ、ちょっと慧音。もうちょっと持ち方はないの!?」
「擦れて皮が破れたところでどうせ治るんだろう。
 知ったことか」
「何でそんなに怒ってるのよ!?」
 しばらくすると、慧音はもう一度ため息をついた後に妹紅を放り出した。
 さすがにむっとした妹紅が抗議しようと振り返ると、慧音は背中を向けて腰を落として
いた。
「んもー。いつもどおり背負ってくれるんなら、最初から背負ってくれればいいのに」
「私のささやかな楽しみであるお茶の時間を邪魔されたんだ。
 多少意趣返しさせてもらっても罰はあたらんだろう」
 妹紅が背中に負ぶさると、慧音はひょいと立ち上がり、妹紅の家ではなく自分の庵に向
かって歩き出す。
「あれ。何で慧音の家のほうに行くの?」
「この時間までやりあっていたのなら、どうせ夕食も用意していないんだろう?
 馳走してやるから食べていけ」
 疲れて動くのが面倒な、慧音に抱えられての帰り道。
 何度も通ったお馴染みの道。この後に待っているのはたいていお説教だ。
「別に食べなくても死にはしないわよ」
「だが、腹は減るだろう。
 そもそも出された膳を食わんのは恥だというだろうが」
「何か意味が違うような気がするんだけどなぁ」
 お説教の内容も決まっている。
 「無闇に周りを破壊するな」「弾幕ごっこもいいが、もう少し己の生活を省みろ」「い
い加減に飽きないのか」「怨みも薄れて来ているというのに、何で一々殺り合いたがるん
だ」このあたりの順番は前後するものの、締めくくりは必ず「もう少し自分を大事にしろ
」だ。
 ありがた迷惑だと思う反面で、そんな説教をくどくどと続けられることに喜んでいる自
分がいることも、妹紅は自覚している。
 だからと言っても締めくくりにいつも言われる「もう少し自分を大事にしろ」と言われ
ても、正直に言って困るのだ。死が無くなって随分経つ。自分の命のことを省みなくなっ
てからも長い。今更自分を大事に……と言われても、ピンとこない。
 というよりも、自分の命に大事にするだけの価値があるとは思えない。
「救いようがあるんだか、無いんだか……」
「何か言ったか?」
「なーんにも」


 晩御飯をご馳走になり、慧音の説教を聞き流しながらお茶を飲む。日はとっぷりと暮れ
て、辺りはもう真っ暗だ。この後はいつもどおり「暗くなって物騒だから泊まっていけ」
という展開になるのだろう。
「ほんっとに慧音って過保護よねぇ」
「何か言ったか?」
「晩御飯美味しかったなあって」
「そうか」
 存外に嬉しそうな顔をされて少しだけ罪悪感。
 実際、慧音の振舞ってくれた晩御飯は美味しかった。
 慧音は里の者たちから貰った食材を惜しげもなく使う。本人は「腐らせたら勿体無いし、
 何より私におすそ分けしてくれた者に悪いだろう」と言うが、生きる意味が希薄な妹紅
に何でもいいから楽しみを、と考えているのは一緒に食事をする度に妙に緊張してこちら
を伺っていることからなんとなく分かる。
「本当に、過保護なんだから……」
 お説教も含めて、慧音のそれらの気遣いは嬉しい。
 だけど、一度手放したそれらをもう一度取り戻そうとしても難しい。
 とは言え、妹紅はそれらを積極的に取り戻そうとは考えないようにしている。あまり必
死になっても仕方ないことだし、必死になればなるほど慧音が向けてくれる想いが重荷に
なるのは目に見えているからだ。
 慧音が重荷になる。
「そんなの嫌だもんねー……」
「何か言ったか?」
「ん、そろそろ帰ろうかなって」
「泊まっていかないのか?」
「んー。どうしようかな」
「泊まっていけ。暗くて物騒だからな」
 想像通りのセリフに少し噴出す。
「何だ。何かおかしなことを言ったか?」
「ううん。それじゃ、お言葉に甘えて」
「食べている間に風呂を沸かしておいた。入ってくるといい」
「ありがとう……慧音は入らないの?」
「私は後片付けをしてからな」
「んー。そんなの後でいいじゃない。一緒に入ろ?」
「なに!?」
「じょーだんよ」
 輝夜とは違った生きている実感をくれる半獣の友人は、この手の冗談にすぐひっかかる。
笑って見せた妹紅に、慧音は苦笑いを返して「さっさと行って来い」と手を振った。
 そんなときである。
 庵の戸口が慌しく叩かれたのは。


 慧音が首をかしげながら戸口を開けると、里の男が転がり込んできた。
 息も絶え絶えな男は入ってきて開口一番こう叫んだ。
「ウチの嫁が産気づいたんでさぁ!」
 慧音はかしげていた首を反対側に傾げなおした。
「そうか。それはめでたいな。
 だが、それなら産婆のところに行くのが先じゃないのか?」
「それが……産婆は今隣村に行っちまってて、いないんでさぁ!
 いるのは先代の婆さんだけで……あの婆さんじゃ、子供が生まれる前に、
 婆さんのほうがくたばっちまいまさぁ!」
 男が半泣きで叫ぶ内容に、慧音も唸る。
「隣村の産婆を迎えにいくことは出来んのか?」
「あっちはあっちで産気づいたらしくて、てんやわんやらしいんで……
 もう、どうしたらいいか……」
「自分の村の妊婦を放り出して行ってしまったのか……。
 いや、隣村が先に産気づいたのなら仕方ないか……」
 慧音が悩む間に、横で話を聞いていた妹紅が男に水を渡してやる。
 男はそれを受け取って一息で飲み干すと、
「慧音さまぁ。どうすりゃいいんでしょう……。
 婆さんにおねげぇするしかねぇんでしょうか」
「いや、ちょっと待ってくれ。
 あの婆さんは確かに歳を取りすぎている。
 しかし、経験がある者は彼女以外にいないし……」
 庵の中をぐるぐると歩き回る慧音。
 里の男は不安気に、妹紅は無表情にそれを見ている。
 慧音はしばらくそうして歩き回っていたが、何かを決心したのかひとつ頷いて、
「産気づいているのはお前の家か?
 それなら産婆の婆さんをお前の家に呼んできておいてくれ」
「やっぱり婆さんにおねげぇするんですかい?」
「いや。子を取り上げるのは私がやろう」
「慧音さまが!?」
「婆さんの指示に従って誰かがやるしかない。
 それなら婆さんの歴史から過去にあった出産の様子を
 『見る』ことができる私が一番適任だろう」
「わかりやした!
 婆さんを担いで連れてきやす!」
 言うが早いか里の男は飛び出していった。
 それをしばらく見送っていた慧音は、ふと我に返ったように動き出す。
「妹紅。そういうわけだ。済まないが、少々里まで行ってくる」
「あ、うん……」
 慧音はいつに無く乱暴な動作で普段から身に付けている帽子を脱ぎ捨てると、箪笥の中
から洗ったばかりの清潔な布や割烹着を取り出して風呂敷にまとめはじめた。しかし、ま
とめた荷物を風呂敷に包み、後は結ぶだけとなったところで、中々思い通りに結べないの
か何度も結び直している。
「慧音?」
「おかしいな。普段意識せずにやっていることなんだが……」
「慧音?」
「済まない、ちょっと待ってくれ……くそ」
「慧音!」
「……何だ?」
「慧音……不安?」
 慧音はようやく視線を妹紅に向けたが、それを聞くと視線を外して頷いた。
「経験がないことに対する不安もあるが……
 私の手に新しい命が委ねられると思うと……怖い」
 慧音は自分が揺らいでいる姿を見せることは絶対に無い。守護者である自分が、他の者
たちに弱い姿を見せることはできないと誰よりも強く感じているからだ。普段であれば、
守るべき対象には妹紅も含まれている。当然、妹紅にも弱い姿を見せたことはない。
 少なくとも、今までは。
「失敗したらどうしよう……と。そればかり考える」
 風呂敷を結ぶ手を止めて俯く慧音。
 そんな慧音をしばらく見ていた妹紅は、箪笥に向かうと慧音が用意していたものと同じ
く清潔な布と割烹着を出してきた。
「妹紅?」
 出してきたそれらを慧音が用意していた風呂敷に押し込むと、手早く結ぶ。
「私みたいな穢れた命が
 新しい命が誕生する場所に立ち会うべきじゃないと思うけど」
 妹紅は慧音に向かって手を差し出した。
「一緒に行こう?
 新しい命の重み。私にも背負わせて」


 準備を終えて外にでると、細い月が竹林を照らしていた。
 少々肌寒さを感じる中、二人は里に向かって飛び始める。
「慧音。失敗したら『なかったことに』できないの?」
「できないわけではないだろうが……あまりやりたくないな」
「でも……」
「いや、生命を弄ぶような真似をしたくないというような倫理的なものだけではなく……
 失敗だけを『なかったことに』してもあまり意味はない。
 すぐにもう一度産気づくだけだからな。
 だが『産気づいた』という事実を『なかったことに』してしまうと……」
「二度と産気づかなくなる?」
「可能性は否定できない。
 何しろ今までそんな歴史を『なかったことに』したことがないからな」
「そっか……でも、失敗だけを『なかったことに』はできるんでしょ?」
「それも正直なところあまり自信がないな……。
 産婆だった婆さんの歴史を見ながらお産の手伝いをするんだぞ?
 どの程度消耗するのかさっぱりわからん」
「……そっか」
「今日が満月ならよかったんだが……」
「三日月じゃあね……。
 それじゃ、やっぱり一発勝負になっちゃうわけだ……」
「……そうだな」
 それきり会話は里に着くまで無かった。


「よし、あの家だ。降りるぞ」
 慧音が示す家を見ると、そこだけ異常に熱気に溢れていた。
 それほど大きな家ではないのに人が大勢集まり、誰もが落ち着かなさそうにしている。
 そんな中、二人が家の前に降り立つと、落ち葉を踏む音に気付いた里の者たちにわっと
囲まれた。
「慧音さま!」
「ウチの……ウチの孫を……
 なにとぞ、なにとぞ……」
「よろしゅうたのみます……」
「わかった。
 わかったから、とりあえず私たちを通してくれ」
 荷物をまとめているときの不安そうな様子はどこへ行ったのか、慧音は呆れるほどいつ
もどおりにすがり付いてくる者たちを押しのけていく。
 そうしてどうにかこうにか家の中に入ると、産気づいた女の亭主が待ち構えていた。
「慧音さま!」
「先代の婆さんは?」
「お連れしていやす!」
「そうか。では、お前の女房の所へ案内してくれ」
「へい!」
 男がどたどたと家の奥へ入っていき、慧音もそれに続く。
 当然のように妹紅も続こうとすると、慧音に遮られた。
「慧音?」
 妹紅が戸惑いの声を上げると、慧音はにこりと笑ってみせる。
「これは私の仕事だ」
「ちょっと待ちなさいよ!
 私も一緒に背負うって言ったじゃない!」
「それなら外の男衆を集めて、
 湯をたくさん沸かして布の洗濯をしておいてくれ。
 湯と清潔な布は、幾らあっても足らんだろうからな」
「違う!
 私は慧音が背負おうとする命の重みを、一緒に背負おうと思ったんだ!
 あんたの背負おってきたものを、一緒に背負おっていこうと思ったんだ!
 それを、この期に及んで仕事だ? 一人でやる?
 私をバカにしてるの!?」
 慧音の胸倉を掴んで吼える。
 狭い家の狭い廊下だ。揉め事の気配を感じて引き返してきた男が騒ぎかけるのを、視線
だけで黙らせた慧音は妹紅に対して笑みを深めた。
「なあ、妹紅。今まで私はお前に対して弱みを見せたことはなかったな」
 胸倉を掴んだまま慧音を睨む妹紅は返事をしない。
「別に一線を引いていたつもりはなかったんだが……
 まあ、純粋にそういう機会がなかったんだ」
 慧音は胸倉を掴んでいる妹紅の手を包み込むようにして握る。
「今回のような経験がないことは、失敗することもあるかもしれない。
 失敗したら取り返しの付かないことかもしれない。
 だから不安になる」
 慧音は妹紅の手を握ったまま少しだけ俯いたが、すぐに視線を上げた。
「不安は失敗の種だ。
 不安に呑み込まれたままでは何をやっても成功はしないだろう。
 だけど、お前がいてくれた。
 手を引いてくれた。背を押してくれた。
 不安から掬い上げてくれた」
 慧音は胸倉を掴んでいた手を、丁寧に指を一本ずつ外していく。
「けれど、ここまでだ。
 これ以上手を引かれたまま進めば、
 私は引いてくれる手が無ければ動けなくなってしまう。
 だから、ここまでだ」
 妹紅の手を外し終えると、慧音は背を向けた。
 そして男に頷いて見せて奥へと向かう。
「今までお前のことを手のかかる妹と感じていた部分もあった。
 だが、あのとき対等の友人なんだと再認識した。
 だから、お前と対等の友人であり続けるためにいってくる」
 慧音は最後に背中越しにもう一度笑ってみせた。
「心配するな。
 今の私に出来ないことなど、きっとない」


 慧音が男を伴って去った後、妹紅はその場にへたり込んだ。
「あー……そういえば、最近のお説教ってお母さんっぽかったもんねぇ」
 それは上のものが下のものに対して行うものだ。
 だが、きっとこれ以降、慧音のお説教は回数を大きく減らすだろう。
「慧音のお説教は鬱陶しいけど、聞いてるとほっとしてたもんねー……。
 守られる立場に喜んじゃってたんだなぁ」
 妹紅は大きくため息をつく。
「ダメじゃん、私」
 それではダメなのだ。
 それでは対等になれない。
「じゃあ、がんばってみようか。
 むやみに物を壊さない!
 ちゃんとした生活を心がける!
 やたらと弾幕ごっこをしない!」
 叫んでいる途中で説教の内容が当たり前のことだと気付いてちょっとヘコむ。
「後、自分を大事に……うあー。
 これが一番難しいなぁ」
 それでもやっぱり自分の命が大事と思えないのは変わらない。
「命……命かぁ」
 新しく生まれてくる命。それを生み出そうとする命。
 それらがかけがえの無いものだとは理解しているし、実感もできる。
 けれど、自分はそれらに含まれない例外なのだ。
 妹紅はしばらく自分の命について考え込んでいたが、結局考えることを放棄した。
 放棄したというよりも、今はそれどころじゃないことを思い出したのだ。
「まずはお湯と布だ!
 よーし、やるぞ!」


 気を取り直した妹紅が土間に足を踏み入れると、妙に人が多いにも係らずしんと静まり返っていた。
「どうしたの、この雰囲気は?」
「ああ、慧音さまのお友達か……」
 女衆は全員出産の場に立ち会っているため、そこにいるのは縁者の男だけだったのだが、
 誰もが不安と焦燥に暗い目をしている。
「いや……本当に無事産まれてくれるのかと思うと……」
「なによ。慧音を信用してないの?」
「そういうわけじゃあねぇが……
 聞いた話だと、慧音さまもお産の立会いは初めてだって言うじゃねぇか」
「……そりゃそうだけど」
「そりゃあ、一緒にいる先代の婆さんは何人も取り上げてる産婆だが、
 慧音さまが何度も取り上げてるわけじゃねえし、
 なんの知識もねぇんだろ?」
「……」
「慧音さまを信用しちゃあいるが、
 やっぱりどうしても不安になるってもんだ……」
「うるさい!!」
 言い連ねる男の言葉を遮って、妹紅の怒号が土間に響いた。
 妹紅に不安をぶちまけていた男だけでなく、他の男も驚いて視線を向けてくる。
「あんたたちができないから、慧音がお産を手伝ってるのよ!?
 それを何!? 信用しているけど不安だ!?
 それってちっとも信用してないじゃない!
 自分たちでできないことを押し付けておいて、なんていい草よ!」
「し、仕方ないだろう!?
 俺たちでできるようなことじゃないんだぞ!」
「だったらガタガタ言うな!
 一度任せたんなら最後まで任せた相手を信用しなさい!」
 妹紅と言い合っていた男は、それを聞いて一気に消沈した。
「今までずっと世話になってきた慧音さまは信用したいさ!
 でもな、心配なんだ。どうしようもなく心配なんだよ……」
 男は頭を抱えて蹲ってしまう。
「あー。ごめん。言い過ぎた」
「いや、あんたは正しいんだ。
 こちらこそすまねぇ……ただ、何も出来ないのがどうしようもなく苦痛なんだ。
 せめて、女たちのために何か出来ることがありゃあなぁ……」
 それを聞いた妹紅は頷いた。
「じゃあ、一緒にやろう。
 慧音からたくさんのお湯と清潔な布を用意してくれって言われた。
 後、中にいる人たちのために簡単に食べられるものを作ってあげたい」
 男たちの目に光が戻る。
「そうか。それならまずは水汲みだな。
 この家にゃあ井戸がないからな」
「薪は足りてるか?
 足りてなさそうなら他の家から貰ってこねぇと」
「飯炊きはかかあに任せきりだったからなぁ。
 俺たちの中でできるのいるか?」
「清潔な布……数が必要なら洗濯もしねぇといけねぇが、乾かすのがなぁ」
 男たちがそれぞれに動き出す。
「ちょっと、私も……」
「あんたは飯炊きやってくれるか。
 俺たちじゃやっぱり料理はなぁ」
「いや、私は火を……」
「米は米櫃にあるから適当に使ってくんな。
 それじゃ、頼んだぜ。
 よし、行くぞ野郎ども!」
 妹紅が得意分野を口にする隙も無く。
 男たちは水桶やら薪を縛るための縄やらを片手に、どたどたと出て行ってしまった。
「なによぅ。今までヘタレてたくせにっ!」
 一人土間に残されてしまった妹紅はしばらく呆然としていたが、仕方なしに飯炊きの準
備をし始めた。


 東の空が白み始める時間になった。
 慧音をはじめとする手伝いの女たちはまだ出てこない。
 できることをやりつくした妹紅と男たちは、土間に集まってそのときを待っていた。
「まだかな……」
「まだだなぁ……」
 昼間の野良仕事と深夜に入ってからの準備作業で疲労が溜まり、ほとんどの者は気絶す
るように寝入ってしまっていたが、二人とも疲労でぼろぼろだったが、妹紅に怒鳴られた
男と妹紅だけは、どういうわけか起きていた。
「……お産は時間がかかるたぁ聞いちゃいたが、
 こんなにかかるものなのか?」
「子供を産んだことのない私がわかるわけないでしょ」
「いや、そりゃそうなんだが……」
 異常に時間がかかる理由に検討はつく。
 何かよくないことがあるたびに慧音が歴史を食べてやり直しをしているのだろう。ただ、
何度も歴史を食うたびにお産の時間が長くなり、その分母親に負担がかかるんじゃないか
と思うと、ある程度理屈が分かっている妹紅も気が気でない。
「動けなくなると不安になるわね……」
「だろうがよ」
 男がにやりと笑う。
「何よ。随分と余裕が出てきたじゃない」
「まあ、できることをやりつくしたと思えるからなぁ。
 後は妹の子が無事に生まれてくるのを祈るのみだ」
「ああ……今お産をやってるのってあんたの妹さんだったんだ」
「おうよ」
 男は返事をした後何かを思い出したのか、少し遠い目になった。
「どうしたの?」
「ああ、いや……そういえば、
 妹が産まれてくるときにもこうして待ってたのを思い出してな」
「ふぅん」
「あのときも苛々して喚きながら待ってたんだがなぁ……
 やっぱり近くにいた産婆見習いのねーちゃんにぶん殴られたな。
 ああ、今回は殴られなかっただけマシか」
「殴っとけばよかったかな。
 今からでも殴られてみない?」
「勘弁してくれ」
 男は苦笑いしてみせた。
「あんたは誰かのお産に立ち会ったことはないのか?」
「そうね。少なくとも記憶にはないわ」
「まあ、あんたの歳だと兄弟が産まれでもしなけりゃそんな機会もないやな」
 今度は逆に、妹紅が苦笑いしてみせる。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない」
「そうか?
 うん、まあ、こういう不安と期待が入り混じった状態でじっとまってるのも
 初めてならいい経験だろ?」
「そうね。
 産まれてくる命が本当に大切なものだって思えるわ」
「何かえらく他人事のような言い方だな」
「だって産まれてくるのは私じゃないし」
「いや、そりゃそうなんだけどよ……
 あんたもそうだろうが」
「何がよ?」
「あんたもそうやって思われて産まれて来たんだろ?」
「……え?」
「あんただって木の股から生まれたわけじゃないだろ。
 とーちゃんとかーちゃんがいて産まれて来たんだから
 同じように不安を感じてたとーちゃんとか、
 あんたを産もうと必死になってたかーちゃんは少なくともいただろう」
「……ああ。なるほど」
「何でそんなに驚いた顔してんだ?」
「うん……いや、そういえば忘れてたなぁと思って」
「おいおい。
 自分の親くらいは覚えておいてやれよ」
「そうだね。
 うん、覚えておこう。
 それと一緒に、私も思われて産まれた命だって覚えておかないと」
「お、何か気取った言い回しだな。
 でも、いいことじゃねぇか」
「うん。私もいいことだと思う」
 そのとき、ようやく待ち望んでいた赤子の泣き声が聞こえて来た。
 歓喜の怒号を発して男が家の奥へと飛び込んでいく。
 妹紅はそれを見送って、土間にごろんと横になった。
「そっか。
 私も思われて産まれた命だったか……」
 後は襲い掛かってくる睡魔に抗さず、意識を手放した。


 赤子の泣き声に誰よりもほっとして、そのまま崩れ落ちて寝入ってしまった慧音は夕方
になってようやく目を覚ました。
 気がつくと別室で寝かされていたのだが、身づくろいをして廊下に出たところで家のも
のと鉢合わせ、そのまま居間に拉致された。居間では出産祝いのどんちゃん騒ぎが始まっ
ており、感謝の言葉を受けながら騒ぎに混じって夕食をご馳走になっていると、妹紅の姿
が見えないことに気がついた。
 聞いてみると産まれたばかりの赤子を随分長い間、妙に嬉しそうに見ていた後、ふらり
と外へ出て行ってそのままらしい。
 薦められる酒を断り、外に出る。
「あ、おはよ。
 夕方におはようってのも変だけどねー」
 声に目を向けると家の横にあった大きな楓の木が目に入った。昨夜は緊張と暗さで気が
つかなかったが、立派な楓だった。すっかり赤に染まった葉を背に、屋根の上の妹紅がひ
らひらと手を振っている。
「何をしているんだ?」
「別に。強いて言うなら紅葉狩りかな」
 屋根の上に降り積もった紅葉をひとつ手に取って、赤い陽光に透かしてみせた。
「何だ。珍しく風流なことをしているじゃないか?」
「珍しくっていうのは余計よ」
 身軽に飛んできた慧音をちらりと見て、妹紅は視線を手の中の紅葉に戻す。
「この紅葉より小さなあの子の手が、
 少しずつ大人になって、大きくなっていくんだね」
「そうだな」
 慧音は妹紅の手の紅葉を見ながら頷く。
「私も産まれたときにはこんな大きさだったのかな」
「それはそうだろう。
 妖怪ならともかく、お前は人間なんだからな」
「そうだね」
 紅葉を弄んでいた手を止めて、妹紅は慧音に視線を向けた。
「私は自分の命が価値のあるものだとは思えなかった。
 だって何をやっても元通りになるんだから。
 慧音が言うように大事にするなんて意味がないと思ってた。
 だけど、お産を手伝ってる途中で言われた。
 おまえにも父や母がいたんだろって。
 やっぱり私は自分の命が大事だとは思えない。
 でも、私を産むときに苦しんでくれた母や父がいるなら、
 少しだけ大事にしてもいいかなって……そう思った」
「そうか」


 それから妹紅の輝夜との弾幕ごっこの戦績が一気に悪化した。
 それでも次の紅葉が散るころには、少しずつ戦績が良くなり始めた。
 更に次の紅葉が散るころには、弾幕ごっこ自体の回数が減り始めた。

 その切欠の、小さな紅葉が産まれるまでのお話。

少しだけ思い出してみました。
どうもありがとう。
FELE
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2005/10/17 09:08:06
更新日時:
2005/10/20 00:08:06
評価:
24/25
POINT:
164
Rate:
1.51
1. 4 おやつ ■2005/10/19 16:31:35
妹紅や輝夜の成長はよく見る話ですが、このアプローチは初めてでした。
命の価値に気がついたもこたんにエールを送りたいです。
2. 6 床間たろひ ■2005/10/21 02:06:30
自分の生命の価値ってのは、存外自分じゃ気付かぬもの。
それを気付かせてくれるだけでも、他人の生命にゃ価値がある。
ましてやそれを生み育ててくれた親ならば……

父ちゃん、母ちゃん、余り孝行できず御免なさい。そして生んでくれて
ありがとう。

私もちょっとだけ思い出してみました。貴方にもありがとう。
3. 7 papa ■2005/10/21 17:25:05
この作品を読んで私も少し思い出してみました。
ふと忘れてしまうような昔のことを思い出す懐かしい話でした。
4. 7 MIM.E ■2005/10/22 00:16:37
うまく結べないでいる慧音のシーン。
映画のワンシーンを思い浮かべました。
妹紅の理屈は少し物語より熱すぎる。けれど、妹紅の命への気持ちの変化は素敵でした。
5. フリーレス 楠木忍 ■2005/10/22 02:22:21
このまま妹紅が弾幕ごっこの無い生活をしてくれるといいな そう思わせてくれるお話でした
6. 6 一之瀬翔弥 ■2005/10/22 23:32:15
巧みな印象が先ず一つ。
そして、妹紅さんとは全く無縁と思われていた”生命の重さ”との出会い。
ストレートにズン、ときました。
多謝!!
7. 6 匿名 ■2005/10/23 18:56:38
ふと自分の手を見つめながら、一体何を掴んできたんだろうなどと思ってみたり。
8. 4 Q-turn ■2005/10/23 21:59:51
>「あー……そういえば、最近のお説教ってお母さんっぽかったもんねぇ」

その何気ない一言が、思われて生まれた何よりの証…だと思ってみたい。
9. 6 ■2005/10/23 23:49:42
赤ん坊の手の平ネタ、やはり投稿されたか。
ふー、書かなくて助かった(何
10. 6 Tomo ■2005/10/24 11:54:07
テーマに真摯に向き合って書かれているのが伝わってきます。現代社会では出産に立ち会う機会も少ないですね。
11. 5 藤村りゅ ■2005/10/24 15:35:43
 独り言、主に心情を吐露する台詞が多く不自然に感じました。全体的に台詞が多いというのもありますが。
 イメージとしては、ドラマに近いのですかね。心では思っても口にしないことは意外に多く、だからこそ驚きがあるものです。
 それと、妹紅は生きているのが素晴らしいと思っているらしいので、自分の命に価値がないとは考えないような、とはちょっと思いました。
12. 8 木村圭 ■2005/10/25 21:51:47
私も思われて生まれてきた子なのかなーなんて感傷的になってみたりするテスト。
変わり始めた妹紅を見て、輝夜は何を思うんでしょう?
13. 7 ■2005/10/25 23:18:09
慧音はやはり村人から頼られてるんですね。
村人に喝をいれた妹紅がかっこよかったです。
話の運び方も上手だと思いました。
14. 10 世界爺 ■2005/10/26 00:43:08
そういえば、私も誰かに抱かれていた記憶がまだあります。
忘れないようにしたいなあ。

男衆に啖呵きったもこたんがカッコいいです。
信頼してるからこそ言える台詞。慧音は幸せものじゃ喃。

変わらぬものは無く、変われぬものもなし。
諸行無常。けれどこの場合はきっと幸福への道筋。

でも結局弾幕ごっこ以外で白黒つけてそうな感じが(何
15. 9 ■2005/10/27 12:47:02
この手の話には弱いんだぁ!…描写も丁寧ですしね。
16. 5 流砂 ■2005/10/28 02:16:06
真面目話になるといきなり訛りの取れる男にはちょっと違和感。
妹紅の生きているキャラと最後の3、4行が素敵です。
17. 6 美鈴まさき ■2005/10/28 03:35:24
 永遠故に軽んじてしまう命。けれど望まれた生であったことには違いない。
 それを思い出した妹紅は、優しさも取り戻せたのでしょうね。
 慧音の能力の使用法は少々首を傾げてしまいましたが。
18. 9 風雅 ■2005/10/28 14:16:24
これは……負けた……って感じです。
最後のまとめをもう少し細かく、と思ったくらいでしょうか。
その他は文句の付け所がないです。
妹紅の命への考え方、慧音との関係、その他色々唸らされました。
最後にもう一言、お見事。
19. 7 名無しでごめん ■2005/10/28 20:30:57
流れるような文章。赤子の手と重ねられた、お題の紅葉。
文句の付けようがないのですが、自分の中の妹紅像とどうしても違和感が。
という理由で少し点数を引きました。ごめんなさい。
少し自分の脳みそが典型に嵌り過ぎているのかしらん。
20. 9 七死 ■2005/10/28 21:47:12
この直線的で癖が無く、純粋で一遍の濁りもも影も無い、ただ素直な人間と想いの連なりをもって物語織り成す筆主と言えば・・・・・・っと、予想は外れると怖いから止めておこう。

慧音ではなく妹紅の物語。
なるほど、これは皆から慕われる訳だ。
21. 9 弥生月文 ■2005/10/28 22:54:55
全体的に高水準だと思いました。技巧もテーマの表し方も。
22. 7 K.M ■2005/10/28 23:19:30
生まれたばかりの子供の命と死なない命、この2つの差は大きいけれど
どちらも命に変わりは無いわけで。
子供の命を考えることで自分の命を客観的に考え、それについて何かを掴む・・・これは
精神的に大きな成長ですよね。
最後の4行に物語の深みを感じました。
23. 6 IC ■2005/10/28 23:37:24
自分を大事にするということは自分を含めた周り全てを大事にすることだと思うのです。
弾幕ごっこが減ったのも、そういう心境からきたのだとしたら、うれしいなあ。
24. 8 SSを書きなぐる程度の能力 ■2005/10/28 23:40:42
ああ、そうだなあ、思い出さないと。
切欠をくれたこの作品に感謝を。
諸々高水準で纏まった逸品だと思います。あえて難癖をつければ、纏まりすぎて突出した部分がないかも。ですが、いい時間をすごさせていただきました。
25. 7 es-cape ■2005/10/28 23:58:45
かんそう じかん ぎれ
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