うつろい

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 15:31:44 更新日時: 2009/05/09 15:31:44 評価: 23/24 POINT: 136 Rate: 1.34



どうして目が覚めたのかと言えば単純に寝苦しかったからと言うほか無い。
むせかえるような暑さを感じたわけでも悪夢にうなされていたわけでも無く、ただ寝苦しかったのだ。
寅から卯に移ろうかという時刻は夜とも朝とも判じ難く、昨夜と言うべきか今朝と言うべきか何とも迷うところだ。
悪夢ではないとしたが、さっきまで大変重要な夢を見ていた気がする。けれどもそれとて今や忘却の彼方で、あまり夢に重きを置かぬ彼女にとってはどうでも良い事だった。
夢は、しょせん夢でしかない。
幻想郷には似つかわしくないリアリスティックな感性を、アリス・マーガトロイドは持ち合わせていた。

ぶるり、と一度身を震わせてアリスはベッドから起き出す。
そのまま布団に横たわり続ける気がしない。
今では睡眠なんぞは食事同様に必要のないものではあるが、そういう肉体を先天的に持たなかった彼女にすればかつて個体の維持に必要不可欠だった習慣を無くしてしまうのにはやはり抵抗が大きかった。
詰まらない拘りだと一笑に付す人物に心当たりが無いわけでもないが、余程の事が無い限りは彼女にこの生活スタイルを改めるつもりは無かったりする。
少なくとも、向こう百年は。

しんとして暗い廊下を音も無く通り抜け、アリスは同じ二階にあるバルコニーへ向かった。気候が穏やかな日などはよく読書を愉しむ場所であるが、辺りにはまだ夜の帳が下りている。
森の濃密な魔力を肌で感じながら、アリスはそのまま備え付けの椅子へ腰を下ろすことにした。ともすれば、ベッドなどよりこちらの方が落ち着くかも知れない。
夜、妖怪が一番その活動を密にする時間帯に生身をさらすなどあまり良い案とは思えないが、魔術的な防衛網と結界が彼女をしっかりと守っている。
そうでなくとも忠実この上ない小さな僕たち――人形がいる。

「そうでしょう、ねえ?」
「ウン」
「ネェ」

椅子のすぐそばのテーブルの上には、いつの間にか二、三体の人形がちょこんと乗っていた。
背もたれに体重を預けたままアリスは首だけひねってそれを眺めると、大きく一度、欠伸をする。
どうやら失われていた眠気が舞い戻ったらしい。

もっとも、自分の思念が途切れてしまえば人形は役には立つまい。トラップに万全を期しているからこそかくも無防備な姿をさらしていられるのだ。
苦笑しながらもずぶずぶとアリスの意識は沈んでいく。けれども重くなった瞼に覆われる寸前、彼女の瞳は確かに、幻想郷が彩りを失う様をとらえていたのだった。


-----目覚めたときが、楽しみね。






「妖夢ー、よーうーむー」

魂魄妖夢にとって、主の能天気さは時折まどろっこしく感じることがある。
もちろん西行寺幽々子は当主として申し分なく、文字通り魂魄尽き果てるまで彼女のため刀を振るう決心が妖夢にはあるが、とかくまどろっこしくあるのだ。
少しあの隙間めの影響を受けてもいよう。迂遠な言い回しは本質が見えぬし、含みのある沈黙は無視されるのよりもどかしい。それらが全て能天気な笑顔と楽観の下になされているのだから、たまらない。
けれどもそれは、彼女が忠勤に励もうとするあまり生じる差異であって、この差異が主従の絆を絶妙に調和させているのは一つの事実ではあった。
あくまで第三者の目から言って。

「幽々子様!」
「騒々しいわよ、妖夢」
「騒々しいも何もありますか!」

今にも掴みかからんばかりの妖夢を扇子で軽くいなし、西行寺の嬢は笑った。
先ほど従者を大声で呼びまわっていたことなどとうに忘れている。

「妖夢。万事、心を鎮め当るべし。違って?」
「そ、それはそうですが…」

体だけではまだまだ四分の一人前、血気ばかりが先走るのは未熟の証明であり、同時に若さの特権でもある。
自己の至らなさを恥じ入りつつ、いかなる時も余裕ある主を妖夢は素直に尊敬した。師に追いつけるのは、当分先になりそうだ。

「で、では御指示を」
「うん」

もったいぶるようにくるりと一回転して、

「お団子おかわり、っていうのはなしです」

見事にむくれる主にかまってはいられなかった。それどころではないのだ。

「顕界が大変なんですよ!」
「分かっているわ」
「だったら、早く御指示を」
「あらどうして?」
「ああもう!」

地団太を踏む妖夢を尻目に、幽々子は涼しいものだった。
妖夢が憤慨するのももっともであったが、幽々子とていたずらに事を曖昧にせんとしているわけではない。
しかし友なる八雲同様、話の本質を暈し、煙に巻くことにかけて幽々子は大層に秀でてしまっているのだ。素地の天然っ気の中に巧みに自己が見抜いた真実を埋蔵することがしょっちゅうある。
彼女に仕えて久しい妖夢であってもその虚実の境界を判別するのは難しく、結局は自分にとって片づけ易い方――つまり能天気としか、その目には今のところは映らないのであった。
だが、なかなかどうして妖夢の血気を抑えるのは無理に思える。
結局、幽々子は折れた。

「分かったわ…そこまで言うなら良いわ。妖夢、顕界へ赴きなさい」
「はいっ」

喜色満面。張り切って飛び出さんとする半妖庭師を、しかし幽々子はその肩を掴み引き留めた。

「ただし、これは預かるけどね」

するりと抜き取られた二剣、白楼、楼観。
悲しいかな妖夢の反論はそれらを幽々子の掌中から取り戻すのに何ら効力を有さない。主従の別が、ここでは絶対であった。

「ど、どうしてですか!? これじゃあ異変解決どころか弾幕ごっこだってろくに出来っこありませんよ」
「異変を解決しろなんて、一言も言ってないわ。貴方の使命は顕界へ赴き、異変の始終を探って来る事。
無闇に首を突っ込んでは絶対に駄目よ。弾幕ごっこに参加だなんて、論外」
「そ、そんなあ…」
「ほら、さっさと行きなさい。巫女が動き出したわ。異変が終わってしまうわよ。…まあ、それはそれで良いのだけれど」

希望通りにいかず、かと言って主命に背くわけにもいかず。
しおれたサムライは追い立てられる様に幽明を分かつ大門をくぐり、長い階段を下って行くのだった。
下界の霞へ降りゆくその姿を見送りながら、嬢は独りごちる。

「貴方もあんまり関わりたくないでしょ。ねえ、紫?」

しかしその言霊は風に呑まれ、何者の耳にも届く事は無かった。



 三


【文々。新聞】号外

 異変? 幻想郷から消えた“色”

今朝未明、妖気とも霊気とも、魔力とも異なる異様な気に目を覚ました私は、その時活動していた他の多くの妖怪同様に幻想郷の天が変じ、地が異となる光景を目にした。
幻想郷が、一切の“色”を失ったのである。
正確を期するのであれば失われたのは有彩色であり、無彩色、つまり黒白灰色などは未だ残されている。
要は今、幻想郷はモノクロの世界と化しているのである。

はじめは私自身、妖怪と言えども個人的な目の異常かと思っていた。しかし取材を進めるうち、これが異変と呼ぶにふさわしい大規模な事件であることを確信したのである。
未だに同様の懸念を抱いていた読者がいるならば、安心して恐れおののいていただきたい。

さて異変の概要は、以下の様なものである。まず、取材協力者は人間、妖怪問わず等しくその視覚から彩りを失っている。興味深いのは異変の範囲が顕界に限定されているという点で、冥界、天界、彼岸は普段と何ら変わるところは無い様だ。しかしながら地下、旧地獄には異変が確認されている。
注目の犯人は現時点では不明であるが、異変の及ばぬ地にある者がクロであるのは明白である。
むろん動機についても犯人が分からぬ以上不明となるが、紅霧異変同様、単純に人々(妖怪も含む)に色を見えなくしてその日常生活を陥れんとするものであることに間違いあるまい。迷惑をかけて満足するのは妖怪の本分である。
解決に向けてであるが、既に博麗の巫女、および森の魔法使いの出動が確認されており、今後の動向が注目される。

最後に蛇足ながら、付け置く。
モノクロの視界というのは我々妖怪からしてみても大変不便であり、ひ弱な人間にとっては死活問題となるかもしれない。だがこのような中でこそ、文字媒体の力というものは真価をあらわにするのだと声を大にして言いたい。なぜならどれだけ色覚が失われていようとも、黒白の判別さえ付けば文字は読め、新聞は読めるのである。今こそ幻想郷の住人は、異変にも動じない確かな情報源―――新聞の価値を、再評価するべきではないだろうか。

(文責:射命丸 文)

なお、文々。新聞購読のお申し込みは…



 四


異変の解決に赴く者があれば、それを解明せんとする者もいる。
動かない大図書館を自認する七曜の魔女も、直接関わること無くして事変の全容を知り尽くさんとする徒であった。

「文字媒体の力、ねえ…」

天狗の舌は、善くも悪くも調子が良すぎて辟易ものだ。詭弁を弄するほど邪道になってはいないけれど、商魂たくましいというか、異変に事よせて購読者を増やそうと画策するあたり射命丸文もそこまでの妖怪であったというのがひしひしと感ぜられる。
賢しくはある。烏天狗としての力の強さ、偉大さも認める。
ただ、記者として見るならば残念ながら記事をうかがう限り、論ずるに値しない愚物というのが知識を糧に生きる魔女の下した評価であった。

「でもそこは射命丸文、事実を切り取り真実を語ってはいるのよね。こんな状況でも本を読むのは不自由しないのだから、なるほど私にとっては異変とすら思えないほどの微弱な変調だわ。
ほんと、知は力なり…知とはすなわち書籍、その内容を伝えるところの文字だから、文字の力さまさまね」
「それは、貴方にとってでしょう?」

苦笑混じりに返すは森の人形使い。入り口の扉近くでおどけるように腕をまげ、やれやれのポーズをとってみせた。
彼女もまた、真実を見極めんとする者である。

「そうね。そうに違いなくてよ。ところで貴方…知りたくて来た、かしら?」
「そう。知りたくて、ね」

お互いの力量をわきまえているからこそ生まれる信頼にも近い関係。
何を思い、何をしたいか。ある程度推察できてしまうだけ、二人は理解し合っていた。

「でも貴方を頼ったところで分かる真実にも限界はある。正直、誰かさんみたく行動ありきが念頭に無い貴方の推理は、危ういのよね」
「今日は珍しく挑戦的ね。さしずめ私は犯人探しと謎解きしか出来ず、殺人そのものを防げない“名”探偵といったところかしら」
「そこまでは言わないわよ」

苦笑を崩さずに、アリスは立ち並ぶ書棚から一冊手に取る。
奇しくも探偵小説…お釜帽に袴姿というさえない風貌をした探偵の推理譚だった。彼女も一度読んだことのある作で、不倫がどうだの、怪文書がこうだの、死体がそうだのといった何とも読み心地の悪い話である。
あまりそそられる話でもないので持ち主たるパチュリーも一度読んだっきりなのであろうが、埃をほとんどかぶっていない所を見ると司書が余程気を付けているのだろう。
それを書棚へ戻す頃には、その司書当人が紅茶を入れてもてなしとしている。促されるままにアリスは、パチュリーの鎮座する卓の向かいへ腰を下ろした。

「それで、どこまでを聞いて、どこまでを教えてくれるというのかしら? アリス・マーガトロイド」

凄むようなジト目に一瞬、アリスはたじろいだ。
やはり魔法使いとしての格が違う。実力は仮に同等だったとしても、そういった意識の側面でアリスはまだまだ眼前の魔女には及ばなかった。
いま対座しているのはそう、知識と日陰の魔女…

「パチュリー…ノーレッジ。私は貴方と情報を総合したいの。
それで私の知りえぬ事実も見えるし、貴方の知りえぬ事態も教えてあげられる。
時に協力するのもやぶさかではないのでしょう? いくら無尽蔵に知識を蓄えているといっても、図書館の中から世界は見渡せないわ。そもそも」
「果たして」

説教になりかけたアリスの言葉を制するように、パチュリーは大きめの声をあげた。
静かな館内には声がよく通る。ぼそぼそとしか普段はしゃべらないだけに、意外なほどパチュリーの声が響き渡った。

「ここに座っているだけで、見えない世界はあるのかしら。世の中にはこういう便利なアイテムもあってよ」

ニヤニヤといたぶるような視線を向けながらパチュリーが指を鳴らす。そう時を置かずして、司書の小悪魔が再び現れた。
その手には先ほどのように紅茶では無く、少し大きめの球体が載っている。言われるまでも無く、それは水晶玉に相違無かった。

「またずいぶんと」

しげしげと目の前に置かれた水晶玉を眺めながら、アリスは冷たく言い放つ。

「ステレオタイプなマジックアイテムを使うのね。意外だわ」
「使っていてあんまり恰好の良いものじゃない事は認めるわ。だけど便利よ。井の中の蛙もこれで大海が知れるというものね」

彼女にしては珍しく興奮したように、パチュリーは多弁になりつつ呪文を唱えた。
馬鹿らしいくらいに俗っぽいイメージそのままに、水晶玉には別の空間の景色が映し出される。白黒にしか見えないけれど、そこには確かに二人の人間―――博麗霊夢と霧雨魔理沙の姿があった。たまたま出くわした夜雀や蟲妖怪を叩きのめしているところだ。

「どう? こんな異変さえなければ綺麗に見えるんだけど、まあ用は足りるでしょう」
「白黒だと、弾幕ごっこも味気ないものねえ…まるで華が無いじゃない」

展開される弾幕は全てが白黒。鮮やかさなんて微塵も無い。

「そう考えると、今回のは幻想郷にとっては一大事かもね。当代の博麗が生み出したルールを根本から覆しかねないわけだし」
「より美しく、華やかに、が弾幕ごっこの核ってわけね。霊夢が腹を立ててるわけだ」

容赦無い御札の雨あられに二妖怪はなす術も無く墜ちていく。ここに来るまでに出くわさないでよかった、とアリスは内心安堵した。
そして同時に、このアイテムで話が脱線しかけていることにも気付いて、改めて顔を上げる。

「単刀直入に言って、犯人の目星は付いてるわけ?」
「ある程度はね。でも、話を総合したいのなら貴方の意見も伺わなきゃならないけど。貴方ももちろん、あらかたの見当は付いてるんでしょうね?」
「う…まあ……」

押し通せない! 声にならない悲鳴にパチュリーの表情が加虐の笑みで歪む。
やはり彼女とは歴然たる差があるようだ。アリスは降参のポーズをして声を荒らげた。

「もうっ、聞きに来たのよ、貴方の読み通り! 寝坊しちゃって、出遅れちゃったのよ!」

魔法使いと言えども、二度寝は大敵だった。
未明に異変を目撃しておきながら再び眠りに落ちたアリスは、昼ごろまで惰眠を貪ってしまったのだ。
慌てて家を飛び出したころには魔理沙も既に出た後で、霊夢もいない。
また異変解決に首を突っ込もうとしたつもりがとんだ失態を演じてしまったのである。
それでも完全に蚊帳の外となるのは知の探究者としては耐えられず、最終的にはパチュリーを頼ることにしたのだ。
彼女は図書館にいながらにして過去の異変に関しても相当内幕の事情に通じていた。本人も異変に際してアームチェア・ディテクティヴを愉しんでいると聞いたので、関わり損ねた異変の真相を知るならば彼女をあたる他無いのである。

「それにしても大それたカマをかけようとしたものね。手札は無いというのに、知ったような口の聞き方はなかなかのものだったわ」

クックッと笑いを噛み殺すパチュリーに、頬を赤らめながらそっぽを向くアリス。
こういうやり取りは見ていて姉妹に思えなくもないというのは、小悪魔の密かに思うところである。
もちろん、当人らが聞けば猛烈に反発するだろうが。

「はいはい、それじゃあ謎解きをしてみましょうか。このメイ探偵が、寝ぼすけ魔法使いの為にね」
「もういいってのに」
「…じゃあ、まず事実から。幻想郷は今朝未明から『色』を失った。これは間違い無いわね」

唐突に真剣な顔をして見せるパチュリーに、早くも本題かと慌ててアリスも居住まいを正す。

「正確には、有彩色。モノクロな視界が幻想郷を…特に顕界を覆っているのね。間違い無い?」
「ええ」
「犯人に関してだけど…異変の及ばない場所から犯人捜しをするのも悪くは無いけど、天狗と同じ推理をするのは何だか癪だからその方法は捨て置くわ」
「相変わらず我が儘で手厳しいのね。司書も大変でしょう」
「大変ですよ」

キッと視線をパチュリーが飛ばせば、いつの間にか傍らで水晶玉を覗き込んでいた小悪魔が慌てて逃げていく。
その様子をニヤついて眺めていたアリスにも、すぐその強烈なジト目は飛び火した。

「貴方も、下らない相槌を打たないで頂戴。教えないわよ」
「良いじゃない、続けてよ」
「ったく…」

しぶしぶと、魔女は続ける。

「端的に言えばこの異変、世界を白と黒に限定してしまったと言えるわ。有彩色と無彩色の境界が歪になったか、それとも一時的に失われたか…」
「……八雲?」
「そう考えるのは自然ね。むしろ自然過ぎるくらい。
境界に関しては八雲紫を置いて他に無いだろうし、スペルカードルールを根底から覆す挑戦的な異変に彼女が全く動いていないのは解せない。
もっともクロと断じやすい奴であることは確かだわ」
「でも、霊夢たちは」

再び水晶玉を見やる。
妖精を蹴散らしながら進む“白黒”の巫女と魔法使い。その向かう先は。

「そう…巫女の勘を信じるならば…あるいは八雲紫が全く移動していないと仮定するならば、霊夢たちの向かう先に、彼女は待ち構えていない」
「…とするならば」
「とするならば? 白と、黒よ…心当たりは」

悪戯げな微笑が憎らしくアリスの目に映る。
自分の圧倒的な情報不足がアリスには心底恨めしかった。けれども相手の言葉うちから何とか答えを導き出そうと最大限の努力をする。
教えられてばっかりは性に合わないのだ。
白と、黒。シロ、クロ、白黒…

「いや…まさかそんな」

脳裏に浮かんだ人物の名前をかき消す様に、アリスはぶるんと首を振った。
パチュリーはその様子を変わらず微笑をたたえたまま見つめている。

「そのまさかだって、起こりうるわけよ。あいつだって完全無欠じゃない。異変だって起こしたくなるものよ」
「でも、いくらなんでも」
「いくらでも、何であってもそう。事実よ。巫女たちに先んじ貴方はお望みの真実へ近づきつつある。
さあ、それじゃあ謎解きの第二幕へ移りましょうか…」

しんとした図書館に不気味に響き渡る魔女の声。アリスは半ば夢見心地で椅子の背もたれにもたれかかった。



 五


異変の解決に赴く者があれば、それを待つ者もいる。
里の守人を自認するワーハクタクも、無為にして異変の解決を待ち続ける徒であった。
異変となれば本来、里を飛び出して近づく妖怪を警戒するか、人々を里で一番大きな堂に集めて彼らの安堵を図る。
けれども今回は、花の異変のように基本的に人畜無害、不便なばかりの異変であったため慧音は動こうとしなかった。さすがに予定していた授業は休校にしたけれど、それでもとやってきた子どもたちが数人、狭い講堂の端に群れて何やら騒いでいる。白黒にしか世界が見えぬというのに、たくましいものだ。
しかし彼らにどうしても勉強がしたいなどという殊勝な心掛けがあるはずも無く、単に友人たちと会いたかっただけだというのは慧音にも分かっている。
だから彼女はその様子を監督するにとどめ、時折、手元の史書をめくりつつ異変の終息を待っていた。

「おい、いったい何をしているんだ」

子どもたちは何をそんなに嬌声をあげているのだろう? さっきから彼らはどうも、ある一人を中心に円形に群がっているようだった。
かせ、かさない、さわらせろ、いやだ、などの問答が聞こえてくる。

「仲良くしろよ。何だって、独り占めはよくないぞ」

どうせ、珍しい玩具か何かを他に先駆けて手に入れた者がそれを自慢しに来たのだろう。
子どもというのは遊びでも、勉強でも、友人に先んじることがヒーローになる条件だったりするものだ。ことに幼いうちは玩具などでその傾向が顕著に表れる。他人の持っていない遊び道具を占有することは、大人が感じる以上に快感なのだ。
ただ、それを眺める友人達の視線が羨望から嫉妬に変わらないようにするのが教育者の務めなのだろう。この郷に生きる人間たちの素朴な気風はそんな心配をするには及ばないだろうが、一応、ある程度遊ばせてやるに限る。

「せんせい」

しかし近ごろ、どうも不穏に感じることが無いわけでは無い。
慧音は思う。山に神社が出来て、それが受け入れられて、地霊が湧いて、治まって。風の便りで聞けば、みな山の神社の神が動いている。
その巫女、いや風祝も、里を中心によく動く。もちろん、風祝・東風谷早苗が根っからの善人――多少の皮肉も含むが――であることは知っている。彼女はただ自身の神のため布教に邁進し、その信仰を広げ里に神徳をもたらさんとしているに過ぎない。
それが、善いことと信じて。

「先生」

ただ、彼女が奉ずる神に目を転ずればどうだろう。
日本の愉快な神様。我が国の神は、基督教や回教の神がごとく唯一絶対の性格は持っていない。
感情に動かされもするし、過ちを犯しもする。その筋を当たれば地霊の異変はあの二柱が為したというではないか。それも、はっきり言って私欲を絡めて。
核融合と言ったか、あの太陽の力は、確かに幻想郷中に恩恵をもたらすはずだ。外の世界でも実現されていないという未来幻想…例え神話の力に依っているとは言え科学の名のもとに、その延長の極みにある力…そう保守的になっているつもりはないが、慧音はあまり『科学』に好感が持てなかった。河童連中の機械いじりも好きではない。
偏見も良いところだと自分でも思うが、慧音には科学が強大すぎる気がしてならないのだ。
それはときに人の心すら容易く変えてしまう。とどめなく先へ先へと進む気に、欲しい欲しいと思う気に。
幻想郷が外界と分離した時、世は完全に科学の支配下に無かった。非科学と科学が両立した混沌の世界。停滞しているのか、進んでいるのか分からないあの雰囲気を残すのが幻想郷であるはずだ。なのに最近、人々は外に毒されているのではないか?

-----幻想郷には、セピア色が一番だな。

けれども。懐古主義の半獣には、白黒の世界は古すぎた。

「先生ったら!」

怒号と喚声。気がつけば、とうとう喧嘩になってしまっていた。
子どもが二人もみ合うようにして罵りあっている。
どうやら、渡せ渡さぬの問答がこじれたと見える。

「こら! やめんか」

頭突く構えをすればたいていの子供は大人しくなる。
案の定、喧嘩をしていた二人は動きを止め、見守っていた他の子らもすくみあがって注目した。

「いったいぜんたい、何を取り合ってるんだ?」

息の荒い二人に近づいてみれば、何であろうか四角い、奇妙な機械が転がっている。
真ん中に大きな四角、わきには丸がいくつか、そして十字のふくらみ。間違い無く、外の機械だ。

「河童が落っことしたの、拾ってあげたらお礼にもらえたんだって。遊び道具みたいだけど、自分ばっかりやってかしてくれないんだもん」

喧嘩していた一方が、持主たる一方を讒言する。
すると一方が言い訳をがなりたてる。そしてまた、いがみ合う。

嗚呼、これだ!

神とて誤るのだ。上白沢慧音もまた然りである。
何でも無い、よくある子供のいさかいを、彼女はどうしても好けない『科学』のせいにした。便利で、楽しいが故に人心の荒廃のもとであると。
慧音は聡い。だが肝心なところで抜けていた。
白黒の世界というあまり恐ろしげの無い異変に当っても、里の人間たちは恐れおののき家に籠っている。子供だけがこの怪異に順応しているのだ。
だが、その柔軟な感性も年を経るごとにそぎ落とされ、消え行き、いつしか人外は好奇の対象から畏怖の対象へと変わる。
しかしその根底に流れるものは、この郷にある限り慧音の言うセピア色のままなのだ。

人間の変わらぬ部分、変わる部分を、誰よりも人を愛する半獣は未だ掴み切れていなかった。






損な役回りに泣く事はいつだってある。面倒を課せられてうんざりする事だってある。
嬉しく思えば悲しくも思い、楽しみも、嫌な事も当然ある。
だって、生きているんだから。

「だから、私だって時には行動します。自分の思いを伝えるために」

そう、いつもみたく出歩くのとは、訳が違うのだ。

「そのために私情を抑えるというのは…少し、皮肉な気もしますが」

殺風景な周囲の空間を、風が吹き抜ける。
彩りを失った花々はその風を見送って手を振るように、さわさわと揺れた。
彩りの無い世界の何と味気ないことか! けれどもこれで目的が達成されるとあればそれはそれで堪えもするのだ。

「貴方は笑うでしょうね。いえ…嘲笑う、でしょう?」

でも、今さら言うても栓無き事。後々の事を考えれば頭が痛いが、自分が動かずして誰かが動いただろうか? 思いが通ずる相手はいたが、いかんせん非力に過ぎた。
捏造して消せうるような歴史の歯車の動きではない。

-----ひょっとして杞憂じゃあ無いのかしら?

「そうかもしれません。しかし、事を起こすに十分なだけの理由があります。また、事を起こして得られる副作用というものも。
郷にはいずれにせよ、有益なのです」

-----それは、そうだけど

「そうですが、何か…?」

振り向けど、答えるものはない。代わりに正面から、二つの影が近づきつつあった。



 七


「いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ  つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす」

薄暗い図書館は、色を失うとより一層暗く感ぜられる。そんな中にあっては朗々と吟じる声もどこかしら呪詛を唱えているがごとく聞こえてしまう。
アリスは紅茶をすすりながら、その詞を聞くや口をはさんだ。

「何よ、それ」
「まさか知らないの?」

蔑むような眼で見られるのは心外だった。何で、とは『何でこんな時に』の意に違いないというのに。その程度の事は動かない大図書館なら汲んで欲しいものだ。

「知ってるわよ。パングラムでしょ」
「どうしてそう、横文字を使いたがるのかしら。これはいろは歌、幽玄なる日本語の織りなす妙技よ」
「えらく日本語をかつぐのね。英語にだって仏蘭西語にだって、伊太利語にだってパングラムはあるのよ。例えば…」

あのパチュリーが知らぬはずもないと思ったが、勢いアリスは一つのパングラムを暗唱した。
意味は日本語に訳せば、すばしっこい茶色の狐がのろまな犬を飛び越える、といった下らない文章だ。
そもそもパングラムとは、全ての文字を、出来るだけ重複なく用いて文章を為さんとする言葉の遊戯である。その条件だけ見れば日本語と英語のそれも大差ないが、なるほど文章の意味に着目すれば日本語に軍配が上がるのも頷ける。
パチュリーの日本語礼賛もあながちうがった見方とも思われない。

「それで、なんで今その妙なる歌が出てくるわけ?」

また、話が横道にそれそうになった。なまじ話のタネは両者とも尽きないだけに、一度脱線したら最後とんでもないところまで行くことがあるのだ。
聞くべきことは、聞けるうちに聞いておかねばならない。

「これは先日、さる筋からもたらされた書状に記されていた歌よ」
「さる筋から? 貴方に?」
「私なわけないでしょう。ただ、受取人がその意図を汲めず私のもとへ持参したの。
もっともこの書状が予期していた相手にはそれは十分伝わったようだけど」
「受取人と、宛先は異なっていたわけ? だったら分かった本人が受取った人に教えてあげれば良いのに」
「いかんせん、事が大き過ぎたのね。話しても受取人は理解出来ないかもしれない、もし理解したらいらぬ心配と苦労をさせるかもしれない。
そう、考えたのね。宛先の者は」
「何よ、それ」

アリスはまた、はじめと同じ反応を繰り返した。ちっとも話が見えない苛立ちが、つい口をついて出たようなものだ。
そんなアリスを見てむずかる子供をあやす様に、パチュリーはゆっくり言葉をつなぐ。

「さて犯人の話に戻りましょうか。少し戻りすぎな気がしないでもないけど、犯人は誰か…ここをもう一度、ね」
「好きにしたら、もう」

完全にいじけている。都会派魔法使いも形無しである。

「ふふっ…さて犯人…異変だから黒幕としましょうか。私は黒幕と、その居場所を五行の観点から割り出してみたわ」
「迂遠ね」
「…黒幕は恐らく、白と黒の境界を操りし者。これだけでじゅうぶん分かって面白みに欠けるけど、裏付けは欲しいじゃない。
さて白と黒はそれぞれ五行でいえば西と北に相当するわ。その境界線上はと言うと…すなわち北西、乾の方角。すると、その先には…」
「なるほど、ね。彼岸か。裏付けと言うよりはこじつけだけど」
「相違無いわ。でも魔法使いは常に自己完結する存在よ。自分が納得できる理由を見つけられればそれで良いんじゃなくて?」
「まあ、そうかもしれないけど」

その言にアリスは内心複雑だったが、今はそんな事を討論している暇でも無いと捨て置いた。
愚図愚図していれば異変は解決されてしまう。

「それでも面白い一致が発生するのよ。それはまた後に回すとして、黒幕についてはこれで良し。次は動機ね。
黒幕の性格からすれば悪戯目的で無い事は明白…恐らくは高度な目的を持っていると考えられるわ。
そこで登場するのがさっきの手紙よ。
送り主は言うまでも無く今回の黒幕。そして宛先は、守矢神社」
「守矢神社?」

いきなりのジョーカー登場に、アリスは鸚鵡返しに聞かざるを得なかった。
となると受取人は東風谷早苗か。そして手紙の意を理解したのは八坂、洩矢の二神のいずれかまたは両柱…

「どうして守矢神社?」
「さあ推理よ。ちかごろ二柱の動きはどうだったかしら」
「もう、いちいち下に見るのね。ええと郷にやってきて、巫女とひと悶着して、地獄烏を勝手に…」

一つ一つ、指を折るように数えていく。そうして思い返せば、山の神社の出現は幻想郷に大きな波乱を呼んでいたことに思い当たった。
むろんアリスのみならず郷のほとんどの者が、風祝にも二柱にも悪意は無いと分かってはいる。しかし地獄烏の件に及んでは少々、独断と勝手に過ぎるように思えた。

「未来幻想、核融合。恐らく山の妖怪連中には夢の技術だったでしょうね。二柱がその意を受けていたかどうかは分からないけど、間違い無く彼女らは――それが幻想であっても――『科学』を郷に持ち込もうとした。それは事実。
河童連中が利用していることだし、なにも科学なるものが善くないわけじゃないのよ。私は魔法使いだから科学なんて頼る気もしないけど、少なくとも郷が、その科学とやらのせいで変わってしまったり、破壊されたりなんて事はあるわけがないわ。

なんたって、ここは幻想郷なのだから」

幻想郷、という言葉にパチュリーは語勢を強めた。

「それでも黒幕は恐れたわ。彼女ほど変わらぬ様の幻想郷を愛していた人物もいないから。
何せあの風見幽香に人間を恐怖せしめるよう説いたくらいだから、人間と妖怪が狎れ合ってしまうのも嫌だったに違いないわね。
そんな彼女も納得するスペルカードルールを生み出した巫女は、やはり相当の逸材みたいだけど」
「珍しく褒めるわね。明日は雪かしら」
「いえ、七属性の魔法が降り注ぐわ。貴方が口を滑らせるような事があれば」
「しないわよ。聞いてばっかりだと、貴方に負ける気がしてね」

ささやかな反撃はほんの意趣返し。
教えられてばかりで歯がゆいのは知を愛する者なら分かろうに、パチュリーは自尊心をいたぶるような物言いしかしないのだ。今のやり取りでひとまず、アリスは溜飲を下げることにした。

「…とにかく、守矢の二柱の所業は、少々目に余るものに黒幕には思えた。私の見立てでも二柱は少しばかりはしゃぎ過ぎね。兎に角そこで黒幕はお得意の説教に赴いた。
時期はちょうど地霊の異変のすぐ後。
…風祝から聞くところによると、話はこじれたらしいわ。相手だって馬鹿じゃない。馬鹿どころか神様、それも諏訪の明神の御一門よ。
結果的に核融合も成功したし、得意になっていたところを説教だから頭に血が上ったのね。日本の神様らしいわ…結局お互い言いたい事だけ言って別れちゃったのよ。
それでお互い絶縁となればそれまでだったけど、それでも古き良き郷を守らねばと考えた黒幕はもう一度警告を突きつけることにしたの。
それがあの、いろは歌」
「なるほど、ね…」

ここまでくれば、アリスにも話は見えた。

いろは歌は無常をうたったものだ。
美しく映える花の色も散るというのに世で移ろわぬ者など無い、そんな無常の世で儚い夢など、酔っているわけでもないのに見ていられようか…そんな歌だ。
黒幕は…いや閻魔は、四季映姫は、科学を『夢』として、そんな馬鹿げた物に浮かれないよう説いたのだ。彼女の思う幻想のあり方を、守り抜くために。

「けれども、山の神はそれを黙殺。だから閻魔は異変という直接行動で最後通牒を示した。『色』を奪う…科学なるもの否定、すなわちそちらとの全面対決も辞さないぞ、と…それが筋書きね」
「ご明答。何せ力ある存在同士の喧嘩だからこれ以上の騒ぎになると厄介だけど、二柱も分別はあるのだしそれだけの覚悟を見せられれば少しは考えを改めるはずよ。
ほら、そう言ってるうちに巫女と魔理沙も黒幕へたどり着いたみたい。
『真相』には一足私たちが先だったけど」

水晶玉の中では霊夢と魔理沙が閻魔と対峙している。こうなれば異変解決は目に見えたものだろう。
異変解決は幻想郷における儀式みたいなもので、閻魔が変わらぬ幻想郷を望んでいるのだとすれば霊夢が負けるはずがない。人外は古来より退治される存在なのだ。

「そうそう」

異変解決が見えて終息しかけていた思考を呼び戻す様に、アリスはパチュリーに再び向き直る。

「方角。乾の位置にあるから、面白い事があるってあれは?」

忘れぬうちに聞いておかねば、話がどこへ飛ぶか分からないのはさきの通りである。
アリスの問いに、それこそ忘れ物でも見つかった様にパチュリーは嬉しそうに応じる。

「…八坂神奈子の能力は、『乾を創造する程度の能力』。字義こそ違えど彼女が支配するところの『乾』の方角であえて行動に出るなんて、閻魔はよっぽどの覚悟があったと思わない?
つまり、本気だったって事よ」

なるほどね、と今日何度目かの納得をしたところでアリスはいま一度水晶玉を見やる。
三者の対峙は相変わらず続いており、今頃閻魔の口から事の次第が伝えられていることだろう。それが自分がパチュリーから引き出した推理とどこまで肉薄し、どこまで乖離しているか…思ったほど気にならないのはアリス自身、不思議だった。
どうやら少しパチュリーに毒されたと見える。そう、それなら異変が終わったら魔理沙とも話をしよう。そして少しぐらい彼女の行動あり気の思考に毒されてみよう。
毒も使い方次第では薬に転ずると言う。でも、自分は毒されてばかりなのだろうか?

自分が毒たりえるかどうかは…また別に考えるとしよう。






「八坂様―? 洩矢様ー? 異変はどうやら解決されたみたいですよ!」

生気に満ちた若々しい声が、立派な境内に響き渡る。
けれどもそれに答える声は無く、早苗は二柱を呼び続けながら社へ上がっていった。

「ああ、こんなところにいらしたんですか。異変、終わったみたいですよ。何だか目がちかちかしますね、久しぶりに色が見えるようになると」

襖を開けば、早苗が幼い時より親しんできた二神が一ところに対座している。自身の登場に慌てて発した、取って付けた様な和やかな雰囲気が早苗には気になったが聞かないでおくことにした。

「ああ早苗、終わったかい?」
「ええ八坂様。霊夢さんでしょうかね、一応片付いたようです。私は今から里の方へも行ってみるつもりです」
「気をつけてね、早苗。異変が終わっても、エクストラというやつがあるんだから」
「何言ってるんですか洩矢様、大丈夫ですよ。それじゃあ、行ってきます」
「「いってらっしゃい」」

優しい二柱は早苗の誇りだった。だから、この異変には関わるなと言われた時も自分を心配してのはからいなのだと申し訳ない気がしたのだ。
けれども気にかけてもらってばかりは早苗自身、もどかしい思いがある。二柱が信頼してくれるほどに強くあらねば…そう、早苗は風を切りつつ決心したのであった。

「…早苗、行った?」
「うん。
…それにしても、閻魔があそこまでするとはねえ…」

先ほど早苗を迎えたときとは打って変わってトーンの落ちた声。
早苗には見せまいとする二柱だけの談義が、彼女の気配が失せると同時にまた始められた。
思案顔の神奈子の眉間には皺が寄っており、それが本気で思案しているときの表情だと諏訪子には分かっている。事はそう易きものではない。
ある意味、神奈子の決断いかんでこれから幻想郷が大きく割れる危険はある。山の妖怪を恐らく味方に付け、閻魔と未曾有の対決に運ぶ可能性が。
そうまでしてこの良き幻想を壊す心づもりは、少なくとも諏訪子には無い。せっかく得た安住の地を手放す阿呆はする意味が無いのだ。となると後は多少の便利をあきらめるのと、詰まらない矜持を捨てる事だけにそれらはかかっていた。
詰まるところ、神奈子の一存に全ては。

「負けたわ…」
「うん?」
「諏訪子、私は折れるよ。何たって素敵な幻想を、壊すのも後味が悪い。それに自分一人悪者になるだなんて、見上げた勇気じゃないか。
覚悟が違ったさあね」

少し威勢が足りないけれど、その声はまごうこと無く諏訪子の知った八坂神奈子の者だった。とたん諏訪子の表情もほころぶ。

「うん。それがいいさ、神奈子。あんまり早苗にも心配させちゃ悪い。
あったままでいいのサ、この郷はね」
「そうね。そうと決まれば、上等の酒でも用意しないと」
「ヤケ酒?」
「まさか」

言いながら神奈子は山の向こう…乾の方角を見つめた。

「日を改めて、おわびさ。この郷じゃ、異変の敵味方が酒盛りで仲直りするのが流儀じゃないか」

説教され通しの宴会も良いかもしれない。その時の自分を想像すると、八坂神奈子は笑いが止まらなかった。



 九


「貴方は、笑うでしょうね。まったく私の苦労も知らずに…」

ヤケ酒は神奈子の視線の先、乾の方角で行われていた。
今回の異変の黒幕、四季映姫。品行方正で知られる彼女のヤケ酒自体まず驚きだが、そのそばにはべる者を見ればさらに驚きは増すだろう。
誰を隠そう、隣で酒の相手をしているのは八雲紫その人である。

「ほらほら、あんまり呑んでは体に毒ですわ」
「煩いですね…どうせ明日には謹慎を喰らう身です。どうなっても構いませんよ」
「あの、じゃあ私は帰っていいかしら…?」
「駄目です」

花々は彩りを取り戻し、二人の周りは鮮やかに色づいている。
四季映姫はその中でほんのり顔を朱に染め、思いの丈を吐き散らしていた。一方の紫はどこか強張った笑みを浮かべ、しぶしぶ、と口に出しそうなくらい難儀そうに相手をしている。

「貴方はどうせ、こうなる事まで知っていたのでしょう? 私が動いて、負けて、事態が治まる。お見通しの上で私に力を貸した、そうでしょう?
この郷にある者は全て貴方の手のひらの上なのです」
「そんなことは…ありませんわ」

紫は否定する。事実そんな事が、あるはずも無かったから。

今回の件は、事の初めからそもそも紫の予想外であった。
妖怪の山は閉鎖的で、それでいて河童だのが科学に手を付けあまり好ましくない活動にいそしんでいる。二柱もそれに便乗して調子に乗る。
いつかどうにかしなければとは思っていた。けれどもまさか、まさかあの四季映姫が、それも自分に助けを求めてくるとは。
のっけから予想外の展開に紫はながされるままで、結局他の境界を操り映姫の異変を手助けした。
単に山への脅しだけで無く、人外への恐怖を再確認し、さらに巫女に敗れることでこの郷のあり方をもう一度知らしめんと映姫が画策していたことなど関知する事すら出来なかったと言って良い。
道化はどっちだったのか、紫にも見当がつかない。

「私は」

そんな紫の感慨を打ち崩す様にまた映姫が愚痴る。

「いつまでたっても貴方を越えられない。閻魔が聞いてあきれますよ…そうやってまた、私は貴方に笑われるのです」

映姫は確かに、酒に任せて本音を語っていた。

彼女は白黒をつける事しか出来ない。一つの境界を設け、それに留まるのみだ。
けれども紫は、境界を『操る』事が出来る。作るも消すも動かすも自由。そこに越えられない壁を、映姫は見出していた。
けれども、それとても誤りだ。
紫は閻魔が恐ろしかった。自身がぼかした境界を、白黒という強力な二元のもとに映姫は断じ切ってしまう。
なるほど映姫が考える通り能力としては紫に分があるかもしれないが、紫にとってもまた、それは自身の越えられぬ力の壁であった。
歴然たる差を見せつけられるからこそ紫は映姫を苦手とするのだ。

そろそろ本気で紫が逃げ出したくなってきた、そんな頃合いである。

「さあ! 観念して異変の真相を…ってあれ?」

雷撃のごとく現れたこの場にとっての侵入者。酒を酌み交わしているのが映姫と紫だと知れて、呆然とするは半人半霊•魂魄妖夢である。
彼女は律儀に主の言を守り、異変解決後恒例の宴会に顔を出して真相を知る心積もりだったらしい。
そのため全神経を酒気の感知に注いでいたとは、何ともまあ滑稽ではある。

「ま、まさか閻魔さまが異変の黒幕? それに何で紫さまもいるんですか! 紫さまは閻魔さまがにが…」
「ようむ〜待ってたわよお! さあ閻魔さまと楽しく一献、ね。それじゃあ御機嫌よう〜」

強引もいいところだ。目にも止まらぬ速さで紫は妖夢を自分の席へ座らせ、あっという間に隙間に逃げ込んでいった。
後に残るのは困惑したままの妖夢と、愚痴の相手を見つけた酔いどれ閻魔のみである。






勘違いもあれば杞憂もする。過ちを犯せば愚痴も言う。
本当の悪者なんてのもいない。誰もが良い結末を持っている。

ハッピーエンド――大団円と呼ばれる幻想は、この地に確かに息づいていた。





映姫様も妖夢も、楽しく愚痴ればハッピーかと。
異変をパチェらの視点で解明していくのが核ですから、異変自体は少し不明瞭だったかもしれません。
色ときたら四季映姫(白黒はっきりry)、じゃあ異変起こさせよう、と考えてのこの話。書けば書くほど話はプロットから離れていきました。
蛸擬
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 15:31:44
更新日時:
2009/05/09 15:31:44
評価:
23/24
POINT:
136
Rate:
1.34
1. 3 名前が無い程度の能力 ■2009/05/13 17:26:43
後書きはいらなかったな
なんか映姫様のやったことがチープに見えてしまう
2. 3 リペヤー ■2009/05/13 19:39:17
面白かったんですが……
うーん、なんとなく「科学」というものを悪者に仕立て上げようとする感じがあまり性に合いませんでした。
3. 6 As ■2009/05/14 01:54:57
プロットを離れたと仰る割にはまとまっていたようにも思えました。
しかし、映姫様が異変とは・・・、いい意味で意外性がありました。
4. 5 パレット ■2009/05/18 00:19:23
「リアリスティック」が「アリスティック」に見えて勝手にうちのめされました。
当事者以外からするとよくわからない、けれど当事者からするとわりと切実だったりそうでなかったり、ともかく最後は酒で終わる、とても異変っぽい異変を描いていたと思います。
5. 4 神鋼 ■2009/05/19 00:12:09
登場キャラ全員のエゴとエゴの見せ付けあいを感じました。でもだからこそ幻想郷
6. 10 名前が無い程度の能力 ■2009/05/31 04:15:38
パチュリーの推理や映姫の愚痴、紫の本音などどれも面白くかつ納得のいくもので、
地霊殿をプレイした時に感じた違和感みたいなものが消えていくような心持ちにさせてくれるいい作品でした。
7. 7 読人 ■2009/05/31 20:52:11
映姫様が黒幕というのは新鮮さを感じました。
大団円は大好物なんで、幻想郷らしい終わり方で良かったです。
ただ、幻想郷の外の人である閻魔がそこまでやるかな?と少し思ってしまいました。
8. 3 気の所為 ■2009/05/31 21:25:36
慧音の独白が本文から浮いている気がしました。それだけ抜き出してみると面白いのだけれど、本文に組み込むにはもっと削ぎ落とした方がいいかなと。これがプロットから離れた部分でしょうか。
閻魔様も大変だな。
9. 6 佐藤厚志 ■2009/06/01 00:48:23
静かに始まり、静かに終った。そんな感じの小説で御座いました。
まるで縁側でお茶を啜って、景色を楽しむような感慨に満ちておりました。
10. 8 三文字 ■2009/06/07 11:11:27
異変の際の群像劇。
普段は霊夢と魔理沙からの視点からしか見れませんけど、異変が起きたらこんな感じでみんな過ごしているんでしょうね。
うん、面白い。
ところで幻想郷には科学は広まって欲しくないなぁ、と思うのは自分だけですかね?
科学が広まった現代にはないものを、自分は幻想郷に求めているのかもしれません。
11. 6 有文 ■2009/06/08 01:33:26
変わらぬ幻想郷もうつろいやすく、その儚さゆえにうつくしく、四季映姫様はけなげで可愛くて素敵でした。
12. 4 ふじむらりゅう ■2009/06/11 22:59:59
 肝心なところが書かれていない感じ。安楽椅子探偵みたいなものでしたから、仕方ないといえばそうなんですが。
 ハッピーエンドになるべくしてなったというか、プロットそのまんまという気がしました。意外性というか、神奈子と諏訪子が納得するところも、理論立って考えた結果というよりは「ハッピーエンドにするためにここは折れる」と決め打ちされているような印象を受けました。
13. 4 ぴぃ ■2009/06/12 12:55:21
しっかり商売している文に笑いましたw
話としては、薀蓄が続くものの、動いている登場人物が少ないので、ちょっと展開が単調に思えてしまいました。
けれども、映姫が異変を起こすというのは、意外なストーリーで新鮮ですな。
14. 7 八重結界 ■2009/06/12 16:55:22
流れるような文章が、話の雰囲気と合っていて最後まで飽きることなく読めました。
アリスとパチェが組み合わさると、話がとんとん進むので気持ちいいです。
あと、妖夢が不憫で、それもまたいつも通り。
15. 7 moki ■2009/06/12 19:17:46
ヒト(とそれに順ずる妖怪達)からすれば世界が白黒になるのは大きな異変でしょうが、果たしてそれ以外の生物にとってはどういった意味合いを持つのでしょうね? まあ、あくまでメッセージとしての異変であって、その対象も神にヒトですから、ここで考慮してもそう変わりはないのでしょうけど。
あと文章では、ダッシュが--で代用されていること、顕界という表現は冥界との対比で使われる言葉で幽々子妖夢以外は用いるだろうかということが気になりました。
16. 7 どうたく ■2009/06/12 20:12:44
 映姫様は大体山田のイメージがあったので、こういう作品は新鮮でした。
 閻魔様でも間違いは起こすことがある、でもそれは紫と同じで幻想郷を愛しているがゆえ。
 皆、幻想郷が好きなのだなと改めて認識させられました。
 
17. 9 木村圭 ■2009/06/12 21:29:11
この間の悪さが妖夢だ。
切った張ったで色々すっ飛ばして解決してしまういつもの人間たち視点では作り出せない、背景とロジックの観点から異変を追う作りが実に良かったです。
映姫本人に現場で語らせるのも悪くは無いけど、霊夢と魔理沙にそれを言ったところで柳に風だからイマイチ締まらない気がしてならないですし。
個人的にはアリスが可愛けりゃ何でも良いんですけどー。
18. フリーレス ハバネロ ■2009/06/12 22:23:49
そもそも、そういう能力なのか?

という揚げ足取りとも取れる解釈が理解を阻む
19. 5 時計屋 ■2009/06/12 22:27:51
 どうして白黒の世界にすることが科学の否定になるのか、という物語の根幹がよくわかりませんでした。
 そもそもこのSSでの「科学」の位置づけがつかめないところに要因があったかもしれません。
 単に私の読解力が無いだけだったらすいません。

 物語のスポットを異変の当事者に向けず、傍観者であるパチュリーに向けたのは面白い試みであったと思います。
 ただその分、終始淡々としていて、物語自体の盛り上がりに欠けたように思えます。
 文章は丁寧でしたが説明的なものが多かったため、肝心の推理にもう少し魅力を感じさせる工夫が欲しかったように感じました。
20. 8 つくし ■2009/06/12 22:57:13
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
21. 5 K.M ■2009/06/12 23:24:15
ごめん妖夢、途中すっかり忘れてたわ。
22. 7 リコーダー ■2009/06/12 23:28:39
纏まりは有って無いようなものですけど、これはこれでアリか。
23. 7 渦巻 ■2009/06/12 23:36:34
キャラの特徴をよく表現できていたように感じました
多少尻すぼみのように感じたのが残念、それ以外は間違いなくもう1ランク上の作品でした
24. 5 つくね ■2009/06/12 23:47:09
途中の慧音の語り、あれをもっと自然に出ていれば良かったと思います。科学だけに不自然(ぉ
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