ところにより鮫が降るでしょう

作品集: 最新 投稿日時: 2009/11/19 20:59:09 更新日時: 2009/11/19 20:59:09 評価: 28/30 POINT: 172 Rate: 1.36
 
 永遠亭の食事を担当しているのはウドンゲであり、そのウドンゲがいなければ代わりを勤めるのは永琳の仕事である。だから食卓にやたらと黒っぽい料理が並べられても、まったくおかしくはないのだ。
 そんなわけあるか。
「あの、お師匠様。全体的に料理が黒いんですけど」
「薬膳料理だから、身体には良いわよ」
 良薬口に苦しとは良く言ったもので、そんな諺を作った奴を殴りつけてやりたい気分でいっぱいだ。
 死を恐れぬ輝夜は平気な顔をして永琳の黒っぽい料理を食べている。あげく、箸が止まったてゐに対して、何故食べないのかと首を傾げる始末だ。
 冗談じゃない。こっちとら輝夜と違って不死ではないのだ。変な弾みで毒性を持った料理を口にしたならば、今夜の夕食になるのは自分自身なのだ。
「どうしたの、てゐ。具合でも悪いの?」
 悪いと言えば得体の知れない薬を処方され、良いと言えば得体の知れない薬膳料理を食べさせられ。金や銀に追い込まれる王将の気分を味わっているようだ。出来れば盤上から飛び出したいものである。
「私は健康だから、姫様にあげますよ」
「健康なんて私には関係ないわよ。病気にはならないし。それに、どうせ薬も効かないし」
 聞き慣れぬ発言に耳を疑った。永琳に薬が効かないというのは衆知の事実だが、輝夜も同じ体質をしているというのは初めて聞いたのだ。眉をひそめるてゐに対し、輝夜は呆れたように説明を始める。
「薬ってのはわざと身体を病気にして、それで免疫をつけてるようなもんよ。副作用だってあるし、血清だって毒だしね。だから私には病も薬も通用しないわ」
 なるほど、と頷いた。それならば確かに薬が効かない理由にも合点がいく。
「そういうわけだから、遠慮せずに食べるといいわ」
 逃げ道を封じられた。時間稼ぎも意味を成さず、最早食べるしかない未来だけがてゐを待ち受けている。
 いつまでも躊躇っているわけにもいかない。ウドンゲは朝市に出かけたっきり帰ってこず、援軍の見込みも皆無だった。このまま箸を止めていても、状況は一向に改善されないのだ。
 恐る恐る箸を伸ばし、黒いの一言でしか表せない何かを掴む。匂いはさして強くなく、かといって正露丸のような独特の臭みもない。目さえ瞑れば食べられそうだ。こちらを永琳が凝視していなければの話だが。
 意を決し、てゐは黒っぽい何かを口の中へと運び込む。咀嚼、咀嚼。味わう暇もなく飲み込む。
 不味くはない。だが、決して美味しくはない。出来の悪い栄養食を食べているみたいで、ビタミンやらミネラルを豊富に含んでいそうな感じはした。無論、褒め言葉ではない。
『幻想郷もすっかり肌寒くなって参りましたね。それでは、各地の天気を見てみましょう』
 テレビの中では、脳天気そうな天狗が幻想郷の地図をバックに天気予報の解説をしていた。その笑顔が今だけは腹立たしい。
『明日は全体的に晴れますが、午後からは次第に天気が崩れ、所によっては鮫が降るでしょう』
 箸が再び止まる。今度は料理に怯んだからではない。
 てゐは自分の耳を疑った。人間と同じ位置に付いているのではないかという事ではなく、本当に機能しているのかと。ウドンゲのようなアンテナではないのだ。正真正銘、純度100%の自前の耳だ。当然、ちゃんと今日も正常運行している。
 だとすれば、先程のは現実。紛れもなく、事実。
 料理ではなく記憶を咀嚼して、真偽の程を確かめる。どう考えても聞き間違いか、あるいは脳みそがおかしくなかったかの二択であった。空から鮫が降ってくるなど、所によっても有り得ない。
 それとも何かのドッキリ企画なのか。この後お天気お姉さんの代わりにヘルメットを被って看板を持った天狗が現れ、きっとその板きれには『大成功』の三文字が躍っているのだ。
 そして、天気予報は何事もなく終了した。勿論、ドッキリでしたというオチもない。てゐが託した最後の希望は、あっさりと否定されたのだった。
「聞いた、永琳? 明日、鮫が降るんですって」
「嫌ですね、せっかく洗濯物を干そうと思っていたのに」
 輝夜達の会話で、脳みそが香ばしい焼き味噌に調理された可能性も消え果てる。
 どうやら明日、本当に空から鮫が降ってくるらしい。
 だとしたら、こうしてはいられない。
「ご馳走様でした!」
 朝食もそこそこに、てゐは走りだした。因幡の白ウサギにとって、鮫は天敵という二文字で収まるような相手ではない。
 ちゃんとした準備がなければ丸裸にされて、因幡のモロウサギになってしまう。これでは自叙伝が発禁を喰らい、お子様達はてゐの大冒険を知ることなく大人への怪談をアクロバティックに駆け上がってしまうことだろう。
 それはいけない。
 正直、鮫が降るのかと思えば膝が震える。心臓が痛い。買ってきた本を積みっぱなしにしてしまう。等々の諸症状が現れ、いかにてゐが鮫を苦手としているか分からせてくれるのだ。
 立ち向かうのは怖い。だけど、ここで挑まなければトラウマを克服することもできないだろう。
 そう、ピンチをチャンスに変えるのだ。
 明日、自分は!






 てゐは決意したのだろう。鮫と戦う道を。勇ましく出て行く様から、それは容易に想像できた。
 ちょっと小馬鹿にするような、意地の悪い笑みを浮かべる輝夜。
「まんまと騙されたみたいね、あの子」
「そうですね」
 相槌をうつ永琳は、いつも通りの無表情で呟いた。
 当然の話だが、空から鮫が降ってくるはずもない。あれは日頃から悪戯が過ぎるてゐに対しての、ちょっとしたお灸だったのだ。効果は抜群だったらしく、呆気にとられていたてゐの顔を思い出して輝夜はまた顔を歪める。
「これに懲りて、もうちょっと悪戯を控えてくれるとありがたいんだけど。まぁ、どうせほとぼりが冷めたらまたやるんでしょうね」
 だが、効果があった事は事実。それはてゐの心に残り、何らかの形で楔となるだろう。
 それだけでも、やった価値があるというものだ。
 全ては永琳に任せ、何をどうやったのか。輝夜は全く知らなかったが。
「ところで、永琳。さっきのはどうやったの? 天狗でも買収して言わせたのかしら?」
「そんな真似するわけないでしょう。ただちょっと、本当に鮫が降るようにしただけです」
「…………え?」
 輝夜の笑顔が凍り付いた。
 聞こえてきた単語は日本語のはずなのに、全く理解ができない。
「それなりに苦労はしましたけど、これでてゐも懲りるでしょう」
「いやいや。懲りるとか、そういう問題じゃないから。ていうか嘘なんでしょ? 嘘って言ってよ永琳!」
 投げ飛ばす勢いで、永琳の襟元を掴みあげた。若干苦しそうな顔を見せつつも、澱むことなく彼女は答える。
「本当に決まってるじゃないですか」
 明日、永遠亭に鮫が降る。





 沈痛な面持ちで輝夜が語ったのは、自分を騙す為の作戦だった。
 それほど自分の悪戯が他人にダメージを与えている事は喜ぶべきなのだが、いかんせんお仕置きが予想外の方向にぶっ飛びすぎている。これには、さすがの輝夜も戸惑うしかなかった。
 一人で鮫に挑むのは無謀。ならば、ここはてゐと共闘すべきではないか。そういう結論に到ったらしく、自分の所へ来て、これまでの経緯を全て話してくれた。輝夜や永琳に対する報復はさておくとして、問題は明日の鮫である。
「やっぱり、降るんですよね?」
「永琳の目は真剣と書いてしゃべり場だったわ。断言してもいい。明日は鮫が降る」
 これが外の世界ならば、まだ笑い飛ばすことができただろうに。今だけは幻想郷という環境が恨めしい。
 二人は空を見上げた。雲一つない快晴が、温かい陽気を地上へと運んできてくれる。
 現実に起こると分かっていても、俄には信じられない話だ。この空から、鮫が降ってくるだなんて。
「どうします、姫様」
「どうするって言っても……本心では逃げたいわよ。所によって降るのならば、降らない所もある。だから少なくとも永遠亭を離れれば、ひとまずの安心は買えるでしょうね」
 だけど、と輝夜は力強く言い放つ。
「私は此処から逃げるつもりなんてない。あなたも何か決意したみたいだけど、私も気持ちは同じよ。永遠亭は私達の住処。ここを鮫に蹂躙されるだなんて、到底許せるような話じゃないわ!」
 目に炎を携え、熱い口調で語った。今ならば、この人についていっても良いと思える。
 高らかに掲げられた拳に、横から手を添えた。輝夜の目がてゐを見る。だから自信満々に頷いたのだ。
「ふふふ、頼もしいわねイナバ」
「姫様こそ、格好いいですよ」
 互いを称え合う二人。時間帯が時間帯ならば、そのバックには綺麗な夕日が見えたことだろう。
「さぁ、それじゃあ始めましょうか」
 着物の裾を翻し、輝夜は優雅な仕草で永遠亭に向き直った。
「始めるって、何をですか?」
「イナバ。鮫の弱点は何かしら?」
 唐突だったことよりも、その内容で答えに詰まる。鮫の弱点と言われても、知っているならそこを突いて逆にトラウマを植え付けてやった。
 素直に首を左右へ振るてゐ。輝夜は人差し指で天を指し、得意気な声色で言い切った。
「それは、醤油よ!」
 目から鱗が落ちた。そうだ、所詮は奴も魚の仲間。捌いて醤油で頂けば、今夜の夕食はあっさりとした風味が味わい深い、鮫の刺身でお腹を膨らませることだろう。
 もっとも鮫の食感は独特で、到底お腹一杯まで食べることなど難しいのだが、輝夜の言葉に感動しているてゐの頭は覚えていない。
「さすが姫様!」
「だから永遠亭の庭に醤油を撒きなさい。奴らが落ちてきたところを捌いて、今夜は鮫パーティーよ!」
「了解です!」
 この計画は醤油の瓶を持ち出そうとしたところで永琳に見つかってしまい、中止を余儀なくされた。
 輝夜は大いに嘆き、里からくすねてきたワサビを冷蔵庫へ仕舞い込んだ。ちなみに彼女はワサビだと言い張っているけれど、どう見てもあれはゴボウである。
 しかしそんな事は些末なものだと、輝夜は次なる秘策を持ち出してきた。
「イナバ、鮫の特徴と言えば何かしら?」
 瞬時に思い浮かんだのは、あの特徴的な臭いである。アンモニア臭と呼ばれるあれは、好んで嗅ぎたくなるようなものではなかった。
 教師のようにゆっくりと頷き、永遠亭の壁を手のひらで思い切り叩く。壁が黒板だったなら、完璧に熱血教師と呼ばれていたことだろう。
「そう! 要はあのアンモニア臭をどうにかしてしまえばいいのよ!」
「で、でも臭いだけじゃどうにも……」
 テキサス風の舌打ちと共に、人差し指が左右に振られる。
「甘いわね。鮫にとってあの臭いは武器! その武器が通用しないのなら、おのずと奴らは撤退していくことでしょう!」
 頭を横から殴られたような衝撃がてゐを襲った。鮫の臭いを消す事とは即ち、武装した兵士から武器を奪う事に等しいのだ。
 丸裸となった鮫など、最早てゐの恐れるものではない。飛べない鶏はただの鶏だ。
 後はそれこそ文字通り、じっくりと料理してやればいい。
 微かに光明が見えてきた。
「でも、どうやって鮫の臭いを消すんですか? あれ、簡単に落ちないと思いますよ?」
「ふふふ、こんな事もあろうかと密かに通販でこれを買っておいてたのよ!」
 懐から取り出されたのは、見覚えのないスプレー缶だった。目に毒々しい真っ黄色は、髪のお手入れというよりも虫退治という言葉が相応しい。
「何ですか、それ」
「これぞリリーホワイトから抽出した成分を使って作られた消臭剤。ファブリリーズ!」
「ファブリリーズ!」
 聞き覚えのある響きだが、この際そんなことは気にしない。
 輝夜がスイッチを押してみれば、空に向けられたスプレー缶の先から白い煙が吐き出された。
『ハルデスヨー』
 缶の中から不思議な声が聞こえてきた。面白い機能だが、果たして何か意味があるのだろうか。
「姫様、姫様。私にもやらせてくださいよ」
「いいわよ。でも、『あまり使いすぎないでください』って注意書きに書いてあったから気を付けるように」
 分かりましたと返事をして、すぐさまてゐはスイッチを連打した。
『ハルデスヨーハルデスヨーハルデスヨーハルデスヨーハルデスヨー』
「あまりやりすぎると無くなるわよ」
 輝夜の忠告も無視して、てゐは連打の速度をあげた。
『ハルデスヨーハルデスヨー、大概にしとけよ、お前』
「ひいっ!」
 悲鳴をあげる二人。手から落ちたスプレー缶が、ころころと地面を転がっていく。
 様子を窺いにきたのか。玄関の戸を開いて、永琳が現れた。
「何してるんですか、二人とも」
「え、永琳! 消臭剤が反抗期なの!」
「はぁ?」
 訝しげに眉をひそめ、素っ頓狂な声をあげる永琳。
 その時の彼女の冷たい眼差しを、てゐは一生忘れないだろうと後に語った。





 里での買い物が終わり、戻ってみれば永遠亭が要塞になっていた。
 塀は竹槍で武装され、周囲は有刺鉄線で覆われている。唯一の出入り口と思わしき門には、ヘルメットを被った兎が配置されていた。一瞬、月の連中が攻めてくるのかとも思ったが、それにしては塀に張られた『打倒!アンモニア!』という文字の意味が分からない。
 首を傾げ、買い物袋を落とさないように気を付けながら、小走りで門へと向かう。
「あの、なにこれ?」
 門番をしていた兎は何も言わず、永遠亭の方へと引っ込んでいった。自分がいない間に、何が起こったのか。想像すら働かない。
 物々しい雰囲気を無視して、中へ入るべきか。しばらく悩んでいたが、輝夜らしき人物がてゐを引き連れてやってきたので話を聞くことにした。
「姫様、何でこんなことになってるんですか?」
 てゐはウドンゲの無知を嘆くような仕草で顔を覆い、輝夜はあからさまに失望していることが分かる溜息をついた。
「イナバ、あなた天気予報を見なかったの?」
「見ましたよ、里で」
 昨今の里ではテレビの普及が著しいものの、まだまだ街頭テレビは健在だ。そこで天狗がやっている天気予報を見て、ウドンゲは今日も晴れで気持ちが良いなあなどと感想を漏らしていた。
「だったら、分かるでしょ?」
「いえ、まったく」
 そも、天気で武装する意味が分からない。槍でも降るだろうか。
 沈痛な面持ちで、輝夜は空を見上げた。
「鮫が降るのよ、当然の対処でしょ」
 そういえば耳の掃除をしばらくしていなかった。忙しいこともあり、すっかり忘れていたのだ。帰ったら、まず耳掃除をすることから始めよう。
 丁寧に頭をさげ、輝夜とてゐの横を通り過ぎようとする。
 頭の耳を引っ張られた。
「何よ、その反応」
「姫様。いくら現実に飽きたからといって妄想の世界に逃げても辛いだけですよ」
「妄想じゃないわよ!」
 時というのは残酷なものだ。聡明な少女を、かくも愚かな人間に変えてしまうのだから。
 慈愛に満ちた眼差しを向けられ、怯んだ輝夜はてゐに援軍を求める。
「姫様の言ってることは本当だよ。それは私が保証する」
「あんたの保証で確信したわ。姫様、師匠に相談しましょう。薬は効かないだろうけど、カウンセリングならやってくれますよ」
 てゐの保証など、逆効果に決まっていた。
「だから、イナバも天気予報を見たんでしょ!」
「見ましたよ」
「だったら何で分からないのよ! 天気予報で言ってたじゃない! 明日はところにより鮫が降るって!」
 しばし考え、里で見た天気予報を思い出す。脳天気そうな天狗は、間違っても鮫が降るなどと言っていなかった。
 素直に首を左右に降るウドンゲ。信じられないといった表情で、輝夜とてゐは固まった。
 あるいはてゐの悪戯かと思っていたけれど、この様子だとてゐも本気でそう思っているらしい。
「どういうことなの……」
「それはこっちの台詞です。本当に鮫が降るなんて言ってたんですか?」
「い、言ってたわよね。てゐ」
「い、言っていたような気もします」
 分はこちらにある。なにせ、鮫は空から降ってこない。
 次第に自信が無くなったのだろう。輝夜とてゐは顔を見合わせ、必死な形相で鮫が降るのだと確認し合っていた。
「小雨なら降るって言ってましたけど、それと聞き間違えんじゃないですか?」
 いよいよ、自信が枯渇してきたようだ。そうかもしれないと、覚りでもないのに心の声が聞こえてきそうな表情へと変わる。
「だってお師匠様もそう言っていましたし……」
「そうよ! 永琳にも聞いてみましょう!」
 瞳を輝かせ、輝夜は言った。どうやら永琳も鮫が降るという天気予報を見ていたらしい。
 悪戯好きのてゐ。退屈を持てあましている輝夜。彼女らと違って、永琳の言葉ならばウドンゲも信じざるをえなかった。もしも、鮫が降るのだと言ってくれればの話であるけど。
 三人はそれぞれの緊張を抱えながら、永琳の自室へと足を踏み入れた。相変わらず薬臭い部屋の中で、永琳は書類との睨めっこを繰り広げていた。
「あら、どうしたんですか姫様。それにウドンゲもてゐも」
 真剣な表情を見て、永琳が訝しげにそう言う。三人揃って、しかも真面目な顔で永琳と向き合ったことなど地球が誕生して以来一度もない。互いの顔を見合わせて、代表者の輝夜が一歩前へ出た。
「永琳。一つだけ聞かせて欲しいことがあるんだけど」
「はい、何でしょう」
 唾を飲む。震える身体を押さえながら、輝夜は口を開いた。
「明日、鮫が降るって天気予報は言ってたわよね」
 至って普通の表情で、永琳は答えた。
「ええ、言ってましたね」
 有り得ない。有り得るはずがない。
 衝撃で固まるウドンゲをよそに、勝訴の紙切れを突きつけて、てゐと熱い抱擁をかわす輝夜。そのまま腕を組み、さながらメリーゴーランドのようにてゐを回し始めた。
「そ、そんな馬鹿なことが……」
 だが、月の頭脳たる八意永琳の言葉。意味が分からないことを言ったとしても、軽々しく嘘をつくような医者ではない。その事をウドンゲはよく知っていただけに、この言葉には誰よりも驚きを隠せないでいた。
 物理法則を踏みにじる幻想郷にあっても、多少の常識は持ち合わせていると思っていたのに。まさか緑の巫女に倣って、幻想郷も常識に囚われなくなったというのか。
 膝から崩れ落ち、がっくりと畳に項垂れた。いぐさの上に、ぽつりぽつりと涙がこぼれ落ちる。
「まぁ、本当に鮫が降ることはないでしょうけどね」
 涙がひいた。輝夜が止まった。てゐが窓を突き破り、遙か遠くへと投げられた。
 無茶しやがって。
「ど、ど、ど、どういうことよ永琳!」
「そ、そ、そ、そうです師匠!」
「き、き、き、決まってるじゃない!」
 何故あなたがどもる。ツッコミ不可能のこの状況では、指摘する者は誰もいなかった。
「空から鮫が降るわけないでしょ」
「でもでも! 天気予報では降るって!」
 やれやれと溜息を漏らし、棚の中からやたらと黒い錠剤の詰まった瓶を取り出した。
 ウドンゲは、その瓶に見覚えがあった。
「もしかして、これって『胡蝶夢丸』ですか!」
「違うわ。これは『こ聴無丸』よ」
 発音は同じだが、意味が全く異なっている。
「即ち、『こ』という音が『聴』こえ『無』いようになる薬。それを朝食に混ぜておいたの」
「そうか……だから小雨が鮫に聞こえたのね!」
 小雨から『こ』を抜けば『さめ』。鮫という意味に捉えられなくもない。
 俄に納得しかけた輝夜だったが、すぐさま新しい疑問が浮かび上がったようだ。永琳を睨み付け、詰め寄った。
「だけど、どうしてそんな事をしたのよ! 本当に鮫が降ると思って、こっちがどれだけ怖い思いをしたのか分かってるの!」
 されるがままになっていた永琳は、自嘲するような笑みを漏らした。
「お灸が必要なのは、てゐだけじゃ無かったんですよ、姫様。あなたにも据える必要があった」
 静かに語る永琳の言葉に、ウドンゲは心の中で頷いてしまう。詳しい話は見えないけれど、どうやら最初はてゐにお灸を据えようとしていたらしい。だけど、この永遠亭において問題児なのはてゐだけではないのだ。
 暇を持てあまし、生きる者を馬鹿にするような真似をしていた輝夜もまた、てゐと同じく問題児だった。だからせめて永琳は知っていて貰いたかったのだろう。人を馬鹿にするということが、どれだけ傷つけるかということを。
 黙して語らず。沈黙の中で、輝夜も永琳の真意を悟ったらしい。
 襟元を掴んでいた手を離し、気まずそうな表情で顔を逸らした。
「今はまだ、私のしたことに対して結論を出す必要はありません。ただ、悪戯された人間の気持ちを知って頂ければ、それで良いのですよ」
 書類を机に放り投げ、永琳は部屋を後にする。俯いた輝夜に、一つの言葉もかけずに。
 薄情だと思う人もいるかもしれないが、ウドンゲはそう思わなかった。きっと、これも永琳なりの愛情なのだろう。
「悪かったわね、イナバ」
「え?」
 いきなり謝られ、驚いた声しかあげられない。
 微かに頬を染めながら、輝夜は苛立たしげに同じ台詞を呟いた。今度は少し、大きな声で。
「悪かったわね、イナバ!」
 永琳の言動が、輝夜を変えたのだろう。彼女が謝っているのは、なにも今日だけのことではない。きっと今までの事に対しての謝罪も含まれているはずだ。それを言わないあたりが輝夜らしい。
 ウドンゲも照れくさそうに頭を掻きながら、何と答えたものか困っていた。
 そこへ、投げ飛ばされたてゐが戻ってくる。
「ビックリした。宇宙、空気あったわ」
 どこまで飛んでいったのだろう。気にはなるが、それよりも伝えなければならない事がある。
 ウドンゲは、永琳の行動や真意を全て余すことなくてゐへ伝えた。
 しばらく黙って聞いていたてゐは、眉をひそめて口を開いた。
「いや、私はいいけどさ。姫様に薬って効くの?」
「え」
「あ」
 
 
 
 
 
 永遠亭限定の天気予報を製作した天狗は、何故か羽振りが良くなったという。
八重結界
http://makiqx.blog53.fc2.com/
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/11/19 20:59:09
更新日時:
2009/11/19 20:59:09
評価:
28/30
POINT:
172
Rate:
1.36
1. 7 バーボン ■2009/11/22 10:52:23
「あれ、輝夜に薬効かないんじゃ」と思っていたら、しっかりオチに使われていて納得。
前半のドタバタっぷりが面白かったです。しかし「こ聴夢丸」で小雨を鮫にする発想はありませんでした。
小ネタにもクスリとさせられ、テンポ良く楽しんで読めました。
2. 6 shinsokku ■2009/11/24 12:08:17
ああ、今夜もさめざめ降るよ。この恵みで咲かすんや、ゼニの花を…
3. 10 歩人 ■2009/11/28 15:51:07
いいねこれ。超笑ったw
4. 7 神鋼 ■2009/11/29 17:20:55
黙々と読んでいたら『大概にしとけよ、お前』の一言で一気に持っていかれました。

……先日、こちらの地方でも鮫が降りました。ちょっぴり腕を咬まれましたが私は元気です。
5. 8 リーノ ■2009/12/01 11:56:37
>永琳の目は真剣と書いてしゃべり場だったわ

意味わからのいのに、妙な説得力を感じて笑ってしまった。
実際、鮫を食べる習慣がある地方は結構あるらしいですね。
6. 10 nns ■2009/12/02 17:58:11
スプレーの中身は黒リリーに違いない
7. 7 はば ■2009/12/08 19:10:11
最後でやられた
そうだよね、こ聴無丸でまとめるわけないよね
8. 7 文鎮 ■2009/12/14 20:06:08
オチがちょっと弱かった気がしますが、突っ込みどころが多くて面白かったです。
鮫の肉って意外と美味しいですよね。
9. 7 名前が無い程度の能力 ■2009/12/31 17:31:55
天狗自重
10. 6 藤木寸流 ■2010/01/04 01:02:49
 文ちゃんぼろ儲け。
 てゐのテンションと、永琳の天然なのか作ってるのかよくわからないボケが好きです。
11. 2 白錨 ■2010/01/10 00:33:39
兎って、こんな馬鹿だったけ(笑)と思ったら薬かよっ! という二重の引っ掛けに
私はまんまと騙されました。
12. 4 パレット ■2010/01/10 04:44:12
 ところどころ笑わせてくる上にオチもしっかりついてる。
 誰だかはわからんけど、作者さんこなれてるなあ。
13. 7 静かな部屋 ■2010/01/11 11:00:35
な、なにが起きたんだ?
しかし、ナイス伏線でした。
14. 5 椒良徳 ■2010/01/11 17:12:59
>大人への怪談をアクロバティックに駆け上がってしまうことだろう。
誤字なのかわざとなのかが判らないので、一応指摘しておきます。

腹を抱えて笑うほどのパワーはありませんが、上手いことまとまっていると思います。
クスリと笑える掌編ということで、この点数を入れさせて頂きます。

ただ、これだけは言っておきたい。フカの湯引きは酢味噌に限る。
15. 6 竜弥 ■2010/01/12 11:19:36
永遠亭に鮫が降ってるシーンを想像したらシュールすぎた。
とりあえず、ファブリリーズ欲しいんですがどこで買えますか?
16. 6 ホイセケヌ ■2010/01/13 14:43:04
テ豌ラ、ォ、テ、ソ。」
テ豌ラ、ォ、テ、ソ、ア、ノ。「スメサ、ト・、・・ム・ッ・ネ、ャラ网鬢ハ、、モ。マ。」、、、茖「o、ャスオ、、ミウ莵ヨ・、・・ム・ッ・ネエ、ュ、、、ヌ、ケ、ア、ノ、ヘ」ソ。。、ノ、ヲ、キ、ニ、ォ。クテ豌ラ、、。ケ、ネヒシ、テ、ニ、、、、ホ、ヒ。「ミヲ、ィ、ソ、ネ、ウ、、ャノル、ハ、ォ、テ、ソ。」ネヒイ、筅「、、ネヒシ、ヲ。」
17. 7 詩所 ■2010/01/13 21:46:09
 はれときどきぶたを思い出しました。
 台風や竜巻なんかで、蛙とか魚が実際に降ったことはあるみたいですし、鮫が降ったくらいでは……幻想郷には海ないね。
18. 8 零四季 ■2010/01/13 22:09:22
上手く落ちた! と思います!
途中までは多少読めてしまったけれど、……こ聴無丸はw
どうでもいいけどフカってまだ食べたことないです。美味しいらしいけれど
19. 8 deso ■2010/01/14 01:41:21
ハルデスヨーで吹いちゃいましたよ!
小気味よくまとまってて、面白かったです。
タイトルのインパクトもナイス。
20. 5 やぶH ■2010/01/14 23:12:02
んんん? 話のオチがわかるようなわからないような。
しかし、こ聴無丸は上手いですな! 確かに鮫が降ってくる!
21. 6 774 ■2010/01/15 00:06:20
おい天狗w
面白かったんですが、少し強引かと思いました。若干の出オチ感。
あと、3節(?)目の頭など、ちょっと分かりづらいところがありました。
22. 5 2号 ■2010/01/15 08:12:20
落ちも利いてて、面白い短編でした。
さくさく読めてよかったです。
23. 6 時計屋 ■2010/01/15 21:32:18
 オチがうまいなあ。実に見事な二段オチ。なるほど冒頭の会話をここにつなげるのかと。
 文章も滑稽な言い回しが絶妙で面白かったのですが、ギャグSSとしては中盤ちょっと勢い不足かなあ、と思いました。
 しかし、力を抜いてすらすらと読める、良質な短編でした。
24. 6 焼麩 ■2010/01/15 22:22:34
タイトルにもの凄く惹きつけられたので。どうしたらそんな発想ができますか。
曲がっているようでお題に関してはまっすぐ。
思いつく限りでは、こんな奇想をする作家は一人くらいしかいません。
25. 5 木村圭 ■2010/01/15 22:54:00
惜しい。会話に「こ」が一つも出てこなければ2点は上乗せして良いネタだったと思います。
それと、前半部分で薬の可能性を否定しておいてこのオチはいただけない。
確かに意外ではあるんですが、もやっとした読後感の悪さが残ってしまいました。
タイトルと文章には大いに笑わせてもらっただけに色々と勿体無い。
26. 3 近藤@紫 ■2010/01/15 23:24:01
(・ω・)
27. 3 ■2010/01/15 23:27:26
軽いノリで面白かったです
4コマの永遠亭だとこんな感じになってそう
28. 5 如月日向 ■2010/01/15 23:34:35
 二重三重のトラップ……師匠さすがですね。
 小雨の聞き間違いオチを予測していましたが、騙されましたっ。
 ところどころ、誰の一人称かわかりづらいところがありました。
29. フリーレス zhxcuzdb ■2011/12/16 12:58:48
E0xRp8 <a href="http://zctrsnqfjupv.com/">zctrsnqfjupv</a>, [url=http://xbecfhytyeaq.com/]xbecfhytyeaq[/url], [link=http://xgchxshajrjo.com/]xgchxshajrjo[/link], http://lpdbzdcgqdbs.com/
30. フリーレス luwuuvdhvuh ■2013/07/14 19:32:46
3Wh8Dx <a href="http://xujkijsbllrd.com/">xujkijsbllrd</a>, [url=http://wdeujrkqauqw.com/]wdeujrkqauqw[/url], [link=http://chifppmddckf.com/]chifppmddckf[/link], http://wtbkrvagjrue.com/
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