不治の病でダイエンド〜烏天狗は天高く

作品集: 最新 投稿日時: 2008/10/04 21:49:44 更新日時: 2008/10/07 12:49:44 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00
「いんらんあやー!」
「まいっちんぐあやー!」
「あやー」
「ふみーっ!」
 ふみじゃねぇ。
 およそ最高速度とは言えぬとはいえ、それでも全力飛行の最中である。射命丸文は首だけ振り返り、抗議の声を上げる――
「ふ……ひぃっ?!」
 抗議の声は悲鳴となった。
 現在彼女を追い回しているのは、ワンツーステージクインテット、俗に馬鹿五人組と言われている面々である。
 冬妖怪レティ・ホワイトロックは欠番に、ミスティア・ローレライ、橙、ルーミア、チルノ。そして今文を心胆寒からしめているのは残る一角リグル・ナイトバグ……ではなく。同じく緑の髪靡かせる、四季のフラワーマスター風見幽香であった。
 単に彼女に追いかけられるというのも十分に恐ろしいのだが、その瞳からハイライトが消えているとなれば、それはもはや幻想郷三大恐怖が一である。
 文はあわてて前に向きなおり、更に速度を上げ……ようとするも、奇妙な倦怠感にそれもかなわない。
「ああもう! どうしてこんなことに?!」
 己が身の不幸を呪う烏天狗の声が、澄み渡る青い空に響き渡った。

***

 文は戦慄した。
 目の前のそれが示す現実は、絶対的な恐怖そのものだった。天狗仲間との新聞勝負の敗北に対する恐れなど、これに比すればいかほどのことでもない。
 目を瞑り、開く。
 何も、変わらない。
 着衣を脱ぎ捨て、烏帽子すらも毟り取る。
 ほんの少しだけ、揺らぐ現実。
 しかしそれは、彼女が夢視る幻想からは程遠い変化でしかなかった。
 よろめき、呻く。
「……ま」
 そして手の内の、いつの間にか握り潰していた一枚の紙切れに目を落とした。
「まずいです……」
 大宴会in博麗神社。
 そこにはそう、銘打たれていた。

***

 喧騒のさなかをカメラ片手に、文は練り歩く。
 博麗神社。そこには既に、さまざまな影たちがうごめいていた。
 大宴会を称しているだけあって、いつも以上に人妖が集結しているようだ。普段宴会に参加していない連中の姿もちらほらと見受けられる。
 言わずもがなに騒がしいのは、例の馬鹿五人組である。リグルを囲んでこっちのみーずはあーまいぞー、などと囃し立て、酒を注ぎまくっていた。
 その渦中たるリグルは、少なくとも自分とルーミアは馬鹿の範疇にはない、と常々思っているのだが、この騒ぎを楽しんでいる辺りそうも言えないのかもしれないと内心葛藤していた。
 そんな彼女の様子に、ルーミアは軽く肩を叩き笑顔で片目を瞑る。宴会の席で不機嫌な顔は必要ない。つられるように、リグルも微笑んだ。
 ひときわ喝采を受けているのは美鈴だった。普段は出席を固辞している彼女だったが、大と銘打った今回ばかりは引っ張り出されたようだ。
 そんな彼女はジュークボックス、すなわち騒霊三姉妹が奏でる音楽に合わせて舞踏を演じている。だいぶアクロバティックなパフォーマンスをしているようで、観客たちの歓声も大きい。
 パチュリーは、なぜかアリスと論議中だった。どうもどちらがより七の数字がふさわしいかという内容のようだ。ほとんど一方的にアリスのほうがしゃべっているが、パチュリーも要所要所でぼそぼそと反論している。
 この場で最も甲斐甲斐しいのは、おそらくは咲夜の働きだった。いつになく仲睦まじい様子で肩を並べて嬌声を上げているスカーレット姉妹に、カクテルを作っている。
 レミリアは霊夢に酒を注がれてご満悦だったようだが、肝心の日本酒は口に合わなかったらしい。しかめっ面になった彼女をフランドールが笑ったものだが、そこに咲夜が口当たりのいい酒を持ってきて、二人して調子に乗ってぱかぱかグラスを空け、現在に至っている。
 最も優雅でありながら、その実一番忙しがないのは西行寺幽々子と八雲紫の二人だ。その傍らには魂魄妖夢と八雲藍が控え、給仕をしている。この主人二人、見た目立ち居振る舞いこそゆったりと美しいが、酒も食事も相当なハイペースで消費し続けていた。従者二人は息つく暇もない。が、二人の楽しむを知るが故、時折顔を見合わせ苦笑しあうも、その表情は楽しげだった。
 半獣と化した慧音は、どこかあきらめた様子で杯を傾けている。満月の夜の宴会に出席してしまうなど悔恨の極みと言っても過言でないが、今更どうしようもない。次の満月のときにたまった仕事を片付けることになるのだろう。来月は彼女にかかわってはいけない。おそらく相当気が立っているはずだ。
 永遠亭一味は悲喜交々だ。
 永琳はゲスト一名の世話を焼いている。ゲストというのは鈴蘭畑の毒人形ことメディスン・メランコリーだ。当然宴会などというものを知るはずもない彼女を、永琳が引っ張ってきたのである。彼女に勧められるままに、メディスンは酒の入ったコップを傾けていたが、ややあって顔を輝かせた。極論すれば酒も毒の一種、お気に召したらしい。
 そのため、こくこくと一生懸命に酒を飲んでいる彼女を愛しむように見る師匠に嫉妬と羨望の眼差しを向ける鈴仙をニヤニヤ眺めるてゐという、親亀こけたら皆こけた的な奇妙な光景が見受けられた。
 うってかわって激しい攻防が繰り広げられているのは、輝夜と妹紅だ。顔を合わせれば一触即発な関係とはいえ、宴をぶち壊すほど無粋ではないようで、本日は飲み比べで勝負をしている。輝夜の顔色は既に赤を通り越して青くなってきているが、対する妹紅はいつも以上に巨大な炎の翼を背負いつつも、平気のへいさで杯を傾けている。
 ただ一人でありながら誰よりも存在感を放つのは、風見幽香その人だ。会場の片隅でいつものように日傘を差して、空いた片手には酒盃を握り、俯瞰するように宴会を眺め、時折悦に入ったような笑いを上げているのだからその存在力は甚大である。
 最も奔放に立ち回っているのは小野塚小町である。杯片手に場を徘徊し、誰彼構わず肩を組んだり大笑いしたり、いずこかに視線を飛ばして忍び笑ったりと、実に酔っ払い酔っ払いしていた。
 その上司たる四季映姫は、いつの間にやら焼物の狸に変貌した部下に延々と説教をたれていた。べろんべろんである。
「よー! しけた顔してんなー!」
「なー」
 人妖観察はこんなものかな、と手帳を閉じた文の背に、あからさまに酔っ払いな声が投げかけられた。
 振り向けば、そこにいたのは肩を組み、それぞれの手に一升瓶と枡をを携えた主催者二人、霧雨魔理沙と博麗霊夢。
「あらお二人とも。本日は盛況ですね」
「なんだお前、全然素面じゃないか」
「かー」
 いつものようににこやかな笑顔で言う彼女の言葉を、酔っ払い二人はまったく聞いていないようだった。霊夢の枡に、魔理沙がなみなみと酒を注ぐ。そして二人して、それをずいと文へと突き出した。
 そんな二人の様子を、彼女は声もなく見ていたが、ややあってふ、と呆れたように息をつき、首を振る。
「なんだー? 私の酒が飲めないっていうのかー?」
「かー?」
「……天狗に酒を飲めというのは」
 尚も突き出してくる酒枡を無視して文は背中に手をまわすと、そこには何故か一升瓶が握られていた。それをそのままらっぱ飲みする。
 文字通り一瞬にして空になった酒瓶に、今度は二人が声もなく彼女を見る。
 そんな二人の目の前で、彼女はぐいと手の甲で口元を拭い、空瓶を放った。
「釈迦に説法というものですよ」
 にっこりと笑って、諭すように言う。
「あ、ああ……そうみたいだな」
「なー」
「……邪魔したぜー」
「ぜー」
 なんとなく寂しげに、しかしやっぱり肩は組んだまま二人は去って行った。
 彼女らの背が完全に宴の中に埋没したのを確認して、文は再び息をつく。
「ふぅ〜ん、大した飲みっぷりだね〜ぇ」
 突如背後から聞こえてきたからかうような声に、彼女はぎくりと背を強張らせた。
「……す、萃香さん?」
 いつの間にやらそこにいたのかオールウェイズドランカー、酔いどれ小鬼こと伊吹萃香が飾り岩の上にましましているではないか。文の呼びかけを聞いてか聞かずか、何時もの如く瓢箪を呷っている。
「っくぅ〜、生き返るぅ〜!」
「亡霊どころか、死なない方まで出席されていますが」
「命の水よねぇ」
「そういえば蛍もいましたね。無機物もいましたが」
「……辛口ね」
「お酒飲んでますから」
 銘酒のようにさらりと言う彼女に、萃香は不敵とも物騒ともとれる笑みを浮かべた。
 そして言う。
「鬼、嘘、許さない」
「なんで片言?!」
「その一升瓶、寄越しなさいよ」
 すぐさま素に戻って言ってくる彼女に、文は思わず後退りする。
 が、ややあって観念したようにうっちゃってておいた一升瓶を拾い上げ、差し出した。
 受け取ったそれに鼻を寄せ、そして萃香は小首を傾げる。
「あんたほどの酒飲みが、なんで水なんか」
 う、と一声呻き、文は身を縮こまらせた。
 そんな烏天狗の様子に、彼女はふ、と表情を和ませる。
「私だって鬼じゃない」
 鬼だよ! と突っ込みそうになるのは、何とか堪えた。
「こんなささやかな嘘を咎めようなんて、思っちゃいないさ。ただ飲み友達が困っているなら力になってやりたい、そう思ってるだけだよ」
「萃香さん……!」
 真剣な彼女の言葉に、文の胸に熱いものが込み上げてくる。
 意を決し、彼女は口を開いた。

***

「あははははははははははははははははは!」
「な、なに思う様笑ってるんですか?!」
 先ほどまでの殊勝で真摯な様子はどこへやら、腹を抱えて爆笑する萃香に文は力の限りに抗議の突っ込みを入れる。
「だ、だって真面目な顔してなに言うかと思えばっ、ぷっ」
「わ、笑いすぎですよ! 私は真剣に悩んでいるんですからね?!」
 未だひーひーと腹筋を押さえている彼女に、文はだんだんと地団太を踏んで見せた。
 そして彼女は重ねて言う。
「これは萃香さんにしてみれば、肝臓壊したのとおんなじことですよ?! 深刻な問題なんです!」
「……ほう?」
 その言葉に流石に笑うのを止め、萃香はぴくりと眉を上げた。
「萃香さんも、うちの大天狗様のお力をご存じでしょう?」
「あー、あの神通力「超念動メガクラッシュ」ねー」
 威力もさることながら言霊も凄まじいよねー、などとひとりごちる。
「力で一番、などという単純なプライドは、萃香さんはお持ちではないでしょう」
 言われて彼女は頷いた。一目置く存在があるのは確かである。
「でもお酒については、そんな矜持をお持ちではないですか?」
 これにも萃香は頷いた。伊達酔狂で連日宴会沙汰を巻き起こしていたわけではない。無限に酒湧く瓢箪もその自負である。
「私もお酒を嗜みますが、無論幻想郷一の酒豪などとは思っていません」
 しかし、と首を振り、文は続けた。
「こと速さに関しては、私も矜持を持ち合わせています」
 そしてそれは、一部の例外を除いて皆が認めるところでもある。
「しかし!」
 腕すら振るって彼女は言った。
「我が身に起こったこの異変は、その矜持を打ち砕くほどの可能性を秘めた大事なのです!」
「よしわかった!」
 ぜいぜいと呼気を乱す程の文の弁舌に、萃香は胡坐をかいていた右の太腿を景気良く叩いて答える。
「そういうことなら私が協力してやるよ!」
「萃香さん?」
 自分同様、譲れぬものがある彼女の言葉に感じ入るところがあったらしい。
 すっくと立ち上がっての萃香の発言に、文も我に返った。
「心配すんなって。飲み友達の窮地を救うくらいの「力」はあるさ」
 その程度の矜持もある。
「萃香さん……」
 一転半ば茫然と、彼女は萃香を見詰めた。
「……あんたがさっさと万全になってくれないと、私の晩酌に付き合えるやつがいなくなっちゃうだろ?」
「萃香さん……!」
 照れ隠しに頬を掻く彼女に、文は感極まったように両手を組む。
「……そうと決まれば!」
 もう見ていられない、とばかりに萃香は逃げるように岩を蹴り、宴会の直中に飛び込んでいった。
「はーい皆注目ー!」
 手を鳴らしながら言う彼女に、全員の視線が集中する。
「ただいまより第一回チキチキ幻想郷痛飲選手権を始めるよー。勝者には私に好きなものを萃めさせる権利をプレゼント!」
 おおおおお。
 宴会の中、更に放り込まれたお祭り騒ぎに境内が轟いた。
「それは今日の宴会で出たゴミとかでもいいわけね?!」
「そりゃいいけど、それくらい頼まれなくてもやるわよ……」
「魔法の森のキノコを根こそぎ全部とかでもいいわけだな?!」
「それくらいはお安いご用よ」
「毒ー!」
「それ自分で萃められるわよね?」
「迷える魂!」
「仕事しろ死神」
「カリスマ!」
「若さ!」
「人気!」
「ごめん、無いものはちょっと……」
「……愛」
「……あるなら!」
「魔理沙に持っていかれた本」
「それはオーケー」
「ちょっ?! ずるいぞパチュリー!」
「貴方のほうがよほどずるいわよ」
「それにお前、酒弱いだろ? 無理すんな、な?」
「……美鈴、お願い」
「わ、私ですか?!」
「負けたらばらすわ」
「よっしゃばっちこーい! ……でも萃香さん相手じゃ勝ち目ないかも!」
「ああ、心配しなくてもそんな無体なことは言わないわよ」
 威勢とは裏腹にがたがた震えている美鈴に、萃香は愛想よく笑いかけた。
 嫌な予感が、文の背を奔る。
「対戦相手は鬼じゃないわ。……烏天狗よ!」
「萃香さぁぁぁぁん?!」
 的中した予感に、彼女は思わず声を上げた。
「……まあ落ちつきなよ文の字」
 いきなり耳元にかけられた声に、文はびくりと反応する。
 横を向いてみれば、そこには萃香(小)の姿があった。ちなみに大きいほうの萃香は一同にルールの説明を続けている。
「これが一番いい手なんだって」
「……どういうことです?」
 眉をひそめる彼女に、萃香(小)は諭すように続ける。
「私ほどじゃないとはいえ、あんたも酒豪で通ってるんだよ? それが宴会の席で酒を飲まないってのは、異常だとは思わない?」
 確かにそうだ。水面に浮かぶ船が、航行しないなどとは誰も思うまい。
「結局飲まないわけにはいかないのさ、あんたは。でも飲み比べなら、適当なところで切り上げちゃえば誤魔化せるだろ? 酒で一番って矜持があるわけじゃないんだ。負けた振りをすればいい」
「……なるほど」
 流石にここに集まる面子も、白旗上げた輩にまで酒を勧めることはない。
 しかし案の有用性を認めつつも、文の表情は冴えなかった。
 そんな彼女の様子に、萃香(小)は笑いかける。
「ま、気持ちはわかるよ。だから、今回あんたに勝ったやつは、後日あんたのリベンジマッチを受け入れるっていう条件を追加しておいた」
 未だ何事かを語っている萃香(大)にちらりと視線をやり、萃香(小)はそう続けた。
「萃香さん……」
「一番手は私で問題ないわね?」
 感動の感傷に浸る暇もない。日傘を翻して言うは幽香である。
 ちなみにこの件とは全く関係ないが、彼女とリグルは只ならぬ関係であると報じられたことがある。
 発行元は文ではなく別の烏天狗であったのだが、見出しは「風見幽香、熱愛発覚」であった。末尾に大変小さく「か?」とも記されていたが。「私の花の蜜を吸った責任は取ってもらうわ」で始まる一面記事は、一部で大変な論議を醸したという。
 ある意味スクープを攫われた文は、悔し紛れにその記事片手に二人に真偽のほどを問い詰めたのだが、共に笑顔でノーコメント。
 思えばあの時、目は笑っていなかった。
 その後、件の天狗は季節外れの楓の種の驟雨に曝され墜落したところ、たまたま群生していた巨大ハエトリグサに絡まれて骨すら残らず溶け消えたらしい。更にその記者の新聞社は大量発生したシロアリに根こそぎ食い倒され、資料関係は全てシミに食い破られたという。
 話がそれた。
 幽香の言葉に異論はなかった。なにしろ映姫を別にすれば、紫やレミリアに並ぶビックネームである。いちゃもんなどつけようものなら、どうなることかわかったものではない。
 どの道勝利条件は、順番問わず文を酔いつぶした者なので、異論など出るはずもないのだが。
 ちなみに先に名を挙げた三名の内二名は既に寝入っている。
 残りの一名、即ち紫は、
「景気づけよ」
 と幽香にコップ酒を手渡していた。踊るより見るタイプの阿呆である。
「気が利くわね」
 彼女が手渡してきたコップの中身を、幽香は一息に飲み干し。
 そして倒れた。
「ちょ、ちょっと紫様?! 何を飲ませたんですか?!」
「えーとね、すぴりたす、って書いてあるわ」
「なんだか分かりませんけど、こうなること分かってて飲ませましたよね?!」
「えへ」
「かわいこぶってもだめです! 幽香殿、無事ですか?! 私の尻尾が何本か分かりますか?!」
 紫との対話を早々に切り上げ、藍が幽香を介抱する。
 が、最後の台詞を空中で全力回転しつつ言っている辺り、酔っているのか実はあまり心配していないのか分かったものではなかった。
 そしてそのせいで思いっきり酒の回った彼女も、幽香と枕を並べて討ち死にする。酔っていたらしい。
 いきなり出鼻を挫かれた。
「幽香のかたきーっ!」
 どうしたものかと腕を組む萃香に福音が舞い込む。
 威勢よく、コップを突き上げ言うはリグル・ナイトバグである。
 かなり覚束無い挙動で立ち上がり、千鳥足。顔はしまりなく笑っており、あまり仇をとる風情ではない。
 しかし所詮は一人目の挑戦者であるし、どのみち文の勝利は動くまい。本人のやる気も尊重すべきではあるし。
 かくして、第一回チキチキ幻想郷痛飲選手権の幕は切って落とされた。

***

 最初こそ歓声や指笛、トトカルチョを募る声が響いていたが、時が進むにつれそれらは音を潜めていった。
 静まり返った境内を、時は刻々と進み、酒を注ぐ音はとくとくと響く。
 開始から、既に三十分が経過していた。しかし両者は飲み続けている。それも見る人が見れば、気分を悪くするようなペースで。
 まずい。
 萃香は内心焦っていた。まさかあの蛍がこれほどやるとは思わなかった。どう見てもぐでんぐでんだったというのに。
 見れば文の額には冷や汗が滲んでいる。彼女にしても、まさか一人目でサレンダーするわけにはいかない。しかしこの調子で飲み進んでいけば、普段の酒量に達してしまう恐れがあった。
 それはまずい。このままでは、嘘をついたことになってしまう。
 鬼の誇りは傷つくし、何より友への裏切りだ。意を決し、彼女は萃香(小)を飛ばした。
「一万匹と二千匹の蟲が巣食ってるー、八千匹追加をしたら合計で二万匹ー」
「ちょっと」
 ほろ酔い気分で意味不明な小唄を歌いつつ酒を飲み続けているリグルの耳元で、蚊の鳴くような声がする。
 盃を傾ける手は止めず、彼女は半分閉じた瞳で辺りを見回した。
 目が合う。
「……一億と二千匹の蟲が求めてるー、酒を知ったそーのー日からー僕のー体ーにアルーコールは絶えなーい」
「無視すんな」
 再び歌を口ずさみだしたリグルに、萃香(小)が突っ込みを入れた。
「蟲だけに」
「叩き潰すわよ」
 小さな声での問答が続く。傍から見ればリグルが延々と独り言を呟いているようにしか見えないが、観衆は彼女の飲みっぷりに圧倒されているし、そもそも酔っぱらいのやることなので誰も気にとめていなかった。
 気を取り直して萃香(小)は続ける。
「頼みがあるんだけど」
「聞かないと叩き潰されるの?」
「そうよ」
 わかってるじゃない、とばかりに萃香(小)は腕を組んだ。
「ここいらでギブアップしてもらいたいんだけど」
「なんでー?」
「ていうか、なんで蛍がお酒飲むのよ」
「口が退化して固形物が摂取できないからよ。別に私の口は退化してないけどお約束で」
「いや、水飲みなさいよ、蛍なんだから」
「命の水って言うんでしょ?」
「いやまあそうだけど……」
 先ほど自分で言っていたことだけに反論し辛い。萃香(小)はもどかしげに手をわななかせた。
「……とにかくっ! お酒が飲みたいなら後で私がいくらだって飲ませてあげるから」
「別に私がお酒を飲みたいわけじゃないわよ」
「じゃあ何か萃めて欲しいものでもあるわけ?」
「別にないよ」
「……さっきからあんた、杯から口離さないでよくそんな明瞭に喋れるわね」
「気門で」
「ええ?!」
「う・そ」
「……」
「声が、遅れて、くるよ」
「……もういいわ。じゃあなんだって参加したのよ」
「幽香の仇打ちっていったじゃない」
「……あいつは紫の出した酒を飲んで倒れただけじゃない」
「でもこんな飲み比べを開催しなければ幽香だって飲まなかったわけで」
 かなり逆恨みな発想ではあるが、一理無しとも言い難い。
「そもそもなんで私に負けてほしいのよ」
 言われて萃香(小)は言葉に詰まった。
 ……もう叩き潰すか?
 そんなことを考え、しかしいやいやと首を振る。
 ここでリグルを叩き潰そうものなら、全員に釈明をしなければいけなくなる。そうなればわざわざこんな面倒な解決策を講じた意味がない。
 ……全員に知られるくらいなら、一人のほうが……
 萃香(小)はそう判断すると、手短に事情を説明した。
 今の今まで決して止まらなかったリグルの手が、ぴたりと止まる。
「あはははははははははははははは!」
 盃からも口を離し、そこからは蚊の鳴くような小声の独り言ではなく、大笑が零れ出た。
 呆気にとられる一同を余所に、彼女はぐりんと対戦相手へと顔を向ける。
 満面の笑顔。
 にもかかわらず、文はたじろぎ一歩後ずさった。
 その拍子に、彼女はしりもちをつく。思いのほか、酔いが回っていたようだ。
「そいういうことなら、私たちが協力してあげるよ」
 先ほど別の妖怪から聞いた科白とともに、杯を投げ捨てたリグルが千鳥足で近寄ってゆく。
「え、あ、ちょ……!」
 恐怖ともいえるような名状し難い感覚に文は立ち上がろうとするが、酒の回った体は焦れば焦るほど言うことをきいてはくれない。
 ほどなくして、リグルは彼女の前に立ちふさがった。月が逆光となり、彼女の表情は見えない。
 膝を折り、文の両肩に手をかけるリグル。
 顔が、見える。
 ほんのりと赤く染まった頬。艶やかとすら言える、微笑みを浮かべて。
 彼女が更に、近寄ってくる。
 互いの吐息すら、感じあえるほどの距離。
 そして。
 ズキュゥゥゥン。
 衝撃。
 爆発のように巻き起こる歓声とは裏腹に、文の意識が白く白く染まっていった。

***  

 見知らぬではない。見慣れぬ天井を見ていた。
 確かに見覚えはある。これは博麗神社の客間の天井だ。
 しかし、文の見たことのあるそれは、もっと広々とした、容易に隅の見えない、そんな天井だったはずだ。今見ているような、小さく四角に切り取られた天井では断じてない。
 つまり、今彼女が横になっている場所は、個室だということだ。
 文は博麗神社で一夜を明かしたことが何度かある。
 しかしそれは宴会後の、その他大勢の酔っ払い妖怪たちと同衾の大広間で、だ。
 首をかしげる。
 個室が宛がわれるとは、どういう風の吹き回しだろう。ずいぶんと気前のいい話だ。
 というか、霊夢が個室を使わせるような手合いが居るのかどうかも疑問だが。
 そもそも何故横になっているのかがわからない。
 茫洋とそんなことを思い。
 ぶるり、と身震いする。
 なんだか寒い。風邪でもひいたのだろうか。そういえば、なんとなく体も重い。
 それとも深酒が過ぎたのだろうか。恐らく酔いつぶれたのだろう。なんとも珍しい事態に陥ったのだ、そのせいかもしれない。
 などと思いつつ文は身を起こし。
 そして硬直する。
 眼下には慎ましやかになだらかな平原が望めた。
 つまり彼女は素っ裸だった。
 じわりと、文の額にいやな汗がにじむ。
 ……オーケー落ち着け射命丸文。思い出すのです、何故こんな状況なのか。
 何で寝ているのか思い出せなくて酔いつぶれたことにしたのを、既に忘れているらしい。
 ……実は私は酔うと脱ぎ癖があるというのはどうでしょう。
 実はといっている時点でもう思い出すも何もないが、一応は合理的な理屈が付けられたので、彼女は額の汗を拭い満足げに頷いた。
「ん……ぅ」
 そして硬直する。
 ぎりぎりぎりと、油の切れたぜんまいのような挙動で声の発生源、つまり身の下を見やる。
 そちらは未だ上掛けがかかっており、視認することはできなかった。
 ごくり、と咽が鳴る。動悸は激しくなり、息も荒くなる。
 意を決して、文は布団を捲り上げた。
 予想通り、一糸まとわぬ己の裸身。それはいい。本当はよくないが、いい。
 問題は、自らの下腹部辺りにいる、それだ。
 自分と同様、一糸まとわぬ少女の体。急に布団がなくなったためか、きゅうとよりいっそう文の体にしがみついてくる。
 緑色の髪。
 そして、ぴょんと飛び出た黒い触角。
 リグル・ナイトバグ。
 ……花の蜜を吸った責任とはこういうことか。
 ふぅ、と。
 たっぷり一分ほども眼下の光景を眺めていた彼女は深く息をつき。
 そして静かに微笑み、言った。
「あややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややや」
 首から上だけを右往左往させ、文は深く静かに動揺する。
 当然だった。
 今の今までこんな状況がなかったと言うほど、初心でもカマトトぶるつもりもないが、その場合も主導権は自分にあったし、イタる過程も認識してのことだった。
 こんなシチュエーションのみを与えられての投げっぱなしジャーマンなど、想定外のさらに外である。
「あややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややや」
 故に彼女は動揺していた。
「あややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややややや」
「ぁや……?」
「やぶっ?!」
 舌を噛む。
 気づけば彼女が、目をこすりながらこちらを見上げていた。
 視線が合う。
 十秒ほども見詰め合っていただろうか、リグルの表情が、雪解けた春のようにほころんだ。
 そんな彼女の笑顔に、不覚にも文の頬が赤く染まる。
 それにつられたのか、リグルは照れくさげに視線を逸らした。
 気まずいような、そうでないような空気が部屋を支配する。が。
「……あ」
 ややあって何かに気づいたように、リグルが声を上げた。
「体、大丈夫?」
 文を見上げ、気遣わしげに言う。
「な、何の話ですか」
 未だ動揺覚めやらぬ声で、それでも何とか言葉を返した。
「ごめんね、私、ああいうの初めてだったから……」
「だから何の話ですか?!」
 なぜか顔を赤らめてそんなことを言ってくる彼女に、文は悲鳴じみた声を上げる。
「……えへ」
 恥らうように、しかししっかりと彼女の瞳を見つめ、言う。
「文の中にいっぱい……出しちゃった」
「トェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェイ!」
 今度こそ文は猛り狂った。
 リグルの肩を引っつかみ、パンケーキでもひっくり返すように彼女を敷布に叩きつける。
 予想外の暴挙に、リグルは反応できない。背中をしたたかに打ちつけ、涙を目の端に浮かべて咳き込んだ。
 仰向けになった彼女の下半身を確認する。
 ……
 ………
 …………
 付いてない。
 さらに言うと、生えてもいなかった。
 ほっ、と文は安堵の吐息を吐く……
 暇もなかった。
 唐突に、部屋の襖が引き開けられる。
 そこにおわすは大輪幽香。
「ちょっとブン屋。昨日の件で聞きたいことがあるんだけ……ど……」
 彼女の言葉が、尻すぼんでゆく。
 涙目のリグル。
 それを組み敷く文。
 双方ともに全裸。
 時は止まり。
 三秒後、部屋は爆発した。

***

 そして冒頭に戻る。
 ちなみに部屋の爆発は、畳のいぐさが文字通り爆発的成長を遂げたことによる隆起であった。
 文は寸でのところでシーツをひっ掴み、離脱に成功し今に至っている。
 ミスティア以下三名は、幽香に昨日のことを話したのと同じ輩に色々吹き込まれ、何だかわからないが文は悪い奴と認識、同じく追っ手と化した。
「一番橙、行きまーす!」
 極めて程度の低い罵声を浴びせていた彼女らだったが、そのボキャブラリーすらも尽き果てたようで、ついに実力行使に乗り出した。
 橙は四肢をぐんと伸ばすと、そのまま高速回転を開始する。彼女の主八雲藍直伝、これが飛翔晴明である――
「ぅぇぇぇぇぇ……」
 そして呻き声とともにフェードアウトしていく橙。
「ああっ、橙が!」
「なんか色々撒き散らしながら墜ちていく!」
「二日酔いであれだけ回ればねー」
 飲み慣れていない彼女に、宴会はまだ早かったらしい。
「でも橙は私たちの中でも一番の小物! さあ鳴り物入り! 見えなくなるけど魅せたげる! いざ聞きなさい夜雀の歌を!」
「烏天狗っていつでも鳥目だよねー。そもそも今は朝だし」
「じゃあ役にたたないミスティアこそ小物だね!」
 チルノの心無い発言にミスティアはパーフェクトフリーズ、画面外へとフェードアウトしていく。
「なんか楽しそうねルーミア、顔見えないけど」
「そんな事ないよー」
 黒いボールは、しかしくすくすと笑った。
「それよりお腹すいたー。橙とミスティア拾って帰ろうよー」
「はいよー!」
 凍った雀三度に一度は粉みじん〜、と極めて物騒なフレーズ口ずさみつつ、チルノもあっさりとその場を後にする。飽きたらしい。
 そして張本人は一瞬闇を解き、最後の彼女に笑いかけ、チルノと同じく飛び去っていった。
 五名の内二名は戦わずして撃墜、さらに二名が退却。
 見事なまでの前座っぷりだが、かかる労力は少ないほうがよい。今度こそ振り切るべく、文は再び加速を試みる。
 その矢先、突如舞い散る白吹雪。無数の綿毛が彼女の進路を遮った。慌てて急停止し、耳を塞ぐ文。
 綿毛を侮ってはいけない。耳に入ったら、耳が聞こえなくなってしまうほどの危険物である。
 もっとも、彼女が起こしたソニックブームで連鎖爆発を起こしているそれが耳に入ろうものなら、聾るどころか脳みそバーンだ。妖怪に脳みそはないが。
 戦慄とともに、文は振り返る。
「……真打登場といったところでしょうか」
「元より当てになんてしてないわ」
「……でしょうね」
 ゆぅらりと日傘を揺らめかせる幽香の無形のプレッシャーに背に汗するも、努めて彼女は軽口をたたいた。
「それにしても……例の記事は本当だったんですね」
「いいえ」
「いいえ?」
 予想外の返答に、文は眉をひそめる。
 彼女の100%混じりっ気なしの誤解とはいえ、あの現場を目撃してこれほどに悲哀、憤怒、憎悪などなどをあらわにしたのだ。否定の言が発せられるとは思ってもみなかった。
「……」
 一方通行という発想は、彼女にはない。
「な、なら何故」
 先ほどより一層強まった負の波動に、文は背どころか色々当てられないところからも汗を流す。
「……貴方にはわからないわ」

***

「あ、ごめんなさい、勝手に入っちゃって」
「蟲のいない花の園なんて、不毛の大地と変わらないわ」
「ありがとう」
「だから、お礼なんて必要ない」
「でも、ありがとう」
「……」
「ねえ、このお花は貴方のお花?」
「……ええ」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「だって貴方によく似ているから」
「私に?」
「きれいだよ」

***

 彼女にはわからない。
 同族ある彼女には、わからない。
 恐れも、嘲りも、媚びもなく、ただきれいとだけ言う彼女がどれほど得難い存在であることか。
 敵か味方か。白と黒しかなかった世界に現れた彼女が、どれほど極彩に輝いていたことか。
 輝く光を失うことが、どれほどの恐怖であることか。
 だから。
「容赦はしないわ」
 指一つ鳴らすと、辺りを埋め尽くすほどに出現する楓の種。
 その光景は、種が七、空が三。
 回転しつつ無軌道に降下してくるそれらは、如何に文とはいえ回避しきれる数ではなかった。
 そう見切るや、彼女はシーツ以外には唯一持ち出せた長年の相棒を抜き放つ。
 年季の入った小さなカメラ。そのシャッターを切るや否や、不可避の弾幕に文字通り穴が開いた。
 ちなみにこのカメラ、消せるのは弾幕のみである。通常の被写体は消えない。それまで消えてしまっては単なる独裁スイッチである。
 つまりあの楓の種も、その形を模した弾幕であったということだ。
 文はすぐさま身を翻し、安地へと逃れ急上昇する。
 ……彼女は認識すべきだった。
 つまりこれは、楓の種ではないということに。
 先ほどの、綿毛と同様に。
 文が舞い上がろうとした瞬間に、周囲の種が爆発する。
 爆風にかき回される空気に翻弄され、彼女は地面に叩きつけ――
 られなかった。
 風を操る程度の能力の持主たる烏天狗である。爆風すら操り、文は然したる損害なしに着地した。
 しかし彼女は舌を打つ。肉体的な被害はないとはいえ、自らの領域たる空から追放されたことに変わりはない。
 既に辺りの中空には、ふわりと綿毛が漂っていた。
 今やその身は、相手のホームたる大地の上。
 文の着地のせいか周りの草は倒れ、クレーターのような様相を呈している。
 間断なく、油断なく、彼女は周囲を取り囲むうっそうとした茂みを警戒する。
 息の詰まる緊張感。どれほどの時が流れただろう。
 不意に。
 がさりと、右手の草が揺れる。
 痺れを切らしたか、と文はそちらに視線を向け……そして視線を奪われる。
 今の妖怪はお約束で人を襲う、訳のわからないものになってしまった、とは誰の言葉だったか。
 妖怪、特に若手の妖怪たちの間にそんな風潮があるのは確かで、それを刷新すべく啓蒙最前線にいたのは文である。
 しかし。
 彼女も今に生きる妖怪である以上、この風潮から無縁ではありえなかった。
 事実、文の視線は目の前の饅頭に釘付けられている。色があるのは自分自身と饅頭のみの、灰に染まった二色の世界。
 吸血鬼の墓穴の前に米粒をばら撒いておくと、ついその数を数えて夜が明けてしまい、結局墓穴に戻ってしまうように。
 烏天狗の前に饅頭を転がすと、拾って食べてしまうのである。それが例え、罠だと判っていても。
 今まで散々見てきたのだ。目の前に放られた毒饅頭を拾い食いし苦しんでいるところを、背後から「天誅!」の掛け声とともに斬り捨てられる同族の姿を。
 だから、文は誓ったのだ。
 自分はお約束を踏襲するような真似はしないと。
 だからこそ、彼女は率先して若手妖怪たちにそれを説いて回っていたのである。もっとも文の言葉は彼女の新聞記事並みに信憑性に乏しいため、誰も耳を傾けなかったが。
 だから。
 だから彼女は再び誓った。
 せめて、自分だけは流されまいと。お約束に抗ってみせると。
 だが、目をそらせない。
 饅頭が、近づいてくる。
 いや、彼女が近づいているのだ。
 視線が、下がる。
 ああ、しゃがんだんだな、と文は人事のように進展する事態を認識していた。
 そして思う。
 ああ、自分も結局お約束に生きる、そこらの妖怪たちとなんら変わりはないのだと。
 偉そうなことを言っても、結局はこの体たらく。もはやこの幻想郷に、真の意味での妖怪などいないのだ……
 指先に触れる、柔らかな感触。新たな感覚に、文の意識は急速に覚醒していった。
 違う。私は射名丸文。幻想郷の伝統ブン屋。自分の代からなので伝統も何もないような気もするが、とにかく伝統のブン屋だ。天狗の中でも最強クラス。主に執筆速度と発行間隔がだが。
 とにかく自分は有象無象、一山いくらの妖怪じゃない。お約束なんかに縛られない。
 そう、私はどこまでだって、高く飛べる――
「いただきまーす」
 駄目だった。
 しかし結局、彼女が饅頭を口にすることはなかった。
 なぜなら。
「ちょっと待ったー!」
 矢のような飛び蹴りが、今まさに饅頭にかぶりつかんとしていた文の右側頭部を射抜いたからだ。
「危ないところだったわね!」
 そんな科白とともに、マントを靡かせ参じ参るは渦中の妖怪リグル・ナイトバグ。
「……今、命が危ないんですが」
 したたかに地面に叩きつけられた左のこめかみと、蹴りを入れられた右のこめかみをふらふらと指差しながら、文は抗議する。
「血も出てないじゃない。それを食べてたら死んでたわよ。ミッシェルガント・エレガンスとかいう毒で」
「……庇う、のね……」
 ぴこぴこと得意げに触覚を上下させて言う彼女に、地獄の亡者のうめきのような声がかかった。
 ゆらり、と茂みより蠢き出でたのは、陰鬱な影を顔に落とした、幽香。
「……庇う?」
 人間ならば確実に彼岸送りになっていたであろう蹴りを喰らった頭部を指差しつつ、文は疑問を呈する。が、もとより幽香の眼中に文の姿はなく、もはやリグルも幽香を向いていた。
「違うの幽香! 私は鳥を庇ったりしない! 蟲たちを貪り喰らい、権兵衛さんがせっかくまいた種を穿り喰らう鳥なんて、大造じいさんに尽く撃ち落されて蟲に食まれて土に還ればいいと思う!」
 極端に偏った意見を、彼女は一息でまくし立てる。
 だが。
 そこで彼女はでも、と首を振った。
「彼女はだめなの。……彼女を死なせるわけにはいかないの!」
 思いのほかの告白に、唖然とした面持ちで文はリグルを見つめる。
「そんなに……そんなにその烏天狗が大切なの?! 自分を貪り喰らうような、そんな輩が?! それなら……それなら私だってウツボカズラの一個連隊だって用意するから! リグ……!」
「だって!」
 幽香の悲痛な言葉をみなまで聞かず、彼女は顔を上げた。
「文のお腹には、私の蟲がいるから!」
 沈黙。
 そして。
「っどぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?!」
 文は驚愕の絶叫を上げ。
 幽香は泡を吹いて倒れた。
「ああっ、幽香しっかりして!」
 崩れ落ちる彼女を、リグルはあわてて駆け寄り、支える。
 その腕の中で、幽香は異様に遠い目をしつつ、ぶつぶつと呪詛かなにかのように何事かを呟いていた。
「うふふ……ふふふふ……所詮私は見た目ばかり派手で結局実を結ばない徒花なのね……ふふうふふふ……最強の名も氷精に奪われ……ふぅふふ……妖精未満の塵あくた……」
「幽香正気に戻ってー?!」
 がっくんがっくんと揺らされるがままの幽香に彼女は必死に呼びかけるが、既に自分で自分を見下ろしているかのような風情の幽香の耳には届いていないようだった。
「ちょ、ちょっ、ちょっとリグルさん?!」
 一方激烈な反応を見せたのは文だ。頚骨をへし折らんばかりの勢いで彼女の頭を引っつかみ、無理やり自分のほうに顔を向けさせる。
「あ、貴方男だったんですか?!」
「そんなわけないでしょ、あれだけまんじり確認してたくせに。このエロ烏」
「じゃ、じゃあ環境が悪化するとオスが発生して強靭な子孫を残すというあれですか?! 確かに博麗神社の住環境は劣悪ですが!」
「それはミジンコ! 私は蛍」
 頭の両側をがっちり掴まれたまま、なに言ってんだこの天狗、と言わんばかりの表情で言う。
「ではどういうことです?! 私のお腹に貴方のこっ、子供がいるというのは?!」
 子供、の一言に幽香がひきつけのような危険な痙攣を開始した。
 しかし言われた当の彼女は、一瞬きょとんとした表情を浮かべ……ややあって顔を真っ赤に染め上げる。
「こっ……?! ち、違うわよ! な、なにいってんの?!」
「ち、違うんですか?」
 豆鉄砲を食らった鳩のような顔で言ってくる文に、チルノのようにいっぱいいっぱいな有様で彼女は反論する。
「違うに決まってるでしょ! さっきの言葉は裏も含みもない、そのままの意味よ!」
「……どういうこと?」
 ぜいぜいと荒い吐息をつく彼女に、何とか復帰した幽香が問いかけた。
「……えーとね」
 どう説明したものか、とリグルはしばし額に手をやり……ややあって文を指さした。
「太ったんだって」
「うわぁぁぁん!」
 あっさりと言われ、文は叫んで頭を抱える。わかっていたことではあるのだが、改めて言われるとダメージは大きかった。
「太った……?」
「連呼しないでください!」
 こちらに視線を向けて呟く幽香に、彼女はいやいやと頭を振る。
「そうは見えないけど」
「慰めなんていりません!」
 きっ、と向けられた瞳は涙目。別に彼女にしてみれば文を慰める謂われなどないのだが、後ろ向き思考一直線な文には正規の捉え方をされなかったようだ。
 彼女はうっちゃて、幽香はリグルへと向き直る。
「烏天狗が太ったのはわかったけど、あ、貴方があんなことをした理由にはならないでしょう?!」
「あんなこと?」
 一転取り乱したように言ってくる彼女に、リグルは心当たりなさげに首を傾げる。
「とぼけないで! 昨日の宴会で貴方とそこの烏天狗がせ、せ、接吻をしたって……!」
「せっぷん?」
「キスのことです」
 照れ混じりに文がそうフォローをいれると、今度は幽香が涙目で彼女を睨んできた。
「そ、それに貴方の虫が私のお腹いるというのもどういうことなんです?!」
 慌てて話題を転換する。文としては最重要確認事項でもあった。
 二人の視線が、リグルに集中する。
 そして当の本人は、ぽりぽりと頭を掻いた。
「そこまでわかってるなら、答えはもうでたようなもんだと思うんだけど……」
「……つまり私の中に蟲を入れるために、口移ししたと?」
「うん」
「な、何でそんな事を……?」
「だって初めてがお尻からって抵抗あるし……」
「いやそれ答えになってませんから! ていうか不穏当過ぎる発言です、訂正してください!」
「え、だってこれってカラスの一般的なダイエット法なんじゃないの?」
「……は?」
 その言葉に、文は呆けたような声を上げた。
「マリアっていうカラスが、ダイエットのために寄生虫をお腹で飼っていたって話を聞いたんだけど」
 違うの? と彼女は小首を傾げる。
「……誰から聞いたんです、そんな話」
「最近幻想郷に越してきた、ゲンジボタルの巴ちゃん」
「……」
「だからね!」
 もはや文は放っておいて、リグルはがっしと幽香の肩をつかみ、彼女の正面へ向き直った。
「その……純粋に人助けというか、妖怪助けだったんであって、あ、もちろん鳥なんかを助ける義理なんてないんだけど、あの時は酔っていたっていうか、たらふく飲めるいい機会だから飲め飲めってあいつらがうるさくって、鳥の中にうっちゃるのもいい薬かなとかちょっと厄介払い的な意味合いもあったわけで、決してやましい心があったわけじゃないの!」
 必死に言いつのる。
 そんな彼女の様子に、幽香はむしろ平静を取り戻したようだ。
「ごめんなさい、リグル。勘違いしちゃって」
「ううん、そんなこと」
 ほっとしたように、リグルは言う。
 だが、そんな彼女の様子とは裏腹に、幽香はかすかに表情を暗くした。
「でもあの烏天狗、太ったって言ってる割にはスレンダーだし、幻想郷で一番速いし、それに比べて私なんて最強は自称だし、花を操る程度の能力の持ち主のくせに花の妖怪じゃないっていう中途半端っぷりだし……」
「そんなことないよ!」
 初めて聞く彼女の弱気な言葉に、リグルは大仰に首を振るう。
「幽香は傲岸不遜で、高慢無礼で……いつだってオレ様至上で! 私は、私はそんな、貴方のことが……!」
 どこをどう聞いても悪口だった。だが言われている当の本人の瞳は、感極まったように潤んでいく。
 遠い目をして、近い二人を文は見ていた。
「……なにこの茶番……」
 完全においてけぼりを食った彼女が呟き両手を地について、
「ぐえっ?!」
 呻いた瞬間。
 世界は闇に沈んだ。

***

「水を差しちゃ悪いからね」
 闇の帳の張本人、ルーミアは文の首根っこをつかみ、ちらりと後ろを振り向いた。
 先ほどまで彼女が着ていた闇の衣は脱ぎ捨てられて、残された二人を包んでいる。
「ちょ、ルーミアさん離してください! 脱げる! 脱げちゃいますって!」
「ならこうすれば、大丈夫」
 必死にシーツを押さえる彼女を顧みず、彼女はそう嘯いた。
 ルーミアから滲み出る闇が、二人を覆う。
 いつもの彼女の目撃例、ふらふら飛んでる闇の球。
 確かに、何も見えない。
 外から中も、中から外も。
「光は嫌い。肌は荒れるし、何も考えられなくなるし、髪の毛もカサカサになって枝毛も増えるし、挙げ句の果てには眠くなるし」
 内から内も、見えなかった。
「あんなに輝いているのに、私を照らしてくれないし」
「……ルーミアさん……?」
 ぽたりと、文の頬にしずくが落ちる。
 小さく鼻をすする音。
 もはや彼女は何も言わず、ただ引かれるがまま。
 闇は、優しかった。

***

 その日の夜、文の体重は彼女の理想たる値へと返り咲いた。
 しかし。
 体重減少の過程について、彼女は固く口を閉ざしている。
 ただその件に関して、リグルは一言コメントを残した。
「ああお帰り。……狭き門だったね?」
 鳥肥ゆる秋。
 ちなみに二人が真っ裸だったのは、善意の第三者が酒に濡れた服を脱がしてくれたからです。
 善意の第三者なので他意はありません。
 健気ですね。
 それでは御拝読いただき、ありがとうございました。





























 暴飲のバグエリオン 歌:リグル・ナイトバグとパラサイトダンサーズ

 宴の始まりの日 神社軒の下で
 おけらたちの声の遠い残響 二人で聞いた
 食したものすべて 飲み干したのすべて
 胃袋に収めて 境内に はしごに行くの
 お酒を注ぐ 琥珀のグラス
 酒飲まなけりゃ 平生の素面でいられた
 不知なる のどごしを持つ麦酒
 傷つかないで 肝の臓
 それ思い知るため無茶飲みした

 一万匹と二千匹の蟲が巣食ってる
 八千匹追加をしたら合計で二万匹
 一億と二千匹の蟲が求めてる 
 酒を知ったその日から 僕の体にアルコールは絶えない

 宴が終わる前に お酒無くなる前に
 眠る君起して あと二杯ひっかけたいよ
 酔いつぶれてない蟲らの記憶
 お酒に飲まれ倒れ伏す麗しき君
 目を覚ませ 永遠に涸れぬ光
 汚されないで君の服 二日酔いしながら朝迎えた

 一万匹と二千匹の蟲が巣食ってる
 八千匹追加をしたら合計で二万匹
 一億と二千匹の蟲が求めてる
 酒を知ったその日から 僕の体にアルコールは絶えない

 君が繰り返し杯空けて
 何度も意識を遠くにやって
 見守る僕が飲んでない僕らグダグダになったとしても
 君の身を守るために

 一万匹と二千匹の蟲が巣食ってる
 八千匹追加をしたら合計で二万匹
 一億と二千匹の蟲が求めてる
 酒を知ったその日から

 一万匹と二千匹の蟲が巣食ってる
 八千匹追加をしたら合計で二万匹
 一億と二千匹の蟲が求めてる
 酒を知ったその日から 僕の体にアルコールは絶えない
SHOCK.S
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2008/10/04 21:49:44
更新日時:
2008/10/07 12:49:44
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5.00
1. 6 慶賀 ■2008/10/05 13:35:08
テーマはもう投げてしまえ。絶対作者様が一番こんぺ楽しんでる。
フリーダムだった。個人的な意見としては、やや文章が読み辛いかなと
思いました。レイアウトの問題でしょうか。
 後こっちの事情として、この作品が最後に読んだものだったんですが、
有る意味めっさ締めくくりにふさわしかった気がします。後で読み返すとは
思いますが。いやー楽しんだ。
2. 4 小山田 ■2008/10/07 00:54:07
ドタバタぶりが楽しげでした。
後はそのドタバタした様子を面白さに昇華してもらえたら、本当の意味で楽しく読めたと思います。
3. 8 ななし ■2008/10/08 11:39:57
暗闇の中でいったい何をやっているのかと。
4. 6 神鋼 ■2008/10/09 19:21:52
まさかルーミアにおいしいところを持っていかれるとは……予想外でした。
5. フリーレス ■2008/10/20 15:30:52
おぼっちゃまくん
6. 8 deso ■2008/10/23 23:08:01
これはノリノリで楽しくてちょっぴりえっち!
面白かったですw
7. 7 大崎屋平蔵 ■2008/10/24 07:28:59
百合は苦手だー、がががが。

でも面白かった。文とリグルと幽香がかわいかった。
とくに文がかわいかったですw
8. 8 カテジナ ■2008/10/25 21:01:02
歌吹いたwwあなたは素晴らしいエンターテイナーだ!
9. 4 詩所 ■2008/10/26 20:27:54
好みが分かれそうな作品です。
個人的にはところどころで面白みは感じるんですけど後半に入って息切れしてしまっている感がありました。
10. 3 ミスターブシドー ■2008/10/27 00:31:03
真相を明かせないまま進むからこうなるか。
材料は二次寄りだが進行に無理が無く素直に楽しめた。ネタの好き嫌いが出るだろう。
地味にルーミアがいい。
最後の一言が酷い。しかしお題は??
11. 6 #15 ■2008/10/27 20:01:43
要所々々はアレなのに、全体的に見てみるとちゃんとまとまってるのがww

素朴な疑問ですけど、寄生虫ちゃん達はどうやって帰ったんでしょう?
普通に、外でも活動出来るんでしたっけ、寄生虫って…
12. 9 三文字 ■2008/10/30 02:50:49
お題が薄いかなと思ったけど、笑いすぎてどうでもよくなったぜ!!
酔っぱらった霊夢に萌え悶え、萃めて欲しいものに涙し、あややややで爆笑でした。……愛って言ったの誰だ?
そしてバグエリオンの歌詞……これは酷いwてかあんたは何を書いているんだw
誰が何と言おうと、私は幽リグ大好物ですよ?
例え巨大ハエトリソウに挟まれてもゆうかりんへの愛は消えぬのだあああ!!
13. 4 眼帯つけた兎さん ■2008/10/30 06:49:21
水というよりはダイエットのお話?
橙の脱落の仕方に涙が零れ落ちた。式の子は式。
とんだ茶番だ!
14. 5 PNS ■2008/10/30 10:25:40
テンポが一定していなくて、話についていけませんでした。
暴飲のバグエリオンも何というか……蛇足かなと。
15. 2 つくし ■2008/10/30 17:36:25
 どうも話の焦点がアッチやコッチにいってしまう感じで読むのがしんどいです。冒頭の時系列操作はおそらくインパクトあるワンシーンを持ってこようという意図だと思うのですが、しかし時系列がばらけることによりいよいよ物語の輪郭が散漫になってしまった感じです。文章密度のコントロールを。
 あと余談ですが、「拝読」は謙譲語です。
16. 7 じらふ ■2008/10/31 21:37:48
えー…正直に告白しますと途中まで読んで「これいーのかー、こんぺはケンゼンじゃなくてもいーのかー?」などと考えておりました。いやナイスオチでこけた…。
幽香の妬いてる姿がたまらなくかわいかったです…文にとっちゃたまったもんじゃないだろうけど。あ、ルーミアにもほろりと。

あと暴飲のバグエリオンは笑わせて貰いまった。
17. 2 今回は感想のみ ■2008/10/31 22:12:06
ごちゃごちゃしたまま進んでいって、わけがわからない上に冗長。
なんというか、書いている時は楽しかったんだろうなあという感想は持ちました。例えばあとがきの替え歌とか。
ただ、ここを考える余裕があるのなら、本編をもう少し読めるようにしてほしかったかも。
18. 5 藤ゅ村 ■2008/11/01 17:47:01
 狭き門を潜ればそこは地下だった。
 最後らへんのルーミアの台詞は、あるいは幽香と似たような境遇だからってことでしょうかね。唐突でしたけど。
 リグルが珍しく余裕たっぷりでした。
 流石はばぐえりおん。合体とかしないのかしら。
19. 8 八重結界 ■2008/11/01 18:38:39
テンポは軽快。小ネタも好みで、オチもなかなかでした。
途中で予想できたのが少し残念ですが。
乙女な文というのも、これはこれで良いものです。
20. 2 つくね ■2008/11/01 20:15:17
その作詞努力に乾杯。
さて時系列を分ける手法は難しく、残念ながら今回の分はそれを上手く使いこなせなかったように思います。また途中で会話の連続感を出すためか地の文が無いシーンなどは少し混乱してしまいました。
21. 7 木村圭 ■2008/11/01 21:52:27
るみゃあああああああああああ可愛いよおおおおおおおおおおお
実に健気ですね。
文が太ったのは冒頭でほぼ確信してましたが、まさかこんなドラマが待っていようとは。
何かもう文の体重とかどうでも良くなってしまいました。急転直下の脇役降格。
22. 6 blankii ■2008/11/01 22:12:15
文章からどうしようもなく滲み出るネタの豊富さ、その混合具合の絶妙さが心地良過ぎる。でも、お題の『水』成分は少し薄かったかも、と思います。第2回の『酒』だったら納得だったのですが。
ともかく、読んでいて非常ににやけ顔の止まらないSSでした。
23. 6 リコーダー ■2008/11/01 23:41:20
お前ら、萃香からバカルテットに至るまで、ただ騒ぎたいだけかと違うのかと。
24. 5 時計屋 ■2008/11/01 23:44:47

なんというかまさしく天狗が風に乗ってきたかのように、
呆然としている間に高速で飛び去っていったようなSSでした。

掛け合いがテンポ良くギャグもこなれていて面白かったのですが、
時系列が前後しているせいで、逆にそのテンポが阻害されたようにも感じます。

あとお題がちょっと薄かったのが残念。
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