巫女が愛した幻想郷

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 23:20:26 更新日時: 2009/06/21 09:50:17 評価: 25/27 POINT: 161 Rate: 1.43
春を過ぎた幻想郷は、昼夜を通して曇天の厚く薄暗い雲に覆われていた。







かろうじて残った桜の花びらが彩る桃色も、山々に芽吹きだした新緑もこの空の下では濁ったように色彩の鮮やかさを失っている。
それに影響されてか風の流れは淀み、空を往く鳥たちの姿も心なしか少ない。
雨が降るのかと思いきや雲は雫の一滴たりとも落とすことはなかった。



しばらくの間は誰もそんなことを気にしなかった。



一週間を過ぎるころにはまず人間たちが洗濯物が乾かないと笑い話の種にして、

二週間を過ぎるころには太陽や月の恩恵を得ることができない妖精たちが不満を募らせ、

三週間を過ぎるころにはほとんどのものがおかしな天気に首を傾げ、

四週間を過ぎるころには人妖全てが誰かが異変を起こしていると確信した。



しかし肝心の現象としては雲が晴れないだけ。
いつかの天人が気質を弄った異常気象とも違い、場所によって天気が変わることもなければ局所地震も起きない。


そこまで考えるに至ってからは人々や力の弱い妖精、妖怪はある種の平静を保つことができた。


例えどんな妖怪が異変を起こしたのであろうと幻想郷には博麗の巫女がいる。
力の強い妖怪が気が向いたかのように異変解決に乗り出すこともあるだろう。


誰が異変を起こしたのか分からないが、またどこかで弾幕ごっこが繰り広げられ、そしていつの間にかこの厚雲も消え去り、
それからこの出来事が忘れ去られようとしたときに鴉天狗が時期遅れの異変を記事にした号外をバラ撒くことだろう。


巫女はまだ動きを見せないが、彼女風に言わせれば『勘が働かない』のだろう。
それでも人々は楽観視していたのだった。

もっと具体的な異変が起これば巫女でなくとも誰かが動き出す。
そうなればお天道様も姿を現してくれるようになるはずだ。





異変が起きては誰かが解決する。幻想郷はそんなことを繰り返しながら月日を重ねていくのだ。


今日という日までそうであったように。


これからもずっと。







そんな安穏とした日々の中。


人里の人間が喰われたという報が式神を通して、八雲紫の元に届けられた。









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空は相変わらずの曇天模様で、かれこれひと月もの間幻想郷の空はあの不気味な雲に覆われたままだ。
むしろ当時よりも若干暗さを増しているようにも思える。

そんな空の下、人里に住む半人半獣の女性、上白沢慧音は博麗神社を訪れていた。


神社には基本的に人が参拝に訪れることはなく、いつ来ても巫女一人かここに集まる物好きな妖怪の姿しか見ることができない。
それもそのはずで博麗神社は人里から離れた場所にあり、さらに幻想郷と外の世界を隔てる境界の上にある。
そのため参拝に来るにしても途中の妖怪が出現する可能性もある道を通る必要もあるので大抵の人間がここを訪れることはできないのだ。

それが今日に限っては神社の管理者であるはずの巫女の姿すら発見できなかった。

齢10と少しにしてこの幻想郷と外界を隔離する博麗大結界の管理者であり守護者でもある少女。
慧音は人里を恐怖に陥れている人喰妖怪について幻想郷の異変解決の専門家である彼女に相談に来たのだが、
まさか当人がいないとは思わなかった。

ひょっとしたら既に異変解決に向かって動き出したのかもしれないが、人里の平和を預かる身としては楽観したくはない。

ここに来るまでの道中、空から見下ろした限りでは人の姿はほとんど見かけなかった。
長らく平穏が続いていたさなかに命を脅かす妖怪が現れたのだ。
外出を控えるのも当然だし、慧音としても自分の周りに住むものたちにそう忠告している。


人々の姿とは別にいつもなら森や湖の近くなら頻繁に見かける妖精の姿もなかった。

妖精は自然の象徴、化身でもある。
妖精たちにとってこの長く続く曇天はさぞ居心地が悪いことだろう。
何せ自分の活力となる太陽や月といった自然の力を直接感じることができないのだから。


どちらにせよ早く人喰妖怪をなんとかしたいものだが、慧音としては人里から長期に渡って離れたくない。
なのでこうして博麗神社を訪れたはいいが出鼻をくじかれた形になってしまい途方にくれる。

戻ってくるまで待とうかとも思ったが、生憎、普段の彼女が何をしているのかなど慧音には分からないため何時戻ってくるのか想像できない。

「どうしたものだろうか……」

「お困りかしら?」

「うわっ!?」

境内を歩きながら一人呟いたはずの言葉に返事を返され、慧音は驚き身を竦ませた。
振り返るとそこには何もない空間に歪な裂け目が開き、中から日傘を差し、慧音と初めて出会ったときと同じような和装を身にまとった
金髪の女性が上半身だけを覗かせ微笑を浮かべていた。

何も知らない人間が彼女を見ればさぞかし不気味な光景に映っただろう。

「スキマ妖怪、八雲紫?」

「お久しぶりね。いつかの永夜以来かしら?」

女性は日傘を持っていない方の指で空間の裂け目を割り開くような仕草でスキマを広げてから姿全体を現し、博麗神社の境内に降り立つと共に
彼女の後ろにあったスキマは音もなく閉じて消えた。

幻想郷最古にして一人一種族の妖怪、八雲紫。
その能力『境界を操る程度の能力』は物質的な境界だけでなく概念世界にまで影響を及ぼせるという、神に等しき力を持つ。

こうして不意に人前に姿を現すことがあるはずなのにいつの時代も彼女について詳しく知るものはいない。
稗田の家に伝わる幻想郷縁起の初版からその存在らしきものが確認されているらしいが。
歴史を食べる程度の能力を持つ慧音の力も彼女だけには及ばない。

「いつの話をしているんだ。それにお前とは永夜の日だけではなく、極々たまにではあるが顔を見る機会はあっただろう」

「そうだったかしら」

胡散臭い、という表現が良く似合う妖怪だと慧音は思う。
誰にもその心の内を知ることができない紫を稗田阿求は妖怪の賢者と形容していたが。

「そうだ、博麗の巫女がいないのだが、彼女がどこへ行ったか知らないだろうか?」

「何故、私にそれを聞くの?」

「幻想郷の守護者という意味ではお前と巫女の繋がりは薄くはないだろう」

確かにそうかもね、と紫は呟いた。
その表情がどこか物憂げな様子に思えたのは錯覚だろうか?

「それを尋ねるということは、人里の話に繋がるのかしら」

紫の言葉に慧音は神妙に頷いた。


今の幻想郷には人妖間での不文律がある。

妖怪はむやみに人間を喰ってはならない。


幻想郷ではない外の世界で妖怪は勢力を維持できない。
狭い幻想郷では単純に考えると間違いなく妖怪が食物連鎖の頂点にくるだろう。
だからと言って人が捕食されるだけでは幻想郷は成り立たない、外界との境界である大結界を管理するのは博麗の巫女、つまり人なのだ。

「今回の異変を起こした妖怪、恐らくは力が強くまだ誕生して間もない妖怪だろう。単体か複数なのかはまだ分からないが。
 とにかくこいつらは幻想郷の決まりごとを破った。ならばしかるべき者が対処せねばならない」

「そうね、その通りだわ。でもね」


境内から博麗神社に視線を向けると妖怪側の幻想郷の守護者であるはず彼女は一言、告げた。



「この異変。博麗の巫女は動かないわ」



********



どういうことだ、説明しろと憤る慧音を半ば無視する形で紫は何もない空間にスキマを開き、空間を飛び越えて自分の屋敷に戻ってきた。

いつもならふらりと戻った主を迎えるため紫の式神、八雲藍が現れるはずだが今日はその様子もない。
今頃は紫の命を受けて人里や幻想郷内を見て回り今回の異変についての情報を集めているはずだ。

元々人里で人喰妖怪が出たという話を藍から聞いた紫はすぐに詳細の調査を命じた。
慧音には何も言わなかったが、紫とて幻想郷のバランスを崩しかねない輩を野放しにしておく気はない。

異変自体が起きることは珍しくはない。
ただ今回のような人妖間の決まりごとを無視した異変はスペルカードルールが制定されてからはなかった。

相手は単体か複数か、いずれにせよ藍の報告を待って判断すべきだと考えていた。


「……?」

と、自分の式神のことを考えてから紫はおかしなことに気づいた。

自分と式神である藍の間には妖力の繋がりがあるのだが、これが妙にざわついている。
繋がりが切れそうになっているという訳ではない、藍から流れ込む妖力に不安定な揺れがあるように思えたのだ。
ひょっとしたら藍に何かあったのかもしれない。

不審に感じた紫は現在地と藍のいる場所の結びつけるようにスキマを開き、中に身を滑り込ませた。




「橙っ! しっかりしろ!」


空間を跳躍するようにして辿り着いた先でまず目に映ったのは鮮やかな金色の毛を携えた九つの尻尾。
次に目についたのが紫の式神である藍色の導師服を着た九尾の妖怪、八雲藍が彼女の式神である赤い服とスカートを着た小さな少女を抱きかかえている姿。

赤い服の少女は橙。二股の尻尾を持った黒猫の妖怪で紫から見た場合『式の式』となる。


橙はその服を本来の赤色とは別に己の血でどす黒い赤に染めていた。
肌は鋭利な何かで切りつけられたように引き裂かれ、今もなおその血で服と地面を染め続けている。

「藍」

呼びかけるとそこでようやく藍は振り返り紫の姿を認めた。
自分の式神が何者かに傷つけられたことによる動揺が瞳に現れており、それが藍とのつながりにざわめきがあった理由だと悟った。

「紫様! 橙が!?」

「落ち着きなさい。何があったの?」

「……人里の事件を調べていた際、橙との妖力の繋がりに大きな乱れを感じたのです。駆けつけてみると何者かに襲われた橙を見つけて……」

つまり自分が藍との間に感じた違和感と同じものを感じたのだろう。

「橙は大丈夫、見た目ほどひどい状態ではないわ」

言葉の通り橙はひどい傷を負っているもののある程度意識ははっきりしていた。
その証拠に歩み寄った紫へとゆっくりと視線を向けてくる。

「紫さ、ま……。見慣れない妖怪たちが……」

妖怪たち。

橙の言葉に紫は彼女を襲ったものが複数であることを知る。
しかしこれが人里の人喰妖怪と関わっているのかは現在ではまだ分からない。

人喰妖怪が同じく妖怪である橙を襲う必要があったのだろうか?

「藍、ここは私に任せて貴方は橙を襲ったものを追いなさい」

「で、ですが……」

藍に変わって橙を抱えて言うと僅かに彼女は逡巡し、紫と橙を交互に見やった。
いつもの頼れる式神の姿もさすがにこんな様子では霞んでしまう、もっともそれは無理もないことだけど。

「任せなさいと言ったの。すぐにマヨイガの家に行って治療するから。橙、貴方を襲った妖怪たちはどこへ向かった?」


尋ねながら紫は周囲を見渡し、現在の位置を把握する。

どうやらここは人里に繋がる小さな川のそばのようだ。近くには人里の他に魔法の森がある。
犯人が人喰妖怪だったとして、人里に向かわれているとやっかいかもしれない。


橙は視線を宙に向けると少しだけ記憶を辿るようにして、

「迷いの、竹林の方へ……」

と呟くように告げた。

それは人里から離れた場所にある竹林だ。

橙を打ち倒すような目立つ行動をとったため人里から真逆の方向、離れた場所に身を隠すつもりだったか。
少なくともある程度頭が回るやつがいるかもしれない。


「聞いたわね、藍。とりあえず状況を把握するだけで構わないわ。本当に竹林に逃げたのならあそこなら月人や蓬莱人もいるし」

落ち着かせるように目を見ながらゆっくりと言うと藍も平静を取り戻してきたのかうろたえることなく首肯する。

「じゃあ私はマヨイガにいるから、早めに帰ってきなさい」

言うなり藍は迷いの竹林目掛け飛んでいった。
藍ほどになるとその辺りの妖怪相手に遅れをとることもないだろうが、式神をやられたことで暴走さえしないかが気がかりではある。


紫は服に血が付くもの構わず傷ついた橙を両腕で抱き上げるとやってきたときと同じようにスキマを開き空間を越えた。




マヨイガに降り立つとすぐさま応急処置を行う。
傷口を洗い流し、消毒を行った上で包帯を巻きつけていく。

「……紫さま、すみません」

「貴方は気にしなくていいの。しっかり治さないと藍が心労で倒れるわよ」

紫の言葉に小さく笑ってから橙は目を瞑る。
そっと頭をなでてやると、しばらくしてから寝息をたて始めた。

間接的にとはいえ紫の式神である橙も妖力自体は決して弱くはない。
この程度の傷なら2週間もすれば元通りになるだろう。

迷いの竹林にある永遠亭の薬師、月人の八意永琳に診てもらえばより早く正確に治療できるだろうが永夜異変以降、
永遠亭が世間に知られるようになってからは人妖問わず彼女の元を訪れるものが多くなり、彼女もすっかり多忙な毎日を送っているとどこかで聞いた。
弟子の月兎も薬師としての力をつけてきたとはいえ、できる限りは手を煩わせないほうがいい。


橙を襲った妖怪は迷いの竹林の方へ向かったと言っていたが、仮に永遠亭に辿りついたとしても返り討ちに合うだけだろう。
永琳を初めとして、それほどの実力者があそこにはそろっているのだから。




それから半刻ほどたったころに藍は戻ってきた。
その顔に微かな、しかし隠しきれない戸惑いを浮かべて。


「あの後、橙を襲った妖怪たちを発見、追跡を行いました」


紫の言葉通り、あくまで状況を判断するだけに留めたのだろう。
彼女の服装などに戦闘の様子は見られない。

紫は報告を聞きながらそんなことを考えていた。


「妖怪たちは迷いの竹林にある永遠亭に到着、好き勝手に暴れる妖怪たちと永遠亭の兎たちとの交戦が行われようとしたとき、
 リーダー格同士の一騎打ちにより事態の沈静を図ろうと永遠亭側の鈴仙・優曇華院・イナバが働きかけました」


このときの会話から、人里の人間や橙を襲ったのが永遠亭を襲撃した20〜30匹に及ぶ妖怪たちの仕業であると判明しました、と説明を加える。


「妖怪どものリーダーとして出てきたのはここ数十年の間に誕生したと思われる妖怪でした。このことから妖怪たちのほとんどが生まれて
 まだ間もない妖怪たちだと推測できます」


その程度の妖怪が何十匹と群れたところで永遠亭をどうにかできるわけがない。
紫はそう思っていた。


「結果からご報告を。……永遠亭は防衛するのが精一杯のようで、襲撃してきた人喰妖怪たちを退治するには至りませんでした」

だから藍のその言葉に、紫は耳を疑った。

「最初は鈴仙・優曇華院・イナバが。その後には八意永琳まで出てきましたが、決定打を与えることが出来ないまま妖怪どもは
 力を見せつけるだけ見せつけた上で去って行きました」


おかしい。

紫も永遠亭のものたちと一戦交えてたことがあるが、かつて幻想郷に異変を起こし、大きな力を示した月兎や月人たちが防戦一方?


人里の人間を襲い、たまたま出会ったはずの橙を攻撃し永遠亭にまで襲撃を掛けるなど好きに暴れまわっている妖怪たちは
それほどまでの力を持っているというのか?



「客観的に見ると、永遠亭側の敗北と見ることができます」



俄かには、信じられなかった。
そんな事態が現実に起こっている。





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迷いの竹林。


人里から離れた場所にあり、なだらかな傾斜の影響で斜に生える成長速度の早い竹や目印らしきものがない竹林は人を大いに迷わせる。
そんな迷いの竹林と呼ばれている場所の奥にひっそりと、しかしどこか厳かに佇む姿を見せるのが永遠亭だ。

妖怪に溢れる幻想郷のなか、ここには地上の妖怪兎を主に、それらを束ねる存在として月兎や月人が住まう。


普段ならここを訪れるには空を飛ぶか案内役に護衛を依頼するなど対策を行う必要があるのだが
、紫はそんなことはお構いなく空間を超越することができる。

この日もいつものようにスキマを開くと永遠亭の門前に現れる。
いきなり屋敷の中に現れなかっただけでも常識的な行動と言えるだろう。

それでも突如として宙空から現れた紫にその場にいた妖怪兎は驚き、声を失っていた。


「こんにちは。薬師に会いに来たのだけど、取り次ぎをお願いできるかしら?」

兎はこくこくと首を縦に振り、慌てるようにして屋敷に駆け込んでいった。


待つ時間に改めて屋敷の外観に視線を移す。

周囲を背の高い竹に囲まれ、緑に包まれるようにして建てられた永遠亭は空模様に関係なく大昔の日本の屋敷といった風情を維持している。
しかし昨日、人喰妖怪に襲撃された影響か壁のところどころに傷があり、兎たちが集まってその修復に追われている。


そんな中で一匹妖怪兎が周りに指示を出しているが、その兎自身は自分で動こうとはしていなかった。
永夜異変のときにも見た兎だった、確か名前は因幡……。


「こらー! てゐもちゃんと働きなさい!」

注目していた兎に掛けられた声に視線を戻すとそこに立っていたのは紺色のブレザーを着た周りの兎たちとは少し違った兎耳を持つ、
薄い紫を混ぜたような銀色の長い髪が特長的な少女だった。

「お待たせしました。師匠がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」

少女、月兎の妖怪である鈴仙・優曇華院・イナバは突然の客を相手にも臆することなく対応する。
腕や頭に軽く包帯を巻きつけていることからこの娘も昨日の戦闘で傷をおったのだろう。
屋敷の中を案内されながらその後姿に尋ねる。


「昨日は新参者の妖怪相手に大変だったようね?」

「……そうですね、突然のことだったとは言え不覚をとってしまいました。師匠の手を煩わせてしまいましたし」

下手をすれば相手の気を逆撫でしかねない紫の言葉にも鈴仙は案内する足を止めないまま、気落ちしたように返事を返した。
言葉通り襲撃者たちを止め切れなかったことを恥じているのかもしれない。

紫は思ったことをそのままに質問を重ねる。

「貴方ほどの実力なら、藍に聞いた程度の相手なら軽くあしらえたのではないかしら」

自分の実力を高く評価されたはずの鈴仙は首を振って答えた。

「いえ、正直気がつけば押されている感じでした。私はいつも通りに戦ったはずでしたが」

「そう。貴方はいつも通りに戦ったのね」

鈴仙は頷く。

「はい、私のスペルカードも全然通用しませんでしたし。相手の弾幕を霊撃で消そうとしても何故か上手くいかなくて……。っと、こちらです」

通されたのは屋敷の奥に用意された一室だった。
中の様子から周りの部屋とはまったく違う用途に使われていることが一見して分かる。

「師匠、お通ししました」

「ご苦労様、ウドンゲ。貴方は屋敷の修復を手伝ってきて。そろそろてゐがサボってる頃だろうから」

様々な薬品が置かれた部屋の中央で紫を迎えたのは八意永琳。
永遠亭の実質的なまとめ役である天才薬師だ。

妖怪襲撃の際にも戦線にでてきたはずだが鈴仙と違って負傷している様子はない。

永琳の言葉に鈴仙は失礼しますと紫に会釈して出て行く。
部屋には紫と永琳だけが取り残される。

「いらっしゃい。貴方がここを訪れるとは思わなかったわ。今日は何の用かしら?」

机の椅子に腰かけながら紫を見る視線には穏やかな笑みを見せながらも僅かながら警戒心が表れている。
普段接点のない紫が突然訪ねてきたのだから当然と言えば当然だが。

「昨日、私のところの式の式が怪我を負ってしまったの。傷に効く薬を処方して貰おうかと思って」

「あら、そっちも大変ね。妖怪用の薬でいいのよね」

机の上にある薬品をふたつ、みっつ手に取ると手早く混ぜ合わせていく手際はさすが人気の薬師といったところだろうか。
その姿に紫は素直に賛辞を送る。

「お見事な仕事ぶりね」

「どうも。……薬を用意するのは構わないのだけど、本来の用事のほうはいいのかしら?」

そして天才と言われるだけあって話も早い。
永琳は紫が訪れた理由を把握しているようだった。
紫はにこやかな笑みを浮かべたまま本題に入る。

「昨日のことについてお話を聞かせてもらおうかと思って」

「そんなことだと思ったわ。こっちとしてもその件で聞きたいこともあるし」

はいこれと袋を手渡される。
中をのぞくと塗り薬のようなものが入れられていた、もう調合を終えてしまったのか。

「昨日の輩はどういうことかしら。あれは人里を襲った妖怪でしょう?
 こっちを襲ったように人外同士で喧嘩するのは仕方ないけど、人間に影響があるのならそれをどうにかするのは貴方や博麗の仕事でしょうに。
 人里の人間たちは家に籠りっぱなしで薬売りもさっぱりなんだけど」

「それをどうにかしようかと思って話を聞きに来たの。貴方たちがそう簡単にやられただなんて信じられなくてね」

「別にやられた訳じゃないけど、守るので手一杯になったのは事実ね」

憮然とした表情の永琳。やられたと言われたことが面白くないらしい。

「奴らは幻想郷のルールを破って人里の人間を喰ったそうね。そんな奴らがまともな戦い方をするわけがないわ。
 正直、今のままだと何度やっても昨日と同じ結果になってしまうでしょうね、負けることはないでしょうけど」

「おかしなことをいうのね。負けはしないのに勝てないのかしら」

「そうよ。でも鈴仙あたりはなんで勝てないのか分かっていないかもしれないわね」

「ふぅん、だいたい事情は飲み込めたわ」

「なら早くあの妖怪たちをどうにかしてもらえるかしら」

話は終わりとばかりに机に向き直り、薬品の調合に戻る。
紫としてもこれ以上ここにいる必要は感じなかった。

「まぁ、てきとうにね。じゃあ私はこれでお暇するわ。お薬、ありがとう」

「見送りが必要かしら、鈴仙を呼ぶわ」

「いいえ、結構よ」

目を離したのは僅かな時間。永琳が振り返ったときには既に紫の姿はなく、床に開いていたスキマが閉じる瞬間だけが確認できた。

「……相変わらず、神出鬼没ね」

自分以外の誰もいなくなった部屋を眺めてから、永琳は薬の調合に戻った。






「紫さま」

「紫様、おかえりなさいませ」


永遠亭からマヨイガに戻った紫は永琳に貰った薬を持って橙の元に訪れた。
ふすまを開けて部屋に入ると丁度そこに藍もいた。
橙の傷を見ていたようだ。

「丁度よかったわ。はい、これ。橙の手当てに使ってあげなさい」

藍に薬を渡すと二人揃って薬の匂いに顔をしかめる。
妖獣の鼻は人より遥かに優れているのだ。

薬だと割り切りさっそく塗り薬の蓋を開ける藍に対してじりじりと後ずさろうとする橙だったが藍に睨まれて大人しく薬を受け入れる。

「藍、そのままでいいから聞きなさい」

「なんでしょうか? 人喰妖怪の調査ならすぐに取り掛かれます。必要とあらば私だけでも異変を解決できますが」

「調査は継続してちょうだい。でも、奴らに手を出さないで」

紫の言葉に驚いて振り返る藍。
治療していた手が滑り傷を刺激したのか、橙が悲痛な鳴き声をあげた。

「……どういうことでしょうか? 人喰どもが幻想郷で暴れまわるのを見逃せと仰るのですか?」

困惑を浮かべる藍に紫は無表情のままに告げる。
普段は紫に代わって結界の管理を行うこともある藍は使命感もある。

ルールに従わない者たちを野放しにするのは納得がいかないはずだ。

「あぁ、人間が襲われるのはさすがにまずいわね。人間が喰われそうになったときだけ止めに入って。でも倒してはだめよ」

「紫様、説明してください。あのような輩を放置しておいていいわけが……!」

「藍」

主に名前を呼ばれる。
それだけの行為で藍は言葉を失ってしまった。

それでも何も言えないながらも紫を注視する姿は妖怪を無視しろという主の真意を読み取れないが故だろう。

「今はしばらく、様子を見るだけにしなさい。あの手の妖怪どもは永遠亭を襲撃に気分を良くして他の力を持った妖怪たちに挑み力を
 誇示しようとするはず。上手くいけばそのうち自滅してくれるかもね」

「……そんな、受身の姿勢で」

「言いたいことは分かるわ。でもね、しばらくは成り行きを見守りたいの」

気ままに行動しているかのように見える紫が実は誰より思慮深いことを藍は知っている。
そんな紫がここまで言うからには何らかの理由があるのだと、納得はいかないながらも考えることはできた。

「分かり、ました」

「ありがとう」


従者が主に従うのは当然のことだ。

しかし紫は藍に礼を告げた。


藍にはやはり、紫の真意を読み取ることができなかった。





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それからも人喰妖怪たちは幻想郷各地で暴れ回った。

人間を喰うことが目的ではなく好き勝手したかっただけなのか、目に映ったものに戦いを挑むようにして様々な騒ぎを起こしていった。
紫の言った通り力を誇示するかのように妖怪たちを相手にしていったのだ。

ある日は事実を報道しようとして駆けつけた烏天狗に戦闘を仕掛け、偶然立ち入ることになった妖怪の山では哨戒部隊の天狗や河童たちを相手にし、どこから知ったのか地底の洞穴までやってきてそこの妖怪たちと一戦を交えたりもした。

人喰妖怪たちはそれらの戦い全てで勝ちを重ねていった。

藍は紫の言いつけ通り、一部始終を観察し続けていたが、そのうち奇妙なことに気付く。
襲われた妖怪たちは防戦を強いられ傷を負うことはあるものの、一方的に打ち負かされることはなかったのだ。

もちろん、力の弱い妖怪や妖精などが戦闘に巻き込まれた時は倒されてしまうこともあったが、ほとんどそれぞれが自慢のスペルを使用し、
奮える力を最大限に用いて戦いに挑む。
その結果、決定打を見いだせないまま戦闘は進み、結果負けに等しいような形で終局を迎える。

そんな戦いが続いたのだ。


人里を襲った妖怪たちが大きな力を持っていることは確かだろうが、それにしても傍から見ると首を傾げてしまうような、
一種の寸劇のように見えたのだった。


「なるほど、各地の妖怪たちの連敗続きというわけね」

仔細の報告を聞いた紫は言葉とは裏腹に事態を重く見ている節はなかった。
そんな姿に藍はまるで全てが彼女の予想通りであるかのような印象を受けた。

「紫様、これは一体……」

「なんてことはないわ。幻想郷の妖怪たちは思ったよりも感傷深い連中だったというところかしら」

戸惑う藍に紫は明確な答えを与えない。
まだ、この異変に対する答えを出すには少しばかり早い。


そう、これは当初は曇天続く奇妙な天候に人喰妖怪が現れるという異変だったが、この局面において様相が変わりだしている。

永遠亭、妖怪の山、地底といった力のある名の知れた妖怪たち。

それらが誕生して数十年程度の新参者の妖怪たちに何故か後塵を拝する。
そして好戦的なものたちもいるというのに揃って防戦に回る。

普通で考えられないことを異変と呼ぶのならこの現象も間違いなく異変と呼べるだろう。



「妖怪たちが次に襲撃する場所の予想はついてるかしら」

紫の質問に藍は妖怪たちの話を盗み聞いた話を思い出した。

存分に力を見せつけてきた人喰をした妖怪たちは勢いづいていた。
そんな奴らが次に狙うのはさらなる力を持つ妖怪。

その次の目標となった彼女ならこの暴走する妖怪たちを止めることができるのではないかと期待を抱かせる。



「次の奴らの目標は、霧の湖の畔。紅魔館です」




********



黄昏時を過ぎた霧の湖の畔。
そこに紅い洋館がそびえたっている。

館の名を紅魔館といい、そこは吸血鬼が住まう悪魔の館として人々から恐れられていた。

吸血鬼だけではなく、ここには魔女を始めとした力の強い妖怪が集まる場所でもある。


その紅魔館を、人喰妖怪たちはここ数日で手慣れたように宣戦布告もなしに襲撃した。

今は紅魔館の妖精メイドたちと人里を襲った妖怪たちが交戦を始めている。
妖怪たちのほとんどはまだ生まれてそれほどの時を経ていないものたちだが、今日までの数々の戦いの中で場数を踏み勢いづいている。
妖精メイドの数は多いがそのほとんどが戦えるような力は持っていない。多くの妖精が何もできないままに引き裂かれ、地に堕ちていく。

そんな様子を戦域から少し離れたところから眺める姿があった。

曇天に紛れるかのような濃灰色の服を身に着け、緑色の輝きが混じるような黒髪をした女の妖怪。
黙って微笑めば妖艶ささえ感じさせるその顔は今、愉悦に歪んでいる。

彼女こそ、幻想郷の若い妖怪たちを集め、人里を襲い、各地の妖怪たちに攻撃をしかけることを扇動した妖怪だった。


「いい景色」


女妖怪は戦いの様子、正確には自分の手下とも言えるよう妖怪たちが相手戦力をなぎ払っていく姿に心躍らせていた。


女妖怪を含む生まれて間もない妖怪たちは幻想郷で生を受けた。
生まれたときからずっと幻想郷の約束事である「人を喰ってはならない」という制約を背負わされていたのだ。

そんな妖怪の本質を覆す決まり事を守って暮らすことに疑問を抱いていた。
だから人里を襲った。

それから月人たちが住まう屋敷を襲撃したことを他の妖怪たちが知り、自分たちが恐れられるようになったことが心地よくなった。
弱者を虐げ、敵対するものを戦いにて圧倒することに快感を覚えた。

戦いの中で一団は確実に力を増し、そして今彼女たちは幻想郷のなかでも間違いなく最上位に位置する吸血鬼住まう紅魔館に
狙いを定めたのだった。

そして現在、戦況は明らかにこちらが優勢。

しばらくすると紅魔館側の実力者が出てくるだろう、永遠亭もそうだったように配下のものがやられてから決まって上のものが出てくるのだ。
そうなったときに自分が出ればいい。


と、そんなことを考えていると妖精メイド以外の誰かがこちらに向かってくるのが視界に入る。
それは緑の帽子と服を着た赤い髪の女で、彼女は女妖怪だけを目指して一直線に飛んできた。

妨害に入ろうとする配下の妖怪たちの攻撃を軽やかにかわしつつ、彼女は間もなく女妖怪の前に辿りついた。

「貴方が、この一団の首領でしょうか?」

少女が発した声は凛とした、聞くだけ彼女が真っ直ぐな性格をしていると想像させる声だった。

「そうよ。そういうそちらは紅魔館の主、ではなさそうね。私のお相手? 吸血鬼はまだ出てこないのかしら」

対する女妖怪のそれは不敵な口調で聞くものの警戒心と敵愾心を問答無用で煽り立てる、そんな類の声だった。

「私は紅美鈴。紅魔館の門番をしています」

美鈴は女妖怪を睨みつけたまま丁寧な口調で話しかける。
その眼には突然の襲撃への怒りが見て取れるが自分の間合いは保ったまま、不用意に近づくこともしない。

「本来なら貴方のような輩は私がお相手するのですが、これまでの幻想郷内での騒動はこちらも知っています。
 ですので手っ取り早くお嬢様自ら貴方の相手をなさるそうです」

「話が早くて助かるわ。で、そのお嬢様はどこに……」

女妖怪は言葉を切り、その身を鋭く翻した。
一瞬前まで体があった場所を紅く鋭い槍が残像を残して突き抜けていく。

傷一つ負うことなく回避しきった女妖怪は槍が放たれた方向に目をやる。

いつの間にか宙空に小柄な少女が現れていた。
その手元には一枚のカードが浮かんでいる。
幼いその姿から放たれる存在感が対峙するものに紅の色を想像させた。
帽子やドレスに飾り付けられるように添えられた赤いリボンを除いたとしてもなお強く意識させるような色は血の紅、それが女妖怪の抱いた印象だった。

少女の射抜くような冷たい視線をものともせず、女妖怪は喜色を浮かべ問いかける。

「紅魔館の主、吸血鬼レミリア・スカーレットね?」

レミリアは女妖怪の問いかけを黙殺する。

「お前が近頃暴れまわっているという妖怪だな。正体は、雷獣か。この曇天もお前の仕業ね」

雷獣。
雷雲の中を飛び回り、雷という強大な自然の意のままに操る幻獣。

空がまだ人々にとって全くの未知であった頃に悪天候などの脅威を操るものとして信じられていた存在だ。

鋭い観察力に女妖怪、雷獣はにやりと笑う。

「一目で正体を看破されるとはね。いいわ。さぁ、戦いましょう、紅魔。言っておくけどさっきみたいな温い攻撃だけじゃ私は倒せないわよ」

「口上はそれくらいにしなさい。私も暇じゃないの、さっさとかかってきなさい」

レミリアの言葉に雷獣の女妖怪は唇を噛み、レミリアを睨みつけた。
その姿を見てレミリアは自尊心を傷つけられるのが我慢できないタイプだと見切る。


「……叩きのめしてあげるわ、紅魔!」

怒りを隠しきれないままに、隠そうともせずに雷獣が叫ぶ。





雷獣が率いていた妖怪たちや紅魔館側の美鈴、妖精メイドたちが見守るなか、戦いはすぐに一方的なものになっていった。

最初こそ2、3枚ほどスペルカードを出し弾幕を放ったレミリアだったが相手の動きを見極めつつも、しだいに攻撃らしい攻撃をしなくなっていった。

幻想郷を覆っていた厚い雲は雷獣の周辺では雷雲へと変貌する。この曇天は雷獣が最大限に力を行使するためのものだった。
雷獣の女妖怪が繰り出す、曇天から地上へ降り注ぐ雷撃の嵐をひたすら避け続けていく。
レミリアはそのなかでどうしても避けきれない、通常の戦いではあり得ない密度の攻撃を自らの体にかすらせながら高速で
飛び回ることでなんとかやり過ごした。

レミリアのドレスにグレイズによるかすり傷が目立ち始めたとき、雷獣は失望の声をあげる。

「無様ね、吸血鬼」

その声や表情に含まれた感情は侮蔑。
結局レミリアも他の妖怪たちと同じだった。

「スペルカードルールなんて生ぬるい規約に縛られるが故に私のような者に遅れをとる。夜の王が聞いて呆れるわね」

雷獣のそんな台詞にレミリアは、

「……ふっ」

と、小さく声を漏らしたのだった。

突如漏れた笑い声に雷獣は眉をひそめた。
そんなことはお構いなしにレミリアは堪えきれないといった様子で笑う。

「くく、あはははっ……! なんだ分かってるじゃない。そうよ、これはそもそも勝負ですらないのよ」

「……負け惜しみかしら? 堕ちるとこまで堕ちたものね、紅魔」

「本当に救いようがないのね。いいわ、私の手で粛清してやる気だったけどその気も失せたわ。お前の『運命』はもうとっくに決まっている」

それだけ告げるとレミリアは蝙蝠の羽に似た翼を折りたたみ、紅魔館の門へと降りていく。

「逃げるの?」

「煩い。お前たちの勝ちでいいから失せなさい。もうこんな茶番を続ける気はないわ。美鈴、落ちた妖精たちは任せる」

背中に投げかけられた言葉や周りの妖怪の挑発を意にせず、レミリアはそのまま館に帰りついた。


「……興が削がれたわ。所詮、吸血鬼といえどその程度のものだったということね」

拍子抜けした雷獣の女妖怪は他の妖怪たちに向けて手を横に振り払った。
撤収の合図。


十分な戦果は得た。

レミリアの言葉は気になったものの、幻想郷のなかでも大きな勢力を持つ紅魔館を破ったことには満足できる。

「次は、そうね」


雷獣は紅魔館の端の方に目をやり、そこから漂う微かな妖気に向かって声を投げかける。

「お前の主に伝えなさい。次は貴方が標的よ、と」

「……っ」

ここに至るまで誰にも気づかれずに隠れていた藍は、存在を看過されたことに驚く。

それは少なからず藍が動揺していたからだろう。
まさかレミリアをもってしても奴らを退けることができないとは思っていなかった。

その心の隙から気配を察知されたのだ。

「幻想郷の守護者はどんな力を見せてくれるのかしらね? スキマとやらに引き篭もってなければいいけど」

「!!」

そんな言葉に藍は血が滴り落ちるほど強く拳を握り締めた。

これは主である紫に対する侮辱に他ならない。
狂おしいまでの怒りを覚え、しかし紫にはあくまで手を出すなと命じられている。

自分の中の感情を必死に押さえつけ、雷獣率いる妖怪たちが飛び去ってからようやく藍は握り締めていた拳を身を隠すための木に叩きつけたのだった。







「そう、吸血鬼まで」

紅魔館から戻ってきた藍はこれまでのように事の顛末を紫に報告した。

またしても紫の反応は薄かった。
やはりこの事態さえも予想していたかのようだった。

紫は藍に背を向けたまま、マヨイガの屋敷の縁側から曇った空を眺めている。
後姿からは紫が何を考えているか分からない。

「紫様。奴らは不遜にも次は紫様を狙うと言っていました」

主の背中に向かって藍は問いかける。

「ここまで来てなお、手を出すなと仰るのでしょうか……!」

藍の声は雷獣たちと別れたときから消えない怒りに震えていた。
紫が何を言おうと、例え命に背いたとしても妖怪たちを殲滅しようとさえ考えていた。

「そもそも何故、博麗の巫女は動かないのですか! これだけの異変なら、彼女ならとっくに動き出しているはずなのに!」

そんな藍の言葉には答えず、紫はその目を閉じる。

閉じた目の奥に何を見ていたのか、数分にも及んだ黙想を終えると目の前の空間にスキマを広げその中に身を躍らせた。
空間を渡ったのかと思ったが、紫はどこにも転移することなく再びその場に姿を現した。

「紫、様……?」

姿を消したのは一瞬。瞬きをする程度の間に紫の服装は着ていた和装から紫色が映える洋風のドレスに変わっていた。
ドレスの紫色に金髪が折り重なり、浮き出るように輝いて見える。

唐突に姿を変えた紫に藍は目を見開いて驚くだけだった。








妖怪の群れは一路、マヨイガに向けて飛翔していた。
暗く濁った曇天のなかをさらに黒い影の群れが這うように進んでいく。

その頂点を往く雷獣の女の顔には笑みが浮かんでいる。

永遠亭、妖怪の山、地底、紅魔館。

これらの勢力は噂よりも大したことのない連中ばかりだった。

今こうして姿を隠さずに空を飛んでいるのに対して他の妖怪どもは隠れ、やりすごそうとしているだけだ。
襲撃の結果は既にこうして現れている。

成り行きで居合わせた九尾に宣戦布告したが、冥界も残っている。
もちろんそちらにも手を出すつもりでいた。

「ふふっ、あはははは!」

こうやって誰もかもを退け、自分が幻想郷の頂点にたった姿を想像すると楽しくてたまらない。

「はははははは!!」

その後、思う存分に人間を喰らい、欲を満たすことを思うと身震いさえする。

自分たちには、自分にはそれを実現するだけの力があるのだと疑いもしなかった。


「……ん?」

ふと、進行方向に何者かの影が見え、笑い声を止める。
自分たちしかいなかったはずの曇天の下に他の誰かが存在するということにさえ雷獣の女は気分を害した。

しかし徐々に距離を縮めるにつれ不明瞭だった人影が確かな形を成し、それが誰なのかに気づくと不機嫌そうな顔は一転再び笑みの形をとった。

「まさかそちらの方から出向いてくれるとはね」

長い金髪を風に躍らせ、薄桃色の日傘をさしたその人物は迫り来る妖怪たちを静かに見据えたまま動こうとしない。
空間の裂け目に腰掛けるようにして中空に佇み、紫色のスカートからは組んだ状態の細長い足が見え隠れしている。

その姿は神々しささえ感じさせ、一つの芸術品のような空気を醸し出していた。

声が届く距離まで近づくと雷獣は手を振って一団に静止を命じた。
獰猛な集団を前にたった一人対峙する様子は傍から見れば絶望的な状況にも見えるだろう。


しかし、彼女は動じない。
妖怪たちを値踏みするように押し黙ったまま視線だけで集団を観察している。


暴走を続ける妖怪たちの前に、八雲紫が立ちはだかる。




「八雲紫だな」

現れた紫の姿に畏怖の念を感じかけていた下僕たちの怯えをなぎ払うかのように雷獣は声をあげた。

「幻想郷の守護者などと呼ばれているくせにこれまで出てこなかったものだからてっきり隠れているのかと思ったわ」

自信に満ち溢れた言葉に一瞬怖気づいた妖怪たちも威勢を取り戻していく。
一対多の状況に自ら躍り出た紫を露骨に罵るものさえいた。


「私が出るまでもない、そう思っていたのよ」


呟くような落ち着いた声だった。
それはその場にいる全員の耳に届く。


「貴方たちが幻想郷の妖怪たちに戦いを挑みだしたと聞いて、いずれ返り討ちに合うだろうと思っていたわ」

「その予想は見事に外れたわけね。侮りすぎたのではなくて?」

「えぇ、そうね。私もまだまだ見る目がないようだわ。もちろん……」

そこまで話してから紫はくすりと笑った。


「侮っていたのは貴方たちではなく、貴方たちが戦ってきた妖怪たちを、よ」


紫の言葉の意味を図り損ね、雷獣は唖然とした。
すぐに嘲笑が漏れ出す。

「ふ、ふふっ、何を言い出すかと思えば。あんな連中のどこに見直す要素があるというのだ? 期待外れだった、の間違いでしょう」

「とんだ道化ね。レミリア・スカーレットが本気をだせば貴方程度ならゼロコンマ以下の間に灰になっていたでしょうに。そうね……」

雷獣以外の妖怪たちに目を向け、それらの実力を推し量り、わざとらしく悩むような顔を見せてから指を二本立ててつ言い切る。

「全員まとめて、もって2秒かしら?」

「ふざけるな! あいつの攻撃は私には通じなかったし、私の攻撃も避けるだけ精一杯だった。それを見誤る私ではないっ!」

激昂する雷獣をよそに、紫は涼しい顔を崩さない。

「そうね。うちの藍も同じことを言っていたわ。貴方たちと戦った妖怪たち皆、そのときはそのときなりに本気で戦っていたでしょうね」

「言葉が矛盾しているぞ、馬鹿にしているのか?」

ふっ、と再び笑みを見せた紫に雷獣は天空の雲から雷の一撃を放つ。
音速を軽く凌駕する速度で落ちる雷撃を紫はスキマで空間を飛び越えることで回避し、狙われた位置とさほど変わらぬ位置に再度姿を現した。
かすり傷一つついていない。

「レミリア・スカーレットはね、とある巫女にご執心だったことがあるのよ」

自分の最大の一撃をいとも簡単に避けられたことに驚愕しつつ、突然の話の転換に雷獣は怪訝な表情を浮かべた。

「……何を言っている?」

「吸血鬼だけじゃないわ。冥界の者も、月人や兎も、鬼も、天狗も、八百万の神も、天人も、地底の妖怪も。
 みんながその子のことをそれなりに気に入っていたのよ」




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「紫様、その服は……」

「この服はお気に入りでよく着ていたけど、これを着て戦うのはあの子に出会ったとき以来ね」

持ち主の名前の色をしたドレスは幻想郷では見ることのできない、外の世界のものだ。
紫が好んで使う日傘も本来ならこの服に合わせて使用する。


「博麗神社の巫女にはこの異変では動かないように言付けてるの。というか、人喰発生時に今にも動き出しそうだったからスキマに軟禁してるわ」

「な、軟禁? 何故そのようなことを……」

「今代の博麗の巫女はまだ幼く、未熟よ。そんな人間が妖怪相手にまともな勝負はできないもの」

「ならば、わざわざ紫様が出向かれなくとも私が。奴らが幻想郷の掟を守らない以上私たち妖怪が手出しするのもおかしくはありません」

「藍、貴方は幻想郷のことだけを考えすぎよ」

「……どういう、ことでしょうか?」

「このまま貴方に行かせても異変は終わるでしょう。ただしそれは幻想郷の律に反する方法で」

「幻想郷の、律?」

「月人や天狗、吸血鬼までが本当にあんな有象無象に苦汁を飲んだと思っているの? 彼女たちは紛れもなく幻想郷で最強に位置するものたちよ」

「……」

「彼女たちは幻想郷の律に従ったまで」

  一つ、妖怪が異変を起こしやすくする。
  一つ、人間が異変を解決しやすくする。
  一つ、完全な実力主義を否定する。
  一つ、美しきと思念に勝る物はなし。

  決闘の美しさに名前と意味を持たせる。
  開始前に命名決闘の回数を提示する。体力に任せて攻撃を繰り返してはならない。
  意味のない攻撃はしてはいけない。意味がそのまま力となる。
  命名決闘で敗れた場合は、余力があっても負けを認める。
  勝っても人間を殺さない。
  決闘の命名を契約書と同じ形式で紙に記す。それにより上記規則は絶対となる。この紙をスペルカードと呼ぶ。


「スペルカード、ルール」

「あの子がスペルカードルールが制定してから百余年。このルールは実際に幻想郷を守ってきたわ。
 本来は人間と妖怪の間に適用される予定だったルールだけど、自然と妖怪と妖怪の間にも広がっていった。
 この不文律があったからこそ、無用な血が流れずに済んだことがいくつあったか。
 私たちのような上位の妖怪が下位の妖怪を調伏するだけじゃ駄目。
 それでは人への被害は抑えられても、人が脅かされ続けることには変わらない。
 そういう意味ではスペルカードルールとそれに付随する人妖間の取り決めは完璧よ。
 人と妖怪の共存が根本のこの幻想郷で互いの存在を確固として誇示できるルール。
 彼女自体は暇つぶしにでも考えたルールでしょうけど、これほどこの狭い幻想郷で多種多様に渡る個の妥協点を見出し、
 それぞれを尊重できるルールはないわ」

ここまで語ってから紫は一息つく。

想い起こしたのは人喰たちの所業と彼女のこと。



「奴らはその律を破った。でもあの子を知るものはスペルカードルールを無視することなんてできなかった」

   『紫』

「それはね、藍」

   『紫、お願いがあるの』

「あの子が残したものを踏みにじることになるのよ」

   『愛しい、この世界のことをよろしくね?』


「紫様……」

「あの子が逝ってから、いくつの季節が巡ったのかしら? 彼女が残したものが今も幻想郷とそこに住むものたちを守り続けている」


>>>>>




「その子は人間であるが故に、逝った」

今では遠い日のように感じられる彼女が在りし日々は、今も胸の奥に温かい想いとして残っている。

「天寿を全うしたといっても私たち妖怪からすればとても僅かな生だったわ。でも彼女のことを知る誰もが彼女のことを忘れてなんかいなかった」

自分だけだと思っていた。
あの頃、彼女の近くにいた親しい人間たちも彼女と時を同じくしてこの世を去っていたし、残るものは根本的に勝手気ままな人外ばかりなのだから。

彼女のことを明確に記憶しているのは自分だけだと思っていたのだ。

「貴方たちは幻想郷中の妖怪たちを相手に好き勝手暴れまわって、さぞ悦に入っていたことでしょうね。相手にした全員から手加減されていたというのに」

「馬鹿な、どうしてそんなことを!」

理解できない、と雷獣の女妖怪は言葉を荒げる。

それはそうだ。
この感情は当時者たち以外には理解できないのが当たり前なのだから。


「私の言う少女が残した想いを守るためよ」


特徴的な紅白の巫女服、黒い髪、赤いリボン、彼女の表情の全ては今も紫の心の中で色褪せていない。
これからもずっと、色褪せることなどないのだろう。



「彼女の名は博麗霊夢。幻想郷に新たな律を制定したスペルカードルールの考案者にて、
 彼女が愛した幻想郷という名の楽園の素敵な素敵な巫女」



「ありえない。妖怪というのはそんな規律に囚われる生き物じゃないのは貴様もわかっていることだろう?」

信じられないのだろう。
相対する雷獣を始めとして、妖怪はその存在自体が精神的な力に左右される分、人間より欲望に忠実なところがある。

「その通りよ。別に誰も幻想郷を守るためなんて欠片ほどにしか思ってないでしょうね」

「だったら・・・・・・」

「霊夢はスペルカードルールを作った。貴方たちと対した幻想郷の妖怪は彼女亡き今も彼女の心を忘れていない。
 自分本位な妖怪がわざわざスペルカードルールを厳守する理由なんてその程度のものよ。
 特にレミリアなんかは、彼女が起こした紅霧異変で幻想郷にスペルカードルールが普及したようなものだからそれなりに拘りがあるのかも知れないわね」

紫の言葉に雷獣は首を振りながらうな垂れる。

「奴らは、全員が、お遊び感覚で戦っていたというのか……」

「レミリアですら苦戦するわけよね、このルールは強力な妖怪と脆弱な人間を対等に並ばせるためにあるようなもの。
 片方が妖怪の力を存分に行使し、片方が人間に合わせた能力で戦っていたのだから。それでも互角でしかなかったのなら貴方の底が知れるわね」

「・・・っ!」

もっとも、霊夢や、彼女の親友だった魔法使いやメイドくらいの人間になるとスペルカードルールなしでも妖怪相手に戦えただろうが。

「貴方たちの放つ力はルール外の力、弾幕ごっこですらないのだからスペルカードや霊撃による相殺もできない。
 ルールを守るなら避けるしかない。
 こちらの放った弾幕はルールを無視した貴方たちに無制限に、カードを消費することなく打ち消される。
 決めた枚数以上のスペルを使わないというルールを守るならこちらのカードを減らさないようにするしかない」

鈴仙もスペルカードが通用しない、霊撃で弾幕を打ち消せないと言っていた。
永琳も敵に合わせた戦い方では負けはしないが勝てないと言っていた。

それは紛れもなくスペルカードルールを厳守した故の結果。
自分たちの居場所が襲われようと、彼女たちは律を破らなかった。
だとするなら紫が取るべき行動は、ひとつ。


「これから私は貴方たちと戦う。貴方たちは今まで通り戦いなさい。私は、スペルカードルールに則って、異変を解決する」

「……ふん。それだと私たち相手に勝てないのではないのかしら」

「やってみれば分かるわ。さぁ、私が見せてあげるわ。本当の弾幕ごっこを。美しき弾幕の結界を」


雷獣と紫は改めて対峙する。
互いに譲れないものを大切に抱えて。


「いくぞ、幻想郷の賢者!」

「来なさい、律破りの愚者」


紫は決闘のなかに散りばめられた霊夢の想いを手繰り寄せる。

その手にあるスペルカードの感触を確かめながら。





先手を取ったのは雷獣。
今では灰より黒といった色をした雲から全力で雷を練り上げ、解き放つ。

それはやはりルールに反した体力任せの攻撃。

対する紫は回避行動をとらずスペルカードを一枚宙空にかざした。

「境符『四重結界』!」

「何を! スペルカードルールに囚われない私の攻撃はスペルカードの宣言でも打ち消せないと言ったのはお前だ、……っ!?」

雷獣の言葉は中途に途切れることになった。

相殺されることのないはずの攻撃が、紫のスペルカードによって展開された幾重にも束ねられた結界に阻まれその勢いを急速に失い、霧散していく。

「なぜ、だ!?」

「境界をいじらせてもらったわ。『法と違法の境界』。今、この空間では貴方たちの攻撃の相殺が可能になっている」

語りながら、紫は他の妖怪たちの攻撃をスペルカードを使わずに自力で回避していく。

弾幕の打ち消しを可能にしたとはいえ、スペルカードの枚数には限りがある。
一対一が前提となる決闘ならまだしも、この人数を相手にしては何枚用意していてもいずれ符が尽きる。

しかし、分が悪いはずの紫はさらにスキマによる空間移動による回避を使用しないと心に定めた。
回避不能の攻撃をルール違反とするなら絶対回避もまたルール違反と定義づけたのだ。


「結界『生と死の境界』!」

勝負は速攻。

紫を取り囲むように動く妖怪たちを一気に撃ち落とすため、全方位型の弾幕を展開する。
螺旋を描くように紫から放たれる美しき弾は、その螺旋がスペル名通りの生と死を分ける境界となりえる。

時間の経過とともに激しさを増す弾幕に妖怪たちは次々と撃墜されていく。

「ああああああああああ!!!」

そんななか、雷獣が己の手から一直線に打ち出した雷の槍が空気と共に紫の放った弾幕を切り裂きながら飛来する。

「っ!」

紫はスペルを強制中断させると限界まで身を捻り、雷撃を避ける。
いくら強力な攻撃力を持つとはいえこの程度なら十分耐えられるが、スペルカードルールでは被弾すること自体が負けに結び付く。

「まだだ!」

連続して繰り出される攻撃を紙一重で回避していく。
しかし際限ない攻撃は紫の移動速度を上回り始める。

「境符『波と粒の境界』!」

避けきれないと知るや紫はすぐさま攻撃系のスペルカードを開放し、ギリギリのところで迫りくる嵐のような攻撃を打ち消す。
紫を中心に波形を織り成す粒弾がさらに多くの妖怪たちを打ち倒していくが、雷獣の妖怪だけは自身を狙う弾を打ち消しつつ未だ健在。

これで、残りのカードは後2枚。
紫の奥義でもあるとっておきのスペル『弾幕結界』ともう一つ。

これを避けられるか耐え切られるかすれば紫の負けとなる。
余力があっても負けを認めなければいけない。

それでも紫は自身の敗北など微塵ほどにも信じていない。





暴風を想起させるような雷撃と見るものを魅了する弾幕が飛び交ううちに、いつの間にかその場には二つの影を残すのみとなっていた。

紫と雷獣。

二者は初めに相対したときの距離と同じだけ離れて向かい合う。
ほとんど表情を変えずに戦う紫に、息を切らしながら雷獣は戦慄していた。


弾幕の密度、速度、3次元的な配置。
そのどれもがこれまでに戦った相手と桁が違っている。

紫の力が突出しているのか、これまでの相手が本気を出していなかったか。
認めたくはないが、恐らくその両方なのだろう。


紫が一枚のカードを取り出す。

来る、と雷獣は直感した。
あのカードで決着をつけるつもりなのだと本能で悟る。

紫の唇が儀式に用いられる祝詞のように言葉を紡ぐ。

「奥義」

これを避けきるか、耐え切るかできれば勝てる。
例えまだスペルを残していたとしても、一気に間合いを詰め次のカード宣言までに紫を打ち抜く。


「『弾幕結界』」

宣言と同時に現と虚の境界を操った紫の姿が薄く霞む。
そして雷獣と紫を取り巻くように無数の弾幕が円と楕円を描いて展開されていく。
その全てが円の中心に向かってゆっくりと、微かに加速しながら迫り来る姿は凄然としていた。

現にその圧倒的な量に雷獣は言葉を失っていた。

(こんなもの、避けれるわけがない!?)

雷獣がここまでに力任せの防御、攻撃をせずに体力に余裕があったなら、
戦いにおける紫の強烈なまでの存在感に平常心を失わなければ、
雷獣がスペルカードルールでの決闘に慣れていたとしたら、
巧妙に隠された針の穴を通すように用意された抜け道に気づけたかもしれない。

だが、現実にはそれを看破しうる思考も、看破したとしても避けきるだけの力も既に残っていない。

「ーーーーーーーぁああああ!!!」

回避の選択肢は即座に捨てた。
被弾することを覚悟した上で耐え切ろうとしない限り確実に、落ちる。

無数の弾幕が体を削り取るようにして命中していく。
雷獣は顔を両腕で覆い、必死に耐える。
一つ命中するたびに意識ごと持っていかれそうになる威力の弾を幾度も受け、耐え、ようやく治まったところで顔を上げ、絶望した。

またも雷獣は数秒前と同じか、僅かに量を増した弾幕に取り囲まれていたのだ。

徐々に動き始めた弾に言葉なく体を丸めると再び凶弾に身を晒す。

第二波が過ぎると第三波。
第三波が過ぎると第四波。
そして、第五波。

悪夢のような時間が終わろうとしている。
耐え切れる。雷獣はそれまでよりさらに濃密に自分を取り囲んでいく弾幕を見据えながら、ギリギリで耐え切れると読む。
耐え切ったとしても辛うじて一撃を放てるかという状態だが、それでもその一撃で決着をつけることができればいい。

広がった弾幕が、ゆっくりと中心目掛けて収束していく。

ひとつ、当たったのは顔を覆う左腕。
ふたつ、次は脇腹。
みっつ、……数えるのを止める。

ただ僅かに開いた腕の隙間から紫を見据える。

(まだか……)

依然として弾幕は途切れずに雷獣を襲っている。

(まだか)

一体いつまで続くか分からない。

(まだか!)


と、待ち望んだときが不意に訪れる。
永遠に続くかと思われた弾幕が、その勢いを失っていく。

(こ、こ)

目に見える勢いで消えゆく攻撃が、完全に止んだ。

(……ここだぁ!!!)

耐え切った。

瞬間、雷獣は最後の力を振り絞ってその身を前へと奔らせた。
紫電を纏い、雷の塊となり紫目掛け突進する。

スペルカードを唱えきった後の無防備な姿を晒す相手を確認しようとして、

既に次のカードを手に携えた紫色の化け物が目に映った。


「スペルカードの強制、停止!?」

「お見事。耐え切られるとは思わなかったわ」

違う。耐え切れなかった。
あと数瞬でも弾幕結界が続いていれば雷獣は撃墜されていただろう。

「だからこれが本当に最後」

キン、と金属を叩くような鋭い音と共にスペルカードが宙を舞った。

「いくわよ、霊夢」

呟いたのはそこにいない誰かに向けられた言葉だった。


大結界「博麗弾幕結界」


それはかつて博麗霊夢が使用していたスペルのひとつ。
霊夢と同じく幻想郷を覆う博麗大結界の管理者である紫がそれを蘇らせる。


神聖にして荘厳な弾幕。



雷獣は自分の敗北を悟りながら、その美しさに目を、心を奪われた。

意識を刈り取られ、落ちていく最中にも、その弾幕の結界から目をそらせなかった。





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雲は晴れ、久しぶり人々が眺めた日差しはすっかり初夏を通り越したものとなっていた。
長らくの曇天の反動か、ここ数日は常に快晴の空が広がっている。

あれだけ日の光が恋しいと言っていた人間たちのなかにはもう夏日の暑さに雲が恋しいと言い張るものまでいる始末だ。
案外、一番に我侭身勝手なのは人間なのかもしれない。



例の事件の後、雷獣を始めとした妖怪たちはすっかりと大人しくなった。


自分たちの力が自惚れだったことに気づいたことと、紫のように上には上がいると思い知らされたことが要因となっているのだろう。
今では空が曇り続きになることも人里や妖怪が襲われることもなくなっている。

結局紫は騒動を起こしたものたちをスペルカードルールで打ち負かしはしたものの、それ以上の罰を与えなかった。

というより戦いが終わってすぐに思い出したかのように眠りこけ、次に目が覚めたのは丸二日もたってからだった。
このところは異変の解決のために絶えず活動していたが、本来なら日中はずっと眠っているような妖怪なのだ。

と、そんな紫が目を覚ましたとき、あることを思い出して顔を蒼白に染めた。

「大変……、あの子、スキマに入れっぱなしだったわ」

紫が慌ててスキマを開いて中を覗きこむとその顎が真上に跳ね上がった。
今代の博麗の巫女に陰陽玉を投げつけられたのだった。

少女は紫が出会ったころの霊夢より少し若かったが、霊夢にとてもよく似た容姿をしていた。

よくもあんなところに閉じ込めてくれたわねそりゃあご飯もお茶もお煎餅もあったし不自由はしなかったけど神社は気になるし異変がどうなったかも気になってたのに1週間以上放置された私の身にもなってよ何うずくまってるの顔をあげなさい謝りなさい説明しなさいと、
怒涛のごとく言葉を浴びせながら至近距離から的確に弾幕をぶつけてくる少女に紫は閉じ込める必要などなかったのではないかと真剣に悩んだ。

しかし、いくら才能あってもスペルカードルール外での妖怪との戦闘はまだ無理があると少女も悟っていたのかすぐに怒りを静めると
最後には心配してくれてありがとうとぶっきらぼうに告げて博麗神社に帰っていった。

帰っていく頃には紫はすっかりぼろぼろになってしまっていたが。



それから気まぐれに訪れた霊夢の墓の前で一人佇むレミリアと会う機会があった。
墓の前にはレミリアが捧げたであろうものより多くの花が添えられていた。
今回の異変の折りに霊夢を思い出した者たちが来ていたのだろう。

そのとき、レミリアが古びた、それでいて手入れがしっかりとされた懐中時計を持ち歩いていることに気づいた。
かつてそれの持ち主だった少女も既にこの世を去っている。
レミリアも大切な人間を失った一人だったのだ。
紫と似た感傷を持っていてもおかしくなかった。

それを指摘すると外見の幼さ通りの拗ねた顔を見せて去っていった。





全てが片付くと紫は幻想郷の各所が見渡せる丘にやってきた。


紫色のドレス姿でいつものようにスキマの上に腰掛け、日傘でやや強すぎる日差しを防ぎながら傍らに愛飲している酒を置き、
時折思い出したかのように杯を傾けていく。

紫は何も言わずに、ただ幻想郷を眺めていた。
博麗神社、人里、魔法の森、幽明の境、妖怪の山、迷いの竹林、地底洞穴。

その他細部に渡るまでを、ただ、ただ、見つめ続ける。



「紫様」

どれくらいの時をそうしていたのか、背後から掛けられた従者の声に紫は振り返った。


「あら、藍。どうしたの」

「それはこちらの台詞です。酒を嗜むのは珍しくないとはいえ、わざわざこんな時間から」

藍の言う通り、紫は日中には寝ていることが多い。
この時間に起きていることが稀有な上に外にいることなど滅多にないことだった。

「なんとなくよ。なんとなく」

「……」

そう言って紫はまた丘から見える風景に目を戻す。
それ以上の説明を求めているわけではないはずだが、藍はそこから動こうとはしない。

「まだ何か用?」

視線を切らぬまま、後ろにいる藍に向かって問いかけると藍は口を開いた。

「……紫様は、当初は有無を言わさずあの妖怪たちを調伏しようとしていたのではないですか?」

その声は疑問というよりは確認といった感じだった。

「どうしてそう思うのかしら」

「異変の始まりこそ仔細の確認を急がせていましたが、月人が敗れたと聞いてからは人が襲われない限りは様子を見ろと仰いました」

「確かにそう言ったわね」

「各地で騒動が続いても、妖怪が敗れるだけである限りは行動を起こしませんでしたね。
 そして紅魔の吸血鬼までもが妖怪どもを殲滅できなかったと聞いてからようやく行動を起こされました」

「えぇ、そうね」

「ご無礼を承知で。……嬉しくお思いになられていたのではないでしょうか?」

「……」

「博麗霊夢が彼岸に赴き、幾年の月日が流れても身勝手なはずの妖怪たちが彼女を忘れていなかったことを」

「……」

「どれだけのものたちがスペルカードルールを守るのかが気になり、だからあえて手出しをしなかった」

「……」

「誇りの塊、我侭の代表格であるレミリア・スカーレットまで律を破ろうとはしなかったことが嬉しくてたまらず事態の解決に乗り出してしまったのですよね?」

「……今日は何だかおしゃべりね。スキマにでも落として欲しいのかしら?」

「ご自身の好きな方が今も忘れられていないことを喜ぶ可愛らしい紫様のお姿など滅多に拝めるものではありませんから、
 って待ってください紫様本当にスキマ落しはご容赦くださいこの前など出てくるのに三日もかかったんですよ、
 あぁでもその照れ隠しの表情もまた可愛らしアッーーーー!」

「まったく、もう」

紫は僅かに赤くなった顔を風に晒すことで冷ました。




改めて見上げた空は見事なまでの晴天で抜けるような青に染まり、
曇天の時にはくすんだように見えた木々の緑や土の茶が夏の日を受けて鮮やかに輝いて見えた。

秋が来れば妖怪の山は紅葉で燃えるような赤に染まるだろう。

冬が来れば全てが雪に覆われ侘しささえ感じさせる白に染まるはずだ。

そしてまた春が来れば美しい桜色に染まる。



彼女が愛しいといったこの幻想郷はこんな色をしているのか、と紫は考えた。

そう思うと特別でも何でもないこの景色が愛しく感じられた。



「私は、貴方の守りたかったものを守っていられてるのかしら?」



風が、吹いた。



それは馬鹿みたいに優しい風だった。




〜了〜
書き上げ、さぁ手直しだと言ったところでタイトルができてなかったものだから大変。
何個か考えた中でもっともシンプルなものを選びました。

タイトルも色に対するとらえ方もできる限り簡単に。
そのなかでどれほど自分が書きたいことを書けたのか…。

ここまで読んでくださった方々へ、ありがとうございました。
無上の感謝をここに。

(2009/06/21 追記)
指摘頂いた誤字を修正しました。 
博霊 × 博麗 ○
この誤字は格好悪い…。

様々な意見、ご感想をありがとうございました。
初参加で上位を獲得でき、嬉しく思うなか指摘頂いた部分が確かに自分でも駄目だと改めて感じました。
次の機会にはそれらを改善し、より多くの人に楽しんでもらえるような作品を書けるようにしたいものです。
送穂 葵
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 23:20:26
更新日時:
2009/06/21 09:50:17
評価:
25/27
POINT:
161
Rate:
1.43
1. 10 ユッキー ■2009/05/10 16:28:51
ああ、そういえばスペルカードルールの取り決めをしたのは、まだまだごく最近
それを皆覚えているということは、そのころがとても楽しかったからなのでしょう
2. 10 名前が無い程度の能力 ■2009/05/11 18:38:14
おおぉ!!!

これ私が大好きなタイプのSSだ!!


ゆかりんの照れ隠しカワユスwww
3. 8 #15 ■2009/05/11 20:52:01
良いお話をありがとう。
4. 7 三文字 ■2009/05/15 01:49:01
カタルシスが……カタルシスが微妙に足りない……
やるのならもっと血の雨が降るくらいの制裁を加えてもらいたかった。がそれじゃあ、お嬢様達の心意気に背くんだよなぁ……
雷獣以外やられっぷりをもっとを詳しく描写していただいたなら、この微妙なもやもやも晴れるやもしれません。
雷獣は最後までスペルカードルールとか、幻想郷の掟を馬鹿にし続けて、極限まで憎たらしくしてから、スペルカードに完膚なきまでに負けてほしかった。
まあ、全部個人的な意見なんですがね。
でも、いつまでたっても律儀にスペルカードルールを守り続ける妖怪達に感動しました。
スペカでの決闘が終わったらそれがどんな結果でも全て水に流す……考えてみると、これってかなり難しいことですね。
雷獣達への過激な制裁を期待してしまった自分は、幻想郷の住人になれないんだろうなぁ。
5. 8 名前が無い程度の能力 ■2009/05/17 20:40:42
おもしろかったです。
6. 4 パレット ■2009/05/18 00:46:40
なるほど、未来のお話でしたか。ヒントはたくさんあったけれど途中まで気づけませんでした。
「博霊」という誤字がいくつかあったような。
7. 8 名前が無い程度の能力 ■2009/05/18 15:06:44
ゆかりんの幻想郷と霊夢への愛情は本物やで!!
8. 5 名無しの買物客 ■2009/05/18 23:01:39
一人暮らしを始めて、忘れていた、例え亡くなっても人を愛する心、そして想い続ける事も思い出させてもらいました。
いつまでも、いつまでも、この様な作品が有り続ける事を願ってます。
最後に、言葉足らずですが、この作品に出会えた奇跡と幸運に感謝し、作者様に最大の御礼を。
有難う御座いました。
9. 9 ■2009/05/20 23:13:20
面白かったです。幻想郷の守護者はやはり紫ですね。幻想郷の面々の霊夢を想う心にやられました。
10. 3 神鋼 ■2009/06/02 19:13:25
話の中での雷獣たちの役どころはわかりましたが、その「起」がどうにも腑に落ちませんでした。
それとどうにも読んでいて色を感じませんでした。
11. 6 佐藤厚志 ■2009/06/02 23:07:39
まるでワンコソバのように、次々とページを捲っていきました。
キャラクターの台詞がカッコいいですね!
12. 4 気の所為 ■2009/06/03 17:00:16
雷獣とはまたメジャーなのかマイナーなのか。一応メジャーか。
あのレミリアが自尊心よりも優先するだなんて。皆良い奴らばっかりだ。
13. 6 有文 ■2009/06/08 00:37:11
シンプルで紫のスペルカードに対するこだわりが見てとれる良い作品でした。死んでも残る遺志というのは、いいもんです。
14. 6 so ■2009/06/11 07:26:22
紫の、霊夢に対する想い、幻想郷に対する想いがよく描写されていると思います。
ただ、途中である程度結末の想像がついてしまったのは残念かなと。
15. 6 ふじむらりゅう ■2009/06/12 00:03:23
 頻繁に出てくるだけに、博麗の苗字間違えてるのが気になって気になって……。
 全体的に、みんないい奴です。ゆかりんは強すぎです。でも格好よかった。
 色はあんまり関係なかったかも。
16. 7 ぴぃ ■2009/06/12 04:46:06
ちょっと「色」が薄い気がしましたが、これくらいなら許容範囲でしょうか。
素敵な話でした。霊夢がいなくなっても、妖怪達はきっと忘れないでしょうね。
17. 10 ニイ ■2009/06/12 13:05:34
幻想郷の色を忘れない妖怪に隙は無かった
赤面するゆかりかわいいよゆかり
18. 3 名前が無い程度の能力 ■2009/06/12 16:26:00
良かったと思います。
誤字が気になりました。 博霊→博麗
19. 8 八重結界 ■2009/06/12 18:46:20
異変を解決しておきながら、これだけの妖怪に愛されている霊夢は幸せ者でしょうね。
惜しむらくは、それを当人が見られないことでしょうか。温かいお話でした。
20. 8 moki ■2009/06/12 18:48:33
在りし日の思い出は今やどうすることも出来ないからこそ光り輝くように思われるのでしょう。感傷という感情は厄介なものでそれをストレートにこう描かれると、その魅力に引き摺られて逃れ難く感じてしまうのでした。それに対する過去に囚われずに前を向けというのは、正常な対応なのか現代人の構造的な呪いなのか。
、、、感想になってませんね。ともかく良かったです。だからこそ"博霊"の文字が目に入るたび残念になる。
21. 4 リコーダー ■2009/06/12 21:10:17
このままだと本当に妖怪を弱体化させるルールとしか見えない。
紫が強かった以外に、スペルカードだから凄いという点があれば。一応「美しかった」とあるけれど、この展開で美しいだけでは物足りない。
22. 5 木村圭 ■2009/06/12 21:51:15
今回のテーマは……えーと、何だっけ?
人を喰らった時点で消されてしかるべきだし饒舌すぎる紫に違和感もありましたが、全体としては綺麗にまとまっていると思います。
死して尚大きな影響を残せるって本当に凄いことだよなぁ。
23. 4 時計屋 ■2009/06/12 23:08:24
 文章は基本的には丁寧なのですが、一文一文が長く、結果として文意が掴みづらくなっています。
 比較的長めのSSですので、読んでいる人が疲れないような工夫をしてみてください。
 またお話の着想は良かったのですが、少し展開に分かりづらいものがありました。
 新参の妖怪がスペルカードルールに従わなかった、という点を無理矢理終盤まで引っ張ろうとしたため、戦闘の描写や紫と各キャラの会話がどこか不自然なものになってしまったようにも見えます。この点は明白しておいて、最初から両陣営の価値観を争わせたほうがより深みがでたのではないでしょうか?
 後、お題を素直に使ったということでしたが、正直薄いように感じましたので点数は少し減らさせていただきました。
24. 6 つくし ■2009/06/12 23:12:10
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
25. フリーレス ハバネロ ■2009/06/12 23:13:55
異変をも少し切っても。色に関係しない部分が長い
26. 6 K.M ■2009/06/12 23:17:28
寿命の差とはとにかく残酷で、しかし尊い物を残す事もあり。
「人が教われない」……「襲われない」?
27. フリーレス ウサギ ■2011/03/19 16:23:13
マヨイガじゃなくて
マヨヒガだと思います
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