塗り塗り夢夢

作品集: 最新 投稿日時: 2009/05/09 23:44:01 更新日時: 2009/06/16 01:32:55 評価: 22/24 POINT: 130 Rate: 1.35
覚めない夢をなんというのだろう。
永遠の幻覚をなんというのだろう。
本人からすればそれは現実と変わらないだろうに……
             





「こんなものかしらね……」

決して大きくはない声が闇の中から響く。
過去、現在、未来の知識を併せ持つ悪魔の名を冠するヴアル魔法図書館。
元々はそのような名ではなく紅魔の図書館だとか大図書館と言われていたが、いつの間にかそのような名で呼ばれるようになっていた。
魔術により薄く照らされた内部は、この世の全ての本が眠っているのではないかと思われるほど大量の本があり、巨大な書架が墓石のように乱立している。
その墓石のいずれにも限界にまで本が敷き詰められており、そのいずれもが希代の魔法書、幻と謳われた名著の原本であった。

「咲夜、いる〜?」
「そこはかとなく居ます」

囁くような声で、図書館の主パチュリー・ノーレッジが呼ぶ。
どこからか声が聞こえ、銀のメイドが唐突に姿を現した。
紅魔館メイド長 十六夜 咲夜。
目の前に立ってようやく聞こえるか否かという魔女の声をどこから聞きつけたのだろうか。

「これに色を塗って欲しいんだけど」

そういって魔女が差し出したのは、一冊の本。
表紙は別に変ったところは無く、ただ真っ白である。

「色、ですか?」

咲夜がぱらりとページを捲ると、風景画が描かれていた。しかし、色が全く塗られていない真っ白の風景。
線だけで描かれたそれは草原だろうか。草むらがどこまでも続いており、その中心に大きな樹が根を張っている。
空と思わしき部分に描かれている不定形のものは、雲であろうか。
細かく書き込まれてはいるが、色がないのでなんとも味気ない。

「塗り絵?」
「絵の具はそこにあるから、ちゃっちゃと塗ってちょうだい」

訳の分からない頼みではあるが、普段からそうなので咲夜も気にしない。言われた通りに椅子に座り、ぺたぺたと筆を動かしていく。
青い空に、緑の草原、青々と茂った大きな樹。
そこに少しだけの悪戯心で赤い葉をいれる。
どうにも捻くれた人間だ、と咲夜は我ながら小さく笑った。
非常に簡単ではあるが、色を塗り終えた。
そして、パチュリーに声を掛けようと筆を置き、顔を上げようとする。
その瞬間、世界が突然移り変わった。
硬く冷たい床は生きた大地に、紅い毛の絨毯はむせ返るほどの青草に。
黴臭い匂いは消え、代わりに気持ちの良い風が吹く。
暗く陰る図書館はどこにもなく、透き通るほどの青く爽やかな空が広がっていた。
ちらりほらりと浮かんでいる雲は風に流されその形を変え、初夏の少しだけ強い日差しが時々雲に遮られ、影を作った。
突然明るくなったため顔を逸らす咲夜だが、その頬を気持ちの良い風が撫でる。
いきなり何事かと咲夜は驚いたが、目の前に見える大樹を見て何が起こったか理解した。
ここはさっきの塗り絵の世界だ。
大樹の枝ぶりや葉の付き方にどうにも見覚えがある。
そして、一枚だけ不自然に赤い葉があった。ちょっとした悪戯心で塗ったあの赤の葉だ。
どうやらパチュリーが渡したあの本は、色を塗ることによって描かれた世界に行けるものらしい。
危険は無いと分かると、咲夜は改めて周りを見回した。
それにしても良く出来ている。
全てが本物にしか思えなかった。
草を揺らして吹く風は仄かに涼しく、夏の匂いを感じさせる。
照りつける日差しはぽかぽかと体を温めてくれる。
踏みしめる大地は確かに土の感触で、風に揺れる草が足をくすぐる。
思いっきり息を吸うと若葉の匂いがした。
そこら中を子供の様に走り回りたくなった。
普段は主と共にあるためこういった日が照る場所には出ないが、偶にはこういうものもいいかもしれない。
そう思い、ふと笑顔を零すと、唐突に世界が元に戻った。
柔らかな土は硬質の床に、緑の草は紅い絨毯に。空気の匂いは黴臭く、辺りは薄暗い闇。
目を瞬かせ辺りを見る。パチュリーの眠たげな仏頂面が見えた。

「どうだった?」
「……え〜と、気持ちが良かったですわ」
「あなたの感想じゃなくて、本の中に入れたかってこと」
「ええ。久々にのんびりと風を感じることができました」
「そう。なら成功ね」

パチュリーはそういって僅かに微笑んだ。
珍しい顔だ。
普段は無表情に本を読むだけの魔女が見せる、ちょっとした人間らしさ。

「パチュリー様、あの塗り絵は一体?」
「見たまんまよ。色を塗ればその世界に入ることができるの。まあ詳しくいうと、本の世界を精神と魂に繋げたって感じかしら」
「どうしてこのようなものを?」
「レミィが雨の日でも外に出たいって言いだしてね。いや、退屈だから面白いもの作れだったかな? とにかく暇潰しができるものが欲しいって駄々こねたから」
「ということは、私は実験台ですか」
「大丈夫よ。小悪魔で試して、自分でも試したし。あなたは最後の確認のためにね」
「はぁ……」

微妙に釈然としない顔の咲夜だったが、パチュリーは無視して話を進める。

「とにかく、あなたで最後のテストもできたし、レミィにプレゼントしましょうか」
「あら、グッドタイミング?」

鈴が鳴ったような美しくも幼い声が響く。
その声はどこまでも蠱惑的で、どこまでも可愛らしいものだった。
図書館の入り口の方から、小さい影が現われる。
幼きデーモンロード、紅魔館の主。レミリア・スカーレット。
その幼い顔に不敵な笑みを浮かべて悠々と歩いてきた。

「あら、お嬢様。おやつの時間までは今しばらくお待ちください」
「分かってるわよ。で、今日のおやつは?」
「血と、乾燥させたフルーツトマトのケーキでございます」
「真っ赤ね」
「リコピンたっぷり」

そこまで話してからレミリアはパチュリーに向き直る。
小さな体に不釣り合いなほどの巨大な羽と、口元から覗く鋭い犬歯が彼女を吸血鬼だと証明している。

「で、暇つぶしの道具が出来上がったんでしょ?」
「本当に良いタイミングね、レミィ。丁度あなたに知らせようと思ってたの」
「そんな予感がしたのよ。それで、どんなの?」

その紅い瞳を輝かせながらレミリアが尋ねた。
薄暗い中でも、宝石のようにきらきらとその目が輝いている。

「まあ、試す方が早いわね。レミィ、これの好きなページに色を塗って。筆はあそこ」
「これは、塗り絵? まあ、パチェのだから普通のものとは違うと思うけど……」

一瞬訝しげな顔をしたが、直ぐにぱたぱたと椅子に向かい、鼻歌交じりに筆を動かすレミリア。
年齢500歳の吸血鬼とはいえ見た目は小さな子供。楽しそうに塗り絵をするその姿はなんとも微笑ましい。
背中の羽がぴくぴくと嬉しそうに揺れている。
レミリアの羽は彼女の心の動きに合わせて動く。今の彼女は機嫌が良いのだろう。
しかし、楽しそうにしている所を指摘すると、きっと腹を立てて機嫌を悪くするため、パチュリーも咲夜も微笑ましく見ているだけだ。
その内、色を塗り終わったのか、息を吐きながらレミリアは筆を置いた。
しかし、その動きが途中で止まる。
突如、全身が脱力し椅子に寄り掛かりながら、ぼうと虚空を見つめる。
いきなり糸が切れたマリオネットのようだ。
突然のことに慌てて駆け寄ろうとする咲夜を、パチュリーが腕で制した。

「本の世界へ行ったのよ。さっきのあなたもあんな風だったわ」
「そうなのですか?」

レミリアの顔を見てみると、瞳孔が開いたまま口が半開きになっている。
呆けたような表情で、どこか間抜けだ。
自分も同じ顔を曝していたのかと思うと、咲夜は若干恥ずかしくなった。
しばらくすると、ふとレミリアが正気に戻る。
夢から唐突に起こされたかのように何がなんだか分からない、といった顔をしていた。

「おかえりなさい、レミィ。本の中はどうだった?」
「あ〜……うん、気持ち良かった」
「お嬢様、どのような世界に行かれたのですか?」
「大きな満月の下で、月光に輝く花畑の中、立っていたわ」

レミリアの塗った絵を見ると、大きな月の下でランプの様に光る花々が描かれている。
なるほど。普通なら青空の元に色取り取りの花を塗るところだが、夜に生きるレミリアは夜に光る花を思い描いたのだ。

「なるほどねぇ。本の中にいける本か。暇潰しにはなりそうね」
「そう。それはなにより」
「パチェ、この本の効果ってどれくらい?」
「その世界に居たいと思えばいつまでも。まあ、色を塗る時に思いを込めれば長くなるわ」
「行けるのはこの本に描かれた世界だけ?」
「別に。魔力を込めた紙と筆さえあれば他の風景も作れるわ」
「ふ〜ん……」

素っ気なく返事をした後、ふと、レミリアが口を開こうとするが、そのまま俯いてしまう。
言いたいことがあるがどうしても言い辛い、そんな表情だ。

「言いたいことがあれば言えば?」
「あー、ん、別に……」
「パチュリー様、この塗り絵の世界は一人だけしか入れないのですか?」

なんとなく、はぐらかしたレミリアの後に、咲夜が口を開く。
軽く驚いて顔を見るレミリアに、咲夜は小さく微笑んだ。

「ん〜、あんまし多すぎると感覚の感度は若干落ちるかもしれないけど、二人までなら問題ないわ」
「ありがとうございます。そういえばお嬢様。妹様も最近は退屈だとぼやいております。その塗り絵を御一緒に塗られては如何でしょう?」
「ああ、それもいいわね、レミィ。妹様と一緒に遊んであげたら?」

二人のその言葉に、若干戸惑いつつもレミリアは微笑んだ。

「そうね。妹が退屈しているのなら、少しくらいは相手をしてあげないと。それにあなた達がそこまで言うなら仕方ないわね。ちょっと行ってくるわ」

筆と絵の具を持ち、駆けていく小さい後ろ姿を、微笑みながら二人は眺める。

「よく出来た従者ね」
「はて、なんのことやら。私は疑問に思ったことを訊いたまでですわ」
「レミィももう少し素直になればいいのに……まあ、あれはあれでツンデレ風味で可愛いけど」
「パチュリー様こそ、最初からあのお二人に遊んでいただくために、あれを用意したのでは?」
「はて、なんのことやら。私は作ろうと思ったものを作ったまでだわ」

そこで顔を見合わせて、二人は顔を綻ばせた。
そして脱力するかの様に椅子に腰掛けたパチュリー
大分疲れているのか軽く伸びをする。

「咲夜、紅茶を頂戴。ちょっと疲れたから甘めのやつで」
「畏まりました」

一瞬で姿を消し、数十秒の内にトレイを持って現れる咲夜。
磨き上げられたトレイの上には紅茶の茶器と簡単なお菓子が乗っており、甘い香りが微かに漂ってくる。
見ると、スコーンだった。

「スコーン。昨日のやつ?」
「申し訳御座いません。他に見つからなくて……でもお茶だけで飲むのもあれでしょうし」
「別に、それでも構わないわ。それより早くあなたのお茶が飲みたいわね」
「畏まりました」

そうしてかちゃかちゃとお茶の準備をしている中で、ふと咲夜が尋ねる。

「あの絵本って沢山作れますか?」
「ある程度の魔力と専用の紙とペンがあれば、妖精でも作れるわね」
「なるほど……じゃあ自分で描いた絵の中にも行けるってことですね」
「咲夜は気に入ったの、あれ?」
「ええ、とても。自分の思い描いた理想の世界に行けるというのは素晴らしいことだと思いますわ」
「あなたも結構な完璧家だものねぇ。あんまりの自分の世界にだけ浸るのも駄目よ?」
「咲夜の世界は全てを統べるのですわ」
「あなたの世界も私のもの、ね。ま、いいでしょう。予備の筆と紙はそこにあるから持っていきなさい」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」

軽くお辞儀をして、ふっと咲夜が消えた。
パチュリーの目の前にはいつの間にか、甘い香りの紅茶が置かれている。
手にとって香りを楽しみ、琥珀色の茶をゆっくりと口に含んだところで、パチュリーの顔が曇った。

「甘っま……」

幾ら甘いのにしてくれといっても、ここまで甘くしなくてもいいだろうに。
クソ甘い紅茶を小悪魔に押し付けて、パチュリーは手身近にあった本を取った。




 *    *    *    *




ページを捲り、そこに書かれた世界へ飛び込んでいく。
ゆったりと自らの世界に浸り、紅茶を飲みながら本を読みふける。
パチュリーにとって本を読むというのは何より幸せなものだった。
先人の知恵の結晶とも言うべきものを手に取り、自らの糧とし新たな考えを作る。
少し疲れたら紅茶で喉を潤し、菓子で腹を満たす。そして再び本の世界へと入っていく。
本を糧にし、本と共に生き、本と共に朽ちていく。そんな生活こそがパチュリーの望むべきところであった。

「おっす。おじゃまするぞ」

ぎぃと軋んだ音をたてて図書館の扉が開かれた。
そして聞こえてきたのは威勢の良い明るい声。
体に似合わぬ大きな帽子を被り、ずるずると箒を引き摺っているのは普通の魔法使い 霧雨魔理沙。
にやりと子供のような笑みを浮かべてパチュリーの元に向かってくる。
普通に入って来たということは、今日は強盗をする気がないらしい。

「ちょっと探し物をしに来たぜ」
「探すのはいいけど貸し出しはしないわよ」
「VIP待遇ということで許可してくれ」
「VIPになりたいのならそれなりにここに貢献なさいな」
「ケチくさいな。お茶くらい出してくれてもいいだろうに」
「図書館内では飲食禁止って教わらなかった?」
「飲み食いしている奴に言われたくない」
「自分の部屋で飲み食いしても誰も怒らないわ」
「ずいぶんと黴臭い部屋だな」

魔理沙との皮肉の応酬をしながらも、パチュリーの視線は本に向いている。
若干の煩わしさと、少しだけ楽しい会話。それでも本からは目を離さない。
本を読んでいる時とこうやって知り合いとお喋りをしている時、どちらが楽しいだろうか、ふと、そんなことをパチュリーは思った。
話している内に、魔理沙があの塗り絵に気付いたようだ。
レミリアに渡した以外に幾つか作ったものの一つだ。

「これって塗り絵か? でも、普通の塗り絵じゃなさそうだ、微妙に魔力を感じるし」
「レミィに言われて作ったのよ。もういらないからあげる」
「気前いいな。試しに色塗っていいか?」
「絵の具と筆はそこにあるからどうぞ」

パチュリーはそう言った後、本に目を戻す。
魔理沙は良く通る声でここはどういう色にしようかな、などと楽しそうに色を塗っている。
騒がしいことだ、そう思いながらパチュリーは本を読み進める。丁度、理論の肝の部分に差し掛かっているのだ
しばらくすると声が聞こえなくなった。
顔を上げて様子を見ると虚空を見つめる魔理沙がいる。こうやって見ると夢遊病患者のようだ。
自らが望んだ本の中で夢を見るように過ごしている。そこには嫌な事も嫌いな事もないのだろう。
望めば永遠に居られる夢の世界。それは最早現実と変わらない。
そんなことを考えていると魔理沙が現実に戻ってきた。

「おかえり」
「た、ただいま」

夢から覚めた魔理沙が、若干戸惑いながらも返事をする。

「なるほど、色を塗ったら発動すんのか。にしても本物そっくりだったぜ」
「筆と絵の具を通して魂と精神を絵に繋ぐのよ。まあ、魂に幻覚を見せる感じね」
「ふむ、やろうと思えば色々なことができるな。これ貰っていいか?」
「言ったでしょう、もう必要ないって。勝手に持って行っていいわ」

その言葉に魔理沙は嬉々として他の塗り絵を集め始めた。
ある程度集めた所で満足したのか懐に塗り絵を仕舞い、それじゃあ、と図書館の奥へと行ってしまった。
パチュリーの周りを、再び静寂が支配する。
紅茶を取り一口飲むとぬるい。少し魔理沙と話をし過ぎたようだ。
ぬるい紅茶に少しだけ顔を顰め、再び本へ目をやる。
そうしてまた、つらつらと本の世界へと没頭していくのだった。



それから数日、紅魔館ではちょっとした塗り絵ブームがきていた。
なにしろ色を塗るだけで様々な世界にいけるのだ。これは面白いと、メイド達がこぞってあの塗り絵を欲しがった。
何しろ暇を持て余して紅魔館で働いている連中である。面白そうなことがあればすぐに飛びついた。
それに元々、妖精や妖怪は新しい物好きであり、暇を潰せるのならどんなものでも歓迎するのである。

「すっかり皆、塗り絵の虜ですねぇ」

小悪魔がへらへらと話しながら本を整理していく。
その表情は笑顔であるが、どこか胡散臭げなものがあった。
まあ、悪魔なんてそんなものだろう。

「おかげでこっちは本を読み暇も無かったわ……」

ぶつぶつと文句を言いながら本を読むパチュリー。
最初こそメイド達用に作るのを渋っていた彼女だが、余りにも多くの者が欲しい欲しいと言い出し、最終的に咲夜からの要望もあって根負けしたのである。
おかげで彼女の至福の時間である読書の時間を削ってまで、塗り絵の大量生産に取り掛かった。
最初は専用の紙と筆だけを与えれば勝手に絵を描き、勝手に色を塗るだろうとパチュリーは考えていた。
しかし、筆を配ったところで殆どの者が絵を描けないことが判明。
そのため、絵を描き、製本するところまでパチュリーがやったのである。

「でも、皆さん喜んでいたじゃないですか」
「私は静かに本が読みたいの。感謝してくれるのはいいけど、私の時間を奪わないでほしいわね」
「またまたパチュリー様ったらツンデレなんだからぁ。そんなこと言いながら、ちゃんと皆さんの分を作ってるところが、健気で可愛いんですよ」
「……咲夜に頼まれたからよ。あの子の機嫌を損ねたら美味しい紅茶が飲めなくなる」
「ええ、ええ。分かりました、そういうことにしておきます」

くすくすと人を小馬鹿にしたように小悪魔が笑った。
司書としては優秀だが、性格がどうにも扱い辛い。

「それにしても、メイド長はあの塗り絵が余程気に入ったみたいですね。よく紙の補充をしに来ますよ」
「あの子なりの新しいガス抜きを見つけたんでしょう。なんだかんだで忙しい身分だから、色々溜まってたんでしょうね」

「ええ、おかげさまで色々と仕事が溜まっております」

凛とした声を響かせて唐突に咲夜が現れた。
スカートの裾を上げて軽くお辞儀をした後、にこりと微笑む。

「あら、噂をすれば本人」
「パチュリー様にお客様です」
「いつもの鴉? 私は本が読みたいからパス」
「いえ、里の方々ですわ。是非、パチュリー様にお話をと……」
「……里の人間が? 要件の方は?」
「あの塗り絵についてらしいです」

面倒臭いからパス、などとパチュリーは言った。
しかし、客人は迎え入れるのが筋という咲夜の言葉と、貴族たるもの尋ねて来た者は無下に帰してはならない、といきなり乱入してきたレミリアによって、パチュリーは嫌々ながらも合う羽目になったのである。
また、本を読む時間が無くなる。そんなことを考えながら、パチュリーは咲夜に引き摺られていった。




 *    *    *    *




「つまり、あの塗り絵を人里でも売ってくれと……」
「その通りです」

本屋組合の代表だという男は、そう頷いた。
当事者であるパチュリー、それと館の主であるレミリア、そしてその後ろに控える咲夜。その三人の前に、初老の男が座っている。
眼鏡を架けたやや痩せぎすな体格ではあるが、レミリア達を前にしても物怖じする様子はない。
どこからかパチュリーの塗り絵の話が広がり、里では今その噂で持ち切りなのだという。
そこに本屋組合が目を付けて調べ回り、紅魔館に辿り着いたそうだ。

「話の出所は魔理沙ね……」

目の前の男に聞こえないよう、ぼそりとパチュリーが呟いた。

「そちらの本を、取り扱わせて頂けませんでしょうか?」

男が懇願するように言った。その言葉へ助け舟を出したのはレミリアである。
最近はやけに機嫌が良さそうだ。

「パチェ、受けてあげたら? 断るのも面倒だし」
「嫌よ、そっちの方が面倒臭い。本を作っている間に自分の時間が潰れる」
「その時は私達も手伝うわよ?」
「これ以上、本を読む時間を消費するのも嫌なんだけど……」

パチュリーが軽く睨みながら言うと、レミリアは仕方がないといったように引き下がった。
男はそれでも食い下がり、どうしてもお願いしますと深く頭を下げる。
なんでも十分な売り上げが出れば、たっぷりと謝礼ははずむらしい。
その謝礼という言葉に反応したのは、意外にも咲夜である。

「パチュリー様、ちょっと……」
「何よ?」

小声で話しかけた咲夜へ、パチュリーは不機嫌に答えた。
苦笑いをしながらも、咲夜は耳打ちをする。

「あんまり大きな声では言えないのですが……実はヤバいのです」
「何が?」
「今月の予算が。というか、紅魔館の予算が」
「それがなに?」
「パチュリー様用の様々な実験器具やマジックアイテムの費用、食費、雑費、その他諸々やら、パーティの準備代、それらが結構かさんでまして」
「お金が欲しいから話を受けろって? うちのガラクタ売れば十分事足りるじゃない」
「非常に申し訳ないのですが、紙と筆とインク代がかなりかかっていますので……」
「沢山作ってほしいと頼んだのはあなたでしょう?」
「本当に申し訳御座いません。これも紅魔館のためを思って、お願いします」

沈痛な面持ちで頼み込む咲夜。
ある程度の謝礼が出たらそこで打ち切る、本作りには紅魔館総出で協力すると説得された。
苦虫を噛潰したかのような顔をして考えこむパチェリー。
本屋の男も必死になって頼みこんでくる。
この日は頑として突っ撥ねて帰ってもらえはしたが、その後も男は何度も何度も執拗に尋ねてくるあり様だった。
そして男が来るたびに、咲夜と二人で必死に頼み込んでくるのである。
ここまで来ると、いくらパチュリーでも引き受けざるをえなかった。
こうして、パチュリーの塗り絵は人々の間に広まることとなったのである。




*    *    *    *




「え〜、また入荷待ちぃ?」
「ええ、申し訳御座いません……次回の入荷予定も未定でして」

本屋の男が頻りに頭を下げる。
男の後ろの棚には売り切れ御免の赤札が貼ってあり、多くの客が口々に文句を垂れた。
パチュリーの本が売り出されて数日、本は凄まじい勢いで飛ぶように売れ、連日多くの客が本屋に雪崩れ込んだ。
既に数回程増刷を繰り返しており、それでも売れる勢いは止まる所を知らない。
紅魔館も里中の本屋へ大量に本を卸したが、それでも供給に対して需要が大きかった。
元々、娯楽の少ない幻想郷。大半の人間が里の外へ出ることはなく、彼らの殆どが農業に従事している。
娯楽と言えば、呑むか本の読み書き、囲碁将棋くらいである。
そのためパチュリーの本は大きな反響を呼んだ。
自分の望む世界へ行きたい時に好きなだけ行けるのだ。それは閉ざされた世界に住む人々にとってどれだけ素晴らしいことだろうか。
ある者は友人と、ある者は恋人と、ある者は愛する家族と……それぞれ好きな絵を好きなように塗り、のんびりとその世界の中で過ごした。
一日の終わりにゆっくりと色を塗り、その世界で穏やかに過ごす。しばらくして現実に帰ってきたら、そのまま優しい気持ちで眠りにつく。
そんな生活が当たり前になり始めていた。
誰も彼も満ち足りた気持ちで生活を送れるようになり、疲れた顔をする者も少なくなったという。
里の中ではだが……

「ああ、嫌だ。本当、本を読む暇がなさすぎる……」
「パチュリー様、インクが切れましたぁ!」
「パチュリー様、この部分どうしましょう?!」
「ああ、もう五月蠅い……」

メイド達の声が響き渡るなか、パチュリーは大きな溜息を吐いた。
本の制作のため、現在の紅魔館は大騒ぎとなっている。
なんせいくら作ってもすぐ売り切れるのだ。
里の人間だけでなく、妖怪達もパチュリーの本を面白がり、次々と買っていっていくらしい。需要は果てしなく大きい。

「パチュリー様、お茶でございます」
「ああ、咲夜、ありがとう……まったく、ここまで忙しくなるだなんて思いもしなかったわ。やっぱりあそこで断るべきだったのよ」

たっぷりと嫌味を込めてパチュリーが呟いた。
どうして他人のために自分の時間を潰さなければならないのか。
そんな思いがずっとパチュリーの中で渦巻いている。
自分の時間が潰れるのが、何よりも嫌いなことであった。

「……」
「……咲夜?」

訝しげにパチュリーが呼び掛ける。
しかし咲夜は何の反応も示さず、ただ虚ろにその場に立っていた。
その眼は何も写さずに、ぼうっとどこかを見ている。

「咲夜?」
「……あ、はい。なんでしょうか?」
「あなたらしくないわね」
「何が、でしょうか?」
「まあ、最近忙しいからぼうってするのも分かるけど」
「私、呆けてました?」
「呼んでも反応なかった」
「う〜ん、そこまで疲れてないのに」
「……まあ、いいわ。下がりなさい」

咲夜は軽く一礼をし、そのまま消え失せる。
パチュリーは出された紅茶を口に付け、眉を顰めた。

「甘っま……」

疲れている自分の為に甘い物を用意してくれたのだろうか?
以前淹れてもらった紅茶よりも更に甘かった。疲れた時には甘いものか。
大きなお世話だと思いながらも、パチュリーはそれを一気に飲みほした。

「はい、そこサボらない。あとここはこういう風に線を引いて!」

絵が描けるメイド達を集め、大量生産体制に入っている図書館。
しかし、魔力を込めて本に書かなければいけない為、既存の印刷技術は使えず、全て手作りとなっている。
作業は遅々として進まず、しかも本屋組合からの催促も五月蠅い。
引き受けるんじゃなかった。何度も何度もパチュリーは後悔した。
しかも、最近ではこの塗り絵のせいで人がおかしくなるという根も葉もない噂があるらしい。
製作者としては憤慨するしかなかった。




*    *    *    *




里に広くいき渡り、人間どころか妖怪も使う様になった塗り絵。
人々は塗り絵の中の世界で安らぎ、本の外で働くというリズムを完璧に作っており、夜中に出歩くような者は少なくなった。
ある家では、子供が親と一緒に色を塗り、お互いに色々と話しながら筆を動かしている。
またある家では若い夫婦がはにかみ合いながら一緒の床で色を塗っている。
一人寂しく過ごしている老人も、本の中では昔の伴侶と共に過ごせた。
本の中にいる時は誰も彼も何もかもが満ち足りた気持ちとなれた。
里の外でも幼い妖怪達が思い思いに色を塗り、好きな場面を思い描いていく。
とある夜雀は焼き鳥の無くなった世界で優雅に空を飛び、とある蛍の妖怪は何物にも邪魔されない世界で虫達と穏やかに過ごす。
ある氷の妖精は雪が舞い落ちる世界ではしゃぎ回り、その友人の風の妖精は一緒になって楽しそうに遊びまわる。
冥界の庭師は本の中で一層の修行に励み、常闇の妖怪は自由気ままに木にぶつかることなく闇の中を漂う。
紅魔館の二人の吸血鬼は、姉が妹を、妹が姉を思いやり、常夜の満月の世界で思いっきり遊びまわる。
全ての人々が本の中では、穏やかに過ごすことが出来た。
まるで小さな赤ん坊のように様に。覚めることのない夢の世界でぐっすりと眠りにつくかのように。
パチュリーが本を売りだしてから数カ月。人々は幸せに暮らしている。
しかし、そんなある日、里の人々の中で妙な者達が出始めた。
一日中、何をするでもなくただぼぅと何かを見つめ続けるだけで、食事もトイレも行かず、働きもせず家の中で立ち尽くすのである。
呼びかけても反応はなく、ただ、立っているだけで、魂だけがどこかに抜け落ちたかのようであった。
「抜け殻」と呼ばれるようになった彼等は、食事もなにもせず、ただ息を吸うだけであり、その体はどんどんと衰弱していった。
「抜け殻」は主に子供や若者に多く見られ、その親達は何も答えてくれない我が子に嘆き悲しみながらも、必死に食事を食べさせ、世話をしている。
そして、最初は子供が中心だった「抜け殻」も、段々とその手を広げていった。
「抜け殻」となった子供の世話をしていた親が今度は「抜け殻」となり、その家族の面倒を見ていた親戚の者が「抜け殻」に罹り、その隣に住んでいた者にまで「抜け殻」が進んでいく。
まるで疫病の様に広がっていくその病に有効な対処法はなく、人々は眠りにつくかのように、次々と「抜け殻」と化していった。
しかし、対処法は見つからずともその原因だけは案外早く見つかることとなる。
最初に「抜け殻」を患った者達について調べていくと、そのいずれもがパチュリーの塗り絵を頻繁に使っていた者達だった。
人々は口々にあの塗り絵が原因だと言い出し、それがいつしか諸悪の根源ということにされた。
そうして調べていくと、「抜け殻」に近い者が「抜け殻」を患う理由も簡単に見つかることとなる。
家族の誰かが抜け殻となり、その世話の疲れや絶望感が他の物に降りかかる。
そんな現実から逃れるために、世話をしていた者達があの塗り絵を使う様になる。
そうしてそれが恒常化していき、終いには「抜け殻」となるのだった。
このことから、里ではすぐさまあの塗り絵が禁止にされた。
そして、残された者達の恨みや怒りは紅魔館に向かうこととなったのである。

「紅魔館が全ての元凶だ!」
「紅魔館の魔女が俺達を陥れたんだ!」
「うちの子を返して! あの人を返して!」
「紅魔館は幻想郷を征服する気だったんだ!」

そんな言葉が、武器や石と一緒に紅魔館へ向けられた。
元々あまり評判が良くなく妙な噂が絶えない紅魔館である。人々は毎日のように紅魔館へ押し寄せた。
その度に門番長、紅 美鈴以下、門番隊が対応にあたり、怒り狂った人々を宥め、ある時は気絶させ、どうにか騒動を喰いとめている。
しかし、それでも紅魔館には少なからず暴動の傷痕ができ、ガラスが割られ、壁は壊され、対魔の結界までもが張られるあり様となっていた。
その騒ぎは日々大きくなり、紅魔館は今、喧噪に包まれている。

「今日も、外は騒がしいですね……」
「そもそも、勝手に抜け殻になったのはあっちよ。私はあれを作っただけじゃない!」

小悪魔の心配そうな声が聞こえる。
地下にある図書館はある程度は外の音を防ぐがそれにも限界がある。
今では防音の魔術を張っているあり様だ。
外からはどたばたと暴れ回る気配がする。
最初はただの暇潰しと、レミリアへの善意で作った塗り絵が、どうしてこう不本意な方向に話を進めるのだろうか。
パチュリーにはそれが納得できなかった。
どん、と館が軽く揺れる。外で何か起きたのだろうか。
机の上に積んでいた本の塔が崩れ、ばさばさと床に転がった。
それと共にインク瓶が倒れ、ぼたぼたと本を汚していく。
パチュリーの中で何かが切れる音がした。

「あいつらだって喜んで使っていたくせに、これじゃあただの逆恨みじゃない?!」

思わず大声をあげるパチュリー。
鼻息を荒くしながら、どん、と机を叩く。
その瞬間、肺に痛みが走ったようにパチュリーは感じた。
そして上手く息が出来なくなり、ヒューヒューと音が漏れ始める。
喉に何かが絡まったかの様に咳が酷くなり、喉の奥が切れたかのように痛い。
喘息の発作だ。しかも酷い。
しばらく悶え苦しんでいても、発作は治まることなくどんどん息が出来なくなってくる。
息を吸おうとしても、けひけひ言うだけで少しも息が吸えない。
体の中の酸素がどんどんと薄くなっていく感覚が分かった。
頭の中がどんどん白くなっていき、意識が朦朧としてくる。
思わず床に倒れ込むと、冷たい床の感触が全身を包んだ。
もう、こんなのはイヤ……そう思いながら、パチュリーの意識は暗闇へと沈んでいった。







夢を見ていた。
これは夢なんだと分かる夢だった。
いつものように本を読み、いつものように咲夜の紅茶を飲み、いつものように軽く談笑をして、また本を読み始める。
それはとてもとても幸せな気持ちだった。
以前のようなこんな生活に早く戻りたい……
夢の中なのに涙が流れたような気がした。







パチュリーが目を覚ますと、自室の天井が見えた。
起きてからしばらくぼうっとしていると扉が開く。
小悪魔が心配そうに入ってくる。

「気がつかれたようですね」
「いつもの発作よ。心配することではないわ」
「丸一日気を失っておられましたので、少し心配しましたよ」
「最近、ごたごたとしてたから体が疲れてたのよ……つくづく憎らしい体だわ」
「パチュリー様……」

小悪魔がどう言ってよいか分からない表情をしている。
しばらくの間、気まずい空気が流れた。

「パチェッ!」

突然、レミリアが部屋に飛び込んできた。
扉を壊すような勢いで、泣きそうな声を張り上げていた。
普段の彼女からは考えられないほど狼狽しうろたえている。

「レミィ、ノックぐらいしてほしいわ……」
「パチェ、咲夜が! 咲夜がぁ!!」

慌てふためき、不安そうなその顔には涙が見える。

「咲夜がずっと立ったまんま何もしないの! 咲夜が抜け殻になっちゃったぁ!!」

その言葉に、パチュリーは跳ね起きた。
まだふらつく体を無理矢理起こし、風の精を操って咲夜の部屋まで飛んでいく。
なんで咲夜が? あれほど注意したのに何故? 治療法はあるの?
そんな考えがぐるぐると頭の中を回っていた。
咲夜の部屋へ飛び込む。
そして、パチュリーが見たものはベッドの上に座り込んだまま動かないでいる瀟洒なメイド長の姿だった。
パジャマの姿のまま何も着飾らず、腑抜けた表情のまま虚空を見つめ続ける咲夜。
その瞳は何も写しておらず、まるでガラス玉のようだった。
普段から人間味の少ないその顔は血の気を失い、無表情のままで、まさに人形のようである。
生きているはずなのに生気が感じられない。人がそのまま人形になったようなそんな感覚であった。
机の上を見ると塗り絵がうず高く折り重なっており、絵の具と筆がそこらに散乱している。
小奇麗な部屋の中でそこだけが異様に汚れていた。

「なんで、こんなに……」

本の世界に―――自分の世界にここまで入り浸るほど疲れていたのだろうか?
全てが嫌になってしまったのだろうか?
尋ねようにも、咲夜は抜け殻のようにその場にいるだけだ。

「パチェ。咲夜は治るわよね……?」

後ろからか細い声が聞こえてくる。
最早その声は哀願に近い。
パチュリーが振りかえると、今にも崩れそうな表情をしてレミリアが立っていた。

「治る……いえ、治すわ。自分が作ったものに玩ばれるなんて真っ平ごめんよ!
 レミィ、とりあえず咲夜を図書館に運んで。色々調べるわ。七曜の魔女を舐めんじゃないわよ!」

そう言い切って、歯軋りをするパチュリー。
最早、決死の覚悟でやるしかない。
偏執的とも言える程の様子で彼女は「抜け殻」の治療に取り掛かり始めた。




*    *    *    *




その後、パチュリーは必死に「抜け殻」の治療法を探し続け、ある時、遂に治療法を発見する。
しかし、それは大変手間の掛るものであり、またパチュリーにも多大な負担をかけるものだった。
彼女は里の人々を何度も説得し、その度に石を投げられ、暴言を吐かれて、それでもなお諦めずに人々に治療をさせてほしいと願って回った。
そして、その治療法により多くの「抜け殻」の人々を治療していくこととなる。
その途中で何度も倒れ、血反吐を吐き、発作に襲われたが、それでもパチュリーは止まらなかった。
怒り狂っていた人々も、パチュリーの献身的な行動と必死な姿に心を打たれ、また家族や友人が元に戻ったことから、その怒りも消え失せていた。
そうして、最後には全てが元の鞘に収まったのである。

「一時はどうなることかと思ったわねぇ」

仄暗い図書館の中で、魔女と吸血鬼が談笑している。
墓碑のように連なる書架の群れは、いずれも本で満たされており、さながら本の墓場とも言えるかもしれない。
そんな中で僅かな光の下、パチュリーとレミリアは笑い合っていた。

「咲夜が脱け殻になった時は、流石に焦ったわ」
「パチェでも焦ることってあるんだ。意外だわ」
「当り前よ。あの子の淹れてくれる紅茶を飲みながら、ゆっくりとここで本を読むのが私の幸せなんだもの。それができなくなったら困る」
「結局は自分のため? 魔女ってどうしてこうエゴなのが多いのかしら?」
「自分に正直と言ってほしい」
「ま、終りよければ全て良しってことね。良い言葉だわ」
「結果が出ればそれでいいのよ。さて、そろそろエゴイスティックに本を読みたいから、席を外して頂戴」
「それじゃあ私はエゴイスティックに我儘を言って館を引っかき回そうかしら」
「迷惑極まりない」
「お互い様ね」

そう言って二人はにやりと笑う。
レミリアは陽気に扉から出て行き、パチュリーはのんびりと本を読み始める。
喉が乾いたら咲夜を呼び、お菓子と一緒に紅茶を用意してもらう。
ゆっくりと本を読みながら、闇に包まれた図書館の中で本を読んで過ごしていく生活。
愉快な友人と気が利くメイドと美味しい紅茶と本。
それだけあれば、もう何もいらない。
この紅魔館こそがパチュリーの理想の場所であった。
これからも彼女は本に囲まれて、幸せに過ごしていくのだろう。
彼女の大好きな人達と共に……

































……気に入りませんか? こんなご都合主義のハッピーエンドは。
パチュリー様はどうやって治療法を見つけたのか? その治療法とは一体何なのか?
それの説明がないままお話は終わってしまいましたねぇ……確かに、これじゃあご都合主義といわれても仕方がない。投げっぱなしですものね。
でも、私、小悪魔としては非常に面白いのです。
なんてったって七曜の魔女と言われ、稀代の天才とまで言われた魔女パチュリー・ノーレッジですら、ご都合主義に頼らざるを得なかったのですから。
パチュリー様ですら、こんな陳腐な物語しか思い描けなかったのです。
どういうことかって?
簡単です。パチュリー様は「抜け殻」の治療なんて出来ませんでした。全てが空想です。全てが妄想です。
ええ、「抜け殻」の治療法を編み出した瞬間も、血反吐を吐きながらも必死に家々を巡ったことも、ああやってお嬢様とお話していることでさえも、全てが妄想なのです。現実ではありません。
ここは本の世界。ええ、あの塗り絵の世界ですね。
ここでは全ての悩みから解放されるのです。
「抜け殻」の騒動はパチュリー様が解決なさり、持病の喘息は回復に向かい、好きな本を好きなだけ読めて、パチュリー様に都合の良いように世界が回っていきます。
ここでは苦しいことも悲しいことも不都合なこともないのです。
この場所こそがパチュリー様にとっての楽園であり理想郷なのです。
なんせ、夢の世界ですからね。
楽しく、幸せで、都合の良いことしか存在しません。
ちなみに現実の世界では、パチュリー様は眠りについておられます。
当時、「抜け殻」の治療法を発見できず、パチュリー様は大いに追い詰められておりました。
お嬢様からの涙交じりの怒声、里の人々の罵声、その中で早く結果を出さなければ、早く治療法を探さなければと焦っておりました。
お嬢様の前であんな啖呵を切ったのですから、早く解決しないと格好悪いですからねぇ。元々パチュリー様も完璧主義なところがございましたし。
そんな様々な重圧と結果が出ない焦り、何より本が読めないという今の環境。
それはパチュリー様の精神をじわじわと黒く蝕んでいきました。
自分の時間を削られるのを何より嫌がるお人ですからね。
それが心を真っ黒に塗りあげた時、パチュリー様は絶望と共に心を閉ざされたのです。
そうして、自らの手で強力な塗り絵をお作りになりました。
ええ、現実から逃げだしたのですね。何もかも放り出して。
そうしてご自分の世界の中に閉じこもった……本という世界の中に心を閉ざしたのです。
自閉した世界でパチュリー様は永遠に本を読み続けます。
それが彼女の望みです。それが彼女の幸せです。
誰もそれを邪魔しません。誰もそれを止めません。
どう思いますか?
パチュリー様の今の状態を不幸だと思いますか?
現実ではパチュリー様は寝ているだけです。息をしているだけで、ほとんど死んだようなものです。
ですが、その心は非常に満たされています。夢の中で、パチュリー様は幸せに本を読んでいるのです。
小さく笑みを湛えながら、非常に充実した日々を過ごしています。
本に埋もれた眠り姫ですよ。王子様なんか出てこない、自分で眠りについた眠り姫。
あと、里の人々の「抜け殻」は八雲の大妖が治療したそうです。
しかし、その神の如き力でもってもパチュリー様は治せないそうです。
自閉……完全に心を閉ざされてしまったのですね。それはそれは強力に、それはそれは強固に。
完全に本の中へ行ってしまわれたそうで、無理矢理やると精神を壊すそうです。
ところで「抜け殻」を治したのは本当に良いことだと思いますか?
「抜け殻」となった人々は、パチュリー様と同じように自分の最も望むべき世界の夢を見ていたのです。
楽しい楽しい理想の世界からいきなり苦しい現実へ……
治療された人々は気力が無くなり腑抜けになった人が多いそうですよ。
まあ、私には関係のないお話ですけどね。
え? なんでそんなに詳しいのかって?
ふふ、悪魔というのは人の幸せに敏感なのですよ。小悪魔イヤーはなんとやら。
話がそれましたね。
ところで、覚めない夢は本人にとって現実と同じです。なら、夢で幸せならそれでいいと思いませんか?
お話とかでは夢の世界より現実がいいってことをよく言いますけど、それは本当でしょうか?
苦しい現実に戻るくらいなら、覚めることのない夢を見ていたいと思いませんか?
ねえ、あなたはどう思います?
目覚めない夢の中へ行ってみたいと思いませんか?
ねぇ……
魔女の周りの人々は不幸じゃないかって?
当の本人がそれに気付かなければ、その人自身は別に不幸じゃないのですよ。












ユッキー様
本人さえよければ、どこであろうと理想郷は存在すると思うのです。
丁度、このパチュリーみたいに。

2様
眼の前に自分の不幸の原因があればそれを叩く。人間そんなもんだと思いますです。

パレット様
脱字指摘、ありがとうございます。
目が覚めるようなバッドエンドという、お褒めの言葉に感謝!
バッドエンドは、書いてて楽しい……

4様
咲夜さんの理想の世界は、まあ、ひたすら紅魔館の人達と笑って暮らしているんでしょう……
あんまし現実と変わらないかもしれませんね。

神鋼様
当初はもっと前半を明るくして、後半との落差を付けようと考えてました。
口の中に岩塩と醤油ブチ込むみたいな感じにしたかったなぁ。

気の所為様
幸せになった者への嫉妬、確かにそうかもしれません。そういうところも描写できるようになったら面白くなるんだろうなぁ。
俺も幸せになりてぇよお……

As様
夢の世界で満足できず、さらに夢を求める……欲深い人間はそうなるんでしょうかね?
まあ、そういう人間に悪魔は来るわけで。小悪魔が小悪魔やってると可愛いと思うんですよ。

笊様
ヴアルはなんとなく書いただけです。こういうの一々書かないと気になっちゃうんで……まあ、深い意味はなしですね。
お伽噺の眠り姫も、あれは本当に不幸せだったんでしょうかね?眠っていれば苦しいことも楽しいこともなにも起きません。まあ、それが幸せかどうかはともかく……

有文様
まあ、結局はほとんどは元通りなんです。里はゆかりんが治療しましたし、咲夜もゆかりんのおかげで治りました。唯一、変わったのが眠り続けるパチェだけ。
あと、小悪魔の語りの所は頑張りました!

ふじむらりゅう様
夢の外では全てが元通りなのにパチェは寝たまま、という悲劇を書こうと思ったんですけど、流石にゆかりんですべて解決! は安易過ぎましたね。
流石幻想郷の便利屋。使いどころが難しい。

ぴぃ様
うふふ、そういうお言葉でついついほくそ笑んでしまうのです。
オチがきちんとはまると、気持ちいい!!

佐藤厚志様
少しでも空恐ろしい雰囲気を感じ取っていただけたのなら、幸いです。
谷山浩子の音楽は聞いたことないので、今度聞いてみたいと思います!

読人様
幻想郷も決して理想郷ではないと思うのですよ。嫌な事も嫌な奴も沢山いる、そんなものだと思ってます。
あと、この作品はホラーとして書くつもりなかったのですが、あとから読み返してみたら見事にホラーですね。
個人的には世にも奇妙な物語的な感じの不思議な物語を思い描いていました。

14様
紅魔館、そんなに下手ですかね? まあ、確かにお嬢様ならそんなの関係ねぇ、って感じで暴れそうですけど……う〜ん、難しい。
あと、魔理沙はもう一回登場させるつもりだったんですが、展開の練り混みが足らず、書けませんでした……
絶望する直前のパチェと話させたかったのになぁ。

moki様
俺も欲しいです、この塗り絵……そしたらあんなことやこんなことをね……フヒヒ。
こちらの考えていた通りに楽しんでいただけたようで幸いです。

リコーダー様
あぁ、もっと罵って!
なんて冗談は置いといて、バッドエンドはいかに相手の心に残させるかなんで、胸糞悪いは褒め言葉ですよ!
咲夜さんのは軽い複線的なものです。まあ大したものじゃありませんが。

八重結界様
まあ、この世は胡蝶の夢の如しです。現実か夢かなんて自分では区別付きませんから。
今回の事件の最大の被害者はおそらくパチェさんでしょね。

18様
まあ、この塗り絵を何かの象徴と見立てて、見るというのも面白いかもしれません。
読んでいただき、ありがとうございます。

木村圭様
むう、フェードアウトのようにですか。面白そう。
理想は見てるだけだから理想なんですよね。
でも、このパチュリーの場合、その理想の世界が本を読むという世界だったんですよ。
新しいことなんて望んでおらず、本さえ読めればそれでいい……
そこらへんの描写をもっとやりたかったんですけどね。

K.M様
一番の被害者はパチュリー。一番可哀想なのがお嬢様って感じで考えております。
まあ、考えは人それぞれ。

つくし様
コメントお待ちしております。

時計屋様
そのSSを読んでみたい……そんなあなたのファンその一。
小悪魔の回想録とか一人称も考えたのですが、こちらの方は時間切れであえなく……
そして幸福か否かの話も、魔理沙辺りにやらせたかったのですが、時間が足らず……
もっと早めに書いてればよかったなぁ、と後悔。

ハバネロ様
マトリクスからも来てますし、攻殻機動隊からも来てたりしてます。まあ、割と使い古されたネタ?
夢の中に見る幻想。それはなんとも儚いものでしょうね。
三文字
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/05/09 23:44:01
更新日時:
2009/06/16 01:32:55
評価:
22/24
POINT:
130
Rate:
1.35
1. 8 ユッキー ■2009/05/10 15:56:22
理想郷のあり方とは人それぞれ
全てを失って得た幸せは・・・その人が振り向かなければ、きっと理想郷なのでしょう
2. 8 名前が無い程度の能力 ■2009/05/15 00:14:43
なかなか怖かったどすえ。
しかし里もなかなか身勝手だ。
3. 4 パレット ■2009/05/18 00:54:00
あのハッピーエンドで終わるのだったら落胆するしかありませんでしたが、ちゃんと目の覚めるようなバッド(?)エンドで胸がすっとしました。
「机の上を見ると塗り絵うず高く折り重なっており」←脱字でしょうか?
4. 7 名前が無い程度の能力 ■2009/05/25 17:19:01
まあオチは読めたがなかなか良かった
それにしても咲夜さんの理想の世界ってどんな世界だったんだろう
5. 3 神鋼 ■2009/06/03 19:02:58
これはキツイ。最後の最後で口の中に塩が残ってるような感じです。
6. 6 気の所為 ■2009/06/04 06:08:35
パチュリー自身は幸せ。でも、外側から見たら、それはバッドエンドにしか見えない。
けれどもそれは、周りを差し置いて幸せになった者への嫉妬でしかないのかもしれません。
今一度、理想と現実の幸福について考えさせてもらいました。
幸せになりてえよおおおぉぉぉぉぉ
7. 7 As ■2009/06/07 13:06:22
夢を見続けることは幸せですからね。ただ、その中で夢を見れるのかが気になります。
面白いお話でした。小悪魔が本当に小悪魔らしいのは珍しいと思いました。
8. 6 有文 ■2009/06/08 00:06:50
なかなか綺麗に、救い無くまとまりましたね、パチェさんも含めて。
語り部というか道化役の小悪魔も良い味を出していました
9. 6 ふじむらりゅう ■2009/06/11 00:31:58
 なんかすごいの読んだ気がする。
 でもまあ抜け殻解決策に紫出してくるのはそれこそご都合主義かもしれないなあ、と。
 よいバッドエンド、ていうのも表現としてどうかと思いますが、唸りました。
10. 7 ぴぃ ■2009/06/12 05:03:37
ちょっとご都合主義かなーと読んでいただけに、最後のオチにはぞくりとしました。
11. 7 佐藤厚志 ■2009/06/12 08:05:26
谷山浩子の音楽のように、恐ろしい企みに満ちた小説でございました。
夢のスープ、ガラスの巨人、鳥籠姫、そんな歌みたいに破滅的で、やっぱり怖いのだけれども、どこか魅力的な世界でございました。
12. 3 読人 ■2009/06/12 13:29:16
幻想郷なのに現実から逃避したい人が多いのは皮肉な話ですね。
ホラーな終わり方は良かったんですが、結局紫がご都合主義で投げっぱなしに解決したのはどうなんでしょう。
ホラーに徹するなら紫の件は蛇足に感じました。
13. -1 名前が無い程度の能力 ■2009/06/12 17:10:07
うーん……
咲夜や人里の人間が勝手なのは作品の流れとしてわかるんですが、
その結果の人里に対して紅魔館が随分と下手であることと、
人里に本の存在を広めた元凶である魔理沙が、その後全く関わってこないのが不自然かと。
いやまぁ、性格的に大騒ぎになったとたん知らんふりして雲隠れしてそうではあるんですが。
14. 7 moki ■2009/06/12 18:40:23
塗り絵の世界に入れるなんて素敵→やっぱ弊害あるよね→ん、ご都合主義じゃね?→ぱちぇぇぇええ(今ココ
でも、その塗り絵ほしいです。
15. 7 リコーダー ■2009/06/12 19:11:16
胸糞悪いなあ。(褒め言葉?)
思えば、咲夜さんには序盤から影がありましたな。
16. 8 八重結界 ■2009/06/12 19:24:50
小悪魔の独白も咲夜さんが書いた絵本の話なのかもしれない。突き詰めれば果てしなくなりそうなお話でした。
でもパチュリーの描いたご都合主義より、人間の方の都合が良いというのは何とも心を痛める。
17. 9 名前が無い程度の能力 ■2009/06/12 19:33:10
塗り絵を他のいろいろなもの・ことに置き換えて考えてしまって、どうしても楽しめなかった。
けれど、とても面白かったです。
18. 5 木村圭 ■2009/06/12 21:54:53
想像してたよりもはっきりとした結末を迎えたなぁ、と。個人的にはもっと曖昧に曖昧にフェードアウトしていく方が好みです。
さて、夢の世界ですか。一時なら是非是非、ずっとは勘弁。
理想なんて劇物はテキトーに断片を思い浮かべてニヤける程度で十二分なのですよ。
よほど卓越した想像力を持っていない限りすぐに新しいことが何一つ起きなくなってしまう、なんて弊害もありますし、ね。
19. 7 K.M ■2009/06/12 23:06:03
後悔はいつでも後からやってくる、と。レミリアが一番不憫かなこの場合は。
20. 8 つくし ■2009/06/12 23:17:05
申し訳ありません、時間が差し迫っているため、採点のみにて、感想本文は後ほど改めて。
21. 6 時計屋 ■2009/06/12 23:17:44
 夢の中に居る人間が幸福かどうか。
 それは死んだ人間があの世で幸福に暮らしているかを考えるように幻想的な話ですね。
 ただ同じ世の中に生きていないものに対して幸福かどうか考えるのはそもそもナンセンスというのが私の考え方でして――。
 とまあ、この調子で語りだすと終いにはSSが一本出来上がりそうなので、ここらで休題。

 要するに、私はこの手のSSが好きだということです。
 特に「……気に入りませんか? こんなご都合主義のハッピーエンドは」という子悪魔の一言が良かった。
 まさに「なに、この尻切れトンボな終わり方。時間切れ?」って思っていた矢先だったので、やられたという感じでした。
 ただ最後にああいう演出をもってくるなら、子悪魔の一人称、もしくは回顧録という形に統一して欲しかったな、とは思いましたが。
 後はこのテーマをもう少し深く掘り下げて欲しかった。特にオチに入る前に、幸福か否かの両論を象徴するエピソードがあれば良かったかなあ、と個人的には思いました。
22. 2 ハバネロ ■2009/06/12 23:24:55
これなんてマトリクス

しかし幻想郷、それ自体が夢でない保証もなく
23. フリーレス 匿名評価
24. フリーレス 無尽君 ■2010/01/21 17:00:02
パチェが夢の世界に逃げ込んで終わり、ならわりとよくある話ですが、
紫があっさり解決してしまったという一文によって後味の悪さが増幅されています。
これを余計な雑味と見るか隠し味と見るかは評価の分かれるところでしょうが、他との差別化という観点からも入れて正解だったかと。
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