色盲河童

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/06 02:03:19 更新日時: 2009/05/06 02:03:19 評価: 29/31 POINT: 207 Rate: 1.55
■プロローグ

 それは音の出る不思議な機械だった。
 薄く平べったい正方形の形をしていて、スライド式のイジェクトボタンを滑らせると、中から円盤を包んだ一回り小さい四角いプラスチック製の物体が吐き出される。吐き出されると同時にイヤホンから流れる曲(がちゃがちゃと喧しい)が停止するので、どうやらこの円盤の中に音が詰め込まれているらしい。

『MDプレイヤー』

 無駄にいかつい装飾が施された表面に、誇らしげにその文字は刻まれていた。
 このMDプレイヤーなる外界の機械は、外の俗世からこの世界に流れ着いたものである。
 偶然か必然か、管理者の故意か過失か、幻想郷と外界を隔てる結界に揺らぎが生じることが稀にある。
 その揺らぎは、例えば、人が迷い込めばルーミアなどの妖怪が喜び、書物が落ちてくれば魔法使いの少女達が喜び、そしてこのMDプレイヤーのような精密機械であれば香霖堂かにとりが喜ぶといった具合に、何らかの形で幻想郷に恩恵をもたらすケースが多い。
 そして、今日幻想入りしたばかりのMDプレイヤーを拾ったのは、河童の河城にとりであった。

 妖怪の山に棲む河童は、ほとんどが技術者である。
 幻想郷に暮らす者であれば言うまでも無いことだが、山の社会は仲間意識が高い一方で、極めて排他的である。それは他所の文化や技術に対しても同じで、彼らは自分達が創り上げたものしか認めない。つまり、MDプレイヤーが幻想入りしようが何しようが、山の住人や河童達にはどうでもいいことだったのだ。

 にとりも「河童は技術者」の例に洩れず一介の技術者であるが、そこだけは他の河童達とは違った。
 にとりは手にしたMDプレイヤーを隈なく調べた後、背負ったリュックサックの横ポケットから数種類の工具を取り出し、MDプレイヤーを分解し始めた。
 胡麻のように小さなネジを緩めてカバーを外し、ディスクを入れるためのガイドを引っこ抜くと、あっという間に精巧な基盤がむき出しになった。基盤の下には磁気ヘッドとレーザーを照射するレンズが見える。
 にとりは涼しい顔のまま本体から磁気ヘッドとレンズを取り外したが、それでもまだ手を休めない。MDプレイヤーとして働かされている部品達を自由にしてやるとばかりの徹底的な分解ぶりである。

 ばらした部品一つ一つをルーペでじっくり観察し終えると、にとりの周りには、それだけあっても使い道のよく分からないこまごました部品が散在していた。
 にとりは辺りに散らばった部品に目を落とした。
 すると今度は、散らばった部品をひょいひょいと拾い始め、元あった場所へと次々とはめ込んでいった。
 小石と間違えそうなほど小さな部品を全て見分ける視線の先を、淀みない小さな手が捉える。
 まるでビデオテープを逆再生したように、しかも発芽から開花までの花の成長を数秒に圧縮再生したような驚くべき速さで、MDプレイヤーが再び姿を現した。
 中にディスクを入れて再生ボタンを押した。短い電子音の後、イヤホンから喧しい音楽が聞こえてきた。
 曲送りや音量調整など一通りの動作確認を終えて、にとりはイヤホンの紐を引っ張ってそれを外した。

 これでもかと言うくらい徹底的に分解したMDプレイヤーを、にとりは見事に復元させてみせた。
 分解と復元。機械の構造が完璧に頭に入っていなければ出来ない芸当を、にとりは初見でやってのけた。

 にとりのような手先の器用さは、技術者にとって必要不可欠である。
 勿論それ以外にも、知識の量と、人一倍の好奇心と、何事にも捉われない発想力が必要だろう。中でも発想力は発明の源で、技術者の技量をそのまま映すと言ってもいい。
 にとりがMDプレイヤーを分解するとき手持ちの工具で事足りたように、今のところ外界の科学は山のそれと大きな開きは無いようだが、全く別の発想が根底にある。

 分解してその根底の違いを突き止め、復元することでその発想を吸収する。
 つまり外界から落ちてくる物は、発想力を養う恰好の材料になる。
 それこそが、にとりが外界の人工物を尊ぶ理由だった。
 そういった面からも、にとりは他の河童達と毛色が全く異なる。
 一つでも多くのアイデアを練り出せるようになりたいと、そのためには外界の技術を受け入れることも厭わない、とすらにとりは思っている。

『あれを作るためなら』

 ずっと昔のことでも、その思いは色褪せない。
 あの顔を、彼女の灰色に濁った左目を思い出すと、鍵の下辺りがちくちくと痛む。
 リュックサックの肩ベルトに括りつけた鍵を、にとりは握りしめる。
 ぎゅっ、という金属製の鍵に力を込める音と、胸の前で白くなった小さな手。
 手の痛みが、胸の痛みと混ざり合ってくれた。
 白く泡立つ沢をぼんやり眺めながら、軽く目を細める。
 細まった瞳の上を、白い影が次々と横切っていた──。










■1

 私は馬鹿が嫌いだ。
 残念なことに、私の周りは揃いも揃って馬鹿ばかりである。
 私と同じ次元で物を話せない技術者仲間など本当の仲間ではないし、私と同じ河童であることが疑わしい瞬間すらある。まるで人間か、人間に飼われた家畜並の頭脳しかないのではないか、と憐憫の念を抱いて忙しい。とは言っても、仲間意識の強いこの山の社会を乱しても何ら特にならないので、山の住人達や技術者仲間とは荒波を立てることなく上手くやっているつもりだ。

 しかし、姉の場合は違う。
 もちろん私の姉だって例外ではなく、私を取り巻く馬鹿の一人。むしろ、私が知っている馬鹿の中で姉が一際目立っている。
 頭が悪くて、間抜けで、気弱で、落ちこぼれで、何をやらせても失敗ばかりで、それでいて常にへらへらしている姉の一体どこを認めればいいのだ。
 認める部分があるとすれば、彼女の能力だろうか。

 水を操る程度の能力。
 姉の能力は大層河童らしいものだが、使い道にスマートさの欠片も無く、完全に使い道を間違えているとしか思えない。
 と言うのも、この間、珍しく彼女が私のもとに持ってきた発明品がその力を利用した弾数無制限の水鉄砲だった。私はそれを見て、言葉に表せないくらい幻滅したのを覚えている。あの時浮かべた苦笑いは、本当に舌がぴりぴりと苦く感じたものだ。
 あれで私と同じ技術者を名乗っているのだから迷惑な話である。
 それに、私の姉を語るのもやめてもらいたい。彼女にとっては誇りだろうが、私にとっては屈辱以外の何物でもないからだ。
 その屈辱から少しでも距離を置くべく、私は姉と別居している。もっとも、妖怪の山と言えど、外を出歩けば結構な確率で姉に遭遇してしまう。外界のことわざをもじると、山の世間も広いようで狭いのである──。



 そんな夢想によって、私は目を覚ました。

 樹海の奥のそのまた奥、山の住人すら立ち寄らないような樹海の奥地に私の家はある。私はここに誰にも知られないように川から水を引き、家の横に池を作った。
 池に面した寝室の窓を見やると、眩しいほどの朝日が部屋に差し込んでいる。
 窓を開けると、秋の涼しい風がカーテンを躍らせ、鳥達のおはようが私を出迎えてくれた。池からの照り返しに目を細める。
 窓から顔を出して風に当たってみたが、逆に眩暈を覚えた。四日不眠が続いた体に今朝の清々しさは少々酷だったようだった。

 私が一つの発明の完成までに四日を要するのは珍しいことだが、それなりに難易度の高い発明だった。他の河童なら、少なくとも残りの寿命の半分を費やしたことだろう。姉の場合を考えてみたが、一生かかっても無理だろうと思えて笑えた。
 それが完成した直後は流石の私も気が緩んでしまって、新作のシェイクダウンは睡眠後に行うことにした。
 睡眠と言っても、きっと私以外の者からすれば仮眠と呼ぶのだろう。ベッドに入るときには既に朝焼けを見ていたので、睡眠時間は大よそ二時間くらい。しかし私は、どんなに不眠の日が続こうとも、それ以上は眠らないよう心がけていた。

『馬鹿はよく眠る』

 かの妖怪の賢者の前ではとても言えない台詞だが、偉人達の多くは睡眠時間が短かかったことを私は逆の捉え方をし、自分自身の戒めに使っている。
 私は寝室を出て、昨夜完成した新作を取りに廊下の奥にある研究室へと向かう。
 研究室の扉の前に立ち、ポケットから研究室の鍵を取り出した。
 真鍮製の鍵を鍵穴に差し込んで捻ると、かちゃり、と音がして鍵が外れた。
 六畳一間の研究室の扉を開け、部屋の中央にある作業台へと進むと、台の上に完成したまま放ったらかしにしておいた新作を手に取った。

 今回の新作は、形状をどうするか非常に悩んだ。

 道具というのは、邪魔にならず、かつすぐに使えないと意味が無い。
 そういう点ではポケットに収まる小物か、身に纏うものが一番理に叶っている。今回の発明品が小物で収まらないと踏んでいたので、私は後者を選んだ。そこから更に悩んだ末に出した結論が、帽子だった。
 つばのある緑色の帽子で、真ん中に龍神を象った白い刺繍が入っている。これを選んだ理由は、ただ単に家にあったからである。
 新作の帽子を頭に乗せ、スイッチであるガマの穂を手に持った。

 習慣として、シェイクダウンは自宅内で行わないことにしている。設計も製作も私自身であるから事故など起こるはず無いが、万が一ということもある。
 さらに言ってしまえば、シェイクダウンはもはや通例儀式であって、単に通例儀式をいつもと違う場所で行うことに違和感があるだけかもしれなかったが、私は今回もその習慣に従うことにした。
 家を出たところで、空の青さに魅かれて顔を上げた。
 新作の発明品である帽子の被り方が甘かったらしく、私はそれを手で押さえる。
 頭上には、長いうろこ雲が横たわる澄み渡った秋の空。髪の毛とじゃれ合う風が気持ち良く、色づき始めた樹海の木々も頭の先を隣とくっつけて揺らしている。
 私はそのまま空を見上げたまま、今日の天気を“確かめる”。
 しばらくして、視界の左半分が赤く染まり出した。

“深紅”か。

 私はそれを見て今日の天気を“深紅”、つまり雨だと知った。
 念のため、病気の類でないことを断っておく。
 私が天気を読む力を持っていたとしても、幻想郷にはもっと馬鹿げた力を持った人妖がごまんと居るのだから、珍しいことではないだろう。
 天気を読む程度の能力。
 ありがちな力だが、河童からすれば雨を知ることが出来て便利だし、私自身も気に入っている。
 空を見るだけで、私の左目は近い未来の空模様に応じて色を変える。丁度、左目の黒目の部分がカラーコンタクトをつけたように変色するのだ。私自身それを見る機会はあまりないが、その色に応じて視界の基調が変わるので、左目が今何色をしているのかはすぐに分かる。そして、この左目の力は百パーセントの的中率を誇る。

 雨が降る。

 具体的にいつ降るかは分からないが、それ自体は決められた未来と言っていい。
 それまでにはシェイクダウンを終わらせて家に戻ってこようと思い、ガマの穂のスイッチを押した。
 ところが、私だけでは帽子が狙い通りに機能しているかが分からない。
 帽子の仕様上、それで正しい。
 自分一人で動作検証が出来ない発明品は面倒くさいと思いつつも、この発明の成否は自分の姉で確かめてみようと思いついた。
 帽子の位置を指で微調整した後、池へ飛び込んだ。
 昔の私が開けた、川へ繋がる穴を通るべく、私は池の底へと潜った。





■2

 何とも得難いタイミングで姉を見つけた。
 家に通じる秘密の穴を抜け、川に出たすぐのところに彼女は居た。水中から見上げると、波紋に揺れる水面の向こうに彼女の顔があった。
 一瞬、こちらの存在を見破られたと思った。
 シェイクダウンを開始してほんの数分で、失敗の二文字が頭を過ぎった。今まで失敗作を造ったことはゼロだったので、まさか、とそれなりに動揺した。
 しかし、落ち着いて姉のことを見てみれば、姉はこちらを見ていないことがすぐに分かった。一体何をしているのかと彼女の目の先を追った途端に、私の顔がしかめ面になったのが分かった。姉は一人膝を抱えて、水面に浮かぶアメンボをつついて遊んでいたのだ。
 何でこの人が私の姉なのだろうか、と思い知らされる瞬間であった。
 こういった場面に出くわすのは初めてではないが、いつまで経っても慣れない。むしろ慣れたくない。
 私は呆れる余り、本来の目的も忘れてガマの穂のスイッチを切り、そのまま水をかいて、水面へと向かった。
 勢い良く水面を突き破り、地上へと飛び出る。

「きゃあ!」
 水しぶきが辺り一面に舞い上がり、しぶきが地面に落ちるのとほぼ同時に川べりの石の上に着地した。
「姉さん」
 足元で蛙のようにひっくり返る姉に向けて、言った。
「な、何よ、あんたか……。脅かさないでよ」

 姉は私が上げたしぶきを頭からかぶって、首から上をずぶ濡れにしている。
 彼女の作業着のような衣服には防水加工が施されているらしく、服の上を水がするすると滑り落ちている。
 河童は水中を移動手段とする妖怪なので当たり前であるが、姉が一丁前に衣服に防水加工を施していたことが面白かった。

「何よ。防水加工したの?」
「うん」
 相手の発明品を褒めるときにどう振舞えばいいか、私は知っている。
 勿論、心から褒めることなどある訳がないが。
「すごいじゃないの」
 照れくさそうな控えめの笑みが、姉から漏れる。
「別に。これくらいなら出来るさ」
「首から上がびしょ濡れのようだけど?」
「……う」
 針を含んだ私の言葉に、姉は言葉を詰まらせておどおどしだした。
「防水加工したのは服だけだもん」
 薄緑を基調にしたシャツを摘み、姉はぽそりと呟く。
 姉の弱気な態度を見ると、どうしても苛立ちを覚えてしまう。
「そんなの防水したうちに入らないわよ。見てほら」
 つい先程まで川の中にいた自分の姿を姉に見てもらおうと、姉にこちらをよく見るように促した。
 姉のそれと比べるまでもなく、私の防水は完璧である。いくら川で泳ごうが髪の毛一本たりとも水に濡れることはない。
「私は全く濡れていないわよ」
「それは、あんただからでしょ」
「そうなの?」
「他の河童だって、服しか防水出来ないもん」
「そうなの?」
 姉は上目遣いでこくり、と頷いた。

 落ちこぼれと見られたくないのか、それとも、本当に彼女の周りにはその程度の腕の河童しかいないのか。
 仲間面をしてくる河童の中に、完全防水を実現させたと鼻を膨らませていた輩が居たような気がするが、果たしてどうだったか。正直、私にとって完全防水は瞬きと同じくらい瑣末な技術だし、それに、周りの馬鹿がどんな技術を生み出そうがどうでもよかった。

「それはまた不憫なこと」

 姉を含めた彼らに対して、私は嘲笑した。
 姉はしょんぼりと肩を落とした。
 そんな姉のすぐ隣には座りたくなかったので、私は三つ四つ石を開けて腰掛けた。

「それで、何の用さ」
 俯いたままその石を一瞥して、姉は静かに口を開いた。
「姉さんに新作の出来を見てもらおうと思って」
 姉は膝を抱き寄せて、川面を見つめている。
「実験台になれってこと?」
「まさか。それはもう済んでいるわ」
 済んでいるというより、もともと必要無くてやっていないのだが。
「今、新作のシェイクダウンをしてるの。姉さんはそれを見るだけでいい」
 ワンテンポもツーテンポも遅れて、姉は顎を膝に乗せたままこちらに顔を向けた。
「ほら、じゃあ見せて……ってあれ?」
 さらに遅れて、間抜けな声が上がると同時に姉の目が見開く。ついで、目をしばたかせたり擦ったりした後、辺りを見回し始めた。
「おーい。どこに行ったんだよう」

 私は一歩も動いていない。
 ただ、鈍間の姉に気づかれないように(簡単なことだ)ガマの穂のスイッチを押したのである。
 川の中まで覗き込む姉を見るに、私の姿は彼女に全く見えていない。
 つまり、先のアメンボ遊びの時には確証が持てなかったが、新しい発明品は期待通りの動きをしているのだ。

「ここだけど」

 声のするほうを振り返っても私の姿は無く、姉は狐に化かされたような顔をしている。
 反対側に回りこんでみるも、やはり姉の視線は追ってこない。移動しても効力は続いているようだ。
 それに安心した私は、姉から石数個分の距離をとったところに腰を下ろして、ガマの穂のスイッチを切った。
 ちり、という静電気に似た音がして、虹色の光波が視界を縦断した。

「ひゃあ!」
 その音が聞こえたのかどうかは分からないが、突然姿を現した私を見て、姉は後ろの川に頭から落ちそうなくらい驚いた。
「ど、どこに行ってたのさ」
「どこって、さっきから姉さんの近くに居たけど」
「だって、どこにも居なかったじゃない」
「そうだろうね。新作が、どこにも居なかったことにしているんだもの」
「どういう意味?」
「姉さんだから分かりやすく説明してあげる。新作は、空間に進入してきた光を屈折させて背後の景色を映し出すの。景色と同化することで、周りからはそこにあるものが見えなくなる。つまり、姿を消すことが出来るの」

 姉はぽかん、と口を半開いたまま私の説明を聞いていた。子供に理解できるくらい分かりやすい説明が、彼女には理解出来なかったのか。
 私はおもむろに被った帽子を指差した。

「光学迷彩スーツ」
 発明品に名前をつける瞬間が、またその名前を口にする瞬間が、私は好きだった。
「スーツって、それ帽子じゃない」
 そして、名づけた名前にケチをつけられるのが嫌いだった。ましてや、ケチをつけてきたのが姉だからなおさらだ。
 帽子に興味深そうに伸ばしてきた姉の手を、思い切り払いのけた。「あいたっ」と姉は声を上げた。
「光を屈折させる有効範囲を全身に設定してあるの。だからスーツなのよ。見た目で物を言わないことね」
 姉は手の甲を擦りながら、言った。
「わ、私はそんなつもりじゃ」
「姉さんは新作の出来を見るだけでいいと、さっき言ったでしょ?」
「ごめん……」

 気に食わない横槍が入ったものの、何にせよ、今回のシェイクダウンは良い結果を収められたと言える。
 この成果を活かし、光の屈折範囲を広げることが次の目標である。
 今回の、帽子を実装先とした光学迷彩スーツは、光学迷彩の研究とその発明品における第一ステップに過ぎず、目標はもっと大きな物体を不可視にすることだ。
 そして、その対象となる大きな物体は既に決まっている。
 私の家だ。
 姉と別居したときもそうだったが、私は、山の社会から疎遠になりたいと思っている。
 私を取り巻くのは同じ次元で物を考えられない連中ばかりだし、血縁関係にある姉に至ってはごらんの有様である。
 相手が私を欲しても、私は相手を欲しない。
 連中と関わっても有益なことなど何も無いし、むしろ彼らの体から噴き出す有害な毒を浴びているような気がしてならない。知能を低下させる毒をだ。
 だから私は、馬鹿な連中の視界から消えたくて、光学迷彩の研究を始めたのである。

「……ねえ、ねえってば」

 姉に何度も呼ばれていたらしい。
 我に返って、姉の顔を見た。

「あんたは相変わらず凄いよ。でもね、あたしだって少しは腕を上げたんだよ」

 姉は背負っているリュックサックからラジオと数種類の工具を取り出すと、それを分解しだした。
 速さはそこそこある。しかし、作業が雑で見ていられない。外した部品を辺り構わず投げ散らかしているのだ。物によっては、石に跳ねて後ろの川に入った物もあった。
 分解を終えると、彼女は手の平をこちらによく見えるように広げ、褒めてと大書した顔で私を見つめてきた。

 何故この人が私の姉なのだろう。
 何かの間違いではないのか。
 情けなくて、私は姉の名を呼んでいた。

「にとり姉さん」
「何?」
 果たしてこの顔は、私に何と言ってもらいたいのだろうか。
「元に戻しなさい」
「無理」
「どうしてよ。分解出来るなら、組み立てられるでしょう」
「やり方、分からない」
「逆の手順を踏めばいいだけじゃない」
「分からない」
 よく平然とその台詞を言えたものだ。技術者の端くれならば、それくらい出来て当然なのに。そう思うと無性に苛々した。
「姉さん、工具貸して」
「え? いいけど、どうすんのさ」
「いいから」

 言葉を強めて催促すると、しぶしぶ彼女は工具を差し出した。
 私は、姉が分解したラジオを、分解時よりも速く組み立てて見せた。
 川に落ちた部品が足りなかったが、それは仕方が無い。拾ったところで使い物にならないし、幸い落ちた部品が無くてもラジオは動く。
 姉にラジオを手渡すと、彼女は「すごい」と感嘆を漏らしていた。

「理由も無いのに分解しては駄目」

 機械にも命はある。
 理由も無いのにその命を絶つような真似はしてはならない。
 まして腕自慢のための分解など、馬鹿げている。

「あたしも、あんたみたいになれたらなあ」
 姉は溜息混じりに言った。
「なればいいじゃない」
 憧れを抱くのは誰にでも出来る。
 そこから行動に移せるか否かが、馬鹿と秀才の別れ道なのだ。
「無理よ。あたし、きっと分解するしか能がないのよ。こないだの水鉄砲も不評だったし」
「それもそうね」
 諦観した者が口にする卑屈な言葉など、聞いていても仕方が無い。
 私は立ち上がって、姉に工具を返した。
「ん……? これから雨なの?」
 姉は私の左目の色を見た後、空を見上げた。
 空には雨の気配も無く、相変わらずうろこ雲がたなびいていた。
「そうみたいね」
「全く便利だねその左目は。この天気だから、きっと人間達はこぞって洗濯物を干してるんだろうね」

 私の左目の力を詳しく知っているのは、私以外には姉だけ。
 瑠璃(るり)は晴れ、蒲公英(たんぽぽ)は曇り、深紅(しんく)は雨、竜胆(りんどう)は雷、白練(しろねり)は雪、浅緑(あさみどり)は風。
 この左目の色が表す意味を、彼女は全て知っている。

「人間に教えてあげたいの?」
「そりゃあもちろん。盟友なる人間に、早く洗濯物を取り込めと教えてあげたいさ」
「それは大義なことね」
 私は石の上に寝かせてあったガマの穂を拾い、川のほうに身を向け、光学迷彩スーツのスイッチに指を置いた。

「行くの?」

 私は頷いた。
 シェイクダウンは無事終わったのだ。早速次の課題に取り掛からなくてはならない。
 光学迷彩スーツのスイッチを押そうとしたまさにその時──。
 左目に痛みが走った。
 私は思わず左目を手で押さえた。それほど大した痛みではないのに、意思に反して、声にならない短い呻きが漏れてしまった。
 横に居る姉にそれを聞かれていたらしい。

「どうしたの? 目が痛むの?」

 こちらを覗き込んでくる姉のことを無視して、光学迷彩スーツのスイッチを入れた。川に飛び込んだ。姉から見れば、突然川面が割れたように見えただろう。突然走った左目の痛みはほんの一瞬のことで、今はもう引いていた。
 川の中を進みながら、私はそこはかとない胸騒ぎを覚えた。





■3

 帰宅してから左目には痛む気配も無く、私は光学迷彩の研究に精を出した。
 次の光学迷彩の対象は我が家であるため、有効範囲はスーツの何十倍も広くなる。そこに一抹の不安があったが、スーツの技術を少し応用するだけで不安は解消された。
 仕様書をまとめ、光学迷彩の実装先を決め、それに基づく新しい設計図を書き終えると、残すは製作の工程のみとなった。

 新しい実装先とそれを起動させるスイッチだが、愚直にスーツの応用をするだけでは面白くないので、少し趣向を凝らして実装先を“研究室の扉”にし、スイッチは“研究室の鍵穴”にした。
 扉のほうは想像し易いだろう。光学迷彩の本体を扉に埋め込むのだ。

 一方、研究室の鍵穴がスイッチというのは、鍵穴が回転することでオンとオフが切り替わるというもの。鍵が閉まっていればオンになり、開いているときはオフになるように設計した。研究室の中に居ようが外に居ようが、私は必ず研究室の扉には鍵をかけるので、四六時中家を不可視にしておくには丁度良いと言える。更に、スイッチが切り替わってから光学迷彩本体に命令が入るまで、十秒のタイムラグを設けた。こうすることにより、研究室の出入りをする僅かな間でも効果は持続するので、馬鹿の目につかないようにするという目的を忠実に果たす仕様だと自負している。

 開発も順調に進んでいるため、私は小休憩を挟むことにした。
 外に出て、池の前で凝り固まった体をぐっと伸ばす。
 開発が順調に進んでいる時に取る休憩は楽しい。これから生まれる発明品のことを思うと、心がわくわくと弾んでくるのだ。
 のびの体勢のまま、私は空を見上げた。
 夕方まで降っていた雨は止んで、雲の切れ目から盆のような半月が顔を覗かせている。その真下にいる私は柔らかな月光を浴びていた。
 冷たいそよ風が吹く。それに合わせて雨雲がゆっくりと流れてゆく。
 目の端で、家を囲む黒々とした木々のシルエットが揺れ、視界の底では池の水面がさざ波を立てたかと思うと、左の視界が染まり始めた。

“瑠璃”。

 夜闇に突如現れた夏空のような青。その色が示す天候は、晴れである。
 この左目の力に間違いはない。
 きっと今夜ここに漂っている雨雲は、風に少しずつ運ばれて、朝までには何処へ消え去るのだろう。
 夜空に広がる薄い雨雲を眺めながら、私は、昼間左目が痛んだことを思い出した。

 あの時に走った痛みは何だったのか。
 何の前触れも無くて驚いてしまったが、あれはまるで、鉄製の小針が目に飛び込んできたかのような鋭い痛みだった。
 今は痛みは無いものの、目の奥のほうにゴロゴロした違和感が残っている。
 私は、左目を手で軽く押さえて深呼吸をした。

 私は技術者であるが医者ではない。左目に走った痛みの原因を解明することや、眼窩で息を潜めている違和感の正体を突き止めることは私には出来ない。いくら妖怪でも、たまには体調を崩す事があってもおかしくない。左目の痛みはその類かもしれないし、明日になれば目の違和感は嘘のように消え、この先痛むことはないかもしれない。
 大体、こんな事で悩んでも何一つプラスにならないではないか。
 この後に控えた作業に支障をきたす恐れがあるので、私にとってむしろマイナスにしか働かない。生産性の無い事が大嫌いな私は、左目のことを極力気にしないようにと自分に言い聞かせた。
 しばらく夜風に当たった後、私は家の中へ戻った。





■4

 製作自体はこれといった問題も発生せず順調に進んだが、完成間近になって私はある初歩的なことに気がつき、それの対応をせざるを得なくなった。

 家をまるごと不可視にするというのは、家の中を通る柱や床、家具、人、水や光といったものに至るまで、ありとあらゆるものが見えなくなることを指す。ここで問題なのは、光学迷彩ユニットの電源を入れた時、有効範囲内に居る私自身も不可視になるが、その私からも家が見えなくなる可能性があることだ。そうなってからでは手遅れなので、私は前回の帽子に拡張機能を付けた。

 光学迷彩によって不可視にされた物体を、可視にする機能である。

 前述の通り、光学迷彩スーツを実装した帽子は、我が家を馬鹿の目から守るための礎である。そのため、シェイクダウンで良い結果を出せた時点で、帽子はある意味で役目を終えていたのだが、拡張機能の搭載で再び重要な役割を持つようになった。今では拡張機能のほうが価値が大きいと思われるほどだ。

 私は見通しの甘さに反省しつつ、研究室の扉の改造を終えた。基本的に帽子と同じ技術なので、今回は規模の割には時間を要さず、わずか二日で済んだ。二日程度の徹夜は大したことではない。私は研究室を出ると寝室には向かわずに、扉のほうへ向き直った。
 私は帽子を頭に乗せると、ポケットから研究室の鍵を取り出した。
 輪っかの部分に指を通してくるくると鍵を回しながら、鍵穴を見つめた。
 仕様書通りに造った光学迷彩ユニットを扉に埋め込んだ後はもちろん、それが意図した動きをするか確かめる必要がある。シェイクダウンである。
 今回ばかりは屋外でのシェイクダウンは出来るはずもなく、私はこうして研究室の扉に向き合っている。
 疲れた金属製のドアノブの下に、ぽっかりと開いた小さな穴。
 私は静かに鍵を差し込み、奥まで当たったところで一つ間を置いた。
 ゆっくりと鍵を回すと、ある地点から引っかかるような感触が指先を伝い、かちゃり、と音がして扉が施錠された。

 この瞬間から十秒後、家は視界から消えてなくなる。
 そう思うと、廊下の窓から差し込む陽の光が急に神々しく感じられた。
 その光に当てられて、宙を漂う埃がきらきらと輝いている。
 十秒が果てしなく長い。
 どうやら私は、柄にも無く興奮──いや、緊張しているらしい。
 静まり返った廊下の空気を、私の吐息が震わせる。

 まだか、まだか。
 私の心は急くばかり。

 すると、鍵穴も、扉も、廊下の窓も、視界の全てが虹色の光に包まれた。それによって私は、待ちわびた十秒後の訪れを知り、次の瞬間、突如として森の風景が目の前に広がった。右手には池が見える。ぐるりと三百六十度見回してみる。その景色は見間違うはずも無く、我が家周辺の景色であった。

 そっと手を前に伸ばすと、目に見えない壁があった。向こうに森が見えているのに、木製のざらざらした手触りの研究室の扉が、間違いなくそこにあった。
 ふつふつと沸き立つ体を抑えながら、次に私はガマの穂のスイッチを押した。すると外の景色は一瞬にして消え、見慣れた研究室の扉が目の前に現れた。帽子の拡張機能が動作している証拠である。念のため、家の外に出て帽子のスイッチを切ってみると、我が家はたちまち消えてなくなった。

 完璧だった。
 全て私が書いた仕様書通りの動きをした。

『不可視の家を造る』

 凡人には空想じみたそのアイデアが、たった今、現実のものと化したのである。
 幻想郷の、いや、外界にいる技術者を含んでも、これほど卓越した力をもった技術者などいやしない。
 その言葉は、光学迷彩を究めた結果として目の前に現れているのだから、自己満足でも井の中の蛙でもない。
 かと言って、これで満足はしていない。
 いくら不可視の状態にあっても、そこに家は存在する。触れることも出来る。逆に言えば、光学迷彩はあくまでも物体を見えなくするだけなのだ。
 そう言ってしまうと身も蓋も無いのだが、真の目標はそこにある。

『触れることすら出来ない家を造る』

 本当の意味で、私が馬鹿達の視界に晒されずに済むようになるのは、その目標が達成されてからになるだろう。
 散々、前人未到な発明をしてきて今更ではあるが、それを実現させることは並大抵の事では無い。実現までに長い歳月がかかるかもしれないし、その間に幾度となく艱難辛苦を味わうかもしれない。あるいは、空想のままで終わってしまうかもしれない。
 しかし、だからこそ発明は楽しくてしかたがないと思う。
 今、私の胸の中は喜びと希望とで満たされ、頭上に広がる瑠璃色の空のように朗らかだった。

 だが突然、青白い稲妻がその晴天を切り裂いた。
 左目を激しい痛みが襲ったのだ。
 その痛みは、姉に会った二日前のそれとはまるで比べ物にならない。
 眼球の奥に骨と皮だけの餓鬼が居て、内側から熱した銛を何度も突き立てているかのような凄まじい痛みによって、脂汗が体中から噴き出してくる。
 私はたまらずその場にうずくまった。痛みから庇うように左目を押さえても、電撃が手の甲を走り抜けるだけだった。

 痛い! 目が潰れてしまいそうだ!

 燃えるような痛みを冷まそうと池に這い寄った。右手で水をすくい、左目にあてがう。
 わずかだが効果はあった。
 焼け石を冷やすかのように、私は繰り返し池の水を左目にあてがった。
 徐々に痛みは引いたが、左目の激しい拍動は一向に収まらない。池の水面には、髪と呼吸を乱し顔を強張らせた少女が映っている。

 池に突っ込んだままの右手をゆっくりと引き揚げると、零れた水滴が水面でぽちゃぽちゃと弾けた。
 このとき私は完全防水の服を着ていなかったため、顔はもちろん、髪や衣服までも豪快に濡らしてしまって、それは酷い格好をしていた。
 四つん這いのまま空を見上げていると、まるで痛みなど無かったかのように、左の視界は“瑠璃”になった。

 それを見た私は、すこぶる安堵した。
 不吉な予感がしていたのだ。
 それを覆すように、左目は色を変えてくれた。
 ただ、その変わり方が妙だった。
 いつもなら、色違いのどん帳がさっと入れ替わるように変わるのだが、今のはまるで、大量の墨を水にこぼしたような、純潔をじわじわと蝕むような変わり方だった。

 ようやく完全な“瑠璃”になった。
 その遅さに、どうしても嫌な予感がしてしまう。
 私はよろけながら体を起こし、ガマの穂のスイッチを押した。帽子の拡張機能によって、我が家が再び姿を現す。
 家へ戻る際の私の足取りは、泥沼を歩くように覚束なかった。





■5

 睡眠時間が二時間を越えたのは何時ぶりのことだろうか。
 我が家を対象にした光学迷彩のシェイクダウンは上手くいったが、それまで忘れかけていた左目の痛みが私を襲った。
 それと散々格闘した後の私に研究室へ戻る気力は残っておらず、寝室へ直行した。体がだるくて頭も回らず、とにかく眠りたかったのだ。

 眠りについたのが昼の三時くらいで、目を覚ましたのは何と翌日の明け方のことだった。少なくとも十二時間は眠っていたことになる。一回の睡眠で六日分の睡眠を取ってしまった。言い換えれば、半日以上もの貴重な時間を私は無駄にしたのだ。

 枕元のデジタル時計で時刻を確かめた時、私はショックのあまり固まっていたが、事の重大さに気づくなりベットから飛び起きた。
 馬鹿のように眠ってしまったことを後悔し、心の声が私を罵った。そしてさらに、半日進んだ時計の針よりも信じられない光景を窓の外に見て、私は目を疑った。

 雨が降っている。

 私は慌てて窓に駆け寄った。
 夢を見ているとでも思ったのか、気がつくと私は、窓から手を出してそれが本物かどうか確かめていた。
 手の上で刻一刻と数を増やす雨粒が、無情にも現実の雨の冷たさを教えてくれて、私は茫然とその様子を見ることしか出来ずにいた。
 昨日、左目は“瑠璃”になった。“瑠璃”の表す天気は晴れであり、雨ではない。
 黒々とした薔薇のような“深紅”が、今日のような天気を表すはずなのだが、左目は“深紅”にはならなかった。

 天気を読む程度の能力を持つ左目は、近い将来の天気を瞳の色で表す。その的中率は百パーセントだったが、それも今日で終わってしまった。
 私の左目は、天気を読み違えたのである。

 今までそんなことは起きたことが無いので、何かの間違いと思いたかった。例えば、私が半日以上眠っている間に天気が変わっていた、という風に。
 しかし、そんな楽観的な考えは今の私には出来なかった。それは恐らく、数日前から起き始めた原因不明の左目の激痛のせいと思われる。

 左目に異変が起きている。

 そう思うなり私は寝室を出て、洗面所に駆け込んだ。
 鏡に顔を近づけて、左目の下瞼を指で押し下げる。
 見た目に特別変わったところはない。それでもゴロゴロとした違和感はあって、以前よりもその違和感は大きくなっているように思えた。
 再度入念に左目の様子を確かめたが、外傷も、充血も、その他の異常も見られない。私は前のめりになった体を起こし、下瞼から指を離した。

 すると、その時を待っていたかのように、左目に電撃が走ったではないか!

 左の視界が一瞬にして吹っ飛び、黒目の部分だけを抉り取られるかのような痛みに私は悶絶した。左目を力いっぱいに絞り、その上から頭ごと手で押さえつける。
 その間、体の制御が疎かになっていて、膝から崩れ落ちた私は洗面台に頭を突っ込む体勢になり、排水溝の不快な臭いを間近で吸い込んだ。

「う、うう……」

 洗面台から頭蓋を伝う低い呻き声が、別の生き物のそれに聞こえた。
 私は洗面台にしがみつき、ようやくの思いで立ち上がると、蛇口をいっぱいに捻り、池から引いている水で左目を冷やした。
 掛け流した水道水が真っ直ぐに排水溝に飲まれてゆく。
 その、ごぼごぼという無骨な音に追いつめられている気がして、痛みが引く前に蛇口を締めた。

 喉がからからだ。
 それでも目の前の蛇口を捻る気にはなれず、かと言って飲み物を台所まで取りに行く気にもなれず、私は、鏡の中に居る苦痛に顔を歪ませた少女と目を合わせていた。
 薄暗い洗面所の窓の向こうでは、雨が本降りになっていた。





■6

 日を追うごとに、左目の痛む間隔が明らかに短くなった。
 最初は二日、次は半日、それ以降のしばらくは三時間置きにやってきて、今ではそれよりも短くなった。
 このまま行くと、あのおぞましい痛みを常に味わうことになるかもしれない。
 左目が痛むことに対して怯えに近い感情を抱き始めた私は、左目が頻繁に痛むようになってからというもの、研究室に入り浸ることもしなくなった。
 痛みに襲われているときは勿論、痛まない時でも、次はいつ痛み出すのかと気が散漫して、満足する発明が出来ないと思われたのだ。
 それならば、どんな小さな作業でもしないほうが良い。
 断腸の思いでそう決断してから、私は寝室に閉じこもる日々を送るようになった。

 不名誉なことであるが、日がな一日ベットで安静にして、とにかく左目が自然に治ってくれるのを待った。
 しかし、発作の間隔が狭まるだけで左目の容態は悪化の一途を辿り、あまつさえ、天気を読む能力の精度が低下してゆくのが分かった。
 天気を読み当てる確率は、今や八割程度に落ち込んでいた。
 昨夜、窓から空を見上げたとき、左目は“蒲公英”になった。曇りを表す色なのに、今朝からずっと晴天が続いている。一昨日とその前の日は読み当てることが出来たが、それでも精度が落ちてきていることは否めない。

 あの地獄の痛みと同様、このまま行けば私の左目は力を失ってしまうのだろうか。失った後、私は一体どうなってしまうのだろうか。
 恐ろしい未来を想像して、思わず私はベットの中に潜り込んだが、どうしてこんなストレスの溜まる生活を送ることになってしまったのだろうか、とやきもきするだけだった。

 すると何故か、布団の暗闇の中に姉の顔が現れた。
 馬鹿で、鈍間で、能天気で、落ちこぼれのオーラが滲み出たあの冴えない顔が、不安げな目でこちらをじっと見ている。人工物を得意げにばらす姿や、私に対する腫れ物に触るような姿勢が、鮮明に思い起こされる。

 嫌よ。
 姉さんと一緒にしないで。

 それを振り払うように、ベッドの中で寝返りを打った。
 馬鹿の一つ覚えのように散々眠っていたため眠気は全く無かったが、私は再び目を閉じた。

 私の姉、河城にとりは、誰の目から見ても落ちこぼれである。
 だがそれは、あくまで技術者としての話かもしれない。純粋な河童として見た場合にはどうだろうか。
 姉は水を操るという非常に河童らしい能力を持っている。本人に使いこなせていない感は大いにあるが、彼女が有効な使い方に気がつけば一皮も二皮も化ける可能性だってある。
 それに比べて私は、能力が失われることに怯えながらベットの中で縮こまっている。
 私は河童として平凡な力しか持っていないのに、それすら取り上げられたら、何の取り柄も無いただの河童に成り下がってしまう。今の私は、唯一の救いである発明からも距離を置いているから、なおさらだ。

 だとすると、私よりも姉さんのほうがよっぽど優秀なのではないか──?

 昔なら鼻で笑えたそんな馬鹿げた仮説が、今は笑えなかった。
 気が立ってしまい、じっと目を閉じていられない。
 私はベットから出て、カーテンを開けた。
 晴れ渡る空を見やると、じわじわと左目の色が変わった。

“浅緑”だった。

 その色を見て、私は地平線を見るように目を細めた。
 果たして本当に、近いうちに風が吹くのか。どうせまた外れるのではないか。
 もはや私は、私自身の能力を信じられなくなっていた。
 それと同時に、完全に信じられなくなる前に、左目の力を何かに保存したいと思うようになった。
 いつか昔を振り返った時、私に天気を読む程度の能力があったことを証明してくれるものが欲しい。
 そんな、ある種の諦観が胸の中に根付いていたことに、私はこの時気がついた。

『欲しければ作ればいい』

 それは私の信念、もしくは技術者としての誇りであり、発明を行う動機の中で最も大切な要素でもある。
 私はその思いに突き動かされ、研究室へと向かっていた。
 窓から差し込む陽射しによって、廊下の床に明暗が作られている。その上を歩いて、私は着実に研究室に近づいていた。

 今の体調からして、満足のいく仕上がりにならないのは分かっている。しかし、ベストコンディションを待っている時間的猶予はもう無いかもしれず、まがりなりにも、左目が機能しているうちにそれを作っておかなければ、後悔してしまう気がした。

 私は研究室の扉の前に立ち止まり、扉を見上げた。
 長年慣れ親しんだこの部屋が急によそよそしく感じられたのは、焦っているからだろうか。
 そう思いながら研究室の鍵を開け、ドアノブに手を掛けた。
 その瞬間、まるでドアノブから静電気でも貰ったかのように例の激痛に襲われた。痛みの規模は高圧電流である。

 反射的に左目を瞑った際、視界の左半分が、壊れた白黒テレビモニターのようにぐにゃりと歪んだのが一瞬だけ見えた。
 私は、ドアノブに体重を乗せながらその痛みに悶絶していたが、研究室の鍵が開いていることを迸る思考の中で思い出した。
 十秒後、扉に仕込んだ光学迷彩ユニットのスイッチが切れてしまう。
 私は、満身創痍の体を引きずるようにして研究室の中に入り、鍵を閉めた。

 アラート機能をつけておけば良かったと思いながら、ずるずると背中を扉にこすりつけるようにして座り込む。相変わらず、痛みは鳥肌が立つほど激しいが、水で冷やすこともしなくなった。痛みに慣れてきた自分が情けなく思える。だが、たった今、左目に新たな変化が起きていた。

 恐る恐る左目を開ける。
 このとき既に、左の視界は“浅緑”に戻っていた。





■7

『左目の力を保存する』

 それが今回の発明のテーマである。
 私は一週間もの間研究室に篭り、そのテーマに沿った発明に没頭した。もっとも、今や一時間に一二回やってくる目の痛みを堪えながらの作業だったので、とても没頭していたとは言い難いのだが、ある程度は形になったと思う。
 心身ともに万全でない調子で再帰すると決めた時から、完璧は求めない覚悟でいたので、ある意味、今の時点で完成したと言えるかもしれない。

 今回、私が作った発明品の名は、『龍神の石像』である。

 その名の通り、新作は龍神を象った石像であるが、私が龍神を祀るために作ったわけではない。
 先日の光学迷彩スーツでも、実装先に選んだ帽子に龍神があしらえてあったが、発明品のモチーフに龍神を使いたがるのは私の美的趣味で、信仰心からではない。仮に信仰があったなら、龍神を隻眼にするわけにはいかなかっただろうから。

 龍神には右目が無く、左目にはある特殊な水晶がはめ込まれている。
 その水晶には、私の技術の粋が集められていると言っても大仰ではない。
 水晶は、通常時は無色透明だが、空に向けて掲げることで、変色するようになっている。石像に少し上を見上げる格好をさせたのもそのためだ。
 水晶は近い将来の天気を読み取って、その天気に応じた色を表すことが出来る。
 瑠璃は晴れ、蒲公英は曇り、深紅は雨、竜胆は雷、白練は雪、浅緑は風──。
 つまり、水晶は私の左目と全く同じ力を持っている。
 私は、私自身の能力を龍神の左目に宿したのだ。

 この龍神の石像(厳密には左目の水晶)の仕様を決めるとき、かなり悩んだ。
 というのも、気象学にも裾を広げた結果、私は左目の力を保存することが出来ることを確信した。的中率も、健常時と同等の百パーセントが理論上可能とされた。しかし、いざ仕様書に起こしたとき、百パーセントにしていいのかと思い留まった。

 モデルとなった本物の目は日に日に痛む頻度が短くなり、天気を読む力は刻一刻と精度を落としている。それなのにこの石像は、健常時と同じ百パーセントの的中率ときている。もし水晶も私の目と同様に壊れたり、あるいは思わぬバグが見つかったとしても、どちらも修正すればそれで済む話だ。


 どうとでもなる。
 所詮これも、人工物にしか過ぎないのだから、
 そう、たかが人工物。
 人工物が私相手に、出藍の誉れなど許されない。


 ──嫉妬だった。
 私は、自分がこれから産み出す発明品に嫉妬していた。
 気がつくと、私は仕様書に赤を入れていた。

『龍神の石像は天気を読む目を持つが、その的中率はおよそ七十パーセントである。水晶が天気を読んだ後、七割の的中率を保つように水晶の色を“調節”するプリプロセッサを……』

 手段は単純だ。
 水晶の色を変える前処理として、適当な分岐条件を一つ入れてやれば、的中率は簡単に調整出来るのだから。
 かくして、私は本来の発明テーマを蔑ろにした。
 それどころか、発明品の質を下げる愚かな行為に、この時の私は何ら疑問を抱かなかったのである。

 製作を終え、完成した石像を矯めつ眇めつ見ていたら、龍神の雄々しい顔立ちが酷く不快に感じられた。その時ようやく、私は我に返ることが出来た。
 冷静に振り返ってみると、今回の発明は終始妥協や捏造の連続で、今までの発明とはまるで違う姿勢で造られた龍神の石像は、私の信念を蹂躙している気さえする。

 ひとたびそう思うと、石像を過去の発明品達と並べることはおろか、もうこの家に置いてはいられなくなった。
 私は、石像を持って家を出た。
 どこか、目の届かない場所に置いて来たかった。

 こうして私は、生涯初の失敗作を作ってしまったのだった。





■8

 我が家から更に樹海の奥地に赴いて捨ててこようか、あるいは、粉々に叩き割った後、池にばら撒いて沈めてしまおうとも考えたが、そうはしなかった。

 機械にも命はある。
 それは以前、姉が得意顔でラジオを分解した時にも思ったことであり、たとえ黒歴史に葬り去りたい失敗作であっても、機械の命は平等なのだ。
 なので、龍神の石像を手放したいことに変わりは無いが、誰も立ち入らない森の中や、暗い池の底で朽ち果てる運命にはしたくなかった。
 私は、龍神の石像に道具としての役割を全うさせるためにはどうしたらいいのか考えた。考えに考え、ある妙案が浮かんだ。

『人間にあげてしまおう』

 古くから、幻想郷に暮らす人間と河童は盟友の間柄にある。もっとも、上っ面だけの関係だと私は思うのだが、この際、その関係を利用してしまえばいい。
 こちらからすれば、“贈与”という名目で人間達に失敗作を押し付け、ついでに恩も売ってしまおうという考えだ。七割の確率で天気を当てる石像を貰えるのだから、占い好きの人間達も手放しで喜ぶに違いない。互いの利害は一致するはずである。

 一方で、“贈与”先を仲間面をする河童にした場合を想定してみたが、そちらにはあまり気が乗らなかった。
 河童の相手をするよりも、種族そのものが目下な人間のほうが扱いやすい。それに、私の左目の力をある程度知っている河童はそれなりに居るので、左目の模倣品を作ったことが他の河童に知れるのは良くない。それに比べて、私の能力を知る人間は皆無である。

 玄関先で行き先に悩んでいたが、考えがまとまり、人里に決まった。
 石像を両手で抱え歩き、池の縁で立ち止まる。
 石像は私の腰の高さくらいまであって、重さもかなりある。人里まで運ぶのには骨が折れるが、横着して手元に置いておきたくはないので、このまま運ぶしかない。
 胸の前で横たわる龍神の石像に目を落とすと、仰向けに天を見据えるそれは、隻眼を“白練”に染めていた。

“白練”は雪を表す色だが、今は秋。
 いくら何でも、雪が降るにはまだまだ暖かい。
 石像にはめ込んだ水晶は、今の私の左目を模して造られているので、三割の確率でデタラメな色になるよう設計されている。本当の天気を知っているのに、十回に三回は敢えて間違えたふりをしている。いや、ふりを強いられている。
 おそらく、この“白練”もその三割に入るのだろう。龍神の石像は、私の救いようのない嫉妬心から、不完全な道具に成り下がってしまったのだ。
 理不尽な仕様を疑いもせず、水晶は白乳のような柔らかい光を湛えている。その愚直な左目を有する龍神のいかめしい咆哮は、滑稽で、もはや馬鹿っ面にしか見えなかった。
 その途端、笑いがこみ上げてきた。
 色々なことが情けなくて、愚かしくて、笑うしかなかった。


 この石像は、せいぜい人間を沸かすことしか出来ない劣悪な出来だ。
 そうだ、低脳な人間達には丁度いいではないか。
 くれてやる。こんなもの、お前達にくれてやる。
 そうだ。どうせなら、お前達の浮かれる阿呆顔を覗き見てやろう。
 私は河童。
 これからは、盟友である人間の活動を見守ってやろうではないか。


 私は踵を返して、石像を池辺に残したまま家へ戻った。
 玄関から廊下を走り抜け、研究室へ駆け込み、奥にある机の引き出しを思い切り開けた。中のものが辺りに飛び散ったような気がしたが、そんな事はどうでも良く、私は引き出しの中に手を突っ込んだ。
 いつ造ったかすら覚えていない小さな発明品が入った引き出しの中をかき回し、それを見つけた。

 小型カメラ。

 レンズの直径が僅か数ミリ程度の、非常に小さなカメラである。
 人工物は改良の度に無駄な部分をそぎ落とされ、小型化、軽量化される。
 この小型カメラは、昔、私が腕試しに造ったもの。カメラをここまで小さくする必要は本来無い。改良は限度を超すと改悪になる。そうなるとただ扱いづらいだけで、カメラにおいては、後ろめたいことにしか使い道がない。
 しかし今、この小型カメラの出番がやってきた。

 私は小型カメラを手にした後、行きと同じ勢いで池に駆け戻った。
 池辺に放置していた龍神の石像の前にしゃがみ込み、すぐさま小型カメラの取り付けにかかった。

 作業中、ひきつった笑顔がどうしても消えなかった。





■9

 小型カメラを取り付け終え、私は石像を抱えて人里へ向かった。
 夕餉の煙が立ち上る里に着くと、私の姿が誰にも見えていないことに気がついた。

 我が家は光学迷彩によって常に不可視状態であるため、帽子の拡張機能を使わないと家の中で生活するのもままならず、最近では四六時中帽子を被りっぱなしで、その電源も入れっぱなしである。
 そんな生活を続けていると、自分は周りから見えない存在というのを忘れてしまう。
 私はガマの穂のスイッチを取り出して、光学迷彩スーツの電源を切った。

 里の人間達は、突然現れた私に目を丸くして驚いていた。妖怪が里を訪れることは日常的にあるが、河童が来ることはここ数十年無かったらしい。怯えた様子も見せていたが、発明品の“贈与”の用向けを伝えると、彼らは私を受け入れてくれた。予想通り、彼らは私の愚作を貰えるとみては手放しで喜んでいた。

 寸劇のような彼らとのやりとりを述べるほど無意味なことはないので、無事に目的は果たせたとだけ言っておく。
 私は、龍神の石像が里の中央広場に置かれたことを確かめた後、彼らからの酒の誘いを断り、帰路に着いた。

 山へ戻り、川の下流までやって来た。
 我が家へと通じる隠れ穴を目指そうと、川に飛び込もうとした。

「ねえ」

 声のするほうを振り向くと、姉が川辺の石の上でしゃがんでいた。
 何故、姉に私の姿が見えるのだ。まさかあの姉が、帽子の拡張機能と同等の発明をやってのけたとでも言うのか。しかし、冷静になれば、光学迷彩スーツの電源を切ったままだった。

「にとり姉さん」
 溜息と一緒に、姉の名を呼んだ。
 姉は石の上からひょいと飛び降りて、石伝いにこちらに近寄って来た。
「何だか久しぶりだね」
 姉の声は、いつ聞いても抜けていた。
 確かに、私はこのところ色々あって家に篭りっぱなしだった。姉に会うことも、外出するのも今日が久しぶりだった。
「何か用?」
 姉の顔は見たくなかった。
 私は姉のことを一瞥して、すぐに目を逸らした。

「こっちが聞きたいよ。あんた、どこに行ってきたのさ?」
「別にどこだっていいじゃない」
「麓であんたを見かけたからつけてきたけど、方角からして……人里とか?」
 どうして姉は、こういう時に限って目ざといというか、勘がいいのだろうか。

「まさか。そんなわけないじゃない」
 姉はふうん、と勘繰った様子で目を側めた。
「ま、そうよね。あんたが里に行くわけないよね。あんた変わってるもん。河童なのに人間を嫌っているというか、見下してるというか」
「姉さんも十分変わってるじゃない」
「そんなことないよ。ちょっとのろいだけ」
 鈍間には、鈍間である根本的原因が必ずある。
「鈍いのは何故かしらね」

 そう言ってやると、姉は胸の前で両の人差し指を合わせてくるくると回した。
 えへへ、と弱々しい笑い声が姉の口から漏れたが、無視した。
 私は、姉が光学迷彩スーツに身を包んでいるつもりで、横に姉が居ないつもりで、川の上流を見据えた。
 今日は風が出ていた。川の上流から吹きつけるしぶきを含んだ風が、私の頬をつつく。

 本当なら、左目は“浅緑”になるはずなのに。

 先の失敗作を思い出し、仕様書を書き換えたことの後悔で、心が萎えだした。
 その時、私は、石像を捨てに家を出てから左目が全く痛んでいないことに気がついた。「今日は風が出てるね」そんな姉の言葉は、耳までは届いていたが、脳がそれを処理しなかった。

 まさか。
 まさか……、治ったのか?

 痛みだしてから、左目のことを前向きに考えたのはこれが初めてだった。
 私は咄嗟に、夕焼けに染まる空を見上げた。

 私の左目は、空を見上げることで近い将来の天気を色で表す。色違いのどん帳がさっと上げ下げされるように、左の視界の色調は一瞬で、かつ、確信とも思える明確さで入れ替わる。その的中率は百パーセント。占いという次元ではなく、文字通り左目は未来の天気を見ているのだ。

 私はその変化を期待した。
 期待通りに左の視界が変わってくれれば、生活は元通りになる。
 研究室に不眠不休で篭り、大好きな発明に打ち込むことが出来る。あんな失敗作を造ることも二度となくなる。ベッドの中で発作に怯えることもなくなる。たった今から左目のことで悩まされなくなると思うと、私の心はみるみる軽くなった。
 長かった──。
 そう思いながら左の視界の変化を待ち続けたが、いつまで待ってもそれは起こらなかった。
 その代わり、別の現象が起こった。

 左の視界がマーブルアートのようにぐにゃりと歪み、数本のノイズが横断したのを前兆にして、テレビモニタの砂嵐のような状態になった。
 砂嵐はものの一二秒で収まり、すぐに元の夕焼け空を映した。だが、その視界は白黒のツートーンカラーをしていた。色が無いのである。
 その後も、壊れかけのテレビモニタのようなノイズがしきりに入るようになった。

 続けざま、左目に異変が起こった。この異変は、龍神の石像を造った日に起きたものと同じ。ただ一つ違うのは、あの時は一瞬ですぐに色が戻ったが、今回はなかなか戻らないこと。
 右には正常な夕焼け、左には真っ白な夕焼け。
 両目の色調が違うことには慣れているが、今回は呆気に取られて声も出ない。
 私は左目がさらに悪化したことに愕然としつつ、色が蘇ることを祈りながらノイズが走る様を見守っていたが、その祈りは無情にもついえてしまった。
 ノイズが収まった。左目は、白黒の世界のまま落ち着きを取り戻してしまったのだ。
 脳がその意味を理解すると、ぞっ、という悪寒が背筋を一気に這い上がった。
 懸命に悪寒に耐えながら、私は右目を瞑った。左目が映し出す映像をしっかりと知りたかった。

 太陽は黒く、夕焼け空は白く、向こう岸の木々は黒く、目の前を流れる渓流は白く、光が反射しているであろう部分だけが黒い。左目から見える世界は全てが白と黒の二色で表現されていて、まるで二次元空間のような薄っぺらい世界である。

「ねえ、ねえってば。どうしたのさ急に」

 隣に居る姉は、私の動揺に気づいていた。
 一方の私は、姉に呼ばれていることすら気づいていなかった。
 努めて冷静を装い、姉の顔を見る。
 途端、姉の間抜けな顔に緊張が走ったのが分かった。

「あんた、その目……、どうしたの?」
 姉は私の左目を覗き込んだ。
 私は顔を背けた。
「見せて」
 こちらの顔を見ようと、姉は回りこんで来る。
「何でもない」
 再度、私は逆側に顔を背ける。
「なら見せたっていいじゃん」
「何でもないから。二度同じことを言わせないで」
「こないだも目を痛そうにしてたけど、あれからも痛むの?」
「三回目。姉さんは、私のことより自分のことを心配したらどう?」
「でもあんた……左目、変な色してたよ?」
「四回目」
 言葉は省略し、回数だけ告げて姉を威圧する。
「なんか灰色に濁ってて、見たことない色してた」
「五回目」
「ちゃんと見えてる?」
「……何度同じことを言えば気が済むのかしら。この馬鹿姉は」
 普段ならちょっと睨んだだけで萎縮する姉なのに、今の姉には高圧的な態度も効果が無かった。

「じゃあ次の天気を教えてよ。当てたらもう目のことは言わないから」
 今の左目は、天気を読むどころではない。
 姉にこんなにも痛いところを突かれたことが今までにあっただろうか。
 相手の問いに答えられなかったのは、これが初めてかもしれない。
「もし外れたら、目を見せてもらうからね」
 姉は二の句を継いだ。
 いつになく饒舌な姉に追い立てられ、苛立ちが込み上げてきた。

「うるさい! にとりのくせに!」
 今日び子供でも言わないような幼稚な捨て台詞を吐いて、私は川へ飛び込んだ。
「あ、ちょっと! 待ってよ!」
 珍しく大声で言い返す姉の言葉を水中で聞きながら、私は隠れ穴に急いだ。





■10

 姉に好き勝手言われたのが悔しくて、池から上がるなりもう一度空を見上げてみた。色は失われても、力がまだ失われていないことにわずかな願いを込めたが、左の視界はいつまで待っても白黒のままだった。次の天気を当ててみろ、という姉が突然持ちかけてきた勝負を受けていたら、全く勝負にならなかっただろう。

 姉は、私の左目の様子がおかしくなっているとも言っていた。色盲の目なのだから、見た目がおかしくなっていても何ら不思議ではない。そう分かったつもりでも、全体が死んだ魚のように灰色に濁った左目を見たときは、そのまま洗面台の前で卒倒してしまいそうなくらい衝撃を受けた。

 天気を読む程度の能力を失った。
 それだけでも相当ショックだったが、醜い左目が私のプライドをさらに容赦なく打ちのめした。
 何の能力も持たない、色盲の河童。
 失敗作を生み出す月並みの技術者。
 もはや今の私には何一つ取り柄は無く、仲間面をする低脳な河童達と何ら変わないか、もしくはそれ以下と思われた。
 これからどうしたらいいのか考えても、前向きな考えなど一向に浮かばず、私は研究室で途方に暮れていた。

『左目の力を有した義眼を造るべき』

 唯一浮かんだ前向きな考えがそれだったが、当然、私はそれをしなかった。
 私の発明品には、打算も、妥協も、瑣末なバグも許されない。失敗は勿論許されず、龍神の石像のような劣悪な発明品を残すのであれば、最初から造らないほうがいい。たとえそれが、左目の力を取り戻すためでも、色を蘇らせるためであってもだ。本来私の発明は、完璧でなければならないのだ。

 外では夜が降り、研究室は暗闇で満たされている。
 私は何をするわけでなく、真っ暗な研究室の中で独り作業台に突っ伏していた。研究室の明かりを点ける気にはなれなかったが、寝室で眠る気にもなれなかった。
 作業台の横で、整頓された工具類の数々が眠っている。その他にも、研究室にある慣れ親しんだもの全てが眠っているように見えた。
 私は、近くに置いてあったスパナを手に取った。
 いつもならスパナの末端まで神経が通うような、スパナまで手の一部になったような感覚を覚えるのだが、今回はそれがなく、ただ金属の白々しい冷たさと重たさが手に伝わっただけだった。スパナを置いた際には、「もうお前とは分かり合えない」そんな声を聞いた気がした。

 私はあることを思い立つと、部屋の隅からテレビモニタを引っ張り出し、それを作業台の真ん中に置いた。
 以前造った小型カメラの仕様を思い出しながら受信周波数などの設定を終えると、テレビモニタに里の中央広場の様子が映し出された。

 小型カメラは、ちょうど石像の右目に当たる部分に埋め込んでおいたので、これはまさしく龍神の石像が見ている映像である。
 モニタには、沢山の人間達が酒を手に騒いでいる映像が映し出されていた。石像を取り囲むようにして火が灯され、供え物が並べられ、まるで祭り騒ぎだった。可笑しなことに、私の失敗作は神として祀られていた。

 人間は河童の盟友。
 それが姉をはじめとする河童達の常識らしいが、昼間の人間達の怯えた目からして、その関係は元から河童の妄想か、昔の話のどちらかだろう。
 つまり、その辺に居る河童達は人間のことを知ったかぶっているのだ。
 ならば、私が人間に最も詳しくなってやろうではないか。
 このテレビモニタから人間のことを盗撮(み)ることで、盟友の関係を復活させてやろうではないか。
 今まで知り得なかったような人間の細かい情報と、その情報源を独占することで、私は他の河童よりも優位に立てる。
 技術者としてではなく、純粋な河童として、私は他の誰よりもより河童らしくなれるのだ。
 それこそが、今の私がアイデンティティを保持出来る唯一の手段だった。

 私はテレビモニタに張り付いて、モニタの前で騒ぐ人間を隈なく観察した。喋り方や笑い方、仕草に至るまで、映し出される映像に無駄な情報など無かった。
 人間の祭り騒ぎは長時間に渡って続いたため、私もテレビモニタの前にずっと居た。作業台の前に椅子に置き、頬杖をつく姿勢を崩さずに見入っていたので、肩や肘の筋肉が変に緊張していた。テレビモニタの向こうも盛り上がりのピークは越したと見えたので、私は休憩のために席を立った。

 窓の前に立ち、締め切ったカーテンを少しだけ開ける。
 池の真上に三日月が懸かっていて、月の真下だけかすかに黄色くなっている。もっとも、それは右目だけで見たときの景色だ。左目だけで見ると、空は真っ白で三日月は真っ黒で、池も真っ黒だった。空気の入れ替えも兼ね、窓を開けた。

 夕方からの風が依然治まっていないらしく、冷たい秋の夜風が部屋の中に入り込んで来た。背後で資料がばさばさと舞う音がした。どうせもう見る機会もないだろうと思ったら、資料を拾う気も窓を細くする気も起きなかった。
 休憩のつもりが全然休まらない。
 自然の美しい風景を目の前にしたときや、資料が風に舞う音を耳にしただけで、私は今の自分が置かれた状況に関連付けてしまう。
 私は底なし沼に足を取られている。もがけばもがくほど深みに嵌ってしまう。今はまだ膝下程度だが、この先のことを考えると──不安で仕方がなかった。

 そんなことを思いながら窓の向こうを見据えていたら、のそり、と暗闇が動いた。
 それによって、ようやく目の前の出来事に気が向いた。
 じっと目を凝らして気配を探っていると、黒い人影が池のほとりを歩いているのが分かった。
 さらによく見ると、黒い影はゆっくりとこちらに近づいて来ていて、きょろきょろと辺りを見回しながら誰かを呼んでいる。
 光学迷彩によってこの家は不可視になっている。私が被っている帽子が無くてはこの家や私の姿を認めることは出来ない。
 その安心感から、私は、黒い影が暗闇の向こうから徐々に姿を現す様を、窓から堂々と見ていた。

 黒い影は、薄緑の作業着のようなシャツにリュックサックを背負っている。そして、リュックサックのベルトを握りながら自信無さそうに歩くその姿に、私は見覚えがあった。
 暗闇から姿を現したのは、姉だった。
 光学迷彩で守られているにもかかわらず、姉の顔を見るなり私は窓の影に隠れてしまった。

 一体何故、姉がここにいるのだ。

 ここは樹海でも誰も近づかないような奥地にあり、ここに繋がる川の隠れ穴を知っているのも私だけなのに、それなのに、現実として姉が家の前に居る。研究室の窓のすぐ向こうを、姉が歩いている。
 姉は私を探していた。「おーい」と呼びかける声の中に、私の名前が時折混ざっていた。ここにたどり着く前も散々探し回ったのだろう、姉の声は枯れていた。姉はこちらに背を向けて、枯れた喉を震わせながら何度も私を呼び続ける。
 その声が池に響き渡るのを、私は息を潜めて聞いていた。

 しばらくして、声が止んだ。
 ここに私が居ない事を悟ったのか、姉は肩を落として池の中へと消えていった。





■11

 明くる日も、そのまた明くる日も、私はテレビモニタに一日中張り付いて里の様子を観察していた。
 最初のうちは、私も人間の生活を盗み見ることに喜びを感じていた。他の河童達が知り得ない情報を得ることで、それを他の河童達にひけらかすことで、優越感に浸ることが出来ると思ったからだ。
 しかし私は、こんな醜い左目を他人に見せる気は無かった。このヘドロのように濁った瞳を見るだけで、色々な想像が出来るからである。


 能力を失ったのでは。
 色盲になったのでは。
 発明の腕も錆び、一線を退いたのでは。


 どんな馬鹿だって、それくらい容易に想像出来るはず。
 山の住人に私の衰退を晒す真似はしたくない。そんなことをすれば、私の輝かしい発明品の数々が、あっという間に幻想入りしかねない。
 周りより優位に立っている場合ではなかった。私は、誰にも会ってはならなかった。
 つまり、今こうしてテレビモニタを見ていること自体が無駄な行為なのだ。

 それに気づいてしまった私は、近くにあった工具を手に取り、モニタの画面を叩き割った。その後は、壁に何度も叩きつけてモニタを破壊した。時折上がる火花が、人工物が上げる血潮のようで笑えた。

 私は果てたモニタの前でしばらく座り込んでいたが、部屋の中央にある作業台に進み、作業台の上で仰向けになった。
 作業台を照らすための照明灯が、無言でこちらを見つめている。
 私は目を瞑ってその視線から逃れた。

「疲れた……」

 何もかもが嫌になった。
 これ以上生きている意味が分からなくなった。
 かと言って、辞世を決意した訳ではない。死が怖いのではなく、冥界にも私の居場所は無い気がするのだ。
 ならば、私が情熱を注いだ部屋の真ん中で、手垢が染み付いた工具や器具に囲まれていたい。生きる希望や死ぬ理由を見出すのが億劫なだけかも知れないが、とりあえずこの作業台の上で眠ってみたかった。
 作業台の上で目を閉じていると、物凄く安心した。背中は痛いが、寝室のベットより心地良くて、まるで揺りかごのようだった。
 躊躇い無く眠りに落ちようとした、まさにその時。

「おーい。おおーい」

 家の外から、姉の声が聞こえてきた。
 作業台から降りて窓に近寄ると、三日前の晩と同じように、姉が池の周りで私を探していた。
 姉は諦めたのでは無かった。
 この二日間は別の場所を探し回っていたか、あるいは、既に回ったところから探し直していたのかもしれないと、姉の後姿を見ながら思った。

 姉は時折私の名前を呼びながら、池をぐるぐると何周もしている。それでは永遠に見つかる訳がないのに、姉は足と声を止めようとしない。
 そんな痛々しい徘徊を見ていたら、私は知らぬ間に家を飛び出していた。
 姉の名を呼びながら、私は姉のもとへ駆けていた。

「にとり姉さん!」
 姉が私の声に振り向いた直後、ガマの穂のスイッチを押して、光学迷彩スーツの電源を切った。突然目の前に現れた私に、姉は飛び上がって驚いた。
「あ、ああああんた……どこから」
 一度種明かしをした仕掛けなのに、姉はまたもや狼狽している。
 間髪を与えず、二の句を継ぐ。
「帰って。早くここからいなくなって」
「な、なんでよ。あたし、あんたを探してたのよ。あんたに用があって」
「私は姉さんに用は無いわ」
「でもあたし……」
「いいから早く。目障りなの!」

 怒りに任せて怒鳴りつけると、姉の両目はみるみる赤らんでいった。
 しかし姉は、いつものように目を伏せて黙り込もうとはせず、神妙な面持ちで私のことを見つめてきた。
 私も負けじと、姉を目で泣かすつもりで凄味のある顔を作った。
 しばらくの間見つめ合うと、姉はぽそり、と呟いた。

「やっぱり、左目おかしいんだね」

 返答次第では、手を上げることも辞さないつもりでいたが、予想外の言葉にその気もしぼんでしまった。昂っていたせいか、左目を他人に見せてはならないということを完全に忘れていた。それくらい、私は姉に苛立ちを覚えていたのだ。

「ふふっ、家の近くをうろついてると思ったら、今度は何? 姉さんは私を苛々させる天才ね。他のことはまるで駄目なのに」
 ことさら呆れ顔を作って茶を濁してみたが、話は逸れなかった。
「いつから?」
「何が」
「痛むの? ちゃんと見えてるの?」
「主語をつけてもらえるかしら」
「もうとぼけても無駄なの、あんたなら分かってるでしょ」
「放っといてって言ってるじゃない」
「放っておけないから探してたんじゃない。あんたってば、光学迷彩ってやつで見えないもんだから、そりゃあ苦労したよ」

 姉は今度、私を探し当てるまで(もっとも、私から会いに行ったようなものだが)の苦労を思い出すようにほくそ笑んだ。ころころと変わるその表情にどう対応したら良いのか分からず、私は翻弄されていた。
 私が顔を背けて黙り込んでいると、姉はおもむろに池辺に腰掛けた。池の底の様子を眺めながら彼女は続けた。

「こんなところに池があったなんて初耳だよ。川に繋がってるなら知らないはずないのに。ここ、あんたの家の近くなんでしょ?」
 姉がどうやって川の隠れ穴の存在を知ったのか気にはなったが、それを問いただすと、姉の問いにイエスと答えることになるので、私は沈黙を守った。
「こないだ、あんたを追ってここまで来たけど、何もないし」
 こちらから探りを入れるまでもなく、姉は隠れ穴を知った理由を仄めかした。どうやら、龍神の石像を里に置きに行った帰り、姉に尾行されていたらしい。

「あんたの家、どこにあるのさ? 別々に暮らしてから随分経つけど、どこに住んでるかも知らないなんて、変だよ。あたし達、姉妹なのに」

 勝手に喋り続ける姉は、不自然に言葉を切って口をつぐんだ。
 とにかく、姉のほうから話題を変えてくれたので、こちらとしては好都合だった。
 姉の背後に立ち、沈黙を守り続けていると、背中を丸めた姉から鼻のすする音が聞こえてきた。
 姉は泣いていた。

「あたしたち、姉妹だよ? 確かにあたしは落ちこぼれで、あんたは才能いっぱいの立派な技術者だよ。そんなあんたにはいい迷惑かもしれないけど、あたし、あんたの姉ちゃんだよ? なのに、なのに……」

 降り始めの雨が本降りなるように、姉の泣きじゃくる音はようように強まっていった。静かな樹海の奥地には、その音は大きかった。

「なのに、何であたしは、あんたのことを何も知らないの?」
 姉は肩越しにこちらを見た。涙で濡れた姉の左目は、背後の池より煌いていた。
「何であんたは、あたしに何もしゃべってくれないの? あたしにしゃべることなんて何もないってこと?」
 姉に話すことは何も無い。確かに、それも彼女と別居するに至った理由の一つ。
 だが、今この場でそう答えたら、姉はどんな反応をするのだろう。
 姉との絶縁を望んでいた昔なら即答していたはずなのに、今は思うように言葉が出ない。

「あたしは、あんたのことを知りたい。あんたはどんな家に住んで、どんな生活をしてるの? 好きな食べ物、嫌いな食べ物は何? どんな時にあんたは喜んで、どんな時に怒るの? ううん、本当は今、あんたの身に何が起きていて、何に悩んでいるのか、それが一番知りたいのさ」

 姉は涙で震える声で、絶え絶えに言葉を紡いだ。
 姉が私のことを探し回ったのは、私の身を案じてのことだった。前々からそういった類の言葉は受けてはいたが、全く気にも留めていなかった。全てを失った今だからこそ、ある意味で姉の言葉を受け止める余裕が生まれたのかもしれない。
 私は姉の横に進み出ると、姉と同様に石の上に腰掛けて、池に足を浸した。
 頭上に広がる、鉛色の空を見上げた。

「姉さん」
 呼びかけると、姉はこちらに泣き顔を向けた。
「私、失ったの」
 恐る恐る、姉は返事をした。
「何を?」
「色」
 そう言って、私は姉の顔を見た。
 顔を強張らせる姉に良く分かるようにと、右目を瞑り左目を指差した。
「姉さんが気づいている通り、少し前からこの左目はおかしいの。物を見ることは出来るけど、色が全く無いの」
「色が……、無い?」
 白黒の世界で、涙を拭う姉。
 私は被っていた帽子を脱ぎ、姉に見せる。
「この帽子を姉さんに見せたあの日から、左目が痛むようになったの。それから騙し騙し何とかやってきたけど、ある日突然それは起きたわ。あっけなかった」
 姉は私の左目を見つめながら、尋ねてきた。
「今は、平気なの?」
「ええ。痛みはないけどね」
 語尾の悪さに、姉は「けど?」とでも言うように続きの言葉を待っていた。
「だけど、天気が読めなくなったわ」
 姉は瞠目し、絶句した。
「こないだ姉さんが思ったとおり、もうこの目には何の力も宿ってはいない」
 おどけて言ってやると、姉は力なく顔を上げた。
「なんで笑っていられるのさ」
「だって可笑しいじゃない。色盲になって、力も失ってさ。私にはもう何も残されていないのよ」
「でも、あんたにはエンジニアっていう道が残されてるじゃない」
「それももうやめたの。無理なのよ。この目で発明なんて」
「そんなの、やってみないと分からないじゃない」
「無理よ」
「無理じゃない」
 真っ赤にした瞳を再度潤ませながら、姉は口調を強くした。
「あんたなら、天気を読む力だって発明できるでしょ? その力を持たせた義眼でも造ればいいだけの話じゃない」
 私は、静かに首を横に振った。

「それはもう試してる。姉さんと同じような考えから、左目の複製を造ったわ。とんでもない劣化コピーだった。嘘だらけで、手元に置いておくのが許せなくて、人間達にあげてしまったわ。それがついこないだのこと。川で会ったでしょう?」

「何よ、たったそれだけ……? 嘘だらけでも造ればいいじゃん。後で納得のいくものに造り直せばいいじゃん。なんでそこでつまらない意地を張るのさ」

「あのね姉さん。私にとってはつまらなくないの。発明には全てを込めているの。そこに妥協とか嘘とかの不純物が入ってしまうと、全てが汚れてしまうの。このまま汚し続けてしまうのなら、もうやめる。これは私の美学なの。姉さんには分からないかもしれないけどね」

「全く分からない」
「でしょうね」

 そう切り捨てると、姉は再び涙を流して泣きだした。
 姉が悲しむ必要など無いのに、姉はまるで自分のことのように、私の身に起きた不幸を悲しんで涙している。
 かと言って、姉に何て声を掛ければいいのか分からず、どんな表情をして姉の顔を見ればいいのか分からず、私は前を向いたまま固まっていた。
 姉は大きく咳き込んだ後、こちらに顔を向けたのが視界の端で分かった。

「そっか」
 酷い鼻声で、姉は短く了承の意を口にした。
「あんた、頑固だもんね。一度そう決めたら、曲げないもんね」
 振り向くと、姉は泣き腫らした目を波打たせていた。
「分かった……。あんたはもう、エンジニアじゃないんだね。エンジニアじゃない、ただの河童に戻ろうとしているんだね」
 酷い扱いをする私のために、姉が泣く理由などどこにも無い。
 だから、もう姉には泣かないで欲しかった。
「ええ。だから」
 もう会いに来ないで。
 そう言いかけて、姉に遮られた。
「じゃあ、あたしが造る」
「……え?」
「あたしが、あんたの義眼を造る」

 聞き間違いでなければ、この落ちこぼれを絵に描いたような姉が、天気を読む力を有した義眼を造ると言っている。狂気の沙汰である。正気だとしても、朝日が西から昇るようなものだ。

「まさか。どれだけの技術が必要だと思っているのよ。姉さんはもちろん、その辺の技術者だって無理に決まってるわ」
「今は無理なのは分かってる。でも、いっぱい努力して、きっといつかあんたが満足するような義眼を造ってみせる」

 姉は真剣だった。
 しかし現実的に考えて、この姉が私と同等の技術力を身につけられるとは考えにくかった。努力や時間では解決出来ない問題など、この世にいくらでもあるのだ。

「私も見くびられたものね。そんな簡単に出来たら苦労しないわよ」
「それも分かってる」
「そもそも、何で姉さんが義眼を造るのよ」
「可愛い妹のためだから、かな」

 姉はくしゃくしゃになった泣き顔でそう言って、微笑んだ。
 その屈託の無い笑顔を見て、私の中で何かが氷解した。
 私は今まで、姉のことを馬鹿の筆頭として見下していた。姉妹として、同じ河童として、恥晒しな存在とまで思っていた。
 思えば、こんな冷酷な私のことを姉はいつだって心配してくれた。全てを失い、生きる気力すら湧いてこない今でも、姉は私を追いかけて来て、優しく接してくれる。
 もし私に恨みがあるのなら、私の近況を喋りながら山を出歩けばいいのに、姉はそうはしなかった。

 姉は優しかった。
 そして、私は、小さかった。

「ふん……、馬鹿馬鹿しい。強がりは休み休み言いなさい」
 姉の無謀な考えにはどうにもそんな感想しか出ず、私は苦笑いを浮かべた。
「あたしもちょっとそう思う」
 姉も苦笑いを浮かべ、私に同意した。
 えへへ、と姉は笑いながら、相変わらず私のことを見つめている。私は堪えきれなくなって、視線を前に戻した。
「そこまで言うなら、勝手にすればいいじゃない。どうせ無理だと思うけど」
 今更姉への接し方を変えるのも照れ臭い。というよりも、どう変えたらいいのか分からない。姉のように笑うことが私には出来ない。久しくそんな表情をしていなかったためだ。
「お、言ったね」
 姉が目を一文字にして笑うと、目の端に涙が寄って零れ落ちた。
 心なしか、その涙は嬉し涙に見えなくもない。
「その代わり、私は手伝わないし、アドバイスもしない。“ぬるい”発明品を持ってきた日には、遠慮なく突き返してやるから覚悟して」
「さすがあたしの妹。厳しいねぇ」
「それと」
 私はそこで一旦区切って、間を置いた。
「まだあるの?」
 姉はもう泣いていなかった。
「期限は無いから。せいぜい……、ちゃんとしたものを造って持って来て」
 泣き止んだはずだったのだが、姉は三度、目を潤ませた。
 目頭を押さえながら、姉は何度も頷いている。
「ありがと」
 姉は言った。
 姉がその言葉を言う必要は無いのに。むしろ、私が言うべき言葉なのかもしれないのに。そう思うと、何となくもどかしかった。
 姉はひとしきり涙を流し終えると、何かに気がついた様子で、
「ん……? そういえば、義眼が出来たらどこに持っていけばいいのさ? あたし、あんたの家知らないよ?」

 どこも何も、ここからちょうど池の反対側の位置に我が家はある。もっとも、今は光学迷彩スーツのスイッチを切っているから、私にも家は見えない。姉に至っては我が家が不可視になっていることすら知らない。
 かと言って、その秘密を今の姉に教える気にはなれない。姉が私の所在を知れば、幾度となく私を訪ねてくるのは目に見えている。
 それだと姉が成長しないし、私自身にも良くない。
 今日、姉に救われた感は少なからずあるが、私は身も心も疲弊しきっていた。いつか姉が素晴らしい義眼を持って来るその日まで、その疲れを癒していたかった。
 私は、それに折り合いをつける方法を思いついていた。

「にとり姉さん、工具貸してくれない?」
「え、いいけど。どうしたの急に」
 姉はきょとん、と顔に書いて聞き返して来たが、私の催促の視線を受けてリュックを降ろした。リュックの中をごそごそと漁った姉の手には、数種類の工具が握られていた。
「こんなのしかないけど」
 工具に文句をつけられると思った姉は、恐縮しながら工具を差し出してきた。
「十分よ」

 私は差し出された工具を手に取り、手に持ったままの帽子を裏返した。
 帽子の中には、光学迷彩スーツの本体と、光学迷彩によって不可視になった物体を見るための拡張機能ユニットが取り付けられている。帽子の直径はほんの二十センチくらいで、その中に四センチ四方、厚さ三ミリの機械が二つあり、それらが光学迷彩スーツの本体と拡張機能ユニットである。
 私は工具を帽子の中に突っ込み、拡張機能ユニットを帽子から取り外した。

「はい、これ」
 工具と一緒に、帽子を姉に手渡した。
「これって……、この間あんたが造った帽子じゃない」
「まさか。帽子は流用品よ」
「い、いや、そうじゃなくて。光学迷彩なんたらってやつでしょ? これ」
 姉は、手に持った帽子を戦々恐々と触っている。
「そうよ。光学迷彩スーツ、姉さんにあげるわ」
「ちょ、何でよ。これが出来た時あんなに嬉しそうに見せてくれたじゃない。そんな大事な発明品を貰うわけにはいかないよ」
 姉に帽子を突き返されたが、また押し戻した。
「私はもう使わないし。それなら姉さんに使ってもらったほうがいい。それに、私の家を見つけるヒントなのよ、それ」
 そう言うと、帽子を突き戻そうとする姉の手がぴたりと止まった。
「本当?」
「ええ。私の家は、ちょっと分かりにくいところにあるから。義眼についてはヒントはあげないけど、これくらいは、ね」

 私は姉の手から帽子を取り上げ、彼女の頭に乗せてやった。
 作業帽のような薄緑のキャップの真ん中に、白く縫い取られた龍神の全身像。私が被るよりも、全体的に緑を基調とした服を着る姉のほうがよく似合う。

「いいんじゃない」
 そう言ってやると、姉は薄っすらと頬を赤らめた。
 次に、ガマの穂のスイッチを姉に差し出す。
「これ、光学迷彩スーツのスイッチだから。絶対落とさないように」
「う、うん」
 今度は素直に受け取ってくれた。
 馬子にも衣装か、帽子とガマの穂を身につけた姉はほんの少し逞しく見えた。
「でも、これとあんたの家の在り処と、どういう関係があるの……?」
「それも解けないようじゃあ、到底義眼なんて無理だと思うけど?」
「ううむ……」

 小さく唸ると、姉はそれ以上聞いてこなかった。
 雲間から、太陽が覗いた。
 空も、池も、辺りを囲う樹木も、陽射しを浴びたもの全てが輝き、色濃く見えだした。
 ただし、左の視界には何も変化は無い。
 溜息が出る衝動を抑え、私は横に座る姉に声を掛けた。

「ほら、こうしている場合じゃないでしょ。帰ってやることがあるんじゃないの?」
 回りくどい言い回しにも、姉はしっかり反応した。
「うん」
「まずはお勉強ね」
「またそうやって。姉ちゃんを馬鹿にしないの」
「仕方無いじゃない。変な水鉄砲作るくらいだし」
 以前私に見せてくれた、弾数無制限の水鉄砲のことを当てこすってみた。
 姉もそのことを思い出したようで、恥ずかしそうに笑いながら立ち上がった。
「行くの?」
 姉が頷いたのを見て、私も立ち上がった。
 池の中を見つめながら、姉はどこか飛び込むのを躊躇っているように見える。
「ああそうだ。もう一つ、姉さんに渡しておかないと」

 私はポケットの中からある物を取り出した。
 研究室の鍵である。
 研究室の鍵は、我が家の光学迷彩ユニットのスイッチの役割をしている。研究室の扉の鍵穴を回すことがトリガーになり、施錠時にはオン、開錠時にはオフになる。
 私は、そんな重要な研究室の鍵を姉に渡すことにした。迷いは無かった。

「何? この鍵」
「私の研究室の鍵」
 どこの鍵か言ったところで、今の時点では何ら問題は無い。姉には我が家は見えていないし、彼女が鍵の重要性に気がつくのは、もっと後の話になるのだから。
「そんな大切な鍵、あんたが持ってなきゃ駄目じゃない」
「私はもうエンジニアじゃない。だから、今はそれほどこの鍵は大切な物じゃない」
「でも……」
「私は研究室で寝てるから。起こしに来て」
 それでも姉は、鍵を受け取ろうとしない。
「大丈夫よ。私ならスペアを使うし。ほら、受け取って」
 そう言うと、ようやく、硬い石でも飲み込むようにして姉が頷いてくれた。
「分かった。じゃあ、これはあたしがしばらく預かっておくから。ちゃんと返しに行くから、その時は受け取ってもらうよ」
「ええ。そうして」

 これで、伝えるべきことは全て伝えた。
 残すは、姉と別れ、研究室に戻るだけである。
 別れるきっかけは、姉のほうから切り出してくれた。

「じゃあ、またね」
「また」

 短く別れの挨拶を済ませると、姉は池の中へと飛び込んだ。
 水しぶきが収まった後、ちゃぷ、という音がした。姉が水面から名残惜しそうな顔をこちらに見せている。

「向こうに戻ったら、光学迷彩スーツを試してみて。きっと、面白いから」

 姉はこくり、と頷いた。小さく手を振った後、彼女は池の底へと潜っていった。
 私は、姉が立てた波紋が水面に広がる様を見つめていた。


 これでいい。
 頼りない姉がいつか義眼を持ってくるのを、私は待てばいい。
 そうだ。
 これでいいのだ──。


 波紋が消えたのとほぼ同時に、池の反対側に我が家が現れた。
 姉が光学迷彩スーツに電源を入れたのだ。
 今、私が手にしている拡張機能ユニットは、姉が被っている帽子と連動して作動するように設計されている。姉が光学迷彩スーツの電源を入れている間だけ、拡張機能ユニットを持つ者はその効力を得られるというわけだ。

 この間に、私は家に入った。
 玄関から真っ直ぐ延びる廊下を歩き、研究室へ向かう途中で洗面所へと立ち寄った。洗面所に隠したスペアキーを持って、私は研究室へと向かった。
 研究室の扉の前に立ち、鍵穴を見つめる。
 すると私は、私に最後の作業が残されていることに気づいた。

 姉が光学迷彩スーツのスイッチを切る前に、拡張機能ユニットと帽子との連携を解除し、スタンドアロンにしなくてはならないのだ。
 そうでないと、姉がスイッチを切った瞬間から、家が不可視状態になってしまうだろう。もっとも、今後は作業台の上で眠る生活が始まるので、死活問題かと言われると首を傾げてしまうが、長年慣れ親しんだ研究室が見えなくなってしまうのは寂しい。

 それにスタンドアロン化程度の作業であれば、妥協も、嘘も、美学も、へったくれも無い。
 ものの三分で片付く短い作業だし、手順さえ教えれば今の姉ですら出来るであろう、非常に簡単な作業なのだ。

 姉に手順を教えている光景を想像しつつ、研究室の鍵を回す。
 今の姉にでも出来るとは少し言い過ぎかもしれない、と笑いながら、私は研究室に入った。










■エピローグ

「あれっ、どうしたんですか? こんなところで」
 下っ端哨戒天狗の犬走椛は持ち前の目ざとさで、誰も近づかないような樹海の奥地でにとりを見つけると、急降下して彼女の横に降り立った。
「んー? ちょっとね」
 池の縁に腰掛けるにとりは、椛の姿を上目遣いで一瞥した。
「たまには大将棋して遊びましょうよ」
 椛もにとりの横に腰を下ろした。にとりのように池に足を浸さず、胡坐座りだ。
 先の騒動以来、山の治安は保たれている。そのお陰で仕事も無く、暇を持て余した椛は、ゲーム相手を探す毎日だった。その相手ににとりがしばしば抜擢されるのだが、にとりはのらりくらりと誘いを断り続けている。
「ごめんね。最近ちょっと忙しくてさ」
 えー、と椛から不満の声が上がる。
「またですか。いっつも忙しいって言ってますけど、見たところあんまり忙しそうに見えないのですが……」
 怪訝な目で椛が見てくるが、にとりは笑ってごまかした。
「また今度ね」
「絶対ですよー?」
「はいはい」
 椛からの遊びの誘いを断ったにとりは、椛の言う通り忙しそうな素振りも全くなく、ただ空を見上げている。
 空は燃えるような夕焼けで、赤を基調とした美しいコントラストで彩られていた。
「こうして見上げると、空って綺麗ですよね。色んな色があって」
「そうだね」
 心なしかにとりに元気が無いと思い、椛はにとりの横顔を盗み見た。夕日を映すその瞳は、茜色に染まっていた。
「明日の天気はどうですかね」
 椛が呟くと、にとりもそれに負けないくらい小さな声で呟いた。
「どうだろうね」

「天気で思い出したんですけど、里に天気を占ってくれる石像があるらしいじゃないですか。その的中率は何と、およそ七十パーセントとか。昔、河童が人間にあげた石像だって文さんから聞きましたけど、それを造った河童ってすごいですよね。あ、もしかして、その河童ってにとりさんだったり?」

 椛は、珍しくにとりが塞ぎこむのを見て、彼女を元気づけなければという使命感を勝手に抱いていた。しかし残念なことに、間の持たせ方は三流だった。

「あたしじゃないけど、多分それ、あたしの知ってる河童だよ」
「へえ、それはまた初耳です。どんな人なんですか?」
「あたしの妹」

 何気ない事のようににとりは言ってのけたが、その情報価値はスクープに値するものだと椛は思った。しかし椛は、にとりの物憂げな横顔を見て、その情報を口外しないことを決めた。後は、にとりの生の声が射命丸の耳に届いていないことを祈るばかりである。
 間の持たせ方に加え、話題の選び方も椛は三流だった。

「なんか……ごめんなさい。お邪魔でしたよね。私、帰ります」
 場の息苦しさに耐えかねて、椛はいとま乞いをしながら立ち上がった。
「ううん。こっちこそごめんね。相手してあげられなくて」
「いいんです。でも、次は約束守って下さいね?」
 後半に強い念を込めると、椛は飛んで行った。
 にとりは、椛の影が茜差す空に消え入るのを見守った。
 このときの空は、椛の言うとおり、物凄く綺麗だった。

 この空を、妹にも見せてあげたい。
 両目いっぱいに、この夕焼けを見せてあげたい。

 そう思うだけで、胸が締め付けられた。にとりは、リュックサックの肩ベルトに括りつけた鍵を握りしめた。妹から預かっている研究室の鍵である。
 妹からは、天気を読む力を有した義眼が完成したら、研究室に来てほしいと言われている。なのでこの鍵は、妹に会うための必需品という訳だが、肝心の妹の家の所在が分からない。

 色盲に陥った妹を治してあげたい。
 目の前に広がる夕焼けのような素晴らしい風景を、妹と一緒に見たい。

 だが、その願いはまだまだ叶いそうにない。
 願いを叶えるのに一番近道なのは、人間の里に置いてある龍神の石像を参考にすること。
 昔、妹は義眼に近い発明を試み、失敗し、その失敗作を人間にあげたと言っていた。きっと龍神の石像がその失敗作なのだろう。
 龍神の石像を参考にする上で避けられない問題は、人間達にどう接するか、だ。
 河童と人間は盟友同士なのだから、自分自身の人見知りを治せばいいだけの話。そうは分かっていても、にとりはなかなか実行に移せない。
 それでもにとりは、妹の義眼を造るためならこんな事で躊躇っては駄目だと自分に言い聞かせた。

 決めた。
 龍神の石像を見に行こう。
 石像を見れば、義眼に繋がる手がかりを掴めるに違いない。
 いざという時は、妹がくれた光学迷彩スーツがあるではないか。
 そんなに不安なら、もう電源を入れておけばいいのだ。

 にとりは立ち上がり、ガマの穂のスイッチを押した。
 ぱり、という静電気のような音と共に、虹色の光波が駆け上る。
 これで周りからは自分の姿が見えなくなった。
 そのことに安心したにとりは、池に飛び込もうと前屈の体勢を取った。

 今まさに飛び込もうとしたその時、前方から視線を感じた。

 ふと顔を上げるも、池の向こう側に樹木が立ち並んでいるだけで、前方には誰も居ない。
 それに、にとりは今、光学迷彩スーツによって不可視状態になっている。この状態で誰かに見られること自体がそもそも不可能なのだ。


「気のせい、かな」



 にとりは独りごち、池へ飛び込んだ。



 池の乱れが鎮まると、水面は暮れなずむ空を映した。
 赤々と染まった水面は、やがて闇に飲まれた。




長々した拙作をご読了いただき、ありがとうございます。
物語の大半が、にとりの妹というオリキャラの視点で進行しました。
長い、オリキャラ視点、不安要素を抱えての投稿で戦々恐々としています。

偏見にも似た個人的な印象ですが、原作でにとりと初めて会ったとき、光学迷彩は彼女の技術の中でも妙に突出していると思いました。(私が二次設定の影響を受けているだけかもしれませんが)
そういった解釈から、秀才な妹の存在を創らせていただきました。


にとりは頑張り屋で、優しい子。
じんのじ
http://jinnoji.web.fc2.com/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/06 02:03:19
更新日時:
2009/05/06 02:03:19
評価:
29/31
POINT:
207
Rate:
1.55
1. 8 リペヤー ■2009/05/10 10:19:23
拝読させて頂きました。すごく面白かったです。
にとりの妹の情感が鮮明に伝わってきますし、自分の誇りであったものが無くなるという苦しさも見事に描写されていると思いました。
2. 10 名前が無い程度の能力 ■2009/05/10 12:56:50
にとりの、何から何までが詰まった話ですね
いい話過ぎて直球な感想しか出ない自分を許してください

面白かったです
文句なしの十点
3. 8 読人 ■2009/05/11 03:43:08
オリキャラメインでしたがすんなりと読めました。
にとりの妹に対する愛情を感じとれる話でとても良かったです。
幻想郷はみんな妹の方が強いのかなぁ……。
4. 7 佐藤厚志 ■2009/05/11 12:21:34
まるで黒砂糖飴を嘗めているような、不思議な優しさをありがとう御座います。内容は殆どSFなのに、本当に不思議。これは別の世界の童話なのでしょうか。
私は暫く会ってない妹のことを考えたりもして、じんとなったのでした。
5. 8 神鋼 ■2009/05/11 19:34:13
徐々に自身の元から持っていたものに精神的に追い詰められていく描写が凄かったです。
話の向かう先もなあなあな良い話ではなくスパイスが効いていて面白かったです。
6. 8 As ■2009/05/12 01:48:52
すごく良かったです。
里の龍神像誕生の秘話、堪能させて頂きました。
にとりはきっと目的を達成するまで決して諦めないのでしょうね。
7. 9 名前が無い程度の能力 ■2009/05/13 14:34:13
求聞史記にあった奴ですね>龍神の石像
にとりの妹への愛情が妹に伝わってくシーンは良かったです
8. 10 どうたく ■2009/05/16 13:15:37
良い所。
 文章力。話の構成。そしてなんといっても、風神録の第三面(とおまけ?)から、天才の妹と才能は無いけれども努力家のにとり(姉さん)を作り出した発想力は非常に評価できると思います。
 字の文も、台詞も良くできており、特ににとりの妹の目が痛み出した頃からの展開が良くて、ぐいぐい小説に引き込まれていきました。長さも、この内容なら十分だと思います。

 改善点
 私が見つけられる部分はほとんどありませんでした。
 ただ一つ。
 11のにとりが泣いているシーンでの、妹の心理描写が少ないかなぁと思いました。
 にとりが泣いた瞬間。私は思わずグッときてしまったのですが、妹の心理描写が淡白すぎて、あっさり進んでしまったように感じました。
 冷静な妹で、にとりを「馬鹿」扱いしている彼女ですが、ここは短文や動揺している描写を入れたらもっと感動的なシーンになると私は思います。
 
 まとめ
 全てにおいて素晴らしい出来の作品だと思いました。文章を書く身にしても参考になりました。
 改善点の部分ですが、本当に私的なので、必要なかったら無視してください。
 
9. 4 パレット ■2009/05/18 00:06:31
話の内容を考えると全体的にちょっと冗長かも。きっちりかっちり楽しむことはできましたが。
10. 10 三文字 ■2009/05/20 23:25:22
にとりの代表発明といえば、のびーるアームと光学迷彩スーツ……う〜ん、確かに。
でも、落ちこぼれだろうがなんだろうが優しいお姉ちゃんは大切なものです。
そして胸の鍵と人里の龍神の像をこういう形でからませてくるのは面白かったです。
そして妹にはちょっとしたツンデレの才能が……!
まあ、ともかく、優しいにとりの話をありがとうございました。
11. 9 名前が無い程度の能力 ■2009/05/31 02:33:22
むう、これは面白い。にとりの愚直なまでなひたむきさに泣いた。
12. 9 気の所為 ■2009/05/31 06:35:30
素晴らしい。原作の設定の曖昧さを上手く利用した二次創作でした。文章に引き込む力も見事という他ない。
元々ただのギャグのつもりだったもの(天気予報の的中率)がこんな形で考察されようとは……

オリキャラのキャラ像も、しっかり立っていて違和感を感じさせませんでした。
幻想郷にここまでのエンジニアが存在するなんて。
他人に付き合う時間があれば、自分の腕を磨く。まさに秀才の理系。
特に像をつくるにあたっての葛藤には感動しました。
そんな妹さんの様な生き方は自分の憧れでもあるのですが。
>憧れを抱くのは誰にでも出来る。
>そこから行動に移せるか否かが、馬鹿と秀才の別れ道なのだ。
全くその通り。

凡才の優しい頑張り屋と秀才の厳しい頑張り屋による姉妹の絆を堪能させて頂きました。
13. 9 嫌な ■2009/06/04 01:59:57
 文章のテンポが良く、非常に読みやすかったです。長い文章でも、苦にならずに読み進めることができ、そして、

>姉は優しかった。
>そして、私は、小さかった。

 このくだりが呼び起こす、カタルシス。にやけながら、ああ自分、術中にはまってたわ、と思いました。良かったです。
14. 10 実里川果実 ■2009/06/07 23:56:35
 とても胸に響く、素晴らしいお話でした。
 始めはてっきり、本編もにとりが語り部なのだと思い込んでいました。ですので、うーん、にとりらしくないな、と、少々訝しがりながら読み進めていましたが……。
 「にとり姉さん」この一言でハッとすると同時に完全にお話しに引き込まれました。
 にとりが人見知りながら"盟友"と称する人間達の暮らす様な「広い世界」と関わろうとする理由が、狭い狭い「姉妹の世界」の為だという事に胸を打たれます。
 また「色盲」というお題から逆説的なテーマを、ともすれば差別用語ともとられる単語を、タイトルや作品の中枢に据えた鋭さがお話をより魅力的にしていたと感じました。
 文字に起こせない様な思う事がまだ沢山あるのですが、何はともあれこのお話を読めて良かったです。ありがとうございます。
15. 7 有文 ■2009/06/08 01:49:39
にとりの基本的な形をうまく理由づけているのがよろしかったです。あますところなくというところが、少しこじつけじみているなんて難癖も付けることもできますが、それはそれ。にとりの人の良さが出ていて非常に面白かったです。
16. 5 ふじむらりゅう ■2009/06/10 23:44:29
 もう一歩、踏み込んで欲しかった。
 このままだと、冒頭のスタート地点に戻っただけで、結局話が前に進んでないような。ここから先が読みたい! と思ったのにこの続きがないのは残念。とても。
 これからどうなるのか、と想像を膨らませるのも楽しいですが。
 あと、なんだかんだで結構あっさり仲直りしたような感じも。
17. 5 so ■2009/06/11 07:54:59
なるほど。
たしかに、迷彩スーツは、一つだけ違和感がありますね。

キャラに関しては、にとりの性格に些か違和を感じたのが一点。
おそらく主人公であるにとりの妹にあまり感情移入ができなかったのが一点ってところです。
18. 5 リコーダー ■2009/06/12 11:10:17
あまり長いと感じず読めました。
しかし、若干不要なギミックが多かった感じがします。ビデオカメラのくだりは丸々省ける、目の不調と光学迷彩が連動しているようにも見受けられるが結局言及なし、鍵もいくらにとりの立ち絵を説明するためとはいえこのSSの進行上は不必要、などなど……
19. 7 ぴぃ ■2009/06/12 12:46:14
綺麗な文ですねー。すごく好みの文体です。
にとりの妹もいい味を出してますし、『龍神の石像』に目をつけたのも良い着想だと思います。
あとは、「決まったぜ!」という終わりがあったならば文句無しです。途中で終わらせる手法もありだとは思いますが、この場合はもう少し先まで書いてほしかった。ちょっと勿体無いように感じました。
20. 8 八重結界 ■2009/06/12 16:18:41
優秀すぎる妹が葛藤しながら転落していく様に、思わず引き込まれてしまいました。
ただ、石像をつくる辺りでの妹の行動に納得できない部分があった気もします。どうしてわざわざ石像にしたのか、という辺りが。
でも、妹思いのにとりなら、きっといつか願いを叶えられるんでしょうね。
21. 6 moki ■2009/06/12 19:30:44
ぎゃー、妹視点だー!
そのネタ温めてたのに、、、まあキャラ被ってないからいっか。
オリキャラ変化球ですが、それ自体は特に気になりませんでした(変り種好みです)。彼女とにとりの関係性がしっかり書かれていて、最後のシーンの視線の温かみとかいいなぁと思うのです。ただ、設定の甘さがそれだけに残念。
・龍神の石像の目の色の違い。色盲というギミックのために変更したのでしょうが、そこは流石に変えちゃまずいのでは? 或いは石像の色は彼女と同じにしないとか。
・龍神の石像は博麗大結界が引かれた際に龍神を祀る為に置かれたとされてる。その設定は彼女の方便で真相はこうだったとするのは可能ですが、それでもそう読める記述か時代設定についての描写はほしいです。
・光学迷彩は新作という発言(風神録魔理沙ルート)。風本編時点で自作できるようになったとも考えれますが、ラストで「妹がくれた光学迷彩」という記述ありますよね。
多少無理矢理でもいいので整合性をつける方がいいのでないかと思いました。
22. 4 木村圭 ■2009/06/12 21:22:30
風神録本編で壊れたのは「私の」光学迷彩スーツだっけ。なるほどよく出来てるなあ。
原作との絡め方も文章も非常に上手く、作者の力量の高さを思わせる良い作品だと思います。
ただ、ストーリー上どうしようもない気もしますが、派手さとドラマを求めてしまう嗜好故ちと物足りませんでした。
23. 5 時計屋 ■2009/06/12 21:50:33
 話の着想は面白かったですし、構成・文章力も決して悪くはなかったと思います。
 文章は誤字・脱字もなく、丁寧で読みやすくはあるのですが、大半が説明に終始している感があります。
 長文ですので読んでいる人を飽きさせない工夫をしてみてください。

 またオリキャラを出すこと自体はいいのですが、それを主役に据えるならば、まずその設定や魅力を説得力をもって表現する必要があるのではないでしょうか?
 特にこのにとりの妹の場合は優秀な発明家という読者に受け入れられにくい設定であるため、それが不足していると単に偏屈で偏狭な人間に見えてしまいます。そのせいかエンジニアとしての拘りやにとりの和解が、私にはいま一つ共感できませんでした。
24. 5 ハバネロ ■2009/06/12 21:53:30
ちょっと盛り上がりに欠ける所があったけど面白かった、と思う
姉妹の諍いありきの話なので、どこかすっきりしなかった。
また視力異常が「話ありき」で発生した感が。光学迷彩の副作用とかストレス性のものかもしれないけど。

なんというか、ゆるゆると坂を下りていくような感じを受けた。
25. 4 つくし ■2009/06/12 22:39:42
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
26. 5 K.M ■2009/06/12 22:46:05
オリキャラが出る作品ではよくあるのかもしれないが、想像外の内容に感銘を受けました。新境地とはこのことか。
27. 6 名前が無い程度の能力 ■2009/06/12 23:34:40
天才の妹と凡才の姉。
にとり、よく歪まなかったなぁ。
過去の割にはにとりの行動が遅い気もするのですが、
すげない扱いを受けながらもお姉ちゃんしているにとりが健気でよかったです。
最後になっても素直になれない妹も。
28. 7 つくね ■2009/06/12 23:39:04
コメントはすみません後ほど。
29. 9 渦巻 ■2009/06/12 23:44:52
話の骨子や基盤の部分がよく出来ていたせいか、自然と引き込まれました
本当にこういう設定があってもいいよね、とか思ったり
30. フリーレス Taku ■2009/06/19 01:39:49
 点数間に合わずすみません。
 にとりの健気さが、なんともいじらしい。
 妹の心境の変化のところで盛り上がりがもう少しあったならなあ、と感じました。
 いや、そんなことを差っ引いてもとてもおもしろかったです。
 製造に高い技術力を必要とする、特殊な力を持った義眼を作るために、にとりがこの先どう成長し、どう立ち回っていくのか……。この先が非常に続きが気になります。8
31. フリーレス つくね ■2009/07/10 14:20:08
コメントが遅れて申し訳ありません。
さて、にとりの妹の存在に違和感が無いですねぇ、普通に存在していておかしくない。ストーリーも、特に仲直りできた後からの流れがとても良かったです。一方で妹の意外な脆さや繊細な心の内の描写が少ない感じもあり、ほぼ主人公であるのにイマイチ他人のように感じてしまいました。
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