アルキメデス・フリー

作品集: 最新 投稿日時: 2008/10/04 22:30:07 更新日時: 2008/10/07 13:30:07 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00


「私、カナヅチってよくわからないのよね」
 切っ掛けは、そんな一言だった。
「だって、普通、身体は水に浮くものじゃない? いくら泳げないからって、沈むわけじゃないと思うんだけど」
 そう言って、霊夢は気だるげに団扇を動かした。
 全身が干上がってしまいそうな真夏日のことである。地に張り付いた木影は、そこだけが切り取られたかのようにくっきりと鮮やかな線を描き、遥か山向こうにそびえる入道雲は、出来損ないの粘土像みたいにどっしりとして不恰好だった。
 ちりん、と鳴る風鈴はあまりにも微かで、朝から止むことの無い蝉の声にかき消されて涼を感じる暇(いとま)も無い。
 猛暑である。
 霊夢の住まいは、いまや窓という窓、扉という扉を全て開け放っていたが、それでも暑いものは暑い。
「身体が浮くって言うけどさー」
 だらしなく寝そべる魔理沙が、これまただらしなく答えた。
「カナヅチにとっちゃあ、それが一番難しいところなんだよ」
「だから、それがわからないのよ。別に難しいことなんかないじゃない。ただ水に浮くだけなんだもの」
 んー、と魔理沙はごろごろと畳を転がり、うっとうしげに髪をかき上げて身体を起こした。
「純粋に浮力の問題でいえば、だ。比重が軽ければ、そりゃあ浮くさ」
 卓に肘を置いて、魔理沙は言った。
「でもな、人間の比重は1に近いから、そのままじゃあんまり浮かないぜ。息をしてれば、肺が浮き袋代わりになるから浮くけどな」
「じゃあ、やっぱり浮くんじゃない」
「それがな。ちゃんと浮力を得るには、頭も水につけなきゃならん。さっきも言ったが、人間の比重は、浮くか浮かないか微妙なところなんだ。だから、きちんと全身を水に浸けて、力を抜いて身体を広げて、できれば適度に水を掻いて浮力を稼がなきゃならないんだ。カナヅチってのは、水が怖い。水を怖がるから、なるだけ水から離れようとする。でも、水から出る部分が多いほど沈むから、それじゃ逆効果なのさ」
 魔理沙も、小さい頃は水を怖がっていた、らしい。らしい、というのは本人が覚えていないからである。彼女が生まれた頃からを知る古道具屋の主人曰く、「みんなで川遊びに行った時だね。水面に顔を浸けるだけでも大騒ぎだったんだ。わんわん大泣きしてね。とうとう奥様から逃げてきて僕にしがみついてきたんだけど、覚えてないのかい?」
 そんなのは大嘘だ、と魔理沙は信じている。仮に本当だったとすれば、証拠隠滅のためにマスタースパークを最低三発はあの銀髪眼鏡にぶちこまねばならないのである。
 もちろん、そんな過去については、この場で霊夢にも話さない。極めて一般的な事例として、カナヅチとは水を怖がるものだ、と述べるにとどめる。
 魔理沙の説明を受けて、霊夢は、ふーん、と気のない様子で相槌を打った。温くなった麦茶を飲んで、天井を見上げる。
 しばしの沈黙の後、霊夢は口を開いた。
「やっぱりわからないなあ。水が怖いなんて思ったことないから」
「ほう」
 魔理沙は茹だる暑さの中で考える。
 そういえば、この友人が泳ぐ姿は見たことがないな、と。
 そこで、魔理沙は、ぽん、と両手を叩いた。
「よし。じゃあさ、水の怖さを体験しに行こうぜ」


 紅魔館の傍に広がるその湖は、外周を歩くだけで半日はかかりそうなほどに広い。
 近くの山々から流れる川の水は、ほとんどこの湖へ流れ込んでくるのである。水深もそれなりにあって、底の方には巨大生物が棲んでいるという噂すらある。
 だが、湖の縁には、子どもでも足が付く程度には浅いところがあって、たいていは妖精や妖怪達の格好の水遊びの場となっている。
 人気(ひとけ)はほとんど無い。人里からはやや距離があるし、危険な妖怪の縄張りが複雑に絡み合う場所でもある。酔狂な釣り人が岩場で糸を垂らすことも無いわけではないが、それとて、この湖の豊かな生態系を目当てにしてのことだ。何が棲むか知れぬ中を、のんびり泳ごうなんて人間は、普通はいない。
 そして、霊夢や魔理沙は、当然ながら、いささか普通ではなかった。
「一度、ここで泳いでみたかったんだよな」
 と、魔理沙は腰に手を当てて笑う。いつもの魔法使いの衣装は脱ぎ去り、水着である。黒帽子の代わりに麦藁帽子。黒のセパレーツに白いパレオといったいでたちである。
 普段は森にこもっているせいか、露な肌は眩しいほどに白い。
「へー、こんなところがあったのねえ」
 と、周囲を見渡す霊夢。彼女も水着姿である。赤地に白いストライプが入ったワンピースで、背中を大胆に晒すデザインである。
 ちなみに、どちらの水着も香霖堂から入手したものである。あつらえたように彼女らにぴったりで、はたして乙女のサイズをどれだけ正確に把握しているのかこの男は、と魔理沙は戦々恐々としたものだが、なに、種明かしをすれば、八雲紫からの入手だという。
「狐も猫も水遊びには付き合ってくれないのよ。だから、水着を選ぶ楽しみが無くって」とは、紫の弁らしい。
 ともあれ、泳ぐ体勢は万全である。準備運動を終えた魔理沙は、「さあ泳ぐか」と霊夢に笑いかけた。
「泳ぐったってねえ。涼しくはなるけど、別にいつもと変わらないじゃない」
 対して、霊夢は特に盛り上がることなく、小首を傾げた。
「何言ってるんだ。泳ぐのと水浴びは全然違うだろ。水を切って泳ぐのって気持ち良いじゃないか」
「そうかなあ。シャワー浴びるのとたいして違わない気がするけど」
 ははん、と魔理沙は、にやり、と笑った。
「まさかお前、泳げないんじゃないだろうな」
「泳げるわよ」
「泳げるなら、その面白さだってわかるはずだぜ。よし、ここは一つ、霊夢の泳ぎっぷりをまずは見せてもらおうじゃないか」
 やれやれ、と霊夢は肩をすくめる。
「疑ってるのね。いいわ、泳げるってところを見せてあげるわよ」
 霊夢は、岩から降りて湖面にその身体を浸した。

 そして、
 その直立不動の姿勢のまま、ざああああっと波を切って沖へ進んだ。

「おいいいいいいいい!?」

 魔理沙は素っ頓狂に叫んで、我が目を疑った。
 浮くとかどうとかじゃない。水に浮かべばマッチ棒だって横になるのだ。縦になったままで進むなんて、まずありえない。
 その上、霊夢は水を掻くことなんて一切していなかった。首まで水に浸かった状態だが、時折両手を水面に出して、ばしゃばしゃと顔を洗っているのである。そもそも、首の出た角度からして、普通なら立ち泳ぎの姿勢であるからして、これで前に進むというのが、これはもう、おかしい。
 いや、前だけではない。よく見れば、そのまま横にも後ろにも進んでいる。方向転換は自由自在の様子である。
 その上に、速い。空を翔るかのごとく、あっという間に豆粒ほどになるまで遠ざかっていく。
 遠目から見れば、生首が水面を滑るように動いているのと変わらないのである。これは、怖い。
 近くで遊んでいた妖精が、絹を裂くような悲鳴を上げて逃げ惑った。それを追いかけ、追い越す生首。恐怖のあまり弾幕を展開する妖精達の中を、すいすいと縫うようにかいくぐり、ひとしきり回遊した後、すうっと岸に戻ってきた。

「ああ、涼しかった。どう、泳げるでしょう?」
「違ぇよ! それ、泳ぎじゃねえよ! なんかもっと違う何かだよ!」
「失礼ね。ちゃんと泳いでるじゃないの」
「あんなホラーな泳ぎ方があってたまるか! なんなんだよ、あれ! どうやってんだよ!」
「どうって、普通よ。だから言ったじゃない。いつもと大して変わらないって」
「普通じゃねえよ! 普通はさあ、もっとこう、手と足をばたつかせるもんなんだよ!」
「あ、クロールもできるよ。ほら、クロール」
「いや、手だけクロールの格好してるだけじゃん、それ! 手で掻いてないのに等速度運動じゃん!」

 魔理沙は膝を折って、うなだれた。
 なるほど、これが、これが博麗霊夢か。博麗霊夢とは、こういうことなのか。
 彼女の何ものにも捉われないその能力は、水にすら働くというのか。

 東方に水中戦が無くて、本当に良かった。
 魔理沙は、心底、そう思った。


 後日、少女の生首の妖怪が湖に出るとの噂が天狗の新聞で報じられた。
 湖には、『危険につき遊泳禁止』の札が立った。
 その夏は、妖精も妖怪もそこには近づかなかったという。
止めるな、俺は霊夢と泳ぐんだ
deso
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2008/10/04 22:30:07
更新日時:
2008/10/07 13:30:07
評価:
0/0
POINT:
0
Rate:
5.00
1. 8 慶賀 ■2008/10/05 13:34:34
テーマは霊夢ですかね。こういうとんがった文章、へへ、
嫌いじゃないッスよ。カナヅチが何故カナヅチなのかはっきり
教えて頂いた作品。他の作品の方々よりはっきり知識が入って来ましたね。
やはりうんちくは一つに分かりやすく焦点を定めてということなのか……。
2. フリーレス めるへん☆きっく ■2008/10/05 21:42:32
へっ、お前だけにカッコつけさせるかよ
3. 6 小山田 ■2008/10/07 01:00:39
直立不動のまま水面を割って進む霊夢という絵面を想像して、思わず噴出してしまいました。
シンプルで無駄なくオチへと向かう構成が、オチを強烈に引き立たせています。
映像化しやすい簡潔な文章も効果的です。
4. 3 名無し ■2008/10/08 21:29:50
もう一ひねり欲しかったかも
5. 10 歩人 ■2008/10/10 20:15:08
スンゲェ笑った。これはもう満点しかない。
6. 3 佐藤 厚志 ■2008/10/11 03:58:33
霊夢かわいいです。
7. 2 神鋼 ■2008/10/12 00:16:35
味付けが薄くて物足りないです。
8. 7 カテジナ ■2008/10/15 19:17:03
陸・海・空、全対応の霊夢に脱帽。まさに博麗の巫女の片鱗!
9. 4 yuz ■2008/10/17 22:27:50
オレも泳ぐ。オレも。
10. 10 #15 ■2008/10/18 14:58:36
よくぞ考えたwwwwww
11. 8 大崎屋平蔵 ■2008/10/24 07:27:19
霊夢がフリーダムw
12. 6 詩所 ■2008/10/26 20:28:26
想像するときめぇw
13. 2 ミスターブシドー ■2008/10/27 00:31:50
ある程度「こうなるんじゃねぇの」と読めたけど、霊夢の無敵っぷりもここまでくると笑うしかない。
どうでもいい部分だが、紫の水着選びの件は妙に納得。
14. 6 PNS ■2008/10/28 14:31:09
エウーレカー。さすが霊夢だ。モーセなんて目じゃないぜ。
15. 9 三文字 ■2008/10/30 03:00:47
そんな危険なことは止めるんだ!俺が代わりに霊夢と泳いでやるから!!
にしても、泳いでいる姿を想像したらシュール過ぎるw
小さい魔理沙が泣きだすところとか、二人の可愛らしい水着姿とか、色々と詳しく聞きたいところがあったのに、霊夢の泳ぎで全部吹っ飛んでしまった。
16. 3 眼帯つけた兎さん ■2008/10/30 06:48:57
霊夢フリーダムすぎる。
あと、あとがきの男らしさに惚れかけた。
17. 7 つくし ■2008/10/30 17:38:52
 うん、止めないから頑張れ。
 無重力と書いてフリーダムと読むんですね分かります。想像して噴いた。
18. 2 じらふ ■2008/10/31 21:38:10
エウレカ!
いやー幻想郷に海がなくて良かった…河童と水中戦しても勝てそうな霊夢に乾杯!
19. 7 77号 ■2008/10/31 21:58:59
想像するだけで、そうとうきもい。
落ちまでの流れで一本取られました、うん。
20. 7 今回は感想のみ ■2008/10/31 22:14:33
もう吹いたら負けで、見事に負けた。
ただ、魔理沙のつっこみがべたすぎて、霊夢の泳ぎ方からより笑える方向に転がっていかなかったのは残念かな。
21. 8 リコーダー ■2008/11/01 09:23:03
フリーどころか明らかにアルキメデスに喧嘩売ってます。本当に(ry
起承転結も段取りも何もなしに、シーンのインパクトだけで持って行くというのは、小説媒体では逆に凄いと思う。
22. 6 藤ゅ村 ■2008/11/01 18:01:24
 ふいたわ
 霊夢が泳いでるシーンを冷静に想像したらそれだけで辛抱たまらなくなってきた。前振り長いことが結構効いてる気がします。そこから怒涛の展開でしたし。まあ霊夢からすれば普通に泳いでるだけなのに、それが面白く思えるのは書き方が上手いからっていうのもあるんだなあと。
 うろたえる妖精に萌えた。
23. 7 八重結界 ■2008/11/01 18:39:02
さすがにこの展開は予想できなかった。
そしてあとがきで吹いた。
24. 3 つくね ■2008/11/01 20:22:50
さあ今すぐJOCに自由形として登録するんだ。
25. 8 名乗る名前がない ■2008/11/01 21:24:39
もはや立派な妖怪です。
この霊夢の威力は……ゴメンちょっとタンマ。おなか痛いww
26. 9 木村圭 ■2008/11/01 21:52:47
腹筋が2秒で全滅した
27. 2 blankii ■2008/11/01 22:15:22
ゆっくりバタ足掻いていってね!!

知らなかったらゴメンナサイですが、『生首』の時点で『ゆっくり』が浮かんでしまった。流石もう天衣無縫というか天人五衰? そんなの関係ねぇ!! な霊夢さんですね(イミフ
28. 5 時計屋 ■2008/11/01 23:45:04
短いながら威力のある短編でした。
29. 6 Id ■2008/11/01 23:49:12
霊夢の泳ぎ(?)を想像して吹きました。この短さでこれだけの面白さを出せるのは立派。欲を言えばもう少しボリュームを増やして欲しかったです。良くも悪くもおもしろいけどあっさり終わってしまう、四コマ漫画のような。
30. 6 774 ■2008/11/01 23:58:33
意表を突かれました。
こういう発想がどこから出てくるのか知りたい…
31. フリーレス deso ■2008/11/04 20:47:22
お読みくださった皆様、どうもありがとうございました。
まさか、この話で上位に入るとは思ってもいなかったので、驚くやら恐れ入るやら。
ひとまず、楽しんでいただけたようで良かったです。
この話は、いってみれば買い置きしてた野菜をざっくり切ってサラダ作りました、みたいなものです。
ドレッシングだけ、ちょっと珍しいのを使いましたけど。
できればもっといろんな素材をぶちこんで、ちゃんとした料理を作りたかったなあ、と反省。
まあ、今回はそんなところで。皆さんこんぺお疲れ様でした。
私はこれから霊夢に轢かれてきます。
32. フリーレス しず ■2008/11/07 22:36:52
インパク知!(古い)
大変面白かったです。
霊夢の泳ぎを想像するだけで思わず笑いが。
あと、霊夢が泳ぐ事をそこまで楽しい事だと思ってなさそうなのも、泳ぎ方ひとつで全て納得出来ました。
名前 メール
評価 パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード