稲垣淳士 第6回講演会「鏡」より『紫鏡の雛流し』

作品集: 最新 投稿日時: 2010/10/17 13:57:44 更新日時: 2010/12/16 23:43:01 評価: 22/25 POINT: 126

 みなさん、こんばんは。稲垣淳士です。本日は第6回講演会「鏡」へご来場いただきまして、誠にありがとうございます。今回の講演ツアー、タイトルの通りに「鏡」をテーマにした背筋の寒くなるようなお話をひっさげて、全国津々浦々を廻って参りました。それも、この大阪でついに最後の講演となります。是非、最後までお付き合い頂きまして、寒い秋夜を更につめた〜く感じてもらえれば。と思っております。
 おっと、照明も暗くなって雰囲気が出てきましたねぇ。さて、それでは早速……
 あっと、そうそう、最初にこれを読まなきゃいけないんでした。一応ね、注意書きっていうのがありましてね、チケットの裏側にもちゃんと書いてあるんですが、一回お客さんに訴えられた事もあるのでね。読み上げさせてもらいますよ。
 え〜『当講演を鑑賞したことにより発生する如何なる事態についても、わたくし稲垣淳士は一切の責任を負いかねます。了承していただけた方のみ、お席をお立ちにならずに最後までお付き合いください。』
 ……っと、いやぁ良かった。本当に席を立つ人はいませんでしたねぇ。いや、これがいるんですよ。地方公演なんかしてると特にね。まー、単純におトイレに行く方だったりするんですけど。
 それじゃあ無駄口は辞めて、お話を始めましょうか。



 これはねぇ、私が東北のとある山奥に取材にいった時の話なんだ。……そこには小さな集落があってねぇ、どうもその辺りには「呪われた村」があるっていう情報を得たもんだから、スタッフと一緒にわたくし、現場へ飛んでいったわけでございます。
 それはまぁ、ありがちな話です。――その昔、ある家族を村八分にして殺したせいで、その呪いが村を襲った。それが今でも続いている、っていうのが大まかな内容です。ね? なんだか何処かで聞いた事があるような話じゃない。
 市内から車でねぇ、そう、二時間はかかったっけなぁ。問題の集落につく頃には、辺りはすっかり暗くなっちゃってて。私たちはさっさと取材を終わらせて、町のキャバレーにでも行こうってスタッフと話してたんだ。だから集落についたら早速、情報提供者に会って「すぐに取材をしたい」っていった。そしたら、じゃあ今から行きましょうって、それでいかにも長老って感じの人のところへ連れていかれたわけです。

 いやぁ、今の日本にこんな所が残っているとはねぇ。――そう思いましたよ。だってね、かやぶき屋根の家がだーっと広い田んぼを挟んで、ほんの数軒。それしか無いんだから。さらに、長老さんの家はこれまた古くてねぇ。地震でもきたら潰れちゃうんじゃないかと思った! それくらいの田舎です。
 長老さんはもう、100歳を超えているっておっしゃってたかなぁ。腰まで伸びた白い髪に、瞼なんか丸っきり潰れちゃったみたいな顔して。そこで取材を受ける条件としてキャメラもビデオも撮影禁止と言われてね、いつもならここで、その模様を皆さんにもスライドショーでお見せするんですが……。そういった訳で今回は、私の話だけで我慢してくださいね。
 それでね、彼はまず私たちにこう言ったんです。
「この話を聞いたら、あんたら無事じゃすまんぞ」
 ってね。でも私たちも、はいそうですか。って辞める訳にもいきませんからね。長老に頭を下げて話を聞くことにしたんです。今時分に珍しく、囲炉裏なんか囲んで彼の話は始まりました。

――それが、今回のお話「紫鏡の雛流し」でございます……。



 昔々、その辺りの土地には鍵山っていう小高い山がありましてねぇ〜。その山、今はもう別の名前になってしまったんですが、まぁ江戸時代の頃に地元の人がそう呼んでたって事なんです……。その山の麓には小さな農村があった。そう、それが件の呪いの舞台となる集落なんですねぇ。
 村には、ある家族が住んでいました。父母に子供が五人。子沢山ですねってあなた、江戸時代の農村といったら産めよ増やせよ……ああこれは違うか。とにかく、子供はこのくらい居るのが当たり前ですよ。いや、少ないくらいだ。
 まぁ、その家族は父親が働き者でね、地主からの信頼も厚かった。母親も気立ての良い人で、子供たちもそんな両親に似て、仕事も手伝うし人助けをする良い子供だった。周りの村人たちもね、そりゃ羨ましがるような幸せな家族だったそうな。
 ある日のことだ。辺鄙なその村に、都会から行商がやってきた。周りには森と山と田んぼしかない土地だ。都会から持ってきた品物を一目見ようと村人たちは喜んで行商人の元へと集まった。
 ところがその時期はねぇ、ちょうど稲刈りの時期だったんだ。村人たちも本当は百姓仕事に精を出さなきゃならない。それをほっぽり出して行商人へと群がる村人たちの中で唯一、その幸せな家族だけが真面目に稲刈りをしていたそうな。――そして行商人、集まった村人たちを前にしてこう言ったんだ。
「お前たちは仕事を放り出して何をしている。あそこにいる真面目な百姓にだけ、特別に褒美を取らせよう」
 なんと行商人ったら、本当はお上の使いだったんだ。視察に来るついでに、ちょっと百姓どもを試そうとしたワケ。
 結局のところ、村人たちはお叱りを受けて、何も知らずに仕事を頑張っていた父親にお上さんからご褒美が送られた。



 そう、それが紫鏡だった。



 紫っていうのは、まぁ昔から高貴な色だと言われていましてねぇ。ましてや金属が紫色をしているなんて、当時には全く考えられなかった。塗装の技術なんて、ないわけですから。
 だから百姓たちは目を輝かせた。手鏡すら貴重だっていうのに、もらった鏡は周りを紫色の鉄で覆われている。――なんだこりゃあ、おまえさん、大層なものを頂いたなぁ――村人たちは口々に言っては、父親に羨望のまなざしを向けたそうだ。
 父親もそりゃあ、まんざらじゃない。ただ仕事をしていただけとはいえ、お上から宝を拝領して、しかもそれが紫色の枠をした珍し〜い鏡なんだ。人生の絶頂期といっても過言ではなかったでしょうねぇ。父親はそれを家宝として、肌身離さず持つほど気に入ったんだ。
 いや、まさしくそれが、彼の人生の絶頂期に違いなかった。なんと、その父親……それから一年もしない内にコロッと死んでしまった。
 死因はどうやら病らしいんだが、それが不気味でねぇ……。彼の死体は全身の肌という肌に、紫色の痣が浮き出ていたそうなんだ。そして死んでいるのが見つかったのは、夜更けの田んぼのど真ん中、手には例の紫鏡を持っていたんだって。
 参ったのは残された母親と五人の子供ですよ。父親のそれが“流行病”なんじゃないかって、村ではあっという間に噂になった。そりゃ狭い集落だ、すぐに噂は広まりますよ。それで村中の人が言ったそうだ、「あそこの家で流行病が出た」ってねぇ。
 そしてね、みなさん。当時の集落の掟っていやぁ、流行病は自己責任って決まりなんですよ。父親という働き手を失って、母親一人じゃとても家族を養えない。でも誰も助けちゃくれないんです。更に悪いことに流行病なんかを持ち込んだって事で、周りからは村八分だ。……今でいうとシカト、のけもの、追放ってところですねぇ。
 そうなることを分かっていた母親はね、父親が死んだ次の日にこっそりと家を抜けだした。子供五人を連れて、一番下の子なんて、まだ乳飲み子ですよ。それを連れてねぇ、村を出たんです。そして裏手にある鍵山へ登っていった。夜の真っ暗な、何も見えない山道を登っていったんです。
 みな手ぶらでしたが、長男坊の手には紫鏡が握られていました。父親が遺した家族の誇りですから、どんな時でも肌身離さずに持って行こうと思ったんでしょうねぇ。彼は父親の形見のそれを持って、無言で山を登る母親の背中を追いかけるように、兄弟を連れていった。
 母と子供たちが着いたのは、山の中腹にある大〜きな池だった。そこで母親はくるりと振り返ると、子供たちに言った。
「さぁ、ここで一緒に死ぬんだよ」
 言って、乳飲み子を抱えたままの母親が、池の中に身を投じた。続いて小さい順から親に続くように、次々と家族は池に落ちて、沈んでいった……。
 仕方ないんですよ、当時の村社会で村八分にされるってことは、死に等しい。まぁ、昔っから日本では自殺が多い文化って事ですかねぇ。
 それで最後に残った長男。彼は死ぬのが嫌でした。それで、しばらく一人で池の縁につっ立っていたんだが、水面にぷかぷかと浮かぶ家族たちの背中を見て、次第に怒りに震えた。何故、父親を病で亡くした自分たちが、こんな仕打ちを受けなきゃならないんだと。――そう、話を聞いた皆さんと同じように憤り、悲しんだんでしょう。
 でもね、結局はどうする事もできない。恨み言を呟いたかどうか知りませんが、とにかく彼も池へと身を投じた。紫鏡を手に持ったままでねぇ。――あんまり深くない池なんだけど、なんでかしら、すぐに彼は溺れてんだ。



 さて、それからです。「あの家族はどこかにでも逃げたんだろう」――そんな風に思って、村人たちは平和に暮らし続けました。しばらくの間は特に何事もなく、平凡に暮らしていたそうなんです。しかしですね、その家族の死から十数年が経った頃に、ある異変が起き始めたんです。
 村人の何人かが、唐突に病にかかって死んでしまった。しかも、身体を捩って激痛に悶えるようにして「痛い、痛い」って苦しんだそうなんです。――村人たちはゾッとしたそうですよ。……なにせ、その死体の肌は、時間と共にみるみるうちに紫に変色していったそうですから。
 そして、ある村人は死ぬ直前に、家族へとこう、搾り出すようにして伝えたそうなんです。「ムラサキカガミ……」ってね。そこで村人たちの脳裏には、あの家族の事が浮かび上がった。そういえば、あいつが殿様からもらったのも紫色の鏡だったな、ってね。
 もしや、と思って鍵山を捜索した村人たちは、そこでようやくあの家族が一家心中したんだろうって事に気付いた。池の底をさらって、そこから人骨やら衣服やらが出てきた事でね。
 ところが不思議なもので、長男の持っていた紫鏡だけが見つからない。いや、正確には見つかったんだが……紫色の金属枠だけが見つかって、肝心の鏡の部分が、すっぽりと無くなってたんだなぁ。
 そして村人たちは気付いちゃった。その家族の自殺した池が、自分たちの用水路、田んぼに水を流している水源だって事に。つまり自分たちは十数年ものあいだ、家族たちの死んだ水で生きていたんだって事に。
 こりゃあ、呪いに違いないと。そこで村人たちは思ったわけだ。



 ここまでは、よくある呪いの話。悲しくて、恐ろしい話でしょう? でも続きがあるんだなぁ、いや、ここからが本番かもしれません。
 あっ、トイレに行く方は今のうちにどうぞ。いや、でも、ここからが重要ですからねぇ。出来るなら我慢して頂きたい。



 呪いに恐れおののいた村人たち。どうにかして呪いを解こうって話になった。そこで彼らは、どこかに高名なお坊さんがいないかと探し回ったんだが、辺鄙な場所にやってきてくれるお坊さんなんかいやしなかった。
 呪いに怯えつつ途方にくれていたある日、村にひとりの女の子がやってきたんだねぇ。年のほどは10と少しいったような、でも身なりはキチンとしていたそうで。その子がいうには「呪いに困っていると聞き、来ました」だそうだ。
 村人たちは喜んだ。助かったぁ、ってね。でも、こんな小さな女の子が一人で一体どうしようっていうのか? いくらかの村人たちは疑ったそうだよ。
 女の子もそれが分かったみたいで、村人たちを前にしてこう宣言したそうだ。
「私は今までに、どんな呪いでも解いてみせました。もしも呪いが解けなければ、騙りとして私を殺してもかまいません」
 そんな小さな子に、啖呵切られちゃあ村人たちも任せるしかない。「好きにしな」って事で女の子に呪いを解いてもらうことにした。それで、用意するものはあるか、って聞いても「全部用意してある」ってんだから、結局のところは村人たちは傍観するだけさ。
 それで女の子、宿として一つの家を借りると何を始めたかって、藁を編み始めたんだねぇ。それで次々と桟俵……そう、稲わらで作った小さなお船を作りはじめた。村人が「何に使うのか」と問えば「使う時に見せます」といってひたすらに桟俵をこさえた。その数は30にも及んだそうでね。
 次の日の夕方だ。村人たちに「呪いを解きに行く」と告げると女の子は鍵山へと登っていった。疑い深い村人たちは、彼女が逃げ出すんじゃないかと思って、揃いも揃って女の子に続いていった。
「その呪いを解くところ、自分たちにも見せてくれ」
 すると女の子。
「いいでしょう。ただし私の道具には一切手を触れないでください。触れたら責任は取れません」
 そういうもんだから、村人たちも「やれるもんなら、やってみろ」となったわけだ。女の子が池にたどり着くと、村人たちは覗き込むようにして彼女の手法をじっと見つめた。女の子の手には昨晩に作っていた桟俵、そしてそれと同じ数だけの可愛らしいお人形を懐から取り出した。
 紙で出来た平べったいその雛人形を一人ずつ、一つのお船に乗せて、女の子は池に次々とそれを浮かべた。そうして何事がぶつくさと唱えると、まるで桟俵は船頭を得たかのように、揃ってクルクルと廻り出して、池の中を進んでいった。
「浄化せよ、この地に禍をもたらす呪いを」
 女の子の言葉で聞き取れたのは、そういった意味だけだそうで。後はその桟俵の軍隊が掃除をするように、池から川へ、そして下流の方へと流れていった。――そうですね、今でいうところの「流し雛」でしょう。それが女の子の呪いの解き方だったそうです。身の穢れを落とす為、それが今の流し雛の一般的な意味合いでしょうが、当時はこういった除霊や呪いに対する効果もあったようですねぇ。
「これでもう大丈夫だ」
 女の子の言葉を信じて、村人たちは喜んだ。彼らは女の子にお礼をいって、まだ半信半疑だけども、村へと戻っていったそうだ。でも村人たちは、なんだか本当に、もう呪いは土地から去ったように、なんとなしに分かったんだって。
 でも問題があった。村に帰ると、ある一人の男が泣き喚いて皆の所へ駆け寄ってきた。その腕には男の子供、まだ小さな男の子が抱えられていた。村人たちはハッとした。その男の子が全身を紫にして、明らかに事切れていたからだ。……男は叫んだ。
「そのガキはインチキだ。俺の息子が死んでしまった! 見ろ!」
 その叫びを受けて、女の子へと視線が集まるわけだ。それを見て女の子、ハッとしたそうで。
「もしや、その子。川を流れてくる雛に触ったのでは?」
「そうだ、見つけた時に紙で出来た人形を手に持っていた。……やはりお前のせいか!」
 女の子は悲しそうに項垂れて説明した。――私の流した雛には集めた呪いが詰まっている、海に流れるまで、それに触れるのは禁じていたはずだ――と。ただ村に残っていた子供は、そんな事知らないから、川を流れてきた可愛らしい人形に触ってしまったんだ。
 それを聴き終えた男、怒り狂って飛び出すと、周りの制止も間に合わない内に、ガツン!! 女の子の頭を鍬で殴りつけた。幼い女の子はそれで死んじゃった。あっけない、あまりにも一瞬の出来事だったからねぇ、村人たちもどうすることも出来なかった。
「息子の仇だ」
 鼻息荒いその男に対して。
「何も殺さなくたって」
 そう言うのが精一杯だったそうで。村人たちも流石に女の子を哀れに思って、村の中に立派なお墓を建てて葬ってあげたそうだ。ただ、息子が死んでしまった男は、女の子を祀るのに納得がいかなくて、その前に村を出て行ったそうなんですけど。でもとにかく、それ以降の村では二度と呪いは出なくなったそうですから。女の子の雛流しは成功していた訳です。
 それにしたって、女の子を殺してしまったのはまずい。そう思って村人たちは、年に一回。30体の雛を作って、例の池から流したそうです。それが心中した家族と、恩人である女の子への贖罪って訳ですね。
 以来、村人たちは雛流しの雛たちを「鍵山のお雛様」と呼んで信仰したそうです。世代が変わっても、それは風習となって残り、流し雛という習慣がその山には残った。そして、呪いは消えたのです。



 では、呪いはもう、ないのかって? ところが事は上手くいかないもので。
 戦争が始まった時に、どうも、その雛流しの習慣が途切れてしまったそうなんですよ。それで村の人たちは暫くの間、弔いを行わなかった。すると、不思議なもんで、まーた村では流行病が起こってしまった。身体が紫色に変色して、激痛に身悶えて死ぬ人が出てきた。今度は呪いを流してくれる女の子もいないし、その当時の村人たちは流し雛をすれば呪いが無くなるなんて話、信じちゃいなかったのでしょうねぇ。
 で、結局どうしたって? ……実は私たちが長老から話を聞いた集落っていうのは、その話に出て来る村とは少し違う場所にありましてね。結局のところは皆して、その土地を捨てたんだそうです。土地を捨てるしか、彼らの生き残る道はなかった。
「お前さんたちも、紫鏡の呪いに見つからないようにせぇよ。もし、掛かったら、流し雛に呪いを流してもらうといい」

 で、長老の話はそこで終わりなんですが、それじゃあ物足りないじゃない。
 東北の辺鄙な村まで来て、それだけじゃあツマラナイ。

 私は長老の家を後にすると、スタッフにいって近くの病院へ調査をいれたんです。まぁそこも田舎の病院ですから、案外と情報管理が甘くて……おおっと、これ以上は言えませんねぇ。これ、DVD化の為の撮影入ってますから、今のところカットね、はは。

 ごほん。とりあえず、私が分かったのは……呪いの再発にどうしようもなくなった村人が現代医学に助けを求め、医者を呼んで調べてもらったところ、どうも集落の人たちの身体からは“水銀“が検出されたそうで。
 私、ピーンと来ました。そこで病の原因、そして雛流しの秘密を探るべく、鍵山を調査する事にしたんです。とりあえず市内に戻って一泊してから、色々と準備をして鍵山へ向かいました。今の名称は、ちょっと伏せさせてもらうんですけど、その鍵山っていうのは至って普通の山のように見える。なんてったって道路は舗装されていて、ワゴン車のまま山頂まで進めるんですから。私とスタッフも談笑しながら目的地に向かっていたんです。目指すは呪いの現場、一家心中のあった池と呪われた旧集落です。
 ブゥン。――はて、何の音かな――思った時には、ワゴン車、止まってました。「吉住くん」あ、運転手の名前なんですけど「吉住くん、どうしたの?」って私が聞くと、彼、振り返って青い顔して。
「稲垣さん、駄目です。エンストです」
 あらー。と思いましたね。なんせ調子に乗って山奥まで着ちゃって、そこでエンストですもの。何度かエンジンをつけようとしたんだけど、駄目。そこで私、思い切ってこう言ったんです。
「歩いていこう、その池まで」
 幸いにして時間はまだお昼過ぎで、外は晴れだし明るい。他に車が通りかかるかもしれないから、連絡用に一人だけ、スタッフを車に置いて。私と吉住くんと、あとディレクターの石崎ってのがいるんですけど、そいつの3人で、一家心中のあった池まで歩いていく事にしたんです。
 大体、旧集落までは車で30分くらいの所までは来ていましたから、後は歩いていけるだろうと、その時の私は何故か思ったんですねぇ。でも石崎も乗り気でねぇ、吉住くんなんかは「辞めましょうよ、稲垣さん」なんて言ってたんだけど、結局は無理やり連れて行っちゃった。
「やばいです、戻りましょう」
 なんて吉住くんが延々とうるさいんだけど、私はどんどんと先に行っちゃう。吉住くん、彼も仕事ですから、上司の石崎もいる手前、私たちに渋々とついてきていた。一方で私は、猪突猛進という感じでドンドンと森の中を進んだわけです。木々が行く手を阻んだ原生林みたいな深い森なんですが、私はもうジャングルを探検する変身ヒーローのようにノリノリで足を動かす。
 何故、そこまで熱くなっていたかと言いますとね、私は、長老から聞いた話が本当に呪いの類なのか、真相が知りたかった。
 こうして怪談ばかりしているとねぇ、「貴方って霊感あるんですか」なんて聞かれたり、「インチキじゃないか」なんて的外れ言われたりするんですがね。お客さん、私にはもちろん霊感なんてありませんよ。――私は見聞きした怪談を、ただ皆さんにお話しているだけなんですから――だからこそ、私は本当の超常現象とか幽霊とか、そういうのを求めるわけです。それが単なる科学で説明出来る現象じゃないかとか、そういう所は徹底的に調べるんです。
 それで私がその時に思っていたのは、呪いの正体は“水銀”なんじゃないかって事です。あれは人体には猛毒な物質なんですが、昔の鏡にはあれが含まれているそうで。アマルガムっていう物質なんですが。――まぁ紫鏡にそれが使われていたかとは限らないし、それが池に浸かっていたとしても、下流の人々が水銀の毒に襲われるなんて事は考えづらいのですが……。とにかくです、それを確かめたくて私は森を突き進んだのです。



 どのくらいですかねぇ……。一時間、いやもっとかもしれない。とにかく私はヘトヘトに疲れるほど歩き通しました。むしろ、その時には逆転して、若い吉住くんの方が元気があって「ほら、頑張っていきましょう」なんて慰めてくれる。
 私もいい加減トシですからねぇ、突撃取材なんて、いつまでも出来るもんじゃないなぁ〜。――そんな風に思っていたら、急に視界が開けた。あれほど草木に覆われていた景色が、さぁっとカーテンを開くみたいに開けっぴろげになって、気付いたら目の前には大きな池があった。
「あ、これですよ稲垣さん!」
 石崎がどっかからプリントアウトしてきた資料を見ながら叫んだ。でも私は息を切らしながら首を横に振ったんです。「いや、これ違うよ」って。だってそうなんですよ。――それは池じゃなくて沼。流れる水もなく、ただ淀んだ泥みたいな液体が漂っているだけなんです。
「いや、でもここのはずだ」
 石崎は言って聞かない。私も意地になる。
「あんたねぇ、沼からどうやって、雛流しするんだい」
 私が言って沼を指さした。すると、その私が目を見開いて驚く羽目になる。――何故かって?―― 私の指さした先にですねぇ、あったんですよ。藁で出来た船に乗った、可愛らしい雛人形が。浮かんでるんです、沼に。
「うそでしょ」
 吉住くんがボソッと言ったのが印象的だった。私も全く同じ心境でした。恐らく石崎もね。だってそうじゃない。――あの集落ですら途絶えた文化である“雛流し”の人形が今、何故この沼にあるのかってね。
 しかも驚くべき事に、それはずうっと昔に作られたはずの雛人形なんだけど、不思議と劣化はしていない。だって紙で作られた人形なんだ、こんな屋外に置きっぱなしになっていたら、あっという間にボロボロになっちゃうはずでしょ? でもそれは今さっき浮かべたみたいに、綺麗なままで沼の端っこに浮いてるんだ。まさか、つい最近になって、誰かが流し雛をしようと思った訳でもあるまいに。
 私はゾォっとしてねぇ……。思わず皆してしばらくの間、無言になっちゃった。それでも石崎は現金だから、いち早く気を取り直すと、カメラ回そうって言って、ハンディカメラっていうの? あれを取り出して、撮影を始めたんだ。やっぱり彼も仕事ですから、講演とかで使う為の映像は確保しなきゃねって、彼の中の悪寒を、そういう価値観が上回った訳です。
 すると、その時、私は更に気が付いちゃった。
 雛人形の浮いている沼の端っこね、なんだか流木か何かで“蓋”がされているみたいなんですよ。つまりですよ、その蓋さえなければ、そこから水が流れていく。そこには川が出来て、この沼から水が流れ抜けていく。更にその蓋の丁度、反対側。崖みたいになった岩場には、湧き水でも流れ出そうな穴が開いてるんだけど、今はそこから水が流れてはいないみたい。
 そうなんです。石崎の言った通り、そこは例の池だった場所なんです。それが、何かの拍子に水の流れが止まってしまい、おまけに流れ出る出口も塞がれて、そうして沼になってしまったみたいなんです。そこで、私は石崎に向かって叫びました。「池に戻すぞ!」ってね。
 私の突然の叫びに、二人ともポカンとしていましたがね、沼の端っこに走っていった私を見て、なんとなく分かったみたい。「ちょっと待って、ガキさん」って石崎が私を止めて「いいアングルから撮ろう」と言ってね。どうやら池の……昔は湧き水が出ていたような岩場に上って、高見からこっちを撮影しはじめた。
 私も撮影されているとね、まぁ恥ずかしいんですが、テンションが上がってしまいまして。大仰な身振りでいざ、川の入り口を塞いでいた流木を取り除き始めた。一本の枯れ木みたいなのを取り除くと、沼の水がごぽん……と音を立てた。すると後は凄まじい勢いで水が流れ始めて、それが残っていた流木を飲み込んだ! 私はその迫力に思わずよろけて、川だった溝に落ちそうになる。
「うわー!」
 叫んだ瞬間に、ここ! この二の腕を吉住くんがガッシリと掴んで、私が川へ落ちるのを防いでくれた。お陰で私はまだ、皆さんの前でこうしてお話が出来ているわけです。そうじゃなきゃ頭打ってイッちまってたかも知れません。――「大丈夫ですか!」って叫ぶ吉住くんに対して「ありがとう」と短く答えた私は、よろよろと立ち直ると、沼から流れ出ていく濁流を眺めた。
 そこで私、“あっ! 人形は?” と思った。そして慌てて川の方へ目をやると……あの人形は既に濁流に乗って、ぐんぐんと下流の方へ流されていった所だった。くるくると回りながら川を下っていく人形は、あっという間に手の届かない所にいってしまった。
――でもね、私はそこで、ちょっと不思議な体験をしたんです。
 その流されていく雛人形、それとね、……目が合ったような気がしたんですよ。でも、なんだか怖い感じはしなかった。代わりにホッとするような安心感が私の胸の中にポッと湧きました。そしてね、今にしても思うとね、「触れなくて良かったなぁ、あの人形に」って、そう思うんです。
 まぁそんな事を思ったのは、大分あとになってからで。その時の私は、ただ沼を覆っていた泥水が流れ出ていくのを、ボォーっと見ていたんです。ごぽり、ごぽりと、如何にも粘着質な音を出しながら排出されていくんですね、これが。……湧き水は枯れているようで、ただ下流に水が流れていく訳ですから、沼はやがて枯渇してしまう訳です。そうなるとですよ、私はまた、あることに気が付いてしまいました。
「石崎、これ、沼の底が見れるんじゃないか?」
「あっ!」
 ようやく二人も気付いたようで。そう、沼の底が見れるということは、それはもしかしたら、失われた紫鏡の、肝心な鏡の部分が見つかるかもしれないってことです。私は恐ろしいやらワクワクするやら、ちょっと心臓が高鳴っていました。――鏡が沼の底に沈み、それが延々に水銀という猛毒を川に流しこんでいたのか、そうだとしたらその材質、仕組みは一体どうなのか? 本当の怪奇現象が、私の目の前に現れるかも知れない。――私は期待を胸に抱いて、じぃーっと、水を失っていく沼へと熱い視線を送っていました。
 水が半分くらい無くなるまで、ものの数秒だったのかな。でも私たちにしてみれば、もう何分も、ただ沼が干上がっていくのを見ていた気分でした。
「出たー!」
 吉住くんが間の抜けたような声を出しながら、沼の中央を指さした。そこにはね、なにやら半円の板みたいなのが頭を出しているんですよ。私も次の瞬間にはハッとしましたねぇ。「ああ、これが例の鏡なんだ」って。
 私はまだ水が抜けきっていないのも忘れて、大慌てで沼に飛び込んだ! 「ガキさん、駄目!」って私以上に慌てて石崎が止めたんだけど、その時の私は、もう聞く耳持たないっていうかね。何も耳に入ってないんですよ。じゃぶじゃぶと膝まで泥で濡らしながら、沼の中央に見えた古びた金属に手を伸ばした。
「稲垣さん、駄目、駄目」
 吉住くんも私を制止しようと呼びかけるんだけど、私は「大丈夫、大丈夫」なんて根拠もない事いいながら、その破片をつかもうと軍手をはめたんだ。それは長年の間、水の中に浸かっていたとは思えないほど綺麗な緑色で……そう、青銅って確かこういうんだよなぁ、ってその時の私は思いました。大きさは大体、コーヒーソーサーくらい、まぁ大人の掌を広げたくらい、そんな金属の塊を私は手で掴んで、絡みつく泥土の中から引っ張り上げた。
 私は大はしゃぎして、その引っ張りあげたものを吉住くんに見せてやった。どうも鏡だったらしい銅板は、その表面の加工がすっかりと無くなってしまったみたいでね。私は「塗られていた水銀が溶けて、下流に流れ込んだのかな」なんて言ったんだけど、そんなわけはない。鏡の表面に使われた水銀が、そんな江戸時代から戦後までずぅっと少しずつ、溶け続けていたなんて、ありえないでしょう?
 その銅板、他にも色々とおかしな所がありましてねぇ。吉住くんなんかは、彼、大学でてる頭の良い子だから「おかしいですね、長い間水の中に沈んでいたなら、銅はこんな色にならないはずです。酸素に触れていないとこういった変色はしませんよ」って言う。後から調べれば、確かに銅板っていうのは、空気に触れていないと、ああは変色しないみたいなんだなぁ。まるで銅板が後になって沼に投げ入れられたみたいじゃない、それじゃあ。
 それにね、伝承では村人たちが池の底をさらっても、鏡の部分だけは見つからなかったはずなんだ。それが、私たちがひょっこりとやってきて、水を抜いたら見つかるなんて、都合が良すぎるとは思いませんか? その時は興奮してたんですけど、今にして思えば……まるで鏡の方が私たちを、自分を拾わせようって思ったんじゃないか。そぉんな怖い考えも浮かんできます。
 とりあえず私たちは、その戦利品を持って森から抜けだした。まず近場の道路に出ると、そこから置いてきたワゴン車の方へと坂道を下っていった。でも、その途中でなんと、道の向こうから地元TV局のワゴン車が登ってくるのよ。そこで私はヒッチハイクするみたいにして、その車を止めたの。当時も私はそこそこ顔が知られていましたから、車に乗っていたスタッフも「あっ、怪談の稲垣さん! こんな所で何をされてるんですか?」って驚いてね。私は事の顛末をスタッフに話してやった。
 すると彼、「え〜! どうしよう」って慌てふためくもんだから、どうしたのよって私が聞くと。
「いえ、私たちも心霊番組の撮影で、その鏡について調べようとやって来たんです。霊能力者の先生まで呼んだんですよ」
 心霊番組の取材に来たって言うのに、先にその話の目玉である鏡を私が見つけちゃってるんだ。ある意味では、企画は台なしってワケ。悪いことしたなぁ、って思うと同時に、私は霊能力者がここにいるって聞いて、ニヤリとしましたねぇ。
「そりゃ都合が良い。その先生にこれ、見てもらいましょう」
 私は勝手にワゴンの扉を開いた。驚いたのはスタッフで、先生は気難しい方だから注意しろって止めたんです。まぁみなさんご承知の通り、私はそんな事じゃあ止まりません。ワゴンに乗っていた先生――そうですね、結構著名な方でした。お名前は伏せますが……。まぁその方へと銅板を見せてやったんです。いきなりの乱入に大分驚いた様子の先生だったんですが、銅板を見るなり血相を変えてねぇ。まだ説明もしていないのに、やっぱりそれが何なのか感づいたみたい。
「稲垣さん、それ、どうなさったんです」
 こういうものだから。
「呪われた池の中から引っ張りあげました。どうしたらいいでしょう」
 って尋ねてやった。先生は私と石崎、吉住くんをワゴンの中に呼んで、真剣な顔で話をしてくれました。それは、こんな具合の会話でした。
「これはね、本当に強力な呪いが掛かった鏡なんです。貴方たちは村の伝承を知っていますか?」
「ええ、昨日、長老さんに聞きました」
「なら分かっているでしょう。紫鏡には、心中した長男の強い恨みが篭っています。鏡は人の心を映しだすもの、そして直後に死んだ彼の怨念は、鏡に呪いという形で残留したのです」
 あんまりオカルトな話になってきたので、私はちょっと意地悪な事を言いたくなった。
「先生、私、呪いの正体は表面に塗られたアマルガムの水銀が川に溶け出した事じゃないかと思っているんです。そこら辺はどうなんでしょう、この銅板をもって帰って、科学的に検証したいんですが」
 でもこれが失敗だったなぁ。すると先生、怒っちゃって、眉をつり上げてね。
「駄目です。これは今からしかるべき所に返しにいきます!」
 目を見開いて叫ぶと、TV局のスタッフに言って、車を飛ばすように命じた。彼らが行く先は、ちょうど私たちもこの後に行こうとしていた、今は誰も住んでいない捨てられた集落でね。そう、この話の大元になった場所です。「降ろしてくれ」とも言えない雰囲気になっちゃったから、私たちも大人しく付いていく事になっちゃった。
 そして数十分後、山を下り始めた我々の目の前に、その村が見えてきました。
 まぁ村と言っても、既に人がいなくなってから相当な時が経っていますから、放置された家々は補修される事もなく、半分崩れかけている。もう時間は夕方のせいもあって、薄暗くなった村はまさに死霊の住処という雰囲気だった。
 TV局のスタッフと先生、それに私たち3人はワゴン車から降りると廃村の中を歩いていった。銅板はというと、一応は私が持っている。実のところ、こっそりと本物と偽物を取り替えて、後でちゃんと鑑定しようかな、なんて思っていたんですが。まぁ、情けない話。――私もその頃には、“これ”は持っていたくないなぁ。持っていてはいけない物なんじゃないかなぁって、思い始めていた訳で……。
「さぁ、着きましたよ」
 先生が指さした先には、村のちょうど真ん中あたり、地面に不恰好な岩が置いてある場所だった。よくよく見ると岩には何か字が彫ってあって……そう、それが“流し雛の女の子”の、慰霊碑だったんだねぇ。岩の回りには雑草しか生えてないし、言われなければお墓だとは気付かないほどだった。
 私は先生に銅板を差し出すと、「お願いします」って言ったんだ。すると先生はその銅板をお墓の前にそぉっと置いて、何事かぶつくさと呟いた。そしてこちらに振り返って「ご安心なさい。これであなた達も無事に家に帰る事が出来るでしょう」って言うんです。
「それだけで大丈夫なんですか?」
 石崎が不安そうに訊いたら、先生はゆっくりと頷いてね。私たちもそれ以上は何も言えないから、TV局の人たちのワゴンにまた乗せていってもらい、自分たちのワゴンの所まで戻ってきたんだ。車に残してきたスタッフの顔ったら! 「心配しましたよ、先生〜」って泣きつくからさ、私もドッと疲れと安心感が出たもんだ。
 そしたらね、ワゴン車、な〜んともなかったようにエンジンが掛かるじゃない。私たちは「やっぱり呪いの影響だったのかなぁ」って言い合いながら、山を下り始めた。



 最後、帰りの車中での事です。私たちは4人であれこれと話しながら市内まで向かっていました。まぁ一人、車で留守番をしていた子は蚊帳の外だったんですがね。石崎が運転、私は助手席、スタッフの二人は後ろで早速、今回の件をまとめる原稿を書いていましたっけ。
 とにかく、なんで銅板を置いてきてしまったのかって事が槍玉にあげられて、私はしょぼくれていました。なんせ、今回の取材ではっきりと収穫になったのは、沼の水を抜いて銅板を入手する所までの映像だけなんですからね。そりゃディレクターの石崎もおかんむりですよ。
「いや、しかし不気味なのはあの人形だ。なんであんな所に浮かんでいたのか」
 私は話題を変えようと、沼に浮いていた雛人形へと話をすり替えた。結局、沼の水と一緒に流されてしまったアレは、なんだったのかってね。今にして思えば、私たちが直接体験した怪奇現象っていえば、あの人形くらいだったんじゃないかって、そう思うところもありましてね。
「あれは、呪いを集めて水に流すっていう儀式みたいでしたね」
 吉住くんは、私たちのスタッフをやってるくらいですから、それなりにオカルトに詳しい。だから流し雛についてもよくご存知で。私も長老の伝承を聴いていて、あれに触るのはまずいと思っていましたから、その事ついて話した。
「いや、今にして思えばだ。不思議に思っても、安易に触れなかったのが良かった。もし触っていたら、伝承の中に出てきた、呪いで死んだ子供のようになってしまっていたかも」
 あながち冗談でもなく、私はそう思っていました。まぁその時は、茶目っ気をふくんで話はしましたがね。でも、それに続いた吉住くんの言葉に私はギクリとした。
「えっ、あれ、触っちゃいましたよ」
 平然とした様子でいう吉住くんに、「えぇ!?」って大声出して振り返る。すると彼は「何をそんなに驚いているんです」って顔で。
「川の水を抜いた時に、人形が流木に引っかかっていたんで、ちょっと指で押して流してやったんです」
 そういって、「でも、ほら何ともないですよ」って吉住くんはケロリとしている。まぁ私も、今回の話には割と懐疑的な立場をとっていましたから「なんだ、思い過ごしか」なんて思ったんですね。そうして、私たちは市内へと戻り、ビデオ撮影したものをチェックして、東京へと戻ってきた。
 でもねぇ〜。がっかりしたのが、ビデオ! なんと、あの沼での私の大立ち回りが全て、なんでしょうねぇ……砂嵐になっていたんですよ。音声だけは録音出来ていたんですが、何故か映像は全部オシャカ。――その夜は石崎と大いに飲み明かしました……。



 それから数ヵ月後でしたねぇ。事務所の方に吉住くんが顔を出さないんですよ。一週間に三日は来て、お仕事を手伝ってくれる彼なんですが、ここ一週間まるっきり見ないから、私たちはちょっと不安になった。そこで私はバイトの若い子に「ちょっと様子みてきて」って言った。
「はーい」
 なんて元気な声で、原付とばして。事務所から30分くらいで着くところに住んでいたんです、彼。でも、なかなかバイトの子から連絡も返ってこない。なんだか遅いなぁ、なんて私たちは呑気に思っていた。
 それで、その子が出てから一時間ほどして、電話がかかってきた。……出るとバイトの子が、狼狽した声で。
「大変です。稲垣さん、今すぐ、吉住さんの家に来て下さい!」
 ただならない様子だって事でね、私はちょうど事務所にいた石崎と一緒に、タクシーを飛ばしました。



 まぁ結論から言いますと、吉住くん、その日以来、行方不明なんです。
 でもただの失踪と違うのは、その部屋を見れば一目瞭然でしてねぇ。これは私がその時に駆けつけて、すぐにキャメラで撮ったものなんですが。ちょうどスクリーンもあるので映しちゃいましょう。――はい、お願いします。



 ね、彼の身に何が起きたのか、皆さんにも何となぁく、お分かりいただけたでしょう?
 部屋の中にはご覧のとおり、大量の雛人形が置かれていました。床一面を覆い尽くさんばかりのこれ、警察の方が調べたら、どうやら手作りらしいんですよ。吉住くん、バイト先は一週間ほど無断欠勤、彼はその間、無心に紙で雛人形を作っていたという事なんでしょうか。
 え〜、ここで彼の顔写真を公開させてもらいます。私も彼の失踪には、大変、責任を感じております……。心当たりのある方、どうか情報をお寄せください。吉住くんは何故に雛人形を作り続けた後に失踪したのか、それはあの時の流し雛と関係があるのか……。私たちは長老の言ったとおり、「紫鏡の雛流し」に首を突っ込んだせいで、大きな代償を払ったのかもしれません。



 どうでしょう? ここまでお聴きいただいた話。今回の講演のテーマは「鏡」という事で、呪われた鏡とそれにまつわる流し雛の物語でした。――いえ、体験談、と言ったほうが良いかもしれませんね。
 さて、みなさん、この話にはさらに続きがありまして。というのも、私は物事には全て鏡のような側面があると思っていまして。
 鏡というのは向こう側に、私たちとすっかり同じ姿形の虚像を作り出しますでしょう。そして動きもそれを完璧に真似てくれます。しかし、同じ姿形で動いていたとしてもそれは虚像。真実とは異なる物を映すのが鏡の本質といえましょう。――では、私が聞いた伝承。これが虚像だったとしたら? 私たちに知らされているものが虚像だったとしたら? ここで、私が考える真実の断片を皆様のお耳にいれましょう。

 例えば、伝承の中に池で一家心中をした家族が出ますが、皆が死んだのなら、その死ぬ様はいったい誰が言い伝えたのでしょうか? 伝承なんて創作? 確かにそうも考えられます。でも、乳飲み子だった末っ子が生きていたら、十数年後にはちょうど可愛らしい女の子という年頃。そういうことを考えるのも面白いでしょう? いや、もしも、の話です。乳飲み子だった女の子が、また村にやってきたとしたら。――その理由? 一つしかないじゃない、復讐ですよ。
 彼女は家族を、村に皆殺しにされたも同然だ。それが当時の風習とはいえ、個人の感情はそう簡単に処理出来るモノじゃないでしょう? もしも復讐の為に自分の手で起こした禍を、自らの手で止めて、村人たちがそれに賞賛を送るとしたら、復讐者としてそれは、これ以上ない誉れでしょう? 笑えるじゃないですか。毒を流した本人に、感謝する人たちなんて。
 でも不幸な事故で、少女は死んでしまった。そして残ったのは流し雛の習慣だけ。だけれども彼女の魂というか、その呪いを解く能力だけは、信仰によってある種の格を得たと考えられないかなぁ。だからこそ、彼女の死後も流し雛のおかげで呪いが鎮められ、流し雛の断絶と共に呪いがふたたび芽吹き始めた。そうは考えられませんか?

 まぁ、この虚像の話は私が想像した本当に「虚」な話だけどね。でも、事実がどうであれ、村人たちのそれだけは、その“信仰”だけは本物な訳ですよ。だから後に作られた流し雛たちは信仰に応え、本当に禍を集めて水に流してくれた。――戦争で、その信仰がなくなるまではね。
 なくなってしまった習慣……。そうしたら、残された流し雛たちはどうなるんでしょうね? そのまま消滅してしまうんでしょうか? 生き残ったものは沼のほとりで、沈殿した呪いを一手に引き受けていたのでしょうか? もしくは、自分を信仰するものがいるどこか別の世界へと旅立ったのでしょうか?
 「鍵山のお雛様」という信仰されし者――あるいは神様と言った方がいいでしょう――それは、もう存在しません。私も「鍵山のお雛様」という名前は教えてもらいましたが、実際にどんな姿形をしているかすら分かりません、つまり私はその神様を信仰してはいないという事になります。話の中にだけ生きる神様は、ただの虚像の神様です。きっと、その神様がいたのならば、吉住くんの作ったお雛様もその「何か」を吸いとってくれたのでしょうがね……。鏡に映し出された虚像の神は、我々人間を救ってはくれないのです。

――消えてしまった実像の神はきっと、今もどこかで、人間の産み出す呪いという廃棄物を、水に流し続けているのでしょうかねぇ。

一身上の都合により東方キャラが全く登場しませんでした。
しかし“東方×かがみ”で考えた結果このSSが出来たという事で、ひとつご了承ください。

――――――――――――――――――――――――――――
(こんぺを終えて)
こっちの方が点数が上だとは思わなかった。今は反省している。
――――――――――――――――――――――――――――
みなさんコメントと評価をありがとうございます。
案の定、コメントが見づらくなってしまったので、ここで返信します。

1.毒弾と変権 さん

 それなりに工夫はしてみたので、そういって頂けると幸いです。

2.タカハウス さん

 あの怪談の語り口はすごいですよね。一回パロディしたくなりました。

3. 名無し玉 さん

 そうですねぇ、ちょっと無理がありましたか(笑)

4. ノラ猫 さん

 読んだ後に「言われてみれば東方か」っていうのも目指したかったので
 そこは私の実力不足でしたね。

5. 百円玉 さん

 思っていた以上の評価をいただけて感激です。
 怪談もSSも想像力で膨らむ世界ではないかと思いますので、そういった点では成功でした。

6. 過剰 さん

 某氏のネームバリューに完全に乗っかった感じですね。
 あまり怪談の知識もないので視覚的に誤魔化してみましたが、思ったより効果があったようで良かったです。

7. 瓢箪鯰 さん

 元々は厄神様用の前日譚を怪談風にしたら、こうなりました。
 今思えば怪談風にして正解だったのかも。

8. 名無し さん

 ありがとうございます。書くにあたって某氏の語り口を勉強してみたので良かったです。
 自分でモノマネしながら読んでみたり……

9. パレット さん

 思い切って背景を変えた甲斐がありました(笑)

10. Admiral さん

 確かに紫鏡といったら紫が出てきそうですよね。今回は一人に絞ってみました。

11. asp さん

 はい、完全にパロディです。
 想像の余地があるというか、特定しない感じが怪談っぽいかな、と思って書きました。

12. とんじる さん

 思い切って東方から切り離したので、そういった意見はごもっともだと思います。
 この話はこういった形という事で……

13. 角度 さん

 あぁ、雛を題材にしておいて良かった……。

14. PNS さん

 ホラーとしての評価を頂けるのかは疑問だったので、そういって頂けると嬉しいです。

15. 藤村・リー さん

 うーむ、流石に画像は飛び道具過ぎますよね(笑) 私に出来るのはここまででした。

16. ざる。 さん

 ありがとうございます。ふんどしを借りまくった結果ですね。

17. 八重結界 さん

 怪談っぽさが出ていたなら良かったです。今度は東方分も増えるようにしたいですね。

18. deso さん

 東方の妖怪たちも外の世界で語り継がれているはず、怪談になってたりするんじゃ、怪談といえば……
 って感じだったので、実はこれでも東方分は多いつもりなのです。

19. gene さん

 パロやフォント変更はどうなるかなぁ、と自身でも思っていたので、案外と評価していただけて幸いです。

20. 木村圭 さん

 フォントのサイズは変更していないのですが、投稿したら小さくなっちゃってました。
 そのうち直せるなら直したいと思います。 物語としては、まぁ怪談ですから、色々あります。

21. 兵庫県民 さん

 なんだか投稿寸前になって過剰演出に走りました。まぁ、これはこれで良かったのでしょうか。
 この怪談の中に出てくる誰が、どれが雛なんでしょうね。

22. ニャーン さん

 某氏は本当に素晴らしい語り手ですね、脳内再生のしやすさがそれを表していると思います。

23. 如月日向 さん

 某氏を勉強して分かったんですが、怪談が上手いというよりトーク自体が上手いんですよね。
 この怪談の中に東方キャラをそのまま出しても、逆に変かなと思ったのでこういう結果になりました。

24. 774 さん

 ちょっと普通過ぎましたかねぇ。フォントについては、もうその通りです、

25. TUNA さん

 うーん、最後はビビったというか、やはり東方に寄せようと思って纏めてしまった感じはありますね。
 突き抜けられなかったというべきか……。



みなさん貴重なご意見、ご感想をありがとうございました。
これらを、これからのSS制作に活かせるように精進していきたいと思います。
yunta
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2010/10/17 13:57:44
更新日時:
2010/12/16 23:43:01
評価:
22/25
POINT:
126
1. 5 毒弾と変権 ■2010/11/07 01:10:07
鏡と関連も薄いと感じたし、東方キャラが出ないどころか舞台も東方と関係が無い
しかし内容はそれなりに面白かったし、途中で飽きないよう普通のSSと違った工夫がされているのは良い
元ネタと思われる稲淳を自分は知らないのでこの点数で
2. 7 タカハウス ■2010/11/07 03:27:23
何という発想だ・・・稲川さんが非常にいい味を出していますね。
確かに東方とはあまり関係ありませんが、とてもよい作品でした。
執筆お疲れ様でした!
3. 2 名無し玉 ■2010/11/07 04:59:27
少し東方らしくは無い気がしました。
4. 5 ノラ猫 ■2010/11/07 10:03:23
良く出来ているとは思いますが、ちょっと東方色が薄すぎて……
5. 10 百円玉 ■2010/11/07 15:45:08
ホラーだ。真っ黒いホラーだ。
隅々にひかれた伏線の回収がお見事。完成度が高いと想えました。
本当にありそうな怪談話、すごい引き込まれました。

個人的に誤って死んでしまった男の子の父親が気になります。
勘ぐれば勘ぐるほどに拡がっていくお話しは、一種の虚像を読者にも残していくかのようです。
6. 7 過剰 ■2010/11/09 16:57:49
なぜに稲垣さん、とも思いましたが、読んでると見入りますね。
いかにも怪談らしい語り手によって進むのがいいです。字や背景の色による演出もあって、少しぞくっとしました
7. 7 瓢箪鯰 ■2010/11/12 02:12:04
こういうのもありだと思います。いやぁ引き込まれた。これだから怪談はやめられない。東方キャラは出てこなかったけど、厄神様のダークサイドを勝手に妄想することができました。
8. 10 名無し ■2010/11/17 13:04:51
稲垣氏のキャラがよく再現されていて、まるで本当に本人の公演を聴いているかのようでした。
東方キャラ自体は出てきませんでしたが、物語のネタとして上手く活用・調理出来ていて良かったと思います。
怖くて面白かった。
9. 4 パレット ■2010/11/19 23:52:36
 ちょ、怖い、怖いっすよ……いやしかし面白くて手が止められなかった。背景色含めた雰囲気作りがいい感じ。
10. フリーレス Admiral ■2010/11/27 10:26:17
むむむ、これはなかなか。
あの神様なんですかねえ。
タイトルから、映姫様やゆかりんがでてくると思ってしまいました。

評価は難しい…のでフリーレスで
11. フリーレス asp ■2010/11/29 10:45:22
有名なあの方のパロディなのでしょうか、読み手にイメージを喚起させるような独特の語り口が面白いですね。細かい所は投げやり気味な内容も、ホラーとか都市伝説っぽくていいです。作品のアプローチが面白くていいです。
12. 6 とんじる ■2010/12/02 14:12:52
 講演会という体裁だけあって文章がそれっぽい。
 そっと語りかける感じが良く出ていて引き込まれた。
 黒地に白い文字というのはさすがに目が痛くなりますが、キーワードの色を変えるという演出と相まって怪談っぽい雰囲気はよく出ていたと思います。

 しかし、ぞっとするほど怖い話ではなかったなあ。
 怖かったけど、うすら寒いものを覚えるレベルで、怪談ものとしてはもう少しインパクトが欲しかった。個人差はありそうですが。

 それと、やはりもう少し東方への接点が欲しかった。
 最後の解釈では、名前だけ借りていた「鍵山雛」というキャラクターが、しっかりとした輪郭を持ち始め、原作の雛との繋がりが示唆されているけれど、それ以外の場面でももう少し接点が欲しかった。わがままかなぁ。
13. 8 角煮 ■2010/12/03 01:14:42
これ、東方…?
しかし、雛のパンツの色ばかり考えて出勤しているので問題なかった。
14. 7 PNS ■2010/12/09 20:39:05
いやぁ、ぞわぞわ来るお話でした。
ホラーがちゃんと書ける人って素敵です。
15. 4 藤村・リー ■2010/12/09 22:18:52
 ここまで誰も出てこないのも珍しい。あと途中で気付いたけど稲川さんじゃなくて稲垣さんだった。
 雛の昔話みたいな位置付けで読めばいいのかなあとも思ったけど、それにしては「雛流し」の色ばかり強調されて鍵山雛と結び付けるのが難しかった。怖いことは確かに怖くて、途中で画像が出てきたらたぶんヒィとか言ってたと思います。
16. 2 八重結界 ■2010/12/10 08:04:38
語り口も軽妙で、まさに本物の怪談を聞いているようでした。
夜に読まなくて良かったと密かに安堵したり。
ただいかんせん東方のSSを読んでいる気になれなかったので、この点数に。
17. 6 deso ■2010/12/11 20:02:25
怪談の名手であるあの方っぽい語りが良かったです。
東方味は確かに薄いですが、こういうのもありですね。
18. 6 gene ■2010/12/11 20:09:44
パロった作品でもここまでやってくれれば面白い。
小説は文章で勝負すべきで、文字ごとにフォントカラーやサイズを調整するのは好きではないのですが、この作品においては稲○氏っぽさが出てて楽しめました。
19. 3 木村圭 ■2010/12/11 20:22:27
フォントを変えても文字の大きさは変えない方が見栄えが良いと思います。好みなのかなぁ。
肝心の物語の方はお偉いさんが褒美として贈った鏡が発端、というのがどうにもしっくりきませんでした。
呪う意図は無かったんだろうし、ただの水銀中毒なら体が紫色になったりはしないだろうし。
20. 7 兵庫県民 ■2010/12/11 21:08:59
暗ッ! 演出スゲェな。
そして怪談なのに、語り手の聞き手への配慮があって、まあ読みやすいこと。
正に「魅せる怪談」でしたね。
それにしても、雛の出生ネタは奥の深いことよ。
21. 3 ニャーン ■2010/12/11 21:11:02
語り口調が非常に「らしい」。脳内再生余裕でした。
後半では、東方の二次創作であることを忘れかけていたぐらいです。
話自体にも物悲しく、惹き込まれるものがありました。
神様である雛の過去を書くという着目点が面白いと思います。
ただ、何が起こっても雛の仕業だと読めてしまうので、ホラーとしての怖さはありませんでした。
22. 7 如月日向 ■2010/12/11 21:37:49
なるほどこういうやり方もあるのですね。
テレビの怪談特集でも見ているようでしたっ。
東方分は確かに薄いですが、このお話ではそれが必然のように感じます。
23. 4 774 ■2010/12/11 22:27:18
良い意味でも悪い意味でもベタというか。
面白かったんですがもう一ひねりという感じ。
フォント加工は逆に読みづらいからやめてほしかった…。
24. 6 TUNA ■2010/12/11 22:37:42
開いた時に一瞬びっくりしたけれど、単語の色を所々変えるなど凝った演出で楽しめました。
ただ最後が小さく纏まりすぎているのか、あまり怖く感じなかった点が残念。
人形に触れてしまった箇所はかなりぞわぞわしました。

東方キャラは出てこないかもしれないけど……?
東方SSだと思いますよ。楽しめました。
25. フリーレス asp ■2010/12/19 12:03:38
 ごめんなさい素で得点忘れてましたorz
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