昔々、あるところに――――――好奇心はウサギをも殺す。

作品集: 最新 投稿日時: 2006/10/05 08:54:45 更新日時: 2006/10/07 23:54:45 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 それから、三百と余年が過ぎた。


        ◆


 鈴仙・優曇華院・イナバはもちろんウサギで、雌で、人の形をしていた。ただ一つ他のウサギたちと――永遠亭で暮らすウサギたちと――違うところがあるとすれば、彼女は月生まれであり、細長い耳を持ち、おまけに脱走兵だということだ。
 月のウサギが杵を振り下ろす先は臼ではない。彼女たちは一人残らず宇宙の戦士である。地球から三十八万キロ離れた月の果てで、野蛮な侵略者たる地球生まれの人間たちと杵を持って戦う、過酷な宇宙の戦士なのだ。アームストロング船長が旗を突き刺した瞬間から始まった戦争は、今もなお終わる気配を見せずに続いている。地球人が月のすべてを征服し、月のウサギを根絶やしにするまで。その果てに人類が自滅し、月に誰もいなくなる瞬間まで、戦いは続くのだ――
 などということは、幻想郷の片隅、永遠亭に住まうウサギたちにとっては、もはや何の関係もないおとぎ話だった。博麗大結界により月と永別したことを知ってしまえば、それこそ遠いお空のおとぎ話、後に残るは宴会だった。
 まぁ、無理もないのだ。
 いつ来るかいつ来るかと待ち続けて約千年。その間外に出ることは叶わず、竹林の中でひっそりと暮らすしかできなかった。いくら使者を撃退したとはいえ、輝夜と永琳はお尋ね者の罪状持ちであることには変わりなく、姿を現せば幾度となく追討劇を繰り広げることは眼に見えていた。
 当然――ヒマなことこの上ない。
 千年前はよかったと輝夜は思う。贅沢な暮らしに優しい義父母。寄って集った美男どもに難題を押し付けて楽しみ、墜落した先の地球で人生を謳歌していた。
 が、それも使者に見つかるまで。
 それ以来、妹紅とのいざこざを除けば、暇なことこの上ない千年だった。
 そんな折に現れた、宇宙からの脱走兵・レイセンは、ある意味で好ましい来客だった。輝夜と永琳は彼女を快く迎え入れた。
 そして、レイセンは、鈴仙・優曇華院・イナバと名を変えた。
 そして、三十と余年が過ぎた。
 そして――


 ――永夜の騒ぎが始まった。


「……終わってみれば、呆気のないものだったわねぇ……」
 永遠亭の最奥。畳の上で居住まいを崩し、楽な姿勢で杯を傾けている。淡く透けた液体に映るのは、窓から差し込む欠けた月。月の欠片の沈む酒を、輝夜は静かに味わった。
「どのようなものでも――終わってみれば、そういうものですよ」
 相槌をうつのは、彼女の従者たる八意 永琳だ。主と違って姿勢を正し、手からとっくりを放そうとしない。輝夜が杯を開けるたびに注ぎ足すので、永琳自身はほとんど飲んでいない。
「終わるまでが大変なのですよ」
 言って、永琳は更に酒を注いだ。輝夜はそれを啜ることなく、底に映る月を見ながら、
「その点私たちは楽ね……終わらないもの」
 そう呟いて、顔をあげた。
 小さな部屋は静かだった。いつもは騒がしいウサギたちは、この奥までは寄ってこない。つい先日奥まで辿り着いた珍妙な闖入者がいたけれど、今は影も形もない。夜が終わると同時に、それぞれの生活に戻ってしまった。輝夜や鈴仙にとっては一生事の事件でも、彼女たちにとっては、『たまに起きる大事件』程度でしかないのだろう。
 月差し込む部屋に賑やかさはない。あるのはただ、静かな宴会と、少女の喋り声だけだ。
 部屋にいるのは四人。
 蓬莱山 輝夜と、八意 永琳。
 そして、鈴仙・優曇華院・イナバと、因幡 てゐだ。
 もっとも、てゐは早々に酔い潰れて隅で転がっている。てゐのことだからひょっとすると嘘寝かもしれないが、誰も確かめようとはしなかった。
 ただただ、静かに酒を飲む。
 終わってしまった事件を思い返しながら。
「貴女はどう思う、鈴仙?」
 両手で杯を抱え、ちびちびと、舐めるように酒を飲む鈴仙に声をかける。いきなり話を振られたことに鈴仙は驚いて顔を上げる。
「どう――ですか?」
「そう。今回の事件は、貴女が中心だったんだから」
 面白がるような輝夜の言葉に、鈴仙は慌てた。中心、とは言われても、いまいち実感がない。たしかに事件の発端は自分自身だったものの、結局のところ、永夜の事件の真ん中にいたのは、輝夜と永琳だった気がする。
 自分としては――三十数年前に、自分の事件は終わったようなものだと、鈴仙は思う。
 あの日、月から逃げてきた自分を匿ってくれたあの日に、自分自身の事件は終わっているのだ。永遠亭にこもり続けた日々は、何もなかったとはいえ――その何もなさが、穏やかな日々が、鈴仙にとっては何事にも変えがたいものだった。
 死の心配がない日々。
 穏やかな日々。
 だから――幸せだった。
 永遠亭で過ごした日々は、鈴仙にとっては、幸せ過ぎるほどに幸せだったのだ。
 そんな折に起きた事件は――
「……確かに、あっけなかった気もします」鈴仙はそこで少し考えこみ、「いえ――あっという間だった、ですね」
「そうね。考えてみれば『一晩』だもの」
「長い――永い夜でしたけれどね」
 そう言って、鈴仙と輝夜は顔を見合わせて笑った。追従するように永琳も微笑を浮かべ、自分の杯に酒を仄かに注ぎ足した。
 外は無風。開け放たれた窓からは、夜の音すら届いてこない。
 あるのはただ、三十八万キロの真空を隔てた、遠い故郷の光だけだ。
「夜は明けるものですから――時間がかかったとしても」
 永琳が月を見ながら、落ち着いた声で言う。
 声に哀愁の響きが含まれていたかどうかは、本人にすら分からないことだ。
「私の夜は明けるのかしら?」
 輝夜は笑い、
「あるいは――あの子の夜は?」
 あの子。
 それが誰のことを指すのか、鈴仙には分かっていた。遠い昔、『おつかい』にいった先で会ったことがある。遠い昔、輝夜がこの地球に来たときからの因縁の相手。蓬莱の薬を飲むことで、永遠の時間を得てしまった少女。
 ――藤原 妹紅。
 その少女のことを口にした輝夜の顔には、はっきりと懐かしさがこもっていた。
 きっと、自分には想像もできないような、複雑な感情がそこにはあるのだろう――と鈴仙は思う。
 永遠を共に生きる相手というのは。
「明けてもまた来るものでしょう――夜というものは」
「リザレクション……生と死、ね。繰り返し繰り返す。月が沈んでも、また昇るように、ね」
 永琳の言葉に、ふんと笑って輝夜は答えた。繰り返すことで、結果的にいつまでも続く――二人はそう言っているのだ。
 ただ。
 ただ――鈴仙には、そうは、思えなかった。
 いや、思えなかったのではない。思いついてしまったのだ。
 思い出して、しまったのだ。
「そうでしょうか――」
「え?」
 意外なところから出てきた反論の言葉に、輝夜が首を傾げた。鈴仙は構わず、
「沈んでも――本当に、また昇ってくるんでしょうか」
「…………」
「…………」
 その言葉に、輝夜と永琳は顔を見合わせた。突如として語り出した鈴仙の意図が判然としなかったからだ。
 鈴仙は、何かに憑かれたかのように、杯にうつる偽の月を凝視する。
「人は、人間は、月まできました。その人間が――いつか月のウサギを滅ぼして、最後には月まで壊してしまわないと、どうして言えるんでしょうか――」
 憑かれたように――けれど、何に憑かれたというのか。
 月の狂気か。
 月に置き去りにしてきたものたちの怨念か。
 それとも――水面に映る己の瞳にか。
 それすらも分からずに、鈴仙の言葉は迷走を続ける。
「月が昇ってくることなんてなくて、ぜんぶ、ぜんぶ無くなってしまって、私たちは――」
 止まりどころを失いかけた鈴仙の言葉を。
「――レイセン」
 輝夜が、快活な声で遮った。
 懐かしい発音での名前を呼ばれ、鈴仙は急激に我に返った。
「……っ! すいません、私、」
 鈴仙は慌てて顔を上げる。今、自分で言ったことは、ある意味では失礼な言葉だった。
 永遠を生きる、永遠亭の主を前にしては。
 けれども、その言葉をけらけらと笑い飛ばすかのように、輝夜は微笑んでいた。常よりも優しい声で彼女は言う。
「鈴仙・優曇華院・イナバ。貴女の心配は分かるわ。永遠ならざる貴女の――貴女たちの不安は」
 貴女の。
 貴女たちの。
 永遠を得ることのできなかった者たちの。
 有限を捨てることをしなかった者たちの。
 彼女たちの不安を、そして、輝夜にとっては恋焦がれるものを。
 いつかは終わってしまうのではないかという、誰しもが思い悩み、そして輝夜が悩めなくなってしまった事。
 それが怖いと、鈴仙は言う。
 それが分かると、輝夜は言う。
「月の不安はなくなった――けれど、貴女の不安はなくならない。ならば私は、永遠亭の主として、客人から家族へとなった貴女へ――」
 そこで言葉を切り、輝夜は。
 永遠を生きる罪人、蓬莱山 輝夜は。
 笑って。


「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」


 笑って――告げた。
 

「これをあげるわ」
 言葉と共に、いつのまにか輝夜の手には、一振りの枝が握られていた。いくつもの輝かしい玉がついたその枝に、鈴仙は見覚えがあった。つい先日、侵入者相手に使った輝夜の持つ秘宝。五つの難題の一つ。
 それの名を、鈴仙は半ば無意識に口にした。
「……蓬莱の玉の枝」
「そう、その通りよ」
 言葉を吐く輝夜は、あくまでも笑っている。
 けれど――隣に座る、従者の永琳は別だった。穏やかだった相好を崩し、慌てた声で、
「姫、それは――!」
「黙って」
 従者の制止を、輝夜は一言で切り伏せた。
「永琳。今はね、私が喋っているの」
「…………」
 その言葉に、永琳はぐっと言葉に詰まる。
 彼女にとって――輝夜の言葉は絶対だ。輝夜のために月の従者を追い払い、輝夜のために蓬莱の薬を作り、輝夜とともに地球へと堕ちた。そんな永琳に、輝夜の言葉を止められるはずがなかった。
 鈴仙には、輝夜が何を言おうとしているのか分からない。
 けれども――輝夜が何を言おうとしているのか、永琳が分かっていることだけは、鈴仙にも分かった。
 この永遠亭の頭脳と呼ばれる永琳は、輝夜の意図を正確に察し――察した上で、止めようとしたのだろう。
 つまり、今から輝夜が言おうとしていることは、永琳にしてみれば止めるべき何かなのだ。
 不安はあった。
 けれど、好奇心が勝った。何よりも、輝夜が家族と呼んでくれたことが、嬉しくて仕方がなかった。帰る家を得れたことは、帰る家を失った鈴仙にとっては、何よりも望むことだったから。
 輝夜は笑って頷き、
「そう、蓬莱の玉の枝。そしてこれが――蓬莱の、玉」
 言って、輝夜は何事でもないかのように、無造作に枝についた玉をもぎ取った。鈴仙は、その行為そのものよりも、玉が取れるという事実の方に驚いてしまう。
 取れた玉は、赤い玉。
 血のように。
 鈴仙の瞳のように――赤い赤い、綺麗な蓬莱の玉。
 それを、輝夜は笑ったまま鈴仙へと差し出した。
「……これは……」 
「夢色の郷。貴女の不安を解消するもの」
 輝夜の言葉を意識半分に聞きながら、鈴仙は差し出された玉を受け取る。
 ――熱い。
 指先が触れた一瞬だけ、そう感じて、手を離しそうになった。
 思わず引きそうになる指を堪えて、玉をしっかりと受け取る。今度は熱くはなかった。むしろ、石固有の心地良い冷たさがあった。
 もっとも――それが石なのか、金属なのか、あるいはそれ以外の何なのかは、触っただけでは判別がつかなかった。
 玉を掲げて見てみる。赤い玉は、当然ながらどこから見ても赤かった。見る角度、見る瞬間によって、その赤さを変える不思議な色合いではあったが、赤から変わることはない。ガラス球みたいだ、と鈴仙は思うが、ガラス細工と違って、反対側がすけたりはしない。手の平サイズのそれの中がどうなっているのか、鈴仙の瞳をもってしても見えなかった。
 不思議な玉に感嘆の吐息を漏らす鈴仙を、二人は黙ってみている。
 輝夜は楽しそうに。
 永琳は、先の動揺を完全に押し隠して、微笑み。
 蓬莱の玉を見る鈴仙は、そんな二人の様子に気付くことはない。蓬莱の玉を、大切そうに握りしめた。
 その鈴仙に対し、輝夜はどこか優しげな笑みと共に、告げた。
「幸せな永遠を得たくなったら、その玉を開きなさいな」
「開く……ですか?」
 鈴仙は首を傾げる。
 玉を、開く。
 球形の箱――ということなのだろうか。
 もう一度、それを意識して蓬莱の玉を見る。赤い玉は完全な球形で、どこにも開けられそうな継ぎ目などなかった。
「ひょっとして、壊すんですか?」
 恐る恐る問う鈴仙に、輝夜は笑み、
「その時がくれば、分かるわよ」
 それで話はおしまい、とばかりに、枝を脇に置いて杯を手にとった。そのまま、ひと口で空にしてしまう。美味しそうに息を吐き、輝夜は空に輝く月を見上げる。
「満月ほどではないけれど――月が綺麗ね」
 永琳が、「そうですね、姫」と頷き、輝夜の杯に酒を注ぎ足した。
 言葉が切れ、沈黙が落ちた。
 鈴仙は静かに、輝夜と同じように月を見上げた。少しばかり欠けた月は、今を生きる者たちが忘れてしまった本物の月だ。
 あの果てに――捨ててきた故郷が、捨ててきた仲間がいる。
 いつかは、消えて失われるはずの仲間たちが。
 輝夜が顔を降ろし、鈴仙の横顔を見ながら酒を啜る。その間も、鈴仙は一心に月を見上げている。
 手には、狂った満月のように――赤く丸い蓬莱の玉。
 宝物のように固く握りしめて、鈴仙は、いつまでも月を見上げていた。



        ◆



 それから、色々なことが起きた。


 季節が移り変わるのは早く、時は矢のように通り過ぎていく。川の流れのように、けっして逆流することはなく、ゆっくりと姿を変えながら、時は進み続ける。
 時の止まったかのような幻想郷においても、それは例外ではない。

 春がきた。
 桜が花を咲かせた。白玉楼の大桜は沈黙していたけれど、宴会は幾日も続いた。

 夏がきた。
 異常干ばつという事件が起きた。巫女や魔法使いと協力して事件を解決した。

 秋がきた。
 冷え込んできたせいでてゐが風邪をひいた。手をつないで一緒に眠った。

 冬がきた。
 永遠亭の皆と、家族のようにコタツに入った。鍋が熱いて、舌を火傷した。
 食べながら涙を流して、カラシが入っていたからだと誤魔化した。

 本当は、皆と過ごせる時間が、嬉しいと想ったからだ。

 春がくる。花が芽吹く。
 夏がくる。木が伸びる。
 秋がくる。実が肥ゆる。
 冬がくる。眠りにつく。
 また春がきて――

 その繰り返し。
 長い長い時間を、永遠には短すぎる時間を、須臾には永すぎる時間を、皆と過ごした。 
 永遠亭の皆と。
 幻想郷の皆と。
 繰り返す四季の中を、永遠に続くかのような日々を、穏やかに鈴仙は生きた。
 新聞屋のカラス天狗と揉め事があった。自我を持つ人形が友人になった。閻魔に説教を受けて自分の罪を垣間見た。巫女と茶を呑み、魔法使いと野をかけ、庭師の治療をした。多くの者と知り合い、多くの物と触れ合い、多くのことを知った。限りあるはずの幻想郷も、鈴仙にとっては限りなく広い世界だった。
 楽しかった。
 幸せだった。
 辛いことや悲しいことがっても――それすらも、いい思い出となった。


 四季を生き。
 時を重ね。
 永遠のような幸せを、鈴仙は得た。



 色々なことがあった。
 本当に、色々なことがあったのだ。



 ――そして、終わりは当然のようにやってきた。



          ◆



 そして今、鈴仙・優曇華院・イナバは、一人きりで長い長い廊下を歩いている。
 一人きり、だ。
 他には誰もいない。
 誰一人として、傍にはいない。
「…………」
 無言のまま鈴仙は歩く。話し方など、もう忘れてしまった。いつから喋っていないのか、それすら思い出せない。正直なところ、自分が言葉を覚えているのかどうかさえ鈴仙は怪しかった。
 が、それでも何も問題はなかった。
 話し相手がいなければ、口をきく必要はない。一時期は狂ったように独り言を呟く癖があったが、それも遠い昔の話だ。
 黙って、廊下を歩く。ぎしぎしとなる足音が耳障りで、長い耳を根元から引き抜いてしまいたくなる。気力さえあれば、鈴仙は本当にそうしていただろう。
 実際は、指一本動かす気力もなかった。
 半ばゾンビのような動作で鈴仙は歩く。右足を出す、倒れそうになり左足を出す、倒れそうになり右足を出す――その繰り返し。のろのろとした動作で、一歩、また一歩と永遠亭の奥を目指す。
 目的地は、長い廊下の先、小さな畳部屋だ。
 いつの日だったか――はるか昔に、輝夜と、永琳と、てゐと、四人で酒を飲んだ部屋。普通のウサギたちが近寄らない最奥。
 本当の月が見える場所。
 そこを、鈴仙は目指している。
 ぎし、ぎしと板床が鳴る。それ以外には何の音もない。あれほどまでに賑やかだったウサギたちの声は、霞のように消えていた。
 微かに残った理性が、鈴仙の頭の中で嘆いている。
 ――声なんてするわけがない、ウサギなんて、もう一匹もいないんだから。ウサギどころか、もう、永遠亭には誰一人として――
 理性の声を、無理やり叩きつぶした。
 何も考えたくなかった。歩くことだけを考えて鈴仙は進む。
 長い廊下を、日にちが変わるほど遅い速度で歩いた。ウサギどころか、亀よりも遅い足取りで、それでもどうにか鈴仙は部屋に辿り着く。
 部屋の前に立ち、閉まりきった襖戸に手をかける。
 ほんの少し。
 ほんの少しだけ――期待した。
 無駄な期待と知りながらも、否定する勇気もなく、鈴仙は扉をゆっくりと開いた。
 中には――

「――――」

 中には、誰もいなかった。
 当然だ――そう思っても尚、鈴仙の心に深い澱が溜まってく。
 部屋の中は、何も変わりがなかった。
 あの日、共に酒を飲んだときから。
 あの日、蓬莱の玉を貰ったときから。
 そして。
 蓬莱山 輝夜と藤原 妹紅が殺し合いの果てに失踪し――後を追うようにして、永琳がいなくなったその時から、部屋は何一つとして変わっていなかった。
「…………」
 数十年が過ぎてもなお埃一つ落ちていない部屋を前にして、鈴仙は何もいえなかった。ただ、疲れ果て、充血した瞳で畳に目をやった。
 空の杯が、出来の悪いジョークのように転がっていた。
 案の定、輝夜と、永琳はいない。
 そのことを、鈴仙は知っていた。
 それだけではない。博麗 霊夢が死んだことも。霧雨 魔理沙が死んだことも。十六夜 十六夜 咲夜が死んだことも。すべて鈴仙は死んできた。すべて、その目で見てきた。懐かしい古き友人たちが死んでいくところを。年をとらない妖怪は、黙ってその死を見届けてきた。
 力の弱い妖怪が消えていくところを。疎遠になった妖夢がどうなったのかは風の噂でしか知らない。鬼は去り、天狗は顔を見せない。人形は壊れる。
 そして、同じ数だけ、新しい顔が幻想郷にはいる。
 世代交代だと、鈴仙には分かっていた。古い時間は死に、新しい時間が生まれる。月が沈み、また昇るように。
 けれど、沈んだ月と、昇る月は同じものではないと、鈴仙は思うのだ。
 鈴仙は思う。
 いなくなってしまった友人たちを想いながら、鈴仙は思う。

 ――私は置いていかれたのだ。

 友人に。家族に。幻想郷に。そして、月に戻ることすらできずに、誰もいなくなった永遠亭で、一人寿命を待っている。
 それが、月の仲間たちを置いてきた、自分への罰なのだ――鈴仙はそう思う。
 それでも、悲しかった。
 涙はとうに枯れ果てていたけれど、それでも泣きたくなるくらいに悲しかった。
 幸せな日は――永遠に続くと思ったのに。
 そして、もうどうしようもないほどに追い詰められて、ようやく――鈴仙は思い出したのだ。
 今、鈴仙の目の前に――畳の上にぽつんと転がる、蓬莱の玉の存在を。
 時がくれば分かるわよ、と輝夜は言った。その言葉は正しかった。鈴仙が、いくら開こうと努力しても、けっして玉はその中身を晒そうとはしなかった。誰もがいなくなったことで狂気に陥った鈴仙は、ありとあらゆる手で砕こうとしたが、玉には皹一つ入らなかった。そしていつしか、その存在を忘れていた。
 そして、さらに数え切れないほどの時間が経ち――昨晩、急に頭に浮かんできたのだ
 空に浮かぶ満月を見て。
 あの赤く染まった玉の存在が。
 ――今なら開く、と鈴仙は理由もなく確信していた。欠けて落ちてきた月の欠片が、忘れていた記憶を思い出させてくれたのかもしれない。
 そして今、鈴仙の手には、赤い球体があった。
 あの日から、いったいどれくらいの時間が経っているのか、鈴仙には分からなかった。重ねた時間など、もはや何の意味もなかった。
 頭にあるのは、輝夜に言われた言葉だけだ。
 ――幸せな永遠を得たくなったら、その玉を開きなさいな。
 輝夜はかつて、そう言った。
 開くか開かないかすら、今の鈴仙にはどうでもよかった。開けば幸せになれるだろうと思う。そして、開かなければその瞬間に自分は力尽きるだろうと、そう思ったからだ。
 どちらにせよ、お終いは訪れる。
 終わりは、鈴仙にとっては、もはや希望だった。
「――――」
 口から吐息を漏らしながら、鈴仙は蓬莱の玉の表面を撫でる。
 その瞬間――パキン、と。
 小さな音をたてて、玉の表面がわずかに欠けた。針の穴が通りそうなほどの、小さな穴が、何をしても傷がつかなかった玉に開いた。
 箱が開いたのだと、そう分かった。
 鈴仙は、ふらふらと、何かに憑かれたかのような眼差しで。
 赤い赤いその眼差しで――玉の中を、ゆっくりと覗き込む。
 その瞬間、どこかからか、声を聞いた気がした。その声が輝夜のものであると、その声が忠告であることを思い出せずに、鈴仙は意識の総てを瞳に注ぎ、
 

「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」



 そして、それを見た。



 蓬莱の玉の中に存在した――――――自分自身の、姿を。自分と、輝夜と、永琳と、てゐと、四人で酒を飲んでいる、その姿を――――――鈴仙は、見た。
 箱の中の自分は、赤い月を――――自分の瞳を、見上げていた。



 
        ◆




「月の不安はなくなった――けれど、貴女の不安はなくならない。ならば私は、永遠亭の主として、客人から家族へとなった貴女へ――」
 その言葉に、鈴仙・優曇華院・イナバは顔をあげた。
 すぐ目の前に、輝夜がいた。その隣には永琳がいる。そのさらに奥には、酔い潰れて寝ているてゐの姿。
 つい先ほどまでと、何ら変わりの無い姿。
 その、変わりが無いはずの姿に――何故か、ひどく安堵している自分がいることに、鈴仙はついぞ気付かなかった。
 その鈴仙を見て、輝夜は。
 永遠を生きる罪人、蓬莱山 輝夜は、笑う。
 鈴仙自身ですら理解しえないことを理解しているかのように、酷く酷く酷く歪んだ笑みを、輝夜はその顔に浮かべている。
 その意味を、鈴仙は知らない。
 その意味を知るのは、これから千年も後のことなのだから。そして、知った瞬間には――総て忘れて、幸せを得ているだろう。
 幸せな永遠を、繰り返すのだろう。
 だからこそ、輝夜は――

「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」


 笑って――告げた。
 

「これをあげるわ」


 差し出したのは、赤い赤い蓬莱の枝の玉。


 血のように赤い、狂った月が、それを見ていた。






(.......END)

 箱の中はまた箱――
 輝夜姫とみせかけて、玉手箱の話だと見せかけながら、その実は箱庭の話でした。
 繰り返しもまた永遠。
 お終いは訪れることなく、始まりすら忘れて、永遠は続きます。
 ある意味では――総てに置いていかれていますけれども、幸せなことには変わりなく。
 宇宙人はすべて知っててソレをしたはずであり。
 脱走兵はたとえソレに気付いても、箱を覗くことは止めないでしょう。
人比良
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/10/05 08:54:45
更新日時:
2006/10/07 23:54:45
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1. 1 スミス ■2006/10/28 01:33:57
でれれれれんっ、でれれれれんっ、
でれれれれんれんれれれれー♪(タモリさん司会の例のドラマ)、

どうでもいいことなんですが、
「酒」は前回のお題を引きずっているんでしょうか?
私の場合、
もろもろの詳しい描写、心理の文章そのものには
あまり意味を見つけられませんでした。
感覚としては分かるんですが。
2. 7 爪影 ■2006/10/28 01:44:45
『多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える』――ラ・ロシュフコー
 こんな言葉を引用してしまうのは、私が先日、とある映画を見たからでしょうかね?
3. 5 箱根細工 ■2006/10/28 02:56:05
唐突が過ぎるのでは。
4. 4 床間たろひ ■2006/10/28 03:04:44
永遠を封じ込めた箱……それはもうただの記録でしかない。
置いてイカレタ兎は哂うしかないのでしょう。

一部誤字が気になりましたが、面白かったですw
5. 6 翔菜 ■2006/10/28 03:06:07
うおぉ、とは思ったのですけどそれが途中で読めてしまった自分は捻くれ者なのか。
永遠を生きる方が悲しいのか、永遠に巡る方が悲しいのか、いやはや。
6. 7 Fimeria ■2006/10/28 03:41:18
箱の中はまた箱。
とある昔の玩具のようですね、名前が出てきませんが。
飽くなき繰り返しに飽きたとき。脱走兵の心は死ぬでしょう。
それでも、覗き続ける彼女の身体はけして、死にはしない。
それは本当に幸せなのか? 覚悟ができていたのなら、それはきっと幸せだったのでしょう。
7. 10 読むだけの人 ■2006/10/28 05:08:39
ふ〜む
8. 7 2:23am ■2006/10/28 23:39:25
無限大の記号を思い出しました。∞。2度回って、その糸はまた戻る。
永遠とは、本当に繰り返しなのですか、ね。
9. 4 おやつ ■2006/10/29 09:01:51
箱の中はまた箱……
箱を除いた兎がみた、幸せな景色かぁ……
箱の中で繰り返される幸せも終わり、また次の箱の中。
段々と小さくなって、見えなくなってしまうのかもしれませんね。
10. 6 雨虎 ■2006/10/29 11:59:10
これもまた一つの永遠であり、一つの幸せの形なんでしょうね。
幸せとはなんたるかを考えさせられる良い作品でした。
11. 6 nn ■2006/10/29 23:53:29
情景が目に浮かぶような描写だったと思います。
こういう風に書けたらなあ、少し愚痴が出てしまいました。
ただ、鈴仙が一人ぼっちになるシチュエーションの説得力が弱い気がします。
本文が既にループの何回目という話だったとしても、
運命の強制力のようなものを感じたかったと思います。
12. フリーレス サカタ ■2006/10/30 04:10:50
情景描写が素晴らしいと思います。ただ、少し感情面で不明な点が。家族とまで言って、大事に思われていた鈴仙がなぜ置いてきぼりを食らったのでしょうか?永琳が後を追ったのなら、連れて行ってもいいはずでは?と思いました。
あと「すべて鈴仙は死んできた」ここが意味不明です。
13. 4 らくがん屋 ■2006/10/30 17:38:53
えっぐい話だなあ。しかし、「こういうのが好きなんだろう?」臭が強すぎるのと、玉を箱は無理があるだろうということで減点2。モチーフとしての箱庭はありきたりだしなァ。
14. 7 as capable as a NAMELESS ■2006/11/03 00:08:19
序盤のまったり→宴会の謎めいた幻想的な情景→その後の退廃という語り口の移り変わりがとても良い味を出していると思いました。
15. 6 椒良徳 ■2006/11/03 09:27:51
>博麗 霊夢が死んだことも。霧雨 魔理沙が死んだことも。十六夜 十六夜 咲夜が死んだことも。すべて鈴仙は死んできた。
↑妙な誤字ですね。ひょっとしてコピペミスですか? 二点減点しておきます。

それはさておき、なんとも後味の悪い作品ですね。こういうのは好みです。箱を覗いてしまった鈴仙に幸あらんことを。
16. 5 つくし ■2006/11/04 11:16:54
永遠の別の形、ですね。読了のあとに冒頭の一文が効いてきます。
17. 9 ■2006/11/05 00:42:36
resurrection?いえ、むしろreincarnationの方がしっくりきそうですよね。なかなか味わい深い…。
18. 6 たくじ ■2006/11/12 22:46:28
ゾクッとしました。
どうして輝夜は失踪したのかなぁとか、どうして残ったのがうどんげなのかなぁとか、色々と気になるところはあったけど、引き込まれました。
19. 7 藤村うー ■2006/11/13 00:31:09
 あるとすれば、それが鈴仙の罰なのかもしれないなあと思いました。映姫が言っていた辺りの。
 箱庭、と蓬莱の玉の枝にしても、箱度は弱いかなあとも思いますが。
 ループものとすれば群を抜いた出来で、ループするに足るだけの根拠、鈴仙の人生が存分に詰まっているから余計に印象が強いです。贅沢を言えば、その人生の道程をもっと詳しく語ってくれたら更にこみ上げるものがあったんじゃないかと思ったり。淡々と語るところに魅力もあると思うんですが、やっぱり書き込む量が少ないとどうしても印象は弱くなってしまうので。
 鈴仙はもうちょい強くあってほしいところではありますが、こうなる可能性も大いに孕んでいるから未来や終末の類はどうしたって恐ろしく感じられるものです。
20. 7 反魂 ■2006/11/15 15:11:18
永遠を生きることは、繰り返しを受け入れること。この世は泡沫の夢の如し。
永遠というモノの表現の仕方として、非常に巧さを感じる作品でした。
御見事です。

採点とは関係ないですが、タイトルと後書きがもうちょっとスマートだったなら。
内容の深さに対して、タイトルの「読ませ力」が弱かった。ちょっと勿体ない。
21. 7 いむぜん ■2006/11/15 20:02:47
不滅が身上の永遠亭が荒廃している様ってのもあんまり、想像が出来ないんだけど、気まぐれ(気が触れてる)な連中が住んでるから、何が起こるか判ったモンじゃないか。
あと、うどんの寿命の話も何年生きるか判らない種族だからなぁ。
救いが有るんだかないんだか。そんな感じ。
22. 6 しかばね ■2006/11/16 18:31:56
なかなか残酷な話ですね。
繰り返される日々の結末が変わらないなら、なおさら辛い。
鈴仙が見上げた月が「未来の鈴仙の瞳」だったというのが良いです。
23. 8 blankii ■2006/11/16 20:15:30
上手いなぁ、ほんとに上手いなぁ。どうやって最後にオトシテくれるかと、わくわくしながら読みました。
24. フリーレス 人比良 ■2006/11/17 20:29:28

タイトルがいまいち。
『昔々、あるところで好奇心がウサギを殺す』、の方が良かったかな、と。
25. 5 K.M ■2006/11/17 20:40:06
無限の中のまた無限…深いお話ですね。
26. 6 目問 ■2006/11/17 21:31:03
 猫の地球儀はいいとして。
 こういった方向のループ話はぞっとしませんねえやはり。悲しき作為的な幸せ。
 一部ちょっと目に余る文章ミスがあったのが残念。
27. 5 時計屋 ■2006/11/17 22:39:18
独りになったウドンゲの悲哀を中心に描写が丁寧で読み応えがありました。
ただ無限ループのネタは、もう一工夫欲しかった。
28. 4 木村圭 ■2006/11/17 22:40:03
物足りません。多分静かすぎて。いつまでも続くようで既に終わってしまっている箱の中、静かであることが間違っているとは思わないのですが……。
29. フリーレス 人比良 ■2006/11/19 01:41:25
 幸せか、不幸せか、それすらないのか。
 ウサギのおとぎ話でした。
 以下感想のお返事。敬称略です。


>木村圭
多分、始まってもないのに終わってしまっているお話だからだと思います。
何もなくて静か過ぎて、後ろに誰かがいるような。

>時計屋
もう少し、中に加えればよかったんですけれどね。弛みの可能性ごと全て切り捨ててしまいました。


>目問
            海が、
文章ミスは申し訳ないです。


>K.M
穴に落ちたら穴があった、みたいな。不思議の国のアリスの冒頭が終わらなければかなり怖いです。

>blankii
オチていれば幸い。どこまでも堕ちていくように。

>しかばね
きっと見られている、という話。書き終わったあとに空を見上げれば月が。

>いむぜん
対外的に周りが進歩して言った場合それは荒廃です。相対的に見るのならば。
救いはまあ本人次第です。

>反魂
上記したとおり、タイトルは失敗。スマートではありませんでした。

>藤村うー
箱度の強弱はあまり考えませんでしたね、今回は。だからこそあとがきが悪くなっているのかもしれません。
全部書いた場合、個人的趣味が増えてしまうので切り捨てました。切捨てすぎてる気がします。これに関しては。

>たくじ
次の××を探しに。

>翼
しっくりくる言葉を探すのは好きですね。定義づけられることで形を持つというか。
ループはするめのようなものです。

>つくし
きっと、その何倍もの数を重ねるのでしょう。意味がなくなるほどに。

>椒良徳
いえ、ごく純粋な誤字です。
後味が悪く、きっと誰かの趣味が一番悪いであろう作品でした。

>as capable as a NAMELESS
たん、たん、たん、と澱みなく続けれたのなら幸いです。

>らくがん屋
こういうのが好きなんです。他人よりも、自分が。

>サカタ
その辺りは作品内で解説することであり、同時に解説を放棄しています。
同時に誤字。申し訳ありません。

>nn
上記の通り、ばっさりと切り捨てています。何にも強制されなかったからここまで来てしまったのでしょう。

>雨虎
きっと幸せ。あるいは不幸せ。せめて、そう考えられることが。

>おやつ
メビウスの壺の中で水泳しているような。
ウサギを覗く箱は、きっと何も思わないでしょう。

>2:23am
8の字もですね。前にも後ろにも進めず戻れず、その意味が失うような。


>読むだけの人
満点、ありがとうございます。

>Fimeria
マトリョーシカですね。ロシア人形。でもあれは事実上有限です。箱の外に箱をつくれば……?
前に進める不死身と、どこにもいけない生者は、どちらが良いのでしょうね。


>翔菜
いえ、結構読みやすいです。捻くれ者万歳。

>床間たろひ
あー誤字は申し訳ありません。ウサギはいつでも笑うものです。猫よりは、ちょっとは愛嬌があるかもしれません。

>箱根細工
大抵のものは唐突です。しかり、切り捨てているのも事実。

>爪影
覚悟は崩れるものですが、崩れになれることはできますからね。
思い込むほど壊れやすい。

>スミス
何かドラマありましたっけ……時代の流れにおいていかれています。
お酒コンペは参加していませんね。でも、東方はお酒と切り話せない気がします。
意味はないのでしょう。なければつければいいのかもしれませんが。
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