混ざり合う私達。

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 19:27:00 更新日時: 2010/09/30 00:27:15 評価: 22/23 POINT: 115 Rate: 1.22
 
 
 まどろみの中、遠く雨音が聞こえる。
 静かな空気の中へ染み入ってくるように響くそれは、うとうととしている私を静かに優しく包み込む。そのまま意識を手放してしまおうかと思うものの、しかしその雨音が普段とは違う音色をしている事に気が付いて、私は薄く目を開いた。
 布団の合間から見える景色は薄暗く、けれど少々くすんだ色をしている引き戸と大きな本棚が目に入って来た。自宅にあるものとは違う、しかし見慣れているそれに思考が上手く繋がらず、私は布団から頭を少しだけ出し、
「……ああ、そうか」
 昨日は彼のところに泊まったのだと、そこでようやく思い出した。同時に、隣で眠っていた筈の彼が既に居ない事に気が付いて少しだけ悲しくなる。
 とはいえ、悔やんだところで何も始まらない。私は布団の中で一つ伸びをすると、がばりと布団から起き上がった。そして畳んでおいた巫女服を手に取り……暫し考える。昨日から降り続いている雨は今もその雨脚を弱める気配を見せず、恐らく今日も一日中降り続ける筈だ。当然洗濯物が乾く訳も無く、洋服も考えて着ないと『着るものが無い!』という状況に陥りかねない。それに、今日もまたずるずると居座って泊まってしまうかもしれないし……仕事着でもある巫女服には袖を通さず、彼の着物を借りる事にしよう。
 そうと決めると、私はすぐ目の前にある箪笥を開いた。
「にしても、少し冷えるわね……」
 箪笥から着物を引っ張り出している間に、すっかり足先が冷えてしまった。桜が咲き始め、体が春の暖かさを思い出してしまったあとだからか、花冷えと呼ばれるこの時期の寒さが余計に辛く感じられる。私は急いで着物に着替えると、脱いだ寝間着を丁寧に畳み、布団を押入れに仕舞って小さく一息。さて彼のところに……と思ったものの、寝起きでべたつく口の中をすっきりさせる為に、まずは洗面所へと向かう事にした。
 この家は――香霖堂は井戸から水を組み上げている訳では無く、どういう原理なのか蛇口を捻ると水が出る。彼は『それ専用にマジックアイテムを造ったんだよ』とあっさりと言っていたけれど、毎日井戸を利用している私にしてみるとこの設備には憧れるものがあった。というか、それを商売にした方がこの店は繁盛するのではないだろうか。良く解らないけれど。
 そんな事を思いながら顔を洗い、歯を磨き、ざっと寝癖を直すと、私は店番をしているのだろう彼のところへ向かう事にした。
 歩いていく廊下は暗く、しかしその至るところに商品だという物品が積み上げられている。しかもそれらが痛まぬようにと雨戸が閉められている為、廊下は風通しが悪くて少々埃っぽい。そんな歩き慣れた道を、私は彼の着物を汚さぬよう注意しながら進んでいく。
 そして居間に辿り着くと、そこには読書に耽っている男性の姿があった。
 彼は畳に胡坐を掻き、少々猫背になりながら文章を追っていた。とはいえ廊下に響く私の足音は聞こえていたのか、すぐに顔を上げ、
「おはよう、霊夢」
「おはよう、霖之助さん」
 暖かな微笑みに返事を返す。そして私は彼の隣に座ると、その手にある本へと視線を向け、
「今日は何の本を読んでいるの?」
「これかい? これは芸術について書かれたものでね。外の世界の書物なんだけれど、中々に興味深い」
 そうして私にも見えるように拡げられた分厚い本には、片方の頁に大きく絵画や造形物の写真が印刷され、その隣のページにその作品や画家についての解説が書かれていた。
 ゆっくりと頁が捲られていく度に、国も時代も何もかも違う芸術家達の作品が紹介されていき――しかしそれらに共通していたのは、奇抜、という単語が似合う作品ばかりだという事だった。
 例えば奥行きを感じさせない、横を向いているのに両目が見えているような作品や、溶けた時計と空の描かれたどこか空虚な絵、三つの顔が付けられた巨大な白い塔の写真など、それら全てが一見して理解し難く、しかし見る者の印象に強く残る何かを持っていた。ただ小奇麗なだけの絵画には無い力のようなものが、その作品達から感じられたのだ。
 それを告げると、彼は一度本を閉じ、その表紙をそっと撫でながら、
「奇抜というのは良い例えだね。確かに芸術家というのは、得てして奇人・変人が多いと言われている。この本で紹介されている作品を見ても解るように、その作品が常人の理解を超えたものである事が多いからだ。でも僕は、それが間違った判断だと考えている」
 だから本を閉じて、私の価値観を固定させないようにしたのだろうか。そんな事を思いながら、私は彼の言葉の意味を考えつつ、
「それは……周りの見る目が無かったって事かしら」
 正直、今見せられたような絵を突然『新作だ!』と言って持って来られても困惑してしまう。そんな私に対し、彼は真剣な表情で、
「それは微妙なところだ。芸術に対する評価というのは、その時代背景や思想によって大きく変化する。彼等の中には生前よりも没後に名声を得た者も居るぐらいだからね。故に人々の見る目はこの場合関係無い。僕が言いたいのは、彼等の見ていた世界についてなんだ」
 そうしてお茶を一口飲み、彼が饒舌に語り出す。普段の寡黙な様子と違って、こういった時の彼は本当に生き生きしているように思えた。
「芸術家を奇人・変人だと判断する際に、芸術家本人と触れ合った上でその判断を下した者は少ないだろう。大半の人々は世に出された作品を見て『こんなものを生み出す奴は奇人に違いない』と判断し、自分の価値観にそぐわないその作品を否定する為に、相手を奇人や変人だと分類して自分の心の安定を図ろうとした筈だ。そして彼等はその感覚を他者と共有し、周囲と意見を合わせる事でその安定を確固たるものにしていく。その結果、芸術家達は奇人・奇人だと言われ続けるようになってしまった。だが、価値観の相違以上に考えなくてはならないものがある。それが世界の見え方、ひいては色についてだ。
 そもそも人間の感覚というのは固定されたものでは無く、特に視覚は人によってその見え方すら変わる事がある。極端な話、僕はこの本の表紙を青だと認識しているけれど、君にはもしかしたらこの色は赤に見えているかもしれない。そんな風に、誰もが同一の色や世界を見ているとは限らず、もし同じ『色』を共有出来ていたとしても、全く同じ視界を共有する事は出来ないんだ。例えば、ここから店の中を眺めた時、僕の見る風景と君の見る風景が違うようにね」
 そう言って彼が店の方へと視線を向けた。私も同じように視界を向けると、雑多に積み上げられた商品へと目が行き……けれど彼は椅子の上に置かれた魔道書を見たのかもしれないし、普段から認めている日記に視線を落としたのかもしれない。同じ場所を見ているのに、確かにその視界は共有されないのだ。
 そう思う私を置いて、彼はさらに話を続けていく。
「そんな中で、奇人や変人などと呼ばれた人々は、世界に存在しない何かを、本来ならば錯覚や幻覚だと一蹴されるようなものを見ていた可能性が高いと僕は考える。つまり彼等は想像の先を――幻想を見る力を持っていたんだ」
 彼曰く、想像には順位が付けられていて、それは順に想像、空想、妄想、予想、仮想、幻想となっているのだという。しかし想像を元にした想像は空想にしかならず、最高位である幻想には決して届かないらしい。けれど、彼の持つ本に出てきた絵画などは芸術家の想像から生まれた筈のもので……そんな彼等が幻想を見ていたというのなら、
「……幻視が出来たって事かしら」
 それはその名の通り幻想を視る力の事。
 対する彼は私の言葉に頷き、
「恐らく、彼等は他の人間には無い高い幻視力を持っていた筈だ。そんな彼等からしてみれば、世界の色は大きく変わって見ていていたに違いない。そうでなければ、ここまで幻想的な風景を描き出す事は出来なかっただろう。何せ人間も妖怪も、初めから自分の中に無いものはどうやっても表現出来ないからだ。赤を赤と、青を青と定義するには、まずその『赤』や『青』を知らなければならないという事だね。それは幻想も同じであり……しかし、想像は決して幻想にまでは届かないものだ。それを失ってしまった外の世界では尚更に」
 でも、実際に妖怪や幽霊を見た事があれば……と思ったけれど、あの奇抜な芸術家達が生きていた時代には、既に妖怪達は幻想郷にやって来ていたのだ。明るい夜に怪異を見るにも、やはり幻視力が不可欠になっていたのだろう。
「だからこそ、僕は彼等が幻視力を持っていたのだろうと考えたんだよ。そしてそれが、周囲の人間の判断が間違っていたと考える根拠でもあるんだ」
 それはとても彼らしい理論で、けれど私にはそれが正解なのか不正解なのか解らない。しかし彼にとってはそうやって思考実験を行うのが第一なのであって、その正否は関係無いようにも思えた(まぁ、実際のところは解らないけれど)。
「とはいえ、例え彼等のような幻視力がなくても、価値観や概念の変化から一瞬前とは全く違う世界を垣間見れるようになる事もある。それが世界の色の変化だ」
「世界の色?」
 疑問符を浮かべる私に、彼は容赦なく言葉を続けていく。そうやって持論を展開させる彼の姿は嫌いでは無いけれど、こちらの理解を放置して話を進めるその姿勢は、少し正した方が良いように思えた。
「これもまた極端な例えになるけれど……例えば青い世界を見ていた人間が赤い世界を見られるようになった時、今までとは確実に世界の見え方、感じ方が変化する事になる。そしてそれは、誰にでも起こりうる変化でもあるんだ。だから当然、それは僕達にも起こっている。芸術家のように自分の感性をそのまま作品として世に発表するような機会が無いから、そうそう他人には感じ取られないけれどね」
「私達にも?」
 とはいえ、世界の見方がぐるりと変化してしまうような事など、今までにあっただろうか? 
「なに、そう深く考えなくて良い。その変化は、大きなものから小さなものまで人によって様々だからね。例えば僕にしてみれば、こうやって商売を始めた事で今までに知り得なかった様々な知識を得る事が出来た。つまりそれは、今まで知らなかった世界を知ったという事になる。今の例えに当て嵌めるなら、青という色しか知らなかった世界で、赤という知識の色が交じったようなものだ。その結果紫という色が生まれ、世界は更にその見え方を変化させていく。そうした様々な変化を経て、今の僕がいるんだ。霊夢、君だってそうだね。博麗の巫女になる以前から、君の世界は変化を繰り返していた筈だ」
「んー……」
 そういった意味で考えるなら、確かに私の世界も変化してきたと言えるのだろう。
 彼が言った通り、巫女として働き始める以前と今とではモノの見方や感じ方が変わっているし、知り合いも増えた。そして今では彼の色が私の中に交じり始めていて――二つの色はいつか一つになり、また新しい変化を生むのだろう。
 それはどこか男と女の比喩にも感じられて、自然と昨晩の行為を思い出してしまう。私は無意識に下腹部へと手を触れながら視線を上げ……彼と目が合った。そのまま何か言葉が来るのかと思っていたら、愛する人は優しい微笑みをくれて、
「ッ」
 鼓動が跳ねる。
 途端、一瞬で顔が熱くなり、私は思わず自分から視線を逸らしてしまっていた。昨日はその瞳に全てを曝したというのに、こうした瞬間にはどうしても動揺してしまう。つまりそう、そのくらい彼の与えてくれた変化は大きなものだったのだ。
 それでも、少々不自然な目の逸らし方になってしまったのは否めない。子供のようなそれに更に恥ずかしさを感じながら、それでも平素を取り繕う為に私は自分用のお茶を勝手に淹れる事にした。
「……」
 でも駄目だ、顔が熱い。……よし、別の事を考えて気を紛らわせよう。
 えっと、そう。彼の目は未知の道具の名称と用途を判別する事が出来る。とはいえ、その『道具』というのは一体どの程度まで範囲が広がるのだろう。
 例えばそう、式神。相手に式を与えて使役するそれは生き物であり、しかし人によっては道具として扱っている事がある。そういった場合、彼の目にはそれが道具として見えるのだろうか? もしそうだった場合、彼は生き物の名称と用途も判別出来るという事になる。……いや、むしろ彼が『道具』だと判断したもの全てにその能力が適応されるようになっている可能性があるのだろうか。
 だとしたら、彼が私を道具だと、愛玩する為のものだと思っているとしたら、この姿はその瞳にどう映るのだろう。
 きっと私は、『森近霖之助を心から愛する』という――って何を考えているんだ私は! 
「……全くもう」
 小さく呟き、まだ熱いお茶を一口。恥ずかしいからと自分から視線を逸らしたくせに、更に恥ずかしくなるような事を考えてどうするというのだろう。
 ああもう、それもこれも全部彼の目が悪いのだ。そもそも彼の眼鏡は伊達であり、そこにあるレンズに度は入っていない(人妖である為か、五感も衰え難くなっているらしい)。だからその視線は何にも邪魔される事無く私の心を震わせる。
 ……そういえば、その眼鏡が伊達だという事を知ったのは、私がまだ巫女の見習いをやっていた頃だっただろうか。あの頃から、私は彼の瞳に見つめられる度に酷く落ち着かない気分に襲われていた。
 そうして少々の懐かしさと共に過去を思い出しながら、お茶をもう一口。……うん、どうにか落ち着いてきた。
 私は湯飲みを盆へと戻し、改めて畳に座り直すと、読書を再開していた彼と一緒にその文章を追っていく。
 すると、ある意外な事に気が付いた。奇人や変人だと呼ばれた芸術家にも、それを支える妻が存在していたのだ。
 自分とは違う世界を視ているかもしれない相手を愛するというのは、一体どんな気持ちだったのだろうか。私はそんな事を考え……ふと、それは相手の色を自分に取り込む事なのだと、つまり今の私と(というか一般的な恋愛と)なんら変わらぬ状況なのだと気が付いた。何せ誰かを愛するという行為自体、大きく世界の見え方、感じ方を変えるものなのだ。その変化に比べたら、見ている世界の相違など微々たる問題にしか過ぎないのだろう。
 現に私は……いや、そもそも私は、誰かに恋をしたり、愛したりするという感情が良く理解出来ていなかった。というより、私はその『恋愛』というものを学ぶ機会が無かったのだ。
 人里から離れた神社で暮らしていた私には、十歳近くになるまで同年代の友達が一人も居なかった。時折神社に参拝に来る子供が居ても、巫女見習いとしての仕事があった為に一緒に遊ばせて貰えなかったのだ。そんな生活の中では恋愛の『れ』の字も出る訳が無く、当然それに関する本や話を見たり聞いたりする事も無かった。その結果、恋愛に関して全く無知なままに私は成長していく事になる。
 そんな幼少期、私の近くにいる異性は父と、亀の妖怪である玄爺、そして彼しか居なかった。彼は私が生まれる以前から博麗神社と付き合いがあり、こうして巫女となった今でも良くして貰っている。以前母から聞いた話だと、『納屋に住み着いた妖怪を払って欲しい』と両親のところに現れた事から、彼と神社との交流が始まったらしい。その後、母が彼に袴の補修や道具の修理を頼むようになり……私が初めてこの香霖堂に足を踏み入れたのは、そのお遣いの時だった。
 けれど私は、時折神社にも顔を出す彼と対面する時、いつも緊張してしまっていた。成長するにつれてそれを表層に出さずに平素を偽れるようになっていったけれど、どうしても彼の前だと素直になれない事が多かった。
 何せ、目が合うだけで頭の中が真っ白になり、心臓が早鐘を打ち始め、羞恥に顔が熱くなってしまっていたのだ。それは次第に酷くなっていって、いつしか彼の事を考えるだけで胸が苦しくて辛くなるほどだった。
 そうした不安は更なる不安を呼び、しかしそれでも彼に逢わない、という選択は取れなかった。両親の面子もあるし、嫌われるのは不味いという気持ちがあり……だから私は彼に無様な姿を見せないように、長い間何でもない風を振舞い続けた。
 私はそれを、大人の男性に対する恐怖心か何かだとずっと思っていた。何せ父と玄爺以外の(つまり家族以外の)男性は彼しか知らなかったし、若々しい外見の彼が私に対して何を感じ、何を考えているのかが全く解らず、どう接するのが一番自然で普通なのかが解らなかったのだ。
 そうして私は成長していき……彼に対する感情が恐怖心では無いのだと知ったのは、香霖堂で知り合った唯一の友人から恋愛の話題が出るようになった頃の事だった。他愛も無い女同士の語らいの中で、私は自分の中に芽生えていた感情が不安や恐怖などではなく、恋というものである事を知ったのだ。
 なんて馬鹿な話。私は幼い頃からずっと彼に片思いをし続け、しかもそれを自覚する事すら出来ていなかったのだ。……全く、無知とは恐ろしい。
 そんな私は、良く天狗の新聞に『他人に興味を持っていない』と書かれる事がある。それは確かに正解で、しかし間違いでもあった。何せ私の周りの『他人』は妖怪や変わった人間ばかりで、彼女達に興味を持ったところで良い事なんて何も無いのだ。向こうも私に対して『博麗の巫女である』という以上の興味を持っていないのだろうから、興味を持つだけ無駄だと思える。とはいえ、両親や友人、そして彼に対しては別だ。普段から気に掛けているし、だからこうして恋にも堕ちた。
 博麗の巫女だろうと、所詮私も人間なのだ。
 あれだけあった不安や恐怖、そして緊張も、彼と恋人同士となった今では心地良い暖かさに変わっている。彼の言葉通り、過去の私と今の私の見ている世界の色は確実に変わっているのだと思えた。だからこうして彼と一緒に居られる幸せは掛け替えのないものだと感じているし、こうして二人きりで居る時は甘えたくもなる。……でも、私にはそれが出来なかった。
 何か問題があるという訳ではないのだ。ただ、頭の中にある少女の姿が浮かぶだけ。けれどその姿を意識する度、私は彼に対する想いを押さえ込んでしまう。それが何の意味を持たない事にも気付いていると言うのに。
 一気に気分が落ち込んでいく。と、不意に彼が頁を捲る手を止め、熱心に文章を追い始めた。なにやら興味の引かれる内容があったらしい。けれどそこに載せられた絵画が裸婦を描写したものだったから、私は思わず口を開いていた。
「……やっぱり、男の人は胸が大きい方が良いのかしら」
 途端、手探りで引き寄せたお茶を飲んでいた彼が噴き出した。幸いにも本は汚れなかったものの、彼はその口元を手の甲で拭いながら、
「……君は突然何を言い出すんだ」
「それ」言いながら絵画を指差す。同時に改めて見てみると、それは数頁前に載せられていた奇抜な絵とは違い、精巧に描きこまれたとても写実的なものだった。……これはこれで十分印象に残るわね。私はそう思いながらも、「さっきからその婦人を熱心に見てるから」
「勘違いしてくれては困る。僕は芸術的な意味で興味があるのであって、決してこの婦人に興奮したり劣情を感じたりといった――」
 と、彼がそう真面目に説明を始め、しかしその様子が真面目であるが故にどこか滑稽だった。それでも、一度落ち込んでしまった気分はすぐに回復してくれなくて……私は少しの不安と共に彼の顔を覗き込み、
「……なら、何になら興奮するの?」
 彼はなんと答えるだろう。きっと「それはだね、」とまた奇妙に捻じ曲がった持論を少々慌てながら繰り広げてくれるに違いない。でもそれは、私を想ってくれるからこその照れ隠しなのだろうから――なんて思っていると、彼は私を真っ直ぐに見て、
「僕が興奮するのは――霊夢、君に対してだけだ」
「――」
 その、瞬間。ド直球に返ってきた言葉に思考が完全に真っ白になって、しかし落ち込んでいた気分は一気に有頂天へと跳ね上がり、もう嬉しさやら恥ずかしさやらで舞い踊ってしまいそうになりながら逃げ場を探し、しかしどうにも出来なくなって私は崩れるように彼の胸に顔を埋めた。そのまま羞恥に悶えそうになりながらもその胸をぱしぱし叩く。もう恥ずかしさで死にそうだ。
「うー……」
 彼は説明好きであると同時に、思った事は遠慮無く言う事が多いのだ。それをすっかり忘れていた。
 そのまま、彼の匂いと体温を感じながら心を落ち着かせていると、彼の大きな手が私の髪をそっと撫で始めて……
 
 ――店の扉が勢い良く開かれた瞬間、私は弾かれるように彼から距離を取った。

 それと同時に、積み重ねられた商品を器用に避けながら白黒の魔法使いが現れた。どうやら濡れ鼠となっているらしい彼女は、『全く酷い目に合った』と言わんばかりの顔で私達のところへやって来ると、
「やー、酷い雨だな。森から出た途端にずぶ濡れだぜ」
 帽子を脱ぎ、商品の上へと腰掛けながらのその言葉に、彼が苦虫を思いきり噛み潰したかのような顔を向け、
「だからって、ここで帽子を叩かないでくれないか。……ほら、タオルを貸してやるから」
「お、すまないな。だが、冬の間は雨が少なかっただろ? だから良い湿気になると思ってさ」
 そう言って笑う彼女の表情に悪びれた色は欠片も無い。それに溜め息を吐く彼に苦笑しながら、私は未だに暴れている心を落ち着かせる為にお茶を一口。そしてゆっくりと息を吐くと、どうにか落ち着きを取り戻す事が出来――と、そこで彼女と目が合った。その視線は私の顔を見てから下へと落ちていく。それの意図する事に(自分が彼の着物を着ている事に)気付いた瞬間、彼女はにや、と笑い、
「おうおう、お盛んだねぇ」
 ……言葉を返せない。そんな私とは打って変わって、隣に座る彼は普通に言葉を返していた。
「一体何がだい?」
「おいおい、そこは『何を言っているんだ』と慌てて言うか、或いは冷静に返すかの二択だろう? 香霖は解ってないなぁ」
「……いや、尚更訳が解らないんだが」
 からかうように彼女が言い、彼が困惑する。それは以前と変わらぬ状況だった。
「しっかし、桜が咲く時期になると決まって雨が降るな。まぁ、まだ五分咲きぐらいだから良いんだけどさ」
「それは神社の桜の事かい?」
「ああ。ここの桜も見事だが、神社の桜が一番最初に咲くからな。幹事としては宴会場所の確認も入念にしとかないとなんだよ」
「……宴会場所の確認って、今年も神社を占領するつもり?」
「占領とは聞き捨てなら無いな。アイツ等は呼ばなくても勝手に集まって来るんだよ。というか、いつも神社にたむろしてるしな」
「まぁ、確かに……。いい加減真っ当な神社にしたいんだけどねぇ」
「無理だと思うぜ。何せみんなお前を目当てにやって来てるからな」
「そんな事無いわ。……むしろ、賑やかしのアンタが居るからアイツ等が寄って来るんじゃないの?」
「おお、その可能性もあるな。だが、もしそうだったら尚更無理だ。私はお前と酒が呑みたいんだから」
 そう言って微笑む彼女に言葉を返せない。対する彼女は体を拭き終わったタオルを彼に手渡しながら、
「っと、そうだったそうだった、何しにここに来たのか忘れるところだったぜ。なぁ香霖、この前頼んだ瓶は集まったか? 中身は入ってても良いんだが」
「ああ、あれか。しかし、あんなものを何に使うつもりなんだい?」
「秘密、だぜ」
「そうかい。それじゃあ少し待っていてくれ。今から持ってくるよ」
 そう言って彼が立ち上がり、台所の方へと歩いていく。私はその姿を無意識に見送り、そして視線を戻し……改めて、友人である彼女と目が合った。
「ん、どうした?」
「……なんでも、ない」
 そう、それは以前と――私が彼に告白をする前と変わらぬ状況だ。
 だからこそ、私は『彼女は強い』と、そう感じる。そしてそれは、私には決して持ち得ないものなのだろう、と断言出来る事でもあった。
 恋愛について無知だった私は、だからこそ彼に対して何か行動を取る事は出来なかった。そんな私を告白という状況にまで突き動かしたのは、彼女の気持ちを――私と同じように霖之助さんに恋をしている、という話を聞いたからに他ならない。つまり私達は、同じ相手を好きになっていたのだ。
 だというのに、今日も彼女はいつものように笑ってみせる。
 私の前でも。
 彼の前でも。
「……」
 私にとって彼女は一番の友人で、けれど決して私には勝つ事の出来ない相手の一人だった。幸いにも私には才能と陰陽玉の力がある。彼女がいくら努力を重ねようと私には勝てっこないと、そう高を括っていた部分があったのだ。だからそう、彼に想いを受け入れて貰えた瞬間には、『彼女では無く私を選んでくれた』という優越感すらあった。
 でも、私は彼女のようには笑えない。
 あの日――

 ――あの日、告白をしようと改めて彼の前に立った時、私の心臓は壊れてしまいそうなほど強く鼓動し、唇は緊張に震えて上手く言葉を告げられなくなり、目は彼の顔を見上げる事すら出来なかった。
 どんな妖怪が相手でも――例え神様が相手だろうと怖気付かずに戦ってきた私だと言うのに、その時はとても怖かった。もし彼に拒絶されたら、という不安が更に緊張を加速させ、「あのね、」と一言告げてから何も言えなくなってしまったのだ。
 それでも、ありったけの勇気を出して「好きです」と告げる事が出来たのは、頭の中に一人の少女の姿が浮かんだから。
 霧雨魔理沙。天真爛漫にして疾風怒濤。星の煌めきと共に恋の魔法を放つ私の一番の友人。彼女は私と同じように彼に恋をしていた。私は魔理沙からそれを聞かされた事で、自分の中に芽生えていた感情が恐怖ではなく恋であると知り――彼女に彼を奪われたくない一心で、「好きです」の一言を告げたのだ。
 何てずるくて、醜い自分。けれどどこか彼女に対して優越感を感じていた私は、それに罪悪感を覚える事は無かった。
 それでも、いざ彼女に『霖之助さんと恋人同士になった』と伝える事になった時には、流石に不安が鎌首をもたげた。何せ私は魔理沙の気持ちを聞いてばかりで、同じ相手に恋をしているのだという事を彼女に一度も伝えていなかったのだ。そしてその状況のまま告白をし、彼と恋人同士になった。それは彼女にとっては彼を横取りされたようなもので……きっと魔理沙に失望されてしまうと、そう思った。そうでなくても、私に対して怒りを露わにしたり、泣かれてしまうだろうという予感はあって、彼女との関係がそこで終わってしまうのも覚悟の上だった(今となっては、その覚悟も薄っぺらいものだったと解るけれど)。
 そして私は彼女に全てを話し――しかし魔理沙は失望する事も、怒る事も泣く事もせず、ただ少しの諦めと納得の入り交じった表情で、仕方ないな、と笑ってみせたのだ。
『香霖はお前をずっと見てたし、お前も同じように香霖を見てたからな。こうなるのは覚悟してた。祝福するぜ』
 ……その一言を聞いた時、私の世界は更なる変化を迎えたに違いない。
 私は魔理沙がどれだけ霖之助さんを想い、その気持ちに悩み、苦しんでいたのか、その全て知っていた。それなのに、私は何も言わぬまま彼に告白をして、恋人同士になった。だから彼女から嫌われるのは覚悟の上で……でもそうならなかった。
 嗚呼、本当に愚かな話だ。

 私は彼女に――霧雨魔理沙に勝てない。

 それは一生続いていく負けだ。この恋が成就した瞬間に、私は心の奥で見下していた相手に惨敗したのだ。
 だからこそ、その笑顔が辛い。今も私の事を一番の親友だと言ってくれる彼女に、しかし私は何も返せなくなってしまったのだから。そしてそれを自覚した時、ある事に気が付いた。
 私達の関係は、いつも私が先に立ち、魔理沙がその後ろを追い掛けて来る、というものだった。そう、私はずっと彼女の前に居て……一生懸命にこちらを追い掛けて来る彼女の一歩前を行けるというのが、私にはとても誇らしかったのだ。努力家である彼女に追い抜かれない事こそが、私にとっての修行でもあったのだから。……けれどいつしかそれが慢心に変わり、そしてどうしようもない溝を生んでしまった。
 その後ろめたさから、私は今も魔理沙の前では『以前の私』を取り繕う。彼女の前では極力彼とは触れ合わないようにし、その心情を傷付けぬように注意を払ってきた。それは彼と一緒に居る時も同様で……彼女に気付かれる訳が無いと解っていても、私は彼に出来るだけ甘えないようにし、幸せに浸り過ぎないように自分を押さえ込んでいたのだ。
 でもきっと、そんな私の様子は彼女にはお見通しなのだろう。
 それを裏付けるかのように、魔理沙は自分用のお茶を淹れながら、
「どうしたんだよ、暗い顔して。……もしかして、まだ私の事を気にしてんのか?」
「……」
 無言は何よりも強い肯定になる。それは解っている筈なのに、けれど言葉が紡げない。そんな私に、魔理沙は困ったように微笑み、
「だったら余計なお世話だぜ? あれからもう三ヶ月。私はこの通り今日も絶好調だからな」
 そうして彼女がお茶を飲み、帽子を被り直した。
 響き続ける雨音は今も続いていて、それは私の心情を反映したかのように雨脚を強めたように感じられる。
 嗚呼、駄目だ。今まではこうして無言で居ても何も感じなかったというのに、今は彼女の出方が気になって落ち着かない。そんな私とは対照的に、魔理沙は普段通りの様子でお茶をもう一口飲み……そして積み上げられた商品の山に視線を向けると、少しだけ俯き、
「……そりゃさ、悲しくないって言ったら嘘になるぜ? 正直、こうやって香霖堂に来るのにも結構気合入れないとだからな」
 静かに、言葉が告げられる。けれどすぐに彼女は顔を上げると、私へと笑みを向け、
「でもな、それでもこうやって笑っていられるのは、霊夢、お前が相手だったからなんだ。誰でもないお前が香霖の恋人になったから、私はその想いを諦められたんだよ。なのに当のお前がそんな顔してちゃ、見てるこっちが辛くなるぜ」
「……」
 魔理沙を、見る。
 もし逆の状況になった時、私は彼女のようには笑えないだろう。それは奇人や変人と言われた芸術家と同じように、彼女とは見ている世界が違ってしまっているからだ。言ってしまえば、私は彼女が理解出来な……
 ……いや、違う。
 きっと私は、魔理沙のようになりたかったのだろう。
 人間も妖怪も、私を相手にする時にはまず『博麗の巫女である』という前提の元でやって来る。つまり私は『巫女』という記号なのだ。例え私が死んだとしても、次代の巫女が『博麗の巫女』として存在し続ける事になり、そこに霊夢という人間は記憶されない。そんな中で、私を『博麗靈夢』として扱ってくれたのは両親と霖之助さん、そして魔理沙だけだった。それは正式に巫女となり、名を旧字の『靈夢』から『霊夢』へと改めた今も変わっていない。
 そんな私に対して、魔理沙はただの人間でありながら多くの妖怪や人間を惹き付け、愛されている。彼女は『魔法使い』という記号ではなく、『霧雨魔理沙』という存在として見られているのだ。
 彼の例えを持ち出すなら、私自身には何の色も付いていないという事だ。どれだけ私が『霊夢』だと主張しようと、『博麗の巫女』という存在が持つ色が強過ぎて消えてしまう。でも、魔理沙は『霧雨魔理沙』という色をしっかりと主張し、それを人々の心に染み込ませる事の出来る魅力を持っている。
 私はそんな彼女のような存在になってみたくて、でもずっと諦めていて――いや、魔理沙が私を『霊夢』として扱ってくれるから、それで良いと思っていたのだ。でもいつからかその気持ちが変化し、それを当たり前なのだと思い始めて……そして、自分は彼女よりも優れているのだという、あの慢心に繋がっていったに違いない。そしてそれが、霖之助さんを奪われたくないと思う切っ掛けになったのだろう。
 彼だけが私を霊夢として、女として見てくれる唯一の男性だったのだから。
 そうして私は彼と恋人同士になって……でも、それで魔理沙に勝てた訳ではなかった。彼女はそんな私の弱さもずっと見ていたのだ。その証拠に、その瞳は今も私を見てくれている――
「霊夢。そうやって俯いてないで、いつもみたく太陽みたいに笑ってくれよ。そしたらきっとこの雨もすぐに止んで、お天道様だって顔を出すだろうからさ」
 その言葉に、私は下がってしまっていた視線を恐る恐る上げ、
「……良いの?」
 魔理沙は、それで良いの?
「馬鹿」
 そう言って魔理沙が居間に上がってきた。そして彼女は私を不器用に抱き締めると、
「良いに決まってるだろ。むしろ、早く私が新しい恋を始められるように、もっと幸せな顔で笑ってくれ。……悲しさはあるが、私はそれ以上に霊夢の恋を応援してやりたいんだからさ」
 見上げた先にある眉を寄せた微笑みには、どこか辛さや悲しみが滲んでいるように思えた。
 それでも彼女は笑う。笑ってくれる。彼女に酷い事ばかりをした私なんかの為に。その事実に、自分が情けなくて涙が出て……同時に、彼女の強さと優しさが嬉しくて。
 ごめんなさい。
 ありがとう。
 本来なら告げる事すらおこがましいその言葉を呟きながら、私は彼女に抱かれ続けた。



 魔理沙が再び商品の上に腰掛け、私の涙がどうにか引っ込んだ頃、何か大きな箱を抱えた霖之助さんが戻って来た。彼はそれを壊れ物を扱うようにそっと魔理沙へと手渡すと、
「約束のものだ。残念だけど、中身入りのはもう無かったよ」
「そりゃ残念だ」
 本当に残念そうに言いながら、彼女が箱の蓋を開く。思わず中を覗きこんでみると、丸めた新聞紙が沢山詰め込まれており……それを幾つか取り除くと、そこにはコーラの瓶が詰め込まれていた。
「不要な新聞を緩衝材の代わりに積めておいたんだ。とはいっても、瓶は割れ物だからね。扱いには気を付けるように」
「解ってるよ」
 ……まぁ、割る為に使うんだがな。そう彼に聞こえないように小さく呟きながら、魔理沙が箱の蓋を閉める。恐らくグラウンドスターダストに使う瓶の代わりにするつもりなのだろう。以前霖之助さんはあの瓶の形を褒めていたから、きっとその用途は伝えていないに違いない。現に、彼が「その瓶は中身を含めて素晴らしい造形をしているんだ」と彼女に説明を始めてしまった。
 そして一頻りの説明が終わったあと、魔理沙は「大丈夫だ、大切に使うから」と笑い、箱を抱えて立ち上がった。そして未だ雨の降る外の様子に「まだ降ってるな。さっさと止んで欲しいもんだ」と呟いてから、私達に視線を戻すと、
「んじゃ、また来るぜ」
 そう軽快に言って、彼女が店を出て行く。傘を持っていかなくて良いのかと思ったけれど、結局それを言葉にする事も出来ないまま、私はその後姿を見送った。
 と、私の隣に座った彼が呆れとも苦笑とも付かない曖昧な表情を浮かべ、
「全く、来たと思えばすぐに帰っていく。元気な奴だ」
 そしてその目には優しい色がある。それを見ていたら、私は今までずっと聞けなかった事を自然に問い掛けていた。
「……元気以外に、何か思う事は無いの?」
「何か思う事? そうだね、雨の日は傘を差して来いだとか、店の商品をもっと大切に扱ってくれだとか……」
「待って、そういう意味じゃないの。えっと、だから……そう、聞き方を変えるわ」
 問う。
「霖之助さんにとって、魔理沙は何?」
「なに、と問われてもね。僕にとって魔理沙は……」そこで一寸考え込み、同時に私の意図する事に気付いたのか、彼はこちらを真っ直ぐに見つめると「……あの子は年の離れた妹のようなものだよ。生まれた瞬間にも立ち逢ったし、おしめを替えた事も一度や二度じゃない。だから父性は感じても、恋愛感情が芽生える事は有り得ないんだ。あの子は、家族のようなものだからね」
「魔理沙の気持ちを知ってたの?」
 意外だった。と、それが顔に出てしまったのか、彼は苦笑し、
「こうして毎日のように顔を合わせている相手の事なら、流石にある程度の事は解ってくるよ。それに、僕も君に恋をしていた訳だからね。でも、どうして突然その話を?」
「……さっきの色の話、あったでしょう?」
 私の中で、私達三人の関係は――そこにある色は交わらないものだと思っていた。むしろ、私達が別々の色を持っているのだという意識すらなかった。けれど私は魔理沙の恋心を知り、自分の想いを自覚し、それにより私達が別々の他人であり、そして何よりも男女であるという事に気付かされた。それは私の世界の色を大きく変化させ……けれども今、私と彼の色が交じり合ったこの状況で、霧雨魔理沙という少女の輝ける色は眩しすぎて、今までどうやって彼女を見ていたのかが解らなくなってしまったのだ。
 今が幸せだと自覚しているからこそ、少しずつ齟齬が生まれ始めてしまっている彼女との関係が辛い。彼に告白をした時に思った『彼女に嫌われるかもしれない』という覚悟は吹けば飛んでしまいそうなほどに薄っぺらいもので、私は本当に嫌われる覚悟なんて出来ていなかったのだ。心の奥では『きっと彼女なら私達を祝福してくれる』と妄信的に思い込み、いざその状況が現実となった途端に居た堪れなさを感じてしまって……だからこそ、酷く愚かで勝手な自分が嫌になる。
 そんな私が相手だというのに、魔理沙はああして今まで通りに接してくれるのだ。
「……魔理沙は強いわね。あんなにも変わらずに居られるなんて」
 変化しないという事は、つまり他の色を取り込まずに輝いていけるという事。それはまるで夜空に輝く星々の煌めきのよう……。と、そう心情を吐露していると、彼から返って来たのは否定の言葉だった。
「いや、魔理沙はそこまで強くないよ。あの子は昔から良く泣く子で、多分それは今も変わっていない」
「……嘘」
「嘘じゃない。まぁ、本人が居ないところでこういう話をするのも何だけれど……僕はね、あの子からも告白を受けていて、それをきちんと断っているんだ。そしてその時は一晩中泣かれたよ」
 それは私の知らない、こんな機会が無ければ教えられる事もなかっただろう出来事。しかもそれは、私が彼に告白をした次の日の事だったのだという。
 つまり彼女は、私から話を聞く以前に、私達が恋人同士になっていたと知っていたのだ。
「一晩泣いて、泣き腫らして、それでどうにか納得したようだった。僕が彼女を妹のように思っているのは、本人も解っていたようだったからね。それでも強く見えるというのなら、それはあの子がそう見えるように努力をしているからだろう。まぁ、もうあれから三ヶ月経つし、時間の経過から元気になってきたというのもあるだろうけどね」
 違う。それは違う。彼女は三ヶ月前からずっと変わっていなかった。けれど実際には彼女も苦しみ、悲しんでいて……でも、それを悟られぬように気丈に振舞っていただけ。私を抱き締めてくれた時に見せたあの微笑みは、ずっと押し隠してきた彼女の本心に他ならなかったのだ。
 それなのに、私は何を勘違いしていたのだろう。彼女はただの人間で、だからその裏には弱さがあって……当然今も苦しい筈だと、少し考えれば解った筈なのに。
「……努力、か」
 それは私が一番不得手としているもので、そして一番足りないものでもあるのだろう。
 失恋を乗り越えて前に進もうと努力している魔理沙に対し、私は現状に甘えて逃げ続けていた。だからもう彼女の前には立てず、以前と――私が彼に告白をする前と変わらぬこの状況から、私達の関係は変化しないのだろう。
 ならば、
「……私も、努力をしてみようと思うわ」
 魔理沙を傷付けた私が言えた言葉ではないかもしれないけれど……遥か先で待ってくれている彼女を追い越す為に、以前よりも強く、そして幸せな笑顔で前を向けるように努力していこう。
 何よりも、私は魔理沙に負けたままではいたくない。
 そしてそれは、私の根底にずっとあった気持ちでもあった。
 そうだ。
 遠いあの日、私がまだ自力で空を飛ぶ事すら出来なかった頃。玄爺の背に乗って魅魔を追った先で、私は一人の魔法使いと戦い――生まれて初めて『負けたくない』と思った。あの時から、魔理沙の存在は私にとってとても大きなものになり、同時に掛け替えのないものになったのだ。
 その時の気持ちを思い出し、ふっと心が軽くなっていくのを感じる。
 ああ、そうだ。前向きに行かずにどうするというのだろう? 魔理沙の事だ。近い将来、きっと私が羨ましくなるほどに良い男を見付けてきて、これ見よがしに自慢してくるに違いないのだから。
 だから……もう我慢しない。
 私の為に、魔理沙の為に、霖之助さんを愛していこう。 

 ――そうして久しぶりに浮かべた笑顔は、とても清々しいもので。

 気付けば雨は上がり、外からは柔らかな春の日差しが差し込んできていた。

 

 遅くなった朝食を食べ始めた頃には、もう昼を大きく越えてしまっていた。それでも恋人と一緒に食べる食事は美味しく、箸も進む。
 そうして和やかに食事が終わり、食器を片付け、さてこれからどうしようかと考えていたところで、店に八雲紫が現れた。唐突に現れた彼女は「寝惚けてたのか、灯油の代金を貰い忘れていましたわ」という言葉と共に店内を物色し始め、それに彼が当惑しながらも対応を始めて……しかし困っていそうながらもどこか満更でもなさそうなその様子に、胸に黒い感情が蠢く。
 これが嫉妬というのかしら。そんな事を思いながら紫を睨むと、流石の彼女も空気を呼んだのか、ゼグなんとかという車輪に持ち手の付いた乗り物のようなものを選んでそそくさと帰っていった。
 こうした感情にも気付けるようになった事で、私の世界の色はどんどんと変化していくのだろう。
 ……それはともかく、
「紫にはでれでれするのね」
「……あれがそう見えるなら、君は一度目の医者に掛かった方が良い」
「またそんな事言って。大体霖之助さんは――」
 と、売るつもりは無かったのだろう商品を持っていかれたのか、少々凹んでいる彼に小言を言い、しかし流石に可哀想なので話題の方向を変える事にした。
「あと、今夜も泊まっていく事にするわ。良いでしょう?」
 今まで魔理沙に遠慮していた分、今日からは思う存分甘えてやるのだ。そう思いながらの言葉に、彼は傷心気味だったその表情に喜びを浮かべ、
「勿論。好きなだけ泊まっていくと良い」
 そう言って微笑み、しかしすぐに何かを考え始めてしまった。一体どうしたのだろうと思っていると、不意に彼が立ち上がり、
「よし、今日はもう店仕舞いとしようか。というか、最近はシエスタの風習を学んでね。午後は寝る事にしているんだ」
「……いやらしい」
「霊夢がそのつもりなら、僕は構わないけれど」
「……馬鹿」
 うー、彼を動揺させるつもりが逆に動揺させられてしまった。私は熱くなった顔を見られぬように立ち上がり、店の戸締りを手伝っていく。といっても、玄関の鍵を閉めてしまえば、あとは南側にある窓に雨戸を閉めるだけで店側の戸締りは終了だ。実際には東にも窓があるらしいのだけれど、商品の山に隠れてしまって、今はその存在を室内から確認する事は出来なくなっていた。
 そうして私は、彼と一緒に居間を出る。途中何気なく触れ合った手を繋ぎ、暗い廊下を進んで寝室に戻ると、二人で布団を敷いて、枕を並べて……何となく昨晩の事を思い出しながら、私は眼鏡を外した彼を見上げ、
「ねぇ、霖之助さん」
 何だい、という言葉と共に私を見る彼へ、告げる。
「――愛しているわ」
 今までも、これからも――そして魔理沙の分も。
 万感の想いと共に告げたその言葉に、彼の顔が朱に染まる。普段はあまり気にしていない癖に(そして時に直球な言葉を自ら口にする癖に)、こうやって改めて言葉にされると彼は大層恥ずかしがるのだ。そういったところは可愛らしくもあった。
 そんな霖之助さんは、赤い顔のまま、自然と微笑みが浮かぶ私の手をそっと取ると、
「……僕もだ、霊夢。僕も君を愛している」
 恥ずかしそうにしながらも決して目を逸らさず、真剣に言葉を告げる彼が愛しくて堪らない。

 ――嗚呼。 
 この色は、私だけのものだ。
    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
宵闇むつき
http://redchain.ninja-web.net/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 19:27:00
更新日時:
2010/09/30 00:27:15
評価:
22/23
POINT:
115
Rate:
1.22
1. 4 名前が無い程度の能力 ■2009/05/14 16:16:39
美味しゅうございました
2. 7 パレット ■2009/05/18 00:27:12
デレデ霊夢いい!
恋愛と、世界の色。小細工なしに正面から書ききっていたと思います。
3. 6 神鋼 ■2009/05/22 18:38:25
弱さも含めて魔理沙がオトコマエでした。うーんカッコイイ。

>不要な新聞を緩衝材の代わりに積めておいたんだ
あれ?なんてことない一文なのに涙が止まらない……
4. 6 As ■2009/05/24 14:54:07
香霖、羨ま(ry
魔理沙とくっつく話の方が多い気がするので霊夢とくっつくのは新鮮でした。
5. 9 三文字 ■2009/05/26 01:33:39
良いなぁ、霊夢が可愛いなぁ、そして甘いなぁ……うん、こーりん殺す。
魔理沙が霊夢に劣等感を抱くと言うのは珍しくはありませんが、その逆というのは面白い。
何だかんだで努力している人間の方が強いのだと、自分は思ってます。
変わらない友情っていいものですよね。
どこかほろ苦くてどこか甘いお話をありがとうございます。
6. 3 気の所為 ■2009/06/01 19:46:11
なんて幸せな男だ。これからどうなるんだろう。場合によっては(ry
7. 6 佐藤厚志 ■2009/06/07 03:19:55
あら。東方では珍しくイロッポイ作品でした。
匂い立つような、ドキドキするような、そんな小説でございます。
8. 5 有文 ■2009/06/08 01:20:46
恋の後も続く友情と霊夢と霖之助の恋愛模様、ごちそうさまでした。
9. 9 so ■2009/06/11 07:37:13
わかった霊夢はくれてやる。
その変わり一度でいい。
うばっていくお前をなぐらせろ。

血の涙を流しながら読み進めました。
うん、でも、恋する霊夢はすごく可愛い。

あと、すごく個人的な意見なのですが、「色」に対するとらえ方に、非常に親近感を覚えました。
10. 4 ふじむらりゅう ■2009/06/11 23:35:41
 いろいろと際どいところを狙ってきたなあ、というか霖之助も色を知る年か。
 なんだか霖之助が愛を囁いてるところで噴きます。
 ていうか、本当に魔理沙みたいなひとがいたらすごい。と思います。
11. 5 八重結界 ■2009/06/12 17:09:55
ともすれば泥沼になりがちな三角関係でしたが、これはさほど暗くないようで。
どうせ恋をするなら、明るくいて貰いたいものです。
12. 9 moki ■2009/06/12 19:11:13
にやにやが止まらない。
しっとりと細やかな描写が恋人の二人の雰囲気を醸しだしてて、とても上手いなぁと思いました。霧雨の中にいるよう(霊夢の気質は快晴ですがw)。そしてタイトルも素敵。自分の持つ霊夢のイメージとは異なるのですが、これはこれでいいなぁ。
ところで「寝起きでべたつく口」という箇所には何か他意があるのでしょうか?(ぉぃ
13. 7 リコーダー ■2009/06/12 21:17:37
何を刺激されたかって、一番は出歯亀根性でした。
でもなんかそれでいい気がした。
14. 4 木村圭 ■2009/06/12 21:32:43
この手の話ではお約束の博麗じゃなくて霊夢に会いに来てるんだぜー、というくだりが無かったのが印象的。
霊夢視点だから無かっただけか、それとも本当にそうなのか。魔理沙と霖之助を特別扱いするには後者ですが、さて。
ところで森の人形遣いさん、藁人形と五寸釘を山ほど売ってくださいな。
15. -2 名前が無い程度の能力 ■2009/06/12 21:36:09
おとぎ話のようだ。
16. 2 ハバネロ ■2009/06/12 22:38:17
なんだろ、悪い事じゃないのに釈然としない
17. 5 時計屋 ■2009/06/12 22:40:04
 文章は丁寧ですが、ややもっさりしているという印象です。
 割と長めの物語であるため、淡々と描写を重ねているだけでは飽きがきます。
 もう少し文章にメリハリがあっても良いように思えました。

 後、東方SSでガチ恋愛というのはかえって珍しくて良かったのですが、心情描写が直截的過ぎるかな、と感じました。
 もう少し淡いほうが個人的には好みでした。
18. 7 ぴぃ ■2009/06/12 22:55:42
それぞれのキャラクターが、とてもよく書けていると思いました。
そして、どこか「色」気のある文章というかw
19. 5 つくし ■2009/06/12 23:01:13
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
20. 6 渦巻 ■2009/06/12 23:29:56
なんというかノロケオーラがすげぇです
結論だけ見せられているような気がしてしまうのは、霊夢のキャラが多少崩れている、その説明・補強がないせいだろうか
21. 3 K.M ■2009/06/12 23:31:56
魔理沙ええ女やなぁ……ところで「元気意外」は「元気以外」?
22. 5 つくね ■2009/06/12 23:51:54
……あれ? ここSSこんぺ会場だったはず……。さて、実に香霖にぱるぱるすぃ内容で複雑なところ。私情を抜きにすれば一人の少女が色付いている様をありありと見せつけられてこちらも気恥ずかしくなる思いでした。
23. フリーレス 宵闇むつき ■2009/06/17 18:58:01
無糖の珈琲も好きですが、甘い砂糖菓子も好き。宵闇むつきです。皆様、沢山の感想を有り難う御座いました。
では、頂いた感想のレス返しをば。



名前が無い程度の能力様
お粗末様でした。
楽しんで頂けたなら幸いです。

パレット様
有り難うございます
今回はお題の使い方にかなり悩んだのですが、変に捻らずに突き進んで正解だったようです。

神鋼様
男前にし過ぎた感じもありますが、楽しんで頂けたなら幸いです。
>涙が止まらない......
ごめん文ちゃん……

As様
掴み所の無い霊霖より、静と動である魔理霖の方がより恋愛しやすいのかもしれません。
ですが、今回はしっとりと。楽しんで頂けたなら幸いです

三文字様
>霊夢の劣等感
私の中で、霊夢は才能はあれど天才では無いと思っているので、親友である魔理沙の努力する姿を決して無視は出来ない筈……と考えた結果でした。
こちらこそ有り難うございます。


気の所為様
シエスタです。お昼寝するだけです。えぇ、一緒の布団で寝(ry
ともあれ、楽しんで頂けたなら幸いです。


佐藤厚志様
有り難う御座います。
色っぽいなんて言って頂けるとは思ってもいませんでした……。ドキドキして貰えたなら幸いです。

笊様
少女漫画にありがちな『実は彼も私を好きだった』をやってみたので、確かに説明不足になってしまったようです……。でも、これで魔理沙が相手だったなら、また違ったのかもしれません。
やはり霊夢の扱いは難しいです……。

有文様
お粗末様でした。
ベタな恋物語でしたが、楽しんで頂けたなら幸いです。

so様
>血涙
そこまで思って頂けたなら、締め切りに焦りつつも書き終えたかいがありました。
そして色に対してですが……こうした抽象的なお題は解釈が難しいものなので、親近感を覚えて頂けて嬉しいです。
読んでくれた方を置いてけ堀にしてしまったらどうしよう、という不安がどうしてもありましたので。

ふじむらりゅう様
普段はキバヤシな彼も、デレたらあんな感じになれば良い、という妄想を突っ込んでみました。魔理沙も同様に、主人公の親友はこうあって欲しい、という感じで。
ですが、もう少しやりようがあったかもしれません(特に魔理沙)。難しいものです。

八重結界様
出来れば明るく突っ走りたかったのですが、それだとあまりにも捻りが無いので今の形になりました。
でも、もっと明るい話にしても良かったのかもしれません。難しいところです。

moki様
有り難う御座います。天真爛漫な霊夢とは違った感じになってしまいましたが、楽しんで頂けたなら幸いです。
>寝起きでべたつく口
べ、別に他意はありませんよ? いやいや、本当ですってば。

リコーダー様
霊夢目線だったから、でしょうか。これが霖之助目線ならば違ったのかもしれません。
それでも、楽しんで頂けたなら何よりです。

木村圭様
霊夢視点であるが故に、ですね。それでも実際にどうなのかは、皆さんのご想像にお任せする感じです。
>藁人形と五寸釘
神社の裏の木に大量の藁人形ですね、解ります。ともあれ楽しんで頂けたなら幸いです。

名前が無い程度の能力様
有り難う御座います。そう言って頂けて嬉しいです。
とはいえ、点数から考えると否定的なご意見なのかもしれませんが、好意的に解釈させて頂きます。

ハバネロ様
釈然としませんでしたか……。
どのあたりが、というのが気になるところですが、しかしそれは私の力不足が原因。精進していきます。

時計屋様
ご指摘有り難う御座います。自分では大丈夫だと思っていたのですが、メリハリなどが足りていなかったのですね。
心情描写もそうですが、恋愛物は難しいです……。

ぴぃ様
お褒め頂き有り難う御座います。
色気、ありましたでしょうか。自分では作品を客観的に見られないので解らないのですが、そう思って頂けたなら嬉しいです。

つくし様
こちらこそ、お忙しい時間の中でこの作品を読んで頂き有り難う御座います。
感想、お待ちしております。

渦巻様
霖之助と恋人同士である、という状況から作品が始まっているので、そう感じさせてしまったのかもしれません。
もう少し過去を掘り下げたり、或いは冒頭を告白から始めたりすれば、また少し変わった気がします。……本当、難しいです。

K.M様
だから皆に好かれるのではないか、とか思ったり。
そして誤字の報告有り難う御座います。修正しました。

つくね様
正直に言うと、皆さんをパルパルさせたいが為に頑張った部分がありました。なので気恥ずかしさを感じて頂けたなら、投稿したかいもあったというもの。
楽しんで頂けたなら幸いです。



最後に、皆様に心からの感謝と愛を。本当に有難う御座いました!
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