飛べない魚

作品集: 最新 投稿日時: 2008/10/05 08:48:58 更新日時: 2008/10/07 23:48:58 評価: 0/0 POINT: 0 Rate: 5.00



 飛べない魚は夢を見る。
 空と同じ色の海の中で。
 空を飛べる夢を見る。
 夢が覚めて海を泳ぐ。
 いつか夢のように空を飛ぶと想いつつ。
 いつまでたっても空は飛べないかもしれないが、
 その翼は飛ぶように速く海を翔けることだろう。
 誰よりも速く海を泳ぐことだろう。
 それが幸せなことかは誰にも分からない。
 彼は夢を見ているのだから。
 空を飛ぶ夢を。






 雨音が軽やかな音楽を奏でる。鍋のフタがシンバル。水たまりの水面がティンパニ。風が吹いてまた音は広く盛り上がっていく。
 季節はずれの長雨の風景。今日もまた雨が降る。飽きず空は雨を降らす。

 花屋に娘が出来たらしい。こんな時分に生まれたものだから雨に関する名前にしたそうだ。
 安易。じつに安易。されど人はそんな名前のように生きていき、そんな名前のような人や妖怪になる。
 一種の洗脳とでも言おうか。顔の大きい馬や顔の長い落語家のように、一つ出来たイメージというものはとにかく残りやすい。そういうイメージとともに人々は生きていくのだから。

 軽く雷鳴。
 頭の悪い妖精にでも落ちたのだろう。雷は人間に落ちれば一大事だが、妖精や妖怪だと「痛かった」で済んでしまうからおかしな話だ。へそのゴマもとられはしないという。ますますおかしな話だ。
 神が鳴って「雷」なのにも関わらず。

 雨はますます降り、落ちる。一向に止む気配はない。これで何日目だったか、この雨が降り出してから。
 暗雲が夜の空を覆う。星はなく、月もなく、影もなく。
 真夜中の大通りに人はなく、ただ雨の粒だけが影踏みをしているだけ。
 色はなく。ただ時折思い出すように星や月の残照が頭を通り過ぎるだけ。

 いつからこうしているのだったか。軒下なので雨こそかかって来ないがまだ暦としては冬、かなり寒い。
 それなのに、なぜ自分はここでこうしていたのだったか。
 何も当てがなかったのではなかったか。金はなく、宿もなく。雨を防ぐ傘の代わりだけはあったが。
 別に了承を得て雨宿りしているわけではない。たまたますっころんだ鼻先にあったから居座っているだけで。
 朝になる前に路地裏にでも行かねばなるまい。そう思うと頭が痛い。長雨を恨むことにした。


 その男は静かに現れた。傘を差してこちらへ歩いてくる。
「こんなところで雨宿りかい」
「ええ。こんなところで」
 そっけなく聞かれたのでそっけなく返す。初対面ではあるが、なんとなく気が合うかもしれないと思った。
 傘を閉じて僕と同じ屋根の下に入った彼は傘の水滴をはじきながらもう一度聞いてきた。
「こんなところで雨宿りかい」
「ええ。こんなところで」
 本当にそうなのか、そう聞いているのかもしれない。あるいは皮肉なのか。もしくは両方なのか。
 それとも、この軒先が彼の家のものだったりするのか。
「この雨、何日前だったけなぁ」
「二週間前からでしたか」
 二週間前。そうこの雨が降り出したのは二週間前だった。それから時折一時的に止むことはあっても雲が晴れることはなく、ただまた雨が降り出すのみ。こう雨が続けば気も滅入る。下痢の人が多いというのも分かる気がする。
「病は気からというが、お天道さんも気分悪くなったりすんのかねぇ」
「あるかもしれませんね」
 空に気分を聞いてみたら空しくなった。三点。と彼は呟いていた。1点の間違いだと思うのだが。
 それから、彼は懐からタバコの箱を取り出した。『敷島』と銘が振られている。
「しかし、あなたはこんな雨なのに機嫌が悪くないようですね」
 普通、こんなに雨ばかりなら不機嫌になると思うのだが。湿気で起きることも辛い、寝るのも辛い、不快指数は指数関数的に増大する。
「当たり前だろう、外が雨なら仕事が休みだからな」
 タバコをくわえた顔で彼はニカっと笑った。
「ところで、こんなところで雨宿りかい」
「天丼は二回までと親に習いませんでした」
「相手に気付かれなければ三回まではいいと俺の親は言ってたが」
 気付いているから今回はそのルールは適用されない。というかそのルールは詭弁だ。他者に気付かれていないのならばどうとでも言える。
「あなたこそどうしてこんな夜更けに」
「質問には質問で返すなって爺にでも習わなかったか」
「祖母はむしろやれと」
 祖母なんて会ったこともないが、ノリで真似をしておいた。
 男は真似されたのが癪に障ったのか急に真面目になった。まぁこちらも真似をされたわけだが。
「最初に聞いたのは俺だし、お前の方が先にここにいたんだからお前が先に言え」
 正論だ。正しい論理は言われた相手に容赦というものを与えない。もし正論をかまして相手がそれをかわしたのならば、それは正論ではない。
「行き倒れで行くところがないので」
「倒れてないやん」
「精神的には倒れてるつもりです」
「ならばよし!」
 音波が雨粒に拡散されて霧散した。屋内のように五月蝿い。まぁ一応屋根はあるわけだが。
「それで、あなたは」
「そうだな、墓参りだな」
 袖の菊の花びらを払いながら言った。こんな夜更けに花まで持って墓参りに行くとは随分怪しい行動だな。まぁおそらくは考え事をするために行ったのだろうが。
「雨なら、花だけ持っていけばいいからな」
「夜なら、もしかしたら当人に会えるかもしれないからですか」
 法事とは実質生者のために行われる儀式だ。死者のいた居場所を少しずつ埋めていき、消すために。思い出す間隔を少しずつ長くすることによって風化させていく。会うということは別れること。法事のたびに故人に会った気分になり、そして別れた気分になる。それは常に気分であり、実感ではない。そしてその気分は次第に薄くなっていく。
 墓は居場所を失った故人の新たな居場所であるが、そこに参っても得られるのは気分であって実感ではない。もし実際に故人に会えてしまったのならそれは本来の墓参りの意味ではない。
「会えなかったがな。墓参りだったから」
 この人もそういう考えのようだ。
「面白いなお前さん。ところで名前はなんていうんだ?」
「いや、名など呼ばれたこともありませんで。好きに呼んでください」
 行っては去り、また行っては去る。そんな生活をするのなら名前など必要がない。だから名前など欲しくはなかったし、周りの人々も必要とはしていなかった。そう、今までは。
「ほう。それじゃ――、霖之助ってのはどうだ?」
 霖雨。それは長い雨。
「構いませんよ」
「そうかそうか。そうだ、行き倒れなら俺のところで働かんか」
「何か店をやっているのですか?」
 余り商売人のようには思えなかったが。人は見かけや印象によらないのだろうか。どちらかというと考究家の気があると感じていたのだが。
「霧雨店ってのは知らないか? そこそこ名は知れてると思ってたんだが」
 彼は立っている場所の後ろにあった看板を指差して言った。錆びた銅版に『霧雨店』と書かれている。
 霧雨店。それは里最大手の道具屋である。道具屋とはいっても日用品や食料品なども多く扱っており、何でも屋といったほうが正しいのかもしれない。
「そうですね。お世話になりますか」
 断る理由もない。
「そうかい。こんなところで雨宿りかい」
「ええ。こんなところで」


 明くる日。薄明るい曇天。その下を黒味がかった雷雲が通り抜けていく。一つ雷鳴、二つ雷鳴。そうしてまたお決まりのように水が落ちる音。温度は下がり、湿度は上がる。体感的にはイーブンパー。しかし心情的にはいいとこ池ポチャだ。
 散々降ってもいまだ降る。三度泣いて四度吐く。
「商売の仕方は知ってるか?」
「一応は。転々としていたもので」
「さいで」
 雨は止まずとも仕事はある。それが商売人の根性なのだという。飽きもせず仕事に邁進することが商いの道と霧雨さんは言う。ちなみに「商い」の語源は「飽きない」ではない。あしからず。
「転々とってのは里の外も、ということか?」
「ええ。主に魔法の森と無縁塚ですか」
 無縁塚。それは魔法の森の向こう側にある再思の道の行き止まりにある場所。縁をなくした死者の墓である。幻想郷の人間に縁をなくしたものなどほとんどないので、無縁塚の墓は多くが幻想郷に迷い込んだ人間の墓である。
「無縁塚ぁ? あんなところに何があるんだ?」
「外の世界の物ですよ。あそこは結界が薄いようでして」
 そう、縁をなくしたものが集う場所でもあるのだ。
「霧雨さんは外の世界に興味はありますか?」
「ないことはないが、別段行きたくもないかねぇ」
 顎をかきながら親父さんはそう答えた。
「昨日思ったんですが、霧雨さんは商売人とは思えませんね」
「お、よく分かったな」
「は?」
「実は婿養子でな。実家は稗田なんだ」
「稗田というと、幻想郷縁起の……?」
「そう、その稗田だ」
 稗田家は稗田阿礼から続く名家だ。幻想郷縁起という書物の編纂を行う御阿礼の子が百数十年置きに生まれるが、それ以外の人々もまた幻想郷の歴史に携わる仕事をしている。
 実家がその稗田ならば、霧雨さんの考究家の感じも納得がいく。
「昔は稗田のクソガキと言われたもんだなー」
「確かに、若くないとガキじゃありませんからね」
「そう、若くないとな」
 親父さんはそう言って店の奥へ入っていった。店の奥には霧雨さんの奥さんがいる。奥さんは体が弱く、あまり前には出てくることが出来ない。
 後に聞いた話だが、そのために霧雨さんは稗田家から霧雨家に婿に入ったのだという。親父さんは次男で家系を継ぐ予定がなかったためらしい。

 時間が経って、雨天ともいうのに幾人かのお客が来店した。この辺はやはり大手と思う。
「ああ? また集会場の壁変えたって?」
 お客からの世間話に、親父さんがひどく驚いたようなふうに装って入っていった。雨天だとお客が少ないので世間話に応じることも多いらしい。
「そうだよ、霧雨さん。まーたレンガだってさぁ。こりないねぇ商長も」
 商長というのは里を取り締まる長のうちの1人で、商工を治めている。長は他にも数人いて、妖怪退治や農酪などを担当する兵長、インフラや人間同士での争いの調停などを担当する民長といった具合である。
「前もその前も湿気で腐ってったのにな。この湿気の多い郷じゃレンガは無理さ、タイルにしてくっつけとけって言えばいいじゃねぇか」
「民長が日雇いの数増やすためにってさ。食いっぱぐれは見てる方もいやだからねぇ。場所さえ作ってやればいい、とさ」
「場所ねぇ……。里以外は道なんかまともに整備してないんだからそっちへ回しゃいいと思うんだがな」
「妖怪に襲われないように見張る人手がいるからさ。いくら金が出るからっていっても命は大事だからねぇ」
 雨降りということもあり、お客は買い物というより世間話目的で店に来ているようだった。
「だそうだが、どうなんだい慧音様」
「私に言われてもな……」
 白と青の髪の女性。慧音というのは白沢の半獣の上白沢慧音のことだ。割と古くから里で歴史を取り扱っているらしい。暇を持て余しているので寺子屋でも開こうかな、と考えているとかいないとか。
「さすがにこうも雨が続くと客もまばらでなぁ。日用品以外は売れやせん。どうにかならんのかい歴史家さんよ」
「そんなことを私に言われてもね……。祈祷師にでも言いつけてやっておくれ。今大盛況らしいから」
「大盛況の店に文句を言うためだけにわざわざ行く趣味はないんでな。と、どうだこの砂糖。和三盆には及ばんがそこそこらしいぜ?」
 話の隙を突いて商売人の本領を発揮させる霧雨さん。瓶の値札には時価と書かれていた。
「お前はいつもそうだな……。ふむ、物自体はさすがにいいものだな。さすが霧雨店、良品がそろっている」
 瓶の中に入っている正六面体の砂糖を舐めつつ、慧音は評した。
「物はいいことはいいが……。いかんせん高すぎる。もう少しなんとかならないか」
 提示額は米一升ほどの値だった。砂糖は五両(190グラム程度)ほどの量だったので、確かに高い。
「だがここまでだな。それ以下は無理だねぇ。生活懸かってるしな、この雨で。ちなみにこいつはなかなか手に入らんし、お前さんの好きな菓子にもあうだろう。ま、を買うような気兼ねで悩んでくれたまえ」
 提示額は米七合程度まで下げられていたが、それでもまだ高い。慧音は顎に手を掛けてうなっている。
「むむ……。もう少し下げられないのか」
「無理」
「情けはこの店に置いていないのか!」
「情けは大好評につき現在品切れ中でございます。次の入荷をお待ちください」


 次の日。雲はようやく去り、久しぶりの太陽が空に踊っていた。
「あー、これでようやく布団が干せるな」
 雨戸を全て開け、窓をも全開に。湿気が家そのものから抜けていくような感があった。
「しっかしこれで忙しくなるぞ。民衆の長いことたまってた買い物欲求が暴発するだろうからな」
 霧雨さんは浮き浮きと高揚した様子で通りの表の方へ歩いていった。
「雨なら休みでよかったんじゃないのですか?」
「雨もいいが、やはり晴れだ。客が大勢来んで嬉しい店の主がどこにいるというんだ?」
 要するにどちらでもいいということらしい。

 それから、霧が立ち込めることもなく、夏が遅れたわけでもなく。ごく平凡に季節は過ぎていった。いつしか、僕は霧雨さんを敬愛をこめて親父さんと呼ぶようになっていた。


 小雨降る深夜。僕は用を足すために起き出していた。雨どいを伝う水粒がぴしゃん、ぴしゃんと小さく音を立てている。
「寒いな……」
 二月も終わりとはいえ、夜明け前は寒い。吐く息は白く、動くのも辛い。用は終えたので早く戻ろうと足を速める。
 ふと、窓のふちからかすかに煙が見えた。普段こんなところに火の気はない。不審に思い、窓を開けてみることにした。
「おや、見つかってしまったか」
 そこにはこそこそとタバコを吸う親父さんの姿があった。
「……なんでこんなところで」
「いやな、うるさいんだよカミさんが」
 だからって、わざわざこんな時間にこんなところで吸う必要はないと思う。
「それならもっと明るい時間にすればいいでしょう。見つかりさえしなければいいわけですし」
「……時間はいつだってかまわないさ。でもここは俺だけの場所にしたい。出来れば邪魔はされたくない。お前になら分かるだろう?」
 煙るタバコを泥につけて消す。水煙が少し上がって消えた。
 確かに思考の際に一人になりたいと思うことはある。
「でもね、俺は待ってるんだ。ここにあいつが来てくれることを。あいつが俺をここから連れ出してくれることを。気分はとらわれのお姫様ってとこかな?」
「こんな煙臭いお姫様がいますか」
「言えてるぜ」

「そういえばお前さん、魔法道具とか外界の道具とか扱いたいんだったよな」
 親父さんが思い出したように言った。吸っているタバコはもう十二本目だった。
「ええ。でもここだと人々の反発が大きいからダメ、でしたか」
「ああ、ダミだな」
 魔法は結局妖の術であり、外界の道具も使いにくいから商品にはなりにくい。そのためこの霧雨店では扱っていないし、今後も扱う予定はなかった。
「実はな、魔法の森の入り口に俺の義叔父がやっていた店があるんだ。『森近堂』っていう」
「へぇ。どれくらいの距離なんですか」
「匍匐前進で二時間、エンタープライズで三秒くらいだ」
 分かりづらい……。
「それで、そこがどうしたんですか」
「そこはな、ちょうど幻想郷のど真ん中に位置してるのさ。人間じゃないやつも来やすいだろう。ここからも遠くないしな。だからけっこう無茶が出来ると思うんだが」
 遠い目をしながら親父さんが言った。多分そちらの方を見ているのだろう。
「そこを貸してもらえると?」
「まぁそういうことだ。というかやってもいい。一応ウチのものだがなー、別に使ってないし。有効利用できるんなら貰ってくれや」
 指ではじいてタバコが飛んでいった。ゆるく放物線を描き、瑠璃色の水溜りに堕ちていく。
「相当古くて何が棲んでるかわからんがな」
「厄介ごとを押し付けてません?」
「一石二鳥と言いたまえ」

「なぁ霖之助。何で人は夢を見たがると思う?」
 ようやく顔を見せた月を見上げつつ親父さんは言った。その顔はいつになく真剣で、目が覚めるような思いがしていた。
「走らなければ、前に進めないから」
 なぜ人は空を飛びたがるのだろう。なぜ人は夢を抱くのだろう。そんなことはいつだって思っていた。考えていた。そのときの僕の答えが、それだった。
「ま、答えではあるわな。じゃあなんで人は前に進まなきゃならんと、お前は考えたことがあるかい?」
 予想外の回答に驚きを覚えた。そんなことは当たり前で、誰だってそうだと思っていたからだ。
「前に進まなければダメでしょう。それでは生きている意味がない」
「なぜ意味がない。俺らはこうして生きているじゃないか。雨が上がった次の日の水溜りに足を踏み外して泥だらけになっても、生きているじゃないか」
 ちょうど目の前にあった水溜りに石を投げて言う。
 段々禅問答のようになってきたが、僕は続けた。
「生きるということは立ち止まらないことでしょう。生きるということは振り返らないということでしょう。行き急いでこそ、人は生というもののありがたさがわかるのだから」
 老人が立ち止まって過去を振り返るように。子供がうつむいて現在しか見えないように。
「なら夢を叶えられないことが分かっているやつの話をしようか」
「はい?」
 叶えられないことがわかっているとはなんだろうか。例えば、空を飛ぼうとする魚のようなものだろうか。
「出来ないってわかってるのにそれでも夢を追いかけれる奴は幸せだな。出来ないってわかってるから失敗してもへこたれないんだ。すっころんでもニヘニヘ笑ってまた立って。そんでまた走り出す。幸せなことじゃないか」
 確かに幸せなのだろう。慣れというものだ。坂道を初めて登る苦しさと日常的に登っている苦しさとでは比較にもならない。しかし慣れで軽減されるのはあくまで苦しさであって、不安は時間を重ねるごとに大きくなる。
「それは出来るかもしれないって思っているからでしょう?」
「あぁそうだな。億に一つ、兆に一つ。出来るかもしれねぇって思ってるだろうさ。でもそれよりかは絶望の方がでかかろう。なんつったって『出来ない』って現実突きつけられてるわけだからな」
 前提からいけば不安はないということだろうか。絶望が勝っているのなら人は意思でしか前に進むことは出来ない。しかしならば何故夢を追いかけるのだろうか。希望はない。絶望ばかり。諦めきれないだけなのだろうか。出来ないことがわかっているのにしようとする。それは何故なのだろうか。
「それでも、なぜ追いかけるんです?」
「『こうやって走ってるうちにどこか別のところに着くかもしれない』って思ってるからさ」
「は?」
「例えばだな、『い』ってところに行きたいとする。場所はだいたいわかる。でも行き方が分からないんだよ、そいつには。だからその場所の方へがむしゃらに走った。そうしたら全然別の『ろ』ってとこに着いちまった、て感じかな。その『ろ』ってところは『い』みたいに場所がわかってなかったし、存在も知ってなかったんだ。半ばあきらめてて、結局『い』には着けなかったけど、それでも『ろ』には着けたんだ。ハッピーエンドだろう? だろう?」
「そうですかね。結局『い』には着けなかったのに」
 目的地に着けなかったことのに幸せになるのだろうか。それは最初の推論と異なった結論を付ける文章のようなものではないだろうか。第三者から見れば問題はない様に思えても、当人にしてみれば予想外の事態だと思う。
「夢っていうのは結局指針でしかないからな。指針でしかない以上、そこにつけるとは限らない。でも何かを成し遂げたいのなら夢を描かなければならない。人は夢に縛られている。寝て夢を見、醒めて夢を描く。いつまで経っても逃れられない。起きているのに夢を描いていないと思っているやつは気付いていないだけだ。どこへ行こうと思うこと自体が夢だというのに」
「つまり人は夢を見たがるのではなく、見なければならないんですか」
 眠っていても夢を見ないと感じるのはただ覚えていないだけなのだろうか。起きる際にその夢を放り出して忘れているだけなのだろうか。または、起きているときに描いていた夢に上書きされただけなのだろうか。
「夢から醒める方法はただ一つ。死ぬことだ。逆に言えば、生きるのならば夢からは醒められない」
「悪夢もまた夢、ですか」
「そうだ。そして、現実は夢であり、夢もまた現実だ。ならばその悪夢を足がかりに新たな夢を見つけ出せ。死以外で夢を塗り替えることでしか悪夢から醒める方法はない」
 生きることを選択するのなら悪夢から醒めるためには立ち向かうことしか方法がない。そういうことだ。
 そして、これで最後だ、と注を付けて親父さんが言った。
「お前には明確な夢があるだろう? ならば追え。たとえそこに行き着けなくとも、結局そこにしか道などない。そしていつか辿り着く。夢より遠くへ」
 言い切った親父さんは少し寂しげな目をしていた。

 談笑の後もまだ小雨は降っていた。小雨は霧のように細かく、霧雨と言った方が正しいのかもしれない。
 霧雨は雨のなりそこない、親父さんならそんな風に言ったのかもしれない。
「俺はもう少しタバコ吸ってるから先寝ていいぞ」
「それでは」
「ああ」
 戸を軽く開けてその場を去った。

 霖之助が去って数刻のち、大きく息を吐いた後、霧雨は呟いた。
「水落ちて 皆は泣き止み 心着く」

 そして来たれる足音ひとつ。



 数日して正式に森近堂を譲ってもらった僕は親父さんの協力も貰ってとりあえず寝泊りできる程度に改修し、霧雨店から独立した。
 僕は半ば廃墟のような森近堂を整理し、『香霖堂』と改称し外の道具や魔法具などを扱う店とした。
 無縁塚に出向き、外の世界の道具に触れて想像を巡らすこともあった。
 知り合いも割かし増えた。特に博麗の巫女の霊夢と親父さんの娘の魔理沙はよく来店する。客としてではないことが大半だが。
 魔理沙は僕が霧雨店を出てから数ヵ月後に生まれた。奥さんは高齢であったので親父さんにも不安があったのだろう、僕はある種の相談役でもあったらしい。
 僕は何回か相談のために霧雨店を訪れた際に魔理沙と面識はあったが、ある日突然家を飛び出して僕のところにやってきたときは驚いた。魔法のことで親父さんと喧嘩となり、飛び出してきたのだという。
 親父さんも家出までされるとは思ってもいなかったらしく、説得に来たものの効果はなく、結局僕のところに預けられることとなった。
 それからしばらく魔理沙との生活が続いた。それは騒がしいものではあったが、楽しいものでもあった。そして、魔理沙はやはり親父さんに似ていると思ったものだ。
 数年後、魔理沙は1人立ちすると言った。僕は餞別にあるものを渡し、とりあえずの平穏を得た。
 しかしいつものようにやって来る霊夢と魔理沙のせいで、僕の生活に長い平穏というものはない。


 霧雨店を独立してから十数年後。僕は蝉の鳴き声に耐えられなくなって店から逃げ出した。
 ここまでうるさい蝉は初めてだったので、その理由を探るために久しぶりに里へ行くことにしたのだ。
 とはいえ手がかりもないので、とりあえず霧雨店へ出向くことにした。
 独立してからも何回か霧雨店は訪れていたもの、この数年は里に行く機会がなかったせいか、霧雨店を訪れることはなかった。
 歩いてみればそう遠くはない。無縁塚に比べれば身近といっても差し支えない距離だろう。それでも里にはあまり寄ることはない。別に親父さんがどうこうということではなく、ただ単に僕が妖怪とのハーフであまり見た目の変化が少なく、里の人間に不快感や恐怖を与えてしまうからだ。……とはいっても里にも妖怪は普通にいる。ただ単に僕が出不精なだけだ。

 店は相変わらず繁盛している。自分の店にもこれくらい客が来たならどんなにいいかと思いつつも、いまの静か目な生活も捨てられない。大事なものほど捨てた方がいいと分かっているのに捨てられない。蒐集家の悪い癖だ。
「お、霖之助じゃないか。久しぶりだな」
 店の中から親父さんが声をかけてきた。眼鏡をかけて帳簿を手にしていた。以前よりも大分老け、白髪が目立っていた。
「そんなとこに突っ立てないで入って来いや」
「いや、お久しぶりです親父さん」
 一礼をして店内に入る。店の中には十数人のお客、そして親父さんと同じ服装をした数人が対応をしていた。
「お前は相変わらず変わらんな」
「親父さんは大分老けましたね」
「人は移る。同じ場所にはいられない。そういうことさ」
「相変わらずで、何よりです」
 言っていることとは正反対だが、こうも変わらない人も珍しいと思う。いや、実際には変わっているのだろう。変わっていない様に見えるだけだ。常に同じように変化していればいくら経っても変わったようには思えないだろう。そういう人は強い。そしてまた、魔理沙も同じように思える。

 霧雨店の商売の話や香霖堂の商品、外の世界の道具などの話をした後、本題に入ることにした。
「蝉ねぇ」
「心当たりはないですかね」
「ないなぁ。こういうのなら俺の実家かな」
「親父さんの実家……、稗田家ですか」
「ああ」
「あそこには面識がないので、できれば紹介していただけないですか?」
 お世話になった人の家に行くのが億劫になるのだから、会ったこともない他人ともなればハードルが高すぎる。いつも思うのだが二面性を身につけるべきなのだろうか。
「悪い。生憎この後忙しい時間帯なんでな。まぁ紹介状くらいは書いてやるよ」
 やはり人の縁というものは持つべきだと強く感じた。


 稗田家で調べものをした後、霧雨店にまた寄った。日は落ち、閉店間近の店の前に親父さんが座っていた。
「目当てのものは見つかったか?」
「ええ。そして興味深いことも分かりました」
「そうか。そいつは良かったな」
 タバコを吹かしながら親父さんは笑った。それから、タバコを灰皿に落としてから立ち上がり、親父さんは僕に聞いた。
「霖之助、俺の夢って、何か分かるか?」
「……魔理沙でしょう」
「よく、分かったな」
 笑みを零しながら親父さんは答えた。
「家出したときは驚いたがな。ま、あいつならいつかは出て行くだろうと思ってはいたがな」
「親父さんの娘ですからね」
 二人して笑った。
「俺に出来なかったことをするのなら、俺の傍にはいたらダメなんだろうな」
「親父さんが出来なかったこととは何ですか?」
「……何だっただろうな。忘れちまった。捜し求め、ついに見つけた夢だ。それ以前のことなんてどうでもよくなるのかもな」
 寂しそうな目をして親父さんが言った。
「それが、夢より遠く、ですか」
「そういうことだ。あいつが昔俺が求めていたものをなし得たのなら、そのときに思い出せるだろう。俺はここから眺めているさ」

 最後に振り返り、別れを言った。
「然様ならば、また会いましょう」
「然様ならば、君の幸せを祈る」


 止まらぬ風が吹き寄せる。
 行き人の影はもう見えず、先に見えるのは月が陰る空。
 男はただ立っていた。別れたときと同じように。
 風が止まって、空を見上げて。男はただ一言呟いた。
「ただ、雨が降って花が咲いただけか」
 夏の終わりは近かった。




 帰りの徒、陰る月を眺め思った。
 夢とは何だろうか。探しても追いつけずその手からすり抜けてしまう。
 しかしそれを求めることによって人は遠い場所に行くことができる。
 追っては失い、違う夢を求め、また追う。
 そしていつの日か辿り着く。あの水面を越えて、夢より遠くへ。
2:23am
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2008/10/05 08:48:58
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2008/10/07 23:48:58
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1. 7 慶賀 ■2008/10/05 13:11:40
テーマは解釈?この二人について掘り込む話は初めて読みました。
 偉い丁寧に肉付けされてて、自分の力量の低さを実感させられます。
 いや親父さんタバコがエロい!
2. 6 小山田 ■2008/10/07 13:30:15
 物語の切り口の良さに、ぐいぐいと引きつけられて読了いたしました。
 ただ、台詞の気取った言い回しを意図しているところに強烈な違和感。洒落た会話とも言い難いやり取りに、若干気持ちが冷えてしまった部分がありました。
 地の文章では簡潔明瞭な言葉で淡々と進めるのがよかったですね。ただ、最後の文は無理矢理締めに入ったようで、読後感がほんの少し損なわれました。
3. 8 #15 ■2008/10/07 16:54:19
何かよく分からないけど良かった!!
4. 5 佐藤 厚志 ■2008/10/08 19:19:58
親父さんとこーりんのやり取りは目に浮かぶようですね。
何となく香霖堂の本が待ちどうしくなりました。
5. 9 三文字 ■2008/10/10 02:47:22
霧雨の親父さんは良い男だなぁ、こういう男になりたいなぁ。
なんというか、魔理沙の父親といわれても全く違和感がないです。うん、格好良いオヤジだ。
夢を求めて、結果違った夢に行きつく。人生そんなものなんでしょうね。
でも、願わくばまっすぐ自分の夢に至りたいものです。
情緒的で、情感たっぷりな文章が心地良かった作品でした。
6. 4 yuz ■2008/10/10 22:17:18
なかなかむつかしいですね。
7. 3 人形屋 ■2008/10/11 13:59:30
親父さんがいい味出しています。
8. 7 deso ■2008/10/23 22:35:56
面白かったです。
親父さん、味があって良いですねえ。
9. 9 神鋼 ■2008/10/25 18:10:10
親父さんカッコイイなあ……ちょっとした行動にニヒルさやシニカルさが見える面白さでした。
10. 6 ミスターブシドー ■2008/10/27 01:07:38
面白かった。
ヤング香霖の話というのはあまりお目にかからない、ましてや弾幕少女との絡みが一切無いとなれば。
淡々と流れている話は香霖の持つ雰囲気に近く、大きな起伏の無いストーリーでもそれが退屈にならない。
この話の主役は霧雨のおとっつぁんだと思うがね。
11. 5 詩所 ■2008/10/29 00:30:33
人間は夢を成し遂げるには時間も少ないし、社会の中に居る限りやるべき事が多過ぎる。
だから夢を見るんだと思います。
12. 9 PNS ■2008/10/29 20:19:37
きっれーな文章だなー、というのが第一印象でした。
登場人物の会話も軽妙で、読んでいて楽しくなりました。
ただ、終わりも川のように何事も無く流れていってしまって、寂しかったです。
もう少し、ハッとする何かが欲しかったなーと。
13. 7 眼帯つけた兎さん ■2008/10/30 06:33:11
おじさんかっこういいよ。
14. 4 つくし ■2008/10/31 12:22:27
 小説香霖堂のエピソードなども織り交ぜて洒落た感じに仕上がっているのですがなぜかこう、読後感が胡乱です。前半はエピソードが少なすぎ、後半は言葉が多すぎる感じが。雰囲気は嫌いではないのですがー。
15. 7 じらふ ■2008/10/31 21:49:54
この父にしてあの子あり…。魔理沙もまた夢より遠く羽ばたく日が来るのかなあ、なんて妄想してみたり。
阿求と魔理沙が親戚とは斬新な…と思いましたが、存外気質似てるかも(凝り性というか何と言うか…)

科白回しが巧みなのと、どうにも掛け合いや小ネタが非常にツボに入ったので+1点させて貰います。
16. 7 八重結界 ■2008/11/01 18:56:30
ただ歴史を辿っているだけなのに、その裏に込められた人々の心情が切実なまでに伝わってくる良い話でした。
そして霖之助は昔から苦労性だったんですね。妙に納得。
17. 4 木村圭 ■2008/11/01 22:05:59
誤字が散見されるのが惜しい。勢いよく読むような類ではないだけに特に。
オッサン同士の会話は女の子同士とはまた違った趣があって良いです。
夢なんてものを大真面目に語れるのは男の特権だと思います。
18. 5 藤ゅ村 ■2008/11/01 22:15:17
 惜しい。
 語りの部分がやや長い感じ。一貫性はあるのですが、キャラが物語の中だけで語っているシーンが多いので、読み手が話に入り込む余地がないような。キャラの中ではちゃんと完結していて、言っている意味もなんとなくわかるのですけど、どうも空々しく響いてしまう。不思議。
19. 6 リコーダー ■2008/11/01 23:23:21
どんなに親父の人生論をぶたれた所で、ちゃんと理解できるのは実際に生きてみた後なんですけどね。
それでも、この清々しさは格別ではあります。
20. 6 blankii ■2008/11/01 23:42:11
『夢』に関して語るSSとしてかなり面白かったです。親父さんと霖之助の問答とかもモロ好み。
ただし水や魚の話はどちらかと言えば『夢』の比喩として用いられているのが主な印象だったように思います。あと、夢が存在すること自体は自明なものとして語られているので、夢の成因とか夢が人を駆り立てる機構とか、語ってくれると更に面白かったなぁと(勝手に)思っています。
21. 6 774 ■2008/11/01 23:44:29
良い雰囲気ですね。
親父さんのキャラも違和感なくて良いです。
ただ、途中ちょっと語りがしつこかった気がします。
22. 7 時計屋 ■2008/11/01 23:54:59
うーむ、なんというか、渋いSSでした。
特におっさん同士の台詞回しが絶妙で、なんだか悟りきったようなもしくは諦めきったような人生観が哀愁をさそいます。
ただちょっと言いたい事を前面に出しすぎてた感がありました。
もっと透明感があったほうが私的には好みでした。
23. フリーレス つくね ■2008/11/03 21:23:15
感想期間中に付けられなくて申し訳ありません。ですが、せめて感想だけでも付けさせて頂ければと。
淡々と渋い世界を見せられた感じですね。紫煙がこちらにも届きそうです。
ただ主たる部分が過去の回想ですが、こちらが言うなれば主語だけを抜粋して見せているような。少しばかり急ぎ、のようなものがありました。
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