過去に告げる、今への言葉

作品集: 最新 投稿日時: 2010/11/06 15:33:43 更新日時: 2010/12/12 13:48:20 評価: 16/16 POINT: 92
妖怪の山の麓、山から流れる川の終点に湖がある。



昼間には視界を阻む濃い霧に覆われる湖、ここを幻想郷の人々は単に「霧の湖」と呼んでいた。
何故昼間になると霧に覆われるのかは分かっていない。

視界の悪さも影響して全幅が分かりづらくひたすら大きく感じられる湖なのだが、実は歩いて半刻かからずに一周してしまえる程度の大きさしかない。

意外と小さな湖なのだが、珍しく霧の晴れた日にその畔に立ってみると十分に大きな湖だと感じることができる。

畔に立って湖を眺めている少女はそんなことを考えていた。


周りには彼女以外の人影は見当たらず、普段は多くいるだろう妖精たちの姿もなかった。
人はともかく、妖精たちまで姿を見せないのは珍しい。
霧の湖と呼ばれる場所に霧がかかっていないことと合わせれば滅多に見れるものではないだろう。

それでも永く生きていればそんな珍事に出会うこともある。
少女は珍しさよりももっと素直に、視界にとらえた風景をぼんやりと眺めていたのだった。


今日は風も穏やかで、晴れた霧の湖の水面には妖怪の山が映り込んでいた。
青い空に緑の色を主張する妖怪の山と、青い水面に映り込んだ虚像の妖怪の山。
二つの妖怪の山が上下対となって一枚の絵画のような美しさを作り上げていた。

位置関係から吸血鬼の館が視界に入ることがなく、自然の風景だけを捕らえることができるのもこの美しさを作り上げている要因の一つだろう。

「……」

少女は目的もなく、なんとなくその風景を見つめ続ける。
滅多に見れない美しいその風景に感慨にひたりつつも、どこか懐かしい想いに駆られていた。

いつのことだったか、どこかでこの風景を眺めていたことがある気がする。
しかしそれはこの景色ではなかったはずだ。
今日はなんとなくここを訪れたのだが、普段は迷いの竹林にいることが多く霧の湖まで足を延ばすことはほとんどなかったし、
霧が晴れた湖を見たこともなかった。

だからこの景色を見たのは今日が初めてのはずだった。

それなのに、自分はこの風景を知っている。
湖に上下を映した山。
見るものによっては感銘を受けることもあれば何の気概も起きないであろう景色。


そんな景色に、何故かひどく心がざわめくのを感じていた。
胸の奥底に埋まってしまった何かが、覚えのない感傷に駆られるのだ。


それは歓喜だろうか?

それは憤怒だろうか?

それは悲哀だろうか?

それは悦楽だろうか?


それともそのどれでもないのだろうか?


ただそれらの不明瞭な感情を否定することもなく、目の前の光景からも視線を逸らさず、少女は答えだすことをしなかった。



少女がその場に立ち尽くしてからどれくらいの時間がたっただろう。
そろそろ日が暮れる程の時間になってから少女は思い出したかのように足を動かした。

湖に背を向け、ふわりと宙に浮かびあがる。
今日は何をするでもない一日だったが、たまにはこんな日も悪くない。

急ぐこともなくのんびりと家に帰るとしよう。

今日の晩御飯は何にしようか、確か採れたての筍があったはずだから、それを煮てから……。



ふと、風の音が耳についた。



暢気に献立を考えていた思考を中断させて少女は先ほどまで立っていた方向へ振り返った。
僅かに眉根を寄せて少女は湖に映った妖怪の山を凝視する。


一瞬、水面に映った鏡像の山から言い知れぬ不穏な気配を感じたのだが、改めて気を張り巡らせても何も感じない。
さらに数秒だけ中空に留まってみたが結局はおかしなことは何もなかった。


「……気のせい、かな?」


少女は首を傾げつつも再び体を家へと向ける。
今度は何も感じなかった。




少女が飛び去ってからさらに四半刻。


小さな火の玉がひっそりと湖上に浮かびあがった。


紅く燃える火の玉は僅かにその場に留まり、すぐに風に掻き乱されるようにして消え去ってしまった。





その光景を見たものは、誰もいなかった。





----------------------------------------------------





「おー、霊夢ちゃんじゃねえか。いらっしゃい、うちに用かい?」


吹き抜ける風が確実な冬の訪れを教えてくれる肌寒い日差しのなか、博麗霊夢は食料や日用品を求めて人間の里へやって来ていた。

「えぇ。温かいお茶が美味しい季節になったから買い足しに。その他にもいろいろと」

「そうかそうか。なら良い茶葉を見繕っておくよ、また後で寄っておくれ」

「ありがとう、じゃあ帰りに寄らせて貰うことにするわ」


寒さを感じないほど明るい雰囲気で賑わういつもの人里を歩きながら馴染みの店を巡っていく。
時折声をかけてくる人々に挨拶を返しておくことも忘れない。


博麗神社の巫女である霊夢は普段は自分が住まう神社で生活をしているが、こうして定期的に人里を訪れては買い物をしたり問題が起きていないかを
軽く見て回っている。

人里で起こる問題も単なる喧嘩だったり商売相手との競争だったりと霊夢の出る幕ではないことが大半だ。
霊夢が出張らなければいけない事態と言えば人里で人間と妖怪が何らかの形で諍いを起こした時くらいだろう。

人間の里でも妖怪はよく見かけるし、人間と妖怪だって言ってしまえば単なる個である以上、馬が合わないことはどうしたってあるだろう。
だがそれも今横切った居酒屋のように人妖分け隔てなくお酒を飲んでいるところを見ることができるとおり、滅多に起きるものではない。
それに、人里には自分の手が及ばないときにでも問題に真摯に対処する人物がいるので霊夢はさほど心配していなかったりもする。



博麗の巫女は幻想郷における異変解決の専門家である。
霊夢もこれまで規模の小さくない異変を何度も解決してきた。
といっても最近は天変地異を伴うような大きな異変は起きていない。

それが生業とはいえ平和であることに文句などない。
面倒な事が苦手な性分でもあるからだ。

しかしそうなると霊夢が普段していることと言えば神社の境内を掃除したり、縁側でお茶を飲んだり、こうして人里に降りてくる以外することがない。
だからといって何かしなければいけないと慌てるわけでもなく、今日は暢気に買い物に興じていた。


「あとは食べ物と、お茶菓子も少し買っておこうかな」

少し前に友人の霧雨魔理沙が神社に遊びに来た時にお茶菓子を出したのだが、そのときに買い置きの分が底突きかけていたことを思い出した。
お茶は注文してあるし、お煎餅辺りを買おうかと足を動かそうとしたとき、すぐそばを小さな子どもたちが元気に駆け抜けていった。

「慧音せんせーい! また明日ー!」

子どもたちは霊夢のことは気に留めず、走りながら顔を後ろに向けてにこやかに声を上げた。

子どもたちの視線を追うとそこにはよそ見をしながら走る子どもたちに注意を促している女性の姿を見つけた。

女性は人里に住む獣人、上白沢慧音。
霊夢とは前に異変の真っただ中で顔を合わせたときからの知り合いで、人間にとても好意的なことで知られている。
人里を襲う妖怪がいれば率先して里を守ろうとするなど、人妖間の問題を積極的に解決しようとする人物だ。
先ほど頭によぎった人里の問題に対処するというのは彼女のことで、人に害を成そうとする妖怪を退治、調伏することが多いという点では霊夢と共通する。
獣人でありながら寺子屋で教師として仕事をしている慧音を人里の人間たちも親しみを持って先生と呼んでいた。


何となく視線を送り続けていると慧音も霊夢に気づき、会釈を送ってくる。

「こんにちは、霊夢。今日は買い物ですか?」

「そうよ。慧音も寺子屋ご苦労様」

ねぎらいの言葉に慧音は好きでやっている仕事なので、と笑った。

初めて霊夢と慧音が出会ったのはとある異変の最中だった。
そのときは霊夢のことを人間に危害を加えようとしているものだと勘違いし、なし崩しで弾幕ごっこを繰り広げたりしたのだが、後に誤解が解けてからは
物腰丁寧な口調で接してくれるようになった。

「子ども相手に大変ね、また生徒が増えたって聞いたけど?」

「はい。もっとも、子どもたちは授業を受けるということが珍しいだけで歴史に興味を持っているわけではないようです。
始まってしばらくすれば集中力が切れだす子も多いのです」

「やっぱり大変だわ。それにしても、幻想郷の人間って集中が続かないのに寺子屋に通うほど学に興味があったのかしら」

「親からすれば我が子には賢くあって欲しいと考えるものなのでしょう。大人だけならほとんど人は集まりません。皆、働くので精一杯ですから」

困ったように笑う慧音を見て、霊夢は自分も授業を受けには行かないだろうなと考えた。
それを口には出さなかったが。

「今日の仕事はおしまいなの?」

見たところ寺子屋にはもう子どもたちの姿はなかった。
一日にどれくらいの時間を授業にあてているのかは知らないが時間的にはもう夕方近くだ。
昼からだったとしても子どもたちがじっとしているには長い時間だろう。

「寺子屋の仕事は終わりました。これからちょっと行くところがありますが……、あぁ、そうだ」

一度思案するようなそぶりを見せてから慧音は改めて霊夢を振りかえった。
その表情はどこか険しさを感じさせる。

「丁度いいかもしれません。霊夢、私と一緒に来て貰えませんか?」

「私も? どこに行くの?」

「稗田家へ。先方へ約束を取り付けているのです」

「阿求のところ?」

稗田阿求。
人間の里に千年以上名を残す稗田家の現在の当主だ。
稗田家は里でもっとも多くの資料を所持し、人間の手で纏められる幻想郷縁起を著すことで知られている。
人里に暮らしているもので稗田家を知らない人物はいないだろう。
霊夢も以前魔理沙と一緒に阿求のところへ幻想郷縁起を見せて貰うために遊びにいったことがあった。

彼女を訪ねる用事とは何なのか。
阿求は妖怪や幻想郷のことについて詳しい。ものを尋ねるならうってつけの人物ではあるが。

「はい。近頃、少し奇妙な話を耳にしまして」

そう言って慧音は心持ち声を潜めた。


「最近、妖怪が無差別に退治される事件が起こっているのです。殺害された妖怪も、少ないながらいるとのことです」



*************



稗田の屋敷は人間の里のほぼ中心に位置する場所にある。
大きさも普通の住民が住むにはずいぶんと大きい。

霊夢と慧音は稗田家の敷地に足を踏み入れると出迎えてくれた女中に話を伝え、居間の方へ通されていた。

出されたお茶を遠慮なく飲みながら霊夢はちらと横に座る慧音の様子を伺った。

慧音は目の前にあるお茶に手をつけずに、軽く目を閉じたままじっと座している。
その姿には特に焦りや緊張のようなものは感じられない。

先ほど聞いた妖怪が生死を問わず退治されているという話はそこまで深刻なものではないのか、それとも慧音が普段から冷静なだけなのか。


(話を聞いてみないことには何も分からないわねー)

霊夢は難しく考えず、暢気にお茶をすする。
悔しいことに自分が神社で飲んでいるものよりも美味しかった。


間もなく居間の襖が静かに開いた。
姿を見せたのは簡素ながらところどころにきめ細やかな刺繍が施された着物に身を包んだ少女だった。
年は霊夢より若干若いくらいだろうが、見た目の幼さとは裏腹にその雰囲気はどこか大人びている。

「ようこそ当家へ、慧音さん。霊夢もこんにちは」

「お邪魔させて頂いています」

「久しぶり、阿求」

机の向かいに座った阿求に女中が静かに飲み物を差し出す。
僅かに届いた香りからするとどうやら阿求の分は紅茶のようだ。

「突然お時間を頂いてありがとうございます。幻想郷縁起の編纂の方は順調ですか?」

「えぇ。纏めても纏めてもまた書きたいことが出てくるので大変ではありますが、それが私の務めですし」

「前に見せて貰ったときからまだ編集してるの?」

「私がまた転生するまで、可能な限り編纂を続けるつもりです」


他愛もない世間話が続くかと思われたが、内心では早々に切り出したかったのだろう、慧音が会話の僅かな切れ目をついて口を開いた。

「阿求さん、近頃妖怪が何者かに退治されているという話を聞いたことがありますか?」

慧音の言葉尻からそれが本題と思い当たったのか、阿求は僅かに姿勢を正した。

「……はい。ここ一月の間に耳にするようになりました。妖怪たちが、何者かに襲われているようだと里で聞いたことがあります。
人里の近くから離れたところまで、襲われた妖怪に共通点はなく、誰が、何の目的でそのようなことをしているのかも一切不明ということですが」

「私は、戦闘が行われた形跡があり、それは決して小さくない規模のものであったと聞いています。
何の共通項もない事件ではありますが、発生している件数を考えるといつ人間が巻き込まれないとも限りません」

「それは確かに避けたいですね……。それで、慧音さんは私に何を聞きたいのでしょうか?」

聡い阿求だ。自分が何を求められているのかをすぐに理解したらしい。

「幻想郷の妖怪に詳しい貴方に、妖怪同士でそこまでの争いが起きる可能性があるのかを聞きたかったのです」

慧音の問いかけに阿求はちらりと霊夢を見る。
僅かに目が合うがすぐに視線を慧音に戻し、小さく首を振った。

「私もすべて妖怪について熟知しているわけではありませんが、可能性は低いと思います。
妖怪たちの間でも縄張り争いのようなものはあるでしょうから、戦い自体は起こりえるでしょうが」

「今各地で起こっているような連続性のある事態になるのは稀だと?」

「私はそう考えています」

質問を終えたとき、今度は慧音が横目で霊夢を伺った。

そんな二人の様子に霊夢は嘆息する。
聞きたいことがあるなら遠慮せずに聞けばいいものを。

「断っておくけど」

二人の視線が霊夢に向く。

「私じゃないわよ?」

慧音が霊夢を連れてきたのは、妖怪が倒されたと聞き及んでいたところに第一容疑者本人が目の前に現れたためだったのだろう。
仮に霊夢が犯人だとしたら理由を問いたいと考えていたのかもしれない。


妖怪が無差別に退治されている。
それを聞いて幻想郷で真っ先に思い浮かぶ人物は霊夢だろう。

事実、普段から霊夢は、妖怪は退治されなければいけないと考えている。

妖怪は人間を脅かし、人間は妖怪を恐れ、恐れから退治する。
それが幻想郷の不文律だからだ。

そして妖怪を退治するのは博麗の巫女である霊夢の仕事でもあるのだ。

霊夢は例えば人里へ買い物に出かけたときなど、道中に妖怪を見かければ必ず人里から遠ざける形で追い払うようにしている。
だがそれは形式的な意味合いも含んでいるので殺し合いをするほどではない。
もちろん戦う以上殺しても殺されても後悔しない程度の覚悟はしているが、無暗に殺生を行うことはしない。


霊夢の否定に、言葉には出さないが慧音と阿求は安堵するように息を吐いた。

「すみません、霊夢。だけど人間に危害が及ぶかもしれない以上早急に事態を把握したいと思っていたのです」

「謝る必要はないわ。私が慧音の立場だったら間違いなく私が怪しいと思うもの」

「しかし霊夢じゃなかったとしたらいったい何者の仕業なのでしょうか?」

話題にのぼったほど自分は疑われていなかったのかもしれない、霊夢が犯人であるという可能性を即座に捨てた二人の様子を見ながら
霊夢はそんなことを考えていた。

「霊夢、お願いがあるのですが……」

「分かってるわ。こっちでも少しは調査してみる」

話が出た直後から考えていたことでもあった。
慧音が案じるように今までは人間に被害が出ていないがいつまでもそうだと限らない以上楽観はできない。

「まったく、それくらい仕事をこなしてくれるならもっと里の人間に仕事をしている姿をアピールしてはどうですか?
そうすればもっと信仰も集まるはずですよ?」

「あー、耳が痛いわねー」

慧音はときどき霊夢の神社を気にかけているのだが、肝心の巫女がそういう宣伝を面倒くさがるものだから博麗神社に参拝客が訪れないのである。
霊夢らしいといえば霊夢らしくはあるのだが。

「でも、どういうことかしらね。好き好んで妖怪を襲うなんてどこの物好きかしら?」

守矢神社の巫女、東風谷早苗が妖怪退治を頻繁に行っていた時期があったが、それもここ最近では落ち着いている。
なので彼女は容疑者から外していいと霊夢は判断する。

「……」

「……? 慧音さん、どうかしましたか?」

「あ、あぁ、いえ。何でもありません。とにかく霊夢、すみませんがよろしくお願いします。何か分かったら私にも知らせて頂けますか?」

「そうするわ。慧音も、もし里で何かあったらよろしく」

「報酬は当家で用意します」

「問題が解決したときでいいわ、神社にお賽銭でも入れてくれたら……。あぁ、そうだ。だったら一つお願い、というか聞きたいことがあるんだけど」

「はい? 何でしょうか?」

首を傾げた阿求に霊夢は目の前にある空になった湯呑を手に取る。

「このお茶。どこで手に入るの?」


どこまでも暢気な言葉に慧音と阿求は小さく吹きだしたのだった。





----------------------------------------------------





稗田の屋敷を出た霊夢は約束していた茶屋で新しい茶葉を買い受け、他の必要品も調達し、人間の里を出て神社への帰路を辿っていた。

結局阿求にも別の茶葉を貰ってしまったため、両手に抱えた荷物の何割かは茶葉になっている。
持てる量としてお茶菓子を買う余裕がなくなってしまったが、また里を訪れたときでいいだろう。

食料も、量はあるがちょっと種類としては物足りない。
良さそうな白菜が多く買えたし、魔理沙のところを訪ねて食用のキノコと少し交換してもらうのもいいかもしれない。


霊夢は里を出るまでは律義に歩いていたが、少し離れたあたりから空を飛んでいた。
別に幻想郷で人や妖怪が空を飛ぶのはそこまで珍しくもないが、周りに人がいて驚かれたりしても面倒なのだ。

「っとと」

風に吹かれて手の中で揺れた荷物をしっかりと抱えなおす。

秋の終盤を迎えつつある幻想郷はここ数日で急に寒くなりだした。
そろそろどこぞの冬妖怪が現れ、さらに寒さを増し、ときには空に雪が舞う季節になるだろう。

博麗神社の境内にも落ち葉が増え始めてきたので掃除をする身としては大変だ。
寒いからと参拝客が少なくなるという懸念はない。
元々あの神社に参拝客は滅多に来ないのだから。


「……ん?」

人間の里と博麗神社の中間地点に差し掛かった辺りで霊夢は不穏な気配を感じた。
殺気だ、近くで戦闘が起きている。

中空に留まって辺りを見渡す。周囲の空には霊夢以外の生き物の姿はない。
眼下には森が広がっているため地面周辺は見通せなかった。

それでも力の流れのようなものを感じるの。
単なる獣や妖怪の小競り合いやスペルカードルールでの戦闘とも違う、本格的な戦いの空気だ。

「これは、いきなり当たりかしら?」

慧音と阿求が話していた無差別に妖怪を退治して回る何者かだろうか、だとしたら話を受けた手前放置はできない。

「手がふさがってるんだけど、仕方ないわね」

嘆息してから霊夢は地に向けて降下していく。
大きな木の根元に抱えていた荷物を置き、動物に荒らされないことを祈りながら木々の合間を縫って飛翔する。

続く戦闘の気配を感じながら懐から何枚かのお札を取りだす。
霊夢の戦いにおける定番の武装だ。
本来ならお祓い棒や針なども使用するが、今日は買い物目当てで人間の里に降りていたため最低限の装備しか持ち合わせていない。

それでも、並みの妖怪程度ならどうにかできるだけの力が霊夢にはある。
過信や慢心でもない、正確な自己評価だった。


戦いの音が聞こえるくらいに近づいて、霊夢は徐々に状況を把握し始める。
戦闘はどうやら少人数で行われているようだ、恐らく一対一の対決。
逃げる片方をもう片方が追う展開だろうか、特定の方向に戦闘音が移動している。

方角的に人間の里でも博麗神社でもないことにとりあえずは安堵した。


「近いっ……!」

呟きと共に僅かに視界の開けた場所に出た。
それと同時に肌に感じたのは、寒さを瞬時に忘れる程の熱気だった。

飛んでいる間は気づかなかったが、どうやら火を使う能力を持った者がいるようだ。

そしてようやく、戦いを行っていたであろう二者を発見した。
突然の闖入者である霊夢の姿を見てそれぞれが動きを止める。


一方は、犬をかなり大きくしたような妖獣だった。
人化していないその姿から妖怪として生まれてまだ長い時間を経ていないことが想像できる。
追われていたのはこの妖獣だったのか、身体のあちこちに傷や炎による火傷があった。

もう一方が火の能力を使っていた、このうだるような熱気を作りだした張本人だろう。
その姿からは陽炎のような揺らぎが立ち昇っている。
そして驚いたことに、それは妖怪ではなかった。


「嘘っ、人間の女の子!?」

それは少女と呼べるほどの年頃の女性で、肩を少し過ぎる程度の長さの髪は手入れなどされていないらしく乱雑に伸ばされている。
髪の色は黒っぽくはあるが黒髪とは言えないだろう。
それは炭のような濃灰色で、瞳は黒と赤の中間のような赤銅色。
赤銅に彩られた眼光は鋭く、目に映るものすべてが敵とでも言わんばかりの危うさを内包していた。

思いもよらぬ相手に驚いた霊夢を含めて動きが硬直した三者のなか、最初に我を取り戻したのは襲われていた妖獣だった。
自分を襲っていた人間が動きを止めたのを感じ取り、背を向けて走って一目散に逃げ去ろうとする。

次に動き出したのは少女。
目標が逃げ出そうとしたことに気づき即座に手に炎を集め、腕を突き出した。
刹那、辺り一面を紅に染めながら炎の奔流が背を向ける妖獣へと襲いかかる。

「……!?」

炎が妖獣を包み込もうとした寸前、少女と妖獣の間の空間で見えない壁に遮られるように炎は四方に弾け飛んだ。

小さく驚く少女の目に映ったのは正方の形に配置され、即席の結界を作り上げる何枚もの札。
そしてその向こうに見える霊夢の姿だった。


霊夢は妖獣を襲っていた少女が追い打ちをかけようとしていると悟ると間に入り込んで結界を展開したのだ。
妖獣は既に戦意をなくしていたし、逃げ去った方向も人里とは別方向なのでとりあえず放置して問題ないと判断していた。

それより気にすべきは目の前の少女のことだ。

「……」

少女は霊夢が妖獣をかばったことが気に食わないのか、じっと霊夢を睨みつけている。
少なくとも霊夢を攻撃するようなそぶりは今のところない。

「あんた、誰? 近頃妖怪を襲ってるっていうのはあんたの仕業?」

「……」

「しゃべりたくないの? まさか言葉が分からないってわけじゃないわよね」

「……」

徹底した無反応。
霊夢は頭を抱えたい気分になった。

まさか慧音たちの言っていた無差別妖怪襲撃の犯人がこんな霊夢と変わらないような歳の少女だったとは。

妖怪の中には人の姿をとれるものも多くいるし、見た目だけでは人間と変わらないものもいる。
しかし妖怪退治を生業とする博麗の巫女にそれらと人間の区別がつかない訳がない。

目の前の少女は、間違いなく人間だ。
人間の割には強い力を持ちいくつかの妖術を心得ているようだが、幻想郷的に見れば力を持った人間も多いのでそれ自体は不思議ではない。

少女はボロボロになった薄地の着物を身に纏い、良く見れば身なりもそこまで綺麗なものではなくところどころ汚れてしまっている。
まるで日夜戦いに明け暮れているかのようだった。


「あんたが何者かは知らないし、私が言えた義理じゃないけど無暗に妖怪を退治してまわるのは関心しないわ。
退治するならするでスペルカードルールで戦うなり、無茶しないように戦いなさい」

目の前の少女のように人間が妖怪を退治するのは幻想郷の形としては間違っていない。
それでも無差別に際限なく戦闘を行っていては人妖間の調和が乱れてしまう、それはあまり好ましくないのだ。

「……」

忠告を受けた少女は何も言わず、ゆっくりと手を胸の高さまで持ち上げた。
小さな力の集束を感じ取った霊夢はすばやく身構えたが、少女は溜めた力を炎に変えて地面に叩きつけただけだった。

(目隠し!?)

叩きつけられた力は辺りを燃やし尽くすためのものではなく、単に霊夢の視界を一時的に奪うためだったようだ。
辺りを警戒しつつ砂煙が晴れるのを待ち、再び視界が開けたとき、そこに少女の姿はなかった。

「逃げられた、か。さっき伝えたことで今後妖怪退治なんて諦めてくれたらいいんだけど」

気配を消すことにも慣れているのか、完全に姿が見えなくなった今から追い掛けるのは大変かもしれない。
勘を頼りに追いかければ見つけるくらいはできるだろうけど。

「それにしても、さっきの子……」

霊夢は消え去った少女の顔を思い浮かべながら小さく呟いていた。

濃灰色の髪に、赤銅色の瞳。
土汚れなどにまみれながらも、整った顔立ちの少女。


「どこかで、見たことがあるような気がするんだけど……」



とりあえずは様子を見ることにしよう、霊夢はそう考えて神社に引き返すことにした。
戦闘の影響で森に火がついたりしていないことを確認する。来る前に置いておいた荷物も忘れずに回収しなければ。

「えっと、たしかこの辺に……。あぁ、あったあった」

来た道を辿って戻って来てみると荷物は無事だった。
この辺りは妖精とか獣が多いのでなくなっていることも覚悟していたのだが。

「ん?」

ふと振り返るとさきほど少女に襲われていた妖獣が少し離れた草場に伏せてこちらを見つめていた。
元々姿が犬に似ていたこともあって、大きささえ無視すれば静かにこちらを見つめるその姿はどこか愛らしい。

そんな妖獣の姿に霊夢はふと思い立ったことがあった。

「荷物を見張っててくれたの? ありがとうね。あんたも怪我してるんだから早く住処に戻りなさい。
人間の里に近づいちゃ駄目よ、でないと今度は私が退治するから」

見た目強そうなこの妖獣がいれば少なくとも他の生き物が近づいてくることはなかったはずだ。
霊夢の言葉に妖獣は小さく唸り声をあげる。
威嚇ではなく、きっと分かったということを伝えたかったのだろう。
借りは返したとばかりに森の奥へ消えていく妖獣を見送ってから、霊夢は笑みを浮かべつつ穏やかな気持ちで神社へと帰ったのだった。



*************



稗田家で慧音と阿求と話をした次の日。
霊夢は再び人間の里を訪れていた。

昨日に買えなかったものを買うという目的もあるが、それはあくまでついでだった。

「慧音ー、いるかしら?」

子どもたちが帰る時間を見計らって寺子屋を訪ねると慧音は授業に使った教科書の後片付けをしているところだった。
約束もなしに突然現れた霊夢に慧音は目を丸くする。

「霊夢? どうしたのですか、私に何か……」

用でもあるのか、そう尋ねようとしてわざわざ霊夢が寺子屋まで来た理由に思い当たったようだ。

「まさか。昨日話していた件について進展があったのですか?」


頭の良い人との会話は面白みに欠ける、霊夢はそんなことを思った。
こちらが一を説明する間に十のことを理解してしまうからだ。
面白みに欠けはするが、無駄な手間が省けて楽なことは間違いない。

慧音の言葉に頷いて、霊夢は口を開く。

「昨日の帰り道、犯人らしき人間を見かけたわ。その事をあんたにも伝えておこうかと思って」

霊夢は妖怪を襲撃していた少女についての情報を慧音に伝えていく。
妖怪を襲っていたときに使用していた能力、容姿に服装、覚えている限りを思い出せる範囲内で説明した。

「その子にはとりあえずもう妖怪を襲うのはやめるようにって注意したけど、正直聞くかどうかは分からないわ」

こちらの言いたいことを伝えただけでまともな会話は一切できなかった。
少女が今後どのような行動を取るのかは未知数だ。

報告を受けた慧音は手を顎の下に添えるようにして何かを考えていた。
心当たりでもありそうな表情なのが霊夢は気になった。

「念のために聞いておくけど、里に私が言ったような特徴の子がいたりしないでしょうね?」

「……」

「……ちょっとちょっと、本当なの?」

冗談で言ったのに、真面目な反応が返ってくるとは思っていなかった。
それにしてもあんなに力を持った子が人間の里にいただろうか?
思いを巡らす霊夢に慧音は小さく首を振る。

「その少女のことを直接知っているわけではありません。ただ、ひょっとしたらその女の子を知っているかもしれない人に心当たりがあるのです」

「十分でしょ、その人にあの子のことを聞いて会わせて貰えるようにしたらいいじゃない。それから変な事はやめるように忠告したらいいんだから」

「いえ、それは難しいかもしれません。とにかく、一度彼女のところに行ってみましょう」

そういうと慧音は教壇の上の本を手早く片付け始めた。
これからその彼女とやらに会いに行くつもりらしい。

急に言葉少なくなってしまった慧音にとりあえず従い、霊夢は慧音と共に寺子屋をあとにすることにした。



どうやらその人物は人間の里には住んでいないらしい。
慧音は寺子屋を出るとすぐさまふわりと浮きあがったのだ。
霊夢も人里で飛んではいけないと決めているわけでもないので慧音のあとに続いて空を飛ぶ。

慧音は真っすぐ空を飛んでいる。
すぐに眼下に人間の里が見えなくなり、代わりに進行方向の広範囲に渡る竹林の姿が見えてきた。

「迷いの竹林? 永遠亭に行くの?」

問いかけに慧音は前を向いたまま答える。

「いいえ。永遠亭ではありません。霊夢は彼女の住んでいる場所を知らなかったのですね」

「だから彼女って誰よ」

慧音の口ぶりからすると霊夢も知っている人物のようだが、迷いの竹林に知り合いなんてそう何人も……。

「あ」

そういえば永遠亭以外にも一人いた。
慧音と初めて出会った異変の少し後に、これもまた霊夢と弾幕ごっこを繰り広げた人物。

「見えました、あそこです」

竹林の外れに小さな庵があった。迷いの竹林のなかと言えるが、その場所は比較的人里に近い。
そこを目がけて降下していく慧音に霊夢も続く。

霊夢たちの気配を感じ取っていたのか庵の玄関から一人の少女が姿を現す。
空から降りて来る霊夢と慧音の姿を目に留めると少し驚くようなそぶりを見せた。
慧音はともかく、霊夢が彼女の元を訪ねてくるのは予想できなかったことなのだろう。


「あっ。いたー!」

そして彼女の姿を見た霊夢は唐突に思い出していた。

どこかで見たことがある気がしていた、昨日出会った妖怪狩りの少女。
力の性質、整った顔立ち、それらは目の前の少女の特徴と一致する。


「妖怪襲撃犯!」

「……何があったか知らないけど、いきなりなご挨拶ね」


火の妖術を扱い、老いることも死ぬこともない程度の能力を持つ人間。
永遠の時間を生きる蓬莱人、藤原妹紅は突然現れた巫女に犯人扱いされて実に困惑した表情を浮かべたのだった。



*************



「で、私に真偽を確かめようと思ってここに来たってこと?」

妹紅の庵に通された霊夢と慧音は訝しがる家主に事情を説明していた。
霊夢が出会った少女の特徴を聞いてここを訪ねたこと、実際に会ってみるとその少女は妹紅にそっくりだったということ。
しかし顔を合わせたときはともかく、改めて本人を目の前にして説明していると霊夢には本当に妹紅とあの少女が同一人物だったのか
自信がなくなってしまった。

確かに特徴は同じだし、顔立ちも似ているのだがあくまでそれだけなのだ。

「ちなみにどう見たらお前はその妖怪を襲っていた奴と私が同じだって断言できるんだい? 聞いたところ、髪の色も長さも全然違うじゃないか」

そう、妹紅の髪は足元までに及びそうなほど長い白髪で、瞳の色も少女の赤銅色よりもっと鮮やかな紅色だ。
遠目で見てしまうと完全に別人だと言えるほどだろう。

妹紅の言葉に霊夢は口を噤んでしまう。
どうにも妹紅は霊夢に対して距離を置いているというか、必要以上の感情を見せてくれない気がする。
そのこともあって話を進めづらく感じてしまうのだった。

しかし違いはあれど顔がそっくりなことは変わりないし、妹紅も鳳凰に見せかけた炎の妖術を使う。
共通点はあるし、まったく無関係だとは思えないのだが。

「でも、確かに」

妹紅は天井を見上げるようにしながら言葉を続ける。

「巫女が言いたいことが分からないわけじゃないよ」

霊夢の考えていることは妹紅も思っていたことだったのか、すべてを否定はしない。


「すまないけど、そいつのことは私に任せてもらえないか?」

突然の申し出に霊夢は驚く。慧音は特に何も言わないが、ひょっとしてこうなることを予想していたのだろうか?
あまり妹紅と親しくない霊夢には彼女が何を考えているのかよく分からない。


「どういうこと? やっぱりあの子と関係あるの?」

「あぁ、何でこんなことになってるのかは分からないけど。そいつのことは私が一番よく分かってるはずだから」


妹紅の言葉は、どこか懐古的な感じがする。
単なる知り合いのことを話しているだけではない何かがある。


「慧音はそろそろその妖怪襲撃犯が誰か分かってるんじゃない? それに勘が良いって聞く巫女なら予想できてるはず」


それはまるで、自分の事を話しているような。

「妖怪を退治して回っているというそいつは、たぶん過去の私だ」



*************



「彼女は、霊夢も知っている通り蓬莱人。蓬莱の薬を服用し、永遠の存在となった人間です」

妹紅との会話のあと、霊夢は慧音の家へと招かれていた。
あれから妹紅は霊夢の問いかけに何一つ答えようとせずに二人を自分の庵から追い出したのだった。

何の説明もなく困惑する霊夢に対して、慧音は自分の家で私が知りうる限りの歴史を語りますと誘った。

「私も彼女から詳細に聞いたわけではありませんが、彼女は不死の存在となって今までの間に妖怪を無差別に退治して回っていた時期があるのです。
そう、丁度今問題となっているような感じでしょうか」

滔々と語る慧音に霊夢は黙って耳を傾けている。

「彼女が言った通り、本当に今の騒ぎを起こしているのが過去の彼女なのかは私には分かりません。どうしてそのような現象が起こっているのかも謎ですし」

「それでも慧音は、最初からひょっとしたらあいつが関わっているかもしれないと思っていたのね」

最初に阿求の屋敷で話していたとき、慧音は何か話していないことがあるようなそぶりをしていた。
当初はまだ疑っていた程度だったのだろうが、霊夢の話を聞いて確信を持つに至ったのだ。

きっと慧音は自分の親しい相手が直接ではないとはいえ関わっていることを信じたくなかった、だから阿求と話をしていたときは妹紅の話を出さなかったのだ。
恐らく最初に無差別に妖怪が襲われていると聞いたときには思い出していたのだろう、同じことをしていた歴史を持つ妹紅のことを。

それでも慧音は彼女が実際に事件を起こしているとは考えなかった。
だから霊夢と妹紅を引き合わせた。

「慧音はあいつを信頼しているのね」

霊夢の言葉が意外だったのか、慧音は驚きつつも照れたようにして頷いた。

「はい。彼女は私の大切な友人ですから」





----------------------------------------------------





慧音に妹紅の話を聞いてから二週間、霊夢は今日も幻想郷の空を飛び回っている。

予想通りと言うか何と言うか、あれからも妖怪が襲われる事件は続いていた。
襲撃が行われる場所に規則性はなく、人間の里の近くで騒ぎになることもあれば妖怪の山で天狗たちを相手にすることもある。
おかげでこうして事件解決に乗り出しているのに、ずっと行動が後手後手になってしまい少女を捕らえることができずにいた。

妹紅には任せて欲しいと言われたが、はいそうですかと引き下がれるほど博麗の巫女の仕事は容易くない。

こうして事件を追いかけているうちに分かったことだが、妹紅の方でも騒ぎを起こしている少女を探しているらしい。
霊夢が戦闘が起こったことを察知してその場に駆けつけたときに何度か妹紅と遭遇することがあった。

妹紅は霊夢が依然関わってくることに最初は難色を示したが、しだいに気にしなくなっていた。
霊夢が首を突っ込んでくることを認めたというよりは諦めたといった様子で、それが霊夢には少し気に食わなかったりする。


また偶にではあるのだが、騒ぎを起こす前に少女と会える時もあった。
霊夢が持ち前の勘の良さで少女を探し当てたとき、少女はいつも倒すべき妖怪を探しているようだった。

幻想郷のなかでもかなりの実力者である妹紅の過去を具現化しているためだろうか、少女は並みの妖怪など問題にしないほど強いようだった。
それでも怪我を負うこともあるようで、見る日によって怪我の度合いが変わっていた。
もっとも、怪我といっても傷自体は残っておらず、服の損傷や汚れの度合いから判断したにすぎない。


騒ぎを起こす前の少女と出会えたときはいつも霊夢から話しかけ、妖怪退治をやめるよう説得していた。
怪我をするくらいなんだから危ないことはやめろ、大人しくしている分にはあんたに害を加える気はない、と。

しかし少女は霊夢の言葉に耳を貸そうとはしなかった。
いや、正確には霊夢の話はちゃんと聞いていた。

霊夢を攻撃することは一度もなかったし、話をしている限りは霊夢の目を見つめてじっと聞き入っていた。

それでもいざ別れると忠告したその日は何もなくても次の日以降にまた同じことを繰り返していた。
どうやら妖怪を殺めてしまうほど深追いすることはしなくなったらしいので進歩はあるといえるのだけど。

何度か有無を言わさず捕らえてみようとしたこともあったが、少女はそんな霊夢の目的を敏感に感じ取り、危うい気配があるときは
一目散に逃げ出してしまうのだった。


それでも諦める訳にもいかず、今日も今日とて霊夢は妖怪狩りの少女の姿を追い求めていた。

そして今日は少女と話をできる日だったようだ。


「今日も妖怪探し? まったく、精が出るわねー」

博麗神社の近くの森、初めて少女と出会った場所の近くに探し求めていた姿はあった。
目の前に降り立つと少女は逃げるでもなく静かに霊夢に向き合う。
話はできるといっても少女から返答があったことは一度もない。
それについてはさすがに霊夢も諦めていた。


「あいつじゃなくて良かったわね。あいつはどうやら問答無用であんたを消そうとしてるみたいだし」

「……」

妹紅も目の前の少女と何度か遭遇を果たしているらしいが、彼女はいつも有無を言わさず少女に襲いかかっていた。
その様子を何度か目にしてはいたが、同族嫌悪を地でいく状態はなかなか見れたものじゃない。


「そういえば、あいつはどうしてそこまであんたを消そうとしているのかしら?」

「……」

考えてみれば妹紅ともまともな会話をしていない。
このままイタチごっこをしていても埒があかないし、根本的な解決方法が必要だとは思っていた。
そうなれば目の前の少女に話が聞けない以上、まだ会話が成立しそうな本人に問いただすのも手かもしれない。

「まぁ、私としてはあんたがさっさと妖怪退治を諦めてくれたらそれでいいんだけど」

「……」

相変わらずの無反応だ。
何時の間にかずいぶん接近していたのだけどこのまま手を伸ばして少女を捕まえられるだろうか?

「……っ」

「あー、分かった分かった。とりあえずは止めとくから身構えないでくれる?」

「……」

まったく、人の心が読めているかのような鋭さだ。
ひょっとして妹紅もこれくらい人間の感情の機微に聡いのだろうか?

「ねぇ、あんた本当に昔のあいつなの?」

「……」

「顔は間違いなく一緒だから、きっとそうなんでしょうけどねー」

「……」

「何となく違和感があるというか……」

霊夢の問いかけとは言えない言葉に少女はゆっくりと背を向ける。
今日の会話時間はこれで終了のようだ。

歩み去ろうとする少女の後ろ姿を見つめながら霊夢は思う、形振りかまわなければ少女を捕らえることはできるだろうと。
結界を操る霊夢の手にかかれば辺り一帯をまとめて自分の支配下におくことはできるし、そうすれば逃げ足の速い少女も成すすべもないはずだ。

「もう妖怪退治なんてするんじゃないわよー」

それでも霊夢は少女を見送った。
具体的な解決方法はまだ判明しないし、もっと穏便な手段があるような気がしているのだ。



「……ちょっと巫女さん」

背後から掛けられた声に振り返るとそこには妹紅がいた。
どうやら彼女も霊夢と同じように妖怪狩りの少女を探していたらしい。

「異変を解決するのが博麗の巫女の仕事だって聞いてたんだけど、それは私の勘違いだったのかな?」

「別に間違ってないわよ」

「だったら何であいつを逃がしたんだよ?」

妹紅は霊夢と少女のやりとりの一部を聞いていたようだった。

霊夢が少女を忠告を与えるだけで見逃したことに怒りを覚えているのだろう。
少女を消し去りたいらしい妹紅からすれば納得いかないのも当然かもしれない。

「人間が妖怪を退治するのは間違ってないもの。私はただ人間の里に被害が出ないように、そして人妖の調和に気をつかってるだけ」

「話に聞いた通り、巫女がさぼり屋だってことは間違いないらしいな」

「失礼ね。あんたこそ、どうしてあの子を追い回すのかしら?」

「お前には関係ないよ」

そう言って妹紅は少女が歩き去った方に向けて飛び上がった。
少女を追うつもりなのだろう、しかしそうは霊夢がさせない。

「待ちなさい」

「ぶっ!?」

背を向けた妹紅の後頭部に小さな粒弾がぶつかる。
背後からの突然の攻撃に妹紅は頭を押さえながら涙目で振り返る。

「いきなり何するんだ!」

「話を聞こうとしないあんたが悪いのよ。そろそろあんたにもいろいろ聞かなきゃと思ってたんだから」

「私から話すことなんてない」

そう言うとまた後ろを振り返る。
何も言わずにまた粒弾を放った霊夢だったが、今度はぎりぎりで避けられてしまった。

「殺す気なの!?」

「あれ? 死ねるの?」

「死なないけど!」


そんなやり取りを何度か繰り返してようやく妹紅は少女を追いかけるのをやめた。

「まったく、何だって言うんだよ……」

「だからあんたに話を聞きたいって言ったでしょ?」

「分かった、分かったよ。で、お前は何を聞きたいんだ?」

妹紅は諦めるように霊夢に向き直った。

改めて近くで見てもあの少女と似ている。
整った顔立ちや揺るぎの感じられない視線、ここ数日で霊夢が何度となく目にしてきた顔だ。

霊夢は不意に、少女や妹紅と出会う時にいつも感じる違和感を覚えた。
人の目を見つめている割にはどこか遠くに焦点があるような、心がこちらを向いていない、そんな印象だ。

「……」

「どうした? 聞きたいことがあるんじゃないのか?」

「あ、えぇ。そうね」

とりあえず妹紅と少女の関連について改めて聞きたかった霊夢なのだが、この違和感についても無視していいものか迷ってしまった。
単なる思い違いもあるのかもしれないのだが。

「うん、じゃあとりあえず神社に行きましょうか」

「は?」

「お茶くらいあった方が話しやすいでしょ?」

「待て待て。そんなに長く話さなきゃいけないのか?」

「分からないから尚更、さぁ行くわよ。あぁ、神社に帰る前に先に里に寄って行きましょうか。前に買い忘れたものがあったの」

霊夢は妹紅の手を取ると重力から解き放たれるかのようにゆったりと宙に浮かび上がる。
真っすぐに人間の里に向かう霊夢に妹紅は終始呆気にとられたままだった。



*************




霊夢は言葉通り人間の里に寄り、それに妹紅はずっと付き合わされることになった。

霊夢が自分勝手に里を歩き回っている最中は手持無沙汰になってしまった妹紅だったが、道々で妹紅は里の人間たちに声を掛けられることになった。
それは前に妹紅が護衛を引き受けた人たちで、妹紅に出会ってはあのときは助かったとかまたお願いしますとか感謝を告げられてしまい、
面はゆい状況になってしまったりもした。
さらにそんな姿を霊夢に見つかってからかわれるものだから何とも決まりが悪かった。


「で、本当に連れてこられたわけだが……」

散々連れ回された妹紅は今霊夢と共に博麗神社にいた。
強引に引き込まれたのだが、妹紅としてはさして親しくもなかった霊夢の家にいるということが落ち着かないようだ。

「何よ、文句あるー?」

「文句というか、お前は何がしたいんだよ……」

霊夢は妹紅が座っている居間ではなく、台所から声をかけていた。

神社の近くの森で妖怪狩りの少女や妹紅に出会った時間が遅かったので、博麗神社に辿り着いた時には日が暮れるころになっていた。
なのでついでだからと霊夢は夕食の準備を始めたのだった。
もちろん妹紅の分も一緒にである。

妹紅からすれば戦うために幻想郷を飛び回っていたらいつのまにか神社の居間でくつろいでいた状態なのだ、困惑するもの無理はない。

「話をするんじゃなかったのか?」

「何もお腹を空かしたまま話さなくてもいいじゃない」

「……悪いけど私はこれで」

「はい、できた。何してるの、座って座って。あんた好き嫌いとかあったっけ?」

「……いや、特にないけど」

出てきた料理に妹紅は目を見張る。
大雑把で面倒くさがりに見える霊夢だけにどんな料理を出すものかと思ったが、目の前に並んだ料理は至極まともなものだった。
白いご飯、焼いた川魚、ほうれん草のおひたしに味噌汁、漬物を添えておくことも忘れていない。
目立つものはないが見事な日本食である。

妹紅は迷いの竹林に一人で暮らしている。
自分自身が食にこだわりを持っていないため、ここまで普通の夕食にはあまり縁がなかった。

「ほら、食べなさいよ」

「……頂きます」

空腹も手伝い、妹紅は素直に手を合わせた。
客人用らしい箸を手にとってまずは味噌汁を一口すすってみる。

「どう?」

「美味い」

思わず素直な言葉が漏れた。

「それは良かった」

そんな言葉に霊夢は満足そうに微笑えむ。
そして妹紅はそんな霊夢の顔をできるだけ見ないように箸を進めていったのだった。




「ご馳走様」

「お粗末様でした」

「いや、お世辞抜きに美味かったよ。たまに里でお前の噂を聞いてて、ものぐさらしいって言われてたから驚いた」

「悪かったわね、ものぐさ巫女で」

食事を終えた二人はそのまま居間に座りお茶を飲んでいる。
阿求に分けて貰ったお茶は妹紅にも好評だった。



「さて、と」

食器を片付け終えた霊夢は妹紅の対面に座り、一息つく。
それでこの和やかな空気は一旦終了、これからは同じ小さな異変に関わっている者としての会話が始まる。


「まず、あの子が昔のあんただって話を詳しく聞かせて貰えるかしら」

改めての問いかけに妹紅は軽く目を閉じる。
それは自分の過去を振り返る仕草。
今となれば馬鹿だったとも思える復讐心で不老不死になってしまってからの生涯だ。

「慧音からは?」

「詳しくは聞いていないわ。昔のあんたが妖怪を無差別に退治して回っていた時期があるとだけ」

「そうだね。その通り。だからあれは間違いなく昔の私だよ」

「どうしてそう断言できるの?」

「どうしても何もそのままだよ。今でこそ髪の色とかが多少変わっているけど、あれは間違いなく昔の私だ。
どれくらい昔だったかすぐに思い出せないくらい遠い昔ではあるけど自分を見誤ったりはしない」

一口、お茶を口に運ぶ。

「不老不死になってからの生活はそりゃあ大変だった」

不死になってから最初の三百年は人間に嫌われ、身を隠さないと自分にも周りにも迷惑を掛けてしまった。
次の三百年はこの世を恨み、妖怪だろうが何だろうが見つけ次第退治することでしか薄っぺらな自己を保つことができなかった。
その次の三百年は、その辺の妖怪では物足りなくなり、何事に対してもやる気を失う退屈なものだった。
その次の三百年、ついに私は不死の宿敵と再会し殺し合う事に楽しみを見出すことができた。

「つまるところ、死ななくなってから九百年ものあいだ私のなかには逃げとか憎しみとか怠惰とか、
おおよそ人間を駄目にする感情しか持ち合わせてなかったんだよ」

「……」

「その九百年ほどの間でもっとも能動的な感情が強かったのが妖怪を退治して回っていた頃だと思う。あの私は、そのときの死ねなかった私の象徴でもある。だからこそ消してやりたいと思ってる」


妹紅は手元にあった湯呑を持ち上げる、いつの間にかお茶は飲み干してしまっていた。
その様子を見て霊夢が急須を手に取る。

「……。今でも、不老不死であることは辛いと思ってる?」

空になった湯呑にお茶を注いであげながら霊夢は尋ねていた。
それは妹紅の常人では考えられないような人生の一端を知るための質問だ。

今まで不老不死について深く考えたことなどなかった。
妹紅は長寿であることが当たり前ですらある妖怪とは違う、人間なのだ。
人間は死ぬことが当たり前で、霊夢も妹紅も人間だ。
でも妹紅は人間でありながら不死である。当たり前のことが当たり前でなくなった存在なのだ。

「まさか」

しかし妹紅は笑った。

「今の暮らしは充実してるよ。輝夜と馬鹿やりあうのは楽しいし、慧音もいつも気に掛けてくれている。
迷いの竹林で人間の護衛をするのは今の生きがいでもあるんだ」

その笑顔に嘘は欠片も見えなかった。
だからこそ、霊夢もまた小さく笑顔を返したのだった。




「質問を変えるわ。どうしてあの子が幻想郷に現れたか、心当たりはある?」

「それは……」

淀みなく答えていた妹紅はここにきて言葉を詰まらせた。

そこに何らかの原因があるのかもしれないが、妹紅としてはいるはずのない存在がいるのだから他ならぬ自分でどうにかしようとしか考えていなかった。
考えるまでもなく、一人の人間の過去の姿が具現化するなんておかしな話だ。

「私がこの件に首を突っ込んで力任せにあの子を消そうとしない理由はそれ。
もしあの子を消したところで今回の現象の原因を特定できなければまた同じことが起きるかもしれないから」

例え同じことが起きても何度も対処すればいいとも思うんだけどね、と霊夢は続ける。
それは単なる妖怪を退治できる強者の考えではなく、幻想郷の管理者としての配慮だった。

「些細なことでも良いわ。あの子が事件を起こし始めたのは初秋ごろからのはずだけど、その間に変なことが起こったりしなかった?」

「変なこと、ねぇ。逆に聞くが、お前さんはこういうことに詳しくはないのか?」

自分と同じ存在が同一時空間に存在する。
自分がもう一人いるというありえない現象。

「心当たりがないこともないわ」

霊夢は自分の湯呑に視線を落とした。
そこに注がれたお茶の表面にはうっすらと自分の顔が映し出されている。

「自然物であっても人工物であっても、古来よりその役割は変わらないもの。相対する万物の姿を映しだすもの」

「……鏡?」

「その通りよ」

妹紅の言葉に霊夢は頷いた。
鏡に纏わる不可思議な現象は昔から様々な形で語り継がれていた。
今回の現象が鏡に関するものである可能性は少なからずある。

「それはあれか? 単なる姿見とか、閻魔様が持ってるっていう……」

妹紅の言う閻魔様が持つ鏡とは、四季映姫・ヤマザナドゥが持つ浄玻璃の鏡のことだろう。
過去の行いが全て判るといわれる鏡だそうだが、具体的な力を持った鏡でなくても不可思議な力が働くこともある。

「別に明確な鏡でなくてもいいの。金属製の板とか、水たまりとか、自分の姿が見えるようなもの。あんた最近、そういうのを見たことない?」

「見たことも何も。姿見くらいならうちにもあるし……」

そこまで考えて妹紅はふと思い出した。
夏の終わりにふらりと霧の湖を訪れていたことを。

霧が晴れた湖は空も山も上下対に映しだす天然の鏡のような状態だった。
そして帰り道に湖の方から妙な気配を感じたのだ。

そのときのことを伝えると霊夢は神妙に頷いた。

「怪しいわね。そのときはあんたの姿は水面に映ってたの?」

「……いや、少なくとも私の立ち位置からは自分の姿は映ってなかった。別の角度から見たら映っていたかもしれないが」

「うーん、鏡の妖怪とかは実際に鏡に映った自分を見ることでその姿を映しとったりするんだけど……。あんたの場合は自分の姿を見てないし」

だからこそ具現化した妹紅は昔の姿をしていたのだろうかと霊夢は推測する。
それにしても納得できないことが多いのだが。



「まぁ、ここで考えてても仕方ないわね。明日にでも霧の湖に行ってみましょう、ひょっとしたら何か分かるかもしれないわ。あんたも一緒だからね」

「分かってるよ。さて、ずいぶんと長居したかな。じゃあ私はこれで。夕飯ありがとう」

「ちょっと、どこに行くの?」

「……いや。私の家に帰るんだけど?」

「もう夜遅いじゃない。どうせ明日二人で調査に行くんだからここに泊ればいいわ」

事もなさ気に言う霊夢に妹紅は今日何度目になるか分からないくらい呆気にとられる。

「いやいや、そこまで世話になるのも悪いし」

「気にすることないわ。ここは幻想郷よ」

訳が分からんという妹紅の呟きは見事に無視された。
霊夢は戸惑う妹紅を連れて次々と神社の中を案内していく。

そのうち妹紅も逆らうのをやめた。
今日一日で博麗の巫女のいろんな姿を見ることができた。
今では、彼女はきっといつも、誰にでもこんな感じなのだろうと納得できる気がしていた。




「風呂から何まで、世話になりっぱなしだな」

結局妹紅は霊夢の厚意に甘えることにしてくれた。
今日一日を妹紅と共に過ごしていたことになるが、霊夢も普段は神社に一人なのでこういう世話を焼くのも新鮮で楽しく思っていた。

「それじゃ悪いが休ませて貰うとするよ」

「えぇ。おやすみなさい」


寝床となる客間に妹紅を案内して、霊夢は自室に戻ることにした。

何だかんだで今日は妖怪狩りの少女を探して空を飛びまわったりしていたため体にも疲れを感じる。
明日はまた霧の湖まで出る予定なので、今のうちにしっかり休んでおくのが得策だ。

と、自室に布団を敷いたところで霊夢は客の分の布団を出すのを忘れていたことに気づいた。
昼間でも寒さを感じるこの季節、布団なしではさすがの蓬莱人も凍えてしまうだろう。
少し前まで布団は自分用の一組しか置いてなかったのだが、とある出来事で他人に布団を使わせてしまい自分が寝れないことがあった。
それからは万が一の為にもう一組布団を用意していたのだが、それがさっそく役に立ちそうだ。



慌てて客間に戻った霊夢だが、目にしたのは客人の思わぬ姿だった。

「ごめんごめん。お布団出すの忘れて……、って、あんた何してるの?」

「何、って。寝ようと思ってたんだけど?」

妹紅は客間の壁際で片膝を立てて床に座り込んでいたのだ。
どう見ても寝る前の姿には見えない。

「私には壁にもたれて座ってるようにしか見えないわ」

「あぁ。いつもそうやって寝るのが癖になってたからな」

見たままを指摘すると、それをそのまま肯定されてしまう始末だ。
頭を抱えそうになりながら霊夢は隣の部屋へ向かう。

「……。お布団出すわ。ちょっと待ってて」

「そこまで世話になるのもなんだから、なくて平気だよ。気にしないでくれ」

「いいから。えっと、こっちの部屋に客人用のお布団が……」

普段は滅多に使われない客間の荷物はそこの押し入れに入れてあるのだ。
都合良く少し前に洗濯したところだったので問題はない。

「だから私はこれで大丈夫だって」

「うるさい、私が大丈夫じゃないの」

「は?」

妹紅の性分でもあるのか、どこまでも遠慮する彼女に思ったことをぶっきらぼうに告げる。

「お客に寝具も用意せずに寝させておくなんて精神的に大変でしょうが」

「……今日の一日で思ったんだけど」

「何よ?」

「お前。けっこう優しいよな」

「っ!?」

「痛い痛い痛い! 死ななくても痛みはあるんだからやめてくれ!」

不足の事態に備えていつも最低限のお札を身につけていたことがこんなところで役に立つとは霊夢も思わなかったのだった。

自分が考えていた事態とは意味が違っていたのだけど。



*************



翌日に訪れた霧の湖はいつものように深い霧に覆われていた。


霊夢と妹紅は湖の畔に立ち、妹紅が前に訪れたときに妙な気配を感じたという場所の調査を行っている。
と言っても実際のところは何かおかしなことが起こってないかを見て回る霊夢に妹紅が付添っているだけだ。

「うー、霧のせいで巫女服が濡れて気持ち悪いわね」

霧とは水蒸気が小さな粒のようになって空気中に飛散している状態である。
そんな中を歩いているとどうしても服が湿気を帯びていく。

「後で火を出してやるからそれで乾かしな。で、何か分かったか?」

「何となくだけどね」

霊夢はただ湖上を眺めたり、たまに目を閉じて瞑想したりと傍から見ていても妹紅には何をしているのか良く分からなかった。
それでも何らかの推論を得る辺りはさすが博麗の巫女といったところだろうか。

「まだはっきりとは言えないけど、確かにここが発端となったみたいよ。大きな力が発現した気配が残ってる」

「やっぱり、妖怪か何かか?」

「いいえ、これはもっと上位のものだわ」

踵を返して湖から離れようとする霊夢に妹紅も続く。
とりあえず調査は一区切りついたのだろう。

「上位……? どういうことだ?」

ある程度霧から離れたところで妹紅は手から小さな火を作りだした。
小さいながら確かな熱を持つそれに霊夢は両手をかざす。

「あー、温かい。えっと、力の種類が妖怪のものとは違うの」

言葉を選びながら霊夢は続ける。

「これは、そう。神霊の類が具現化した力の残滓だわ」

「神霊?」

「そう。言葉の通り神様の力のことよ」

妹紅の火で暖を取りながら霊夢は、はっきりと口にする。

「原因を特定できてはいないけど、あの子の正体は分かったわ」

「……話の流れからすると、まさか神様だってのか?」

「正確には神様の分霊なんだけどね」

霊夢は巫女としての力として「神降ろし」を行う力を持つ。
神の御霊をその身に降ろし、力を借りることができるのだ。

職業柄、まだまだ勉強不足ではあるが神や神霊についてそれなりに詳しく、力の性質からそれらを感じ取ることに長けているのだ。

「神様といってもどこかで祀られたり、崇められたりするだけが神じゃないわ。日本には八百万の神がいる。そして、人間の心にも」

妹紅が不穏な気配を感じたという湖を調査してみると気づくことができた。
霊夢も月で、月人相手にその神の力を用いたことがあったから。

それはすべての人間の心に授かっているとされている。
人間が悪や穢れに直面したとき、それらに対して怒り、憎しみ、荒々しく反応する原因となっているされる、とある神の一片。
黄泉の穢れから生まれた災厄を司る神。


「大禍津日神(オオマガツミノカミ)、その分霊が形を成したものがあの子」

人の心にある、怒りや憎しみに反応する禍々しき神の分霊。



「あの子は、分禍神(ワケカガミ)よ」



分禍神。
霊夢は今回の無差別に妖怪を襲っている少女をそう言い現わした。

「そしてこれは私の勘なんだけど」

さらに、その推測に巫女の勘を付随する。

「分禍神は、昔のあんたじゃないわ」



*************



外の世界で忘れ去られたもの、否定された超常現象が幻想郷という楽園にやってくることは間違いないが、すべてがすべて幻想郷に流れ着く訳ではない。

妹紅は遠い過去に無差別に妖怪退治をしていた。
これは当時の人間たちからすると得体のしれない何者かの仕業だと恐れ慄かれ、また敬われていたことだろう。
人間たちは見たことすらないものでも持ち前の豊かな想像力により、書物や口伝といった形として後世にその歴史を残していた。
しかしそれも時代の流れで次第に消え去っていった。

消え去っていったが、それは現象としても形としても幻想郷には流れ着かなかった。

では何故今になって妹紅の憎悪の形は幻想郷に現れたのだろう?

そもそもこの幻想郷と呼ばれる小さな世界が非常識という概念そのものだとはいえ、住人の一人が昔を偲んだ程度で何かが具現化されるわけもない。

しかし妹紅は人間のままに不死の存在となり、可死の人間では到底味わえない一生を送ることを余儀なくされていた。

死ぬことが当然でさえある人間が死ななくなるのだ。
そんな不死の人間が送る一生は、元が長命である妖怪のそれとは根本的に異なる。

多くの妖怪が精神的な攻撃に弱いという事実は、何をするわけでもなく永く生きることができることとの関連を否定できない。

その点妹紅は違う。
人間らしい弱さはもちろんあるが、それを補えるだけの人生経験値があるのだ。
死なない身体と同様にその胆力も計り知れない。

その弱くも打たれ強い精神力による過去の想起と、外の世界で既に消え去っていたはずの幻想が結びついた。
その結果が昨今に霊夢や慧音が危険視した分禍神の少女となって発現したのだ。

結びつけた直接の要因となったのは、霧の湖に映った妖怪の山だろう。
霧が晴れ風の少ない日、水面には妖怪の山が映り込む。
湖の果てから妖怪の山を望むと湖に映った山も同時に見ることができる。

それは霧の湖の性質上、滅多に見れないものだけあってさぞかし綺麗な風景となるのは想像に難くない。
そして妹紅はきっと、過去にその風景と同じようなものを眺めていたのかもしれないと霊夢は予想する。


慧音に少しだけ聞かされていた、妹紅が不老不死となった原因の薬を手に入れた場所。
それは、彼女と縁の深い外の世界の霊峰。




「そう。私はあのとき、岩笠を追いかけているときに見ていた。湖に綺麗に反射し、上下対となった富士山を」

霊夢の話を聞き終えた妹紅は納得したように息をついた。
妹紅が晴れた霧の湖に映った妖怪の山を見たことがあると感じたのはそのせいだったのだ。

「鏡富士。湖に富士山が映ったその風景をそう呼ぶらしい」



不老不死になる前の妹紅が見ていた外の世界の鏡富士。

幻想入りしかけた妹紅の妖怪退治の伝承。

ついこの間に妹紅が見た、鏡富士を想起させる霧の湖に映った妖怪の山。

千年を超える時間を生きた妹紅の、常人を超えた精神から想起される過去に反応したすべての人間の心に在るという分禍神。


一つ一つは取るに足らずとも、それらが軌跡の一致をみせた為に生まれたのがあの分禍神の少女だった。
分禍神による一連の妖怪狩りはあくまで副次的なものだったのだ。




「でも分からない。私が見た昔の風景や外の世界で幻想入りしかけたものが具現化したなら、それは過去の私のはずだろ?」

それを霊夢は否定した。
あれは過去の妹紅ではないと。

霊夢はそれを勘と言った。
単なる勘なら一笑に付すこともできるのだが、予見に近いとされる博麗の巫女の勘だけに無視はできない。


「違う、あの子はあんたの昔が形になったものじゃない。ここ数日、あんたと過ごしてみてそう思ったの」

妹紅の疑問に霊夢は迷いながらも答えていく。
推測の根拠が勘だからこそ明確な物言いはできないようだが、それは既に霊夢のなかで一つの形としてできあがったもの。

「確かに姿や行動原理は教えてくれた、妖怪狩りをしていたころのあんたでしょうね。
でもね、あの子の本質というか、近くの人から離れようとする癖は今のあんたとまったく同じでしょう?」

「……」

それは妹紅の内面へと踏み込む一言。
妹紅にとっては予想だにしなかった言葉だった。

「人間の里で見かけた、あんたに世話になった人たちと話しているときのあんた。神社にいてもどこか遠慮しているあんた。
両方とも、分禍神のあの子が私たちから逃げるのと何も変わらない。常に目の前の相手から距離を置こうとしている、離れようとしている」


「何を……。さすがにそこまで無愛想じゃないよ」

霊夢の言葉をそのまま否定する。
他人のくだらない憶測でもあるはずの言葉だ。

なのに妹紅は安直に言葉を返すことしかできなかった。
何故か。心の底から霊夢の言葉を否定できないからだ。


「愛想の話じゃないわ。要するにあんたは、人に心を預けない。真正面から対峙しない。さすがに慧音は違うでしょうし、たぶん輝夜もある意味じゃ信頼してるんでしょうね。でも他にそんな人がいるのかしら?」

「……何が言いたい?」

挑発にも聞こえる台詞にも妹紅は声音を強くすることができない。
それほどまでに霊夢の言葉は妹紅が考えもしなかった心の内を射抜いていく。

「あんたが幻想郷に辿り着いて何十、何百年経ってるのか知らないけど、心を許して話をしたり殺しあえたりするのが二人だけ?
いくらなんでも少なすぎでしょ」

「ふん、お前も似たようなもんだろう? 特定の誰かと親しくしているなんて聞いたことがないぞ」

「私は来る者も去る者も拒まないだけ、すべてを受け入れている。あんたみたいに来る者からも逃げたりはしないわ」

「別に私は、逃げたりなんかしていない」

「あんたに心当たりがないなら、きっと無意識なんでしょうね。何であんたはそこまで、他人に引け目を感じているのかしら?
短命な人間に心を許し、死別するのが嫌?」

「見当違いだよ。単にそれが私の性分なだけで……」


言いつつも妹紅は感じていた。
霊夢が指摘していることは、きっと正しい。


妹紅は、今現在の生き方に満足している。それは嘘じゃない、心から言える。

それでも多少親しくなった人間との死別は不死になってからも少ないながらあった。
永すぎるほど永く生きてきたなかで、人間のどうしても救えないような汚い一面を見たことなんて数えきれない。

でも、そんな小さなことをずっと忘れられずにいたのかもしれない、臆病になっていたかもしれない。


考え始めると思考は際限なく沈んでいく。

そうだ。だからこそ過去の自分は、人目を避け、妖怪に八つ当たりし、無気力になっていたのではなかったか?
自分は、ずっと変われない存在なのではないだろうか?

それこそ、蓬莱の人の形という形容がそのまま当てはまるように……。


「私の目を見なさい、藤原妹紅」

「っ!?」


そんな思考を目の前の少女、博麗霊夢が切り裂く。


霊夢は妹紅のすぐ目の前まで迫っていた。
その真摯な視線から目を逸らすことは、妹紅にはできなかった。

「あんたは言ったわ。人間の護衛をする仕事が今の生きがいだって。あんた自身はちゃんと人に接しようとしてる。
きっかけはもう十分にあるの、だからきっと大丈夫よ。あんたは、何にでもなれる」


霊夢は思う。

妹紅はもっと他人と接するべきだ。
自分も含め、人と話をするとき。あんなに寂しそうな目をするくらいならもっと誰かに依存すべきなのだ。


「ここは幻想郷。幻想郷はすべてを受け入れる。あんたがどんな存在でも。幻想郷の管理者である博麗の巫女の私が、断言してあげるわ」


理不尽なまでの力強さを持って、楽園の素敵な巫女は笑顔のままに宣言したのだった。



*************



話が逸れたわね、と霊夢は一区切りを入れた。

「分禍神のあの子は確かに昔のあんたの形が具現化したもの。
でもね、鏡ってのはあくまで今の自分を映すものなの。
今のあんたの心象を投影してできた、あんたの鏡像であるあの子はどうあっても今のあんたでしかない。
それを認めてあげない限り、きっとあの子は消えないわ」

だから、と霊夢は告げる。

「あの子は、紛れもなく、今のあんたなのよ」



それから霊夢と妹紅は幻想郷の空、霧の湖を一望できる高さまで舞い上がった。
霧さえなければ視線の先には妖怪の山が姿を見せる場所である。

湖の上空は肌に感じる冬の風が霧と相乗してひどく寒く感じたが、今の二人はそんなことを気にしなかった。

目的は一つ。分禍神の少女を消すこと。
事の発端となった妹紅自身の手で、少女がいるべき場所はここではないと理解させるのだ。

打ち合わせはすぐに済んだ。
間違いなく分禍神は二人の前に現れる。


「でも。まさか私があんたと共闘することになるとは、知り合った時から考えると想像もできなかったわ」

「それは私も同じだよ。まぁ、とにかく今はあいつに自分がどういう存在なのか教えてやるとしよう」

「その意見には賛成だわ」



交差する視線は一瞬。
しかし、それは間違いなくお互いをしっかりと見据えていた。


「じゃあ。やりましょうか、妹紅」

「あぁ。しくじるんじゃないぞ、霊夢」



最初に動き始めたのは妹紅。

自身の持つ火の妖術を発現させ、灼熱の翼を背中に展開する。
燃え上がる炎の渦に周囲の気温が瞬く間に上昇していった。

「はぁぁー……、あぁっ!」


熱気はさらに膨れ上がり、妹紅が生み出した熱風に押し出されるように湖を覆う霧が徐々に消え去っていき晴天の空から太陽がその姿を現した。
霧が晴れると視界は一気に広がり、湖は青空と妖怪の山を見事なまでに映しだした。

その風景を目にした妹紅の脳裏に遠い情景が思い浮かぶ。
それはまだ自分が普通の人間だったころの、湖に反射して映る上下対になった霊峰の姿。

そんな妹紅の心象を映しとるかのように、霧の湖の水面が不自然に揺らぐ。
陽炎のような揺らぎのなかに、一人の少女が姿を現した。


濃灰色の髪、赤銅色の瞳。
妹紅の過去と現在を具現化した、いるはずのない存在。

分禍神と呼ばれる、幻想世界の幻想。


分禍神の少女は鳳凰の翼を広げた妹紅と自分のいる場所を認識すると自分がここに召喚させられたのだと悟る。
少女は即座に反転し、逃走を図った。

何はなくとも人から遠ざかろうとするその姿は、妹紅に己の深層心理を突き付けるかのようだった。

そんな少女を逃がすわけにはいかない。
逃げなくていい、逃げる必要などないのだ。

それを教えてくれた存在に、妹紅は合図を送る。

「霊夢っ!!」

「任せなさい!」

霊夢は妹紅の呼びかけに答えると大量のお札を宙にばらまいた。
それらは風に揺らぐこともなく霊夢の意思で湖を取り囲むように飛んでいく。

「さすがに、ちょっと広すぎる……! けどっ!」

霊夢は両手を広げ、散らばった札に霊力を込める。

霊夢の力に呼応し、札は隣接する位置に張られた札と連結して巨大な結界を作り上げていく。
儀式も大掛かりな準備もなしに、単なる札と霊力だけで展開する規模としてはとてつもない大きさの結界だった。

内部のものを閉じ込める結界は湖をまるごと、半球状に包み込んでいく。
結界の内部にいるのは僅かに二人、妹紅と分禍神だけだ。


「ご苦労さん、霊夢。本当にこんな馬鹿でかい結界を作り上げるとは」

「いいから、とっとと用を、済ませなさい。長い時間は、持たないわ」

絶えまなく霊力を放出しているためか、額に汗を流しながら苦しげに言う霊夢に妹紅は頷く。


ここからは妹紅の仕事だ。



なかに閉じ込められた分禍神の少女は内側から結界を破ろうと力を壁に向けてぶつけている。
それでも妹紅は焦ることはしなかった。

霊夢が任せろと言ったのだ。
自分が仕事を果たすまで、彼女は結界を維持し続けるだろう。

自分の力では壁を破れないと悟ったのか、少女はゆっくりと近づいてくる妹紅に標的を変え、力を解き放った。
常人では消し炭になりかねない程の炎の奔流が妹紅を襲った。

しかし、分禍神の力はあくまで妹紅の力。
自分の力が自分に通じるわけがない。
炎の渦を無傷でやり過ごした妹紅は少女のすぐ目の前まで近寄っていった。
伸ばした手が届くほどの位置で少女と正対する。

炎の力が通用しないと判断した分禍神だったが、即座に攻撃方法を切り替えると今度は自らの肉体を持って妹紅に襲いかかった。

打撃、足技など直接的な手段で暴風のように妹紅に傷を与えていく。

炎のように無傷ではすまなかったが、妹紅は少女の攻撃をすべてその身に受けていった。
絶えまない乱撃に腕が折れ、ろっ骨が折れ、顔を腫らし、内臓を砕かれ、それでも妹紅は逃げようとも防ごうともしない。

きっと妹紅が攻撃に対して少しでも退いていたら、それを見て分禍神の少女は手を緩めるなり距離を取りなおしたりしただろう。
だが、妹紅は退くこともなく、ただ少女の前にあり続けた。

だからこそ分禍神も引けなかった。
引くことが致命的な何かに繋がると感じ取っていた。


彼女たちを上空から見ていた霊夢は思わず声をあげそうになったが、妹紅の意思を汲んで言葉を飲み込んだ。
自分が動くわけにはいかない。
もし結界が解けでもしたら分禍神の少女はすぐさま退却に転じるはずだ。

代わりに結界を展開する力が緩まぬよう気合いを入れなおす。
長丁場になることは明白だったから。



不老不死である妹紅はどんな傷を負っても死ぬことはない。
否、正確には死ぬことは死ぬ。
肉体が活動限界を超え、生命活動を停止すればそれは間違いなく肉体としての死だろう。
そこから蓬莱人としての力で蘇生することで妹紅は不老不死という存在でいられる。

それでも限界まで体力を失ってしまえば動けなくなり、身体を蘇生させるのにも時間がかかるようになる。

傍から見ていて目を背けたくなるような攻撃はどれくらい続いたのだろうか。


攻撃し続ける分禍神の少女の体力と、
攻撃を避けることなく耐え続ける妹紅の気力の勝負は、
それでもその意思の強さの分だけ妹紅に軍配があがった。


肩で息をし、血にまみれた拳が持ち上がらならなくなってから、少女はついに、攻撃をやめた。
目の前の相手は絶対に倒れないと、気づかされたのだった。

死にかけた体を蘇生させながら、ようやく止まった少女を妹紅は静かに見つめ、小さく口を開いた。


「やっと、捕まえたぞ」


分禍神はもう逃げようとも抗おうともしなかった。
ただ目の前の、自分に似た強者の姿を見つめていた。

「確かに霊夢の言うとおりだ。お前は、間違いなく私だったな」

少女にはその言葉の意味が分からなかった。
そもそも、分禍神の少女はここがどこなのか、自分がどうして存在するのか、自分が何をすべきかも分かっていなかった。

その幻想はいつの間にか体を持ち、まるで義務のように妖怪を狩っていただけなのだ。
だから目の前の死なない人間が誰なのかも完全には理解していない。

それでも、この人間が言うことを聞いておくべきなのだと、今はそれだけを考えていた。



「分禍神、お前は死ねなかった私の象徴だ。
死にたいと思っても死ねず、ただどうにかして自己を保つことで精一杯だった私の鏡像だ。

そして人と接することに怯え、意味なく距離をおこうとする今の私の鏡像でもある。
もちろんそれは私の本質には違いないし、今でも大きくは変わっていない。

でも、もう怯えなくていいんだ。
不老不死も、今ではそれなりに楽しめるようになった」


その言葉の意味は、やはり分禍神の少女には理解できなかった。
だけど張り詰めていた心を休めていいということは、伝わった。


「後ろに浮かんでる素敵な巫女も言ってくれたんだ。大丈夫だって、何にでもなれるって。だから少しずつでも変えていくよ」


分禍神の体がすっと色彩を失っていく。
揺らぎ、消えゆく己の体を見て、少女はただ安らぎを感じていた。


「まだ不安は残るだろうが、安心してくれ」


強者がいいと言った、なら幻想が存在する必要はない。
それは嘆きを覚えるような消滅ではない。そんな味気ないものではない。
満たされるような暖かさを持つ、解放だった。


「今の私は、死なない。死ねないんじゃなくて、死なないんだから」


目の前の大きな存在に向けて小さく笑ってから、分禍神の少女は風にかき消えるようにゆっくりとその姿を消したのだった。


見送った分禍神の少女が最後に見せた表情と同じ笑顔を、妹紅も浮かべていた。





----------------------------------------------------





迷いの竹林から続く道を二人の人間が歩いていた。
一人は長く白い髪の少女で、もう一人は少女よりも背丈の小さな少年。

迷いの竹林の端、人間の里が見えるところまで来て里の少年は頭を下げる。


「ありがとうございました、妹紅さん。おかげで道に迷わず永遠亭へ行くことができました」

風邪を引いてしまった母親のために永遠亭の薬が欲しいと訪ねてきた少年を、私は快く案内してやった。
迷いの竹林を行く人間を護衛するのが、永遠亭が人間に知れ渡ることになってからの私の仕事だった。


「もう迷わず帰れるな? 心配してるだろうから早く親御さんに顔を見せてやるといいよ」

「はい!」

「また案内が必要だったら言ってくれ。あぁ、そうだ、いい筍があるから後で差し入れてやるよ」

「ありがとうございます。あの、妹紅さん」

「ん? 何だい?」

「里の人に、妹紅さんはとっても優しいって聞いてました。僕もそう思います!」

少年の飾り気のない真っすぐの言葉に頬をかいて笑う。

「ありがとう。気をつけて帰りな」

「はい! では、また!」

手に持った薬をしっかりと胸に抱えて走っていく少年を穏やかな気持ちで見送ることができた。



そんな私の後ろから思わぬ声がかかる。

「優しい、だって。嬉しそうね、妹紅?」

振り返るとそこにはいつもの特徴的な巫女服を着た黒髪の少女が立っていた。

「何だ、霊夢か」

「あの子じゃないけど、本当に優しそうに見えたわ」

「からかうなよ」

「からかってるわけじゃないわよ」


霊夢と共に分禍神を解き放ってから一週間。
彼女に会うのはそれ以来だった。

「今日は里に用でもあったのか?」

「えぇ。慧音と阿求に事後観察の完了を知らせに。ちゃんとあの子は消えてくれたみたいね」

霊夢はあの日から今日まで、それまでのように幻想郷の見回りをしていた。
分禍神が再臨しないかを確認していたのだという。

「もう大丈夫だとは思ったんだけど、二人とも心配性ね」

「そりゃあ、あの二人だからな」

「で、あんたの方は大丈夫だった? 傷は治ったんでしょうね?」

「翌日には完治してたよ」

「羨ましい身体ねー」

「永琳に頼んで蓬莱の薬、作って貰うか?」

「残念だけど不老不死に興味はないわ」


不老不死の人間相手に言う言葉ではない。
それでも私は思わず笑ってしまっていた。


「いろいろと考える時間もあったし、今ではすごくすっきりしてるよ」

あれから私はいつものように人間の護衛を請け負い、自分から慧音に事の顛末を説明しに行ったりしていた。
三日前にはふらっと現れた輝夜と例のごとく殺し合いもした。

調子が良かったのか、返り討ちにしてやったら帰り際にずいぶん楽しそうね、なんて捨て台詞を貰った。


楽しそうに見えた理由は一つだ。
私はあの日からまた一つ、広い視野で世界を見れるようになっていた。


数百年の幻想郷での生活でたった二人。
確かに霊夢の言った通りかもしれない、私はまだ不死になって最初の三百年のように人から離れようとする癖が直っていないのかもしれない。
考えてみれば不死になってから、人を避け始めたり、妖怪を退治して回るようになったり、何に対しても無気力になったり、輝夜と殺し合いを始めるようになったりと私自身は色んな変化をしてきた。

でもそれらは、私が積極的に変わろうとした結果ではなかった。

長すぎる生の時間の果てに、流されるままに変化してしまっていただけなのだ。


だから、怯えていた。

だから、恐れていた。


霧の湖の鏡像と鏡富士を通して生まれた分禍神の私は、そのことを警告するために出てきたのかもしれない。
今のお前はこんな生き方をしているのだと、それを知らしめるために。

だからこそ、私は今こそ自分を変えるときなのかもしれない。
時間の流れではなく、私が思うがままに。

幻想郷の管理者がそれを受け入れると言ってくれた。

もし私が変われるのなら、そうして心を許せる存在を増やしていけるなら……。



「何よ、じろじろと人を眺めて」

物思いにふけっていた私はいつの間にか霊夢を見つめていたらしい。
怪訝そうな顔をする霊夢に向かって自然と微笑むことができた。


「いや。たぶん、霊夢が三人目になるんだろうなと思って」

霊夢は一瞬だけ呆然として、それから私の言葉を理解したのかみるみるうちに顔を真っ赤に染めたのだった。


「な、何を……。それは妹紅のこれから次第でしょう?」

腕を組みながらそっぽ向く霊夢。
そんな彼女に対して私は思ったままを口にしていた。


「やっぱり優しいだけじゃないな、うん。可愛いところもある」

「馬鹿言わないで! って、止めなさい! 頭を撫でるな!」


真っ赤な顔のまま暴れる霊夢に、妹紅は声をあげて笑ったのたっだ。



*************



「じゃあ私は神社に戻るわ」

「あぁ、また……。あ、ちょっと待った」

しばらくたわいもない話をし、帰ろうとした霊夢を私は何となく呼びとめていた。

「ん? 何?」

霊夢は振り返ったが、特に用事があるわけでもない。
何となく呼んだだけなんて、言ったらまたお札が飛んでくるだろうか。

少しだけ悩んだあげく、私は彼女に問いかける。

「迷惑じゃなかったら、また神社に遊びに行ってもいいか?」

その言葉は予想外だったらしく目を丸くした霊夢だったが、最後には綺麗な笑顔を見せてくれた。

「えぇ、いつでも来て頂戴。またね、妹紅」

「またな、霊夢」



幻想郷の空を巫女が飛んでいく。

私はその姿が見えなくなるまで見送っていたのだった。





人の姿を映しだす、鏡。
それはときに人の内面までも映しだしてしまう。


たまには何の変哲もない鏡でも穴があくほど見つめてやればいい。
ひょっとしたら自分でも分からなかった自分が見えてくるかもしれない。


鏡のなかの自分はどんな表情をしている?

疲れた顔をしていないか?
悲しそうな顔をしていないか?
辛そうな顔をしていないか?

ちゃんと笑えているか?


今回の分禍神の一件で私はまた一つ自分を知ることができた。
生まれ落ちて1000年以上たっても知らないことがまだまだたくさんある。

自分のことも、他人のことも、この世界のことも。



それらの知らないことを、私は気が済むまで追い求めることができる。


そして自分自身を好きなように変えていくことができるのだ。



やっぱり、生きているってなんて素晴らしいんだろう。


心の底から、そんなことを思った。




〜了〜
ラノベとか小説とかのあとがきを読んでよく思っていたのは作家様たちの定番的な感謝の言葉についてでした。

ほとんどの作家様が担当の編集者さんや読者さんに感謝を書くのですが、
そんな形式的なことなんて放っておいてもっと自分の好きなことを書けばいいのにと思っていた時期があります。

でも実際にあとがきを書いているとやっぱり先達と同じことをしてしまうのもなんだなーと、
今、改めて感じています。


ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました。

(2010/12/12 追記)

お疲れさまでした、今回のコンペは個人的に悔しい結果となってしまいましたorz
実力不足が露呈したのがなんとも。。。

コメントでいくつか頂きましたが、空行の多さについて。

投稿時のプレビュー画面で何度も確認したのですが、いざ投稿した作品を確認して見ると
馬鹿みたいに改行ばっかりになってしまっていました。
おかげでさぞ読みにくかったかと、、、。

ともあれ皆さんお疲れさまでした。
批評を下さった方々、ありがとうございました。

(2010/12/12 追記二回目)

結果発表後のあとがきコメントを追記したら改行が期待通りに修正されました…。
どうなってるの…? orz
送穂 葵
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2010/11/06 15:33:43
更新日時:
2010/12/12 13:48:20
評価:
16/16
POINT:
92
1. 3 パレット ■2010/11/20 00:06:53
 もこれいむたぁ新しいな……。
 ちょっと改行空行が多すぎて読みにくかったです。また、空行の多さのせいか、描写がすごく淡白なようにも見えました。
2. 5 さく酸 ■2010/11/25 21:01:41
霊夢の面倒見がよくて好感。全体的にわかりやすい話で読者にも優しいところがまた好感。
ただ、ちょっと話が長いですね。がんばればもっと削れるはずです。
たとえば、最初の阿求。個人的には阿求出てくれてうれしいですが、今のままではいらないですね。慧音が阿求からこんな話を聞いたとその場で話してしまえばそれで済みます。
霊夢の家に妹紅を泊まらせようとする場面もどちらかといえば余計かな。
とにかく、話を煮詰めればもっとシェイプアップできるはずです。がんばってください。
3. 3 asp ■2010/11/29 10:56:29
 改行が気になってしょうがないのですが、投稿時のミスでしょうか? 作品そのものはなかなか面白いのですが、特に突出するようなものもあんまり感じませんでした。分禍神とかをもっとうまく使えればよかったかもです。妹紅と霊夢という組み合わせもあまり生きていないかような。
4. 8 yunta ■2010/11/30 22:14:01
執筆お疲れ様でした!

ところどころ、まだ詰められるところがあるのではないかと感じました。
しかし読みやすいし、全体としてまとまってるし、話の展開がスムーズで、とても楽しめました。
個人的には、こういうSSが書けるようになりたいと思える作品でした。素敵な作品をありがとうございます。
5. 5 とんじる ■2010/12/02 14:32:41
 全体的に文章がやや味気ないなと思った。あくまで何となくですが。
 きちんとした文章だけれど、どうにも淡々としている感じ。
 しかし、ストーリーがしっかりしているため、最後の方になるとその淡々としている感じは気にならなくはなったけれど。

「かがみ」の使い方が面白い。
 妹紅と「鏡」映しの少女、いつか妹紅の見た「鏡」富士、さらにワケ「カガミ」という名の災厄の神霊。
 これでもかというほど何種類もの「かがみ」を、巧く一つに取りまとめてストーリーに昇華させたのはお見事。

 ただ、最後の締めが何かやたらと教訓臭くなったのが、ちょっと変な感じ。
 妹紅が霊夢を見送るシーンで終わり、で良かった様な。最後の締めの言葉が、いいこと言っているんだけどでも何となく蛇足な気がする。
6. 10 Admiral ■2010/12/09 16:02:03
よかったです!
妹紅と霊夢の優しさにホロリときました。

とりあえず自分も鏡を見てきます^^
7. 5 TUNA ■2010/12/09 19:13:42
なんだろう、ワケカガミという面白いテーマなので、一歩踏み込んだ濃いものを読みたかった気もする。けど、この作の透明度が損なわれそうな気もするし……。
8. 7 PNS ■2010/12/09 20:44:20
僕も妹紅さんは優しいと思います!( ゚∀゚)ノ
9. 6 deso ■2010/12/11 20:18:52
なんだか妙に可愛い霊夢でした。
自分のイメージする霊夢とはちょっと違うけど、これはこれで。
文章があっさりめなので、読みやすくはあるんですが、個人的にはもう少し味が欲しいところです。
でも、お題の使い方は上手いなあと思います。
分禍神。なるほど、こういう使い方もあるんだなあ。
10. 2 八重結界 ■2010/12/11 20:25:35
実にスッキリとしたお話でした。
11. 4 木村圭 ■2010/12/11 20:28:04
何もここまで空白だらけにしなくてもいいような。読みやすいといえば読みやすいですけれども。
しかし霊夢はいい子だなあ。来る者拒まず、どころか手を差し出しまくりじゃないか。
12. 6 gene ■2010/12/11 20:52:58
改行に失敗したようで。。
神々がどう、という話には詳しくないのですが、お題をうまく使ったなぁと思いました。
妹紅の不死について肯定的に捉えた作品は、二次において自分の知る限りは見たことがなかったので新鮮でした。
13. 5 ニャーン ■2010/12/11 20:59:15
もう一人の妹紅の正体に感心しました。完全に過去の妹紅だと思わされていました。
改行の多さが気になりました。80kbにしては内容が薄く感じたような、気のせいだと思いますが。
14. 6 兵庫県民 ■2010/12/11 21:47:58
わけかがみ、ね。いい解釈を見せてもらいました。
15. 9 文鎮 ■2010/12/11 23:06:55
話の流れ自体はシリアスでも、全体的にはほんわかしている、そんな印象でした。
霊夢もほんわかしてて素敵な巫女でしたよ。
“気にすることないわ。ここは幻想郷よ”実に良い言葉です。
そういえば、妖怪の山は富士山に砕かれる前の八ヶ岳なんですよね。
16. 8 もろへいや ■2010/12/11 23:57:02
面白かったです。
取り急ぎ点数だけ。
名前 メール
評価 パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード