箱の外で辺

作品集: 最新 投稿日時: 2006/10/28 08:59:30 更新日時: 2006/10/30 23:59:30 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 百々乃木賽子(とどのきさいこ)が首都圏での新生活を恙無いものとして確立することに成功したのには、少々、いや多分に尋常でない理由が、とある出来事があった。
 それ無くして今の自分は無かっただろうとまで言い、折に付けその話を持ち出してきたというから、余程衝撃的な出来事に見舞われたのだろうと思える。
 だが彼女は生涯その幸運の詳細について、友人はおろか、親兄弟にさえ一度として語らぬまま世を去った。
 脳は焼却炉で灰と化し、その出来事を閉じ込めた記憶の扉は鍵を掛けられ、永遠に封ぜられることとなった――。

 ――かのように思われたが、それはここで語られる。
 箱は幻想のままに開かれる。
 秘すべきでもない、ちょっとした真夏の怪談として。


 * はたり *


 改札口から吐き出された人の波は揉み合いながらも駅前までは流れの形を成している。
 それが駅の日陰を出でると、火照った夏のアスファルトの上で蒸発して幾筋かの川となり枝分かれて、ちょろちょろと弱弱しく広がるだけになる。
 降客も乗客も恒常的に多い割に、駅施設そのものの規模が小さく、出口もまた南北に一つずつ数えるのみ。
 そういった具合で、事別(ことわかれ)町というのは要するに不便な駅だった。
 百々乃木賽子はこの無人駅を通勤の中継点として利用せざるを得ないということに関して若干の憂鬱を感じている。
 利用客が多いということは、列車の中が混雑するということに他ならない。
 土地の豊かな地方で育った賽子は小さな箱にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれる圧迫感を堪え難く感じる。
 田舎に行けばまだ残っているが、都心では女性専用車輌などという旧時代的な性差別の風習はすっかり廃れている。一昔前と比べれば人口の疎密も解消されてきているとは言え、元が異常だったのだから多少の是正では問題の解決に至らず、時間帯がやや狭まっただけで結局ラッシュによるすし詰め現象は起こっていた。
 賽子はおのぼりであるし畢竟十年前を知るわけも無いから現在も変わらぬように見える。
 行き会いの他人と身体を密着させなければならない、それ自体は、良くは無いが我慢は出来る。
 しかし大量の人間と共に箱詰めされて運ばれるのでは、自分がまるで量産品として扱われているようで厭だった。
 自分だけが特別だからと考えての嫌悪ではなく、誰もが特別なのだから皆本当は厭な筈なのにと思うが故の憂慮である。悪意は無いが、浅薄ではあった。
 それでも会社に行くのに都電を利用しないわけには行かず、その日も賽子は手すりを掴む事に集中して無心を決め込んだ。
 陳列棚に並ぶ大量の自分が頭の中にちらつくのを必死で振り解いているうちに列車は目的地に到着する。駅を出てすぐの交差点に信号待ちの壁を見ると、賽子は繰り返される日常を実感して溜息をぼそりと吐いた。
 不揃いな雑踏の靴音と猥雑な喋り声の群れが入り混じった無味乾燥とした喧騒。
 それが成り立つ社会は悪くない。
 きっと、決して、悪い事ではない筈なのだが。
 賽子はそう思いながら幅の広い十段に満たぬ階段を降り、六段目あたりで光に足を踏み入れた。
 駅と道路の、内と外の、光と闇の境界を跨いだ。
 出し抜けに音が飛んだ。
 視界のどこかで何かが強い光を放った。
 賽子は何もかもを見失う。
 白光に遮られて何も見えない。
 眩しい。左目が痛い。右目が痛い。音も無くなった。
 何だ、何が起こった――。
 賽子は何がなんだか判らぬまでも強く頭を振った。体の方で勝手に危機を察知したものか。
 続けざま、形振り構わずハンドポシェットを手放し、目を覆って屈み込む。
 寸時瞼裏に眼球をじらじらと這い回る血潮が鮮明に見えたかと思うと、すぐ形無き闇に閉ざされた。
 周章しながら賽子は思った。今のは何だったのか。光ったのだ。兎に角何か強い。
 光。
 ――何の光だ。
 錯乱している自分とは別に冷静な自分がいて、それが疑問を浮かべている。
 ――あれはひょっとして、日の光だったのではないか。
 貫かれるような痛みは夏の日の光が目の端に入ったときに良く似ている。だが。
 ――だとしたら。
 賽子は身が竦まんばかりの光に、一瞬で恐怖を抱いていた。
 ――お天道様を怖いと思ったのは初めてだ。
 賽子は気の遠くなるような悠久の西日を好む田舎っぺで人工の光に馴染みが浅い。
 蛍光にせよ常夜にせよ、空から降る日光と比べるとどうも文明くさくて鼻につく。
 歯医者にかかったとき天板からぎらつく蛍光灯に照らされ、居心地が悪いから消して下さいと言ったような娘だった。勿論受け入れられはしなかったから、歯痛と灯の板ばさみを食らった賽子は歯科を含め医者全般が嫌いになった。
 人工灯は、賽子にとって敵のようなものだ。それを浴びて立ち竦んだというのなら理解できる。
 だが、今のは紛れも無く賽子の慣れ親しんだ天の光だった。
 それが賽子を痛めつけた。
 往来の視線など思案する余裕も無い攻撃だった。
 ――そんなことって。
 賽子は驚愕する。己の恐怖の正体が何であるかを知った衝撃に揺さぶられていたのだ。
 唐突に、寂しさと悲しさが賽子を襲った。
 両目はもう痛くなかったが、痛みは肉体から精神へと転移していた。
 今まで自分を護っていた優しいものが、突然掌を返して辛く当たってきた。
 肉親に裏切られたような感じさえ受けた。
 心細さが極まって涙が湧き、瞼裏と眼球の間を埋める。
 収まりきらなかった分が瞼を染み出て両手を濡らした。
 嗚咽こそ漏らさなかったものの、賽子は泣き止もうなどとは考えていなかった。
 何の前触れも無く唐突に悲しみが訪れた時、涙が止まらなくなることはある。誰もがとは言わないが賽子はそういう娘だ。
 こうしていれば、涙が目に刺さった光を洗い流してくれる――。
 そうした妄想を抱いて瞳を開くまいとしていたから、賽子は聴覚が復調し、街の喧騒が耳に戻ってきていることにもなかなか気付かなかった。
 そこに。
「もしもし。大丈夫、じゃないのね?」
 喧しい踏み音に割って入るようにして、賽子の元に声が飛び込んできた。
 声は、混迷の淵にあった賽子をいとも容易く掬い上げた。
 ――救われた。
 賽子は強くそう感じた。
 気付けば、先ほどまで自分を取り囲んでいた寂寥感がさっぱりと立ち消えている。
 そればかりか、街頭を見て感じていたうんざりとした思いまでも解消されていた。
 何が起こったのかは判らない。如何にしてそこから脱したのかも。
 ただ、賽子は救われたのだと感じていた。
「うーん。こんな用で出てきたわけじゃあないのだけれど」
 同じ声がまた聞こえた。最初の一言は賽子を気にかけてのものだったが今度は違う。独白のようだ。
 声は現実感乏しいまでにりぃんと綺麗に響いた。
 音色からして同性のものだろうと思うと、賽子は急に声の主の姿が気になりだした。
 ――目を開けようか。
 精神が救済を受けて間もないから、まだ賽子の両目は閉ざされたままだった。
 もう覆っている必要も無いだろうと、そっと手の力を緩める。
「ああ。まだ駄目よ、外は眩しいんだから」
 賽子の動きを察知してか、声――きっと女性――は叱るように告げる。
 賽子は少し残念に思ったが、救い主にすぐ噛み付くような荒くれと思われたくは無かったので再び瞼に手を添えた。
「まったく。こういう手合いがいるから、おちおち“起きてもいられない”。
 ほら、変なとこに迷い出ても面白いことは無いわ。こっちにお出でなさいな」
 流れるような口調は、今度こそ誰かに向けての言葉だった。賽子ではない。
 誰だ。近くに誰か――いや、誰かはいるだろう。喧騒は続いている。――?
 賽子は気付いた。
 これは喧騒ではない。もっと切実な響きを感じる。
 喚き声だ、大勢の人間の、阿鼻叫喚。
 光――あれは、人工だ。日では――無い。
「光を閉じ込めた箱よ。つまり、爆弾」
 たすけてくれと。
 たすけてくれという言葉にさえならないままの、喚声。
「さぁ、この箱を開けるわよ。そんなとこに閉じこもって昔ばかり見てては駄目。
 分別がある振りをして過去を忘れようとしたのね?
 それでは駄目なの。ただ思い出に鍵を掛けても、タイムマシンの中身は加速度的に気になるのよ。
 箱は開くためにあるの。仕舞うためでも閉じるためでも、況や自分を封印する為のものでも無いわ。
 静かなところはいずれ五月蝿くなる。光の束はやがて闇の円になる。
 この世とあの世の間の扉に鍵は無い。何故だか判る? その扉はね――――私が創ったからよ。おばあさん」
 流れる声が長広舌を捲し立てる。
 何を言っているのか皆目見当がつかない。
 が、静かな声の内に、密かな怒りが篭っていることは賽子にも判った。
「これにて、閉幕」
 “はたり”。
 ささやかな幕の揺らめきが聴こえた。

 賽子は、何だか知らないものが、何だか知らないうちに終わったことを、何だか知らないが悟った。
 日光への恐怖はすっかりと消えていた。
 ――ああ。
 やっぱり、日は怖くない。
 ほっとして、気が緩んで。
 日が見たくなって、賽子は目を開けてしまった。

 そこに。
 黄昏の如き傘と、夜闇のようなドレスと、曙光のような金髪を靡かせた、少女が――。
 
 こちらを見ていた。

「見たわね」

 
 自然の光の混合体のような少女が笑ったのを見た途端、
 賽子は、
 夕日を見たときのように、気が遠くなり。
 
 意識を失った。


 * ほとり *


「紫。そいつは? ああ、食べるとか言わないでね。私も人間なんだから」
「言うわけ無いわ。こんなご馳走。勿体無くて食べれないわよ」
「? まぁ、あんたの言ってることが判らないのは、今に始まったことじゃないわね」
「ふふ。この子はきっと、貴方を見ても気絶するわよ」
「なんでもいいけど、何の用?」
「この子、ちょっと預かってもらえない?」
「へぇ?
「日々の生活に疲れてる現代人なの。田舎で、ゆっくりさせてあげたいわけ」
「その後で食べるんでしょう」
「いやぁ、食べないわよ」
「嘘ばっか」
「本当よ。ここに慣れたら肉が萎びるから、味が落ちるわ」
「ああ、なるほど。じゃ」
「ええ。よろしく。じゃ」

人の箱。社会の箱。外と内。

なんかよくわからないですです。ね。
sokku
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2006/10/28 08:59:30
更新日時:
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1. フリーレス らくがん屋 ■2006/10/28 15:20:49
未完成品にしか見えない。百々乃木賽子の物語はここから始まる――ってな感じですよ、この終わり方は。
未完成品に点を入れるこたァ出来ねェなア、ということでフリーレス。
終わり方が、素直に百々乃木賽子が現代に戻る――だったら点数入れたんですが。
2. 6 床間たろひ ■2006/10/28 17:46:15
うん、よくわからない。
だけど、なんか、すき。

不思議な読後感でしたw
3. 2 VENI ■2006/10/30 01:27:54
うーん、文章はすごいと思うんですが……話がよくわからなかったです。
4. 2 近藤 ■2006/10/31 02:09:14
むぅ、残念ながらウチはこの作品が読めなかったです。
前半から後半への流れ、主題、貴方がこの話を通じて何を言いたかったのか。
読み取れなかったこちらの力量不足でもあるのですが、やっぱり首を捻ってしまうのです。

うーん……難しい。
5. 5 as capable as a NAMELESS ■2006/11/01 14:13:47
よく分からないけど情景が印象的かも。
6. 2 椒良徳 ■2006/11/03 16:45:04
オリキャラを主人公にするとはまた大胆な冒険をしますね。まあ、面白ければオリキャラだろうがなんだろうが良いわけですが……そういうこともなく。ちょっと冒険のしすぎでしょう。
7. フリーレス 反魂 ■2006/11/05 01:48:33
……採点に困る(笑)

自分なりにこの作品は理解出来たつもりですし、その上で「良い作品だった」とは思えるんです。ですがどう考えても東方じゃないし、記憶の箱だから「箱」ってのも、こじつけが過ぎますから困っとります。かといってこの文章技術の巧みさは一見して練達者、ともすれば本職の小説家さえ彷彿させるレベルともなれば、間違いなく楽しめたのも確かな事実でありまして。いや、思えば作品そのものだって見方を変えれば、東方という世界を物凄く端的に表わし活かした作品とも思えるし。ああもう。

ごめんなさい、どうしてもこの作品は採点対象と置くことが出来ません。しかし純日本文学を思わせる流麗さ、アマチュアの作としては久々に酔える文章を堪能させて頂きました。それについては、しっかりここに記させて頂きたく思います。あと田舎に帰りたくなりました。貴方がいれば、この東京砂漠。
8. 2 箱根細工 ■2006/11/07 18:56:25
捻りが足りない。
9. 8 ABYSS ■2006/11/10 14:09:22
むう。こういう作品は大好きなのです。
が。ちーっとばかり判りづらいかな?と。ただまあ、それを考えるのが楽しいわけでもあって、そこらへんが難しい。
箱、がもう少し表にでるようだったらいいかも。かも。
10. 3 爪影 ■2006/11/10 20:43:13
 知らぬが仏、箱は何処にでもあるでしょうに?
11. 2 nn ■2006/11/12 17:53:30
なんかよくわからないですです
12. -3 匿名 ■2006/11/12 18:07:28
百々乃木賽子ってオリジナルキャラクターですか?
話もよくわからなくつまらなかったです。
13. 2 たくじ ■2006/11/12 21:38:48
賽子さんは神隠しに遭ったのかな?
その後が無くて中途半端な感じを受けました。未完成作品を読んでいるような。
14. フリーレス サカタ ■2006/11/12 23:31:26
後書でも書いていますが、まったくよく分からないです。作者がわからないのに読者が分かるわけありません。分からないといった時点でもうだめです。
15. 3 藤村うー ■2006/11/13 02:59:02
 分かりにくい構造であるのはともかく、それが意図的なものか時間切れによるものかは分かりませんでした。読み手に解釈を放り投げるタイプの作品は、本当にちゃんと考えて書いているのか、その時点で疑ってしまうのでそのデメリットが結構大きい気も。
 それ以前にいきなり名前付きのオリキャラが出てきてちょっと読む気が失せました。これもひとつの二次創作の形だろうとは思いますが、名前ありきのキャラだとなんとなく痛々しく感じられてしまうのがやはり勿体なかった気が。
16. 6 いむぜん ■2006/11/15 21:32:17
外の世界。ありがちな逃避物かと思ったがそうでもなかった? 1,2回くらいじゃ分からない。
爆弾、というのが紫の嘘なのか本当にその場で何か起きてしまったのか。
面白い、面白いんだが、どこが面白いかを言葉に出来ない自分がもどかしい。
17. 8 ■2006/11/16 02:16:11
隙間のまったく無い箱はなかなかないものですから、うっかり箱の中と外のつなぎ目を見てしまう中身はそれなりにあるのかもしれませんね。
18. 5 Fimeria ■2006/11/16 16:13:49
紫が人間を助けた……のでしょうか?
巧く解釈出来て居ないような気もしますが、雰囲気を感覚だけ掴むことができました。
真に理解できなかったことが悔やまれますが時間も迫っている為理解した分だけの点数で失礼させていただきます。
19. 7 blankii ■2006/11/16 21:19:54
爆弾と光と阿鼻叫喚、なんて聞くと、昔見た原爆映画を思い出してしまう訳ですが(きっとハズレ)。
20. 3 おやつ ■2006/11/16 23:47:08
コレは……なんだ……
神隠しに遭遇した娘さんが……いかん、ハッピーとかバッドとかじゃ語れんなこういうのはw
21. フリーレス 蒼刻 ■2006/11/17 01:34:43
難しい漢字が多く使われているので、少々読みづらかったです。
物語の方は、結構疑問点が残った形になっているので、何とも言えない複雑な後味でした。
ワケ合って点数は入れられないのですが、自己採点では4でした。
22. 2 翔菜 ■2006/11/17 12:54:39
社会の箱、かぁ……ううむ、確かによくわからない。
23. 5 銀の夢 ■2006/11/17 15:53:19
形の良く整った文体で心地よく読ませていただきました。
現代人が量産品、か。なんとはなしに、心に突き刺さりました。
時には解き放たれないと、箱の中で腐ってしまいますね。
24. 4 2:23am ■2006/11/17 19:40:22
毎日のように田舎と都会を行き来していますが、やはり都会は眩しすぎる。人には生まれ持った箱があるのでしょうか。
25. 3 人比良 ■2006/11/17 20:01:55

賽銭箱の擬人化かと初め疑ってしまいました。 
26. 5 つくし ■2006/11/17 20:13:44
はっきり言ってカケラも理解できないのですが、ハッとするような魅力を感じる文章です。本当の怪談とはこういう、理解できないものをこそ言うのかもしれないなーとか。ただ、理解できないだけにどう評価していいのかも分からないので仮にこのような点数をつけることにします。お許し下さい。
27. 4 K.M ■2006/11/17 20:37:34
こんな事態に遭遇しかつ生きながらえたのならば、確かに掛け値なしの幸運だ。
28. 4 目問 ■2006/11/17 22:40:57
 ピカ?
 なんかよくわからなかったです。ごめんなさい。
29. 5 時計屋 ■2006/11/17 23:35:41
現世と幻想卿の幽かな接点。
普通の人間と、ひたすら不気味で怪しい紫の対比が良かったです。
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