『八 雲 〜childhood end〜』

作品集: 最新 投稿日時: 2006/10/27 14:30:13 更新日時: 2006/11/26 01:13:23 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00


 夏の残滓が色濃く残る初秋。
 ちょっと歩けばすぐに汗が吹き出るけれど、木々を抜ける風は涼しげで空に浮かぶ雲も心なしか柔らかい。
 群青だった夏の空は今はもう秋の色。夏の終わりを惜しむツクツクボウシが盛んに鳴いているが、もう暫くすれば赤い蜻蛉の群れが夕焼け空に舞うだろう。
 軽やかで爽やかな風。遠くに聞こえる雲雀の声。そんな穏やかで静かで緩やかな昼下がりに――

 マヨヒガに雷が落ちた。

「ちぇぇぇえええんっっっ! 何処行った!? 出てこいっ!」
 屋根の雀が飛び上がり、土中のモグラがしゃっくりをして、ツクツクボウシが逃げていく。
 炎のように燃える金の髪、怒りに揺らめく九尾の尻尾。
 八雲 藍が、烈火の如く怒っていた。
 形の良い眉は激しく吊りあがり、金色の瞳は雷を放ち、口からは炎が噴き上げている。
 余りの怒りに天は震え、地は怯え、スキマ妖怪は寝床から這い出してきた。
「……何よ、五月蝿いわねぇ」
 薄いレースのネグリジェを纏い、瞼を擦りながら現れたのは八雲 紫。
 淡い紫色のネグリジェは豊かな胸部を透かし、細いウエストから足先までのラインは余りにも優美。
 そんなあられもない姿に、藍も一瞬言葉に詰まった。同じ女性でありながら――藍もまた輝くような美貌を持っているというのに――思わず見惚れてしまう艶かしさ。
 緩くウェーブの掛かった金の髪は海のように揺れ、薄く閉じられた瞳は夢見るようで、白い貌に鼻筋の通った鼻梁は万人がその美しさを認めるだろう。
 しかし手で覆う事もせず、喉の奥まで見える様な大欠伸をされては、百年の恋も一気に冷めるというものだ。
 そんな無防備な主の姿に藍も毒気を抜かれ、溜息と同時に怒りも口から零れて霧散する。
「――いえ、実は橙がですね?」
「んー?」
 寝ているんだか、起きているんだか。立ったままゆらゆらと海草のように揺れている紫。
 常人ならその姿に呆れ放置するだろうが、藍とてこの主に仕えて数百年。こんな状態であろうともちゃんと話を聞いている事は知っていた。
 昔どうせ聞いていないだろうと、あらん限りの不平不満、罵詈雑言を重ねてみたところ、物理的にも精神的にも痛い目に会わされた。
 ちなみに藍にナマコを見せると、尻尾で全身を包みこんでがたがたと震え「すいませんすいませんすいません……」と繰り返して蹲ってしまう。何があったか知る者は紫と藍だけである。
「橙のやつ……あれだけ世話は自分でするって豪語してたのに。見て下さいよ、これを」
「あー?」
 藍が襖をがらりと開けると、板張りの廊下は猫まみれ。
 三毛、ブチ、黒、白……色とりどりの猫が足の踏み場もなく溢れ返り、丸くなって転がってる。今は大人しく寝ているものの柱や襖や障子は猫たちの爪とぎによりぼろぼろで、あろうことか室内で粗相をした馬鹿者までいる始末。襖が開けられた事によりにゃごにゃご言いながら居間へ入ってきて、卓袱台や畳の上で気持ち良さそうに寝っ転がった。廊下よりこっちの方が暖かくて気持ち良いらしい。数えるのも馬鹿馬鹿しくなるような猫の群れが居間を猫絨毯に変えていく。
「家の中には入れちゃ駄目って……あれほど言っておいたのにっ!」
 一度は落ち着いたかに見えたが、その惨状を見て再び怒りが込み上げてきたのか、藍の尻尾がぞわりと撓んだ。
 天狐とまで呼ばれた古の大妖怪。その鋭すぎる眼光を、半分眠ったままのスキマ妖怪は「ふーん」と鼻息で一蹴し、
「鬱陶しいわねぇ……そういう事は本人に言いなさい?」
 気だるげに髪を掻きあげ、ふわぁふと欠伸を噛み殺しながら、右手を空間に開いた亀裂へと突っ込んだ。
 眠そうな目でしばらく何やらごそごそと探っていたが、段々とその眉が吊りあがっていく。
「あれ? すばしっこいわねぇ……む? お? ちょっと……じっとしてなさいっ!」
 肘どころか二の腕、いや肩まで、それでも足りないのか上半身をスキマに突っ込む紫。
 身体半分をスキマに突っ込んでじたばたと両足を動かす様は、可愛いと言えない事もないかもしんない。
「ぬ? むぅ……お、おおお? ていっ! ふぬっ! ……とーとーとー……そりゃ!」
 ふんがっと両足をふんばり、スキマから抜け出した紫の両手には一匹の黒猫が羽交い絞めにされていた。
 赤いおべべと二本の尻尾。緑の帽子にふかふかの黒い耳。茶色の短い髪はさらさらで、丸く大きな瞳は驚きに見開かれている。
 黒猫はじたばたともがきながら必死で抵抗するが、そこはそれ。紫の繰り出す八雲流捕縛術『陰陽蜘蛛絡み』の秘術により、両腕を拘束され耳元に甘い吐息を吹き掛けられては、凶兆の黒猫と呼ばれる橙であろうと逃れる事など出来はしない。
「やっ! ゆ、紫さま……そ、そこは駄目です!」
「あらあら、いけない子猫ちゃんね……ほら、くりくりくり〜」
「ひゃう! だっ、耳はっ! ひあっ、うっううー……はぅ」
「んー? 大人しくなってきたじゃない? もっと声を聞かせて欲しいのになぁ……ほら、ここはどう?」
「ふぅっ! だ、駄目! 駄目駄目駄目っ!!」
「ふふっ……ほら、もっと良い声で啼きなさ――はぶっしゅ!」
「いい加減にして下さい」
 藍が袖から取り出した巨大な――『煩悩退散』の四文字が刻まれた――ハリセンで思いっきりシバかれ、紫は頭を抱えて蹲る。
 どうやったらそんなでかい物が袖口に収まるのか……多分考えたら負けな摩訶不思議の一つである。この世には不思議なものしかないのだよ?
 閑話休題。
 やれやれと肩を竦めてハリセンを袖に仕舞った藍が視線を下に向けると、そこには涙の滲んだ瞳で見上げる橙の顔。
 目と目が合った藍ははっと息を呑み、思わず喉がぐびりと鳴る。
 潤んだ瞳、上気した頬、荒い息。
 ほのかな膨らみは呼吸に合わせて上下し、両腕は力なく垂れ下がり、腰が砕けたようにしゃがみこんでいる。
 幼い顔つきなのに――いや、だからこそ――その見上げる瞳には蠱惑の魔魅が宿っていた。
 そう、具体的には藍の理性が吹っ飛ぶくらいに。
 口元が緩み、ルパンダイブしそうになる衝動を必死で堪え、藍は大きく深呼吸すると、
「……橙、前に約束したよな?」
 顔を引き締め、声音を落とし、橙の瞳を真っ直ぐに見つめてそう告げる。
 瞳に射竦められた橙はきょどきょどと視線を彷徨わせるが、観念したのか上目遣いで見上げる瞳には怯えの色が浮かんでいた。
「あ、えと……」
「飼うのは構わない。だが家の中には上げるな。そう言ったよな」
「……うに」
「それが何だ、この有様は。見ろ、何処もかしこも猫まみれじゃないか!」
 藍が両手を大きく広げる。
 居間も廊下も、至るところ猫だらけ。抜け毛は飛び散り、蚤が跳ね、獣の匂いが家中に漂っていた。
 藍の怒りも意に関せず、どいつもこいつもごろごろと幸せそうに転がっている。ついでにいつの間にか紫も猫にまぎれて転がっている。
「あぅ、で、でも……」
「言い訳無用! 自分で何とかしなさい」
「う……は、はい」
 しゃがみこんでいた橙は立ち上がると、背筋を伸ばし瞳を閉じて大きく深呼吸。
 一回。
 二回。
 三回深呼吸をしてから、きっと眼を開き、  
「ほらっ! あんたたちさっさと起きなさい!」
 幼い声に精一杯の威厳を乗せて、大声で叫んだ。
 しかし悲しいかな、声がどれだけ大きかろうと所詮は橙。
 猫たちは一斉に橙の方を向き直るがどいつもこいつも立ち上がることなく、ふんと鼻を鳴らして寝転がるだけ。紫は顔も上げず猫にまみれて転がるだけ。
「うー、ちょっと! 起きなさいってばっ!」
 完全に舐めきっているのか、もう猫たちは橙の声に耳すら傾けない。
 橙が涙混じりに張り上げる声も、何処吹く風と寝こけるだけ。
 足を踏み鳴らし、両手を振り回し、どれだけ大声を出そうとも――
「お願いっ! 言う事聞いてっ!」
 誰も、何も、言う事を聞かない。
 近くに転がるトラ猫を掴まえようと手を伸ばすと、黄色と黒の縞尻尾がぺちりと蝿でも払うかのように橙の手を打つ。
 その隣にいるブチ猫を掴まえようと手を伸ばすと、触れる前にふーっと威嚇の声を上げて全身を針のように逆立てる。
 橙は半泣きになりながら声を荒げるが、一匹たりと従う者はなく。
 その次も――
 その次も――

「――もう良い、橙」
 物静かな藍の声に、橙はびくりと震えた。
 凛と背筋を伸ばして正座し、堅牢な砦のように隙はなく、静謐でありながら凄まじい内圧を秘めているような――そんな佇まい。
 橙は泣き腫らした瞳で藍を見るが、藍の瞳は固く閉じられその色は伺えなかった。
「……で、でも」
「良いと言っているんだ」
 その声音に橙の身体が強張る。
 しんと底冷えするような冷たい声音。
 寝ていた猫たちも何かを感じたのか、一斉に藍の方を向いたその時――
 金色の瞳がゆっくりと開かれ、
 凍土のような、
 吹雪のような、
 蒼炎のような、
 果てしなく冷たく、そして全てを焼き尽くす炎のような声で、

『 去 ね 』

 一言。
 その一言で紫電が奔った。空気がひび割れ、極寒の雪原に放り出されたような冷気が吹き荒れる。
 猫たちが帯電したように飛び上がり、声を上げる間もあればこそ脱兎の如く逃げ出した。
 橙もまた雷に打たれたように二又の尾がぴんと伸び、両目を大きく開き腰を抜かして固まっている。
 あれだけいた猫たちは一匹残らず逃げ出し、おそらく二度とこの地に近づかないだろう。
 狩る者と狩られる者。その明確な差異を魂に刻まれ、生涯怯えて暮らすに違いない。
「――橙」
「は、はいっ!」
「そんな様では八雲の名を継ぐ事なぞ出来んぞ?」
「……はい」
 藍は立ち上がって冷たく橙を見下ろす。
 紫は寝転がったままちらりと横目で眺め、肩を竦めて再び目を閉じる。
 橙は顔を伏せたまま。
 藍の顔を見る事すらできなかった――

 §

 日が落ちて、夜が降りてくる。
 気の早い秋の虫が恐る恐る鳴き声を奏で、半弦の白い月が東の空に現れた。
 盛りを過ぎ、さりとて紅葉にはまだ遠い森。雲一つない空から零れる月光は妨げられる事なく地上を濡らす。
 しかし白々とした月光も森の奥までは届かない。
 虫の音が僅かに響き、野犬の遠吠えが木霊し、生い茂る木々が迷宮のように闇を成している。
 そんな暗い森の中、一際大きな木の影に隠れるように橙は蹲っていた。 
「藍さま……」
 呟く声にも力がない。
 泣き腫らした瞼は重く、闇雲に走ったせいで衣服はほつれ、何度も転んだのか肘から赤い血が零れていた。
 木の影。
 暗い影。
 その影より深く沈みこもうと立てた膝の間に顔を埋め、それでも足りぬと瞼も閉じる。
 深く深く堕ちていく。
 暗く暗く沈んでいく。
 立ち上がる事も出来ない。顔を上げる事も出来ない。
 自身の無力さなどとうに知っていたが、今までなら立ち上がる事くらい出来たのに。
 情けない、情けない、自分の弱さが情けない。
 あれだけ藍に鍛えられたのに、何一つ成長していない自分が情けない。
 言う事を聞かない猫たちに対する怒りもあった。藍に対する怒りもあった。叱られた事に対する反発もあった。
 そこまで言う事ないじゃないか、私だって頑張ってる、頑張ってるんだ。そういう思いも確かにある。
 だけどそれ以上に――期待に応える事が出来ない自分に何よりも腹が立った。

『そんな様では八雲の名を継ぐ事なぞ出来んぞ?』

 いつかは自分も……そう思って修行を続けてきた。
 藍の修行は厳しく辛い。怒られたし、殴られたし、晩飯も抜かれたし、蔵に閉じ込められた事もある。
 だけど……見捨てられた事だけはなかった。
 覚えの悪い自分に根気良く丁寧に教えてくれたし、怪我をした時は心配そうに手当てしてくれた。
 だから期待に応えたかった。良くやったって褒められたかった。
 猫である自分は芸を仕込まれる事に慣れていないが、それでもずっと頑張ってきたのだ。    
 ――だというのに未だ猫一匹、言う事を聞かせられない。
 期待に応える事が出来ない。式であるというのに何一つ役に立たない。いつだって藍の邪魔をしてるだけ。
「藍さま……」
 枯れたと思った涙が、また溢れ出す。
 解っている。藍の厳しさは自分の事を真剣に考えてくれている証だと、その程度の事くらい解っている。
 解っている。藍の優しさは自分が弱くて弱くて弱っちいから、甘やかしてくれているだけだと解っている。
 解っている、解っている。そんな事は言われるまでもなく初めから全部自分で嫌ってほどに解っている! 
 涙が後から後から零れ落ち、頬を伝って胸元を濡らす。お腹の中で何かがぐるぐる回っていて、重たくて立ち上がれそうになかった。
 紫は何も言ってくれない。
 失敗しても、迷惑を掛けても、ただにこにこと笑うだけ。
 相手にされていない。期待されていない。今日だって、今までだって、何も、何一つ言ってくれた事はない。
 どうでもいいから……何も言ってくれない。
「だから『八雲』の名をくれないんだ……」
 静かな嗚咽が森に響く。
 答えが欲しい。証が欲しい。自分はここにいてもいいんだと胸を張って言えるものが欲しい。
 それすらも甘えなのだと解っているのに、求める気持ちを抑えきれない。
 こてん、と。
 身体を倒し、木の影から転げて大の字になり、顔を上げて空を見上げる。
 雲一つない夜空は吸い込まれそうなほど高く、見上げていると空に落ちてしまいそう。 
 月の傍には泣いているように瞬く星。せめて涙を拭ってやろうと指先を伸ばすが、星に手が届く筈もない。宙ぶらりんの手は何も掴めないまま、空っぽの心と一緒にぱたりと地に落ちるだけ。赤茶けた土はひんやりと冷たく、自分の中の大切な何かが熱と一緒に奪われていく。
「どうすればいいのかなぁ……」
 嗚咽混じりのべしゃべしゃな声。涙と鼻水でくしゃくしゃな顔。
 涙に濡れた服は重く、立ち上がることも出来なくて。
 大の字に寝転がり、目を細めて月を見ながら、それでも心からの祈りを込めて問い掛けた。  
 答えを、証を、誇れるものを。
 たった一つ。
 それだけでいいから、それだけで頑張れるから。
 瞳に映るは半弦の月。
 周囲に広がる暗い森。
 優しく包む遥かなる夜。

 だけど月も森も夜さえも、

 誰も何も、言ってくれなかった――  

 §

 かちゃかちゃと箸の音が鳴り、紫は山菜の和え物を口に運んだ。
 卓袱台には色とりどりの惣菜。岩魚の塩焼き、大根の煮付け、キノコの吸い物、炊きたての白い飯。
 それらの膳が、きちんと三人分並んでいた。
 紫は箸で綺麗に岩魚をほぐし、無言のまま上品に食す。
 半面を食べ終わった岩魚をひっくり返し、一度吸い物で喉を潤してから、
「迎えに行かないの?」
 と問い掛けた。
 対面には膳を前に箸も付けず、無言で目を閉じている藍の姿。
「甘やかすのはためになりませんから」
 背筋を伸ばし座禅を組むような姿勢。凛とした楼閣のような佇まい。しかし金の尻尾はそわそわと落ち着きがない。
 そんな藍の姿を呆れたように一瞥し、
「ふ……ぅん」
 紫はどうでも良さげに相槌を打って、大根の煮付けに手を伸ばした。
 茶色に染まった大根は良く味の染みている証。箸を入れると何の抵抗もなく割れ、紫は鼻歌交じりに大根を割っていく。
 四つに割った大根。その一つを摘みあげると、はくりっと噛み締める。
 柔らかな大根は口の中で溶け、甘辛い醤油の味が舌を包み、紫の顔もほにゃっと崩れた。
 次は岩魚。次は白米。次は吸い物……幸せな顔つきで次から次へと箸を伸ばし、目の前の膳が粗方片付いてからやっと口を開く。
「んで、貴女も付き合ってご飯抜きって訳?」
「……腹の調子が悪いだけです」
 そう告げた直後、藍の腹がぐぅと鳴った。
 藍は汗を一筋流しながらも固く瞳を閉じたまま、紫はそんな藍を見て食後のお茶を啜りながら「素直じゃないわねぇ」と、笑った。
 そんな事ありませんと抗弁する藍を片手で制して、紫は湯呑みを置いて藍を見据える。
 笑みを消し、凛と引き締めた表情で。
「ねぇ、藍?」
「は」
「愛情で縛るは百年。憎悪で縛るは五百年。では千年縛るにはどうすれば良いと思う?」
「……」
「答えは『使役』よ。上から下への一方的な関係。役を与える事で傍に置く。そうでなければ……」
「……」
「擦り切れていく心を――守れないわ」
「ですが!」
「あら、逆らうの?」
「……いえ、そんな事は」
「ふむ。貴女は『式』というものを未だ理解できていないようね」
「……」
「式は道具よ。それ以上でもそれ以下でもない。上が揺らげば下も揺らぐけど、下が揺らごうと上が揺らいでは駄目」
「……それは……その通りですが」
「道具に左右される者が道具を使おうなんておこがましいわ。昔から言うでしょ? 『弘法筆を選ばず』って」
「橙は道具では……」
「道具よ。それを忘れては駄目」
「しかし……」
「貴女もよ。八雲の式」
 藍は俯いたまま唇を噛み締め、紫は真っ直ぐに藍の瞳を見据えている。
 こんな会話は初めてではない。今までだって何度も、それこそ橙がこの家に来てからは数えるのが馬鹿馬鹿しいくらいに。
 それでも紫は何度も同じ事を告げ、藍はいつも唇を噛み締めるだけ。
 論理と感情の境界をゆらゆらと――
「どちらにせよ、橙の事は任せるわ。私はもう寝るし」
「……はい、おやすみなさいませ」
「ねぇ、藍?」
「はい?」

「貴女、本当に解っている?」

 藍が目を丸くしている間に、紫は立ち上がって襖へと向かう。
 右手で襖を開き暗い廊下へ沈む間際に、首を横に向けると妖艶な瞳で藍を見た。
 そこに浮かんだ表情はとても――
 静かに襖が閉じられ取り残された藍は、その言葉と表情の意味を噛み締める。
 紫の言葉。紫の表情。
 出会い。使役。式神。
 今までの言葉。今までの付き合い。
 戦いの夜。柔らかな朝。穏やかな午後。美しい夕焼け。
 幾つもの季節。幾つもの年月。幾つもの時代。幾つもの始まりと終わり。

「嗚呼、そういえば貴女は――」

 藍の顔に静かな笑みが浮かぶ。
 一度大きく頷いたその顔に、もう迷いはない。
 立ち上がって縁側に向かうと、静かな瞳で夜の森を眺めた。
 月明かりは眩い程だが、目の前に広がる森は暗く沈んでいる。
 その対比がどうしようもなく不気味で、木々の擦れる音が唸り声のようで、遠くに聞こえる山鳴りがまるで不吉な宣託のようで。
 だけど藍は躊躇いなく、一瞬たりと迷う事なく。
 月の光を全身で受け止めて、夜の中へ飛び込んでいった――

 §

 走る、走る、金の獣が夜を走る。
 月明かりのまばらな森の中を、風のように、火のように。
 静かな闇を断ち切るように、黄金の尾を流星のように靡かせて。
 金の瞳が見据えるのは一点のみ。仄かに残る橙の匂いを辿り、ただひたすら真っ直ぐに。
 地面を這う木の根を、生い茂った藪を、驚いて飛び出す野犬の群れを飛び越え、しなやかに、淀みなく――走る、走る、走る!
 半弦の月は西の空へとさし掛かり、夜明けまであと数刻を残すのみ。
 しだいに強まる匂いを前に、少しずつその速度を緩めていき、
「――いた」
 音も立てずに慣性を殺し、少しだけ上がった呼吸を一息で鎮め、思わず上げそうになった声を無理矢理に押し止めた。
 咄嗟に身を隠したのは染み付いた習性。幾多の戦いを超えてきた者がその身に刻んだ哀しき性。
 だがその姿を認めた藍は、その性に心から感謝した。
「……橙」
 視線の先には太い木の影で蹲る橙の姿。
 両膝に顔を埋め、眠っているように動かない。
 だが藍には解っていた。橙は眠っていないと解っていた。
 その肩が震えていたから、その喉から嗚咽が漏れていたから、その身体が余りにも小さく見えたから。
 声を掛けようとして喉が引き攣り、足を踏み出そうとして膝が言う事を聞かない。
 伝えたい言葉がある。伝えたい想いがある。でもどう伝えればいいのか解らず立ち尽くす事しか出来ない。
 天狐とまで呼ばれた古の大妖が戸惑っている。泣いている子供に掛ける言葉が見つからず戸惑っている。
 一つ深呼吸。
 もう一つ深呼吸。
 最後にもう一度深呼吸して踏み出そうとし、それでも踏ん切りがつかずもう一度だけ深呼吸をしようとした時、
「――藍さま?」
 顔も上げず、橙がぽつりと呟く。
 気勢を削がれた藍は無様な程に動揺した。
 黄金の尻尾はその心を表すかのようにどよめき、どのような表情を浮かべるべきか判らず頬が引き攣る。
 とりあえず笑みを浮かべてみたが、これが正解なのかすら判らぬままに橙へとゆっくり近づいた。
「……心配したぞ? さぁ、帰ろう」
 できるだけ感情を押し殺して、優しく声を掛ける。
 だけど橙は顔も上げず、されど逃げる事もせず、蹲って黙ったまま。
 藍は右手を躊躇うように伸ばし橙の頭に触れようとするが、その手はどれほど力を込めようとそれ以上進まない。
 届かない。こんなに近いのに。こんなすぐ傍にあるのに。なんて――遠い。
「……帰ろう? 橙」
 そんな言葉を投げる事しか出来ない。
 返答は沈黙。
 置き場のない藍の右手が所在なく彷徨う。伸ばす事も引っ込める事も出来ない右手。どうしようもなく超えられない境界。
 だから藍は待つしかない。投げた言葉が届いたのか、確認する術もないまま時間だけが過ぎていく。
 藍は佇んだまま。
 橙は黙ったまま。
 沈黙の檻に閉じ込められた二人は、月時計の支配する世界で彫像のように。
 月は慰めの言葉一つ吐くでもなく、ただ沈黙して嘲笑っているかのように。
「……ごめんなさい」
 やっと漏れた橙の声。
 その小さな呟きは、きっと藍だからこそ聞こえた声。
 静かに、だけど確かに、全てを拒絶する抜け殻の声。
 その声を聞いた藍は何かを堪えるように固く目を閉じ、伸ばしたままの右手をぎゅっと握り締める。
 橙に悟られぬよう小さく吐息を吐き、そして無言のまま橙の隣に腰を下ろして空を見上げた。
 木々の隙間に見える白い月。半円なれど艶やかなる輝き。
 それを瞳に映しながら、伝えるべき言葉を選びながら、
「……なぁ、橙」
 と優しく声を掛けた。
「八雲の名……そんなに欲しいか?」
 答えはない。
 だが膝をぎゅっと握り締めた拳が、橙の想いを何よりも雄弁に伝えていた。
「今のお前には……八雲の名は重すぎる」
 俯いた橙の耳がぴくりと動く。
 膝を握る両手に、血が滲むほど力が篭る。
「それでも……いずれ八雲の名を継ぐのはお前だと思っているよ」
 藍の声が静かに闇に溶けていく。
 藍は眩い月明かりの下、橙は暗い影の中。白と黒。明確な境界。虚ろな白黒映画(キネマ)。
 藍は星を数えるように空を見上げ、橙は地面に落ちた涙の跡を数えるように俯いたまま。
 突然、橙の肩が激しく震え、そして搾り出すような声で叫んだ。
「私はっ! 私は……でも……それでも……」
 叫んだのは一瞬だけ。一瞬だけ燃え上がった炎はすぐに弱まり、もう消えかけてしまいそう。
 そんな橙の様子を悟りながらも、藍は静かに言葉を選びながら紡いでいく。
 一言、一言。探りながら、間違えないように、橙の心に届くように。
「……式はね、道具なんだよ。使役者の命ずるままに動かなくてはならない」
「……」
「だからね、悪いのは私の方なんだ。橙は道具ではないけれど……上手くいかないのならそれは使う者のせいなんだよ」
「……」
「橙は悪くない。悪いのは私の方で――」
「――煩い」
「え?」
 橙の押し殺した声に、藍は言葉を切って振り向いた。
 そこには先程と同じく、蹲ったままの橙の姿。
 両膝に顔を埋め、両腕で膝を抱き、両肩を震わせながら。
 だけど……それは先程までの悲しみの震えではなく、冷たい炎のような怒りの震え。
 藍が戸惑っていると、橙はその顔を上げて藍を睨んだ。
 泣き腫らした瞼、涙と鼻水でくしゃくしゃの顔、血が零れるほど噛み締めた唇。
 だけどその瞳は、永遠に消える事のない煉獄の炎を、橙色の炎を覗かせていて。

 ――その瞳に藍は呑まれた。

 悠久の時を過ごし、三国を傾かせ、数千の兵を前にしても臆する事のなかった大妖が、目の前の瞳に射竦められた。
 怯えた訳ではない。恐怖を感じた訳でもない。
 なぜならその瞳が灼いているのは自分ではなく、その瞳の持ち主なのだから。
 橙をそこまで追い込んでしまった事に、その辛さを気付けなかった自分の愚かさに、藍は声を失い目を逸らす事も出来なくなった。
 橙は何も言わない。藍も何も言えない。
 互いの瞳に瞳を映し、時間だけが過ぎ去って――
 半弦の月が西に傾く。
 もう森の木々に阻まれ、その姿が見えなくなる。
 闇が一段と深くなり、もう互いの姿すら見えない程で。
 ただ無機質な瞳が、様々な色が混じりすぎて灰色になるしかなかった瞳が、藍を捕らえているだけ。
 無言のまま、橙が立ち上がる。
 座ったままの藍を見下ろし、夜の森のもっと暗い場所へと溶け込むように、後ろ足で少しずつ。
「……朝までには戻ります。少し頭を冷やしてきますので」
 感情の篭らぬ凍った声。
 そしてそのまま藍に背中を向けた。
「……橙」
「それでは」
「橙!」
 風のように走り去る。瞬きすら終わらぬうちに藍の目を持ってしても追えないほど遥かに遠くに。
 藍も追いかけようと立ち上がり、思わず駆け出そうとして寸でのところで留まった。
 咄嗟に伸びた右手が宙を彷徨う。なおも駆け出そうとする身体を歯を食いしばって押し止める。
 森の奥を睨むが、もう影すら追えない。木々の輪郭すら曖昧な深い闇が広がるだけ。
 追ってはいけない。追っては――いけない。
 藍はがしがしと右手で頭を掻き、木の幹に持たれかかり、深い溜息を一度だけ吐いて、

「貴女のようにはいきませんね……紫さま……」

 そう、力なく呟いた――

 §

 翌朝、夜明けと共に橙が戻ってきた。
 ただいま戻りましたと一言だけ告げて、後は貝のように沈黙している。
 あちこち傷だらけで、服はぼろぼろ。
 藍もまたおかえりと告げた後は、何も言葉を掛ける事が出来ない。
 橙の瞳が、昨夜別れたあの時のままだったから。何も答えが見つからなかったのだと解ったから。
 何も言わない橙を居間に座らせると、藍は箪笥から包帯や傷薬を取り出して橙の正面に座る。
 交わらない視線。交わせない言葉。交差する想い。
 藍は無言で橙の身体に傷薬を塗り、丁寧に包帯を巻いていく。橙も何も言わず、人形のようにその身を任せるだけ。
 拳が擦りむけ、服のあちこちが破れて、何処でぶつけたのかおでこも赤くなっている。
 普段の藍ならその仔細を問い質していた筈。だけど何も聞けず、黙々と包帯を巻くしか出来ない。
 身体の傷には触れられるのに、心の傷には触れられない。自分の傷には耐えられるけれど、他人の傷には耐えられない。
 だから藍は――黙って包帯を巻く事しか出来なかった。
 解っていたから。その光景が目に浮かんだから。
 夜の森を一切の加減なく走り抜け、道を遮る障害に両の拳を叩き付け、それでも足りぬと頭からぶつかっていったのだろう。
 理由なんかない。ただ止まれなかっただけ、止まりたくなかっただけ。
 心臓が破れ、肺が引き攣り、両足が動かなくなるまで、あるいは動かなくなろうとも――止まる訳にはいかない。
 止まってしまってはもう二度と走れないから。
 止まってしまったらもう二度と立ち上がれないから。
 その気持ちが――藍には痛いほど解っていた。
 過去を振り返れば自分が何度も通った道。何度も経験した痛み。心の底にしまいこんだ蒼い傷跡。 
 正直なところ、もう帰ってくるとは思わなかった。昔の自分なら一月は山に篭っていた筈、或いは二度と戻らなかったかもしれない。
 だけど――橙は帰ってきた。帰ってきてくれた。この気まずさを知りながら、それでも戻ってきてくれた。
 それは橙の優しさ。そして昔の藍には持てなかった強さ。心配を掛ける訳にはいかないという……強い心。
 その心がとても嬉しかったが、それを告げれば今度こそ本当に橙はいなくなってしまうだろう。
 だから何も言わない。だから何も言えない。こんな時に掛ける言葉など知らない。
 無言のまま傷だらけの橙の手を握り、不器用に何度も包帯を巻き直すだけ。
 あの頃の自分はどんな言葉を欲しかったのか考えてみたが、あの頃も今もきっと誰にも何も言われたくなかった筈だ。
 ――そしてそれは橙も同じ。
 恥じるべきは己が無力。歯痒いのは己が非力。
 他人の慰めを求めてしまった時が真の敗北。そこまで堕ちてはいけないと懸命に踏み止まっている。
 それが解るから……藍は言葉を掛ける事が出来なかった。 
 昨日の話も曖昧なままだが、こういう時にこちらから折れてはいけない。
 だから何も言い出す事ができず、橙も藍も二人押し黙ったまま向かい合って治療を続けるだけ。
 表情を消した橙。必要以上に口元を引き締めた藍。黒い尾は力なく垂れ下がり、金の尾はそわそわと落ち着かない。
 治療が終わっても、お互い無言で佇むだけ。
 遠くに聞こえる雲雀の声も、夏を惜しむツクツクボウシの声も、二人の耳には届かない。
 ただ重たい時間が過ぎ去っていくだけ……
 縁側に寝っころがったままお茶を啜っていた紫は、器用じゃないわねぇと呆れたように呟いてから「藍、お腹空いたわ!」と、大声で怒鳴った。
 慌てて立ち上がる藍。ぺこりと頭を下げて出て行く橙。

 さて、救われたのはどっちだったのだろう――

 §

 気まずい日々が続く。
 あんなに騒がしかった日常が、もう遠い昔のよう。
 橙は黙々と日課となった修行を続け、藍も掛ける言葉を見つけられず、紫はごろごろと縁側で寝ている。
 だけど時間だけは平等に過ぎていく。そこに残る想いなど振り返る事もなく、昼がきて夜がきて半弦だった月が次第に丸みを帯びていき、

 そして――その夜がきた。  

 §
 
 空に懸かる白い月。
 暦で言えば十五夜の、完全な姿を晒す夜。
 涼やかな風は秋の匂いを運び、虫たちは盛大な演奏会を催し、梟が遠くで鳴いている。
 紫は縁側に腰掛け、杯に注いだ吟醸酒をちろちろと舐めながら夜空を見上げた。
 波打つ金の髪は白光を浴びて輝き、白い肌は陶器のように滑らかで、まるで夜を具現したような蠱惑の美。
 ただその瞳は――月を睨むように細められていた。
「……気に入らないわねぇ」
 空には雲一つなく、白い月が煌々と照っている。
 巨大な月はまるで異界へ続く穴。美しさよりも畏れの方が浮かぶ幻惑の輝き。
 だけどおかしい。どこかおかしい。いつも通りの夜なのに、いつも通りの空なのに、ただ月だけが――
「藍」
「は、ここに」
 紫がその名を呼ぶと、先程まで誰も居なかった筈の室内にひっそりと跪く影一つ。
 藍もまたその異変を感付いていたのか、その顔は凛と引き締められている。
「気付いている?」
「先日から」
「どうしようか?」
「御心のままに」
「でも……面倒臭いわねぇ」
「私だけでも構いませんが?」
「それもちょっと危ないし……そうね、あいつにやらせましょう」
 ポンと両手を叩き、童女のように微笑みながら。
 藍は一瞬目を丸くする。
「あの巫女ですか? しかしそれは……」
「幻想郷の異変は巫女が解決する。そういうものなのよ」
「……」
「あら、不満?」
「……できれば人の手は借りたくありません。私だけなら兎も角、紫さまも出るというのに」
「そういうところが未熟だっていうのよ」
「……申し訳ありません」
「では行きましょうか……ところで橙は?」
「もう寝ているかと」
「そう……では朝までには戻らないとね」
「御意」
 紫は愛用の傘を片手に立ち上がり、藍もまた両腕を袖に差し込み紫の背後に立つ。
 見上げる先には白い月。満月なのに満月ではない、少しだけ欠けた月。

 それは永夜の始まり――

 二人が縁側からそのまま夜へ飛び出そうと、僅かに身を屈めた瞬間――藍の尻尾がざわめいた。
 刃のような瞳を周囲に投げ、庭先の植え込みに視点を定めると、
「誰だっ!」
 雷のような誰何の声を放つ。
 返答は沈黙。だが藍はその植え込みに刃のような視線を向けたまま、僅かに腰を落とす。
 程なくして、がさりと植え込みが揺れた。
 藍は袖口からクナイを取り出し、紫は傘を片手に笑みを浮かべたまま。
 がさがさと庭の植え込みを掻き分け、出てきたのは黒い人影。
 見慣れた二つの耳と二本の尻尾。
「――橙。お前か」
 藍は自身の迂闊さを呪い、ぎりっと奥歯を噛み締める。
 確かに猫は隠形に長けているが、まさか今の今まで存在に気付かぬとは。
 橙は無言。ただ幽鬼のように庭の影に潜み、じっとこちらを伺うだけ。
「……聞いていたんだろ? 私たちは出掛けるから……留守を頼む」
 藍は敢えて冷徹な仮面を被り、目を閉じたままそう告げた。瞳は開けない。隠しきれる自信が……ない。
「……何で私じゃないんですか?」
 橙の瞳は灰色に沈んだまま。
 ただその吐き出されるように漏れ出た声が、何よりも藍の心を抉る。
「未熟なのは解っています。何の力もない事も……足を引っ張るだけって事も……でも……」
 涙は見せない。
 でもその肩が震えていた。その膝が震えていた。その身体が泣いていた。
「何で私じゃなくて巫女なんですか……私じゃそんなに駄目なんですかっ!」
 引き攣るような慟哭。それを正面から受け止めた藍は、自分を律するよう砕ける程に奥歯を噛み締める。
 怒鳴るべきか、諭すべきか。
 思考は一瞬。答えなどない。あるならばとうに伝えている。
 それでも堪えきれず藍が口を開こうとした時、目の前に翳された白い手に声を止められた。
「橙」
「紫さま……」
 藍を残したまま、広げた傘を肩に乗せて、紫はゆっくりと庭に降り立ち歩を進める。
 夜の深い方へ、橙の下へ。
 微笑みを浮かべて橙の前に立った紫は、境界を操り空間に亀裂を開けて、
「橙――八雲として式の式たる貴女へ命じます。これを……」
 その中へ右手を差し込み、何かを引きずり出した。
 その手に乗るは、金の箱。
 掌から少しはみ出るくらいの大きさで、板紙に金箔を貼っただけの合わせ蓋の箱。
 縦も巾も高さも等しい――小さな箱。
 その箱を橙の前に差し出し、厳かな声で橙へと告げた。
「これは『宝』よ。私の……いえ八雲にとっての宝。この世に二つとなく、これを守る為に私たちは存在する」
 橙の瞳がその箱へと注がれる。
 金箔は月光を跳ね返し、それ自体が光を放つかのように輝いていた。
「これを貴女に託します。これは絶対に開けてはならないし、他人に渡してもならない。私たちが戻るまで……いえ、戻らなければ貴女がずっと守らなくてはならない」
「……」
「貴女は私の道具ではないわ。貴女は藍の道具。だから貴女は断っても構わない」
「……」
「それでもこの命を……八雲としての命を受けるかしら?」
 紫はその箱を右手で掴み、橙の前へと差し出す。
 橙の両手は垂れ下がったまま、ただ拳だけを握り締めて。
 永い沈黙。
 紫は決して急かそうとせず、藍は黙って二人を見守り、そして橙は――
「……はい。謹んで拝命致します」
 深く頭を下げて両手を差し出し、紫がその上に置いた箱を大事に抱えた。
 いい子ね、そう言って紫は橙の頭を撫でる。
 橙は顔を伏せたまま、ただ黙ってその手に任せた。
 やがてその手が離れ橙の隣を通り過ぎると、ふわりと羽毛のように浮かび、そのまま風に乗るようにするりと飛び去ってしまった。
「ゆ、紫さま!?」
 惚けたように成り行きを見つめていた藍は、飛び去った紫と顔を伏せた橙を交互に見回し、ぎりっと歯噛みした後、
「橙! 朝までには必ず戻るからっ! 大人しく待っているんだぞ!」
 そう告げて地面を蹴った。
 もう紫の姿は見えない。藍は全速で空を翔けてその後を追う。加速に耐え切れず飛び散った金毛が幻のように夜に舞って、やがてマヨヒガに静寂が訪れた。
 空には白い月。
 庭には取り残された猫一匹。
「……嘘吐き」
 ぽつんと漏れた橙の呟き。
 あれほど堪えていた涙が零れて頬を伝わる。
 ぽたぽたと落ちる透明な雫が月明かりを受けて宝石のように輝き、両手で抱えた金の箱を少しだけ濡らした――

 §

 遠くに鳥の声が聞こえる。
 先程から踊るように輝く蒼い光は、季節外れの蛍だろうか。
 時折、轟音と閃光が夜を彩り、やがてそれは少しずつ遠く離れていく。
 橙は縁側で横たわったまま、ぼんやりとその輝きを眺めていた。
 足元には金の箱。守れと言われた大切な箱。
「嘘吐き……」
 横向きに寝転がったまま、かつんと爪先で箱を蹴る。
 橙だって馬鹿じゃない。
 自分があそこで声を掛けなければ、二人とも黙って出掛けていた筈。
 それを取ってつけたようにこの箱を守れだなんて、子供だましもいいところだ。
 そうまでして自分を置いていった。適当な仕事を与えて誤魔化した。この程度の嘘で騙される馬鹿だと思われていた。
「……そんなに私は役に立たないって言うの?」
 邪魔だと言われた方が良かった。
 役立たずとはっきり言って欲しかった。
 そう言ってくれたのなら、諦める事も出来たのに。
 そう言ってくれたのなら、立ち上がる事も出来たのに。
 橙は足元に転がした箱に目を向ける。
 立方体の箱からは確かに何らかの『力』を感じるし、黄金の輝きはそれ自体が価値を主張していた。
 大切なものという言葉に偽りはないのだろう。きっと守らなければいけないものなんだろう。
 でもきっと紫なら――異変を解決する片手間で、守る事もまた造作もないのだろう。
「何よ……こんな箱」
 寝たまま右足で箱を突付く。紙で出来た箱の割には重たいし、中には何かが入っているみたいだ。
 つんつんと突付いてみたが、かさりとも音がしない。何かが箱一杯に詰まっているのか、それとも何かを封じているのか。
「……何が入ってるんだろう?」
 少しだけ好奇心が鎌首をもたげる。
 開けるなと紫は言っていたが、これが橙を縛る為の罠だとしたら中に何も入っていないというのが一番ありそうに思える。
 我慢しきれずに箱を開けた時、何かが起こって箱を開けた事がバレるという仕掛けに違いない。
 或いは開けた瞬間、月の裏側に飛ばされるとか。
 或いは開けた瞬間、湖の冷水が溢れてくるとか。
 どっちにしろ碌な事にはなるまい。好奇心は猫を殺すのだ。
 ふん、と鼻息を荒くして、もう一度軽く箱を蹴飛ばす。
 何が起ころうと知ったこっちゃない。そんな投げ遣りな気分で、縁側に寝転がったまま空を見上げた。
 真っ黒の空には真円に僅かに足りない欠けた月。何処か歪で壊れた月。
 橙にだって、それがどれだけの異変なのか解っている。
 それを引き起こすには、どれだけ力が必要なのかという事も解っている。
 自分では到底太刀打ちできないレベルだという事も。
 自分では何の役にも立たず、邪魔なだけという事も。
「それでも……それでも、さ」
 空に向かって右手を翳す。
 丸く大きな月は、指を一杯に広げてもはみ出てしまう程。
 この手に余る――大きさ。
 巫女の手でも借りたいという事態で、猫の手なんかお呼びじゃないという事なんだろうけど……それでもこの手を使って欲しかった。
 使い捨ての道具としてでも良い、死ねと言われたら死んでみせよう。
 それが式というものなのに、それこそを望んでいるというのに。
 藍は優しいから、きっとそんな命令は下せない。
 だけど紫なら、笑いながら式の本分を果たせと言ってくれるだろう。
 そうしてくれたら良かったのに――
 そうしてくれたら救われたのに――
「それでも……まだ足りないって事なんだよね」
 こんなちっぽけな生命では賭けるにも値しない。
 つまりはそういう事なのだ。
「あはは」
 涙が零れる。
「あはははは」
 床板に黒い染みを残す。
「あははははははは」
 瞳はこんなに濡れているのに、声はこんなに枯れている。
 空には月。地には虫の音。そして狭間に猫一匹。泣いてるだけの猫一匹。
 放ったらかしの金の箱は白々とした月光を受けて、きらきらと、きらきらと、輝いていた――

 §

「魔理沙を追っているうちに、目的地に着いたみたいね」
「ほんと、あなたって幸運ねぇ。うちの藍にも分けてあげたいくらいだわ」
 何処までも続く竹林。
 夜の竹林は何処か不気味で、それでいて神秘的。青々とした太い竹に囲まれて紅白の蝶と紫色の貴人が並んでいる。
 所々焼け焦げ、巨大な力で抉り取られたような傷跡も残っているが、それでもなお平然と月に向かって伸びている青竹の群れ。
 力強い竹の下には、さらに力強い根が張り巡らされている。表面しか見れないのは愚かな人間と妖怪だけだ。
「くそ。一体、何だと言うんだ?」
 そしてもう一人。
 黒白の魔法使いが、あちこちぼろぼろでしゃがみ込んでいた。
 口からけほりと煙を吐き、服も煤けて破れ、隣に転がした箒もぼろぼろ。正に満身創痍である。
「お陰で犯人がわかったのよ。あなたは無駄じゃなかったの」
「いや、犯人は判らないけど――取り合えず、あの屋敷の中にいる」
 そんな魔法使いに向かって紫はにこにこと笑いかけ、霊夢は呆れたように肩を竦めた。
 魔法使いは何の事か解らないという憮然とした顔を浮かべたまま、地面に転がっていた三角帽を被り直す。
「まぁ、負けたんだから仕様が無い。帰って寝る。起きたら朝になっている事を祈るぜ」
「永遠にお休みなさい」
「まぁ、風邪ひかないようにね」
 けっ、と毒づきぼろぼろの箒に跨って、魔理沙はふわりと浮かんだ。
 霊夢と紫、そして藍を相手に割と本気な弾幕ごっこだ。手持ちのスペルカードは使いきり、魔力の方もすっからかん。
 何か面白そうな事が起こっているのは解るが、流石にこの有様では何も出来そうにない。
「じゃあな。お土産を宜しく」
「たけのこでいいかしら?」
「光るヤツならな!」
 そう言って魔理沙は飛び去った。とりあえず一通り暴れたから満足したのだろう。
 霊夢はもう見えなくなってしまった魔理沙に、軽く手を振ってから背後を振り向いた。
「さて、と」
 見据える先には、平屋造りの豪勢な日本家屋。
 永き時を過ごしてきた風格が自然に滲み出し、それでいてそれが嫌味になっていない。
 永遠に存在するんじゃないだろうか、そう思わせる程艶やかで趣のある造り。どれ程の敷地面積を誇るのか、果てが見通せぬ広大な屋敷。
 霊夢はその建物を、先を見通すような遠い目で眺めた。
「此処に原因がいるって訳ね。ひょっとして……あんた此処の事知ってたの?」
「私は何でも知っている……それは買い被りですわ」
「嘘吐きっぽい顔ね。まぁ、いいわ」
 霊夢が改めて顔を引き締める。紫は相変わらず涼しげに微笑むだけ。
 その時、一陣の風が巻き起こり土煙と竹の葉を舞い上げた。
 霊夢が渦巻く旋風に目を細め、紫は変わらずにこにこと笑いながら。
「紫さま」
 土煙が静まり、その二人の前に跪くのは金色の獣。美しい毛並みが、月の光を受けて魔的な妖しさを放っていた。
「どうやら正面から入るしかなさそうです。庭を回ってみましたが結界が張ってあるようで……」
「どっちにしろこそこそする気はないわ。悪いのはあっちなんだから」
「そうそう。私たちはお客様なんだし」
「はぁ、それはどうかと……」
 藍の呟きを完全に無視し、ふわりと浮かぶ霊夢と紫。そしてそのまま躊躇いも逡巡もなくその建物へと向かっていく。
 置いていかれた藍は、あの二人に何を言っても無駄だと肩を落として溜息を吐いた。
 それに藍とて想いは同じ。橙が待っているのだ、回り道を選ぶ理由など藍の中にだって一欠片も存在しない。
 再び顔を引き締め、竹林の奥、辿ってきた道を振り返る。
「――すぐに戻るからな」
 そして藍もまた地面を蹴った。
 目の前の屋敷に向かって、二人の後を追って、黄金の煌きを竹林に残して――

 §

「う……寝ちゃってたのか……」
 泣きつかれて眠ってしまったのか、枕にしていた左腕がじんじんと痺れている。
 周囲はまだ暗く、月明かりだけが煌々と。
 頭の奥が霞がかったように曖昧で、どうして縁側で寝ていたのか思い出せない。胡乱な頭で横たわったまま周囲を見渡すと、足元に金色に輝く箱が転がっていた。
「あぁ、そうか」
 置いていかれたんだっけ。
 顔を起こそうとすると、涙で床板に貼り付いた頬が引っ張られて痛かった。
 痺れた左腕は自分のものじゃないみたいで、板張りの廊下で寝ていた身体がぎしぎしと軋んでいる。
 身体を起こし、ぼうっとした目で思わず藍の姿を探してしまったが、出掛けている事を思い出して気分が沈んだ。ついでに先程までの自己嫌悪も思い出し、どうしようもなく重たい気持ちになる。
 絡みつく思いを振りほどくように顔を上げると、そこには白々と輝く丸い月。
 月は天頂を超え、西の空に掛かっているが未だ夜は終わらず、しかし体内時計はすでに夜明けを過ぎている事を主張していた。
「夜が明けない……?」
 時間と位置の把握は、修行で徹底的に叩き込まれている。おそらく何らかの力が夜を引き伸ばしているのだろう。
 目を凝らして月を睨む。一見満月に見えるが僅かに欠けた月。薄っぺらな仮初の月。
「まだ、戻ってないんだ……」
 夜が明けない事と何か関係があるのかは解らない。
 それでも『それを解決する為に』あの二人が出たのだ。きっとこの異変もすぐに解決するのだろう。
 どのような強大な敵であろうとあの二人の敵ではない。
 ましてやあの巫女まで駆り出されているのだ。これで解決できない異変などあるまい。
 紫は言った。朝までには戻ると――それは朝までには解決するという事。
 藍は言った。大人しく待っていろと――それは足手纏いを付けたまま、解決できる事件ではないという事。
 それでもあの三人なら必ず異変を解決する。それだけは確信していた。

 橙と何の関わりもないところで――

「はぁ……」
 掠れた吐息が漏れる。立ち上がることも出来ず、壊れた人形のように横たわる事しか出来ない。
 道具であろうと決めたのに道具にもなれない。役に立ちたいのに何も出来ない。思考が同じところをぐるぐる回っていて、まるで自分の尻尾を追いかける犬みたいだ。
「無理矢理付いていけば良かったのかな……」
 そんな事をしたら藍に怒られるだろう。
 紫は……きっと変わらない。いつも通りにこにこ笑うだけだろう。
 藍が心配するのは私が弱いから。紫が相手にしてくれないのも私が弱いから。
 強くなりたい。もっと強くなりたい。もっともっと強くなりたい。
 藍の隣に立ちたい。紫の誇れる式でありたい。八雲として、本当の家族として。 
 その為にはどれくらい修行をすればいいのだろう。十年? 百年? 千年?
「永すぎるよ……」
 せめて何か縋れるものが欲しい。誇れるものが欲しい。
 この道で大丈夫なのだと教えてくれる道標が、欲しくて欲しくて堪らない。
「藍さま……」
 藍を信じている。
 優しくて、強くて、綺麗で――大切な主。
 藍を信じたい。
 その言葉を、その瞳を、その背中を。
 だけどあの日、藍は道具を上手く扱えないのは使う者が悪いのだと言った。
 だから悪いのは自分だって、お前は悪くないんだって。
「嘘だよ、そんなの……」
 そんなもの、その場しのぎの嘘。
 悪いのは役立たずの自分なのに。悪いのは道具にすらなれない自分なのに。 
 大好きな藍にそんな嘘を吐かせてしまった、その事が何よりも橙の心を締め上げている。
 がむしゃらに走り、何度も転んで、立ちふさがる大木に何度も拳を打ち付けて、それでも揺らがない大木に思い切り頭をぶつけて、それでも――自分を許す事が出来なかった。

 今からでも追いかけようか?

 怒られるのは仕方がない。きっと殴られるし、ご飯も抜かれるし、蔵に三日くらい閉じ込められるだろう。
 それでもこんな気持ちのまま、ただ待っているだけなんて耐え切れそうにない。
 そう決めると後は早かった。もともとずっとそう考えていたし、身体もずっとそうしたがっていたのだ。
 立ち上がって居間に戻り、箪笥の上から三番目の引き出しを開ける。
 そこに入っているのは一枚の符。
 藍がいざという時のために用意してくれた非常用の式符。
 これを使えば藍がその場にいなくても式としての力を発揮できる。もしもの時のために、藍がその力を溜め込んでくれた大切な符だ。
 込められた力は――『加速』
 ただでさえ素早い橙がこの符を使ったならば、追える者などこの世にいない。自身でも制御できない速度で、その身体は一条の光と化すだろう。
「これなら……多分追いつける」
 符を手にしたまま縁側に戻り、一度深呼吸。
 良し、と掛け声を上げ、夜に飛び込もうとした時、

 月明かりを反射して金の箱が、きらりと光った。

 箱を睨む。
 あれは嘘、あれは嘘、あんなのは嘘。
 どうせ箱の中は空っぽだ。
 空を見上げ、月を見上げ、視界から箱を取り除く。
 どうせ怒られるのは覚悟の上だし、マヨヒガに辿り着ける者などいるそうそういる訳がない。一晩くらい留守にしたって問題ない筈だ。
「う……」
 さあ行こう。さあ飛ぼう。
 もたもたしてると事件が解決してしまう。そうなったらただの馬鹿だ。少しでも役に立ちたいから言い付けを破ろうとしているのに。
「うう……」
 どうした。何を躊躇っている。
 箱か? 箱が気になるのか? ならば開けてしまえば良い。
 中に何も入っていない事を確かめれば良い。そうすれば心おきなく二人を追えよう。
「ううううううっっっ!」
 早くしろ。もたもたするな。夜が、夜が明けてしまう。何も出来ない役立たずで終わりたいのか。何かしたいと思っていたんじゃないのか。あの二人を見返したいんじゃなかったのか。確かに今の自分では大した役には立つまい。それでも敵を阻む盾くらいにはなれるだろう。敵の目を引く囮くらいにはなれるだろう。それにこの符を使えば速度だけなら藍をも上回る。藍よりも速い、それで役に立たない訳ないじゃないか。それとも怖気づいたのか? 今更怖くなったとでもいうのか? 生命など要らぬという決心など、所詮自分を偽る嘘に過ぎなかったのか? 道具になりたいと、ただの一枚の刃になりたいという願いは、単に藍の気を引く戯言に過ぎなかったのか? 違うだろう? 本当にそう願ったのだろう? 自分で自分に誓ったのだろう!
「わ、私は……」
 なのに足が動かない。
 なのに腕が動かない。
 目を逸らしていた足元へ視線を向ける。
 そこにあるのはただの箱。それは心を縛るただの鎖。
 そして――初めて託された『八雲』としての命。

 たとえ嘘だとしても――
 たとえ嘘なのだとしても――

 何が正しいのか解らない。どうすれば良いのか解らない。
 答えが欲しい。答えが欲しい。確かで、強固で、揺らぐ事のない答えを。
 月も森も夜も答えてなどくれない。答えをくれる人はあの夜の向こうにいるのだ。
 しゃがみ込んで、箱を持ち上げる。
 左手に乗ってしまう小さな箱。片手で持てる程に軽く、そしてこの生命よりも重い箱。
「――――っっっ!!」
 右手に持った式符を握り締め、橙は啼いた。
 駆け出そうとする肉体と命に縛られた理性に引き裂かれ、魂が悲鳴を上げる。
 自分で自分の道を決める事の何と難しい事か。
 ずっと暖かい温もりに守られてきた脆弱な心は、暗い夜に取り残されて惨めに波間を漂っている。
 どちらを選ぶ事も出来ず、ただ無残に引き裂かれていくだけ。
 そんな橙を嘲るように、
 そんな様を哂うように、

 偽りの月が見下ろしていた――

 §

「がはっ!?」
 藍の口から激しい吐血が吹き出る。
 咄嗟に両手の刀を十字に重ねたが、大人の腕ほどもあるエメラルドの輝きを受けた二刀は硝子のように砕け、光弾が腹部を痛烈に撃ち抜いた。
 よろめく身体、飛び散る血潮。それでもなお噴き上げる闘気に翳りはない。
 口に溜まった血を吐き出し、両袖から滑り出た新たなる二刀を構え、絶え間なく撃ち込まれる弾幕を斬り、弾き、逸らしていく。
 ――此処から先は抜かさない。
 ただそれだけを胸に、押し寄せる波濤のような弾幕に一歩たりと引く事なく。
 周囲はすでに異界。
 天も地もなく、広がるは無限の虚無。
 星々の世界に数多の過ぎ去りし『過去』が投影されている。
 初めは暗い夜に数多の星。遠くに見える星雲は地上では決して見る事の出来ない色をしていた。
 次なるは明治の街並み。旧と新が入り混じって、郷愁と羨望が交互に湧き起こる不思議な時代。
 次なるは巨大な高層建築物。和洋中が混在し、十字格子の梁と柱は八百万の神を祭るかのよう。
 どの時代も、どの場所も、真実の月が空にあり、それはまるで地上の人々を嘲笑うかのように輝いていた。
 そして今は――月面。
 真実の月の表面に立っている。
 クレーターだらけの枯れ果てた大地は生命の存在を欠片も許さず、『去ね』と全細胞に訴えかけていた。
 先程まで長い板張りの廊下を進んできた筈なのに。
 狂視を操る兎を倒しそのまま進んできた筈なのに。
 襖一枚隔てた此処は、現世から隔離された空蝉の世界。数多の弾幕を潜り抜け、すでに元の世界がどうであったかなど忘却してしまう程に。
 そんな異界で――藍は自身の血で染まった二刀を構え尚も其処に立っていた。
 エメラルドとサファイヤの輝きが格子模様を描いて迫り来る。その圧倒的な物量を前に反撃すら侭ならない。
 全身を刻まれ、噴き出る血は止まらず、左目を塞いでいる血を肩で拭いながら藍は叫んだ。
「まだかっ! もう持たんぞ!」
「あとちょっとよ! もう少し持たせて!」
 藍の叫びに霊夢が応える。
 霊夢は両手で印を組み術を織り上げようとするが、藍とて全弾を叩き落せる訳ではない。
 撃ち洩らした弾塊が霊夢に迫り、その度に術が中断されてしまう。今もまた折角編み上げた術式は蒼い光弾に掻き消されてしまった。
「ちょっと紫! あんたの方で何とかなんないの!」
「無茶言わないでよ。こっちは藍への強化で手一杯よ」
 紫もまた遊んでいる訳ではない。自身の回避も然る事ながら霊夢への攻撃もその傘で叩き落しつつ、藍への呪力供給に追われている。
 糞と、思わず漏れた不満の声を隠す余裕もなく、藍はこの弾幕の先にいる『敵』を睨んだ。

 哂っている。

 隙間一つない弾幕の輝きに遮られ、敵の顔など見える筈もない。
 だが藍は確信していた。最初に見た時から気に入らないと感じていたあの余裕溢れる笑みを、今もまた浮かべていると。
「うぉぉぉあああっっっ!!」
 藍の咆哮と共に二刀を携えた両腕が奔り、九尾の尻尾が竜巻のように唸って、その眩いばかりの弾幕を叩き落す。
 飯綱権現をその身に憑ろした様は正に雷神。黄金の輝きを振り撒いて虚空を駆ける。
 手にした二刀は頑丈だけが売りの青竜刀。その滑らかな曲線を持って、切り伏せた後も斬撃の速度を殺す事なく次なる獲物を迎え撃つ。
 百の斬撃は千の欠片を生み出し、刀が砕ける度に新たなる刀を取り出して、一瞬たりと止まる事なく嵐のように吹き荒れる。
 なのに襲い来る弾幕が止まらない。終わらない。果てが――ない。
 この弾幕には意志はない。定められたパターンを進むだけのただの壁。
 意志を持った攻撃であればその身に引き寄せ一気に駆け抜ける事もできようが、こうも規則的にこられては受けに回るしかない。
 しかもこの圧倒的な物量はどうだ。
 先程からこの繰り返し。尽きる事なく無限に湧いてくる宝石の海。
 霊夢と紫も、虚を突き相手の隙を見逃さずに攻める事を得意としているが、このような物量戦ともなれば奇手も通用しない。
「ああもう……鬱陶しいわね!」
 霊夢が手持ちの符を投げ付ける。
 本来なら自動的に敵を追尾し打ち倒す無敵の符なのだが――
「くっ、またなのっ!」
 眩い煌きと共に蒼と翠の欠片が宙に舞う。術者に届く前に弾幕に阻まれ相殺されている。
 霊夢は歯噛みしながら尚も符を放とうとするが、その手を紫が押し止めた。
 いつもその顔に浮かべていた余裕がない。
 この部屋におびき出されてからというもの、境界を操る力が上手く使えないのだ。
 ここは異界。物理法則もまた現世とは異なっている。この捻じ曲げられた空間で迂闊に力を使えば、何処に繋がるか知れたものではない。
 単純な力と力の勝負。
 そんなシンプルな戦いは紫の流儀ではないし、これ程の魔力を惜しげもなく注ぎ込める底なしの化け物相手とあっては、弾幕ごっこといえど遊びで行うには剣呑過ぎる。
「……藍、結界を張るわ。こちらはこちらで何とかするから、貴女は貴女で何とかしなさい」
 非情とも思える紫の言葉。
 その冷たい声音に、血染めの藍はにたりと哂った。
 白面金剛とまで呼ばれた古の大妖。その本性を剥き出しにして。
 その言葉に霊夢もまた反応した。手にした符を全て放ち押し寄せる波を一瞬だけ押し返すと、即座に紫の背後に回り次なる呪を唱え始める。
 霊夢が作り上げた一瞬の間。
 その隙に藍は手にした青竜刀を投げ捨て、袖口から一本の長刀をずるりと引きずり出した。
 野太刀――『無銘』
 刃渡り四尺二寸の斬馬刀に匹敵する長刀。
 それ程長大な武具を袖より引き出し、右足を前へ、柄を握った左手を後ろに回し腰溜めに構える。
 構えは居合。
 そんな長さで居合抜きなど出来る筈もなく、それでも藍は迫り来る弾幕を前に三日月のように哂う。
 身を置きたるは交差する弾幕より三歩前。格子の隙間にその身を置き、左右から削られようとも微動だにせず、ただ機が満ちるのをひたすら待つ。
 吸息の息吹にて丹田に気を満たし、その瞳をすっと閉じて、時を……その時を……
 そして紫の朗々たる宣言が虚空に響いた。

 ――境符『四重結界』

 紫の鏡。正方形の四枚の鏡が回転し、艶やかな五芒星を生み出す。
 左右から押し迫る弾幕とはいえ、重なるのは自身を中心にしたただ一点。そこに合わせた強固な結界術。
 エメラルドが砕け、サファイアが割れ、振動と宝石の砕ける音が木霊する中、

 ――霊符『夢想封印 集』

 霊夢の術が完成する。
 それは自身が四方に散らした無数の符を一点に集結させる術。それにアレンジを加え、符ではなく周囲の弾幕を全て引き寄せた。
 規律正しく編まれた弾幕の壁が歪み、霊夢に――紫の張った結界へと集められ、全方位から押し寄せる宝石の波が悉く結界に弾かれ砕けていく。
 紫の結界がぎしぎしと撓む。物理攻撃であれば完璧を誇る結界が、単純で圧倒的な物量に悲鳴を上げる。
 持って数秒。その後は結界が決壊し無残な結果が残るだけ。
 だが、数秒あれば十分。
 
 それだけの時間があれば――敵を千回刻んで釣りがくる!

 奔ったのは一閃。
 それは視認できるのが一閃だけという事。
 鍔鳴りは硬質。刃鳴りは爆音。迸る閃光は世界そのものを刻むように。
 抜けぬ筈の長刀による居合。可能にしたのは『鞘ごと断ち切る』という力業。
 四尺二寸の刀身が雷のように疾り、音速を超えた刃先は衝撃だけで宝石を砕き、八条の閃光が虚空を引き裂いた。
 異界が砕け、弾幕も消える。
 剣速に耐え切れなかった刀身も四散し、月面を模した幻覚は霧散し、後には無限の虚無が広がるだけ。
 残るは三人の人妖。そして無傷の――『敵』    
「驚いたわ。凄い事できるのね」
 悠然と浮かび、こちらを見下ろす敵の姿。
 動脈と静脈を示す赤と青の衣は、医学に通じる者の証。
 星座をあしらった刺繍は『宇宙は我の内に在り』という不遜な意思。
 白く長い長髪を後ろで束ね、深遠なる瞳は無限の叡智を秘め、口元に浮かぶ笑みは純粋なる賞賛を侵入者たちに贈っている。
 あれ程苛烈で無尽蔵の弾幕を放った直後だというのに、その顔には疲労の影すらなく、いと高き神の座から下界を見下ろしていた。
「偉そうね。やっちゃいなさい、藍」
「そうね、遠慮はいらないわ。やっておしまい、藍」
「いや、やれるもんならやりたいですが……」
 まだ出血が治まらず、だくだくと頭から血を噴き出している藍に、霊夢と紫はにべなく言い放つ。   
 勿論そう言いながらも、後ろ手でさり気なく印を結んでいるのは二人とも流石というべきか。
 しかし敵もまた、それを見透かしているかのように楽しげに微笑みを浮かべていた。
「さて……貴女たちが何者なのかは知らないけれど、夜も更けてきたわ。睡眠不足はお肌の大敵よ?」
「貴女が月を返してくれれば、すぐにでも布団に入って眠るんですけどねぇ」
「返すわよ? 貴女たちが……永遠の眠りに就いた後にね!」
 そして敵――八意 永琳――は両手を広げ、無粋な訪問者たちに無慈悲に死を宣告する。

 ――天呪『アポロ13』

 不吉な数字を冠した、人間の傲慢の象徴。
 それを戒める大宇宙の裁きが、虚空に青と赤の艶やかな華を咲かせた――

 §

 時間だけが過ぎていく。
 夜は未だ明けず、偽物の月だけが白々と。
 橙は未だ定まらぬ心を持て余し、ただ立ち尽くすだけ。
 涙はもう枯れた。声ももう枯れた。左手の箱は鈍く輝き、右手の符は握り締めてくしゃくしゃで。
 ひょっとしたら待っていたのかもしれない。
 こうして悩んでいる間に異変が解決する事を。
 二人が帰ってくる事を、選択をしないで済ます事を――無意識に望んでいたのかもしれない。
 そんな事は良くある事。選択をすれば責任が生じる。責任は重く苦しい。
 だから選ぶ振りをしながら時間切れを待ち、あの時こうしていればと自分を慰める言い訳にする。
 それは卑怯者の生き様。真に重い選択を経験した事のない貧弱な精神。甘ったれた――矮小な魂。
 橙の中にそこまでの意識はない。そこまで腐りきってはいない。
 だけどいずれは堕ちるだろう。自分の生き様を他人に委ねる……卑屈な存在へと成り果てるだろう。
 そしてそれはもうあと僅か――
 夜が明けるまでの僅か数刻――

「――――!」

 突然、橙の身体が跳ねた。
 心臓に針を刺したような痛みに、思わず顔を上げ月を見上げる。
「――藍さま!」
 それは魂で結びついているが故に感じた痛み。
 式として精神を共有する事によって結ばれた魂の道。
 それが伝えた。それが伝えてくれた。藍の痛みを、藍の苦しみを、藍の悲鳴を!
 左手には金の箱、右手にはぼろぼろの符。
 もう迷わなかった。一瞬たりと迷わなかった。
 三足で縁側から居間へと戻り、箪笥から風呂敷を取り出して箱を包んで首に掛ける。
 再び縁側へと戻ると、そこには嘲るような偽りの月。
 月を睨む。
 もう畏れない。そんな暇はない。悩んでいる暇も、無力を嘆いている暇もない。
 右手の符を胸に貼って式を憑ろすと、縁側を蹴って空に舞う。  
 
 ――翔符『飛翔韋駄天』
 
 橙の身体から超振動による波紋と、高周波の波動と、巨大な内燃機関がその爆縮を繰り返す音が鳴り響き――そして蒼白い星が生まれた。
 空に描く五芒星。制御しきれぬ程の加速によって生まれた軌跡が星を描き、そして生まれたばかりの蒼い星は夜を切り裂いて空を翔け抜ける。
 疾く、疾く、大切な人の待つ戦場へ――

 §

 暗い宇宙に取り残されたただ一つの存在――月。
 何もない、クレーターだらけの死んだ星。
 生命の存在を一切許さぬ、すでに終わってしまった世界。
 だがその世界で、定められた死に抗うように、生命の華が鮮やかに輝いていた。
 赤く、青く、光が、生命が、星の瞬きのように――
 霊夢の放つ符が、全方位に配置された使い魔に阻まれて全て燃え尽きる。
 紫の放つ弾幕が、永琳の放つ矢に掻き消される。
 そして藍は――血塗れで倒れていた。

 ――秘術『天文密葬法』

 月の頭脳とまで呼ばれた天才薬師の放つ秘術。
 全周を取り囲むように配置された使い魔たちが、発狂したかのように三色の弾幕を放つ。
 豪雨のように降り注ぐ弾幕は紫の張った四重結界の前に弾かれるが、次の瞬間には黒い暗黒球が結界を硝子のように粉砕する。
 圧壊――そう評するのが的確な熾烈な弾幕。天の下す法の前に、穢れし咎人は密かに葬られるのみ。
「……どうする? このままじゃジリ貧よ」
「あの使い魔を何とかしなきゃいけないんだけど……頼みの綱はこの様だしねぇ」
 紫は再び結界を張りながら、足元に転がる藍を見下ろした。
 藍を見下ろす瞳は、口調と裏腹に痛ましい。
「無理はするなっていつも言ってるのに……この馬鹿式」
 毒づく紫の声にも張りがない。
 夜を止めるという大秘術に霊力の大半を奪われ、しかもこの隔離された空間では境界を弄ぶ事も出来はしない。
 霊夢の符はその卓越した追尾性能を持つが故に、放たれた直後に使い魔へと誘われ術者本体まで届きもしない。
「夢想封印なら、あの邪魔なの吹き飛ばせるかしら?」
「無理ね。層が厚すぎるし……何よりあの陰険そうなのが黙って見てるとも思えないわ」
 そう、この苛烈な攻撃は恐るべき事に使い魔の攻撃でしかない。
 本体である永琳はその右手に持った弓を冷徹に構え、使い魔を抜けてきたものを撃ち落すだけ。
 永琳の放つ矢は黒い稲妻を纏い、巨大な暗黒球と化して襲いくる。
 先ほど藍が討たれたのもこの暗黒の矢。刀を翳し使い魔を斬り払おうとしたところを狙撃された。
 その矢にどれ程の魔力が込められていたのか……咄嗟に矢を斬り落とした藍が余波で吹き飛ばされ、立ち上がることも出来ない。
 絶対的な包囲網と遠距離からの狙撃。
 これは最早戦いではない。一方的な殲滅である。
「弾切れを待つしかないけど……持つ?」
「そういう貧乏臭いのは好みではないのだけれど……正直無理みたい、ね」
 答える紫の顔にも疲労の色が濃い。
 今こうしている間にも藍の血は流れ、それを癒す為に紫の霊力が注ぎ込まれていた。
 通常であれば地脈から霊力を吸い上げ無限の回復力と霊力を誇るというのに、この隔離された世界では力を得る事が出来ない。
 その身に蓄えた霊力だけでは、持って数分。いやその前に圧倒的な質量に押し潰されて、無様な屍を晒すだろう。
「あんたが囮になっている間に、私がやっつける。どう?」
「この期に及んでそんな事言えるその精神……本当に羨ましいわ。真似したくないけど」
「それじゃ仕方ないわね。私が囮になるからあんたがやっつけなさい」
「え、ちょっと霊夢!」
 紫の制止に耳も貸さず結界から飛び出し、紅白の蝶が虚空を舞う。
 速度を落とさぬまま飛来する弾幕を、風に舞う羽毛のように避わしていく。
 人間の目は前しか見えない。だというのに背後から迫る赤弾を、噴き上げる青弾を、渦を巻く紫弾を紙一重で避わし続けている。
 それも――ただの勘だけで。
 何物も触れられない無重力の巫女。その二つ名に偽りなく、踊るように舞うように。
 避わしながら符を放つ。呪を唱えて結界に封じる。本体まで届かないのなら、立ち塞がる使い魔を全て叩き落すだけ、と。
 両手に符を携えて虚空を翔ける巫女は、まるで神楽を舞っているように。
 束ねた黒髪が夜に靡き、白い袖を羽のように広げ、赤いスカートは鮮やかな軌跡を残して。
 霊夢は目を閉じていた。どうせ勘頼りならば視力など邪魔になると言わんばかりに。
 これが幻想郷『最強』と呼ばれる巫女の真価。
 その身のこなしではなく、その膨大な霊力ではなく、己の直感に一片の迷いも挟まず全てを託す、その精神こそが最強たる所以。
 踊りながら放たれた符は使い魔たちを討ち滅ぼし、僅かづつではあるが敵の障壁を削いでいく。
 しかし――
「……まずいわね。あのままじゃ」
 紫の不吉な呟きが漏れる。
 敵の動きが変わった。いや正確には暗黒球の――永琳が放つ矢の――狙いが変わった。
 相手の中心線を狙って正確に放たれていた矢が、微妙にその狙いを外している。
 僅かに右へ。僅かに左へ。
 それは獲物を捕らえる蜘蛛の罠。
 相手の避ける方向を誘導し、決定的な罠へと追い込むための布石。
 紫も霊夢もその危険をすでに悟っていたが、解っていても逃れられない。
 罠とばれるのが三流、罠と悟らせないのは二流、罠と悟られても逃がさないのが一流。
 手にした弓は伊達ではない。八意永琳――此処は彼女の狩り場なのだ。
 紫は奥歯を噛み締める。空間を弄ぶ事さえ出来れば、この包囲網を抜けて敵の背後に回る事も可能だというのに。
「……駄目元でやるしかないか」
 下手すれば亜空間に放り出され、永遠に虚無を彷徨う事にもなりかねない。
 それでも紫は口元に笑みを浮かべ、散歩にでも出るような気軽さで、
「なるようになるでしょう」
 そう言って空間に亀裂を開こうと――
「……お待ちください」
「――藍?」
 足元に転がっている藍が、血染めの身体を起こし紫の足を掴んでいた。
 口から血を零し、金の髪は赤く染まりながらも眼光に炎を宿して。
「……寝てなさい。霊夢が囮になっている間ならこの結界も持つでしょう」
「……結界を解いて下さい。私が出ます」
「……寝てなさいって言った筈よ」
 紫の顔から笑みが消えた。
 その瞳は細められ、氷のように冷たい視線が藍を射抜く。
 だけど藍は――その瞳を正面から受け止めて、柔らかく微笑んだ。
「そんな命令は聞けませんよ。それこそ……今更でしょう?」
「……死んじゃうかもしれないわよ?」
「死にませんよ。知っているでしょう? 私はしぶといんです」
 紫は藍の瞳を、藍は紫の瞳を見た。
 互いの顔がその瞳に映っている。表情を消した紫の顔を、微笑んでいる藍の顔を。
 そして紫は、その瞳を逸らした。
「――勝手にしなさい。後は任せるわ」
「はい!」
 立ち上がった藍の袖口から幾つもの刀が零れ落ちて、地面に突き立つ。
『備前長船大般若長光』『肥後胴田貫正国』『池田鬼神丸国重』『和泉守 藤原兼定』『伝天国 小烏丸』『相州五郎入道正宗』
 名だたる名刀。無論これらは本物ではない。その輝きを目にした藍が自ら叩き上げたいわば贋作。
 しかし藍の血を混ぜて打たれたそれらの刃は、本物すらも凌ぐ輝きを放っていた。
 右手に三刀。左手に三刀。そして九尾を逆立て刃と化す十五刀流。対人ではなく対『国』用決戦奥義。
 指の間に握った柄がぎちりと鳴る。妖怪の強靭な握力故に可能な魔神の業。血染めの顔に歓喜を浮かべ、戦場の匂いに身を捩らせて。
 三国を滅ぼした大妖怪――白面金剛が其処にいた。
 結界が薄れる。
 鎖が解き放たれる。
 そして藍は、最後にもう一度だけ紫を見て微笑むと、
「行って参ります!」
 振り返らずに戦場へと駆け出した。
 その様は鬼神。迫る弾幕を全て斬り捨て、全身を刃と化し、触れるもの全てを灰燼に帰す。
 その様は紫電。地を蹴り、空を蹴り、弾幕すら踏み台にして空を渡る。
 金の尾は稲妻のように、迸る剣閃は雷光のように。羅刹となり修羅と化して、藍が奔る。
 その身を弾幕が抉り、噴き出る血が宇宙を赤く染めてもなお止まる事なく――戦場を駆け抜けて。
「馬鹿……」
 残された紫の呟きも、届かぬままに――

 §

「痛痛痛……ねぇ、てゐ? もう少し優しくやってくんない?」
「情けない事言わないの。この役立たず」
 銀の長髪に萎れた耳の少女の腕に、黒髪でふかふかの耳を持った少女が包帯を巻いている。
 畳敷きの広い和室には怪我をした兎が多数転がっており、治療班の札を下げた兎が忙しそうに飛び跳ねていた。
「だってぇ……あいつら反則だよ。普通なら狂視の瞳を見ただけで同士討ちはじめる筈なのに」
「まぁ、どう見たって普通じゃなかったけどね。よし、終わり」
「ん……ありがと。でもさぁ、何で私がこんなぼろぼろになってるってのに、アンタは無傷なのよ?」
「日頃の行い?」
「どうせ、途中で逃げたんでしょ? 全く……役立たずはどっちだっての」
「私はほら、マスコットキャラみたいなもんだし? 戦闘なんて野蛮な事には向かないから」
「そんなゴツい杵ぶら下げて、どの口がそういう事いうかな?」
「主に私?」
「うわ、勝手に言ってろ」
 銀髪の少女はその赤い瞳を閉じて大の字に寝転がった。
 黒髪の少女は他の兎たちの手当てを始めている。「一回百円ね」とか言ってるが本気だろうか? 
「それにしても……師匠大丈夫かなぁ」
「大丈夫でしょ? 負けるところなんか想像もできないわよ」
「そりゃ、ねぇ」
「いいからほら、鈴仙も手伝ってよ。あんたの目は麻酔代わりになるんだからさ」
「はいはい。――と?」 
 襖の向こう、廊下の方から何やらどたばたと音がする。
 二人が顔を見合わせると、がらりと襖が開かれて一匹の兎が顔を出し、
「侵入者です! 迎撃お願いします!」
 と叫んだ。
「侵入者? また?」
 鈴仙が立ち上がり、てゐが目を丸くする。
 叫んだ兎は息を荒げ、襖に手を付いて持たれかかっていた。
「数は?」
「ひ、一人です……ですが、その……」
「どうしたの?」
「は、速過ぎて捉えきれません!」
 鈴仙の瞳が赤光を放つ。
 全身傷だらけだが、その身体には闘志が漲り、
「出るわ。案内して!」
「はいっ!」
 そう言って廊下に飛び出した。
「やれやれ、忙しい事……」
 てゐは動かない。一度だけちらりと廊下に視線を向けたがすぐにその顔を戻し、そのまま傷付いた兎たちの治療を再開する。
「あの……行かなくて良いんですか?」
 手当てを受けていた兎が、心配そうにそう尋ねる。
 侵入者の撃退は、永遠亭の管理を担うこの黒髪の少女――因幡てゐ――の最優先任務。
 事実、最初の襲撃に際し、配下の兎を指揮し自ら迎撃に向かっていた。
 だけどてゐは、そんな心配そうな顔をしている兎のおでこを軽く突付いて、
「あんたらの手当ての方が先よ」
 そう言って優しく微笑んだ――

 §

 走る、走る、黒猫が走る。
 床を、壁を、天井を。
 重力を無視して、疾風と化して、襲い来る兎たちを全て置き去りに。
 その様は疾風迅雷。その表現に一切の誇張なく黒猫は走る。
 右手から迫る散弾――当たらない。
 後方から追い縋る追尾弾――追い付かない。
 正面から兎の隊列からの一斉砲火――発射するより速く、壁を蹴り天井を走って駆け抜ける。
 止められない、止められない、止まらない!
 怪我により殆どの兎が戦列から離れているとはいえ、一発たりと掠る事なく。
 しかも自らは攻撃せず、その脚で、その柔らかな身のこなしのみで兎たちを翻弄していく。
「――藍さま」
 呟く声に焦りが混じる。
 胸のどきどきが止まらない。嫌な予感が拭えない。
 両手に抱えた風呂敷をぎゅっと握り締めたまま、奥歯を噛み締める。
 まだ生きている。まだ生きている。まだ生きている?
 式としての繋がりは感じている。目を瞑っていても居場所だって解る。だけどその繋がりは今にも切れそうなくらい弱々しくて――
「邪魔しないでっ!」
 居並ぶ兎の群れを縫うように、橙はその速度を殺さぬまま風のように駆け抜けた。
 頭の中は真っ白。限界を超えた身体がぎちぎちと悲鳴を上げ、見開かれた目は風圧で押し潰されそう。
 それでも速度を緩めず、ただひたすらに奥へ奥へ奥へ!
「っあ!」
 流れ弾が肩を掠める。それでも止まらない。
「っく!」
 蜘蛛の巣のように張り巡らされた銀糸がその身を刻む。引き千切って進む。
「っづあ!」
 丸めた背中に散弾が直撃して身体が泳ぐ。それでも右手だけで床を掻き、倒れる事なくそのまま走る。
 すでに満身創痍。倒れる間もなく襲い来る罵声と暴力。
 それでも橙は走り続ける――大切な人が待つ場所へ、ぼろぼろの身体を引き摺って。
「そこまでよっ!」
 廊下の奥に赤い輝き。
 狂視を放つ鈴仙の瞳の輝き。
 橙の足が止まる。だがそれは一瞬。一瞬後には、
「退けぇぇぇえええ!!」
 板張りの床を蹴り、砲弾のような速度で一直線に駈けていた。
 目の前に展開された無数の弾幕。不可視の真月。蟻の這い出る隙間もない緻密な壁。
 だが橙は躊躇わず、目を見開いたまま、その壁に頭から突っ込んでいった――

 §

 奔る、奔る、銀閃が奔る。
 上に、下に、縦横に。
 右手の三刀が使い魔を両断し、左手の三刀が弾幕を斬り捨て、九尾の尻尾が吹き荒れる嵐のように。
 その様は一騎当千。その表現に一切の誇張なく天狐は奔る。
 右手が唐竹に――使い魔が霧散する。
 左手が袈裟斬りに――赤青の弾丸が弾かれる。
 黄金の尾が竜巻のように――迫りくる弾幕が根こそぎ薙ぎ払われる。
 しかしその身はすでに死に体。もはや流れる血すら存在しない。
 顔面は蒼白、呼吸も侭ならず、片足どころか両足とも棺桶に突っ込んでいる。
「前に出過ぎよっ、下がりなさい!」
 霊夢の叫びも最早届かない。藍はすでに本能だけ戦っている。
 乳白の海のような真っ白な頭に、ぼつりと浮かぶのは赤いおべべと茶色い髪の少女の事。
 伝えたい事があった。
 伝えられない事があった。
 言葉に出来ないもの。言葉にすると嘘になるもの。
「ごめんな……橙」
 後悔ばかりが浮かんで消える。もっと上手くやれたかもしれないのに。もっと上手く伝える事ができたかもしれないのに。
 次に浮かんだのは、紫のドレスを纏い金の髪を靡かせた幻想のように美しい横顔。
『貴女は道具なんだから言う事を聞いていればいいの』
『勝手な事するなって、いつも言っているでしょう?』
『貴女は式よ。それ以上でもそれ以下でもないわ』
 そう冷たく言う癖に、そう言って私を叱る癖に。

 いつだって貴女が私に命じる時は――『任せるわ』――でしたね。

 藍の顔に笑みが浮かぶ。
 戦いの最中だというのに、いま少しでその生命が消えるというのに。
「やっぱり、貴女は嘘吐きですよ――」
 橙もいつか解る日が来るだろう。
 言われるままでなく、言われた事を自分で考え、最良の行動を選択し、そしてその責を自ら負う。
 それが大人になるという事。一人前の式という事。
 それはどうやら見れそうにないけれど。
 それはとても残念だけれど。
 刀を振るう。刀を振るう。刀を振り続ける。
 血路を開かんと、大切な主を護らんと、その身を刃と化して

 ――この生命ある限り!

 §

「あの……馬鹿式」
 奥歯が砕けそうな程に歯噛みする。
 結界を解き、弾幕を避わしながら針を放つ。
 使い魔を通過し、本体へ直進するように妖力を込めた針。
 しかし――届かない。
 全天を覆いつくす使い魔によって宇宙は白く輝き、敵の姿すら見つける事が出来ない。
 もともと能力に頼った戦いをしてきた紫には、襲い掛かる弾幕を避わすのが精一杯で攻撃すら侭ならない。
 霊夢は舞いながら使い魔を撃ち倒している。藍も血塗れの身体で血路を開こうとしている。
 なのに……自分だけ何の役にも立っていない。せめてもの助けとして自身の妖力を藍に送るだけ。
「くっ!」
 避わしきれなかった弾幕がその身を削ぐ。
 吹き出す血は赤く、自分の血の色が赤かった事を久々に思い出した。

 ――逃げるか?

 この戦いに大義はない。
 この空間では境界を操るのが上手く出来ないが、此処から別の空間に移る事は可能だろう。そして其処が何処であれ、その場所から元の世界に戻ればいい。
 再びこの異界に戻ってくる事は無理だろうが、別にそんな事知ったこっちゃない。
 あいつは朝になれば月を元に戻すと言っていたし、その言葉に嘘はないだろう。
 逃げられる筈だ――自分一人ならば。
 二人を連れて逃げては悟られる。今はまだ僅かに現世と繋がっているが、妙な動きをすればあいつは完全にこの異界を隔離するだろう。そうなれば最早逃れる術はない。
 今ならあいつの意識は藍と霊夢に向いている。こっそりと空間を渡って逃げ出す事だって――
「……らしくないわよねぇ」
 口の端に自嘲の笑みが浮かぶ。
 そこまで解っていながら、未だ死地に留まり続ける自分を哂う。
 もし此処で自分一人逃げたら、藍はどんな顔するだろう。
 泣くだろうか。怒るだろうか。それとも……憎むのだろうか。
 試すまでもない。答えはとうに知っている。
 笑うのだ。絶対に、あの馬鹿は。

 ――無事で良かったって。
 
「そんなのつまらないわ」
 だから紫は此処にいる。
 飛び交う弾幕に身を削られながら、赤い血を流しながら。
 自らの式が生命を賭けて踊る舞台を、最後まで見届けるために――

 §

 永琳は眼下に踊る光彩の輝きを見ていた。
 眩いまでの生命の輝き。
 紅白の蝶。金色の獣。紫の貴人。
 これ程の輝きは、今までに見た事がない。
 胸を打つ程の眩さ。月のように冷えていた心を、熱くさせる程の。
「嗚呼、そういえばあいつもいたっけね?」
 脳裏に浮かぶのは紅蓮の炎。全てを紅に染める少女の背中。
 千年に及ぶ旅路の最中にめぐり合った例外中の例外。姫にとっての唯一の『特別』
 だがこの輝きはどうだ。あの炎に匹敵する――否、それ以上の眩い輝き。
 この輝きならば或いは……
「埒もないわね」
 脳裏に浮かぶ仮定を否決。表情を消し、感情を殺し、新たなる矢を番える。
 思い描くは姫の事。
 艶やかな黒髪に、陶器のように白い肌。そして深く吸い込まれそうな漆黒の瞳。
 姫のために生きると決めたあの日から、姫以外にこの世に価値あるものなどないと悟ったあの日から、己に掛け続けたただ一つの呪い。
『この身は全て。姫のために』
 だけどもし、この秘術を抜けたなら、ひょっとしたら、もしかしたら――
「……在り得ないけどね」
 左手に愛用の弓を構え、足を両肩の巾まで広げ背筋を伸ばす。
 宙に浮かんだ状態で胴作りなど無意味だが、これは精神統一するための大切な儀式。身体に刻み込んだ『死射』を呼び起こす魔術起動式。
 背骨を軸に肩、胴、腰、膝、踵の線が平行になるよう『五重十文字』を描き、静かに息を吸って丹田に力を込める。
 心気合一し、頭の中を真っ白に塗り潰す。弓を引いているという事すら忘れ去り、五感を起動させたままその全てを捨てて『死者』と化す。
 有と無の狭間をゆらゆらと揺れ、次第にその揺れ巾が小さくなっていき、そして――成った。
 後はもう機械のように、身体に染み付いた動作をなぞるだけ。
 顔を九十度曲げ視界に的を収めるが、狙うという我欲はすでに忘我。
 平行に番えた矢を、頭上に抱え上げ『大三』へ移行。
 三分ほど引かれた弓。その中に身体を押し込むように胸で割っていき、弦と弓を軋ませながら大きく『引き分け』ていく。
 ぎりぎりと軋む弓。きりきりと唄う弦。押手の点と勝手の点が平行に結ばれ、正中線と射軸が美しい十字架を描いた。
 魔力を帯びた矢が黄金に輝き、その鏃が黒い雷光を放つ。
 その矢に一体どれだけの魔力が篭っているのか。それを知った時には、もう細胞の欠片すらこの世に残っていまい。
 鷹のような瞳が的付けを合わせる。狙うは金色の獣。その血塗れの顔は余りにも痛ましく、むしろこれは慈悲と言えるだろう。
 此処に至っては狙うという意識すらも因果地平の彼方。狙うのではない、待っているのだ。放つべき時、放つべき瞬間を。
 そのまま無限の停滞が過ぎ去るかの如く、あるいは瞬間を幾重にも重ねるが如く。

 そのまま――『会』を待つ。

 放たれた黄金の矢は光の速度を超え、速度に比例して増大した質量は巨大な暗黒孔を生み出すだろう。
 射抜いたものを飲み込み、そのまま足元に広がる真実の月ごとクォークにまで粉砕するだろう。
 苦しみなど感じまい。一瞬で全ては終わる。
 永琳の顔は能面のように無表情。忘我の域に至った精神はすでに己を殺している。
 だけどその顔に、血に染まる黄金の輝きを目にしたその顔に、一瞬だけ哀しそうな表情が浮かび泡沫のように消え去った。
 もう間もなく『会』は成る。『死射』が放たれる。それは時間にして極限まで零に近い未来。
 哀しき獣を、穢れた民を、その苦しみから永遠に救うために――
  
 §

「――ァァァァッッッ!!」
 銀の剣閃は稲妻。金の暴風は征嵐。金色の獣が鬼神のように突き進む。
 もはやその身は天の災い。立ち塞がる使い魔は土塊のように微塵に刻まれるだけ。
「――禮!」
 無数の符が虚空を舞う。出し惜しみなく全ての符を放ち、紅白の蝶が夜に踊る。
 この荒れ狂う弾幕の渦で、それでもなお何物にも触れられる事なく、博麗の巫女が此処に在る。
「――結」
 紫色の結界が空を覆う。その高貴なる輝きは何人たりと侵される事なく、前を行く二人をあらゆる災いから守り抜く。
 自身にまで回す余裕がないためその身は幾度も抉られ、それでも目を逸らす事なく、己が式が織り成す絢爛舞踏を見守っている。

 誰もが持てる力を全て注ぎ込んで、
 誰もがその生命の全てを賭けて、
 だけど、
 それでも、
 あと一手足りない――
 包囲網を突破すべく力を一点に萃めて突き進むが、展開された陣が余りにも厚すぎる。
 もうあと少しで藍の生命が止まる。そうなれば後は雪崩のように霊夢と紫も後を追うしかない。
 迫り来る弾幕の隙間から永琳の姿が見えている。あと少し、あと少しだというのに。
 藍の目にはもう敵の姿しか見えない。
 何かを呟き、弓を構えている敵の姿。僅かに見えるその表情は何処か寂しそうで――でもそれも一瞬。
 矢を番えてこちらに向けるのは、一切の表情を消した顔。
 機械のような、人形のような、神罰を下す神のような。
 黄金の輝きを放つ矢。極限まで高められたその光は、まるで圧縮された恒星。
 今までの矢とは比較にならない程の圧倒的な魔の流れ。一切の比喩なく世界を一つ殺せる力。
 ――間に合わない。
 藍の瞳が見開かれ、霊夢の頬が引き攣り、紫が声を上げようとした時、






 ぴ し り と。






「藍さまぁぁぁああああっっっ!!」
 異界が硝子の砕けたような音を立ててひび割れ、一匹の黒猫が飛び込んできた。
 ぼろぼろの身体で、血を流しながら、それでもなお。
 身体を丸めたまま彗星のように宙を翔け、三人の前に立ち塞がる使い魔を薙ぎ払う。
 狂った箒星。古の人々はそれを凶兆と怖れた。
 箒星が夜空を渡る時、世界が終わると。
 そう――今からこの壊れた世界は終わる。凶兆を告げる黒猫が現れたのだから。
 もう自分でも制御できない大加速。狂視の壁を破り、此方と彼方を結ぶ結界を破り、音の壁すら破った橙は己の限界すらもとっくにぶち破っていた。
 使い魔も弾幕も出鱈目に薙ぎ払い、この世界を終わらせるべく奔り続ける。
 内向きに矛先を向けていた使い魔たちは、予期せぬ外側からの攻撃に紙のように千切れ飛ぶしかない。
 縦横無尽に虚空を駆け抜け、この狂った宇宙に『生命』という名の星を描き、そしてついに――制御できないまま月面に激突した。
 風のない月面に土煙が上がる程の衝撃。新たに生まれるクレーター。月面に突き立ったアポロンの矢。
 土煙が消えた後には、横たわる黒猫の影一つ。
 赤いおべべはぼろぼろで、それでも首に掛けた風呂敷包みを大事そうに抱え、死んでしまったかのように瞳を閉じて。
「ちぇ、橙!?」
 藍が目を見開き、呆然として倒れ臥した橙を見つめている。
 何故橙が此処にいる? 何故橙があんなにぼろぼろになっている?
 頭の中は真っ白のまま、無意識に橙の元へ駆け寄ろうとした瞬間、
「藍!」
 紫の叫びが意識を呼び戻した。
 顔を上げると正面には、暗い虚空の中心に浮かぶ敵の姿。
 眼前の使い魔は薙ぎ払われ、もう彼我を遮るものはなく、そして永琳の矢が今正に放たれようとした時、

 藍の心が真紅に染まった。

「―――――――――――――ォォォォオオオッッッ!!!」
 獣の咆哮を上げて藍が疾る。
 手にした六刀のうち四刀は砕け、残りも刃毀れが激しくもう斬る事など出来ない。
 それらを虚空に投げ捨て、素手のまま空を駆け上がる。
 もう理性は捨てた、意識も捨てた。本能で、その身に刻み込んだ闘争心だけで。
 その姿は雷光。その身に降ろした荼吉尼天の力を全て速度に変換し、自身を雷の矢と変えて。
 その輝きを見た永琳の顔に、表情が戻った。
 取り戻した理性が警鐘を鳴らし、レッドシグナルが視界を埋め尽くし、理性の海に沈めた筈の恐怖が背筋を走る。
 それでもなお――悠然と。
 笑みすら浮かべ、迫りくる雷に揺らぐ事なく、光の矢を解き放った。
 光速を超えた矢は余波で時空震すら引き起こし、空間を捻じ曲げながら突き進む。
 発射から着弾まで0.0000000000000000000000000000000000000001セカンド。
 回避不能の不可視の弾丸。絶対的な死の閃光。逃れる事の出来ない『死射』

 だが――藍は弾いた。

 世界を滅ぼす矢を前に何一つ畏れる事なく、炎のような吐息を噴き上げ、刃のような視線を己が敵に向けたまま。
 顔面目掛けて迫る矢を紫電を纏った裏拳で叩き落し、そしてその勢いを殺さぬまま黄金の尾を振り回した。
 狙いなどない。ただ周囲を根こそぎ薙ぎ払う純粋な暴力。黄金の竜巻が、あの日輪の輝きのように、夜を、虚無を吹き飛ばす!
「くっ!」
 脇腹に衝撃を感じ、肋骨の砕かれる激痛に永琳の顔が歪んだ。
 射撃後の一瞬の硬直。防御どころか知覚すら出来ぬまま吹き飛ばされるしかない。
 月面に音速に近い速度で叩き付けられ、全身を貫く痛みに声すら失い、それでも体勢を整え弓を構えようとした時――全てが終わった事を悟った。
 頭上には二匹の蝶。
 紅白と紫の蝶が、その羽根を大きく広げている。
「……負けちゃったか」
 永琳の顔に浮かんだのは安堵の表情。
 永い永い夜が明けたかのような、そんな晴れやかな顔。
 そしてゆっくりと瞳を閉じ、運命を受け止めるように両手を広げ、

 光彩の乱舞が天から降りてきた――
 
 §

「――橙。おい、橙! 死ぬなよ……死ぬんじゃないぞ!」
「う……あ、藍さま……」
 畳に転がっていた橙を、藍が慌てて抱え起こした。
 此処はすでに現世。永琳の術が破れた事により異界は消え、元の畳敷きの広い和室に戻っていた。
 如何なる魔法か室内に煌々と明かりが灯り、多くの兎たちが仲間の治療のために忙しく飛び回っている。
 橙はぼーっとしたまま飛び跳ねる兎たちを目で追った。ぐるぐると目が回って、頭がくらくらする。
 何故此処にいるのか。何故こんなに身体が痛いのか。咄嗟に思い出せない。
 胡乱な頭で、虚ろな視界の中でただ一つ確かなもの――自分を抱き上げて叫んでいる藍の顔を見つめる。
 その身体は血塗れで、無事なところなど一つもなかったけれど、見る間にその傷が塞がっていく。
 地脈から霊力を吸い上げて治癒力を高めているのだが、今の橙にはそんな事は解らない。
 だから一言。その心配そうな顔を、いつも通りの顔を眺めてぽつりと、
「良かった……無事だったんですね」
 藍の顔を見ながら、安心したように呟いた。
 その微笑みを見た藍は、言葉を失くして傷だらけの橙の身体をぎゅっと抱き締める。
 暖かい温もり。欲しかった温もり。
 自分を包む温もりに、夢を見るようにすっと目を閉じた。
 藍の金の髪が鼻を撫でてくすぐったい。だけどその匂いは傷の痛みを忘れさせてくれた。
 このまま揺蕩っていたい――そう願う橙は、自分の体重を藍に預けようとして、胸元に感じた固い感触にはっと我に返る。
 そこにはずっと抱き締めていた風呂敷包み。身体はぼろぼろなのに、その包みだけは解れ一つなく。
 暗い夜を翔け、長い廊下を抜け、そして月面に叩き付けられた時も、首から下げて大事に抱えていた風呂敷包み。
 橙は慌てて藍から離れて風呂敷包みを開いて中を確認すると、其処には傷一つない金色の箱。曇りのない表面がきらきらと光っていた。
「――良かった」
 橙の瞳から一粒の涙が零れる。
 その箱は八雲として守れと命じられた大切なもの。
 八雲の宝とまで紫に言われた、とても大切なもの。
 それを守り通し、藍も守る事が出来た。
 待っていろという言いつけは守れなかったが、怒られる事も見捨てられる事も覚悟で自分で決めた事。
 だから――後悔はない。
「紫さま」
「何?」
 いつの間にか隣に立っていた紫が、静かに橙を見下ろしていた。
 背筋を伸ばし気品溢れる仕草で、凛と顔を引き締めて。
 紫は笑っていない。怒ってもいない。ただ深く静かな瞳で橙を見ている。
 顔を上げた橙の瞳を真っ直ぐに。式としてではなく、子供扱いするのでもなく、一人の対等な存在として――
 身を起こした橙は、折り目正しく正座して膝の前に箱を置いた。紫もまた何も言わず橙の正面に腰を下ろす。
「この箱……お返しします」
「……」
「言いつけを破りました。どのようなお叱りも受けます」
 橙もまた紫の瞳を正面から受け止めた。
 それは覚悟を決めた瞳。罰せられる事を覚悟した瞳。罰せられると知って、それでもなお為すべき事をやり遂げた瞳。
 だからもう怖れない。まっすぐに主の瞳を見つめ、そして深々と頭を下げる。
「生命で贖う?」
「それを望むのなら」
「顔も見たくないと言ったら?」
「……従います」
 粛々と、伏せたまま紫の言葉を受け止める橙。
 その顔は子供である甘えを捨てた顔。己の意志で道を決め、その責を負うと決めた顔。
「紫さま!」
「貴女は黙っていなさい、藍」
 思わず声を上げた藍は、紫の瞳に射竦められて口を噤んだ。
 それ程までに苛烈な瞳。それ程までに厳粛な視線。それ程までに非情な眼差し。
「橙」
「はい」
「その箱を開けなさい。貴女にはその資格があるわ」
「は、はい」
 顔を上げた橙は、手にした箱に視線を落とし、ごくりと唾を飲み込む。
 空っぽだと思っていたが、やっぱり何かが入っていたのだろうか。
 それとも開ける事が罰となるのだろうか。
 紫の瞳はとても深くて、その色が読み取れない。
 橙は大きく深呼吸して――その箱を開けた。
「あれ?」
 何も入っていない。
 いや、奥に何か……
 箱の奥を覗きこむ。自分の頭が影になって良く見えないが、ぼんやりと何かが見える。
 目を凝らすと、ぼやけた像が少しずつはっきりとしてきて……

 栗色の髪と、黒い耳と、くりくりした瞳の女の子が――

「――鏡?」
 外側を金箔で覆った箱。その内側もまた金箔が覆っていて、皺一つないその表面が箱を覗き込んだ橙を映している。
 驚いたように目を見開いた橙の顔を、ぼんやりと、でも確かに映していた。
「それが――八雲の宝よ」
 箱を覗き込んだまま動かない橙。
 紫はすっと音もなく立ち上がって、
「後の事は貴女に任せるわ、藍」
 黙ったままその様子を見届けていた藍の肩を、ぽんと叩いた。
 藍は静かに微笑み、立ち去る紫の背中に深く頭を下げて橙の方へと向き直った。
 さて、罰は何にしよう。
 朝の修行を倍にしようか、それとも夜学をもっと重点的に行うか。
「――ま、後でいいか」
 手にした箱に、顔を伏せて泣いている橙。
 夜の森で、自分の無力さを嘆いていた時と同じ丸めた背中と震える肩。
 だけどこれは哀しみや怒りではなく――嬉しくて流す涙。
 だから藍は黙って見守り、橙の頭を優しく撫でた。
 あの夜どうしても届かなかった右手。どうしても触れる事が出来なかった指先。
 その手がやっと届いた事が嬉しくて、

 藍も一粒だけ涙を零した――

 §

「紫さま。橙は?」
「寝てるわ。傷も大した事なさそうだし、大人しくしてれば大丈夫でしょう」
「そうですか……良かった」
 そこは更なる異界の入り口。
 襖一枚隔てた其処は、無限に広がる宇宙。
 その前に立つ人影三つ。
 紅白の蝶。金色の獣。紫の貴人。
 恐れも迷いもなく、その虚空の前に立っている。
 紫が突然くすくすと笑いだし、藍はそんな紫をきょとんとした顔で見た。
「どうされました?」
「いえ、あの娘。家に運ぶ最中も、布団に寝かせつけた後も箱を手放さないのよ。よっぽど気に入ったのねぇ」
「それはそうでしょう。私だってあの時は――」
 紫は空間を渡って道を開き、橙を家に置いてきた。
 流石に限界だったのだろう。あの後すぐに電池が切れたように眠ってしまった橙。
 その寝顔を思い出して、藍の顔にも笑みが浮かんだ。
「ちょっとあんたら何やってるのよ。置いていくわよ!」
「はいはい」
「それじゃ、行きましょうか!」
 霊夢の癇癪に二人は苦笑し、もう一度広がる虚空に目を向けた。
 もう夜も明ける。永い夜もいよいよ終幕。
 その前にもう一花。この夜の最後に相応しい艶やかな華。
 伝説の姫が贈る五つの難題。解決不能な五つの難題。しかし長い年月と幻想の力は、それらの問題を解くのに十分だった。
 霊夢の札が奔り、藍の爪が裂き、紫の弾幕が夜に咲く。
 永遠の闇を照らす眩い輝き。自らを燃やす星のように光り輝く美しき珠。
 そして輝夜もまた楽しそうに、光を受けて光を返した。恒星の輝きを受けて夜を照らすあの月のように。
 真実の月が輝く中で繰り広げられる弾幕合戦。月の姫と踊る幻樂舞踏会。千の言葉を光に乗せ、万の想いを珠に込めて。
 憎しみや怒りなどの不純物は不要。ただこの幻の夜を心ゆくまで、

 さあ――楽しみましょう!

 §

 夜の博麗神社。
 本当の満月が幻想郷に戻ってきた。
 今までの月とは比べ物にならない程、力強く輝いている月。
 濡れたように滴る月光は、陽光に浄化されて干乾びていた幻想郷の幻想分に潤いを取り戻すだろう。
 そんな幻想郷らしい満月の夜の元で行われる事といえば……いつも通りの宴会騒ぎ。
 空には本物の満月。
 大きく、そして美しいその輝きに人も妖も自然と心が躍る。
 魔理沙が勝手に酒を奪って霊夢に殴られ、アリスは呆れた顔でちびちびと酒を飲んでいた。
 何故か輝夜と永琳と鈴仙、どころか多くの兎たちまでもが境内で宴会している。ついこないだ戦りあったばかりだというのに、どいつもこいつも浮かれて楽しそうに笑いながら。
 美味しい酒と美味しい肴、そして飲む口実さえあれば、敵も味方も人も妖怪も関係ない。それが幻想郷というものだ。
 月は無言で下界を眺め、夜は静かに彼らを見守っていた。
 多くの人妖が飲み、食べ、踊り続ける。誰も彼もが楽しそうに、本当に楽しそうに。
 そして八雲一家もまた、当然のように宴に参加していた。
 橙が杯に映った丸い月を見て目を回し、藍が倒れかけた橙を支え、紫がそんな二人の様子を眺めてくすくすと笑みを零す。
 いつの間にか宴に混じっていた氷精と宵闇妖怪が肩を組んで調子外れな歌を歌い、対抗意識を燃やした夜雀が騒霊たちの伴奏に合わせて大声を張り上げる。
 幽霊嬢の催促に肩を竦めながらメイド長が料理を運び、夜の王が語る運命論を半信半疑で聞いていた庭師が真剣味が足りないと頭をぽかりと殴られている。
 歌う。踊る。騒がない時も騒ぐ時も騒ぐ!
 幻想郷に真面目な顔など似合わない。そう、これこそがあるべき姿。

「ねぇ、藍さま」
「ん、どうした?」
「これからも……宜しくお願いしますね!」

 宴はまだまだ続く。
 そう、夜が明けようと、季節が変わろうと、幻想のある限り――

 §

「橙は?」
「寝てしまいました。どうやらかなり飲んだようで」
「まだまだ子供ね」
「確かに」
 そう言って笑いあう紫と藍。
 二人は社の屋根に腰を下ろし、心地よい夜風に身を任せていた。
 足元ではまだまだ賑やかな喧騒が聞こえている。きっと朝までこの賑やかな宴は続くのだろう。
 二人は秘蔵の大吟醸を持ち出し、屋根の上で秘密の酒宴を開いていた。こんな良い酒をあいつらに飲ませるのは勿体無い。
 藍が紫の杯に酒を注ぎ、自らの杯にも注ぐと、一度だけ杯を打ち合って美酒を味わう。
 二人の顔に浮かぶのは満面の笑み。
 美味い酒に言葉は要らない。ただその笑みだけがあれば良い。
「でも……懐かしいですね、あの箱。昔は私もやられましたよ」
「貴女たちは本当に似ているわ。あの時の貴女もあんな感じだったわね」
「よして下さいよ。あの頃の私は本当に弱くて……それこそ何の役にも立たなかった。橙の方が凄いですよ」
「謙遜? 貴女らしくもない」
「事実ですよ。あいつはもっと強くなる。私よりも……ひょっとしたら貴女よりも……」
「楽しみねぇ」
「ええ、本当に」
 眠る橙を思い浮かべ、藍の顔に笑みが浮かぶ。
 そんな藍の横顔を眺めながら、紫もまた微笑みを浮かべた。
 藍の杯に紫が酒を注ぐ。恐縮しながらその杯を受けた藍は、ご返杯とばかりに紫の杯へと注ぐ。
 そんな事を幾度も繰り返し、夜が更けていく。真円を描く月は、西の空に白々と輝いて――
「さて……そろそろ戻りましょうか?」
「そうね。眠くなってきたし……あ、貴女は先に戻っていなさい。あと一献だけ飲んでいくわ」
「おっと、付き合いましょうか?」
「野暮ねぇ。やっと会えた真実の月よ? 一杯くらい二人っきりで酌み交わしたいわ」
「そうですか。では先に」
 藍が屋根から飛び降りて、紫は屋根の上に一人取り残される。
 夜風が金の髪を優しく撫でるのを気持ち良さそうに受け止めると、スキマを開いて金の箱を取り出した。
 それは橙が守り抜いた金の箱。八雲が守る大切な宝物。月明かりを受け、金箔が燐光のような淡い光を放っている。
 蓋を開けて中を覗きこむ。金の髪と金の瞳がその箱の中で、ゆらゆらと揺らめいていた。
「よっと」
 箱の中に右手を入れ、箱の隅を指先で押すと底面がくるりと回る。
 そのまま箱を傾けると、小さな蒼い珠がころころと転がり出た。
 海のように深く、空のように澄んだ蒼。
 金の箱を脇に置き、右手に乗せた蒼い珠にふぅっと息を吹きかけると、珠はふわりと宙に浮く。
 紫は月を背にして浮かぶ青い珠を眺めながら、手にした杯に最後の酒を注いだ。
「真実の月に乾杯、そして……」
 とても美しい蒼い珠。巨大な月を背負い、それでもなお翳る事なく。
 ゆっくりと回転し、表面に浮いた大地と棚引く雲もまたゆったりと。

「この蒼い星に――乾杯」

 宙に浮かぶ白い月と、くるくると回る蒼い星に杯を傾ける。
 きらきらと輝く透明な雫、酔ったように赤く染まる月、嬉しそうに踊る蒼い星。
 雲一つない夜空から、時ならぬ柔らかな雨が降る。

 その雨は少しだけ――大吟醸の味がした。



      


                                  
                 《終》

 









ED流用部分を含め、描写等加筆修正致しました。

まずは私の迂闊さにより、多くの方に不快な想いをさせてしまった事にお詫びを申し上げます。
ルール違反したのは私なので、失格及び削除に関しては主催者様に委ねます。

また頂いたコメントに返信したかったのですが、浮かれたコメントになりそうだったので自粛させて頂きます。
それでも指摘頂いた部分については真摯に受け止め、今後の糧にさせて頂きます。
面白かった、そう言って下さった方に無上の感謝を。その言葉だけで生きていけます。

これ程長い物語を読んで下さった方々に、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
床間たろひ
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2006/10/27 14:30:13
更新日時:
2006/11/26 01:13:23
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5.00
1. 6 近藤 ■2006/10/29 01:03:47
勿体ないなぁ、勿体ない。
原作エンドを持ち出してしまった事、それがこの話の最大の敗因かと。
だって藍が人間味溢れ出てますもの。

ここぞという所で誤字があったり、細かく突っ込めば色々と言いたい事も出てくるのですが、全体としては十分だと思います。
ただまぁ、うん。それは禁則事項だ。
2. 4 箱根細工 ■2006/10/29 14:48:56
描写に冗長感を多々覚えました。
3. 8 爪影 ■2006/10/30 16:32:22
 まさに大作、ご馳走様です。
4. 7 らくがん屋 ■2006/10/30 17:25:25
テーマ処理の道具としてただ単に箱を使うのではなく、鏡と二重底の仕掛けを組み込んでいるのが好印象。
欠点は、……冗長なのがなあ。長さ故輝くものがあれば、長さ故鈍るものもあり。長い割にはグイグイと引っ張ってくれるものが無く、いささか退屈な面があった。
5. 10 椒良徳 ■2006/11/03 12:09:56
いや、本当に凄い作品です。
鳥肌が立ちました。
6. 10 Fimeria ■2006/11/04 19:02:37
永夜を駆けた黒猫の物語、堪能させていただきました。
橙が出来たのは主の道を開くことだけでしたが、それが式本来の役割。
その意味で、橙はようやく式として誇れるものを得たのでしょうかね。
それにしても、落ちの箱にはやられましたね、こういうラストは好きなんです。
描写も背景を描くに充分なもので入り込むことが出来ました。
若干、一段落の中で視点が変わってしまう所でテンポが巧くいかなく感じ、残念に思います。
しかし、それを補い余るほどに良い物語でした。
7. 7 反魂 ■2006/11/04 22:56:35

装飾過剰です。心理描写につけ戦闘描写につけ、語や言い方を変えて同じような内容を二度三度と描写するパターンが非常に目立ちます。読んだ者としては正直、くどいと言う他ありません。前半の橙のパートは特に、似たような自己呵責表現が繰り返されすぎて、入り込んでいた心が逆に離れてしまいました。話自体がここまで綿密に織り上げられている以上は、随所であそこまで語ってもらう必要は無かったように思います。

しかし反面、お話の出来としては文句ありません。お見事です。鏡の下りには、ベタだと思いつつもしてやられました。映る貌、これが八雲の宝……良いですねーっ!(笑)ここまで約半数の作品を読んできましたが、お話は一番面白かったと思えます。

藍と紫の主従については結構多く語られていますが、こういう形で八雲を描いたのは珍しい。そういう作品として大きな価値と印象を残すだけの、素晴らしいお話だったと思います。
大長編ご苦労様でした。

※誤字・誤用
中盤:むべなく言い放つ→にべなく言い放つ
終盤:永琳が破れた事により→永琳が敗れたor永琳の術が破れた事により
8. 8 nn ■2006/11/05 19:51:58
力作でした。点数が伸びなかったのは好き嫌いのせいということで。
9. 9 翔菜 ■2006/11/06 03:45:30
いい八雲一家でしたー。
他の箇所のあらゆる描写も然る事ながら、何より戦闘シーンのスピード感とひしひしと伝わるそれぞれの感情やら意思やら威圧感には圧倒されました、お見事です。
なにぶん、”ごっこ”に終わらぬガチな弾幕での激闘が大好きなのでw
橙のやってきたところとかもう最高でした。あとうどんげとてゐの会話も。
10. 2 つくし ■2006/11/07 17:42:11
まず、作者がキャラクターに感情移入しすぎている気がします。それは悪いことではないんですが、作者はあくまで「語り手」なのですから、少なくとも読者をそれに巻き込む(感情移入させる)ための努力は必要です。少なくとも私はそれを端から眺めることしか出来ず、この長いおはなしを読むのに非常に疲れを感じました。テーマに対してエピソード数が多いこと、メインパートに入るまでの助走が長いこと、また、某ノベルゲームを彷彿とする装飾過多にして端的過ぎる文体が、読者にテンションを下げることを許さないあたりも、スタミナ切れの要因かと思われます。
11. 8 2:23am ■2006/11/09 19:56:42
非常に力を感じました。流れにいっきに引き込まれるような。ただ最初のところが後の流れにあっていないことと、箱というお題の希薄さを感じました。ただそれを入れたら逆に詰まらなくなってしまうのかもしれない。この箱はもう満杯のようですね。いいものを読ませていただきました。
12. 7 ■2006/11/11 03:24:02
ほんのひと滴でいいから、キャラに余裕が欲しかった気がします。文章の熱は非常にいいと思うんですが。
13. フリーレス サカタ ■2006/11/11 05:20:13
最高の作品でした。今回は全ての作品にフリーレスと決めていたので、点数は入れられませんが、私の中では間違いなく1位です。
SSというか、20×20の400字詰め原稿用紙にすると139ページにもなる長編でしたが、疲れることなく読めました。情景描写も丁寧で分かりやすく、弾幕戦も迫力があって読んでて興奮しました。橙・藍の心情も分かりやすく描かれていたと思います。
しかし、こんなにいい作品名だけに、残念な部分もいくつか。まず公式無視の橙の登場。それと非常用漢字が多すぎます。あとやっぱり長いことですかね。
公式無視は、私はかなり気になります。2次創作なんだからいいじゃん、という意見もあるとは思うんですが、やっぱりここは守って欲しいと私は思いました。それと永琳であんなに苦労したら輝夜は勝てるの?とも思いました。どっちが強いとかそういうのはいいんですが、私見では永琳は軍師なので弾幕戦が強いとはあんまり思っていなかったので。ゲームでも輝夜のほうが難しいわけだし…。だから、例えば今回のような話ではなく、完全オリジナルであればよかったなぁ、と思いました。
非常用漢字は、アクセントなんかの意味で使うのはいいのですが、ネットSSなんかは特にコレの乱用が多く感じます。見た目かっこいいとは思うんですが、読めなければここで流れが止まってしまいます。出版物であればルビもふれますが、こういうのでルビをふるとかえってかっこ悪くなるので、出来れば非常用漢字は使わないほうがいいと思います。
長さですが、疲れず読めはしましたが、やっぱり長いなあとも思いました。情景描写が丁寧なのはいいのですが、すこしクドイと感じた部分もあったので、もう少しすっきりは出来たと思いました。
いろいろ偉そうに書いてしまいましたが、最高に面白いと思ったので、気になる部分を上げてみました。
面白かったです。最高でした。次回作も期待してます。
14. 9 匿名 ■2006/11/12 17:40:27
面白かったです!
ちょっと長かったですが。あと漢字が読めないのがありました。読めれば満点でした。
15. 9 たくじ ■2006/11/12 22:22:16
SS読んで初めて泣きました。
これほど長い話にも関わらず、すっかり引き込まれて一気に読めました。
橙の自分の不甲斐なさに対する悔しさ、そして箱を守りつつ主の元へ行くという決断をした強さ、本当に見事に描いているなぁと思います。
自分自身の仕事に関わる悶々とした気持ちと重なったりしてすごく共感しちゃいました。
藍と紫の心情も丁寧に描かれていて良かったです。八雲一家の絆の深さに感動でした。
BUMPネタも、知らない人が置いてきぼりになるような利用の仕方ではなく上手に料理していると思います。
気になったのは読めない漢字がいくつかあったこと。作者さんは作風に合わせて文字を選んでいるのだとは思いますが、読んでいて途中で読めない字があるためにつまづいてしまうのは辛いものがあります。読めないのは私の無知もあるのですが、誰でも読みやすい話というのも評価の基準なので。本当は10点つけたくてたまりません。
16. 8 藤村うー ■2006/11/13 01:57:33
 大作、お疲れ様でした。
 しかしながら、長いです。
 冗長な感じはしなかったのですが、表現の繰り返しが目立ち、ひとつひとつのシーンが膨らんでいます。橙の葛藤など、悶々と考えている状況を示すためにはある程度の容量を割く必要があるのですけど、さすがに苦悩しすぎというところは否めなかったような。
 橙が己の実力不足を感じるところも、八雲家に猫が住み着くくだりだけでなく他にも何かそう感じる要素を詰め込んだ方が、説得力が増したかも。
 全体を通して耳に痛いところも多分にあり、いろいろ感じ入ったところもありました。読み始めたら止まりませんでしたし。
 あと、藍様強すぎ。
 個人的に、永琳の最後の矢は裏拳じゃなくて紙一重で避ける方がすんなり来たかも……裏拳は、橙が来たとはいえどこにそんな力が、とか思いました。でもまあそういうものなのかもしれません。
 最後、ここまでずっと橙橙橙と来たわけですから、ひとつ橙の心理描写か独白かどっちかが欲しかったなあ、と思いました。
 あと宴も長い。
17. 9 名前が無い程度の能力 ■2006/11/15 12:08:36
とても素晴らしい八雲一家を見せていただきました。
18. 10 いむぜん ■2006/11/15 20:44:58
うぎゃーーーーー!!藍様格好よすぎ!!
今回最長クラスの長さを忘れて読める気持ちのいい一作。
全体の流れは読める程度には王道なのですが、それを味方につける格好よさ。
永夜抄エンドを引用したのは、賛否が分かれそうな気もしますが、個人的にこの長さならあってもいいと思う。
八雲一家大好き。
19. 9 ABYSS ■2006/11/16 17:49:57
お見事、としかいえませんね。
私ごときが何か言っても、重箱の隅つつきにしかなりません。
ただ一つだけ。本当に一つだけ。
長いです。本当に、長いです。大幅な+ではあるんですが、やはりちょっと長すぎかもしれないですね。
20. 10 blankii ■2006/11/16 20:56:49
文句なし。
21. 7 しかばね ■2006/11/17 18:15:49
八雲の皆さん、ナイスファミリー。
全力を出し切り、満足のいく形でこの作品をお出しになった姿勢にも敬意を。
堪能させて頂きました。
22. 7 目問 ■2006/11/17 22:03:33
 全力で書かれたであろうことが疑いなく伝わってきました。おかげでこちらも疲れてしまったのはご愛嬌。
 戦闘が死闘に過ぎる割に長引いてるきらいがあり、なのに状況を橙があっさり打破してしまったりというのに、ちょっと違和感が。根拠が示されているとしても、やや薄弱かと。キャラ描写も含め、この辺りは読む人の感覚にそぐうかどうかというところでしょうか。
 箱の中身はある種お約束、それだけにきれいにまとまっていたと思います。
23. 10 おやつ ■2006/11/17 22:16:22
最早言うべき言葉無し。
批評? 感想? うん無理だからw
GJでした。
正に急所を射抜かれた気分ですわ。 
24. 9 as capable as a NAMELESS ■2006/11/17 22:35:48
何と言うか、本当に凄い。震えた。

-1点は、箱に取って付けた感が拭えない点。
25. 9 木村圭 ■2006/11/17 22:53:13
読んでいた当時がよく思い出せません。何を考えることも許されず、ひたすらに引きずり込まれていたような覚えが何となく。読み終えて一つため息をついて、あれやこれや

と思い返している次第です。
自身を誇る証は、鏡に映った傷だらけの自分自身。それはどんなものよりも確かで、何より己が手で掴み取ったもので。
まだまだ芽生えたばかりの、それでも確かな誇り。何にも代えがたい宝ですね。
ところで。いくら紫と藍はいくらでも回復が可能とはいえ、殲滅が目的ではない弾幕合戦とはいえ、……輝夜弱すぎない?
26. 10 K.M ■2006/11/17 23:06:24
圧倒的文量そして構成、描写…もはや言葉もありません。
27. 7 時計屋 ■2006/11/17 23:10:53
素晴らしい力作でした。
東方というよりもう熱血少年漫画みたいな感じになってますが。
最後はかなり問答無用な展開になってたのが残念でした。
28. フリーレス 床間たろひ ■2006/11/20 02:52:34
たくさんのコメントありがとうございますw
現在全員に返信しようとしておりますが、作品の修正(ED使用部分の削除等)に手間取っております。
後日改めて修正版と一緒にコメント返し致しますので、もうしばらくお待ち下さい orz
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