いたづらにはうつりにけらぬ花の色むしの心に花ぞありける

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 18:05:12 更新日時: 2009/05/09 18:05:12 評価: 21/22 POINT: 136 Rate: 1.46
「十二番八雲紫と八雲藍、手旗信号でロミオとジュリエットやります!」
 どおおおお。
 歓声の最中、怒涛の勢いで手旗をはためかす二人。
 無論この場の誰一人として手旗信号など知るはずもないのだが、宴会の席なので誰も気にしていない。
 宴会の席である。
 まあ、顔見知りの増えたことだ。
 乱痴気騒ぎをどこか達観した様子で見ながら、風見幽香はちびちびと酒をやる。
 花の咲く場所にはどこでも出没する彼女だが、博麗神社の周辺を主な根城にしているため、それほど知り合いが多いわけでもなかった。霧雨魔理沙や紅魔館の面々、また文字通り神社に住みついている伊吹萃香などがせいぜいだ。
 しかし例の60年ぶりの開花騒ぎ以降、魔理沙主催の宴会に出席するようになったため、彼女の交友範囲は爆発的に広がったと言えた。
 気安くかけられる声に、幽香は軽く手を振り返しながら、自分もずいぶん丸くなったものだと思う。
 別にもともと気性が荒かったというわけではないが、弱小妖怪に愛想を振りまくほど、その矜持は安くもなかった。
 どうやらあの60年ぶりの開花騒ぎは、存外に自分に影響を及ぼしていたらしい。
 どうでもいいことだが。
 どおおおお。
 悲劇――あるいは喜劇――は早くも最高潮を迎えているようだ。
 何時の間にやら神社の屋根に立った紫が地面の藍を見下ろしている。
 手旗の意味はわからずとも、わかってしまう状況。
 何となくげんなりして、幽香は茶番から目を逸らす。
 目が合った。
 こちらの様子に気づいていたのか、視線の主、上白沢慧音が苦笑と共に杯を掲げてくる。幽香も同じ表情で洋盃を持ち上げた。
 彼女と初めて会ったのは宴会の席……ではなく人里である。道端で会えば挨拶をする程度の間柄だったが。
 そして初めて宴会の席で見えた時の慧音の第一声は、
「風見殿は妖怪だったのですか」
 だった。
 そう言われた時は聊か憮然としたものだが、
「暴れもせず、足繁く気に入りの花屋を訪れる者を妖怪だとは、普通は思いません」
 と言われてしまえば、反論は難しい。
 里の者でもない部外者が出行っている事に疑問はないのかと問えば、慧音の視線は博麗の巫女に向けられた。
 今度こそ、ぐうの音も出なかった。
 そのまま彼女の元に歩み寄る。
 辺りを見渡してみれば、慧音を中心に一集団ができあがっていた。
 大人数の宴会では、得てしてこういった場ができるものだ。
 そろそろいい頃合いだし、彼女の一群なら問題もあるまい。幽香は慧音の隣に腰かけた。
「あ、幽香」
 名を呼ぶ声に視線をやれば、そこには歌姫ミスティア・ローレライが鎮座している。
 例の開花騒ぎで知り合った彼女に、しかし幽香は首を傾げた。
「珍しいわね、歌わないの?」
「歌いたいのは山々なんだけど」
 少し困ったように眉を下げ、ちょいちょいと膝元を指差す。
 見ればそこには自分と同じ色の髪をした少女が、黒の外套を毛布代わりに、寝入っていた。
 ぴょんと突き出た触覚をミスティアが弄れば、その少女はむぅとむずかるような声を漏らす。
「……それは?」
 別段の感慨もなく問う幽香に、ミスティアも気にした風もなく答えた。
「リグルよ。リグル・ナイトバグ。蟲の王様なんだって」
「……じょうおうさま〜……」
 それ呼ばわりは聞き過ごせても、それは看過できなかったらしい。蚊の鳴くような声で訂正が入った。
「起きたの?」
「う〜」
 意識は戻ったようだが、およそ十全とは言い難い有り様だった。
 そんなリグルを、幽香は珍獣でも見るかのような目で見つめる。
 まさか酔い潰れるような妖怪が、あるいは人間がいるとは思わなかったのだ。
 酔い潰れるということは、つまりは隙を曝け出すということで、全てを受け入れる幻想郷でそれほどに残酷な末路を導く行為もない。
 あるいは宴会の席では、無粋な騒乱が起こらないということを見越しての行為なのだろうか。
 慧音曰く犬猿の仲の蓬莱山輝夜と藤原妹紅ですら、宴会の席では何らの諍いもなく酒を嗜むという。
 今正に、幽香の目の前で射殺すような視線を投げかけ合う二人を見るだに、確かにその通りのようだった。
「うちの店で飲む時も、いつもこんななんだよねぇ」
 そして推測は、瞬時に木端微塵となった。
「しはらいちゃんとしてるんだからいいでしょ〜?」
「まあそうなんだけど」
 未だに額に手を当て困憊しているリグルに水を飲ませてやりながら、ミスティアはぼやく様に答える。
 まあ、関係あるまい。
 それきり幽香はリグルへの興味を失い、いがみ合うやんごとなき方々と慧音との会話を肴に宴会を再開した。

***

 宴会終わって翌日。
 鼻歌混じりに、幽香は花見に興じていた。
 最近の気に入りの場所は、彼岸間近の草の原である。
 四季の移ろい毎に花の咲くを追う彼女だが、ここでは追う必要はなかった。
 自らの力を振るうまでもなく、四季の花が咲き乱れているのだから。
 偶に死神が昼寝をしていたり、それを探して閻魔が飛んできたりするのが難ではあるが、花を愛する彼女にとっては概ね理想的な場所であった。
 今日は向日葵ね。
 およそ冬の寒空にそぐわぬ事を心に思い描きながら、幽香は空を行く。
 眼下に広がる色取り取りの花畑。
 まだ見ぬ黄金を求める幽香の目に、一輪の花が映った。
 白い、薔薇。
 偶には気取るのもいいでしょう。
 ふと微笑んで、彼女は地に降りそれを手にした。
 そして摘まずに顔を寄せ、甘い香りで胸を満たす。
 花はいい。
 単純に、純粋に、そう思う。
 次なる花を求めて、幽香は目を巡らせた。
 薔薇の花に視野狭窄となっていたのだろうか、自分を取り巻く花々の様子にようやく気付く。
 白かった。
 彼女の周りに咲く花の、全ての花が白かった。
 四季の花々が無節操に咲き乱れるこの地で、一帯全体が同じ色に染まる事など、奇跡に等しい。
 高揚感に、胸が躍る。
 心のままに、幽香は足を踏んだ。
 くるくると、くるくると。
 回る世界は白く、眩しい。
 そんな世界の片隅に、一際背の高い花群のあるを、彼女は見つけた。
 そしてこの光景が、奇跡の産物でないと知る。
 それは、彼女が探していたはずの黄金だった。
 向日葵だった。
 しかし今や白銀となったそれを、その名で呼んでよいものか。
 白い、向日葵。
 こんな有り様を、見たことはない。
 有り得ない。
 高ぶる心を冷静に、幽香はそれを用心深く見る。しかし彼らは彼女を見ない。
 だから幽香は、彼らが見詰める方を見た。
 白い世界の直中に、ただ一つ立つ黒い影。
 黒い、影。
 果たしてそれは、少女だった。
 目を瞑り、空を見上げるその様は、祈りを捧げる聖女のようだった。
 黒の外套で、華奢な身を包むその様は、喪服の参列者のようだった。
 リグル・ナイトバグ。
 先の宴会で醜態を晒していた手合いとはおよそ一致しない風情の彼女の様子に、幽香は声もなく見入る。
 音はなくとも視線を感じたのだろうか、暫くしてリグルの瞳が開かれた。
 何も映らない、硝子のような瞳が向けられる。
 戦慄だろうか。得も言えぬ感覚に、肌が粟立つ。
 しかしその瞳の様は刹那で、数瞬後にはきょとんとした、どこかあどけない光が灯った。
「風見幽香、だっけ?」
「……ええ、そうよ」
 あっけらかんと声をかけてくる彼女に、一瞬言葉を詰まらせつつも幽香は答える。
「わざわざこんなところまで出向いてくるなんて、物好きね」
「……御挨拶ね。そういう貴方は何なのかしら」
「私は理由があるもの」
「理由がなければ、居ちゃいけない?」
「そういう訳じゃあ、ないけどね」
 いつもの調子を取り戻した幽香が挑むように言えば、リグルは気圧された風もなく、しかし後ろめたげに呟く。
 そんな彼女の物言いに、幽香は少し口調を和らげた。
「……蟲の女王がいるのなら、花の女王がいたっておかしくはないでしょう?」
 その言葉に、彼女の瞳が見開かれる。
「そうなんだ」
 歓喜に満ちた顔で、リグルは嬉しげに言う。
 彼女は幾度も頷き、そうなんだ、ともう一度呟いた。
 その様子に幽香は怪訝な表情となるが、リグルは目をきらきらと輝かせお構いなしに言ってくる。
「それでそれで? 花の女王様が、一体全体何の用?」
 ……理由がなければ居てはいけないのか、と問うたばかりなのだが。
「この花の様が気になって、ね」
 しかし彼女は寛容に言う。
 有り得ぬ真白の花々を睥睨して、そして幽香は、その中心に座すリグルを見据えた。
「秘密」
 リグルはしかし、いい笑顔を浮かべてそう言い切る。
 同じく幽香はにっこりし。
 裾を捲くり。
「なら、腕尽くで」

 十数分後には、悠然と日傘を差す少女と、花畑にへたり込む少女の姿があった。
「弱いわ」
「……否定はしないけどね」
 幽香の言葉を肯定しつつも、彼女は唇を不満げに尖らせている。
「不服そうね」
「別に。ただ花の女王様にしては、力技だと思っただけよ」
「それはそうよ」
 くるりと日傘を回し、彼女は指を立てた。
「私の花を操る力は、好きが高じて岩をも通った結果よ。私の本質は」
 回した傘を空へと掲げ、
「力よ」
 先ほどの弾幕ごっこの際には見せなかった強烈な魔力の奔流が、空へと解き放たれる。
「……」
 通すどころか岩をも砕く、本来ならば驚くべき力なのだろう。
「そうなんだ」
 しかし彼女は、落胆した面持ちで、先と同じ言葉を言う。
「それで」
 その表情に、思う所がない訳ではなかったが、
「この花達の有り様は、一体全体なんなのかしら」
 それはおくびにも出さず、幽香は続けた。
「花の女王でも、わからないんだ?」
「わかるなら聞きはしないわ」
 不貞腐れたように言うリグルに、彼女は恥じることもなく言い切る。
 そんな幽香の様子に毒気を抜かれたのか、彼女は肩を竦め、
「ま、負けたのは事実だし答えるけど、その前に」
 言ってリグルは立ち上がり、右手の親指でくいと誘う。
「場所、変えない?」

 歌声響く屋台の暖簾をぱさりと上げる。
「は〜とにうっちゅっうがあっるよぉに〜……いらっしゃーい。ごめんねまだ開店前……ってリグルか」
「御挨拶ね」
 仕込みの手を止め顔を上げてのミスティアの声に、リグルも減らず口を叩いた。
「あれ、幽香も? 珍しいね」
「ちょっとね。外の席、貸してくれる?」
 やや驚いた面持ちの幽香に代わって、彼女が答える。
「ん。いいよ」
 あっさりと頷き、ミスティアは再び仕込みに戻った。
 もうこちらを見ていない店主に手をひらひらと振り、再び暖簾を押し上げる。
 幽香も黙って後に続き、彼女にならって席に着いた。
「手慣れてるわね」
「常連だしね」
 先程とは打って変わって、静かな歌声を披露しだした屋台の方に目をやったまま、リグルは答える。そのまま彼女は歌に聞き入るように、しばし瞳を閉じた。
 ややあって、リグルはふるふると頭を振り、幽香に向き直る。
 歌を聞くでもなく、ただ向日葵のようにじっとこちらを見ていた彼女と目が合った。
「閻魔様って、忙しいらしいよ」
 そんな幽香の様子を気にもせず、彼女は唐突に話題を転じる。
 これには逆に、幽香の方が戸惑いの表情を浮かべた。
「最近は特に、忙しいんじゃないかな」
「……そうみたいね」
 直ぐに平静を取り戻したのは、流石と言えるだろう。一瞬の沈黙の後、幽香は相槌をうった。
「知ってるんだ」
 知っているどころか、当事者として閻魔本人の手を煩わせた事すらあるのだが、別に今語ることでもあるまい。
「少し、ね」
 なので、そうとだけ答えた。
 ふうん、とリグルは相槌をうち、
「でも、そうでなくてもいっつも忙しいみたいなんだよね。妖怪や人間は勿論、自然が死んでも引導渡さないといけないんだし」
「……それが何の」
 関係があるのか、と続けようとするを、彼女は遮る。
「一人じゃ無理だと思わない?」
 小首を傾げて微笑みかける。
 その一言に、幽香の目が見開かれた。
「……貴方は」
「はいお待ち〜」
 一切合財雰囲気を察さず、ミスティアが卓に皿と洋盃を置く。
「頼んでないけど」
「サービスよ、常連さん」
 可愛らしく片目を瞑る彼女に、ちょっと微笑みリグルは一言礼を言う。
 再び歌を歌いながら屋台へ戻っていくミスティアの背を見送り、そしてリグルは幽香に苦笑を送ってみせた。
「……ま、そういう訳」
 おいしいよ、と幽香に串揚げを勧め、自らは遠慮なく酒に口を付ける。
「私は閻魔の補佐代行心得見習いってとこ?」
「下っぱね」
「そりゃあねぇ」
 早くも顔を赤く染め、リグルはけらけらと笑った。
「蟲のお裁きなんて、誰でもできるもの。みーんな天国送りだし」
「そうなの?」
 事も無げに言う彼女の言葉に、幽香は疑問符を浮かべる。
『生きる事はそれだけで罪な事なのです』
 かつて閻魔に言われた言葉が頭を過った。
「なーんとなく、考えてることはわかるけどね」
 締まりなく笑ったまま、リグルはずいと身を乗り出す。
「生きる為には仕方がないけど、蟲は貴方の好きな花を食む。だから生きることは罪な事だけど、それだけで地獄に落としてたら、地獄は溢れかえっちゃうよ」
「蟲はそれしか罪を犯さないと?」
「犯さないよ?」
 胡乱げに問う幽香に、彼女はけろりと言葉を返した。
「何故?」
「だって蟲には意思がないもの。生きる為に、生きているだけだもの」
 違和感を感じる。
「あの花は」
 しかしそれが明確な形を成す前に、リグルは言葉を続けた。
「私が死んだ蟲達を集めた結果よ。蟲はお莫迦だからね、死んだ事に気がつかない奴らの多いこと多いこと。だから、私が誘導してあげてるの。罪無き蟲が宿るんだもの、花は白いに決まってるでしょ?」
 言葉を紡ぎだそうとして、
「……」
 幽香はそれが、無為と知る。
 千々に砕けた言葉を乗せて深々と、彼女は溜息をついた。
 言うだけ言って、半ば以上の酒を残して、丸々全部の串揚げを残して、リグルは既につっ伏していた。
「寝ちゃったね」
 一部始終を見ていたらしいミスティアが、幽香の隣に寄ってくる。
「ありがとうね、幽香」
「別に貴方にお礼を言われるようなことは、してないけど」
 訝しげに、幽香は赤提灯の店主を見上げた。
 歌ってたから何を話してたのかは知らないけど、と前置き、
「リグルがお酒飲んでるところ、初めて見たから」
 その台詞に益々、幽香の眉が顰められていく。
 先の宴会で彼女の酔っぱらう様は見たばかりだし、何より、
「彼女はここの常連なんでしょう?」
 飲みの屋台で、酒を飲まない輩などいるのだろうか。
「いつもはお酒に飲まれてるだけだからねー」
 リグルが口を付けていた洋盃を持ち上げ、中身を揺らす。
「本当はこんなもんで十分なのに、無理に飲んでさ。なんか飲まなきゃやってらんないって感じで」
 彼女の言葉に、幽香は花畑でのリグルの様子を思い出した。
 何も映さぬ硝子の瞳。
 だからさ、とミスティアは続けた。
「リグルのこと、よろしくね?」
「貴方は彼女の何なのよ」
 彼女の突飛な言葉に、思わず幽香は苦笑する。
「なんだろうね?」
 はてとミスティアは首を傾げた。
 そして、でも、と彼女は言う。
「逆ならわかるよ。リグルは私の大事な常連。ほら、無茶飲みして体壊されちゃったら商売あがったりだから、さ」
 払いもいいしね、と少しだけ目を逸らして、ミスティアは続けた。

***

 別にミスティアの言葉を聞いてというわけではないが、幽香はそれなりに足繁くリグルの元へと通った。
 花を愛でるという自分の目的もあるし、少しばかり彼女に興味を持ったというのもある。
 あの日あの時あの場所で見た、あの瞳に。

「こっちのみーずはあーまいぞー!」
「……靫葛に憑く蟲の霊ってどうなの?」
「ふぉーげっとみーのっと!」
「貴方は直ぐに忘れそうね」
「たっちみーのっと!」
「言ってるそばから触ろうとするんじゃないわよ!」
「まいんどゆあおうんびじねす!」
「……」
「……」
「……ねえ、リグル」
「なあに、幽香」
「鬱陶しいと思ってる?」
「八割は」
 極めて正直な返答に鼻白む。
 が、直ぐに持ち直すと両手に腰を当て宣言した。
「明日も来るけど」
「ず太!」
「私は自分勝手なの」
 言葉通りの好き勝手にリグルは呆れ、ややあって苦笑する。
 そんな彼女の様子に、幽香は満足気に微笑んだ。
 そして、ふと思い出したように言う。
「で、残りの二割の内訳は?」
「……」
 しばし考え込んでから、リグルは答えた。
「内一割は、不思議、かな? 何で私なんかの所に、貴方のような妖怪が来るのかなって」
「残り一割は?」
 興味深げに問うてくる彼女に、リグルは再び黙考し。
 最終的には。
「秘密」
 と答える。
「じゃあ……」
「知りたかったら」
 腕を捲りだした幽香の機先を制して、彼女は彼女の鼻先に指を突きだした。
 微笑を浮かべて、言う。
「明日また来て」

「御機嫌よう、リグル」
 夜にね、と時間指定をしてきた彼女の言に従わず、幽香は翌日昼間にやってきた。
 相も変らぬ傍若無人に、しかし当のリグルからの苦言はない。
「……」
 返答すらなく、彼女は胸の前で手を組み、閉じた瞳で空を見上げている。
「リグル?」
 呼べど返らず。
「リグルー!」
 叫べど効かず。
 あまつさえ頬を摘み伸ばしてみても、反応はなかった。
 無視しているというには、余りにも自然体に過ぎる。
 何事か、あるのだろう。
「……ジャックよ、昼眠れ」
 だから彼女は諦めた。
 呟いて、リグルから外套を剥ぎ取り、それに包まり横たわる。
 ……少し強く、冬の風が吹いた。

 世界が揺れるのを感じ、幽香は目を覚ます。
「そんなところで寝てると、風邪ひくよ」
「大丈夫よ」
「……私がひく」
 見ればリグルは歯の根も合わず、体ごとかたかたと震えていた。
「脆いわ」
「だから着てるんでしょうが!」
 言って彼女が包まっている自分の外套を、思いっきり引っ剥がした。
 くるくると宙すら舞って、しかし幽香は器用に身を捌き、ふわりと優雅に地に降り立つ。
「何を怒っているのよ?」
「うわぁ……できる事なら調伏したい……!」
 不思議そうに言ってくる彼女にリグルは歯噛みするが、腰に手を当て悠然と此方を見られては、泣き寝入りするしかない。
「まあ丁度良い時間に起こしてくれたし、許してあげるわ」
「どんだけ……」
 既に満天の星を浮かべている夜空を見上げて言う幽香に彼女は臍を噛むが、もう気にしないことにしたのか気を取り直して立ち上がった。
「それで」
 態度を改めたのは彼女も同様だった。少しばかり神妙な顔を、リグルに向ける。
「わざわざ夜を御指定なのは、何か理由があるのかしら」
「そりゃあ、あるわよ」
 揶揄するように、彼女は答えた。
 思わぬ逆襲に、幽香は口をへの字に曲げる。
 してやったりとリグルは笑い、そして雰囲気たっぷりに一回転した。
 天を仰いで、彼女は言う。
「こんなに月が蒼い夜は」
 視線を下ろして、ゆるりと花々を指差し、
「……不思議な事が起きるよ」
 それを合図に。
 白の花々は。
 申し合わせたように、枯れ果てた。
「……!」
 目を見張る幽香を余所に、そして枯れ果てたそれらは、夢幻のように消え失せる。
 残されたのは、白い光の粒。
 否。
 それぞれ微かに形も大きさも違うそれらに、彼女は目を眇める。
 蝶。
 蜂。
 蜻蛉。
 蛍。
 光は、蟲だった。
 光る蟲の、魂だった。
「一寸の蟲にも、五分の魂」
 何か思い出したのか、彼女はくすりと笑う。
 死して尚、彼らは蟲だった。
 落ち着きなく、取り留めなく、忙しなく、思うがままに遊び舞う。
 自由気儘な彼らの中で、リグルは右腕を水平に持ち上げた。
 大舞台に立つ指揮者のような彼女の仕草に、彼らが鎮まる。
 次なる挙動を待ち受けるように、緊迫にも似た静寂の中。
 両の瞳は閉じたまま、真一文字に口引き結び、ゆっくりと、しかし凛と、彼女は右手を振り仰ぐ。
 天を指す。
 転瞬。
 舞を止め、粛と沙汰待つ蟲達は、彼女を央とし立ち上がる。
 小さき数多の蟲達は、白い光の柱となって、一路一途に先を行く。
 無垢なる白の奔流は、如何なるものにも染まらずに、無論蒼にも染まらずに、なれども月を標とし、蒼の初めを導とし、上へ上へと昇ってく。
 月へ月へと昇ってく。
 想像をだにしなかった、荘厳とすら言える様に、感嘆どころか身動ぎもせずただ見入る。
 くは、と奇妙な音がした。
 水差され、不愉快げに辺りを見やれど、彼女の瞳に映るのは、光を見送る彼女だけ。
 それが忘れていた自分の呼吸であると気付いたのは、苦しい胸を押さえた後だった。

 最後の一粒が昇るを見届け、リグルはようやく視線を地上に戻した。
 呆然とその光景を見ていた幽香に、彼女はあえかな微笑みを送る。
「今、沙汰は渡されました」
 はっと彼女は我に返り、歌うように言う彼女を見返した。
「夜明けに生れて、日暮れに死んで。だから、今でなければ。死に逝ったものたちは、その狭間に送らなければ」
「……昨日の夜だって、よかったんじゃないの?」
 呆けていた自分を戒めるかのように、幽香は努めて冷静に言う。
 もっともな疑念に、彼女は一言で答えた。
「昨日は月が、蒼くなかったから」
 今日は蒼褪めるってお里の半獣が言ってたし、とリグルは言う。
「蒼くなければいけないの?」
 更なる幽香の問いかけに、リグルは一瞬黙り、
「それは単なる私の我儘」
 ううんとひとつ首を振る。
「白かったでしょ?」
 空を指差し、彼女は言った。
「蒼い月の光の中で、それでも彼らは白かったでしょ?」
「……ええ、そうね」
「だから、分かるから。彼らが穢れない白だって、分かるから。私が間違っていないって、分かるから。だから私は、月が蒼い夜に送るの」
「そんなに自分に自信がないの、貴方は」
 辛辣とすら言える彼女の言葉に、リグルは苦笑する。
「やっぱり強いね、貴方は。……幽香」
「何を今更」
 その返答に、彼女の苦笑が深まる。
 そしてリグルはもう一度天を見上げた。
 もう見えない彼らを捜すように、遠くを見るように目を細め、
「どれがいいんだろうね」
「え?」
 蚊の鳴くような呟きに、幽香は彼女を見る。
 リグルはそれには首を振って応え、そしてにこりと顔笑いかける。
「綺麗だったでしょ?」
 月と星の光のみとなった、花すらもない不毛の地で、彼女は変わらぬ様子で両手を広げた。
「桜も花火も、散り際が美しい。そして、命も」
 戸惑うようにこちらを見る幽香に、彼女は一歩近づく。
「これを見せるのって、貴方が初めてなのよ、幽香」
 もう一歩、近づく。
「つまりね」
 更に、一歩。
 そのまま彼女の脇を通り抜け、背で向き合う。
「結構嬉しいんだよ、私」
「……っ」
 小さく、しかしはっきりと響く言葉に、一瞬言葉が詰まった。
「……私は一割?」
 そんな素振りは露ほど見せず、幽香は皮肉を口にする。
「破格でしょ。自分勝手な幽香さん?」
 負けずにリグルも嘯いた。
 二人は顔を見合せて、憚らず幽香は笑い、そしてリグルは忍び笑う。
 ひとしきり笑いあった後、リグルはとんと地を蹴った。
「帰るの?」
「ええ。……本当は仕事帰りの一杯でもしていくところなんだろうけど」
 気分じゃないし、と彼女は苦笑する。
「あら、残念ね。奢ろうかと思ってたのに」
 その言葉に、リグルは心惹かれたような顔をするが、初志貫徹することにしたようだ。軽く首を振る。
「そういうわけだから。じゃあまたね、幽香」
 何気なくそう言って、彼女は夜のしじまに飛び去った。

 極自然に、至極当然に。
 次を望まれたのは、だからこれが初めてだった。

***

「雪だわ」
「雪だな」
「雪だね」
「雪ね」
 降りしきる白い欠片に、四者は四様の反応を示した。
 それぞれ博麗霊夢、霧雨魔理沙、伊吹萃香、そして風見幽香である。
「魔理沙、本当に今日もやるの?」
 明らかに気乗りしない様子で、霊夢がぼやく。
「勿論やるぜ。雪見酒なんて風流じゃないか」
「あんたの風流って、報われない印象しかないわね」
「煩い。桜なんて幻想だ」
「でも今日は、寝たら死ねるね」
 むくれてそっぽを向く彼女をしり目に、そうでなくとも寒そうな格好の萃香が肩を震わす。
「……別に庭でする必要はないだろ。何のためにここに大広間があると思ってるんだ?」
 あっさりと機嫌をなおした彼女が、したり顔で言った。
「少なくとも、宴会を開くためじゃないわね」
 誰が片付けると思ってるのよ、と霊夢は首謀者を軽く睨み付ける。
 先程とは違った意味で、魔理沙はそっぽを向いた。
「……空が、青いぜ」
 止む気配の片鱗すら見せず、雪は降り続けている。
 何かと騒がしい彼女らを余所に、幽香は沈思していた。
 ――本当に今日もやるの?
 先程の霊夢の言葉が、引っ掛かる。
 彼女は、今日もやっているのだろうか。
 毎日彼女の元へ通っていたわけではない。
 だから彼女も、そうだったのかもしれない。
 けれど、訪れる度に彼女は何時もそうだった。
 まさかとは、思う。
 しかし。
「幽香?」
 急に立ち上がった彼女に、霊夢は怪訝そうに声をかける。
 それには応えず手だけ振り、寒空の中、幽香は飛び立った。

 幻想の花畑に近づいていくにつれ、まさかの疑心念はまさにの確信となりつつあった。
 何故かは、分からない。
 あるいはこれが、蟲の知らせなのかもしれなかった。
 辺りを見回す。
 いつもならば特徴的な白の花群を探せばいいのだが、雪の最中では何らの標にもならなかった。
 ――どこなの?
 奇妙なまでに高ぶる心を持て余し、幽香は苛々と髪を掻く。
 その瞬間、世界が色付いた。
 彼女の心情に感応したのだろうか、僅かに背伸びした花々が、積もる雪を破ったのだ。
 にも関わらず。
 視線の先。
 未だに無垢なる白を曝した花群が一つ。
 その真ん中には、喪服のような黒い染みが、一つ。
 矢も盾もたまらず、幽香は其処に飛び急ぐ。
 花の白でなく雪の白の中、彼女は倒れ伏していた。
「リグル!」
 うっすら降り積もった雪を払いのけ呼びかけるも、彼女からの返事はない。
 吐く息は細く苦しげで、微かに赤い顔に手をやれば、常には有り得ぬ熱を発している。
「……この莫迦!」
 一言毒づき、そして幽香は彼女を抱いて舞い上がった。

 濡れた服を脱がせ、借り物の寝間着を着せる。
 布団に横たえた頃には、リグルの寝息は幾らか落ち着いたものになっていた。
 何があったと聞かれても、幽香にも答える術はない。
 いいから宴会の準備でもしていろと、魔理沙たちを追い出した後。
 幽香は黙って、眠る彼女の傍らに座していた。
 どうして。
 頭に浮かぶのは、疑念。
 こんな日和ですら、彼女は蟲らに引導を渡していた。
 それほどに彼女は勤勉なのだろうか。
 だが倒れる程の勤勉など、それは最早愚直の域だ。
 少なくとも、彼女はそんな判断ができない程、愚かな輩とは思えなかった。
 横たわる彼女の髪に触れる。
 まだ、濡れていた。
 その手が、伸びて渦巻く触覚を、軽く掠める。
 むずかるような、声。
 うっすらと、彼女の瞳が開かれる。
 茫洋とした視線が周囲を彷徨い、ややあって、リグルはぽつりと呟く。
「……神社」
「少なくとも、地獄じゃないわね」
 最早完全に焦点の戻った瞳に、彼女はそう、軽口を叩いた。
「……似たようなもんだけど」
「第一声がそれ?」
 送ってあげましょうか? と幽香は笑顔でしかし、物騒な事を言う。
「それもいいかもね」
 とリグルは小さく呟いて起き上がる。目眩でもしたのか、右手で顔を覆った。
「寝てなさい。雪の中で倒れていて、下手したら死んでたわよ」
「……それも、よかったかもね」
「……貴方は」
 流石に腹が立ってきたのか、彼女の声に剣呑としたものが混じる。
 改めて、リグルが幽香を見た。
 あの時の、瞳だった。
 二度目の邂逅、祈るように空を見上げていた彼女が開眼した時の、何も映さぬ硝子の瞳。
「生きて往くのは地獄だし、死んで逝くのも地獄だし。どっちだって、変わらないわ」
「……何を」
「ねえ、幽香」
 光の戻った瞳で、リグルは改めて彼女を見る。
「絶対に助けられない大切な仲間が、目の前で幾百億死んでいくのを見ているのって、どんな気分だと思う?」
 突然の言葉に、彼女は一瞬言葉を詰まらせた。
 しかしややあって、いっそ冷淡に、答える。
「想像もできないわね」
「でしょうね」
 幽香の正直な返答に、彼女はようやく、少しだけ、笑った。
「貴方と私、どっちの方が幸せなのかしら」
「私でしょうよ。その幸せが、例え無知からのものだとしても、ね」
「……いいなぁ。やっぱり。貴方は」
 仲間のいない彼女と、仲間と思える彼女。
 眩しげに、感嘆と羨望を込めて、リグルは言う。
「貴方にとって、花を操る力は、花は、貴方を彩る装飾の一つに過ぎないのよね」
 好きが高じて得た力。
 彼女の精華はただ力。
「けれど私はそうじゃない。蟲を操るこの力は、蟲は、私の全て。この力のために、彼らのために、私は生まれてきた」
 ううんと彼女は首を振る。
「この力のために、彼らのために、私はリグル・ナイトバグになった」
 名も無き蛍が名を得た。
 力を得た。
 意思を得た。
 だから、悲しい。
 幾百億の、仲間の死ぬを見続けるのは、悲しい。
 だから、辛い。
 幾百億の、仲間の死ぬを看取り続けるのは、辛い。
「生き地獄、逝き地獄。だからどっちだっていいの、私は」
「貴方は、蟲なんでしょう?」
 天国送りの蟲なんでしょう?
 その言葉に、彼女は微笑む。陰惨に。
「私は名を得た。力を得た。そして何より、意思を得た」
 指を鳴らす。
 ざあと音をたて這い寄る蟲が、幽香の首筋に食らいつく。
 そこいらにいる蟲螻ですら、彼女の意思で死を運ぶ。
 身じろぎもせずされるがままに、彼女は蟲らを受け入れた。
 リグルを見る。
 彼女は、笑ったまま。
「意思の儘に力を振るい、名も無き蟲に、罪犯させる」
「しないでしょう、貴方は」
 彼女の表情が変わる。
 無くなる。
 取り巻く蟲らも居無くなる。
「生きる事はそれだけで罪な事。できるという事は、それだけで、罪な、事、なのよ」
 上擦る声を、切れ切れ抑える。
「蟲螻のくせに名があって、蟲螻のくせに力があって、蟲螻のくせに意思があって、その上私は生きている」
 余地も無い程、罪な蟲。
「唯一、私は、罪な、虫」
 彼女の表情が変わる。
 引き歪む。
「……どうして」
 悲壮な呟き。
「どうして私はリグルなの?!」
 嘆く様に、言う。
「どうして私はリグルなの?! どうして私がリグルなの?! 他のどこかの誰でもなくて、どうして私がリグルなの?!」
 涙は流さず泣き叫ぶ。
「私は蟲でよかった! 私は蟲がよかった! 名も! 力も! 欲しくなんてなかった!」
 彼女は彼らを想い続ける。
 彼らを仲間と想い続ける。
 何千何万何億の、仲間の死ぬを見続けるのは、悲しい。
 何千何万何億の、仲間の死ぬを看取り続けるのは、辛い。
 そして彼らは、想わない。
 彼女のことを、想わない。
 こんな想いを、思いたくなかった。
「わ、私は白がよかった! 白でよかった! 意思なんて必要なかった! 紫になんて染まりたくなかった!」
 恐らく誰にも、見せたことのなかったであろう胸の内。
 吐き出してしまったのは、彼女が自分と同じだと、あの時錯覚してしまったから。
 違うと直ぐに、わかってしまったけれど。
 後ろ髪、引き摺り、未練。癇癪。八つ当たり。
 それ程に彼女は、独りだった。
 沢山の仲間に囲まれて、それでも彼女は独りだった。
 数多の蟲の只中で、彼女は独りの虫だった。
「彼らは染まれない。貴方は染まらない。そして私は、端から染まっている」
 どれがいいんだろうね?
 そんなの、決まってる。
「……みんな、死んでいく。みんな、消えていく」
 そして、そんな想いを思う度、自分が違うと知らされる。
 天を見上げる。
 月は見えない、彼らは見えない。
 硝子のような瞳には、何も一つも映らない。
 涙は、流れない。
「やだ、もう……」
 力無く頭を振り、彼女は言う。
「どうして? どうして私はこんなに弱い? どうして私はこんなに脆い? 私は幽香、貴方のように在りたかった」
 違う。
 幽香は思う。
 彼女は弱いのではない。
 彼女は蟲らの死を悼み。
 無慈悲な暴君では在れず。
 そしてその名を、死してその名を、その力を、その意思を、他のどこかの誰かに押し付けることもできない。
 これを優しさと言わずに何と言う。強さと言わずに何と言う。
 弱いだなんて言わせない。脆いだなんて言わせない。
 ゆっくりと、彼女の背中に手を回す。
 必要ないなんて、言わせない。
 だって。
「私は自分勝手なの」
 彼女を抱き締め、幽香は囁く。
「今、私と話しているのは、貴方だけなのに。必要ないなんて、言わせないわ」
「……勝手だわ。本当に」
 抱き締められるがまま、虚空を見上げてリグルは呟く。
「閻魔様にも諌められたけれどね。こればっかりは、治りそうもない」
 大した意味もなく、妖怪を虐める。ぎゅうと、絞め殺さんばかりに、幽香は彼女を抱き潰す。
 これでは結局。
「私は地獄に落ちるでしょうね」
「同情、なんて、いらない」
 貴方はきっと、染まらない。
 苦しげに、先とは違う切れ切れの言葉。
「同情なんて、できないわ」
「……でしょう、よ。私は、貴方の、花を食む、蟲の、統率、者。私は、貴方の、敵、なのだから」
「冗談」
 鼻で笑うというには余りにも優しく。
 抱き締める腕の力を緩める。
 彼女の顎が、幽香の肩に落ちた。
 そして彼女に囁く。
「貴方なんか、敵じゃないわ」
 リグルの顔は、見えない。
 それでもわかる、ことがある
 静寂の中、しかし空気が震えた。
 縋り付く様に、彼女の手が彼女の服の裾を掴む。
 あやす様に、その背をぽんぽんと叩き。
 肩に滴る熱いものを感じつつ、彼女はしばし、瞳を閉じた。

 幽香はリグルの顔を見ずに、身を翻す。
 彼女に背を向けたまま襖を開けて、彼女は言う。
「今日は宴会よ。……そんな顔で、出てくるんじゃないわよ」
 そう言い残して、幽香は部屋を出、後ろ手に襖を閉めた。
「……うん」
 ひとり残されたリグルは、掠れた声で一言呟き、そのまま身を、横たえた。

 漸く目の腫れも引いたころには、宴会は既にたけなわのようだった。
寝床から立ち上がったリグルの耳に、轟く様な歓声が聞こえてくる。
襖を開け、凡そ軽快とは言えぬ足取りで廊下を歩き、宴会会場の大広間を覗いてみれば、人妖全員が揃いも揃って庭を見上げている。
 否、見上げていた。その視線が徐々に下がっていく。
 先を追えば、堕ちていくのは。
「幽香?!」
 慌てて飛び出したリグルが、滑り込むように彼女の身を攫う。
 抱きとめた衝撃に、幽香はうっすらと目を開いた。
 彼女は一瞬皮肉っぽく笑い、そして再び目を閉じる。
「わっけわかんないわね、本当」
 雪を払い落とすように頭を掻きながら降りてきたのは、霊夢だ。
「何やってたのよ、一体」
 既にどんちゃん騒ぎに戻った会場の連中をしり目に、リグルは縁側に座り、自らの膝に幽香の頭を置く。
「何をも何も、弾幕ごっこよ。いきなり『勝負よ、霊夢!』とかいってかかってくるんだから。意味がわからないわ」
「別に意味なんてないでしょ。理由もなく誰かを虐めるのが幽香の」
 言葉を切って、リグルは膝の上の彼女の髪に手櫛を入れる。
「……幽香の日課なんだからさ」
「迷惑な話ね」
 感慨深く、愛おしげに言う彼女とは反対に、からりと霊夢は言う。
「あんたが言う? 博麗の巫女」
「私のは仕事よ」
 そいつと一緒にしないでよ、と彼女は視線と唇を尖らす。
 その視線に、リグルは意味ありげな視線を返した。
 霊夢の視線が揺らぎはじめ、
「……まあ、大した理由がないのも本当だけど」
 遂には視線を逸らし、ぼそりと言う。
「じゃあ大した理由もなく、巫女やってるんだ?」
「仕事だからね」
 にこにこといい笑顔で言ってくるリグルに、彼女は嫌な顔せずにさらりと答える。
「別に仕事は選べるでしょう? 生まれと違って」
 自分の事を棚に上げ、表情を神妙なものに改め、彼女に問うた。
「そりゃそうだけどね。でもどうせ、誰かがやらないといけないんだし。こんな七面倒くさいこと、誰かに押し付けるのもね」
「……」
「何よ、その顔」
「……案外いい人ね、あんた」
「誰もわかってくれないけどね。閻魔も」
「……想いなんて、言葉にしなきゃ伝わらないものよ」
 ぼそりとした第三者の呟きは、リグルの膝元から響いた。
 二人の視線が幽香に集まる。
「……何よ、その顔は」
 にやにや笑いを浮かべているリグルに、彼女は憮然と言う。
「別に? ただわっかり辛い言葉だったなと思って」
 言われて幽香は顔を赤らめ、そっぽを向く。頭は彼女の膝の上に、置いたまま。
 霊夢はそんな二人の様子を訝しげに見ていたが、直ぐに興味を失い肩を竦めた。
「そういうわけだよ、博麗さん。わかり易く、伝えないと、ね」
 未だににやついたまま、リグルは話を霊夢に振る。
 横目で見てくる彼女に、くいと親指を立てて、自らを指した。
「妖怪退治、してみない?」
 微かに息を飲む音が、膝元辺りから響く。
 が、霊夢は、は、と鼻を鳴らし、
「冗談でしょう? あんたなんかを退治したって、誰にも何にも伝わりゃしない」
 呆れ混じりの溜息と共に、
「あんたなんて、敵じゃないわ」
 その言葉に、リグルはぱちくりと目を瞬かせ。
 次の瞬間。
「あははははははは!」
 声を上げて、笑い出す。
 宴会の手が止まるほどの呵呵大笑に、さしもの霊夢もぎょっと目を剥くも、その視線を意に介さず彼女は笑い続ける。
「リ、リグル?」
 おずおず寄ってきたミスティアが、躊躇いがちに声をかけた。
 リグルは彼女を見上げ、しかし笑いは冷め遣らず、そして咳き込み下を向く。
 目が合った。
 躊躇せず、彼女は幽香をがばと抱き。
「ちょっ……?!」
 彼女が止める暇もなく、リグルは彼女を抱き上げ宙を舞い、空の半ばでくるくる回る。
 尚も笑う彼女のするがままにされながら、彼女の顔を見、幽香は苦笑う。
 言葉にしなければ、想いは伝わらない。
 伝わるのだ、想いは。
 指笛口笛、囃しに合の手。
 さあ、あいつらどうしてくれようかと物騒な事を思い浮かべながら。
 彼女も彼女を、抱き締めた。

***

 白い世界の直中に、ただ一つ立つ黒い影。
 黒い、影。
 果たしてそれは、少女だった。
 目を瞑り、空を見上げるその様は、祈りを捧げる聖女のようだった。
 黒の外套で、華奢な身を包むその様は、喪服の参列者のようだった。
 視線を感じたのだろうか、彼女の瞳が開かれる。
 視線の先には少女がひとり。
 花散らす風のように颯爽と、月にかかる群雲のように淡く微笑む少女がひとり。
 少女は日傘と逆の手を、彼女に向かって突き出した。
 そんな少女の様相に、彼女は花のように艶やかに笑い、月のように静かに、組んだ手を解き突き上げる。
 それだけだった。
 空の少女は満足したように色濃く笑い。
 そして彼女は身を翻す。
 冬に咲く花、色付き咲く花を、求め探して幽香は消えた。

 何時ものように飛び去っていった彼女を見送り、リグルは再び瞳を閉じる。
 さあ、一日を始めよう。
 昨日と同じ、一日を。
 何時もと同じ、一日を。
 何も変わらない、一日を。
 変わらぬが故に、色の褪せない一日を。
 先の知れた道を行こう。
 先の見えた道を歩こう。
 輩はいないが、同胞はいないが、道連れがいる。
 或いは、道連れ達が。
 白い花らに囲まれて、それでも世界は色付いた。
 今日は何を飲もうかな。
 とりあえずは赤い色した提灯を思い浮かべ、リグルの名を持つ妖怪は、再び祈りに目を閉じた。
 蟲に無視され虫になる。
 なれども無私に蟲封じ。
 そんな彼女の虫熟し。
SHOCK.えす
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 18:05:12
更新日時:
2009/05/09 18:05:12
評価:
21/22
POINT:
136
Rate:
1.46
1. -3 名前が無い程度の能力 ■2009/05/10 00:24:01
おしい
もうちょっとで考え変わりそうだった
2. 7 名前が無い程度の能力 ■2009/05/14 15:48:17
このリグルはかっこいい
3. 7 パレット ■2009/05/18 00:24:23
「色」の扱いが素直かと思いきやもうちょっとさりげなくて上手い。とても楽しめました。
4. 6 神鋼 ■2009/05/20 20:25:15
幽香とリグルの話なのになんだろう?ミスチーがかっこよかった。
5. 7 As ■2009/05/24 14:45:17
情景が思い浮かぶような綺麗な文章でした。
あまりリグルメインのSSって読んだことなかったので面白かったです。
6. 10 三文字 ■2009/05/28 23:24:37
読み応えたっぷりのお話でした。
丁寧な描写と悲しいリグルのお話にがっちりと引き込まれた。
いやあ、なんと言っていいか……上手い言葉が見つかりませんね。
とにかく、優しすぎるリグルをありがとうございました。
7. 6 気の所為 ■2009/06/01 06:27:38
まず歌がうまい。
それと、キャラが魅力的です。どのキャラもちょっといい奴、というあまりにもおいしいところに座っている。
8. 7 有文 ■2009/06/08 01:25:08
とてもいいリグルでした。あとパイソンですね分かります。
9. 6 ふじむらりゅう ■2009/06/11 01:01:19
 きれいだな、と。
 きれいすぎる、というか最初から最後までいろいろと格好つけすぎで。それが悪いかといえば全然そんなことはないんですけど、感情のままに叩きつけられているはずの文章なのに、修飾とか韻踏みとか字面の整理整頓されている感じとか、そのあたりの過剰なテンポでいまいちよくわからないところがあったりも。
 リグル格好よすぎなのはイメージの問題としても、掘り下げるだけ掘り下げるとこんなんなるのかなーと思いました。
10. 6 so ■2009/06/11 07:37:53
美しい、とただ一言。
でも、なぜか置いてけぼり感を覚えてしまいます。
11. 5 八重結界 ■2009/06/12 17:05:51
美しいお話でした。
要所の要所の言葉の選び方が絶妙だったので、情景が心に浮かぶようです。
12. 8 ぴぃ ■2009/06/12 18:06:34
幻想的なストーリーを幻想的な文体で描いた、幻想的な雰囲気のSS。
つまりこれぞまさしく東方SS! 幽香を通して、リグルの業が上手く書かれていたと思います。面白かったです。
13. 10 moki ■2009/06/12 19:13:55
ただ、凄い、と私の貧弱な語彙ではそう言うしかないです。
一面の白い花と、夜空へ浮かび上がる白い魂。とても印象的で背筋が震えました。
裁く者ってのは超越者である必要があるんですよね。例えば閻魔。存在からしてそう規定されてる。しかし、そうではない存在が超越者足る事を求められるのってのは、中々に難儀で難しいことだと思います。それが己の裁量で裁くことなく事務的に執行するだけだとしても。嗚呼、リグル。
14. 6 どうたく ■2009/06/12 20:28:43
 姫には姫なりの悩み。一般人が感じられないもの悩みがある。
 同様にリグルも、蟲を操る身として悩みがあったというのがひしひしと、伝わってきました。
15. 7 木村圭 ■2009/06/12 21:31:06
素晴らしすぎるツカミが抱かせてくれた期待を裏切らない良作でした。
物語の組み立て方もさることながら、文章そのものが巧みで好み。
しかしリグルは女殺しだわね。
16. 7 ハバネロ ■2009/06/12 22:34:09
この文章量でこの読了感
できておる……
17. 8 時計屋 ■2009/06/12 22:35:26
 流麗という言葉が頭に浮かびました。
 流れるようでありながら、美しい言葉が自然に散りばめられた文章に感嘆を禁じえません。
 特に、魂が月夜に昇天していく光景は本当に心奪われるものでした。
 
 物語は幽香とリグルという組み合わせを違和感無く描いており、こういう部分も本当にうまいなあ、と感心します。
 最後のシーンは、個人的にはあまりに情緒的に過ぎたかなあ、というところがありましたが、それ以外の部分については賞賛しかでてきません。
 本当に美しいSSでした。 お見事です。
18. 7 つくし ■2009/06/12 22:59:40
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
19. 8 K.M ■2009/06/12 23:28:49
リグル頑張れ、としか言いようがない……ところで、「月のワルツ」ですよね?あれ。
20. 7 渦巻 ■2009/06/12 23:33:03
綺麗な描写で色づけされた作品でした
展開がちょっと途中から加速しすぎたような気がした以外は楽しめました
21. 4 つくね ■2009/06/12 23:50:03
急いた感じがあります。白い花、そしてリグルと幽香の出会い等々は良いものの時折流れが詰まって読みにくくなる場所もあり、もう少し時間をかければ解消できると思われるだけに残念な部分です。
22. フリーレス auto mechanics ■2010/11/08 20:52:40
Superb blog post, I have book marked this internet site so ideally I値l see much more on this subject in the foreseeable future!
名前 メール
評価 パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード