神無の空に舞いし蝶

作品集: 最新 投稿日時: 2005/10/19 08:55:04 更新日時: 2005/10/21 23:55:04 評価: 19/19 POINT: 105 Rate: 1.30

「天高く馬肥ゆる秋、か」
 里から戻る足を止め、手に提げた包みを持ち直した拍子にふと見上げた空。少し前までには幅をきかせていた入道雲も今ではすっかり姿を消し、かわりに主役に躍り出た筋雲が所狭しと存在を主張している秋の空。そんな高い空を見て慧音は何とはなしに呟いていた。

 思い返せばこの年は気象の乱れが著しかった。例年ならばとうに桜が散っていてもおかしくない時期になっても冬が明けなかったのだ。
 慧音自身にとってはさほど気になる事象ではない。今年ほどではないものの、冬が長引いたことは過去に何度もあった上、自分ひとり暮らすだけならばどうにでもなるからである。だが里の人間にとって明けない冬は、言葉通りの生命線である農作物の育成が懸念されるのである。
 そこで慧音は歴史から知識を拾い出し、人々と共に生命線の確保に努力してきた。その甲斐あって、農作物は小振りの生育状態ではあるがまずまずの収穫量を見込め、また少しずつ保存加工してきた山海の幸も合わせると、越冬に十分な食料を蓄えることができそうだった。
 今慧音が提げている根菜の包みは、収穫の礼として渡された物である。その包みから顔を覗かせている野菜が隙間から転げ落ちないようにと詰め直していたとき、一陣の風が慧音の身体を掠めて去っていった。強くはない、けれど確かな冷たさを含んだ風だった。
「そう言えば日の光もずいぶんと柔らかくなったな」
 気が付かないうちに進行している季節の移り変わりを慧音は言葉に出し、振り仰いだ空に改めて秋を認識したのだった。

 蒼く澄んだ空をしばらく見上げていた慧音の視界を、ひらりと紅い何かが横切っていった。
 その何かを、視線を落として追いかける。それはすぐに見つけることができた。屈み込んで足下に着地したそれを拾い上げる。
 慧音の指に挟まれたそれは、鮮やかに色づいた紅葉であった。見渡した周囲の木々は多少色落ちが見られるものの、まだまだ緑の葉を湛えている。とすればおそらく頂の方から風に運ばれてきたのであろう。
 一葉だけはぐれて蒼天を飛んだ紅き落葉。秋の到来をいち早く知らしめたいが為なのか、はたまた気まぐれに風に乗りたくなったのか。そのありように一人の人間の姿が重なって見えた。
 博麗霊夢。
 纏う紅白の装束、ふわりとしてとらえどころのない立ち居振る舞い。それでいて思い込んだら止まらない直情的な性格。人妖隔てなく接するどころか、あやかしとの付き合いの方が多い人間。
 偽りの月の夜に邂逅した彼女が博麗の巫女と知ったのは、名も知らずに闘いあった後のことだった。
 互いが互いを人間に仇為す存在だと思い込み、排除せんと空を舞い力をぶつけ合う。満月が隠されて能力を発揮出来ない慧音が紅白の巫女に対して万策尽きたとき、静観していた巫女の連れである妖怪が闘いを預った。その静けさを取り戻した里の空で慧音は彼女の正体を知ったのだった。





 僅かに欠けた月が浮かぶ夜空を、光弾の煌めきに照らされた紅と蒼が舞い飛ぶ。
 一見しただけでは蒼が紅を圧倒しているように見えるが、その表情は状況とは裏腹であった。
 追いつめているはずの蒼――慧音の顔がまた一瞬苦痛に歪む。見ると左の二の腕にふた筋の切り傷が出来ていた。そしてこれが相手から初めて受けた傷ではなかった。躯のあちこちは切り刻まれて白い肌が血に染められている。そうでない部分も石のような物をぶつけられたような痣が無数に浮かんでおり、かなりの損傷を受けていることが容易にうかがい知れた。
 対する紅の人間は押し寄せる光弾の大半を紙一重で回避している。そのため慧音と同じように数多のかすり傷を負っている。しかし大きな負傷はひとつとして見受けられず、その顔には焦燥が全くない。そして平然と攻撃の隙間を抜けて反撃をしてくる。手数こそ少ないものの、針の穴を通すかのように繰り出される札や珠が確実に慧音の躯を蝕むのだった。

――このままでは確実に負ける

 劣勢は瞬時に理解できていた。退くべきだと判断できていた。けれど里を守りたい心がそれを許さなかった。
 慧音は力を振り絞り、術を切り替える。相手が人間と言うこともあり若干力を押さえていたのだが、自らが倒れないためには、そして里を守には全てを出さねばならない。

――ここは絶対に通さない

 想いを力に変換して解き放つ。今までと比べものにならない速度と密度で相手の移動を妨げるように幾筋もの光線を打ち、タイミングと位置を少しだけずらして二撃目を放つ。さらにわずかな隙間を埋めるかのごとく光弾を周囲にばらまいていく。
 昇る日のごとく高まる慧音の力の変化に相手も気が付いたが、懐から符を取り出すのが精一杯の対応だった。直前まで見せていた余裕ともとれる態度は消え去り、真剣な表情をはっきりと浮かべて襲いくる攻撃を回避する。
 格段に速度を増した光線の軌道から逃げた躯めがけ時間差の二撃目が迫りくる。身を捩らせて髪をかすらせながらもやり過ごした紅き人間だったがその体勢は大きく崩れてしまっていた。そこへ容赦なく迫る第三波。回避には絶望的な間合いだがその人間は、手中の符を光弾へ投げつけながら射線からの離脱を図る。
 放たれた符は発動することなく光弾に飲み込まれた。しかし符に込められた力はわずかに速度を押しとどめ、術士を逃がす最低限の足止めは成し遂げた。
 一連の動きを見届けた慧音は素直に賞賛の念を持った。人間は勿論、妖怪にさえこれほどの動きが出来る者にはほとんど出会ったことはなかったからだ。とはいえ好機を見逃す優しさはすでに捨て去っている。三撃目の後すぐに用意していた光線を、今度は紅き人間めがけて打ち出した。
 狙いと寸分違わずに突き進む光の矢。今度ばかりはその人間に攻撃を避ける術はなかった。慧音と紅き人間、双方ともが直撃を確信した。だがその瞬間、人間を守るかのように正面の空間が前触れ無く裂けだし、見る間に大きな亀裂となって口を広げた。そして人間を貫くはずだった光線は空間の亀裂に吸い込まれ、本来の役割を果たせぬまま消滅した。

「双方、そこまで。これ以上は意味がないわよ?」
 音もなく消滅していく亀裂と入れ替わりに仲裁の言葉が空に響く。
 戦闘が始まる前に姿を消していた妖怪が、いつの間にかふたりの間に割って入っていた。
「私達はこの異常な月を元に戻したいだけ。里のことは眼中に無いのよ。不幸な勘違いだったとここで手打ちにして貰えないかしら?」
 毅然と、それでいてどこか力の抜けた口調でその妖怪は慧音に提案してくる。
「もしまだ続けるというのなら、今度はふたりがかりでお相手させて頂くことになるわよ。こっちは急いでいるし、力も温存したいから。そしてそうなった場合に私達を捌く力は残っていないと思うけど?」
 慧音は呈示された案に対し、素早く思案を巡らす。
 誰とも知らぬ状態で闘っていた相手に突然休戦を求められて、すぐに信じろというのは難しいことである。それは相手も承知しているであろう。その上での呈示なら、口上に偽りはないのだろうと思えた。そして何より、慧音自身が保たないことを的確に見抜かれている。いずれにしてもふたりを行かせることになるのなら、行動不能にされることは回避すべきである。里を狙う妖怪は数多くいるのだから。
 意を決した慧音はひとつ頷くとふたりに向けて能力を発動させた。
 慧音の行動に満足したのか、妖怪は言葉と共に安堵の息を吐く。
「話が早くて助かるわ。流石は『知識と歴史の半獣』ね。ええと……」
「上白沢慧音だ。……私のことを知っていたのか?」
「闘いが始まったときに思い出したのよ。人里を守っている半獣の話をね」
「だったら……」
 早々仲裁してくれ。そう慧音は言いかけたが、突如上がった素っ頓狂な声に言葉を飲み込まされてしまった。
「あれ、里がある。どういうこと?」
「言ってたでしょ。『無かったと見えるようにした』って。おそらく記憶操作の一種かしらね。単に思い込ませただけで、実際には何一つ変わっていないのよ」
「正確には『里があったという歴史を喰われた』という歴史を喰った。真の満月時なら歴史を作れるのだが、あの月の元では喰うことしかできないのでな」
 妖怪の憶測に慧音が補足説明を加える。しかし人間はうんうんとうなり声を上げて考え込んでいる。やがて捻っていた首を妖怪に向けてその口を開いた。
「んー、よく分からないけど、問題ないのね?」
「問題ないわよ」
「ならそれでいいわ。さあ次行くわよ次!」
 里が無事であることを理解したとたん、先刻までの戦闘など無かったかのように賑々しく会話を始める人間。その早すぎるとも言える切り替えに、慧音は少々唖然とさせられた。
「いいのか、それで……」
「いいって言うのだから、いいんじゃないかしら」
 慧音の呟きに妖怪が続く。その口調は至って自然であり、それ故この人間の行動が平素からのものだという裏付けとなった。
「次行くのは異存ないけれど、貴女何処へ行けばいいのか分かっているの?」
「あっちでしょ?」
「あら、こっちではなくて?」
 月の異変を探索しているというわりには、てんでばらばらに指を傾けるふたり。その漫才じみたやり取りに慧音は意図せず口を挟んでしまった。
「……アレの原因なら心当たりがある。途中まで案内してやるからついてこい」
 先ほどまでと正反対に転じた雰囲気に半ば呆れつつ、ふたりの指が作る線の垂線に近い方向へ飛翔を始めた。その後を、口を閉ざすことなくふたりが追ってくる。
「しかし、おまえ達はいつもそんな調子なのか? とてもさっきまでと同一の人物に思えないのだが……本当に何者なんだ?」
 里から少々離れた場所にある竹林が見えたとき、途中ずっと噛み合わない会話を途切れなく続けていたふたりに、率直な思いを口に出して尋ねた。その慧音の問いに妖怪が応じる。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったわね。これは失礼」
 妖怪は謝罪の言葉を述べたがその口調にはまったく悪びれた様子は無く、それどころか澄ました顔には含み笑いが浮かんでいるように見えた。実際笑っている訳ではない。だが『何か仕掛けがある』という予感めいたものが慧音の脳裏をよぎったのだ。そして続く言葉が予感を事実に変えた。
「私は八雲紫。そしてあっちは博麗霊夢」
「なっ、八雲に博霊だと!?」
「あら、私のこと知っていたのかしら?」
 八雲の名に驚きの声を上げた慧音に対して、自身にかけられた言葉をそのまま返す紫。今度こそその顔に笑みが浮かび上がっている。
 正体不明が半ば謳い文句となっている紫。最近では存在さえ知らない者が多い。だがその実態は幻想郷の歴史を裏から支えてきた大妖怪なのである。慧音は直接の接点は持っていなかったが、幻想郷の全ての知識を持つことができる能力によって彼女のことを認知していたのだ。
「仮にも歴史を預かるモノだからな。知識としては知っている。それよりもおまえがあの博霊の巫女だったのか」
 紫のからかい口調をあえて無視して、隣の人間に視線を移す。慧音がもっとも驚いたのは『博霊』の名だったからだ。
 博霊と言えば幻想卿を司る者を指し示す。確かに身に纏う紅き衣は巫女装束と見立てることもできる。そして先ほどの闘いで見せた実力が、ただならぬ人間である確たる証拠となっていた。まだあどけなさが残る姿の、博霊の名を持つ少女に畏怖の念がわき上がる。
 しかし同時に慧音のココロの奥底には怒りに似た負の感情があった。
 本来ならば人間の拠り所となるべき対象であるはずの神社を、あろう事か妖怪達のたまり場としていること。
 人間でありながら人間への関心が稀薄であり、妖怪との関わりの方が深いこと。
 人々の口上を聞くたび言い得ぬ感情が慧音の中で膨れあがってきたのだった。
「ようやく私の知名度も上がってきたようね」
「話は聞いているぞ。いろいろと、な」
 己が感情を微塵も見せずに言葉を返すと、慧音は眼下に鎮座する竹の密林を指さし、その際へとふたりを誘導して降りていった。

「この奥に棲む連中が、おそらく月を隠した元凶だろう」
 慧音が示した目の前に広がる鬱蒼と繁った竹林は、何人の侵入を拒んでいる様に感じられた。しかしよく見ると、人が通るに十分な空間があることがうかがい知れる。
「こんな所に誰か住んでいたかしら?」
「ああ。それはもうかなりの昔からな。自然の迷路となる竹林に多重に結界を張って隠れ住んでいるから、よほどのことがない限り知られることはないだろう」
「そいつらのことを犯人って言うんなら、何で今まで放っておいたのよ?」
「連中に一切の攻撃性を感じなかったからだ。たまに起こる諍いも外には決して出さずに、極力存在を隠すようにしてそこにいただけだから、私もわざわざ暴くことはないと判断したのだ。里を害さぬ者をつつく意味は無いからな」
 霊夢の問いに淀みなく答える慧音。勿論その存在を知ってからずっと観察を続けているが、一度として外に出ようとする気配は感じられなかったのだ。ほんの数日前までは。
 そして、数日前に施した何かの術も直接的な効果を引き出すものでは無かった為、警戒しつつ様子を窺っていたことを付け加える。
「なるほど。君子危うきに近寄らず、ね。確かに余計なことに首を突っ込むのは愚の骨頂よね」
「霊夢が言う台詞じゃないわよ、それ」
「ともかく行き先が見つかったんならさっさと行きましょう。さ、案内よろしくね」
 紫の指摘を完全に無視して、霊夢は慧音に案内を促す。しかし、慧音の首が縦に振られることはなかった。
「ここから先はふたりで行ってくれ。私は里を離れる訳にはいかない。まだまだ夜は明けないのだろう?」
「律儀ねえ。その爪の垢、煎じて霊夢に飲ませたいわ」
 慧音の言う通り、月を取り戻さない限り異変は元に戻らない。この状態が長引けばいずれ狂い出す妖怪も出てくるだろう。
 自我の抑制が効かなくなって人里を襲いだす可能性がある以上、警戒に戻るという意見は慧音にとっての優先事項である。
 それを理解した上での紫の発言であるが、その言葉に霊夢が反論する。
「うるさいわねえ。大体私は『博霊神社』の巫女であって、『人間』の巫女という訳じゃないわ。里の警護なんて管轄外よ」
 だがこの発言に今度は慧音が黙っていることができなかった。
「今の言葉は聞き捨てならないな。おまえは人間達がどうなろうとも関係ないとでもいうのか!?」
 霊夢に対して今度は感情を隠すこと無くぶつけてくる慧音に、表情ひとつ変えずに開かれた口から回答が紡がれる。
「妖怪は人を喰い、人は喰われない為に妖怪を退治する。これが幻想卿の掟でしょ。その掟を外れない限り私はどちらにも与しない」
 静かに、しかしはっきりとしたその答えに慧音はかつて無いほどの衝撃を受けた。
 長きにわたって人間を見てきたが、その誰もが力を合わせ生きてきた。そう、例えどんな極悪人であれども人であることを貫いた。
 妖の者から身を守る為、知恵と力の全てをもって助け合いながら、人間は己が種を存続させてきた。
 そんな風に他の為に個の力を集めることができる人間達を慧音は愛している。
 だから――

 霊夢の言葉が信じられなかった。いや、信じたくなかった。
 自分が尊いと感じた人の性を、その人間が否定するとは考えられなかった。考えたくなかった。
 けれど霊夢の目にはいささかの揺らぎはなく、それ故慧音は放たれた言葉の撤回は無いことを理解した。

――おまえは何者なんだ

 人も妖も関係ないなどと断言するモノは知る限り誰一人として存在しなかった。人間、妖怪、生きとし生けるもの全ては勿論妖精や精霊、果ては幽霊や亡霊といった死人の類でさえ属する種に帰依するものである。
 本当に分け隔て無く在り続ける存在など、幻想卿においては意志を持たぬ無生物でしかあり得なかった。

本当におまえは――

「本当におまえは人間なのか?」
 叫びにも似た声で慧音は尋ねる。そして対照的に冷めた声で霊夢から答えが返る。
「人間よ。間違いなく」
「だったら、だったら何故人間に味方しない! 力ある人間が、何故人間を救わない! 何故……私にできないことができるはずなのに……妖怪にはできないことができるはずなのに、どうして人の為に動かないんだ……」
 荒々しかった慧音の声は、いつしか消え入りそうなまでに小さくなっていた。
 そして吐き出した自分の言葉に、博麗の巫女に憧れを持っていたことに気づかされた。
 どんなに尽力しても決して取り払うことのできない人間と妖怪の壁。妖怪であるが為に救うことのできなかった人間を弔うたびに何度となく人であったならばと、悔やんできた。
 そんな思いを繰り返してきたなか、博麗の巫女の存在を知った。人間を守れる力を持つそれは、まさしく慧音が想い焦がれていた人間像だった。
 しかし、当代の巫女の無関心さを耳にしたとき、憧れは怒りに変化していたのだった。
 無言で対峙する対峙するふたりの周りは風さえも動きを止めていた。
 瞬間というには長く、永劫と言うには少なすぎる停止した時間を、再び動かしたのは霊夢の声だった。
「私は人間。だけどもう『博麗の巫女』なのよ。あなたならわかってくれると思ったんだけど」
「え?」

――あなたならわかってくれる

 今までの会話からは想像のつかない、僅かに揺らぎを感じた霊夢の言葉に思わず聞き返してしまう慧音。
 けれど次の瞬間には何事もなかったかのように元の冷たい声に戻して霊夢は言葉を続けてきた。
「博麗の巫女に人も妖も関係ない。私は幻想卿の為に動くのみ」
 慧音の嘆願とも言える問いにきっぱりと答えると、そのまま暗き竹林へ歩き出した。
「案内ありがと。もう帰っていいわよ。『人間の巫女』さん」
 すれ違いざま慧音の腕を叩いて声をかけると、振り返ることなく飛び立っていった。
「ま、待て! まだ話は」
 終わっていない。
 そう言い終わる前に慧音の視界が暗転した。
 そして戻った視界に飛び込んできたのは、見慣れた里の風景だった。
 咄嗟に状況分析を試みる慧音であったが、そのまもなく前方の空間から声がかけられた。
「空間を繋げて貴女を送り返したのよ」
 言葉に続いて空間に亀裂が入り、そこから紫が顔を出してきた。
「まだ話は終わっていないのだがな」
「あら、会話は終了していたじゃない」
 慧音の言葉に対してしれっと返す紫。その答えはこじつけでしかないが、相手が去っていった時点で言葉の違いは無くなっている。
 相手にする気もなくなった慧音は口を閉ざして空を仰いだ。ふたりと出会う前から変わらない位置に留まる偽りの月。それを見つめたまま紫を追いたてる。
「霊夢の後を追わなくていいのか? 一刻を争うんじゃなかったのか?」
「そうよ。でもすぐに追いつけるし、博麗の巫女だと言い切った分くらいは働いてもらいましょうよ」
 急ぎを肯定するわりにはゆったりとした口調で紫は言葉を紡いでいく。
「私はね、『巫女』とは何かに全てを捧げられる者を指すと思うの」
 唐突に語り出した紫の話に思わず慧音は視線を移した。その顔には一切の邪気のない微笑みが浮かんでいた。
「貴女と霊夢はそっくりね」
「な……何を言い出すかと思えば。あっちは人間、こっちは人妖どっちつかずな半獣。何処が同じなんだ?」
 突拍子もない言葉を慧音は一笑に付する。だが紫は笑みを絶やさぬまま言葉を続けていく。
「貴女は何故人間の巫女がわりをしているの?」
 慧音の眉間を手に持つ扇子でぴたりと指し示しながら紫は問いを投げかける。
「人間が好きだからだ。そして人間の巫女がその役目を果たさないから代役を買って出ている」
「そして貴女は、人間を守り妖怪を退けてきた。人間に拒絶される可能性を承知で、逃げ場である妖怪の世界を捨ててまで」
「そうだ」
 少しの間も開けずに返ってきた答えに頷いた紫は、掲げた扇子を慧音に向けたままゆっくりと下ろしていく。
 そして胸元を指してその動きを再び止めた。
「己の妖怪としての性さえ律して全てを捧げてきたその結果、貴女が愛する人間は現在も繁栄を続けているわね。では、例えば愛した対象がこの幻想卿そのものだったとしたら、貴女はどんな行動を取るのかしら?」
「歴史に『もしも』は無いが、あくまで仮定としてならば、私が私である以上は対象が変わるだけで行動自体は変わらないだろう」
「そう、変わらないわよね。貴女は幻想卿を守る為に尽力するでしょう。それならば」
 とん、と扇子で慧音の胸元を突いて、紫は新たな質問を出した。
「幻想卿が崩壊する原因には何があるかしら? そして何をすべきかしら?」
 紫の言葉に少しだけ考えてから、慧音は口を開いた。
「人妖のバランスの崩壊だ。人間が強くなっても妖怪が強くなっても、幻想卿という天秤は釣り合いを無くし……あっ!」
 話を中断させて上がった慧音の声に、満面の笑みを浮かべる紫。そして慧音の言葉を引き継ぐ。
「神のいない幻想卿にたったひとつの神社が祭るのは幻想卿そのもの。巫女となった者は、貴女と同じように全てを捧げて幻想卿の為に尽力するでしょう。それこそ同種を捨ててまでも、ね」
 紫が紡いだ言葉に大きく頷く慧音。
 霊夢が残した言葉。紫が紡いだ言葉。それらが慧音の中でひとつに繋がった今、霊夢に対するわだかまりは完全に消えていた。そして同時に感情にまかせて霊夢に当たった行動に反省する。
「霊夢に謝罪したい。事が済んだら里に寄るよう伝えてくれないか。熱いお茶を淹れて待っている、と」
 慧音の申し出を受理した紫は、そろそろ行くわねと別れを告げて空間に亀裂を作る。その背にもう一言言葉がかけられた。
「何故私に話しかけてきたのだ? 霊夢本人ならともかく、時間を割いてまで私に付き合うことは、おまえには何の利をもたらすとも思えないのだが」
 その疑問に紫は含み笑いを返した。
「ふふふ、私はあらゆる境界を操る能力を持っている。そしてあなた達よりもずっと長く幻想卿の境に住まう者よ。後は自分で考えなさいな」
 答えと言うよりは謎かけという内容の言葉を残して紫は去った。
 その解を慧音は難なく解けるだろうと感じた。けれどあえて解こうとも思わなかった。
 偽りの月が引き起こした大妖怪の気まぐれ。それが一番適切な解。それ以上今夜に相応しい答えは無いだろう。
 そこで思考を止める。そして未だ動かぬ月を眺めながら、今度は霊夢に淹れる茶葉の選定に思考を巡らせたのだった。

 それからしばらくした後、静止していた月が遅れを取り戻すような速度で動き出し、程なくして夜が明けたのだった。
 朝日を確認して家に戻った慧音が茶の用意をして外へ出たところに霊夢がやってきた。紫とはその場で別れたとのこと。
 慧音は早速茶を淹れ、そして霊夢にわびる。霊夢は一言『気にしないで』と言って、手打ちにした。
 それ以降その話には一言も触れることは無かったが、せめてもの気持ちとして慧音は博麗神社に茶を入れに行くようになったのだ。





 あれからひとつ月が進んだ。
 その間異変というほどの出来事は全くと言って起きなかった。いわゆる日常という時間が流れてた。
 あの紅白の巫女はこの緩やかな時間を、暇だとぼやきながら楽しんでいるのだろうか。それとも些細な事件をも逃さず解決する為に空を飛び回っているのだろうか。
 慧音の身体を再び風が薙いでいく。その風に手に持つ紅葉を乗せて飛ばした。
 再び自由を取り戻した紅き葉は、ひらひらと蒼き空へと舞い上がっていった。
 身を揺らしながら風に運ばれるその姿は、慧音には一羽の蝶に見えた。

「山紅葉、神無の空に、舞いし蝶……か」

 季節はずれに飛ぶその蝶は、気まぐれに別の誰かに幻想卿の秋を告げるのだろう。
 巡る季節を妨げることのない様、たとえひとりはぐれてでも。
 空を行くもう一羽の二色蝶の様に。
「明日あたり、これを持って行ってみようか」
 賽銭すらない神社には、奉納品などある訳ないだろうなと慧音は想像する。ならば自分くらいは神社に参拝しようと思った。豊作祈願も巫女の仕事なのだから。
 包みをもう一度確認して慧音は家路を歩き出す。
 もう一度見上げた空にはもう紅葉は見えなくなっていた。
 空を飛ぶ幻想卿の巫女、博麗霊夢。
 地を歩く人間の巫女、上白沢慧音。
 異なる種でありながら同質であるふたり。
 そしてふたりを見守るまよひがの巫女。
 もしかしたら霊夢のココロを理解出来るのは、同じ道を選んだ者だけなのかも。
美鈴まさき
http://www.h5.dion.ne.jp/~magical/
作品情報
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最新
投稿日時:
2005/10/19 08:55:04
更新日時:
2005/10/21 23:55:04
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1. 5 匿名 ■2005/10/20 00:49:00
うーん、いまいち「紅葉」って感じがしなかったです。
2. 4 おやつ ■2005/10/21 23:30:27
霊夢が口にした人間と、慧音が口にした人間。
同じ言葉でも、そこにある意味は全く違うんでしょうね。
こういう考えられる話は大好きです。
3. 6 papa ■2005/10/22 14:43:57
博麗の巫女だからこその宿命か。
もし霊夢が博麗の巫女じゃなかったら、慧音と同じ道を歩んで・・・
いや、そうであったとしても、彼女はのんびりお茶飲んでそうですね。
4. 7 ■2005/10/22 22:40:47
読んだ感想は点数に。こういうのもいいなぁ。
だが、ここはあえて作品の雰囲気にそぐわないHなコメントを(ヤメロ

みこみこれーm
5. 3 一之瀬翔弥 ■2005/10/23 00:22:34
ストーリー的に手が込んでいる印象が。
反面、長さは短い。
巧みの技ですね…。
6. 7 MIM.E ■2005/10/23 15:45:41
少し考えさせる物語でした。
霊夢もこの慧音のように時に葛藤する事があるのでしょうか?
7. 6 Tomo ■2005/10/24 11:15:56
霊夢と慧音の組み合わせに、物語のテーマが上手く反映されていて、終始面白く読ませて頂きました。(開始直後、僕の投稿作品がリンク先を占領してたみたいですみませんでした)
8. 5 藤村りゅ ■2005/10/24 15:56:45
 個人的に、慧音はもっと凛として欲しいなあ、という感じです。少なくとも人間よりは。
 立ち位置としては妖夢と似た感じなので、迷いがあってナンボなのでしょうけど。
 慧音が子どもっぽいというか、分かってほしいところを分かっていないとは思いました。
 それは霊夢が感じたのと同じようなものかもしれませんが。
9. 4 床間たろひ ■2005/10/25 00:18:02
多分、すでにツッコミ済みかもしれないけど……幻想『郷』ですよー
俺も昔、同じミスやったし。

それはそれとして、霊夢と慧音の対比。中々興味深かったです。
10. 4 木村圭 ■2005/10/25 21:39:51
自分で巫女となることを選んだ慧音と(多分)そう運命付けられていた霊夢。
在り方は同じでも、心の中は違うんじゃないかと思ったりしました。
好き勝手に舞っているように見える紅葉も、実際は風に縛られて自由なんて少ない。なるほど、霊夢にぴったりだ。
11. 3 世界爺 ■2005/10/26 01:00:23
申し訳ないが冒頭の慧音の性格や振る舞いに違和感を感じまくってしまった……。
最初、霊夢に怒りを覚える理由付けが乏しいように思えます。
幻想郷の歴史に携わり、その危うさも知っているのだったら、霊夢があえて人の側に立たず、
中庸であることは必然である、と慧音は判断するのでは。これは主観に過ぎませんが。

いやまあ、妖怪と遊んでばっかりのところは怒って当然でしょうけど(笑

しかしそれ以外、慧音と霊夢の対比や役割に関する考察、紅葉の使い方などは素晴らしいと感じました。
12. 8 ■2005/10/27 23:36:41
なるほど、こういう点で対照的な三人なのかも知れませんね。意外な取り合わせでした。
13. 8 ■2005/10/27 23:43:30
なるほど。すごく納得させられました。
よく見てらっしゃいますね。
東方の世界観を語るのにこれ以上のよい例はないのではないでしょうか。
14. 5 風雅 ■2005/10/28 14:35:48
霊夢の何者にも縛られない姿勢がよく描かれていると思います。
慧音の思想・行動原理と対比すると尚更ですね。
でも紫の立ち位置がちょっと分かりづらいかも。
15. 6 K.M ■2005/10/28 16:35:52
彼女らの 護りしものは 違えども 選んだ道は 同じベクトル
幻想卿に生きる巫女達に幸あれ・・・って、字に少し違和感が・・・惜しい
16. 6 名無しでごめん ■2005/10/28 20:42:14
作者様なりの巫女というものに対する考察が面白かったです。
慧音の人間に対する愛情は何処から来るんでしょうね。
半人ってだけだと弱い気もしますし。(半霊も居ますしね。)
17. 4 七死 ■2005/10/28 22:15:51
地の文の説明がちょっと長いのが残念。
紅葉もまた扱いが弱いです。
弾幕戦にも迫力はあるのですが、やっぱりすこし詰めすぎ感はぬぐえません。
18. 7 弥生月文 ■2005/10/28 23:22:19
 
19. 7 SSを書きなぐる程度の能力 ■2005/10/28 23:58:57
人を護る事と世界を守る事は同じではない。それが妖住まう幻想郷ならなおの事。
永夜抄のフレームに沿いつつも独自の解釈を加えた一品、堪能させていただきました。
お題とのつながりが少し弱いのが唯一の難点でしょうか。
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