起こる奇跡の起こし方

作品集: 最新 投稿日時: 2009/11/21 19:50:38 更新日時: 2009/11/21 19:50:38 評価: 20/21 POINT: 104 Rate: 1.23
「幻想郷が、終わる……」

 一番最初に、そう呟いたのは、誰であったか。
 大人だったか、子供だったか、男だったか、女だったか。そんなことは誰も覚えていない。
 ただ一つ言えるのは、誰もがそう思っていたということ。
 人々の目に映る光景は、この世の終わりを思わせるに、十分なものであった。













 一番最初に、異変に気付いたのは、里の人間だった。
 集落というものには、そこに住む人間が、一堂に会するための広場がある。
 ここ、幻想郷に於ける人間の里も、例に漏れず、中心部に、里の人間が一度に集まっても有り余るほどの広場が存在した。
 普段は、子供たちの遊び場として機能している広場の中心には、龍神の石像が、でん、と置かれている。平和の象徴として崇められている石像だが、実用的な機能も持ち合わせており、明日の天気がわかるという優れものであった。
 目の色が白い時は晴れ、青い時は雨、灰色の時は曇り、それと、滅多に見ることのない赤。赤は何が起こるかわからないといったものである。

 ――そして、その日の石像の目の色は、まるで血を連想させるような、不吉な赤であった。
 何が起こるかわからない天気ということに、不安を覚えない人間はいなかったが、反面、また始まったか、と思う人間も少なくはなかった。
 これまでに起こった、数々の異変時にも、里の人間は、石像の目の色が、赤色に変わったのを見てきている。
 そのことから、今回も何日か立てば、神社の巫女様が異変を解決して、元に戻してくれるだろう。
 そう、気楽に考えていたのである。







 翌朝、幻想郷は、真っ赤な霧に包まれていた。以前起こった、紅霧異変の時の霧と、全く同じものである。

「……寒」

 神社の巫女、博麗霊夢は、ちゅんちゅん、という雀の鳴き声と、夏場にそぐわない肌寒さによって起こされた。

「……あんの、お子様吸血鬼!」

 霊夢は、霧の存在を確認するやいなや、こめかみに青筋を浮かべて、猛スピードで紅魔館へと向かっていった。







 紅魔館の一室、館の主である、レミリア・スカーレットの部屋の扉が、ばん、という、まるで何かが破裂するような音を立てて、開かれた。
 レミリアは、小さな声で、ひっ、と悲鳴を上げ、恐る恐る扉の方を向いた。

「くぉらレミリアぁ!」
「ぎゃあ! 来た!」

 霊夢は、右手に大幣、左手にお札、左手の指の間に針を装備し、ずんずん、とレミリアに迫る。

「あんたってやつは性懲りも無くあんなもん出してっ! いい加減にしなさいよ!?」

 顔を真っ青にしたレミリアは、後ずさりながら慌ててそれを否定する。

「ち、ちちち、違う! 違う違う! わた、私じゃないってば!」
「あんなもん出せるの、あんたしかいないでしょうが!」
「ほ、本当だってば! ほら、出してないでしょ? ね! ね!?」

 レミリアは、ほら、ほら、と手をばんざいして、身の潔白を訴えた。
 目元には涙を浮かべて、ぷるぷると震えている。
 紅い悪魔と呼ばれ恐れられた、レミリア・スカーレットの威厳は、今では見る影もなくなっていた。

「嘘吐いてるんじゃないでしょうね!?」
「ほ、本当だってばぁ! 信じてよぉ!」

 がー、と吼える霊夢の迫力に、レミリアは頭を両手で押さえ、縮こまる以外になかった。
 霊夢は、レミリアが本当に霧を出していないことを確認すると、それでもまだ疑うような目でレミリアに問い質した。

「むう……。じゃあ誰が霧を出してんのよ?」
「そんなの知らないわよ。この霧見て、一番驚いたの、たぶん私だからね? いつ霊夢が怒鳴り込んでくるか不安で不安で……」

 あー怖かった、と心底安堵するように溜め息を吐くレミリアを見ると、さすがにちょっと可哀相だったかな、と思う霊夢だった。

「しっかし、一番の当てが外れたとなると、どうしようかしらね……。頼りの勘も、なんだか冴えないし」
「珍しいわね、霊夢の勘が働かないなんて。何にもわからないの?」
「そうね……。よくわからないけど、これで終わりじゃないってことは、何となく感じるけど」

 レミリアは、不思議そうに首を傾げる。

「うん? そりゃまだ霧は出てるから、終わりじゃないけど」
「そういうことじゃなくて、上手く説明できないけど……この霧がなくなったとしても、それだけで終わりじゃないような、そんな気がするのよ」

 霊夢の言いたいことが上手く伝わらなかったらしく、レミリアは、はあ、とだけ相槌を打ったのだった。













 その翌日。
 霧のせいで温度が上がらず、肌寒いと感じた前日よりも、はるかに冷たい空気に、肌をぴりぴりと刺激され、霧雨魔理沙は目を覚ました。

「……なんでこんなに寒いんだ?」

 魔理沙は窓の外を眺める。
 驚くことに、外は一面、銀世界だった。

「そうか、雪か。道理で寒いわけだぜ」

 ふわ〜あ、寒い寒い、と二度寝をしようと、ベッドに潜り直した魔理沙だったが、ほどなくして――

「って、んなわけあるかああ!」

 ――自分自身で突っ込みを入れ、飛び起きた。

「一昨日まで、しっかり夏だったんだぞ!? それがなんでいきなり雪なんだよ!」

 はあはあ、と肩で息をする魔理沙だったが、ひやりとした空気が肺の中に入ってきて、自然とクールダウンされた。
 冷静になった魔理沙は、天空から、ひらりと舞い落ちる桜の花びらを見逃さない。
 魔理沙の目が、きらりと光った。

「ふん、あの亡霊め。懲りもせずに同じ異変を起こしやがったな」

 何度でも懲らしめてやるぜ、と息巻いて、魔理沙は白玉楼へと向かっていった。







 白玉楼に着いた魔理沙は、どすどす、と屋敷の廊下を踏み進め、すぱーん、襖を開けた。

「幽々子ぉ!」
「あら、いらっしゃい」
「お前また春度をかき集めてるだろ! 今すぐやめろ! 寒いんだよ!」

 一息で、がーっ、とがなりたてる魔理沙に対し、白玉楼の主、西行寺幽々子は、静かに言った。

「少し落ち着きなさい、魔理沙。今は夏よ? 春度なんて集められるわけないじゃない。桜なんて咲いてないでしょ?」
「あん? でも実際私は、天空から桜の花びらが落ちてくるのを見てるんだよ。前回の時と全く一緒だ。つまり、犯人はお前だ」

 魔理沙の言い分に、幽々子は、やれやれ、とばかりに肩を竦める。

「乱暴ねえ。まあ確かにそう思ってしまうのは仕方の無いことだけど、今回は私じゃないわ」

 魔理沙は疑わし気に幽々子を睨みつけ、後ろについている従者、魂魄妖夢に訊ねる。妖夢なら嘘は吐かない、嘘を吐くほど、器用じゃないと踏んだのだ。

「……本当か?」
「残念ながら、本当よ。私たちにも、誰が何のためにこんなことをしているのか、見当もつかないの」
「ふむ……」

 魔理沙は、しばし熟考に耽た。
 昨日の紅霧異変に続いて、今日の春雪異変。
 自然現象では、ありえない。つまり、誰かが過去の異変を起こしていることになる。誰が? 何の為に?
 いずれにせよ、一つだけわかることがある。あまり考えたくはないが、この調子でいくと――

「……明日は、永夜異変か?」
「可能性は高いわね。……いずれにせよ、今までとは違う、何かが起こっている。用心しておいた方がいいわ」

 いつもとは違う、幽々子の神妙な顔つきに、さすがの魔理沙も、茶化す気にはなれずに――

「そうだな……」

 ――とだけ応えたのだった。











 そして、その翌日。
 魔理沙の予感は当たった。月が欠け、いつまで経っても、朝が訪れないのである。前回の異変時と、全く同じである。
 ただ一つ、決定的に違うのは『誰も時を止めていないこと』
 それなのに、朝がやってこないのである。
 十六夜咲夜は、主の命により、事の原因を探るべく、単身、永遠亭へと向かっていた。
 レミリア曰く、また私のせいにされたらかなわん、らしい。







(おかしいわね)

 咲夜は、違和感を感じていた。
 永遠亭に来るまでの道中、野良妖怪たちは、月の異変に怯え、ざわついていたというのに、永遠亭は『静かすぎる』のだ。
 以前、異変解決のために永遠亭を訪れた時は、万全の防衛体勢をとっていて、苦労したものだったので、今回もそれなりの覚悟をしてやってきた咲夜だったのだが――

(この様子は、つまり……)

 紅魔館にも勝るとも劣らない広大さをもつ永遠亭だが、防衛線も引かれていないし、廊下の長さも弄られていないので、目的の部屋に着くまで、そう時間はかからなかった。
 咲夜は、目的の部屋の襖をノックする。材質が紙なので、ぼんぼん、という、なんとも間抜けな音となってしまったが、その部屋の主には十分聞こえていたようで、中から、どうぞ、という言葉が返ってきた。

「お邪魔するわよ」
「いらっしゃい。あら、あなたが来たのね」

 部屋の主、八意永琳は、実に落ち着いた様子で、本を手に持ち、佇んでいた。
 永琳は、ぱたん、と本を閉じる。

「用件はわかってるわね?」
「ええ、もちろん」
「まあ、無駄骨だったらしいけどね」
「あら、わかってるのね?」
「ええ、もちろん」

 完全なる人物と、天才なる人物。その会話は、一般人には理解しにくいものがある。
 溜め息混じりに、咲夜は言った。

「防衛線を引いていないということが、あなたたちが犯人じゃないという証拠。それに、今更密室を作ったところで、何か益があるとも思えないしね」

 永琳は、咲夜の言葉を肯定するように、こくりと頷いた。

「そして、同じ異変を起こした私たちなら、何か今回の異変に関して心当たりがあるかと思ったけど、その当ても外れた、と」
「ご明察。あなたなら、何かわかるかと思ったんだけどね」

 咲夜は、永琳の持っている本に目を移し、溜め息を吐いた。
 『幻想郷風土記』その名の通り、幻想郷の歴史を記録したものである。
 つまり、月の頭脳、八意永琳を持ってしても、今回の異変は書物に頼らなくてはいけないほどに、全くの未知数ということであった。

「何かわかったら、教えてちょうだい」
「わかったわ」

 ここに長居しても、何もできることはない。そう思った咲夜は、紅魔館へと帰っていった。



 ちなみに、紅魔館へと戻った咲夜は、レミリアに「ねえ、何かわかった? 霊夢にどなられたりしないよね? 大丈夫よね?」と、心底不安そうに問い詰められ、大丈夫ですよ、と瀟洒な笑顔を向けたのだった。










 
 
 さらに翌日。
 小野塚小町は、いつものようにサボっていた。それどころか寝ていた。
 ぐー、ぐー、と周りの人間にまで眠気が伝染していきそうな、見事ないびきが、彼岸に響いている。
 ぶわ、という風に、花びらがひらひらと舞う。
 落ちてきた花びらは、丁度良く小町の鼻の下に落ち、すぽっ、と鼻の中に入っていった。

「――ふがっ」

 う……ぷしゅん! とくしゃみをし、鼻から花びらと鼻水を出すと、ぐしぐしと服の襟で拭い、どっこらせ、と起き上がった。
 
「うー……よく寝た」

 小町は、腰に手をあて、背中をぽきぽきと鳴らし、大きな欠伸をした。
 そして、半分瞑っていた目をがしがしと擦り、視界を開けさせると――

「な、なんじゃこりゃあ……」

 ――信じられない光景が目に入ってきた。
 辺り一面に、四季の花々が咲き乱れているのである。そう、以前起こった異変と、全く同じように。

「あ、あたいサボってないのに……」

 今まで寝ていた人間の言うセリフではなかった。
 しかし、前回の異変は、六十年周期に起こる博麗大結界の緩みと、外の世界で大量の人間が死んだこと、二つの要因が重なって起こった異変である。
 いくら小町が仕事をサボろうと、このようなことは起こるはずがなかった。

「ここ最近、変な気候が続いてたし、そのせいかな?」

 小町は、特に気にした風でもなく、のんびしとしたものである。実際、花たちに幽霊が取りついているようでもない。

「こりゃどうしようもない」

 小町は、再び、ごろん、と横になった。
 そこに、地獄の底から這い出てくるような声が聞こえてきた。
 
「こぉまぁちぃいいい!」
「きゃう、映姫様!?」

 小町は、びくん、と首をすくめた。いつも聞いている、説教を始める声だが、慣れないものは慣れないのである。

「あなたという人は、いつもサボってばっかりで!」
「え、映姫様! こ、これは決してサボっているというわけではなくてでして!」
「では、どういうわけなんです?」

 小町は、苦し紛れに言う。

「……シ、シエスタです」
「ここは幻想郷です。シエスタの習慣はありません」
「ひーん。で、でも、この異常は私のせいではないんですってえ」
「そんなことは、わかっています」
「ほえ?」

 映姫の意外な言葉に、思わず小町は聞き返した。

「映姫様は、この異変の原因がわかるんですか?」

 映姫は、険しい顔でかぶりを振った。

「いえ……ですが、ここ数日で起こった過去の異変は、何か変です」
「はあ……。まあ、異変なんだから、変なのは当たり前じゃないですか?」
「わかりませんか? 過去の異変は、何かの目的のために異変を起こしています。日の光を遮るため、春を集めるため、密室を作るため。――ですが、今回の、異変の数々は『異変を起こすこと自体が目的』のように感じるのです」

 映姫の言うことに、小町は、何が何だかさっぱりわからない、とばかりに首を傾げた。

「よくわかんないんですけど、何かあっても、巫女や黒白の魔法使いが適当に解決してくれるんじゃないですか? いつもみたいに」

 心配ない心配ない、と小町は明るく言った。

「そうだといいんですけどね……」

 映姫は、それ以上は何も言わず、ただ、狂い咲く花々を見つめていた。















 そして翌日。ついに『それ』は姿を現した。
 その圧倒的な存在感は、大気をびりびりと震わせ、生きとし生ける全てのものに、恐怖と畏怖を植えつける。
 空を覆い尽くす総身は、果てを感じさせないほど大きくて、昼間だというのに辺りを薄暗くさせた。体と体が擦れる度に、聞く者の腹に響くほどの、地鳴りのような音を鳴らした。

「龍神様だ……」

 誰かが言った。
 里の人間は、龍神の姿を見たことがない。
 博麗大結界を張った時を最後に、百二十年ほど経っている。
 話にこそ聞きはすれど、実際に見たことのある人間はいないのだ。
 けれども、里の人間は一人残らず『それ』が龍神だと確信した。
 言葉などではなく、細胞の一つ一つが、目の前の『それ』は、逆うことなどできない、絶対なる存在だと叫んでいるのだ。
 龍神は、何も喋らない。しかし、里の人間は理解する。

 ――龍神様が、お怒りだ――

 例えるならば、悪戯をした子供に対し、母親は何も言わずに、じっと子を見つめる。子は、叱られているわけではないのに、母親が怒っているのを、肌で感じる。
 そのような感覚に近かった。
 しかし龍神は、ただひたすら、その存在感を示すことしかせずに、何も行動を起こさない。
 里の人間は、恐怖と不気味に怯えながら、その日はまんじりともできなかった。







 そして翌日。
 ただその存在感から、何となく察していた龍神の怒りだったが、ついに、それが形となって現れた。
 度重なる地震、各地で発生する竜巻。それらによって、田畑は荒れ、家屋は倒壊した。死傷者こそ出なかったものの、怪我人は、一人二人では済まない。
 人間の里は、ぼろぼろに成り果てた。
 そして、二週間ほど経って、龍神がしているもう一つのことに気付いた。

 ――雨が降らない――

 これは、里の人間にとって、致命的な出来事であった。
 収穫の秋を目の前にしての、干ばつ。死活問題である。
 里の人間は、大いに焦った。
 自分たちは、龍神様のお怒りを買うようなことをしてしまったのだろうか?
 考えても考えても、原因が思いつかない龍神の怒りに、里の人間は、ただひたすら、祈りを捧げるより、他にはなかった。







 里の人間が、慌てふためいている一方で、妖怪たちも、かつてないほどの混乱に陥っていた。
 龍神の姿は見たことがなくても、人間と同様、本能的にその存在の異質さを感じ取り、萎縮し切っている若い妖怪、その姿を知っているだけに、目の前の存在の恐ろしさを十分に理解している年を重ねた妖怪、なぜこのような事態になったのか、龍神の思惑はどこに存在するのかを必死になって話し合う妖怪の賢者たち、と様々であった。

 そんな、人妖両種族共に浮き足立っているところに、里の人間から、一人の少女に依頼が舞い込んだ。







 人間の里の、一番大きな屋敷の、ある一室に、一人の男性と、一人の女性が、向かい合って座っていた。
 東風谷早苗は、人間の里の長から、救いを求められていた。
 里長の身形は、里に住む人間の水準から、頭一つ抜けており、物腰にもどこか品位を感じる。里を統べる立場に当たる人間として、十分な貫禄を醸し出していた。
 里長は、挨拶もそこそこに、切り出した。

「お願いします。私たちにはもう、神に縋るしかないのです。龍神様の石像に、皆、心を込めて祈りを捧げました。供物も捧げました。でも、何も変わりませんでした。依然、龍神様は、そこにおいでで、お怒りの様子です。地震も依然として続きます。竜巻も発生します。雨も降りません。このままでは、来年には私どもは餓死してしまいます。いえ、それどころか、災害でいつ死んでもおかしくはない。お願いします。どうか、八坂様のお力で私どもをお救いください」

 里長は、自分よりはるかに年下の早苗に向かって、深々と頭を下げた。
 顔には疲労の色が浮かんでいる。
 自分の住む里の上空に、曾祖母から聞いた、昔話に出てくるような伝説の存在が鎮座し、地震や竜巻を起こし、村を破壊する。それに加えて、民衆の不安を一手に背負い込む。想像を絶する心労なのだろう。
 早苗は、里長を憐れに思い、自分が何とかしなくては、と思った。

「任せてください、里長さん! 八坂様に不可能なことなんてありません! すぐに龍神様を説得して、事態を解決してみせますよ!」

 早苗は努めて明るく言った。
 自分が明るく振舞うことで、目の前の男の不安を少しでも取り除けたら、と思ったのだ。 それに、実際何とかできると思っていた。

「おお……。ありがとうございます。ありがとうございます……」

 里長は、肩の荷が下りたように、喜びの表情を浮かべ、何度も早苗に向かって謝辞を述べた。

(頑張らなくちゃ!)

 早苗は、ふん、と鼻から息を吐き、山の上の神社へと戻っていった。













 神社に戻った早苗は、依頼を受けたことを、神奈子に報告した。
 人の役に立てる。そのことが嬉しくて、興奮を抑えられないように、矢継ぎ早に、どんな依頼を受けたのかを話した早苗だったが、ひとしきり話したところで、神奈子が早苗に言った。

「無理だよ。早苗」

 神奈子は、申し訳なさそうに、目を伏せながら続ける。

「……え?」
「私と龍神様では、格が違う。龍神様が何をお考えかは、わからないけど、龍神様がしていることを、私が何をしようと、それを止めることは無理だろう」
「そ、そんな……」
「……すまないね」

 早苗は、鈍器で頭を打たれたかのような衝撃を受けた。
 何でもできる神奈子様。いつだって私のヒーローだった神奈子様。
 何で、やってみる前から、諦めるのだろう? やってみなければ、わからないじゃないか。
 早苗は、自分を支えていたものが、根底から崩れ去っていくかのような感覚に陥っていた。
 重くなった空気を、何とかしようと、神奈子は話題を変えた。
 
「さっき、天狗から連絡があった。明日、紅魔館で、この事態に関する話し合いをするらしい」

 そんな神奈子の言葉も、自分じゃない誰かが聞いているような感じがした。

「……」

 そんな会話を聞いている影が一つ。













 神奈子との話の後、早苗は一人、妖怪の山の中を、ふらふらと歩いていた。
 別段、何か目的があったわけではない。ただなんとなく、一人でいたかったのだ。
 山道の脇に、さー、と流れる小川を見つける。
 早苗は、少し大きめの岩に座り込み、履物を脱いで、清流に足を浸した。

「わ、冷たい」

 空は龍神様に覆われているとはいえ、今は夏。自分が思ってた以上に、体に熱がこもっていたらしい。さらさらと流れる水が、ひやりと心地よかった。

「はあ……」

 何となく、溜め息を吐きたくなる。
 自分勝手な思いだということは、わかっている。だけど、裏切られたという感覚が、どうしても拭い切れないのだ。
 そして、そんなことを考える自分に対する自己嫌悪が、どんどん早苗の気持ちを沈めていくのだった。

「やんなっちゃうなあ……」

 目の前の、澄んだ川の流れを見つめる。いつもなら素直に綺麗だと思える光景も、今では自分の汚さを際立たせる存在にしか思えない。いらいらする。
 それでも見続けてしまうのは、もしかしたら、この心の汚さも、洗い流してくれるかもしれない、という淡い期待があるからなのだろうか。

 ごぼごぼごぼ――

「……ん?」

 川の中から、不自然に気泡が浮かんだ。
 なんだろう、と早苗が目を凝らしていると――

「ざぁだぁえええ」
「ひぃえええええっ!?」

 ――蛙のお化けが現れた。
 そう思った早苗は、今まで出したことのないような悲鳴を上げたのだった。







 蛙のお化け――ではなく、洩矢諏訪子は、早苗の隣に、ちょこん、と腰を下ろし、ぷんぷん、と怒る早苗をなだめていた。

「諏訪子様ったら、ひどいですよ!」
「あはは、ごめんごめん。ぼけー、としてたからさ、ついつい驚かしたくなっちゃって」
「ヒロインに有るまじき悲鳴を上げちゃったじゃないですか!」
「さ、早苗、ヒロインだったんだ……」

 大した勘違いっぷりである。もちろん早苗とて、本気で言っているわけではないのだが。

「全くもう……」

 口では諏訪子を非難している早苗だったが、こういったことは割と日常茶飯事なことであったので、内心、そこまで怒ってはいなかった。

「――で、なんで落ち込んでたの?」
「あ、い、いえ、大したことではないんです……」
「ふーん……」

 諏訪子は近くにあった、小さな石を川へ投げ込んだ。ぽちゃん、といい音が聞こえた。

「……神奈子が、早苗が思っていたより頼りにならなくて、がっかりした?」

 どき――
 早苗は、心臓が口から飛び出るかのように思えた。

「い、いえ、そんなことは……」

 辛うじて、そこまで言うが、後を続けることができない。

「いいよいいよ、隠さなくても。早苗のことは何でもわかるんだから。ぜーんぶお見通しだよ」

 諏訪子は、へへ、となぜか誇らしげに、そう言った。

「……申し訳ありません。お二人に仕える身の私が、こんなことを思うなんて、いけないことですよね」
「なんで? 別にいいんじゃない?」
「え――」
「だーってさ。早苗に信仰集めさせておいて、いざ信仰が集まるチャンスになったら、それはできない、なんてふざけてるじゃん。それじゃあ早苗だって愛想を尽かすよ」

 早苗は両手をぱたぱたと振り、慌てて否定する。

「そ、そんなことありません! 愛想を尽かすなんてありません!」
「いいんだよ? 神奈子なんかに気を遣わなくたって」
「そんな、こと……」
「どうせ、この異常事態が続けば、何もできない神として、どんどん信仰なんて失われていくんだし」
「――めて、――さい」
「そうだ、神奈子なんか放って、二人でどこが別の――」
「止めてくださいっ!」

 自分でもびっくりするくらいの、大きな声が出た。

「神奈子様は、神奈子様は……家族なんです! 信仰なんてなくても、私の大事な、大事な家族なんです!」

 早苗は、泣いていた。
 顔をくしゃくしゃにして、瞳からぽろぽろと涙をこぼして、小さな子供のように、しゃくり上げて泣いていた。

「三人、一緒じゃ、なきゃ、いやなんです!」

 神奈子様にもできないことがあると知った。ショックだった。がっかりもした。
 だけど、家族なんだ。何か出来ないことがあると知っても、私は絆は切れないことを知っている。
 どんなことがあっても、家族を辞めることはできない、したくないんだ。

 諏訪子は、泣きじゃくる早苗に向かって、優しく、優しく声をかける。

「……ごめんね、早苗」
「……え?」
「早苗のその気持ち、わかってた。私も神奈子も、早苗のことを本当の家族だと思ってる。ただ、早苗がそのことを、ちょっと忘れちゃってたから、思い出してほしかっただけなの」

 ねえ、と諏訪子は早苗に問いかける。

「私たちと早苗の関係って、何?」
「私と、諏訪子様と、神奈子様の関係?」
「そう。早苗と私たちの関係」

 早苗は、ひっく、ひっく、としゃくり上げながら、ゆっくりと答えた。

「私は、お二人に、仕える、風、祝、です」

 早苗の答えに、諏訪子はふるふる、と首を振った。

「神様と風祝? ううん。違うでしょ? 早苗、さっき自分で言ってたじゃない。神様と風祝という関係である前に、私たちは家族なの。大事な大事な、三人だけの家族なの」

 ――ね? と諏訪子は、優しく早苗の頭を撫でる。
 早苗の瞳から、大粒の涙がこぼれた。

「すわ、こ、さま……うえええええええ……」
「よしよし」

 諏訪子は、早苗が泣き止むまで、その小さな体で、しっかりと早苗の頭を包み込み、背中を優しく、ぽんぽん、と叩いていた。







 すんすん、と泣き声も小降りになってきたところで、早苗は口を開いた。

「お見苦しいところをお見せしました……」
「ううん、かわいかったよー」
「あ、あんまりからかわないでください……」

 早苗は顔を真っ赤にして、そう言った。
 ふー、と溜め息を吐く。
 のどの奥が、まだ腫れぼったい感じはするが、気分はすっきりとしている。思いっきり泣いたからだろうか。

「……諏訪子様」
「うん?」
「私、神奈子様に甘えすぎていたようです。さっき、冗談で自分のことをヒロインって言いましたけど、私、神奈子様のことは、本当にヒーローだと思っていました。でも、それは甘えだったんです。自分ではできないことを、全部神奈子様に押し付けていた。信仰と、押し付けを混同していました。……風祝として失格ですね」

 早苗の、懺悔にも似た告白を、静かに聞いていた諏訪子だったが、そこで口を挟んだ。

「うーん、それはちょっと違うんじゃないかなあ」
「え?」
「神奈子は、甘えだろうと、押し付けだろうと、早苗の気持ちを、すごく嬉しく感じていたと思うよ?」
「そ、そうでしょうか?」
「そうだよー。これでも神奈子とは千年以上の付き合いなんだから、わかるよ」

 あ、と諏訪子は声を漏らした。

「それとね、ちょっと誤解しないであげてほしいんだ。神奈子は、ああ言ったけど、いくら相手が龍神様だといっても、一時的に事態を収めるくらいなら、できるんだよ」
「そうなんですか? じゃあなぜさっきはあんなことを……」
「それはね、早苗のためなんだよ」
「え――」
「龍神様が何でお怒りかはわからないけどさ、神奈子が地震や竜巻を止め、雨を降らせたら、龍神様に反抗することになる。そんなことをしたら、罰せられるのは自分だけじゃないかもしれない」

 諏訪子は、じっ、と早苗の目を見つめ、言った。

「神奈子は、自分のプライドよりも、家族を選んだんだよ」

 胸の奥深くを、きゅっ、と締め付けられるような感じがした。

「神奈子様……」

 泣き止んだはずの早苗の目から、つー、と一筋の涙が伝った。

「私も、神奈子も、早苗のことが大好きだからさっ」

 諏訪子は、早苗に向け、にっ、と笑顔を向けた。
 その笑顔は、余りにも眩しくて、早苗もつられて、涙を浮かべながらも、笑顔になった。

「よし笑った!」
「え、え?」
「その笑顔があれば、もう大丈夫。早苗は、どんな奇跡でも起こせるよ」
「諏訪子様……」



 神奈子様。



 私が風邪で熱を出した時に、付きっ切りで看病をしてくれた。
 雷が怖くて、光る度に震えていた私の肩を、ぎゅっと抱いてくれた。
 料理を始めたてのころ、失敗した料理でも、おいしいと言って、全部食べてくれた。
 いつもいつも私のことを考えて、見守ってくれてる神奈子様。

 もう心は、決まった――
 私は、できることをするだけだ。













 話し合い当日。
 悪魔の住む城として恐れられていた紅魔館も、上空に滞留する、圧倒的存在感の前では、いつもよりちっぽけに見えた。
 講堂には、いつも神社で行われる宴会で見る顔のほとんどが集まっていた。
 しかし、その表情は、宴会のときのそれとは比べものにもならず、一様に暗い。
 皆が集まったところで、妖怪の賢者、八雲紫が口を開いた。

「司会進行を務めさせていただきます、八雲紫ですわ。よろしくお願いします」

 いつの間に司会進行役が決まったんだ、と誰もが思ったが、これ以上の適任者がいないのも事実なので、誰も文句は言わなかった。

「さて、皆様もお気づきの通り……というか見ればわかると思うけれど、私たちの上空にいらっしゃるのは、龍神様よ」

 紫の言葉に、場内がどよめいた。
 わかってはいたはずなのに、妖怪の賢者、八雲紫から、はっきりとそう告げられると、やはり重みが違う。

「そして、理由はわからないけれど、龍神様はお怒りになっておられる……誰か、その理由の見当がつく人はいるかしら?」

 八雲紫が、ただ純粋に答えが知りたいがために、誰かに質問をする。通常では考えられないことであった。それだけ、紫も余裕がないことが伺える。
 そして、その答えを知るものは、誰もいなかった。

「……それがわかれば苦労しないって話よね」

 場内に、重たい空気が流れる。

「……いくつか、こちらから質問していくわね。まず、知識人組。パチュリー・ノーレッジ、八意永琳。あなたたちは、龍神様に関して調べていたようだけれど、何かわかったかしら?」
「さっぱりね」
「こちらもよ。役に立たないのね、この本」

 永琳は、幻想郷風土記を片手に、そう言った。

「そう……。上白沢慧音。龍神様がおいでになったという歴史、飲み込めない?」
「西瓜を一口で丸呑みしてみせろ、と言われるようなものだな。とてもじゃないけど、無理だ」
「古明地さとり、龍神様のお考えを読むことはできない?」
「試みたのですけれど、思考の周りにある、障壁のようなものに弾かれました」
「……レミリア・スカーレット。運命をのぞくことはできる?」
「……もやがかかっているようで、何も見えないわ」
「龍神様なら、妨害することなんて簡単なんでしょうね」
「ねえ、あんたの力で何とかできないの? あれ」

 霊夢が、紫に向かって、そう訊いた。あれ、とはもちろん龍神のことである。

「無理よ。格が違うわ」
「紫でも?」
 
 霊夢は、驚いたように言った。

「少し、昔の話をしましょうか……」

 紫は、ぽつり。ぽつり、と昔のことを語りだした。

「あれは……大体百二十年前のことね。あなたの祖先が,
博麗大結界を張ったときのことよ。大結界を張ると決めた時に、結構な反対があってね。血で血を洗うような、妖怪同士の争いになったのよ。そこに、龍神様は現れたわ。いつまで経っても、争いを止めない妖怪を見て、お怒りになった。耳をつんざくような雷鳴と、世界が水没するような大洪水が、何日も何日も続いたの。このままでは幻想郷が崩壊すると思った妖怪の賢者たちは、争いを止め、命を賭して、この世界を未来永劫守ってみせると誓った。――もちろん、ただでは済まなかったわよ。その話し合いの場に行き着くまでに、多くの賢者たちが死に掛けたわ。私を含めてね」

 紫は、そこで一息ついた。
 
「賢者だけでなく、力のある妖怪も戦いに参加したわ。ねえ、萃香、幽香。覚えているでしょ?」
「……ああ、あれは酔いも吹っ飛んだね。腕も吹っ飛んだし」
「私が、本気で逃げ出したいと思ったのは、あれが初めてよ。理屈でも感情でもない。体の全ての細胞が、逃げろ逃げろと叫んでいるの」

 見ると、三人の顔は青ざめ、体が震えている。過去の記憶を思い出し、恐怖しているのだ。
 あの三人が、そこまで怯える存在――
 一同は、否が応にも、その存在の異質さを認めざるを得なかった。

「龍神様に平和を誓ったことで、天変地異は収まったわ。……私たちにとっての天変地異は、龍神様の指先での出来事なのよ」

 重たい空気が、全員にのしかかる。
 沈黙を嫌ったのか、黒白の魔法使い、霧雨魔理沙が口を挟んできた。

「なあ、それよりこれまでの異変の復活はなんだったんだ? あれも龍神が関係してるんだろ? そっちの議論はいいのかよ」
「ああ、そのこと……。それなら解ってるわよ」
「本当か!? なんだったんだ、あの異変の再来は!?」

 紫は、苦虫を噛み潰したような表情で言った。

「あれは……たんなるお遊びみたいなものよ」
「お、お遊びだあ?」
「ええ。龍神様は聡明なお方。自分の姿を見たことがない、自分の力がどれほどのものか知らない人妖がどれだけいるか、そのくらいわかっている。龍神様は、ここ最近の異変を代わる代わる起こしてみせたことによって、自分の力がどれだけのものか、どれほど恐ろしいかを、若い妖怪と、人間に植えつけたのよ」
「ふざけやがって……っ!」

 魔理沙は、ぎ、と歯を噛んだ。
 紫は、話を進める。

「それで、これからのことだけど……」

 再び、沈黙がおちる。
 誰もが口を閉ざす中、早苗は、すっ、と手を挙げ、はっきりとした口調で言った。

「私が直接、龍神様の元へ交渉しに行きます」
「早苗っ!?」

 当然、そんなことは聞いていなかった神奈子は、大いに慌てた。

「何を言ってるんだ、早苗! 今の話を聞いてなかったのか!? 絶対にだめだ! 危険すぎる! 龍神様にとって、私たちの力なんか、塵にも等しいんだぞ!? 何かあったら怪我じゃ済まない!」

 神奈子は早苗を必死に止めた。我が子を死地に赴かせるようなことは、断じて阻止したかった。

「神奈子様、大丈夫です。ちょっと行って、ちょっと話してくるだけです。楽ちんですっ」
「そんなわけないだろう! 何を考えているんだ一体!? 依頼があったからか? それはもはや信仰云々のレベルを超えている。諦めるんだ!」

 早苗は、ふるふる、と首を横に振る。

「信仰とか、依頼とか、そんなんじゃないんです。私がそうしたいんです。お願いします。神奈子様。行かせてください」
「さ、早苗……」

 いつも自分の後ろに追いて回っていた小さな少女が、今こうして自分に向かって、真っ直ぐに目を見て、自分の意見を言ってくる。
 その真っ直ぐな眼差しは、神である神奈子をもたじろがせた。

「……だめだ。危険すぎる」
「神奈子様!」
「私はお前を死なせたくないんだよ!」
「私は死にません! それに、誰かがやらなきゃいけないんです! このままじゃ、いずれ幻想郷は滅びます! このまま、指を咥えて、ただ終わりを待つんですか!?」

 早苗の言い分は、至極真っ当である。
 しかし、それでも、どうしても行かせたくない。理屈ではない。感情だった。

「……実はな、早苗。私も一度、龍神様のお姿を拝見したことがある」
「え、そうだったんですか? でも、最後にお姿を見せたのは、百二十年前だって……」
「龍神様に、大結界なんて関係ない。龍神様はどこにだって行くことができ、世界をどうにだってできる。そこな鬼っ子と花妖怪も言ってたけどな、次元が違いすぎる。逆らうなんて考えちゃ駄目なんだ」
「別に逆らうわけではありません。話し合いに行くんです。神奈子様、心配しないでください」

(心配するな、なんて、無理に決まってるだろ……!)

 心がざわついている中、ぽん、と肩を叩かれる。

「いいじゃない、神奈子。行かせてやりなよ。早苗がようやく、一つ殻を破ろうとしてるんだ。守るばかりが愛情ではないよ」
「諏訪子……。あんた、早苗が死んでもいいのかい?」
「早苗は死なないよ。大丈夫」
「何で言い切れるんだ! わからないだろ!?」
「わかるよ」
「何を根拠に!」
「根拠なんてないさ、ただ、信じてる」
「話にならん!」

 ふー、と息を吐き、言う。
 
「神奈子」

 諏訪子は、静かに、けれども重く、名を呼んだ。
 神奈子は、諏訪子の迫力に、ぞくりとする。
 蛙に睨まれた蛇である。

「な、なん――」
「ちょっとは早苗のことを信じてやれよっ!!」
「――っ」

 びりびりびり、と部屋中の空気が震えた。
 窓硝子には、ひびが入り、その場にいる全員の頭の中で、わん……わん……、と諏訪子の声が反響していた。
 気絶してしまった、力の弱い妖怪もいる。
 諏訪子は、怒気を露わに、続けた。

「私らが早苗のことを信じてやらなくて、一体誰が信じるんだよ! 神奈子、あんた今までどれだけ早苗に信じてきてもらった!? 早苗の思いを、一方通行にするなよっ!!」
「す、諏訪子……」
「諏訪子様……」
「信じあえて、初めて、本当の家族だろ? 頼むよ、神奈子。私たちを、本当の家族にしてくれよ……」
「……っ」

 神奈子は、頭をがしがしと掻いた。まるで、未だに納得したくない自分を、振り払うかのように。

「わ……」

 神奈子は、吐き出すように、搾り出すように、言った。

「……わぁかったよ! 信じるよ! 信じればいいんだろ!?」

 そして一転、静かに、言い聞かせるように、早苗の両肩を痛いくらいに掴み、続けた。

「だけど、約束してくれ。無茶は絶対にするな。いいかい? 相手は龍神様だ。少しでも旗色が悪くなったら、すぐに帰ってこい。いいな?」

 神奈子の、早苗を見る目は、間違いなく、自分の子供を想う母親の目であった。

 ――血は繋がっていなくとも、本当の家族になれる――

 そのことを心で理解した早苗に、恐怖はなかった。胸の奥が、じわりと暖かく感じる。
 早苗は、自分でも驚くくらいに穏やかな声で、神奈子に対して返事をすることができた。

「――はい。東風谷早苗、行って参ります」

 事の成り行きを見守っていた紫が、口を挟む。

「話は決まったようね。……だけど、本当にわかっているの? 龍神様の恐ろしさを。私が死に掛けたのよ? あなたが今まで退治してきた妖怪とは、全く別の存在。正直言って、私も諸手を挙げて送り出すことはできないわ」
「はい。でも、もう決めたんです」

 紫は、早苗の目を、じ、と見つめる。
 早苗も、真っ直ぐに、紫の目を見つめ返した。

「……そう。それならもう、何も言わないわ。行ってらっしゃい。無茶だけはしないのよ」

 早苗は、こくり、と頷くと、立ち上がり、部屋を出て行った。
 他の者も、それに続く。
 外の天気は、依然変わらず。
 日の光を遮る龍神の巨体は、まるで大きな雲であった。
 そう、行く先を暗示するような、巨大な暗雲だった――













 普段、空を飛ぶときの、肌を通り抜けるような爽快な風は、今では全く感じられなかった。

(まるで、幻想郷の鼓動が止まってしまっているみたい……)

 早苗は、そう感じた。
 その表現は、まさしく的を射ているもので、事実、龍神が、幻想郷の大気を操り、動きをなくさせることで、雨を止めていたのだった。
 夏の暑さも相まって、空気が纏わりつくようで、非常に気持ちが悪い。
 このままでは、作物だけではない、幻想郷そのものが死んでしまう。
 そう思った早苗は、なんとしてでも龍神様を説得せねば、そう思ったのであった。
 しかし――

「なかなか距離が縮まらないなあ」

 地上にいる時でも、その姿は、今までみたこともないくらい、巨大なものであると認識できた。しかし、これだけ近づいていっても、まだまだ距離はある。
 いかに龍神が巨大か、ということを物語っていた。

「もっと急がなきゃ――」

 ――その時だった。
 突如、龍神の胴体が、ずりずりと動いたかと思うと、上空から、光の矢のようなものが降り注いできた。

「きゃっ!」

 早苗は、慌ててそれを避ける。

「……敵意剥き出しじゃないですか」

 早苗は、万が一当たったとしても、ダメージを最小限に抑えられるように、周囲に強力な結界を張った。







 地上では、多くの人妖が、事の成り行きを見守っていた。

「お、おい! 龍神のやつ、攻撃してきたぞ!?」
「さ、早苗っ!」

 遠くに見える小さな影は、器用に光の雨の中を、すいすいと泳いでいた。

「へー、なかなかやるわね」

 スペルカードルール、すなわち弾幕勝負の創始者である博麗霊夢が、早苗のグレイズに太鼓判を押した。
 それほど、早苗の飛翔は様になっていたのである。
 風を感じ、風を泳ぎ、風になる。
 風祝としての本領を、存分に発揮していた。
 しかし、これは弾幕勝負ではない。龍神の放つ光線、光弾、一発一発に、人間など軽く吹き飛ばすくらいの、致死級の威力が込められていた。
 コンマ一秒前に自分がいた場所を、光弾が通り抜ける。耳のすぐ隣で、風を切る音が聞こえる。肌がちりちりと焼ける。
 刹那の世界。
 早苗は、極限まで意識を集中していた。
 一瞬でも気を抜けば、それが命取りになるのだ。

 龍神に比べたら、自分の存在なんて、余りにも小さい。だけど、きっと何かできることはあるはず。そう思って飛び出してきた。
 それが、きっと龍神にとっては、こうるさいハエをはらうようなものなのだろう。説得をするどころか、近づくことさえ、ままならない状態であった。

「ち、近づけない……!」

 不意に、龍神の、早苗に対する攻撃が止んだ。

「こ、攻撃が止まった……?」

 龍神の激しい攻撃に、肉体的にも精神的にも疲弊していた早苗は、ほっ、と安堵の表情を浮かべた。
 刹那――

「――っ!?」

 再び、邪魔者を射殺さんとする、龍神の魔弾が放たれた。

 ――油断。
 龍神とは、最高位の神。
 人間というものを、知り尽くしていないわけがなかった。
 天空から龍神の怒りが降り注ぐ。

(避けられない――)

 死に直面した時に、世界がスローモーションになるという。
 早苗は、光線が体内を走り、光弾が肉体を削り取ってゆく様を、ゆっくりと、捉えていた。

「ああああああああああぁっ!」

 およそ、人の出す声とは思えない叫び。
 早苗の悲鳴は、龍神の放った弾幕が、無理矢理、早苗の体内から声を押し出したと思われるような、凄惨なものであった。

「早苗ぇえええっ!!」

 神奈子の悲痛な叫びが響き渡る。
 早苗は、糸の切れた操り人形のように、ぐら、とその浮力を失い、真っ逆さまに地上へ落ちていった。
 済んでのところで、神奈子が早苗を受け止める。
 いつも笑顔を振りまいていた少女が、今では腕の中で、その生命を希薄にさせていた。

「血が、血が……こんなに!」

 じわり、と神奈子の腕に早苗の血が染み込んでくる。

「早く館の中に運んでっ!」

 早苗の、夥しい量の血を見て呆然としていた神奈子は、永琳の鋭い声に、はっ、と我に返る。

「わ、わかった!」













 講堂に、心を押し潰してしまいそうな、重たい静寂が包む。
 誰も、しゃべろうとする者はいない。何かを話す気にはなれなかったのだ。
 聞こえるのは、かち、かち、という時計の音だけであった。
 何分くらい経ったのだろうか。
 一分が、一秒が、まるで何時間のようにも感じられた。

(早苗……)

 神奈子は、先の自分を責めていた。
 やっぱり、何が何でも止めていればよかったんだ。人間が龍神と対等に話をするなんて、そんなことは端から無理だったんだ。
 しかし、早苗の、あの真っ直ぐの目を見たら、どうしても止めることなどできなかった。
 実際、神奈子は期待していた。
 人間は、弱い。しかし、時として思いがけない力を発揮することがある。
 昔から、そう。人は、何かを守るためなら、いくらでも強くなった。鬼や神をも倒すほどに。
 人はそれを、奇跡と呼んだ。
 神奈子は、期待していたのだ。
 自分は、いくら龍神様に挑んでも、結果は何も変わらないだろう。
 しかし、奇跡を起こす早苗なら――そう思ったのだ。
 そして、淡い期待は泡沫のように消えていった。自分が馬鹿なことを考えたせいで、早苗が生死の狭間を彷徨っている。
 消えてしまいたい――
 そんな思いが神奈子を襲った。しかし、そんなことを思っても、なんの解決にもならないことはわかっていた。それどころか、こんな自分でも、いなくなったら、早苗は泣いてくれるだろう。早苗を泣かせたくはない。

 きい、という扉を開ける音が、静寂を破った。
 早苗の治療を終えた永琳が、他の皆がいる講堂へと戻ってきたのだ。
 神奈子は、弾けたように、永琳に詰め寄った。

「早苗! 早苗は!?」

 永琳は、詰め寄る神奈子を落ち着かせるように、神奈子の両肩を押さえ、告げた。

「大丈夫よ。命に別状はないわ。あの子が張った結界で、上手いことダメージを軽減してたのね」

 神奈子は、糸が切れたように、その場にへたり込んだ。

「よ、よかったぁ……」

 でも、と永琳は続ける。

「龍神の放った弾幕は、雷撃に近いものだったみたいなの。それによってできた火傷がひどいわ。……あれは痕が残るでしょうね」
「そ、そんな……」

 目の前が真っ暗になるような、そんな絶望感が神奈子を襲った。
 嫁入り前の若い娘に、そんな痕が残っていいものなのか。
 永琳も、神奈子にかける言葉が見つからなかった。
 誰も、話をできるような心境ではなかった。
 その日は、一旦お開きとし、後日、話し合いの場を設ける運びとなった。













 沈んでいた意識が、徐々に徐々に浮かび上がってくる。
 ぼんやりと目を開けると、見知らぬ天井が目に入ってきた。
 
「ここ、は……?」
「早苗! 気が付いたんだね!」

 諏訪子が、安堵の表情を浮かべ、早苗に近寄ってきた。

「諏訪子様、私――あぅ!」

 起き上がった瞬間、全身に突き刺すそうな痛みが走った。

「駄目だよ早苗! じっとしてないと! すごい怪我なんだよ!」

 鈍っていた頭が、ようやく動き始める。
 そうか、私は龍神様にやられて、気を失っていたのか。

「今はゆっくり休んでいて」

 諏訪子様が、私の背中を支え、ゆっくりとベッドに倒してくれる。

「負けたんですね、私……」

 勝負なんてする気もなかったのに。

「うん……」

 諏訪子様は、ばつが悪そうに顔を伏せた。

「私はただ、龍神様のお考えが知りたくて、話し合いをしたくて、龍神様のところへ行こうとしただけなのに、それすらもおこがましかったのでしょうか……?」

 思わず涙が出てくる。

「私、何もできない自分が悔しいです……」
「早苗……」

 重くなった空気に、はっと気付く。
 話題を変えるために、さっきから気になっていたことを質問してみた。
 
「――ところで、神奈子様はどちらに?」
「神奈子なら、神社に戻って早苗の服とか日用品を取りに行ったよ。その傷じゃあ当分動けないだろうからって」
「そうですか」
「早苗が落ちてきた時の神奈子っていったらもう、すごかったんだよ? 早苗の傷を見て錯乱しちゃってさ。わんわん泣いて、永琳に頭下げてさ」
「神奈子様が……そんなことに?」
「うん。まあ、でも気持ちはわかるけどね。誰だって、家族が重症を負ったら、ああなるだろうさ」
「家族……」

 家族――
 神奈子様、諏訪子様。
 いつだって、二人は、私を大事にしてくれた。
 神奈子様――いつもいつも、私を導いてくれた。
 諏訪子様――いつだって、私の背中を押してくれた。
 そうだ。決めたじゃないか。この二人のために、この二人が住む幻想郷のために、頑張るって。
 一度躓いたからって何だ。一度転んだからって何だ。立ち上がればいいだけじゃないか。
 何度敗れたって、心だけは、絶対に折らせはしない。

「あーあ。一昨日は早苗、昨日は神奈子。明日は私が泣くことになるんだろうな」

 諏訪子様には、全てお見通しだったらしい。

「すみません。諏訪子様……。ここだけは、絶対に譲れないんです」
「…………」

 諏訪子様は、ぴょん、とベッドの上に乗っかると、いきなり抱きついてきた。

「いたぁー! ちょ、ちょっと、諏訪子様!?」
「ごめん。ちょっとこのままでいさせて」
「諏訪子様……?」

 首の後ろに回された、諏訪子様の腕は、ふるふると、微かに震えていた。

「諏訪子様……」

 明日になったら、何が起こるかわからない。
 きっと諏訪子様は、覚悟を決めているんだ。
 そう、感じた。













 翌日、再び話し合いの場が設けられた。
 議題は、これからどうするか。このまま龍神の怒りが収まるのを、じっと待つのか。命を賭けて話し合いに臨むのか。
 発言をする者は、いなかった。
 無理もない。前日に早苗がやられる様を、皆その目に焼き付けている。
 龍神の怒りが、自然に収まるとは思えない、しかし、早苗の二の舞を演じることはしたくない。
 何一つ建設的な意見がでない会議に、紫は、どうしたものかと思案する。
 そんな中、扉の向こうから、何やら慌てたような声が聞こえてきた。

「だ、駄目ですよ! まだ寝てなくちゃ!」
「大丈夫です……。それより、龍神様を何とかしないと……」

 鈴仙は、講堂へ戻ろうとする早苗を、必死に止める説得をしていた。
 それもそのはず、早苗は、足を引きずり、脇腹を押さえながら、よろよろと、なんとか動ける程度にしか回復していないのだ。所々、包帯から血も滲んでいる。

「早苗!」

 神奈子は、早苗に駆け寄った。

「早苗、大人しく寝ているんだ! 自分がどれだけの重症を負ったのか、わかってないのか!?」
「神奈子様、大丈夫です。ある程度は結界で防ぎました」
「防ぎきれていないだろう! こんなに怪我をして……こんな……」

 神奈子は、早苗の体を見て、思わず泣きそうになった。
 あちこちに包帯を巻き、血を滲ませ、ふらふらとしか歩けない。
 しかし、なぜだ、それでも瞳に宿る光は、まるで、その輝きを失っていない。
 早苗の様子は、完全に神奈子の理解の範囲から逸脱していた。
 それでも、神奈子は早苗を止めなくてはならない。

「早苗……もういいだろう? お前はよく頑張ったよ。みんながそう思っている。もう、ゆっくり休め……」
「よく、ありません。龍神様を、止めなくちゃ……」
「無理だっただろう!? まだわからないのか!?」
「神奈子の言う通りだぜ。あれはもう、弾幕勝負だとか試合だとか、そんなレベルじゃない。あれは本気で殺しにかかってた……」
「魔理沙さんらしくないですね。挑んでもいないのに、諦めるんですか?」
「見てたからな。まるで勝てる気がしない。それどころか、勝負にすらならないだろうぜ」

 早苗は、霊夢を見やる。

「霊夢さんも、同じなんですか?」
「そうね。どうにかできるとは思えないわ」
「異変解決は、巫女の生業だったんじゃないですか?」
「……魔理沙も言ったでしょ? そういうレベルじゃないのよ」
「…………」

 神奈子は、早苗の肩に手を置き、言う。

「早苗、わかっただろう? もう、大人しく――」

 ばしっ、と神奈子の手を払い、早苗は叫んだ。

「大人しくしていて、どうなるって言うんですかっ!」
「さ、早苗……」
「なんなんですか、みんなして! 私たちが生きている世界の、幻想郷の危機なんですよ!? どうして誰も、何とかしようとしないんですか!? 幻想郷が! 幻想郷が……」

 幻想郷が、かわいそうです、と最後に涙に埋もれて、聞こえないくらいの声で呟いた。

「早苗、じゃあどうしろって言うんだ? 奇跡なんか、起こらないんだよ。起こらなかったじゃないか!?」
「奇跡が起きないのなら、起きるまで続ければいい!」
「――っ!」
「一度で奇跡が起きないのなら、二度でも三度でも、何度でも、立ち向かってみせます! 奇跡が、起きるまで!」

 早苗は、ぽつり、ぽつりと語り出した。

「小さな頃から、ずっと不思議でした。なんで私は、他の子と違うのか。特別な力を持っているのか。……この力が、私だけのものだと知らないくらい、小さな頃、一度だけ、友達の前で力を使いました。ボールが木の枝に引っかかっちゃったんです。私は空を飛んでボールを取りました。……あの時の、友達の顔が忘れられません。それから、力を使うことは止めました。力を使ったら、変な目で見られる。みんなと一緒じゃいられなくなる。子供ながらに。そのくらいは理解できました。力を使わなかった私は、みんなと一緒に過ごすことはできました。――でも、本当は、ずっと独りだったんです。ずっと、本当の自分を隠して生きてきた。本当の仲間はいないと、心のどこかで思っていました。だから、外の世界を捨て、幻想郷に行くと決まったとき、そこまで迷いはなかったんです。本当の仲間が、友達ができるかも、って。そう思ったんです」

 早苗は、みんなの顔を見回して、笑みをもらしながら、恥ずかしそうに続けた。

「出会いは最悪でしたけどね、今では、なんの気兼ねもなく、全部をさらけ出せる、そんな友達ができた、そう思ってます」
「な、何、恥ずかしいこと言ってるんだ」

 魔理沙は、顔を真っ赤にさせ、うろたえた。
 くす、と早苗は、そんな魔理沙を見て微笑んだ。

「捻くれているようで、本当は誰よりも真っ直ぐで努力家な魔理沙さん」
「や、やめろよっ」
「一見、ふわふわしてるけど、その視線は、真っ直ぐ、本質に向かってのびている。素敵な巫女の霊夢さん」
「……どうも」

 霊夢は、そっけなく、ぷい、とそっぽを向いたが、耳が赤くなっているので、照れていることが、ばればれであった。

「いつも冷静で、完璧に仕事をこなす、女性の憧れの的である咲夜さん」
「…………」
「ふふ、さすがです」

 早苗は、その場にいる全員の顔を、一人一人見つめた。

「いつの間にか、この世界が、幻想郷が好きになっていました。異変だの何だの、騒がしい世界ですけど、大好きなみなさんのいる、この幻想郷が大好きです」

 誰も、早苗を茶化せる者など、いなかった。

「なぜ私が、他の子とは違う力を持って、生まれたのか。今ならわかる気がするんです。――私の、この力は、この世界のためにある。ちっぽけだけれど、今、この時のために使う力だって、はっきりと言えます」

 早苗は、じっ、と神奈子を見据えて、言う。

「神奈子様、行かせてください」
「…………!」

 ――なぜだ? なんなんだ? まるでわからない。この気力は、どこから生まれてくるのだ? 
 神なしでは生きていけない人間。
 文明なしでは生きていけない人間。
 どちらかがなくては、人間は生きていけない。弱い、存在のはずだ。はずだった。
 それが、どうだ?
 目の前にいる人間は、外の世界の武器も持たず、神以上の神に挑もうとしている。
 真っ直ぐに自分を見据える視線に、神奈子は、目を逸らさずにはいられなかった。

「す、諏訪子……」

 情けないとは思いつつも、神奈子は、諏訪子に助けを求めようとして、予期せぬものを見ることになった。

「――っ!」

 ――涙?
 諏訪子は、泣いていた。血が出るほど唇を噛み締め、小さな拳をぎゅっ、と握り締め、それでも視線だけは真っ直ぐに早苗を見つめていた。

「す、諏訪子……」

 諏訪子は、搾り出すように、嗚咽交じりに、言った。

「神奈子、行かせて、やるんだ……」
「――っ!?」

 何を言っているんだ、と怒鳴りたかった。しかし、それはできなかった。
 諏訪子は、耐えている。最愛の家族を失うかもしれないという、不安に。
 諏訪子も、本当は早苗を止めたいのだろう。よく頑張った。もう休め。そう言ってやりたいはずだった。
 しかし、諏訪子はそれをしなかった。誰よりも早苗を理解し、早苗の背中を押してやる。それが自分の役目だと、諏訪子はわかっている。
 そんな諏訪子の姿を見て、神奈子はもう、何も言えなくなっていた。

「諏訪子様……」

 早苗は、じわり、と滲んだ涙を、袖でぐい、と拭いた。

「――ありがとうございます」

 もはや、止めることなど、できなかった。

「みなさん、私は、戦ってきます。独りでも、何度でも、この命ある限り。この世界が、好きだから。――この世界に住むのなら、今こそ、その力を揮うべき、違いますか?」

 早苗は、全員の顔を見た。

 ――ついてきてくれる人は、いないか――

 仕方のないことだった。誰だって、命は惜しい。
 静寂を打ち破るように、魔理沙の声が響いた。

「あーあー! 立派なことだな! さすがは風祝さんだよ! 新参が生意気言ってくれちゃってさあ!」

 魔理沙の辛辣な言葉に、早苗は、ぐっ、と表情を硬くする。

「ま、魔理沙さん……。わ、私は――」

 魔理沙は、早苗の反論を遮って、言った。

「お前に言われなくても、そろそろ行こうかなって、思ってたんだよ」
「魔理沙さん!」

 早苗の表情が、ぱあ、と明るくなる。
 霊夢も、魔理沙に続く。

「はあああ。面倒だけど、これほどの大異変を解決したら、少しはお賽銭も入るようになるかしらね」
「霊夢さんも!」

 少し離れたところで、その様子を眺めていたレミリアだったが、後ろに付いている咲夜の様子がおかしいことに気が付いた。

「ん? 咲夜、どうしたの?」

 見れば、咲夜は何かしらかの衝動を、必死に押さえ込んでいるように見える。

「……お嬢様。申し訳ございません。咲夜も、身のほどを知らない、ただの人間だったようです」
「え、ちょ、咲夜!?」

 咲夜は、レミリアの制止を振り切って、早苗の元へ行こうとする。

「待ちなさい! 咲夜!」
「申し訳ございません。この罰は、咲夜が戻った時に、如何様にも。――早苗、私も行くわ」
「咲夜さんまで!」

 人間とは、一体……?
 レミリアも、神奈子も、紫さえも、そう思った。
 残った妖怪たちは、沈黙の中、互いに顔を見合わせる以外になかった。













 紅魔館の外に出た四人は、遥か上空にいる、龍神の姿を見上げていた。

「はー。やっぱりでかいなあ」
「怖いの?」
「こ、怖くねえよ!」
「手ぇ震えてるぞー」
「これは、武者震いだ」
「へー」
「なんかむかつくな……」

 霊夢と魔理沙のやりとりを、横目で見ていた咲夜は、ふう、と溜め息を吐いた。

「全く……緊張感がないわね。言っておくけど、私は怖いわよ。今すぐにでも逃げ出してしまいたいくらいに」

 咲夜の言葉に、それまでの軽い空気が途端に重くなる。

「……実は、私もよ」

 霊夢は下を向きながら、打ち明けた。

「はは、なんだなんだ。あれだけ言っておいて、霊夢は怖いのか! 情けないな!」

 ははは、と霊夢を笑う魔理沙だったが、笑い声は、段々と小さくなっていった。そして、ぽつりと呟いた。

「……本当は、私も、怖い」

 早苗は、意を決したように、顔を上げ、三人に言う。

「……みなさん、やっぱり私が独りで――」

 ――と言ったところで、むぐ、と早苗は口を人差し指で押さえられた。

「なーに言ってんのよ。私たちが戦わないで、誰が戦うのよ。幻想郷のピンチなんでしょ? あんたが言ったんじゃないの」
「そ、それはそうですけど……」
「あー、悪い悪い。らしくない弱音を吐いちまった。忘れてくれ」
「挑む前に、テンション下がるようなこと言って、ごめんなさいね」
「い、いえ。そんなこと……」

 早苗は、少し照れたように笑いながら続けた。

「実は、私もすごく怖かったんです」
「そうなの?」
「はい。あんなに息巻いてたのに、笑っちゃいますよね。――だから、みなさんがついてくるって言ってくれた時、すごく嬉しかった。心強かった。大丈夫、数々の異変を解決してきた英雄が三人もいるんです。きっと、なんとかなります!」

 早苗は、ぐっ、と握り拳を、胸の前に作り、三人に笑顔を向けた。

「ふん。新参に励まされてちゃあ、世話ないな」

 魔理沙は、くるりと早苗に背を向け、呟いた。

「私だって、いつまでも新参じゃないですよ!」

 ぷんぷん、とほっぺたを膨らませた早苗だったが、魔理沙がそう呟いた瞬間に、ちらりと横顔を見せた、その表情は、どこか自信に満ち溢れていて、それは早苗の知っている、どうしようもないほど、いつもの『魔理沙』であった。
 見ると、霊夢も、数々の異変を解決してみせた『博麗の巫女』の顔つきになっている。あどけなさを残した、しかしどこか大人びた、凛々しい少女の顔である。
 咲夜も、紅魔館の誇りをかけて、目の前の障害を須らく排除すべし、と完全で瀟洒なメイドの光を、その瞳に宿していた。
 早苗は、心に火が灯ったような気がした。

 ――きっと、できる――

 心から、そう思えた。
 思いは力になる。思いは奇跡を生む。
 早苗は、上空を見据え、言った。

「――さあ、行きましょう」

 三人は、こく、と頷くと、天高く舞い上がって行った。







 四人は、泳いだ。降りしきる弾幕の雨の中を。
 『ごっこ』では済まない、致死級の威力のこもった弾幕。視認してからでは遅い、勘を働かせながら避けるしかない雷撃。
 四人の少女の神経は、すり減る一方だった。

「ちょ、これ、近づく、ことも、危ね! できない、っとぉ! じゃないか!」
「早苗! 一番強力な結界を、常に張っていなさい! 一撃でもまともに食らったらアウトよ!」
「わかって、ます! 先日、食らいましたから!」
「そうだったわね! ……くっ! 咲夜も! 能力フルに使いなさいよ!」
「もう使ってるわ! かなりギリギリ! いつガス欠になるかわからない状態よ! ――きゃっ!」

 咲夜の真横を、邪魔者を打ち落とさんとする稲妻が通り抜ける。

「……っ! やってくれるじゃないの!」

 咲夜は、胸の懐中時計に手をかけた。

「幻世、ザ・ワールド!」

 咲夜は、時を止めた。世界が静寂に満ちる。
 咲夜は、一気に龍神との距離を詰めた。

「っはあ。これをやると、消耗するから、余り使いたくはなかったのだけど――」

 咲夜は、目の前に龍神を捉え、ナイフを構えた。

「――そうも言ってられないわね。少しでも、ダメージを与えさせてもらうわよ」

 咲夜は、ありったけのナイフを、龍神に向かって投げつけた。時が止まっているので、ナイフは咲夜の手から離れた時点で止まっている。

「――そして、時は動き出す」

 咲夜が、パチン、と指を鳴らすと、再び咲夜の世界は、音を取り戻した。同時に、幾十ものナイフが、龍神に向かって動き出す。

「――あ、咲夜さんがあんなところに!」
「時を止めて近づいたのね」
「っは、やるじゃないか! 行けぇ!」

 皆の期待が込められたナイフは、しかし、龍神の体に当たる寸前に、何かに弾かれた。

「――!?」

 咲夜に、驚きと困惑の表情が広がる。尤も、それは他の三人も同じことだった。

「視認できないほど超高密度の結界!? 信じられない……!」
「ど、どうしましょう! これじゃあ、近づいてもダメージが与えられません!」
「――!? 咲夜ぁ!」

 一瞬の心の迷い――自分が放った攻撃が、まるで効かなかった。そのショックからの硬直を、龍神は見逃さなかった。
 人間大の光弾が、咲夜を襲う。

「しまっ――」

 咲夜は、懐中時計に手をかける。

「幻世――」

 ――間に合わない。
 瞬間的に理解した。自分はここで死ぬ。
 霊夢や早苗みたいに結界を張れるわけでもない。魔理沙みたいに高威力の魔法で防ぐこともできない。
 咲夜は、避けることしかできないのだ。しかし、それがもう、間に合わない。
 能力を使っているわけでもないのに、世界がゆっくりと流れていく。龍神の放った光弾が、ゆっくりと近づいてくるのは見えるのに、体は動かない。

 ――これが、『死』

(お嬢様、申し訳――)

 咲夜が覚悟を決めた、その瞬間、斜め後方から、特大のエネルギーの塊が、矢よりも速く、咲夜の横を通り抜ける。
 槍状のエネルギーは、咲夜の命を奪わんとしていた光弾をかき消した。

「こ、これは……」

「神槍、スピア・ザ・グングニル」
「お、お嬢様!」
「ふん……」

 レミリアは、咲夜に近づくと、まるで射殺さんとする目を、咲夜に向けた。

「咲夜。貴女、誰の許可を得て、死のうとしているの? あなたは私のもの。勝手に死ぬ運命など、貴様に用意してなどいないっ!」
「――――!」

 びりり、とレミリアの放った怒号は、大気を揺るがした。
誰もが萎縮しそうな威圧感を放つレミリアだったが、咲夜は、それに呑まれることなく、レミリアの顔を見つめていた。

「お、お嬢、様……?」

 レミリアは、泣いていた。
 力を抜いたら、すぐに崩れてしまいそうな顔に、無理矢理、怒りの仮面を貼り付けて、ぽろぽろと涙を零していた。

「人間よ。命短き者よ。死ぬな。私と共にあれ。死ぬまで、死ぬな!」
「――――っ」

 きゅっ、と喉の奥が詰まるような感覚に陥った。

 ――この方にお仕えできて、私は本当に幸せだ。

 咲夜は、思った。
 お嬢様のためなら、いくらでも力が湧いてくる。お嬢様となら、どこまでも行ける。私は、まだまだ頑張れる。
 光の宿った咲夜の瞳に、レミリアは、にっ、と満足のいったような表情を浮かべ、言った。

「さあ、行くぞ!」
「……はい!」

 夢幻の紅魔チームの、反撃の狼煙が上がった。







「レミリアと一緒なら、咲夜は大丈夫そうだな」
「そうですね、とりあえずは、一安心です」
「ったく、個人プレーに走るから危ない目に合うのよ」
「それはそうと、私たちも少し離れた方がいいですね。まとまっていると、狙い撃ちにされます」
「そうだな、散らばって龍神に接近――」

 早苗たちが、そこに気付くのは些か遅すぎた。龍神の放った弾幕は、既に早苗たちを取り囲んでいた。

「しまったっ!」
「早苗ぇ! 全力で結界を張りなさいっ!」
「は、はい!」

 霊夢と早苗が、結界を構築した瞬間、幾十幾百もの弾幕が、結界を壊さんと襲い掛かってくる。

「ぐうううううううっ!?」
「う、くぅ……!」

 二人に大粒の汗が浮き出る。
 結界が壊され、弾幕が入り込む前に、新しい結界を構築する。それをひたすら繰り返していた。

「――っ! もう少し耐えてくれ! 今、活路を開いてやる!」

 魔理沙は、体内の魔力を一気に解放した。

「ダブルスパァーク!」

 魔理沙の放った魔砲は、襲い来る弾幕をかき消し、霊夢と早苗、両方の進路を作り出した。

「今だ! 抜け出せ!」

 霊夢と早苗は、魔理沙の放った魔砲を追うように弾幕の雨から抜け出していった。

「ありがとう、魔理沙!」
「助かります!」

 魔理沙は、二人が無事に抜け出したのを確認すると、疲れたように呟いた。

「……ま、こうなるよな」

 魔理沙の目の前には、特大の光弾が迫っていた。
 わかっていたことだ。
 龍神と魔理沙。力の差はあれど、その戦い方は似ているものがあった。
 細かい弾幕で敵の体力を奪い、最後にでかい一撃を放り込む。
 魔理沙だから、龍神の狙いがわかった。
 あの時、即座にダブルスパークを出していなかったら、結界が張ってあったから死にはせずとも、三人とも重症を負っていただろう。一刻も早く抜け出す必要があった。
 その結果が、これだよ。

 一番でかいのなら、かき消せるだろうが、ダブルスパークの直後だし、無理だな。
 避けるのも、無理か。意外と速いやこの弾幕。

 ――あーあ、こんなとこで終わり、か……。

 魔理沙は、ぎゅっ、と目をつぶり、来たる衝撃に備えた。
 その時、ひゅん、と何かが脇をかすめた。

「未来永劫斬っ!」
「よ、妖夢!?」

 目の前では、妖夢が光り輝く楼観剣で、龍神の放った特大の光弾を受け止めていた。
 ばちばちと閃光が弾ける。龍神の光弾の威力に押され、じわじわと妖夢が後ろに下がる。

「無茶だ! やめろ、妖夢! そいつの弾幕は半端じゃない! いくらお前でも――」
「魔理沙!」

 妖夢は、魔理沙の言葉を遮り、呼びかける。

「な、なんだ?」
「あなたは、誰だ!」
「はあ!? こんな時に何言ってるんだ!」
「答えろ! 魔理沙! あなたは誰だ!」
「なんだってんだちくしょう! 私は魔理沙だ! 霧雨魔理沙だよ!」

 後ろ姿からだったが、妖夢が、に、と笑ったような気がした。

「そうだ! あなたは霧雨魔理沙だ! そして、霧雨魔理沙は、どんな無茶でもやってのけた! これしきのこと、なんでもない!」

 それに、と妖夢は続ける。

「妖怪が鍛えた楼観剣に、切れぬものなど――」

 妖夢は、ぐっ、と力を込める。

「――絶対に、ないっ!」

 妖夢は、楼観剣を振りぬく。パァン、という音を響かせて、光弾が弾けた。

「は、弾いた!」

 はぁ――はぁ――、と妖夢は、息を整え、魔理沙に向かって笑いかけた。

「……どう? 魔理沙。これが、いつもあなたがやっていることです」
「――――」
「立ち止まるな、人間。諦めるな、人間。そうすれば、あなたたちは、いくらでも成長できる」
「妖夢……」
「私は、あなたたちの覚悟に惚れたんです。最後まで、あなたたちの、翔ける姿を、魅せ続けてください」
「……半人前のくせに、一丁前に説教かよ」

 ぷい、とそっぽを向く魔理沙に、妖夢は笑みを漏らした。

「ふふ。――ほら、見て。あなたたちに惚れたのは、私だけじゃないんです」

 妖夢は、そう言って、眼下を見下ろした。魔理沙もそれに倣うと、信じられない光景が広がっていた。

「――み、みんなも来てくれたのか」
「ええ」

 見ると、足元の空には、紅魔館で沈黙を貫いていた妖怪、幽霊、他にも様々な種族が全員応援に駆けつけていた。
 遠くにいる霊夢、早苗からも、それは確認できた。

「霊夢さん、見てください! みんなが!」

 霊夢は、ちらりと眼下を見やると、にやりと笑みを見せ、ふん、と鼻を鳴らした。

「あいつら、ようやく思い出したみたいね」
「何がですか?」
「幻想郷の住人は、基本、みんな自分勝手なのよ。それを、龍神の存在感で忘れちゃってたの。本来なら、あんなでかい邪魔者が居座ってたら、速攻排除よ」
「はあ……。過激ですねぇ」
「煽った本人が何言ってるのよ」







 神奈子は、先を行く早苗と霊夢を見上げ、人知れず胸をつまらせていた。

(これは、お前が起こした奇跡なんだぞ。早苗)

「なーんか嬉しそうだね、神奈子。さっきまであんなに引き止めてたのに」
「そりゃあ止めるさ。我が子が危険に晒されるってのに、止めない親はいないだろう?」
「誰が親なのよ」
「似たようなものさ。……家族だろ?」
「……まぁね」
「というか、あんた最初っから早苗のこと後押ししてたけど、神様としてそれはどうなんだい」
「いいんだよ。祟り神だし」
「そういうもんか?」
「そういうもんさ。――さあ、私たちも行くよ! 神具、洩矢の鉄の輪!」

 諏訪子は、龍神に向かって、弾幕を放った。ひゅんひゅん、と幾つもの鉄の輪が空を切り、飛んでいく。
 神奈子もそれに倣い、弾幕を放つ。

「あーあ、ここまでバチ当たりな神様も、他にいないだろうな。神祭、エクスパンデッド・オンバシラー!」

 ごう、とうねりを上げ、御柱は龍神に向かって飛ぶ。
 それを皮切りに、他の者も自分の得意の弾幕を放っていく。覚悟して来たものの、やはり龍神に向かって攻撃をすることに抵抗があったのだろう。しかし、神である二柱がそれをやってみせたことによって、他の者の迷いも吹っ切れたのだった。







「これは……」

 紫は、信じられないものでも見るかのように、上空を見上げた。

「何やら複雑そうですね、八雲紫さん」
「古明地、さとり……」
「かつて自分が大敗を喫した相手に、子供だと思っていた人妖が、幻想郷を背負い、挑んでいる……。面白くありませんね?」
「……そんなんじゃないわ。あなたの能力も、完全ってわけではないのね」
「そうですね。相手の心の中でも、上手く定まっていない感情は、正確には読み取れません」
「そう……」

 そう一言だけ呟くと、紫は、しばし無言で上空を眺めた。

「そう……ね、たぶん、寂しいのね。これは」
「なるほど。巣立ちを見守る親の心境ですか」
「そんなところよ」
「――では、子供が頑張っているのなら、親もそれを手伝ってあげなきゃいけませんね」
「――!? ちょ、ちょっと、何をするつもり!?」
「龍神が、あの子たちに気を取られている今なら、心を読むことができるはずです」
「無茶よ! 存在の規模が違うのよ!? 仮に、龍神様の心が読めたとしても、あなたの精神が持たない!」

 さとりは、そんなことはわかっている、とばかりに微笑んだ。

「それでも、やらなきゃいけないことはあるんです。何を擲ってでも」

 そう言うと、さとりは静かに目を閉じ、意識を集中させた。

 ノイズがひどい。それもそうだ。これだけの人数が一堂に会しているのだ。集中しろ。一番大きな存在を追っていくんだ。――――見つけた。以前はまるで入り込めなかった障壁に、微かだけど綻びが見える。――いける。するりと龍神の意識の中に潜り込む。瞬間――

 ――!?
 
「きゃああああああ!」
「さとり!?」
「さとりさま!?」
「さとりさまー!?」

 遠くにいる空と燐にも、さとりの悲鳴は聞こえたらしい。二人は慌てて駆け寄ってきた。
 さとりは、目、鼻、耳から血を垂れ流し、ずしゃり、とその場に崩れた。

「だから言ったじゃない! 永琳! すぐに来て!」
「うにゅう、さとり様! 死んじゃやだよぉ!」
「え、縁起でもないこと言うな! お空!」

 さとりは、意識を手放しそうになるも、必死でそれを繋ぎとめ、紫に話しかけようとする。

「う……あ、ゆ……ゆか、り……」
「しゃべらないで!」

 さとりは構わず、続ける。

「い、行って……りゅ、龍……神の、もくて……きは……」

 かく、とそこでさとりは意識を失った。

「さとり様ー!」
「さとり様ぁ!」

 さとりの下に永琳がやってくる。永琳はテキパキと応急処置をし、鈴仙とてゐに、紅魔館へ運ばせた。

「命に別状はないわ。精神ダメージがひどいだけ。古明地さんは、精神と肉体が人より近い関係にある。それがちょっと溢れてきちゃったのね」

 空と燐は、真剣に永琳の話を聞いている。
 永琳は、くす、と彼女たちに微笑み、安心させるように優しく告げた。

「大丈夫よ。当分うちで入院はさせるけど、ちゃんと治るわ」

 永琳の言葉を聞いた二人は、安心して、くしゃりとその場にへたり込んだ。

「よ、よかったぁ……」
「どうなっちゃうかと思ったぁ」

 紫は、さとりの言葉を反芻し、遥か上空を見上げていた。

「龍神の、目的……」







 飛び交う弾幕。鳴り響く轟音。ある者は弾幕の雨を潜り抜け、ある者は凶弾に倒れ、地に落ちる。
 戦いは苛烈を極めた。

「早苗! 龍神がみんなに気を取られている隙に、一気に近づくわよ!」
「は、はい!」

(みなさん……)

 撃ち落とされた者の安否が気になり、早苗は、ちらりと後ろを向いた。
 ――その瞬間だった。

「――っ! 早苗っ!」
「――え?」

 振り向いたその先には、自分を撃ち落とした、あの凶弾が、再び目の前に迫っていた。
 油断――
 一度ならず、二度までも……。自分を呪いたくなる。紅魔館で息巻いて、みんなを危険に晒して、挙句の果てにこれか。

(霊夢さん、あとは頼みます――)

 早苗が、祈りを込めて、霊夢の方を見やると、天狗と見紛う速度で自分に近づいてくるのがわかった。
 霊夢は、早苗と光弾の間に滑り込むと、全ての霊力を開放した。

「夢境、二重大結界っ!」

 霊夢の前方に、渾身の結界が展開される。何ものも須らく行く手を阻まん、という意志が伝わってくる。
 光弾と結界の接触面から、ばちばちと閃光が飛ぶ。
 龍神の光弾を見事、止めてみせた霊夢は、しかし、その顔には苦渋の表情が広がっていた。

「霊夢さん!」
「――く、――なさい」
「え――」
「早く、行きなさい!」
「――――!」

 駆け寄ろうとする早苗を、霊夢は目線で留まらせる。

「龍神を止められるのは、あんたしかいない! あんたが、本物の奇跡を起こすしかない!」
「で、ですけど! 霊夢さんが!」
「あんた! 誰の心配してんのよ!? こんなのさっさとかき消して、すぐに追いつくから、さっさと行きなさい!」
「――――っ。……わかりました!」

 霊夢は、早苗の返事に、に、と笑うと、再び光弾に向かい合った。

「はぁああああああ!」
「す、すごい……! 私の時はあんなに持たなかったのに……!」

 これなら大丈夫そうだ。そう思い、早苗は、上空を見上げ、龍神へと飛び出した。
 直後――パキィン、と何かが砕けるかのような音がした。振り返ると、霊夢は、結界を破った光弾を、その身に受けていた。

「霊夢さん!」

 早苗は、霊夢の元へ行こうとした。しかし、霊夢の目がそれを許さない。霊夢の目は、早苗に向かって力強く、行け! と叫んでいた。

「――――っ!」

 早苗は、涙を堪えて、龍神へと突き進んだ。







「――チッ! これだけ撃ってもビクともしないぜ、あの結界!」

 神奈子は、遥か上空に、早苗が龍神に到達しようとする姿を見た。

(私たちが結界を消すことができれば、あとは早苗が、きっと奇跡を起こす……!)

「個々に撃っては駄目だ! みんなで一斉に、一転集中で撃つんだ! なんとかして結界を破るんだ!」

 残ったメンバーもそれに同調する。

「ふん、日の光は忌まわしいが、貴様はもっと忌まわしい。消えうせろ! スピア・ザ・グングニル!」
「よくも霊夢を撃ち落としてくれやがったなぁ! 優しさが足りないお前には、恋の魔砲だ! ファイナルマスタースパァーク!」
「うにゅう〜! さとりさまのカタキー! 今夜は焼肉だー! ギガフレアー!」
「ちょっとお空、さとり様死んでないって! まあいいか。にゃーん! スプリーンイーター!」
「あんた、えっらそうでムカつくのよ! これでも食らって這い蹲れ! 全人類の緋想天!」
「あなたのしていることは、正義に反します。よって、黒! 審判、十王裁判!」
「輝夜相手にしてるより、ずっと殺りがいがあっていいや! 火の鳥、鳳翼天翔!」
「はぁああ!? それはこっちのセリフよ! 神宝、ブリリアントドラゴンバレッタ!」
「諏訪子! 私たちも!」
「うん! 行くよ、神奈子!」
「――マウンテン・オブ・フェイス――」
「祟符――ミシャグジさま――」

 各人の得意としたスペルが龍神に向かって撃たれる。そのエネルギーの総量は空間を歪ませるほどになっており、小規模な重力場が生み出されていた。
 皆、自分たちの勝利を祈るように、弾幕の軌道を見守った。
 放った弾幕が、龍神の結界にぶつかる。辺りが、爆音と閃光に包まれる。

 これならどうだ――

 しかし、龍神の作った結界は、やはり並ではなかった。

「く――っ! まだ駄目なのか!?」
「あと少し……あと少しなのに!」

 そう、実際、龍神の結界は歪み始めていた。何かもう一押しさえあれば、壊せそうなところまでは来ているのだ。

 ――そこに、人の神経を逆撫でするような、何とも胡散臭い声が聞こえてきた。

「あらあら。これだけいて、結界一つ壊せないとは、お笑い種ですわね」
「紫、てめぇ! そんなこと言うためだけに来たんなら帰れ! もしくは手伝え!」
「ええ、そのつもりで来たのよ」
「――へ?」

 予想外の返事に、魔理沙は裏返ったような声を出してしまった。

「手伝う、と言ったのよ。――これ以上、私の幻想郷を壊されたりしたら、たまったもんじゃないわ」

 魔理沙は、に、と笑い、言った。

「ふん、お前のじゃないけどな!」

 紫は、ふん、と笑い返す。

「さあ、行くわよ。藍、橙」
「はい」
「はい!」

 橙は藍の、藍は紫の式に従い、その力を極限まで引き出している。
 三人の加勢は、大きなプラスであった。

「いっくぞー! 鬼神、飛翔毘沙門天!」
「我が主の命により、怨敵龍神を撃ち滅ぼさん。式輝、狐狸妖怪レーザー」
「ちょ、藍、怨敵とか言いすぎじゃない? ……まぁいいわ。私も行くわよ」

 紫は、その膨大な魔力にものを言わせ、特大の隙間を開ける。
 その中から出てきたものは――

「幻想線、ぶらり銀河鉄道の旅」

 ――空を翔ける、漆黒の蒸気機関車だった。

「で、でかぁー!」

 三人の弾幕(?)も加わったことにより、龍神の張った結界も、ついに――
 一つ、また一つと亀裂が入り――

 ――パキィィィン――

 ――打ち砕けたのだった。

「結界が破れたぞ!」
「よし! これで龍神にダメージを与えられる!」
「――!? いや、待て!」

 龍神が、その身を動かす。そして、辺りに龍神の叫び声とも鳴き声ともつかぬ声が響き渡る。

 ――オオオオオオオオオオオ――

「……ぐっ! なんて大音量出しやがる!」

 それと同時に、龍神は、四方八方に弾幕は撃ち放つ。

「く、こんな密度の高い弾幕を展開されたら、近づけないぜ……!」
「……早苗に、任せよう」

 神奈子は、何も出来ない自分を恥じ、歯噛みをした。







「きゃっ! なんなの!? いきなり!」

 早苗は、龍神の顔まで、あと少しのところまで来ていた。
 長い龍神の胴体のどこを攻撃しても効果は薄いと判断した早苗は、なんとなく攻撃が効きそうな顔の部分を目指していたのである。
 霊夢が自分を庇ってくれたあとは、龍神の標的は上手いこと他の者に逸れてくれたらしい。

 今、自分に放てる、最高の一撃を入れてみせよう。

 そう、心に強く思った早苗だった。

「みんなが、あんなに頑張ってくれたんです。絶対に決めてみせます……!」

 そう、息巻いたところで、先の乱れ撃ちである。

 あと少しというところで……!

 そう思わずにはいられなかった。
 しかし早苗は、避ける、避ける。
 皆の想いが集まって、ここまできたこの身、そう易々とくれてやるわけにはいかない。
 龍神が弾幕を展開する。早苗を取り巻くように放たれる幾条もの光。

(横への動きを封じられた!)

 続けざまに襲い来る弾幕。どうやら龍神は、手数と速度で一気に畳み込むつもりらしい。

(それなら……)

「上だ!」

 済んでのところで弾幕をかわす。いくつかの弾幕は避けきれずに、肌を掠る。
 服は裂け、自分の肌が、ちりちりと焦げる匂いがする。

「つぅ……っ」

 息つく暇もなく、大玉の弾幕が迫ってくる。

「遅いです!」

 早苗はそれを、難なく避ける。しかし、大玉の弾幕は、早苗を通り過ぎた後、急に失速し、逆方向に進路を変えた。

「――!? 追尾!?」

 身を捻らせ、なんとかそれを避ける。しかし、何度避けても同じことで、弾幕は早苗を捕らえて離さない。

「切りが、ない!」

 このままでは、じりじりと体力を奪われてしまうと思った早苗は、スペルカードで一気に消し去ることに決めた。

「――秘術、グレイソーマタージ!」

 小さな弾幕を連ならせ、いくつもの星を作る。
 早苗の放った弾幕は、龍神の放った弾幕と衝突し、爆風を起こした。

「きゃっ!」

 距離が近かったため、早苗の体勢が、ぐらりと崩れる。
 龍神がその隙を見逃すはずもなく、一条の光が、早苗を貫かんと、音を置き去りにして迫ってくる。

「――くっ!」

 早苗は瞬時に弾幕を展開し、『その場で爆発』させ、自分自身を吹き飛ばし、回避を試みた。
 自分をピンチに追いやった一手を、次の瞬間には味方にしてみせた。

「風を味方につけることなんて、夜食前です!」

 龍神は、なかなか早苗を撃ち落とせないことに苛立ったのか、更に激しい弾幕を早苗に撃ち放ち、尻尾をうねらせた。

「――――っ!? 隙間が、ない!」

 前方の空間を、弾幕が埋め尽くす。その様子は、もはや弾幕などではなく、一つの壁となっていた。
 反則中の反則である。しかし、これは弾幕勝負ではない。
 ここまで来て、『ごっこ』感覚の抜け切っていなかった自分に気付く。何度も危ないところを助けてもらって、それでも甘さの抜けない自分に腹が立つ。
 悔しい――でも、ここまで来たんだ。諦めてなんかやるものか。最後の最後まで、抗い続けてやる――







「――っ!? ありゃまずい! おい、鴉天狗! 私と萃香を一瞬であそこまで連れて行け!」
「ひぁい!? え、ちょ、ど……」
「いいから早くしろ! 幻想郷最速なんだろ! そのスピード、魅せつけてみせろ!」
「は、はい!」

 文は、勇儀と萃香の腕を、ぱしっ、と掴むと、音さえも置き去りにし、その場から飛び立った。

「わはははは! 速い速い! さすがだね!」
「ちょっと勇儀ぃ! 私なにすんのぉ!?」
「お前さんは、弾幕を全部受けろ! 私は尻尾を止めてみせる!」
「そういうことかぁ! わかったぁ!」

 二人の会話を聞いていた文は、自分の耳を疑った。同時に、正気を疑った。

「ほ、本気ですか!? 死にますよ!?」

 文の言葉に鬼二人は、に、と笑みを見せ――

「大丈夫だ!」
「大丈夫だぁ!」

 ――と言った。

 馬鹿だ。鬼とはなんて馬鹿な生き物なのだろう。文は心の中で、そう思った。

 しかし、なんて――

(なんて、カッコいいんだろう)

 きっ、と文の瞳に光が宿る。
 二人の覚悟を、自分なんかが止めてはいけない。そう思い、文は更にスピードを上げた。
 風を切り裂いて進む。普通の妖怪なら、何分もかかるであろう距離を、文はものの数秒で埋めてみせた。

「はい到着ぅ! では、いってらっしゃい!」
「おう!」
「あんがと!」

 流星の如く現れた三人に、早苗は思わず、目を見張る。

「萃香さん、勇儀さん!?」
「おまたせ! 弾幕の方は私に任せときな! さあ、萃まれ! 追儺返しブラックホール!」

 萃香がそう叫ぶと、弾幕によって作られた壁は、それまで一直線だった軌道を、ぐいん、と曲げ、萃香の方へ向かってきた。
 大小様々な弾幕を、一挙にその身に受ける。

「ぐぅぅ……あああぁっ!」

 弾幕が当たる毎に、萃香の身体が踊る。腕に当たれば、ぐるん、と身が回り、腹に当たれば、くの字に折れる。
 その後も、幾十、幾百もの弾幕が、萃香を襲った。

「萃香さん!」

 ばちばちと、萃香の体が焼かれていく。嫌な匂いが立ち込める。
 不意に、影が落ちる。見上げれば、龍神の尾が、邪魔者を払い落とさん、と迫ってきていた。

「おぉっと、今度は私の出番だ!」

 勇儀は、早苗の肩を、ずい、と掴み、後ろに下がらせた。
 樹齢数千年の大木よりも太い尾が、鞭のようにしなり、矢の如き速さで迫ってきた。

「うぉおおおおおお!」

 バァン――、と何かが破裂するような、巨大なもの同士が衝突するような、大きさ音が響いた。

「ぐ……ぎ……!」

 勇儀は、龍神の一撃を見事に止めきっていた。

「勇儀さ――!」

 早苗は、勇儀の身体を見て、言葉を失った。
 両腕は、あらぬ方向にひしゃげ、胴体からは尋常じゃないほどの血が流れ出ている。
 かくん、と力を失ったように勇儀は、真っ逆さまに落ちていく。同様に、萃香も全ての弾幕を受けきったらしく、体中から、ぶすぶすと煙を出し、落下していった。
 青い顔で飛んでくる早苗に向かって、萃香と勇儀は、最後の力を振り絞り、叫んだ。

「行け! 人間!」
「行け! 人間!」
「――――っ!」

 その言葉を聞いて、自分に全てを託す目を見て、早苗は更に高くへと舞い上がった。
 目的を見失ってはいけない。

(ありがとう、ございます!)

 龍神まで、あと少しだ。







 地上では、龍神に撃ち落とされた妖怪と、その手当てをする妖怪が、早苗のことを見守っていた。

 早苗――

 誰もが、祈るように見つめる。
 早苗も、皆の視線、期待を、背にひしひしと感じていた。
 早苗は、飛ぶ。龍神に向かって。
 自分の力が必要とされることなんて、今までなかった。それが今では、幻想郷のために、力を使うことができる。それが嬉しかった。

 絶対に、起こしてみせる。

 早苗に決意の表情が広がる。
 そして――
 ついに、早苗は、龍神の顔の部分へと到達した。
 龍神の顔は、それだけで小さな村ほどあった。
 目の前の異形に、早苗は、圧倒されそうになる。
 しかし、引くことなんて、できない。
 早苗は、皆の顔を思い浮かべる。

 神奈子様、諏訪子様、助けてくれたみんな、そして、幻想郷――

 途端に、勇気が湧いてくるような、そんな気がした。

「龍神様、この戦い……終わらせていただきます!」

 早苗は、自分に備わっている、全ての力をかき集め、龍神へと飛び掛った。

「秘術、一子相伝の――」

(最速のスピードで、最大の力で……!)







「――拳骨ぅ!!」

 早苗は、渾身の右を、龍神の眉間に突き立てた。





 …………拳骨?

 地上にて、事の成り行きを見守っていた人妖から、次々に疑問符が浮かび上がる。
 得心がいったような顔をしているのは、守矢神社の二柱だけであった。
 
「…………え、なに? あれ」

 霊夢は、ぼろぼろになりながらも、二柱に向かって質問した。

「何度か戦ったことのあるお前ならわかると思うが、早苗は結構な力を持っていただろう? それを全て、右拳に集中したんだ。平気で何時間も弾幕を撃ち続けられるほどの力を、一度にな」
「な、なるほど……」
「へへへ、あれ私が教えたんだよ。痴漢に会ったら使えってね」
「死ぬでしょ……」







(……どうだ!)

 手ごたえはあった。これで決まってくれないと、もう後がない。

 お願い――!

 早苗が、人間が、妖怪が、幻想郷に生きる全ての者が、心一つに願った。

 瞬間――

 ――オオオオオオオオオオオ――

 龍神が、いなないた。

 竜巻は消えうせ、地響きも止み、そして――



 ポツ、ポツポツ――
 雨が、降り出した。

 龍神は、まるで何事もなかったかのように、するすると天空へ立ち昇り、その姿を消した。
 残った早苗は、その場で呆然と龍神の消え行く姿を眺めていた。

「お、終わった……の?」

 龍神が去った安堵からか、ふっ、と気が抜け、意識が保てなくなった。
 早苗は、重力に逆らわずに、真っ逆さまに落下する。

「いけない! あのままじゃ地面に激突する!」

 皆が、早苗の落下する様を視認したが、誰も動ける状態ではなかった。怪我をしてる者、魔力を使い切った者……まともに動ける者など、いないのだ。

 そんな中、早苗に向かって一直線に飛んでいく影が、二つあった。

「この役目だけは、誰にも渡せない。いや、私らがやらなくてはいけない」
「そうだね。いっぱい、いっぱい、褒めてあげよう」

 瞳に大粒の涙を浮かべ、ない力を振り絞って翔けていく。
 守矢の二柱、神奈子と諏訪子は、早苗のところまで行き着くと、そっと、包み込むように早苗を抱きしめた。

「早苗、早苗ぇ……」
「よくやった。本当に、よくやったよ……!」

 二人とも、涙をぼろぼろと零し、早苗の無事を喜んだ。

「ん……。神奈子様、諏訪子様……?」

 意識を取り戻した早苗は、自分が二人の神に抱きしめられていることに気付き、にへ、と笑みを浮かべた。

「私、やりました」
「ああ、よく頑張ったよ……!」
「奇跡、起こしたね」
「……はい」

 雨が降りしきる中、三人は長い間、抱き合っていた。

「あ、あれ?」
「ん、どうした? 早苗」
「な、なんだか、傷が……!」
「こ、これは……!」

 雨に打たれる早苗の身体は、みるみる内に治っていった。
 見ると、地上でも同じことが起こっているらしい。
 重症を負った、霊夢や萃香、勇儀の傷も、痕すら残っていない。

「恵みの、雨……」

 その雨は、まるで乾いた幻想郷を潤すかのように、一日中降り続けた。













 一週間後、再び紅魔館で会議が開かれた。
 外傷を負った者の傷は、その日の雨で完治したが、精神にダメージを負ったさとりの回復には時間がかかったのだ。
 前回と同様に、皆、講堂に集まり、取り止めのない話などをし、ざわついていた。

 八雲紫は、こほん、と咳払いをし、注目を集めた。

「それでは、会議を始めるわ。みんな、わかってるとは思うけど、今回の話し合いは、先の『龍神異変』の件よ」
「ようやくね。ずっと気になってたのよ。私、あんなに重症だったのに、なんで雨に濡れたら治ったの? 永琳も驚いてたわよ。ねえ?」
「ええ。あの回復は、現代の医学ではありえないものよ」
「あれは……龍神様の力よ。龍神様が、あなたたちの傷を治してくださったの」

 魔理沙が怪訝そうな顔つきで訊ねる。

「どういうことだ? 元はといえば、龍神が暴れ出したから、みんな怪我したんじゃないか」

 紫は、後ろに控える藍に目配せをする。藍は、こく、と頷き、部屋から出て行った。

「それは、これから判明するわ」

 数分後、藍が連れてきたのは、目に包帯を巻き、手を引かれ、よろよろと歩くさとりだった。

「さとり!? お前、大丈夫なのか?」
「ええ。大丈夫です」

 見た目ほどひどい怪我ではないのか、さとりは、はっきりとした口調で話を始めた。

「みなさん、お待たせしました。龍神が、何を想って、あのような異変を起こしたのか、私から説明します」

 さとりは、顔を上げ、見えないはずの目で虚空を見つめ、ぽつぽつと話し始めた。

「みなさんが龍神と戦っている時、私は龍神の意識を探ろうと試みました。――結果は、この有様です。膨大すぎる龍神の思考は、私の精神を破裂させました。……でも、一瞬ですが、龍神の心を読むことができました」

 魔理沙が食いつく。

「龍神の目的がわかったのか!?」
「ええ。龍神の心には、幻想郷を、真に想う気持ちが溢れていました。そして、『雨降って地固まる』……と」
「は、はあ? なんだそりゃ。言ってることとやってること、まるで逆じゃないか」

 そこで紫が、さとりの話を引き継いだ。

「おそらく、怒ってもいたのよ。――百二十年、私を含めた妖怪の賢者たちは、龍神様に、永遠の平和を誓った。それは一見、成功していると見えた。でも、今回のことで気付いたの。平和とは、管理することではない。一人一人が地に足をつけ、自分自身で歩いていくことが大事なんだって。緊張感のない、形骸化された異変、解決を確信している人間、なんかにね」

 それぞれ想うところがあるのか、誰一人として、何かを話そうという者はいなかった。

「それと同時に、憂いてもいた。もし、これから先に、幻想郷に危機が訪れたら、幻想郷の住人は力を合わせて、それに立ち向かっていけるのか? と。そう思った龍神様は、自ら悪役になることにしたのよ」
「なるほど……な」

 それにしても、と魔理沙は続ける。

「雨を降らさないことで、雨降って地固まる、なんて、スパイス利きすぎだろ……」
「やることの規模が違うわねえ……」

 そこで魔理沙は、何かに気付いたのか、ん? と思案顔になり、言った。

「あの……さ。すごく言いづらいんだが、この戦いで被害被ったのって、さとりだけってことになるんじゃないか……? 怪我してすぐに紅魔館に引っ込んだのさとりだけだし」

 ピシ、と場が凍る音が聞こえた気がした。
 場内に、重い空気が流れる。

「……っ。まあでも、龍神様がお引きになったということは、私たちは、龍神様の納得のいく結果を出せたということですよね」

 衣玖が空気を読んだ。

「え、ええ。そうね」

 ごほん、と気持ちを切り替え、紫は続けた。

「それじゃあ、早苗? 今回の異変の主役として、何か言うことはある?」
「え、わ、私ですかっ?」

 話を振られるとは思っていなかったのか、早苗は、しどろもどろになりながら話し始めた。

「え、えっと。今回の異変をお起こしなられたお龍神様のお考えは、その、えっと……」
「早苗、自分の言葉でいいんだよ」

 隣に座っている諏訪子が、落ち着かせるように言った。

「あ――」

 その言葉で、すっと楽になった。
 いつもそう。諏訪子様はいつだって私の背中を、そっと押してくれる。
 見れば、神奈子様も自分を信じてくれているような表情で、に、と笑い、頷いた。
 そして、私も単純だな、と苦笑いをする。

「……みなさん、ありがとうございました」

 本心を言えばいいだけだ。そう思うと、どんどん言葉が溢れてくる。

「私一人では、どうしようもありませんでした。あんなに啖呵を切って出て行ったのに、何度も危ない目にあって、その度に誰かが私を助けてくれて……。感謝してもし足りないくらいです。ありがとうございました」

 パチ、パチパチ――

 誰からということもなく、自然に拍手が起こる。

「え、あの、ちょっと。やめてくださいっ。私、そんな拍手されるようなことなんてっ」

(早苗、お前は否定するだろうが、お前は間違いなく、だれにもできないことをしてみせたんだよ)

 その拍手は、長く、長く、いつまでも続いた。













 とんてんとんてん、と釘を打つ音が、そこら中から聞こえる。里の人間たちが、復興に勤しんでいるのだ。その中には、妖怪も数多く混じっていた。
 あれから話し合って決めたのが、妖怪は異変を起こす。それも本気で。しかし、何かあったら、人間と妖怪は手を取り合う、ということだった。
 幻想郷をマンネリ化させない、それでいて、恒久の平和を目指す。
 なんとも難しい課題を掲げたものだと思う。

 だけど――

 早苗は思う。それはきっと、不可能なことではないと。
 どうしても無理そうだったら、奇跡が起こる。起こせばいい。
 一度頑張って駄目だったら、何度も、何度も、何度でも挑戦すればいい。
 それでも駄目だったら、誰かに助けてもらえばいい。みんなと力を合わせて立ち向かえば、どんなことでも乗り越えられる。

 それが、今回、早苗が学んだことだった。

 そして、もう一つ。
 龍神様が仰った(さとりさん伝だけど)、幻想郷の危機。本当にそんなことが起こるかは、わからない。
 だけど、私は確信を持って、言える。
 もし、そんなことが起こったら、私たち、人間も妖怪も、手を取り合って、助け合うことができると。
 
 
 
 
 
 ヒョロロロロロ――、という鳶の鳴き声につられ、空を見上げる。
 見上げた夏の空は、幻想郷の未来を描いているかのように、青く澄み渡っていた。













終わり
はい、ということでテーマは『奇跡』……て、あれ!?
どうも、こじつけくさくなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。

今回、コンペ初参加ということで、些か緊張しております。
ここまで来たら、評価がどう、というよりも、読み終えてくれたことが嬉しいです。

何はともあれ、ご読了ありがとうございましたー。
葉月ヴァンホーテン
http://hadukian.web.fc2.com/index.html
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/11/21 19:50:38
更新日時:
2009/11/21 19:50:38
評価:
20/21
POINT:
104
Rate:
1.23
1. 4 神鋼 ■2009/12/09 19:35:04
盛り上げるところで盛り上げようとしすぎて逆にチープな感じになっていました。
2. 5 バーボン ■2009/12/09 23:09:19
龍神と言う強大な存在に対して幻想郷の住人が力を合わせて立ち向かうと言うのは、王道的ながらもツボは押さえられていたと思います。
でも、薄いと感じてしまったのです。キャラの台詞なんかは確かに感動的な事を言っていたりもするのですが、しかし感情移入が出来なかったのでどうも薄っぺらく感じてしまう。龍神との戦闘シーンなんかも、動きがある割に描写が淡白で、もう少し迫力が欲しいと感じました。
これだけ壮大なストーリーなら、どうせなら容量を気にせず、描写をもっと濃密にしてガッツリ読ませて欲しかったです。
3. 10 静かな部屋 ■2009/12/21 22:54:20
すげえ。

キャラが立ってるセリフ回しに違和感が全くない地の文がでしゃばらない他に無いストーリー。

本当に、すげえ。
4. 5 藤木寸流 ■2010/01/04 01:59:02
 青臭い、こいつは青臭いぜ……でも、そんなおまえも嫌いじゃないぜ……?みたいな。
 よくある滅亡ものかと思ったらよくあるスポ根ものでした。総力戦は好きです。愛する幻想郷の為に戦う勇者たち格好いい。実際、ここまで熱血なのもあんまりいないでしょうが、早苗さんがいい感じの架け橋になっていたと思います。でも神奈子さまはちょっと過保護かなと思わないでもない。あと龍神さまはちょっとやりすぎです。
 ドラゴンボールのシェンロンに立ち向かっていく悟空たちってこんな感じかも。
5. 3 パレット ■2010/01/10 05:10:52
 熱いけど、熱いけどっ。
 うーん、全体的に少々説得力が足りないというか、話が簡単にぽんぽん進みすぎてる印象があるやも。
 いろいろとスカスカしてるというか、すごい大長編だけど骨の状態のままという感じ。心情やら状況の描写やら諸々、もう少し肉付けしてほしかったってのが本音です。お題のスルーっぷりが半端無いのも気になりました。
6. 8 白錨 ■2010/01/10 10:30:33
これまた熱い作品でした。展開が読めてしまう感が否めないのですが、元来、こういう熱いストーリーは好きなので個人的には高評価でした。人間四人の底力を見せ付けられた感があります。皆、かっこよかったですけどね(笑)
ただ、龍神様についてもう少し掘り下げたら、もっとしっかりするだろうな。と思いました。
7. 6 椒良徳 ■2010/01/11 18:43:04
これはまた王道中の王道ですね。熱い作品だ。
熱いのは良いのですが、貴方が書こうとしている熱血ストーリに貴方の文章力が全然付いてきていないように感じます。
そこが非常に残念でした。
とはいえ、この幻想郷の人妖たちの熱い生きざまは良いものなので、この点数を入れさせて頂きます。

最後に、初投稿でこの出来でしたら素晴らしいと思います。
今後は実力に磨きをかけて有名作家の仲間入りを果たして下さい。
ひっそりとですが応援しております。
8. 4 詩所 ■2010/01/13 22:07:39
 壊すの簡単だけど守るのは難しい。簡単な事にも気が付かないものです。
9. 3 ホイセケヌ ■2010/01/13 22:28:04
伊・チゥ`・ネ、ケ、ョ・・・ソ」」。。、ス、、ハ所、、、、ア、ヘ、ィ、タ、」」

、ネヒシ、テ、ニアセナ、ホヌツハキシo、ユi、゚ヨア、キ、ソ、鬘「アセオア、ヒ、ス、、ハ、ヒ所、、、、ヌ、ケ、ヘ。」
、ネ、ヒ、ォ、ッ・ケ・アゥ`・、ャエ、ュ、ッ、ニトソ、゙、、、ャ、キ、ソ。」、゙、、ヌ・ク・罕・ラツサュ、ホラスKサリ、ヌミ、ネ。、テ、ソ、隍ヲ、ハヤ庁」、タ、ア、ノ。「、チ、遉テ、ネ・ケ・アゥ`・、ャエ、ュ、ケ、ョ、ニ、ト、、、ニ、、、ア、ハ、ォ、テ、ソ、ネ、、、ヲ、ホ、ャクミマ、ヌ、ケ。」、ト、、、ニ、、、ア、ハ、ォ、テ、ソ、ホ、ヌスYセヨ、ノ、ウ、ォタ荀皃ソトソセ、ャマ、ィ、ニ、ッ、、ハ、ォ、テ、ソ。」、「、、、、マ。「ヘオタオト、ケ、ョ、ソ、ホ、ォ、筅キ、、゙、サ、。」、ノ、ウ、ォ齔クッ、ハ壥、ャ、キ、ニ。ュ。ュ、ヲゥ`、。」
ヤ彫ネ、キ、ニ、マ、チ、网、ネノマハヨ、ッ、゙、ネ、゙、テ、ニ、、、ニ。「、ケ、ム、テ、ネユi、皃ソ。」
10. 4 deso ■2010/01/14 01:03:58
扱うテーマに対して、迫力が感じられませんでした。
バトルありきの少年マンガ的というか。
テンポよく話が進むのはいいのですが、自分はそれに乗り切れませんでした。
でも、テーマは面白いと思います。
11. 7 零四季 ■2010/01/14 23:29:56
面白くて良かったのですが、ストーリーに違和感が。龍神の意思というものは龍宮の使いが伝えてしかるべきではないかと。
それでも楽しんで読めたので良いと思いました。
テーマは奇跡。起きました。
12. 7 やぶH ■2010/01/15 00:17:59
がー、と吠える霊夢(ry
まずここで萌えつきますた。

そして守矢一家が眩しすぎる! 熱血一直線! 清すぎて、邪な私は浄化されてしまいました……。
しおしお……
13. 5 774 ■2010/01/15 00:30:31
うーん、部分部分でみると、誰かのカリスマが駄々漏れな感じのやりとりとか、盛り上がりとか、良い感じだと思うのですが、どうもそれがうまく組み合わされていない感じがしますね。ちょっと詰め込みすぎな感じがしました。
14. 9 2号 ■2010/01/15 10:02:52
こういうハリウッド的な話好きです。
笑いあり涙ありでクライマックスはスペクタクル、最後はオールスターで大団円。
エンターテイメント性ばっちりでした。
15. 9 八重結界 ■2010/01/15 15:41:35
 なんという素晴らしき王道。ただ一つの巨大な敵に、みなが力を合わせて立ち向かうというのは結末が分かっていても震えるものがあります。
 早苗が龍神まで向かっていくシーンも、仲間達が次々と手助けをしていくわけで。こういうシチュエーションにとても弱いのです。
 そしてお嬢様が咲夜さんに向けた言葉では、感動すら覚えました。素敵な奇跡の起こし方だと思います。
16. 1 時計屋 ■2010/01/15 22:37:24
 うーん、みんなで力を合わせて巨大な敵に立ち向かう、という少年誌的なノリをやりたかったのは分かるのですが……。
 それをそのままSSでやっても、面白さにはつながらない気がします。
 単に私の好みに合わなかっただけかも知れませんが。
 ただそれを抜きにしても、描写があまりに淡白なように思えました。
17. 2 木村圭 ■2010/01/15 23:08:32
技名を叫びつつの攻撃は絵にはなるけど字じゃ映えないですね。仕方ないか。
龍神様の動機があまりにも予定調和すぎるので減点たくさん。
良い感じに盛り上がっていく展開にはわくわくさせていただきました。残念。
18. 6 如月日向 ■2010/01/15 23:28:48
 みんなで強大な相手に立ち向かう。という設定が燃えますねっ。

〜この作品の好きなところ〜
"死ぬまで、死ぬな!"

 お嬢様のカリスマが有頂天っ。
19. 3 焼麩 ■2010/01/15 23:51:50
花映塚は自然現象……ゲフンゲフン

あー、何か妙に思えたのはあれだ、命がけの有事にスペカ使ってるからですね。
マンネリを打破するために考案されたのがスペルカードルールなのに、
それを形骸化言われたらなんとも……やりきれない。
それに幻想郷の危機ならついこの間あったじゃないですか……吸血鬼異変(紅霧の前)。
龍神も新システム始まって数年で行動するほど気が短いとは思えませんが。
20. 3 ■2010/01/15 23:59:35
ああ、うん。言わんとしている事は判った。
幻想郷の有様を見せる、という意味ならこれもアリだろうか。
悪くはないんだろうけど
21. フリーレス ??? ■2013/09/14 14:29:37
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