アナベル・リーの雨空

作品集: 最新 投稿日時: 2009/11/21 04:29:01 更新日時: 2009/11/21 04:29:01 評価: 21/21 POINT: 101 Rate: 1.15


 
 雨足が森の木々を爪弾いて、さやさやと囁きながら宿り木を濡らします。
 大きな枝振りに匿われた平穏な二人の道行きは、雨宿りに立ち停まるのも予定調和のように、くすくす笑い声を水溜まりに落として楽しそう。
 そういう光景が私は一番幸せでした。泣くほど哀しい涙の中で、幻想郷の人々が変わらず生きている実感があるからです。
 私はそうやって生きてきました。
 まるで息を潜めるような、通り雨を運んで。
「……って、なんで傘があるのに雨宿りしなきゃいけないんだ?」
「雨足が強いからねえ」
「それは関係ないぜ。だって傘が」
「……野暮なんだから」
「ん?」
「何でもないわ」
 二人の金色の髪が雨に濡れないよう、枝葉は天蓋を大きく覆い尽くして袂に抱いています。 
 されど雨は雨。
 身を寄せ合わせた二人の肩に滴が落ちなくても、二人を囲う世界の名前は紛れもなく雨。
 白く靄めく息が森の底冷えに浸みてゆく、美しくなにげなく白い世界に名付けられる名前は雨。
 霧雨です。
 心地よくも何故か物悲しくて、音無き音を囁く雨。
「なぁ、そろそろお腹が空いたぜ――ちゃんと身体寄せてれば、風も無いし傘一本でも濡れやしないからそろそろ」
「いいから、小雨になるまで待ちましょ……元はといえば貴方が傘を忘れてきたのが悪いんだから、私の言うことくらい聞きなさい」
「へいへい。従いますぜ」
 少女――特に傘を持っている少女の方は、嬉しがっていました。
 昼下がりにしては暗い帳の冷たさ、分厚い雲の重さ、枝葉の隙間から空の凍えを見上げて、心の火照りの中、凍えた小声で自ずと呟くのです。

 雨宿りはふしぎ。雨をしのぐ軒下だけ切り取って、違う世界に変えてくれるのです。たとえば土色の地面。
 ぽつりと、水溜まりの水面だけ鮮やかな空色を映しているみたい。
 やまないで、ほしい。
 魔理沙と、もうちょっとだけ、こうしていたいから。

 彼女の肩を、枝の護りきれなかった雨垂れが一つ叩きました。
 雨は空の哀しみ。
 雨は空のなみだ。
 彼女が雨を喜んでくれているだけ、わたしの救いなのでした。「まりさ」の方も、まんざらではないみたいで。

 雲間に一条の光を急かし立てる小糠の調べは、名残惜しむようにいつまでも強まらず弱まらず、薄暗い森の中で白く漂い続けて、美しい景色のまま薫っていました。
 秋雨前線は間もなく南へ去ります。この雨も、間もなく白い大粒の雪に変わるでしょう。
 はらはら、ひらひら。
 雨の姿が変わっただけなのに、まるで花のように舞い落ちてくるでしょう?


 *


「雨がアンタの代わりに泣いてくれてるんだ」

 彼女は困ると、時々そう口にしました。そして、哀しそうな顔をするのです。
 この道の雨は、強くも弱くもありません。
 通りかかる霊魂のすべてに、しとしとと、そぼ降る雨が話し掛けてゆく。意味を成す言葉はありません。言葉は意味を成せません。
「ほら、雨が泣いてくれてるのさ、お前さんの代わりにな。もう泣かずに行きな」
 言葉ばかりが、空回り。
 彼女ばかりが、雨に濡れ。
 健気でやさしい死神は、泣いている人を言葉では助けられないと分かっていました。
 ここに来る人は深く傷ついて、そんなとき、言葉はなんの力にもなれなくて、物言わず肩を濡らすだけの雨の方がよほど温かく慰めてくれることを知っていました。
 中有の冷たい旅は、まだ長いでしょう。

 人が亡くなる時には、心が雲になると云います。
 夏雲のこともあり、堆く九十九折に積み重なる入道雲、千々に乱れる鰯雲、雷雲、まっすぐに地平を目指した飛行機雲、そして――鉛色の雨雲。
 匂やかな雨の中、道を行く人はそれぞれみんな傷んでいるから。
 雨だけは疑いなく、哀しいものだから。
 黄泉路の最果てで中有の雨はやがて上がりますが、それは決して雨上がりの晴れのない世界。
 末期の涙雨が煙るのを、恨めしそうに見上げた三途の船頭。
 また、溜息をつきましたが。

「――せめてここくらい、からっと晴れてたら送り出しやすいのになァ……仏様も融通が利かないんだ」
「あら、それは違いますよ、小町」

 やさしい誰かが背後から現れ、もっとやさしい彼女の肩に、そっと手を置いていきます。


 *

 
「…………嘘でしょ……?」

 呟くが早いか、弾かれるように動いた彼女。
 草履を蹴飛ばすように履いて駆け出し、引っ掴んだばかりの番傘さえもどかしくその場に投げ捨てて、雨の中へあっという間に小さくなっていった巫女の背中。 

 雨という字は、傘の中に雨垂れが降っています。不思議な字。
 誰にもかげがえのない人が居ます。その人が雨の音に紛れていくときに、傘で涙はしのげない。
 人が生まれて千年の時を過ぎても、傘は原始的に乏しい力しか持たないまま、足許からじわりじわりと濡れていくのを、どんなに大きな傘でさえ護ってくれないのです。
 かけがえの無い誰かのために駆け出した彼女もまた、誰かにとってかけがえの無い人でしょう。
 互いにかけがえの無い人だと想い合える仕合わせもあれば、相合い傘のために雨を乞い続けるような、切ない片思いの幸せもあるでしょう。
 雨は降ったり、やんだり、また降ったりする。
 人が走っていく道はいつも泥濘んでいます。
 泥濘んでいるが故に、足跡が残るでしょう。
 
 地平へ伸びていった足跡が、新しい足跡で消されることはありませんでした。
 放り捨てられた番傘も畳まれたままやがて濡れて逝き、そのまま拾い上げられることはありませんでした。
 雨風は降りしきり、やがて足跡だけをゆっくり蒸発させていく。

 雨はなみだ。
 雨は哀しみ。
 哀しみのおかげで地面が泥濘んだから、あなたの足跡も、晴れよりは少しだけ長く残るでしょう。



 *



 あなたには、かけがえがありますか。
 わたしには、かけがえがありますか。

 
 その少女は力無く歩いた足をはたと止め、大粒の涙雨を頬に受けて立ちつくします。
 烈しく叩く雨粒を少し笑いながら受け止めて、傘も差さずに、あっという間に濡れていくのに立ちつくしていました。
 あでやかな萌葱色の着物が濃い色に変わり、
 つややかな小豆色の前髪を水が支配しても、
 彼女はなにも変わらず少しだけ笑いながら空を見上げて――やがていきなり尻もちをつくと、
 両手両足を投げ出して、地面に寝そべりました。
 弾かれるように、彼女は笑いました。大の字になって大声で、高らかに、朗らかに、楽しげに、降りしきり止まぬ雨を堂々と見上げて、

「――あはっ、あはははははははははははははははははっ!」

 目を見開いて、彼女は笑い声をむりやり上げつづけていました。
 そのほんとうの気持ちは、雨の雫越しに。
 頬はびしょびしょに濡れて、わたしにももう、その雫の出自を確かめるすべはありません。
 けれどたしかに彼女は、泣いていました。
 人にはときどき、笑いながら泣いている人もあるのです。

 怒りながら泣いて、苦しみながら泣いて、哀しみながら泣いて、
 それらすべてをひっくるめて、人は泣きながらじわりじわりと傷んでいく。

 空のなみだに朽ちゆく身体を削られて、それでも足跡を刻みつけて逝くのでしょう?
 居なくなるのが、怖いから。
 この世界から、居なくなって、そこに何も遺らないのが怖いから。

「………………わたし、生きてるっ!」 

 雨の中に向かって遠く叫び、

「………………わたし生きてるよっ!」 

 雨に訴えて、彼女はまた笑いながら泣きじゃくるのです。

 つぎに産まれる私は、私じゃない。
 私は私。
 ここにしか居ない、本物の私。

 彼女は、雨空に訴え続けていました。
 雨に濡れて寒くなっていく身体が、生きている実感をくれるからと。
 雨に濡れて冷くなっていく身体が、生きていた実感をくれるからと。

 雨という字は、傘の中になみだが降る字。
 けれどなみだの中に身体をあずけても、ふしぎと「雨」の字に似るね。
 わたしは雨。空の上から薄倖の少女を見上げて、いまさら気づいたのです。
 過去を見聞きし、憶え、忘れぬまま未来へ伝えていく少女は、どこかへと転生していく。彼女にだけ、かけがえが「ある」と人は云う。
 それが、くやしかったのです。
 彼女は。

 わたしに向かって、最期の幻想郷から彼女はずっと、ずっとずっとずっとずっと叫んでいたのです。


 わたしは、まだここにあるよと。
 ここで確かに、生きているよと。

 











 ――何万年がすぎても、雨だけは降り続けます。

 ――おなじ雨が、おなじ空から。

 最後まで生きていた妖怪がひとり、そっと消えた時、遙か静寂に包み込まれた幻想郷をわたしは見ていました。
 忘れないでしょう。
 わたしは、雨の妖精。
 その妖怪の最期までをずっと濡らし続けた。そしてこれからもずっと、哀しみを降らせ続けるわたしの雨音。
 その妖怪の命日は、帳のように分厚く降る時雨の中でした。


 森の大木で雨宿りをしていたあの彼女も、
 逝きつづける者達を運んでいった死神も、
 雨に飛び出したまま戻らなかった巫女も、
 かけがえがあると言われた憐れな少女も、


 ――ねぇ。
 気づいているでしょう、
 あなたたちの中に誰一人、かけがえのある人なんて居ないという倖せ。

 ――ねぇ。
 気づいているでしょう。
 この世界だけはいつまでも残り続けていくんだ。
 星が月が、空が地面が、朝が夜が、風が、そして雨が、
 かけがえのなかった人達を踏みつぶして、砂にして時の風に吹き飛ばしても、
 さりげなく生きて逝った貴方達の追憶が、どこかの時代で戻らぬ迷子になったとしても。


 わたしだけは忘れない。
 せめて、あなたを倖せだと言っている。
 わたしは雨。空のなみだ。
 わたしは時雨。時のなみだ。 


 積み続ける時の哀しみは雨に溶ける。人がほろびても、郷がほろびても、この惑星がある限り、雨はずっと降りつづける。


 信じられますか。
 雨は百万年も昔から、降り続けていることを。
 そしておなじ雨が、百万年後も降り続けることを。
 わたしだけが、かけがえのあるものでした。
 哀しみだけは、この星が回る限り、いくらでもかけがえがあって、だから雨はやまない。


 教えてあげた。
 幸せに暮らし、誰かを愛し、彼女達なりに精一杯生きた幻想郷の少女達の誰ひとりずつにだって、
 必ず、必ずかけがえはなかったと。


 今日もなみだ雨。
 あれから何万年。
 静まり返った幻想郷に雨は今日もまた、降り続いています。


 
(了)


 
 長い長い時を、越えてゆけ。
反魂@N島みゆきさん大好き
http://hiedanohangon.blog41.fc2.com/
作品情報
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最新
投稿日時:
2009/11/21 04:29:01
更新日時:
2009/11/21 04:29:01
評価:
21/21
POINT:
101
Rate:
1.15
1. 10 バーボン ■2009/11/23 18:12:25
前半のどこか詩的なショートショートは、掴みは充分だと思いました。
特に阿求のシーンは、何かを感じさせるには充分なインパクトがあったと感じます。
転じて後半、幻想郷が静かに死ぬシーンで降る雨は、小町のシーンでの映姫のセリフが伏線になっていたのでしょうか? 自分の勘違いでなければ、非常に深みのある構成だと感じました。
「面白い」以上に「上手い」と感じたので、満点で。もし自分の勘違いだったら恥ずかしいですけれども。
2. 1   ■2009/11/28 23:38:31
 
3. 3 神鋼 ■2009/12/02 00:49:57
ちょっと雰囲気を重視しすぎてわかりにくかったです。
4. 4 じょに ■2009/12/06 23:36:35
正直、私の頭では三割も理解できてません。

でも、なんか凄いものを読んじゃった。
5. 3 藤木寸流 ■2010/01/04 23:18:45
 ううん、タイトルは好きなんですが。
 わかるようなわかりたくないような。
 過程をはしょりすぎて結論だけ置き去りにされているので、置いてけぼり感がかなり。
6. 10 静かな部屋 ■2010/01/06 11:10:10
理屈なしで好きです。以上です。
7. 3 白錨 ■2010/01/10 01:00:57
生きる事は素晴らしく。難しいことですよね。
主観ですが文章が主語が見失いやすいと思いました。
8. 3 パレット ■2010/01/10 04:52:39
 続き続ける雨。
 すごく雰囲気出ていて、お題の使い方も、真正直なようでしかし上手に思えました。すごく良かったです。
9. 8 椒良徳 ■2010/01/11 17:31:52
素晴らしい作品ですね。
短編にここまで惹きこまれるとは思いませんでした。いや、お見事です。
10. 3 ホイセケヌ ■2010/01/13 15:37:40
ヒス、ホユiス簔ヲイサラ网筝爨、、ヒ、「、、ホ、タ、、ヲ、ア、、ノ。「メ簧カ、ャス筅鬢ハ、ォ、テ、ソ。」
ヤェ・ヘ・ソ、フス、キ、ニ、カ、テ、ネユi、、ヌ、マ、゚、ソ、ア、、ノ。「、ス、、ヌ、簫簧カ、ャメ簧カ、ャス筅鬢ハ、ォ、テ、ソ。」ヤ侃ホユi、爨隍ヲ、ヒクミミヤ、ヌユi、皃ミ、、、、、、ヌ、キ、遉ヲ、ォ。」

メサホトメサホトヌミ、ネ。、テ、ニムヤシー、オ、サ、ニ、筅鬢ヲ、ネ。「アャF、ヒト、熙ケ、ョ、ハ壥、ャ、ケ、。」、ウ、ヘ、ッ、サリ、キ、ケ、ョ、ネ、、、ヲ、ォニ讀、ニ、鬢、、ケ、ョ、ネ、、、ヲ、ォ。」、筅チ、、コテ、ュマモ、、、筅「、、ネヒシ、ヲ、ア、、ノ。「ノル、ハ、ッ、ネ、筅ウ、ホホトユツ、ャ。「、ソ、タ、ヌ、オ、ィス筅熙ヒ、ッ、、・ケ・ネゥ`・ゥ`、ヒナトワ、、ォ、ア、ニ、、、、ホ、マ馮゚`、、、ハ、、、ネヒシ、ヲ。」

ョ壥、マ、ネ、ニ、篌テ、ュ、ハ、ホ、タ、ア、ノ。」
11. 3 詩所 ■2010/01/13 21:52:23
 水が空から降るサイクルの終わりが、惑星の終わりでしょうね。
12. 8 零四季 ■2010/01/13 23:12:30
綺麗な話。一つ一つの文章が綺麗だっただけに、それぞれが脈絡のない接続をしてしまっているように感じられたのが少し残念でした。
いや、でもやっぱり良い話だ。
13. 6 deso ■2010/01/14 01:32:01
第一印象は、なぜか「格好いい」でした。
短いながらも、染み入るようなお話です。
14. 9 やぶH ■2010/01/15 00:00:45
素晴らしい。思わず朗読してしまいたくなるくらい、読んでいて気持ちが良かったです。
この手のSSは正直苦手なのですが、これなら……と思わせる一品でした。ありがとうございます。
15. 4 2号 ■2010/01/15 08:50:23
永い時のながれをひとつずつ見せる構成は叙情的でよかったです。
一片一片の状況がちょっとわかりにくかったかな
16. 3 八重結界 ■2010/01/15 13:45:03
 綺麗な文章で、読んでいて苦になりませんでした。
17. 5 時計屋 ■2010/01/15 22:05:22
 なんだか不思議な感じのするSSでした。
 詩趣を帯びながらも、変に気取らず、切々と語りかけるような良い文章だと思います。
 阿求のエピソードが私は一番心に残りました。
 「私は確かに私である」という、言うなれば魂の在り方は、痛み、苦しみ、死への恐怖といった、そういうものの中にこそあるのかもしれません。
 だから時折、人はそういったものを自ら求めているような生き方をするのでしょうか。なんだか考えさせられます。
18. 3 木村圭 ■2010/01/15 22:58:32
人がいなくなって、観測する者もいなくなって、それでも降り続ける貴方。
貴方は、幸せですか?
19. 2 近藤@紫 ■2010/01/15 23:24:54
(´・ω・`)
20. 5 如月日向 ■2010/01/15 23:27:30
 雨は全てを見ていた。これからも見続けるのですね。時の流れの雄大さ、切なさを感じる作品でした。
21. 5 ■2010/01/15 23:40:04
まぁ色気の無い話をすれば、地球が完全に死の惑星になってしまえば(海と森を失うだけで十分)雨もまた死ぬのだけど。
そんな話は無粋だ
ごちそうさまでした
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