くるくる歯車

作品集: 最新 投稿日時: 2008/02/11 08:57:10 更新日時: 2008/03/08 20:50:09 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00
 
 
 夕暮れ染める一室で、目の前の老人――眠る父の手をそっと両の手で握る。
 病に伏せる身体は往年の強さを失い、精緻を刻ませてきた魔法の手も、張りを忘れ皺に溺れ。
 その老いと病の進行に瞼を閉じて、在りし日に浸ってしまう自分の弱さ。

 思えば、いつも部屋に篭っているか、あるいはどこかへ出かけてばかりの父だった。
 どこへ出かけたのと問えば、父は毎度「秘密。大きくなったら教えてやるよ」と答えてはぐらかした。
 時が経つにつれ、僕は秘密を問う事すらなくなり、そのうちに父はこうなってしまった。
「ねえお父さん、いつかの秘密を教えてくれませんか?」
 今頃に思い出しても遅いというのは解っているのだが、それでもと言葉は漏れた。

 かあかあ、とどこかで鴉が歌っていた。
 外を見れば、緋色の中を一羽、木の葉のように飛んでいた。

 ――両の手を握り返す力に気づく。

 寝ていたはずの父の両目はこちらを見つめていて、
「やっと訊いたか。まったく、お前が十六になったら話そうと思っていたんだぞ?」
 にかりっと子供のように笑って、
「それなのに、お前と来たら訊かなくなるし。俺は墓まで持っていくかと覚悟してしまったじゃねえか」
 楽しそうに、楽しそうに、
「まあいい、これで俺も思い残す事なく逝けらあ。いいか、ちゃんと一字一句逃さず訊けよ?」
 どこか遠い目で、
「俺が今のお前と同じ二十二頃の話だ。そこから訊かなくちゃわかんねえからな、おい」
 とつとつと、語り始めた。

 /*/

 ただただ、良い物を作りたかった。
 その為には、より質の良い金属が必要だった。
 だが、なかなか自分のような時計職人にはそんなのは手に入らなかった。
 独立して間もない駆け出しであり、金もろくにない。当たり前の話だ。
 それに幻想郷では、自分の作るような時計などは需要がないみたいだ。
 時間に縛られず、あるがままに生きる人々ばかりなので、それはしょうがない。
 覚悟もしていた。

 いくつかの正攻法を試して玉砕し、仕方がないので危険な賭けに出る事にした。
 本当なら、その選択肢は選びたくなかったが、そうしなければいけなかった。

 人から譲り受けたりする事が出来なければ、妖怪に頼む。それが賭けの中身だ。
 無謀だと他の者は言うだろうが、こうでもしなければよりよい物は得られまい。
 虎穴に入らずんば、虎児を得ず。そんな格言もある。
 安全な道が消えてなくなったのなら、あとはもう残る危険な道を行くだけだとも言うが。

 簡単に遺書を書いた。
 行き先は、妖怪住まう山。
 生きて帰れるかは解らない。

 /*/

 決心した翌日。日の早い内に、家を出る。
 時刻は五時二十分。着くのにはだいたい二時間ほどだろう。

 自作の懐中時計は時刻を測る他に、方位を知る事が出来る。
 それを頼りにしつつ、幻想郷縁起で河童の住処とされている山への道を行く。
 耳に聞こえる鳥の羽音に妖怪かと怯えつつも、ゆっくりと目的の場所へ。

 さわさわと川が流れる音を聞いて、時刻を確認するとだいたい予定した通りだった。
 あまり大きくはないが、澄んだ水面が印象的な川である。
 おそらく、この上流付近にでもいるのではないだろうかと考え、歩く。
「おあっ!」
 うっかりと石に躓いてしまった。幸い、怪我はない。
 だが、
「げ、時計が」
 どうも強くぶつけてしまったらしく、ぴくりとも動かないようになってしまった。
 まいった。夕刻になりかけたら、帰ろうと目論んでいたのだが。
 これでは、ぎりぎりまで粘る事も出来ない。適当にあてずっぽうか日の昇り下がりを見極めて帰るしかない。
「面倒だ……やれやれ」
 誰にともなくぼやき、また川原を歩く。

 水の音が変わり、少し日が高くなった。遠くを見れば、谷が見えてきた。
 なんとはなしに時計を見ても、やはり動いてはいない。
「うーん、河童はやはりそう簡単に見つからないか」
 もっと上流にいるのだろうか。仕方がない。
 とりあえず、一息入れる事にした。
 適当な岩に腰を下ろし、竹筒を取り出す。
 水分を補給し、溜息をつく。
 瞼を下ろせば、ごおぅと流れる川音が一際大きく。
 遠くから聞こえる、鴉の鳴き声。
 ぽちゃんと何かの跳ねる音。
 水鳥だろうか、と瞼を持ち上げる。

 すると、そこに河童が居た。
 青い髪を二つにくくり、全身を……なんというかとても奇怪な格好で固めていた。

「このまま先を行くのはお勧めしないよ。引き返しなさい」
 それだけ言ってくるりと背を向け、去ろうとする。
「いやちょっと待ってくれ。あんたに頼みがあってきたんだ!
 河童は顔だけを振り返り、きょとんとした表情をする。
「人間が? 私に?」
「ああ、正確にはあんたじゃなくて、河童なら誰でも良かったんだが」
「ふうん、変わった人間。で、何の用なの?」
「ああ、俺は時計を作っているんだ」
「……へえ。少し興味が沸いた」
「けれど良質の材料がなかなか手に入らない。だから河童に材料を分けてもらえないかと頼みに来た」
「ほうほう。そりゃまた。それは良いんだけど、何か見返りとかあるの?」
「あ、いや、それは聞いてからにしようと思っていた。何が良いのかは解らなかったから」
 会えるかも解らなかったから、当たって砕けろという姿勢だ。ちょっと軽率すぎた。
「うーん。尻子玉とかは別にいらないしなあ……」
 怖い事を呟く。正直、それは恐ろしい。
 時計に触れて、動揺しないようにと落ち着かせる。
 ああ、これも一応見せておこう。
「これは壊れてしまったんだが、こういう時計とかはどうだろう。河童から見るとおもちゃにしか見えないかもしれないが」 
「――どれ」
 俺の手から時計を引ったくり、瞬きする一瞬で、河童は分解し始めていた。
 その作業の淀みのなさ、速さに俺は驚く。
 かちゃりかちゃり、音がして、がちゃりがちゃり、音がして。
「ほい」
 時計を手渡される。見れば、針が綺麗に動いていた。
「なかなかの作りだった。点数をつけるなら四十点ぐらい」
「……ちょっとショックなんですが」
「そう? 河童基準で見たらだよ。人間にしてなら、八十点ぐらい」
 褒めの言葉が嬉しい。そして俺はその台詞を聞いて、思いついた。
「ま、材料はそうだねえ、分けても良いよ。条件は、これよりもっと凄い時計を作るでどう? 私が楽しめるぐらいの機構とか仕込んでさ」
「いえ、すいませんが材料の件はなかった事にしてください」
「え? なんかさっきと言ってる事が違うよ?」
「心変わりしました」
「そっか、そりゃ残念」
 俺はある一つの言葉を紡ぐ。
「お願いします。貴方の弟子にしてください」

「はい?」

 /*/

「いや、え、え? どうしてまた急に」
「貴方の腕前を見て、自身の未熟を思い知りました。だから、貴方から技術を学びたい――もっと物作りが上手くなりたい」
「私は妖怪なんだけど……。本当変わった人間だなあ」
「自分より技術があるなら、人間だろうと妖怪だろうと関係ない。我が侭なのは解っています。でも、それでもお願いします」
「困ったな、それは。解らないでもないから困る」
 心底、呆れたように頬をかきながら河童は言う。
「お願いします」
 沈黙。
「――じゃあ、一年だけ。その期間だけはみっちりと教えてあげよう」
「!」
「ただし、絶対に私の言う事を良く聞いて励む事。あとは……」
「なんなりと」
「あ、畑持ってる?」
「え、はい。持っています」
「じゃ、キュウリ作って貢ぐ事だね。それが月謝」
「は、はい!」
「そいじゃ、自己紹介。私は私は河城にとり。通称、谷カッパのにとり。あ、一応、師匠って呼んでね」
「あ、えと高野与一です。よろしくお願いします師匠!」

 /*/

 こうして、俺は当初の目的を大幅に変更して河城にとり師匠に弟子入りする事となった。

「腕時計? それはなんですか師匠」
「つまり、懐中時計ではいちいち確認するのに面倒だろ。だからこう手首に巻けるようにしてだね」
「なるほど、それは確かに便利ですね」
「あと腕時計ならではの動力機構の作り方もある。言うから、ちゃんと覚えてね」

「そういえば、与一はどうして時計を作るんだい」
「内部構造とか考えるの好きなんですよ」
「君らしいね。それは」
「ああ、物を作る理由もありますよ」
「へえ」
「俺は妻とか子供とか大事な人が出来たら、そういう人に贈りたいんです。自分の作ったものを」
「……」
「そしたら自分がいなくなっても、それがあれば何かしらの拍子で思い出してくれるでしょう。だからです」
「……君らしいね」

 一年の間に、俺の知らない技術思考発想を叩き込まれ習得し習熟し、腕を磨き続けた。

 あっという間に、一年が過ぎ、にとり師匠から免許皆伝を伝えられた。
 個人的にはもっと習いたい事もあった。けれど、師匠は「あんまり長々といるものじゃないよ」とだけ言って笑った。

「本当に、私に誇れるほど良い物が出来たら見せにおいで。それまではもう来ない事」
「厳しいですね」
「ん? 師匠の言う事にはなんだっけ?」
「絶対服従ですよね、解ってますよ……」

 /*/

 そうして、里で生きる為に畑仕事をしつつ、こつこつと時計を作り続ける日々がやってきた。
 暇があれば材料を探し、夜を徹して作り、人に頼まれれば修理し、ごくごくたまに売れてと、苦しいが楽しい日々だった。

 どうしようもなく寂しい日々でもあった。
 けれども、それが自立というもの。師匠に寄りかかっては職人足り得ない。
 そう納得して、思うがままに作り、考え、作り、考え、作り……。

 /*/

 幾年か経ち。
 幻想郷の人間にもそれなりの値段で時計が売れるようになった。
 色んな機能を兼ね備えた上に刻みの狂わぬ時計ならば買っても良いかなと、人々が思ってくれたのかもしれない。
 徐々に畑仕事と時計作りの比率が変わり、その間に俺は結婚し、子も生まれた。
 時折、幻想郷縁起で見た事のある有名な妖怪がとても手の掛かった自慢の時計を大金で買ってくれたりして、生活も安定していった。
 息子や妻を少しほったらかしにしつつ、新たなモチーフを捜しに出かけ、時計作りの日々に没頭する毎日。
 その日々、一日たりとも、師匠への感謝を忘れた事はなかった。

 やがて息子も成長し働き始め、生活の為の時計作りもゆっくりと速度を落とし、妻との時間を増やした。
 また何年か経ち、妻が病に臥せった。
 布団に横たわりながら、俺が作った腕時計を指の腹で撫でつつ「冥土まで持っていけないものかしら」と笑っていた。
 順番が逆じゃないだろうかと気落ちしながら、俺は答えた。
 本当なら俺が先に亡くなってよ、それでお前がたまに腕時計を見てよ、思い出したりよ……と情けなく。
 すると妻は「ごめんなさいね。でも、私達の子が受け継いでくれるわ」とまた笑う「それで充分じゃない?」。
 そして「ああ、貴方のお師匠様に作るのはいかがかしら。それなら、たまには思い出してくれると思うわ」とも続けた。
 なるほどと納得するとともに、今更ながら師匠へのお礼を果たしていない事にも気づいた。
「じゃあ、貴方の最高傑作を贈ればいい。貴方の今までの成長を見せ付けてやりなさい」
「……お前、好い女だよ」
「馬鹿ねえ、今頃気づくの?」
「ははっ、面目ねえ」
「罰として、あっちに来たらあたしとまた夫婦になりなさいよ?」
 本当、好い女すぎて俺にはもったいない。
「お前に釣り合うぐらいに頑張ってから、行くさ。ちゃんと、師匠に一泡吹かせてな」

 妻が亡くなったのち、俺は師匠への感謝の気持ちを込めて腕時計を作り始めた。
 俺が機械時計の職人として一人前になる機会を与えてくれたんだ。無様なものは出せねえ。
 成長した証を、師匠から学んだ事を、俺がどれだけ理解し、発展させられたかを見せなくては。

 いつまでも正確に時を刻むのは前提も大前提。
 師匠の生活を考えると防水は必須。それにあちらこちら忙しそうに飛び回ったりもするから衝撃にも強く。
 それに人間より寿命の長い妖怪であるのを考える。元々の素材からして厳選しなくては、長年持ちっこない。
 小型化もする。腕時計は軽ければ軽いほど負担が少ない。便利な機能をいくつかつけておこう。
 補正する必要のない永久暦、仕掛けを押せば鐘の音色で時刻を知らせる機能、月齢表示、限界まで詰め込みつつも、意匠は雅に。
 問題として動力面に不安が残る。ぜんまい仕掛けだけでは消耗が激しい上に、精度まで下がる。
 しかし、弟子入りした頃の俺ならばともかく、今の俺にはそれを乗り越えられる技術と道具がある。
 ある妖怪から代金代わりに受け取った――霊力や妖力に反応し振動する水晶、これを組み込めば問題ない。

 こうしてようやくだが、一応の青写真が引けた。
 
 /*/

 ざっと八年、一つの事だけに打ち込み、ようやく時計は完成した。
 だが、その代償と言っていいのかはわからねえが、俺も病に侵されていた。

 /*/

「今までまで全部纏めると、こういう話だ。ま、要約すると俺はとてもお世話になったから恩返しがしてえ」
「……そんな秘密が。知りませんでしたよ、何一つ」
「俺がきちんと食えるようになったのも、師匠が居たからさ」
「良いお話でした。本当、良いお話でした……けど」
「あん?」
「そんな良い話ならもっと前に話してくださいよ! あと、なんでさっき狸寝入りなんてしてたんですか!」
「あ、いやあ、その、お前が凄い辛そうな顔していたのがな」
「それは……すいません」
「面白かったからな。なんだお前みたいなのもそんな顔するのかって。だから薄目で見てた」
「……」
「おい、痛いぞ。右手にそんなに力込めるなよ、なあ痛いぞ。おい、おいい、痛い痛い! 解った、悪かった!」
「心配する息子をもっと労わるべきですよ、やれやれ」
「すまんすまん。……ああ、それにしても師匠に最後に一度会いたかったな。お礼も……直接渡したかった」
「病気を治せば、すぐ会えますよ」
「いんや、それはどうかな。正直、難しそうだ。なあ?」

『こんばんは、お迎えにあがりました』

「何を言っているんですか」
「そっか、見えねえか。まあいいや」

『お時間十分前となりますが、よろしいでしょうか』

「短けえな。もうちょいくれてもよお……ん、ま、余裕余裕。おい、紙と硯、あと筆を急いで持ってこい」
「! ……解りました」

『何か書き残すんですか? それならもう少しだけ猶予できますよ』
「ありがてえな。感謝するぜ。死神さんよ」
『いえいえ、礼を言われるほどでは。何せ、浄土も今はいっぱいいっぱいですからね。少々なら、遅れても大丈夫です』
「はっは、なんだあ……意外とあっちも、こっちとさして変わらないもんなんだな。おかしくてしょうがねえ」
『人間は大勢居ますからね。自然、そうなります。無限なんてのはありませんから』
「あー、うん、やっぱそうだろうな。あっちでもどっちでも、そりゃ当たり前の話なんだな」
『ええもちろん。おっと、息子さんが来たのでしばらく黙りますね。それではごゆるりと』

「ふむ、どうも握力がついてこねえ。ちと汚くなってしまったな」
「新しい紙を出しましょうか」
「いんや、なんとか読めるからこれで良いさ」

「ふう、やあれやれ。なあ不肖の倅」
「なんだい不肖の親父」
「俺の最後の願いだ。こいつと、俺の最後の作品を師匠に届けてくれ、頼む」
「――いいよ。だけど、最後ってのは気に食わない。もうちょいは生きてもらわないと」
「そうしてえんだが、どうもそりゃ無理だろう……なあ?」
『無理です、ごめんなさい。出来るならそうしてあげたいところなんですが』
「だってよ。おおっと、お前には聞こえないんだっけか」
「……聞こえないし、聞きたくもないよ、お父さん」
「泣くんじゃねえよ。なに、結構美人だし、あと気が利く良い神さんさ。悪くねえぞ、お前もいずれ見れば気に入るさ」
『お褒めいただきまして。あ、もう少し延長しますか?』
「はっは、それにおだてに弱いときている。黄泉路歩くのが楽しみになってきた」
「お父さんっ、お父さんっ!」
「泣くんじゃねえよ……。ちょいとお父さんはあっちに住みにいくだけさ。お前があっちに来たら、また親子で生活だ」
「…………解った」
「先に母さんがいるからな、久しぶりに夫婦水入らずさ。お前が来るまで、せいぜい楽しんでおく」
「……お父さんらしいね。いいよ、仲良くしてればいいよ。でもさ、幽霊の弟や妹は作らないでくれよ?」
「はっは、それは約束できねえな。なん、良いじゃねえかよ、昔は欲しい欲しいって言ってただろ?」
「言ってたかな」
『それではそろそろ』
「ああ。倅、それじゃちょっと逝って来るわ」
「……うん」
『では、ご案内します』

 /*/

 ある河童が川に身を任せて、ぷかぷかと流れていた。
 新たなる創作を発想する上で、それはその河童にとって必要な儀式的なものであり習慣であった。
 そうする事によって、混沌とした思考が身体を浮かす川の流れのように、やがて単一の方向性を持って纏まるのだ。
 遠い昔の彼方より、今流れ進む此方。ずっと繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返してきた。
 いつもならば、その河童にとっては最も効率の良い発想法だった。そう、いつもならば。

「おかしいな、全然さっぱり纏まらない」

 河童は誰にともなく、一人呟いた。さわさわと流れる水音がそれに相槌を打った。

「なんでだろう、虫の知らせが頭を巡っているような……なんかあったっけな」

 呼応するかのように、二つ目の呟きには川辺の石を踏む足音が返ってきた。
 どぽんっ、と音を立てつつ、河童は慌てて水中へ沈みこんだ。
 そして透明な壁越しに不意の来訪者を覗き込んだ。
 やはりと言うべきか、足音から察した通りに若い人間であった。

(なんでまた、こんなところに人間の男が)
 若い男は何かを探しているようにあちらこちらに視線を動かしていた。
(何か持っているな。風呂敷包みを見ると、山の神に供え物でもしにきたのか)
 やがて、男は背伸び一つしてから、近くの岩にゆっくりと腰を下ろした。
(ま、これ以上山奥に入るようだったら追い返すとしよう……それにしても)
 河童はここでようやく男の顔を注視した。
(似ている、似ているが。まさかねえ)
 河童の視線は男をじっくりと品定めするように。
(――!)
 そこで気づいた。男が右手首に巻いている腕時計に。
 その瞬間、河童は無意識のうちに川から飛び出して、男の前に立った。

「うわぁあっ!」
 男が叫び声をあげるが、河童はそれを異に返さずに詰め寄った。
「その腕時計、誰から貰ったか教えてくれる?」
 ぽたぽたと全身から水滴り落ちる河童の問いは、川音よりも静かに、けれど鳥の囀りよりもはっきりと空に溶けた。
「私は河城にとり。貴方、私に用があって来たんじゃないか?」

 /*/

「これは父より頂きました。そしてお察しの通り、貴方に渡すものがあってここまで来ました」
「ああ、やっぱりそうか。親子――そうだよね。うん、とても良く似ているよ、君は」
 私は、目の前の人間に、記憶の中に生きる与一の姿を重ねる。私に弟子入りした頃ぐらいの、懐かしい人間。
「どうぞ。父の、貴方への今までのお礼として組み上げた、最後の作品です」
 彼の息子がそう言って、風呂敷から取り出し私に手渡した桐箱をじっと眺める。
 かぱりと開ければ、
 ――自分がいなくなっても、それがあれば何かしらの拍子で思い出してくれるでしょう。
 とても丁寧な仕事で、繊細な優美さで、凝った意匠の腕時計がそこにあった。
 彼の仕事ぶりをそのまま形にしたような想いの結晶。ああ、伝わるよ。
「『誤差はほとんど出ない予定だ、それと師匠の生活に合わせて防水はもちろん、衝撃への対応もきちんとしてあるから存分に使ってくれ』……だそうです」
 帽子を深く被りなおして、私は素直に頷く。今はちょっと顔を上げるのが辛い。
「ありがとうございます。これで父も喜びます」
「……こちらこそ、本当にありがとう」
 感極まって、それしか返せない自分がとても嫌いになりそうだ。
 でも、頬を伝う涙は嫌いじゃない。私が弟子の手向けに渡せるものはもうこれしかないから。

「それでは、これにて失礼させていただきます」
 私が落ち着くのを見て、彼はそう切り出した。
 ずっと待ってくれていた。その気遣いに感謝したい。
「送っていくよ。弟子の息子に、何かあったら申し訳が立たないからね」
 気遣いに対するお礼には、これだけではならないけれど、そうしたい。
「ありがとうございます。とても助かります」
「なに、いいよ。むしろ行きがてらに色々聞きたい事もあるし」
「あの、こちらもなんですが……その、父の若い頃のお話を聞かせてもらえないでしょうか」

「――うん。喜んで」

 /*/

 話す。話す、話す、話す。
 互いが互いの知らない隙間を埋めていくように、ゆっくりと歩を進ませつつ、交換していく。
 いつか、似たような光景。時を経て、中身は違って、形ばかりが似ているだけだけど。

 悪くない、心地よいやり取りだった。
 いつかと同じように。

 そして村の近くまで来たところでお別れをした。
 一度だけ振り返り、手を振って、私は自分の家路へと。

 一人歩き、一人想う。

 /*/

 人間の記憶は時間によって擦り切れ、その上で語り継がれてさらに痛み、やがて彼が居たという事すらぼろぼろになって忘れられてしまう。
 それはどんな偉大な人でも。だから人間は記憶を文字や絵、像によって記録としなければいけない。
 悲しいよね、そんな君自身なのかすらもはや解らない記録にならなければ忘れられてしまうなんて。
 記憶から記録になった時点で、本当の、生きていて笑っていて歯車を弄っていた君ではなくなってしまうのに。
 あとは君を知らない、他の誰かの語り口で、文字の上だけの存在に成り下がる。

 けれどもね、私は妖怪だからそういう事もないんだ。人間より長い間、生きていられる。
 ああ、それに、それにさ。とても単純な事なんだけど、笑わないでほしい。




 ……あのね?




 この世で君と語らう機会が二度となくとも、この世に君の機械時計は動いているから。この右手でしっかりと鼓動しているから。




 ――私は忘れないよ。
 生涯唯一の、人間の弟子で――親友の君を。
機械を中心の歯車にして、にとりたかった。
しかし、途中からもう一つの歯車が大きくなりすぎた……おおう誤算。

コメントにも書きましたが、お読みいただいてありがとうございます。次回も読んでいただけるように頑張ります。
萩 ほとり
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2008/02/11 08:57:10
更新日時:
2008/03/08 20:50:09
評価:
0/0
POINT:
0
Rate:
5.00
1. 6 妄想する程度の能力 ■2008/02/11 02:37:47
なんて、お値段以上!
良すぎる。
2. 7 名無し ■2008/02/11 13:10:21
オリキャラに違和感が無くて素敵でした
妖怪と人間の暖かいつながりにほろり
3. 5 俄雨 ■2008/02/11 21:05:46
短い話でしたが、巧く纏められていて実に心地が良かったです。
オリキャラも気になりません。親子モノには弱い。弱すぎる。
4. 9 #15 ■2008/02/13 13:43:22
親父さんが格好良過ぎる。
5. 6 小山田 ■2008/02/13 18:50:25
東方のキャラクターの関わりは物語のごく一時でしたが、確かにこれは東方の物語だと感じました。贅沢な望みとなりますが、後はもう少し情緒が感じ取れる間と効果的な構成があれば、と。じっくり味わいたい内容ですので。
6. 5 反魂 ■2008/02/15 22:53:50
 お話の主軸たるべき与一とにとりの交流の描写が、やや手薄かもしれません。
 にとりの心情に移入しきれなかった部分がありました。
 メインの部分にもう一エピソードあれば、という感じです。
7. 1 飛び入り魚 ■2008/02/20 01:59:49
きかいというテーマのスタンダードオブスタンダードに思えました。良くも悪くも。
8. 6 カシス ■2008/02/26 18:33:08
会話の文が多いことがテンポ良く読めるようになっていてとても読みやすい作品でした。
9. 8 名無しの37番 ■2008/02/27 11:20:33
確かにこれはにとりの話よりも与一の話のほうが比重が高いですね。でもそれはそれで良し。
人間と妖怪というテーマは東方SSにおいてはメジャーなもので、そのテーマを奇をてらうことなく、かつ記憶という一面に重きを置くことで、上手くまとめていたと思います。
10. 8 ■2008/02/27 22:30:05
むしろ大きくなりすぎた歯車がいい味出してます。
にとりんは出番は少ないようですが、存在感がありましたし。
時計のイメージが強くて東方っぽい感じが薄れていますが、
にとりにまつわるお話としてはとてもよくまとまっていたと思います。
11. 5 ■2008/02/28 20:45:25
人見知りであって、人嫌いじゃないはず。こんな関係もあっていいだろうと思う。
これはいいにとり。
12. 7 たくじ ■2008/02/28 22:42:43
生きた証を師匠に捧げる。くぅ〜、いい話だ。にとりも親父もいい出会いだったんだねぇ。
サバサバした軽い言葉のやり取りが東方って感じで、そして温かさがにじみ出てて、感動しました。
13. 6 椒良徳 ■2008/02/29 00:06:08
イイ感じの作品ですね。にとりは良いな。
14. 2 時計屋 ■2008/02/29 00:58:32
文章、構成共に今一つな感じがしました。
15. 7 ZID ■2008/02/29 01:43:40
いえいえ、なかなかいいにとりっぷりですよ?  それにしても、オリキャラを中心に添えた作品は良いモノに成り辛いもんですが、実によく出来ていますね。主人公の時計職人といい、チョイ役の死神といい。オリキャラが良い味だしまくり。 うむ、GOOD。
16. 5 とら ■2008/02/29 09:23:12
設定はとてもよかったです。ただ、展開としては少しありがちで、読みながら途中で最後の予想がついてしまいました。
また、にとりの気持ちの推移もわかりにくかった気がします。人間に対する心情の変化をもう少し詳しく書いて欲しかったです。
17. 5 らくがん屋 ■2008/02/29 11:19:37
男の語り口が安定していない気がして、ちょっと引っかかってしまったかなぁ。話は、そう悪くないのだけど。
18. 5 つくし ■2008/02/29 12:30:36
サックリ読める、短編向きの良いお話でしたー。情熱大陸とかプロジェクトX的なアレがなんかこう、いいですね。
19. 3 中沢良一 ■2008/02/29 15:24:01
こういった話大好きです。にとりと職人さんの一年をもっとえがいたら、もっともっと好きになったと思います。
会話文が多いので、情景描写をするとさらにジンと来る話になったんじゃないでしょうか。一つ一つの動作表情が物語を作っていくのだと思いますので。
20. 7 K.M ■2008/02/29 18:34:40
時計職人とにとりの関係が、面白かったです。
人か河童かと言う前に、2人とも共通点を持つエンジニアであった……ということですね。
21. 8 ルドルフとトラ猫 ■2008/02/29 19:06:42
その記憶は刻まれる
22. 6 ☆月柳☆ ■2008/02/29 19:58:03
オリジナルキャラが出ると、どうしても辛口評価になることが多い気がします。
それはオリジナルキャラを出したはいいが、まったくその役割がわからない、意味を成さないものが多いから。
コンペ作品もほとんど読み終わって、ふと考えました。
このコンペでオリジナルキャラを出してる作品は、結構評価高いんじゃなかろうか、と。
そしてこの作品も…。
自分はとても良い作品だと思いました。
23. 5 八重結界 ■2008/02/29 20:56:54
欲を言えば、にとりに弟子入りするシーンのボリュームがもう少しあった方が良かった。
あんなにあっさり弟子入りできてしまうと、さすがに読んでる方も困惑します。そこら辺をふまえて、全体的に急ぎすぎた感がありました。
24. 6 床間たろひ ■2008/02/29 20:59:37
直球だ。だがそれが良い。
オリキャラをメインにして機械を描く。これは安直のようにみえて、実は至難の道。だってオリキャラに魅力がなければ、たちまち読む気が失せるんですもの。そういう意味じゃ、この作品は最後まできちんと描けていたなぁ、と。
ストーリーも見事なまでに王道ですが、王道はいいよね王道は。
まぁ、死神さんに関しては、ちょいと蛇足だったかなと。
それよりも息子との会話によって、男の生き様死に様を書いて欲しかった。
そこがちょいと勿体無かったですねぇ。
25. 9 O−81 ■2008/02/29 21:36:40
 あなたの心の中で生きています、なんていうありふれた言葉でも、きっと嘘じゃないんです。
26. 5 只野 亜峰 ■2008/02/29 21:38:59
ふんわりと落ち着いた雰囲気を味わえました。
27. 5 BYK ■2008/02/29 22:17:44
時計で結ばれた人間と河童の縁。職人は世を去れど、皆幸せそうで読んでるこっちも嬉しくなるものだ。
28. 3 つくね ■2008/02/29 22:18:34
河童は人間の盟友、か。時計という小さな機械に大きな歯車を見ました。
29. 7 綺羅 ■2008/02/29 23:20:30
オリキャラの老人が死の直前に東方キャラと過去の清算……なんだか自分の話と似た空気を感じて、こういう偶然もあるのか!と思ってしまいました。出会いの妙ですね、話としても大変端正でよいと思います。横に文字がぶった切れて見えるのは私の環境が悪いのかしら。
30. 8 冬生まれ ■2008/02/29 23:26:14
今回のコンペの中では割とオーソドックスなお題の解釈や道具立てでも、
生かし方がよくてストレートに面白いと感じました。
31. 7 moki ■2008/02/29 23:28:10
人間との盟友だという、にとり。永遠に時を刻む二人の絆が、時計という要素で綺麗に嵌まってますね。
32. 6 あまぎ ■2008/02/29 23:29:21
素敵なお話でした。
こんなに格好良いにとりは初めてです。
ちょっとだけ失礼なこと言いました。げふげふん。

ああもう、自分もにとりの弟子になりたいなあ。色んな意味で。
他の誰よりも、師弟関係が楽しそうですよね、考えれば考えるほど。
時計職人とのこのつながりは、素晴らしいアイデアだと思いました。
33. 7 おてもと ■2008/02/29 23:32:22
落語として咄家さんからききたい作品。ご馳走様でした。
34. 5 blankii ■2008/02/29 23:55:44
にとりんと機械の相性をまざまざと見せ付けられた気がします。機械が遺品で、しかも時の流れを思わせる時計なんてズルイやと思いつつ、テーマの選定もこんぺの内と羨む私です。なんというか、憶えていて貰えたら嬉しいですよね、たぶん。

35. フリーレス 萩 ほとり ■2008/03/05 19:05:42
お読みいただいた上に過分な評価をいただいた事に感謝。
オリキャラとか出した上に、友人二人からの評価もちょっと厳しかったので、今回は最下位ホームランかなあとビクビクしておりました。

指摘されている点は友人からもあがっていたのですが、今回はちょっと時間に追われていたので修正しきれず。ただただ自分の未熟を恥じるばかりです。
次回ではこうならないように頑張ります。

あとこんぺチャットに次回こそは参加したいなあと。
いつもチキンなのでROM専なんですが……それは勿体ないですしね!
そんな決意とともに〆。
それではまた今度。
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