色めがね

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 20:08:07 更新日時: 2009/06/14 11:33:50 評価: 26/26 POINT: 141 Rate: 1.23




――What kind of world do you see?――








博麗霊夢。


彼女がいる。


そう思った時には、既に遅かった。

微かな衝撃の後、先ほどまで手にあった重みがふっと消えた。

きん、とした甲高い音が一瞬響く。

「あっ……」

ひどく間の抜けた声だと、東風谷早苗は自分で思った。

目線は地面に向いていた。
眼下では先ほどまで綺麗に盛られていた料理が無残な姿になっていた。

状況を把握するのに少しだけ時間がかかった。

自分は先ほどまで料理を手に持っていた。
それが、今は眼下でこのように無残な状態になっている。

なぜ、そうなったのか。
それを考えて、ハッとする。

慌てて顔を上げると、博麗霊夢の顔がそこにはあった。

そうだ、霊夢にぶつかったのだ。
ぶつかって、料理を落として……

そこまで思考して、早苗は自分が口にすべき言葉をまだ口にしていないことに気付く。

「ご、ごめんなさい」

遅れてしまったと、そう思った。
先に謝るべきだったのだ。

その謝罪に、霊夢は気をやる様子もなかった。

地面に落ちた料理に一瞬目をやり、そしてそのまま目線を上げた。
霊夢の黒い瞳が、早苗のそれと交差する。

心臓が縮まるのを、早苗は感じた。

「早苗」

ひどく無感情に自分の名前が呼ばれた気がした。
わずかな怒気さえもそこには含まれていない。

スッと、霊夢の指先が静かに博麗神社の本殿を示す。

「ちょっと下がってて」

霊夢のその言葉の意味を理解して、早苗はすぐに思った。


ああ、やってしまった、と。










******************************


    『色めがね』


******************************










博麗神社本殿の裏にある縁側。

そこで早苗は、はぐはぐと料理を貪る犬をじっと眺めていた。

いつもは残飯しかやらないせいか、今回はご馳走にありつけたようで、犬は一心不乱に料理を食べあさっている。

誰かの飼い犬というわけではない。
時々、博麗神社に迷い込んでくる野良犬だ。
早苗にとっては、もう顔見知りだが。

野良犬はあっという間に一皿分の料理を平らげ、二皿目に顔を突っ込んでいた。

食事が無駄にならなくてよかった。
そう思ってしまうのは、自分のヘマを正当化しているみたいで、早苗は嫌だった。
もっとも、野良犬はそんなことを気にする様子もないが。


もう何度目の参加になるのだろうか。
博麗神社での宴会。

下戸である早苗は基本的に庶務係である。
四方八方から飛び交う声に右往左往しながら、料理を運んだり、酒を運んだり、空き瓶を片付けたり。
そもそもの人数が人数なので、体を休める暇などありはしない。
気がつけば、いつも何かをしているといった状態だ。

天手古舞いだと、自分でもよく認識している。

ただ、庶務係は何も早苗だけではない。
魂魄妖夢や十六夜咲夜、それに宴会の場の提供者である霊夢も、早苗と同じように忙しく動き回っている。

でも、天手古舞いなのは早苗だけである。
彼女たちは常にてきぱきと動き回り、宴会を上手く切り盛りしている。

それを見るたびに、自分の要領の悪さを恥じてしまう。
少なくとも、外の世界では一度も感じたことがなかった。
むしろ、自分はその対局に位置する人種だとさえ思っていた。

なぜこうも違ってしまうのか。
その解は、いまだに見つけ出せない。

早苗は、一際大きな溜息を吐き出した。

溜息を吐く度に幸せが逃げるとは、八坂神奈子がよく言っていた。
それを聞いた当時には、自分は溜息なんか吐くはず無いとタカをくくっていた。
それが、何と情けない有様だろうか。

それを思っても、また溜息が出てくる。
堂々巡りだった。

「背中に哀愁が漂ってるぜ」

声は自分の後ろからだった。

まさか、と一瞬思ったが、声質の違いで明らかだった。
落ち着いて後ろを振り向く。

そこには、霧雨魔理沙が立っていた。
その口には、煙管が咥えられている。

傍目には、宴会を抜けて一服しにきたように見える。

「となり、失礼するぜ」

そう言って、早苗の横に腰を下ろす。

それにまず反応したのは、野良犬だった。

料理から顔を上げ魔理沙を見ると、くるりと踵を返し、とたとたと本殿の奥の森に消えていった。

それを見て、魔理沙は苦笑いを浮かべる。

「まあ」
「まあ」

お互いに顔を合わせ、二人で笑いあう。

太陽は、ちょうど天辺を過ぎた頃ぐらいだった。

宴会自体は朝から始めている。
時々聞こえてくる騒がしい声を鑑みるに、まだまだ折り返し地点といったところだろう。
彼らのバイタリティはどこからくるものかと、早苗は常々疑問に思う。

そしてまた、いまだにそれに合わせることができない自分を些か恥じる。

ここは、本殿の縁側は、自分にとっての逃げ場なのだろうと思っている。

でも、だからこそ、魔理沙はここに来てくれた。
そんな気がする。

やがて、魔理沙が煙管を口から離し、白い煙を吐き出した。

「見てたよ」

短いその一言は、それでも核心をついたものだった。
今の早苗の頭の中のほとんどを占める思考をピタリとついてくる。

すなわち、先ほどの博麗霊夢とのアクシデント。

「あいつ、言葉きついからなあ」

早苗は何も答えられない。
その代わり、頭の中では思考がぐるぐると巡っていた。

早苗は思った。
ああ、何でぶつかったのが霊夢なんだろう、と。

他の者なら謝ってお終い。
でも、霊夢は……

「霊夢さん、怒ってますかね」

年齢的には、おそらく早苗の方が年上だろう。

でも、早苗は"霊夢さん"と呼ぶ。
逆に、霊夢は"早苗"と呼ぶ。

はじめはそうでなかったと思う。
でも、気がつけばそうなっていた。

「さあな。あいつの考えていることなんてわからん」
「そうですよね」

思わず大きな溜息が漏れる。

霊夢が、気になる。

いつからだろうか。
考えても、それがわからない。

気が付くと霊夢を意識していた。
いつも目線が霊夢を追っていた。

だから、気になる。
霊夢がどのように考えているか、霊夢が何を思っているか。

早苗は、二本の指で目頭を押さえ込んだ。
そのことを考えると、決まっていつもそこが痛くなる。

「なんか、思ったよりも深そうだな」
「まあ、こんな感じです」
「ふむ」

煙管を縁側に置き、魔理沙はエプロンの前ポケットに手を突っ込む。
そして、そこをごそごそと探りはじめた。

その時の早苗の脳裏には、青色の狸の姿が浮かんでいた。

早苗が変な感慨に耽っているうちに、魔理沙は件のものを見つけ出した。
出てきたのは…………眼鏡だった。

何の変哲もない普通の眼鏡。

女性向けだろうか、縁もつるも華奢なものだった。
少なくとも早苗の知る範囲では、誰が掛けても似合いそうな眼鏡だった。

「『色めがね』という」
「色めがね……ですか?」

"色"という割には、レンズは無色透明だった。
早苗のイメージするような小洒落たものではない。

「まあ、掛けてみてくれ」
「はあ、わかりました」

多少訝しげに思いながらも、まあ眼鏡ぐらいならと、早苗は手に持ったそれを掛けた。

「……どうでしょうか」

眼鏡なんて、外の世界でも掛けたことがない。

意外と重みがあるものだと思った。
鼻の上に少しだけ違和感を覚える。

「……むっ」

魔理沙の眉がぴくりと動く。

「……早苗」
「はい」
「ちょっと怒った感じで、『めっ』って言ってくれ」
「はっ?」
「……いい、世迷いごとだ」

ごほんと息を吐き、場を仕切り直す。

「で、どう見える」
「どう見えるって……別に……」

変わりない、と言おうとした。

「……あっ」

言おうとして、眼鏡越しに魔理沙を見たとき、明らかな違和があることに気づく。

「靄……靄がかかってます。魔理沙さんに」
「うん。で、色は何だ」
「色……ですか? 白いです。白い靄です」
「うむ」

そう言って、魔理沙は煙管を咥え直した。

「色が大事なんですか」

魔理沙は、虚空に向けて、白い煙を勢いよく吐き出した。

「そうだ」

魔理沙のそのゆったりとした動作に、早苗は些かやきもきした。

それが顔にでも出たのだろうか、魔理沙は早苗を見て少しだけ微笑んだ。

「白は中庸の色だ。好きでもなければ嫌いでもない」
「どういうことですか?」
「その眼鏡は人の感情を色で映し出す」
「人の……感情」

早苗は、自分の胸が少しだけ高鳴るのを感じた。

「そうだ。自分……つまり眼鏡をかけた奴に対して、好意的な感情を持っている奴は赤く見える」
「そうでない人は」
「青に見える」
「じゃあ……」
「そういうことだ」

魔理沙は、煙管を側に置き、少しだけ早苗に顔を近づけた。

「気になるんだろう、霊夢のことが」
「……はい」

でも、と、そう言おうとした。

しかし、出なかった。
その後の言葉が、今の早苗の頭には思い浮かばなかった。

宴会の喧噪が遠くから聞こえてくる。
魔理沙も早苗もしばらくそれに耳をやっていた。

やがて、魔理沙が静かに口を開く。

「使うか使わないかはおまえ次第だ。ただ、これだけは覚えておけ」

かつん、という音が縁側から聞こえた。
魔理沙が煙管の灰を落としたのだ。

「他人の心を読める妖怪は地下に籠もった」

静かに、それでも力を込めて、魔理沙はそう言った。

「……心得てます」

うん、と魔理沙が小さく頷く。

「そっか、ならいいな。眼鏡、似合ってたぜ」

そう言って、魔理沙は煙管を咥えたまま、よっと腰を上げた。

「ありがとうございます」

その声に応えるかのようにひらひらと手を振りながら、魔理沙はその場を立ち去っていった。

心配してくれたのかな。
そう思うと、ちょっとだけ胸が温かくなった。

ほう、と息を吐き、早苗は手に持った眼鏡に視線を下ろす。

「色めがね」

意味もなく呟いてみる。

銀色の縁が白く輝いていた。




















どのくらい時間がたっただろうか。

早苗は、本殿の陰からじっと顔を覗かせていた。

目標は、相変わらず宴会の中を八面六臂に動き回り、てきぱきと仕事を捌いていた。

早苗は、その様子をじっと眺めながら、手元にある眼鏡をぎゅっと握りしめた。

『色めがね』。
人の感情を色で映し出す眼鏡。
それを掛ければ、自分の知りたいことが知れる。

でも。

……でも、何だろうか。
もやもやとした感情が胸にある。
それが、何であるのか……上手く言葉にできない。

霊夢が気になる。
それは確かだ。
間違いない。

だから、彼女の気持ちを知りたい。
自分をどう思っているのか。

要領の悪い自分をやれやれと思いつつも暖かく見守っているのか。
それとも、どうしようもない奴だと見限っているのか。

前者は理想だ。
理想でしかない。

だからこそ、だからこそ後者が怖い。
もし、後者の時……自分はどうなってしまうのか。
どうすればいいのか。

想像してぞっとした。

怖い。
怖いのだ。

嫌われるのが怖い。
それを知るのが怖い。

手元にある眼鏡をもう一度見つめた。

自分には選択肢がある。
読むか、読まないか。
それを選ぶことができる。

ならば。

そう思い、眼鏡を懐に仕舞おうとした。


その時。


「…………あっ」

霊夢がこちらを一瞥した。
何の前触れもなく。

その瞳には何の感情も含まれていない。
何か物でも見るような、そんな視線だった。


――それが引き金だった。


手は自動的に動いていた。
しまいかけた眼鏡を取り出し、機械的な動作でそれを掛ける。

そして、対象を……宴会で立ち回る霊夢を捉える。

知りたい。
ただ、それだけだった。


まずはじめに見えたのは、人の影とそれにかかる白い靄。
早苗は、その中で霊夢の影をさがした。

そこで、ある異変に気付く。
あたりに見える靄の色が変わってきている。

それも、誰それがというわけではなく、皆一律に。


その色は、




青だった。




全ての色が青に変わったとき、早苗の頭から殆どの思考が消え去った。

そして、それがどういう意味かを認識したとき、体中から冷や汗が出てきた。

(……嘘)

魔理沙の言葉が頭に響く。

『好意的な感情を持っている奴は赤く見える』

早苗の世界に、赤はない。

『そうでない人は』

そうでない人は。
そうでない人たちは。

『青に見える』

早苗の世界には、青しかなかった。

見渡す限りの青。
どこを見ても、誰を見ても……そも、世界の色がそうであるかのように……青一色だった。



だから。

だから、早苗は気付かなかった。
観測の対象である者……博麗霊夢が自分のすぐ眼前に来ていることを。

青に溶け込んだ青を見つけ出すことは、容易ではなかったのだ。

「何してんの、あんた」
「あっ……」

霊夢はいつの間にか自分の側にいた。

側にいて自分を見下ろしている。

(見下ろして……いる?)

そこで早苗は気付く。
いつの間にか、自分の膝が地面についていることを。

「ご、ごめんな……」

立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
背中に重りでものせられているようだった。

霊夢が一瞥する。

青い瞳で。
青い視線で。
青い……感情で。

「あんた、本当に……」

霊夢が手を伸ばしかけた瞬間、

「早苗!?」

一際大きな声が霊夢の後ろから響いた。
それは、よく聞き慣れた声だった。

影が勢いよく近づいてくる。
その影もよく見慣れていた。
いつも小さいころかずっとずっと見てきた影。

だからこそ。
だからこそ、その影に付いた靄の色を見たとき。
早苗は息がつまりそうになった。

「早苗、大丈夫!?」

声が耳元で響く。
でも、それが何を言っているのか理解できない。

青。
青い影が自分の肩を揺らす。

自分の好きな、自分の大好きな、八坂神奈子の形をした影が。

「……ちょっと、誰か永琳呼んで」

霊夢の凛とした声があたりに響く。

それを合図としてかどうかわからないが、遠くにあった影が一斉にぞろぞろとこちらに近づいてきた。

「どうしたんですか」
「ちょっと、大丈夫」
「おっ、事件ですかね」

青い靄をまとった大量の影がうねりを作りながらこちらに向かってくる。
あたかもそれは波のように。

「うっ……」

限界、だった。
堪らず口を押さえ、崩れるようにしてその場に伏した。

「――――!!」

耳のすぐ側でいくつもの声が重なる。
もう、それが誰の声なのか、そして何を言っているのか聞き取ることができない。

意識がだんだんと落ちていく。

(……んっ)

ふと、頬に暖かいものを感じた。

消えつつある意識をつなぎ止めながら、それが何であるのかを確認しようとした。

それは、あの時、自分が餌を上げていた野良犬だった。
その犬が、自分の顔をぺろぺろと舐めていた。

(あっ……)

青い世界の中で、なぜかその犬の影だけは、赤色に見えた。

(……よかった)

それが、最後だった。

そうして、意識は……闇の中に落ちていった。


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『何だ、そんなものなの』

それは、ひどくつまらなそうな声だった。

『あれだけ大きな口を叩くからもっとやると思ったけど』

淡々と紡ぎ出されるその言葉を聞きながら、早苗は自分の歯をギリギリと噛み締めていた。

それは、いつかの守矢神社。

自分と霊夢の二回目の邂逅。
一度目は、早苗が博麗神社に赴き言葉を交わしただけなので、こうやって手合わせをするのは今回が初めてだった。

初めてだったからこそ……この結果を、早苗は全く予想していなかった。

こんなはずではなかった。
こんなはずではなかったのだ。

本来ならば、自分の持つ奇跡の力で、守矢神社に押し入ってきたこの不心得者を、完膚無きまでに叩きのめすはずだった。
それが、今はまったく逆の状況だった。

倒すべきはずの相手は自分を見下ろし、逆に自分は地に伏して相手を見上げている。

こんなはずでは。

早苗は、それが唯一の抵抗であるかのように、敵意の視線を霊夢に送り続けていた。

それを見て、霊夢はふっと頬を緩ませる。

『そんな顔しないでよ。まるで親の敵みたい』

霊夢の軽口には応えない。
ただ、煮えたぎるような視線だけを送り続けていた。

悔しかった。ただただ、悔しかった。

自分がいるべき筈の場所に彼女が立っていて、自分が吐くべきはずだった科白を彼女が吐いている。
それが、それがたまらなく悔しかった。

地に付いた手で、地面を掻く。

『早苗、だっけ』

どう見ても早苗の方が年上なのに、霊夢は当たり前のように早苗を呼び捨てにした。

早苗。

二柱と親ぐらいにしか呼ばれなかったその単語で。

『名前、覚えておくわ』

霊夢の体がふわりと中に浮く。
ごく自然に。まるで、それが常態であるかのように。

自分の"浮かぶ"とは、まるで違う。
その決定的な差を、その時の早苗は確かに感じ取っていた。

『また、あとでね』

言って彼女は飛び去っていた。
行き先は守矢神社の本殿。守るべき自分の神が居る場所。

動かなければいけない。
でも、体が動かない。
それは、単純に身体的な問題だけでなかった。

……しかしながら、そのことを、その時の早苗は知る由もなかった。

『……くっ』

その時の早苗の胸にあったのは、ただ……悔しさだけだった。




そう、はじめは悔しさから始まった




それが、それがいつからだろうか。




『またうちで宴会やるみたい。早苗も来る?』


悔しさが羨望に変わり、


『……まあ、どうせ来ても雑用だけだと思うけど』


羨望が憧れに変わり、


『ふぅん、来るんだ。……んっ、ありがと』


憧れが………………もやもやに変わったのは。




『博麗霊夢は、あなたとは違う』




いつだったか。

どこかの妖怪にそう言われたのを覚えている。

……その意味を、今はひどく理解している。


こんなに辛いなら、こんなに苦しいなら、彼女に出会わなければよかった。


そう思っている。


今も、きっと。


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光が差し込んで来ているのが、わかった。

まず見えたのは、見慣れない天井。
自分の見ていたものと似てはいたが、ところどころにあるシミの場所が違う。

少しだけ目線を下に落とすと、白い布団が見えた。
どうやら、自分に掛けられているようだ。

それで早苗は気づく。
自分は倒れて、そしてどこかにかつぎ込まれたのだと。

「気づいたみたいね」

まず聞こえたのは、霊夢の声だった。

「……早苗、大丈夫?」

そして、頬に触れたのは神奈子の手だった。
その手をゆっくりと握り返す。

「……はい。あの、ここは?」
「博麗神社の社務所だよ。何人かに協力して運んでもらったんだよ」
「そうだったのですか……」

途端に申し訳なくなる。
自分のために、そんなこと。

……と思った時、先ほどとの明らかな違和に気付く。

(……あれ)

景色が、世界が元の色に戻っていた。
元の、赤も青もない、そのままの世界の色。

それで早苗は自分の顔に眼鏡が掛かっていないことを気づいた。

ぺたぺたと自分の顔のまわりを触る。

「捜し物はこれかしら」

そう言って霊夢が取り出したのは"色めがね"だった。

「あっ……」

思わず、声が漏れる。

「話は魔理沙から聞いたわ。大体」

大体。
その意味する範囲を、早苗は推し量ることができない。

「何、その眼鏡」

当然のように神奈子が疑問の声を挙げる。

なんと説明していいものか、早苗は迷った。

「……んっ、そうか」

霊夢がぽりぽりと頭を掻く。

「悪いけど、神奈子は少し席を外してもらえるかな」

その一言に、神奈子は表情を険しくした。

「……どういうことだい、突然」

その言葉には怒気がこもっている。

早苗を心配してるからこその怒り。
その気持ちは、その気持ちは本当に嬉しい。

でも。

「神奈子様。私からも、その、お願いします」

早苗がそう言うと、神奈子は一瞬だけ渋い表情を見せた。
でも、すぐに頬を緩ませると、

「……まあ、早苗がそういうなら」

そう言って、立ち上がり、霊夢を一瞥した後、部屋を出て行った。

神奈子の足音が遠ざかっていく。
それが完全に消えたのを確認し、霊夢は自分の後ろにある障子に顔を向けた。

「魔理沙、入ってきて」

ガラガラという障子を引く音とともに、苦々しい顔をした魔理沙が入ってきた。

「すまん、早苗」

入るなりの謝罪。

それが何に対してか、早苗にはわからない。

「とりあえずは、誤解の解消からね。ほら、魔理沙」
「うむ」

魔理沙は霊夢から"色めがね"を受け取り、それを早苗の方に向けてかざした。

「こいつの効能を覚えているか」
「えっと……」

覚えていないことはないが、この場では言いにくい。

「……自分に対して好意的な人物は赤、そうでない人物は青に見える、だっけ」

代わりに答えたのは霊夢だった。

そこまで知ってるなら、もう一部始終を把握しているのだろう。
早苗の顔に熱が籠もる。

「で、魔理沙」
「んっ」

霊夢のその言葉に、魔理沙は小さく首を縦に動かした。

「すまん早苗。あれは、嘘なんだ」
「えっ……」

嘘。

……嘘?

その言葉が何を意味するのか、早苗は一瞬判断に迷う。
そしてそれを理解した時、当然の疑問が口をついていた。

「でも、確かに色が」

忘れるはずもない。
あの青い靄を。
あの青い靄をまとった影の集団を。

自分の好きな人にも、自分の憧れの人にも、すべての人に重なっていた青い靄。

あれは、まやかしや幻想の類であるはずがない。
早苗の体が、早苗の目がそれを否定する。

「いや、色はつくんだ。ただ……」
「『他人がどう思っているか』って基準じゃないってこと」

なかなか結論を切り出さないことに業を煮やしたのか、霊夢が魔理沙の言葉を途中から継いだ。

つかつかと魔理沙に歩み寄り、その手から"色めがね"を受け取る。
そして、それを静かに自分の顔に掛ける。

「基準は、『自分』」

霊夢の視線が、早苗のそれと交差する。

「『自分』が相手をどう思っているかで色が変わるの」
「それじゃあ……」
「単純な話ね。劣等感とかそれに類するものを持ってるなら青、それ以外なら赤に変わるみたい」

すまんと、手を合わせる魔理沙が見えた。

見えたが、それに反応する余裕は、今の早苗にはない。
頭の中では、様々な思考が絶え間なく巡っていた。

思わず、口を押さえる。

「じゃあ、私……」

つまり、問題は『他人』ではなかった。
問題は、『自分』であったのだ。

自分が相手をどう思っているか、自分が、相手に対してどう思っているか……だった。

青一色に見えた世界は、いわば自分の心象。
青は、他人の色ではなく、自分がそう見てしまっている色だったのだ。

その事実は、早苗にけして安堵を与えない。

世界がそう見える、そう見えてしまう、そう見てしまう。
なぜだろう、どうしてだろう。

それを考え出すと、涙が出そうになってきた。

「……」

霊夢は、黙ったまま、あたりをぐるりと見回す。
眼鏡をかけたまま、彼女の世界に色を付けながら。

一通り見回すと、霊夢は、ふんと、小さく鼻をならした。

「くだらない」

吐き捨てるようにそう言い、ゆるやかに眼鏡を外すと、


次の瞬間、


自分の膝で、眼鏡を叩き折った。

「ちょっ……!」

声をあげたのは、魔理沙だった。

早苗ですら一瞬何が起こったのかわからなかったのだ。
当然といえば当然だろう。

「いいの、こういうのは」

そう言って、霊夢は、ひらひらと真ん中から二つに折れた眼鏡を揺らす。
魔理沙は、恨めしそうな目でそれを見ていた。

「早苗」

霊夢の口が、自分の名前を紡ぐ。
あの日のように、あの出会った日のように、穏やかな落ち着いた声で。

「これだけ言っとく」

霊夢の真剣な声、真剣な表情に、早苗は思わず身を縮めた。

「私は誰も好きじゃない」

淡々とそう告げる。

「でも、誰も嫌いじゃないわ」

そう言った霊夢の頬が、少しだけ赤みを帯びているのに早苗は気付いた。
それは……はじめて見る霊夢の表情だった。

「それで、ね」

少しだけ、霊夢が言い淀む。
それはどこか言葉を選んでいるようにも見えた。

「早苗は……早苗は、私のこと好き?」
「えっ……」

一瞬だけ、思考が停止した。
まるで予想だにしてなかった問いかけ。

好き。
博麗霊夢が好き。

好き。
……好き?

好き……なのか?

ぐるぐると頭がまわる。
思考が形にならない。
体中の体温が一気に上がった気がする。

言葉が、出てこない。

「じゃあ……」

霊夢が、静かに言葉を継ぐ。

「じゃあ、嫌い?」

嫌い。
博麗霊夢が嫌い。

単語の意味を理解するより先に、早苗の首は左右に振られていた。

力一杯、全力で、それを否定する。

「……そっ」

霊夢の口の端が、ちょっとだけ緩むのが見えた。

笑った。笑ったのだ

その笑顔を……霊夢の笑顔を、早苗は、はじめて見た気がした。

「それで、いいんじゃない?」

それで、いい。

霊夢を嫌いじゃない。

それで、いい。

彼女は、博麗霊夢は……そう言ってくれた。

早苗の心の中で、何かがストンと落ちた気がした。

「……で、もう体調の方は大丈夫? 動けるんだったら片付けを手伝って欲しいんだけど」

そう言って、靈夢が、くっと顎で部屋の外を示す。
宴会をやっている方だ。

そういえば、宴会の喧噪も、先ほどに比べてだいぶ落ち着いているように思える。

「私があんたに付きっきりだったから、向こうで咲夜達がてんやわんやになってるの。手伝ってあげて」
「は、はい」

立ち上がろうとして、気づく。

体に重みはない。
むしろ、以前よりも軽くなった、そんな気さえする。

「ほら、魔理沙、あんたも」

そう言って、ぐいぐいと魔理沙の背中を押す。

「早苗をサポートしてあげて」
「……ったく。眼鏡、弁償しろよな」
「はいはい」
「ちぇっ。損な役回りだぜ」

魔理沙が、頭を掻きながら渋々と出口に向かう。
それに、早苗が続く。

魔理沙は障子を開け、先に外に出た。
早苗も出ようとして……

……ふと、霊夢の方を振り返った。

霊夢はこちらを見ていた。
静かな瞳で。

その瞳に感情はない。
怒ってもいないし、笑ってもいない。
いつも自分を見ているあの瞳だ。

でも、霊夢はそらさない。
そらさないで、じっとこちらだけを見ていた

早苗は、霊夢に小さく会釈をする。
そうして、その場を後にした。



それだけ。それだけだった。

でも、「それだけ」が出来たのが、早苗はとても嬉しかった


自然と、笑みが零れてきた。











早苗と魔理沙の気配が次第に遠ざかっていく。
それが完全に消えたのを確認すると、霊夢は大きく息を吐き出し、その場にどっと座り込んだ。

疲れた。
なんか、すごく。
正直な話、異変解決の何倍も。

そして思う。

あんなこと言うつもりだったのかなあ、と。

「お人好しねえ」

声は、どこからともなく聞こえた。

呆れたように、霊夢は深く息を吐く。

「出たな、デバガメ」
「失礼ねえ。見えるものはしょうがないじゃない」

空間に亀裂が入り、そこから八雲紫がにょきっと顔を出す。

その顔には、何度見ても憎たらしくなるような笑みが浮かんでいた。

「いいわ、何でも。もう、疲れた」
「あらあら」

と、たおやかに紫が笑う。
その笑顔が、霊夢にとっては少しだけ意外だった。

「……怒らないの」
「何を?」

扇で口元を隠しながら紫が問い返す。
おそらくその裏には、微笑でも浮かんでいるのだろうと霊夢は思った。

「……何でも。あんた、嫌い」
「うふふ。霊夢に嫌ってもらえるのはありがたいわね」
「ふん」

さっきの会話もばっちりと聞かれているようだった。
この妖怪がいる限り、本当に気の休まる場所など無いのではと、霊夢は時々思う。

「ねえ、霊夢」
「あによ」
「あの眼鏡、どんな風に見えた」
「何でそんな事聞くのよ」
「『博麗霊夢の世界』、気になるじゃない」

その時だけは、紫の目が真剣だった。
今までの軽口の応酬の時とは、明らかに違っていた。

霊夢は、少しだけ考えて、こう言った。

「……分かるでしょ、あんたになら」
「そうね」

うふふと、紫が笑う。

霊夢は、口を尖らせた。

「やっぱり、あんた嫌い」
「そう、ありがと」

少しもありがたくなさそうな表情でそう言う。

本当に、疲れる。
霊夢はそう思った。

考えてみれば、自分のまわりはいつもこんな連中ばかりなのだ。
一癖も二癖もあって、表に出すことと腹に込めたことがまるで違うような連中だ。
それに振り回されないようにするというのも、ある意味では幻想郷での処世術の一つであるとは思う。

それに比べて、東風谷早苗、あの娘はかなり新鮮だった。
まっすぐで正直で、自分の気持ちを素直にぶつけてくる。

だから……だからこそ、彼女への接し方がわからなかった。
関わるべきか、そうせざるべきか。
既に、そこから。





(東風谷早苗……か)

霊夢は心の中で、早苗の名前を復唱する。

後で、後で少しだけ、自分から声をかけてみようと、そう思った。


あの娘の世界に、ちょっとでも暖かい色が付くように。










[了]
お読みいただき感謝です。
あなたの世界に良い色が付きますように。

6月14日 追記:
読者様に最大限の感謝を。
頂いたご感想は、今から一つ一つ噛み締めたいと思います。

6月14日 追記の追記:
頂いた感想への返信をば。
長くなりそうだったので、以下のサイトに。

http://so.web9.jp/blog/
so
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作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 20:08:07
更新日時:
2009/06/14 11:33:50
評価:
26/26
POINT:
141
Rate:
1.23
1. 6 リペヤー ■2009/05/10 00:58:20
冒頭からてっきりダークなお話かと思いましたが、ほのぼのでしたか。
……うん、早苗さんの気持ちは自分にも何となく分かります。
自分以外の誰もが上手くやっているように見えてしまう。特に自分が落ち込んでいる時になんかは。
霊夢は色めがねを通して見た世界がどういう風に見えていたんでしょうかね。
ただ犬が伏線っぽく動いていたのに関係無かったのはちょっと残念でした。
2. 7 名前が無い程度の能力 ■2009/05/14 17:12:38
早苗さんよかったね
3. 4 パレット ■2009/05/18 00:29:26
色めがねのからくりはかなり早い内にわかってしまいましたが、色めがね本来の意味やタイトルも合わせて、一本筋が通ったお話になっていたと思います。
4. 6 神鋼 ■2009/05/22 18:52:41
早苗さんちょっとツライ話になるかと思っていたら気付いたらレイサナになっていた。あれ?
5. 6 As ■2009/05/24 15:05:53
結局は自分の心の持ちようなのでしょうね。
ほんの少しだけ、地の文が淡々としているように思えましたが個性の範疇なので
問題とは感じませんでした。
6. 9 三文字 ■2009/05/25 20:34:43
眼鏡を渡す時の魔理沙がやけに渋くて格好良かった!
そして最後のちょっと不器用な霊夢が可愛いかった!
静かな作品ですけど、揺れ動く早苗さんの心理だとかが面白かったです。
でも、確かに幻想郷の人妖って要領良さそうだよなぁ・・・・・・
7. 2 気の所為 ■2009/06/01 20:30:19
魔理沙がどうして嘘をついたのかがよく分かりませんでした。
早苗さんはそれでいい。
8. 7 らしう ■2009/06/03 14:21:32
原作の霊夢らしさがでていて、よかったです。
そんな、レームはだいすきですwwwww   ツンデレだからwwww
9. 6 佐藤厚志 ■2009/06/07 03:53:20
なんて瑞々しいストーリーなんだろう、と思いました。
まるで獲れたてのスズキのように、キャラクタの表情が豊かで、新鮮な描写でありました。
10. 6 有文 ■2009/06/08 01:16:00
なんかもやもやはする感じですか、悪い感じじゃないんですが。なんとももやもやさせていただきました。
11. 7 読人 ■2009/06/10 08:04:27
早苗と霊夢の微妙な距離間が何ともいえず絶妙でした。
たんたんとした進みで、それが良い雰囲気を出していたと思います。
12. 4 ふじむらりゅう ■2009/06/11 23:32:44
 早苗さんの気持ちは、わからんでもないです。
13. 5 上泉 涼 ■2009/06/12 02:08:05
眼鏡の仕掛けが読めてしまうのは仕方がないでしょうね。
何となく、早苗さん以上に、霊夢の世界に良い色がついて欲しいなぁと思いました。
14. 5 八重結界 ■2009/06/12 17:13:18
霊夢の見ている世界というのも気になりますが、きっと聞いても分からないものなんでしょう。
この早苗には幸せになって欲しいと思いました。
15. 7 どうたく ■2009/06/12 18:49:04
良い所
 人の心を知るのは怖いけど、知りたい。
 そんな人間なら誰もが感じる感情を、私たちの立場に一番近い早苗(この早苗は可愛かったw)で表現したことはかなり効果的でした。
 また、霊夢がかなりかっこよかったです。けれど、その霊夢もやっぱり人の子なんだなぁ、と感じさせてくれるオチがかなり良かったと思いました
 文章については。三人称から、一人称に。また一人称から三人称に変えていくのが上手で、臨場感溢れる作品になっていたと思います。

 改善点
 綺麗でまとまっていた文章で、長さもこの内容ならちょうど良いと思います。
 一つ言うなら早苗の心情描写。たとえば「心臓が縮まるのを、早苗は感じた」ではストレートすぎるので、「霊夢の視線は早苗にとってはまるで、冷たい矢のようであった。その矢は早苗の胸にぐさりと刺さり、彼女の心臓を瞬く間に凍らせていく。霊夢さん……やめて……。そんな目で私を見ないで……。心臓が縮まるような感触を早苗は感じた」といった感じで(いまいちな例なんですが……)描写を伸ばしていくと、更に臨場感が出ると思います。
16. 6 moki ■2009/06/12 19:08:26
SF(すこし・ふしぎ)ですね。捻りのない正直なストーリーを丁寧に描かれててよかったです。
17. 7 ぴぃ ■2009/06/12 19:13:10
この独特な空気って……やっぱり……。
それはともかく、よくある話かと思いきや、終盤はなかなか興味深いテーマに切り込んでいて、ほうと唸るものがありました。
でも、何で魔理沙は嘘をついたんでしょうか。意地悪だからでしょうか。
18. 9 実里川果実 ■2009/06/12 21:24:29
 気の持ち様、ですね。早苗さんと同じようにビクつきながら読んでしまいました。
 終盤にホッとすると同時に、静かな暖かさを感じました。とてもいい雰囲気のお話でした。
19. 2 木村圭 ■2009/06/12 21:33:55
魔理沙が青く見えたら何と説明するつもりだったんだろう。嘘情報をそのまま伝えるようとすると、それはつまり……。
20. 1 ハバネロ ■2009/06/12 22:41:03
言わなければ伝わらない
21. 3 時計屋 ■2009/06/12 22:45:11
 物語は簡潔ですが、一つのテーマに沿ってすっきりと纏めてあると思います。
 ただ、冒頭から始まる早苗の挙動不審や劣等感などがいったいどこから来ているものなのか、唐突で共感しづらいものがありました。
 また色眼鏡というガジェットも、それを持ち出した魔理沙の意図が今一つ分からず、釈然としないものが残ります。
 文章、構成ともにまだ垢抜けない印象でした。
22. 5 つくし ■2009/06/12 23:02:45
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
23. 4 リコーダー ■2009/06/12 23:25:34
ちょっといまいちキャラが好きになれなかった感がが
24. 6 渦巻 ■2009/06/12 23:28:01
早苗というキャラのためのお話でした
大体こんな感じという予想から突き抜けることもなく、すっぽり収まってしまった気がしてしまいました
25. 6 K.M ■2009/06/12 23:34:19
早苗さん頑張れ。
26. 5 つくね ■2009/06/12 23:53:37
色めがねという題材で早苗さんの心理を上手く表せていたと思いました。
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