本当は怖いDHMO

作品集: 最新 投稿日時: 2008/10/04 21:47:09 更新日時: 2008/10/07 12:47:09 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 たっぷりと湿気を孕んだ空気の底に身を沈め、けぶるような雨音に耳を飽かせながら、香霖堂の奥に一人座る僕の指はワルツのリズムを刻んでいた。
 僕のように日光を浴びない商売を選んだ者にとって、今日のような雨は逆に心を踊らせるものであるようだ。
 そもそも僕は半分妖怪なのであり、日に当たらない事に引け目を感じる必要は全くもってない。たとえ他人に引きこもりとバカにされ、外に出ないとビョーキになって死んでしまうんだぜ、などと年齢と種族の差を清々しく無視した説教をぶたれようとも。
 そう、今日のような雨の日は、自称開放感溢れるアウトドア系のあんちくしょうも、日頃の僕ら日陰派と全く同様に、屋根の下で鬱々と一日を過ごしている訳だ。
 ざまあみろ、と言わずにはいられない。
 さらに言うと、商店というのは雨天では売り上げが落ちるもの、というのが一般論だが、香霖堂の場合は一概にそうともいえない。
 例えば、雨降る日に少女が退屈そうに、窓際で軒から落ちる雨粒を数えていたとしよう。彼女はきっとこう思っているはずだ。何か特別な事は起きないかな、と。そしてそれは十中八九、実際に起こる。結局何も起こらないまま物語終了、なんてのは色々な意味で駄目だからだ。どう控え目に見ても、最低でも迷子の妖精さん一匹位は訪ねてくるのが普通である。よって、雨の日は特別な事が起こる日だ、という事実が証明された。
 ちなみに香霖堂において特別な事とは、たとえばまともな客がやってくるという事である。


 さて、そんなヒマ人思考の産物である適当な論法が、今日はどうやら見事にまかり通ってしまったようだ。
 ドンドンドン! と、扉をぶち破らんばかりのノックの音が、まどろみと思索の狭間にあった僕の意識を現実に連れ戻した。
「開いているよ」
 口に出してから、周囲を支配する雨音に思い当たった。こんな小声が屋外まで届くはずないか。扉はなおも乱暴に音を立てている。
 はて、そんなに急ぎならノックなんてしないで入って来ても良さそうなものなのに。
 というか。
 このデリカシーの欠片もないノック音、どうにも一人思い当たる節がある。
 彼女なら、香霖堂に関しては勝手知ったるのはずである。
 思案していると、ようやく扉が開いた。転がり込んで来たのは、確かに想像通りの人物ではあった。
「魔理沙。一体どうしたんだい」
 そう、彼女は人間の魔法使い、霧雨魔理沙。
 時代錯誤はなはだしい、白黒のドレスにとんがり帽子の魔女ルック。そこからこぼれる日本人離れした金髪に、兄妹同然の暮らしで見慣れてしまったその顔立ちも、いつもと変わらぬ魔理沙そのものだ。
 しかし、その様子は尋常ではない。
 まず、天気を考えれば当たり前といえば当たり前だが、彼女はびしょ濡れであった。某所では白黒ネズミなんて渾名を付けられているらしい(そしてそういう渾名を付けたくなる気持ちは僕にも痛いくらい分かる)が、その線でいけば今の彼女は完膚無きまでの濡れ鼠である。
 さらにもって、いつもなら扉を開くと同時に口も開いて軽口の一つでも飛んでこようものだというのに、今の魔理沙はまず扉を閉め、それに寄り掛かって大きく息をついた後、精一杯といった調子で覇気のない一言。
「はは、香霖。ここの扉はいつから引き戸になったんだっけ」
「店が出来た時から引き戸だよ」
 あれだけ扉と格闘した後では、全く冗談になっていない。
「とにかく、まずは身体を拭いた方がいい」
 タオルか何かが要る。しかしそれを探しに店の奥に引っ込もうとした僕に対し、魔理沙は一転顔を上げて引き止めた。
「いや、このままでいい。それより聞いて欲しい事があるんだ」
「急ぎの用なのは見れば分かるね。しかし、いったん落ち着いてから系統立てて話した方が、かえって話を伝えやすい、という考え方もあるよ」
 意図して柔らかい口調を作ったつもりだったのだが、それに付き合う時間も惜しいというふうで、魔理沙は先を急いだ。
「今すぐここから逃げよう、香霖。この辺りはじき化学物質にやられる」
 どこか遠くに雷が落ちる音が、切迫したその声に被さった。


「やっぱり、もう少し系統立てて話して欲しいな」
 実際のところ、そうとしか答えようがなかった。
 魔理沙の口からカガクブッシツなんて堅苦しい言葉が出てくるのがまずおかしい。化学などというのは外の人間の旗印みたいなものである。従ってまた、化学物質なんてモノにきりきり舞いさせられるのも、外の人間の専売特許であるはずだ。
「説明に一貫性を期すなら、それが一体どこで入手した情報なのかを、話の導入として最初に持ってくるべきだと思う」
 そうだな、と言って、魔理沙は一度大きく深呼吸をした。
 魔理沙だって馬鹿ではないし、付き合って浅い仲でもない。この僕を早急に動かすために必要なのが、何よりも理論とその明快な説明であるということを、もちろん熟知しているのだ。
「出所は、紫だ。私が部屋にいたところに突然スキマから出て来て、『今、香霖堂がとある化学物質に浸食されつつあるのよ』って、薮から棒に言うんだ」
「彼女か。その時点で疑って掛かるべきなんじゃないのか?」
「いや、あいつは唐突な事や良からぬ事は言うけど、基本的に嘘は言わない。私だって最初は呆気に取られたさ。そんな物質知らない、としか返しようが無かった。そしたら、あいつはさも世間話をするみたいな口調で、その化学物質の恐ろしい性質をつらつらと語り始めたんだ」
 なるほど、それは分かる気がする。彼女は大事な事ほどさらりと言うのだ。
「ふむ。ではその物質の説明を聞こう」
「外で毎年、何人もの人間を死に至らしめている物質だ。水酸の一種、常温で液体。怖いのはその依存性で、一度口にした後十二時間以内には、再び摂取しないと激しい喉の乾きや目まいに襲われるらしい」
 しかも無味無臭、入手は極めて容易で、殺人や特に自殺に使用されるケースが後を断たない。
 大仰な身振りで解説する魔理沙の言葉には、一部幻想郷ではほとんど耳にしないような化学用語が混じっている。八雲紫の説明をなるべく忠実に再現しようとしているのは明白だ。なるほど、魔理沙はあれで結構肝っ玉が小さいところがあるから、今の彼女自身のような大袈裟な説明を八雲紫にされたもので、完全にビビってしまい、大急ぎでここまで飛んで来たに違いない。
 しかし、僕はおやと思った。
 ちょっと前に外から来た資料があるのだが、それで取り沙汰されていたある物質の説明と、今の説明は非常に似ている気がするのだ。
「魔理沙、ひょっとするとその物質は、金属を錆びさせたり色々な物を溶解させたりするんじゃないか?」
「ああ、そんな事も言ってた。もしかして知ってるのか?」
「多分。その物質の名前は、分かるかい?」
「いや、覚えてないんだけど、なんかアルファベット4文字だな」
 なるほど、これは、やはり。
「アルファベット4文字、その並びはD、H、M、Oだろ」
「ああ、そう、確かにそうだ。恐怖の化学物質、名前はDHMOだ」
 そうかDHMOか、と頷くように言い、僕は腕を組んで天井を見上げた。

 僕はよく知っている。
 どれくらい前の話か忘れたが、そのDHMOに関する資料が、この幻想郷に流れてきた事があるのだ。
 そう、それから暫らくの間、僕は寝る間も惜しんでその資料と格闘したのだった。そしてついには、その物質についてある確信を抱くまでに至ったのである。
 と、こんなパターンの話だと、またいつものトンデモ解釈か、と僕を知る者は皆こう思うに違いない。ところがどっこい、その時の僕は聡明であった。その物質が幻想郷に流れ込んで来れば大きな被害が出ると判断した僕は、ただちに紅魔館のパチュリー女史とコンタクトを取ったのだ。といっても出向くのは面倒だったので、件の資料に本人以外開封厳禁の文字を添え、書簡と一緒にして買い出しに来た小悪魔に託しただけだが。返事はすぐに来て、女史も大変に興味を持ったとの事だった。この事実が知れれば幻想郷全体がパニックに陥る。そう判断した我々はこの件を極秘事項として、資料を回し読みしながら二人で対策を話し合う事にした。出向くのが面倒なので文通で。
 やりとりは紛糾した。それはもう未曾有の紛糾っぷりであった。UFOに始まり天孫降臨に秘められた歴史的意味、遥か西の湖に棲む恐竜の生き残りから竿竹屋のバックに潜む謎の組織まで、古今東西ありとあらゆる謎が乱れ飛んだ。その噛み合わなさと来たら、お互いの意見の中で少しでも共通して話題に上った事柄がほぼ皆無に等しかった程である。というかそれはそもそも議論ではない。
 ところが、である。
 その紛糾っぷりが、今回の場合は見事に功を奏した。
 全く共通点のない二つのものから、最大公約数と呼べる事柄というのを見つけようとすると、残るのは世の中で最も当たり前、ありふれて無害なものとなる。宇宙規模の紆余曲折の末、どうやって辿り着いたかもはや二人とも覚えていない、ありふれて無害なとある物質。その物質の特徴が、資料に書かれていたものと、なんと寸分違わず合致してしまった。

 言ってやろう。ずばり、DHMOの正体は水。ただの、川を流れ井戸から出てくるあの水である。

 水に命を奪われるというのは、要するに溺れて死ぬという事だ。
 水に漬かれば当然の如く金属は錆びるし、砂糖や塩は溶ける。
 依存性云々も、水を飲まなければ喉は乾くだろうというだけの話だし、入手は井戸などから簡単にでき、川に人を突き落としたり身を投げたりすれば殺人や自殺にも使える。

 そうやって認識を改めて、元の資料を最初から読んでいくと、書かれた内容がいちいち水の特徴と一致していく。ああ、謎が解けるというのはこういう事なんだ、と僕とパチュリー女史はかつてない小気味良さを分かちあったのだった。これほどまでに充実した瞬間というのは、過去何十年ぶりかであっただろう。
 外でこの事実を掴んでいる人間は、何人くらいいるだろうか。
 その資料を書いた者、外の学生で、おそらく義憤に駆られ、全世界に向けてDHMOの廃絶を訴えた勇気ある彼にも、言ってやりたい。言って楽にしてやりたい。DHMOは何でもない、ただの水の事なんだよ、と。

「なあ、こーりん」
 魔理沙の言葉で、僕は現実に引き戻された。
 回想はここまでにしよう。問題は、八雲紫がこの事実を掴んでいるかだ。
 彼女の事だ、きっとその辺りは完璧に違いない。わざわざ大雨の今日という日を選んだ事からも分かる。たとえば川の流れが岩などを削る作用も浸食と呼ぶのだ。今日であれば、香霖堂が水に浸食されつつあるというのも、あながち嘘にはならない。
 解読に費した苦労を考えれば、ちょっと悔しい気もする。しかし、あの八雲紫と同じカードを持っているというのはよくよく考えると悪い気分ではない。まことに残念な事に、今回の彼女の悪だくみはドローゲームに終わるのだ。
「一体これから、どうなるんだ?」
 その一方、魔理沙はなおも不安そうな面持ちでこちらを見ている。そうか、魔理沙だけは僕らと同じカードを持っていない。
 それを見て、少しだけ僕の中の悪戯心が疼いた。
 よし。
 僕はわざとらしい位に、鎮痛な面持ちを作った。


「DHMOか。あれが相手では、残念ながらどうする事も出来ないな」
「どうしてだよ。今すぐ逃げれば助かるかも知れないだろ。そもそも、知ってたんだったら何でいつもと変わらず商売なんてしてるのさ」
 魔理沙は相変わらずの大袈裟な身振りで訴えた。
 服や髪から水滴が飛ぶ。
「魔理沙、いいかい、心して聞いてくれ。少し長い話になるな。その間、そうやって身体を大きく動かす事はなるべくしないで欲しい。君が今立ってる店の入口からは動かず、商品にも触れないように」
「な、何だよ香霖。それじゃまるで、私の身体に悪い物でも付いてるみたいじゃ……」
 そこまで言ってはっとした表情で言葉を切ると、まさか、という形に唇を動かし、わなわなと震え始めた。
 そうだ。と僕は厳かに言った。
「君の身体には、既に大量のDHMOが付着している」
 ふらふらと、魔理沙はその場にしゃがみ込んだ。
 嘘は言っていない。ずぶ濡れの魔理沙が商品に触れると困る所まで、事実だ。
「わ、私は一体どうなるんだ?」
「僕の見立てによれば、今すぐに死ぬというような状況には無いね」
「じゃあまだ間に合うんだな。私の身体から、そのDHMOを除去できれば」
「残念な事に、DHMOを人体から完全に除去する方法は無いんだ。君は一生、DHMOとつきあっていく事になる」
 何しろ、人体の60%は水で出来ているのだから。
 は、はは、と、魔理沙は力なく笑った。
「まあ、私一人の事だったらまだ諦めもつくよ。あんまり長生きしないだろうって幽々子にも言われてるしな。けど、DHMOは人を殺すだけじゃない。それはお前や紫がよく言ってるあれ、『環境破壊』って奴にも大きくかかわってるんだろ。この幻想郷からも、外と同じように森や生き物が消えてしまうのか?」
「もしここで環境破壊が起こったら、確かにそうなるね」
 確かに件の資料にも、DHMOこと水と環境破壊の関連は書かれていた。しかし、水が環境を壊すというのは一見すると自明ではない。だいたい、我々には環境破壊というものについて知識が無さすぎた。
 まあ、一部強引な解釈を加えたうえで、丸く収めたのだが。
「例えば以前、半分融けたような石像が外から流れてきた事があっただろう?」
「うんと、ああ、思い出した。ずいぶん昔の話だよな、それ。あんな奇抜なデザインでなかったら、余裕で忘れてるところだったぜ」
「君と僕とでは時間の感覚が違うのだろうね。僕にはつい昨日の事に思えるよ。それはそうと、あれは奇抜なデザインじゃない。最初は普通の石像だったのが、あるモノに溶かされてああなったんだ」
「石を、溶かす? 信じられない。あるモノって何だよ」
「雨だ。化学物質によって変質した、ね」
「それも、DHMOの仕業?」
「その通りだ」
 触れたモノを、強固な石でさえも一瞬で溶解させる凶器の雨。傘や屋根などはそれを防ぐ手立てには到底なりえない。その殺人雨は誰の上にも等しく降り注ぎ、悲鳴すら雨音がかき消し、おぞましい虹が空に掛かる頃には大地の上には何も残らない。
 そんなストーリーを勝手に想像しているのか、魔理沙は完全に絶句している。
 なまじ想像力溢れるお年頃というのも大変なものだ。
 この件に関しては、実はトリックは石の方にある。あの石像の材料となった石は、きわめて酸に溶けやすいのだ。実際、ちょっと酢を付けてみたら簡単に泡を出して溶けた。
 なお、さきの会話だとさもDHMOが雨を変質させているように聞こえるが、あの文脈での「化学物質」とはDHMOでない、本当に環境に悪い物質を指している。DHMO=水は変質させられる側である。
 まあ、酸の雨が降るというところまでは事実であり、外で実際に被害を出してはいるらしい。
「ほか環境破壊が顕著なのは海沿いの地域だね。DHMOのせいで人も住めず、農作物も作れない場所がどんどん拡大しているらしい」
 水没してしまった地域の事だ。
「汚染されて生物が棲めなくなった川や湖、沼も沢山あるが、そのどこからもDHMOは多量に検出されているんだ」
 むしろ水が無ければ川や湖とは呼ばれないだろう。
 異常気象、温暖化、森林減少による洪水の増加。
 他にもいくつか環境破壊の実例(誇張およびひょっとしたら事実誤認もあるかも知れない)を挙げていくと、ついに魔理沙は堪り兼ねたように言葉を挟んできた。
「待てよ! 私知ってるんだぜ。外の人間もバカじゃない。最近、そうやって環境を破壊するモノは片端から根絶に乗り出してるんだ。そのせいでフロンガスやらアスベストやら、有害な物が幻想郷入りしてくるから、そうだ、紫だ。紫がこっそり回収してるんだ!」
 ふふ。
 僕は心の中でほくそ笑んだ。
 DHMOの恐怖を煽るのに最も効果的な方向に、魔理沙は自ら議論を誘導したのだ。
 閃光。それとほぼ同時の、バァンという破裂音。
 今度の雷はかなり近くに落ちたらしい。
 魔理沙は目をぎゅっと瞑り、両手で帽子を耳まで下ろしている。こんなに動揺した魔理沙を見るのは、もしかしたら今日が初めてかもしれない。
 バリバリという雷の余波が去るのを待って、僕は言葉を継いだ。
「残念ながらね。DHMOを廃絶しようという運動は、外では一切起こっていない。人間たちは川や海に、今でも工業廃水として大量のDHMOをたれ流しにしているんだ」
「なんだって? みんな危険性を知らないのか?」
「いや、僕が今まで話したようなDHMOの諸性質は、外ではせいぜい一般常識程度のものだ。皆、知っているけど止められないんだよ。それで困る人間が、外には大勢いるんだ」
「あれか。その手の組織って奴か」
「察しがいいね」
 組織といったら、会社組織やら学校法人やらも含む。人間が所属している以上、水がなくなったら困らない訳はないだろう。竿竹屋の背後に潜む謎の組織などは果たしてどうだか分からないが。
「そして何より、DHMOを好ましいものとみなす風潮は、個人の内面レベルにまで浸透している。DHMOは有史以来文明の発展を支え続けてきた物質だ。DHMOを与えられる事を『恩恵』と表現するケースすら、珍しくない」
 ゾッ、と、魔理沙の表情は、恐怖よりは嫌悪感の方に曇った。
 そうだな、集団マインドコントロールほど気味の悪いものはそうそうない。
 けど今のは外の話じゃないか。と魔理沙は不安を打ち消すためにさらなる言葉を重ねた。
 彼女と僕との情報格差は圧倒的で、今の魔理沙が何を言っても、それは墓穴を掘る結果にしかならないというのに。
 物にしろ情報にしろ、多く持つ者が勝つ。世の摂理、という奴だ。
 そろそろ、最後の締めになるだろうか。
「外の人間がバカなんだよな、それは。そうだって言ってくれよ。もしも幻想郷にその物質が入ってきても。いや、現に私の身体にたっぷり付いてるのか。とにかく、幻想郷のみんなは外の人間と違うから、連中みたいにDHMOに支配されたりはしないよな」
「ははは、何を言っているんだい君は」
 僕はここまでの理知的な口調を少しだけ砕き、柔和な笑みを作った。ははは、と、暫らく下品でない笑い声を上げる。魔理沙も僕に対抗するように笑った。あはははうふあはははは、と、黒歴史な地の彼女が微妙に出かかる位。
 狭い香霖堂に、二人分の笑い声をしばし木霊させた後。

 僕は笑いをぴたりと止め、人差し指で眼鏡を軽くずり上げると、言った。

「幻想郷のみんなも、もうとっくにDHMO無しでは生きられない体だよ」

 その瞬間、魔理沙は全ての虚勢と、自分を守るための饒舌さを、まとめてかなぐり捨てた。
 びたん、という音は、彼女が弾かれたような後ずさりをして、入口の扉に背中を密着させた音だ。
 言葉は一言もない。ただ今度こそ完全に、僕を見る目付きが変わった。震える目線に込められた感情は、恐怖というただ一色に染め上げられている。
 これは。気持ち良い。実に、気持ち良いぞ。
 恐怖。
 すっかり忘れていた感覚だが、僕の体の半分を流れる妖怪の血は、本能的に人間のこの感情を欲していたのだ。
「そうだね。まず、山の妖怪。連中の豊かな生活の支えとなっている河童というのは、古来より最もDHMOと深い関わりのある種族なんだ。他にも妖怪たちは皆、独自にDHMOを入手する手段を持っている。あとは人間たちだな。集団の力で妖怪に対抗するために、まず最初に手に入れようとしたのはDHMOの恵みだ。今ではかなり大規模な土木工事をして、大量のDHMOを里まで引いているんだったか。幻想郷の誰もが、もちろん僕も、霊夢も、アリスも、皆DHMOに感謝しながら日々を送っている。君が今日まで知らなかった事を、むしろ驚いている位だ」
 もう、魔理沙から言葉が返ってくるのを待つ必要すらない。
 両手のひらを宙に向け、頸を僅かに後ろに反らす。こういう事もあろうかと「眼鏡に光が映り込んで真っ白に見える角度」というのを、僕は鏡を見ながら日夜研究していたのだ。下らない事と言ってはいけない。妖怪の人生は暇潰しで成り立っているのだ。
 身体を痙攣させ、首筋に腱が浮き出るのを強調しながら僕は言葉を並べ立てた。
「そうだ、その、魔理沙の身体に付着したDHMO」
 僕はゆらりと、大きくモーションを付けて席を立ち、入口の魔理沙の方に一歩ずつ歩を進め始めた。
「それを僕にくれないか。人体とDHMOを完全に分離する事は出来ないが、なに、身体ごと取り込んでしまえば問題ない」
 もはや遠慮は不要。
 言葉責めにも飽きてきたので、僕は直接的な手段に出る事にした。
 両手をだらりと垂らし、上半身をゆらめかせながら魔理沙に迫る。
「サア魔理沙、怖がラナくてもイいそレヲ僕ニクれタマ……」
 ぶちっ。
 その瞬間、魔理沙の中で何かが音を立てて切れた。
「っっっアアアぁアああああアアアアアあぁァあああああアああっ!」
 彼女は突如奇声を発すると、それなりの体格差があるはずの僕の身体を助走付きヒップアタックで店の奥まで吹っ飛ばす。
 僕の腰が何か高価そうな物を叩き割ったような、そんな不吉な音がした。
「どうすればいいんだ、どうすれば皆を、どうすればっ!」
 独り言を大声で叫びつつ、箒に跨がる。爆音。噴射圧。強烈な加速で、魔理沙はそのまま入口の扉を突き破る。衝撃波が店内をかき回した。
 仰向けになった僕の目に、壊れた扉から外の景色が映る。
 曇天の大空に、雷とは違う真っ直ぐな一条の光が走るのが、妙に印象的な光景だった。


「やれやれ、少し、やりすぎたか」
 とりあえず雨が吹き込んで来ないようにだけ、扉の応急処置を済ませ、僕は大きく溜息をついた。
 店の中はかなり荒れていて、今日はもう商売は出来そうにない。
 まあ、責任は僕にあると言わざるを得ないだろう。ネタばらしをするタイミングを考えずに話をエスカレートさせてしまったのが失敗だったのは間違いない。
 魔理沙には悪い事をした。多分、明日あたり盛大に空騒ぎをした後で、いくら何でも自分で気付くだろう。そうなったら間違いなく僕の所に駆け込んで来るはずだが、その時は素直に詫びて、何か一つ、秘蔵の蒐集品でもプレゼントしてやるとするか。
「……寝よう」
 今日出来る事は、あとはそれくらいだった。
 僕は伸びを一つして、扉を補修する最中に水を吸った着物と肌との間に空気を通し、そして最後に窓から外を見た。
「それにしても凄い雨だな」





 その晩、香霖堂は突然の鉄砲水で跡形もなく粉砕された。




紫「だから忠告してあげたのに……」
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作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2008/10/04 21:47:09
更新日時:
2008/10/07 12:47:09
評価:
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Rate:
5.00
1. 6 慶賀 ■2008/10/05 13:29:33
テーマはやっぱり視点かな。良い短編ですねー。
 出不精の霖之助が良い意味でいやらしい。
2. 6 小山田 ■2008/10/07 00:48:20
ほんとうにやりすぎw

とんとん拍子にエスカレートしていく様子が面白かったですよ。
行動が突き抜けてこそ「ネタ」になりますね。
3. 7 名無し ■2008/10/08 14:52:32
こーりん悪ノリ激しい
4. 4 神鋼 ■2008/10/12 00:15:17
ちょっと解釈を広げすぎだと思いますがオチにやられました。
5. 7 あじゃこ ■2008/10/14 13:11:54
このお話は好きです。霖之助のエスカレートしていく様が面白かったのと、魔理沙がかわいかった。。すこし文章が詰まってる感じで読みにくかったです。
6. 3 yuz ■2008/10/16 18:33:59
水のことだっけか。DHMO。記憶の隅にあるんだが出てこない。
7. 9 #15 ■2008/10/18 12:05:08
結局、ゆかりんの一人勝ちwww
8. 10 H2O ■2008/10/21 17:12:59
こーりんのドSぶりとオチが最高。
面白さ、という意味で10点をば。
9. 7 謳魚 ■2008/10/23 12:47:04
霖ちゃんたらお茶目さん。
ただ忠告は聞こうよ。
10. 8 deso ■2008/10/23 23:08:33
ああ、こういうの大好きです。
「眼鏡に光が映り込んで真っ白に見える角度」に吹きましたw
11. 9 大崎屋平蔵 ■2008/10/24 07:30:20
巧いなぁ……そんな感想です。

キャラが生き生きしてる感じがなんか楽しかったです。
12. 6 vol ■2008/10/25 13:40:57
知らない人にとっては、まさしく悪魔の物質に聞こえるから困りものですよね>DHMO
素で怖がる魔理沙というのも、中々可愛らしくていいですね。
そしてオチ…紫酷いなぁ…
13. 7 詩所 ■2008/10/26 20:26:58
>「少し、やりすぎたかな」
覆水不返盆
14. 3 ミスターブシドー ■2008/10/27 00:29:56
読者が種を知っているから、香霖と一緒の視点に立ってニヤニヤできる。
何気に筆マメな二人が笑える。どんだけ交換してんだ。
オチは……まあ香霖堂の立地とかよくわからんしなぁ、森に鉄砲水とかあまり考え難いけどまあいいか、どうせ香霖だ。
15. 7 PNS ■2008/10/28 14:27:32
魔理沙の反応がいいですね。DHMOネタの醍醐味ですw
そして、私も最後まで紫の忠告を忘れてました。ざっぱーん。
16. 8 三文字 ■2008/10/30 01:53:27
ビビる魔理沙は良いものです。ええもう、ほんと。
怖がる魔理沙の可愛らしさと、こーりんのキバヤシっぷりがありありと想像できて、ニヤニヤと読んでました。
そして最後の落ちで盛大に吹いたw
ゆかりん、それはないよw
17. 4 眼帯つけた兎さん ■2008/10/30 06:49:47
まりさは じつに かわいいなあ。
ともあれ騙される話。魔理沙と霖之助が。
最初に答えを読者に与えてどう落とすのかと思えば、
ゆかりん超優しい。
18. 7 つくし ■2008/10/30 17:21:03
 これは見事な逆転オチ。こーりんに言葉責めされる魔理沙も非常に可愛らしいのでありました。
19. 5 じらふ ■2008/10/31 21:37:24
ゆかりんもっと分かりやすく言ってあげようよ(笑
とはいえこーりんももっと真面目に考えていれば助かったかも…そういう意味では魔理沙をからかいすぎた天罰かもなあ、とか思ったり(笑
20. フリーレス 今回は感想のみ ■2008/10/31 21:58:33
もう陳腐にすらなったネタですが、それをどう料理するのかと思ったらそのまま出されてしまいました。
これはSSとしてちょっと評価できないなとフリーレス。
21. 4 藤ゅ村 ■2008/11/01 17:42:46
 「本当は怖いドホモ」て読んでた。本当も何も。
 DHMOのネタばらしを早い段階で行っておいて、それから魔理沙を騙していく過程がベタだけど上手いやり方だなあと思いました。多少、霖之助自身も言っている通り、誇張に過ぎる箇所もありましたが。まあDHMO自体が誇張しすぎのジョークみたいなものでもありますし。
22. 8 八重結界 ■2008/11/01 18:37:57
怖がる魔理沙をネチネチを虐める霖之助という、何とも愉快な状況に思わず笑ってしまいました。
そして、オチでまた一笑い。天罰ってあるんですね。
23. 4 つくね ■2008/11/01 20:02:04
恐らくDHMOネタでモロ被りになり死にたい気分になったと思います今日この頃如何お過ごしでしょうか?
ご安心下さい。終わりよければ、という言葉があるようにオチで盛大に吹かせて頂きました。
24. 7 名乗る名前がない ■2008/11/01 21:19:11
最初に張った伏線で落ちる話は読後感が良いですね。
タイトルも良い感じに伏線張ってますし。
25. 6 木村圭 ■2008/11/01 21:52:00
ああ、それでタイトルが……これは上手い。結局ゆかりんの一人勝ちですな。
しかしビビリまくってる魔理沙可愛いよより香霖何やってんのが先立ったのが悔しいです。いやホント何やってんの。
26. 7 blankii ■2008/11/01 22:09:50
やっぱり霖ちゃんの一人称は最高ですね(香霖堂終了のお知らせには涙)。読む順番(下から)のためか、DHMOネタは二つ目でしたが、ネタを明かした後の展開も意外で楽しめました。オチはちょっと予想しつつも、やっぱり吹いた。あの一文の破壊力はスゴイ。
27. 6 時計屋 ■2008/11/01 23:44:11
オチの爽やかさに感動しました。
まるで新しいパンツを履いたばかりの正月の(以下略
DHMOをただの一発ネタに使わなかった点も見事。
28. 3 Id ■2008/11/01 23:48:40
想像がついた展開、結末とはいえ、なんという自業自得。コミカルではあるのですが、一本調子で予想を覆してくれないことが、安心を通り過ぎて単純な風味。魔理沙の行方などでもう少しひねれたのではないでしょうか。
29. フリーレス リコーダー ■2008/11/03 23:14:40
うーん一度ならず二度までも。一発ネタ(正確には二発ネタ)で。
嬉しさよりも気まずさが先に来ていたり。
とりあえず、こっそり狙ってやってた事に関して皆さんのコメントが的確すぎて参ったです。

>>Idさん
二発ネタと決めたらあとは真っ直ぐ行く事しか考えてなかったっす。
どちらかと言うと魔理沙の行方よりも、粉砕した香霖堂をどうするかが気になって夜も眠れなかった。(じゃあやるな)

>>時計屋さん
パンツ?
「も」というかまさにそれが今回のコンセプトだったりする。

>>blankiiさん
ネタばらしを早めに持ってきたのは、知ってる人知らない人の格差を埋めたかったのと、トンデモ解釈とその解説の距離が開いてしまう状況をできれば避けたかったのと。

>>木村圭さん
心の底から楽しんでいた、という事だけは間違いないかなあと。
元を辿れば魔理沙が可愛らしいのが悪い。

>>名乗る名前がない さん
タイトルはバレと隣り合わせだったので、これでいくかかなり悩みました。

>>つくねさん
実を言うとDHMOネタはもっと居ると思ってまして、だからこそ別のオチを用意していたのですが、本当に3人も4人もいたら実際は危なかったなあと今にして思ってみる。

>>八重結界さん
日本の神様の天罰って、溶岩や塩の雨を降らせる大技でなくて、細かい事に一々ツッコミ的に入れてくれるのが良いですよね。
あ、今回のは自然災害か。

>>藤ゅ村さん
ホモなんて……
ベタベタはそれ自体良くも悪くもあり、なかなかに難しい問題であります。

>>今回は感想のみ さん
実はSS書き始める前はコピペ屋やってたんです。

>>じらふさん
まあたぶん今回の一件は不幸なすれ違い。

>>つくしさん
傍若無人な魔理沙が書けなくて逆に困っています。

>>眼帯つけた兎さん
「鈍感なのは困るわねえ、鈍感なのは」っていう緋ゆかりんの台詞と表情がツボです。

>>三文字さん
一次の時点で余りにもキバヤシすぎるのが悪いんだぜ。
思えば三人とも香霖堂に普通に出てるので、それで書きやすかったのもあるかも。

>>PNSさん
そう、まさにその効果音。

>>ロロノア・ゾロさん
立地に関しては私も書いてて思った(ぉ
まあ激流に身を任せてください。

>>詩所さん
返すチャンスは何度かあったような。

>>volさん
紫様は割と本気で香霖を助けてあげようとしていたのです。
ただちょっと口下手なところがあって……って、そう考えると本当にネタが被っているのは実はあの作品かも。

>>大崎屋平蔵さん
良からぬ事をする時って、何故に人はあんなにも生き生きするのか。

>>desoさん
アニメ的表現を文章で再現するという前衛的な試みでした。

>>謳魚さん
他人の忠告を素直に聞ける輩に、偏屈道具屋は務まらないぜ。

>>H2Oさん
あざーす!

>>#15さん
実際ゆかりんにマジで太刀打ちするのは難しいです。

>>yuzさん
ディハイドロジェン・モノオキサイド、二水化一酸素ですね。
日本語だと比較的分かりやすい。

>>あじゃこさん
改行場所はかなり悩んだうえで、開き直って詰めてしまいました。
私事ですが、最近紙に書く事が多いせいでちょっとその辺の感覚が。
精進します。

>>神鋼さん
大風呂敷を広げて引き千切るっていう。

>>名無しさん
こーりんですから。

>>小山田さん
とんとん拍子にエスカレートするネタ、人それを人生と
……呼ばねーよ。

>>慶賀さん
やっぱこーりん視点は筆が進みます。
出不精はある意味ニートネタと一緒で、やりすぎるとファンの方に怒られるかもなと投稿した後に思ったんですが。
30. フリーレス わたのはら ■2009/03/19 05:27:15
魔理沙がすごく可愛かったです。
話の雰囲気が良くて、よく見かけるネタも楽しく読めました。
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