(嘘)イナバ酒店

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/25 04:02:31 更新日時: 2006/03/27 19:02:31 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00
『(嘘)イナバ酒店』







 竹林を、とことこと。
 私、因幡てゐは空の一升瓶二本を両手にぶら下げて鼻歌交じりに歩いていた。
 なんてことはない、いつものちょっとしたおつかい。
 カラカラに空が晴れて水も温むこの季節、我が家・永遠亭の井戸の出が悪くなるのはもうほとんど日常茶飯事。そうでなくても、『美味しいお茶が飲みたい』とか『調薬には井戸水は向かない』とかそんな理由で、私は迷いの竹林とただの林の境界あたりにある清水を汲みにちょくちょく行かされる。酒瓶を洗って再利用した空の一升瓶は、もうかなり馴染みの深い水筒代わり。
 もっとも、私は夏の水汲みが嫌いじゃない。
 竹の香りを嗅ぎながら散歩して目的地へ向かい、ついでに冷たい清水でちょっとばかり水遊び、冷たい水を持って帰ったあとは永琳が淹れるお茶とお茶菓子にお相伴。あからさまな子ども扱いだけど、馬鹿真面目な鈴仙みたいに一人前を宣言してこき使われるのはごめんこうむりたい。今現在も、鈴仙は調子の悪い井戸を直すのに悪戦苦闘していることだろう。
 それに比べれば、私の仕事はごくごく気楽。
 さっきも言ったけど、お散歩がてらだ。
 要領よく、健康に気を使った日常生活が私の好み。
 あと必要なのは適度な刺激。具体的にはちょっとした嘘。
 どうやって人を騙してやるか、といつでも知恵をめぐらせてるのは健康にとてもいい。
 気ままに、土の上を素足で歩いていると色々と楽しそうなことが思い浮かぶ。
 そういった場合、私の頭の中で騙されて頭を抱えているイメージ画像は鈴仙。なんだかんだで付き合いも長いし、多分騙した回数も一番多いので連想しやすい。私は想像の翼を広げて、僚友、鈴仙・優曇華院・イナバの七転八倒を思い浮かべる――なかなかいい気分。ここ最近の大ヒット『出張お賽銭集金』に続くネタが思い浮かびそうな気さえする。
 鼻歌混じりに歩いていると、そのうちに水の音が聞こえてきた。

「あれ? もう着いちゃった」

 やっぱり楽しい時間は早いなあ、と思う。
 いつもの水場。竹林のど真ん中に隕石が落っこちてきたみたいな岩山があって、そこから清水があふれている。コケが生えないほど急な流れの沢は見ているだけで涼しげだ。
 岩のてっぺんから落っこちる支流が霧を作っている。だからここの周りはいつでも周りよりずっと気温が低い。肌に当たる冷たい霧がひやっこくて気持ちいい。
 水汲みには、専用の場所がある。
 竹を組み合わせた小さい庵がそれだ。永琳が作ったものらしい。
 岩山からの流れのいくつかが竹筒の水路に集まるようになっていて(竹筒は濾過器も兼ねている優れもの、流石は永琳!)、その下に瓶を置くとすぐに冷たくて綺麗な水で一杯になる。一度いっぱいにして中身を確認したら、あとは栓をしてほっぽっておけばいい。

 お使いを済ませて、ついでに手酌で一口。のどと頭にキンとくる、美味しい。
 そのあとで、ちょっとだけ小走りに沢に向かう。
 サメの歯みたいなとんがった岩の中に一つだけ丸いものが混じっている。そこが私のお気に入りの場所。
 特等席に腰掛けてそっと水に足を浸すと、見る見る体の余分な熱が逃げていく。
 流れる水は冷たい。震えが背中に駆け上ってくる。
 このままずっとぱしゃぱしゃやっていたいほどいい気分――といいたいところだけど、今日はちょっとばかり水が冷たすぎる気がする。あたりの霧もなんだか秋から冬にかけての季節を思わせるほど白みがかっている。
 おかしいな、と首をかしげると同時――理由がわかった。

 上流も上流、ほとんど水源近くに小さい人影がある。見覚えがあった。
 たしか、チルノとかいう氷精だ。

 そりゃあ冷たいわけだわ、とげんなり。
 とても夏には似つかわしくない――春と秋にも、それどころか冬にも、というか永琳は自然の特異点だとか言っていたから多分どこにいても不自然なんだろうけど。
 まあ、ともかく氷精のチルノは岩山のてっぺんで、なにをするでもなくボケーっとしていた。空を見上げて口をあんぐり空けているのがなんだか非常に馬鹿っぽい。こっちに気付く様子はカケラも無かった。

 ……ので、足元をうろちょろしていた沢蟹を投げつけてみた。
 結果はびっくりするほどナイスコントロール。もしくはジャックポット、ブルズアイ。
 飛行機雲を引きそうなほど見事な放物線を描いて、蟹がチルノの大口に飛び込んだ。

「ぅひょぁああぅあ!」

 擬音にするとこんな感じの悲鳴が聞こえて、クジラよろしく蟹弾が吐き出された。
 見事に凍って返ってきた蟹は私の足元、だいたい元いた場所に落下。しばらく眺めていると、氷が溶けて蟹はまた元気に動き出した。
 おおナイスガッツだ、蟹。なんとなく拍手。
 そこでようやく私の存在に気付いたらしく、誰何の声が上がった。

「誰!? 誰かいるの!?」

 チルノは下方向を全く度外視してあたりを見回してる。特に頭上を重点的に警戒。
 多分『何かが上から落ちてきたから』とかそういう理由だとしたら……ひょっとして、本物のバカ?
 しばらく眺めていると、鳥が一羽通り過ぎた。
 と、思ったらチルノはものすごい勢いで飛び上がって、鳥を追っかけ始めた。悪態と意味不明な叫び声がドップラー効果で遠ざかっていく。

 思わず絶句。
 しばらく呆然と、きらきら輝く氷精の飛跡を見やってしまう。
 ……これは間違いなく本物だ。
 そう確信すると同時に、後悔した。
 しまったと思ったときにはもう遅い。大バカの氷精チルノはとっくにどこかへ、罪も言われもない鳥を追っかけていなくなってしまっていた。
 ああ、なんてこと! あれだけからかい甲斐のありそうなバカを目の前にしながら、何もせずに(蟹は投げたけど)逃がしてしまった! こんなもったいないことがあるものか!
 思わず頭を抱えてしまうほどの大失態。こんなのじゃ因幡の兎の名が廃る。
「あー、もう、馬鹿っ!」
 私は思わず叫んで、水面を蹴っ飛ばした。
 氷精がいなくなって、ちょうどいい冷たさに戻った水しぶきがあがる。
 さっきの蟹が、でっぱった目でこっちを見ていた。





                           § § § § §




 「鳥を見なかった!?」

 帰り道のことだった。
 バカ目撃からわずかに2,3分。まだ背中越しに水音が聞こえるあたりでのこと。
 ぶつくさ言いながら家路を急ぐ私の前に鴨が葱を背負ってやってきた。そうでなきゃ馬鹿が戦車でやってきた。
 さっきの氷精が、ものすごい剣幕で(しかも未だに誤解したまま)私の前に現れたのだ。取り逃がした大魚をまた引っ掛けることができたなんて、なんて幸運なんだろう。嘘吐きやってて良かった。
 あんまりなご都合主義に私がびっくりしていると、チルノは身振り手振りを交えながら同じ質問を繰り返した。
「鳥を見なかった!? こんなぐらいで、なんか白っぽくて、私が追いつけないぐらいすばしっこくて……とにかく私の口になんか落とした鳥よ!」
 身振り手振りを信じるなら、体長140センチ前後の白い鳥ということになる。当然私はそんな鳥は知らない。最後の『鳥』が『兎』だったらだいたい正解だったけど、間違いは間違いだからヒントもあげない。ってかヒントあげると犯人が私だってバレちゃうし。
「知らないわー」
「うー……あの鳥どこいったんだろ」
「まあまあ、鳥に何されたかは知らないけど、いちいち目くじら立ててもしょうがないわー」
「何言ってんのよ! あの鳥はあたいの口になんだか変なもの落として逃げたのよ!」
 確かに沢蟹が口に飛び込んできたらびっくりするだろうけど、良質のカルシウムとキトサンたっぷりな健康食だからそれは安心……いや、生は寄生虫が心配だけど妖精だし大丈夫だと思う。
「食べちゃったの?」
「吐き出したわよ! うー、口の中が気持ち悪い……」
 口元を拭ってぺっぺ、とやっているチルノを見ていると――なんというか、こう、うずうずしてくる。

「空から落っこちてきたなら、きっと鳥の糞ね」
「きききききききき気持ち悪いこというなー!」

 泣きそうな顔になって叫び返してくる。
 意味もなく手足をばたつかせて暴れる様子が非常に愉快。氷精だけあって体を振動させるたびに辺りの水分が結晶化して軽薄にきらめいている。
「災難だったわねー、さあさ、お水あげるから口をゆすいで?」
 一も二もなく、チルノは竹筒に酌み分けてあげた水でうがい。必死だ。
 一分近くがらがらごろごろとやっていただろうか――やっとのことで人心地ついたのか、口元を拭い大きく息をつき、チルノは私の方に向き直った。
「……助かった、ありがと。えっと……あんた、嘘吐きウサギのてゐ、だっけ?」
 意外なことに、バカの癖にかなり正確に私のことを覚えていた。
「違う違う、皆を幸運にする可愛いウサギの因幡てゐ」
「そうだっけ?」
「しくしく、せっかく助けてあげたのに嘘吐き呼ばわりはひどいわー」
「それもそうね。うん、じゃあそういうことにしとく」

 うわ、あっさり騙された。

「ねえ、水をもう一杯ちょうだい」
 早くも私に気を許してしまったのか、チルノはにっこり笑って手を差し出してくる。
 それを見た瞬間、ぱっと。
 ちょっとした嘘が閃いた。
 お酒じゃなくて水の入った一升瓶を使う、ちょっとした嘘だ。
 すばやく頭の中でシミュレーションして、即断実行。
 これはいけるかもしれない。

「それもいいけど、こっちはどうかしら」
 作戦開始。
 二本の一升瓶のうち、まだ手付かずのほうを私は示す。
「こっちはどうって、中身同じでしょ?」
「違う違う、こっちはお酒なのよ」
 首をかしげるチルノに笑顔を向けて、適当な売り文句を並べ立てた。

「なんと、妖精も幽霊も一発で幸せ気分になる素敵なお酒よー」
「本当!?」

 案の定簡単に食いついた。しめしめだ。
 絶好調! ここまでうまくいくのは珍しい。
 気分が良くなって、その場でくるくる回ったりしながら嘘酒の営業を楽しむ。
「本当本当、飲めなくったって匂いを嗅ぐだけで最高の気分で酔っ払えるわね。喉越しもまるで水を飲むようにすいすいと、それに二日酔いの心配もなしで体にも優しい」
 その名も銘酒『ただの水』。
 後半部分は本当。まじりっけなしのただの水だから喉越しは最高だし、二日酔いの心配は天地がひっくり返っても無い。宣伝文句は、見事頭の足りない氷精の心をわしづかみにしていた。
「それじゃあ、そっちをちょうだい! あんまりお酒って飲んだこと無いのよ」
「うーん、でもやっぱりタダじゃあげられないわね」
 ひょい、と瓶を引っ張り寄せて、もったいぶった口調で言ってやる。
 効果はてきめん。単純な妖精だけあって、『欲しい!』という感情が真正面から顔に出ている。
「でも今回は特別に、氷を作ってくれたら交換してあげるわ」
 なるべく優しい声音で言ってやると、チルノは満面の笑顔で落ちた。
「ほんとに!? そんなことならお安い御用よ!」
「あ、綺麗な水で作ってね」
「湧き水で作るわ、すぐ持って来る!」

 意気込んだチルノは、あっという間に一抱えほどある氷の塊を持ってきた。
 夏の氷精とはなんとも便利なもの。本当、一家に一匹欲しい。あんなおバカで扱いやすいとなればなおさらだ。
 笑顔満面に差し出してくる氷を受け取って、一升瓶と交換。大成功。
 氷の塊は冷たくてほお擦りしてやりたくなるぐらい気持ちがいい。でもまあ、いくらなんでもずっと持っていると凍傷になっちゃうから、スカートで受け皿を作ってそこに乗っけた。
 氷精が作った氷だけあって、そう簡単には溶けそうにない。汲みたての清水で作ったからかよくできたガラス細工みたいに透き通っていて綺麗だし、見るからに涼しげ。
 私が氷に見とれているのと同じように、チルノも『酒』を光に透かしたり、振って重みを確かめてみたりと興味津々。あきもせず色々と試して、最後には大事そうに胸元に抱えた。

「それじゃ、これ貰ってくわね!」
「なるべく誰かと一緒に飲むといいわ。お酒は一人で飲んでも美味しくないわよー」

 王様は裸だ、って言われないと気付かなそうだから是非そうして欲しい。
 チルノは私の忠告を聞いたのか聞いてないのか、もう一目散にどこかへ飛んでいってしまった。浮かれまくっているらしく、飛び方もふらふらといい加減。
 ――落っことしたりしたらもう一回騙してやれるんだけどなあ。
 まあ流石にそれは贅沢か、思いもかけず手に入ったこの氷でオッケーとしよう。

 溶けないうちに急いで永遠亭に帰ろう。
 今日の三時のおやつはカキ氷!



  
                             § § § § §





 一人でこっそりカキ氷を食べてやろう、という計画は頓挫した。
 こういう時のうちの姫様と永琳の嗅覚は異常。台所に氷を持ち込むとほとんど同時に見事に見つかってしまった。
 ……まあ、永琳が宇治金時を作ってくれたから結果オーライ。私一人だったらせいぜい砂糖水か練乳をかけて食べるぐらいしかできなかっただろうし。

 年中家で暇を持て余しているわがまま姫は、さっさと自分の分を食べてしまうと、暑い暑いと言って自分の部屋に戻ってしまった。
 暑いのは絶対あの必要以上の厚着のせいだと思うけど、口に出すと思いっきり耳を引っ張られること確定だから口にはしない。もはや誰もが『姫様』なんてただの愛称でしかないと思ってるっぽいけど、千年以上見栄を張り続けているだけある意味立派。こっちも形ばかりの最敬礼で見守ろうと思う。

 てなわけで、残された私と永琳は縁側に並んでカキ氷を食べている。

「ところで、てゐ。この氷はどうしたの?」
 永琳がふと聞いてきた。
 私は竹で作ったスプーンを口に運びつつ、答える。
「親切な妖精がくれたのよー」
「一升瓶と交換したのね? どうせ余っているから構わないけど」
 永琳は二本持って行って戻ってきたのが一本だということをしっかり把握していた。
 他にも色々とバレていそうだけど、相手が永琳じゃしょうがない。
「リサイクルするんだって。やっぱり妖精は自然に優しいわ」
「あら、それはよかったわ」
 私と永琳はカキ氷を突き崩して食べないタイプなので、まだ器に半分近く残っている。結構な量だけど、粒餡、白玉付き、練乳がけとフル装備だけあって食べ飽きず美味しい。おなかが冷えすぎないようにと、あったかい煎茶も用意済み、文句なしだ。
「せっかくカキ氷を作ったのに、ウドンゲはタイミングが悪いわね」
 鈴仙はこの場にいない。現在お昼寝中だ。
「私、起こしてこよっか?」
「朝からずっと汲み上げポンプの修理でぐったりしてたわ。夕方まで起こさないでください、って言っていたからそっとしておいてあげましょう」
 しゃく、と薄く刻んだ氷を噛む音。
 なんだかんだで、永琳も美味しそうに食べている。
 私も残しておいた白玉に取り掛かることにした。白玉は健康にもいい大好物だ。

「てゐ、あんまり食べ過ぎては駄目よ。お腹を壊すわ」
「そのときは薬作ってね、永琳。うどん粉じゃないちゃんとしたやつ」
「私はその時その時で一番効果的な薬を調合するの。時にはうどん粉が一番の薬になることもある」

 確か、偽薬効果とかいうやつだ。
 永琳の意地悪の常套手段で、私や鈴仙が時々引っ掛けられる。

「嘘も方便、場合によりけり。薬も過ぎれば毒となる。なにごともほどほどに適切に」
「ふぁい」
「妖精は無邪気で単純。簡単に騙せるでしょうけど、その分怖いところもある。素直で疑いを知らない分、もっとも性質の悪い嘘吐きにだってなりえるの」
「ふぁい」
「……聞いてないわね、てゐ?」
「ふぁい」

 白玉をもっちもっちと噛みながら生返事してたら小突かれた。





                            § § § § §




 次の日もまたいつものように水汲みに。
 そして昨日と同じ展開。
 帰り道に、チルノと鉢合わせた。

 氷精は昨日私がふんだくったのよりもさらに大きい氷を抱えて、まっしぐらに突進してきた。
 ――ヤバい、仕返しだ!
 そう思ってとっさに逃げようとしたけど、チルノの接近は思った以上に早かった。あっという間に目の前に詰め寄られてしまう。
 氷漬けを覚悟して身をすくめる私に、意外な言葉が飛んできた。

「ねえ、今日もお酒を売ってちょうだい!」
「……え?」

 何言ってるのコイツ?
 正直、混乱した。

「あのお酒凄いわよ。妖精にも幽霊にも効くってのは本当ね! どうしてもお酒が飲みたいって聞かない陰気くさいやつがいたんだけど、あのお酒飲ませてやったらもう舞い上がるわ出来上がるわで大変! 泣き上戸に笑い上戸、色々面白いこと言い出すし、私も楽しいわで――」
「誰かと、飲んだの?」
「そうよ! それが傑作でね、聞いてよ――!」

 聞いてびっくり。
 裸の王様の知り合いは裸の王様だったってわけだ。
 ああ、偽薬効果もここに極まれり。この氷精と、『知り合い』は二人してただの水を飲んでいい気分に出来上がっていたってことになる。
 理解すると同時にこみ上げた笑いを堪えるのには苦労した。
 こんなに豪快に騙されてくれた相手はここのところ記憶にない。しかも、複数。そのうえまだ続く。
 もう、ヨカッタデスネ、ソウデスネ、と無茶苦茶不自然な相槌を打つのが精一杯。
 チルノは一人で興奮して盛り上がった『酒盛り』の様子を、言葉足らずながら仔細に大仰に伝えてくる。水飲んで出来上がる妖精の絵を想像すると笑いの堤防が崩れそうになった。危険だ。
 勝手に氷を私に寄越して、一升瓶をひったくっていく後姿を見送ってから――

 私は最高の気分で大笑いした。
 ああ、バカを騙すのってホント面白い。これだから嘘吐きは止められない。

 ちなみに、この日の氷はカキ氷三人前(鈴仙はまた食べ損ねた)と、そうめんを冷やすのに使った。





                            § § § § §




 さらに一日が過ぎ――

 私はさらにいい気分になっていた。
 二度あることは三度ある。もしかしてと期待していたら昨日と全く同じ状況が待っていた。
 氷精チルノこと裸の大馬鹿様は、今日もまた銘酒『ただの水』を御所望というわけ。もしかしなくても、『氷と酒を交換できるなんてなんてお得なんだろう』って思っている顔がたまらない。
 相変わらず楽しそうに裸の宴会を語ってくれる。

『昨日は暑かったから、お酒を凍らせて飲んだのよ! あとは贅沢に浴びるほど、っていうか実際浴びたわ! 今日ここ来る前に寄ってきたんだけどあいつなんか、昨日お酒浴びたままのだらしない格好でね、飲みすぎておなかぱんぱん……ふふん、もったいないとか言わないでよ、私が買ったものなんだから!』

 ――ええ、笑いすぎて倒れそうになったですとも。
 というか実際堪えきれずに倒れたんだけど、そこはまあ貧血よーとか言って誤魔化した。

 てなわけで、今日も代金の氷をいただいて永遠亭に返ってきた次第。

 流石に三日目ともなると、もうみんなカキ氷はいいやって気分になるらしい。
 永琳が蔵からお餅を突く杵を持ってきてかち割り(凄いパワーだった、八意永琳恐るべし)湯たんぽに入れて氷枕に。かくて永遠亭の面々は涼しい眠りの糧を手にしましたとさ。
 ああ、そういえば、氷枕は鈴仙も喜んで受け取った。三日目にしてようやく氷のお歳暮の恩恵を受けた鈴仙だったけど、一昨日昨日のカキ氷のことを話したら悔しがって悶絶してた。そのあとでひとりむくれて不貞寝。相変わらず鈴仙はかわいい反抗の仕方をする。

 私も氷枕を抱えて昼寝の場所を探していたんだけど、ナンバーワンのお気に入りの場所・縁側のある空き部屋は既に鈴仙に占領されていた。一緒になって寝るのはちょっと却下、なにせ鈴仙は無茶苦茶寝相が悪くて寝言も多い。抱き癖がある上に寝ぼけてなのか何なのか、かじってくる。あの月の兎は夜王だ。
 というわけで、枕片手に家の中をうろうろしている。
 廊下を裸足でぺたぺた歩いていると、自分の部屋から出てきた永琳とばったり会った。
 顔をあわせるなり、
「残念ね」
 なんて言われた。
 永琳はいつもなにからなにまでお見通し、って感じで嘘の吐き甲斐がない。鈴仙をからかうときはぐるになってくれたりもする嘘同盟だけど、たまには私に騙されてくれたりしないかなと思ったりもする。
「散らかさないなら茶室を使ってもいいわ。せっかく氷枕なんて贅沢品があるんだから活用なさいな」
「永琳も昼寝すればいいじゃない。んじゃ一緒に寝る?」
「この前の鈴仙みたいに額に落書きされそうだから遠慮するわ。常套手段よね? 『肉』、『大往生』……この間の『朝、道を知れば夕べに死すとも可なり』はいいセンスだったわ。良くあんな小さな字、書けたわね」
「米粒に字を書いて練習したの」
「八十八人に師事したのね」
 とりあえずそんなことを話して、それじゃお勧めどおり茶室に行こうかとUターン。茶室は薄暗くって、抹茶と香木の匂いがするから昼寝にはもってこいだ。

「てゐ、氷のことだけど――」

 すると永琳が私の背中に聞いてきた。
「いつものように親切な氷精と一族郎党が寄進してくれたわー」
「あら、氷精に仲間がいたの?」
「そうそう、親切な氷精と愉快な仲間たち」
 顔だけで振り返って、歩きながら適当に答える。
 永琳はふうん、という顔をしてまた部屋に引っ込もうとした。話は終わりだ茶室に行こう、とちょっと歩くペースをあげたとき、永琳がぽつりと言った。

「でも、氷精は愉快でも、仲間が愉快とは限らないわよね?」

 愉快じゃない。ってことは不愉快。
 裸の王様に、バカには酒にしか思えない水を飲まされていやいや宴会に付き合ってやっているお仲間たち――そんな連想をした。
 もし、そうだとしたら。

「……そのうちクーデターが起こる! もっと面白いじゃない!」

 流石永琳、いいこと言った! 
 って指差そうとして振り返ったけど、永琳はもう部屋に引っ込んでしまっていた。
 とりあえず、持て余した指先はVサインにして格好をつけた。





                            § § § § §





 しかし、ついに四日目にして。
 因幡てゐ酒店(嘘)は史上最大の危機に見舞われていた。
 たった一人の顧客、氷精チルノがクレームをつけてきたのだ。
 本来なら計画瓦解。あとは悩むまもなく荷物をまとめて逃符・ライジングサン発動で脱兎の一手、という状況のはずなんだけど……ちょっとばかり、対応に困ってしまった。
 なにせ、

「ちょっとあんた! 昨日のお酒になんか変なもの入れたでしょう!」

 なんていう的外れのクレームだったのだから。
 というかまだこのおバカな氷精は、銘酒『ただの水』が(少なくとも二日目の分までは)霊験あらたか賞は総嘗めの貴重な酒だと思っているのだ。気付くところが根本から違う、やっぱりバカだ。
 凄い剣幕に困りつつも、内心では笑いを堪えるのに必死。

「昨日お酒飲ませてやった相手の様子が変なの! 病気になっちゃったみたいなのよ! やっぱりあんた嘘吐きウサギだったのね!」

 それはない、それはない!
 ただの水を飲ませて体調崩すってどんな相手よ?
 もう指差して、騙された騙されたーっ! ってやっちゃおうかと思ったんだけど、もう一歩踏み込めそうな予感もある。とにかく状況を聞いてみようと、真面目で真摯なクレーム対応を装ってちょっと詳しく聞いてみる。
 明らかに語彙が足らない、しかも感情的な言葉から情報を整理するのは難しかったけど、なんとか事態は飲み込めた。
 なんでも、

 その『相手』が、今日は遠慮しておく、と言ったところ、
 チルノが私の酒は飲めんのか、と無理やりぶっ掛けてまで飲ませたら、
 『相手』はぐったりして眠ってしまった。本人曰く『悪い病気』にかかったみたいだ。

 とのこと――これが本物の酒なら急性アルコール中毒だって素人にでもわかるんだけど、残念ながらチルノが無理やりぶっ掛けて飲ませたのはただの水。ただの水をかぶって体を壊すような生き物は普通いない。
 まあ、ただの水を飲まされるのが嫌で仮病とかそんなところかな。二重に騙されているとは、さすがはバカ氷精、なかなかの道化っぷりだ。

 ――あれ?
 氷精の友達、って生き物? それとも妖精か何か?
 妖精ってそんな嘘思いつくほど頭良かったっけ?
 妖精だとして……火の妖精とかそういうものってひょっとしたら水に弱い?

 かちん、と頭の中でパズルが組み上がった。
 同時に、この一連の仕掛けの大成功を確信。
 オチが付いた。
 この氷精は多分、お仲間の水に弱い妖精に見事偽酒――というか水をぶっかけてしまったわけだ。 
 素晴らしい。なんかもう、民話になっちゃいそうな完成度の笑い話だ。
 裸の王様は、馬鹿には見えない服を着たまま隣国を訪問し、傷害罪および猥褻物陳列罪によって逮捕されましたとさ。めでたしめでたし。

 ……この一件はこんなところで手引きかな、うん。
 それじゃまあ、まとめに入ろう。
 泣き真似よーい。嘘吐き、はじめ。

「うう、ごめんなさい。実は昨日のお酒は少しだけ違うものだったのです」
「やっぱりそうだったのね!」
「説明する前にあなたが持っていってしまったから私も心配だったの。味はやっぱり最高なんだけど、ちょっとだけ二日酔いになりやすいものだったの。きっとその知り合いは二日酔いになってしまったんだわ……しくしく」
「二日酔いってことは……えっと」
「放っておけば直るわー。でも、心配だからお医者さんを呼んできましょうそうしましょう、私のうちにスゴ腕の医者がいるの」
「へえ、じゃあ早く呼んできてよ」
「でもうちのお医者さんは闇の医師、ひどく気難しいの。命を懸けて呼んでくるけど、もし私が戻らなければ星になったと思ってちょうだいしくしく」
「え? 闇のお医者さん? 星になる? って、ちょっと待ちなさいよ!」

 あとは脱兎。
 落ち着きのない妖精のこと。十分もじっと待ってはいられないだろうし、すぐに諦めて帰るだろう。万が一追いかけてこようにもここ迷いの竹林は永遠亭に近づけば近づくほど入り組んでくる、たどり着けやしないはず。
 その『相手』だってまあ水かぶったぐらいじゃ死にはしないだろうし、こいつが様子を見に行くころにはけろっとしてるでしょ。

 はい、これで一件落着――





                            § § § § §





 永遠亭に帰ると、玄関で鈴仙が待っていた。わくわくして。
 昨日一昨日一昨昨日と食べ損ねたカキ氷を待ち構えてのことだろうけど、私は手ぶら。残念でした。
 両手をぱっと広げて見せると、鈴仙は一気にしおれた。
「……氷は?」
「今日は無いよ。ってか、明日からも多分無い」
「なんでー!?」
 大げさなリアクションで頭を抱える鈴仙。よくよく見ると、どことなく全体的にくたびれて見える――ああ、今日もまた井戸の修理をしてたんだ。そういえばさっきからちょっと金臭い匂いもする。
 よっぽどカキ氷が食べたいのか、鈴仙はしつこく食い下がってきた。
「氷精に貰ってきてたんでしょ? 何で今日からいきなり駄目なのよー」
「じゃあ鈴仙が自分で貰ってくればいいよ。多分、今なら清水の辺りにまだいるから」
 戸口を振り返って、外へ出る道を指差した。

 ……あ、ちょうどいいや。
 鈴仙を『お医者さん』にしちゃえ。これでオチにプラスアルファだ。

「氷ちょうだい、って言えば貰えるの?」
「合言葉があるわ。氷精に会ったら『あいあむどくたー、私は医者です』って言えばオッケー」

 早速靴を履き始める鈴仙。めちゃくちゃ乗り気。ものの見事に引っかかってくれた。
 いそいそと出かける準備を始める鈴仙をにやにや笑って眺めていた。ことあるごとにお姉さんぶる鈴仙だけど、やっぱりどこか抜けている。
 身支度を終えると鈴仙はスキップしそうな勢いで玄関を出ていった。
 哀れな身代わりウサギを一応見送ってあげよう――なんか可愛いし面白いから。
 玄関の戸口に隠れてそっと様子を伺う。

 ――あ、鈴仙のヤツ、永琳につかまった。
 手足をばたばたさせてなにか説明、というか弁明しているみたい。
 怒られてる、怒られてる。
 鈴仙が裏庭のほうに歩いていく……井戸の修理を続けろって言われたのかな?
 ……む、残念。
 偽者医者を紹介する作戦は失敗か。

 ちぇっ、と舌打ちする私の目に、意外なものが映った。
 なんと、永琳が鈴仙の代わりになのか、清水のほうに向かっていく。
 これは意外な展開というしかない。
 まさかとは思うけど、鈴仙じゃなくて、永琳が引っかかった?
 もしそうだとするなら最高のフィナーレだ、これは是が非でも追っかけてことの一部始終を見届けなければ! 凄い! 私の嘘は、どこまで昇る!?






                            § § § § §





 そろそろ、そろそろ。
 チルノと合流した永琳を、細心の注意を払って尾行。
 舞台は迷いの竹林を抜けて、清水を越え、雑木林の外れに差し掛かっていた。
 雑木林に入ったあたりから暑さがひどい。竹林にいると、お日様の光に直撃を受けることが少ないから、こういう肌を焼くみたいな暑さには慣れてない。私は黒髪で癖っ毛だから、頭に熱がこもってしまう。ハンカチぐらい持ってくればよかったと、額を拭いながら思う。
 でもあんまりがさがさ動くとチルノはともかく永琳に見つかるから、汗ぐらいは我慢。ちょっとの時間我慢すれば、そのあとは至福の満足感が待ってるはず。

 チルノが永琳を急かして先導している。その大声があれば、まず私の耳で見失うことはない。
 慎重に、得意のうさぎ跳び前進で距離を詰める。

 そんなこんなを三十分ほども続けたころ、ようやく目的地に到着した。
 一本のでっかい木の下でチルノが大声で永琳を呼びつつ、手を振っているのが見える。
 ついに、たどり着いたというわけだ。
 落語みたいな笑い話の仕掛け人になって、そのオチを目の当たりにできる幸運に恵まれるものが何人いることか。とりあえず、わくわくしてしょうがない。

 集中して耳をそばだてた。
 この距離なら、ぎりぎりノイズまじりながらも話す声が聞こえるはず。
 あとは何とかして視界を確保しないと。
 
「――ほら、ぐったりしちゃってるでしょ?」
「――本当ね。じゃあ、診せてもらうわよ」

 そんな会話が聞こえてくる。
 タイミングを見計らって、ちょっとずつ位置を変える。
 木立の陰に隠れながら、抜き足差し足忍び足――

 そして、ようやく私は事の顛末を目撃した。

 それと同時に、喉の奥で引きつった声を上げてしまっていた。
 心臓が、ぎしりと変な音を立てて動悸した。
 なんだかわからないけど、耳がきーんと鳴っている。

 目の錯覚、間違いであって欲しかったけど――この距離でも間違えようが無い。はっきり見える。
 木の幹にもたれかかって、ぐったりした『相手』は、


 死体だった。


 あれは人間の死体だ。どう見たって死んでいた。
 蝋みたいに青白くて張りの無い肌、お腹が不自然に膨れてる。
 悪い夢みたいな眺めだった。
 私の嘘がとんでもないところまで転がっていたのが、ようやくわかった。

 ――ぜんぜん違う。
 寒気と恐怖がほんの少し収まると、その隙間に持ち上がってくるのは怒りだった。
 ぜんぜん違う、こんなのじゃ笑い話にならない。後味が悪すぎる。
 あの嘘の酒が末期の一杯だったってわけ? 供養してやろうとしたお清めの酒だったってわけ?
 冗談じゃない。これじゃ死体の重さを背負うのは私だ。
 洒落になってない、しっぺ返しにしたってひどすぎる。
 怖かった。
 とんでもない嘘をついてしまった。
 絶対怨まれる。祟られる。
 そう考えると体も頭も竦んで動かない。

 どうしよう、どうしよう――
 こんなの、どうしたら笑い話になんてできるんだろう――





                            § § § § §
  



「……それじゃ、もう大丈夫ね」

 木の陰に座り込んで呆然としていたのはどれくらいだったのか。
 そんな声が耳に入って、ふと気がついた。声は永琳のものだ。

 ぜんぜん想像もしてなかった言葉に驚いて顔を上げる。
 死体から人魂がするりと抜け出て、永琳に頭を下げてからゆるゆると空に上っていく。
 いつの間にか、チルノはいなくなってた。
 全く状況が理解できなくて混乱した。
 しばらく眺めていても、どうなったのかまださっぱりわからない。

「――そろそろ出ていらっしゃいな」

 ずっと人魂の行方を見上げていた永琳が、私のほうを向いて言った。
 あたりの様子を伺って、永琳のほかに誰もいないのを確認してから私は繁みを掻き分けた。永琳もこっちに向かって歩いてくる。永琳は振り向いたとき、もう私のいる場所を真っ直ぐ向いていた。多分、ずっと前から気付いていたんだろう。
 見上げないと顔が見えないくらいの距離まで近づいてから、永琳は腕組みしてため息をついた。
「全くもう、こんなことになってるなんて流石に思いもよらなかったわ」
 永琳ははじめから、ちょっとした尻拭いをしてくれるつもりだったんだろう。でも、いくらなんだってこんなことになっているとは考えなかったはず。私だって考えてもみなかった。
 それでも、永琳はなんとかしてしまったみたいだった。あの人魂は永琳に頭を下げて、真っ直ぐ空に上っていった。

「伝言があるわよ。『お世話になりました』ですって」
「……それって、どういう意味?」
 どっちとも取れるから、まだ怖い。
「良いほうだと思うわよ? 最期にいい思い出もできました、って言ってたから」
 もう一回、永琳は空を見上げた。
 私もその視線を追ったけど、さっきの人魂はもうどこにも見えない。

「――あの女性、亡くなったのは五日前だったそうよ」

 女の人だったってことを初めて知った。私は死体のインパクトに打ちのめされて、そんなこともわかってなかったんだ。
 上を向いたまま、永琳がタネを明かし始める。

「身寄りが無いひとでね、当ても無く歩いているうちにあそこで熱射病で倒れてそのままお亡くなりに。幽霊になってはみたけど、自分の死体を眺めてみると、どうにも汚れてる。死に化粧ぐらいはどうにかならないかと考えた。
 そこへ通りがかったのがあの氷精、ちょっと顔を洗ってもらおうと思って、ちょっとした嘘をついた」
「……嘘?」
「そう、嘘。最初は顔を洗って欲しいって頼んだらしいんだけど、お酒だから駄目って言われたのね。
そこで今度はこう言ったの『実は私はまだ半分生きているんです、私にもお酒を飲ませてはくれませんか。なに、顔にかけてくれるだけでいいのです』ってね。
 酒に付き合ってくれる相手を見つけて上機嫌の氷精は快諾して幽霊と二人で酒宴を開いた。あの幽霊も話し相手ができたのが楽しかったんでしょうね、だから凍ったお酒は美味しい、とか何とか言って遺体が傷まないように氷付けにしてもらって、一日二日と氷精との酒盛りを楽しんだ。
 ――だけど三日目に、とうとう腐敗が始まってしまった。この季節、氷も丸一日は持たないものね。
 だから体調の悪いふりをしたそうよ。病気が移るといけないからここには近づかないほうがいい、と言って。自分の遺体が傷んでいく様なんて見られたくないもの、当然だわ」

 そんなことが、あったんだ。

「遺体の心配があって、あの場所を離れられなかったんでしょうね。もし、あの氷精が自分の傷んだ遺体を見たらどうしよう、って気になっちゃってしょうがない。だから半分自縛霊みたいな状態であそこに張り付いていた。タイミング的にはぎりぎりだったわ、自分の痛みきった遺骸を目の当たりにした幽霊はそう簡単には成仏できなくなる。
 でも、なんとか間に合ったみたい。あとは氷精がここに来ないように上手い言い訳をして、ちゃんと埋葬してあげればあの世に向かうことができる」
「……どうやったの、永琳は」

 私にはそんな上手い嘘がとっさには出てこない、と思う。

「簡単よ。お腹が膨れているでしょう? だからこう言ってあげたの、『体調が悪いのは赤ちゃんができたからね、お酒は妊婦のお腹に障るし、お腹を冷やすのもいけないから、あなたはしばらくここに来ちゃ駄目』。そんなとこね」
「子供ができた、って……そんなの普通」
「普通信じないでしょうけど、相手が相手だもの。押し通したわ。三ヶ月ほどかかるって言っておいたから――ま、そのころにはあのおバカさんはすっかり忘れちゃってるでしょ」

 普通、思いつかない。
 傷んでいく死体を、ガスで膨らんでいくお腹を『子供ができた』だなんて。
 そんな荒唐無稽で優しい嘘なんて、私には思いつかない。

「――少しは懲りたかしら?」
「……うん。結構こたえた」
「それじゃ、ちゃんとお墓を作ってあげなさい。万が一に備えて地味目にね」
「うん」

 木切れととがった石を拾ってきて、一時間ぐらい穴を掘った。
 埋めるときの、遺骸の重さに驚いた。
 一人じゃ支えきれなくて、そのときは永琳も手伝ってくれた。

「それじゃ、一件落着ね」
「あのひと、成仏できたかな?」
「それはわからないわ」
 永琳は少し声を潜めた。また、空を見る。
 私もそうした。空は青々としていて、太陽もまだ高い。くしゃみが出そうになったけど、我慢する。
「他人との繋がりが薄い者に対して、三途の川はあんまりにも長い。いつ終わるともわからない船旅に魂が磨り減って無くなってしまうかもしれない。それに自ら縁を求めないが故に陥った孤独は一つの罪だし、死んでなおあの女性は嘘をつく罪を犯してしまった。そういうことに対して閻魔は融通が利かないわ」
「……そうだよね」

 全部丸く収まってあとくされなし、なんて状況にはなりそうにない。
 関わった時点でそれは決まっていたことだからしょうがない。
 ……と、思ったんだけど。

「でもまあ、大丈夫でしょう。ちゃんと嘘の場所を教えておいたから」
「へ?」

 それまでのとはぜんぜん違う、いつもの永琳の口調だった。

「三途の川は東よ。どこまでも真上に空に上ったら、お仲間たくさんの冥界にしか着かないわ」

 あっけらかんと言う永琳を見て、確信した。
 ――永琳には、敵わない。

「今日は暑いわ。帰ったらカキ氷を食べましょう――ちゃんと診察代の代わりに氷を貰ってきたのよ。当初の目的は果たさないといけないものね? さ、転がってる瓶を回収して帰りましょ」

 オチまでついた。降参だ。
 何年かぶりに言ってもいいかな?
 ……ぎゃふん。




                             § § § § §




「出来たわよ」

 台所から永琳が出てきた。
 私が手を洗って戻ってきて、ほんの十数秒。
 あっという間にカキ氷二人前を作ってしまう手並みには恐れ入る。
「今日はちょっと変り種、氷に冷酒をかけてみたわ。結構合うのよ」
「へえ、なんか珍しいけど美味しそう!」
「氷、結構溶けちゃってて二人前しか作れなかったのよね……ま、内緒で食べましょうか」
 永琳に手渡された鉢には、真っ白なカキ氷がこんもりと盛られていた。
 さんざん外を歩き回って汗をかいたから、ことさら美味しそうに見える。
 いただきます、と言って早速一口――

「――あれ?」
「どうしたの、てゐ」
「これ、味が無い……」
「そんなこと無いはずよ。ちゃんと瓶の底にちょっとだけ残ってた『最高級のお酒』をかけたもの」

 あ。
 つまり、これは私の。

「いいこと教えてあげましょうか、てゐ。お酒はね、二枚目の舌で味わうものなのよ」
「……うん、ちゃんとお酒の味するね」
「お酒は、薬の一種なの。成分だとか味だとかそういうものは二の次、偽薬と同じ効果も望める。必要なものが必要な分だけ必要な場所にあればそれでいいのよ」
 一番大事なのは一緒に飲む相手だけれど、と永琳は最後に付け加えた。
「うん、これ、ちゃんとお酒なんだ」

 スプーン三杯分、一気にかきこんだ。
 やっぱり味はしない。
 だけど、すこし頭がキンとした。

「騙したつもりが騙されていたのね。またいつものパターン」
 口にスプーンをくわえたまましびれが通り過ぎるのを待っていると、永琳にそんなことを言われた。
 そう言われてしまうと返す言葉もない。確かに『また』だ。
「あなたは仕事熱心で立派な酒売りの兎だった、結局そういうことになるわね。騙そうと思った相手が全員、誰も損をしてないもの。やっぱり、てゐがよからぬことを企んだところで、なんだかんだあって笑い話になってしまうのよ」

 その『なんだかんだ』ができるかできないかが私と永琳の違うところだと思った。
 嘘吐きは、難しい。

「きっと、あなたに騙された相手には幸運がやってくるのね。ねえ、てゐ。私も騙してくれないかしら?」
「いつか永琳も騙してやるんだから」

 ――難しいだろうけど、絶対。

「ええ、幸せにして頂戴」

 ――難しいだろうけど、絶対だ。

 カコン、とししおどしが鳴った。鈴仙の井戸修理が一段落ついて、庭園に水が流れるようになったんだろう。これで毎日水を汲みにいく生活ともおさらばだ。
 鈴仙もなかなか頑張る。そういえば鈴仙はカキ氷食べたがってた――

「師匠ー……って、あー! カキ氷食べてる、ずるいですよー!」

 と、ちょうどその時、ふらふら現れた鈴仙が目ざとく『カキ氷』を見つけて騒ぎ出す。
 永琳を見上げると、向こうもこっちを見ていた。一瞬だけ視線を絡めて、私は鈴仙に笑顔で向き直る。 
「まあまあ、ちゃんと鈴仙にも分けてあげるから、はい」
「え、あ、くれるの? ありがと……色がついてないけど、これ、スイとかミゾレっていうやつ?」
 ほとんど残ったままの『カキ氷』を渡して、私は庭に下りた。
 敷石が、ひんやりと冷たい。スキップするみたいにその上をぴょんぴょん跳ねていく。

「……これ、ただの氷水じゃない! ちょっと待ちなさい、てゐーっ!」

 ようやく気付いた鈴仙が叫んだ。
 私はベロを出して振り返る。
 情けない顔で怒鳴って追っかけてくる鈴仙。
 いつの間にか、カグヤがふすまから顔を出している。
 永琳は笑ってた。






苦いだけとしか思えない酒を美味い美味いと調子を合わせて飲んでいたころをなんとなく思い出しました。

永遠亭のテーマは『家族』だと思っているので、少しでもそれが表現できていれば幸いです。
読了感謝。
二俣
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/03/25 04:02:31
更新日時:
2006/03/27 19:02:31
評価:
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5.00
1. 10 読み専 ■2006/03/25 10:26:58
嘘一つで水も『酒』になる
お見事でした
2. 5 月影蓮哉 ■2006/03/25 15:58:16
真面目なのだかそうでないのか。
とりあえずチルノが良い味出してました。
3. 5 無記名 ■2006/03/25 17:56:01
『家族』表現できていると思います。作者さんのキャラへの愛を感じました。
4. 9 爪影 ■2006/03/27 00:25:45
御後が宜しいようで。
5. 10 ありがとう ■2006/03/27 01:00:22
小気味良い永琳にしびれる。てゐの周りはなんて優しい。
6. 9 名前はありません。 ■2006/03/31 09:43:46
表現巧い、オチ巧い、シチュエーション良しと
文句付けるところが見つかりませんね
7. 10 水酉 ■2006/03/31 21:30:38
私も言っていいでしょうか。
・・・ぎゃふん。
タイトル・展開・結末、全てにやられました、降参です。

ほんとに・・・永遠亭に「家族」というテーマは良く似合う、な。
8. 5 落雁 ■2006/04/01 14:11:52
酒以外に自分でテーマを設定するのがまず凄いし、二つのテーマを上手く使い、表現出来ていると思います。ただ、個人的な嗜好で申し訳無いのですが、心に響いてくるものが無い。途中のオチも読めてしまったし。
そういうわけでこの点数です。文章構成等の技術面では、間違い無くトップクラスだと思います。
9. 10 つくし ■2006/04/01 21:54:09
お酒が一滴も出てこないのに「酒」を題材にしたSSとして成り立ってるー!ちょとした嘘からすごいドラマに派生したー!などと感服しきりでした。ごちそうさまです。
10. 8 おやつ ■2006/04/02 20:33:37
うーむこれはお見事です。
構成もストーリーも良いものあると思います。
師匠の優しい嘘がなんとも言えません。
それにしても師匠「幸せにして頂戴」てそりゃプロp
11. 8 Fimeria ■2006/04/04 02:46:19
正しい嘘吐きの在り方、鈴仙だけでなくてゐにとっても永琳は師匠って感じですね。
てゐが少し成長した物語、ほのぼのと読ませていただきました。
永琳は全てお見通し、てゐの嘘吐き方、鈴仙の悲惨な日常、Hチルノ
キャラの動かし方が巧いと感じました、起承転結の構成も巧いです

永遠亭の家族の日常に8点を。
12. 10 藤村琉 ■2006/04/07 01:52:29
 打ちのめされた。
 この喉越しは、確かに美味しくて良いお酒を飲んだ後のよう。
 清酒と書いて水と読む。
 完酔。
 最後にはちゃんと笑い話になっている……とも思いましたが、死体が出た時点できついと感じる人は少なくないかも。
13. 10 偽書 ■2006/04/07 22:10:57
一言、参ったと。実に魅力的に描かれたキャラクタ達に、素敵なストーリィ。お見事です。今回は10点はつけないつもりだったのですが……本当に楽しませていただきました。
14. 8 反魂 ■2006/04/08 20:50:59
いやあ、上手い。
話も上手いが、嘘も上手い。
上手い嘘は人を幸せにする。賢い生き物の条件は、嘘をつけることかもしれない。
ああ、賢い嘘がつきたい。お見事なお話でした。
15. 10 かけなん ■2006/04/09 03:15:23
うわーい、今まで見たてゐで自分とっては一番のてゐでした、文句なく。
いつかてゐがえーりんを騙せる日を祈ってw

あと、ひとりむくれて不貞寝するうどんげ幻視してめっちゃ萌えた。
16. 10 ■2006/04/11 01:00:15
愚者は時に賢者。騙され続けることは時に騙すこと。なるほど、永琳もチルノも見事な嘘つきでした。
17. 8 papa ■2006/04/11 01:59:28
嘘から出た真。それはともかく、言葉回しがテンポがよくて、最後まで飽きることなく読むことができました。
転の使い方もうまいです。
18. 7 MIM.E ■2006/04/11 22:05:22
可愛い反抗をする鈴仙とそう言うてゐの関係にくらっときて失神寸前だった!
というのは大袈裟ですが、永琳もチルノも輝夜もみんな良い味出てて良かったです。
ただ、死体の事の顛末がやや突拍子も泣く感じた事、チルノが誤解したままの事の二点が
少し残念でした。特にチルノは馬鹿かも知れませんが、時間がたって忘れたらそれでいいというのでは
花映塚での真剣に考えてるチルノなどを考えるとちょっと可哀想だと思いました。
もっとも、それでも8点。大変素晴らしい永遠亭でした。ありがとう。
19. 7 木村圭 ■2006/04/12 02:30:42
なんだかんだができる永琳には、きっと騙すことで人を幸運にすることができないのでしょう(いや、できるんだけど意図していないところでさえ、という点で)。何ていいコンビなんだろう。
ところどころの鈴仙や輝夜もいい仕事してました。
チルノがあまりにお馬鹿に終始したので(間違ってないけど好きになれない)マイナス1点、酒の使い方が上手いと思ったのでプラス1点。
20. 9 NONOKOSU ■2006/04/12 02:59:18
無邪気さと怖さは紙一重。
ひとつ間違えればホラーで不気味なだけのところを、永遠亭の面々の雰囲気と、てゐの『嘘つきとしてのプライド』が緩和して、ちょうど良い塩梅に。
うーん、凄い。
21. 7 とら ■2006/04/12 05:32:20
騙されてもいいから美味い酒を飲んでみたいものです。
22. 8 ■2006/04/12 18:40:11
どこをどうひねれば、この話がこんな優しいオチになるんだろう。ぎゃふん。
23. 9 K.M ■2006/04/12 20:17:11
てゐの上を行く永琳は流石と言うほかありませんね
24. 7 74 ■2006/04/12 21:56:28
いい感じでした。
他にもっと気に入ったのがあったので7点ですまん。
25. 7 Hodumi ■2006/04/12 23:02:56
表現できていたと思います。
26. 7 折柳 月暈 ■2006/04/12 23:21:11
えーりんが言った妊娠したという嘘には脱帽。ネタの思考レベルの違いを感じますorz
流石のてゐもえーりんにはかないませんねぇ(笑
27. 10 椒良徳 ■2006/04/12 23:36:38
お見事!
28. 10 名無し ■2006/04/12 23:57:19
永琳のフォローと嘘から幸福にする程度の能力への流れがツボにはまりました。
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