青い顔

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/22 02:53:20 更新日時: 2006/03/24 17:53:20 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00

 私の目に光が当たった。それは窓から入る太陽の光のようにさっぱりとしたものではなく、室内の一角から私の顔にへばりついてきた。窓から入った光が反射しているのだ。
 振り向くと、師匠が廊下と調剤室を隔てている襖の所に設けられた上がり段に腰掛け、昼下がりに窓から入ってくる陽の光に液体の入ったビーカーをかざしていた。
 私は閻魔にぴしゃりとやられてからあまり弾幕ごっこをする気にもなれず、こうして師匠と調剤室に篭ることが多くなっている。変な新聞屋が来たときは、うざったらしく思えたものだ。
 師匠は、ううだとかむうだとか、何事か唸ってはマドラーでビーカーの中身を掻き混ぜる。窓の傍で試験管などの片付けをしていた私が師匠の様子を窺うと、師匠は口元を吊り上げた。笑っているとも、悔しがっているとも取れる。
 どうかしたのですかと訊けないでいる間に、師匠は一気にビーカーの中身を飲み干してしまった。
 口一杯に液体を含んだために、師匠は栗鼠のように頬を膨らませている。そのまま数秒の静寂があった後、今度は口の中を濯ぎ始めた。瞳は右に寄って止まったかと思うと、左に動く。時折、私と師匠の目が合うこともあるが、また動く。この間、口は動き続けている。
 人間洗濯機である。それも、かなりのポンコツだ。
 そのポンコツはかなり無理をしていたらしく、じきにぶっ壊れた。
 師匠が盛大に口の中の液体を土間造りの床に吐き捨てたのである。師匠が咳き込む段になってようやく、私は師匠に近付いた。もちろん、液体が撒かれた場所は避けさせてもらった。
 私が差し出した手拭を師匠は口に当てながら、もう片方の手で首の後ろの辺りを手の平で打ち付けている。それも終わると、大きな溜息を吐いてから呟いた。
「不味い」
 口に含んだ瞬間にわかっても良さそうなことだ。師匠は用済みになった手拭を汚らしそうに眺めると、あろうことかそれを私の顔に向けて放り投げた。
 まったく、汚らしい。師匠としては全面的に尊敬しているが、それ以外では首を傾げたくなる部分も多い。私は顔にへばり付いた手拭を洗濯籠に放り込み、部屋の隅に置かれた甕の水で顔を洗った。
 顔を拭き終えて師匠を見ると、師匠は閉めておいた窓を開けて外の様子を眺めていた。春先特有の、くすんだ臭いが鼻に付く。師匠はそれを楽しんでいるようだった。
「ウドンゲ。酒を持ってきなさい」
「時間が早いのではありませんか」
 まだ三時にもなっていない。師匠に限って悪酔いというものは無いのだが、体裁というものはある。もっとも、それも弟子としての私、鈴仙・優曇華院・因幡が他の者に低く見られるのではないかという、卑しい算段があってこそ機能する体裁ではある。
 師匠が窓から振り返る。心持ち垂れた目尻に瞳が引っ掛かっている。そこに窓からの光が斜めに当たり、眼光は鋭く見えた。私は心の内が見透かされたような気がして、酒がある勝手場に走り去った。


 勝手場の奥にある蔵は伏魔殿だった。
 いつ作ったのだか知れない梅酒。調味用の日本酒。てゐがどこからかかっぱらってきたらしい瓶ビールはケースに詰まっていて、その隣では見たことも無い植物を浸けた瓶があった。
 私は呼吸を整えながらどれが良いかと考え、最も差し障りの無さそうな瓶ビールと栓抜き、それにグラスを一つだけ盆に置き、調剤室に戻った。
 途中の廊下を歩いていると、襖を少しだけ開けてこちらを見る兎がいた。彼女は私と目が合うと、勢い良く襖を閉めてしまった。大方、勝手場に走り去った私を不審に思って待ち構えていたのだろう。
 結局、自分を貶めるのはいつだって自分しかいないわけだ。
 達観した気持ちになれた私は、足の運びも軽いままに調剤室に着くことができた。師匠は上がり段の端に座っていたから、私は反対側の端に座り、二人の間に盆を置いた。
 師匠がグラスを手に取っている間に、手早くビールの栓を抜いた。グラスに注ぐと、師匠は目線の高さにグラスを上げて、先程と同じように液体を眺めている。私がその様子を見ていることに師匠は気付くと、ごくごくという音を立てて飲み干した。
「酒は百薬の長、という言葉があるわ」
「はあ」
 二杯目を注ぎながら、師匠の言葉に聞き耳を立てる。
 百薬どころか万薬ぐらい作っていそうな人の言葉とも思えないが、だからこそ浮かぶ感慨というものもあるのだろうか。師匠は、一口飲んではグラスを口から離し、その度に話を続けた。
「一方で、薬と一緒に酒を飲むと、逆効果になる。これは酒そのものに薬としての傾向が強いからよ」
「風邪薬と胃薬を一緒に飲んでも逆効果になるのと一緒ですか」
「まあ、そんなところかしらね。それに、私は酔わないでしょう?」
 確かに酔わない。正確に言えば、酔えない。一時的に酔うようなことはあるらしいのだが、すぐに素面になってしまう。師匠自身の言によれば、蓬莱の薬による不死体質がそもそもの原因らしい。
 いくら飲んでも酔わないというのは、世の酒好きにしてみれば願ったり叶ったりなのだろうが、酔わない酒というのは既に酒ではない。味の付いた水でしかない。
 不死というのも似たようなもので、なったらなったで意味が無いことに気付くのだという。
「薬は毒でもあるの。体に影響するわけだから、当然よね。そうそう、地上の酸素だって毒だわ。あなたも地上に下りてきたとき、気分が悪かったでしょう? 月の住人が地上を見下すのも当然ってところかしら」
「師匠、酔ってます?」
 前にも似たようなことを聞いた気がした私は、つい口を挟んでしまった。
「酔ってないわよ。全然。酔ってたらこんな話しないわよ」
 どう聞いても酔っ払いの戯言なのだから、ややこしい話である。
「だから、私が酔わないってことは、酒が薬ってことよ。わかる?」
「それはわかりましたが、百薬の長というのは……現に師匠は色々な薬を作っているじゃないですか。ああいったものも酒には敵わないということになりますよ」
「薬は続けてこそ意味があるのよ。酒ほど、飽きられずに飲まれるものは無いわ。そう考えると、知的生物にとっての病で最も深刻なのは『飽き』なのしら。ねえ?」
 全然、こちらの話を聞いていない。
 いや、待てよ。
 それはいつものことではないか。
 私が話したことを思い出したように口にすることはあるから、聞いてはいるのだろう。ただし、その場では本当なんだか大法螺なんだかわからないことを口にされる。それを信じて私が駆けずり回り、毒だとまで言われた酸素をたっぷり吸い込んで帰ると、ウドンゲは未熟ねぇとくる。
 口をへの字に曲げて様々なことを思い出していると、師匠は何を思ったか、酒を勧めてきた。
「嫌なことがあるなら、飲みなさい」
「それこそ嫌ですよぉ。私は酒が得意じゃないんです。師匠だって知ってるじゃないですか」
「焦らなくても良いわ。じっくりと馴らせば良いんだから。さあ、飲みなさい」
 口調は優しいが、目は座っていて、怖い。
 大分前のことだが、私が酒を固辞した結果、私の長い耳を引っ掴んで『飲まないと引き千切るわよ』と凄まれた。涙目になってなんとか一杯空けると『涙を流して飲むなんて』と感激し、更に酒を注がれた。
 そのときの師匠の顔は、赤鬼のようだった。
「嘘だ! 師匠が酒に酔わないなんて嘘だ!」
 感極まった私は、つい叫んでしまった。なんせ、あの恐ろしい光景が頭の中を百鬼夜行よろしく行進していたのである。
 それにしても、師匠を嘘吐き呼ばわりしてしまった。きっと、私が今までに見たことも無いような形相になっていることだろう。
 私が恐る恐る師匠を見遣ると、師匠は目を丸くしてこちらを見ながら、とっくに空になったグラスを何度も口に傾けている。動揺しているのだろうか。
 私はグラスを傾けては元に戻すということを繰り返している師匠の腕を掴むと、すみませんと告げた。謝るなら、今の内が良いと思ったからだ。
 それが良くなかった。――のだと思う。
 師匠は私の口に瓶ビールの先を突っ込むと、私の意識が無くなるまで飲ませ続けた。
 そのときの師匠の顔は切なげで……どうしてか、私には青鬼のようだと思えた。


  ******

 私が目を覚ましたのは、見覚えの無い部屋に敷かれた布団でだった。というのも、その部屋は永遠亭にある部屋のどれよりも狭かったのだ。それでも八畳ほどはある板の間だった。
 朝方なのだろう。天井近くに穿たれた小さな窓には、何本か柵がしてある。そこからは白み始めた空が覗いていた。
 服は寝間着に着替えさせられており、枕元には私が気に入っている組み合わせで普段着が置いてあった。その畳み方は私のものではない。師匠がしてくれたことだろうか。それならば私の部屋に寝かせれば済む話だ。
 手が込みすぎている。いったい、どうなっているんだ。
「うあ、ああ」
 考えを深めようとすると、頭が酷く痛む。
 落ち着こうと思い深呼吸をすると、余計に痛んだ。
 そうだ、酸素は毒なんだ。
 酒も毒だ。薬なんかじゃあ無い。
 違う、そうじゃない。本当に毒なのは。――
 何を否定したいのかわからなくなり始めたとき、呻き声を聞きつけたらしい誰かが、部屋の襖を開けた。その人物の背後に明かりは無く、格好も寝間着だった。
 師匠ではない。姫様でもない。てゐですらない。しかし、見覚えはある。
 何度か、永遠亭のある竹林の中で見たことがある。恐らく、向こうも。
 彼女は襖を開けたままにしてどたどたと走り去ると、また戻ってきた。水を持ってきてくれたのだ。私がそれを受け取ると、相手は布団の横に腰掛けた。そうしてようやく、窓からの薄明かりで顔が判然とした。
 竹林からそう遠くない場所に庵を構えている、上白沢慧音だった。彼女は姫様の喧嘩相手である藤原妹紅のことを気にかけているらしいが、師匠とは交流があった。とすると、ここは彼女の庵なのだろうか。だとしたら、どうしてここに私が運ばれたのだろう。
 とにかく、先ずは水だった。私は慎重に水を飲み始めた。舌から喉へと冷たい水が伝っていくのがわかる。弱っている証拠だ。私は優に数分もの時間をかけてゆっくりと水を飲み干すと、馳走の礼を言ってコップを慧音に返した。
「その様子では、何がなんだかわからないだろう?」
 どこか楽しげな声音だった。
「仔細は君の御師匠様との約束で話せないんだが……とりあえず、ここは私の家だ」
 聞きたいのはそんなことじゃない。私は不満を顕わにしていたようで、慧音はすまなさそうに目を一度伏せてから、照れ笑いを浮かべた。
「君の聞きたいだろう事柄は全て話せないんだ」
「そうですか」
「邪険にするな。こうして床を貸してやっているのだからな」
 私が頼んだわけじゃない。そう言ってやりたかったが、師匠が頼んだことらしいから、変に逆らうこともできない。私が黙っているのを見た慧音は、朝飯は食えるか、着替えは幾つか預かっているからといったことを言ってから、立ち上がった。
 彼女は部屋を出て、襖を閉めようとした。
 私は急に心細くなって、声を上げた。
「師匠は!」
「ん」
 大声を咎めるような視線だった。私は自身の不覚に低く唸ると、声を落とした。
「師匠から私に、何か無いの?」
「ああ、そういえば」
 落ち着いたら帰ってきなさい。あなたには仕事があるのよ。あの材料はもう揃えてあるの?
 どれでもいいから、日常に戻れる言葉が欲しかった。
「しばらくはこちらのことを気にしなくて良い……だとさ」
 言った途端、襖が閉められる。それでも私は、慧音がつい先程まで立っていた場所を見つめていた。
 ふと、視線を感じた。振り返り、窓を見上げる。
 急に顔を上げた聖で、頭が痛む。
 まだ毒が残っている。
 毒……何が毒だったろうか。
 窓の柵が鬼の角に見えたとき、私は意識を失った。


  ******

 私が次に目を覚ましたとき、陽はとっくに高くなっていた。それでも慧音は朝食を用意してくれて、実は私もまだなんだと苦笑いしながら食卓に座った。
 頭は重かったが、頭痛は無くなっていた。卓には鱒の切り身と浅蜊で出汁をとった味噌汁の二品があり、食は思ったよりも進んだ。
「それだけ食べられれば、大丈夫だな」
 二杯目の御飯を盛ってもらったところで、慧音が言った。
「普段は野菜や山菜ばかりですから」
 慧音は納得したが、実際は私の体調によるところが大きい。朝方に目が覚めたときは頭だけでなく胃も気持ち悪かったのだが、それが引けてみると食欲が湧いた。
 粗方の食事が終わって茶を飲んでいると、慧音の視線に気付く。それは私の顔ではなく、頭の上辺りを見ていた。そこには私の兎耳がある。
「元気なのは結構だが、それはまずいな」
 寝過ぎた所為で変な癖でも付いてしまったのだろうかと触ってみたが、そんなことは無さそうだった。
 慧音は空になった食器をそのままにして立ち上がり、奥の部屋の襖を開けて、そこで箪笥を漁り始める。手持ち無沙汰だった私が食器を重ねていると、後ろから声がかかった。
「じっとしていろ」
 髪を梳いてくれるのだろうか。半ば緊張、半ば期待といった具合でいると、頭を小突かれた。
「耳をじっとさせろ、耳を」
 知らぬまに動き回っていたらしい。私は背中に力を入れた。こうすると耳は落ち着くのだった。目を閉じようかとも思ったが、却って耳が動いてしまいそうだったので止めた。代わりに、湯飲みから立ち昇る湯気を見ていることにした。
 変な儀式はすぐに終わった。慧音がまた、頭を小突く。こんという風ではなく、ぽふという柔らかい感触だった。抜け目無く差し出された鏡を見ると、頭には白い頭巾が巻かれていた。なかなか器用なもので、長い耳がすっぽりと納まっている。それでいて頭巾の後ろ側にはゆとりがあり、耳が痛いということも無いのだから恐れ入る。
「これはまたなんとも、見事なもので」
「昔、凝っていた時期があってな」
「頭を隠すことに?」
「ああ……全て無駄だったが」
 いったい、頭の何を隠そうとしていたのだろうか。隠すという単語から楽しげな妄想に走りかけたとき、肝心なことを思い出した。
「あなたも師匠も、私に何を隠しているんですか」
「ふうんむ、そんなに知りたいか」
 これは脈がありそうだ。
「もちろん」
 私は真っ直ぐに慧音の目を見つめる。ここで押し切らなければ、ずっとはぐらかされてしまう気がするから、正念場である。
「ところでこの頭巾、どうやって巻いたかわかるか」
「え?」
 唐突に話題を元に戻されて、つい手鏡を見てしまう。言われてみれば、確かに見事な巻き方だ。これを自分でやろうとしても無理そうである。巻き方にばかり気が行きがちだが、その丁寧さも素晴らしい。角が立つべきところはきちんと立たせ、野暮ったくなりがちな頭巾がファッションの域に達している。どこか一つでも間違えばこの形には成り得ないだろう。
 そんなものが私の頭に巻かれている。これは感動と共に、不安を覚えさせた。
「これは埃及国の書物に記された木乃伊の処置方法の一つである『ズッキン・マイターラ』を私が独自の解釈で再現し、頭巾として完成させたものだ。これに感銘を受けた寿々喜多呂九平という人間は後に紫頭巾という傑作の脚本を完成させている。それ程のものだ。当然、簡単なようでいて至極難しい。それもそのはずで、頭巾といったら普通は髪の上に巻くだけだが、これは髪の毛、いやさ頭と一体になっている。――つまり!」
「つ、つまり?」
「これを強引に取った場合、髪は一本も残らず抜け落ち、顔はこけ、鼻は削げ、鼻毛と睫毛が入れ替わるという恐ろしい事態になるのだ!」
 鼻毛と睫毛が入れ替わるなんて、想像もできない。入れ替わっても気付かないのだが、そこがまた恐ろしい。私は今、大変なものを頭に巻いている……これでは迂闊に逆らうことなどできない。
 私が恐怖に打ちひしがれていると、慧音は笑う。
「事が済めば私がちゃんと取ってやる。それに、こうでもしないとお前の立派な耳は隠せないのだ」
「耳を隠さないと駄目なことなんですか」
「そうだ。君にはこれから、里で人間の相手をしてもらう」
「相手というと、どんな……」
「医者だ。春先は調子を悪くする者が多く出てくるからな。今までは君の御師匠様や外からの仕入れをやっている店から薬をもらっていたが、いかんせん、懐に響く。それに医者がいれば、里の者も自分で健康を保とうという気にもなるだろうしな」
「そんなことを突然言われても、困ります」
「何もずっとやってくれというわけじゃない。健康の大切さを連中にわからせてくれれば良い。病気にしたって、素直に養生さえすれば治るようなものばかりなのだ」
「里の人は養生しないんですか?」
「しないしない」
 手まで振って、目一杯に否定する。
「ゲロを吐きながらでも妖怪退治に出かけたり、食べ物の狩りに出たりする始末だ。どうもここら辺の人間は血の気ばかりが多くて困る」
 そんな連中の相手をするなんて無茶である。手加減抜きなら人間ごとき、と思う者もいるかもしれないが、幻想郷にいる人間はしぶとい。妖怪天国と化している所にわざわざ住み続けているような連中なのだから当然のことではある。
 例えば。慧音が食卓の周りを歩きながら語り始める。
「川に河童が出たとしよう。普通なら『あの川には近づくな』とでも言うのだが、ここの人間は喜び勇んで川に出る。うひひだのあひゃひゃだの喚きながら、棒で川面を叩き、魚を追い詰める要領で河童をあぶり出す。しかし相手は河童である。川岸に打ち上げられても、持ち前の怪力で人間を千切っては投げ千切っては投げ。これで引き下がるような者は一人もいない。仲間が持ち上げられた隙に飛び蹴りをかまし、投げられた仲間を河童に投げ返し、川原の石で河童の皿を打ち砕くのだ」
 慧音は他にも、殺された仲間の遺体を餌にして妖怪をおびき出す話や、飢えて里に出てしまった妖怪に慈悲の欠片も見せずに鞭を振るい、挙句の果てにその妖怪の肉を食うといった話を語った。
 どれも恐ろしい話である。そんな連中の相手をすることにますます抵抗を感じ始める。
「そんな人達なら、医者なんていらないんじゃないですか」
「逆だ。そんな者達だからこそ医者がいるのだ。外にばかり目を向けるのではなく、日々の生活を見直させることこそ肝要なのだ。基本的には素直な者達だから、偉い御医者先生だということにしておけば、ちゃんと話は聞いてくれるだろう」
「なら、あなたがやれば良いじゃないですか」
「それがそうもいかないんだ。定期的に会合を開いて説教をしたり、具体的にこうこうこうしろという話をしたりもするが、こうなってくるとあくまでも御意見番としてしか機能しなくなってな。それに、私は人間が好きだ。あの者達の気持ちはよくわかる。故に、あまり無茶なことを言えないというわけだ」
「そこで部外者の偉い御医者先生の登場というわけですね」
 慧音は大きく頷くと、やっと腰を落ち着けた。
「幸い、君は耳と目以外は人間と変わらない。耳は隠したし、目だって君が意識しなければ無害だろ?」
「ええ、まあ。よくご存知で」
「君を預かるに当たって、君の御師匠様には色々と訊かせてもらったからな」
 色々と、という部分が妙に引っ掛かる。師匠のことだから、言わなくても良さそうなことは言わないでおいてくれただろうが、何だか居心地が悪い。
「里には私一人で行くのですか」
「ちょうど昼食会を兼ねて里で寄り合いがある。そのときに君を紹介させてもらうが、後は君一人で用意した家に住んでもらうことになる」
 そういうことなら問題は無い。慧音と師匠がどんな企みを持っているのかわからない以上、しばらくは一人で過ごしたかった。
「焦らなくて良い。焦らなくて、な」
 深刻そうにしている私を慧音が諌める。
「焦ってなんかいませんよ」
「そうか」
 それっきり、慧音は黙った。
 どうして彼女が私に焦りを感じたのかわからない。私が焦らなければならない必要なんてどこにも無いのだ。師匠の気紛れはたまにあることだったし、私がそれに付き合わされることも多い。それも勉強だと私は思っている。
 だから私は、これも勉強なのだと思うことにした。


  ******

 里での昼食会は恙無く終わった。というより、誰も私を気にしていなかった。誰が持ち込んだのか知らないが、酒が出た途端に歯止めが効かなくなったのだ。慧音は一度も咎めなかったから、いつものことなのだろう。
 誰も彼も近くの山の峠に妖怪が出るという話ばかりで、どうやってやっつけたものかと気合が入っていた。
『この妖怪めは生意気にも得物を使う。気付いたときには満身創痍、逃げ出すこともできずに念仏を唱えていると、嘲笑って消え失せる』
 講談めいた口調と仕草でさあさあどうしてくれようぞと問う者が出てくると、腰の物を触る者や拳を鳴らす者は知れたことよと杯を空けていた。
「妖怪のことは放っておいて良かったのですか」
 寄合所から件の家に案内される道すがら、思っていたことを慧音に訊ねる。彼女はその場でこそ答えなかったが、昼間は男達の女房や子供の天下となっている長屋を通り過ぎた所で足を止めた。
「ああなると止められん。それに、喧嘩を売ってきたのはその妖怪のようだからな」
 止める必要も無いということか。私が納得していると、慧音はちらりと来た道を振り返り、再び前を向いて歩き始めた。


 里の外れ近くにある小さな庵に着いたときには、陽が傾き始めていた。玄関先は狭いながらも前庭の体裁が整えられていて、花瓶に植えられたボケが赤い蕾を付けていた。
「ここは私の別宅だ。診療には十分だろう」
 そういえば、寄り合いの席でも別宅のことについて触れていた。何かあればそこに行けという意味だったのだろう。ということは、このボケの花は慧音が育てたことになる。他にもサカキの葉や、何かはわからないながら白みがかった葉を付けた植物が植えられていて、それを幾つか見遣った後、慧音は空を見上げた。
「春が近いな」
 私も倣って見上げたが、さっぱりわからなかった。
 庵の戸板を開けると、陽射しで温くなった室内の空気が鼻腔に触れた。玄関の中は靴を脱ぐには少し狭く、横には更に戸板があった。
「こっちは勝手場になっているんだ」
 開けるとその通りになっていて、細長い土間には人が五人ほど列を作れそうな奥行きがあった。診療をするなら、ここに椅子を置けば診察室として便利だと思えた。
 玄関を入って正面の段を上がるとすぐに十何畳ほどもある座敷になっていた。
「隣は書斎だ。寝るときはどちらでも好きな所に布団を敷いてくれ」
 書斎にある押入れには布団が入っていて、腰の高さ程度しかない小さな箪笥には簡単な着替えが何着か入っていた。
「洒落たものは無いが、これを上から着れば問題無いだろう」
 慧音は箪笥の奥にしまってあった白い外套を取り出すと、虫食いや黄ばみが無いことを確認してから私に手渡した。試しに羽織り、置いてあった鏡台を見る。頭の頭巾と相俟って、いかにも医者然とした格好になっていた。
「これでここにある物は全てだが、他に何か必要な物はあるか」
 と言われても、薬を処方するにしても設備が無さ過ぎるし、整えるにしても時間と手間がかかり過ぎる。やれることといえば、患者に合わせた相談ぐらいだろう。慧音の話によればそれで十分であるとのことだったし、私は日々の食事に必要な材料だけ頼んで、慧音には帰ってもらった。

 それから一時間が過ぎた。一人になった最初こそ気合を入れて勝手場に椅子を置いたり、箒で埃を払ってみたりしたものの、今では座敷で寝転がっていた。気の抜けたこともあるが、何より疲れていた。体はまだ完全に復調していないのだ。
 しかし、何もすることが無いと気持ちばかりが空回りする。いつ永遠亭に帰れるのかという心配もあるし、師匠は怒っているだろうかと考えると、不安で堪らなかった。
 思えば、こうして一人きりになることも最近では滅多に無い。寝るときや師匠の遣いに出ているときぐらいだろう。
 寝転がっていると、窓から入る光の加減が変わって、眩しくなった。私は寝返りを打って光を避けたが、次第に窓のことが気になり始めた。
 朝方に見た鬼は、錯覚だったのだろうか。そう考えると、そうなのだろうとすぐに思った。幻想郷に鬼が出たという話は聞かないし、いたとしたら、あの博麗神社の巫女や変な魔法使いが放っておくはずがない。変な新聞屋ならば、あの厚顔無恥さでもって、鬼ぐらいとっくに写真にでも収めているかもしれない。

 もう一度寝返りを打つ。窓を見ると、人影があった。
 鬼――ではない。ただの人間の子供だった。大方、見慣れない者がこの庵に入るのを見て、何事か見張っていたのだろう。子供は私と目が合うと、脱兎の如く逃げてしまった。
 この調子だと、他にもいそうだ。そう思った私は暇潰しがてら玄関に出た。そこには、大根やキャベツといった野菜、それに袋に包んだ何合かの米が置かれていた。
 誰が置いたのだろうと考えて、あの子供しかいないことに気付く。慧音に頼まれたのだろう。私は今晩のおかずに必要な食材を見繕うと、勝手場の甕に入った水で洗い始めた。
 月でも野菜は作れるが、味に関しては地上の物に敵わない。管理が厳重なために具体的にどうやって月で作っていたのかはわからないのだが、やけに硬かったり柔らかかったりで、その分、料理の腕が物を言った。
 私の母の料理は美味しかったような覚えがある。今ではもう、よく思い出せない。
 月の兎はあまり子供を生まない。それは月という環境がそうさせたと学校で教わったが、これによって月の兎は月の兎としての誇りを持つだのなんだのという話になったので、聞くのが嫌になった。嫌になったから仔細は覚えていない。
 いよいよ月に人間が攻め入ると聞いたとき、どうしてわざわざあんな所にと思ったものだ。行きたいから行ったのだろうか。いや、行けそうだから行っただけの話なのかもしれない。
 私が逃げ出したのは、人間が本格的に月へと攻め込む前のことだ。ちょっとしたことで仲間から離れて逃げ回っている内に、戻れなくなってしまった。逃げるつもりはなかった。戻る道がわからなかっただけだ。
 ――それも、言い訳に過ぎないのかもしれない。何より、私自身の胸の疼きが証明していた。
 どこをどう通り、誰に道を聞いたものか。日付の感覚も無かった。そのときの私は、落人というよりも遭難者というべきだった。気付けば幻想郷にいて、師匠に目をかけてもらう生活が始まった。
 始まったはずなのだが、私はどうしてこんな所に一人でいるのか。大根の土を落としているのか。煮付にするなら魚が欲しいななんて思っているのか。棚の奥から鯖の缶詰が出てきて喜んだりしているのか。
 まったく情け無い。
 ああ、酒も無い。調味酒が無くて、満足な煮付が出来るものか。
 店がどこにあるかはわからない。鍋に水を張って火にかけてしまった今となっては他の料理に切り替えるのも面倒だし、癪だった。
 仕方が無いので、一度火を落とし、長屋に酒を分けてもらいに行くことにした。


 さて、帰ってきたときには大量の酒が庵に届けられていた。
 私は長屋でのことを思い出す。安普請が目に付く玄関の戸を叩くと、紙を半ば強引に結い上げた女性が出てきた。私は喉が詰まりそうになるのを我慢して、精一杯に笑顔を振り撒く。
『すいません、新しく来た医者ですが、お酒を少し分けてもらえないでしょうか』
『まあ、御医者先生! お酒ならほら、瓶ごと持っていってくださいな』
『いや、瓶でって……そんなには』
 仏頂面をして現れた女性がころころと愉快そうに顔を変えることに、私は面食らっていた。
『そう遠慮しなくていいんだよお。ああ、トメさん、こちら新しく来た御医者先生だってさあ、そう、お酒がねぇ、瓶で――』
『いや、ですから、瓶では』
『瓶じゃ足りない? そりゃそうだわねぇ、御医者さんですもの。ねえトメさん』
『まったくだあ、まったくだー』
 このトメさんは、終始『まったくだあ、まったくだー』としか言わなかったが……それはいいとしても、この里中から掻き集めた感のある酒瓶の数はどうしたことか。その光景は視覚が狂ったためのようにも感じられ、危うく、自分の目を疑うところだった。
 そのままにしておくわけにもいかないので座敷に運び込んだが、寝転がるどころか座る空間すら無くなってしまった。
 私は大根を煮詰めながら、こうなった原因について考える。
 思い当たることといえば、あのお母さんは『御医者さんですもの』と言っていた。つまり、医者と酒に何らかの相関があることになる。現にトメさんも『まったくだあ、まったくだー』と……いや、あれはいいか。
 とにかく、医者と酒に一体どんな関係があるというのか。師匠よろしく、酒を飲むために薬だ薬だと言うのならわかるが、実際に医者が薬だから酒を飲めと勧めるなんて聞いたことが無い。
 これは難問だ。姫様以外にこんな意地悪な謎かけをする者がいようとは。それにもまして私を困らせているのは、酒の始末についてだ。いくら何でも座敷を埋め尽くす量を飲み干すわけにはいかない。かといって捨てるのは勿体無いし、長屋の人の好意を無駄にしてしまう。
 とりあえずの方針として、米は炊かずに、おかずを肴にして少しずつ減らしていくことにした。それでどうしようも無くなるか、この里を去る日が来たら、長屋の方々に頭を下げて引き取ってもらえば良い。慧音に泣き付くとかいう考えは私の頭に浮かばなくなっていた。


 書斎に用意した寝床で横になったのは、月が最上段にかかる頃だった。襖一枚隔てた座敷には夥しい数の酒瓶がある。その内、今日に消費できたのは一瓶の三分の一だけ。大宴会でも開かない限り、消費し切ることはできそうにない。
 頭巾は取り方がわからないので、未だに巻いたままだ。後二日もしたら、慧音に頼み込んで取ってもらわないと、不潔なことこの上無い。
 寝床に入っても考え込んでいる自分に気付いて、嫌になりかけたときだ。がちゃがちゃと酒瓶の倒れる音がした。
「うわ、何だこりゃあ!」
「それはこっちの台詞ですよ」
 寝間着に外套を引っ掛けただけの格好で襖を開けると、上がり段の所から身を乗り出した男がいた。倒してしまった酒瓶を元に戻している。見覚えのある顔だったが、きっと寄り合いの席にいた者の一人だろう。
「ああ、先生。すまねえ、遅くに騒いじまって……」
「それはいいですけど、話があるのなら私は着替えたいので、しばらく勝手場で待っていてください。お酒は適当に飲んでもらって構いませんから」
「すいませんね、ホントウ」
 着替えを終えて酒瓶の海を越えると、男は私が言った通り勝手場で酒を飲んでいた。駆けつけ三杯といったところなのだろう。
「それで、どうかしたんですか」
「どうもこうも……これですよ」
 男は酒を満たしたグラスを掲げた。
「酒?」
「です」
 男は語った。件の妖怪は陽が落ちても現れず、他の厄介な妖怪が出る前に帰ってきた。酒を飲もうと思って探すが、どこにも無い。女房によると、御医者先生にあげてしまったという。
 なんでそんな勝手なことをしたんだと怒ってみると、春先の畑の準備を放ったらかして出かけたあんたに言われたくないと返された。
 仕方が無いので御医者先生の家に来てみたら、誤って酒瓶を倒してしまったのだという。
「ははあん、わかったわ」
「何がですかい?」
 一人で納得している私に、男が不審そうな目を向ける。
「鬼の考えていることがよ」
「はあ、鬼の……」
 私の言うことにぴんとこない男は、また酒を飲み始める。私はその様子を見ながら、この酒瓶の海を抜け出す案を練り始めていた。


  ******

 私の出した結論はこうだ。
 慧音は常日頃から、血気に逸りがちな男連中に手を焼いていた。女衆から相談を受けたりもしていただろう。
 しかし、自分が言って聞かせるわけにはいかない。なぜなら、自分が妖怪退治にばかりうつつをぬかすなと言ったら、最悪の場合『妖怪の味方をするのか』と誤解を受けてしまう。その程度のことを予想できない慧音ではないだろう。
 一計を講じた慧音は、医者役の者を探し始めたに違いない。あるいは、師匠に愚痴った折、師匠から妙案を提示したのか。どちらにせよ、この私に白羽の矢が立った経緯はこんな所だろう。
 当然、事が動き始めれば酒を隠された男達は黙っていないのだが、御医者先生のためだとか、御医者先生に言われたことだとか反論されれば、どうしようも無い。酒が無くては景気を付けることもできないし、祝杯を挙げることもできない。そこに慧音が仲裁に現れ、男達に反省を促せば良い。
 妖怪退治が全く無くなるまでは無理でも、何かに付けて出かけるということは控えるようになるだろう。
 私は自分の推理力に満足したが、一つだけ解せないことがあった。それは、この計画がいつ頃に立てられたものだったかということだ。
 私が記憶している限りでは、師匠はここ二ヵ月ばかりは遠くに行くようなことは無かった。雪の降る中、わざわざ出ることもない。そう言っては、私に手伝わせて薬を作っていた。
 あの男達のことだから、冬の間も妖怪退治に出ていただろうことは容易に想像できる。冬にしか現れない妖怪もいるからだ。そうなると雪山などにも踏み入ることだろうし、慧音は歯噛みするような気持ちだったろう。
 この計画を実行するのであれば、早ければ早い程良いはずなのだ。それなのに師匠は二ヵ月近くも放置していた。いつもの気紛れだといえばそうなのかもしれないが、あれでいてなかなか思慮深い方だ。
 もっとも、これについては早い所ここを抜け出し、師匠に問い質せば済む話だ。
 私は自分の思考に見切りを付けると、書斎から出た。そこでは、男達が酒瓶片手にわいのわいのと宴会を繰り広げていて、私の姿を見るや、先生もどうぞと杯を遣す。この三日間、夜になると男達は家を抜け出し、こうして私の所で宴会をやっている。
 そろそろ女衆も勘付いた頃だろう。彼女らが乗り込んできたら、そのどさくさに紛れて逃げれば良い。後は慧音が何とかするに違い無いのだ。
「頼もう!」
 外から威勢の良い女の声が聞こえる。ほらきた。私は杯を空けて庵から出た。
 そこには、青鬼――もとい、青い頭巾を被った女性が立っていた。
 すっぽりと顔を隠した青い頭巾の後ろからは長い銀髪が垂れ、服も青一色。片手には弓を持ち……と、どうも見覚えのある特徴が混ざっている。
「師匠?」
「貴様のような白頭巾に師匠などと呼ばれる筋合いは無い!」
「し、白頭巾……」
 それなら師匠にも言われたくない。とにかく、話を。そう思ってまごまごしている間に、家の中にいた者達が出てきてしまった。
「どうしました、先生ぇ!」
「おう、こいつぁ!」
「ああ、間違いねぇ!」
 あれれ、皆さん、お知り合いですか。私が戸惑っていると、傍にいた小兵太(トメの旦那)が私に耳打ちした。とても酒臭い。
「こいつが例の峠に出るっていう妖怪ですぜ」
 なんということか。私はすっかり呆れてしまったのだが、師匠は茶番を続ける気満々らしく、弓の弦を引いては放し、びいんびいんという音を立てていた。威嚇行動である。
「妖怪に仇なす不届き者め、この青頭巾が懲らしめてくれよう」
 青頭巾とはまたなんともわかり易い。一方の男達の反応も実にわかり易いものだった。
「俺達が楽しくやってる所に乗り込んでくるとは、良い度胸じゃねぇか。おう、お前らぁ、やっちまえ!」
「おおう!」
 これではどちらが悪役なのだかわかったものではない。私が止める間も無く、男達は一斉に師匠、いやさ、青頭巾を取り囲んだ。
「先生ぇ、こいつ、どうしてくれましょう!」
「たしかに先生ならこのボケを倒す良い案を知ってそうだ」
 頼むから喧嘩ぐらい自分達で考えて自分達でやってもらいたい。これでは私が悪の首魁みたいではないか。
 それとなく師匠の顔を窺うと、どうも笑っている様子。
 なんだか、すごく腹が立った。
「服と頭巾を引ん剥いて、里中を引き回すってのはどうかしらねぇ?」
「ああ、そいつぁ良い! 流石は先生だ!」
「まったくだあ、まったくだー!」
 小兵太が逸早く飛び掛り、それに他の者が続く。総勢、十二名。どいつもこいつも里では武闘派で通っている。こんな連中に揉みくちゃにされれば、さしもの師匠も手が出ないだろう。これで少しでも懲りてくれれば、私としても万々歳である。なんだか目的が違っているような気がするが、まあ良い。
 と、小兵太がふっ飛んだ。他の者も師匠に指一本触れられずに、弾き飛ばされた。そう簡単には勝たせてもらえないらしい。
「小兵太さん、大丈夫?」
 強かに塀に頭をぶつけた小兵太を抱き起こす。頭からは血が出ていた。
「しっかりして!」
「ま……」
「ま?」
「まったく、だ、あ」
 それっきり、小兵太が口を利くことは無かった。気絶しただけなのだが、周りの連中はそうは思わなかったらしい。
「小兵太ぁ!」
「小の字ぃいい!」
「ちくしょう、この野郎!」
 長ドスを懐から取り出し、五十六が突っ込む。その肩に、青頭巾が素早く放った矢が突き刺さり、五十六はあまりの痛さにのた打ち回る。茶番にしては度が過ぎていた。
「おう、ネエチャン。ちょいと調子に乗り過ぎじゃねえかい?」
 男達の中では年長者に当たる佐治が腰の物に手をかけ、転げ回るばかりで邪魔な五十六を足蹴にし、青頭巾の前に出た。居合いにかけては彼の右に出る者がいない。その理由は、彼が左利きだからだった。勝手が違うために立ち合おうとする者がいないのである。
 そんな佐治も無頼漢を気取るだけの腕はあったのだが、手も足も出せずに地面に崩れ落ちた。いくらなんでも飛び道具は相手が悪かったらしい。鯉口も切れずに土に塗れるのは、さぞ無念だったろう。
 いつの間にか駆けつけていた佐治の女房が彼に泣き付く。その姿を見て、他の者達はすっかり腰が引けてしまった。思っていた以上に男共は素直で、馬鹿だった。人間らしいとも言える。私は、妙に冷静だった。
 自分の顔が青ざめているのがわかる。これでは私が青頭巾だ。私は次第に、後退りを始めていた。
「また逃げるの?」
 青頭巾の言葉に、私は体が動かなくなってしまった。そのとき、頭上から声が聞こえた。
「待たれぇい!」
 集まっていた者達全員が庵の屋根を見上げる。そこには満月。そして、二本の立派な角を頭に生やした者の影があった。
 その者は屋根から飛び降りると、そのまま青頭巾の前に着地した。声や体格からして、女性だ。彼女の顔には、やはり頭巾が巻かれていた。その色は真っ赤だ。これは正に、正に、――
「私の名は赤頭巾! しからば寄って目にも見よ! 自慢の角が悪を貫く!」
 あんなのに貫かれる悪というのも、なかなかに不憫である。赤頭巾という名前も、捻っているのだか投槍なのだか察し難い。青鬼どんときたら今度は赤鬼どんときた。
 何にしても、貴重な助っ人だ。私は叫んでいた。
「頑張れ、赤頭巾!」
「おう!」
 答えるや、赤頭巾は悪に向かって真っ直ぐに角を突き立てる。彼女の登場にすっかり飲まれてしまった相手は動くこともできず、哀れにも脇腹を串刺しにされた。そして、真っ白な頭巾が赤に染まった。

 そうなのだ。私こそが悪なのだ。私こそが毒なのだ。
 皆が逃げていくのが見える。赤頭巾はどこかに行ってしまった。
 青鬼だけが、私の傍にいた。


  ******

 茶番はどこまでも茶番だった。貫かれたと思った傷は浅く、血管が切れて血だけが沢山出ていたらしい。二、三日もすると、師匠は包帯を取ってくれた。この様子だと、男連中の怪我も大したものではないのだろう。
 ここは永遠亭にある、私の自室だ。傷が痛んで目を覚ましたときには、ここで布団に寝かされていた。

 寝込んでいる間に、私は青鬼のことについて思い出していた。地上の文化に疎かった私に、師匠が赤鬼と青鬼の昔話を詠んで聞かせてくれたことがあった。詠む人や書物によって詳細が微妙に違うそうだが、人間と親しくなりたい赤鬼のために、青鬼が汚れ役を買って出るというのが大筋である。
 私はそれを聞いたとき、最後に赤鬼の下を去った青鬼はどんな表情をしていただろうかと想像した。それはとても、切なそうなものだった。
 慧音はこの昔話を基にして今回の茶番劇を仕組んだのではないだろうか。頭巾だけであれ程に手を込ませるのだから。

 てゐや姫様がからかいに訪れたときを除いて、今日は師匠と二人っきりだった。その間、師匠は事の次第を話してくれた。大筋では私の推理の通りだったが、幾つか違う点もあった。
 一つは、師匠が慧音からこの案を聞いたとき、はっきりと断ったこと。そしてそれは、半年近くも前だということ。
 もう一つは、私が男達をけしかけることは、師匠も慧音も予測していたこと。しかし、予測していたよりもずっと早かったらしい。私は知らなかったが、慧音は半獣の類らしく、赤頭巾の正体も彼女だった。
 きっと、話の終わりにはまた、未熟ねぇと言われるのだろう。
 そう思っていたら、何の言葉も無く師匠は部屋を出て行ってしまった。

 私は力が抜けてしまって、横になった。浅かったとはいえ、傷跡を触ると違和感がある。ここから血と一緒に、私の毒も抜け切ってしまえば良かったのに。そう思うと、目頭が熱くなった。
 私はいったい、どれだけの人達を裏切れば気が済むのだろう。許して欲しいわけではない。ただ、自分の本性の卑しさに気が狂いそうだった。
 じきに襖が開いた。師匠が戻ってきたのだ。私は布団の端で目元を擦ると、上体を起こした。師匠の手には盆があり、そこには湯飲みが一つだけ載っていた。
「さあ、飲みなさい」
「これは?」
「ボケの花を煎じたものよ」
 甘いながらも鋭い匂いがする。喉に入れると、じんわりと滲みていった。
「そのままでいいから聞きなさい」
 私は頷く。素直にそうすることができたのは、茶のおかげだろうか。
「戦での体験を基準にするのはお止めなさい。あれは異常なものなの。誰が裏切ってもおかしくないし、誰が誰を殺すかもわからない。誰もそれを責めることはできないの」
 師匠はそこで一度だけ縁側に目を逸らす。陽はかげっていたが、眩しそうにしていた。
「でも、償う気があるのなら……焦らずにじっくりとやりなさい。目の前の出来事に流されることもあるでしょうけど、焦っては駄目」
「しかしですね」
「毒が怖い? 自分の眼が怖い? それとも酒が? 本性かしらね」
 私の頭に浮かんだ途端、それは師匠の言葉になった。私がまた黙ると、師匠は続けた。その口調は焦っているようにも取れ、なんだか不思議だった。
「あなたが焦る必要なんか無いの。沢山の毒を吸って、沢山の毒を吐いて、そして私の所に戻ってきなさい。そして、私の下で安らかに死んでいきなさい」
「師匠、それは」
「私が言いたいのはこれで全部よ。ああ、そうそう。あの娘がね、手間を取らせてすまなかったって言っていたわよ」
 師匠は笑いながら言う。あのときのことを思い出しているのだろう。それも落ち着くと、また出て行こうとする。私は何か言わなければならない気がしていた。
 もう焦りません。
 私は未熟です。
 今後も御鞭撻ください。
 色んな言葉が浮かんだが、言葉になったのは一つだけ。
「師匠も飲みませんか」
 ボケのお茶は、私を酔わせるに十分だった。
とぼけたハナシでした。
司馬漬け
http://moto0629.hp.infoseek.co.jp/
作品情報
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投稿日時:
2006/03/22 02:53:20
更新日時:
2006/03/24 17:53:20
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5.00
1. フリーレス shinsokku ■2006/03/25 01:32:02
旨い。
2. 3 月影蓮哉 ■2006/03/25 01:38:06
なんというか、…感想を書くのが難しいなぁ。
これは真面目なのだろうか、それともギャグなのだろうか…。
3. 7 名前はありません。 ■2006/03/25 20:14:24
けーね仮面にしびれました
4. 3 爪影 ■2006/03/25 21:01:54
『これはいい作品ですね』の点数を、送らせて頂きます。
5. 8 おやつ ■2006/03/25 22:03:56
赤鬼と青鬼。
随分昔に読んだのは、何時のことだったかなぁ。
良い兎、良い師匠、良い牛、そして良い人間だったと思います。
粋なここいらの人間は、なんとなく昔の『鬼』に好かれそうな連中ですね。
6. 7 床間たろひ ■2006/03/26 10:15:41
うーん、レベル高ぇw
鈴仙の弱さを含めた心理描写、お見事です。血肉の通った深みある表現でした。
対して前半部での師匠のぶっ飛んだ宇宙人的行動もナイス。後半には弟子思いのところも魅せてくれて魅力度アップ。いやもーホント、いい感じw
良いものが読めました。ありがとうございますw
7. 7 ■2006/03/26 21:31:45
酒は間違いなく薬ですね。消毒…毒を消すことが出来るわけですから。
8. 5 水酉 ■2006/03/27 03:01:19
私も優しい青鬼とともに、木瓜のお茶を飲みたいな。
9. 7 凪羅 ■2006/03/27 03:04:00
小噺のようなテンポの良さで割と長いのにサクサクと読む事が出来ました。
そしてあとがきで吹きました(ぉ
10. 9 銀の夢 ■2006/03/27 03:26:46
お見事。
そうですね、間違いという名の毒があってもいい。生きてるんだから間違いはある。少なくとも鈴仙は、蓬莱人とは違うのだから。
だからたくさん間違えて――大好きな師匠と一緒に飲み明かして、その毒を吐き出せたら。そんな優しさが、あってもいいと思います。
11. 6 かけなん ■2006/03/28 04:54:03
残忍なくらいの人間たちのはっちゃけぶりにむしろ笑ってしまったのは何故だろう……?
12. 7 unit ■2006/03/30 13:43:45
単純に面白かったです。
青頭巾師匠が素敵。
びいんびいん。
13. 7 papa ■2006/03/30 18:46:19
ちょっと変わった特徴的な文が面白かったです。
にしても、赤鬼と青鬼とはなかなかいいアイディアですね。
14. 10 つくし ■2006/03/31 15:35:18
端々に出てくる小道具が生かされ、多重なテーマを酒と絡めて料理してしまう手腕、お見事でした。非常に楽しく読みました。ごちそうさまです。
15. 6 ■2006/04/04 20:42:13
赤鬼青鬼の話を絵本で読んだのって、小学校低学年だったなぁ…懐かしい
16. 7 藤村琉 ■2006/04/07 01:26:15
 物語が締まっている中で、青頭巾白頭巾のくだりがやや弱い。笑いを狙ったものなのか、失笑を狙ったものなのか判別がし辛く、複雑な心境のまま次のシーンまで引きずってしまいました。
 真面目な話の中にユーモアを混入するのは難しいですが、あとひとつコースが違っていれば、と言ったところ。惜しい。硬い文体に引きずられている印象もありましたが。
17. 8 反魂 ■2006/04/07 14:01:10
薬は毒になり、毒は薬になる。身体にとっても、罪を背負って生きる者にとっても。
なんと見事な茶番劇だこと。もう感服。
18. 8 名無し ■2006/04/09 21:12:12
上手いなぁ。
なんていえばいいんだろう、この静かな雰囲気。
19. フリーレス 落雁 ■2006/04/11 00:45:33
とぼけたハナシを生真面目に読み解こうとしても、そうする方が馬鹿のだろうか。
文章自体は結構好みなんですけど、話の組み立て方がどうにも。うどんげにすぐ『結論』を言わせてしまうところと、赤頭巾が白頭巾を刺すシーンのとぼけた文の流れで引いちまいました。前者は、話のテンポ的に妥当な気もするんですけどね。
コメントを入れたくなる程度の能力、もとい文章ですが、どうにも点数を入れる気になれないのでフリーレスで。0点という意味ではありませんので、あしからず。
20. 8 MIM.E ■2006/04/11 22:19:38
活き活きとした里描写が上手いですね。
白が刺されたのは村人以外で派手にヤラレテ村人を自重させるためでしょうか。
村の平和のためには青は自然で赤が平和、白が悪と。
あってるか分かりませんが考えるのが楽しい作品でした。
他にも師匠が焦ってる理由とかイロイロと。そう言う詳細が易しく書かれていなくても
あれこれ考えたくなるだけの魅力のある文を書くことが大切なのですねぇ。
21. 5 木村圭 ■2006/04/12 02:05:10
どいつもこいつも役回りが素敵過ぎてもう。ズッキン・マイターラって何だ。
22. 7 とら ■2006/04/12 16:32:51
たまには毒も抜いとかないとですね。
多少やり方が強引であっても。
23. 9 ぱじゃま ■2006/04/12 21:03:39
巧いです。
読み手の思考の誘導など、よくわかってらっしゃるなと感嘆しました。
24. 6 K.M ■2006/04/12 22:38:01
当事者にとっては茶番でも、果たしてこのスケールは一般的な茶番に当てはまるのやらどうだか

頭巾の解説には、民明書房の匂いを感じました
25. 7 椒良徳 ■2006/04/12 23:21:56
御免なさい。時間がないようなので、コメントはまた後日書かせていただきます。
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