名も無き紫酒

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/25 01:31:28 更新日時: 2006/04/19 17:58:43 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00
その日は、実に月が美しかった。



「ふぅ…」

ため息のように、息をつく。
くいっと、自分の右手に持った木製のコップを口につける。
一気に呷り、中に入っていた酒を飲み干した。

「月を見ながらのお酒も、やっぱり悪くないわね。」

八雲紫は一人、縁側で月を見ながら晩酌をしていた。
今宵は月が美しい。
満月だとか、そういうわけでもない。
ごく普通の三日月なのに、どうしてか、とても美しく見えた。

近くにあった一升瓶を左手で掴む。
宴会の時にしょっちゅう持っていく吟醸酒だ。
その口を下げて、コップに酒を注ぐ。
注ぎ終わると紫は一升瓶をドン、と力強い音を立てて置いた。

酒を、再び呷る。
喉を滑り往く、熱い液体。
この感覚が堪らない。

「いつも騒いでばかりだから、こんな寂しい晩酌もいいものね。」

紫は呟く。
いつも月を見るときの晩酌は、博例神社に集まっての
騒ぎに騒ぐ大変な宴会となる。
その為か、酒を飲むだけではなくて色々と疲れるものがある。
尤も、疲れる以上に楽しい事が多いのも事実だが。

月は、彼女を照らしていた。
より美しく、その場に際立たせるように。


「紫様、御休みになられていなかったのですか?」
「あら。」

声が聞こえるほうを振り向く。
そこには藍が立っていた。

「驚きましたよ、ちょっと眼が覚めたら横に紫様がいらっしゃらないのですから。」
「そんなに心配しなくても、私はどこにも行かないわよ。」
「ホントですかぁ?」

明らかに疑問の声を投げかける藍。
まぁ、しょっちゅう藍に何も言わないでどこかにふらふらと歩いているのだから
こんな事を言われるのも仕方がない。
しかも探し始めた頃に戻ってくるのだから堪らない。

「本当よ。それより藍も一緒に月を見ない?」
「月…ですか?」
「ええ、今日は格別に綺麗だわ。」

では遠慮なく。といって藍は紫の横に正座して座る。
空を見ると、確かに月が美しい。
満月の時のような妖艶な美しさではない、純粋な美。

「本当ですね…」
「でしょう?」

紫が笑顔を藍に向けて言う。
月の光を横に浴びたその顔は、空に浮かぶ月よりも遥かに美しかった。
思わず藍は紫と眼を合わせないようにしてしまう。

「あら、どうかしたの?」
「い、いえ…御酌、致しましょうか?」
「そうね、頂くわ。」

藍は右手で一升瓶を持ち上げ、左手をそこに添える。
紫が差し出した木製のコップに、一升瓶の口を下げて酒を注ぐ。
ちょうど九割ほど入ったところで、藍は瓶の口を上げた。
すると紫は言った。

「藍は、飲まないのかしら?」
「は?」
「これ、結構いいお酒よ。藍にも是非飲んでもらいたいの。」
「え、いや、私は…」
「まだ飲めないのかしら?昔から変わらないわ。」
「いや飲めますけど…流石に。」

随分昔、紫と会って間もない頃に酒を飲まされた事があった。
その酒が、紫の大好物でもあったアルコール度数の90ほどの大吟醸だった。
最初はただの水だと思ったが、飲んだ瞬間喉が焼ける錯覚を受けた。
そのまま倒れ、二日ぐらい倒れていた。
その後しばらく紫が出す水は飲まなくなった。

「私も、あの時みたいに子供じゃないんですから。」
「そうね、ごめんなさい。」
「…い、いや別に謝る所では。」

主人が珍しく頭を下げたのに戸惑う藍。
らしくない。
それでも頭を上げると、紫はいつもどおりの笑顔で藍に話しかけた。

「…じゃあ、一緒に飲みましょうか。」
「あ、はい…って、用意良いですね…」

いつの間にやら紫は左手に空のコップを持っていた。
どこから取り出したのだろう。きっと隙間からか。
気にしたら負けだと思い、とりあえず受け取る事にした。
そして藍は一升瓶に手を伸ばす。
が。

「おっと。」
「あ。」

ひょいと、紫が空いた左手で一升瓶を先にとる。
藍は左手の行き場を無くす。伸ばしただけの手は間抜けみたいだった。

「ゆ、紫様。お飲みになるのならば私が注ぎ致しますので…」
「何を言っているのよ、藍。」
「はい?」

すっと、紫は一升瓶の口を藍のほうに向ける。
それは、簡単な理由。

「注いで上げるわ、藍。コップを出して頂戴。」

酔っているのか、ほんのりと紅く染まった頬で紫は言葉を放つ。
藍は突然の言葉に驚きを隠せなかった。

「い、いやっ!?紫様から注がれなさるなんて、そんな事…!?」
「遠慮しなくて良いのよ。私は気にしないわ。」
「し、しかし…!」

反論をしようとしたとき。
紫は藍の顔面に当たるか、当たらないかという距離で人差し指を突き出した。
思わず、眼がそこに言ってしまう。

「式神って言う物は…」
「あ…」
「術者の言う事に、常に従順な物よ。」

紫の真剣な瞳は、簡潔に物語っている。
藍もその瞳に反論する事はできなかった。
人差し指が自分の顔を離れたのを確認すると、仕方なくコップを差し出す。
紫が一升瓶の口を下げると、トクトクと小気味のいい音を立てて
コップの中に液体が溜まっていく。
藍は注ぎ終わったのを見ると、ゆっくりとそれを下げる。

「戴きます。」
「はい、どうぞ。」

ぐっと、一気に酒を飲む。
喉に流れ込む冷たいはずの酒。
しかし感じるのは熱。
喉が焼け焦げる、懐かしい感触。
燃え盛る口の中。
何もかも、昔と一緒だった。
最後の一滴まで飲み干して、ドンッ、と勢いよくコップを床に置いた。

「相変わらず、こういうお酒が好きですね。」
「ええ、その喉の感覚が堪らないじゃない。」

一杯飲んだだけなのに、頭がクラクラする。
目の焦点が合わない。吐き気がする。
飲んだ瞬間の気持ち良さは確かにそうだったが、飲んだ後の感触はやはり厳しい。
紫はそんな藍を見て、くすくすと笑う。

「やっぱり、まだ慣れないんじゃない。」
「…申し訳ありません。」

藍は心底申し訳なさそうにがっくりとうなだれる。
酔いが一瞬で回ったのも原因だろう。

「ところで藍。貴方、覚えているかしら。」
「…は、はい?何をですか?」

ああ、頭を上げるのが辛い。
こんなに辛いのも久しぶりだ。
ようやく頭を上げて紫を見る。

「このお酒の事…」
「…」

紫の、過去を懐かしむ、優しい笑顔が眼に入る。
覚えているとも。
これは―――

「…私が初めて飲まされたお酒ですよね?」
「ええ。」

藍は苦笑する。
忘れるものか。
喉を焼け焦がすこの強さ。
昔とちっとも変わっていないじゃないか。

「忘れる訳がありませんよ。これを飲んだ後の日々は辛かったですし。それに―――」

藍は、紫の眼を見る。
月明かりに照らされて、より自分の主人は美しく見えた。
普段から美しいとは思っているけど、それでも。



「貴方と初めて出会った頃の事です―――忘れられる訳が無い。」



紫はその言葉を聞いて、笑みを浮かべている。
彼女もきっと、その時の事を思い出しているのだろう。

夜風が吹く。
この風は―――私の酔いを醒ましてくれるだろうか。
無理だとは、思うけれど。

藍は立ち上がる。
少々足がふらつくけれど、余り気にならない。
見ているのは、自分が今でも好きな主人のみだから。

「藍、もう寝てしまうのかしら?」
「申し訳ありませんが、私にはやはり慣れなかったようですので。」
「残念ね…橙は?」
「とっくに寝てますよ。大体橙に酒を飲ませる気ですか貴方は。」

藍が疑念の目で紫を見る。
それを紫はくすくすと面白そうに笑っているだけだった。

「橙は、まだ飲めないのかしら?」
「まだ幼いですから。普段から飲みまくってる巫女や魔法使いと違ってさっぱりです。」
「いつか、一緒に飲めるといいのだけれどね。三人揃って。」
「百年後には、その願いも叶いますとも。」

藍は言った。
いつかは、そんな日が来るものかと思う。

「ところでこのお酒…」
「ん?」
「何ていう、名前なんでしょうか?」

藍から出た、素朴な疑問。
この一升瓶。外見はただの茶色の瓶で、中に液体が入っている事は判る。
しかし、何も貼っていないのだ。
酒の名前となるような物が一切無い。
ただ一つ特別なことといえば、コップに注いだときに見えるその透き通るぐらいに美しい紫色だ。
紫はそれを聞かれると、また笑い出す。

「さぁねぇ…何ていう名前かしら?」
「何ていう名前って…紫様もご存じないのですか?」
「ええ、別に名前なんかに興味は無いもの。このお酒が美味しいというのが一番大事じゃない。」
「それは、そうですね。」

確かに、藍にもその酒の旨味はわかる。
他の飲む酒とは違う、明らかな味の違いがこれにはあった。
だからこそ気になったのだが、紫の言っていることも尤もなので追求しないようにした。

「それでは私はこれで。紫様は?」
「そうね…もう少し、一人で晩酌してから寝る事にするわ。」
「判りました。それでは。」
「ええ、お休みなさい。」



藍は、そういうと部屋に戻っていった。
一人縁側に紫は残される。
ぐっと、何杯目かわからない酒を呷る。
―――やはり、美味い。

ふと思い出すのは、昔の事。

まだ小さかった頃の藍と出会い、自分の式神にした日。
酒を飲んだときの面白い反応は、今でも忘れられない。

そして、飲ませた酒を見る。
自分の一番のお気に入りの、喉を滑り落ちる最高の熱を持った大吟醸酒。



今まで―――自分と、藍しか飲んだことの無い特別な酒。



彼女は、その事を知らない。
自分が飲んでいる酒が、自分と主人だけしか飲んだ事が無いという事を、彼女は未だに知らない。

名前なんか、ある訳が無いのだ。
この世でたった一つの、紫色の酒。
今まで作ったり継ぎ足したりして、この最高の味を今でも保っている。
紫は名前をつけるのが面倒だとも思うし、更に言うならば
酒を決めるのは名前ではなく味だとも思っている。
だからこそ、この酒に名前は要らないし、存在しえない。

これは、自分にしか知らない事実だ。
この事実を知ったとき、自分の好きなあの式はどんな顔をするのだろうか。
考えると、笑顔が止まらない。

いつかは、自分が好きな式神だけではなく。
その式の式すらも一緒に。
家族同然で暮らしている三人で一緒に。



―――こうやって、最高に美しい月を見ながら
   名も無い最高のお酒で晩酌をしたいものね。



紫はたった一人そう思いながら。
今夜何杯目かわからないほどの名も無き最高の酒を注ぎ、呷るのである。



〜了〜
こんにちわ。
今まで作っていた作品がどうにも訳が判らなくなって来たので
もうしらーん、ていう感じで二日程度で制作してしまった作品。
故に短いです。楽しく作れましたが。
胡散臭い人(?)だけれども、自分の式や幻想郷を愛する気持ちは一番強いんじゃないか。
そう言う想いから作られました。名も無い酒。楽しんでいただければ幸いです。
これを書いていて八雲家の家族愛を書くのが楽しくなった。

吟醸酒とか飲んだことねぇー。
だから酒の旨みとか正直判りませんが。どうか20歳以上の方にはわかりますように(無茶言うな)。
遼魔
http://freedia-a.hp.infoseek.co.jp/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/03/25 01:31:28
更新日時:
2006/04/19 17:58:43
評価:
0/0
POINT:
0
Rate:
5.00
1. 3 ラナ ■2006/03/25 04:06:41
私の好みにゃちと甘すぎたです。
2. 4 月影蓮哉 ■2006/03/25 15:26:23
お酒は匂いだけで吐き気がする私ですが(ぉ
こんな紫様も良いと思った。
3. 5 爪影 ■2006/03/26 23:38:30
こういった静かな雰囲気は、個人的には好きですね。
4. -1 名無し妖怪 ■2006/03/27 06:07:41
日本酒が度数90になることはありえません、せいぜい20度が限界です。話の大筋には関係ないことですが、今回のお題が「酒」であることもあり、気になって物語に浸ることが出来ませんでした。日本酒度+25の超々辛口だ、とかならまだ説得力があったかも。
5. 5 名前はありません。 ■2006/03/30 07:04:14
八雲一家の関係が良い感じに書けていると思います
6. 6 papa ■2006/03/30 19:11:01
アルコール度90・・・普通に死ねそうです。
最後の方の描写が落ち着いた雰囲気を出しています。

7. 5 水酉 ■2006/03/30 22:32:22
うん、酒は味で選ぶもの。銘柄なんて関係ないです。
知らないようなお酒でも、やすーいお酒でも、美味しいものは美味しい。

そして一緒に飲める相手がいれば、もっともっと美味しい、ね?
8. 4 つくし ■2006/04/01 15:33:23
無銘であるところが味わい深いお酒でした。ごちそうさまです。
9. 4 おやつ ■2006/04/02 19:43:34
八雲最高!
10. 5 藤村琉 ■2006/04/07 01:48:16
 良い話すぎないくらいの良い話。素敵なしんみり加減。
 でも、個人的に藍はお酒飲めるイメージなんですが。九尾の狐の流れで。
 橙と藍と紫が一緒にお酒を飲み交わしている、そんなシーンがごく自然に思い浮かびました。
11. 4 反魂 ■2006/04/07 15:34:02
家族の何が幸せって、一緒に酒が呑める瞬間なんだ、とは私の親の口癖。
ほんわか団欒のSS見事でした。

評価とは関係なく野暮なツッコミをすると、大吟醸は醸造の定義上
アルコール添加量上限が決まってるので、90度の大吟醸というのは
恐らく存在しません。本当に野暮なので参考までに。
12. 5 かけなん ■2006/04/08 13:15:59
名も無き銘酒で乾杯
13. 9 ■2006/04/11 00:08:12
八雲一家万歳。家族酒って好きですよ。ところで、日本酒じゃさすがに度数90ってない気がします。
14. 3 MIM.E ■2006/04/11 22:08:10
アルコール度数の90ほどの大吟醸か……しかしそれが紫酒ならば納得でした。
うまい日本酒が飲みたいなぁ。
15. 1 木村圭 ■2006/04/12 02:26:17
名をつけるとすれば、安易ですが「紫」でしょうねやはり。吟醸の味は分かりませぬー。
16. 7 NONOKOSU ■2006/04/12 03:07:53
自分で造った旨い酒、
それが己ともう一人しか飲まないのであれば、わざわざ名前をつけるのはたしかに野暮ですな。
17. 5 とら ■2006/04/12 05:48:00
紫が藍へ、藍が橙へ。
同じようにして受け継がれていくんでしょうね。
18. 7 K.M ■2006/04/12 21:59:01
くっはぁ〜、やっぱりこの二人の関係ってのはいいなぁ
それにしても「特別なお酒」、複数の意味で凄いや
19. 6 Hodumi ■2006/04/12 22:27:14
ううん、良い主従ー
20. 5 椒良徳 ■2006/04/12 23:33:44
御免なさい。時間がないようなので、コメントはまた後日書かせていただきます。
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