梳られど 切れど擦れど 珠は珠

作品集: 最新 投稿日時: 2007/05/12 08:57:31 更新日時: 2007/05/14 23:57:31 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00
 ありがとうございました、と深々と頭を下げる少女。長髪とは言い難いが、短くもない髪を括った髪留がさらりと揺れる。
 彼女はそんな少女の様子に少し笑うと、ぽんぽんと少女の頭を撫でた。
 少女が頭を上げる。
 滑り降りた彼女の左手を取り、彼女を見上げ、彼女の赤い目を見つめ、そしてもう一度礼を言った。
 彼女は、右手に差したままの紙張りの傘を嬉しそうにくるりと回し、目を細め、笑みを深くし、そして首を振る。
 名残惜しげに手を離すと、少女は駆け去っていった。
 門をくぐる直前に一度振り返って、彼女に大きく手を振るう。
 彼女は手を振り返した。少女の姿がそこに消えるまで。
 永遠亭。
 竹林の中、まるで幻のようにある。
 戦うすべもなく、この迷いの竹林に足を踏み入れるものの目的地はここしかない。
 荘厳と建つ屋敷の前で、彼女、藤原妹紅は、しかし穏やかな表情のまま、先ほどまで振っていた左手を胸に置き微笑んでいた。
 ややあって、彼女の瞳が眩しげに細められる。傘の破れ目からの、かすかな日の光に。
 それを機会にか、彼女はさてと一人ごちた。
 日はまだ高い。そんな中、用もなく出歩くつもりはなかった。
 用は済んだことだし、家に帰って寝るか。
 先ほどの少女を、帰りまで送っていくつもりはなかった。必要ないからだ。
 妹紅の連れてきた客人に、万一何かあればどんな目にあうかなど、文字通り火を見るより明らかだから。そんなことを、永遠亭の連中はいやというほど知っている。
 つまり、永遠亭にとどまる理由などまったくなかった。
 妹紅はしかし、踵は返さずそのまま永遠亭の門をくぐる。
 昼の日中にわざわざ自分の家に帰る理由も、やはりなかったから。

 相も変わらず広い敷地内を、妹紅は悠然と、さながら自分の庭のように歩く。
 時折くるりと日よけの傘を回し、軽く周囲に視線をやる。遠巻きに様子を伺っているイナバ達が見て取れた。
 にっこりと微笑みかけてやると、イナバ達はあわてて身を隠す。
 微笑を苦笑に変えて、彼女は気を取り直した。
 中庭に出る。
 広すぎる中庭をぐるりと囲う廊下には、今は誰もいない。
 しかしそこには、彼女がいた。



 朝。
 障子越しの日の光が、室内を淡く照らし出す。
 そんな白の中、蓬莱山輝夜は一人、目を覚ました。
 彼女の朝は早くもなく、そして遅くもない。
 しかし今日の起床は、常より少々早かった。
 いつもならイナバを呼び、着物の着付けを手伝わせるのだが。
本日はその素振りも見せず、輝夜は枕元のそれを手に取り、そして苦笑する。
寝巻きを脱ぎ捨てると、彼女は一人でそれを着込んだ。

部屋を出る。
廊下にではなく、縁側から中庭へと。
直射日光というにはやわらかい朝の日を浴び、輝夜はひとつ伸びをする。
ふと周りに目をやると、中庭に面した長い廊下を、五羽のイナバ達がころころと転がっていた。
着付けができるイナバのうち、耳がふかふかしているほう……てゐが考案した廊下の掃除法、らしい。
庭には水桶がいくつも並んでおり、イナバ達は汚れた毛皮をそこで順次洗い流し、そして再び廊下を転がるのである。
そんなイナバ達に、彼女はご苦労様、と声をかけた。
彼ら、あるいは彼女らは回転をやめ、嬉しげに鼻をひくひくとさせる。
その様子にふと笑みをこぼすと、輝夜は離れの納屋に足を進めた。
戸を開くと同時に、薬液の臭いがつんと鼻をつく。
先ほどイナバ達が使っていたのと同じ水桶がひとつ、そこに鎮座していた。
中には透明な液体が満たされており、着物が一着泳いでいる。
輝夜は満足そうにうなずくと、腰を入れてそれを持ちあげた。
やや足元をふらつかせつつ、彼女はそれを中庭の井戸の傍らまで運ぶ。
もう一度納屋まで戻ると、今度は空の水桶を二つと簀を一つ抱えあげた。
ふう、とため息をつく。
しかし輝夜は一休みもせず、釣瓶を井戸へと落とすと、水をくみ上げて空の桶へと注ぎ込む。
二つの空桶に水を満たすと、今度は薬液の中から泳いでいたそれを取り上げ、今しがた汲み上げたばかりの井戸水で濯ぐ。ゆっくりと、細やかに。揉むように薬液を抜いていく。
しばらくして取り上げると、もう一つの桶にそれを移す。
濯ぎに使ったほうの水を捨て、もう一度井戸水を汲み上げた。
そして再び濯ぐ。
何度かそれを繰り返すと、今度は乾いた簀の上でそれを折りたたみ、押した。
ぱたぱたと水がこぼれ、小さな水溜りを作っていく。
いったん着物を取り上げ、簀の水を払い、もう一度押す。
押す。押す。押す。
結構な重労働に、輝夜の額に汗の玉が浮いた。
それを拭い、顔を上げる。
イナバ達の姿は、もうなかった。
しかし。
そこには彼女がいた。



藤原妹紅と蓬莱山輝夜。二人の目があう。
交わされる視線に敵意はなく、ただ意外そうに二人はしばし見つめあった。
一足先に我に返ったのは、妹紅のほうだった。
「あら、奇遇ね輝夜」
「……ここまで出向いておいて、奇遇も何もないでしょ」
「まあね」
 苦笑しつつ立ち上がった輝夜に、彼女は返事をしつつ眉をひそめる。
「何よあんたのその格好」
「いいでしょう?」
 ふわりと微笑んで、彼女は見せびらかすようにくるりと一回転した。
 輝夜らしからぬ、飾り気のない藍色一色の着物だった。
「腰の帯、裏返ってるわよ」
「嘘?!」
 感想は言わず、ただ事実を指摘してやると、彼女は咄嗟に背中に手を回した。しかし慌てているのか、一向に直る気配はない。
 妹紅は一つ、ため息をつくと傘を逆さに地面に置いた。そしてそのまま輝夜の背中に回ると、一旦結び目を解いて、ねじれを直す。
「なれないことを、するもんじゃないわね」
「うるさいわね。ありがとう」
 その返答に、彼女は微笑とも苦笑ともつかない笑みを浮かべ、そして傘を差しなおす。
「で、そんな珍しい格好をして、やってることは洗濯ね」
「悪い?」
「悪くはないわよ。ただ意外だっただけで」
「自分のものを自分で手入れするのは、当然のことでしょう」
「一般的には、まあそうなんだろうけど」
「……いちいち突っかかるわね。そういう貴方はいったい何をしに来たのよ。こんな昼の日中」
「昼って言うにはまだ早いけど……」
 天を向く。傘越しの光といえど、眩しいものは眩しかった。
「今日は常連さんの日でね。来るのは決まってるんだし、わざわざ夜の妖怪時間に送る必要もないでしょ」
「ああ、お米の人ね」
「だから私はお礼目的でこんなことしてるんじゃないって言ってるでしょ」
「そうね、お礼じゃなかったわね、目的は」
 含みある彼女の言葉に、妹紅はひくりと頬をひくつかせ、のどの奥でうなる。
 両者ともに、どこか剣呑な気配を発しつつ睨み合い。
 両者ともに、同じくして肩の力を抜いた。
「……こんなところでこんなことをしていても仕方ないわね」
「……まあ、そうね」
「ちょうどひと段落着いたところだし、お茶でもいかが? お礼が目的でない竹林警備の人」
 言って輝夜は、簀の上の着物を手に取る。
「そうね。こっちも今日は用事がないし、相伴預かるわ。襤褸の姫君」
 言って妹紅は傘を差したまま、彼女の後に続いた。

「また、破れたのね」
 先ほどまで輝夜が手入れをしていた、今は陰干しされているそれを見て、彼女はそう呟いた。
「よく見ているわね。まあ元々丈夫なものでもなかったから」
 ご馳走様、と箸を置きつつ彼女は答える。
 お茶どころか、二人はともに食事を摂っていた。両者ともに朝から何も口にしていなかったからだ。時刻としては朝食とも昼食とも言い難い。
 改めて、輝夜は妹紅の視線の先に目をやる。
 着物が、干してあった。
 ただの着物ではない。それは継ぎ接ぎだらけの、当て布だらけの、まさに襤褸のような着物だった。
「魔法の森とやらを散歩していたら、枝に引っ掛けてしまってね」
「だからそれを着て外を出歩くなって言ったのに」
 肩口の真新しい繕い跡を見て、妹紅は呆れたように言う。
「だってこちらから出向かないと、誰にも見せられないじゃない」
「見せたいのか。……どうしても見せたいなら、ここに招けばいいじゃないの」
「こんな辺鄙なところにわざわざ来るのなんて、貴方とその連れくらいのものよ」
「でも……博覧会だっけ? をやったときは、たくさん人が来たんでしょ。またそういう催し物でも開いて、その時に着ればいいじゃない」
「だめよ。永遠亭の代表が、これを着て表舞台に立てるわけがないじゃない」
 怒られるわ永淋に、と非常に情けないことを付け足す。
「……なら、あの薬師の手伝いでもしたら? ここの代表じゃなくて、薬師のお手伝いとしてならこの格好でも問題ないでしょ」
「ああ、それはいい考えね」
「まあその場合、あんたの立場は薬師の弟子以下になるわけだけど」
 ぽん、と手を打つ輝夜に、妹紅はさらりと付け加える。
「止めておくわ」
 即座に前言撤回する彼女に、妹紅は声を上げて笑った。



 さて。
 二人の、中庭での邂逅から食事を終えるに至るまでを、現在進行形で観察している影があった。
 てゐである。
 彼女らを観察する彼女をさらに観察する何者かがいたならば、その両膝がかくかくと小刻みに震えていることが見て取れただろう。
 無理もない。彼女の目の前の光景は、ある意味悪夢といっても過言ではなかった。
 妹紅と輝夜、二人の今までの関係を知るものならば、てゐの目に映る彼女らがいかに異様であるかがわかるだろう。
 袖振り合えば一触即発、互いが互いの逆鱗同士。
 先ほど妹紅が輝夜の帯を直すのに背後に回ったときなど、そのまま彼女の首を食いちぎるさまを幻視したほどである。
 今の食後のお茶中の語らいも、いつ熱湯の浴びせあいから始まる阿鼻叫喚の地獄絵図となるか、わかったものではない。
何しろこの二人が本気でぶつかり合おうものなら、迷いの竹林が迷いようのない焼け野原になるのは必至だ。そうなれば永遠亭も無事ではすまない。
住環境的にそれは困るので、いざとなれば妹紅に一方的に幸運を呼んで手っ取り早く終わらせてしまおう。
そんな忠義のかけらもないことを考えていたてゐの後ろ襟が、唐突に引っ張られる。
「ぐえ」
 色気も何もない、まさに苦鳴とでもいう悲鳴は、幸いなことに観察対象たる二人の耳には届かなかったようだ。
 そして二人の姿は、てゐの視界の中でだんだんと遠くなっていく。角を曲がったところで見えなくなった。後ろ襟から手が離される。
 振り向けばそこにいたのは、やはりというべきか鈴仙だった。
 てゐはなんともわざとらしくのど元をさすって見せたが、返ってきたのは呆れの視線と言葉だった。
「詐欺の次は覗き? 地獄に堕ちるわよ」
「覗きだなんて人聞きの悪い。私は永遠亭のためを思って……」
 やれやれとばかりに首を振りつつ言ってくる彼女に、てゐは大仰なしぐさでそんなことを言う。
 そんな彼女を半眼で見つつ、
「覗きのどこがためになるのよ」
「覗きじゃなくって、監視。こんなところで殺し合いが勃発したら、困るでしょ」
「そんなことになったら、貴方にできることなんかないでしょ。それに……」
 そこまで言って、鈴仙は軽く肩をすくめた。
「友人同士のお茶の席で、そんなことが起こるわけないじゃない」
「……友人……」
 いかにも薄ら寒そうに、てゐはうめくように言って一歩身を引く。
「何よその反応は。……さっきのお二人を見て、そう感じないほうがおかしいでしょ」
「それはそうだけど……」
 確かに、何も知らずに先ほどの一場面を見るならば、一場面だけを見るならば、単に仲睦まじい和やかな、お茶の席での語らいといってもいいだろう。
 が。
 あの二人の、今までの関係を鑑みるならば、先の二人を額面通りに見ることなど、とてもできなかった。腹のそこで何某かを企み、隙あらば襲いかかる。そんな策謀と捉えても、何もおかしいことはない。
「ほかにすることが見つかったから、憎みあう必要がなくなったんでしょ」
 てゐの熱弁を、鈴仙は事も無げに切り捨てる。
「……何でそう思うの?」
 伺うように問うてくるてゐに、彼女は答えた。





「あら、奇遇ね妹紅」
「……ここまで出向いておいて、奇遇も何もないでしょ」
 呆れた表情で手を止めて、彼女は顔を上げた。
 面倒くさそうに声の主を見やり、ややあってその表情が奇妙なものになる。
 しいて言うなら、珍獣でも見たような、そんな顔。
「何よあんた、その格好」
「いいでしょう?」
 ふわりと笑んで、輝夜は見せびらかすようにくるりとその場で回ってみせる。
 奇妙な風体だった。
 一言で言うなら、継ぎ接ぎだらけの着物だった。おそらく元は一着の着物だったのだろうが、破れるたびに縫い合わせ、穴が開くたびに布を当てていたのだろう。もはや元からの布がどれなのか、判然としない有様だった。
「……まあ、あんたの服の趣味をとやかく言うつもりはないけど」
 上から下まで視線を往復させ、彼女は言う。
「襤褸着た姫君、ねぇ」
 含みある口調で言い、
「自ら米炊く貴族の娘、ねぇ」
 同じように、輝夜が言う。
「……余計なお世話よ。どうでもいいけど、あんた何しに来たのよ。あんたが出歩くなんて珍しい」
 少し憮然とした様子の妹紅に、彼女は肩をすくめた。
「私は今まで、外出を控えていただけよ。でも、もうその必要もなくなったから」
「……ふうん」
 気のない返事とともに、彼女は輝夜から視線をそらす。そして程よく蒸れた、お釜のふたを開けた。
「食べる?」
「貴方の稼ぎを撥ねるほど、私も落ちぶれていないわ」
 小首を傾げて尋ねてくる妹紅に、彼女は首を振って答える。
「これは私がやりたいことをしたら、相手が勝手に感謝してくれたものであって、労働の対価じゃないわよ」
「じゃあ、いただくわ」
 あっさりと前言を撤回する彼女に、妹紅は肩をこけさせた。
 それでも律儀にご飯をよそう。
 おわんを渡そうとして輝夜を見ると、その視線は一緒に焼いていた魚に向けられていた。
「これは私が釣ったやつだから、あげないわよ」
「そう」
 じゃあ仕方ないわね、と呟き彼女はおわんを受け取った。
「……こうも素直なのも、逆に不気味ね。ほんとにあんた、何しに来たのよ?」
「貴方に逢いに来たの」
 妹紅の言葉に、輝夜は意味ありげに、いたずらっぽく言う。
「それは光栄ね。わざわざ大切な服を傷めてまで」
 わずかに裂けた彼女の袖口を見やる。それにつられて輝夜もそこを見、そして悲しげにため息をついた。
「破れるのがいやなら、こんなところに着てこないで、綺麗にたたんで永遠にしておきなさいよ」
 簡単でしょう、あんたなら。
 解れた袖口を見せ付けるように、彼女は両手を軽く上げる。
「私になら、ね。でも。お父様にも、お母様にも、そんなことはできなかったわ」
 何かに気づいたのか、妹紅は目を見開いた。
「だからいいのよ。破れても、解れても、穴が開いても」
 それでいい。
 それでいいと思う。
 それでいいと、思えるようになった。



 破れたそれを見て、彼女は知った。
 壊れるのだ、永遠でないものは。
 人も、着物も
 思い出も。
 嫌だ。それは嫌だ。それだけは。
 だから彼女は永遠にした。
 着物も、そして思い出も。
 そして彼女は閉じこもる。
 真に、永遠亭が永遠となった瞬間だった。
 月から逃れるために。
なにより、永遠ならざるものたちから、逃れるために。
イナバの名などは覚えない。いずれ壊れるものだから。
壊れぬ永遠の中で、ただ静かに生きてゆく。
それでも耐えられない時は。
懐旧に咽び泣きたい時は。
彼女を恨めばいい。
父から、母から、あの方から。永遠を奪い、あまつさえ永遠に成り上がった不逞の輩を。
恨み辛んで憤怒に燃えて、憎悪のままに殺せばいい。
触れれば散るよな儚い思いを想うが為に、思い出に触れず。
永遠と、延々と、戯れていればいい。
延々と続く永遠のため。
だから月に帰るなどというイナバの言葉を聞き入れなかった。
ゆえに月を隠して。
そして彼女たちは来た。
永遠亭の永遠は、破られた。
壊れる永遠を、永遠と呼べるのだろうか。
それともこれは、自らのこれは、永遠ではなかったのか。
しかし月からの使者はなく、やはり未だに永遠で。
永遠は壊れない。
永遠亭という永遠は、自らの手を離れ、そして幻想郷という名の永遠に。
ただ形を変えてここにある。
永遠は、壊れない。
 ただ、変わるだけ。
 だから着物は消えはしない。思い出は、砕けはしない。
 破れ解れて穴が開いても、縫い繕って布を当てるだけ。
 着物は消えない。ただ変わるだけ。
 それを見て思い出す、思いも。

 だから彼女は外に出る。それを着て。
 破れても、解れても、穴が開いても、その度に変わっていく。
 増えていく。



「いいな」
 妹紅は呟いた。



壊れてしまうと思えるほどに、彼女に思い出はなかった。
もちろんある。楽しかった思い出が、光り輝く思い出が。
でもその輝きはあまりに遠くて、か細くて。闇の帳を照らしきれない。
無限の砂漠を潤しきれない。
世界の果てまでの深淵たる大穴を、塞ぎきれない。
人の身に、永遠は重すぎた。
潰れて終わるを、しかし彼女は拒絶した。
それならば。
闇を照らそう、憤怒の炎で。
砂漠に降らそう、悲哀の雨を。
虚穴を埋めよう、憎悪の澱で。
彼女を恨めばいい。
永遠などというものを作り出した、無知蒙昧たる暗愚の輩を。
恨み辛んで憤怒に燃えて、憎悪のままに殺せばいい。
この身を狙う刺客など、炎にくべる薪でしかない。如雨露の如き雨でしかない。穴に放る、死体でしかない。
 そして、彼女たちが来た。
 火種というには燃えすぎて。雨というより洪水で。生きたその身で虎穴に踊る。
 死なずを聞いた紅白は、驚きもせず、へー、そう、と言い、傍らの胡散臭い日傘を指差した。こいつの小指を土に埋めれば、三日で芽が出るわ、と。それを聞いて、紫の隙間は苦笑して言う。人を妖怪みたいに、と。
 あれだけ笑ったのは、どれくらいぶりのことだっただろうか。
 世界は案外、寛容だった。
 死なずの体、死ねずの体。妖怪のような、この体。
 しかしここは、その程度のことで排斥されるような世界ではなかった。
 あの、節介焼きの半獣のように。
役に立つのか立たぬのか。害をなすのかなさぬのか。
なんとも俗物的な、どうにも即物的な。そんな理由、そんな基準。
人間か否かなど、些細で微細な瑣末事。
綺麗な思い出は、少ないけれど。
集められるだろう、ここでなら。
だから。



「私に聞かせろ、あんたの思い出」
「聞かせてあげるわ、とっくりと」
 今宵の思い出を込めて、破れた袖を縫い合わせよう。
 今宵の思い出は、闇夜を照らす星のように。

 憎しみはもはやない。
 生きていくのに必要はない。
 なくなった。
 そして。
 それがなければ。





「根拠はないけど」
 自信たっぷりに、しかしそんなことを言ってくる彼女に、てゐは盛大に身をこけさせた。
「なに、それ」
「しいて言うなら、さっきのお二人が根拠なんだけど」
「どうしてああなったのかが、知りたいんだけど?」
「さあ、その理由は知らないけれど」
 でも、と鈴仙は続ける。
「理由はどうあれ、経過はどうあれ、今のほうがいいじゃない」
「医者の弟子らしからぬ科白……」
 諦めたように呆れたように、てゐはふりふり首を振る。
 ごまかすように、彼女は頭を掻いた。
 その仕草に、笑み交じりのため息をつく。
「賛成だけど」
 同じように鈴仙も笑い、
「幸せになれるよ、きっと。姫も妹紅さんも、てゐも私も」
「私もね」
 驚き振り返る二人。
 彼女の言葉を継いだのは、いつの間にか彼女らの背後に佇んでいた、
「師匠」
「お師匠様」
 八意永淋その人だった。
「処方は終わったんですか、師匠」
「ええ。てゐ、イナバを二人手配しておいて頂戴」
 わかりました、と素直に彼女は頭を垂れる。
 そのまま走り去っていくてゐの背を眺めながら、
「いつか」
 彼女は呟いた。
「いつか、こんな日が来るんじゃないかって、思ってた」
「こんな日が来ればいいと思ってた、ではなくてですか?」
「いつか来るとは、思っていたわ。姫に並んで立てるのは、彼女だけだから」
 月の頭脳は、ただ同じ場所にいられているだけ。彼女の後ろで跪くだけ。
 博麗の巫女や、隙間の怪すら対等ではない。同じ場所に、あることすらない。嬉みとともに、思い出されるが関の山。
 彼女だけ。彼女だけだ。彼女と同じ場所に立てるのは。立って肩を並べられるのは。
 そして、肩を並べて立てる者たちは。
 立つことができる者たちに、恨み辛みがないならば、憤怒も憎悪もないならば。
 それを、こう呼ぶのではないだろうか。
 親友と。
「それがいつになるかは、わからなかったけれど。貴方たちがいる間にこうなるとは、思っていなかったけれど」
 感慨深げに呟いて、笑みの視線を彼女に流す。
「恨みも怒りも憎しみも、もう必要ない。悲しみも、受け止める。永遠で閉ざす必要は、もうなくなった。よかったわね、ウドンゲ。貴方もなれるわ、姫の思い出に」
「光栄ですね」
 ありがたいような、そうでもないような師の言葉に、鈴仙は苦笑して頷く。
 会話が、止む。ただ風の音だけが、しばし流れた。
 あの二人が、席を同じくしているというのに。
「……静かですね」
「今までがずいぶん騒がしいご関係だったから、その埋め合わせをしているんでしょう」
「……ずいぶん控えめに言うんですね、師匠」
 今までのことを思い返して、感心したように言……

「あっははははははは! 似合わなーっ!」
「うるさいわね! ていうかなんで笑ってるの?! 私の甘酸っぱい思いのかけらがそんなにおかしい?!」
「っだ、だってしおらしすぎっぷー!」
「あああああ言わなきゃよかったー!」

「……」
「……」
「……静かなものよね」
 しみじみ呟いて、永淋は頷く。
「そう……」
 ですね、という言葉の続きは。
 爆音にて、遮られた。

「ちょっ、本気で狙ったわね、あんた!」
「うるさい避けるな! なかったことにしてやる!」
「どっかで聞いたような科白を……ってよく考えたらその枝父様のじゃない! よこしなさいよ!」
「誰が渡すもんですか! 私の光り輝く思い出を!」
「ならあんたの未来を、眩しすぎて前も見れないくらいに照らしてやるわよ! だからよこせ!」
「どう聞いたって不吉の予言じゃない! 去ねー!」

 童心に帰ったかのような浮いた言葉の応酬。そして振動、爆音。
 悟りを開いたような表情で、師弟は顔を見合わせた。
「……最近静かでしたからね。その埋め合わせをしているんでしょうか」
 鈴仙の言葉に、その師は額に手を当てる。
「どっちなんでしょうね」
 弟子の呟きに、永淋はようようと顔を上げた。
「平穏と喧騒、どっちが穴なんでしょうね?」
 鈴仙の気の利いた科白に、彼女は深々とため息をつき、力なく頭を振るう。
「知りたくないわ。……行くわよウドンゲ」
「はい、師匠」
 駆け出す永淋の背にそう返事をして、鈴仙も駆け出した。





 今日も静かに、あるいは騒々しく。
 時は流れていく。

尚も輝く 更に輝く

そんな私の理想系。
しょっく.えす
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最新
投稿日時:
2007/05/12 08:57:31
更新日時:
2007/05/14 23:57:31
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1. 5 A・D・R ■2007/05/13 13:19:14
ゆったりと、淡々と…とてもよい雰囲気だったと思います。
ただ、穴へのつなげ方が少々強引に感じました。
2. 3 だおもん ■2007/05/14 00:08:03
敵同士というのも一種の友情なのでしょうか。
3. 7 反魂 ■2007/05/14 16:29:59
多少段落転換に際して戸惑いがあったのも事実ですが、語りたい主題が常に失われていなかった分読みづらくはありませんでした。深みのある味わいを持つ、重厚なSSだったように思われます。浮ついてないこのコンビのSSは大変美味でございます。
物語の評価として6点ですが、物語のテーマに御題を上手く取り込んだその巧みさに1点追加で、7点評価と致します。
良い物語をどうもありがとうございました。
4. 6 shinsokku ■2007/05/14 21:57:38
安心して読めるし、いい雰囲気で好みなのですが、些かテーマと外れて見えたのが気になったり。
自分としては、読んで心地よいのでいいや、という気分です。
仲良し永遠亭。ごろごろする兎を想像すると顔がにまーっとなってしまいますね。
5. 6 爪影 ■2007/05/15 22:49:43
 世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ――シェークスピア。
6. 1 どくしゃ ■2007/05/19 21:56:25
淡々としてて、けど何だか長く感じた。
もう少し削ってくれた方が嬉しかったかも。
7. 7 秦稜乃 ■2007/05/23 15:39:01
綺麗な文体と話に、引き込まれてました。
一言言いたい。ありがとうございます、と。
8. 7 詩所 ■2007/05/24 04:08:36
輝夜が歪んでいない!
しかもいい子。
これは素晴らしい永遠亭の騒がしい日ですね。
9. 4 人比良 ■2007/05/26 20:59:13
ラストの問いかけが素敵。
10. 7 流砂 ■2007/05/26 21:47:59
穴、というよりも珠。
非常に繊細な作品ではあるものの、だからこそもう少しお題成分が
欲しかったなぁなどと我侭を言ってみるテスト。
突っ込む所が殆ど無いという華麗にして瀟洒な作品でしたわ。
創想話でならば更なる評価が得られたのではないでしょうか。
11. 7 deso ■2007/05/26 23:55:39
面白かったです。文体も好みだし、妹紅と輝夜の会話も良い雰囲気。
永遠亭の廊下をころころ転がるイナバは和むなぁw
と、かなり良い作品なのですが、それだけに「淋」が惜しい。
名前はWikiからコピペするなり辞書に登録するなりして、間違わないようにしましょう。
もったいないです。本当。
12. 9 風見鶏 ■2007/05/27 03:21:07
10点あげたいとこでしたが……
人物名ですむところは彼女を使わなくても良かったかなそのほうが「彼女」というワードが引き立つ気がしました。あと改行はほどほどに。でもお話としては純粋に楽しめました。
13. 7 blankii ■2007/05/27 11:07:21
なんとなく俯瞰してみて分かった気にはなったけれども、実際はいやはや。というのも文章自体がまるで珠のよう、部分だけ取り出してみてもつるりと滑る、そんな印象です。綻びていく永遠の感覚がとても面白かったです。
14. 6 椒良徳 ■2007/05/27 19:47:18
「昼の日中に」は「馬から落馬」みたいな冗長表現だと思います。いや、あかんわけではないですが。
「五羽のイナバ達がころころと転がっていた」とはこれはまた可愛らしい掃除法をお考えになりましたな。レイプしたくなる。
 さて、内容に関してですが、豊富な語彙と綺麗な文章(私にとっては読みづらいのですが)で丁寧に仕上げられた良作だと思います。しかし、感動の大作には文章量も構成も力及んでいません。ちょっと良い話で終わってしまっています。文章力は相当おありだと思いますので、次はもう少し貪欲に点数をとろうとしても良いのではないでしょうか。感動の超大作だとか、背すじも凍るホラーだとか、手に汗握るバトルだとか、とろけるように甘い百合だとか。いや、私が読みたいってだけなんですが。新作に期待しております。
15. 3 木村圭 ■2007/05/27 23:33:42
人工物めいた完璧な珠も綺麗ですが、削り削られちょっとだけ歪な珠もまた綺麗なもの。ほんの僅かな傷に時を越え、未だ滑らかな面に未来を馳せる。うん、素敵。
16. 8 らくがん屋 ■2007/05/29 10:57:31
自分の理想系に近いものを他人に見せられた時、しかもそれが素晴らしい文章だった場合、感服しましたと溜め息吐くほかないんじゃないかなァ。だから素直に、私はこの作品を愛せます、とだけ。
17. 9 ■2007/05/30 00:52:43
親友ならばこそ、遠慮のないどつき合いの回数も増えるものです。
というわけで、鈴仙もてゐも用心を怠ってはならないかとw
18. 6 鼠@石景山 ■2007/05/30 00:54:18
ああ、この永遠亭はちょっといい。始終殺しあっている訳では無いと思いたい。
ちょっと人間味のある輝夜が見られて良かったです。
19. 6 いむぜん ■2007/05/30 02:25:46
空虚な永遠人のたまにあるこんな日。顔を合わせれば殺す死ねってのはさすがに千年は続くまい。
でも段落の頭の処理が画一でないのは何故?
20. 6 リコーダー ■2007/05/30 16:16:11
良いもこてる。
21. 9 眼帯因幡 ■2007/05/30 17:33:28
気になったのが、輝夜と妹紅が顔を合わせた場面です。
>苦笑しつつ立ち上がった輝夜に、彼女は返事をしつつ眉をひそめる。
 ふわりと微笑んで、彼女は見せびらかすようにくるりと一回転した。
最初に妹紅を彼女と書いて、次の文で輝夜を彼女と書くと、少し混乱するかもしれません。
同姓の人物が二人以上出てくるときに「彼」や「彼女」を使う場合、視点となる人物を名前で、相手を彼女と書くのが良いかも(?

さて、未熟者が偉そうなことを言いましたが。この作品は素直に楽しいと感じました。
まさに理想的な、妹紅と輝夜の未来です。最後にコメディを感じさせるのも彼女たちらしくて素敵。素晴らしいです。
良い物語をありがとうございました。お疲れ様です。
22. 5 K.M ■2007/05/30 18:55:00
同族嫌悪という言葉はあれど、似たものは仲良くなったりもするわけで…
しかし「永淋」が気になってしまいました。
23. 6 二俣 ■2007/05/30 20:04:45
何気なくて、だけど台詞はなかなか重い。
高い文章力が上手く生かされているのが好感触です。
24. 5 たくじ ■2007/05/30 22:27:32
永夜抄以降憎しみがなくなったという設定が受け入れられませんでした。感性の違いということで。
25. 5 藤村る ■2007/05/30 23:29:37
 文章の回し方が独特でテンポもよく、ちょっとしつこいところもありましたがかなり楽しめました。
 妹紅と輝夜を対比する文章も素敵でした。
 話としては、対比に終始してあまりこれといった展開はなかったのですが。
26. フリーレス 時計屋 ■2007/05/30 23:59:14
すいません、何故かこの作品だけ読んでませんでした。
あとで感想書きます……。
点数はご容赦を……。
27. フリーレス 時計屋 ■2007/06/01 00:16:08
評価期間に間に合わず申し訳ありませんでした。
遅ればせながら感想を。

妹紅と輝夜といえば、互いに憎みあうことで生きていることを実感する、
って話が多いですが、こういう和やかな雰囲気もいいですね。
なんとなく癒される話でした。

ただ、お題の絡みが薄かったのが残念でした。
ちなみに評価期間内なら5点をつけました。
重ね重ねすいませんでした。
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