幻想郷カットインズ:アンブレラ

作品集: 最新 投稿日時: 2009/11/21 23:53:04 更新日時: 2010/04/07 18:12:56 評価: 21/21 POINT: 142 Rate: 1.52
 














 幻想郷カットインズ:アンブレラ







 1.魔術師メリー 〜 Rainy Weather Field Club







 ……彼女の色には雨が似合っていた。今でもまだ思い出すことができる、並んで帰る雨の日の家路。遠く霞む山々に走る銀の糸。水溜りに広がっては折り重なる無数の波紋。道端に咲く菫と同じスペクトルの、鈍色の空に鮮やかな大輪の花。
 片時だって貴方のことを忘れはしない。そんな決意もいつしか朧げになっていた秋の日のことだ。一陣の風が、私を御伽の郷へ誘ったのは――



 ※



 ――朝から小雨が降り続き、一向に止む気配を見せなかった秋の日のことだ。

 やっとこさ採算性の目処が立ち始めたらしい無人バスの端末に携帯電話を翳し、こちらはとうの昔から無人だったバス停へと降り立つ。辺りに人影は見当たらず、気配があったとしても、雨の帳に遮られて耳に入らなかっただろう。午後の講義をすっぽかして訪れる街中なんて、大抵こんなものだ。一面の雨雲に厚く覆われているとすれば尚更のこと。
 計画的な人口削減が進んだ今や、庶民の足といえば鉄道を指す。四輪自動車の全盛期が去った今日(こんにち)でも忠実に職務をこなす信号機に敬意を表し、私は横断歩道の手前で立ち止まった。
 ここだけぽっかりと景気の悪い一画である。営業しているところを見たことがない骨董屋のショーウィンドウを姿見にして、花飾りが縫い付けられた帽子の角度を整える。愛用の雨傘に、お気に入りの余所行き。雨粒の飛跡が風に揺さぶられる様を観察して、知らず知らずのうちに唇が綻んでいた。
 信号が青に変わり、アスファルトを渡り始めた丁度その時。肩から提げた鞄の中で、振動とビープ音が同時に自己主張を始めた。取り出した携帯の通話ボタンを押すよりも早く、せっかちな友人の声が飛び出してくる。

「もしもし、メリー? こちら貴方の心の友と書いて心友よ」
「はいはい、こちらメリー。悪いけど、レポートの手伝いなら期待しないことね」

 『メリー』というのは私の本名ではない。この悪友が勝手に命名して、それがいつの間にか周囲に浸透してしまったものだ。まあ、決して迷惑という訳でもなかった。実はありがたいと思っているくらいだが、それを直接言葉に表すのは気恥ずかしい。

「朝から妙にお洒落してたし、そんなことだろうと思ってたわ。もう例の公園?」
「うん。すぐそこ」

 脱皮した時代から取り残された抜け殻のように、侘しく佇む公園だった。碌に手入れもされていないのが明白な、伸び放題の生け垣。塗料の剥げていない部分の方が少ないベンチ。腰掛ければ鎖が痛々しく軋むブランコ。底の見え隠れする砂場へ続く、敷地と不釣り合いに嵩のある滑り台。林立する鏡張りの高層ビルに取り囲まれているせいで、その古臭さが一層際立っている。

「貴方こそ何から掛けてるの? 今は講義中のはずでしょう、霊能不良少女さん?」
「学食の醤油差し。冷えた珈琲と真っ白なレポート用紙を連れ合いに。それより知ってる? 今を時めく連続神隠しのウワサ」
「お昼のラジオでやってるならまだしも……。夜更かしはお肌に悪いわよ」
「こないだ神隠しに遭った人がねー、実は大学の関係者なんですって。他にも色々と面白い関係性が分かってきてさ。明日は暇でしょう? 一緒に現場を回ってみない?」

 回線の向こうでウィンクするお調子者の姿が容易に想像できた。彼女は古今東西のお呪(まじな)いやら地球外生命体とのコンタクトやら、いわゆるオカルティックな事柄にご執心で、私との出会いも、大学非公認かつ違法な霊能サークル絡みだった。何だかんだあって今では自分もその一員だが、後輩が現れる気配は微塵も感じられない。
 まあ、たかがオカルトと一笑に付す訳にもゆくまい。友人も私も、共に一風変わった――オカルティックな体質の持ち主なのだから。

「でね、私の考えが正しいとすると――」

 友人はまだ自説を披露し足りない様子だったが、突然の轟音にその声は掻き消された。公園のすぐ傍に渡されている高架線を、鉛色の列車が走り抜けていったのだ。折角独り占めできていた静寂を破るドップラー効果。銀糸の幕を蹴散らしながら長々と続く車両は、角張ったクリスタル・ジャングルに飲み込まれてゆく。

「ねぇねぇ。今の電車、何線か当ててみせようか?」
「結構よ。私が乗り物嫌いなの、知っているでしょ」
「あら、虫の居所が悪かったかしら」
「……ううん」

 都会なりに味のある雰囲気へ、水を差されたように感じてしまったのだ。散々利用しておいて何だが、私はあの鋼鉄の乗り物があまり好きではない。高級料理に模した合成食品よりも、今では滅多にお目に掛かれなくなった天然の食材に憧れる。身勝手な考え方だとは弁えているけれど。当節流行りの、一回りした自然信仰と断じられてしまえばそれでお終いだ。

「私だっていつか天然モノを味わってみたいとは思うけどさぁ。値段高過ぎ。今日日(きょうび)貧乏な学生には、選択の余地などないのであった。――ていうかメリー、あんたが機械音痴なだけじゃない」
「古典的な娘で悪うございましたー」

 小さく取られた広場を横断し、滑り台の階段へ足を掛ける。往年の技術者の仕事は確かだったようで、信頼感のある踏み応えが返ってきた。濡れた鉄骨から滑り落ちないように注意しつつ、きゅうきゅうと鳴る靴裏の感触を楽しむ。

 束の間口を噤んでいた友人が、秘密の合言葉を囁く少年のように声を潜め、問うた。

「メリー……。今日も飛ぶのね」
「ええ、散歩には絶好のお天気だもの」

 かつては原色に塗り分けられていただろう滑り台の天辺(てっぺん)。今や錆だらけのの手摺りに囲われた、狭い空間に辿り着く。まだとても昇り詰めたとは言えない。雨の降り来る空はビルディングに切れ切れで、閉塞感ばかりが募る。

「ふふ。また相乗りさせて頂戴よ」
「懲りないわねぇ。前回どんな目に遭ったのか忘れたの?」
「だからこそ特訓あるのみなんじゃない。……ま、明日のサークル活動に支障が出ない程度にしときなさいよ。正午にいつものカフェテラスで。ちゃんと伝えたからね、遅刻魔さん」

 通話の途切れた携帯を鞄に仕舞い、代わりに取り出した折り畳み式傘をベルトのホルダーに下げる。鞄の金具も同じくベルトに固定し、さらに帽子の紐を顎下に結ぶ。装備が揃っているかざっと点検した後、手摺りに両手を掛けて一息に飛び乗った。
 足場は悪くともよろめき一つない。バランス感覚には自信があるのだ。そのまま己の手首と雨傘の取っ手を結ぶ手錠をがちゃがちゃと引っ張ってみた上で、傘を開閉させてみて具合を確かめる。これで、一通りの儀式は完了だ。

「……よし! 行きましょうか、『ポリー』」

 相方となる傘に声を掛け、何も無い空間に一歩踏み出す。重力が体を捉えるよりも早く、もう一方の足で手摺りを蹴った。己を大地へと係留している数え切れない糸を振り解き、傘布の延長に不可視の結界を展開するイメージ。上手く風に乗れたところで、速度が出過ぎないよう自制しつつ上昇を開始した。ビルのつるりとした壁面が下方に流れ落ち、滑り台が見る見る内に小さくなってゆく。

 人間が自在に空を飛ぶだなんて、絵空事だと言う者も居るだろう。しかし大抵の場合、彼らは普段から地面にばかり視線を向けている人種なのだ。小銭を拾えたとしても、夢を見付けられるはずがない。少なくともライト兄弟は無理だと諦めなかったし、お陰で人類は飛行機の恩恵に預かれている。
 思うがままに空を飛ぶ。それは私にとって寝間着姿で思い描く夢ではなく、もはや趣味の領域だ。広大無辺な天蓋には、実に様々なものが飛んでいる。鳥や気球から、スーパーマン、はたまた謎の円盤まで。況(いわん)や人間をや、である。

 無機質なジャングルの林冠を越え、ついに視界が開けた。空を映して灰色の町並みは、人工物ながら逆に人間味が感じられず、点在する鎮守の杜の方が場違いに見えた。その事実に落胆はするものの、今は込み上げてくる解放感が勝る。腕を広げて旋回してみせれば風が全身を撫でてゆくが、この傘を手放さない限り、雨の雫が私を濡らすことはない。

「――とと、調子に乗ったら不味いわねぇ」

 微妙に取っ手の握りを緩め、浮遊から降下へと移行する。爪先を着けたのは、とある有名デパート屋上のフェンスの上。普段は子供達の遊び場として解放されているようだったが、今日は出入り口も封鎖され、遊具には青いビニールシートが被せられていた。
 改めて雨天の風景を眺める。ガラス張りの摩天楼にも、寂れた公園を有する一画にも、そして遥か稜線を描く諏訪の山々にも、神は等しく恵みの雨を降らす。日常生活とはかけ離れたスケールの大きさに、自分一人がここに取り残されたような――不要だと切り捨てられてしまったような気がして、私は訳も無しに悲しくなった。だが、毎回の如くこんな寂寥感に襲われようとも、空を飛ぶことだけは絶対に止められない。

 私がこの不思議な能力に気が付いたのは、今年のように雨の多い秋の季節だった。間抜け揃いな両親の車が踏切の中で立ち往生したのも、姉が神隠しに遭って私の前から消え失せたことも……。
 やれやれ、にやついた友人の顔が目に浮かぶようだ。メリー、そう不景気な面(つら)をしているから、体形まで貧相になっちゃうのよ。

「はん。余計なお世話って奴よ。あんなにあっても邪魔なだけだわ」

 『メリー』という綽名(あだな)の由来は、マザー・グースに歌われた羊飼いのことではなく、電話越しに律儀な都市伝説さんのことでもない。トラバース女史が創作した空想上の乳母にして魔法使い、メリー・ポピンズその人に準じたものだ。彼女と違い、私の魔術は雨の中でしか使うことが叶わないのだけれど――。

 唐突に天地が回転して宙に投げ出され、物思いは中断を余儀無くされた。面食らう私の心身を、俄(にわか)に吹き荒れた風が攫ってゆく……。







 2.東の空には箒が飛ぶ 〜 Load through the Cloud







 ……いじけて屋内に閉じ籠っていたところで、雨の気配を知る方法は簡単だ。ただ耳を澄ませてみればいい。聞こえてくるのは、己の拍動と溜息ばかりではないことが分かる。雨粒が屋根瓦に鼓を打つ音。雨樋に束ねられた水が、だくだくと流れ落ちる響き。煩いくらいな蛙(かわず)の大合唱に対し、いつになくしおらしい虫と鳥の沈黙。こちらは余り歓迎されないかもしれないが、欠けたお椀が雨漏りを受ける小さな音色。
 姉さんならば、実際に庭へ飛び出した方が早いと言うんだろうけど。


 ※


 事態を把握するまでに要した数瞬の間に、私と傘は空のさらなる高み目掛けて加速していた。思うように舵が利かず、減速すらもままならない。まるで竜巻にでも舞い上げられているかのようだ。
 しかし基本が楽天家の私は、さほど深刻に受け止めていなかった。何よりこの風にはどっしりとした落ち着きが満ち、ビル風よりも余程安定感がある。そう雨傘が教えてくれた。
 本物のポリー――メリー・ポピンズが愛用する蝙蝠傘。把手の鸚鵡は当然生きている――のように喋る訳ではないが、何となく気持が通じているような気がする。単に経験から来る直感を錯覚しているだけと断ずるのは、少女的な感性の欠如と言うものだ。

「――ああ、こんなに高く飛ぶのは久し振りね」

 豆粒のように小さくなった建物群を見下ろしながら、私は首を捻る。気象情報のチェックは怠っていない。長年の訓練による風読みの技量にもそれなりの自負がある私にしてみれば、何の前触れもなくこんな大風が吹くのは不自然だ。
 相変わらず制御が戻らないまま、雨雲の内部に突入する。既に高山病を患ってもおかしくない高さ。傘の結界の護りがなければ、急激な気圧の変化によって体が不調を訴えていることだろう。
 見渡す限り重い灰色の世界に達し、ようやく大きな力から解放された。両手で傘の柄にしがみ付きながら惰性で上昇を続けると、徐々に辺りは明るさを増し、やがて雲の切れ目が見えてくる。
 波間からイルカの如く天を仰げば、抜けるような蒼穹が目に染みた。遮るものは何も無い。絶景かな、絶景かなと呟いてみるも、惜しむらくはこれが私の高度限界という事実だ。天地(あめつち)に風雨、片手に傘の条件が揃わなければ、私は無力な女の子である。魔法の解けたシンデレラは、いっそこんな気持ではなかったろうか。

 一時(いっとき)贅沢な日光浴を味わい、再び雲海へ没する。

 それにしても、さっきの現象はどう解釈すべきなのだろう。あれだけ規模の大きい自然現象にもかかわらず、何者かが人為的に引き起こしたのではないかという漠然とした予感がある、と雨傘が囁いていた。頬に手を当てて考え込む私の隣を、誰かが通り過ぎてゆく。
 ぎょっとして振り返った。確かに人影がそこに居る。私の周囲を即(つ)かず離れず飛び回る様は、相手も同じようにこちらのことを窺っているのか。必死に目を凝らして正体を見極めようとするものの、灰色に煙って輪郭は判然としない。
 それでも偶然、一条の光が差し込み、互いの姿を照らし出す瞬間があった。水色の洋装に、深い菫の和傘を担いだ少女。一つしかないその目が驚きに見開かれ――。

「あ! 待って! もう、どこに行こうってのよ……」

 邂逅はそれきり。引き留めようと呼ぶ声も虚しく、人影は見る間に遠ざかってゆく。ああ、私は彼女に見覚えがある。しかし、一体どこで?
 自分の他にも空を飛ぶ者が居るという驚きよりも、何故か懐かしさが尾を引いていた。そんな感傷も、続いて飛び込んできた下界の光景に塗り潰されることになる。

「……はぁ!?」

 あれだけ所狭しと立ち並んでいたビル群が、忽然と姿を消していたのだ。あの寂れた公園も、迷路のように入り組んだ鉄道の高架も。雨で見通しが利かないとはいえ、人工物の一つも見当たらないのは異常事態と言う他無い。原初の昔に戻ってしまったかのような、ひたすらの大自然。起伏に富んだ山岳地帯は紅と黄金の斑(まだら)に染まり、晴れの日にはさぞ素晴らしい眺望となるだろう。
 垂直に昇っていたつもりが、知らない内に水平に流されていたのかしら。いや、日本にまだこんな景色が残っているなんて聞いたことが無い。
 本気でタイムスリップの線を視野に入れ始めた私は、ようやく地上に知った地形を発見した。一際(ひときわ)天に迫る山の紅葉の中、航空写真で何度も目にしてきた形の窪みが、満面と水を湛えている。全国津々浦々に散らばる諏訪神社の大元、諏訪大社と縁(えにし)が深い神の湖。しかし、あんな位置に神社が建っていただろうか? 
ともかく貴重な人造物であることは間違いないし、人も住んでいるだろう。一先(ひとま)ずあそこを目的地としよう。

 そんな私の計画は、またもや唐突な強風によって頓挫させられた。今度はただ荒々しいだけの局地的な嵐。もう一体何が何だか……。ありがたいことに、思考がパニックに陥るよりも早く、私の身体と意識はばらばらに吹き離された。最後に、誰かの悲鳴が聞こえたような――。



 ※



 私も意外としぶとい性質(たち)のようだ。はっと目を覚ましてみれば、被せられているのは白い布ではなく軽い毛布だった。どうも寝台の上に寝かされているらしい。妙に時代がかった書き物机や、中身も疎らなクローゼットが目に付くくらいの小ざっぱりとした部屋だが、よくよく観察してみれば、人の住んでいる気配そのものが感じられない。
 飾り棚の上に帽子と鞄が置いてあるのを見付け、私は寝台から降りる。傘はちゃんと腕に繋がれたままでほっと息を吐いた。多少身体の節々が痛むが、大して気にならない程度だ。
 ――と、部屋に唯一の扉が開く。

「……ああ、気付いたのね。起きても平気?」
「ええ」

 低く落ち着いた、それでいて明瞭に響く声の持ち主は、金の髪を肩の辺りで切り揃えた少女だった。どこか物憂げな雰囲気を纏ったまま、淡々と語る。

「気を失った女の子が、傘に吊り下げられて浮かんでるんだもの。流石に放ってはおけないし。……見付けたのがあの子で良かったわね」

 期せずして私の能力の限界が更新された。傘と私の一部が繋がってさえいれば魔術は使える。手錠は元々両手で作業するために導入したものだったが、意外なところで吉と転じた。意識を失っても結界が維持されるとは新たな発見だ。私はそっと傘布に手を滑らせる。

「そう、貴方に助けてもらったの」
「……? その傘、手錠の外し方が分からなかったから。他の荷物はこれだけ?」
「あ、はい。何だか助けていただいたようで、ありがとうございます」
「いいよ。拾ってきたのは私じゃないし。色々と聞きたいこともあるけど、本当に質問したいのは貴方でしょう?」

 確かに、疑問に思っていることは山ほどある。熟慮に熟慮を重ねた結果、私は第一の質問を決定した。

「どこからか漂ってくる、この素敵な匂いは何事でしょう?」



 ※



 少女に案内してもらった邸内は、部屋から予想されたよりずっと立派なものだった。そこかしこに並べられた、高価そうな陶磁器や絵画。吹き抜けになっているエントランスホールの左右対称に湾曲した幅広い階段を降り、薄暗い廊下を回り込む。差し掛かった広間は親戚一同でダンスパーティーが開けそうな広さを誇り、半分だけ幕の閉じたステージ上には、黒光りするグランドピアノが据えられていた。私の庶民的な感覚でも手入れの行き届いている様が窺えたが、何分にも人気(ひとけ)が無いことと雨音の陰鬱さが相俟って、さながら幽霊屋敷のようだ。

「ここもしばらく使ってないわね。私達だけではどうしても持て余す……。今のところ、使用人の仕事部屋を改装して食堂に充(あ)てているの」

 その扉を開くと雰囲気が一変した。ホームドラマでよく見るような、欧風のやたらと騒がしく和気藹々とした一家団欒の場面。そう思わせられるのは、単なる照明効果の妙ではないだろう。
 そう、室内にはさらに二人の人物が居た。最初の印象より少なくはあったが、それはテーブルの上に腰掛けた少女が数人分の姦しさを発散させているからだ。弾けるように陽気な表情を、色素の薄い癖っ毛が縁取っている。椅子に座っている方の少女は幾らか地味目な容姿だったが、私のことを認め浮かべた笑みには、他の二人が持ち得ない愛嬌が感じ取れた。

「お、良かった。目が覚めたんだ」

 私が何か返事するよりも早く、もう片方が割り込んでくる。

「姉さん! 今リリカと話してたんだけどねっ、やっぱり今日のケーキはモンブランにしましょうよ!」
「だから何度も言ってるじゃん。あの段階からモンブランは無理だってばー。もうクリームも作っちゃったし」
「だって折角の秋の味覚じゃない。マロングラッセはまだ余ってたでしょう? お裾分けしてもらった分も早く食べちゃわなきゃいけないし。そいで、ぐるぐるーっと!」
「あーもう、メルラン姉さんったら。煩くしてごめんね」
「いいえ、あの、ええと――」
「ぐるぐる〜。ほら、皆も一緒に!」

 言葉通り自分も独楽のように回転し始めた姉に苦笑して、淡い茶髪の少女は自分の胸に手を置いた。何故か親近感が湧く。

「私はリリカ・プリズムリバー。あのくるくるパーはメルラン、次女。――貴方を連れてきたのが長女のルナサ姉さん。明日世界が終わるみたいな顔付きだったでしょう? いつものことだから気にしないで」

 エプロンを身に付けた長女は、浮かれた妹を断固として無視し、何かしらの決意を秘めたる面持ちで部屋を出て行った。

「次女があんなんだから釣り合いが取れてるのよ。二人共天才肌だから、私が一般常識担当ね。苦労させられるわー」
「それじゃ、貴方が末っ子なの?」
「いや、本当はもう一人下に居るけどね。ところで、貴方は一体誰?」
「え?」

 期待を込められた眼差しを受けて、遅蒔きながら、私は自己紹介すらまだであることに気付いた。

 正直、私は自分の本名が大嫌いである。具体的な説明は致しかねるが、ルビが無いと絶対に読めないようなハイセンスな名前だとか、点呼の度にその場から逃げ出したくなるような呼び名だと説明すれば分かってもらえるだろう。そのためにどれだけ恥ずかしい思いをしてきたことか。子供は親を選べない。だからこそ私が世の両親に望むのは、教育を受けさせる甲斐性でも思いやりを育てる愛情でもなく、ただただネーミングセンス、それのみだ。

 悩んだ挙句、私は無難な選択をした。

「メリーって呼ばれています。実は、どうして自分がこんな所に居るのかよく分からないんだけど――」
「ふうん。まぁ、どうせ実験にでも失敗したんじゃないかしら。その衝撃で記憶が飛んでるとか」
「……ん?」
「空を飛ぶだけのことに道具を使いたがる人種なんて、魔法使いくらいのものだもの」
「メリーちゃん! 貴方は断然モンブラン派よね! 栗好きよねっ!」
「えーっ、とぉ」
「私は大好きよ!」

 いきなり次女の顔が大写しになって、思わず仰け反る。

「それとも姉さんみたいにチョコレート派? リリカはチーズが良いだなんて言うけど、ケーキは甘くてなんぼのもん! そう思わない?」

 ハイテンションに迫られ、たじたじになる私。テーブルの周囲を四半周も後退したところで、踵が何か柔らかいものを踏んでしまう。

「あいた! ――誰だ? 乙女のお尻を踏ん付けたりした奴は! 全く、ケツじゃなかったら大惨事だぜ」

 卓の死角となっていた位置に、縄でぐるぐる巻きにされた少女がうつ伏せに横たわっていた。可愛らしい襞の付いた白黒のエプロンドレスに、丸見えのドロワーズ。おざなりに載せられたとんがり帽子の鍔から、波打つ蜂蜜色の髪が零れている。
 して、次女の快活な笑い声。

「あははっ、泥棒さんがお目覚めね! 気分はどう?」
「世紀の大魔法使い様を捕まえて盗人呼ばわりとは言い掛かりも甚だしい。ちょっと味見してやっただけじゃないか」
「我が家じゃつまみ食いは重罪なの。大人しく判決の時を待ちなさいな」

 その時になって始めて、私は次女の爪先が床に接していないことを知った。ふわりとテーブルを跳び越えた三女の踵が、魔女ルックな少女の臀部をぐりぐりと虐めている。そういえば、長女の足音もまたえらく幽かだったような。
 はっはっは、こいつはしたり。私としたことが、現在進行形で夢を見ているという可能性を検討していなかった。いや、臨死体験じゃあ過去の出来事が走馬灯となって甦るはずだし……。 
 人から魔法使い呼ばわりされたのは、これで二度目である。

「その……。この方は?」
「霧雨魔理沙、窃盗犯よ」
「正確を期せば、魔法を使う強盗ね」
「何勝手なこと言ってやがる。私は借りるだけだぜ。――死ぬまでな」

 蹴っ飛ばされて仰向けになった少女が笑う。本人は決め台詞のつもりかもしれないが、縛られた状態では間抜け極まりない。

「お前こそどこのどいつだ? 見ない顔だな」
「あれ、同業者じゃないんだ」
「楽隊の新入りじゃないのか」
「楽隊……?」
「ちんどん屋のプリズムリバー三姉妹といえば、この辺じゃ知らない者は居ないはず。つまり――」
「魔界の出身か? それともあの世から遊びに来たのかしらん」
「私の前世は置いといて。あの、どうして浮いてるんでしょう?」
「うん? 騒霊ってマイナーなのかな。幽霊とは全然違うし、亡霊ともいえないのよね。意思が核になってるのは同じだけど――」
「ぶっちゃけ、どうやって浮かんでるかなんて私も考えたことないわ〜」
「そりゃ少女は飛ばなきゃ始まらんだろ。妖怪も妖精も、猫も杓子も空を飛ぶんだ。人間様が指を咥えてられるかよ」
「えー、あー」

 思考を一時停止。

 ここが夢の中であれ過去であれ、私達の常識が通用しない世界であることは確かなようだ。眩暈に襲われたような気がして、鞄から現世の縁(よすが)である高機能性樹脂の塊を取り出してみる。グローバルに対応しているはずの最新機種もものの見事に圏外表示で、うんともすんとも言い出さない。いよいよ途方に暮れ、私は溜息を吐く。
 ……場に静寂が訪れる。ふと顔を起こしてみれば、三人とも私の手元を凝視して固まっていた。

「そうか。話が噛み合わないと思ったら、メリーは神隠しに遭った人間だったの」
「外来人って本当に途方に暮れるのねぇ。それって携帯電話でしょう?」
「遠くの奴と話ができるんだろ? 私も欲しいなあ。でも二つないと駄目なんだっけ」

 タイミングを見計らったかのように、携帯から着信メロディが再生された。画面には非通知の文字。少し怯んだ様子の三人は、一転して好奇心を剥き出しにする。

「おおおう! 吃驚(びっくり)した。何だ何だ、爆発でもするのか?」
「うわー、変な音。どんな仕組みで鳴ってるのかな。あれれ、譜帳どこやったっけ」
「姉さーん、来てー。変な板が歌ってるわよー。意外と軽いのね」
「ああうー。返して下さい」
「おい、私にも見せてみろよ。――うえっ、髪食っちまった」
「何ていうジャンルだろう。聞いたことないわー」
「ボタンは判るけど、どこから吹けばいいのやら」
「もう! 勝手に触らないで下さいってば!」

 堪らず私が叫んだ時だった。鼓膜をつんざく金切り音が響き渡り、一瞬で部屋を制圧したのは。台所へ続く扉の隙間から、長女の不機嫌そうな目付きが覗いている。

「私がお料理してる時は、静かにしなさいって言っておいたでしょう……?」
「は、はい。お姉様」
「次に騒がしくしたら、お八つ抜きよ」
「大変申し訳ございませんでした」

 耳を塞げなかったため未だに悶絶している白黒の少女を除く三人は、粛々と椅子の上に正座する。携帯電話までしゅんと沈黙しているのが、ちょっとだけ笑えた。



 ※



 その日の間食は十分に満足ゆくものとなった。何しろ本当に手作りのチョコレートケーキだ。柔らかなスポンジも少し苦過ぎなクリームも、酸味の効いた果物でさえ天然素材である。入念に大衆の好みに合うよう調合された人工食材の味には及ばないかもしれないけれど、そのズレこそが貴重な体験であることは間違いない。帰ったら友人に自慢してやろう。帰れたら。
 大きなホールケーキの四分の三が、既にめいめいの胃袋の中に収められていた。カロリー的にも私は一切れで満足せざるを得なかったが、同時にこの面子から情報を引き出す努力も半ば放棄していた。ルナサは黙々とケーキを平らげ続け、ノリ任せにはしゃぐメルランの対処を妹に任せている。音曲や動画の再生で一しきり持て囃された携帯は、安らかに鞄の中で眠っていた。そして食堂にはもう一人。
 
「おい……。こいつはあんまり酷くないか」

 ぐるぐる巻きは可哀想との意見多数で(反対1)、手首足首縛りに変更された魔理沙の目の前の床には、ケーキの一切れがペット用の深皿に乗せられている。盗人は人ではなく家畜なのだ。プリズムリバー家の家訓恐るべし。

「つまりは、直(じか)に食えと?」
「つまみ食いの罪はかように重い。容器があるだけ良しと思うのね。文句があるなら次は首を縛る」
「でも犬扱いは流石に不憫だわ〜。私が食べさせてあげましょう」

 すっくと立ち上がった次女は、件(くだん)のケーキを一突きにし、

「ちょ、止めい――ぅぐ」

 ペットの鼻を抓(つま)んでは、開いた口に捻じ込んでゆく。

「むぐぐぐぐぐぐぐぐ」
「美味しい? ねぇ、美味しい?」

 もはや何も言うまい。初めて口にする『本来の』牛乳の味に感動と軽い失望を覚えつつ、私は自分のケーキ皿をしげしげと観察した。三姉妹が用いるカップもフォークも全て揃いの意匠。長方形の食卓を囲む四つの不揃いな椅子。小雨に叩かれて震えるガラス窓の前には、四色に塗り分けられた小さな鉢が飾られている。

「えはっ、かはっ。――殺す気か!」
「ああ、ごめんなさい。飲み物も欲しいわよね?」

 にこやかに告げて、自分のミルクを深皿に注ぐ。当然ながら不満そうな魔理沙。二人を見て微苦笑を浮かべる三女。黙々と手を動かし続ける長女。今更だが、この三姉妹は個性的を通り越して変だ。しかし、奇妙に心地の良い空間でもある。
 悪気も何も感じていない表情のメルランは、鼻唄を歌いながら台所へ出て行った。軽く首を傾げ、リリカが私の顔を覗き込む。

「メリーって兄弟は居るの? それとも一人っ子?」
「はい、姉が一人居ましたが……」
「ほら、私の言った通りね、姉さん。妹っぽい顔だって」

 勝ち誇るかのように三女は拳を握る。あまり突っ込んでほしくない話題だったので、私は急ぎ矛先を変えた。

「ええと、この家にももう一人妹さんがいらっしゃったんでしたっけ」
「あの部屋は元々レイラの私室よ……。今は別居中だけど」
「音楽性の違いですか?」
「寿命の違い。まあ、私達にそんなものがあればの話」

 向かいのルナサが澄ました口調だったので、突っ込んで意見を述べないことにした。隣では、リリカが大袈裟に胸を張る。

「自慢というか、やり手な末っ子なの。身体は生まれつき病弱だったけど、肝っ玉って奴かな、頑固さならひょっとしてルナサ姉さん並みよ」
「へぇ、そうだったんですか」
「男共を軒並み手玉に取っててねぇ。里の有力者を籠絡したり、純情な妖怪を誑かして味方に付けたり。天使みたいな顔して、我が妹とは思えない手練手管だったわー」
「ふん。共犯者が何を言うの」
「どんな魔性の末っ子ですか!」
「とにかく、今は奉公先(あのよ)でよろしくやってるって訳よ」
「もうお盆くらいしか顔を合わせる機会は無いけど。生前より断然元気そうだったわ」

 あっけらかんとしている二人に、私は何気なしを装って問うた。

「皆さん仲良しだったんですね。離れて暮らしていても、妹さんのことは大切ですか?」
「そりゃ、勿論!」

 即答した三女に対し、長女は言わずもがなと頷いただけだった。私は何も返さず、会話は一旦途切れる。
 この機に気になった単語を整理してみよう。騒霊に幽霊、亡霊に妖精に妖怪、そして魔法使い。死後の世界と通じているような口振り。ファンタジーにしても贅沢な、あるいは節操のない取り合わせである。深く考えるのは止めておこう。

「なあ、あんたは傘で空を飛ぶんだって?」

 次に話しかけてきたのは、こてこての魔女ルックな少女、魔理沙である。いつの間にか背中を壁に預け、後ろ手に縛られているにもかかわらず不敵な表情を浮かべていた。手錠で繋がれた傘のことを顎でしゃくる。

「そいつもマジックアイテムなのかい?」
「いいえ。ちょっとした骨董品ですが、普通の雨傘です」

 一応、どんな傘を使っても私は飛ぶことができるのだが、飛行性能や結界の撥水性は、傘の質によって差が出てくる。一番重要なのは取っ手が自分に馴染むかどうかで、その点、ポリーは飛び始めて以来の相方だった。

「いや、奇抜なデザインだと思ってな」
「そうですか?」

 断って傘を開いてみれば、三人とも無言で目を逸らす。もっと露骨にセンスが悪いと言われたこともあるので気にはしない。

「少々重たくはありますが、かなり上等なものなんですよ――」

 私の家も昔はそこそこの名家だった。中でも曾々祖母は物持(ものもち)で有名だったらしく、特に傘は国産・舶来問わず収集していたとのことだ。娘達と共に何十輪もの傘に囲まれた白黒の写真を、親戚に見せてもらったことがある。それらのコレクションもも戦争のごたごたで散逸してしまい、残ったのは一輪だけだ。

「古いものだからといって馬鹿にしてはいけません――!」

 何でも高名な匠の手による一品物だとかで、見る人が見れば相当の価値があるはずだ。それは古びて映ったり、最新の製品に比べれば機能で劣ったりするかもしれないが、幾度もの補修を経て、未だ実用性を保っている代物である。

「名前はポリーといいます」
「…………」

あれ、ちょっと引かれている。人間をペット扱いするのはアリなのに、お気に入りの傘に愛称を付けるのは変なのか。この人達の価値観が今一分からない。それなら傘が今日まで発展してきた歴史を講義してあげようと思っていると、また一切れを食べ終えた長女が独り言めいて呟く。

「長い年月を経た器物は魂を得る。その性格は扱われ方によって如何様にも変わるでしょう。私達だって楽器を粗末にはできないわ。大切な相方だものね」
「たまに鈍器だけれども」
「おいおい、人間も大事に扱ってくれーい」
「そういえば、お三方は演奏家でしたね。どんな曲をお弾きになるんですか?」
「口で説明するより奏でた方が早い。けど……」

 憂鬱そうに瞼を伏せ、ルナサは新たな一切れを皿に取った。

「今日は無理。朝から気圧の乱高下が止まらなくて、調律すらもままならない」
「それでやけ食いしてるのよねー。……メリー、貴方これからどうする気?」
「どうする、と言われましても、とんと見当が付きません。まだあまり現実感が無くって」

 現実どころか、さっきから非現実感が募る一方だ。サークルでの活動を通してある程度の超常現象には慣れているつもりだったが。ここでは私の方が異物らしい。

「他に心当たりが無ければ、まずは人里に向かいなさい。どうせ神社も同じ方角だし。そこで稗田の家の者か、上白沢慧音という人物を頼ってみればいい。一応、私達の名前を出してみて。多分力になってもらえるはず」
「ただし、極力日が落ちた間は出歩かないことだ。外来人はすぐ妖怪に喰われちまうって、香霖が言ってたもんな」
「喰われるとは、穏やかじゃないですね……」
「普通だぜ。何の不思議もありはしない。――逆もまた、然りさ」

 素早く立ち上がる少女の手首から、巻かれていた縄がはらりと落ちた。余裕ぶって片手でとんがり帽子を被り直し、立ち上がりかけた姉妹へもう一方の手から閃光を浴びせる。視力が回復する頃には、魔理沙と大皿に残っていたケーキは影も形もなかった。

「しまった! 表よ!」

 慌てて帽子と鞄を引っ掴み、飛び出していった二人の後を追う。広間を抜けてみれば、エントランスの中央で口をもごもごさせつつ箒に跨っている白黒の少女。

「もひほうはまへした! あふぁよ!」

 直後、箒はロケットの如く急加速し、星屑の火花を散らしながらホールを一周した。勢いをつけて正面玄関へと突進し、ぶ厚い扉をふっ飛ばしつつ、雨の中へ飛び出してゆく。

「わ……。あれが本物の魔法使い……」

 実は今まで半信半疑だったのだが、こう派手なパフォーマンスを見せ付けられては頷かざるを得ない。……やっていることはただの食い逃げだが。壊れて転がる扉の破片が哀切を誘う。魔法使いたるもの、何かしらぶち壊さなければ活動できないのだろう。雨脚は大分弱まってきていて、吹き込んだ細かい雫が床を濡らしている。
 
「あーあ、逃げられちゃったねぇ」
「まだゼリーもあったのに……」

 さして悔しそうでもなしに肩を竦める二人と、だんだん日差しの翳ってきた外を見比べ、私は雨傘を差す。

「あ、私もそろそろお暇しようと思います」
「えー? もう行っちゃうの? どうせなら泊っておいでよ」
「引き留めはしないけど――」

 あからさまに残念がる妹に対し、姉は軽く眉を上げただけだった。

「里に行くのなら急いだ方がいいわ。暗闇は妖(あやかし)の世界。迂闊にうろついて食べられたとしても、役所に文句は聞き届けられない。誇張じゃなくってね。特に“外”の人間に関しては全く保障がされていないから。拾ったのが私達で、貴方は本当に幸運だった」
「はい、心に留めておきます。……大変お世話になってしまいました。何のお礼もできませんが――」
「私としては、あの電話から興味深い音が収集できて楽しかったわ。でもメリー、せめてメルラン姉さんにも挨拶していって」
「ん、さっきから妙に静かね。一体何をしてるんだか」
「あ! 今お帰りー?」

 ひょいと顔を出した次女がエプロンをしているのを見て、二人の表情が強張った。

「残念だわー。やっと焼き上がるところなのに」
「ルナサ姉さん、オーブンの鍵はちゃんと閉めた?」
「いえ……。メルラン、貴方は一体何を焼いているの?」
「そ、それでは失礼しまーす」

 にこにこ顔一名と青褪めた二名を残し、私はそそくさと庭に出た。門へと続く石畳で助走をつけ、風の波に飛び乗る。雨粒は霧のように細かく軽く、空気の流れそのままに宙を舞う。
 くぐもった爆音に振り返って見れば、割れた窓からもうもうと黒煙が上がっていた。

「…………」

 許されるならば、もう少しあの屋敷に滞在していたかった。ほんの一時(ひととき)の交流だったが、あそこには私が忘れた何かがあるような気がして、その正体を見極める時間が欲しかった。
 しかし、居心地の良さにずるずると甘えてしまうのは恐い。それに雨が上がる前に、家へと続く線路を見付けなければ。そう考えると、先程の騒動は良い機会だった。

「よっ、“外”の魔法使い」

 気が付けば、先に飛んでいったはずの少女が私の傘に併走していた。使い込まれた箒の上に横座りになり、魔法使いは親しげな笑みを浮かべる。

「まさか、ケーキ一切れ戴くのにこんな手間がかかるとはな」 
「お行儀よく座っていれば、もっと素直に食べられたのでは?」
「馬鹿言え。自分の力で勝ち取ることに意義があるんだろ。それにしても、“外”の魔法使いは皆傘を使うのか?」
「いいえ、普段はもっと大掛かりな装置に乗り込みます。ここに住む魔法使いは箒に乗る決まりなんですか?」
「私くらいのものさ、伝統的な魔女のスタイルを清く正しく貫いている奴は。ああ、暇だったら私の家に来いよ。さっきの携帯って奴にも魔力が篭ってただろう? もっと詳しく見てみたいな。香霖の奴、適当なこと並べやがって」
「ごめんなさい。私は帰らなくっちゃ。明日の待ち合わせに遅れたら、一体何を奢らされる羽目になることか」
「そっか。まあ仕方ない。私は茶でも飲みに行くかなー」

 話を切り上げようとしていた白黒の少女に、私はかねてから気になっていて、なかなか聞く勇気がもてなかった質問をぶつける。

「魔理沙さん。“外”に帰る方法って、ちゃんと用意されてるんですよね?」
「そりゃあるさ。神社に行って巫女に頼めばいい。ずぼらでものぐさでぐーたらな奴だが、賽銭入れてやればぶつくさ言いながらやるこたぁやってくれる。まてよ、さっき茶葉が切れたって嘆いてたから、今頃そこらの妖怪をカツアゲしてるところかも」
「……本当に巫女?」
「巫女の皮を被った変な奴だ。喰われちまわないよう気を付けな」

 首を傾げる私。くっくっとおかしげにのどを鳴らす魔法使い。

「機会があったら魔法の森へ遊びに来いよ。先輩直々に手解(てほど)きしてやるぜ。毒キノコの見分け方とか」
「あ、もう一つだけ。さっきから外、外って言ってますけど、だとしたら“内”は? ここは一体、どこなんですか?」
「どこって……、幻想郷に決まってるじゃないか。妖怪と妖怪じみた人間達の楽園。妖精が踊り、天狗が舞う桃源郷。幻想郷は全てを受け入れる、それはそれは――、まあ、楽しんだ者勝ちってことさ」

 気障(きざ)に片目を瞑ってみせ、魔理沙は箒を加速させた。霧雨の尾を曳きながら、その姿はあっという間に小さく霞む。未知なる世界への不安と羨望が綯(な)い交ぜになって、残された私はどうにも落ち着かない。

「幻想郷。ここでは誰しも空を飛ぶ、と……」

 あの箒なら、私も青空の下を飛べるのだろうか。あまり夢を見させないでほしい。帰るのが惜しくなってしまうじゃないか。

 重厚に天を覆う雨雲と、摩天楼の消えた大地を眺めながら、私は一つ身震いをした。それがどんな予感によるものかすら、今はまだ霧に飲まれた。







 3.雨月巡礼 〜 deja-vu







 ……雨月という言葉がある。月の見えない雨夜こそ、真に美しい月を思い描くことで楽しむことができるという古人のパラドクスだ。雨の日には全てが朧になる。事物の輪郭は雨霧の中で曖昧に、肌は冷えて鈍り、水玉の跳ねる音と匂いが辺り一面に立ち込める。心と世界の境界が溶かされ、あるいは遠くなる。
 つまり、幻視には打って付けの環境なのだ。



 ※



 私の雨天飛行は大抵日帰りになる。空を飛ぶという行為そのものが目的のようなものなので、特別目指す当ても無いからだ。風の吹くまま大空を遊覧し、雨が上がる前に適当なところで切り上げ、近場の駅から家に帰る(電車の乗り心地は好きではないが、虫の巣の如く張り巡らされた路線の便利さは、現代っ子の身に沁みている)パターンが一番多いだろうか。モラトリアムだもの、多少の無軌道は許してほしい。
 稀にアクシデントがあって辺鄙な土地に不時着してしまうこともあるため、最低限の備えはしているが、未開の奥地を一人で踏破するには到底心許(こころもと)ない。そんな装備の一つである方位磁石の針が不規則に動き回っているのを見て、私は眉根を寄せた。
 霧雨はいつの間にか霧そのものに変わっており、伸ばした手の先も覚束ない倫敦(ろんどん)の豆スープ、正しく五里霧中といった様相。どちらを向いても変わりない単色の世界に、距離と方位の感覚は麻痺してしまっていた。

「うふふ……、要は道に迷いましたねー」

 普通の霧なら高度を上げれば抜けられるだろうと上へ上へと昇ってみたが、一向に移動している気がしない。摩訶不思議な力が働いているとしか思えなかった。
 己の呼吸音の他に何か聞こえたような気がして、私は耳を澄ます。幼い童女の笑い声のような……。自分の真後ろで、いや隣に?

「だ、誰か居るの?」

 可笑しげなくすくす笑いは一人分に留まらず、前後左右から取り囲んで、嘲るように響き合っている。と、冷たいものが手に触れた。氷のような子供の手が私の指を掴み、ぐいと引っ張る。バランスを崩して宙空で転倒し、引っ繰り返った視界に透明な羽根を生やした少女の後ろ姿が映ったと思うと、笑いさざめく音が一際大きくなり、転じて遠ざかり始めた。私が起き上がる頃には、もう誰の気配も無い。

「何よ、勿体ぶっちゃって。……あら?」

 程無くして霧が晴れ、視界が開け始めた。眼前に聳(そび)える巨大な門と、連なる深紅の外壁。精巧な意匠が凝らされた格子越しに、幾何学模様に整えられた庭園が広がる。その奥に堂々と構えられた洋風のお屋敷もこれまた紅色で、緑の庭と群青の夜空との対比が鮮やかだった。さらには屋根から伸びる時計塔の上空に浮かぶ、紅い紅い満月――。
 いや、雨天に月が見えるはずが無いではないか。目を擦ってみればやはり幻覚は消え、月も雲に隠れていたが、目の前の厳(いか)めしい門扉は、変わらずに水滴を弾いている。

「お待ちしておりました。紅魔館にようこそ」

 不意に横から話し掛けられ、私は思わず身を退いていた。日が落ちかけているのか、輪を掛けて暗さを増した風景の中にもかかわらず、目に明るい中華風の民族衣装に身を包んだ少女。傘を差してもいないのにその服が濡れていないのは、身体を包む不可視の力場が細かい水分を遮り、蒸発させているからだった。均整の取れたプロポーションや妙に安定した立ち姿は拳法家を連想させる。衣装から来る偏見かもしれないが。
 少女が掌(てのひら)と拳を合わせて一礼すると、独りでに門が開き出す。正面の建物は見るからにおどろおどろしく、ちょっと堅気(かたぎ)の施設には見えない。人里どころかよくて貴族の住居、ともすれば魔物の居城である。

「お嬢様がお待ちです。玄関まで真っ直ぐお進み下さいね」
「いやいや、ちょっと待って下さい」
「はい? 何でしょう?」
「……貴方は、その、妖怪だったりします?」
「ええ、妖怪ですよ」
「あちゃー。それじゃ三食人肉ですか」
「私が? あははっ――」

 門番は意外に人懐っこく笑うと、私を安心させるかのように肩を竦めた。

「妖怪がみんな人間の肉を食べる訳じゃありませんよ。私の場合、血の味を忘れて随分経ちますね。菜食主義者でもありませんが」
「それでは、貴方の言う『お嬢様』は日頃から何を召し上がっていらっしゃるので?」
「主に人間の生き血なんかを」
「はーい、アウトでーす。私はこれで失礼をば!」
「お客様、もうお帰りですか?」

 くるりと還踵(せんしょう)した私を挫くため、新たな人物が死角に出現していた。怜悧な美貌と銀の髪、誂えたように似合うメイド服。立ち姿が絵に描いたように完璧すぎて、逆に嘘臭い少女である。今更非現実的云々と宣(のたま)うつもりはないが、彼女の登場の仕方には少し違和感が残った。
 
「美鈴、何をちんたらやっているの。お嬢様がお待ちかねよ」
「はぁ、すみません。――あ、この方は人間ですから大丈夫ですよ」

 後半は、こっそり私にだけ囁かれたものだ。こちらのメイドも素手ながら服が乾いたまま。雨粒は垂直落下を許されず、レンズを通したかのように歪んで滑り落ちている――空間が歪んでいる?
 私の訝しげな視線に気付いたのか、少女は抜き身の刃の如く鋭い眼差しをこちらに向けた。

「お客様をいつまでも雨の中に立たせておく訳にもいきませんわ。さ、こちらにどうぞ」
「ええと、私はそのお嬢様とやらにお招きいただく覚えはありませんし、先を急ぐ身ですから……。できれば、人里への道のりを教えていただけるとありがたいです」

 遠慮がちな私に対し、メイドは冷然と腕を組む。その手には、いつの間にか曇りない銀のナイフが握られていた。

「私は貴方をお嬢様の許(もと)にお連れするよう命を受けていますが、生かしたままとは仰いませんでした。この程度の仕事もこなせないような使用人は、クビになっても仕方が無いでしょうね。自分の首を切るか他人の首を刎ねるか、本当に難しい二択ですわ」
「きょ、脅迫じゃないの……」

 八つ当たり気味に人外の少女を見ると、苦笑しつつお手上げのポーズだった。何だい何だい、妖怪より人間の方がおっかないじゃないか。



 ※



 もうどれだけ一直線の廊下を歩いているだろうか。通り過ぎた扉の数も、百から先は数えていない。外観も相当な大きさだったが、それでも優に五周はしているのではないかと思えてくるほど、連綿と続く廊下だった。それもこのメイドの仕業だと考えた方が自然だ。雨の飛跡を捻じ曲げたように、空間を引き伸ばすことができれば――。

 ポリーによれば、彼女が私の後ろに現れた直後、私と妖怪を迂回するように、雨の存在しないトンネルが形成されていたらしい。コンマ一秒のずれも無く、同時に雨粒が消失していたのだと。このメイドが空間を操る能力を持っているのだとすれば、それは時間を操るのと同義である。屋内の私では、出し抜こうにも不可能に近いだろう。

「この廊下、どこまで続いているのでしょう」
「……お嬢様の気が済むまで」

 案内者は多くを語らず、私も無言で歩を進めることにした。窓は全て厚いカーテンで覆われているものの、風が強くなってきたのか、時折ガラスが震え慄く音が伝わってくる。毛足の長い赤絨毯の柔らかさに慰めを見出していると、通路の奥から誰かが近付いてきた。背中に羽根を生やした小さな少女が、カンテラを提げていない方の手で大欠伸を隠している。喫茶に多い服装からして、彼女もまた使用人に違いない。

「あの羽根は――」
「うちのメイド妖精よ。一匹一匹じゃ無能に等しいけどね。数を揃えれば使えなくもない。――ちょっと、そこの貴方」

 びくりと肩を震わせ、妖精は背筋を伸ばした。

「はっ、はいな。ただいま見回りちゅーです。メイド長」
「こちらのお客様の帽子と傘を預かってもらえないかしら」
「ふぇ?」
「え……、自分で持っていますから。結構です、本当に」

 難色を示してみせる私を無視し、メイド長は部下を冷たく睨む。

「ふうん、私の命令が聞けないのね? 最近の子は躾がなっていないわ。お仕置きが必要かしら……」
「そ、そんな〜」

 言うまでもなく、台詞には私に対する恫喝が含まれていた。謂われなく怒られている妖精も可哀想だったので、渋々ながら帽子と愛傘を手渡す。手錠を外すために鍵の類は必要ない。ギミックを特定の順序で動かせば事足りる。

「大切に扱って下さいね。どちらも大切なものですから。ちゃんと、返して下さいよ?」

 足早に立ち去ってゆく妖精の背に、私は惜別の念を送る。傘は半身のようなものだが、帽子にも特別な思い入れがある。行方不明の姉の形見のようなものだ。あれから7年、戸籍上では死亡している彼女と、私は同い年になった。もしまた会えたとしたら、一言文句でも聞かせてやりたいところである。



 ※



 妖精と別れてから程無くして、私達は一際大きな扉の前で立ち止まっていた。

「こちらにお嬢様がいらっしゃいます。くれぐれも失礼の無いように」

 これまたご丁寧にも、扉は誰の手にも触れられることなく開き始める。厳(おごそ)かな軋みの向こうに広がる内装は、一目で掛かっている手間が分かるものだった。
 計算され尽くした色の調子を、絶妙に加減された照明が引き立て、嫌味にならない程度に配置された品の良い美術品が、豪奢な中に深みのある空間を演出している。借家住まいの私の部屋が二桁は入るような部屋の中央には真っ白なクロスの引かれた長卓が据えられ、入口から見て一番奥の席に、この館の主人と思(おぼ)しき人物が腰掛けていた。

「おお、意外と真っ当だ」

 扉が音を立てて閉まった。取り残されるメイドと私。

「……えーと」
「作戦会議中です」
「会議中ですか」

 ややあって再び開き始めた扉の隙間から、白く重い気体が流れ出す。ドライアイスを昇華させたような霧が床を覆う部屋には、荘厳なパイプオルガンの調べが響き渡っていた。何ともサービス精神旺盛なお嬢様である。

「よく来てくれたわね。座って頂戴」

 演出が一段落したところで声が掛かる。一先ず前に進み出た私は、流石に緊張した面持ち。長卓の半ばに活けられた花を挟んで館の主の反対側に、一脚の椅子が用意されていた。どうしたものか、この手の作法にはとんと疎いのだ。

「ああ、客人にマナーは要求しないことにしているの。楽にしなさいな」

 幼げながら、有無を言わさぬ響きを含んだ声だった。促されるままに着席した私は、初めてまじまじと相手を確認する。

 『お嬢様』は、年端も行かない少女の姿をしていた。しかし、そんな外面だけで評価を下してしまうほど愚かな私ではない。先程は真っ当などと言ってしまったが、それはもっとゲテモノ的な登場を想像していたからだ。彼女は私の予想を超えてスマートだった。これだけ格好を付けた調度に囲まれていては、大抵持ち主の方が滑稽に見えてしまうものだが、少女には芸術品達を制して余りあるだけの華と威風がある。少なくとも、外見年齢並みの人物ではない。
 そんな私の心の動きを見透かしたのか、お嬢様は満足げに頷いた。

「貴方、私が何に見える?」
「はい?」
「外界の人間にどう見えているのか、少し気になってね。ただし、妖怪だなんて月並みなカテゴリーは無しだ」

 紅い宝石のような瞳に吸い込まれるように錯覚して、私は身を固くした。薄く綻んだ唇から覗く鋭い犬歯。優美に息衝(いきづ)く蝙蝠の翼。しかも人の生き血を啜るともなれば、候補は他にあるまい。

「チュパカブラ、ですね」
「そう、私こそが巷を騒がせるプリティーセクシーな吸血UMA――って、んな訳あるか! 吸血鬼よ吸血鬼!」
「すみません! 緊張感に耐えられなくて!」

 必死に弁解する私だった。しかし見事なノリツッコミだ。この吸血鬼、かなりの実力者である。

「やれやれ、紅い悪魔の度量が広かったことに感謝しなさい。自己紹介が必要な相手なんて久し振りだし、特別に赦してあげる。私はレミリア・スカーレット。誇り高きスカーレット一族の当主であり、ここ紅魔館の主人よ。――名前は?」
「もしかしなくとも、既にご存知なのでは?」

 こちらの経歴など全てお見通しなのではないかと思わせる深大さが、その紅い双眸にはあった。

「貴方の口から聞きたいの。恥ずかしがらずに言って御覧なさい」
「……。友人からは、メリーと呼ばれています」

 吸血鬼は、楽しそうに口の端を持ち上げる。

「メリー、ワインの味は分かる?」
「あ、いいえ。不調法でして」

 私はまだアルコールを摂取できないどころか、大人が言うところの特定情報の閲覧を制限されている年である。年齢と学年が対応関係にあるような教育制度は前時代の物で、私は同年代からすれば偏差値の高い、すなわち大学でも一回り若い部類に入るだろう。同い年のはずな友人は、がぶがぶとお酒を嗜んでいるが。

「ふうん、別に良いけど。咲夜、お茶の用意を」

 傍らで静かに控えていたメイド長――咲夜、という名前らしい――が、魔法と称するより手品に近い手並みで銀のトレイを取り出した。淀みの無い所作で茶器を並べる従者と、それを当然のこととして眺める貴族の少女。映画のワンシーンの如き光景に目を奪われていた私は、自分の前にも同じ用意がなされていることに気付き遅れた。

「貴方と同じ名前の娘が、かつて同じ席に座ったことがあるの。メリー」
「はぁ」

 細い白磁の指が、そっとティーカップを持ち上げる。

「彼女も“外”から来たっていってたっけ。外来人としては、貴方以上に落ち着いていたけど。懐かしいわね」
「その子は――どうなったんですか?」
「どうなったんだかな、咲夜」
「さあ、随分と焼き菓子をお気に召していたことくらいしか存じ上げておりませんわ」
「うん。もしかしたら、今でもこの館に居るかもね」

 戸惑っている私に、吸血鬼は小首を傾げる。

「食べないの? 別に太らせて丸焼きにしようなんて魂胆はないわ。黄泉戸喫(よもつへぐり)の例えじゃなし」

 鼻にも美味しい香ばしさに誘われ、俯いてみる。湯気の立つ血のように紅い紅茶に、同じ色のソースが飾られたババロアの皿。フォークを入れることが勿体無く思えるそれは、食品にも格が存在することを私に思い起こさせた。

「やっぱり天然素材なのかしら……」
「ん? 天然だっけ?」
「いえ。こちらは養殖のものを使用しております」

 何の養殖? とは聞けなかった。こんなに美味しそうなのに、さっぱり食欲が湧いてこない。あの邸宅では気にも留めなかった考えが、今になって首をもたげてきた。黄泉戸喫の例え。食事は、その世界の秩序を己の内に取り込む作業。食べ過ぎれば戻れなくなるかもしれない。この館のみならず、この郷からも。

「咲夜の手料理は味が良過ぎるのも問題ね。はしたなくならない程度に留めておきましょう」

 ムースの欠片を飲み込み、頬に手を当てて微笑すると、少女は舌で小さく唇を舐める。

「あの、私――」
「メリー、メリー。これってメリー・ポピンズから来ているのよね。家庭教師だっけか」
「正確には乳母ですわ。簡単に言えば、母親に代わって子供の養育をする職業です」
「ああ、そうだった。小さい頃からの躾は大事よね。私にも妹が居るんだけど、これが大した利かん坊で。適当な家庭教師を雇おうと思っていたところなの」
「お嬢様、この雨でピクニックがお流れになってしまったせいか、妹様は大層ご機嫌斜めでいらっしゃいます」
「そう。じゃあ面通しは無理か」

 いけない、終始あちらのペースで事が運んでいるような気がする。家庭教師云々は冗談として、聞きたいことはもう列挙のしようがない。

「私、どうしてこちらにお招きいただいたのか見当も付かないのですけれど――」
「うん。単なる暇潰し」

 お嬢様は気楽に仰る。

「吸血鬼は悪天候に弱い。こう雨が続くと気が滅入ってしまう。そんな折、貴方というカードを偶然引き当てただけのこと」
「……。日光に当たると灰になってしまうという話も本当なのですか?」
「この染み一つ無い柔肌をご覧なさい。心行くまで鑑賞なさい。十字架や大蒜(にんにく)に関しては、どうして恐がらなくちゃいけないのか分からないわ」
「では、ちょっと失礼して――」

 私は鞄から手鏡を取り出し、ついでに前髪を整える(比類なき自惚れ屋、メリー・ポピンズに傾倒する身としては、鏡の中の自分にナルシシズムを感じない訳にはいかない)。鏡面を傾けてみれば、誰も居ない席でカップが宙に浮かんでいた。横目には、茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる少女の姿。

「納得してもらえたかしら。私がチュパカブラじゃないってこと」
「それはもう。ですが、何かと不便ではありませんか?」
「従者が優秀だからね。面倒は無いよ」
「こっそり落書きされてたりして。額に肉とか」
「まさか。それだけでは芸がありませんわ」
「咲夜。私が貴方と話し合わなければならないと感じたのは、今週で七回目よ」

 不満げに頬を尖らせられても、メイド長は涼しい顔だった。
 それきり会話は途切れ、宙ぶらりんの沈黙が降りる。あれだけ饒舌だった吸血鬼もお淑やかに紅茶を味わっているだけで、私は所在が無い。

「れ、レミリアさん」
「んー?」
「ええと、妹さんがいらっしゃるんでしたよね。その方も吸血鬼で?」
「純度百パーセントな私の妹。半千年紀ばかり地下牢に繋がれてたけどね」
「牢に? その、一体何故?」
「この私が望み、望むままに糸を引いたからよ」

 レミリアは私へ挑戦的な眼差しを送る。紅い瞳の中には、興味深そうな光が宿っていた。

「あの子の才は、吸血鬼としても並外れていた。傍付きの者も、血縁も、自分自身の理性さえ壊してしまうくらいにね。だから幽閉するしかなかったのよ。月の光も届かない地の底に」
「今は――、姉妹の仲は……」
「実の妹のことを愛しく思わない訳がないじゃない。たとえ同じだけ憎まれているとしても。あの子はあの子なりに私を慕っているし、私もそれなりに疎んでいるわ」

 意味深な微笑を浮かべつつ、吸血鬼は上目遣い気味に双眸を細めた。

「仰りたいことが分かりませんが――」
「何がいけなかったのかしら。私だけでも、あの子の味方になってあげれば良かった? 他にもっと方策を探すべきだった? それとも、生まれ落ちたことそのものが禁忌だったの? ――ふん、口にするだけ無意味な質問ね」

 レミリアは干したカップを身体の横へ掲げ、あっさりと把手を離した。重力に引かれ、磁器は素直に自由落下を果たす。

「――割れたら、それまで。手間を掛けるわね、咲夜」

 メイド長は冷たく瞼を伏せたまま微動だにしなかったが、予想された耳を刺す音は聞こえなかった。カップは床と衝突する寸前に消失し、代わって新しい紅茶がソーサーに置かれている。

「血はワインよりも濃い。絆は赤い糸より強靭だ。全く、因果なものだな」
「どこまでご存じなんですか? 私達のこと」

 やや感情を滲ませる私を面白がるような表情で、吸血鬼は言い捨てる。

「知ったことじゃないわ。私は貴方のお姉様じゃないし、そうだったら尚更のこと。互いを理解し合える姉妹なんて居ない。つくづく、暇潰しに最適な題材よね。――あちゅ!」

 優雅にティーカップを傾けようとしたレミリアは、思いの外熱かったのか、泣きそうな顔で唇を離す。ふうふうと息を吹き掛け、今度は慎重に口元へ運んだ。

「ま、深い意味合いは無いよ。案外こっちに馴染んでいるようだし、貴方さえ良ければ晩餐にも出席してもらいたいのだけれど。パチェも“外”の知識には興味があるでしょうから」

 そういえば、まだ私は自身のこれからの処遇について全く確認していない。どんな保障をされたところで、心から安心することはできないけれど。

「吸血鬼って、その名の通り人の血を吸うんですよね」
「トマトジュースでも飲んでると思った? 当然じゃない」
「そこはやはり、女の子の血を好んだり?」
「他の吸血鬼はいざ知らず、概ね伝承の通りよ。うら若く穢れ無き、そしてB型な生娘の血に勝るものはないわ」
「えー、血液型に関しては初耳です」

 しかし困った。若い盛りで貞淑、加えてB型ともなれば、私にどんぴしゃりではないか。誘われるがまま俎上に乗せられ、夕食の献立に加えられてしまう様が容易に想像できる。果たしてどうしたものか――。

「言っておくけど、血液から栄養分を補っている訳じゃないの。吸血鬼もそうだけど、妖怪変化の大半は己の精神と認識のされ方を存在基盤にしているから。血を摂取する第一の意義は、アイデンティティを保つこと」
「斯く在るべし、という概念に沿うことで、より強い影響力を行使することができるということですか。……都市伝説と同じですね」
「首を刎ねられても死なない代わりに、忘れ去られてしまえば生きていけない。その理(ことわり)を利用したのが幻想郷よ。この界隈で生き延びたいなら、最低限の知恵は押さえておかないとね。どう、私の講義を聞いていかない?」
「――ご、ご期待に添えず申し訳ないのですが」

 このままだとうっかり料理されてしまいそうだ。無駄かもしれないが、一応試してみよう。

「私、これでも男の――」
「ん?」
「男の子です」

 一瞬時間が止まり、次いでレミリアが盛大に茶を吹き出した。と思いきや、実際はテーブルクロスに汚れもなく、お嬢様は苦しそうに咳き込んでいるだけである。一通り深呼吸を終えたのち、うろたえた様子で質問された。

「じょ、冗談よね……」
「今まで黙っていて悪かったと反省しています」
「その服装はどう見ても女子よ!」
「スカート系男子という奴ですよ。“外”では珍しくもありません」
「いやいやいや、何かの間違いだって。確かに体形は……」
「くっ――、人のこと言えない癖に。下着も見ますかぁ!?」
「きゃー!? きゃーっ!」

 ちょっとした冗句に引っ込みがつかなくなった時である。どこからともなく大鐘の音が三度続けて鳴り響くと、これまで物静かに控えていた従者が顔を上げた。同時、部屋の扉がノックされる。

「失礼します。こちらにメイド長が――」
「構わないわ。入ってらっしゃい」

 表情を引き締めたレミリアの一言に、扉が外から押し開けられる。先の一匹とは打って変わって真面目そうなメイド妖精の二人組が、ぴったり揃った動きで一礼した。

「報告させていただきます。箒に跨った鼠が一匹、正門から侵入を謀りました」
「現在、美鈴様の部隊が正面玄関手前で交戦中。いかがなさいますか?」
「美鈴達には、適当に時間を稼いでから中へ通すよう伝えて。その間に戦闘要員はおもてなしの支度を。配膳は参式。読書要員に図書館への連絡通路の書き換えを急がせること。上手く妹様の居室へ誘導するように」
「はいな――」
「――了解です」

 きびきびとした指示に頷いた二人は、丁重にお辞儀をしてから踵を返す。と、その片方がお嬢様に呼び止められた。

「少しの間、そこで待っていなさい。用事ができると思うから」
「……承知しました」

 直立不動で扉の前に陣取った妖精を見て、私は言う。

「お忙しいようですし、自分はそろそろ――」
「あら、この私が相伴させてあげようっていうのに。本来なら光栄に思うところよ?」

 身構える私を眺め、レミリアは悪戯っぽく笑った。

「この場は貴方の意思を――そう、尊重しましょう。だけど、只で返すってのも癪ね」

 差し出された白磁の手の平に、従者は一枚の金貨を取り出す。一体何を要求されるというのか。実力行使に出られれば対処できない私としては、じっと推移を見守る他無い。

「あーした天気にな〜あれっ、って知ってるかしら」
「え?」

 吸血鬼は、受け取った金のコインを親指で弾いた。澄んだ音と共に垂直に飛び上がったそれは、自転を続けながら落下して元の手へ収まる。

「昔ながらのお呪(まじな)いよ。放り上げた下駄が表になるか裏になるかで、翌日の天気を占うんですって」

 聞いたことだけならある。天気予報の精度が上がった昨今では、もう見られなくなった子供達の無邪気な遊びだ。

「こっちが表で、こっちが裏ね。明日が雨なら貴方は屋敷に留まる。晴れになると出たならば、人里まで咲夜に送らせましょう。たったの一秒で済むよ」
「一秒と掛からない、ですわ。お嬢様」

 従者の言葉を無視し、紅い悪魔は問う。

「ルールはそれだけ。確立が二分の一なら文句は無いでしょう?」
「……はい」

 残念ながら、この飛び抜けた異能を前にして、私は吸血鬼の気紛れに賭けるしかないのだ。不思議と、彼女達が約束を違(たが)えるようには思えなかった。このお嬢様は、やると言ったら必ずやる。確率は二分の一……。

「じゃ、いくわよ。それっ――!」

 再び弾き上げられた金貨は高々と舞い、天井を掠めて美しい放物線を描くだろう。卓の中央を越えるコースだ。この一枚が私の命運を分けるかと思うと、目を覆いたくなる。
 確率は二分の一。紅い視線がこちらを捉えていた。いや、焦点が合っているのは自分ではない。もっと遠くにある何かだ。確率は、観測によって極小の点に収まる。――ならば。
 半分は無意識の判断だった。もう半分は彼女の自信満々な態度とその瞳。コインの行方をちらとも見ようとしていない。まるで、最初から結果を確信しているかのように。だから私はテーブルの上に飛び乗り、思いっ切り手を伸ばして金貨を掴み取っていた。
 そして胴体着陸。や、やっちゃったぜ。

「――私ったら、不作法ですみません」

 飛び乗った拍子に蹴り飛ばされたティーカップが、床に落ちて割れる音。思わず手を出し掛けた姿勢で固まっている妖精メイド。しらっとした顔のメイド長。気まずく卓上から降りて、コインをポケットに突っ込む。

「表も裏も、出ませんでしたね。あははは……。この場合どうなるんでしょう? 私、帰ってもいいですか?」

 くすりと、初めて吸血鬼が声に出して笑う。

「これで、私を畏れてくれさえすれば完璧だったんだけどな。……咲夜」
「はい」

 従者が手品で取り出したのは、私の傘と帽子だった。妖精にそれらを手渡しながら、きっぱりと言う。

「お客様をバルコニーまでご案内しなさい」
「か、かしこまりました」

 これで幕切れなのだろうか。どうも肩透かしを食らった感が否めない。釈然としないながらメイドに続けて部屋を出ようとする私へ、レミリアから声が掛かる。

「それじゃあ。また出会うこともあるでしょう」
「はい、あの、カップを壊してしまって、ごめんなさい」
「いいってば。あと、そのコインは餞別よ。有効に利用しなさい」
「……ありがとうございました。レミリアさん」

 ――私が出て行ったあとの部屋で、吸血鬼はくったりと肩の力を抜いた。

「ふう、久し振りに気張ると肩が凝るわー」
「お揉みいたしましょうか?」
「馬鹿、比喩的な意味だよ。それにしてもどう? 紅い悪魔の威風堂々たる態度は! カリスマが溢れていたでしょう?」
「恥ずかしながらこの咲夜、感服のあまり言葉もありませんわ」
「嘘を仰い。笑いを堪えていた癖に」
「ですが、宜(よろ)しかったのですか? あっさりと放流してしまって」
「珍しい魚が糸に掛かっていたものだから、釣り上げてみただけのこと。調理するにしても飼うにしても、もう少し肥えてもらわなきゃね」
「成程……」
「大丈夫。“糸”は付けておいたんだし、あの子は必ず私の許(もと)に戻ってくる。月が一巡りしない内に。それが運命なのよ」
「しかし、前回の『メリー』とは――」
「戻ってこなかったら戻ってこなかったで、再会を待ち惚けるのも一興じゃない? どうしても駄目だったとしたら、次の『メリー』に期待しましょう」

 気持ち良さそうに伸びをして、卓に頬杖を突く主人。変わらず澄まし顔の従者。

「だけどねぇ……。“外”の男子は本当にあんな格好をするものなのかしら」
「外界の人間は、突飛なことばかりするそうですからね」
「まあ見事に平板だった訳だけど。咲夜も実は」
「一服盛りますよ?」
「日常茶飯事じゃないの」
「一服盛ります」
「今週で八度目だ!」
「大体、さっきのお客様は歴(れき)とした女性ですよ。この目で確認しましたから」
「そっか、忘れてた。貴方には他人の下着を確認せずにはいられない奇癖があるんだっけ」
「違います。凶器を隠し持っていないか身体検査をしただけです」
「経験に基づいてね。はっはー、何を仕込んでいたところで、私が人間如きの不意打ちに遅れをとると思ったのか!」
「てい」
「ひゃああっ! なっ、なん、何をするの!」
「スキンシップですわ」
「……。しまった、あの子携帯電話って持ってたのかしら。折角だから、電池の切れていない奴を見せてもらおうと思ってたのに」
「ご多分に漏れず、携帯していたようです。ご覧になりますか? その鞄の中に――」
「え?」
「あ!」
「あ、あはははは……」

 すっかり寛(くつろ)ぎモードのお嬢様と目が合って、忘れ物を取りに来ていた私はぎこちなく頭を下げた。







 4.雨の袂に花と骨 〜 Rib or Bone ?







 ……傘には骨も皮もある。蛇(じゃ)の目があれば芯もある。人間扱いの何が悪い!



 ※



 私の両親は、誰もが認める碌でなしだった。父親は飲む打つ買うと三拍子揃った駄目人間で、覚えている限り、家計に貢献していた記憶は皆無だ。母親は子供に手を上げなかっただけまだマシかもしれないが、昼間から酒浸りなのには閉口する。旦那が旦那で気持ちは分からないこともないものの、ネグレクトはちょっといただけない。
 そんな夫婦だったから、死んだと聞いた時も大した感慨は湧かなかった。薄情なことに、ほっとしていたのかもしれない。まだ十に満たない頃の記憶には霞みが掛かったかのようで、喪服とも言えない黒い服装の私の手を強く握り締める、姉の体温の熱さだけは覚えている。

 両親に代わって私を可愛がってくれた姉への思慕の情は、親戚の夫婦に引き取られても変わらなかった。彼らは望まぬ形で失った子供の分も私達に愛情を注いでくれたし、十分な勉学の機会を与えて余りあるほど裕福だった。反面教師に恵まれた私は懸命に学業に励み、お陰で他人の倍は飛び級制度を利用できたのだ。姉も本当に自分の望む進路を目指せると喜んでいた。私達は自他共に認める仲の良い姉妹だった。少なくとも、私は絆を感じていた。
 だからこそ解(げ)せない。学校からの家路で、彼女は道草でもしたかのようにあっけなく失踪した。八方手を尽くして得られたのは、姉が事故ないし事件に巻き込まれた可能性は低く、自らの意思で行方を晦(くら)ませた筋が有力だという結論。もしくはその脈絡の無さから、神隠しと揶揄されることもあった。

 もし姉が自分の意思で帰ってこなかったのだとしたら、どうして私を連れて行ってくれなかったのだろう?

 私が感じていた愛情は一方通行なものだったのか。本当は妹のことを疎んじていたのだろうか。私のことは不要だと、お荷物だと判じられてしまったのか。捨てられて、もう顧みられることはないのだろうか。
 当時の私には、杳(よう)として明日のことも分からないように感じられた。こんな後ろ向きなことを思い出してしまったのも、実際私が闇の中に居るからだろう。

「うーむ。真っ直ぐ進んでいたはずなのに」

 既に太陽はとっぷりと暮れ、暗澹たる黒色が風景を塗り潰している。ベルトに提げた小壜型の照明は無いよりマシといった程度で、一転して強気に出た雨がそれ以上に激しくなりつつある風に遊ばれる様子を、銀色に浮かび上がらせている。幻想郷の特性なのか、どうも天気が読み切れない。
 風雨の流れからおおよその地形は把握できているものの、捕食者のことを含めてとても歓迎できる状況ではなかった。私を案内してくれたメイドは、人里なら夜でも明かりが灯っているから問題無いと言っていたが――。
 私の思索は、強い雨音に負けじと張り上げられた着信音に打ち切られる。びくりとして取り出した携帯は黙したまま。私は折り畳み傘を引っ張り出し、耳に押し当てる。

「もしもしー」
「もしもし、こちらメリー。電話なら携帯に繋ぎなさいよ」
「ごめんごめん。やたら波長が捕まえにくくってさ。掛け直す?」
「ううん、――切らないでいて」

 つい癖で悪態をついてしまったが、もう一週間ぶりに友人の声を聞いた気がして、私は心から安堵していた。

「今、何から掛けてるの?」
「安売りのアイスバー。言わないで。食べたくなっちゃったものはしょうがないの」
「お腹周りも牛になってしまえい」
「そんなことよりもさ。さっき天気予報を聞こうと思ってミルクを温めたら、何と19世紀仏蘭西に繋がっちゃって」
「貴方、仏蘭西語喋れたっけ」
「第二言語はエスペラント。だけどボンジュールって言われたから間違いないわ」
「それで? 明日の天気は?」
「ナポレオンは雨だって言ってた」
「ナポレオンが言ったんじゃしょうがないか……」
「哀愁だねぇ。私の回線がテレビ電話にも対応してれば、ボディランゲージで意思疎通ができたのに」

 冗談にもならない話題だが、この友人の場合あながちあり得ないとは言い切れないのだ。彼女の霊能体質は距離や時間の隔たりをものともしないし、場合によっては生死の境だって越えられる。音声情報しか扱えないという制約はあるものの、電話料金が一切掛からない点は素晴らしい。……ナポレオンは流石に冗談だろうけど。

「屋外に居るみたいだけど、メリー、まだ飛んでるんじゃないでしょうね」
「それがちょっと厄介なことになって。貴方、幻想郷って知ってる? オカルト絡みらしいんだけど」
「ゲンソウキョウ? さあ、聞いたことがあるようなないような。あっ! アイスが溶けそうだから切るよー。明日の朝、風邪をひいて遅れないように!」
「待って! そっちから定期的に掛けるようにしてくれない? こっちからじゃ電波が――、あぁ」

 溜息をつき、回線の途切れた折り畳み傘を仕舞う。おっかない人喰いと出会(でくわ)す前に、早く帰り道を見付けなければ。騒霊屋敷や紅魔館の住人のように、ユーモアを理解する者達ばかりだとは限らないし。
 そう思いつつ辺りを眺め渡すと、遠い丘に仄かな明かりが認められた。せめて人家の一軒だけでも建っていてくれるとありがたいのだが――。



 ※



 それは人里などではなかった。人家どころか、人造物さえも見受けられない広大な野原である。にもかかわらず明るく見えたのは、緩やかな斜面に生えた花々の花弁が光り輝いていたからだ。丘全体を覆い尽くす雪白の絨毯。花びらの上で軽やかに跳ね、珠となって滴り落ちる雨の雫は、まるで空からばら撒かれた真珠のようですらある。幻想的な光景に心奪われた私は一時、夜の恐怖を忘れた。

「自然に蓄光するキノコなら文献で見たけど、花びらだけ光る花なんて。遺伝子改造品種でもあるまいし――」

 つい無粋な見地から観察してしまうのは理系の悲しい性か。花を踏まないよう気を付けながら、ゆっくりと降り立つ。
 しゃがみ込んで照明を当ててみれば、植物の形状自体に目立った特徴は見当たらない。どんな条件で光るのか、何故この丘だけに群生しているのか。興味は尽きなかったが、残念ながら植物学は専門外だ。しかも霊的な要素が働いているとすれば、私の手に負える研究課題ではない。
 美しい幻想に魅入られながら、その実態を解明せずには落ち着けない。そんな学究の徒の浅ましさに苦笑しつつ、私はサンプルの採取を止めた。

「本当に奇麗な所ね、ポリー。皆が光る傘を差して夜の街を歩いたら、結構いい線行くんじゃないかしら。問題は撥水性と発光性にどう折り合わせを付けるかだけど――。どっちにしても採算性がねぇ」

 かつては貴族の贅沢品だった雨傘も、今では消耗品に成り下がった。しかも遺失物に占める傘の割合は、群を抜いての第一位だ。雨上がりに放置される傘達の寂しそうなこと。捨てられたペットどころの騒ぎではない。不要になればはいさよならなんて、自分達が同じ目に遭ったらどう思うのだろう。

 ふと辺りを見回してみる。さして期待をしていた訳ではないのだが、私は目を留めてしまった。雨中の花畑に佇む、何者かの人影を。

 それが本当に人の形をしているかどうか、確認するために数秒を要した。伸び放題に伸びた長い髪の毛が身体中に巻き付いて地面にまで伸び、さながら放置された彫像が草木に埋もれてしまっているかのようだ。花々の光量は顔の造形を詳しくするに足りず、辛うじて体形から女性だろうと判別できる。

「何それ、当て付け?」

 怪しいといえば怪しい。触らぬ神に祟りなし。見なかったことにしてこの場を離れるのが得策だとも思うが、私は敢えて声を掛けることにした。濡れるに任せている人物が、一輪の傘を地面に突いていたからだ。

「あの……、差さないんですか? 傘」

 返事は無い。微動だにしない。生きているのも疑わしくなるというか、ある種の芸術作品なのですと言われても納得できそうだ。しかも、草花と一体化することで初めて完成するように設計された。それほどまでに、この人物は周囲の自然と調和していた。
 しかし、たっぷり30秒待っても反応は皆無である。止む無く立ち去ろうと向けた背に、冷水を浴びせ掛けられたかの如き悪寒が這い上った。
 無視して逃げ出そうという気持と逃げても無駄だという直感がせめぎ合い、恐る恐る振り返る。彫像は、うっすらと瞼を開いていた。

「誰……?」
「…………」
「うーん。五月蠅いわねぇ。あ、雨か――」

 女性が身動きをすると、その長い毛髪が肩口でぶちぶちと千切れ、繋がっていた地面へ流れ落ちてゆく。濡れそぼった格子柄の洋服が体の線を露わに透かし、短くなった髪から雫が垂れ落ちることも意に介さず、持ち上げた手の平に雨水を受け止めている。どれくらいそうしていただろうか。つと手を下ろし、こちらの方に向き直った。眠たげな、それでいて底知れない色の瞳に見据えられ、私は総毛立つ。

「何か用?」
「ひぁ?」
「質問には速やかに答えなさい。私の安眠を妨げるくらいだから、きっと切実な理由があるんでしょうね」

 ぼんやりとした表情とは裏腹に、言い知れぬ凄みというか、棘が言葉の裏にある。……この人、めっちゃ怖い。

「その……、雨に濡れ放題でしたから。折角傘を持っていらっしゃるのに――」
「これは日傘(パラソル)よ、雨天に使えないこともないけど。それで、何の用?」
「えと、えと」

 しどろもどろになりつつ、私はなけなしの勇気を振り絞る。

「貴方は――、妖怪ですか?」
「私が妖怪か、ですって?」

 傘を提げた女性は、心外だと言わんばかりに片眉を上げた。

「この私が妖怪でなかったら、他に誰が妖怪を名乗るっていうの。失礼な小娘ね」

 どこか理不尽な物言いだが、私には反論できない。圧倒的な迫力に呑まれ、身動きすら取れずにいるのだ。
 彼我の格の違いを肌で感じる。あの門番が体表に纏っていた不可視の膜に似た力場が、丘全体を覆っていた。半人前の私ですら、その強大さがありありと分かる。と言っても、力は雨を弾くでもなく無為に発散されているように見えた。

「魔力、妖力、霊力、?(き)、それともオーラ。運用のされ方は違っても、本質は同じものよ。全くの節穴って訳じゃなさそうね」

 私の旋毛(つむじ)から爪先まで品定めをするように眺め、妖怪は口を開く。

「名前は?」
「めっ、メリーです」
「ふぅん。“外”の舎密(せいみ)の匂いがするわね。結界が酷く揺らいでいたし、山から吹いてくる妙な風と関係があるのかな――」

 大半は独り言の調子で。口の端が僅かに吊り上がったが、すぐに不敵な表情の下へ沈んだ。

「――それで、メリー。私に大事な話があるんでしょう? 言ってご覧なさい。何の用も無しに私を起こしたなんてことがあったら、肥料にするわよ」
「え、ええええと……」

 幾ら楽天家な私でも、この状況に危機感を覚えずにはいられない。この妖怪の機嫌を損ねることは致命的だ。泣いたり笑ったりしかできなくなるに違いない。壁や天井が無くともここは彼女の宮殿であり、私は招かれざる侵入者だ。

「その、私、迷ってしまったらしいんです。それで、人里の方角を知りたいなと……」
「なぁんだ。道を教えてもらおうと思っただけなのね?」

 妖怪はほんの少し頬を緩め、

「私は『何の用』か訊いたはず。誰が『冗談』並べろって言ったのかしら?」

 怒り出した。

「それじゃあ何? 私は単に道を尋ねられるために、安らかな夢を中断されなきゃいけなかった訳? 自分の面倒も見られない低脳な小娘の尻拭いをさせられるためだけに、ここで延々待機してなきゃいけなかったの? 道端で芋掘ってるお婆ちゃんみたいに!」
「ひぃっ!」

 私は初めて、怒髪が天は突かないまでも、揺らめいている様を目撃した。力場は嵐の如く渦巻き、私を取り囲むかのように凶悪な穂先を揺らしている。もう一押しあればちびってしまいそうだ。涙腺は一足先に決壊中である。痛みとも痺れともつかない感覚にさらされて思考は支離滅裂になり、気を失っていないのが不思議だった。

「道案内しか脳の無い村人か! 私も随分と見縊られたものだわ。この怒りをどこにぶつけたものかしら。ねぇ、手頃なサンドバックを持ち合わせてない?」
「ご、ごめんなさい。飛んでいたら光が見えて、好奇心でっ、そしたら奇麗なお花があって、女の人が傘を持ってい、て」
「それで?」
「見てみたいと思ったんです。ごめんなさい。差した方が似合うと思って。一輪だけ咲いてないなんて……」
「あら、そうだったの」

 一転して穏やかな口調の妖怪、嵐の余韻に怯える私がおっかなびっくり見上げてみると、微笑すら浮かべている。

「貴方、花は好きかしら?」
「は、はい。ごめんなさい。本物の花畑で、浮かれてしまって――」
「私はね、花を愛する人間には優しくあろうと努めているの。逆に、花を蔑(ないがし)ろにする者へ容赦するつもりはないわ」

 濡れて輝く睫毛の下に、嗜虐的な色が輝く。

「足」
「……足?」
「足の裏よ」

 ぎくしゃくと自分の足元を見る。度を越した恐怖のためか、私は知らない間に後退(あとしざ)っていた。一輪の花が無残に踏み潰され、淡い光が消えかけている。

「あ、あ――」
「酷いじゃない。花は咲く場所を選べないのよ。だからこそ精一杯、懸命に実を付けようと咲いているのに」
「違う、です。これは――」
「それを意味もなく踏み躙るなんて。心無い仕打ちだこと」

 絶句するしかない私へ、一歩、妖怪の足が踏み出され、花は器用に道を譲る。いよいよ一巻の終わりかと思ったその時、妖怪が、明るく笑った。

「うふふ、ちょっと脅かしすぎたかしら」
「……っ」
「あんまり思い通りに恐がってくれるものだから、調子に乗っちゃったみたい。寝起きで自制が効かなかったのよ。その花についても、半分は私の責任よね。この程度なら――」

 潰れていた花は見る間に息を吹き返し、純白の光を取り戻す。照らし出されるのは妖怪の優しげな笑みと、半べそで絶句続行中な私の顔。

「“向こう”から来たんじゃ、こっちの常識に疎くても仕方がない。大人げなかったと認めましょう。安心して。私はこれでも淑女で通っているの。その辺の野蛮な妖怪みたいに、出会い頭に人を取って喰ったりしないわ。良い機会だからここでの処世術を教えてあげる。親切稀に見るお姉さんが、無知で無力な女の子に――」

 にっこりと向日葵のような笑顔で妖怪は言った。そして、私は二つのことを悟る。

「――その身体にたっぷりとね。合言葉は、『仏の顔も三度まで』。傘を下ろして、正座なさい」

 一つは彼女の場合、怒り顔よりも笑顔の方が恐いこと。もう一つは、私が稀に見る嗜虐的嗜好の人物に捕まってしまったことだ。



 ※



「――よって、三精四季五行の系統に従わない生態系が、六十より大きい素数の周期で突発的に現れることが説明できるの。分かった?」
「よぉく分かりましたー、幽香先生」

 仮借無く降り注ぐ雨は、結界を失った私の服に冷たく染み透っていた。もっとも、下着までずぶ濡れなのは『先生』も同じだったが。地べたに座らされ、雨に打たれながらの補習授業はなかなか終わりが見えてこない。幻想郷の自然について学ぶことで単位を貰えるなら良いけれど、落とすとしたら命だ。寒さと恐怖に震えながら、私は先生の講義を拝聴する。

「ここで異変時における妖精の異常行動について思い出して。集団行動、酩酊、攻撃性の増加、もう一つは?」
「こ、個性の希薄化、すなわち擬似的な意識の統一と……基礎能力の向上です」
「ああ、二つだったわね」

 私はほっと胸を撫で下ろす。こうして挟まれる講義の内容に関する質問や、雑談の形を取った問い掛けが神経を擦り減らすのだ。選択に失敗すれば落第に一歩近づく。既に一個目の地雷は踏んでしまっているから、仏の顔も三度までという格言を信じるとすれば、残機は二つだ。
 私から数歩離れた位置で、笑顔の妖怪は恐怖講義を続行する。

「異変の規模を表すとされる阿弥の指数は、この妖精の行動を観察することから導き出せるわ。大して役には立たないけど、地脈の分布と併せてより正確な震源地を割り出すために応用できる――」

 ただ、話の中身は至ってまともなものだった。博学多識というか、単純に頭が良い。生徒が絶対に居眠りできない状況を作り出す手腕も特筆すべきだろう。

「――だから博麗大結界にはある程度の柔軟性が確保されている。張り詰めた風船ほど脆いものはないものね。この揺らぎを記述するためには、今で言う量子論的な視座に立たなければいけなかったんだけど――。そうそう、さっき話した妖怪、私が何て肘鉄食らわせてやったと思う?」
「頭(ず)が高いのよ、虫けら以下に這い蹲(つくば)ってなさい、です」

 ともかく、幾つかの基本的な疑問が氷解したのは収穫だった。

 ここ幻想郷は元々人外達の集う土地であり、人間達の手によって封印されたのち、逆に内側から結界を貼り直すことで、妖怪の勢力を保ってきた。幻想の存在は認識のされように左右される。“外”で忘れ去られた概念を“内”に取り込むという裏技めいた設定を施すことによって、マイノリティの楽園を築き上げたのだ。外界で幻想が失われるに従ってこの郷には幻想を肯定する者ばかりが集まるようになり、その事実がより一層内外の境界を補強する。原理はさっぱりだが、聞くほどに思い切ったシステムだ。

 道理で郷愁が感じられる訳である。私のような素直に科学文明を享受できない人間にとっては、まさしく理想郷だろう。同じように境界の解(ほつ)れから迷い込んだ人間が、そのまま居着いてしまうことも少なくないという……。

「向こうではまだビニールハウスが使われているの?」
「え? ええ、促成栽培のことでしたら」

 生花と造花の区別がつかなくなってしまった現在でも、本物に対する需要は根強く残っている。恐らく、完全に無くなることも無いだろう。

「外のことにもお詳しいんですね」
「花はどこにだって咲いているじゃない。黙って見ていれば、人間も随分と好き勝手しているわね。自然に生きている者達を自分等の都合の良いように交配させて、去勢して。挙句の果てには遺伝子まで弄り回す。貴方が花の立場だったら、文句の一つも突き付けたくならない?」

 またQ&Aのお時間だ。しかも今回はかなり難易度が高い。見上げる幽香先生は、聖母の如き柔和な笑みを浮かべていて、正直不気味ですらあった。
 これまで散々いびられてきた経験からして、彼女は安易なお追従を好まない傾向にある。ここは敢えて裏をかくべきか。人間の傘下に入ることによって、植物は種の存続と繁栄を約束されたとの見方もある。その意味で米や麦は勝ち組であろう。しかしこれを端的に述べても、先の非人道的云々の言い分で切って捨てられる可能性は捨てられない。逆もまた同様、挟み撃ちの格好だ。ここはどう誤魔化そう?

 私は一拍呼吸を置いた。単位が懸かった学期末の口頭試問でも、ここまで緊張はしなかっただろう。

「もしかしたら、幾分同情的かもしれませんよ」
「どういう意味?」
「人間だって似たようなものでしょう? 計画的に種が蒔かれ、温室で成長を管理され。ある者はその過程で間引かれ、またある者は出荷先で淘汰され。結局、最後には土に還る。花が咲く場所を選べないように、人も生まれ落ちる親を選べません」

 可愛らしく片手を頬に添えていた妖怪は、しばしし考え込んだのち、無言で一歩を踏み出した。

「――何か、気に触るようなことを」
「間違いを正すとすれば、そもそも花は口を利かない」
「そんな屁理屈、いえ、花だって、語りますもの」
「貴方は聞いたことがあるの? 植物がお喋りしているところを。必死に訴えている様を。もし植物が言葉なんて余計なものを必要とする時が来たら、それは無言の意思を汲み取れない人間側の怠慢よ。その意味じゃ擬人化って、傲慢の最もたるものよね?」

 私は雨傘の把手を強く握り締める。自らの指を撫でるように唇を這わせ、妖怪は言った。そしてさらにもう一歩。

「ああ、伝え忘れていたことがあったわ。私は別に仏様じゃないし」
「解りました、鬼畜ですね!?」

 光る花々が整列してできた道を、幽香は極めてゆっくりとした足取りで近付いて来る。

「そろそろ先生ごっこにも飽きちゃった。次は、何して遊ぼうかしら」

 彼女の微笑には一切の怒気や威圧感が感じられず、それが逆に酷薄に映る。急転した事態に心臓は早鐘を打ち、選択肢すら見出せずにいた。

「貴方が言うことは尤もよ。花が居場所を選べないように、人は生きる場所を選べない。だけど死に場所だけは選べると思っている。……愚かにも、ね」

 草花を引き千切らんと吹き荒れる風に、大粒の雨が俯いた私の頬を打つ。これ以上雨は激しくなろうというのか。内側の熱さと外側の冷たさに心身が乖離したかのようで、根が生えたかの如く立ち上がることが叶わなかった。視界の上端に妖怪の足首が映り、もう駄目かと観念したその時である。

「てぇいやーっ!」

 第三者の奇声が、出し抜けに上空から降ってきた。驚いて顔を上げれば、唐傘を担いだ見覚えのある少女の下駄が、妖怪の顔面に直撃している。暗くてはっきりとは見て取れないが――いや、下駄は今一歩及ばず、妖怪の手の平に受け止められていた。唐傘の少女が大声で叫ぶ。

「ほら! とっとと逃げる!」

 一旦呆気に取られたからだろう、呪縛が解けていたのはいいが、正座で足が痺れていたことを失念したまま立とうとしてつんのめりかけ、雨傘を杖に何とか直立する。少女の短い悲鳴が上がり、妖怪が嗤った。

「待たせてごめんなさい。小蠅が飛び込んできちゃったみたいで」

 傘を持ち上げようとして、その身に緑色の髪の毛が巻き付き、地面に捕えられていることを知る。どんなに力を込めたところで千切れる気配は無かった。手錠を外して逃げようとは思わない。ポリーは、私の半身だ。

「花が咲く場所を選べないように、傘は持ち主を選べない。咲けるかどうかがお天気任せというのも、おんなじね」

 何とか髪の毛を毟り取ろうとしているところで、額を蹴られて仰向けに倒れる。月も星も見えない雨空を背景に、妖怪はパラソルの石突を私へ突き付けていた。

「……何て顔をしてるのよ。貴方が思っているような無粋なことを、よりにもよってする訳ないでしょう。少なくとも――、この花畑には似合わない」

 激痛と共に意識が途切れる直前、幽香の表情が見えたような気がした。嘲笑うような呆れるような、花の光では見分けられない、決まり悪げな感情が。







 5.降れる竹林、旧(ふ)らぬ姫君 〜 Invisionary Visibility







 ……科学を修めるにおいて、自分がどんなスケールで事象を観察しているのか常に念頭に置いておくことが重要だ。人の五感で捉えられる程度か、電子や素粒子の振る舞いか、それとも壮大なる天体の動静か。ミクロの視点かマクロの視点かで、世界の法則は大きく変わってくる。
 永遠が存在するとすれば、それは無限大のスケールを有する。果たして、そこに価値などあるのだろうか? そこで変化は引き延ばされて意味を失くし、あらゆる特徴は鈍化する。超高速再生される映像の何も伝えることができず、コマ送りされれば退屈なだけのように。定命の私達にしてみれば、観測しようとするだけ無駄だ。雨はいずれ上がり、例外無く器物は朽ちる。
 つまり、愚かしいのは永遠の実現性などではなく、永遠を求める者が後を絶たないことなのだ。



 ※



 二度目ともなれば多少は慣れるもので、私は横になったまま周囲の様子を窺っていた。雨垂れと、遠く潮騒のような音が聞こえる。どうやら座敷に蒲団が敷かれているらしく、特筆すべきところも無ければ鼻につく箇所も見当たらない、良い意味で素朴な和室だった。掛け軸と切り花が飾られた床の間、和紙の張られた押し入れ。腰付障子からぼんやりと漏れた光が、畳へ格子の模様を落としている。戸の向こうは廊下になっているらしい。波がうねる響きに混じって、誰かの足音が近付いてきた。

「そろそろ、目が覚めたかしら」

 顔を出したのは、豊かな銀の髪を一本に編んだナース風の女性だった。ナース風と言っても白衣の天使ではなく、正中線で割られた左右に赤と紺を配する斬新なデザインで、星座を象(かたど)ったアクセントが似合っている。いずれにせよ、微かに香る薬品臭と医療従事者に通じる視線の走らせ方は間違えようがなかった。
 私が口を開くより早く、女性は告げる。

「ここは迷いの竹林に在る永遠亭。私は薬師の八意永琳よ。弟子には調薬に必要な素材を採集に行かせてたんだけど、まさか生き倒れの人間まで拾ってくるとは思わなかったわ」

 質問を先回りされて黙る私に、薬師は続けた。揺るぎないはきはきとした声に、深い知性を湛えた両の瞳。まさしく先生という肩書が相応しい。

「悪いけど、勝手に鞄の中を検(あらた)めさせてもらったわ。えっと――」
「メリー、そう呼んで下さい」

 本名を発音される前に、私は慌てて口を挟んだ。掛け蒲団の中で体をもぞもぞと動かす。下着から着替えさせられているようで、上着には簡素に羽織るだけの病人着程度。

「その、荷物はどこに?」
「鞄以外には、傘と帽子が落ちていただけらしいけど。手錠は邪魔だったから外したわ。服も汚れているみたいだから、簡単に手入れをね」
「今、どこにあるんです?」
「あら、急に運動しちゃ駄目よ。かなり消耗していたんだから。ちゃんと別所に保管してあるわ。少し待ってて」

 言われてみれば身体がだるいような気もして、私は大人しく従った。程無くして戻って来た永琳がお盆しか抱えていなかったのには、少々落胆したが。

「これは?」
「薬湯よ。ちょっと味はきついけど、我慢して飲みなさい」

 よく線が細いと形容される見た目に反して私は健康優良児、今時珍しい頑健な体質で(周囲は何かにつけて幸薄い深窓の少女に仕立て上げようとするが、彼らの努力は軒並み頓挫してきた)、風邪は一度もひいたことがない。かといって、この場を飲まずに切り抜けるのは難しそうだ。上半身を起こし、蒲団の横に座った薬師から湯呑みを受け取る。匂いもまた遠慮したくなる域だったが、深く考える前に思い切って飲み干す。

「うえぇぇう」

 苦い。苦過ぎる。これで良薬じゃなかったら訴えられていいレベルだ。苦渋に歪む私の表情に、初めて永琳が微笑を見せた。お前もか。

「味の分、効き目は確かなのよ」
「そう願いたいものです。しかし、何から何までお世話になってしまっているようですが――」
「慈善事業じゃないから、お代はきちんと頂くわ。メリー、貴方は“外”から来た人間でしょう?」
「はい、まあ」
「その経緯について詳しく話して貰えないかしら。ここで目が覚めるまでの話を。できれば、貴方自身が感じたことも含めてね。それが私の要求するお代よ」

 私は考える素振りを見せる。どうやら、冗談や気紛れで言っている訳ではないらしい

「……色々と記憶違いがあると思います。正直に話したくない部分もあるし、場面によっては恣意的に脚色されるでしょう。それでも構わないと仰るならば」
「ええ、元々全てを鵜呑みにするつもりは無いわ。参考にさせてもらうだけだから」

 了承を得た上で、簡単な自己紹介から始めて語り出した。前置き通り口を濁したり誤魔化したりした箇所もあったが、そこはあちらで適当に補完されるだろう。彼女は真剣に私の話を聞き、適宜質問を挟んできた。特に、“外”の世界の風習や科学技術については、本筋に関係が無い事柄でも高い関心を示していたようだ。
 話していてすぐに分かったことだが、この女性は極めて篤学かつ、これまでに師事した誰よりも頭脳明晰である。話題が逸れに逸れて私の専門分野に及んだ時も、用語さえ飲み込んでしまえば後の理解に澱みはなかった。私は教科書を総浚(そうざら)えさせられるかと思ったほどで、また、彼女が講師ならどんなに良かったろうとも考えた。答えられる疑問より答えられない疑問が多くなってきたところで、永琳は話を切る。

「ああ、脱線してしまったわね。話柄を戻しましょう」

 時折休憩させてもらいつつ語り続ける。花畑で妖怪に遭遇した件(くだり)に差し掛かると、聞き手はわざとらしく眉を顰める。

「風見幽香といえば、アレでしょう? よくもまあ五体満足で済んだものね」
「トラウマはしっかり植え付けられましたけど。講義中に居眠りできない体質になったらどうしましょう」
「はん。アレが教師気取りとは片腹痛いわ」
「結構様(さま)になっていましたよ? どちらかといえば鬼教官でしょうか。まだ額がひりひりする気がします……」

 そういえば、忘れない内に訊いておかねばならないことがあった。

「私を見付けていただいた時、他に誰か居ませんでした?」
「さて、何も聞いていないわ。アレがまだその場に居たとしたら、あの子は一目散に逃げ出していたでしょうし」
「アレな先生の方ではなく、唐傘を担いだ女の子です。細部まで確認できた訳ではありませんが、雲の中で見た子と同じ背格好でした」
「うーん、心当たりは無いわ。貴方を助けに入ったようにも受け取れるけど」
「日頃の行いが良かったんでしょうか。あ、件のお弟子さんはどちらに?」
「もう一度採りに遣らせたわ」
「……今頃遭遇してたりして」
「帰ってこなかったら、所詮それまでの人材よ」

 突き離すような言い草とは裏腹に永琳は優しく肩を竦め、廊下の方を振り返った。薄日を透かす障子紙に、何者かの影が映り込んでいる。

「永琳、ちょっといい?」
「ん? 何かしら」
「イナバがね、お鍋の底が抜けてたって。今使えそうなのを探しているけど、朝食は遅くなりそうらしいわ」
「まあ。そんな伝言、他の者に任せておけばいいのに」
「みんな、伝えた自分が怒られちゃうと思っているのよ。イナバも行方不明だし」
「どのイナバが?」
「一等(いっとう)悪戯なイナバ」

 影絵からも、面白がっている気配が伝わって来た。受け答えする薬師の言葉には、隠しきれない親しみが滲んでいる。余程懇(ねんご)ろな仲と見た。

「貴方が話しているのはどんなイナバ?」
「なかなか耳寄りなイナバよ」
「私には紹介してくれないんだ」
「改めて、ね。――姫様は何を?」
「暇だから、お散歩」
「……無闇に出歩いたりしないで下さいよ」

 気遣わしげな永琳の声にはすぐに答えず、『姫様』はその場で向きを変えた。

「不自然な風、いえ、不穏な風というべきかしら。私の耳にだって聞こえるわ。謀り事をする神楽の音(ね)が」
「心配はいらないわ。ここに累が及ぶようなことは、この私がさせやしませんから」
「永琳こそ、過ぎた心配は体に毒よ? 必要なのは、嵐の夜を楽しむ心構え。心の弦のしなやかさ」

 気楽な調子の影絵に、薬師はやや声を固くする。

「――今、てゐが探りを入れているわ。事情がはっきりするまで、身の回りには気を付けて」
「ええ、文字通り、肝に銘じておきましょう」

 最後まで顔を見せないまま、シルエットは廊下を通り過ぎていった。永琳もお盆を携え、部屋を後にしようとする。

「まだ体調も万全とはいえないでしょうし、勝手に出歩かないように。医者として、患者の不養生は見過ごせないわ」
「分かりました。先生、最後に一つだけ質問が」

 呼び止められ、永琳は少し咎めるような目付きを返した。

「私は貴方の師ではない。何かしら?」
「お手洗いの場所をご教授願えると、大変ありがたいのですが」



 ※



 下(しも)の用に関しても貴重な発見と体験があったが、わざわざ詳らかにすることもあるまい。ひんやりとした床板を足裏に感じつつ、私は思索に耽る。他に爪も牙も無いのだから仕方が無い。
 永琳との対談は、これまでの出来事を整理するためにとても役立った。異世界に放り出されて情報過多に麻痺していた頭も、ようやく熱を冷ましつつあるようだ。

 部屋へと戻る廊下は屋外に面していた。細い雨が未だに降り続いている。潮騒の正体は、屋敷を囲む竹林が風に嬲られる音だったようだ。無数に立ち並ぶ碧緑の筒、それらが線となり面となるまで林に果ては無く、さながら無限に広がっているようだ。その中に建つ和風の邸宅は、千年の昔から変わらず佇んでいるかのような趣を木目に帯びている。歌に聞く碧殿の静謐へ、竹の波音が寄せては返す。

「住んでる所からして一筋縄ではいかない人達だよねぇ。どうしたものか」

 二三、気になることがある。第一の疑問は、永琳の興味の表し方だ。私のような不良から見ても、彼女は疑いようの無い天才であり、わざわざ大学生程度の専門知識を欲するとは思えない。あれはむしろ、私がどれだけのことを知っているか試していただけのような気がする。それとも、“外”の人間の程度を測っているとか。試問とは別に、外界の技術に関心を払っていることもまた伝わって来たが。
 光線の角度からして、時刻は早朝か。携帯が使えれば早いのに。第二の疑問はどうして私から荷物を遠ざけているのかだ。様々なケースが考えられるが、どれも今一ピンと来ない。そうこう考えている内に部屋へと辿り着く。
 朝の空気は少しばかり肌寒く、私はそそくさと蒲団へ潜り込んだ。服や荷物を置いて立ち去る訳にもゆくまい。あの薬師が、本当に裏の無い善人だという可能性も一応ある。ナポレオンの予言が外れないかどうかが気掛かりだ。

 ――と、突然耳元で大音量が発せられ、私は飛び起きる。

「もしもしー、チャーシューラーメンの出前一丁」
「定休日だよ、食いしん坊さん」
「つれないわねぇ、冗談よ。ただのモーニングコールです。メリー、下手したらお昼まで寝てることもあるじゃない」
「だからって枕に直接掛けてこないで。寿命が縮むわ」
「それより、昨晩はどうして電話に出なかったの? 自分が掛けろって言ったんじゃない」
「午後の講義をサボったツケを支払っていたのよ。……そうだ、ちょっと私の携帯に掛けてみてくれない?」
「今すぐ? でもどうして――」
「説明すると長くなる。ここは心友を助けると思って!」

 通話を終えて数分後、聞き慣れた着信メロディが幽かに聞こえてきた。廊下と反対側にある押し入れの中からだ。襖を開けてみるも中はがらんとしていて、電子音はさらに奥の方でくぐもっている。試行錯誤もそこそこに壁板を外す方法を探り当てれば、人一人なら潜り抜けられそうな穴が続いていた。ここまできて躊躇っていられるものか。
 隠し通路はかなり狭かったが、小柄な体形が幸いした。想像していたような嫌な匂いや息苦しさは感じない。換気については配慮されているらしい。手探りで暗闇を進むと、どうやら広い部屋に出たようだ。着信音を頼りにその源を探すには、大して苦労しなかった。

「もしもし――」
「あ、メリー? 見付かったみたいね。悪いけどもう箸を置くわ。麺が伸びちゃいそうなの」
「朝から何を食ってるんだか。でも助かった。これで早めに家を出られそうよ」

 携帯の画面を光源として周囲を調べてみる。元来は緊急時の避難場所だったのかもしれないが、今は只の物置らしい。欠けた食器や古びた衣類、変色した紙束等が詰め込まれた箱が、雑多に積み上げられて今にも崩れ落ちそうだ。鍵の掛かっていない扁平な手持ち鞄には、薬品の壜が並んでいたり、干乾びた植物が半ば朽ちていたり。空の花瓶の中には蜘蛛の死骸。誰かが休憩に使ったのだろうか、部屋の四半分を占めるテーブルの上には、点数をメモしたと思しき紙片と盤上遊戯の駒が転がっている。私の鞄はその隣に置かれていた。ご丁寧に、ベルトに提げていた折り畳み傘や照明壜も一緒だ。

「でも、何故こんな所に置かれてなくちゃいけないの?」

 私から隠しておくだけなら、もっとありふれた場所でも構わないはず。穿った見方をするなら、誰か私以外の人物の目に留まらないようにしたかったとか。その場合、ここに訪れる人物と訪れない人物の違いは何だろう?
 壜のスイッチを入れると、部屋全体が明るく照らし出された。私が入って来た箇所以外にも出入り口はあるようだ。問題は、幾ら呼んでも探しても愛用の傘が出て来ないこと。部屋の物を粗方ひっくり返す行為が徒労に終わり、くたびれて床に座り込む。
 途端、何者かの鳴き声が倉庫に響いた。何のことはない、自身の腹の虫が空腹を訴えたのだ。思えば、プリズムリバー邸で御馳走になって以来である。誰にともなく赤面し、私は鞄を漁った。小さめの魔法瓶と携帯用の非常食。後者は一本で一日分の栄養素を補給できると謳う製品で、前者は麦茶の出涸らしである。

「腹が減ってはサバイバルもできぬ。いただきます、と」

 侘しい朝食ではあったが、食事中はどうしても気が緩む。無心にもぐもぐしていたためか、私はそれの接近に気付かなかった。膝元で目があった時には、心臓が止まるかと思ったくらいである。

「う、うさぎさん!?」

 兎。ウサギ目ウサギ科の草食動物である。白い毛並みに真っ赤な瞳。丸い尻尾に長い耳。動物園でなら見たこともあるが、残念ながらフェンス越しだった。これはかつてない接近遭遇である。

「うさぎさん! うさぎさんだ!」

 あまりの愛くるしさに我を忘れて手を伸ばすも、ひょいと躱されてしまう。いかん、冷静になるのだメリー。事を急(せ)いて嫌われてしまえば元も子もない。私は食べかけの朝食を差し出し、優しい声音を作る。

「どうぞ、食べませんか? 見た目の割に美味しいですよ〜」
「いや、結構だ」
「断られた!?」

 しかも無駄にダンディなヴォイスである。おじ様か。おじ様なのか。

「私は菜食主義者なんだ。気持ちだけいただいておくよ」
「聞いてませんし。大体、どうして喋ってるんですか。誰の許可を得たんですか」
「どうして言葉が必要とされるのか。秋の夜長にぴったりな命題だね」

 すっくと後ろ足で立ち上がり、前足を組んでテーブルの脚にもたれかかる生兎。イメージだだ崩れだが、ちょっと惚れそうだ。

「君は確か、昨晩鈴仙の手で担ぎ込まれた娘だったな。一体全体どうしてこんな場所に? 散策していて迷い込める所ではあるまい」
「穴があったら入りたいお年頃なの。うさぎさんこそ、どんな約束に遅れそうなのかしら」
「掃除をサボっている同僚が居ないかどうか見回りに、とでも言っておこう」

 そう言って、兎はぽりぽりと耳を掻く。

「君こそ、勝手に抜け出したりしたら八意様が良い顔をしないんじゃないかい」
「あそこに居たら、いつまでも出られなくなってしまうような気がして。お蒲団とは優秀なトラップですね」

 最後の一欠片を口に放り込み、私は問うた。

「ところで親切なうさぎさん、私の傘を知りませんか?」
「童謡には明るくないんだ」
「文字通りの意味です。あれが手元にないと落ち着かなくって。抱いて寝ることもあるんですよ」
「残念だが力になれそうにないな。傘の所在といえば……。ふむ、しばし待っていてくれ」

 そう断って、兎はすたすたと歩み去って行った。水筒のお茶を口に含みながら、ここの世界観について見直すことにする。妖精や魔法使いが跋扈する幻想郷ならば動物が喋りだしたっておかしくはないが、せめてもう少しメルヘンチックであってほしいと願うのは我儘だろうか。何だって世間の酸いも甘いも噛み分けた中年の声じゃなきゃならんのだ。乙女に対する嫌がらせかしら。

「おい。こいつは君のだろう?」
「まあ、ありがたや!」

 兎が多少よろめきつつ持って来てくれたのは、私が身に付けていた衣服もろもろだった。ありがたいことに汚れが奇麗に落ちている上、アイロンまで掛けられているようだ。

「良い仕事してますねぇ」
「大半の連中は毛皮暮らしだが、姫様は大変な衣装持ちでね。その手の仕事には専門家が居るのさ」
「気になっていたのですが、姫様とは?」
「姫様は姫様だ。うちで一番偉い」
「あの薬師さんよりも?」

 兎は耳を伏せ、人間ならば苦笑と呼ぶべきであろう表情を作った。

「それで、私は貴方に何を支払えばいいのでしょうか?」
「親切でやったことだ。……どことなく、娘に似ていると思ってね。ああ、この帽子も君の物かい? 綺麗な花飾りだ」
「でしょう? 私が手ずから縫ったものなんです。本体は既製品ですが」
「だろうな。服の選び方も帽子に合わせている」

 これは空飛ぶ日の通り衣装みたいなものだ。一度受け取った帽子を、兎の頭に被せてみる。

「兎の娘と言われても正直複雑です。着替えたいので、それは被ったままにして下さいね」
「餓鬼の衣替えじゃあ目の保養にもならないさ」
「失礼な!」

 すっぽりと頭部を覆う帽子の鍔を小突き、私は着替えを始めた。以下、暇潰しの会話である。

「ねぇ、あの薬師さんって何者なんでしょう? 助けてもらっておいて何ですが、かなり怪しいです」
「私も詳しくは知らない。そうだな、元々この竹林にはてゐ様を長老に――。ごほん。長(おさ)として妖怪兎達が暮らしていた。そこへ逃げ込んできたのが姫様とお付きの八意様だよ。てゐ様は他の兎達へ知恵を授けることを条件に、お二人を匿うことにしたらしい。追っ手に怯える暮らしも今は昔だが」
「ふうん、訳有りなんですね。定番だと、犯罪か何かに巻き込まれたのでしょうか」
「追っ手は姫様の故郷の者達だったらしい。さる高貴な家柄のご出身だそうだ」
「では、駆け落ちという奴でしょうか。二人きりの逃避行なんてロマンチックです」
「若い女子(おなご)はすぐに適当な話をでっち上げる……」
「終わりました。どうぞ帽子を取っていただいて結構ですよ」
「ん? 早かったな、――うおっ!」

 驚いて引っ繰り返った兎に、私は舌を出してみせる。

「あら、刺激が強すぎました?」
「全く、大人をからかうもんじゃない」
「ふふ。駆け落ちでないのならば、お二人はどういった間柄なんでしょうか?」
「元は教育係と教え子のような関係だったと聞いたことがある。今のところ、対外的には主人と従者という立場を通しているようだが――」
「言葉よりも仲が良さそうに見えました。最初はてっきり姉妹かと」
「しまい? 女兄弟の?」
「障子越しですが、似たような雰囲気を感じました。今思えば、家柄というものかもしれませんけれど」
「どちらが姉だと思うかな?」
「永琳さん、ですね。いかにも大人の女性という感じ。私もあやかりたいです」
「それはおっかない。ああ見えて弟子にはとことん厳しいお人だ」
「……胸の話です」
「ああ、懐の深さの話しか」
「貴方、良い兎ですね!」
「おや、今頃気付いたのか。まあ実質的に永遠亭を切り盛りしているのは八意様だ。それが姫様に首っ丈なご様子だから、上手くバランスが取れているんだろう」
「言われてみれば、少し過保護めいていたような気もします」
「ここだけの話、あの方の姫様に対する愛情は医者の不養生だ。一人きりの時なんか、姫様の抱き枕に延々と愛を囁いていらっしゃったくらいだからな」
「クールなあの人の意外な側面、知りたくもありませんでした!」
「たまたまその現場を目撃してしまったせいで、私はこんな姿に変えられてしまったんだ……」
「驚愕の新事実をあっさりばらさないで下さい! あーあ、ようやく真人間に巡り合えたと思ったのに。永琳さんもあっち側のデンジャラスパーソンだったなんて」
「服装で、気付け」
「薄々感じてはいました。でもセンスは良いと思います」

 着替えを終えた私は、改めて帽子を受け取った。今の話を真に受けた訳でもないが、あの薬師が外面だけの人物でないことは、私にも察せられる。

「本当に脱走する気かい?」
「ええ、ぐずぐずしている内に兎にされてしまっては困りますから。雨もいつまで続くか心配ですし」
「迷いと名に負う通り、案内も無しに竹林を抜けるというのは無謀だぞ」
「空を飛べればその限りではないでしょう? 何はともあれ、傘を取り戻すことが先決ですね」
「先に言っておくが、私に期待はしないでくれよ。これ以上は背信行為だ。精々、見て見ぬ振りをするくらいかな」

 そう呟くが早いが、兎はこちらに背を向けて歩きだした。出口の一つへ向かう背に自分も続く。アンテナのように回り傾く長い耳が袋小路に辿り着いたので、私は照明のスイッチを消した。
 忍者屋敷御用達のどんでん返しを抜けた先は、私が目を覚ました部屋と似た造りの座敷だった。障子戸に手を掛け、兎は言う。

「私としては、八意様の言い付けに従っておいて間違いはないと思うのだがね。ま、好きにするといい」
「ありがとうございました。お礼にちゅーして差し上げましょうか? 元の姿に戻れるかもしれませんよ」
「よしてくれ。兎も案外悪い身の振り方じゃないさ。べっぴんの奥さんと一緒になれて、可愛い子供達にも恵まれた」
「あ、結局娘さんもうさぎさんなんですね」
「ははは。こんな柄じゃないのは承知の上だが……、幸運を祈っているよ」

 気障に言い残して廊下に出た兎。気配も無く伸びてきた手が、その身体を抱き上げる。

「へぇ、いつの間にかこんなに仲良くなっちゃって」

 聞き覚えがある声の少女だ。艶やかに流れる長々しい黒髪。煌めかんばかりな真珠の如き玉の肌。絶世の二文字が似合う美貌の持ち主は、高貴な印象を裏切って親しげな微笑を浮かべていた。――そんなことより抱っこが羨ましいな!

「その小動物は危険です! 早くこっちに渡して下さい!」
「あ、そうなの? ――きゃっ」

 腕の中でじたばたと暴れる兎。驚いて力が抜けた隙に床へと逃れ、脇目も振らず竹林へと走り去ってしまう。

「あー、行っちゃった」
「行っちゃったわね。どうしてかしら?」
「恥ずかしかったんじゃないですか?」
「かも、ねぇ」

 私と少女は顔を見合わせ、二人して首を傾げた。

「えーと、『姫様』?」
「ひめさまひめさま。貴方、永琳と話をしていた子でしょう」
「あっ、メリーと申します」
「意外な所で遭遇したわね。寝ていなくていいの?」
「それはその、お手洗いにと」

 お姫様はしげしげと私の顔を観察している。整いすぎた容貌と見詰め合うことになり、気恥ずかしいやら気後れするやら。と、半ば袖に隠された手がいきなり私の肩に伸びる。

「な、何か――」
「動かないで。手元が狂うわ」

 少女は、何かを摘んで引き抜くような仕草をみせた。途端に鋭い痛みが走り、私は危うく膝を折りそうにになる。

「……何を?」
「肉の芽を少々」
「肉の芽ぇ!?」
「嘘。ちょっと“糸”が付いていたから。きっとどこかの子供の悪戯だわ」

 そう述べる彼女の指には、目に見える糸は摘まれていなかった。ふっと手に息を吹き掛けてみせ、何事も無かったかのように歩きだす。私についての興味を失ったのか、それとも食い下がられることを確信していた所作だ。

「ど、どうもありがとう」
「良いってことよー。ついでに言うと、お手洗いはこっちじゃないわ」
「その、私の傘の在処をご存じありませんか」
「傘……。知らないこともないけど」
「教えていただけます?」
「別に良いわよ。ただし、一つ条件がある」

 そらきた、と身構える私に対し、お姫様はにやりと笑った。

「私もお手洗いに行きたいの。連れ立ってはくれないかしらね」



 ※



 迷いの竹林がそう呼ばれている理由は、例のスパルタ講義で予習済みだ。目印となるような物も無く、竹の成長が早い上に斜めに生えてみたり、地面そのものが微妙に傾いていたりするので感覚が狂い易いのだという。しかも人間に有害な鳥獣が多数生息しているという話だが、少女は、すいすいと立ち並ぶ瀟碧(しょうへき)の間を縫ってゆく。振り返れば、屋敷はほぼ林に埋もれつつあった。

「良かったんですか。断りも無しに」
「それなら大丈夫よ」

 風に揺らされる黒髪を押さえながら、お姫様は微笑む。

「永琳ってね、時々凄く鈍感なの。それとも灯台もと暗しなのかしら。この風、少し似ているわ。わくわくして居ても立っても居られないような思い付きをして、どうしてそれが今すぐ現実にならないんだろうって苛立っている時の彼女に」
「は、はぁ」
「いざとなったら貴方が言葉巧みに連れ出したことにするし」
「それは酷い」

 しかし、見れば見るほど美しい女性である。同性の私でも惚れ惚れとしてしまうほどだ。特にその黒髪。絹の如きとの形容を通り越して、あらゆる色の宝石や珊瑚をで繰り返し染め上げたよう、とでも言えば分かってもらえるだろうか。まるで黒く発光しているかのようだ。加えて面(おもて)の造形といい、手先の色艶といい、世の芸術家達が涎を垂らして喜びそうな出来栄えである。

「どうしたの? 黙り込んじゃって」
「ああ……、つい見蕩れてしまっていました」
「それじゃ責める訳にはいかないわね。世界広しと言えど、私の美しさほども罪作りなものはそうそう見当たらないわ」

 彼女が茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせたため、私は危うく苦笑しそびれるところだった。

「ええと、姫様?」
「蓬莱山輝夜。輝夜でいいわ」
「かぐや?」

 かぐやで姫といえば、真っ先に思い浮かぶのが竹取物語だ。確かにこの容姿なら、男達の求婚が後を絶たなかったことも頷ける。もっとも、五人の貴族を袖にした挙句時の帝すら振ってしまった当の本人は、故郷の月の都へ帰ってしまったが。

「では、輝夜さん。私に何をお求めですか?」
「禁じられていることって、つい試してみたくならない?」
「……もしかして、私に会うことを止められていたとか」
「もう子供じゃないんだし、過保護も過ぎると思うけど。何を吹きこまれるか分かったものじゃないと思われたのかもしれないわね。私達って、外界の事情については一歩遅れてるから。永琳、きっと貴方から絞り取れるだけ絞り取るつもりよ。でも私は、“外”について尋ねようとは思わない。……貴方、意外と普通に人間さんなのね」
「それは、貴方方と比べれば。――ひや」

 二の腕に冷たい不意打ちを受け、私は思わず変な声を漏らした。
 細い雨は旺盛に茂る笹の葉に受け止められ、大きな雫となって垂れ落ちている。私は鞄を帽子の上に押さえて雨除けにしているが(手持ちの折り畳み傘は、一度開いてしまうと畳むのが非常に煩雑なのだ)、輝夜は傘を差していないにもかかわらず、例によって服を濡らしてはいない。姫の貫録と称するべきか、水玉は最初から彼女の居る場所に落ちようとはしないのだ。ついでにいえば、土に引き摺るはずの長い着物の裾もごく低空を滑っていた。どうせまた変人奇人の類だとは思っていたのだが。これまでに幻想郷で出会った異能者達に比べれば、私の『空を飛ぶ程度の能力』など安手品のようなものだろう。

「この程度の弾幕にてこずっているようじゃ、先々やっていけないわよ」
「弾幕?」
「……そっか、てっきり“外”でも流行っているのかと思っていたわ」

 呟いて、お姫様は“弾幕ごっこ”の概要を説明してくれた。

「……つまりは、ルールを決めるためのルールが取り決められているいといった程度ね。細かい縛りや禁じ手は当事者間の話し合いというか、ぶっちゃけその場のノリで決められるわ」
「多対多や多対一の場合は?」
「そこに納得があるのなら、千対一でも反則じゃない。道具や奴隷を用いてもいいし、不意打ちや騙し討ちも結構よ。どちらかといえば、勝敗より個性を重んじる傾向にあるわ」
「体力気力が尽きるか、用意していた技が全て破られれば決着と。物騒に思えますけど、そんなに流行っているんですか?」
「挨拶代わりのコミュニケーションであり、娯楽としてのスポーツであり、便利な決闘のツールよ。人と妖が対等に付き合うためのね」
「輝夜さんは得意?」
「嗜む程度。貴方も一枚くらいスペルカードを編んでおいた方が良いかもしれないわ」
「私にはとてもとても」
「極端な話、石礫を拾って投げるだけでも弾幕足り得るのよ」

 私は、風見幽香に石ころを以て挑む様を想像してみる。

「ご飯三杯は軽く死ねますね!」
「妖精を追い払うのが関の山でしょうよ。でも、心構えが有るのと無いのとでは大違い」

 黒髪と着物の裾を翻し、輝夜は後ろ向きに滑り始めた。

「貴方、この郷で暮らすつもりはないの?」
「……はて」
「検討するだけの価値はあるんじゃないかしら。上手くやっていくだけの素質はありそうだし、専門知識を備えた人間は里でも重宝されるわ。何より、貴方自身がこの土地に惹かれている」

 少女の瞳は、思慮深い薬師の目とは別の角度から私の内面を見透かしていた。
 魅力を感じていないといえば嘘になる。ここにはふんだんに本物があった。本物の自然に本物の食事。本物の残酷さ、本物の関係性。人々が滑り台と砂場に忘れてきてしまったものが、幻想郷にはある。

「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは――残酷な話だこと。全く以て」
「あ……」

 輝夜の肩越しに、私は奇妙な光景を見出していた。足に縄を結ばれた一匹の兎(先程の彼とは違う個体のようだ)が、竹の先から縄で宙吊りにされている。

「ああ、竹のしなりを利用した罠ね。単なる愉快犯でしょうけど」
「可哀想に! 自衛隊を派遣して救出するべきです」
「放っておいていいわ。見た感じ古いものだし、その内適当に抜け出せるわよ」
「そんな悠長な――」

 お姫様がおっとりとするそばから、縄の一部に綻びが生じた。繊維の断裂は徐々に拡大し、ついに重みに耐えかねたようにしてぶちりと千切れる。自由の身となった兎は元気そうに駆けだし、一度立ち止まって耳を立てたのち、青緑の重なりに消えていった。

「ちっ、逃がしたか!」
「貴方、本当にイナバのことが好きなの?」

 胡乱な眼で見られてしまう私。心外である。

「こほん。普通じゃないといえば、永琳さんってとても頭が良いんですね」
「そりゃそうよ。昔はアレで月の煩悩なんて二つ名があったんだから」
「百八まであるんですか?」
「冗談はさておき、永琳って本当は私よりずっと偉いのよ。誰よりも賢いし、ナイスバディーだし」
「グラマラスバディーですなぁ」

 二人揃って溜息を吐き、私達はどちらからともなく固い握手を交わした。

「従者が優秀すぎるのも考えものね。やることが無くなっちゃって困っちゃう」
「お姫様らしい、贅沢な悩みです」
「言ってくれるけど、楽をするのも大変なのよ」

 ふと私は輝夜の横顔を眺めたが、そこに皮肉や諧謔の色は無かった。風に遊ばれる長髪を掻き上げ、竹林の奥を見遣る。

「私は――、もう二度と故郷に戻ろうとは思わないわ。骨を埋めるとしたら、この穢れ多き地に。住めば都とはよく引用される箴言だけれど、逃げに逃げてきた果ての安息地なら一入(ひとしお)。ここは素敵な所よ。私達ですら特別な存在ではなくなってしまうのだし、何より暇潰しの種に事欠かない」
「私のような?」
「貴方達みたいな」

 お伽噺の姫君は、いかにもからかっている風に微笑んでいた。今更ながらどぎまぎしてしまって、私は竹林の天井を向いた。大粒の雨玉が、ひやりひやりと落ちてくる。

「結構歩きましたけど、この先に何が?」
「うん。人を待たせてあるの。監視が厳しかったものだから、かれこれ一昼夜ほど」
「保護者の目を盗んでの逢引ですか。憎いことですねー」
「いじらしい乙女心と言って頂戴」
「逢瀬のお相手は、輝夜さんの好(い)い人で?」
「好い人……?」

 お姫様は一拍置いて吹き出した。ツボに入ってしまったのか、袖で口元を押さえてまで笑い倒(こ)けている。

「好い人ですって。確かに! 骨の髄まで恋焦がれて、はらわたを貪り合うような仲よ。あははっ、傑作だわ!」
「羨ましいですね。同盟軍としては、詳しく聞きたいところですが」
「嫌よ。誰が聞き耳を立てているか分かったものじゃないわ。気を付けなさい、耳が長いのはイナバだけじゃないんだから。それにほら、見えてきたわ」
「――ああ!」

 一本の青々とした竹の下に、それは横たわっていた。紛れもない私の愛傘。駈け出した私の背後で、輝夜は呟く。

「本当ならこういうのはイナバの役目で、そういうのはイナバの役回りなんだけど――」

 傘を開いてみてご満悦な私は、遅れてお姫様が笑って手を振っていることに気が付いた。次の瞬間、地面に隠れていた縄が足へ巻き付き、抗う間もなく私を引っ張り上げる。そのまま宙吊りにならなかったのは、弾みで縄が中途から切れてしまったからだ。

「明けない夜は無く、晴れない雨も無いのなら、永久(とわ)の別れもまたあり得ないわ。いつかどこかでお会いしましょう、雨空の旅人さん」

 勢いよく竹林の上空へ放り出された私には、しかし手を振り返すだけの余裕があった。昨日でこの手の展開には耐性が付いているのだ――。

「むっ! 輝夜の刺客か!?」
「はて?」

 どっかーん、という盛大な擬音と共に、私は雨空の星となった。こんな展開、もうこりごりである。







 6.終着に潜む幻妖 〜 Border of Skies







 ……自由という言葉の響きは素晴らしいが、個人が所有できる自由の総量には限度がある。ある自由を手にするためには、同じだけの自由を手放すしかない。空飛ぶ鳥が骨の脆さや懐の浅さを引き受けなければならなかったように。鈴と人が互いの音色を羨んでいる如く。
 そう、足枷と足場は表裏一体で、故に注意せねばなるまい。一見自由に振る舞い、何者にも遮られない者こそ、目に見えぬ深みで、その足を固く繋ぎ留められていることに。



 ※



 当てどもなく空を彷徨う傘と私。重力に捕えられた雨粒が、未開の山野へ降り注いでゆく。建物の影も見当たらないのはもはやお約束だ。人里という平凡な名前の割には、目的地としての難易度が高過ぎやしないか。

「もしもしー、聞こえてる?」
「あ、うん――」

 私は携帯電話に意識を優先させた。この友人は放っておくと四六時中喋り通しなので、ほどほどに聞き流さないと身が持たなかったりする。

「メリーの言ってた『幻想郷』ってキーワードが気になってさ。過去のラジオ放送を検索してみたの。大体十年前まで遡って」
「どっちのラジオ?」
「顕界の方。霊界はリスナーのレベルが高すぎておっつかないのよねー」
「ちゃっかりリクエストはしてる癖に」
「幻想郷の話よ。ざっと調べただけでも出るわ出るわ。大半がアングラ系の違法電波だったけどね。やれフォークロアやら怪異譚やらの流言飛語を、素人パーソナリティがああでもないこーでもないと議論紛いのことをするような」
「貴方の大好きな井戸端番組ね。それで?」
「投稿自体は散発的で、特定の時期や地域に偏ってもいない。内容もてんでばらばら。邪神を崇める秘密宗教結社だとか、どこそこの次元に存在する精神世界だとか。地球とは別の星の通称で、在日の宇宙人が侵略の準備を整えているとか。貴方が説明した隠れ里って話もちらほら拾えたわ」
「その口振りじゃ、信憑性は薄そうね」
「ええ。でも数さえ集まれば見えてくる共通点もある」

 親愛なる悪友は、恋人の名を打ち明ける乙女の如く声を密やかにした。

「ずばり、神隠しよ。あるいはそれに準ずるもの。誘拐やアブダクションとも言い換えられるわ。要は、人間が突然姿を消して、数日後から数週間後、時には数年後にひょっこり帰ってくる、みたいな現象。その被害者は決まって信じがたい体験をしたと主張し――記憶や時間感覚の変調・喪失が見られる。“向こう側”から物品を持ち帰ることができれば幸福、でなければ不幸になる、ってオチが付くのが特徴といえば特徴だけど、これはマヨイガ伝説の属性を汲んでいるんじゃないかしら」
「…………」
「どこかで聞いた覚えがあると思ってたら、神隠し関連の資料を漁っていた時に耳にしていたんだわ。それと、他の噂に比べて毛色の違う証言を拾ったの。十年よりずっと前、神隠しに遭った本人とやらの投稿よ」
「ふむ、聞かせてくれる?」
「隠される人間の条件よ。死ぬ価値の無い人間、生きる価値の見出されない人間。生きながらにして死んでいる人間。もっともらしいといえばもっともらしいけど、当て嵌めようと思えば幾らでもこじ付けが効く条件ね」
「でも、死ぬ価値が無い人間ってどんな人のこと?」
「居なくなっても差し支えの無い人間、誰にとっても意味を持たない人間。私はそう解釈しているわ」
「夢も希望も無い話だこと。そんな人間、本当にこの世に居るのかしら」
「さあね、ともかく、神隠しの主犯はそう判断しているらしいよ」
「主犯? 誰が罪に問われるっていうの?」
「一連の神隠し事件全てには、同じ人物が係わっている。言葉にしてみると胡散臭いというか、まあ眉唾ものだろうけど。その名前っていうのがね、メリー、面白いことに――」
「ん? 今何て……」
「しっ、静かにして」
「……どうしたの?」
「電車の走行音がするわ。雨音に混じって。確か、この路線は……」
「まさか、鉄道なんて走っている訳が」

 何度呼び掛けてみても、それきり返事は帰ってこなかった。いつの間にか通信が切れていたのだ。その代わり、私の耳にも届いてくる。車輪が軌条を噛み、鋼鉄が林間を疾駆する音だ……。



 ※



 森の中にぽっかりと開い、た切り立つ断層に面する空地へ、金属と金属が擦れ合う音を鳴らしながら四両編成の電車が滑り込んだ。今では見られなくなった古い型。耳を逆撫でする機械音と共に全ての扉が開き、乗客達は雨の中へ降り立つ。
 誰も傘を差している者は居なかった。年格好は様々、多くを占めるのがスーツを着込んだサラリーマンやOLらしき人々で、老いは寝間着姿の老人から、若きは学生服に身を包んだ少年少女まで。セーラー服の女学生が提げたバッグは軽々と風に揺られ、どうやら中身が空っぽであるらしい。
 全員に共通しているのは、意思の光を失った瞳と能面のような顔付きだ。自身の置かれた状況に全く頓着する様子を見せず、濡れるに任せて佇んでいたかと思えば、不意に顔を上げ、夢遊病者の足取りで歩きだす。糸に吊られるかの如くめいめいがばらばらの木立に分け入ると、アナウンスも無しに扉は閉め切られ、中身を吐き出して身軽になった列車は緩やかに軌道を走り始める。暗闇に走行音の余韻を残し、車両は断層に開いたトンネルへ呑み込まれてゆく。

 私は空中に漂いながら、その異様な光景を眺めていた。こんな山奥に鉄道が走っていることへの好奇心よりも、得体の知れない集団に対する警戒が上回ったのだ。軌条(レール)を伝わってくる不気味な振動が止んだことを、そして先程の人々が視界から消えたことを認め、私は地面に降り立つ。
 線路に貫かれた広間は、葉擦れが煩く聞こえるくらいに静まり返っていた。当然駅舎を思わせる施設などは存在せず、電車が止まることを示唆するようなオブジェクトも見当たらない。強いて挙げるとすれば、隅の方にひっそりと建てられている、こぢんまりとした社であろうか。片隣には塗料の剥げかけた道路標識が突き立てられており、反対側には信号機が虚ろな三つ目を晒している。両者には注連縄が渡され、ちぐはぐながらも社と調和を見せていた。

「お賽銭、入れた方がいいのかな」

 あの人間達の瞳も、壊れた信号機のように光を失っていた。彼らは何者で、どこから来てどこへ行ったのだろうか。雨の日に、傘も持たずに。気にならない訳ではないが、深く追求するのは躊躇われる。
 ふと視線を感じて見回せば、雨宿り中なのか、大樹の根元に一匹の狐がこちらの様子を窺っていた。私と目が合っても逃げも隠れもせず、軽く尻尾を揺らすのみ。

「……お早うございます。良かったら、人里がどっちにあるのか教えてくれませんか。生憎、油揚げの持ち合わせはありませんが――」

 私の言葉の途中で狐は身を翻し、無言で立ち去ってしまった。そう都合良く人語を解する動物とは出会わないか。

 人造物があるなら、人間の生活に近しい場所なのかも知れない。どうせ迷子なのだし、行動の指針となるヒントが見つかれば儲けものだ。小さくとも神聖な雰囲気を失ってはいない社にはお賽銭と柏手を済ませ(幾ら私が現代っ子とはいえ、神域の内部を暴くのは気が引けた)、手始めに線路を調査してみる。
 時代がかってはいるが、定期的に手入れがなされているらしい。恐らく一昔か二昔前に使われていた物だろうということ以外に、興味深い事実を発見することはできなかった。乗り物好きの友人の蘊蓄をもっと真面目に聞いていれば、より詳しい手掛かりを掴めていたかもしれないと反省する。
 一つ仮説を立てるとすれば、この設備はかつて“外”の世界で使われていた物ではないかということ。幻想の存在として結界の内側に取り込まれるのは、物の怪の他に必要とされなくなった道具や学説、はたまた建物や土地にまで及ぶという。さっきの電車もそうなのだろうか?

 気を取り直し、この道がどこへ続いているのか確かめてみることにしたはいいものの、私の目論見は早々に頓挫した。森の中へ入ってすぐに軌条は大きな切り株へと乗り上げ、雑草の中に埋もれていたのだ。元々架線も張られていない場所を走っているだけに、電車がまともな物理法則に則って動いているとは思えない。あの広間は、単なる停車所以上の意味を持たないのかもしれなかった。

「さて、こっちに踏み込むのは少々勇気が要りますね」

 分厚い土をくり抜いて造られたらしき洞窟は、数十歩も進めば暗闇に満たされていた。照明瓶を絞って投光距離を延ばしても、その最奥を測り知ることはできない。活動写真に登場した場合、まず間違いなく崩れ落ちそうな古臭さだ。光を嫌う、か弱い女子大生に不親切な生物が住み着いていないとも限らない。何より、雨が降っていないので傘の結界も使えない。
 不安の種は尽きないが、今日昨日で度胸ばかり鍛えられてきた私である。照明を構え、思い付いて携帯の音量を最大にしておく。幻想郷では携帯も珍しい道具らしく、囮や威嚇に使い道があるかもしれない。穴があったら入ってみたい年頃と宣言してしまったこともあって、意を決して最初の一歩を踏み出す。

 そして、突き当たった。

「せめて、気を利かせて宝箱を用意しておいて下さいよ……」

 傘を提げて憮然とする私の前には、のっぺりとした壁が塗られていた。せめて土砂で塞がっていれば多少のドラマ性はあったのに。最近、理不尽な展開に振り回されることで快感を覚えている事実に若干の危機感を覚えつつ、私は復路につく。
 軌条の平均台を踏む足音が他人事のように反響する。遠い入口は半円に切り取られ、光線が放射状に伸びていた。……だが、さっきはここまで光が届いていただろうか。
 心なしか明るさが増しているような気がして、私は足を速めた。早足から駆け足へ。よもや天気が変わったのではあるまいな。 こんな急速に? 手の平の中では、ポリーがそんなことは無いと主張している。

「そうか……、狐の嫁入りね」

 薄暗い黴の臭いから、むっとするような水の匂いへ。雨風は依然として大気に満ちていたが、驚くべきことに、太陽光もまた燦々と降り注いでいた。これは天気雨だ。空は晴れているのに、水玉だけが落ちてくる天候。虹の発生を伴うことが多く、怪異的な現象としても知られている。
 そして、これが自然な気象現象でないことはすぐに分かった。相変わらず空を覆っている鈍色の雲の一部が切り裂かれたかのように割れ開き、空き地の一帯を照らし出している。眩しい蒼天は更(さら)なり、濡れた木々が陽光を受けて燦然と輝く景色は美しかった。洗われた線路がつやつやと光を反射する様さえ誇らしげだ。
 念のために傘を開いてみれば、結界はちゃんと機能してくれるらしい。何の予兆だか知らないが、私が急ぐ必要は無いだろう。久々の日光浴に興ずることにする。
 窪みに湛えられた雨水を鏡として帽子の位置を直していると、背後から声が掛かった。ここで一度くらい癒し系の人物に出逢えないものか。せめてゆるキャラでお願いします。
 
「おはよう。貴方もお散歩かしら」

 私がたった今出てきたばかりの、誰も居なかったはずのトンネルの入り口に、屋内にもかかわらず傘を差した少女が佇んでいる。彼我の間に、雨の金幕が流れてゆく。

「この辺りは空気が美味しいものね。歩くことは健康にも良いし」
「私は、通りすがりの迷子ですよ」
「ああ、自分探しの旅って奴。懐かしいですわ」

 第一印象は胡散臭いの一言だった。どうやら長い金の髪を垂らした女の子らしいが、同時に妙齢の女性にも見える。リボンがあしらわれた海月のような形の傘に隠されて表情は窺えず、服装は道教をベースにしているのだろうが、大陸風と洋風が混淆して一見パーティドレスのようにも取れる。

「失礼ですが、どちら様で?」
「箸にも棒にも掛からない、しがない妖怪さんですよ。貴方が取るに足らない以上に」

 箸にも棒にも掛からないとは言い得て妙だったが、それは古人の真意と趣を異にしていた。捕えどころが無いと言い変えるべきだろう。ある形式に当て嵌めようとすればするりと抜けだされ、全く別の側面を万華鏡の如く認識に割り込ませてくる。その移り変わりが余りにも速いので、目を閉じても続く錯視に囚われてしまったような気分だ。

「そのレール……、電車が走って行きませんでしたか?」
「貴方は電車を乗り継いできたの? 変ねぇ、ここには配給車しか止まらないはずだもの」
「確かに人間が乗っていましたよ」
「人形の見間違いじゃない? ここらじゃよく出るのよ、持ち主の言い付けを守らず、夜な夜な出歩く傀儡達が」
「今はもう朝ですけど」
「それじゃ、狐に化かされたのね」
「どうして人形は傘を持とうと思わなかったんでしょう?」
「きっと、もうお家に帰る必要が無いからよ」

 少女の視線の動きに釣られて足元の水溜りを見れば、リボンを絡めて花の形にしたものが浮かんでいた。風に揺られて解(ほど)けたかと思うと、二つの結び目になって水面を漂う。両者の間には菫色の線が引かれており、水中から突き出した白い手が裂け目をこじ開ける。
 いや、それらは鏡像にすぎない。宙に浮かんだ奇妙な裂け目の向こうは別の空間に通じているらしく、そこから件(くだん)の女性が上半身を乗り出し、私を間近から眺めていた。思わず飛び退った先の足場が枕木の角で、危うく体勢を崩しかける。

「ほら、レディはもっとお淑やかにしていなきゃ」

 そっと私を抱き留める数本の冷たい腕。耳朶をくすぐる甘い吐息と囁き。振り向けば妖しい微笑。互いの瞳に己の顔が映り込む距離で、私は無意識の内に前髪を整えようと手を伸ばしながら、口を開く。

「私のことはお尋ねにならないのですか? 八雲紫さん」

 一瞬の間があって、彼女の菫色の瞳がほんの少し動揺に震えたことを、私は見て取った。眩暈に襲われて瞬きをすると、目の前から少女の姿は消えている。

「その名前を――」

 どこで? とは聞こえてこなかった。トンネルに近い線路上にリボンが結ばれ、不可思議の空間が口を開ける。枕木の固さを土踏まずに感じつつ、私は言った。

「良かったらメリーと呼んで下さい。本名はあまり好かないので」
「八雲紫……、確かにそう呼ばれているわ。誰に頼んでもいないのに」

 裂け目から上半身のみを露出する少女。両頬に添えられた手とは別の腕が異空間から伸び、先程の傘を支えている。
 私は彼女のことを知っていた。事物の間隙に潜み、隙間という隙間を渡り歩く大妖怪。深淵の叡智と万能の結界操作能力を併せ持つ、古の賢者の一角にして、幻想郷で最も謎めいている人物の一人。

「お噂はかねがね。取るに足らない私に何のご用です?」
「用なんて無いわ。だからこうして遭いに来たのに、いけずねぇ」

 正面から向かい合って尚、私は彼女との距離感を掴めずにいた。手を伸ばしても触れること能(あた)わず、かといって逃げ切ることもできない。どれだけ急いでも虹の袂に辿り着けないように。桂男が人を追うのと同じ原理で、虹から遠ざかることが難しいように。
 可視光スペクトルの極端を名に冠する少女は、素っ気ない表情で懐から一個の帽子を取り出す。

「これ、貴方の落とし物じゃないかしら」

 私ははっとして頭に手を遣った。いつの間に取られていたのかすら判然としない。

「私の物です。返していただけますか」
「慌てなくっていいじゃない。帰りの電車が来るまで、まだ時間があるわ」
「電車って、さっきの?」
「ああ、貴方も私のことを疑うのね」

 よよよと大袈裟に科(しな)を作り、妖怪はわざとらしく嘆息してみせた。花飾りの帽子で口元を隠し、しかし瞳は笑っている。

「どうしてこんなに信用が薄いのかしら? 私はいつだって皆のためを思って行動しているというのに」
「だって、あからさまに怪しいしなぁ」

 私の小さな呟きをどう聞き取ったのか、紫はくすくすと声を漏らした。一転、真面目な口調で述べる。

「これでもやることはやっているのよ。列車は貴方を無事に元の世界へ送り届けるでしょう。八雲紫の名に賭けて。ただし、幻想郷(ここ)でのことは忘れてもらいます」
「――! どうして?」
「あまり詳しいところまで“内”の情報を持ち帰られては困るのよ」
「情報なら、信頼できる所に預けてありますけど」
「ならば、その友人の記憶も消すわ」

 本気だかふざけているのか今一判断がつかないこの妖怪は、唯一結界の内と外を自在に出入りできると聞く。記憶を選択的に消去するなんて芸当も、彼女の能力ならば訳無いことなのかもしれない。結界の操作とはどこまで万能なのか? 境界を越えるのは友人の得意分野だが、彼女も自分の能力を系統立てて説明することはできないのだ。
 人間一匹には到底計り知れない存在。だからこそ、一抹の違和感が残る。

「本当はとても面倒臭いのですけれど。幻想郷の安寧を保つことこそが、私の役目であり望みなのよ。はい、帽子」
 フリスビーの如く投げ渡された帽子を被って俯き、顔を隠しながら私は考える。

「問題は情報なのですね。口外無用を仰せ付かっても?」
「不確定要素はなるべく排除しておきたいのよ。蝶の子供を潰すみたいに」
「では、私がこの地に残るなら?」
「“外”との連絡手段があるでしょう。貴方達は十分にイレギュラーよ」
「イレギュラー? 幻想郷は全てを受け入れるのではないのですか?」
「それは――」

 花畑で学んだ最大のことは、どうせ後が無いなら萎縮していてもしょうがないということだ。私は顔を上げ、強引に言葉を挟む。

「それならば、友人とも縁を切りましょう。どうしたってまだ帰る訳にはいきません」

 紫は顔色一つ変えなかったが、空気が張り詰めてゆくのが分かった。一時互いに口を利かず、雨音ばかりが強くなる。森を渡る風が、金色の長い髪を乱していた。

 最初に引っかかったのは、私に名前を知られていたことを、彼女自身が予期していなかったことだ。八雲といえば幻想郷で知らない者は居ない有名処らしく、どこから耳に入ってもおかしくない。つまり妖怪は、何らかの理由で私が自身のことを知らないと思い込んでいたことになる。そもそも彼女のような大物がどうして私のことを知っているのか? 紅い双眸を持つ吸血鬼のように、過去を見通す術でも身に付けているとして――。

「わ、賄賂を」
「え?」
「金品を送って見逃してもらうという手を思い付きました。古典的ではありますが、いかがでしょうか?」
「私が……、お金で動くとでも思っているのかしら?」

 気分を悪くした振りをする妖怪。しゅんとしてしまう振りをする私。

「駄目ですか? 吸血鬼のお嬢様から珍しいコインを頂戴したのですが。銀貨じゃ物足りません?」
「額面の問題じゃないでしょうに」

 私がその話を耳にしたのは、永遠亭で薬師と会話していた時である。ふとした経緯で、私は永琳に、貴方以上に頭の良い存在は居るのかと問うた。頭の良さにも数種類あると前置きした上で――第一位の自負はあるらしい――数名の名前を挙げる。図書館が人の形を取ったかのような魔女。自らの手で真実を紡ぎ出す白沢。脳に頼らず正答を導く亡霊。無知故に真理を体現するかもしれない妖精。そして、誰もその来歴を知らぬ楽園の管理者。
 紫がコインの色に言及しないことに理由があるとすれば。永琳が私の鞄を人目に付かない所へ放置していたことに、そういった意味合いもあるとすれば。
 私は無造作に鞄の中へ手を突っ込み、携帯のアラームを鳴らした。痴漢撃退ブザーもかくやという大音量に、妖怪の表情が僅かに歪む。

「間違えました。こっちです」
「……本物だけど、安物ね」
「残念です。本当に――」

 取り出された金貨を一瞥して、紫は鉄面皮を貫いた。私はますます確信を深める。お姫様が暗示し、警告してくれた盗聴器の存在。勘付いていたからこそ永琳は患者に対して慎重になり、また鞄を倉庫に遠ざけておいたのだ。
 こうなると次の疑問が湧いてくる。どうして彼女は、取るに足らないはずの小娘相手に仕込みをしなければならなかったのか?
 強大な力を有するレミリアや幽香先生にとって、私は暇潰しの道具以上の何物でもなかっただろう。圧倒的な力量の差に裏打ちされた不遜な自信で、私の儚い抵抗を面白がっていた。ならば、少なくとも彼女らに引けを取らない実力者である紫が、一介の外来人である私を気に掛ける――対策を取るのは妙だ。
 何か理由があるはずだった。雨雲は未だ閉じず、狐の嫁入りは続いている。晴天と雨天の境界線上にあるここは八雲の領域。私は彼女の気紛れを窺うしかない。

 いや、もう一つ考察しなければならないことがある。

「どうしても、残ってはいけないと仰るのですか。私が拒否すれば腕ずくでも?」
「貴方がどうしてもさせたいの言うのなら、私は逆らわないわ」
「あ、天邪鬼なこといわないで下さい」
「私が天邪鬼? 鬼でもなければ邪(よこしま)でもない。ましてや天では在り得ない。三重否定ですわ」

 そう、もしこの妖怪が望むならば、私の記憶を弄るまでもなく煮るなり焼くなり造作もないのだ。盗聴器を仕掛けて動向を窺い、物語のオチを懇切丁寧に説明する必要は無い。敢えて彼女が回りくどい方法を取るからには、何らかの動機があって然るべきだ。プライドか能力の制約か、それとも別の実力者が絡んでいるのか。その核心さえ突くことができれば、この場を切り抜けることができるかもしれない。

「えーと……、私に何をお望みですか?」
「あの夜のお星様に聞いてごらんなさい。まだ燃え落ちてなければの話だけど」

 最大の問題は、肝心の動機がさっぱり分からないということだ。出逢ったばかりの相手の心情を簡単に汲める訳もない。そもそも人と妖とでは、判断の基準となる価値観に乖離があることは想像に難くなく、おまけに相手は時間が来るまで徹底的にはぐらかし続けるつもりらしい。無理難題にもほどがある。
 軌道上で対峙して一歩も動かず、どれだけ経っただろう。見詰め合えば見詰め会うほど妖怪の仏頂面は謎めいてきて、出口の無い迷路を彷徨っている心地である。相手は何百何千年を生きた人外で、私は十代半ばの小娘。どだい無謀な挑戦だったかと諦めかけていた、その時だった。

「おや、紫様がどうしてこちらに?」

 トンネルから顔を出したのは、妖怪のそれに通じる道教めいた服装の人物だった。両手を互い違いの袖に差し、髪と同じ黄金色の瞳は涼しげだ。何より目を引くのは、その背中に広がる狐の尻尾で、数えてみれば九本もある。いかにも触り心地が良さそうなふかふかした毛並みは、水滴を完璧に弾いていた。

「……藍こそ、どうしてここに」
「この駅にまだ息のある人間が居ると、狐精から報せを受けたのです。恐らくは配給列車に紛れ込んでいたのでしょうが、山の一件に関係があるかもしれないと思ったもので念のため。――ああ、貴方がそうですね」

 私は素早く思考を巡らせる。二人は上司と部下に類する間柄であり、九尾の狐は私のこれまでの行動にも、紫の思惑についても感知していない。

「わ、私、気が付いたらこんな場所に居て、どっちを向いても知らない景色で。途方に暮れていたんです。この人はさっきから意味不明なことしか言わないし……」

 狐は、うんざりといった表情を上司に向ける。

「もう、紫様。こんな所で油を売っている場合ですか」
「結界の修繕は終わったの?」
「九割九分。しかしかなり強引な突破をされていましたから、後ほど再点検が必要かと。して、その少女は?」
「山の一件とは無関係よ。後は私が処置するわ」
「あの……、私はどうなってしまうんでしょう? お家にはいつ帰れるんですか?」

 振り返らないまま淡々と告げる紫に対し、私は精一杯不安がる(演技せずとも十分に不安だったが)。果たして九尾は、柔和な笑みを浮かべてみせた。

「心配は要らないわ。下手な妖獣と遭遇せずに済んで貴方は運が良かった。一先ず巫女に引き渡しましょう。彼女が貴方を外の世界へ送り返す。別の選択肢を選ぶにしても、どうせ禊を執り行わなくてはならないし」
「帰りの電車には乗らなくていいんですか?」
「帰りの? 何のこと?」
「藍。この子に関しては私が引き受けるわ。」

 一旦謎の空間へ引っ込み、今度は水平に開いた隙間から紫は地面に降り立つ。不必要に淡然とした言葉に、狐は怪訝そうな眼差しを向けた。

「稀人(まれびと)の処遇は最終的に巫女に任せるべきだと、そう紫様が提案したのでは?」
「娘の能力の本質が、貴方にも視えるでしょう。数パーセントの類似だけど、何らかの反応を引き起こしでもしたら――」

 妖怪はじっと足元の水溜りを見詰めている。九尾は私へ視線を戻し、数秒間だけ瞬きを止めた。振りではなくおどおどしてしまう私である。

「私に計算できる限り、共鳴は天文学的な確立ですよ。そんなことより、やはり私では大天狗階級にも面会は難しいようです。緊急事態につきの一点張りで。こうなれば、紫様本人が――」
「私が今あそこに出向いたら、それこそ大事になりかねないわ。向こうが行動を起こすまで何もするなと言っておいたでしょう」
「しかし――。いえ、分かりました。それでは、この稀人は私共に処理させていただきます」
「聞こえなかったの。私は手を出すなと言ったのよ」

 紫は断固として突っ撥ね、藍は怪訝を不審に変える。雨の降り来る空では、徐々に雲の裂け目が狭まっていた。

「賢者様が、自ら約定を違えるおつもりですか」
「臨機応変に抜け穴を見出せるのが、使い勝手の良い法というものよ」
「然有(さあ)らば、優秀な道具たる私が進言しましょう。紫様は昨日からご加減が優れなかった。もしこの娘について個人的な事情がおありなら、尚更貴方の判断に任せてはおけません」

 風向きが変わり、段々と雨脚が強まり始めた。私は展開に付いてゆけず、ただいつでも飛び立てるようじっと雨傘を構える。私の足元を見詰めながら唇を引き結んでいた妖怪が、ぽつりと口を開く。

「いつから私に意見できるほど偉くなったの、藍」
「そう躾けられてきましたから。今の紫様は、とても冷静だとは思えませんよ。私の目を見て話して下さい。自分に都合が悪くなるとすぐにこれなんだから」

 狐の言葉には、反意よりも情愛の念が滲んでいた。妖怪は大きくため息を吐く。

「そう、ね。あれやこれやでちょっと疲れているのかもしれないわ……」

 振り向きざま、紫の指先から光線が放たれた。すんでのところで回避し、藍は目を剥く。

「紫様!? 幾らこれが形代(かたしろ)とはいえ――」
「藍、『動くな』」

 上司、いや主の言葉に道具は石の如く硬直し、こんどこそ光線が身体を撃ち抜いた。途端にその穴から炎が上がり全身を包んだかと思うと、見る見る内に狐は一枚の紙片と化した。炭になってすら簡単な人の形を失わなかったそれも、雨に打たれてばらばらに砕け散る。雲は完全に閉じ、元の曇天が広がっていた。
 乱暴な風に嬲られる髪を忌々しげに振り払って、吐き捨てるように言う紫。

「どいつもこいつも……っ、私がどれだけ神経を擦り減らしているのか知らないで……!」

 初めて濃い感情の色を宿した菫の瞳にきっと見据えられ、私は恐怖から反射的に飛ぼうとする。しかし、針のように尖った不可視の力場が首筋を掠めたかと思うと、傘の結界はシャボン玉のように割れた。枕木に尻餅をつく私へ、大妖怪は五指を差し伸べる。

「爾今(じこん)、顔を合わせることは無いでしょう。最後だから特別に忠告してあげるわ――」

 まさに絶妙のタイミングだった。聞き慣れた電子的な着信音が、線路のある空き地に鳴り響いたのは。音量が大きすぎて最初は判らなかったが、音源は私の鞄ではなく、妖怪の方である。ゆっくりと手を引っ込め、紫は懐から一把の扇子を取り出した。

「もしもし、メリー? 聞こえてるー?」
「…………」

 言葉を発する扇子を無言の無表情で眺めていた妖怪は、数度私の名前が呼ばれてやっと、それを耳に当てる。驚くべきことに、彼女は私の声を完璧に真似ていた。

「もしもし……」
「ああ、良かった! やっと繋がったのね。突然回線を切られるもんだから何事かと思ったわ。もうこっちは待ち合わせの場所に向かってるんだけど、そっちはどう? まさか約束を忘れちゃいないでしょうね」
「忘れてなんか、いないわよ」

 立ち上がろうとして軌条に手を突き、私は振動を感じた。電車が空き地へと近付いている。

「でも、ごめんなさいね。今日の予定には間に合いそうにないわ」
「またそれぇ? これで何度目だと思ってるのよ〜。お代わり自由だとしても、カフェインの摂りすぎは体に毒だって知らないの?」
「ちょっと用事が出来ちゃったのよ。全部片を付けるまで、もう少し時間が掛かりそう――」

 轟音が直接耳にも届いてきた。奥深い暗闇に小さな二つの明かりが灯る。風が笛を鳴らして、妖怪の会話を聞きとるのはもう難しい。

「やれやれ、探検は次週に延期かしら。どうせお姉さんが見付かるかもしれないとかいう話でしょう、メリー。 いつか言いだすと思ってたわ」
「そ、それは――。……そう、そうだったのね」
「仕方ないなぁ。悔いの残らないようにやってきなさい。待っといてあげるから。ただし、お土産を忘れたりしたら怒るからね」
「――ええ。約束よ」

 ぽんと放り投げられた扇子をつい受け取ってしまってから、私は紫を見上げる。少女は、毒気の抜かれた声で小首を傾げた。

「ええと……、何の話だったかしら?」
「あー、忠告がどうとか」
「忠告、ねぇ」

 電車はすぐそこまで迫っている。前照灯の逆光で、妖怪の表情は判然としない。酷い騒音にもかかわらず、忠告ははっきりと耳に届いた。

「――そうね。電話代には、十分注意なさいな」

 唐突に足元が割れ、私は地面に引き摺り込まれる。扇子に話し掛けようとしてから通信が切れていることに気付き――。



 ※



 空。

 気が付けば私は上空に投げ出されていた。慌てて傘の結界を開くと、大地から伸び上がって私を捕えようとしていた重力の鎖が舌打ちをして退散する。身代りにされた雨粒が声も無く眼下へ吸い込まれてゆくのを追って、私は降下を始める。

 そこには念願の人工物があった。群れ犇(ひしめ)く民家は意外に近代的で、中央の広場を轂(ハブ)とする大通りには商店が立ち並び、周辺部には昔ながらの長屋や農家、中央には広い敷地のお屋敷。複雑に絡み合う路地と垣根。道を行き交うのは、傘ならぬ笠を被った者の方が多い。
 幻想郷最大規模にして唯一といっていい人間の集落。それ故に何の衒いもなく、人里と呼ばれている場所。

「え? これ、ドッキリとかじゃないですよね。冒険の書とか記録できますか!」

 悪ふざけもそこまで。私の目はある一点に釘付けになっていた。いわゆるカクテルパーティ現象である。騒がしい雑踏の中でも、自分の名前だけは不思議と聞き逃すことがないように。雑多に広がる家並から、私は一人の人物を見出していた。

 七年の月日が流れていても、決して見間違えるようなことはない、片時も忘れたことのないその立ち姿は。

「――――」

 声なき呼び声が喉から漏れ、雨水に一粒、不純物が交じった。







 7.龍神像のある里にて 〜 Magical Ward 34







 ……何千、何万という嘆きの声が聞こえる。顧みられることなく置き去りにされ、終着へと運ばれてゆく花々。青空の下で咲くことが叶わぬその身を呪うのか、ほんの一時の蜜月を共にした主人を恨み、それでも引き留めようとしているのか。ただただ誰かの役に立ちたいという願いは一山幾らで買い叩かれ、名付けられもせず捨てられる。
 その事実を知っているからといって、どうすることもできはしない。彼女一人の嘆きすら、抱き留められぬ私には。



 ※



「どうやら余計に歩き回らせてしまったようで、申し訳無い」

 そう言って、上白沢慧音は慇懃に頭を下げた。どこぞの原住民族が秘祭で用いるような、奇天烈な帽子が特徴的な女性である。とにかく帽子が印象的というか、あとは髪に青みがかかった房があるというか、もう首から下は見ないことにした。こんちくしょうめ!
 などという感想はおくびにも出さず、私も丁寧に礼を返す。

「こちらこそ、突然押し掛けてしまってすみません。お仕事の途中だったのでしょう?」
「いや、もう用事は済んでいるのです。気になさらないで下さい」

 私達が向かい合っているのは、里の中央広場に面した一軒の茶屋、その奥まった席である。渋い色の土壁といい、手作り感溢れる座布団といい、計算ではなく滲みでるような落ち着きを伴った内装だった。尤もそれはこの店に限ったことではなく、広場全体に通底する、一種の柄のようなものだろう。
 広場は名実共に人里の中心地であり、他にも様々な店が軒を連ねてはいるが、雨天もあってか人通りは少なかった。開けた入口からは広間の中央にある龍が象(かたど)られた石像が見えるものの、銀糸で編まれた垂れ幕のせいで反対側の店舗までは見通せない。晴天の日の活気溢れる光景を想像しようとして、私は失敗した。

「この雨の中、身体も冷えたことでしょう。お茶はいかがですか? ええと――」
「失礼、自己紹介が遅れました。私はメリーと申します。お察しの通り、“外”から迷い込んできた者です」
「にしては落ち着いているんだな……。私は上白沢慧音、この里で歴史家を任じられております」
「確か、寺子屋で先生もなされているんでしたよね」
「恥ずかしながら、教師の真似事などを」
「へぇ、それ以上近寄らないでもらえます?」
「何故に!?」

 プリズムリバー姉妹からは他に稗田という家も紹介してもらっていたが、かの天才薬師が名前を挙げていたこともあり、第一に彼女を頼りにさせてもらおうと決めたのである。多少の堅苦しさは否めないものの、落ち着いた物腰に包容力のありそうな肢体と、きっと生徒達からは慕われているだろう。しかし、しかしだ。

「どうせ趣味は体罰とオールナイト居残り授業なんですよね! 席に着いている時間より机の上に立たされている時間の方が長い! 宿題を忘れたら逆立ちで家まで取りに帰らせられる! 奨学金は貰えても慰謝料は受け取れず、教科書代より入院費の方が嵩(かさ)む! さぞ豊かな人生経験を学べるでしょうよ!」
「初対面でいきなり何を言い出すんだこの人は! どうどう、落ち着け落ち着け」
「はっ。ごめんなさい、慧音さん。先生という単語にはトラウマが」
「いやまあ、宿題忘れには頭突きくらいならするがな」
「その帽子は新手の大量殺戮兵器だったのですね! この鬼畜!」
「済まない。何か癇に触るようなことを言ってしまっていただろうか……」

 我ながらどうかしていると思い立ち、私はこれまでの経緯を語った。お手元にハンカチと座布団のご用意を。聞くも涙語るも涙、息もつかせぬ波乱に満ちた、メリーとポリーの冒険譚をこれまでのあらすじ風にして観客席にお届けします。

「――という訳で、私は変な帽子の女教師さんに出会うことができたのです。以下次週!」
「帽子の悪口は止めろ。しかし、よくもまあ無事に里へ辿り着けましたね」
「私にも不思議でなりません。せめてスライム辺りからエンカウントしてもらえれば」
「いや、むしろ当たりを引いたのだと思いますよ。里人にとっても、一番危険なのは知能と礼節に劣る下級の妖怪ですから」

 本当に実力のある人外は無闇に人を襲わず、各々の領域を弁える者については丁重に扱うらしい。だから人里の者達も、名の通った妖怪には敬意を以て接する。私の想像していたような、単なる捕食者と被食者の関係には留まらないようだ。
 “外”の世界では超常現象に分類されてしまう事象も、ここの住人にとっては当たり前の光景なのかもしれない。事実、慧音の住居を教えてくれた道端のお婆さんも、顔を隠して空から降りてきた私へ普通に話しかけてきたものだ。結局自宅には不在で、私はそこから寺子屋へ、寺子屋から花屋へ、花屋からこの広場へとたらい回しにされてしまったのだが。

「して、私にどんな用件が?」
「その、何と言いますか……」

 どうやって切り出そうか迷い、店内を見渡す。客は私達の他に二人いて、出入り口に近い席に座って裁縫をしている西洋人の少女と、同じく西洋風な顔立ちの、いやに毒々しい色合いのドレスを着た童女である。前者が一人黙々と手を動かしているのに対し、後者は柱の陰に隠れてその様子を観察――いや、むすっとした表情からして監視しているといった方が相応しいだろう。
 私の視線に気付き、慧音は尋ねた。

「気になりますか?」
「ええ。もしかしなくとも、お郷(くに)が違いますよね。留学生の方ですか?」
「そうとも言えるな。彼女はアリス・マーガトロイド。幻想郷で研鑽を積む魔法使いは少なくないですが、彼女もその内の一人です」
「へえ、綺麗な方ですね。とても強盗を働く風(ふう)には見えませんが」
「どこの誰を思い浮かべているのかは置くとして、彼女は人格者ですよ。人形を操る魔法が専門でして――」

 よく見れば、女の子を模した小さな人形達がぱたぱたと飛び回っては針仕事を手伝っていた。縫われているのは服の類だろうか。手縫いとは思えない正確かつ高速の針捌きはミシンもかくや、裁縫を趣味にしている私からしても、想像だにできなかった腕前だった。それにしても容姿端麗な少女だ。青い瞳に金の髪と日本人が思い描く模範のような容姿は、さながら自身も精巧なビスクドールのようで、脈があるかどうかも疑わしいくらいである。

「修行の一環として、毎月この広場で人形劇を披露してもらっているのです。本当は昨日――市の立つ朝に予定されていて、子供達も楽しみにしていたのですが、生憎の雨模様で。今朝屋内で開催してもらえるよう頼むと、快く引き受けて下さいました」
「それは見てみたかったな。あっちはファンの子ですか? それともお弟子さんとか」
「熱心な追っ駆けであることは間違いないな」

 もう片方の金髪少女は、肩に自分の縮尺を変えたような小さな人形を留まらせていた。人形を侍らせる魔法使いへ向ける眼差しには、警戒を含んだ複雑な色が窺える。本人は至って真剣な表情だが、幼げな外見とばればれの隠れっぷりは傍から眺めて微笑ましい。
 そんな私の感想に、女教師は苦笑を漏らす。

「そう、敵情視察とか言っていたっけ」
「どういう意味ですか?」
「ふむ。どこから説明すればいいかな。……第一に、彼女は喜んで里の中へ迎え入れたくなる身分ではない」
「普通の人間でないことは雰囲気で分かりますが、つまり妖怪だから?」
「いいや、問題は妖怪としての年季なのです。彼女は妖怪化して月日が浅く、人間との距離の取り方を学んでいる最中。さる所のお墨付きをもらっているがために好きにさせていますが、正直冷や冷やさせられますね」
「妖怪化、といいますと、元は別の何かだったのだと?」
「良いところに気が付きました。妖怪と一口に言ってもその内訳は千差万別で、発生の経緯も様々ですが、共通するのは何らかの謂(いわ)れが根底にあることです。種族として認知されている妖怪――例えば天狗や河童なんかは有性生殖で増えることもあるようですが、どちらかといえば少数派です。妖怪の存在は本来人々の恐怖と密接に結びついているので、極端な話、人間こそが妖怪の産みの親と言えるでしょう。強い感情を残して事切れた者が、死後妖怪として生まれ変わる場合。子供の時分に攫われ、あるいは捨てられたところを妖怪に拾われて、自身も妖怪として育つ場合。伝承や噂話が人々の想像の中で確固とした存在感を得て、いつの間にか発現していた者。神と呼ばれる存在が信仰を失い、堕落して成った者。そもそも、妖怪と神の間に明確な線引きなどできないはずなのですが――」

 物を教える職業らしい滔々(とうとう)とした口調で持論を述べる慧音。磨き上げた聞き流しスキルを遺憾なく発揮する私。

「ああ! すみません。ついつい夢中になってしまいました」
「お気になさらず。妖怪の成り立ちには人間の情念が不可欠で、そこには数種類の定型があることまで学びました」
「そうそう。番外として、人間が自らの意思で儀式等を経ることによって人の理から外れたり――この代表例が魔法使いで、行動様式は最も人間に近しい妖怪です――妖異の僕(しもべ)となる形で人間ではなくなったりもします。ヴァンパイアが吸血行為によって眷族を増やすのが良い例ですね。……ごほん。他の代表的な例として、人間の道具が妖怪に化けたものがあります」
「道具が――。それは、付喪神的な由来ですか?」
「ご存知でしたか? 人々が大自然の猛威や恵みに人格を見出して崇めたように、日々の生活の中で共にある器物にも人間性が認められた。大事に扱えば道具は応えて恩を返そうとしてくれますが、蔑ろにすれば悪感情を抱き、供養もしないで廃棄すれば持ち主に危害を及ぼすことさえある。それが彼女ですよ」

 緑茶で喉を潤し、解説者は私に問うた。

「お腹が空いていませんか? よければお団子でも頼みましょうか」
「いえ、“外”の貨幣はここじゃ通用しないんでしたよね」
「気持ち良く授業をさせてもらったお礼です。遠慮は要りませんよ」
「……ありがとうございます。でも、食欲が無くって。それより続きをお願いします。あの女の子は、元々人間の道具だったのですか」

 私の顔を見て目を瞬(しばた)かせ、慧音は二人に視線を向けた。そのまた向こうでは親子連れが龍神像の前に並び、揃って頭(こうべ)を垂れている。

「無名の丘、という土地があります。その名前は、親が名付けられる前の子供を間引くために訪れたことに由来するのです。まだ人間として認められてもいない赤ん坊は自生する鈴蘭の毒で眠るように息絶え、死体は妖怪の手によって片付けられる」
「そりゃ酷い話ですねー」
「昔、妖怪と人間との関係が殺伐としていて、日々の暮らしさえままならなかった時代のこと。親なら誰だって自分の子供が死ぬところを見たくはない。直接手に掛けることなんてしたくない。もしかしたら妖怪に拾われ育てられ、生き延びている可能性があるかもしれない。たとえ妖怪と化しても、同じ空の下で生きていてくれさえすれば。そんな希望に縋るしかなかった時代もあったということです」
「…………」
「彼女は無名の丘に捨てられていた人形で、鈴蘭の毒をその身に宿して妖怪と成った。捨てられたことを恨みに思い、同胞たる人形達が人間の手から解放されるべきだと主張していたらしいですが……」
「元人形と人形遣い、因縁の間柄ですか」
「人間からいいように使われる悲しみと、人間の役に立てる喜び。二者のせめぎ合いの機微は、余人が窺えるものではありません。分かったような顔をしたところで、それはエゴイズムというものでしょう。しかし、少なくとも彼女は自分から変わろうとしている。今朝からずっとあんな調子ですよ」

 瞳に映る複雑な色彩の正体は、憎むべき相手を理解しようとする葛藤だったのか。一度(ひとたび)人形の少女に感情移入をしてしまうと、人形遣いの少女が悪者にさえ見えてきた。さっきからちらりとも監視者を気に留めた様子はなく、機械じみた手付きで布を仕立てる。私が入ってきた時も、顔すら上げなかった記憶があった。人間離れした造形とも相俟って、まさしく心を持たない人形のようだ。

「あれは、一体何を作っているのでしょう」
「さてね。私も尋ねてみましたが、見事に無視されました。魔法使いと言う種には、自分の興味対象に没頭すると周りが見えなくなる傾向がありますから。私が知っているのは、誰しも知っていることだけですよ。それで良ければお役に立てますが」

 暗に本題を促されて、私は何も言えないまま自分の湯呑みに視線を落とす。映り込む自分の顔は、当然ながら湯と同じ色だった。

「初めて見た時にぴんと来ました。メリーさんは、私の知る人物によく似ている」
「……その方は、この里に住んでいるんですか」
「私の記憶が正しければ、彼女が里に迷い込んできたのは七年前です。それ以来ずっと里で暮らしている。貴方は――、彼女の娘さんですね?」
「だーれーがーちんちくりんだ! 名誉棄損で訴えますよ!」
「失敬、弟さんだったか」
「きぃぃぃ! それらもぎ取っても構いませんよね!」

 拳を卓へ叩き付ける音にびくりとして、人形が振り向く。人形遣いは無反応。正面の慧音が真面目な顔をしているのを見て、私は逆立った髪を萎(しお)れさせた。

「ごめんなさい。気を遣わせてしまうような顔を、していましたか?」
「慣れない冗談は言ってみるものじゃないな。こちらこそ申し訳ない。……お姉さんについて、何か聞きたいことはあるかい」

 私は逡巡しつつ湯呑を持ち上げ、また下ろした。喉がからからで、水も通る気がしない。

「姉さんは、私のことについて話したことがありますか」
「里に永住しようとする外来人は、“外”での立場や肩書について触れようとしない傾向がある。貴方のお姉さんもそうだった。だが、酒の席で自分が姉であると発言したことがあってな。それで、一目で貴方が妹さんだと気付いたよ。……本当だぞ。あれだ、あっても肩が凝るばかりだしな。運動にも邪魔になるし。私はメリーが羨ましいよ」
「そのネタはもういいです」
「すまん。――貴方は、お姉さんを連れ戻すためにやってきた訳ではないのだろう?」
「まさか。私は偶然ここに辿り着いたんですよ。ただ、一目会いたいと思っていただけで」

 そうだ。私は彼女に会って、聞きたいことがあったのだ。

「姉さんは……、その、幸せに暮らしていますか」
「幸せの定義は人それぞれよ。だが、あくまで世間一般から見れば、彼女は十二分に幸福でしょう。真面目で手に職がある男と結婚して、子宝にも恵まれた。近所付き合いも良好。趣味の編み物に関しては、教室を開くほどの腕前だ。これで不幸だとぼやいたら、バチが中(あ)たるね」
「では、姉さんは自分の意思でここに留まることにしたのですね」
「ああ。今の旦那さんの熱烈な求愛もあったけど、最終的には彼女が決断を下したわ」
「それを聞いて、安心しました」

 そう、彼女は自分の意思で私の居る世界を捨てたのだ。姉さんが幸せになるために、私は必要無かったのだ。一息にお茶を飲み干し、何故か沈痛な面持ちの慧音に問う。

「もう一つだけ、伺いたいことがあります」
「何を?」
「お手洗いの場所です。私ったら、こっちの用は思っていたより近いみたいで」



 ※



 花も恥じらう乙女として、個室の内装を具(つぶさ)に述べることは憚らせてもらおう。屋外に面する小さな窓があって、雨風がますます激しさを増していることが分かる。窓枠に手を掛けると、雨傘と私を繋ぐ鎖がじゃらりと鳴った。

「あー、ここ結構冷えますね」

 思い出されるのは姉のことだ。慧音が私を妹と断じたのもむべなるかな。私達姉妹は事ある毎(ごと)にそっくりだと評されてきた。だから私には、一年後の自分がどんな顔をしているのか思い描くことも容易かったものだ。
 それも一年前までのこと。今の私の顔は最後に見た姉の顔に追い付き、追い越そうとしている。道を教えてくれた里人に顔を隠しておいたことは正解だった。できれば、私がここに来たことは知られたくはない。
 何となく電源を切った携帯電話のディスプレイに自分の表情を映し、溜息を吐く。こいつは修正の仕様が無いな。

 私はずっと、姉の失踪について背反した思いを抱いてきた。科学的根拠の危ういことこの上ない話だが、吸血鬼の言うような血の絆というものがあるとすれば、それが私に姉が生きていることを漠然と知らせていたのかもしれない。もし同じ空の下で生きていてくれるなら、どうか幸せであってほしい。そう願っていたのも純粋な本心である。
 しかし、もし彼女が自分の意思で姿を消したのであれば。私の心に黒い感情が差す。どうして私も一緒に連れて行ってくれなかったのか。彼女が自由になるためには、私の存在が足枷であり、重しとなっていたのだろうか。
 思い当たる節はある。絶賛責任放棄中だった両親の代わりに私の面倒を見てくれたのはまだ自身も幼かった姉だし、親戚に引き取られたあとも、世間の冷たい風というものはあっただろう。両親の事故死もそうだ。彼女は私の分まで痛みやら悲しみやらを引き受けてくれた。姉が風除けになっていてくれたからこそ、私はのほほんと暮らしてこれたのだ。
 だから姉には幸福に生きてほしくて、それを素直に祝福できない自分が恨めしい。心根のねじ曲がった、救いようの無い人間にも思えてくる。優しくて思い遣りのある(そうじゃなかったら許さない)旦那さんと可愛い(無条件)子供に囲まれた彼女に何と言葉を掛ければいいのだ? 実の妹や恩のある親戚を打ち捨てて顧みず、よくも自分だけのうのうと暮らしていられますね、とかか? ふん! 鬼畜は私だ。

 本物のメリー・ポピンズなら、こんなことでくよくよしたりはしないだろう。彼女は自惚れ屋で高慢で、子供にとっては理不尽な物言いばかりが目立つが、やるべきことは絶対にやる。するべきでないことはしないし、他人にもさせない。とにかく決然としていて、ふわふわと風に乗ってやってきた癖に、岩のように厳しく不動である。
 魔法が使えるかどうかが問題ではない。私はこう言ってしまいたいのだ。姉さんがどうかしたのですか? そんなことより、シリアルを早く食べ終えてしまいなさい!
 
「それがこの体たらくですよ。ああ、情けなや!」

 雨はざんざかと降り続いている。昔は、雨は空が泣いているのだという話を本気で信じていたこともあるが、子供心に恐怖心を覚えたものだ。どんだけ目の玉沢山なんだよ、とか。……気分転換失敗。どうやら本格的に凹んでいるようである。雨の似合う女にはなりたいが、涙の似合う女は媚びているようで嫌だ。
 何となく心細くなって、私は愛傘を抱き締める。慧音の言う通り、道具は手を掛けた分だけ確かに応えてくれるのだ。今この子とお喋りできたらなぁと、心から思う。
 ……と、電源がオフになっているにもかかわらず着信が鳴った。こいつ本当は狙ってるんじゃないのか。

「はぁいもしもしこちらメリー、無駄に絶好調よ!」
「何突然そのノリ、引くわー」
「ごめんなさい」
「メリーの奇行は今に始まった訳じゃないし。それよりさ、順調?」
「え? 何が?」
「何って……、まあいいや。ちょっと不安になってね。さっきのメリー、まるで赤の他人みたいだったし」
「あら、心配してくれたの?」
「心配してるのよ」

 どうしよう。弱気になっている今の自分では、何を口走ってしまうか分からない。ここは軽妙なギャグで話題を逸らさねば。

「ねぇ、吸血鬼の好みの血液型って知ってる?」
「B型でしょう。文献で読んだわ。そんなことよりあんた、何て面してんだか。折角の小奇麗な顔が台無しじゃない」
「小さいってのは余計だわ……」

 先手を打たれて回り込まれてしまった。本当に口の減らない奴だ。私は、小さく悪友の名前を呼ぶ。

「ん?」
「だからさぁ、もし私が帰ってこなかったら、どうする?」
「どうするって……、メリー、去年の顛末を忘れたの? あんたが無人島でぴーぴー泣き喚くもんだから、私は連休返上で迎えに行ってあげたんじゃない」
「ああ、そんなこともあったねぇ」
「あったねぇ、じゃないわよ。私は未だに根に持ってんだから」

 腰に手を当てて肩を怒らせる友人の顔が、目に浮かぶようだ。

「ごめんねぇ、遅れるかもしれないけど、ちゃんと帰ってくるから」
「おい、さりげなく遅れることを前提に話を進めるな」
「待っててね、お願いだから」

 床にぽたぽたと水滴が落ちる。おや、この個室雨漏りしてるんじゃないか。大工さんは何をやっているんだ。

「本当にごめん。嘘でも、縁を切るなんていっちゃって。えうっ。私、そんなつもり全然無いよ」
「うっわ、何よこれ、私が泣かしたみたいじゃない」
「えっぐ。怒らないでよ。私だってねぇ、怒る時は怒るんだからっ。ああう、嫌いになったりしないでね……」
「はいはい。あーもー、腕が疲れてきたわ。どうして私、大盛りなんか頼んじゃったんだろ――」

 防水性の機種を選んでおいて本当に良かった。何で泣いているのか、実は自分でもよく分からない。姉のことだとか、これまで不安だったことだとか、何もかもをひっくるめて悲しかった。耳元の慰めの言葉は、右から左に聞き流される。どうせ何を言ってくれているかは分かるのだ。それよりも、今は雨に土砂降りになってほしい。身も蓋もない私の嗚咽を、どうか掻き消してくれるように。



 ※



「随分と長くかかったな。使い方に難儀しているのではないかと心配していたんだ」
「出すものを出してすっきりしました。お待たせしてごめんなさい」

 腫れぼったくなった私の目元について、慧音は全く触れなかった。成程、彼女の機微は、永琳の天才と別種のものだ。

 他の二人もまだ店内に居た。監視には飽きてしまったのだろう。人形の方は椅子の上でうとうととしている。相変わらず作業を続けている人形遣いだったが、裁縫箱は既に片付けられていた。出来上がった服に、執拗に手を――手から染み出る不可視の力を擦り込んでいる。

「アリスさんがやっている、あれは魔法ですか?」
「魔法と呼ぶにはちょっと原始的だな。魔力にはそれ自体効用があり、物に付加させればそれだけで機能を持つ。身体に纏って衝撃を和らげたり、鍋に塗って耐熱性防汚性を高めたり。その一種でしょう」
「ふうん。便利なんですね」
「出来ないことの方が多い。何より、どう使うかが問題だよ」

 女教師が人形遣いを見る目は、一貫して微笑ましいものだった。人形が椅子からずり落ちて頭を打ち、涙目で怨敵を睨む。怨敵これを完璧にスルー。無心に仕事をこなしている。

「あのう、お願いがあるんです」
「何か?」
「姉さんについてお話ししてくれませんか。これまでにどんなことがあったのかとか。子供さんや旦那さんのこととか」
「良いよ。私の覚えている範囲で良ければ」
「慧音さんはお優しいですねぇ」
「さあ、どうだろうか。私は、自分のできることに限界があることを知っているだけだ」
「それともう一つ。お茶のお代わりと、お団子を頼んでも構いませんか? さっきからお腹がぺこぺこで」
「あんた、良い性格してるなぁ」
「それほどでもありませんよ」

 しばらくは楽しい会話が続いた。この教師は話が逸れまくるのが玉に瑕だが、話し手としても聞き手としても秀でた人物だ。私は姉の意外な一面と変わっていない性格について知り、お団子と一緒に咀嚼できるよう努めた。黄泉戸契のことは忘れよう。腹が減っては何とやら。必要なのは精神的な体力である。

 途中、慧音が席を外すことがあった。その間、私は雨の広場を眺める。またうとうとしている人形と、何が楽しくて生きているのか分からない人形遣い。龍神像はここのシンボルのようなものらしく、どんなに急いでいる人でもその前で足を止め、手を合わせて祈りを捧げている。
 帰って来た慧音に、私は質問した。

「あの像は、この里の神様のようなものなんですか?」
「里どころか、幻想郷における最高神なんだ。龍神様は」

 こうなると、解説が止まらないのが教師という生き物である。

「龍神様を崇拝するのに人間も妖怪もない。その巨躯は天を覆い、声は嵐となり、尾の一振りは山を谷へ変えると言われているが、普段は海(あま)の底で眠り、雨(あま)の中空へ昇り、天(あま)の上を翔け巡っていて、滅多に人前に姿を現すことが無いんだ」
「壮大な割に恥ずかしがり屋さんですね」
「だが、その痕跡は大々的に残っているぞ。龍が大地を通った跡が河であり、空を通った跡が虹となる。最後に幻想郷に龍神様が現れたのは――」

 以下、うんぬんかんぬん。

「えー、良く分かりました。つまり龍神様は幻想郷の創造神であり、また破壊神でも有り得る存在だと。それで里の中心に、河童さんが作った石像が立っている訳ですか」
「ああ、しかもあの像には秘密があってな。瞳の色を見ることで、その日の天気が分かるんだ。白い時は晴れ、青い時は雨といった具合に」
「それは人気が出る訳です。因みに、今日の色は?」
「綺麗な青だったよ。まあ、的中率は七割程度といったところだが。正確に予測できたとしても、それはそれでつまらないだろう」

 その時、青い瞳の人形遣いが徐(おもむろ)に帰り支度を始めた。人形達が傘を組み立てているのを、はっと目を覚ました毒の人形が見詰める。
 一体は傘を掲げ、一体はバスケットを提げる。完成したらしき洋服を持ち上げた人形遣いは、初めてもう二体の人形を見た。眉根を寄せて睨み返すその顔に、製作物を放って寄こす。
 慌てて人形が頭から布を引っぺがした頃には、人形遣いはさっさと広場を横切っていた。手元の服と遠ざかる少女を見比べ、きっとその背中を睨み付けると、出来たての合羽(かっぱ)を羽織りながら雨の中へ駆け出してゆく。

「私もそろそろお暇することにしますね。雨もいつまで続くか分かりませんし」
「そうか……。これは、頼まれていたものだ」

 私が受け取ったのは、何の変哲もない野菜の漬物と干し柿である。友人へのお土産だ。

「本当にそれだけでいいのか?」
「ええ。多すぎても鞄に入りませんし。お団子も沢山いただきました」
「それでも釣り合うかどうか。こいつはかなり貴重な代物なんだがな」
「私達にとっては、こっちの方が貴重です」

 手の中の金貨をしげしげと眺め、慧音は首を捻る。積み重なった小皿をちらりと見て、私は雨へ向けて傘を開いた。

「お姉さんには、会っていかないのか」
「ええ、何を言ってしまうか分かりませんもの」
「もう二度と会えなくてもか? 私の見る限り、彼女は今も貴方のことを気に掛けている。あの酒の席で……、自分は姉失格だと泣いていた」
「それならば、尚更会うことはできませんねぇ」

 私の感情の整理が付かないこともあるが、姉もあの性格だ。気に病んでいるその人が目の前に現れたら、大いにショックを受けるだろう。ましてや定住するなんて。

「代わりといってはなんですが、これを預かっていただけませんか」
「帽子、だな」
「元は姉さんが被っていたものです。卑怯かもしれませんが、見せろとも、見せるなとも言いません」

 七年前はぶかぶかだったのに、今では私の頭に誂(あつら)えたようにぴったりだ。そろそろ卒業するようにとのことなのかもしれない。

「私の判断に任せると?」
「はい、その変な帽子を見込んで」
「これには歴とした由来が――。いや、責任を持って頼まれよう。しかし、これからどこへ向かうつもりだ?」
「家に帰ろうと思います。確か、神社に行けばいいんでしたよね」
「ああ、巫女に頼めばいい。のんべんだらりとしている奴だが、腕だけは確かだ」
「悪い噂しか聞きませんが……。参拝客の居ない妖怪神社だとか、巫女なのに神様に奉仕する気がないとか。何の罪もない妖怪をぼこぼこにして金品を巻き上げているとか」
「私は嘘を吐けない性格なんだ。コメントは差し控えさせてもらう。まあ、欠点を補って魅力的な人物でもあるがな。神社の場所は分かるかい?」
「はい。実は一度見掛けたんですが、どっちの方角にあるんでしょうか?」
「あの山を目指して飛べばいい。幻想郷に神社といえばたった一つしか無いから、間違えることはないだろう。真昼間とはいえ妖怪は出没する。くれぐれも道中気を付けて」
「はい。お世話になりました」

 そう立ち去りかけた私を、慧音が柔らかく呼び止める。

「何でしょう?」
「言い忘れていたんだが、貴方のお姉さんは、里ではジュジュと呼ばれている」
「まあ……」

 “外”で使っていた偽名とは違う呼び名で、私は危うく吹き出しそうになった。

「これまたお上品な名前に落ち着いたこと」
「一々本名で呼んでいられないだろう。寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長子だなんて」
「しっかり言えてるし……」
「職業柄、記憶力には自信があるんだ。良かったら、メリーの本名も教えてくれないか」

 そう頼む慧音の表情が場違いに真面目だったので、私の心にも魔が差したのだろう。

「姉さんよりは大分短いですよ。Supercalifragilisticexpialidociousといいます」
「は? 何だって?」
「私、スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスと申します。外国のとあるフレーズですよ。意味は、『とてもじゃないが言葉では言い表せないし、こんな言葉には意味が無い』」

 メリー・ポピンズが謳(うた)う魔法の言葉だ。覚えにくいことをべつとすれば、良い言葉だとは思うのだが。ぽかんとしていた慧音は、慌てて表情を取り繕った。

「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスか、覚えたよ。響きはともかく、親御さんが付けてくれたたった一つの名前だ。大切にするんだぞ」
「……ええ、発音が難しくてやってられませんが」
「私も舌を噛みそうだ……」

 まあ、彼女の言うことにも一理ある。私の両親は碌でなしだったが、私に名前を付けてくれた。そのことだけでも、評価する価値はあるのかもしれない。
 しかし、姉さんと考えることが一緒だったとは。本名の恥ずかしさを払拭するためには、それ以上にインパクトのある名を名乗るしかない。かといって、それが偽名だとも思っていないが。昔日の人間は、長ずるに従って己の名前を履き替えた。私もできることなら変わっていきたい。かつて道を別った姉に、心から祝いを述べられるように。

 だからといって三十四文字は欲張り過ぎか、そう頭を掻きつつ、私は帽子が変な教師と別れたのだった。







 8.愛おし恨めし山登り 〜 Beware of Forgotten World !







 ……乙女心に秋の空、愛は妬みへ恨みは恋へ、金は天下の何とやら。とかくこの世は廻りやすい。
 ――急がねば、急がねば。



 ※



 これまでのあらすじ。里の歴史家と別れたメリーとポリーの二人組は、一路神社を目指して飛ぶのであった。紅葉も鮮やかな妖怪の山には、恐ろしい魑魅魍魎が蔓延(はびこ)ると聞く。果たして、降りしきる雨の中で二人が出遭う者とは!?

「っていうか、わざわざ神社を山の上に建てるなって話です。都会っ子の体力舐めてんのか」

 今回ばかりは迷いようがなかった。雨の帳の向こうに聳える、巨大な山を目印に飛べばよかったからだ。しかし、これを徒歩で登らなければならないと言われたらぞっとする。富士山並みに高いんじゃないだろうか。現在高度はまだ中腹にも辿り着かない辺り。先は長そうである。
 よく目を凝らせば、紅と黄金色に埋め尽くされた山肌に白い壁のようなものが見えた。幽香先生の話が正しいなら、膨大な水量を誇る九天の大瀑布だ。
 ……待てよ。思い返せば、神社の隣に大きな湖があったはずだ。つまりは水の流れを遡っていけば、目的地に辿り着ける成算が高い。問題は先住民族の方々だが、曰く人間に対して友好的な者も多いらしい。神社の存在にも一目置いているとのことで、事情を話せば分かってもらえるといいのだが。まあ、出遭ってから考えよう。

 思い立って方向転換しようとした際、異変に気付いた。乱気流に巻き込まれた訳でもないのに、傘が言うことを聞かなくなったのだ。まるで、私以外の何かに心を奪われてしまったかのように。
 すわ反抗期か、と落ち着きを失くしていたためか、私は雨粒を切り裂いて飛来する高速の物体を見定めきれなかった。直前にポリーが身体を捻るも、飛来体は幸か不幸か私達を繋ぐ手錠を断っていた。その拍子に把手が離れ、結界が消失する。

「――は、まずっ――」

 風に煽られて飛んでゆく愛傘に目を奪われていた私は、容易く重力の鎖に絡み付かれていた。瞬時に冷静さを取り戻すことができたのは、冷たい雨が意識を引き締めてくれたからだ。ベルトの折り畳み傘を抜き、取っ手の底を腰骨に叩き付ける。ばね仕掛けが作動し、あっという間に全自動展開する傘。流石は業界最速だ!
 ――が、どうやら判断が遅すぎたらしい。結界が完成する前に、私の重量と自身の空気抵抗で骨組みに甚大な負荷が掛かり、一部が歪んでしまった。これでは空を飛ぶことも不可能だ。せめて中途半端な結界をパラシュート代わりにしようと広げるも、速度を殺し切れないまま私は森の中へ――。



 ※



「どうせ生きてるって展開ですよね! ほら生きてたたたた痛い痛い」

 一番痛むのは、どうやら傘を打ち付けた腰骨らしい。火事場の馬鹿力が嫌な働きをしたものだ。朽葉の散り敷く地面の土は柔らかく、また葉の茂った梢が衝撃を緩和してくれたお陰で助かったようだ。さっきのお茶に立っていた茶柱一本分の幸運かしら。助かったといえば――。

「あちゃー……」

 直径だけで私の身長を超える大樹の立ち並ぶ森。濡れて張り付いた落ち葉を払い落しながら立ち上がり、生い茂った枝を見上げる。哀れ折り畳み傘は、引っ掛かった木の枝に変わり果てた姿を晒していた。どうやっても手が届きそうになく、回収は諦めざるを得なかった。命の恩人の冥福を祈りつつ、これからの工程を考える。
 女子大生一人、人喰いの棲む山の中。命綱の相棒を失い、碌な装備も無し。右も左も分からないまま未開の山々を踏破と洒落込めば、その辺の詩人も真っ青の絶望感だ。少し楽しい。

「あらら、意地張らないで護衛を頼んでおけば良かったかな――ひゃあん!?」

 なめくじのような軟体生物が首筋を這う感触に、私は飛び上がらんばかりに驚いた。素っ頓狂な声をあげて振り向くも、ものの見事に誰も居ない。
 そこでやっと私は異常を察知した。雨は降り続いているにもかかわらず、自分は雫を受けていない。おっかなびっくり真上を見る。滑稽なほどに大きい一つ目と、その下に裂けた口から伸びる真っ赤な舌が、私の視界を占領する。

「…………」
「あははっ、驚いて声も出ないってとこね!」

 ばっと一つ目が退くと共に、得意げな表情の少女が現れた。赤い右眼と、色素の薄い髪と同じ色の左眼とのために、そこにも一つ目が幻視される。菫色の唐傘は間違いない。私がこの郷に迷い込んだ時、雲の中で遭遇した相手だ。

「私達、どこかでお会いしませんでした?」
「嫌だなぁ。そんな古典的な文句じゃ、蝙蝠傘一本釣れないわ。お次は運命の人だなんて言いだすの?」
「見間違いでなければ、お花畑で私を助けようとしてくれましたよね」
「あちきが人間を助けるって? そんな馬鹿な話が――お花? お花……。うううぅぅぅぅ」

 大袈裟に惚(とぼ)けようとした途中で、少女はがくがくと震えだした。

「お、お花恐いよぅ。ごめんなさいごめんなさい。私何でもするから……っ。駄目、そんなとこ曲げちゃだめぇ……。いたくしないでくだひゃひぃ……」
「大丈夫! ここはお花畑じゃないですから! 私まで恐くなるからやめて下さいな!」

 トラウマを喚起されたのか、恐慌状態に陥る少女。これ以上の追及は無理そうだ。私は何とかその震えを慰めようと肩を揺さぶる。

「ほら、お花なんて咲いてません! 恐怖の大王は去ったのです!」
「ほ、ほんとに? もう小傘のこと虐めない?」
「ええ、だから涙を拭いて下さい」
「うん……。はぅ!」
「え、あっ! ちょっと――」

 やっと顔を上げたかと思うと、自称小傘は脱兎の如く私の手から逃げ出した。かと思うと、木々の間を大回りに回り込み、再び現れたかと思うと口上を述べる。

「ふっふっふ。暗い夜闇にぱっちりお目々、開いて驚け見て恨めしや、『愉快な忘れ傘』こと多々良小傘といえばあちきのことさ! さあ心臓発作!」
「ああ、登場からやり直すんだ……」
「どう? 驚きなすって?」
「一つ言わせてもらうと、今は夜じゃありませんよ」
「あいやしまった。からかさ閉まった」

 唐傘を畳んで私の前に降り立つ小傘へ、私は遠慮がちに声を掛ける。

「あの、小傘さんは妖怪ですよね」
「そうよ? 見ての通りのからかさお化け。傘を差してふらふら飛んでる人間が居たもんだから、ちょっと後を尾けてみたの」
「撃ち落とされてしまいましたけどね。一体誰が……」
「天狗の連中じゃないの? あいつら普段は紳士ぶってる癖に、侵入者には容赦しないから」
「……肝心なところが初耳です」

 出た。幽香先生の時間差サディスティックだ。一生付いていきますぜ。

「でも、小傘さんは大丈夫なんですか?」
「私はどーでもよし認定されちゃってるからなぁ。失礼しちゃうわ。今時私以上に妖怪らしい妖怪なんて居ないのに」
「あー、忘れかけていましたが、妖怪って人間食べるんですよね。丸飲みとかは勘弁して下さい」
「そんなこたぁしないさ。化け傘が食べるのは人間の心。吃驚仰天した連中の見開かれた目と迸る悲鳴が、私にとってのご馳走って訳。貴方のは結構美味しかったわよ?」

 にやにやと笑って舌舐めずりをする少女。彼女にとって人を驚かせることが、吸血鬼における吸血行為ということか。その名前や自己紹介からして、恐らくは付喪神の類。ならば、

「あれ、もしかして死体遺棄現場ですか?」

 私が指差した先の、原形を留めていない折り畳み傘を見て、小傘の瞳は寂しそうに細められる。

「いんや、羨ましいくらいさ。精一杯自分の役目を果たして、それで朽ちていけるのならね。あの子は安らかに眠れるだろ。私って、……元は忘れ物の傘だったのよ」
「登場時に思いっきり宣伝していましたが」
「だのにちょっぴり配色が個性的だからって誰にも拾われず、風に吹かれて破れ傘。恨み辛みが降り重なって、傘成ったるや一つ目の化生。悲劇だねー」
「自分でそう言えるのならまだ大丈夫。でも、私はその傘素敵だと思いますよ?」
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
「本当ですって」
「私を買ってくれた人間も、初対面ではそう言ってくれたのに」

 横顔に微笑を過(よぎ)らせて、少女は唐傘を掲げた。赤い舌が長々と伸び、壊れた折り畳み傘を巻き取ると、大きく開いた口の中に放り込む。

「この子は私が供養しとくわ。それで、貴方は次にどうするつもり?」
「私はポリーを探さないと。どっちに飛んでいったか見ませんでした?」
「偉いっ! 良く言った!」

 急に破顔一笑した小傘は、私の手を取って踊るように唐傘を回した。

「傘を捨て置くような人間は野犬に喰われてしまえばいいが、あんたみたいなのを見捨てちゃ多々良小傘の名が廃(すた)る! 傘探しを手伝ってあげるよ!」
「は、はぁ」
「でもあくまで見付けるまでよ。私は傘の味方で、人間は敵。べっ、別に貴方を助けるためじゃないんだからねッ!」
「そのキャラはあざとすぎるし、最終的に意味合いが逆転してしまうと思うのですが――」
「いいの。たらふく食べさせてくれたお礼なんだから」

 強引に少女が私の身体を持ち上げようとすると、あの重力から解放される感覚が全身に行き渡った。人間どころか電車一両包みこめるだけの撥水結界が、小傘を中心に展開していることが分かる。そうか、彼女も傘そのものなのだ。

「そういや、名前を聞いていなかったわ」
「あ、私のことはメリーとお呼び下さい」
「あちきはねぇ。――暗い夜闇にぱっちりお目々!」
「それもう聞きました」

 こうしてやたらハイテンションな道連れを得た私は、山のさらなる奥地へ分け入ってゆくこととなった。



 ※



 小傘と手を繋いで木々の間を飛び始めてしばらく。私達は龍の通った跡地、つまり一条の渓流に突き当たっていた。深く抉れた川岸ぎりぎりまで巨木が立ち並ぶ様は、よく出来たトンネルを思わせる。幹の並びと岸壁が横壁で、秋色に色付いて広がる梢が天井。床には法師が詠んだ通り、龍田の川の錦なりけり。

「さっきから適当に飛んでいるように見えますが、本当にこっちでいいんですか?」
「うん。同胞が呼んでいればすぐに分かるわ。私はここに居る、置いて行かないでって。この川上らへんに彼女は居ると思う。さあ、行きましょうか。……間違ってたら悪いね」
「おーい」
「あいやぁ、今日眼鏡を家に忘れちゃったでごわす」

 私は心の中でざっと十通りのツッコミを思い付き、順々に廃棄した。ぺろりと出された赤い舌が腹立たしいやら可愛いやら。

「それにしても、段々雰囲気がおどろおどろしくなってません? ここらで一杯化け物恐い」
「蛇(へび)が出るか蛇(じゃ)が出るかだね」
「それじゃ確立百パーセントじゃないですか」
「予定通りの人生は悪夢のような物よ。無駄こそが美しさ。遊び心が無い人間は道具と同じ。遊び心のある道具は人間と同じってね」
「つまり、無理にでもじゃが芋が出ると解釈した方が良かったと?」
「遊び心しかない、使えないものは即ち瓦落多(がらくた)でございます。山田くーん。十枚持って行ってー」
「ああう。ついに座布団負債を抱えてしまいました……」

 冗談抜きで、漫才でもしないとやっていられない様相を呈しつつある。晴れの日なら絵葉書にできそうな鮮耀たる風景も、陰鬱な雨雲に圧されていれば心霊スポットに早変わりだ。疎らな木漏れ日の反射光は暗い水面に揺蕩(たゆた)う亡者のようで、流れゆく落ち葉の紅色をちろちろと燃え上がらせては、風に波立たされて変幻する。
 そうして私の予感は的中した。正確には、出たのではなく待ち受けていたのだが。波間から尖り出た岩の上に佇む独りの人物。小傘は私の手を引き、結界を縮めながらその手前にあるもう一つの岩へ着地する。
 
「珍しい取り合わせね。人間と妖怪が一緒なんて」
「人間……じゃ、ないみたいですね。貴方も妖怪なんですか」
「失礼千万な。私は八百万の一柱、鍵山に祀られずの秘神流し雛よ」

 振り向くは、硬い翡翠色の髪に沈んだ紅色のリボンを結(ゆ)わえた少女だった。スカートの前で叉手にした左手首にも同じリボンが巻かれ、判読不明な文字列が読み取れる。自傷行為を連想してしまうのは、この場の澱んだ空気に毒されているからか。作り物のように整った顔立ちは、あの人形遣いとは正逆の、闇が映える美しさだ。そして少女の周りで円心状に漂う、禍々しい色合いの霧。雪膚(せっぷ)を叩く雨は、何事も無かったかのように身の内へ吸い込まれてゆく。

「厄神、と名乗った方が通りはいいかしら。ここは瑕穢(かあい)の吹き溜まり。人間が来て良いところじゃないわ」
「私達、この先に用があるんだけどー」
「抜けた先は妖怪の山よ。いずれにしろ、引き返した方が身のためね」
「えっ? まだ妖怪の山じゃないんですか?」
「山の裾野は、人とも妖とも交誼(こうぎ)を結ぶ神々の領域。私はまだ友好的な方。だから何度だって言ってあげるわ、人の子よ。この先に進めば必ず後悔することになる」
「じゃあ、妖怪の私ならおっけーなのね」
「お勧めはしないわ。河童はともかく天狗達の排他主義は病的だし。特に昨日からは、風も川も危うい均衡を孕んで流れている……。それでも進もうというならば、私がお相手しましょう」

 あくまでも静かに宣言して、少女は瞼を下ろした。冷淡とも取れる態度に、小傘が食って掛かる。

「ちょっとちょっと、さっきから一方的すぎやしないかしら。私達の言い分だって聞いてくれていいじゃない」
「時間の無駄だと思うけど。その岩が、安全を保証できる最短の距離。私に不用意に近付くと怪我するわ。黙って引き返すというのなら、案内役を付けてもいい」
「人間を通さないことが、貴方の役目なんですか?」

 私の問い掛けに、流し雛は目を閉じたまま答えた。

「厄神と言ったでしょう。私は流し雛達を統べる軍団長でもある。人間が払った厄を集め、再び人間の元へ戻っていかないように見張ることが私達の仕事」
「なら、人間の味方ってことでしょ? この人間はとっても困ってるのよ」
「人の身を案じるからこそ、私は貴方達を追い返す。たとえ、そのために人を傷つけることになろうと。解(げ)せないのは、どうして人間が妖怪を連れているのか」
「違う。私がこいつを連れてるの」

 小傘の主張を無視し、厄神はリボンの端が風に流されるに任せて言葉を紡いだ。

「多々良小傘、忘れ傘が人を恨んで化けて出た妖ね」
「あら、あちきったら有名人」
「新聞で読んだことがあるわ。雲の中でその日を暮らし、人間を驚かせては糧を得るだけの、向上心も無ければ面白味も無い三流妖怪だってね」
「うぐぐ。誰がそんな無責任な出鱈目を……」
「どうして人を恨んでいるはずの貴方が、人間の肩を持つようなことをしているのか。もし飼い殺しにでもしようというのならば――」
「ならば、どうなるんですか?」
「どうにもしないわ。私は妖怪の味方でもある。つまり、妖怪を傷付けることも厭わないという訳。さあ、話が分かったらお家に帰りなさい」
「そ、その家に帰るために、この先へ進まなければならないんです」
「私だって、馬鹿にされたまんま引き下がっちゃいられないわ!」
「……そう。強情な連中ね。痛い目を見なければ現実も直視できないか」

 雛が瞳を開くと同時。周りに漂っていた暗い霧――厄が徐々に水面へ溶け込み、彼女を中心に渦を巻き始めた。小傘は唐傘の口から一本の雨傘を取り出し、私に押し付ける。

「使って。岸辺にでも避難しときなさい」
「何が始まるのか予想は付きますが、話し合いで解決という訳には――」
「口先の主張が罷(まか)り通るなら、女の子に弾幕は要らないのよ。この生意気な神様に目に物見せてくれるわ」

 からりと深い菫色の傘を回し、化け傘は厄神を睨(ね)め付けた。対峙する二人の周囲を、数枚ずつの白く輝く矩形が舞い始める。スペルカードルールに基づいた弾幕ごっこ。己(おの)が信念を賭けた真剣なお遊び。私は早々と説得を諦め、崖の上に退避する。妖怪と八百万の一柱のぶつかり合いなんて、人間の私が巻き込まれたら一溜りもない。
 気迫を帯びながらも叉手の姿勢を崩さず、雛は淡々と質問を投げ掛ける。

「ねぇ、神と妖怪の違いって何だと思う? 私にあって、貴方に足りないものよ」
「藪から棒ね。そんなの――、ええと、ほら、アレよアレ」

 しどろもどろになる小傘が見ていられなかったので、私は声を張り上げた。

「強いて線を引くならば、人間から信仰を得ることによって存在を維持しているのが神様で、恐怖を存在基盤としているのが妖怪かと」
「その認識は間違ってはいない。でも、祟りの恐怖によって人民を支配した神も少なくないでしょう。災害を神の怒りと信じ、人間達は祭りを行って慰撫した。鎮められた神は、今度は恵みを齎(もたら)す存在として崇めたてられる。同じように、祀り上げられることによって妖怪から神へ転じた例だってある」
「……そ、そっか。常識よねー。うんうん、勿論知っていたわよ」
「要は、神は二面性を持っているということでしょうか。対照的に、妖怪は一面的な存在でしかない」
「ええ。八百万の神々なら誰しも和(にぎ)と荒(あら)、二つの顔を持つ。ある時は尽きることの無い恩恵を注ぎ、またある時は仮借なく罰を与える。その循環が不可欠なの。だから貴方は、神に成ることができなかった」
「どうして私が神なんかに――」
「貴方の中には人間への憎悪しかない。ただ一方の見方でしか世界を眺めることができない。自我に囚われ、故に自分しか見えず。恨み節を垂れ流すばかりで、その実一歩も歩んでいない。そんな相手に負けるとは、どうしても思えないわね」
「ふん。言いたいことはそれだけ?」

 厄神の語りを、化け傘は鼻息一つであしらう。

「散々偉そうなこと言いながら、向上心が無いのはあんたの方じゃない」
「何のこと――?」
「同じ所でぐるぐる回ってるだけって意味よ。和と荒だって? あっちにへつらいこっちにへつらいして、結局一歩も動いてないのと同じじゃん。人間の味方を自称したいなら、もっと強引に助けなさいよ。本当は、その天狗様が恐くて逆らえないだけじゃないの?」
「……己の分を超えて世の流れに逆行したところで、得るものより失うものの方が大きいでしょうに」
「手前勝手に器(うつわ)へ蓋して悦に浸ってるんじゃ、世話ァ無いな」

 これまで頑なに表情を変えなかった流し雛の眉が、ぴくりと跳ねた。

「所詮は付喪神(ばけどうぐ)に説教される筋合いは無い。人間に相手にされないからって、神を逆恨みしないで」
「神様が聞いて呆れるわ。二面性云々だとかぶち上げておきながら、自分は新聞の一面でしか他人を判断してないじゃない」
「いや、三面記事だったわ」
「え、嘘!?」
「ほんと。でも認めましょう。確かに私は軽率だった。実物に取材する方がずっと早くて簡単だ」

 表情から険を落とした雛はその場でくるりと一回転し、スカートを摘んで軽く腰を落とす。

「そんじゃあ硝子の目玉をしっかり嵌め込んどくのね。飛び出た拍子に失くさないように。私の唐傘が、新聞紙みたく薄っぺらと思ったら大間違いよ」

 小傘は不敵に舌を出してみせると片足を上げ、唐傘を担いで小粋なポーズ。

「うわぁ、生決闘だ。録画してもばれないかな……」

 場の緊張感に目を泳がせた私は、視界の片隅にその色を見付けた。風に飛ばされてきたのだろう一輪の傘が、上流の木の枝に引っ掛かっている。

「ポリー……っ!」
「流してあげるよ、お化け傘。貴方の枯骨をズタズタにして――」
「化かしてあげるよ、流し雛。手前の死体をバラバラにして――」

 燃える紅葉と滴る雲の下。私一人の驚愕に、示し合わせたような啖呵が重なった。

「――この冷たい川の底、スプラッタにしてあげるわ!」
「――この冷たい雨の中、スクラップにしてあげるわ!」



 ※



「って、物騒な! お遊びの段な台詞じゃありませんよ!?」

 私の悲鳴を皮切りに、勝負は動き出していた。雛が右手を差し向ける挙動に反応して、渦巻いていた川の一筋が小傘へ襲い掛かる。

「唐傘の撥水性を舐めないで!」

 振り回した傘で水流を一蹴し、同時に攻撃へ転じていた。今や撥水の膜は唐傘の傘布にぴったりと張り付いており、傘の動きに同極磁石の如く反発した雨粒が、弾丸と成って空気を裂く。しかし、独楽の速さで回転した雛に飛跡を巻き取られ、敢え無く川の水へ合流した。

「ま、親和性じゃ負けてないようね」
「むう……。ならこいつはどうかしら? おっどろけ〜!」

 掬い上げるような傘の一振りが、大きな波の壁を作る。その死角に乗じ、小傘は唐傘の舌を一直線に伸ばしていた。獲物に巻き付く手応えを感じ、自分の元へ引き戻す。

「どう? 舐めていいのは私だけ、なーんちゃっ――でぇっ!?」

 得意げな台詞を中断させたのは、舌に巻き取られていた物体。身体こそ等身大だが、それは紙で折られた別の雛だった。咄嗟に下駄で蹴り飛ばしていなければ、爆風が少女を直撃していたことだろう。

「あら、舌だけでも爆破しておいた方が良かったかな」
「げ、痛そうなこと言わないでよ……」

 私もまた茫然としている。隣を折り紙の破片が通り過ぎたような気がして振り向くと、預かった傘に大穴が空いていた。ここ、全然安全圏じゃあないじゃないの。
 流れ弾を警戒して木の幹へ身体を隠す。これではもう飛ぶことはできないだろう。先に愛傘の居る岸に渡っておいて正解だった。名誉の負傷(多分)を負った傘を畳んで地面へ横たえ、こっそり戦場の動静を盗み見る。

「そっちがその気なら、私も援軍を呼ばせてもらうわ!」

 掲げた唐傘の下から何本もの子傘が吐き出され、小傘の周囲に浮かび始めた。石突を雛に向けて次々と花開き、連続して特攻を仕掛けてゆく。これも次の一手のための布石と読んだのだろう。厄神は回避でも防御でもなく、一網打尽の攻勢を選ぶ。左手のリボンを軽く緩め、群れ来る傘へと振り向けた。

「私が溜め込んでいるのは厄だけじゃない。未だに癒えぬ古傷を、少しだけ分けて差し上げましょう」

 放電されるかのように空間を伝うのは、瘡蓋(かさぶた)の剥がれた生々しい傷口。手首から放出された傷をまともに浴びた子傘達は、程なくして様々な症状を発する。切り裂かれ、打擲され、捻じ折られ、貫通され――人なら一条で死に至る責め苦を、この人形はどれだけ左腕に溜め込んできたのか――炎上し、溶解し、爆散し、発狂し。壊滅状態に陥った傘達の中から、しかし無傷の傘が一輪、飛び出してくる。

「――っ!?」
「悪いわねぇ。私の場合、古傷なら満員なの」

 驚く雛に急接近し、小傘は唐傘を槍の如く構えた。防御姿勢を取った厄神は思う壺の中。本命である子傘達の破片が全方位から敵を狙う。それらを阻止するための一手は川の渦巻きに仕込まれていた。飛び出してきた折り雛達が盾となり、次いでその身を爆炎に賭す。今度こそ傘達の特攻隊は燃え尽きた。敢えて大きく吹き飛ばされた小傘は元の岩の上に着地し、固唾を飲む私へ目配せをする。

「陰険な奴だと思ってたら、案外派手なことやってくれるじゃないさ」
「泣き虫小僧と甘く見てたわ。意外と根性があるようね」

 水煙の中から現れた流し雛と交わす軽口の応酬は、仕切り直しの合図なのか。その間に目標まで半分の距離を稼いだ私は新たな根元に転がり込み、機会を窺うことにする。もし彼女が私を助けてくれるなら、次はどんな手を打つ?

「どうせ人外同士の戯れだもの。このくらいの刺激がなくっちゃあ」
「身体を動かすには吝かじゃないけど、……人間を巻き込むのは本意じゃない」
「甘いわね。自分の身は自分で守ってもらわなくては。次の一撃に遠慮は無用よ、厄神さん」

 そう宣告し、小傘は唐傘の舌を伸ばして光る矩形の一枚を飲み込ませた。傘の内側から生まれ落ちた傘達は、花開くなり、横倒しになって高速で自転を始める。

「お化け鉄道の夜――。終着は、きっと貴方の墓場でしょうよ」

 二列に並行して走り始めた傘を車輪に見立て、私は渓流のトンネルに特急列車を幻視する。妖力が流し込まれた幻想は、受肉して現実と化した。鋼鉄の塊は質量を得て疾走を開始し、正面の少女を轍(わだち)と踏む。
 雛の対応は素早かった。電車が最高速度に達する前に素早くその前面へ突っ込み、左腕を窓に叩き付けている。私の位置からでは、あらぬ方向に曲がった片腕を気にせず右手でスペルカードを掴み、首筋に押し当てていた姿が最後。ガラスが割れる音からして轢殺は免れたらしいものの、雛が乗り込んだ車両は急速に川上へ遠ざかってゆく。

「ほらメリー、今の内に早く!」
「ちょ、ちょっとこれはやり過ぎなんじゃ――」
「お互い、首が取れたところで本当の意味じゃ死にやしないわ」

 傘が引っ掛かっている木の根元に辿り着き、私は梢を見上げた。どちらかといえば川に近い方の枝で、爪先立ちしても届きそうにない。

「ジャングルジムなら登ったことはあるけど、ふう、この年で木登りに初挑戦か」
「――! メリー、気を付けてっ!」

 見れば、特急は逆に川を下り始めていた。その胴体は花びらのように切り開かれ、無数の鉄線と化し巻き取られてゆく。断たれ紡がれて織り上げられるのは、分厚い鋼鉄の車輪だった。各所から火花を軋ませながら、召喚者への逆襲を開始する。軸棒に腰掛ける雛には、どうしたことか傷一つ無かった。折れたはずの腕も再生している。

「運命の女神(フォルトゥナ)の後ろ髪――。掴まされたが最後、もう貴方に逃れる術は無いわ」

 だが、轟然と迫る運命の輪を前にして、小傘は露も動じない。

「引っ掛かったわね! その電車には、何と自壊スイッチが仕込まれていたの!」
「ああ、これのことね」
「うん。それそれ。驚いたでしょう?」
「小傘さん。スイッチ仕込んでどうするんですか?」
「あ――」
「ぽちっとな」

 雛がスイッチを押すと同時、高速で輪転していた鉄線の束が弾け飛んだ。唸りを上げて飛び交う金属の鞭を掻い潜る道は少なく、当然、出口には笑顔の女神様が待ち構えている。

「人形だからって、痛みと無縁とは思わないで!」

 強烈な回し蹴りを叩き込まれ、吹き飛んだ小傘は壁に激突する。はらりと開いた唐傘がその姿を覆い隠したと思うと、閉じるや否や弓矢の鋭さで雛へと突っ込んだ。何の捻りも無い突撃を難なく躱した流し雛だったが、背後で開いた唐傘から飛び出す小傘の奇襲には、一拍対応が遅れてしまう。下駄の歯を鳩尾に食らった厄神は、水面で一度跳ねてから川へと没する。

「はっ、あんたが無神経じゃなかっただなんて驚きね〜!」
「お二人とも! 肉弾戦にはイメージだだ崩れの恐れが――ひゃん!」

 一秒前まで頭があったところを通過した水玉がいかにも堅固そうな木の幹を抉っているのを見て、私はすごすごと隠れることにする。

 互いに冗談のような大技を繰り出した後は、地道な射撃戦に戻っているようだ。化け傘の結界が撥ね、弾き出し、時には絞り出す雨あられという弾幕を、流し雛は独楽舞いでいなし、取り込み、巻き上げた刺々しい水流で反撃する。子傘と折り雛が入り乱れ、爆音と擦過音がひっきりなしに響いていた。流れ弾が時折こちらまで飛んでくることも少なくなく、おちおち木登りなどできそうにない。寄らば大樹の陰とやり過ごしつつ、好機を待つ。

 先に仕掛けたのは雛の方だった。いつの間にか水の動きを海と雨と天の輪廻に準(なぞ)えていたらしく、その回転を司る神の見立てによって、周囲にある水の支配権を根こそぎ収奪したのである。

「水が天地を廻るように、器物も朽ちてはまた生み出される。その流れに取り残された貴方は、自然の循環に耐えられるかしら?」

 膨大な量の水を凶器に変えられ、絶体絶命かと思われた小傘の瞳には、からかうような反骨の光が宿っている。

「この程度の嵐に吹き流されるようじゃ、唐傘家業はやっていけませんとも!」

 多量の弾幕を操る故の精度の甘さに化け傘は付け込んだ。水流と水流の間に撥水の刃を捻じ込み、衣服の一部をもぎ取られながらも、強引に活路を切り開いてゆく。しかし、対する流し雛の狙いは別にあった――。

「私、実況中継とかやった方が良いのかしら」

 下らない冗句でも言わないと飛び出して行ってしまいそうなほど、私は手に汗握っていた。彼女達は、決して勝利に執着している訳ではない。ただ真剣に勝負を挑んでいるだけなのだ。しかも、相手のファインプレーや自分が危機的状況に陥ることを楽しんですらいる。単なる力比べではなく、美学と美学のぶつかり合い。これが、弾幕ごっこというものか。

「――透明なのは、水ばかりではなく――」

 瞳を細めた厄神が、自らの手で水面を切る。敵味方とも水を主だった武器にするからこそ生じる盲点。電車から回収し、水流の中に紛れ込ませていた幾つものガラス片が、易々と撥水の結界を突き破っては少女の肉体を裂いてゆく。血飛沫が辺りの水を赤く染めた。唐傘と衣服に大小の穴を開けられ、浅く深く切り傷を負った小傘が、雛の目の前でぐらりと傾ぐ。

「思い……、出したわ……。懐かしい……」

 まだ、決着は付いていないらしかった。唐傘の破れから除いた一つの目が、人形の驚いた表情を捉えて情念に濁る。

「こんな風に心が痛くて……、私は一つ目の化生に成ったの。一つなのは、『目』、だけよ」

 窄(すぼ)めた唇から吐き出されたガラス片が、驚愕に見開かれた目玉の片方に突き刺さる。傘に開いた無数の裂け目が瞬時に引き攣り合わされ、転じて化け物の口腔となった。蛇の如く飛び掛かる同じ数の舌。一番血色のいい肉の縄が雛の首に巻き付き、引き剥がそうとした手を、突き出された舌を、――全身を十数本の赤い紐が襲う。舌でぐるぐる巻きに縛り上げられて苦悶に喘ぐ少女の表情を覗き込み、からかさお化けは嗜虐的に笑う。

「もう私を痛め付けてはくれないの? 開いた傷の数こそ私の力。だから、もっと貴方には頑張ってもらうわ。こういうの何て言うんだっけ……。さでずむ?」
「かっ……、ぁ……」

 ついに、小気味良い音と共に流し雛の首が折れた。だらりと垂れ下がった頭部からガラス片が抜け落ち、明瞭な滑舌を取り戻す。

「奇遇だこと。私も傷を避けようとは思わない。その分だけ、他の誰かが救われるのならね」
「けったいな仕事なのねぇ、神様って」
「これは個人の主義でもあるわ。貴方の痛み、今は私が引き受けましょう」

 水流が二人を中心に織り合わされ、透明な繭を形成する。私はこれを好機と見た。一番背の低い枝に両手を掛け、身体を引っ張り上げる。濡れた樹皮で滑らないよう注意しつつ、ぎしぎしと揺れる枝葉に恐怖感を覚えながら、半分自棄っぱちで登ってゆく。

「ビルの屋上だって恐くなかったのに――。も、もう少し……」

 繭が破裂した衝撃で木々が揺さ振られ、私は何とか幹にしがみついた。小傘は無傷に戻っており、頭部の据わった雛は、頭のリボンを解いて爛れた左腕へ追加分を巻き付けている。舌から脱出するために、敢えて相手の傷口を奪い取ったのだろう。まだ軽口を叩き足りないのか、二人はすぐ臨戦態勢に入った。

 ――はっとして振り向く。愛傘が枝から離れ、また水弾の撒き散らされ始めた戦場へ吹かれているではないか。
 私は古の職人を信じて枝を蹴った。ぎりぎり届かなかった指先を、不可視の力場が補う。手の平に把手が吸い付くような感触。眼下には、慌てた表情の小傘が、唐傘を小舟のようにして滑りこんできていた。背後に迫る弾幕。ポリーに結界の展開を頼んだのは、浮かぶためではなく下方へ急降下するためだ。着地は腕に抱き留められるに任せ、結界を一方に集中させる。
 腕に衝撃が伝わり、私は何とか弾を受け流すことに成功したことを知った。小傘と顔を見合わせ、お互いの表情を知り――。

「びっ――」
「吃驚した!」
「仰天したわ! 何やってるのよメリー!」
「いやもう、驚いちゃってさぁ!」
「いやいや、貴方達は一体何がやりたいのかしら?」

 厄神に冷めた眼差しを向けられ、私達は我に返った。同時に、三者の位置関係に気付く。私と小傘が川上、攻撃の手を止めた雛は川下である。

「それにしても、人間と妖怪が、ね。手強い訳だ」
「あんたの相手はこの私よ! ほらほら、メリーはさっさと行く!」
「えー、しかし……」
「最初から傘を見付けるまでって話だったじゃない」
「あーはい。そっちの人間は見逃してあげるつもりなんだけど」
「は、本当ですか?」

 露骨にやれやれといった表情を作りつつ、流し雛は頷いた。

「これが最後の忠告。貴方を撃ち落としたのは、白狼天狗の哨戒部隊のうち誰か。この時間帯なら、真面目に仕事してるのは犬走の椛くらいかしら。あいつらの監視の前では欺くことも隠れることも無駄よ。どうせ発見されるんだから、精々言い訳を練っておくことね」
「あ……、ありがとうございます」
「それじゃー、私達はこれで!」
「待ちなさい。貴方はまだまだ遊んでいけるでしょう。このままじゃ私ばっかり大損じゃない」
「ちょ、痛い! 髪引っ張っちゃ痛いってー!」
「負債はきっちり支払ってもらわなきゃ。――勿論、利子付きでね」

 ずるずると引き摺られてゆく小傘へ、私はせめて笑顔で手を振った。彼女にずっと同道してもらえればどんなに心強いか分からないが、それは甘えというものだ。
 愛傘を手に、私は龍神が流れた後を遡ってゆく。頭の中で、天狗向けの言い訳を必死に紡ぎ出しながら。







 9.少女と見た日本の原風景 〜 Retro Chuchotement







 ……花は散り際が美しいとよく耳にするが、雨もまた、雨上がりの瞬間こそが最も美しいのではないのだろうか。雲まで晴れると尚良い。切れ切れに差し込む陽光が薄暗かった世界を切り出し、花や木々の、真に鮮やかな色彩を知らしめる。真珠と煌めく玉の雫。水溜りに映る明るい空。何よりも欠かせないのが、七色に光る龍の通り道だ。
 光溢れる鮮烈な光景は、心に焼き付いて忘れることも叶わないだろう。たとえそれが、今生の別れを告げる合図だったとしても。



 ※



 来た、と感じたのは、愉快な忘れ傘や厄神と別れて十数分も経った頃だった。降りしきる雫の一粒一粒をセンサーにして、飛来する攻撃の切っ先を読み取る。軽く重心を傾け、その正体を見極めようとした。妖力を孕んだ鋭い空気の塊が、私の傍を通り過ぎて大樹の幹に一筆書きを刻む。

「これ、当たった時のこと考えてるのかしら……。何? 尋問の時間は過ぎたって?」

 明らかに私が回避行動を取っていることに気付いたのだろう。次弾は、むしろ第二波と呼ぶべきものだった。続々と放たれる気塊の軌道を分析し、高速で流れる人混みの中を抜ける要領で躱してゆく。肝心なのは、恐いからといって大きく動かずに最低限の挙動で避けることだ。見られていることを意識し、出来るだけ澄ました表情で。内心は冷や汗たらたらだったが。
 飛び道具では話にならないと思わせ、せめて顔の見える距離に近付かないと対話にならない。周囲の樹木が刈り上げられつつある中で、じりじりと弾の発生源から後退してみせる。

「――寿命が縮む思いよ。ったく、幻想郷の神社参拝は難易度が高すぎる」

 ついに痺れを切らしたのか、襲撃者が動き始めた。飛翔する速度は放たれていた弾丸と遜色なく、あっという間に私との距離を詰める。
 視界に入ってきたのは、赤い頭巾(ときん)からして山伏装束の少女だった。左手には色付く楓の紋章が刻まれた楯を持ち、右手には鈍く光る太刀を握っている。仕事熱心で結構なことだ。
 私はポリーを空中に投げ上げ、自分は地面で諸手を上げて降参の意を示した。

「取り敢えず、話を聞いてもらえませんか! 私は何にも企んでいませんって!」

 清々しいほどの無視っぷりだった。天狗は無言で楯を構え、そのまま私目掛けて突っ込んでくる。ぎりぎりのところで私は手を伸ばし、愛傘へ吸い寄せられるようにして飛び上がった。手錠に頼らずとも目に見えぬ繋がりがあるのだと知ったのは、ついさっきのことである。

「暴力反対! わたしゃ普通の人間なんですよ! 犬走の椛さん!」

 値踏みするように見上げていた少女の瞳が一瞬見開かれ、しかし、無言で追撃の態勢を取る。『名指し』では揺さ振りにならなかったか。身長に不釣り合いな長大さの刃を捻り、こちらへ向けて地を蹴った。

「何か言ってくれないと分からないって――。もう! 幽香先生の方が百倍恐かったわ!」

 先生のネームバリューは抜群。椛の体がびくりと強張る。私はお手本に習って手の平の上で雨傘を回転させ、捲れ上がった結界の水路に遠心力を通して水流を作る。そう勢いは無い雨水を顔に浴びた少女は、機敏に後退して距離を取った。
 これで頭を冷やして、貴方は何者? とか聞いてくれるのが理想のパターンだったのだが、現実はそう甘くない。ぶるりと水を飛ばした椛の内側から例の力場が膨れ上がり、私が次にどのカードを切ろうか考えあぐねている内に猛然と斬り掛かって来たのだ。その剣閃は私の動体視力で対応できる速度を遥かに上回っており、ならば、刹那の間に彼我の間に割り込んできた人影は、どれだけの速さを誇ったのだろうか。

「一つ。貴方は相手の力量を見誤っていた。高を括っていたとも、警戒し過ぎていたとも言えるでしょう。見る目がそれじゃ、千里眼も形無しと――」

 相当な重量を誇るだろう鋼の刃は、朱塗りの下駄の歯によって呆気無く受け止められていた。蹴り上げられて持ち主の手を離れ、空に舞い上げられる太刀筋。

「二つ。貴方は冷静さを失った。思いがけない事態に遭遇した時こそ、努めて沈着に行動しなければならないのです。剣士は、剣より冷やかでなくてはならないわ」

 続いて、暴力的な風が一帯を襲った。雨も梢も靡かぬものは無く、咄嗟に傘を閉じていなければもぎ取られてしまっていただろう。

「三つ目が最も致命的よ。貴方は腕にも頭にも速さが足りない。何故かと問われれば、それは余裕が欠けているから。つまりは、剣だけじゃなくもっとユーモアを磨きなさいってこと」

 暴風が吹き荒れる只中で、たった一人満足に直立している少女が居た。かなり短いスカートを穿いているにもかかわらず、下着のしの字も見えることが無い。山伏装束にしては大胆なアレンジだ。軽く唇に押し当てられた団扇の先。はらはらと舞い落ちる鴉の羽毛。落下してきた太刀がその足元の地面へ突き刺さり、作り笑いで決め台詞。

「どもー。清く正しく射命丸です。毎度お馴染み文々。新聞……が休刊なのは、全く残念極まるわ」



 ※



 状況は私の予想だにしない展開を迎えていた。一つ確かなのは、射命丸文と名乗った天狗が、犬走椛より実力も地位も上だろうこと。文は一先ず私の処遇を保留にし、椛の報告にふんふんと相槌を打っている。

「あの、お二人はどういったご関係で?」
「見て分かりませんか?」
「できたら分かりたくありません」

 鴉天狗は、白狼天狗を地面に正座させて嬉しそうだ。某教官を彷彿とさせるというか、二度と立ち会いたくなかった構図である。
 どうやら積極的に私へ危害を加える様子は無いが、味方という訳でもなさそうだった。この場を切り抜けるためには、受け身に回ることは禁物だ。どうにかして場の流れを引き寄せたいが、そのためには情報が足りていない。私にとって、どこまで楽観的で居られるかの勝負だ。

「椛さんは、確か哨戒の仕事をしていらっしゃるんでしたよね。上司の方ですか?」
「正しくは下っ端哨戒天狗です」
「あの、文様――」
「私は下っ端ですらない一介の新聞記者ですよ。自分のようなはぐれ者まで召集するなんて、山の人材不足は深刻ねぇ」

 茶目っ気混じりに指を唇へ添えてみせる文。当面の問題は、どうして彼女が私を助けるような真似をしたかである。先の介入が無ければ、私はあっさりばっさりやられてしまっていただろう。新聞記者と名乗っていたか。これまで出会ったどの人妖よりも直接的にこちらを見詰める瞳には、確かに好奇の色が窺えた。先生曰く、天狗は皆噂好きで、様々な新聞が盛んに発行されているらしい。今となっては、講義の信憑性も甚だ怪しかったが。

「どこまで話しましたっけ? 椛が初めて毛皮の生え換わりで――」
「わー! 変なこと言い触らさないで下さい。だから、この人が侵入しようとしたのは二度目だったんです」
「あら、椛ったら二度目だったの……? ちょっと付いて行けないわ」
「どうしてそう思わせ振りなことを! ちっ、違いますからね!」
「何がですか?」
「何のこと?」
「やっ……、何を言わせる気なんですか!?」

 顔を真っ赤にして文に縋り付く椛。結構仲良いなぁ。二人の間には、リードと首輪が見事なまでに幻視できる。

「こら、この子で遊んでいいのは私だけですよ」
「つまり私は羞恥要員という訳ですね」
「そっち側の人間!? 貴方何者なんですか!」

 今更その台詞が聞けるとは思わなかった。私が口を開くよりも早く、文が言葉を差し挟む。

「それで? どうしてこうも滝を離れたりしたんですか? 探したんですよ」
「昨日、同僚が撃退した侵入者と人相が一致したんです。今はこんな状況でしょう? 山には出来る限り近付けるべきではないと判断しました。警告の意味も込めて狙撃したのに、性懲りもなく登ってくるものだから……。そう、妖怪と行動を共にしていたことも怪しいです。例の渓谷に入ってしまったもので、その後の消息は知れませんが」
「妖怪とは?」
「たたらこがさ。唇からはそう読み取れました」
「ああ。一度取材したことがあるわ。なかなか味はあるんですが、今一つ抜きんでたところも無くって。結局三面止まりでした。放置しておいて構わないでしょう。しかし、打って出るにしてもせめて応援を要請してからにすべきでしたね。人間一人と甘く見ていては――今回はその判断も間違っていませんでしたが――いつか痛い目を見ることになる」
「……はい。以後気を付けるようにしましょう」

 軽い口調から続けられた嗜めに、椛は素直に頷いた。天狗は、人外には珍しく一種族で社会を形成する妖怪である。当然ながら、分業体制と指揮系統が整理されているものと考えるべきだろう。この椛の地位は、決して高いものではないらしい。
 哨戒天狗ということは、彼女とは別に迎撃に当たる者達が居るということだろう。それがこの烏天狗の少女だろうか?
 もう一つ、天狗には社会的な存在として、自分達の体面を非常に重視する傾向があると聞く。人間は元より他の妖怪達すら見下して、故に排他的な行動を取る。椛は私をあくまでも排除対象としてしか捉えておらず、そこに人格を認めないからこそのあの対応だろう。
 それに比べて文は、こちらのことをぞんざいに扱いながらも、一定の興味を示しているように見える。私が見極めるべきは、彼女が何に重きを置いているのかだ。

「ところでメリーさん。――メリーで合ってます?」
「は、はい」
「少々お訊きしたいのですが、昨日山に侵入しようとして撃墜されたというのは、貴方のことで間違い無いですか? あ、これはまだ尋問ではなく取材なので、楽にして結構ですよ」

 手帳と筆を取り出しながら、文はにこやかに質問してきた。作り笑顔が見え透き過ぎて、逆に本心を見通すことが難しい。

「侵入も何も、気が付いたらそこを飛んでいたんです。そうしたらいきなり大風が吹いて。危うくご臨終するところでした」
「稀人が、直接空へ? 珍しいケースですね……。是非、根掘り葉掘り取材したいところだけど――」
「文様」

 椛の胡乱な視線を受け、文は額に手を当てて首を振った。

「分かってるわよ。やれやれ、偉そうに踏ん反り返ってるだけで、自分では何も確かめようとしない癖に……。あ! そうそう、これだけは訊いておかないと。二度目の――今日の侵入は意図的なものだったんですよね。それは一体何故?」
「山の上の神社に行きたいんです。そこの巫女さんに用事があって」
「――! 神社って……」

 私の発した言葉が、どうやら場の空気を凍り付かせたようだった。ブン屋は少なくとも商売用の笑顔を貫き通したが、白狼天狗は顔色を変え、不安げに文の表情を窺う。

「あ、文様。箝口令が敷かれていたはずでは――」
「この、馬鹿椛」
「あ痛っ! な、どうして叩くんですか?」
「貴方の仕事熱心さは誰もが評価するところだけど、少しは融通という言葉も覚えなきゃ駄目よ」
「え? ふぇ?」
「よしよし、良い子良い子」
「あうぅ……」

 椛の頭を撫でながら、考え込む文の瞳は真剣だった。私は、発言に慎重を期するべきなのだと知る。

「念のため。巫女に会って何を頼むつもりなんですか?」
「“外”の世界に帰してくれるように」
「やっぱりか……。その話をどこで聞きました?」

 最初に巫女のことを口に出したのは霧雨魔理沙だが、ここは敢えて真面目な印象を与えてみよう。

「人里の、上白沢慧音という方だったと」
「成程ね。……ふむ、一番手っ取り早いのは、ここで貴方を始末してしまうことです」
「まあ、穏やかじゃないですねぇ」
「あっ、文様!?」

 ばっと手を振り払って、椛が険しい声を上げた。

「外来人の処遇は、大天狗様方が決定なさることです。それを勝手に――」
「冷静になりなさいな、椛。ここまで知られたからには、麓に帰す訳にもいかないでしょう? どうせすぐに神社の存在が知れ渡るにしても、天狗社会の言い分はぎりぎりまで隠しておかなければ」
「この人間が何を知っているというんですか? どの道、天狗の里に引き渡されれば、二度と麓には戻れませんし――」

 ちらりと寄越された一瞥には、笑みと真剣さが同居していた。

「人間は、その愚かさなりに抜け目無い生き物よ。。鼠がくしゃみをしただけで爆発しそうなくらい過敏になった里へ、この人間を放り込んでみなさい。有ること無いこと吹聴して回って、引っ掻き回せるだけ滅茶苦茶にするでしょうね」
「それ、文様がいつもやってることじゃ……」
「黙りなさい。個人の恥は全体の恥。見た目だけならこの小娘、あの耄碌爺共めが争って手籠めにしたがりそうな手合いじゃないの」
「耄碌って……、文様も同年だい痛ぁい!」
「何か言った?」
「いいえ何も。まあ、確かに一見して文様みたいな蓮っ葉とは逆のタイプですいません勘弁して下さい」
「ったく。気付きなさい、彼女の肝は、貴方よりずっと据わっている。一部の馬鹿な連中が醜態を晒そうものなら、天狗社会にとっては大打撃よ」
「ああ。文様が自分を棚に上げてまともなことを!」
「椛が冗談を言っていないことはようく分かるわ。貴方とは一度とっくり話し合う必要がありそうね……」

 笑顔な文の言葉は、婉曲的に私に言い聞かせるものでもあった。こちらの考えはほぼ見透かされているようだ。やはりというか、当然の如く只者ではない。私が切ることができるカードは、予想以上に絞られてくるようだ。
 しかし、どんなに分厚い仮面で表情を覆ったとしても、隠しきれない部分はある。烏天狗の瞳の輝きには、どこか私の友人のそれに似通ったところがあった。旺盛な好奇心と行動力を振り撒きながらも、世渡りに関してはマイペースかつ狡猾な姿勢を常とする。故に、少しでも自分が自分を貫けないとあっさりぐらついてしまう。
 ここは受け売りの知識より、これまで何度も自分を救ってきた直感に賭けてみよう。相手の視力がどれだけ良かったとことで、全て見通されるほど薄っぺらな人物のつもりは無い。

「椛、貴方には、確か親しくしている河童が居たでしょう?」
「にとりのことですか? いつも将棋の相手をしてもらっていますが」
「河城の姓は特に人間に友好的よね。メリーさん、貴方をこのまま通す訳にも、人里へ返す訳にもいきません。ですが問答無用で天狗の里に引き渡すのも私としては忍びない。しばらくの間、谷河童の棲みかへ匿われてはくれませんか。身の安全だけは保障しましょう」
「河童のお家にホームステイできるなんて、光栄ですわ。しかし本当にお世話になってよろしいので?」
「ほとぼりが冷めたのち、私の独占インタビューに答えてくれさえすれば」
「文様ぁ、それはとんでもない越権行為です。ばれたら何て言われるか――」
「まあ、叱られるのは首謀者の貴方ですし」
「ひ、酷いですぅ……」
「ところで、どうして第一の選択肢を選ばなかったのか教えていただけますか?」
「記者としての正義感と、天狗としての矜持でしょうか。それに、ここで始末するとなると、椛まで消さなければならないことになります」
「え? ええええ!?」
「この通り、メリーさんみたいに平気で嘘を吐ける子ではありませんからね。“外”の魔法使いさん。駆け引きは無しでいきましょう。この文化帖に誓って、貴方の名誉はともかく、身柄を悪いようにはしませんよ。人間の身で私にここまで譲歩させたことは、誇ってもらって構いません」

何者にも、天狗の黒い目を誤魔化すことなどできはしない。文は自分の目利きに絶対の自信を持っているようだし、だからこそ付け入る隙があった。彼女が全体のために個を殺した駒でない限り、勝算は零ではない。要は、本物を用意すれば良いだけのことだ。

 私は鞄の中に手を突っ込み、携帯電話のアラームを鳴り響かせる。椛の耳がぴくりと跳ねるものの、もう一人の天狗は動じずに言った。

「“外”の道具ですか。こちらにその鞄を渡してもらっても?」
「構いませんが、きっと後悔しますよ」
「後悔だけはしたくありません……。ゆっくりとそれを取り出して下さい。もし妙な真似をしたら、この椛をざっくりいきますよ」
「どうして私!?」
「この椛としっぽりします」
「どうして!?」
「それは確かに困りますねぇ。了解しました。――これでいいですか?」

 私が取り出した『切り札』を広げる様を見て、白狼天狗はきょとんと首を傾げる。僅かに目を細めた鴉天狗は、しばらく口を開かなかった。聡明過ぎる少女だからこそ、瞬時に状況を飲み込めずに手帖を閉じた。

「文様……、あれがどうかしたのですか?」
「椛静かに。――それを、一体どこで?」
「本人から戴いたものですよ」

 文が作り笑いを沈め、無表情に私を眺める。彼女なら、八雲紫の扇子を見間違えることも無いだろうし、私がそれを持つに相応しい程度の人物でないこともお見通しのはずだ。その落差が、初めて彼女に動揺を生む。

「その扇子を、将軍家の印篭とでも勘違いしているのですか? 私が――私達が、八雲の姓に怯むとでも?」
「そんなもの、知ったことではありませんよ。ですが口封じする訳にもいかないでしょう? そして、いよいよ私の嘘を聞き届ける訳にもいかなくなった。どうか教えて下さいっておねだりしたら、本当のことを教えて上げないこともありませんよ。妖怪さん」
「そんなの屁理屈です……。ふふっ」

 思わずといった風に笑みを零す文。烏天狗は種族としてのプライドが、自身に要求される理想が高すぎる故に、凡百な妖怪なら気にも留めない小さな失策を、自ら嘲笑していた。あるいは、単に私の蛮勇に呆れていたのかもしれない。

「まさか、ネタの方から自分を売り込んでくるとは思いませんでした。“外”の人間にも、面白い奴が居るもんですねぇ。これはとんだ管見だった」

 にんまりと目尻を下げ、扇で口元を覆い隠す。どうしてか、文はちょっぴり嬉しそうな目をしていた。

「ああ、惜しいな。こんなに美味しそうなネタが目の前にあるってのに……。写真機だって持ち歩いているのに……」
「文様……?」
「さっきから文様文様って。そんなに椛は私のことが好きなんですかー!?」

 まだ事情を飲み込めていない様子の椛がわしゃわしゃと髪を撫で回され、混乱させられている。

「え、そのっ」
「貴方を探していたのは他でもありません。この手紙を、例の神社へ届けろとのお達しが出ているからなのです」
「ど、どうして私に?」
「こうして私が貴方に手渡しできるためでしょう」
「ま、まさか! 中身を見たんじゃないでしょうね?」
「私が幾ら射命丸だからといって、そんな盗み見のようなことをする訳ないじゃないですか。まあ、偶然封が取れたり透けて見えたりすることはあるかもしれませんが」
「見たんだこの射命丸ー!?」
「大方の予想通り、当たり障りの無い時候の挨拶でした。淵に石を投げ込んで、深さを測るようなものでしょう。椛はまあ、忠誠心だけは篤いですからね。それで大役に抜擢されたのですよ」
「ほ、本当ですか?」
「しかし何ですかさっきの体たらくは! こんな可愛い天狗に重要な仕事を任せておく訳にはいきません!」
「どうも、今日の私の扱いは酷い気がします!」
「一体私はどうすればいいのでしょうか。――ああ、こんな所に適役が居ました」

 文はつかつかと私に歩み寄ると、鞄の中にその封筒を突っ込んだ。そして私の手から扇子を受け取り、裏表や触り心地をまじまじと観察すると、丁寧に畳んでまた鞄へ収める。

「今日のところはこれで勘弁してあげましょう。……ええと、将来有望な若人をみすみす危険に晒す訳にはいきませんね。それに引き換え、ふっと迷い込んできた人間一匹、どう料理されてしまったところで、私達の損失にはなり得ませんから」
「要するに、私は捨て石という訳ですねぇ」
「そ、それは流石に勝手が過ぎるのでは……」
「現場の判断という奴ですよ、椛。輪転機を停止しやがった連中なんて糞食らえー。……失敬、召し上がれでした。さらば、名前も知らぬ人間よ。またのお越しには、文々。新聞をご贔屓に!」
「あ、ちょっと待って、心の準備が――」

 私の制止は清々しく無視され、天狗は団扇を振りかぶった。わざわざ傘を差すまでもなく、ジェットコースターのように豪快な、そして気持の良い風が私を攫ってゆく――。



 ※



 ――ジェットコースター続行中。高速で後方に流れゆく紅葉の色に引き比べ、酷くゆったりとした思考を自覚する。

 今回は失神することもなく、もはやグラデーションのようにしか感じない景色を眺めながら、私はこの手の荒事に慣れてしまった自分自身を複雑に感じていた。思い返されるのは何故か変な方向にディープな経験ばかり。もう大抵の遊園地に行ったところで、絶叫マシーンに満足することはできないだろう。あと、お化け屋敷も駄目だ。肝っ玉が大きくなったといえば聞こえはいいが、感覚が鈍化してしまったのならば悲しい。

 遥か遠い昔に見たような気がする湖が見えてくると同時、段々と風の軌条の緩められていることが察知できた。軽く雨傘を開いて結界を展開しつつ、私は周囲を観察する。
 心なしか勢いの弱まってきた雨が、ただっ広い湖面に降り注いでいた。特に目を引くのは、湖岸に、あるいは岸に近い水中に林立する太い御柱で、風雨に晒され続けた滑らかな木肌と変色した注連縄が、まるでとっくの昔に打ち捨てられていたような寂寥感を醸し出している。
 水面に影が映るほどの低い高度を意味も無く滑空していると、湖へ向けて据えられたかのような祭壇と、等間隔に並べられた比較的新しい御柱、そして、鎮守の杜の中へ分け入る道が見えてきた。昨日の鳥瞰によれば、あの道を辿ることで拝殿へと辿り着けるはずである。これまでの長い道のりに思いを馳せ、これから巫女と一悶着あるのかなぁという予感にげっそりしつつ、岸辺へ降り立つ。

「そもそも、ここが目的の神社でない公算が大きいんだけど」

 薄々予測されていたオチは、天狗達との会話で裏打ちされた。排他的な妖怪の山に、突如として現れた謎の神社。それが幾度となく囁かれた、不穏な気配の正体である。恐らく、問題の妖怪巫女とやらが働いている神社は、山の付近の別所にあるのだろう。慧音はこの新参の神社のことを知らないがために、私が山を登ろうなどとは想像だにしなかったのだ。
 しかし悲観することは無い。不穏な風が吹き始めたのが昨日の早朝。“外”で雨が降り始めたのも同じ頃。もし、それらの共通項と自分が大風によって幻想郷へ連れてこられたことに関係性があるのだとしたら、この神社にこそ私が家に帰るためのヒントが隠されているのかもしれない。そうでも考えないとやっていけない。

「もし違ってたら泣くわ……」

 祭壇は、やはり湖へ捧げ物をするために設置されているものらしかった。神社によっては山や滝など自然の景観そのものを御神体とする場合もあると聞くが、ここもその類だろうか。居並ぶ御柱は、近くから見れば寂寥感どころか威圧感を感じるほどの侵しがたさがある。毎年初詣に赴く諏訪大社の御柱を思い起こさせたが、細かい点で意匠が異なるようにも見えた。私の頭程度の高さには、刃物で切り付けられたような傷跡が無数に刻まれている。
 御柱の根元で、私はさらに奇妙なものを発見した。蛇の抜け殻、それも一匹分ではなく、何十という本数が集中して転がっているのだ。さらには雨を凌ぐ廂(ひさし)など無いにもかかわらず、今まで空っ風に吹かれていたかのように乾いていて――。
 背後に砂を踏む音を聞き、しゃがみこんで調べようとしていた私は振り返った。少女が、力場を纏った細い棒切れを大上段に構えている。

「――せやっ!」

 脳天へ振り下ろされた一撃を、私は背後へ下がることで回避していた。後ろ足の踵が抜け殻を踏んで滑り、石頭でもない後頭部は、硬い御柱へ激突する。二度あることは三度。かくして私は、またもや意識を手放してしまうことになるのだった。



 ※



「ごめんなさいっ。変な服を着た人が飛んでくるものだから、てっきり人喰いか何かだと……」
「変な服は余計です。それに、妖怪だから頭を殴っていいなんてことはないでしょうに」
「だって、食べられたくないじゃないですか」
「いや……、そっか。この場合、私の方が常識外れなのかしら」

 山の神社の境内に併設された、住居兼社務所での会話である。
 布団の中で目を覚ました私は、最初“外”の世界へ戻ってきたのかと勘違いした。壁に貼ってあるキャラクター物のカレンダーや、明らかに工場から出荷され、ホームセンターで売っているような本棚などが置いてあったからだ。
違和を感じたのは、部屋の隅に置かれた電子調理器並みに厚みのある骨董品なテレビから。一体何年前に生産終了したものなのか、再放送ドラマの小物でぐらいしか見る機会の無い型式だ(映話技術が発達する昨今、お茶の間の人気はラジオへと回帰している)。本棚に並べられた文庫本も、一昔前に流行ってあっという間に廃れていったものだ。しかしながら年月によって色褪せた様子は無く、まるで過去から直接持ってきたかのよう。文化水準のかけ離れていた人里とは違い、妙な生々しさがある。見渡すそこかしこが時代遅れというべきか。そんな感慨は決して悪感情ではなく、一言で表すためには、レトロという仏蘭西語を借りなければならないだろう。

「それにしても、幻想郷は凄いですね。普通に人間が空を飛んでいるのですから」
「いや、私は貴方と同じで“外”から来たんだってば」

 そして、正座で向き合っている緑なす長髪の少女こそが、この居室の主であり、私を襲った上で介抱してくれた件の人物――東風谷早苗である。さらに、部屋にはもう一人分の声が響いているのだが……。

「もっと丁重にもてなすべきだったね、早苗。折角、幻想郷での初参拝客だってのに」
「す、すみません、私ったらそそっかしくって……」
「いいっていいって。この子ももう気にしていないってさ」
「人の気持ちを勝手に代弁しないで下さいよ」

 しゅんとしてしまった早苗を励ますのは、妙齢の女性らしき声である。声はすれども姿は見えず。ちょっとした心霊現象どころか、何と彼女の正体はこの神社の祭神として祀り上げられた神霊らしい。それにしては、私や風祝(巫女のようなものらしい)に対する態度がフランクでならないが。

「ああ、ご紹介がまだでしたね。こちら、守矢神社の祭神たる八坂神奈子様にございます。只今省力モードで、お姿はお見せいたしかねますが――」
「カナちゃんって呼んで頂戴。実は、もう自己紹介は済んじゃってるんだけど」
「早苗さんがお手紙を運んで下さっている間に、色々とお話を聞かせていただきました」

 省力モード、とやらの原因についても聞いている。カナちゃんの勿体ぶった話の要点を纏めると、こうだ。“外”の世界では科学技術の発達により神様を信じる人々が激減した。信仰こそが神の力の源であり、不足すれば神徳を発揮することも滞る。皆無となれば無力化、すなわち神の死を意味する。減る一方の信仰に危機感を覚えたカナちゃんは、まだ力が残っているうちに打てる手を打とうと博打に出た。それが、此度の幻想郷進出である。忘れ去られた幻想が色濃いこの郷ならば、あわよくば往時の神威を取り戻すことだって可能かもしれないと。神社と湖ごと結界を越えるためにはかなりの気合いを消費したらしく、現在は静養中とのことだ。
 人間は何かを信じていないと暮らしていけない生き物である。ただそれが、神の力より科学の力を信仰するようになっただけで。役に立っている間は持て囃され、新しい製品が世に出たそばから支持を失う道具の哀愁と、神々のそれは似ているのかもしれない。

「それにしても思い切ったことをしたものですね。捨てられる前にこっちから振って、新しい市場に乗り換えたということでしょう?」
「身も蓋もない言い方をするとね。まあ、成功するかどうかはこれからだけど」
「八坂様、お手紙の中身はいかがだったのでしょうか」

 不安げな面持ちで早苗は問うが、祭神は快活に笑い飛ばすだけだった。

「中身を読むまでもなかったよ。返事を出す必要も無い。連中はこっちの懐の深さを測りかねているのさ。そりゃ、湖の水深を調べるようにはいくまいて」
「…………」
「分かったのは、天狗達が慎重に慎重を重ねているってことだけか。どうも相手取りにくい連中だが、態勢の整っていない今のところはありがたいわ。この調子なら、当分の間は向こうから手を出してはこないでしょう。早苗もそう心配しなさんな」
「はい。八坂様がそう仰るのなら」

 目に見えない気配が、早苗からこちらへ微笑を振り向けたような印象すら受けた。無条件に畏まりつつ、私は自分の傘を見詰める。

「メリー、とかいったわね。貴方がこの郷に紛れ込んでしまったのは、十中八九私達の引っ越しのせいよ。あれだけ大規模な儀式だったもの。過去や未来、あるいは“他”に影響を及ぼすことも大いに考えられた。これは私の手抜かり。謝罪は必要?」
「いえ、得難い経験をさせていただきました。しかし――」
「元の世界に戻るための手立てなら用意するわ。といっても道を開くところまでしかできないけど、後はその傘が導いてくれるでしょう。準備しなきゃいけないことがあるから、少し待っていてくれる?」
「あ、準備なら私が――」
「私とじゃ間が持たないじゃない。参拝客のお相手をすることも、風祝のお仕事じゃないかしら」

 そう最後に言い残して、気配は湖の方角へ遠ざかっていった。早苗が同じ方角へ深々と頭を下げていたのだから間違いは無いだろう。顔を上げた少女は、私にぎこちない笑顔を向ける。何か、共通の話題はないだろうか。

「早苗さん。あのテレビはまだ映るの?」
「え? いいえ。ここには電波どころか、電気やガスも通じていませんから。ただ、片付けをする時間も無かったってだけで」
「そういや、こっちに住むとしたらコンビニもインターネットも無いんですよねぇ。不安じゃあないかしら」
「八坂様のお傍にお仕えすることこそ風祝としての本分。何も不安などありませんわ」
「だって、もうインスタントラーメンもレトルトカレーも食べられないかもしれないのよ?」
「――。ああ、そんなこと言わないで下さいよぉ」

 どっと肩を落とし、早苗は苦笑を露わにした。

「衣、住はまだいいとして、問題は食です。忌火を使った料理には慣れてきたつもりですが、レンジでチンも無しだなんて。毎日お粥暮らしなんて耐えられません。野菜や肉となると、もう農耕狩猟時代に逆戻りなんでしょうか」
「里じゃ種々流通しているみたいですよ。妖怪の器械や魔法の道具も人里で使われているらしいし、案外暮らしてみれば快適なのかも」
「魔法! 妖怪はともかく、魔法は是非見てみたいです!」
「あ、そっちに食い付くんだ……」
「ファンタジーですねぇ。メルヘンですねぇ。エルフやゴブリンとも記念撮影できるんでしょうか?」
「さあ、妖精なら見掛けたましたけど」
「妖精飼いたいです」
「……しかし、やっぱり主役は妖怪でしたよ。ふふ、是非とも交流を持っておくべきですね。人生観が変わります」
「でも、妖怪って人間を食べるんでしょう? 会ってみて大丈夫でしたか?」
「少なくとも、人を食った連中ばかりでした。巫女には食い物にされているらしいですが」
「巫女が、妖怪を? 美肌に良いんでしょうか」
「角質層を取ってくれる妖怪なら居そうだわ……」

 私が幻想郷にただ一人だった巫女の噂について語ると、早苗は憤懣やる方なしといった表情で拳を握る。

「ゆ、許せません! 妖怪退治はまだ漫画でもやっているからいいとして。神様への奉仕を疎(おろそ)かにした挙句、神社を不埒な連中に明け渡すなど! 同じ神職として看過できません。即刻クビになるべきです!」
「いや、あくまでも噂ですって……。多分に誇張されているものと思いますが」

 見も知らぬ他人を話のダシにしてしまって僅かな罪悪感がある。要らぬ先入観を与えてしまったかもしれない。ぷりぷりしている風祝を宥めようと、私は様々な話題を振った。個人的には弾幕ごっこの素晴らしさを説きたかったのだが、早苗には首を傾げられてしまう。

「八坂様も練習しておけと仰っていましたが、そんなに重要なものなんですか?」
「例えるなら、国際社会における英語力くらい重要ですよ。自己表現と討論の場には必要不可欠。これが有ると無いとじゃ活躍できる世界が全然違いますし。っていうか、この立地なら嫌でも慣れると思いますが」
「へぇ、弾幕検定とかあるといいですね」
「あー、今、凄く良い商売を思い付いたのに……。それと、重要なのは決め台詞です」
「はいはい、分かります。ここが年貢の収め時でっせ! とかいう」
「絶対に一つは用意しておくべきですね。あれは名刺交換みたいなものですから」
「……えーっと、だんだん弾幕ごっこの何たるかが分からなくなってきました」
「真剣十代語り場です。あ、そういえば――」

 つと思い付くことがあって、私は鞄から例のブツを取り出した。

「早苗さん。携帯って持ってますよね。番号交換しません?」
「そりゃあ持ってますが、どうせ通じないんじゃないですか?」
「ここで会ったのも何かの縁。記念の品ということで」
「ええ……。あー、良かった。電池まだ入ってました。赤外線、一先ず送信していただけます?」
「赤外線って、何世代前の機種なんですか……」

 互換性が皆無であることが判明し、結局は手ずから入力することとなった。電話帳に登録された早苗の電話番号を確認し、私は満足して頷く。

「不思議な気分です。こんな所にまでやって来て、誰かとアドレスを交換するなんて」
「言えてますね。でも、不条理不思議が服を着て跳梁跋扈する幻想郷のこと。大切に保管しておけば、誰かからひょっこり電話が掛かってくるかもしれませんよ?」
「あはは、それはかなり不気味ですねぇ」
「……。うん、ですよねー」

 心の中で友人に謝りながら、私は愛想笑いを作った。一体彼女はいつ頃気付くだろうか? この郷では、受け入れられないことの方がずっと難しいことに。



 ※



 雑談も酣(たけなわ)といったところで、カナちゃんは準備が終わったことを告げた。もしかしたら、本当は準備なんて最初から必要無かったのかもしれない。私はそう思いもしたが、確かめたところできっとはぐらかされるだけだろう。

「難しい手続きを踏む訳じゃないから安心しなさい。そうね、気合いでグッとしてヒューする感じよ」
「その説明を聞いていると、訳も無く緊張してきました」
「グッとしてヒューですね! 承知いたしました!」
「あ、それで伝わるんだ」
「一子相伝の秘術ですから」

 私と早苗は、二人が最初に出会った場所にやってきていた。要するに犯行現場。犯人はどこぞに戻ってくるの法則である。
 青と白を基調にする、一風変わった巫女装束に着替えてきた早苗は、白木の棒の先に白い紙を挟んだ、これまた類を見ない御幣を捧げ持っていた。蛙と蛇を模した珍妙な髪飾りに対する意見を飲み込みながら、私は風祝の正面に立つ。

「さて、心の準備は宜しいですか?」
「そう訊いて下さっただけで、ありがたくて涙がちょちょぎれそうです」

 特別な前振りはまるで無かった。早苗が御幣で印を切り、片足を高く踏み鳴らすだけで、妖怪達のそれとは一味違った力場が湖に広がり一切の風が停止する。波打つことを止めた水面。ぴんと引き延ばされて垂直に落ちてゆく銀の糸。神湖が、その霊妙なる姿を現したのだ。

「風祝は風葬(かぜほうふ)り。本来、荒ぶる嵐を鎮める業(わざ)が専門なんです」
「貴方は力を抜いていればいいわ。後は私達が運んであげましょう。空を飛ぶ準備をしておいて」

 言われるがまま、私は愛傘を広げて結界を展開した。湖岸に並び立つ御柱達が音叉の如く共鳴を始めたかと思えば、湖中に満ちた重低音は緩やかに落ち着いてゆく。代わり、風の脈が私達を取り巻いて流れ始めた。雨の軌跡が規則正しく曲げられてゆき、縄を綯(な)うような挙動を見せる。すると、私の意思に関係なく身体が上昇を始めた。

「メリーさん、それではお元気で」
「早苗さんも。またお会いしましょう」
「また?」
「別にいいじゃない。指切りする訳じゃないんだし。きっとそう思っていた方が楽しいわ」

 私を見上げる早苗の姿が、ぐんぐんと遠ざかってゆく。ああ、もう顔だって見分けられない。湖と神社の全景が見える。雨の中、鬱々と色付く妖怪の山――。

 もう随分と高度を上げた時だった。湖の中心に光る点を発見したのは。点は瞬く間に広がってゆき、湖を光で覆ったかと思うと、山の紅葉までも侵食してゆく。項(うなじ)に熱を感じて分かる。術の副作用だろうか、私の頭上の風穴から雲が急激に後退し、太陽が顔を出し始めたのだ。
 絶景かな、絶景かな。山々を走る光と影の境界線は、さながら赤と黄色の宝石でできた山火事が延焼してゆくようである。湖は青々と深い色を湛え、洗い出されたばかりの神社は小粒に光っている。幻想郷の美しい晴れ上がりを目の当たりにして、私は目を見開いていたい衝動と、閉じなければならない理性とを戦わせていた。
 私がこの雨が上がらない内に幻想郷を去りたいと考えていたのには訳がある。同じ雨の中で無いと、私は元の世界に帰れない、それは根拠の無い直感だったが、結局は正しかった。つまり、この雨を逃せば次の雨を待たなければいけないということだ。その間、私は耐えられるだろうか。生き生きと鮮烈な色彩を取り戻した幻想郷の風景を見て、その虜になってはしまわないだろうか。奇妙奇天烈で個性的な住人達との出会い。雨に打たれる本物の草花の匂いだけですら、もうメロメロになってしまいそうなのに。姉さんのため、待っていてくれる友人のため、私はここを立ち去らねばならないというのに。これ以上、私を魅了しないでほしい。

「――やれやれ、どーせすんなりと行く訳が無かったのよね」

 もう一つ問題がある。それは、私を宙に留めるメリー・ポピンズの結界が薄れつつあるということだ。
 私が魔術を使えるのは雨の中だけ。私が空を飛べるのは雲の下だけ。雨雲が消失してしまった以上。私は単なる女子大学生でしかない。人が豆粒のように見える高度で、私は飛行能力を失ったのだ。早苗達に私の術の特性を伝えておかなかったことを後悔するが後の祭。意地の悪い重力の鎖が地表から伸び、私を引きずり降ろそうと身体に絡み付いてくる。
 こうなったら最後、私は思考することしかできない。楽観的であろうとする精神を裏切って、酷薄な未来を想定する計算だけは無駄に速い脳味噌。導き出された答えを確認し、私は絶望感に囚われた。

「手放せっていうの……? 私の、ポリーのことを」

 私が落下する。それは逃れようの無い事実だ。地面なり水面なりと抱き合ってトマトピューレになる結末が最悪のパターンだが、私は早苗とその祭神に希望を見出していた。自分達の儀式が失敗に終わったことを見て取れば、きっと二人は私に助け船を出してくれるだろう。こればっかりは信じる他ない。友人に遅くなる旨を詫び、穴倉か何かに籠もって次の雨を待とう。

 問題は、愛傘を手離すかどうか。

 もし強く握り締めたまま落下すれば、傘は空気抵抗と私の体重に引き裂かれておじゃんになってしまう可能性が高い。少なくとも、五体満足の生還は難しいと考えられる。
 自分の意思で手放すか、または風にもぎ取られた場合は? 私達は離れ離れになる。もし私が助かったとしても、また愛傘と巡り合うことができるだろうか……。分からない。すぐに再会できるかもしれないし、永久の別れとなるかもしれない。ポリーはこの先ずっと風に吹き流され続け、破れ傘となる生活を送るのかもしれない。考えるだに恐ろしい未来だ。
 もっと良い方法がある。上昇から下降に転じる前に、雨傘を閉じて腕の中に抱き締めればいいのだ。だが、その選択肢を実行できた猶予は、幻想郷の晴れ姿に目を奪われている間に流れ去り、もはや取り返すことは叶わなかった。
 以上、考察終わり。私は迷いなく、少しでも互いに生還できる可能性のある選択肢を――手放すことを選ぶべきだ。

「わ、分かってる――」

 頭で理解してはいるし、私には十分な決断力だって備わっているはずなのだ。それなのに、私の手は把手から離れてはくれなかった。どんなに引き剥がそうと力を込めたところで、指先一つ動かすことができない。傘から漏れた不可視の力場が、私の手を取っ手へ雁字搦めに縛り付けているのだ。
 その気持ちは嬉しい。涙が出るくらいに嬉しいが、このままじゃ本末転倒ではないか!

 私は思考する。今更名案が浮かぶはずも無いということは理解しているというのに。だからその行為は、ほとんど祈りに近かった。奇跡の大逆転劇を脳裏に思い浮かべることが、私に残された唯一の慰めだ。例えば、空の彼方から颯爽とやってきたスーパーマンが、私を捕まえて宇宙空間まで放り投げてくれるとか。ほら、そこなら重力は無いし。
そんな奇跡は起こりっこない。そんな都合のいいヒーローが飛んできてくれるなんてことは、到底あり得ない。そう思い込んでいたから、誰かが自分の腕を掴んだ時、私は心底驚いたのだ。

「び、……吃驚した」
「嘘吐け、ちっともお腹が膨れないじゃない」

 そう言って小傘が鼻を鳴らす。戦いの傷跡はまだ生々しかったが、オッドアイの輝きは失われていなかった。そうだ、ここはまだ幻想郷だ。

「貴方は……、青空の下でも飛べるのねぇ」
「当たり前よ。私はもう、ただの雨傘じゃないんだから」
「助けに来てくれたの?」
「別にあんたなんかのためじゃないわ。スーパーカリフラジス……ええと、スティックエクスピアリドーシャス」
「――どうして、私の名前を」

 どうして。その名前を知っているのは、私と友人、後は慧音と――。

「ふふふっ、おっどろいたー驚いた。甘露、甘露」

 けらけらと楽しそうに化け傘は笑う。菫色の唐傘を背負ったその向こうでは、七色の虹がアーチを成していた。龍神が、幻想郷の空を飛翔したのだ。急に眩い光が差してきて、もう少女の表情は見えない。それでも、想像することはできた。

「もっとずっと昔に出会えていたら良かったのにねぇ、傘を愛する人間よ。妹のこと、末永く大事にしてあげてね」

 答えの代わりにそう言い残し、小傘の手の感触は、柔らかに消えた。



 ※



 私は、とある有名デパート屋上のフェンスの上に立っている。
 高い空はからりと澄み渡り、はぐれ雲一つ見えなかった。







10.倶戴天の虹







 ……あの冒険の後日談を、簡潔に語ろう。
 まず最初に困ったのが、雨が上がったばかりだったために、屋上がまだ閉鎖されていたことだった。まさか飛び降りる訳にもいかず、警備員に発見されるのをぼーっと待つしかなかった。当然不法侵入者と疑われ、警察沙汰にこそならなかったものの、関係者と両親にはこっぴどく叱られる羽目になる。
 続いて見舞われた不幸は、物心がついて初めて酷い風邪をひいたことだ。初体験というのは長く尾を引くもので、熱やら鼻水やらに悩まされることほぼ一週間。自分はこのまま死んでしまうと弱気になったのが3回で、病原菌共め、貴様らも道連れじゃあ! と癇癪を起こしたのが7回。
 その後、何だかんだで連絡を取れなかったためお冠(かんむり)の友人に平謝りしたり、講義の出席数やらテストやらに奔走していたのが昨日まで。久々の平和な休日に、ようやくメリーは私の取っ手を掴んで出掛ける気になったようだ。

 もう一つ、姉のことについても触れておかねばなるまい。
 あの郷で出会った姉の豹変ぶりに、私がどれだけ驚いたことか、まこと筆舌に尽くしがたい。昔はあれだけ人間のことを愛していた姉が、恨みつらみに塗り潰されるとは、私と離れ離れになったのち、余程凄惨な体験をしたのだろうと思う。
 結局、自分と姉とが交わすことができた言葉は、過ぎ去った月日に比してごくごく僅かでしかなかった。それでも、私にとっては十分な収穫だったように思う。彼女は完全に絶望しきっている訳ではない。心のどこかに、まだ人間を信じてみようという想いが残っているのだ。最後の最後で、私はそう感じることができた。
いつかまた再会できた暁には、じっくり彼女と話がしたい。彼女がもう一度人間と向き合う、せめてもの一助となれればいい。完全に許すことなどできやしないだろうが、絶対に心を開かないということもまた無いだろうと、私は考えている。

 今日の天気は晴れのち曇り、時々雨。一体どんな冒険が、私達を待ち受けているのやら。



 ※



 私は、例の公園で友人と待ち合わせをしていた。
 幻想郷から戻ってきて一週間のことは、正直思い出したくもない。が、ずっしりと重い私の財布は、本日友人へ無制限に奢る約束があるという恐るべき事実を、逐一確認させてくれる。どうしてあれだけ無差別に食べる癖に、特定部位だけ膨らんでゆくのか……。

 私がまだ彼(か)の理想郷に心を惹かれているのは、否定することのできない事実だった。ベッドの中で夢想することもある。魔法を自在に使いこなす私。凶悪な妖怪達と互角に渡り合う私。姉と一緒に仲良く暮らす私。万が一の可能性を知ってしまったせいで、妄想は膨らむばかりだ。
 それでも希望はある。あの屋上から眺めた空には、幻想郷に掛かっていたのと同じ、七色のアーチがくっきりと浮かび上がっていたのだ。雲を泳ぎ雨を翔け、蒼穹に虹を架ける龍神にかかれば、世界を区切る大結界など易々と飛び越えてゆけるのだと、そう雄弁に語るかのように。空が繋がっているとすれば、私もいつか飛んで行ける。

 もしそうなったら、会いたい人が大勢居た。騒霊屋敷に住まう姉妹に、悪魔と従者と使用人達。花畑の大先生――はパス。竹林のうさぎさんとその仲間達。結局何がしたいんだか分からなかった妖怪の賢者達。変わった帽子。暗いんだか明るいんだか微妙な雛人形。おっと、例の魔法使い達の人形劇も見てみたい。妙にアウトローな天狗二人と、山の神社の神に風祝。恐いもの見たさで、もう一方の妖怪巫女。箒に乗った先輩も忘れてはならない。……それにあの化け傘の少女。どうしてか、私と彼女は語り合わなければならないことが山ほどあるような気がする。

 傘といえばあれ以来、ついにポリーが私へ干渉してくることは無かった。今のところ不満は抱かれていないのだと、好意的に解釈している。負の感情が積もって傘が恨み節を歌い出すのなら、愛情を一身に浴びた傘がそうならないとも限らない。気長に待つこととしよう。
 ああ、最大の障害たる姉の存在は、自身が時間を掛けて克服してゆくしかあるまい。私はこれでも楽天家なのだ。いずれ来る再会の時、私が彼女を許すことができる日に向けて、今は『特訓あるのみ』である。

 携帯電話の着信メロディが鳴り響いた。耳に押し当てれば回線の開いている気配がするものの、お決まりのやり取りは何故か聞こえてこない。私が訝しんでいると、折悪しく高架線を電車が駆け抜けていった。耳に煩い轟音が、線路から。そして携帯から。

 碌に手入れもされていないのが明白な、伸び放題の生け垣。塗料の剥げていない部分の方が少ないベンチ。腰掛ければ鎖が痛々しく軋むブランコ。底の見え隠れする砂場へ続く、敷地と不釣り合いに嵩のある滑り台。取り囲む鏡張りの摩天楼は空の青と白を映し、時代から取り残されたかのように侘しく佇む公園は、見方を変えれば大空に一番高い山の頂にも見える。新たに始まる冒険の幕開きとして、なかなか悪くない舞台だった。

「おはよう! メリー」
「ええ、おはよう。貴方が遅刻するだなんて、珍しいこともあるものね」
「それが昨晩は徹夜でさぁ。ちょっと聞いてよ。私、凄い発見をしちゃったかもしれないわ――」

 友人に笑い返しながら私は思う。この世界、理想郷には程遠くとも、満更捨てたものじゃない。























 幻想郷カットインズ:アンブレラ (了)







 
 

 長々とお付き合いいただきありがとうございました。辛抱強い読者の皆様方、少しでもお楽しみいただけましたでしょうか。拙く、至らない点の多い文章でしたが、何とか終着まで辿り着くことができました。
 少女と傘の幻想小旅行。一雨限りの幻視を、その一部だけでもお届けすることが叶ったならば、これにまさる喜びはありません。

 ※追記 第肆回作家チャット作品展示場に、当作品の一部加筆修正したものを投稿しました。

 
プラシーボ吹嘘
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2009/11/21 23:53:04
更新日時:
2010/04/07 18:12:56
評価:
21/21
POINT:
142
Rate:
1.52
1. -3 ZZW ■2009/11/23 21:21:36
作者さんは東方キャラの口を借りながらも、真っ直ぐに、自分の嫌いな者を作品の中に記している。
だから自分もはっきりと、正直に、この作品の評価をとここに記そう。

自分も霊夢が大ッ嫌いです。そこだけは楽しめました。
2. 10 歩人 ■2009/11/24 01:56:45
部外者視点からの幻想郷がとても面白かった。

堪能させていただきました。
3. 9 静かな部屋 ■2009/11/24 16:02:45
これでこそ幻想郷の住人たち!といった感じでしょうか。
行ってみたいですねえ、幻想郷。とりあえず傘を失くさないところから始めてみようかな……
4. 10 佐藤厚志 ■2009/12/09 04:51:44
今回の(勝手に)長編大賞作。

ンムムム。冒険譚。グランドラインを旅するルフィ海賊団か、いやマテよ。これは井上ひさしの吉里吉里人か……。吉里吉里人は確か、三流文士が日本から突如独立した吉里吉里という国の中を彷徨い、その恐るべき国家が有するテクノロジーや経済政策、医療システムに驚嘆し、読者とともに震撼するSF小説なのです。まぁ井上ひさしという人を知っていれば判ると思いますが、ギャグでナンセンスで下品な小説です。されど大作。

翻ってこの作品、幻想郷という箱庭を旅する少女の物語。余りに魅力的な冒頭、雨に霞む首都から飛びたつ少女。風の又三郎の挿絵のように、ハッキリと彼女の姿を思い描くことが出来る……。そして、下品かつ知的な吉里吉里人の変わりに彼女を待っているのは、ロマンティックな魅力に溢れた幻想の住民達である。そして流れに身を任せるようにメリーの旅は続くのだった……うぅん大作。

『一体彼女はいつ頃気付くだろうか? この郷では、受け入れられないことの方がずっと難しいことに』

これは本文から勝手に引用なのですが、まさに我々に突きつけられた著者のメッセージのような気がします。幻想を漂うちょっと普通とは違う主人公。異種の流離譚とでもいうのでしょうか。おれの勘違いならごみんなさい。ただ著者氏にとって幻想郷という箱庭は単純にユートピアなのか、ディストピアなのか。それとも何もかもごちゃまぜにしたカオスなのか。未来人の、古きよき時代を希求する欲を投影した世界なのか。アンチテーゼなのか。それとも『リスの檻』みたいに哲学的な、こう、密室空間なのか。その辺りを意識して書かれていたかは不明ですが、もっとその辺は著者様の思想というか考えを出してもいかったんじゃない?という思いが残りました。それらしい記述はあった気はしますが、それよりも著者氏はおそらく幻想の世界を壮麗荘厳なブンガクで魅せることに徹底的なコダワリを貫いているから、余りテーマとか思想云々には目が行かないわけです。

まぁ最後に主人公が無事(?)帰還していて、また行きたいなぁ何ておっしゃっているから、それに明るいエンディングだから、そういうことなのでしょう。あまり考えるな感じろ、そして只管感覚を楽しむ読み物。まるで近代詩のように。

面白いし、大変な筆力のおかげで荘厳な雰囲気すら醸し出ているわけです。欠点?う〜ん、やっぱないです。所々に挟まれるゲームとか漫画の引用は少し「?」だったわけですが、まぁ随分軽薄な印象を受けたわけですが。主人公の持つ文化背景を説明するものとして生きていると納得します。偉そうにすいません。あと、ありがとうございました。凄い!
5. 2 神鋼 ■2009/12/20 13:22:23
主人公の性質が捉えきれず、いまいちよくわかりませんでした。
それと読み仮名の使い方と量が親切通り越して鼻に付く感じでした。
6. 7 藤木寸流 ■2010/01/04 03:29:03
 面白いけどこれ200kbで収まらないだろと150kbくらいで思ってました。寄り道運転、蛇行が多いです。長いSSにはありがちですが。
 それはともかくなんて格好いい小傘なんだ……あと妹の伏線は見事でした。最終的に小傘に全部持って行かれたのは確か。
 最初勘違いしてましたが、これ秘封倶楽部じゃないんですよね。そういう雰囲気は醸し出してましたけど。こっちのメリーは小傘みたいな付喪神? とも思いましたけど、そうでもないのですかね。メリーの姉とポリーの姉がいたってことで、読み終わってから伏線があったんじゃないかとかちょっと混乱してました。
 小傘が二人を助けたりしてた理由はわかったけど、紫が二人にちょっかい出してたのがいまいち判然としてないんですよね……風神録のことがあったから? 最初はメリーが紫の妹だからって思ったんだけど、そうでもないみたいだし。いや実はそうなのかしら。ううむ。
 会話のテンポもよかったです。ただカッコ付きのルビが読みづらくて……
7. 6 バーボン ■2010/01/07 02:07:30
確かに、幻想郷を忙しなく旅行しているような気分にさせられました。若干ギャグに違和感を感じる事もありましたが、軽妙な文体も気負わず読めて良かったと思います。
ただ、短い話が連続しているのは良いのですが、全体を通して一つの物語として見ると、ちょっとぼやけてる気がします。それこそ雰囲気を楽しむ事は出来ましたし、読んでいて楽しかったのですが。雰囲気を楽しむだけにしては、若干長すぎるかな、と。
あと、漢字の後に読みを括弧書きで付け加えるのは絶対に不必要でした。非常用漢字ならともかく、普通に読めるような字にまでそれをするのは、テンポを悪くする以外の何でもないです。せっかくの軽妙な文体も、そのせいでイマイチ乗り切れなかったところがありました。
8. 8 パレット ■2010/01/10 05:32:51
 すごい。個人的には今回のコンペで一番面白かったです。素晴らしすぎて逆に感想を書けない症状が出てます。
 幻想小旅行。この作品はまさしくその言葉を体現していたように思います。幻想小旅行と、言葉で書けばこれだけですが、様々な夢、期待、冒険だとかを込めたその言葉を正しく作品にするのは、どれだけ難しいことかちょっと想像がつきません。それをこの作品は真正面から、これ以上無いほどにやり遂げていました。
 オリキャラを含めたすべてのキャラが魅力的。「メリー」と友人には(おそらく作者さんの思惑通りに)最初は秘封の二人のイメージを当てはめることから始めましたが、少しずつ、丁寧にずれていって、いつのまにか誰とも違う一個のキャラとして確立していて、このあたりの手並みなどすごく鮮やかでした。
 「メリー」の姉に対する思いと、薄皮一枚隔てたところで描かれていた傘の姉妹のお話。時間不足で一読しただけなのできっちりそのへん咀嚼し切れているか怪しいのですが、少なくとも、すごくさりげなくかつ確実に描いていたように感じられました。
 もうほんといろいろすげえです。素敵な作品をありがとうございました。
9. 7 白錨 ■2010/01/10 12:22:12
これは面白い部分とぐだぐだな部分が顕著に表れている作品だと思いました。具体的には紫の電車→守矢神社の間がだれているなぁと思いました。
序盤や早苗さんとの部分を大切にして、コンパクトにすれば更に良くなると思います。
10. -3 椒良徳 ■2010/01/11 20:13:14
この作品を読み終えて怒りをおぼえました。
こんなことを思うのは私一人だけでしょうが、その怒りのままに感想を書かせて頂きます。

辛抱強く読ませて頂きました。本当に辛抱強く読ませて頂きました。
感想としては一言。面白くない、これに尽きます。
これだけの長文ですので、貴方が相当苦労して書いたのだということは拝察いたしますが、それは評価とは関係ありません。
これだけの大作ですから、「さて、どんなストーリーなのかな?」とワクワクしながら読み始めたのですが、まず、メリーが秘封倶楽部のメリーで無いことに躓きました。
東方でメリーというと秘封倶楽部が浮かびますが、あえてメリー・ポピンズを持ってくるというひっかけ(私はそう取りました)に何の意味があったのでしょうか? 偶然の一致でしょうか?
偶然の一致ならば申し訳ないですが、このひっかけが作品の別の場所で全く活きていないので、意味が無いように感じました。無駄なひっかけは止めた方が無難だろうと思います。

次に、作品全体を通してすさまじく嘘くさいです。
空を飛ぶ時点で十分只者では有りませんが、美鈴を一目見ただけで拳法家と見抜いたり、
咲夜さんに空間操作能力があることを見抜いたりとメリーは凄い観察眼ですね。何者ですか?
メリー視点のはずなのに作者の視点が混じっているようで個人的にはかなりひっかかりました。
普通、人間にそこまで洞察力無いでしょう。
(メリーは飛び級するくらいの天才という設定ですが、それにも限度があるでしょう)
メリーが紫の名を知っているというのも違和感ありました。伏線がどこかにありましたか?
メリーの友人が掛けてきた携帯電話にはそのような情報は有りませんでしたし、
読んでいる間に忘れたかと思って文章全体を紫の名で検索しましたが、該当する箇所は見当たりませんでした。
いや、私が見落としているだけかもしれませんが。
その他、吹き飛ばされたかと思ったら人食いで無い連中にちゃっかり保護されているなど、作品全体がご都合主義満載で違和感の塊でした。
そもそも、幻想郷でなんで携帯電話が通じるのでしょうか? 
霊会通信でしょうか? 外の世界にそんなものが有るのでしょうか?
あくまで虚構の世界だと言われればそれまでなのですが、
幻想郷にしろ妖怪にしろ人間にしろ虚構なら虚構なりの現実味があると思います。
私にはぺらっぺらの嘘くささしか感じられませんでした。
オリキャラの名前も現実味に欠けるという意味で最低です。俗に言うDQN名にすら及びません。
話の半ばまでメリーの本当の名前は伏せてあり、私は名前はなんだろうかと種明かしを楽しみにしていました。
判りますか? この失望が。期待した私は阿呆ですか?

第三に、作品全体の整合性が取れていないように感じられます。
メリーが人里を訪れたシーンでは「それならば、尚更会うことはできません」と言ってそのまま人里を後にしていたはずですが、エピローグではちゃっかり姉と会ったことになっていました。
一体いつ会ったのでしょうか。
しかも、旦那がおり、子供もおり、それなりに幸せな生活を築いていると説明されていた姉がエピローグでは人間に絶望しかけているというのも妙です。
もちろん、現実世界では幸せな生活をしているのに人間に絶望している人はいくらでもいるでしょうが、何の前置きもなく突然エピローグだけ姉が登場して、エピローグだけ人間に絶望していたので面喰いました。
細かいことかも知れませんが、納得いかないせいで読んでいて楽しめませんでした。

最後に、ストーリーが物足りなかったです。
メリーと姉の確執(?)等テーマらしきものがチラホラと見受けられますが、要は傘と一緒に幻想郷を飛び回るという作品ですよね。十万字も書く必要があったのかと。
それに見合うようにストーリーを膨らませて頂かないと読んでいて苦痛です。

怒りのままにコメントを書きましたが、これだけの長文を仕上げる根気といい、読みやすい文章といい、ユーモラスな時はユーモラスな、シリアスな時はシリアスなメリハリの利いた各キャラクターの台詞や行動といい、文章そのものについては貴方が結構な実力をお持ちだなということは拝察されました。
ですが、この作品にはその実力がまったく活きていないように思います。非常にもったいない。
残念ながら評価の対象外ということで、この点数を入れさせて頂きます。

まあ、くどくどと書いてきましたが凹まないでください。怒りにまかせて一読者がわめいているだけですので、無視すれば終わりです。次はもっと良いものが作れるようにご尽力なさってください。
11. 10 文鎮 ■2010/01/13 03:35:59
“メリー”ポピンズと行く、不思議な不思議な幻想郷の旅、とても面白かったです。
小気味良い文章に乗って出てくる人妖たちの実に魅力的なこと。直接は出なかったメリーの姉、小傘の秘密等も良いエッセンスでした。
気になる点と言えば、メリーが遅刻魔であることと、最後の方の両親に叱られたこと。よく遅刻するのは確か蓮子の方で、両親は亡くなって親戚に引き取られたのでは?まあ、これらの点を補って余るほど楽しめましたが。
外の世界の人間にはつらいですが、幻想郷っていいね!
12. 8 詩所 ■2010/01/13 22:31:46
 不思議の国のメリー。
 次々と変わり、去っていく者達の姿は生の縮図を想像しました。
 特に花畑の大先生、が濃すぎます。トラウマです。
 なんだかうまく言葉に出来ませんが、とても有意義に読ませていただきました。

 誤字報告
>確立百パーセント
 確率、わざとな気もしないでもないですが……。

>やはりとうか、
 やはりというか
13. 9 deso ■2010/01/13 23:38:46
面白かったです。
長かったですが、軽妙な文章と楽しい登場人物達のおかげで、すらすらと読ませていただきました。
ただ、面白かっただけに気になったところも幾つか。
小傘vs雛の弾幕戦はもう少しすっきりしててもよかったんじゃないかなあ。
あと、主人公とその友人が、これだけキャラが立ってるのになんかすっきりしません。
ちょっと食い足りなかったです。
14. 7 ホイセケヌ ■2010/01/14 20:06:09
モトマ耘ネノ、ホハレ露。「ヒス、簗ワ、ア、ソ。ュ。ュ、、、莠ホ、ヌ、筅ハ、、。」

・皈ゥ`、ネ・ン・ゥ`、ホカネヒスM、ネミミ、ッ。「メサモマ゙、熙ホ、ヨ、鬢サテマ濱・ト・「ゥ`。」ミトミミ、ッ、゙、ヌソートワ、オ、サ、ニ、筅鬢、、゙、キ、ソ。」
15. 8 やぶH ■2010/01/15 01:54:58
ユニークなネタを混ぜた文章は読んでいて楽しいのですが、物語の方向性が見えにくくて大変だったのと、()の多さがちょっと気になります。
ルビを振れとかじゃなくて、このくらいの漢字ならわざわざせんでも、というところまでやっちゃってる感じが。
それらを除けば、読後感の良さは今回のこんぺで屈指のものでした。素敵な物語をありがとうございます。

(妹様に関する話題ですが、495年のことだとすると、半世紀は五十年ですから、ちょっと違うのでは)
16. 9 八重結界 ■2010/01/15 17:27:53
 場面が変わる度に、次はどこへ行くのだろうと心が躍りました。
 お伽噺のようなストーリーは、不思議の国のアリスを読んでいるようでもありました。兎ならちゃんと出ていましたし。時計は持っていませんでしたけど。
 姉と妹の関係について、若干理解できない部分もありましたが今となっては何となく分かるような気もします。
 これだけ多くのキャラクターが出ているのに、脇役がいなかったように思えるのは素晴らしきこと。幻想郷を存分に堪能させて貰いました。
17. 7 2号 ■2010/01/15 19:10:30
幻想郷に迷い込んだ雰囲気がよく出てました。
序盤、主人公の人となり・動的欲求がつかみにくくてうまく感情移入ができなかったのと、お姉さんとのお話の流れがいまひとつわからなかったのがちょっと残念でした。
18. 8 焼麩 ■2010/01/15 21:19:53
幻想小旅行・大冒険。
動きが多くて規模が大きくて、かくも短い期間とは思えませんでした。この感じ、大長編ドラえもんに似ている。
人里出た後も長かったのでちょっと疲れました。
それと、漫談は幻想境的で楽しめましたが、時々卑近な冗談があり一気に呑み込めない感覚。
19. 8 零四季 ■2010/01/15 22:59:24
超設定、超展開。だがそれでも楽しませてくれるだけの文書の上手さがあったので面白かったです。
幻想に翻弄されるメリーの心情もユーモアありで描かれていて良かった。ただ、個々の問題点をすべて解消しきれていない点が消化不良だったように思いました。余韻としてはこのままでいいかもしれないという考えも有り、こんな感想になってしまいましたが。
20. 6 木村圭 ■2010/01/15 23:21:41
うーん、面白いことは面白いんですが……。
スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスさんを持ち出した意義がどうもはっきりしない。
いや、彼女自身はその能力故必須なのですが、マエリベリーさんの妹という設定はいらなかったのでは?
蓮子っぽい悪友が名前も出せないこととあわせて、どうも取ってつけた感を強く感じてしまいました。
21. 9 時計屋 ■2010/01/15 23:29:09
 精妙な描写とそれによって綴られる重厚な「東方の世界」に酔わせていただきました。
 メリーポピンズのメリーと秘封倶楽部のメリーとを混淆させる発想と、それに違和感を感じさせないその技巧には感服します。
 また傘を差して飛ぶ少女と、小傘という妖怪を結びつけたのもまた素晴らしい。
 ほとんどオリジナルに近い設定でありながら、それが浮くことなく東方の世界観に溶け合っていました。

 外の世界の人間が、幻想郷にさ迷いこみ、様々な人物や妖怪と触れ合って歩く。
 よくある展開のSSですが、これはそのまま書いてしまうとかなり冗長に思えます。
 しかしこのSSにはそういうものは感じませんでした。
 妖怪との出会い、そこでの会話、そして別れの繰り返しが「姉への邂逅を果たす冒険」として途切れのない一つの物語になっていました。
 確かな文章力と、笑いを誘う軽妙なやり取り、そして飄逸でありながら真率なメリーの人柄が、それらのエピソードをしっかりと結びつけていたからだと思います。

 そして後半部、姉との再会を果たさないまま終わった彼女の帰還の物語。
 すでに完結していると思われるメリーの物語をここまで伸ばす必要があったのか、と読んでいる最中思いましたが、実はその話もまたポリーと姉との再会、という別の話が隠されていたというオチがあったとは。
 その仕掛けにもまったく驚かされると同時に、してやられたという思いに打たれました。
 素晴らしいSSをありがとうございました。
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