思いを同じくする者達

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/23 11:25:00 更新日時: 2006/03/26 02:25:00 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00

「慧音、いるー?」

 夜の丘、人間達の里から少しだけ離れた場所。ぽつりと建つ小さな庵に向かって、一人の少女が声をあげた。

「その声は妹紅だな? 待ってろ、今開ける」

 庵の中から返事が来るのを確認すると、妹紅と呼ばれた少女は背負っていた籠を入り口の戸の脇に置く。いつもなら何かしらが入っている籠だが今日は空だ。目ぼしい収穫が無かったのだろう。

「まだ外は寒いだろう? さ、早く入るといい」
「うん、ありがと」

 春になったとは言え、冬の寒さはまだ僅かに残っている。朝晩ともなれば尚更だ。
 庵に住む上白沢慧音は戸を開け、訪ねて来た藤原妹紅を入れてやる。

「今茶を淹れるから座っててくれ」
「ほぉい」

 囲炉裏では、くべられた火がパチパチという音と一緒に暖気を部屋中へと送っている。
 辺りを見回してみると、壁際の棚の前の床に何冊かの書物が積まれていた。

「そっか、ついこの間が満月だったんだっけね……」

 恐らくそれらは満月の時に慧音が書き記したものなのだろう、と妹紅は思った。
 やがて、足音が戻ってきたかと思うと、慧音が温かい緑茶入りの湯呑みを運んできた。

「あぁ、それか? 棚に入れる場所が無くなってしまってな。仕方なくそこに置いてるんだ」

 妹紅の視線の行き先を見た慧音が解説する。

「それにしてもどんどん増えるねぇ……」

 差し出された湯呑みを受け取って妹紅が言う。

「まぁな。それだけ歴史というものは壮大だと言う事なんじゃないか?」
「こんだけの量……、私だったら読む気になれないよ」
「ハハハ。でもまあ、無いよりはあった方が何かの役に立つと言うものだろう?」

 そんなもんなのかね、と妹紅。
 ふと、部屋の反対側に目をやると、今度は一枚の紙切れが目についた。

「あれは?」
「あぁ、里の見取り図さ。里の長から借りて来たんだ」
「そりゃまた何で?」
「まぁ何だ、お前が気にする程の事じゃないさ」
「ふぅん。でもそう言われるとねぇ……」

 気にするなと言われると無性に気になるとはよく言った事。どうやら妹紅もその例から漏れる事は無いようだ。

「気になっちゃって今後寝付けないよ〜?」
「あのなぁ……」
「不眠症になったら大変だよぉ〜」

 妹紅はここぞとばかりに慧音に詰め寄る。とうとう慧音が折れた。

「分かった分かった。話すから……」

 まあ隠すような事でもあるまい、と慧音は悩みの種を語り始めた。

「近頃、近くの里で妙な事が起こっていてな……」
「妙な事?」
「あぁ。何日かおきに里の人気の無い場所にとある妖怪が現れているんだ……」
「妖怪ねぇ。でもそれの何処が妙なの?」

 里に妖怪が現れる。そういった事は今にも昔にも、別段珍しいという訳ではない。実際、被害こそ少なかったものの、年明けから数えて既に何回かその出没が確認されている。その度に慧音が追い払っている訳なのだが……。

「妙なのはその妖怪自体さ」
「うん?」
「現れる度に何かする訳でも無く、ただそこにじっと座っているだけ。そして里の者に見つかると、それを待っていたかのように立ち去るんだそうだ」
「“だそうだ”って……?」

 慧音の口調に違和感を感じた妹紅が聞き返す。

「そんな奴だから私もまだ見た事が無いんだよ」
「なるほどね……。確かにその辺の妖怪にしてはちょっと変だね。人間を襲う訳でも畑を荒らす訳でも無いなんて……」
「やはりお前もそう思うだろう?」

 慧音でも知らない妖怪がいるんだな……、と言った考えが妹紅の頭の中に浮かんでくる。しかし、それと同時にとある疑問も浮かんできた。

「でもさ、それって本当に妖怪なの?」
「さぁなぁ……。一度そいつを見ない限りは私にも分からないとしか言いようが無いな……」

 出没しているのは本当に妖怪なのだろうか……。これに関してはさすがの慧音も首を傾げる事しか出来なかった。



「お前こそこんな時間に来るなんてどうしたんだ?」

 新しいお茶を淹れなおし、再び妹紅に渡してやりながら慧音が尋ねた。

「あぁそういえば、それまだ話して無かったね。今日ね、近くの森で薄汚れた祠(ほこら)みたいなのを見つけたんだけど、何か知らないかなって思って聞きに来たんだよ」
「祠? うぅむ、この近くにそんな物なんてあったかな……?」

 慧音は腕組みをして考え込む。だが、妹紅の言う様なそれに思い当たる物は浮かんでこなかった。

「近くと言っても、一体どの辺……」
「慧音様! おられますか?」

 ちょうどその時、慧音が言い終わるのとほぼ同時に庵の外から慧音を呼ぶ声がした。

「すまん妹紅、里の者だ。……開いているぞ」

 慧音がそう言ってやると、戸を開けて入って来たのは一人の男だった。

「夜分申し訳ないけども……うん? そちらは?」

 男は妹紅の姿を見て不思議そうに言う。どうやら、この場に慧音以外の人物が居た事が意外だったようだ。

「あぁ、私の友人の藤原妹紅だ」
「よろしく」

 妹紅は軽く手を挙げ、男に挨拶する。

「こちらこそ」
「里で何かあったのか?」

 深々と頭を下げる男の横から慧音が尋ねると、男の表情は急に厳しいものに変わった。

「それが慧音様……、またあの妖怪めが現れまして……」
「またか……」

 話を聞いて、慧音の表情にも雲がかかる。

「“あの妖怪”って、さっき慧音が言ってた奴?」
「ああ。で、何か被害は?」
「いえ、特に何も……。見た奴の話じゃあ、今回もただ姿を現しただけのようで」
「……そうか」

 多少は安心したのか、慧音は大きく溜息をつく。不自然な行動を取る妖怪ほど怖いものは無いのだ。

「その場所、分かるか?」
「え? 慧音今からそこ行くの?」

 突然慧音が立ち上がったのを見て、妹紅が横槍を入れた。

「何か手掛かりになる物が無いとも限らないだろう? 案内頼む」
「こっちです」
「妹紅、留守を……」

 今回の被害は何も無かったとは言え、気掛かりな部分はまだまだ多い。その為か、慧音は妹紅の言葉に応じる様子は無かった。

「待って、私も行く」

 そんな慧音を見て、この場に残っても仕方が無いと感じた妹紅も慌てて腰を上げるのだった。



「案内すまないな。後は私達で調べてみる」

 やって来たのは里の外れ。すぐそこに森の入り口が見える場所だった。民家の明かりもここまでは届かず、辺りはほとんど何も見えない程の暗さだ。
 慧音はここまで案内してくれた男を先に帰すと、手に持った明かりを頼りに周囲を探り始めた。

「どう慧音? 何か分かりそう?」
「うーむ……。特別手掛かりになりそうなものは無いな。足跡でもあれば少しはマシなんだが……」

 慧音は、今度は落胆の溜息をつきながら返す。これまでにも何回か報告がある度に調査をしてみてはいるものの、結果は空振りに終わっているのだ。

「ただの里外れって感じだね」

 言いつつ、辺りを見回す妹紅。

「言えるとすれば、妖気の残りが感じられないという事位か……。それ程低級な妖怪なのか、それとも……」
「それとも、妖気をコントロールする事が出来る程の力を持った奴か……とか?」
「…………」

 慧音は答えない。

「どちらにしろ、今の段階じゃあ憶測にしかならないな」

 慧音はそう言いながら屈めていた体を起こすと、服に付いた土を掃う。

「仕方ない、今日のところは帰ろう」

 結局二人は何の手掛かりも得られないまま、その場を後にする事しか出来なかった。





「慧音、いるー? 慧音ー?」

 それから二、三日経った夕暮れ時、再び妹紅の声が慧音の庵に向けられた。

「妹紅か、ちょっと待ってろ、今開ける」

 慧音の声が返って来たのは庵の中からではなく、妹紅の背後からだった。驚いた彼女が振り返ると、そこには例の見取り図を手にした慧音の姿があった。

「あれ? 出掛けてたの?」
「ああ、例の件での見回りだ。今のままでは皆が不安がるだけだからな」

 そう言いながら慧音は見取り図を折り畳んで懐にしまい、戸の錠前を外しにかかる。

「それで収穫はどう?」

 そう妹紅が尋ねたが、どうやら相変わらずの結果だったようで、慧音も、

「いや、無しだ」

 と答えるだけだった。

「お前の方は? 今日はどうしたんだ?」

 囲炉裏に火を入れ、部屋全体がようやく暖まってきた頃、今度は慧音が妹紅に尋ねた。

「うん。昼間ちょっといいものを見つけたからさ……ほら」

 妹紅は土間におろした背負い籠を持ってくると、それに掛けてあった手拭いをどけた。中に入っていたのは、雪解けから顔を出した春の息吹。

「ほぉ、蕗の薹(ふきのとう)じゃないか」

 それを見て慧音は感嘆の声をあげた。

「そ、おすそ分け」
「や、ありがとう。夕飯まだだろう? 良かったら食べて行かないか?」

 折角いい食材があるんだ、と慧音。

「ん〜、じゃあ遠慮無くぅ。慧音の作るご飯美味しいもんね」
「褒めても普通の夕飯しか出ないぞ」



 外がすっかり暗くなってきた。
 辺りを朱に染めていた夕日も沈み、今では代わりに弓張月が顔を出している。妹紅から食材を受け取った慧音が台所から戻って来たのはそんな頃合いだった。

「んん〜! やっぱり慧音のご飯は最高だなぁ」

 食卓には煮物、漬物、浸し物が並べられ、その中心には蕗の薹の揚げ物が置かれていた。

「そう言ってくれるのは嬉しいが、お前だって料理の腕は悪くないだろうに……」

 妹紅の絶大な賛美に苦笑しながら慧音は言う。

「でも同じ料理でも自分以外の人が作ると美味しく感じるじゃない?」
「ははは、どうだかな」

 そんな会話を暫く続けるうちに、用意した料理はあっという間に無くなってしまった。

「ご馳走様ぁ」

 慧音が、お茶でも入れよう、と立ち上がりかけた時だった。

「慧音様!」

 聞き覚えのある声が慧音を呼んだ。

「あれ、この声は……」
「うむ、この間の男だな」

 慧音は妹紅に頷いて返すと、入り口の戸を開けてやる。

「どうした、例の奴か?」

 入って来た男は、早速の慧音の問いに首を縦に振った。

「ですが、今回はいつもと様子が違うんで……」

 慧音と妹紅は互いに顔を見合わせる。

「と言うと?」
「何でかは分からないんですけど、あの妖怪、皆が集まってきても一向に立ち去ろうとしないんです」
「すると、今も里の中に居るのか?」

 男は再び頷いた。

「むぅ、何かするつもりなのか……?」
「慧音、行ってみよう」
「ああ」

 心配になった慧音と妹紅は手早く食事の跡を片付け、里へと向かって出発した。





 前回と同じく、訪ねて来た男に道案内を頼み、慧音達がやって来たのはこの前と同じ里外れ。三人が到着した時にはすっかり人だかりが出来ており、その中には里の長の姿もあった。
 慧音と妹紅が人だかりに分け入っていくと、それに気付いた長が声をかけてきた。

「おぉ慧音様、来てくださいましたか」
「皆に被害は無いか?」
「今のところは……」

 そうか、と慧音。

「慧音様、あれが騒ぎの原因の妖怪ですぞ」

 長が示す方向に目を向けると、確かに座り込む何者かの姿を見ることが出来る。この位置から見る限りでは、その姿は白髪の老人の様だった。

「ふむ……。皆は家に戻っていていいぞ」
「大丈夫ですかな? 慧音様」
「ああ、問題ない」

 慧音が頷いてみせると、長を含め、そこに居た者達は次々と自分達の家へ戻っていった。
 それを見送っていた二人は、皆の姿が里の中へと消えていくのを確認すると、改めて老人の方へと向き直る。

「見た感じ、ただのお爺さんって感じだけど……慧音、あいつって本当に妖怪なのかな……?」
「……妖気は感じられないな」

 二人が近付いていくと、それまでじっとしているだけだった老人は漸く動きを見せた。

「この里の守人かな?」

 ゆっくりとした、落ち着きのある声だ。

「お、喋った……」
「私は上白沢慧音。こっちは藤原妹紅だ。御老体、ここで一体何を?」
「見ての通りさね」

 慧音の問いに老人は、何を今更、と言わんばかりに返す。しかし、見ての通りといわれても、二人には彼がただ座っているだけにしか見えなかった。

「……? 別段、何かをしている様には見えないが……?」
「左様。何もしておらぬ」
「ちょ……、あんたねぇ……」

 満足そうに頷く老人に苛立ちを覚えたのか、妹紅が食って掛かろうとする。

「まぁ待て、妹紅。このところよくそうしている様だが、何か訳が?」

 慧音がそう尋ねると、老人は、今度は含み笑いで返してきた。

「フフフ……、時の流れとはなかなかに酷なものよ。そう思わぬか? 里の者達はこの老いぼれに気付く事は無かったようだのう」

 突然何を言い出すのかと二人は顔を見合わせる。

「……何が何だか、サッパリだね……」

 老人が何を言いたいのか理解できず、妹紅は呆れ返ってしまう。

「だが、どうもただの老人じゃないな……」
「どういう事?」

 慧音には、この老人は妖怪では無いのだろうという考えが浮かんでいた。
 その時、突然老人が二人のほうに向き直った。

「時にお主らは永きを生きる者のようだの。ならばこの老いぼれを知るやも知れぬが……どうだね?」
「…………!」

 話半分に聞いていた妹紅も、これにはさすがに驚かされた。

「な、何で私がただの人間じゃないって……」

 半人半獣である慧音はともかく、見た目は普通の人間と大差の無い自分が、初対面の者に素性を言い当てられたのは初めての事だったのだ。

「失礼だが御老体、貴方もただ者では無いようだな?」

 そんな妹紅を横目に慧音が問い返すと、老人は二人に背を向けて立ち上がった。

「フム、これも時の流れの所業かのう」
「…………?」

 そして一言呟いたかと思うと、森の方へと歩き始めた。
 それを見て慌てて慧音が引き止める。

「待ってくれ! 貴方は一体何者なんだ? 里に来る目的を教えてはくれないか?」

 すると老人は歩みを止め、静かな声でこう答えた。

「……この地の古を知るもの、稲穂の恵みを恋しく思う……」
「稲穂の……恵み……?」

 オウム返しに慧音が言ったが、既に老人はその姿を消してしまっていた。

「あーもー、訳分からん……」

 完全に投げやり調子の妹紅。しかし、それに対して慧音は何か考え込んでいる様子だった。

「慧音、どしたの?」
「あの老人の正体……」

 妹紅が尋ねると、慧音はぽつりと言った。

「何か心当たりが?」
「ああ、無い事は無い。妹紅、ちょっと手伝ってくれるか?」

 それだけ言うと、慧音はもと来た道を戻り始める。

「う、うん……」

 妹紅も慧音に突き動かされる様にして慌てて彼女の後を追って行った。



「うぇー……、これ全部調べるのぉ?」

 戻ってきた慧音の庵で、妹紅は目の前の書物の山を見て抗議の声をあげた。その隣では、慧音がせっせと書物を取り出している。慧音が妹紅に手伝って欲しいといったのは、どうやらこういう事だったようだ。

「今日明日が満月で無い以上、早急にあの老人の事を調べるなら、今までに書き溜めた歴史を探ってみるしかないだろう?」
「そりゃそうかもしれないけど……多いなぁ」

 これだけの棚に入りきらなくなるほどの量だ。全部で一体何冊分になるかなど想像したくもない。

「まぁ何だ、さすがにこれ全部を調べる事は無いだろうさ。あの老人の言葉から察するに、里に関係する事だけを拾っていくので十分だと思うぞ」

 この位だな、と呟きながら慧音は床に新たな書物の山を作る。

「それでもキツそう……」
「さ、早いところ済ませてしまおう」
「ふえ〜」

 すっかりへたり込んでしまった妹紅を元気付けるかのように、慧音は手近な一冊を取り、黙々と目を通し始めた。最初は渋々だった妹紅の表情も次第に真剣なものになっていく。引き受けると言った以上、今更放り出す訳にもいかないからだろう。
 暫く、無言の時が流れた。あれだけ文句を言ってた割には……と慧音が妹紅を見やると、それもその筈、妹紅は歴史書を広げたまま頭をコクリコクリとやっていた。

「しょうがない奴だなぁ。ほら、風邪ひくぞ?」

 やれやれ、と慧音は妹紅に毛布を掛けてやる。

「うーん……慧音ぇ……」
「おっと、起こしてしまったか?」
「…………」
「……ふ、寝言か」

 そして自分もその隣に入ると、再び歴史書に目を落とした。

「……チョーク……チョークは投げないでぇ……」
「…………おい……」





 夜が明けて。

「……うん? みそ汁の香りが……」

 妹紅は漂ってくるいい匂いに目を覚ました。

「お、起きたか妹紅。もう少しで朝食が出来るぞ」

 起き出した妹紅に気付いた慧音が台所から声をかける。

「んぁ、慧音……? あぁそっか、夕べは私……」

 自分でここに来た事は覚えているが、その先が思い出せない。ウーン、と唸りをあげていると再び慧音の声が飛んできた。

「何だ、寝ぼけているのか? 外に水があるから顔を洗ってくるといい」
「うん……」

 このままでは頭が働かない、と妹紅は慧音の勧めに従う事にした。



「よし、頭シャッキリスッキリ!」

 冷たい水を顔に掛け、借りた手拭いで水気を取る。すると、頭が働き始めるのにつれて夕べの記憶が戻り始めてきた。
 そのうちに、妹紅の表情に焦りの色が表れる。

「あー! 慧音、ゴメン! 私ほとんど調べないうちに寝ちゃって……」

 完全に思い出したのか、手拭いを振り回しながら慌てて庵の中に戻る妹紅。

「なぁに、気にするな。手伝わせたのは私だ」

 慧音はちょうど食卓にみそ汁を並べているところだった。

「それに、目的のものも見つかったしな」

 そう言って片目を瞑ってみせる。

「あったの!? そんで? そんで?」
「おいおい、そんなに焦るなよ。後で里の長の所へ報告に行くから一緒に来るといい。まずは朝食を済ませてしまおうじゃないか」

 騒ぐ妹紅をなだめ、慧音は炊きたての白米を盛った茶碗を差し出した。








―――その昔、まだこの地に守人が現れるより前の頃、里はとある妖怪の度重なる襲撃に悩まされていた。畑は荒らされ、人はさらわれ、季節の収穫もままならない程だった。ある時、里に一人の老人がやってきた。旅人だという老人は、里の様子を知って言った。自分が妖怪を退治して見せよう、と。里の者達は止めた。老いた人間が、ましてや一人で敵う相手ではない。だが、彼はただ軽くあしらうだけだった。

そしていつしか、里を襲う妖怪は現れなくなった。しかし時を同じくして、あの老人もその姿を消した。里の者達は生死すら分からない老人へのせめてもの礼として、里の近くに小さな祠を建て、僅かに残っていた米から作った酒を供えた。以来、里を壊滅せしめるような妖怪の襲撃は起こっていない……―――



「要約するとこんな感じだ」

 そう言って、慧音は広げていた歴史書をパタンと閉じた。
 朝食を終えた二人は、里の長のもとを訪れていた。

「フム……そういった御方だったとはな」

 慧音の話を聞き、長は腕組みをしながら唸った。

「あいつ……この里を救った奴だったんだ……」

 妹紅も意外だ、といった感情を隠せないでいる。
 すると、その横で慧音が一枚の紙切れを取り出した。

「そこでだ長、ここに書いてある物を用意してくれないか?」
「構いませぬよ。後で慧音様の所に持って行かせましょうぞ」

 長はそれを見て頷くと、そう約束した。


 長の使いの男が慧音の庵にやって来たのは夕方近くなってからだった。
 慧音は、遅くなった事を詫びる彼を咎めるような事はしなかった。もともと急ぎの用という訳でも無かったし、合間の時間を使って、夕べからひっくり返したままになっていた歴史書の山を片付けてしまいたかったからだ。

「準備は整ったな。さて、私達も行こうか」

 約束の品を受け取り、男の見送りから戻って来た慧音が、囲炉裏の近くでくつろぐ妹紅に声をかける。

「ん? どこへ行くの慧音?」

 唐突な慧音の言葉にポカンとするばかりの妹紅。

「ふふ、それはお前の方がよく知ってるんじゃないか?」

 慧音はそう言うが、当の妹紅は全く見当が付いていないようだ。

「祠だよ。お前が見つけたって言う」
「あ、そうか……」

 その付け加えを聞くと、漸く妹紅も納得の表情を見せた。





 西の空が朱に染まる頃、二人の姿は森の中の祠の前にあった。実際に見た時、こんな所にあったとはな、と慧音が驚きの声をあげる程目立たない所にそれは佇んでいた。
 見た目はただのボロにしか見えない位に荒れていたが、こうして改めて見るとどこか神々しいものを感じるようで、妹紅も不思議な感覚だった。

「この祠ってずっと昔に建てられた物だったんだね……」
「永い年月が経つうちに里の皆の記憶から失われて、私も里の守人を務めていながらここの事を知らなかった。昨日はあんな事を言っていたが、本当は寂しかったのかも知れないな」

 手入れすらされておらず、流れた時間の永さを物語る様にこびり付いた苔を落としながら慧音は呟く。

「だとしたら、あんな奴でも可愛い所あるじゃない」
「ハハハ、あんな奴とは言うじゃないか。ここに祀られたあの老人は恐らくこの辺りの土地神だぞ?」
「へぇい……、しつれーしましたぁ。でもさ、よく土地神が人間や妖怪に介入したね?」
「そうだなぁ……。私も半分人間外でありながら人間に味方している。何だか似たようなものを感じるよ」

 そう言って慧音は先程使いの男から受け取った二つの物を取り出すと、すっかり元の姿を取り戻した祠の前にその片方を置いた。

「ん、それは?」

 それを見ていた妹紅が尋ねると、慧音は先に置いた物の方に透き通った液体をなみなみと注ぎながら、

「彼の要望に応えるのさ」

 と言った。
 それを聞いた妹紅が注がれた液体に顔を近づけると、彼女の鼻腔をふわりとした香りがくすぐった。

「なるほど。稲穂の恵み、ね……」
「そう。稲穂からは米が獲れ、その米からは酒が作れる。彼が言いたかったのは恐らくそれさ」

 慧音はそう言うと、手に持っていたもう一方の物、徳利を、先に置いた朱塗りの杯の隣に置いて立ち上がる。

「さ、すべき事も終わったし、そろそろ戻ろうか」
「そうだね。……あ……」
「どうした?」
「また慧音の作るご飯食べたいなぁ」

 考えてみれば確かに夕飯時だ。抜け目の無い妹紅の発言に慧音は、

「このちゃっかり者め」

 と笑う事しか出来なかった。



 西日を浴びてその色を一段と濃くする杯と小さな祠。二人が後にしたその場所には、何処かで咲いていたのであろう白い梅の花びらが作る、小さな波紋だけが残っていた。





妹紅が籠を背負って山菜獲りをしている姿がありありと……。
そして、満月の夜には黙々と机に向かう慧音の姿がありありと……。
そんな今日この頃。
lester
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/03/23 11:25:00
更新日時:
2006/03/26 02:25:00
評価:
0/0
POINT:
0
Rate:
5.00
1. 3 月影蓮哉 ■2006/03/25 10:59:07
正統派な文体でございました。
が、酒の描写が無かった……ような。
2. 5 爪影 ■2006/03/25 22:38:56
後味すっきりな気分で、読ませて頂きました。
3. 4 名前はありません。 ■2006/03/26 18:10:21
こういう酒の書き方もあるんですね
4. 4 おやつ ■2006/03/26 20:17:06
土地神様の中にも、失伝してしまったものは多くあるでしょうね。
この里では神様が二度と忘れられることの亡きように……
妹紅と慧音のコンビもいい感じで面白かったですw
5. 5 水酉 ■2006/03/27 18:21:51
稲穂の恵みは大地の恵み。それを忘れては・・・ダメですよね。
6. 4 凪羅 ■2006/03/29 07:05:18
自分の中での妹紅と慧音像に近くて、安心して読めました。
7. 6 papa ■2006/03/30 18:59:34
へたり妹紅かわいいよ。

文章や表現は問題ないですけれど、なんかインパクトが弱い気がします。
最後があっけないからだろうか?
8. 6 かけなん ■2006/03/31 13:03:02
里を守ろうとする者は、いつも現れるのかもしれませんね。
慧音が居なくなってもまた誰かが、なんて少し悲しい事を思ってしまったり。

>「……チョーク……チョークは投げないでぇ……」
茶ぁ、噴いた。
9. 4 つくし ■2006/04/01 13:12:30
もこけーね。まったりと楽しませて頂きました。ごちそうさまです。
10. 5 藤村琉 ■2006/04/07 01:36:11
 もう何の疑いもなく妖忌、あるいは神様と見せかけて妖忌、と思っていましたがそのまま神様で押し通されて驚きました。ぇー。あ、でもやっぱり妖忌なのか。いや違うか。どっちだ。
 それはそれで悪くはないのですが、後半解説オンリーだったのでふうんなるほどといった感想しか浮かばず。なるほど凄い! と言わせるには捻りや工夫が足りません。これだと、腕四本足六本これなーんだという謎々の答えが化け物だとか言ってるようなもの。極論ですが。
11. 5 反魂 ■2006/04/07 22:36:28
土地神様さえもお酒をねだるとは、流石は呑兵衛天国幻想郷
12. フリーレス ■2006/04/09 00:51:06
その姿を思い描くと心が温かくなる。そんな今日このごろです。
13. 9 ■2006/04/09 00:51:28
失礼…点数入れ忘れました。
14. 7 名無し ■2006/04/09 20:42:22
もこけい! もこけい!
生活感が良かったです。
15. 8 MIM.E ■2006/04/11 22:15:06
静かだけれど情緒ある物語ですね。ただ姿を現した土地神、何をするでもない。
それが余計に強く彼の望みや思いをしみじみと印象付けてくれました
16. 3 木村圭 ■2006/04/12 02:14:00
土地神と来ましたか。てっきりルーミアあたりが何かやってるのかなーと思いつつ読んでたので良い方向に裏切られた気分です。
それにしても、どうして偉い人ってこう回りくどい言い方が似合うんでしょうかっ
17. 6 NONOKOSU ■2006/04/12 03:24:08
もはや二人が夫婦にしか見えない今日この頃。
18. 6 とら ■2006/04/12 15:46:38
お疲れ様って言ってあげたいですね。
19. 6 Hodumi ■2006/04/12 17:21:28
実にありありと。
20. 8 ぱじゃま ■2006/04/12 21:05:09
妹紅がえらく可愛い。ください。
21. 6 K.M ■2006/04/12 22:23:03
妹紅にとって慧音は教師か。しかもちょっとステロタイプな

人ならずとも、人を守る者として思いは一つ・・・か
22. 8 椒良徳 ■2006/04/12 23:26:26
御免なさい。時間がないようなので、コメントはまた後日書かせていただきます。
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