お供にまつわるエトセトラ

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/24 20:24:43 更新日時: 2006/04/17 10:31:08 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 その幅二百由旬というのはもちろん幽々子様の大言壮語ではあるけど、それにしても西行寺家の庭は広い。一人だと一日で全部を手入れするのは時を止めでもしない限り不可能だから、庭全体を数区間に分けて毎日少しずつ作業をする。数日かけて作業を進めてゆき、最後の区間が終わったころには最初に手入れをした区間に手入れが必要になる。この繰り返しが先代から受け継がれた西行寺家専属庭師としての仕事だ。ぐるぐる回るルーティンは輪廻の比喩になる、と気づいたときは我ながらバカな思いつきだなあと思ってしまった。亡霊のお嬢様と半人半霊の従者。輪廻から外れた存在の住むところで輪廻が繰り返されているとは。
 でもその比喩もあながち的外れではない。春の温かさに固い芽がほころび、夏の日差しに青い葉が脈動し、秋になると紅い葉を散らし、冬枯れの枝が風に震え、また春が来る。四季の巡りはまさに輪廻であり、庭と付き合うということはそれに正面から向き合うことだ。輪廻するその姿を美しく保つために枝を剪定(せんてい)し、葉を刈り込み、雑草を取り除き、苔の青さに注意を払う。生と死を正しく回すことこそ庭師の本懐なのだ。
 などと、無駄な思考でもしながらでないとやってられなかった。
「やな季節だなあ」
 声に出してしまう。一年のうち庭の手入れに最も気が重い時節が二回あって、ひとつが春の中ごろ、桜の花びらが散りきったあたり。散る姿に美を見出すのは良いけれど、散ったあと地面に薄汚くへばりつく花びらを片付けるのは一苦労だ。もはや落ちているのは桜の花の死体であり、私は死体処理係だと毎度毎度思う。そしてもうひとつが今。ひょいと見上げるとソメイヨシノの枝には青々とした葉が空に向かってその掌を広げている。地面に目を向けると、いるわいるわ。
「私の目を逃れられると……思うなっ!」
 容赦なく箸でつかむと、そいつは逃れようとグネグネと体をよじる。はっきり言って気持ち悪いので、さっさと袋に投げ捨てた。これで今日は百とんで七匹目。今、袋の中身はすごいことになっているはずだ。
 なんせ、毛虫でいっぱいなのだから。
 風に快活な夏の予感を感じる梅雨入り前。命の息づく青葉の季節は同時に毛虫の季節でもある。こいつらはせっかくの葉を手当たりしだい食い散らかすのだから手に負えない。なによりも見た目が気持ち悪い。私の中の嫌悪感ランキングでいうならおばけの次くらいにはノミネートされる。とかくこいつらのせいで庭の景観が損なわれるので、こうやって駆除にいそしむのだ。実に地道な作業で、時間がかかる。一度にまとめて斬り潰したいのはやまやまだけど、せっかく剪定した枝にも被害が出るし、潰れた死体で庭が汚れる。こういう時こそ幽々子様の能力の出番ではないかなあとも思うのだけど、
「庭のことはあなたの仕事でしょう?」
 と言われてはぐうの音も出なかった。しかたなく、一匹一匹集めて別の場所で処理している。何も、作業の量ばかりが気が重い原因ではない。一度、この作業の間に背中に妙な感触が走ったことがあった。何かと思って背中に手を伸ばすと、ゾワリと、した、感触、が、あああああ思い出しただけで鳥肌が立つ。あのときあげた悲鳴を今にも再現しそうになる。そう、こいつら突然落ちてくるのだ、無造作に、ポトリと! この感触は二度と味わいたくない。幽々子様もこんな体験をすればきっと私の気持ちを汲んでくれるに違いない。

 不意に、ゾワリ、と。

「――っっっ!」
 背中に走った感覚に、ひきつった声にならない悲鳴をあげた。背骨をなぞるように何かが這う感触に全身が凍る。喉が刹那にして干上がる。こ、こ、こ、こ、れ、は、
「よ〜う〜む〜」
 ……。
 私の緊張はその能天気な声に吸収されて、思わずヘナヘナとその場にひざをついてしまった。
「あらあら、サボるつもりかしら。悪い子ねぇ」
 くすくすと笑って、さらに背中にうねうねさわさわと指を這わせてくる。いくらなんでもこんな心臓に悪い冗談はやめて欲しい。私の思いを意にも介さず、そのまま腕を滑らせ、背後からべったりと抱きつくように負ぶさってくる。
「半人前にも心臓はあるのかしら?」
「ひぁっ!?」
 今度はたまらず声を上げた。さ、流石に、胸を揉むのは、「お、お戯れが過ぎます幽々子様!」
「妖夢、それはあなたの言葉として相応しくないわ」
 変わらない調子で、幽々子様は突然そんなことを言う。そして私に覆いかぶさったままそれ以上は何も言わない。私はため息をついて少し考えた。求められていた答えはすぐに知れた。
「お帰りなさいませ、幽々子様」
「ただいま、妖夢」
 幽々子様の満足げな声。つまり、外から帰ってきた主人を迎える従者の第一声はそれ以外ありえないでしょう、と言いたかったのだ。幽々子様との会話はいつもこんな調子だ。ふらふらとつかみどころがなく、そうかと思えば今のように謎かけのような言葉を投げかけてくる。日常的に禅問答をしているのに近い。私が受け答えを間違えても咎めたりしないけど、滅多に答えを教えてくれはしない。どうも私が困るのを見て楽しんでいる節があるのだけど、それはやはり私がまだ半人前だからなのだろうか。さすがにこんなやり取りが何年も続けば多少は慣れたにしろ、まだ修行が足りないらしい。
「でもね妖夢。会話をするときは面と向かうのが礼儀ではないかしら」
 自分から背後に来ておいてそんな無茶な、と思ったけど元々幽々子様自体がいろんな意味で無茶なのだと諦めることにした。背中にくっついた幽々子様をはがして改めて向き直る。
「……それで。それは、何ですか?」
「何に見える?」
「お酒に見えます」
「きっと正解ね」
 幽々子様はフワリと微笑んだ。その背後には大きな鏡樽がある。「箱の中の猫が死んでいるかどうかは観測するまでわからないというけど、見なくてもわかるときがあるわ。容れ物が中身を決めてしまうときがそれね。外見が内容に強制力を持つ場合。鏡樽にはお酒が入っている。入っていなくてはならない。桜の樹の下には屍体が埋まってゐるのと同じくらい、これは信じていいことよ」
 それはつまり信じてはいけないということじゃないのかなあと口に出しそうになりつつも、私は別のことを考える。ホワットイズディスなんて間抜けな質問をしたのはもちろん、本当にそれが何かわからなかったわけではない。

 こう言いたかった。そんなに大量の酒をどうするのですか、と。

 鏡樽はそれこそ山のようにという以外の比喩が思いつかないくらいにたくさん積まれていた。具体的には積み上げた高さが私の背の二倍くらい。量はおそらく小さめの酒蔵一軒分くらいある。その光景はちょっとした異空間を形作っていて、せっかくの庭の景観を損なうこと甚だしい。それと同じくらい疑問も山積みで、どこから持ってきたのかとか、どうやって運んだのかとか、どこにしまっておくつもりかとか……それら全てを含めての「何ですか?」だった。
「苦労して手に入れた大吟醸なのよ」幽々子様ははしゃいで言う。「今晩はこのお酒を飲むわ」
 まあ、当然そうなる。幽々子様も「これをお湯の代わりに湯船にはるわ」などといった成金じみた悪趣味はしない。大蛇(うわばみ)というわけでもないので今日一日でこれ全部を空にするつもりでもないだろう。
「それでね、妖夢」と、幽々子様は妖艶に笑んだまま言うのだ。

「このお酒のために、最高の肴(さかな)を探してきて頂戴」



 結界を越え幻想郷に来たところで、大きく息を吐く。白玉楼を追い出された。厄介事の予感がして「あ、あの、庭師の仕事が」と精一杯食い下がってみたけど、もちろんそのくらいで自分の言うことを曲げる幽々子様ではない。スイっとさりげない動作で指を振って見せると木からボタボタボタボタと大量の毛虫が落ちてきて、私は今度こそ喉の奥から悲鳴をあげた。落ちてきた毛虫はどれもピクリとも動かなかった。幽々子様は能力を使ったのだ。
「さあ、これで仕事の心配は無いわ」いけしゃあしゃあと言う。「あなたは主人の命令が聞けない子じゃないでしょう?」
 白旗を降らされるのはわかりきっていた。そう言われては逆らえるはずもない。従者としての私を全うせねば、私が魂魄妖夢である意義が失われてしまう。幽々子様風に言えば、魂魄妖夢という存在の何割かは幽々子様という容れ物によって規定されているのだ。
「……とは言ってもなあ」
 大地を眼下にして漂いつつ、頭を抱える。『最高の肴』と幽々子様は言った。この「最高の」がネックである。ただの「適当にオツマミを買ってきなさい」という命令ではないことはわかる。でも酒の肴にも色々あるし、幽々子様にとっての『最高の肴』が何を指すのかわからない。
「何って、このお酒を一番美味しく飲むためのものよ。……それはあなたが考えなさいな」
 戌(いぬ)の刻までに帰ってくるのよ、と手をぷらぷらと振りながら、もう片方の袖で口元を隠して幽々子様は笑った。その仕草が物語っている。これは例の禅問答の一種で、私がウンウン悩む姿を見て非常にご満悦だったのだ。……ここでしっかり仕事を成し遂げておかないと、いつまで経っても半人前扱いなのだろう。何が何でも『最高の肴』を探さないといけない。
 とはいえ、それらしきものが手に入るところを私はあまり知らない。夜雀の屋台が出る時刻にはまだ早いし、香霖堂には食べ物の類はほとんど置いていない気がする。人間の里にはいくつか商店があるだろうけど、なじみの顔も無く行きづらいところではある。
「どうしたものかなあ」
 液体が容れ物がないと形を作れないように、人も方針がないとなかなか行動の起こしようがない。とりあえず、方針を探すことが方針だ……と、あてどなく浮いていると、見覚えのある顔を見つけた。いつぞやのハクタクだった。
 方針、見っけ。
「わからなかったら人に聞く」。式の式でもわかることだ。博識な彼女の頭脳なら幽々子様の禅問答にも太刀打ちできるかもしれないし、いい肴の情報を得られるかもしれない。彼女と一緒なら人間の里での行動も実に楽になる。至れり尽くせりだ。
 どこかを目指して一直線に飛んでいく彼女に、声をかけた。
「おお、死人の従者か。ちょうど良い、手伝ってくれ」



 数日前の大雨で堤防が決壊し橋が流され、修理工事をしていたということだった。里の人間にとって、治水は深刻な問題らしい。水がなくては生きてゆけず、さりとて水は脅威にもなる。
 上白沢慧音に連れられた私は、材木の伐採の手伝いをした。一太刀を振れば何十本もの樹木がミシミシバサリと音を立てて倒れる。それを人夫たちが運び、堤防の骨組みや橋げたにする。一閃で二百由旬を斬る(もちろん誇張だ)私の剣は大いに役に立ったようだ。いつも剪定のために小枝を切っているこの剣で、木を根っこから切る日が来るとは思わなかったけど。
「今日は助かった。ありがとう」
 慧音はお礼がしたいと言って、私を彼女の庵に招いた。私としても彼女には用があったのだし、断る理由はなかった。
 庵は小高い丘、人間の里を見下ろす場所にあった。あたりを一望でき、里との連絡も取りやすく、異変をすぐに察知できる。人間に慕われる彼女にうってつけだ。ごく平凡な藁葺屋根の戸を開けると、先客がいた。
「あ、お帰りけーね」
「……何をやってるんだ、妹紅」
 いつぞやの不死人が囲炉裏のそば、上座に我が物顔で座っていた。我々を見るなりニコニコと手を振りつつ、なにやらモグモグと咀嚼(そしゃく)している。一瞬、それが何なのかよくわからなかった。慧音のほうは本当に何をしているかわからずにホワットアーユードゥイングと言ったのではなかったようで、呆れたように頭を抱えていた。
「ん、いやさ」と妹紅はそれにかぶりついた。一度かむたびにメリメリバキバキとすごい音がする。竹だった。「もうタケノコの時期も過ぎたからさ、新しい味覚への挑戦もいいかなって」
「まったく……ものを食べながらしゃべるのは行儀が悪いぞ」
「はいはい、まったく慧音は頭が固いんだから」
 問題はそこではないと思う。ものを食べるときにバリバリメリメリゴキゴキという音がするのは間違いではないのか。タケノコが無いなら竹を食べるなんて発想は普通なら人間はしないけど、目の前の人間は普通ではないのだった。妹紅といい幽々子様といい、輪廻から外れた者のやることはよくわからないと半分思う。半分は私も同類なのだけど。この考え方の違いはどこから来るんだろう。
「とにかく、座ってくれ」と言って慧音はお茶の用意を始めた。お言葉に甘えて座布団の上に腰を下ろすと、膝元に白い小石のようなものがコロコロと転がってきた。人間の歯だった。
「おー痛てててて……ガリっていった、ガリって」
「……そりゃ竹なんてかじったら歯も欠けるだろう」
「あ、いつぞやの死にかけ」
「半幽霊ってのはそういう意味じゃない」
 というか、いまさらこちらに気づいたと言うのか。妹紅はやたらニコニコと笑って、白い歯を覗かせている。板の間に転がった歯と同じ形の前歯がしっかり生えそろっていた。なるほど、不死人になるとこういう無茶も平気でしてしまうらしい。肉体の欠損は直ちに埋められる。もしかすると、これこそ「外見が中身を規定する」例なのかもしれない。藤原妹紅の魂という中身を、彼女の肉体という容れ物が強制している。逆を言うと彼女の魂はその形をした肉体以外には入ることはない。だから魂は肉体を元の形に維持しようとするし、妹紅はリザレクションの際に、例えば慧音の姿を真似た肉体になって蘇るような芸当はできないのだ。……自分で何を言っているのかわからなくなってきた。幽々子様の影響に違いない。
「どうぞ」湯飲みを私の前に置いて、慧音は囲炉裏をはさんだ対面に座った。妹紅は私から見て右側だ。お茶でのどを湿らせる。どうやら一番茶らしく、とても美味しかった。
「それで慧音、聞いて欲しい」前置きをしてから、事情を全て話した。慧音は時折うなずきつつ私の話を真剣に聞いてくれ、妹紅は相変わらずボリボリメキメキ言っていた。竹って美味しいのだろうか?
「青臭い。硬い。美味しくない」
「じゃあ食べるなよ……」
「んだと死にかけ。竹を馬鹿にするなよ!」
 なんだろうこの昼間から夜明けのテンションは。妹紅はスックと立ち上がったかと思うと「それ貸せっ」と私の白楼剣を奪い取り、スパっと竹を輪切りにした。
「どうだっ」
 そんなに自慢げに切った竹を差し出されても、何のことだかさっぱりわからない。
「これだからリビングデッドはダメなんだ」そんな腐りかけの連中と一緒にするなと言いたい。妹紅は思わず斬り潰したくなるような天真爛漫な笑みを浮かべたまま言う。「いいか、酒は竹の徳利(とっくり)に入れて燗(かん)して、竹の杯で飲むと美味いんだ」
「……それは肴じゃないだろう」慧音のつっこみを無視して、妹紅はスパスパと竹の徳利と杯を大量生産していた。なんだろう、この二人を見ているとしっかりした姉と手のかかる妹という感じがする。
「最高の肴、か」慧音はコホンとひとつ咳をした。「すまないが死人の嬢が何を意図しているのか私にはわからない。歴史にもそんな知識は聞いたことは無い」
「そうそう、慧音は頭は良いけどバカ正直で頭固いからさ、頓知とかなぞなぞとかさっぱりなんだよ」
 ム、と慧音がにらんだけど、妹紅はかまわずにケラケラと続ける。「この前『下は大火事、上は大洪水、なーんだ?』って聞いたら『そ、そんな大事件の歴史は知らないぞ!?』って本当に焦った顔するの!」
 ゲフン、と慧音はさっきより大きな咳をした。顔が真っ赤だ。「えー、酒の肴だったな。最高かどうかはわからないが……」
 慧音は戸棚を探ると、小さな壷に入った何かを差し出した。中身を見た瞬間、私は思わずウっと声を出してしまった。
「け、慧音、これは」
「イナゴの佃煮だよ」そう、壷の中には茶色く煮詰められた、バッタによく似たあの虫が大量に入っていたのだ。「最近大量に発生して稲を食い散らかしたんでな。一斉に駆除して食べることにした。酒の肴というにはこういう味の濃いものが望ましいだろう?」
 だからって、さすがに昆虫というのは好き嫌いが分かれると思う。実際私は好まない。でも幽々子様ほどの悪食なら、案外珍しがってお気に召すかもしれない。
「なんだよけーねー。佃煮だったらどっちかというとご飯のおかずじゃないか」
「こら、つまみ食いするなっ。釜は空だっ!」
「ちぇー」
「まったく。そうだな、他には、魚などどうだ。近くの川に行けば山女(ヤマメ)が釣れるが」
「酒と一緒につまむなら燻製(くんせい)が良いなー」
「今から燻していたら晩に間に合わないだろう……」
「慧音は文句が多い。石頭。ツノ頭」
「満月の夜の話はするなっ」
 二人はやいのやいのと非常に楽しそうだけど、どうやら煮詰まってきたらしい。私としては微妙にいたたまれない。どうしたものか。
「御免下さいな」
 と、戸を開ける者があった。意外な客だった。
「あら、意外なお客ね」
 三和土(たたき)に立ったメイドはこちらを見て言った。「花の異変の名残かしら」
 今度はその辺の幽霊と同じ扱いか。
「あなたの方が私には意外だ、咲夜。あまり人と関わらないと思っていたが」
「いや、別に意外じゃないぞ」と、慧音が立ち上がった。「いつもご苦労様だな咲夜。少し待ってくれ」
 慧音は文机の抽斗(ひきだし)を開けると上等のヒモで綴じられた本を二冊取り出した。
「パチュリーによろしく伝えておいてくれ」
 メイドの見本のような人当たりのいい笑顔で、咲夜はそれを受け取った。
「人里への買出しのついでに、おつかいよ」
 わざわざ私に向かって解説してくれるあたり、まさに心くばりのできるメイドという感じだ。しかし納得がいった。知識人同士の繋がりがあったらしい。ならば私がここにいることのほうが意外といえば意外なのだろう。
「そうだ妖夢。パチュリーなら知恵を貸してくれるのではないか?」
 なるほど、動かない大図書館ならその無駄知識を発揮してこの無駄な難題を解決してくれるかもしれない。座を辞して咲夜についていくことにした。
「力になれなくて済まなかったな。ああ、これはせめてもの礼だ、持って行ってくれ」
 せっかくなので、イナゴの佃煮はありがたく頂くことにする。
「これも持って行きな死にかけー」
 と、今度は妹紅が竹の徳利と杯を――いつの間にこんなに作っていたのか――大量に手渡してきた。この量は持ち運ぶにはちょっとした荷物だ。受け取ろうかどうか迷っていると、不意に妹紅が肩を組んで耳元にささやきかけてきた。
「あげるからさ、代わりに私にも飲ませてよ、大吟醸」
「こら妹紅。卑しいぞ」
 慧音が妹紅の頭を小突いた。ちぇー、と妹紅は悪びれない。
「だって飲みたいじゃない、いい酒があるのにもったいない。慧音だって飲みたいだろー?」
「おーまーえーはー」
 この生真面目で誠実なハクタクと、ガサツで無遠慮な不死人がどうしてこう仲良くやっているのだろう、と思うと不思議だ。二人を足して二で割るときっとちょうどいいと思う。しかし妹紅が茶化し、慧音が怒るやりとりは傍から見ていて微笑ましくもあった。
「あー、そういうことは私には決められない。幽々子様に交渉してくれ」
 そう言い置いて(徳利は受け取らずに)、私は咲夜の案内で紅魔館へ向かう。



「……ふぅん」
 私の説明を聞いて、動かない大図書館が述べた感想がそれだった。そしてそれっきりだった。ヴワル大図書館に足を踏み入れるのは宴会の異変以来だけど、相変わらずうんざりするほどに広い。西行寺家の庭の三分の一くらいの広さの土地にぎっしりと本が敷き詰められている景色は圧巻の一言に尽きる。そして薄暗く、辛気臭い。おまけに夏も近いというのに薄ら寒い(聞いた話だと、本の状態を良く保つために魔法で空調しているそうだ)。白玉楼よりここの方がよっぽど幽霊や亡霊やおばけが出るのにうってつけだ。私としてはあまり長居したい場所ではない。
 チリリ、と燭台から煤の焦げる音が聞こえた。それ以外の音はといえば、目の前の知識人が羊皮紙にペンを走らせるカリカリという音と時計の秒針の音だけ。私は説明を終えて、ただパチュリーの言葉を待っている。つまり誰もしゃべらない。その状態のままコチ、コチ、コチと時は刻まれ……そろそろいたたまれなくなってきた。メイドに助けを求めようと思ったけど、咲夜は図書館の入り口あたりに目を閉じて控えていて、一言も発しない。
「……あの」
「肴という字は」私がおずおずと尋ねようとすると、唐突にパチュリーは口を開いた。「音読みはコウ。部首は月(にくづき)。上の部分との意味の組み合わせで食べるもの、オカズという意味。そこに酒菜(さかな)という言葉の音が当てられた。酒の肴は肴核(こうかく)とも言う。普通に魚と同じ意味も持っているから、主に鳥獣肉や魚肉のことを表す字」
 あまりしゃべらないかと思いきやけっこう饒舌だ。しかもその間もペンの動きは止むことを知らない。その上さっきから慧音から受け取った本にものすごい速さで目を通しているのだ。都合、三つの作業を平行で行っていることになる。インドア派だからといって必ずしも行動が緩慢ということではないらしい。
「フカのヒレね」
「……え?」思わず聞き返すと、パチュリーはこちらを感情のこもっていない目で見た。そしてすぐにまた手元の本に目を落とした。この魔女の発言は展開が唐突過ぎて、とてもついていけない。
「サメの軟骨にはコラーゲンとムコ多糖類の一種であるコンドロイチン硫酸が多く含まれていて、細胞間の結合や、間接の軟骨の生成を助ける。つまり、肌や間接の状態をよく保つ効果がある。コンドロイチン硫酸は他にもカルシウムやビタミンの吸収を良くする働きがある。鮫の軟骨自体にカルシウムやリンが多く含まれているから効果は高い」
 そんな健康豆知識は聞いていない。
「あながち外れじゃないんじゃない?」
「……レミィ」
 今度こそパチュリーが腕を止めて顔を上げた。「早起きね」
 私の背後に、紅い吸血鬼が立っていた。……いつからいたんだ。
「最高の肴、でしょう? フカは魚。しかも最高級の食材だわ」
 最初からいたらしい。ともあれ、フカヒレは高価でしかも栄養効果が高い。なるほど、条件に非常に近いというわけだ。でも、それには大きな問題がある。幻想郷に海はない。だからサメでなくても海水魚は自然と貴重品になってしまうのだ。酒の肴になら淡白な淡水魚よりも塩味が利いて脂の乗った海水魚のほうが良いのはわかる。けどそんなものが今日の夜までという短時間で手に入るのだろうか。
「あら、フカのヒレならウチにあるわよ。ねえ、咲夜」
「はい、お嬢様。あれの調理法は門番がよく心得ていますわ」
 さすが紅魔館、希少品の蒐集にかけては白黒や香霖堂にも負けない。主に財力で。
「もちろん死人にはあげないけどね」
「……そんなことだろうと思った」
 私ががっくりとうな垂れるとレミリアはクツクツと笑った。こいつは人が困るのを見て楽しむ種類の生き物だ。ある意味では幽々子様と同類といえるかもしれない。お互いに絶対認めないだろうけど。ともあれ、ここでの情報は振り出しに戻ってしまったわけだ。
「……ラム肉」
 パチュリーがぼそりと言った。私が視線を送ると、パチュリーは本に顔をうずめたまま。「……もしくはヤギ肉」
 もしかして、高いところ――高原や山岳地域で育てられた家畜の肉、とでも言いたいのだろうか。栄養価、値段の次は高度。なるほど『高い』という言葉にも色々な解釈がある。幽々子様ならこんな駄洒落た解答を用意していても不思議ではない気がする。
「そうね、やっぱりお酒と一緒に嗜む食べ物といえばチーズじゃないの」
「……羊やヤギの乳?」
「シェーブルなんかは臭みがあって好まないわね。家畜は牛が好ましいわ」
 レミリアが言って指を鳴らすと、咲夜がワインの瓶とグラス、そして青かびの生えたチーズの乗ったお盆を持ってきた。咲夜がグラスに紅い液体を注ぐと、レミリアはそれを手に取り面白そうに液体を転がした。確かにワインにチーズなら様になるけど、日本酒には果たして合うものだろうか。
「あら、案外いけるものよ?」とレミリアは言う。「ええ、今までの宴会にも持って行ったわ」と咲夜が続ける。主従の愛は美しいけれど、だからといって日本酒とチーズの関係が変わるわけではないと思う。
「ふん、いちいち細かい半人前ね。せっかく私が知恵を出してあげているのに」
 それはただの気まぐれだろうとつっこみたいけれど、隣の咲夜の顔を見て控えることにする。
「……ほうれん草と鶏ササミのおかゆが食べたい」またパチュリーは方向性のよくわからないことを言い出すし。「最近貧血気味なの」
 それはいつもだと思う。
「貴方も気をつけなさい。お酒はほとんどが炭水化物だから、思わぬところでカロリー過多になる。刺激が強いから胃には負担になるし、アセトアルデヒド分解のために肝臓にも大きな負荷がかかる。肴には栄養素を多く含むものを摂りなさい」
「大丈夫、私はいろいろ足りてるぜ」
 健康豆知識に辟易していると(幽霊に向かって健康談義をするなんてまさにヌカにクギ、つまり意味などあんまりないのだけど、パチュリーはそこのところをわかっているのだろうか)、別の声が割り込んできた。
「無礼な白黒の心配はしてない」
「そう言うなよパチェ。私とお前の仲だろ」
「……どんな仲よ」パチュリーがなぜか顔を本に埋める。
「待ちなさい。パチェをそう呼んでいいのは私だけよ」
「待てと言われても、別に私はどこにも行かないぜ。本を借りに来たからな」
「というかいつ入ってきたの、黒くてすばしっこいの。門番は何をしているのかしら」
「孫文ならいい具合にこんがり焼けてるぜ。あと咲夜、メイドっていうのは会話にナイフを使うものなのか?」
「弾幕がお好きなようですから、サービスですわ。メイドとして」
 ……ああ。
 パチュリーは黙々と本を読み、咲夜の投げるナイフをちょこまかと避けながらも魔理沙はそれぞれと会話している。まったく器用なことだ。そしてレミリアは悠々とそれを見物しながらワインを飲んでいる。年中うるさいのが闖入してきた途端に、辛気臭い場が一気に騒々しくなってしまった。
「お、なんでこんなところに半人前がいるんだ? とうとう地縛霊デビューか?」
 別に此岸に未練を残してなどいない。
「レアな物を探しに来てたのよね」
 レミリアがカラカラと言う。間違ってはいない……のか? なんだか、元の目的から微妙に外れてきた気がする。
「なんだ、そういうことか」咲夜のナイフをホウキでさばきながら魔理沙はこちらに顔を向けた。
「レアモノなら香霖堂にいくらでもあるぜ」



「……もう店じまいにしようと思ってたんだけどね」
「開いてても閉まっててもあまり変わらないぜ」
 結局、香霖堂に来てしまっていた。というか半ば強制的に連れて来られた。この白黒の人の迷惑顧みない性格は改善の余地があると思う。香霖堂店主はその辺りを注意しないのだろうか。たぶん幻想郷で魔理沙に迷惑をかけられている人物ランキングなら五本の指に入ると思うのだけど。
「失敬な。私は誰にでも平等に付き合うぜ」
「つまり誰にでも平等に迷惑なのよね」
 勝手知ったる、という感じで巫女がつっこみをいれた。
「あらそう、……香霖堂には、霊夢がいるわね」紅魔館を出る際、レミリアがそんなことを言っていたのを思い出す。あの吸血鬼の能力は『運命を操る程度の能力』。運命の線を視ればちょっとした予言めいたことも夕飯前ということだ。実際、香霖堂に入ると霖之助さんと霊夢がお茶を飲みながら会話しているところだった。
「ではお嬢様、お出掛けになりますか?」と咲夜がすかさず聞くと、レミリアは首を振った。「いいの。私には運命が視えるのだから」
 その言葉と、レミリアの不敵な笑みが不可解だったのが心残りといえばそうだ。でもここに来ては仕方がない。もう店の窓から夕陽が射すような時間。幽々子様との約束の時間まで幾ばくもない。紅魔館で有効な情報が得られない以上、霖之助さんを頼りにするしかないのだ。
「それで、何をお探しなのかな」
「レアモノだよな」
「サカナだっ」
「レアな魚かい? シーラカンスなら最近売れてしまったよ」
 売れたのか。というかどこで手に入れたのだろう。古代魚も外の世界では幻想の存在になったということだろうか。
「あとは……シーモンキーとかウーパールーパーとか」
 それは魚類じゃない。レアでもない。霖之助さんは理性の人だと思っていたけど、案外天然なのかもしれない。マイペースというか。もしかすると幽々子様の思考回路にもついていけるんじゃないだろうか、と少し希望を抱いてしまう。
「あの、肴です、お酒の肴」
「お酒のオツマミ?」霊夢は湯飲みを置いて言った。「そういえばあなたの主人、いつか漬物を漬けてなかったかしら。それじゃダメなの?」
 そんなこともあった。しかも幽々子様はそれにもすぐ飽きて、私に壷を押し付けてしまったのだ。仕方なく私は庭師の仕事と平行して漬物の漬け方を学び、実際に作った。でも。
「……この二週間前にちょうどいい感じに漬かったんだけど、その日のうちに全部食べられた」
「…………そう」
 霊夢の微妙に哀れむような視線が痛い。
「アレだ、神社に棲みついてる鬼っ子なんかが詳しいんじゃないか? 酒飲みだし」魔理沙にしてはまともな意見だったけど、霊夢は首を振った。
「アレは駄目ね。ツマミなんかなくても無尽蔵に飲めるヤツだから、ツマミについては何も言わないもの」
「…………そうか」
「ふむ」とつぶやいて、霖之助さんは眼鏡を外した。「ウチは生鮮食品屋じゃないんだけどね……」
「じゃあ何屋?」
「知らなかったのか霊夢。香霖は理屈屋だぜ」
「君はもっと理屈を大事にするといい、魔理沙。……そうだなあ、考えたことがなかった」店主はぼんやりとした口調でつぶやきながら布で眼鏡を拭く。「うーん。ここは商店には違いない。敢えて言うなら、香霖堂。それ以上でもそれ以下でもない」
「……じゃあ、やっぱり肴になるようなものはないんですね」
「あるよ」
 ……。
 ガクリ、と幻想郷においてすらレトロスペクティヴになりつつあるようなズッコケかたをした私は間違っていないと思う。本当にこの人は、ある意味幽々子様よりとぼけているかもしれない。
「ちょっと待ってくれ。氷室から持ってくるから」
 眼鏡をかけなおすと、主人は店の奥に消えた。
 手持ち無沙汰になった私は、なんとなく店内を見回す。店内に所狭しと陳列されている商品らしきモノは、雑貨に見えないことはないモノを中心に、変なモノから妙なモノまで色とりどりにそろえられている。中には使い方の想像がつかないモノや、そもそも道具なのかどうかすら疑わしいモノもある。その他の大多数は私からすれば何の役に立つのかさっぱりわからないモノだ。少なくとも食べ物の類は置かれている店には見えない。
「知ってるか霊夢、半人前。香霖堂の氷室はチルノを閉じ込めてあるから年中氷切れ知らずなんだ」
「嘘でしょ」
「嘘だぜ」
 魔理沙と霊夢の漫才(?)を聞き流しているうちに、霖之助さんは戻ってきた。そしてカウンターに様々な……食べ物、らしきものを並べた。
「全部外の世界の食べ物だよ」と霖之助さんは言うけど、なんというか、どれも元の材料の想像がつかない、店内の雑貨のようによくわからないものばかりだった。
「これは、何ですか?」
 ひとつを指差して尋ねる。まさに言葉の通り、ホワットイズディスだ。
「サラダスティック、だね。シーグレイスとか、かにかまとも言う」
「蟹鎌?」
「強そうね」
「あー、それなら紫んとこで食べたことあるぜ」魔理沙の口から意外な名前が出た。いや、意外でもないか。紫様はなぜか外の世界に詳しい。「紫が言うには、カニの味を真似たニセモノらしい。合成で」
 というか、カニを食べたことのない私にはそれが本当にカニのニセモノなのかの判別すらつかない。目の前にあるつるつるとした紅白の食べ物を見て、カニを連想できない。そもそも、カニからこんなに大きな肉が取れるわけがない。
「もしかして、サワガニやザリガニのことを言っているのかい? ……そうか、幻想郷だからね」納得したように、霖之助さんは海には川に棲むカニの数倍大きなカニがいることを教えてくれる。なんだか海に対する興味がわいてきた。死ぬまでに一度でも海に行くことができるだろうか。半分死んでるけど。
「そしてこっちはチーチク。チーズを竹輪で包んだものらしい」
 といっても、これはどう見ても竹輪ではない。竹輪とは、魚類のすり身をその名の通り竹で作った棒の周りにこね付けて焼いたものであって、こんなに小さな竹輪を作れるほど細い竹の棒など見たことがない。これではほとんど白玉団子だ。
「でも確かに魚のすり身の味がするぜ。チーズ入ってるし。もぐもぐ」
「ものを食べながらしゃべるな」
「……つまみ食いは感心しないな」
 美味いぜ香霖もっとくれ、と飛びつく魔理沙を霖之助さんが片手で押しとどめている。思わずついたため息は霊夢のそれと重なった。
「これはチーズ鱈」チーズを棒状にしたものに鱈(タラ)のすり身を薄く巻きつけたものらしい。
「おお、海水魚。レアモノだぜ」
「しかもチーズつきね。抱き合わせ販売?」
「微妙に違う」
 というか、牛と鱈を合成したキメラを食べるなんて、外の世界の人間の嗜好はどうなっているのだろう。とにかくチーズさえあればいいというような方向性もいただけない。
「わがままな半人前だぜ」
 実際わがままなのは幽々子様なのだけど。と幽々子様の顔を思い出したところで、間違いに気付いた。私の探していたものは『レアな肴』ではなくて、『最高の肴』だ。いつの間にか微妙に方向性が曲がっていたようだ。
「そういうことははやく言えよ半死人。これだから冥界は音速が遅いんだ」
 有無を言わさず引っ張ってきたのは誰だ。
「でも幽々子って珍しいもの好きそうじゃない? こういうの持っていっても喜ぶと思うけど」
「シンプルイズザベストという言葉もあるね」霖之助さんがすかさず言う。「普通のもの、陳腐なものが多く出回るのは、皆がそれを認めているからなんだよ。普(あまね)く通じるものは外であろうと幻想郷であろうと滅ぶことはない。つまり優れているということだ」
「あー? つまりアタリメとかか」
「アタリメ?」
「スルメイカのことね」
「幽霊だから縁起の良い言葉を知らないんだな」
 幽霊をバカにしているのか。しかし困った。めぐりめぐって原点回帰をさせられるなんて。つまり、普通の冷奴や豆や焼き鳥などといった肴こそが最高の肴だという可能性も出てきた。もう何が何だかわからない。思考は進めれば進めるほどグルグル回る。ぐるぐる、ぐるぐる、輪廻、輪廻。
「というかそもそも」と、どこから出したのかスルメをかじりながら魔理沙が言う。「お前はなんで肴を探してるんだ?」
 ……。
「……」
 ……あ。ごく自然な流れで話が進んでいたから忘れていた。言われてみれば「肴を探しに来た」と言っただけで、ここに来てからまだ事情を説明していない。ホワイドゥユードゥサッチアシングなんて質問をされても仕方がない。
「それはつまり、幽々子様がどこからか大量の大吟醸を手に入れてきて」
「大吟醸!」
 私の言葉をさえぎったのは魔理沙だ。話は最後まで聞け。「そういうことは早く言えよ半人前!」逆に怒られた。
 白黒はスルメをどこかにしまうと、いそいそと立てかけてあったホウキをつかんだ。そしてカウンターにある外の食べ物を残らずつかんでいく。
「これは頂いていくぜ、香霖」
「お代は」
「ツケだぜ」
「言うと思った」霖之助さんは諦めたように肩をすくめる。そういう態度がこの白黒を助長させているのだと思うけど。……というか、そろそろこの脊椎の三センチ左下あたりを走る嫌な予感を無視してはいけない気がしてきた。
「ちょっと待て、どこに行く!」
「待てと言われても、私はどこにでも行くぜ」
 魔理沙は嵐のように去っていった。あまりのことに言葉もなく立ち尽くしてしまう。どうしたものか、と機能を取り戻しつつある思考を動かそうとすると、
「そういえば、時間は大丈夫なの?」と霊夢が霖之助さんに目配せをした。ふむ、とつぶやいて霖之助さんは懐中時計を取り出す。西洋式の時計で、短針が6の字を少し越えている……「酉の三つ時ね」
「……………………!!!」
 幽々子様との約束の時間は、戌の刻……!




 ごぉん、ごぉん、……お寺の鐘が五つ鳴る。きっかりと戌の刻。白玉楼に戻ってみると、なんだかすごいことになっているらしかった。
「……まあ、こうなるとは思ってたけどね」
 なぜかついてきた霊夢が、大きくため息をつく。この人間はため息が多い気がする。賽銭が入らないのはそのせいじゃないのか。そういえば霖之助さんも私たちの去り際に「やれやれ」とため息混じりに言っていたような。
「あんたも人のこと言えないわよ」
 巫女の言うことは聞こえなかったことにする。凄いこと、というのは、まだ西行寺の門をくぐってもいないのに聞こえる声のことだ。私が出る前は幽々子様一人だったはずの西行寺家の庭がやたら騒がしいのだ。何者かが集まって何かしているらしい。
「だから、言ったでしょう?」
 二回目だともう驚かない。背後に現れた吸血鬼はニヤニヤと笑った。そんなに人の背後を取るのが好きか。
「剣士が背後を取られていては、まだまだ半人前ね」
 失礼なことを言う。私だって剣士の端くれだ、気配の察知くらいできる。反則技を使っているのはそっちだろうに。笑う主人の横ですました顔をしているメイドを、私はにらんだ。
「それで、何を言ったの?」霊夢が聞くと、レミリアは笑い方をニコニコに変えながら、霊夢に擦り寄っていく。
「私には運命が視えていたということよ」
 腕を絡めるレミリアを、「……ふぅん」と言っただけで霊夢はなすがままにさせていた。そしてさも当然のように西行寺家に向かって歩き出す。その後を、なにやら荷物を抱えたメイドが従う。三人の背中は遠ざかる。それが決まっていたことのように。
「何をやっているの半死人。そんなところで立っていてどうするつもり?」
 歩を進めた。西行寺家の庭は、外で抱いた感想の通り、実際すごいことになっていた。なんか、いっぱいいる。妹紅と慧音、白黒、パチュリーなんかをはじめ、アリスや紫様たち、ウサギたちといった、今日見ていない顔も多くある。そいつらが庭に敷いた毛氈(もうせん)の上で、そろいもそろってワイワイと騒いでいるのだ。
「おっ、遅いぞ死にかけー」と妹紅がこっちに手を振った。もう片方の手には例の竹の杯があって、その中身をグイっとあおった。
 ちょっと待て。なんで妹紅がここで幽々子様の酒を飲んでいるのだ。妹紅だけではない、ここにいる全員が竹の徳利から酒をついで、飲んでいる。毛氈のすぐ隣にはすでにふたが割られた鏡樽。
「ここに座るわ」レミリアは毛氈のそばに立った。「どきなさい、不死人」
「ここは私の場所だ、辛気臭いお嬢ちゃんは別のところに行きな」
「肴はここに置きなさい、咲夜」
「ささ、こっち来て座りな。あ、ちょっとそっちに寄ってよ慧音」
「……妹紅。餌付けされてるぞ」
 座にレミリア、霊夢、咲夜が加わり、咲夜は持ってきた荷物の包みを解いた。中身は咲夜が用意してきたのだろう、軽い料理やツマミが色とりどりにそろえられた重箱だった。中にはチーズやラム肉、極めつけにフカヒレの姿煮まである。
「ほらボサっとすんなー。お前らも飲めー」
 魔理沙の声でレミリアたちに竹の杯が回った。何気にこの場を仕切っている。この面子の多くを連れてきたのはこの白黒で間違いないだろう。
「なにやってんだ半人前。ボサっと立ってないでこっち来い」
 ああ。どうしたらいいんだろう。幽々子様の庭で好き勝手しているこいつらをまとめて斬り潰すべきなのだろうか。毛虫と違って一匹ずつ処分という贅沢は言ってられない。
「あらあら妖夢」と、その声に、どれだけ肩の力が抜けたことか。「遅かったわね」
「ゆ……幽々子様ぁ」
 西行寺家の主人は縁側を悠々と歩いてくる。私は思わず駆け寄ってしまった。そして、
「申し訳ありません!」
 思いっきり頭を下げた。「わ、私、結局『最高の肴』も何のことかわからなくて、見つけられなくて、その、なんか余計な奴らを呼んできちゃって、せっかくの幽々子様のお酒が、そのっ……」
 そうだ、幻想郷の連中に「大吟醸を手に入れた」なんて触れ回るなど、ピラニアの群れに肉を投げ込むようなものだ。バカ正直とはつまりバカの別の言い方でしかない。私はバカだった。その上、主人の命すらろくにこなせなかった。なんのための魂魄妖夢なのだろう。そう思うと悲しくなって、頭が上げられなかった。
「いやいや妖夢」
 ぽん、と後頭部にぬくもり。幽々子様の手が置かれた。そしてそのままさわり、さわりと撫でてくれる。されるままにしていると今度は手があごに回されて、顔を上げさせられる。幽々子様はフワリと微笑んでいた。
「あなたはちゃんと持ってきてくれたわ、最高の肴を」
「……え」
 私は自分の手の中を見る。壷がひとつだけ。例の、イナゴの佃煮だ。ま、まさか本当にこれがお気に召したのですか幽々子様……!?
「いやいや妖夢」
 実に可笑しそうに、幽々子様は袖で口元を覆った。そして扇子を取り出し、縁側から降り、毛氈のほうに向かって、庭を歩く。私はその後姿を見つめる。



 フワリ、フワリと。



「一人酒は味気無い」



 舞を踊るように。



「二人酒は色気無い」



 歌を歌うように。



「三人酒は……三角関係の始まりかしら? ふふふ」



 フワリ、フワリと。




「お酒は、皆で楽しむものでしょう?」




 初夏の風が夕闇を暖めた。



 ……つまり、それが答えだったのだ。
 なんて簡単な答え。どんなに美味しいツマミがあっても一人で黙々と飲むのでは最高の肴とは言えない。それはただ単に酒と食べ物を摂取しているだけで、本当に酒の味を楽しんでいるのではない。肴とは、お酒の友であり供。何も食べ物ばかりを指しはしない。花見では桜が、祝勝会では勝利を祝う興奮が、旧友との席では昔話が、肴だ。
 そして、西行寺家に用意されたのは一人じゃ飲みきれない量のお酒。桜の樹の下には屍体が埋まってゐないといけないように、お酒のあるところでは宴会が開かれないといけない。そこで用意される『最高の肴』とは、ひとつしかない。

 ――賑やかさ、だ。

「ほら、あの白黒のあたりで三角関係よ」
 クツクツと幽々子様は笑う。まったく人が悪い。そういうことなら、最初から「宴会をするから、皆を呼んでらっしゃい」と言ってくれればよかったのに。なんてことを考えてしまうあたりが、私が半人前である由縁なのかもしれない。
 あるいは、幽々子様はこうなることを見越して、あんなことを言ったのかもしれない。魂魄妖夢の存在は、幽々子様という容れ物に規定されている。ならば、中身のことを一番よく知っているのは容れ物であり、その容れ物が中身を思い通りの形にすることなどたやすいのだ。あの言葉はその手段に過ぎない。そんな幽々子様のことが頼もしくあり、畏怖(おそ)ろしくもある。あのフワリフワリとした態度と笑顔からは想像もつかないほど深いことを、幽々子様はつねに考えているのかもしれない。そして……愛おしい。やはり、私の主人はこのお方以外にはありえない。魂魄妖夢という中身を容れられるのは、幽々子様という器以外にありえない。
「おお、スポンサーのお出ましだぜ」
 白黒が立ち上がる。その足元ではなにやらアリスとパチュリーが赤い顔を突き合わせてにらみ合っている。幹事に迎えられて微笑むと、幽々子様はこちらに向かって手招きした。そして全員を見渡す。
「さあ、皆今日は大いに盛り上がりましょう」
 わあっ、と歓声。輪廻の舞台である西行寺の庭。そこで騒ぐ人間と妖怪たち。賑やかさの好きな主人。しかも大食い。まったくもって、幽霊らしくない。そういえば、鏡樽はお祝いの時に飲む酒を入れる樽だった。そんな縁起物が冥界にあるなんて、ますますおかしい。まったくもって、可笑しい。
「おーい、酒、なくなったぞー」誰かが言った。
「新しい樽を開けなさい。まだまだたくさんあるんだから」
「あ、私開けたいー」
「杯が足りないよ」
「わははいいぞもっとやれー」
「ほら、木槌貸して」
「あ、そのツマミ美味しそう。こっちに頂戴」
「この前鈴蘭畑でさあ……」
「あーっ、それは私のだってばー!」
 もう誰が何を言っているのかわからない。これからさらに盛り上がって、乱痴気騒ぎになるのだろう。
「ほら、妖夢」
 幽々子様が、木槌を手渡してきた。私は笑顔を浮かべて受け取った。鏡樽のほうを見ると、妹紅が「ほら早くしろ死にかけ」と急かしている。駆け寄って、鏡樽の板の上に木槌を構えた。
「誰が死にかけだっ」
「無礼講だ無礼講」
「もともと無礼だろうが」
 私たちは顔を見合わせてニヤリと笑う。まあ、たまにはこうして騒ぐのも悪くない。せっかく幽々子様が用意し、私が手に入れてきた『最高の肴』だ。楽しまなければ損だろう。様々な思いをこめて、息を大きく吸う。

「せーのっ!」



 パカァン! 気持のいい音が、西行寺の庭にこだました。


独り手酌しながらこんなお話を書いていると、人恋しくなってしまいました。


ああ、久し振りに仲間を集めて騒ごうか。

……(4月14日午前10時30分ごろ追記)……

お読み頂いた全ての方、そしてこのような場所を設けて下さった管理人様、本当にありがとうございました。
全てのコメントは(サイトの日記にも書きましたが)ひとつひとつ大切に読ませて頂きました。全部にレスをつけたい気持ちですが、それはまたの機会に。

さて、今回追記をさせて頂いたのは、他でもありません。全ての方々に感謝を込めて、このSSの続編をご用意しましたのでご報告に参りました。
お口に合うかわかりませんが、どうかこのSSがお気に召したなら、食後の一杯として是非お読み下さい。

http://www.tvk.zaq.ne.jp/tsukushi/ss_toho04_compe2_ep.htm
つくし
http://www.tvk.zaq.ne.jp/tsukushi/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/03/24 20:24:43
更新日時:
2006/04/17 10:31:08
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1. 6 月影蓮哉 ■2006/03/25 15:18:54
ほぉー、良く調べてありますなぁ。
やべ、何だかお腹すいてきた。
2. 7 爪影 ■2006/03/26 23:13:29
こまっちゃんに川を渡らせてもらえない程には思って無いが、一人で呑むのも良い物だと思う。個人的には。
3. 7 名無し妖怪 ■2006/03/28 03:10:23
妹紅の「私にも飲ませてよ」の台詞でピンときました。初夏のぬるい夕暮れ時、賑わう白玉楼。思わず参加したくなる素敵な雰囲気。
4. 7 名前はありません。 ■2006/03/30 06:45:20
いやいや妖夢
妖夢と幽々子様の関係はこんな感じですよね
5. 7 papa ■2006/03/30 19:09:52
宴会はにぎやかなほど楽しい。にぎやかすぎるとやかましいですが。
最後の幽々子の庭を歩くときの表現が素敵です。
6. 8 水酉 ■2006/03/30 21:57:01
これはまさに「最高の肴」
幽雅に騒げ、冥界の宴
7. 5 おやつ ■2006/04/02 19:26:50
酒は一人より二人、二人より三人……いいですねぇ。
拙者はそれ以上人が増えると駄目な口ですがw
ゆゆ様の難題に振り回される妖夢。
王道ですねぇ(自分的)
奔走する妖夢と自然と集まる皆さんがとても好きです。
8. 7 名無し ■2006/04/04 23:00:47
綺麗ですね。
慧音と妹紅のあたりが、特にお気に入りです。
9. 9 かけなん ■2006/04/06 02:00:09
正直途中でオチが読めてしまったものの、それでもいいものはいい。


嗚呼、ひとりで酒は寂しいけれど、一緒に飲み交わす友人もいない。
……交友関係の問題ではなく年齢の問題です、ハイ。
10. 5 二見 ■2006/04/06 04:53:15
「」の改行が統一されていなかったり、擬音語擬態語が多用されているのが気になりました。
ありきたりではなくて、もう少し独自の表現をして欲しいですね。
お話としてはややベタな感じがするものの、綺麗にまとまっていて
温かさを感じる作品でした。

11. 7 藤村琉 ■2006/04/07 01:46:10
 硬すぎず、柔らかすぎず、適度な語り口で進行する物語に引き込まれました。
 その一方で、終始テンションが均一だったためか途中で疲れたところも。シニカルでコミカルでノリも素敵なのですが、いまいち抑揚がなく落ちに行き着くまで少しだれてしまったり。シーンが終わるたびにテンションがリセットされるので、気持ちを持続させるのが辛かった点もありつつ、最後には十分に楽しめたと素直に思うことができたので、万々歳。
12. 7 偽書 ■2006/04/07 22:07:14
妹紅がえらく可愛いなあ。死にかけというのが実に斬新? ラストは予想のつくものでしたが、飽きの来ない内容で、楽しめました。
13. 9 ルドルフとトラ猫 ■2006/04/10 00:12:29
うおおおれも混ざるぞー!
14. 10 ■2006/04/10 23:56:23
あとがきまで含めて、何だか幻想郷っぽくて非常に良かったです。
あと、この妹紅がどうもツボにクリティカルヒット。私の中の妹紅像とかなり重なってるせいでしょうか。
15. 6 MIM.E ■2006/04/11 22:09:29
半幽霊ってのはそういう意味じゃないという妖夢に痺れた。
それぞれの関係と予定調和ぶりが読んでいて安心できる話でした。
オチが読めやすかったのが少し残念。それにしても、こういう妖夢いいなぁ。
16. 5 木村圭 ■2006/04/12 02:24:40
キャラ描写がうまいからか引っかかることも無くするすると読めました。時に幽々子さま、その大吟醸はどこから?
17. 9 NONOKOSU ■2006/04/12 03:11:18
『幽々子様の無茶な頼み事』というのは、東方SSの定形のひとつとして確立されつつあるのかなぁ、などと思いながら読んでいたんですが、いやいや、やっぱり面白い!
所々に挿入されている薀蓄や小話が素敵です。
18. 6 とら ■2006/04/12 06:09:46
人見酒、人見酒。
交わす杯の何と美味いことか。
19. 5 反魂 ■2006/04/12 06:47:54
流石幽々子様、長い年月を生きたり死んだりして過ごしてきただけあって、
仰ることに含蓄がある。人こそ最高の肴なれ。
20. 7 K.M ■2006/04/12 21:32:48
幽々子さまの謎掛けとどこか普通じゃないメンバー
幽々子さまの答えが実に秀逸
21. 4 椒良徳 ■2006/04/12 23:32:17
御免なさい。時間がないようなので、コメントはまた後日書かせていただきます。
22. 9 ■2006/04/12 23:34:22
うぅん、味が深い。
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