先輩の私から、後輩の君へ

作品集: 最新 投稿日時: 2006/03/25 06:51:52 更新日時: 2006/04/19 06:26:56 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 冷たい風も少しずつ和らぎ、日も長くなった。
 桜が咲くには早すぎる。しかし紅が咲くにはもう十分、という今の季節。
 広大な敷地を持つ白玉楼の庭にも、それは訪れていた。
「妖夢、あそこを見て御覧なさい」
 そう言って幽々子が指差した先には、一本の梅があった。
 この庭に桜は無数にあれど、梅は隅のほうに慎ましやかに少しだけ植わっているだけである。
 しかしその美しさには一点の曇りも無く、見る者の心にすぅっと染み入っていくようだった。
「はい、もう満開ですね。今年のものは去年よりも赤みが強いように思われます」
 庭師として答える妖夢。その顔は静かながらも、笑みが浮かんでいた。自らが世話をした木々が、見事に咲き誇った事に対する喜びがそうさせたのだろう。
「桜の陰に霞みがちだけれど、やっぱり綺麗。見ていて飽きないわ」
 ふわふわとした動きで根元に近づき、幹に触れながら幽々子が言う。そして花を見上げると、すっと目を細めた。
「ええ、私もこの控えめなところが好きです。ひっそりと散っていく様などは、言葉にできません」
 妖夢も主人に倣って、梅を見上げた。紅の後ろにある空には、ぽっかりと浮かぶ満月が煌々とした銀の帯を降らせている。
 あぁ、幽々子様はこれが眩しかったのだろう。何の気なしに、そんな事を思った。
 すると主人も何の気なしに、
「ねえ妖夢、梅見がしたいわ」
 思いついた事をそのまま口にする。
「随分と急ですね」
 いつもの事ですけれど、という言葉を付け足しながら妖夢は苦笑する。本当に彼女の主人は気まぐれだった。
「思い立ったが吉日よ。そういう訳だから、お酒の用意をして頂戴」
 幽々子は梅を眺めたままそう言うと、木の下に座ろうとする。




 と、その時――




「そのまま座ると、お召し物が汚れるのではないかな?」
 突然、妖夢の聞いた事の無い声がする。それは低く、野太いもので明らかの男のそれだった。
 彼女は何事かと思い、腰を沈めて刀に手を掛けた。そしてざっと周囲に目をやるが、そこには誰もいない。
「誰だっ!」
 いつの間にこの白玉楼に侵入していたのか。視認はできないが、確かにそこにいる相手。それに向かって裂帛の気合を以って叫ぶ。
 空気が大きく震えた後、しぃんとした怖いほどの静寂。梅の花がぷちりと散る音が聞こえるほどの。
 主人を自らの後ろへやりながら、妖夢は神経を研ぎ澄ませた。力の籠もった右手から、刀の柄へとぬるりとした汗が伝う。
 声はすれども姿は見えず。形の無い何かに監視されているような、生温くて不気味な時間
 それがどれくらい続いただろう。いや、どれぐらい続くのだろうか。
 十秒、一分。もしかしたら半刻。
 妖夢はいつ襲ってくるか分からぬ敵と、無限とも思える対峙をしている。


 だが、この真剣さとは逆の幽々子の楽しそうな声が膠着を破った。
「ほらほら、からかうのも程々にして頂戴。この子はまだ未熟なんだから」
 大層気軽な様子で、姿無き者に語りかける。それは自分の見知った者に対する調子であった。
 その一言で先ほどまでの張り詰めた緊張感は霧散し、妖夢はふぅと大きく息をついた。
「意地が悪いですよ。口調だけではなく、声色までも変えるなんて」
 姿勢を正して言う。こんな事をするのは、彼女の知る限り一人しかいない。
「あら。今回の出演は、お気に召さなかったみたいね」
 すると、ついさっき男のものとは違い今度は聞きなれた声がした。それと同時に二人の目の前にある空間がぐにゃりと歪になり、声の主がぬっと姿を現す。
 他の誰でもない、八雲紫だった。
「それにしても妖夢は怖いわねぇ。『誰だ!』なんて大声で怒鳴られたら、吃驚して私の寿命が縮んでしまうかもしれないじゃない」
 紫はまだ下半身をスキマに突っ込んだ状態で、にやにやと笑う。そして扇子でその口元を隠した。
「確かに。主人の友人を怒鳴るのは、ちょっといただけないわね」
 突然の来客の言葉に幽々子も便乗し、からかうように笑う。
 このまま自分よりも圧倒的に力、余裕、経験のある二人にやり込められては堪らない。妖夢はそう思い、矛先を逸らすために紫に問いかけた。
「そっ、そんなことより紫様。今日は何の御用ですか。普段ならお休みになっている時間ではないでしょうか」
 月の位置からして、亥の刻になろうとしている。一日の半分を寝て過ごすという習慣の彼女から、今の状況は到底考えられない。
「目覚めた時は、もう日が半分近く沈んでいたから。だから今日は夜明けまで起きていられる」
 疑問に対して、堕落しきった答えを返す。それを聞いた幽々子は、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ今から、私に付き合ってもらおうかしら。お酒の席は一人でも多いほうがいいもの。紫の事だし、さっきの話を聞いてたんでしょう?」
「ええ、是非そうさせてもらうわ」
 ここまで言って初めて、スキマから全身を出した。そして散った花弁を舞わせる事も無く、静かに地面に降り立つ。
 そのまま紫は木の根元に歩み寄り、扇子を水平に引く。するとその軌跡から口が開き、そこから落ちるようにして現れた茣蓙が地に敷かれた。
「ここにお座りなさい。土が着物に付くと中々落ちないもの。幽々子だって、この子に要らぬ苦労を掛けたいわけじゃないでしょう」
「あなたは変な所で気配り屋さんねぇ。それを自分の式にしてあげればいいのに」
「嫌よ。面倒くさいもの」
「まぁ、酷い人ね」
 そう言うと二人して笑い合う。その様子を、妖夢はぼんやりと見つめていた。
「ほらほら、ぼぅっとしてないの。お酒の準備をして頂戴」
「あっ、はい。分かりました。すぐにいたします」
 幽々子の言葉を受けて、はっとなる。そして屋敷のほうへと向かった。心に、鈍いものを感じながら。





 妖夢が準備を終えて戻ると、そこには新たな来客がいた。
「紫様に呼ばれて、私も邪魔している。手伝う事があれば何でも言ってくれ」
 律儀に礼をするのは、紫の式である藍だった。それに礼を返しつつ、妖夢は配膳を始める。
 まずは肴の皿を三種類並べ、次に酒。春の手前とはいえまだまだ夜は冷えるので、熱燗を数本置いてその横に盃を添えた。
 と、それを見るなり幽々子が口を開く。
「駄目よ、妖夢。この盃はこの場に相応しくないわ」
 主人の厳しい声を急に浴びせられ、従者はぴたりと固まった。
「この馬上盃は、桜が描かれているでしょう。こんな物を使っては梅の美しさを損なうわ。それに華というものは嫉妬深いのよ。だから、愛でるのは一つにしておかないと」
 風情や情緒を重んじる幽々子にとって、これは譲れない部分だったのだろう。普段とは違った調子でぴしゃりと言い放つと、別の器を用意するように命じた。
「申し訳ありません。短慮でした」
 そう言いながら落胆する妖夢。
「あらあら。随分と厳しいのね、幽々子は」
 その一部始終を見ていた紫が、意外そうに言った。
「特に厳しい事を求めているつもりは無いわ」
 幽々子は、当たり前のように答える。
「あなたにとっては、それが普通かもしれないわね。っと、妖夢はここにいなさいな」
 代わりを取りに戻ろうとした妖夢を制すると、紫は式に目配せをした。
 視線を受けて静かに頷くと、藍は自分の後ろに置いていた桐の箱を幽々子に差し出す。
 からり、と乾いた音を立てて蓋が開き、中から取り出されたのは黒天目の器。
 それを自分の目の高さにまで持ち上げて、感心したように見つめる幽々子に紫は言った。
「あなたが気に入ると思って、藍に持ってこさせたのよ」
「御眼鏡に適いましたか?」
 主に続いて藍も伺いを立てる。
「最善ね。これなら白がよく映える」
 幽々子は満足そうに言うと、器を静かに置いた。
「数はちょうど四個あるの。藍、皆に行渡ったらお酌をして頂戴」
「かしこまりました」
 紫の言葉通りに、てきぱきと事をこなす藍。それに対して妖夢は、自分が持ってきた役立たずの盃を片付ける事しかできなかった。
 その後乾杯をしたが、綺麗な花と上等な酒が揃っているというのに錆を舐めたような味に顔を顰める。
 心の鈍いものは、更に大きく感じていた。







「はぁ、やっぱり私は半人前だ」
 台所で一人、妖夢は呟く。そして自分の不甲斐なさに、じわりと涙が浮かんだ。
「幽々子様が誇れるような従者でありたいと思っているのに」
 熱燗のおかわりを作りながら、胸の内を吐き出しても虚しいだけ。
 竈の火がぱちぱちと音を立てる以外、ここには何も無い。妖夢は恥ずかしさやら情けなさで、この世界に溶けてしまいたかった。
 間違いを正されたのは、別に今日が初めてというわけではない。今までにも数え切れないぐらいの失敗をしてきたのに。
 一番の失敗は、幽々子のお気に入りの着物を傷ませてしまった事。その時も不手際を叱られたが、これほど気分が沈んだ事は無かった。
「何でだろう? 悲しいだけじゃなくて、寂しい……」
 そしてまた涙。それはついに許容量を超えて、ぽたぽたと土間を濡らす。
 直に、しゃくりあげる様な声が漏れ出した。両の袖で口と目を塞いでも、溢れ出て止まらない。



 そうしてどれくらいの時間が過ぎただろう。



 ようやく涙も引き始めた頃、台所の扉をがらりと開く音。
 反射的にそれに振り返ると、そこには藍が徳利を片手に立っている。恐らく、紫が手伝いをするように言いつけたのだろう。
 妖夢は泣いていた事を悟られまいと、背を向けて目元をごしごしと擦った。これ以上情けない姿を、他人に晒したくは無かったからだ。
「まったく、あの二人には困ったものだな。式使いが荒いというか、遠慮が無いというか」
 そう言って妖夢の横にある一升瓶を手に取ると、徳利にそれを注いだ。そして湯煎を始める。
 竈の前で、二人並ぶ。しかしそこには会話は無く。
 しゅんしゅんしゅん、と湯の小さな叫びだけがこの場を支配していた。
 妖夢が準備していた熱燗は、とうに出来上がっている。しかし、彼女はそれを持って主人の元に戻ろうとは思えなかった。
 だからだろうか。ぽつりと、聞こえない程度の声で藍に問いかけていた。
「藍さんは、紫様の式ですよね」
「ああ、そうだが。それがどうかしたのか」
 藍は突然の言葉にも驚くことなく、まるでそれを予期していたかのように冷静に返した。
「紫様にお仕えする事を、辞めてしまいたいと思った時はありますか」
「そりゃあるさ」
 即答だった。


 そこで一旦会話が途切れる。


 しばらくの逡巡の後、今度は藍が問いかけた。
「じゃあ私からも聞こう。今お前は、幽々子嬢に仕える事を、辞めてしまいたいと思っているのか」
 すっ、と相手の目を見つめて言う。それはとても力強い目だった。
 今の妖夢には、眩しいほどに。
「……分かりません。自分が幽々子様に相応しい従者であるのかどうかさえ、もう分かりません」
 俯いて答える。
 それを聞いて藍は、擽ったそうに言った。
「お前は、昔の私に少し似ているよ」
 そして苦笑いのようなものを浮かべながら、妖夢に土間にあった椅子へ座るように促した。
 言葉のままに椅子に座る。藍も軋むような音と共に座り、向き合った。
「さて、昔話をしようか。ちょっと長くなるが勘弁してくれ」
 あー、とか、うー、とか、こういう恥ずかしい事は言いたくないのだが、とか。
 一頻り言い訳のようなものをして頭をばりばりと掻いた後、ぽつぽつと話し始めた。


「私は元々幻想郷の住人ではないんだ。所謂、外の世界ってやつを住処としていてな。そこで暴れ回っていたんだ。今じゃとても言えない様な事ばかりしていたよ。人を蟻のようにぷちぷちと殺したり、それを見て心底楽しいと思った時期もあったさ」
 突然の告白に、妖夢は大層驚いた。いくら目の前にいるのが人を喰らう妖怪だとしても、普段の藍の温和な様子からはその言葉はとても信じられなかったからだ。
「現実に私より力を持つ者なんていなかったし、逆らうものは文字通りに皆殺しにしてきた。そんな時だったな、紫様が目の前に現れたのは」
 いつの間に用意したのか、右手には酒。それを妖夢にも勧めつつ、話を続けた。
「最初見た時は、只の女だった。それがすっと動いたかと思うと、私はぐしゃぐしゃに壊されていた。あれは屈辱だったよ」
「そんな……」
 妖夢は紫が強い力を持っているというのは漠然と理解はしていたが、藍の話を聞く限りでは想像以上のものだった。もはや別次元と言ってもいいかもしれない。
「まぁそれから紆余曲折あって、私は紫様の式となったわけだが。最初の頃は、隙あらば寝首を掻く事ばかり思っていた。今となっては、無駄としか言いようの無い行いだったけれど」
「意外です。てっきり、藍さんは紫様が作り出したものなのだと思っていました。それにそんなに仲が悪かったなんて」
「仲が悪かったというか、私は自分の恥を雪ぎたかっただけだと思う。その時は紫様に敗北した事を、生涯唯一の汚点のように感じていたものだから」

 そこまで話して、ふぅと一息ついた。そして尻尾の位置が悪いらしく、椅子に座りなおす。

「そんな殺伐な日々を、何年か過ごしただろうか。ある日、家に帰ってきた紫様が私に言ったんだ。『自分を殺せ』ってな」
 渇きを潤すため。そして自分の精神を高揚させるため、ぐびりと艶かしく喉を鳴らして酒を飲み干す。妖夢もそれにならって、ぐい呑みを空にした。
「正直な話、罠だと思ったよ。だって今まで殺そうとしても殺せなかった相手から、突然そんな事を言われたのだから。当然こっちは戸惑ったわけだ。そうしている内に、紫様が床にへたり込んで泣き出したんだよ。まるで子供のように」
「鬼の目にも涙ですね」
「おいおい、そんな事言って聞かれたらどうするつもりだ」
 二人して小さく笑い合う。


 藍が言葉をまた紡ぎ出す。
「それから、紫様は抜け殻になってしまったんだ。理由を聞いても話そうとしないし、食事もしない。ただぼんやりと縁側に腰掛けて、庭にある桜の木を見つめる毎日だった。花が散っても、人形のようにじっとそれだけを見ていた」
 話をしている藍の目は、遠い昔を映しているようでひどく綺麗だった。
「お世辞にも立派とは言えないが、私も腑抜けを殺して満足するほど落ちぶれてはいない。だから私は元に戻って欲しくて、紫様のお世話を始めた。ようやく式らしい事をするようになったんだ。今から考えると素直になっていなかっただけで、ずっとあの人の事を慕っていたのだと思う。多分、私が地に這わされたその瞬間から」
 おかしいか? と聞く藍に対して、妖夢は首を振って答えた。
「いいえ、分かります。強者に憧れるのは、生物としての本能ですから」
 その時彼女の心には、自分の祖父が浮かんでいた。誰よりも強く、厳しくも優しかった妖忌。妖夢だって、未だにその影を追って修行を続けているのだから。
「しかしお世話をするといっても、何をしていいのか皆目見当も付かなかった。そりゃあそうだ。今まで壊す事しかしてこなかった私が、急に何かを守ろうとしたって上手くいくはずがない。最初など百の試みの内、成功に至ったのは二、三回。本当に、数え切れない失敗の連続だったよ。紫様が本調子だったら、問答無用でスキマ送りだったかもしれん。しかし何年も、それこそ何十年も経つと、どうすればいいかが少しずつ分かってくる。私が上手くやればやるほど、紫様も徐々に復調し始めていたんだ」
 嬉しそうに語る藍を見ていると、妖夢の心も少し軽くなっていく。


「数え切れないぐらい季節がめぐった後、以前ほどの元気はないにしても紫様は十分に回復した。そして私に礼を言ったんだ。その時の言葉は忘れもしない、『ありがとう』とたった一言だけ。でもそれだけで、自分がこの人にとって重要な存在なんだと認識する事ができて、とても幸せだった」
「本当に、紫様の事が好きなんですね。藍さんのそんな顔、初めて見ました」
「酒に酔っているせいだよ。素面だと、こんな事は言えたもんじゃない」
 照れ隠しなのか、豪快に酒を呷る。
 その器に妖夢は酌をした。まるで話の続きをせがむ様に。
 それを受けた藍も、妖夢に酌を返した。まるで自分の追憶を分かち合うかの様に。
「だが、ここで一つの問題が生じた。どんなに聞いても、紫様は原因を話してくださらない。私はそれが気に入らなかった。ある程度心を開いてくれても、最後の一枚だけを頑なに守っているようでな。そこから来る暗い思いが、少しずつ心に積もっていった。そしてそれが一杯になった時を見計らうように、ある出来事が起きたんだよ」


 すると、急に口を噤んだ。先を話そうか話すまいか迷っているようで、妖夢の顔をちらちらと窺っている。
「ここまで聞かせておいて、今更止めるなんて生殺しですよ。一体何が起こったんですか?」
 好奇心を隠す事も無く、妖夢が言う。そして藍は、怒るなよ。と一言最初に付け足すと、続きを話しだした。



「お前の主人である幽々子嬢が転生して、再び姿を現したんだ。それを知った紫様は大層喜んで、一気に元の調子に戻った。だが逆にその一件で、私は自分が長年かけて築いてきた自信のようなものを、木っ端微塵に砕かれた。いくら紫様に尽したとしても、自分では入り込めない領域があるというのを目の前で見せ付けられたよ。そう、ちょうど今のお前みたいにな」
 その言葉は、妖夢に自分の精神を抉る様な痛みを与えた。そして今、初めて分かったのだ。
 紫と幽々子が仲睦まじくしているのを見て、自らに影を落としたのは嫉妬という感情に他ならないと。
「その時の私と、お前は状況的にとてもよく似ている。自分の中で、仕えている者に対する割合が大きすぎるんだよ。『自分が主の事を一番よく分かっていたい。主の一番近くに立っていたい。他には誰も要らない』そんな風に、子供染みた独占欲で一杯だ」
「……」
 妖夢は何も言えない。心の急所を一箇所一箇所、小さく鋭い棘で嫌になるぐらい的確に貫かれているのだから。だが無情にも、藍は更に棘を放った。
「それはとても危うい事だ。砂上の楼閣なんてものじゃない。主と自分だけの小さな世界を構築したいという望みは、両者の可能性を抹殺しているという事実に気づいていないのか?」
「そ、そんな事は……」
「無いと言い切れるのか。今のお前に」





 藍の鋭い眼光に、妖夢は押し黙った。もう今となっては何を言っても、嘘になるだろう。
 自分の弱さを全て見抜かれたようで、死にたくなっていた。

 そして怖いほどの沈黙の後、藍はその空気を吹き飛ばすように言う。
「これは今日一番の恥ずかしい話だ。聞いた後、すぐに忘れてくれるとありがたい」
 そう言うと、一升瓶の残りを全て口に含んだ。酔わなきゃとても話せない、という気持ちを表しているようである。
「幽々子嬢が転生して数日経った頃、私は事もあろうに殴りこみに行った。もちろん紫様には秘密で。そうすると、庭で暢気に散歩をしている彼女を見つけたんだ。御付の者もつけずにな。それが無性に頭にきて、そのまま一思いに殺してやろうと思ったよ。でも――」
 そこで大きく深呼吸をする。
「彼女は、私を見ても微動だにしなかった。取り乱す素振りはおろか、この身を優しく見つめるだけだったよ。そして言ったんだ『あなたが紫の式ね』って。おかしいだろう? 普通なら、命の危険を感じてもよさそうなものなのに。その時に気づいたんだ。こんな人だからこそ、紫様には相応しいと」
「全然分かりません。どうしてたったそれだけの事で、あなたは身を引いてしまったのですか」
 どうしても話の流れに納得できなかった妖夢は、明確な説明を求めた。
 それを聞いた藍は、事も無げに答える。
「理由なんてない、直感だよ。上手く言葉にはできないが、器の違いってのを感じた。それと自分の矮小さも。鳥は空にいなければならない。地べたにいるのは、翼が折れた時だけでいいんだよ」
「……」
「紫様と幽々子嬢、あの二人はよく似ている。だからこそ惹かれ合う。それにお前は彼女に相応しい従者になりたいのであって、友達になりたいわけではないのだろう? つまりはそういう事だ」
 話すことはこれで終わったのか、そこまで言うと椅子から立ち上がり竈へと向かう。
 妖夢もそれに倣い、盆の用意をした。そして問う。
「藍さんが言いたかったのは、私達は結局、立場を弁えた上で尽す事しかできないという事なのですか」
「違う。友人には友人の、従者には従者の領分があるという事だ」
 長話が過ぎたのか、熱燗は人肌どころか沸騰しそうなほどに熱くなっていた。それを湯から取り出しつつ、藍は言葉を足す。
「でも、幽々子嬢がお前にしか見せぬ顔も沢山あるだろう? 地べたに落ちた鳥を癒すことができるのは、我々の特権だ。無い物強請りは程々にして、お互いそこを大切にしようじゃないか」
 それだけ言うと、盆を手にして台所を後にした。




 最後の藍の言葉が、ささくれ立っていた心に水のように染み込む。
 そして自分がどれだけ高望みをしていたのかに気づいた。
 妖夢は幽々子の親でも、友人でもない。従者だ。でも、それを誇りにして精進しようと心に決める。

「よしっ!」
 大きな声で自分に喝を入れると、頬をぴしゃりと叩いた。
 そして残った徳利を取り出すと、それを手に中身が零れぬように小走りで藍の後を追いかける。
 前方に見えるふさふさの尻尾が少しずつ大きくなっていき、それが手の届く距離になった時、その背中に問いかけた。
「そう言えば藍さんとちゃんと話したのって、今日が初めてですね」
「ん、言われてみればそうかもしれないな」
「私、藍さんを目標にしたいと思います」
「私をか? よせよせ。従者としてのあり方なら、悪魔の犬にで師事したほうがいいと思うぞ。あと、私だってまだまだ修行中だしな」
 愉快そうに藍は笑い飛ばした。しかし妖夢は真面目な声で返す。
「いえ、レミリアと幽々子様は全く似ていませんから。それに紫様と幽々子様が似ているって言ったのは、あなたですよ。『先達はあらまほしき事なり』という言葉もありますしね」
「やれやれ。橙のほかにも手のかかるのが増えるのか」
 呆れたような、しかしどこか嬉しそうに藍は嘆息する。
「あっ、そういえばあの黒猫はどうしたんですか。姿が見えませんけど」
 そうなのだ。紫が来てから結構な時間が経っているが、妖夢は橙の姿を一度も見ていない。
「あいつはまだお子様だからな。今頃夢の中で遊んでいるだろうよ」
 そんなやり取りをしていると、二人の目に梅の木が見えてきた。その根元では、紫が幽々子を膝枕している。
 どうやら眠ってしまっているようだった。


「羨ましいか? 紫様が」
 試しているのか、藍が意地悪に聞く。
「いいえ、って言い切れませんけど。先程よりも、心がざわつかなくなりました」
 妖夢がきっぱりと答える。
 その声からはもう、悩んでいる様子など微塵もない。
「それは良かった。私も恥を晒した甲斐があったというものだ」
 藍が優しく微笑む。
「逆にあの状況は、私が羨ましい。働き者の式に膝枕の一つでもして、疲れを労って欲しいものよ」
 そして冗談っぽく付け足した。その言葉にもう一度笑い合う。


「藍、妖夢。早くこの子を何とかして頂戴。このままじゃ膝が痺れちゃうわ」
 紫の声が聞こえる。
「別にいいじゃない〜。久しぶりに紫に甘えたいのよ」
「あら、起きてたの?」
「さっき目覚めたわ」
「ふぅ。全く、仕方のない甘えん坊ね」
 幽々子と紫は幸せそうにじゃれ合う。
 それを見た二人の従者も、幸せを感じていた。自分が今の主に仕えている事に、感謝しながら。



 あぁ、この分だと次のお酒は美味しく飲めそう――
 妖夢はそう思って、親愛なる主の下へと歩を急がせた。
 心の中に小さな、しかし強い火を湛えながら。









<終幕>
妖夢と藍。
二人は良く似ていると思います。
それは二人の主人が良く似ているからでしょうか。類は友を呼ぶ、という言葉がしっくりきます。
人間も妖怪も、毎日日々精進。半人前ならそれは尚更の事です。
でもその道の途中で、自分を支えてくれる人や導いてくれる人がいる事はこの上ない幸せ。
きっと皆さんの周りにもそんな人がいます。
そして皆さんも他人にとってそんな存在なのです。

最後になりましたが、このような場を設けていただき誠にありがとうございます。
東方SSこんぺの主催者様に感謝の意を。
そしてこの作品が少しでもこんぺを彩る事になれば幸いです。
それでは。
二見 見二
http://hw001.gate01.com/shirokuro/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/03/25 06:51:52
更新日時:
2006/04/19 06:26:56
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1. 9 7氏 ■2006/03/25 15:41:22
この二人が、真面目な話をはじめてみました
緩やかながらも成長していく過程がよいです
2. 7 月影蓮哉 ■2006/03/25 17:31:35
従者2人は仲は良いと思いますね。
お互い、苦労する主人を抱えていますので。
クールな藍様が見れてとても良かったです。
3. 6 爪影 ■2006/03/28 16:49:34
上を向いて、歩いて逝きましょう、ほいほいさ。
4. 7 名無し妖怪 ■2006/03/29 01:04:58
いいなぁ。心温まりました。
5. 3 反魂 ■2006/03/31 00:05:38
主人のことを完全に把握することなど出来ない、だからこそ侍従は侍従で
いられるのかもしれない。良いお話でした。
6. 8 名前はありません。 ■2006/03/31 20:32:46
藍のお姉さんキャラがとても良いです
頼れるお姉さんとスッパテンコーの境界はどうなってるのやら
7. 7 つくし ■2006/04/02 14:57:06
従者としての妖夢、藍の姿をまっすぐに表現された、いいお話でした。ごちそうさまです。
8. 3 おやつ ■2006/04/05 04:42:26
いい従者だと思います。
いずれは妖夢も半人前w卒業する日が来るのかもしれません。
なんとなく、卒業して欲しくないような気もしますがw
9. 6 水酉 ■2006/04/05 07:24:59
桜のように花見する者はないけれども、梅には梅の良さがあり。
自分の所で花見してくれないからと、梅が拗ねる必要は無いのです。

その花を静かに愛でたり、梅の実を収穫して漬けたり。
梅には梅の良さがありますから。
10. 7 藤村琉 ■2006/04/07 02:02:25
 説教が上手い。でも説教くさいところも多分にありますが、ぐさっと来た分は図星だと考えることにします。
 あとはもうちょっと展開やら動きやらがあれば説得力が増したような。
 個人的に藍は妖夢と似ていない気もするのですが、まあその辺りは個々人の考え方かなあ。
 九尾の狐から式になったのだとすれば、どうあっても妖夢みたいに主一辺倒じゃないと思うのですが。共通している面はあるにせよ、同じベクトルにはない印象。
 あとお酒あんまり関係ないです。
11. 8 ■2006/04/10 00:14:50
苦労人って言葉がやっぱりよく似合う。
12. 7 かけなん ■2006/04/10 10:51:41
これはまた、妖夢らしい。
自分の中の幽々子・妖夢というのは何だか姉妹っぽい感じもあったりしたらいいなぁ、なんてのですが(苦笑)

藍も藍で、いいお話でした。
13. 6 papa ■2006/04/11 02:04:30
タイトルを見てどんな話かと思ったら・・・なかなかうまいですね。
14. 8 MIM.E ■2006/04/11 21:42:15
重要で当たり前だけれど忘れがちになること。相手を独り占めしたいという考えず、分をわきまえる。
それは少し寂しい事にも感じますが、藍という理解者を得たならば妖夢はさらに強くなれるでしょうね。
圧倒的な美しさや絶対性だけでなく、人柄と共感で大きな存在を見せる藍がとても良いですね。
15. 6 NONOKOSU ■2006/04/12 02:36:14
橙、妖夢、藍、と並べると、従者の進化の図に!
16. 2 木村圭 ■2006/04/12 03:00:07
逆に考えるんだ。従者という立場だからこそできることがある。それは友人である紫には決して触れるこのできない領域なのだ。
いつか妖夢も藍みたいな落ち着きその他を手に入れるんでしょうか。……似合わな(現世斬
17. 6 とら ■2006/04/12 05:05:46
やっぱり年季が違うな、藍様は。
18. 6 七市読者 ■2006/04/12 16:44:15
藍が幽々子のことを認めるくだり、そこの詳細をぼかしちゃ駄目ですよ。
このSSで一番盛り上がる、文章の肝と言っていい場所だと思いますので
そこをうやむやにして読者任せにするのはちょっといただけません。
言葉選びや構成などには不満がなかった分、そこが唯一のマイナス要因でした。
19. 7 名梨 ■2006/04/12 17:49:55
よい
でも欲を出せばもっと丁寧に書いて欲しかった
紫×ゆゆはいいよね
20. 9 K.M ■2006/04/12 20:56:58
兎角、従者とは大変なものということか
良き先達がいると言うのは実にうらやましく思う
21. 4 床間たろひ ■2006/04/12 22:10:29
藍の在り方、妖夢の葛藤。どちらもすとんと胸に落ちてきました。
良いお話でしたw
22. 7 ■2006/04/12 22:26:14
己の分を知ること…ってのは、やっぱり難しいですよねぇ…
23. 5 折柳 月暈 ■2006/04/12 23:15:22
どこぞには瀟洒なお方に憧れている妖夢も居ますけど、やっぱり私的には藍様に憧れている方がいいなと思ったり思わなかったり。

話も良い感じに終わってまとまっているな、と。
捻くれた私は、結構長く話し込んでいた二人が軽く叱られるオチかと先読みしたりとか…
どう考えても私はネタ寄りでしかSSを書けないようです。本当に(ry
24. 9 椒良徳 ■2006/04/12 23:39:40
御免なさい。時間がないようなので、コメントはまた後日書かせていただきます。
25. フリーレス 二見 ■2006/04/16 06:20:26
この作品を呼んでくれた方、さらに感想まで書いてくださった方
心よりお礼申し上げます。
御指摘いただいたように、お題を上手く消化できていない事。
更に文章の構成が、平坦極まりないものになってしまった事。
自分の中ではこの二つが最大の反省点ですね。要精進。

ではレス返しをさせていただきますね。

>7氏
妖夢の胸は緩やかなまま成長しません。
藍さまは本当はちゃんとした人だと思うんだ。

>月影蓮哉氏
苦労しますよね。でも部下が紫様とゆゆ様のほうがもっと苦労しそうです。
気が付けば主従が逆転してそうで。

>爪影氏
幻想郷で上を向いて歩くと、空飛ぶ少女のあられもない姿に遭遇できます。
オススメです。下を向いて地面に落ちてるお金を探すよりもよっぽどいい。

>名無し妖怪氏
ハートウォーミングストーリー。誰か私の心も温めてくれませんか?
いつだって吹き荒ぶスキマ風。

>反魂氏
自分の事も完璧に分からないのに、他人のことなんて分かるはずがありませんよね。
だから見っとも無くても、分かろうともがくのかなぁ

>名前はありません氏
藍さまは自分が認めた者には、良くしてくれるイメージ。
とっても頼れる姐御。困ったら相談するが吉。

>つくし氏
ちょっとまっすぐに表現しすぎたかなぁ、と今では少し後悔。
搦め手も時には大事、うん。

>おやつ氏
妖夢はきっと大人になってもゆゆ様にからかわれてます。
だって可愛いあの子は直情型ですもの。主人からすればずっと半人前。

>水酉氏
華と女の嫉妬は刺さると深くて中々抜けない。
薔薇の棘は、浮気者を戒めるためにあると思うんです。おぉ怖い。

>藤村琉氏
プロボクサーにこてんぱんに熨された不良が、その人を崇拝し始める。
そんな感じです、昔の紫様と藍さまは。今ではもう現実を知りましたが。

>翼氏
苦労している女の子ほどいいお嫁さんになりますよ!お料理お掃除お洗濯なんて朝飯前。
しかも主人を立てるというA級嫁! ただ今の日本では幻想化しつつあります。国で保護すべきだ。

>かけなん氏
姉妹だったら、昔は一緒にお風呂とか入ったのかしらん?
カメラはこちらで用意した、スネーク頼んだぞ。

>papa氏
タイトルって一番難しいです。見るだけで、その人のセンスが駄々漏れです。
私は漏れるほどのセンスがありません。100円均一とかで売ってませんか?

>MIM.E氏
相手を独占するって、ある意味では自分も独占されてますよね。不毛だ。
藍さまには一日の長があるので、妖夢のよい羅針盤となる事でしょう。

>NONOKOSU氏
橙、妖夢、藍と並べると、大きさ順になります。身長とか、他の身体的要素諸々で。
咲夜さんがどこに入るかって? 私も命は惜しいので勘弁してください。

>木村圭氏
今の妖夢も普段は落ち着いてますよ。ただそれが崩れるのがとても早いですが。
あと、ジョースター卿はナイフに貫かれながらお帰り。

>とら氏
伊達に長く生きてませんからね。だけど外見年齢は二十代ってのは、文字通り化け物ですな。
でも人間だって漫画書いたり、とある剣術を修めると年をとらなくなるらしいです。摩訶不思議。

>七市読者氏
確かにあそこは拙かったです。自分でも感じてました。
読者の考えに頼りすぎるのは良くない、反省。

>名梨氏
紫様とゆゆ様は仲良しですから。
いちゃこらちゅっちゅしてんじゃねーよ、って感じです。だがそれがいい。

>K.M氏
先達なんかいらない、自分で進むのが楽しいんじゃないか。
そんな風に考える人もいます。強いなぁ、私には到底真似できない。

>床間たろひ氏
妖夢はまだ幼い事もあって、甘えん坊なフシがあります。
豊かな父性で包んであげてください。映姫様と妖夢の二人娘。

>匠氏
本当に難しいですね。
己を知った上で、できる事をやるってのも本当に難しい。私に出来るのは妄想ぐらいです。

>折柳月暈氏
その手があったか!
ネタというかギャグは果てしなく苦手なので、書いてる時点ではそんなアイディアは皆無でしたorz

>椒良徳氏
ごゆっくりとどうぞ。
焦らしプレイだなんて、いけない人だ。

24ものコメントを本当にありがとうございました。
レスなのか、単なる妄想なのかよく分からない言葉ですが、これを以ってお礼の言葉と代えさせていただきます。
読者様方、このこんぺの運営に関わった全ての人に最大の感謝を。
それでは失礼します。
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